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「やがて君になる 佐伯沙弥香について」(著:入間人間、原作・イラスト:中谷鳰、電撃文庫)を読む。まずは前置きから。アニメ「やがて君になる」は、ホントに偶然見つけて観始めた作品なので、原作の漫画もストーリーも何も知らない状態で見始めた。元来の学園もの好きの私がはまるのは時間の問題だったが、それ以上に驚いた。まさかこういう話だったとは…。高校の生徒会を舞台に、3年生の生徒会長(七海燈子)が主人公の新入生(小糸侑)に恋をするという、女子×女子のラブストーリー。しかも侑は男女問わず誰も好きになれないという体質の持ち主。アニメの感想は詳述しないが、何となくBL好きな女子の心理が判った気がする。もうひとつ全く関係ないが、このアニメの制服のデザインが気になって…初め見たとき「これはないな(実際にこんな制服は存在しないな)」と思ったのだが、見慣れてくると可愛いもので(と、今度は元来の制服好きが顔を出す)。では本題。本書の主人公・佐伯沙弥香のアニメの中の立ち位置は「侑の前の燈子の彼女」というところ。そんな彼女も勿論、女子にしか恋心を抱けない体質。で、そんな彼女が燈子と出会う高校の入学式まで(具体的には、小学校時代と中学校時代)を描いたのが本書である。女子×女子の恋愛を描いているからなのか、描写(心理描写にしても風景の描写にしても)が凄く独特で柔らかさを帯びている。一言で言えば「キレイ」なんだけど、そんな一言には収まらない独特な雰囲気を纏っている。そしてそれがかえって、女子しか好きになれない女子心理の一種背徳めいた(?)感覚の背景になっている。なんとも不思議な感覚に包まれながら読んだ。ちょうどアニメの放送が終わったばかりなので、自分の中でキレイにお話が繋がって思わず納得という感じ。最後に、気に入った箇所の引用をいくつか。どれも読んでいてキュンとなる。そこには夏から独立した、私だけの熱が灯っていた。「待ち合わせがしてみたかったの」『どきどきしたから、いっか』周りより、先輩を見ていたい。やがて君になる 佐伯沙弥香について /入間人間
2018.12.31

寄り道ばかりしていてなかなか先に進まない冒険王だが、取り敢えずシドーをやっつけたので寄り道から本道に戻ってカンダタ追跡を再開。妖精の村周辺の3本の木を廻っている。ストーリーの進捗のわりにレベルが高いのはいつものワタシ流。装備品もなかなかイイものをつけていて、やはり武闘家イクミがとっても強い!私の見た目装備は杖とみかわしの服という魔法使いらしいスタイルになった。
2018.12.30
「いかしたバンドのいる街で」(スティーヴン・キング、文春文庫)を再読。キングの短篇集を再読しよう!のシリーズ第4回。ここまで読んできて気づいたのだが、短篇とはいってもそこはキング作品。基本的に他の作家のよりも長く、50ページくらいは平気である。私の記憶が確かならば、映画化もされた「霧(ミスト)」は約100ページ。おそらくこの3桁に乗るか否かがキングの短篇と中篇を分ける壁なのだろう。さて、今回も気に入った作品を紹介。若干ネタバレあり。「動く指」…バスルームの排水溝から突き出てきた1本の指と、それを発見した男の戦いの物語。男の装備は、排水溝クリーナーと電動植木鋏。もしあなたが排水溝から指が出ているのを見つけたら、どうするだろうか?「いかしたバンドのいる街で」…正直、表題作だから触れないわけにはいかないよな、というところ。旅行中に車で道に迷い、近道をしようとして更に迷い迷って辿り着いた街の名前が「ロックンロール・ヘブン」。そこは名前だけではなく、文字通りのロック天国。なんといっても町長は(死んだ)あの人だし。でも私ロック詳しくないから多分半分くらいしか楽しめてないよな、この作品。「自宅出産」…初読時に比べて再読時のほうが印象が鮮明になった作品がこれ。夫に先立たれ、しかも身重な女性が暮らすのは因習根深いとある島。そんな小さな舞台から話は始まるが、いつの間にか全地球的危機の魔の手が現れ、いよいよこの島にも到達しようとする。イメージとしては短篇版「ペット・セマタリー」という感じ。生と死と愛とを描いた物語。それとまた発見。「スニーカー」に、ドナルド・トランプの名前が登場。勿論、侮蔑の対象として。以下、気に入った箇所の引用。「でも―安物を買えば自分も安っぽくなるってところね」(「動く指」より)「道に迷ったわけじゃない。どこかでちがう道にはいっちまっただけだ」(「いかしたバンドのいる街で」より)そうね、ジャック。二つならべるとこんな美しい音楽のように聞こえる言葉が、世界の歴史がはじまって以来ほかにあっただろうか?(「自宅出産」より)
2018.12.28

カンダタ追跡中に見た目の変更が出来るようになり、実装備と含めていろいろ変えて遊んでいる。イクミはやっぱり髪を出す装備にしたほうがいいいよね、とか。あとはやっぱり眼鏡を自分に移して(実際かけてるから)、魔法使いの服と帽子を着けたら…なんだかアラブのインチキ魔法使いみたいなってしまった。まぁそれも、私らしくていいかなとも思う。そしてカンダタをほったらかしにしたまま、ゾーマをやっつけた。一端寄り道要素に入るとなかなか本道に戻ってこれないね。
2018.12.26
「ドランのキャデラック」(スティーヴン・キング、文春文庫)を再読。キングの短篇再読シリーズ(?)の第3弾。オリジナルの「Nightmares & Dreamscapes」を4分冊したうちの1冊目。そういえば、私は年末年始にキングの長篇再読をよくやっていたが、今年は初の短篇再読での年越しになりそう。なんといっても、あと3冊もあるのだから。さて、収録作品についてであるが…結局、初読の時に印象的だった作品が今回も心に残った。以下若干ネタバレを含むが、気に入った3作品を紹介。「ドランのキャデラック」…表題作にふさわしい傑作。妻を殺された夫がその復讐をするのだが、その相手がギャングか何かで、移動中は装甲車並みに頑丈なキャデラックに乗っているのだ。そこで主人公は、走行中のキャデラックを落とし穴に落とし、そのうえで生き埋めにしてやろうという計画を立てる。一見荒唐無稽な復讐計画だが、極めて科学的に書かれている(落下曲線!)ところがまた面白い。「ナイト・フライヤー」…セスナ機を操縦する吸血鬼とそれに対峙しようとするライターの戦いを描いた話。吸血鬼の正体、というか最後の場面が怖すぎる!「チャタリー・ティース」…ゼンマイ仕掛けでカタカタ動く歯のおもちゃ「チャタリー・ティース」。勿論、キング流であるからただのおもちゃではない。「おお、神のご加護を。チャタリー・ティースよ、彼を救いたまえ」ってな感じ。初読の時も思ったのだが、このおもちゃ、私も欲しい。以下、気に入ったところの引用。まあ、いにしえの神々はときとして嘲笑うものらしい。理由はべつにない。ただ笑うのだ。いにしえの神々はどうやらひねくれたユーモアのセンスを持っているらしい。(「ドランのキャデラック」より)しょせん人生は芸術の模倣なのだから。自家用機ライセンスを持ったドラキュラ伯爵。(「ナイト・フライヤー」より)
2018.12.25

あれ、サツキさん、今更メガネ先輩の真似ですか?それはともかく、この星ドラでも海の曲として「海図を広げて」が使われている。オリジナルはDQ4の曲だが、DQ9とDQ11でも同じく海の曲として使われている、いわば「航海の定番のBGM」であると思う。港を出港する船と、その行き先に横たわる陽光を浴びてキラキラと光る大海原が目に浮かんでくる。ある意味、視覚や文字による表現を超えた音楽表現であると(僭越ながら)思ったりもする。
2018.12.24

やっと最初の島を出て、転職できるところまで到達。そのあと、メタスラの鍵を使って一気にレベルを上げた。私はDQの世界なら剣よりも呪文を使って戦いたいと昔から思っていたので、魔法使いに。イクミは踊り子と迷ったが、身体能力の高さと最初からツメを装備していたので武闘家に。そしてサツキは癒し系スマイルということでパーティに欠かせない僧侶にした。
2018.12.23
「王とサーカス」(米澤穂信、創元推理文庫)を読む。以前読んだ「さよなら妖精」や「真実の10メートル手前」に登場した女性記者・太刀洗万智がフリーライターとしての初仕事でネパールに向かう。現地のホテル「トーキョーロッジ」に滞在し、現地の少年ガイドの助けを得ながら仕事を進めようとした矢先、王宮で国王殺害事件が発生。しかも殺されたのは8人に及び、犯人は皇太子でその後自殺を図る。太刀洗は早速取材を開始するも、彼女はいきなりひとつの死体を目にすることになる。殺されたのは誰か?何故こんな殺され方をしたのか?太刀洗は事件の真相へ、一歩また一歩と迫っていく。それはまた、ジャーナリストとしての己の在り方を問われる過程でもあった。記者は、報道は、悲しいニュースを伝えるが、それは単に読者にとってはサーカスのような娯楽にすぎないのではないのか?太刀洗は己と葛藤しつつ、それでも記者として突き進む決意をする。話は変わるが、事件の舞台が学校で生徒が探偵役の話を「学園ミステリ」と呼ぶ。では本作のように、ライターやマスコミ関係者が探偵役の場合、何というのかなどと(余計な)ことを考えてしまった。「メディアミステリ」などという言葉が思いついたが、ちょっと違う気がする。まぁ、この「太刀洗万智シリーズ」は普通のミステリと明らかに一線を画していると言いたかったのだ。というのは、巻末解説に 歴史的にも探偵と記者は類縁性が高いことが見て取れるが、著者も探偵とは何者かを追究する思索から、悩めるジャーナリストの万智を生み出したのではないだろうか とある通り、記者は探偵役としてうってつけの職業だからである。登場人物が個性的なのも光る(私もあの破戒僧とお茶をしてみたい)し、ネパールというあまり馴染みのない国の国情や歴史に触れられるという点でも本書は面白い。あっ、そういえば私は大学院時代に同じ研究室にネパールからの研修生がいた時期があったんだ、と今思い出す。それでもネパールに関する私の知識は皆無に等しい。こうやって久々に思い出させてもらえたのも嬉しい。以下、気に入ったところの引用。「子供と歩けば子供の街、坊主と歩けば坊主の街さ、どこでもそうじゃないのか」ネパール国旗の二つの三角形のうち、一方は王家をあらわすが、もう一方はラナ家をあらわしているという。「そっか。考えてみればそうかな。飛行機が一番速いけど、バスもリクシャもいらないってことはないもんな」「自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ」もしわたしが死者の背中に告発のメッセージを刻むとしたら、曲線が多い平仮名ではなく、楽に刻める片仮名を選ぶだろう。
2018.12.22

ココに書いたアプリというのは、そう、「星ドラ」のこと。スマホでゲームはやるまいと思っていたのだが、基本無料だし暇つぶしのために何かスマホに入れておこうかな、と。で、やり始めた。勿論まだ最初の島をウロウロしている。スマホゲームってやったことなかったからイメージがわかなかったけど、サクサク遊べるようなシステムになってるのね、なるほど。それにしても、単に暇つぶしだけにするにはボリュームありそう。ミニゲーム的なものもいろいろあるし。最初のスクリーンショットはコレ(↓)。一応、顔はそれぞれ似せたつもり(色以外)。
2018.12.20
<序章>~漏れる私の心の声~「いや、私はスマホの大掃除なんかするつもりなかったんだよ。ただ、あるアプリを入れたくて、ね…」<本論>~私を見舞ったトラブルと、それに対する私の戦い~そのアプリ自体は特に変わったものではなく、普通にGoogle Playから入手できるものだ。ただ、そのタイプのアプリを使ったことがなかっただけで。勿論(基本)無料のヤツだ。まぁそんなわけで、ダウンロードは普通にできた。そして起動するとタイトル画面が出て、そこでまたダウンロードが要ると知らされる。よくある、「Wi-Fi環境でやってね」的なことを言われるパターン。そこで私は最寄りのセブンへ行った。Home Wi-Fi?そんなもの飛ばしてない。私はスマホユーザだが、決してヘビーユーザではないのでね。で、セブンでダウンロードを行っていたんだが、70%くらいまで進捗したところで、「容量が90%を超えました」と言われたんである。思わず「そんな筈はない!」と心の中で叫んだよ。このスマホ使い始めてまだ1年半、つまりは2年で支払う機種代だってまだ払い終わってないし、何といっても私はヘビーユーザじゃないのだ。でもまぁ仕方ない。次に私のスマホが私に示したのは、「削除候補アプリリスト」的なものだ。つまり、使ってないから消しちゃえば、と言うんである。そこで私は悩んだ。リストのアプリはほとんど「いつか使うかもしれない」から一応入れてあるものばかり。だからおいそれと消すわけには…とも思ったんだが、今まで使わなかったものを今後使うかって言われると、多分使わないワケで。なので、ホントに大事なヤツを残して、ほとんど消してやった。で、ここまで来たんだから徹底的に容量を空けてやろうと思った。しかし、ヘビーユーザでない私に判ることと言えば、キャッシュ等をクリアすることと、移動して大丈夫なファイルをメインメモリからmicroSDに移すことの2つくらいである。で、まずはキャッシュ。取り敢えず再起動してみっかと思って実行。トラブったら再起動はPCでは鉄則、というか私はそう教わってきたしやってきた。実はこれが予想外に効果的で、けっこうな容量を空けることに成功。しかしやるからには徹底的にだ。ここから先は専門家の手を借りよう。キャッシュクリーナー的なアプリなんかいくらでもあるだろうと思い、調べてみた。そしたらやはり、ノートン先生がよさげなのを出してるではないか。私は昔からPCのウィルス対策はノートン派だ。ウィルスバスターは嫌い。で、早速それをダウンロード。しかし、あるアプリを入れるための容量確保のための作業で別のアプリを入れるなんて、自分の尻尾を追いかけるバカ犬みたいな気もするが、こういうのは一度やっておけば二度目以降は楽なものだ。だからやる。ノートン先生を起動してチェックさせるとやはり出てきた、コイツの名前が。彼の名は、そう、「LINE」である。アプリサイズ自体がデカイのに加えて、キャッシュやら何やらもサイズがデカイ。勿論LINE自体は使うから消せないが、この際それ以外はどうでもいい。それ以外にも先生が見つけた様々な不要と思われるファイルたちとまとめて消してやった。残りはせいぜい、カメラで撮った写真とかダウンロードした画像とかだけなので、単純にmicroSDに移すだけ。カメラのデフォルトの保存先もmicroSDに変更。これで戦いは終わった。改めて、メインメモリの利用率をチェックしてみると…。<結論>~最後に画面に表示されたもの~「50%」90%が50%になった!これだけあれば当分困らない。私は果敢に戦った自分を褒めたくなった。<あとがき>で、何のアプリを入れたかというと…それはまたの機会に。近いうちにここに書くことになると思うので。これでスマホの大掃除は済み、PCの大掃除はつい先日やった。しかし、肝心な物理的な大掃除はまだだ。
2018.12.19
今日はちゃんと「瞳」の話をしよう。彼女の動画などを観ていてつい嬉しくなるのは勿論、画面越しに視線が合った時である。その時彼女の笑顔が素敵だったら(いや、勿論素敵に決まっているではないか!)なおのこと、こっちまで笑顔になる。私は自分で自分の顔がめちゃくちゃニヤけてるだろうな、という自覚すらある。そして、視線が横に切れるか伏し目がちモードに切り替わる瞬間は切ない。「あと1秒でイイから視線をこっちに!」などと、女々しいことを思う。ある日そんな思いで動画を見ていたら、その時の気持ちにピッタリな曲を思い出した。それは、「瞳そらさないで」(DEEN)である。まぁタイトルそのままの意味ではあるんだが、もうちょっと歌詞を見てもこの曲がピッタリな理由が判る。…look in your eyes瞳そらさないで 青い夏のトキメキの中で…約束だから海に来たって感じが 一緒にいるに淋しいよlook in my eyes…(DEEN「瞳そらさないで」より)やはり彼女には海が似合う。「青い夏のトキメキ」はいつだって彼女のステージだ。そしてちゃんと目を合わせないで話すのは淋しい。それにしても、こういう「自分の好きな複数のものが意外なところで繋がっている(気がする)現象」って、何か名前があるのだろうか? 共鳴や共振ではちょっと違うし、何かこう「○○結合」みたいなの。知ってたら誰か教えて。あ~、やっぱり途中から「瞳」の話ではなくなってしまったね。
2018.12.19
「幸運の25セント硬貨」(スティーヴン・キング、新潮文庫)を再読。キングの短篇を再読しよう!の第2弾は、第1弾「第四解剖室」と元々は1冊だった(文庫化に際し2分冊)本書。どちらかというと本書のほうが面白く印象的なホラーらしい作品が多かった気がする。以下、気に入った作品を簡単に紹介。「道路ウイルスは北へ向かう」は、主人公の作家がガレージセールで購入した不思議な絵(描かれているものが動く!)が登場。しかも、単に絵が動くだけでなく、主人公にその絵の通りの結末が訪れるという話。「ゴーサム・カフェで昼食を」は、弁護士を交えて離婚への話し合いをする主人公たちに、サイコな給仕頭が襲い掛かるという殺戮モノ。この給仕頭は名前を「ギイ」といい、「きいいいいいいっ」と何度も何度も叫びながら包丁を振り回す。巻末解説の風間賢二氏は、「給仕頭のサイコぶりがステキな一篇である」と述べているが、私も同感である。「1408号室」は、とある伝統あるホテルの呪われた部屋を舞台にしている。その部屋では自殺や自然死によって死ぬ人間が絶えず、ホテルはその部屋を使わないことにする。しかし、そこに興味を持ったオカルトライターが宿泊を希望。彼が部屋の中で見たものとは? という正統派なホラー。以下はいつものように気に入ったところの引用。「アップルの皮をむくのはだれでもできる。芯を食うのが筋金入りの男さ」(「なにもかもが究極的」より)あなたは、いつでも私のとろけるほど甘いチェリーパイです。(「L・Tのペットに関する御高説」より)せっかく悪習を断ち切っても、べつの悪習で穴埋めをしてしまうのは、どうやら避けられないことのようだ。(「ゴーサム・カフェで昼食を」より)彼の経験によれば、復帰変異は物の本性である。(「1408号室」より)
2018.12.18
美人が好きか、可愛い子が好きかは男にとって究極の選択。まぁ私は絶対後者なのだが。では、可愛い子が美人に勝っているのはどこだろうか?ここで取り敢えず「可愛い」と「童顔」をほぼ同義としよう。勿論、「美人で童顔」という例外的な人もいるにはいる。傍証的には井川遥の顔が挙げられようか。でもそれはやっぱり例外。で、私が思う可愛い子が美人に勝っている点、それは、「童顔は歳をとっても顔が変わらない」ということだ。つまり、可愛いままいられるのだ。例を挙げるまでもないかも知れないが、永作博美や森高千里を見れば判る。少なくともTVの中の彼女たちは10年前と同じ顔をしている。ズルいくらい顔が変わっていない。そして最近その系譜を継ぐ者が現れた。それが広末涼子である。広末は年齢的には私の3・4個下で、それこそデビュー当時から知っているが、全く顔が変わっていない。制服着せちゃえば今でも女子高生である。そんなCMが今年実際にあったわけで。そんなわけで私は、広末の顔は向こう10年変わらないと踏んでいる。彼女の子供が男女どちらかは私は知らないが、ともかく高校生くらいになったとして親子一緒にいれば、女の子だったら「姉妹?」と言われ、男の子だったら「付き合ってるの?」と、きっと言われる。その時は広末もまた制服を…っと、これは私の妄想、悪い癖だ。考えてもみれば、美人については小説や映画やあるいは実際にも「あの人は昔、美人だったのよ」という台詞がよくある。つまり、歳を食えば美人は大体美人じゃなくなる。一方、可愛いおばあちゃんというのはいる。まぁこの場合、さすがに顔が変わってないということはないだろうが。あと、「美人は3日で飽きる」とも言うが、可愛い子は3日くらいでは飽きない。いつまでだって見ていたい(のは私だけか?)。だから、「可愛い」は「美人」に勝るのである。多少強引な結論ではあるが。
2018.12.15
「第四解剖室」(スティーヴン・キング、新潮文庫)を再読。「蛇と男根と手袋」では、「部屋とYシャツと私」の三文パロディにもならないんであるが、蛇と男根はフロイト的には関係があったはず。記憶が正しければ。キングの長篇に関しては文庫化作品の大半を再読している私ではあるが、こと短篇となるとあまり再読したことはない。「入り江」や「霧(ミスト)」など映画化された短篇を再読している程度で。実際、短篇というのは難しいらしく、この短篇集でもキングはいきなり言い訳めいた序文から入り、更に作品ごとに自ら解説をしている始末。でも、本棚の隅の一番目に付くところにこの短篇集が立っていたこともあり、今回再読してみた。まぁ表題作は秀作である。まだ生きている人間が何の手違いか死んでいるとされ、生きたまま検死解剖されるという体験を綴った作品で、正統派なホラーというか、単純な怖さが感じられる。この作品が印象的すぎるというのもあるかもしれないが、他は正直イマイチというか…敢えて1作品どれがよかったかと問われれば、「死の部屋にて」だろう。情報をよこせば命だけは取らないと言われてはいるが、情報を出しても結局消されるだろうなという男が、いかにそこから脱するかという話。密室&スプラッタというホラーの常套手段を使いつつ、結末もキングらしい。以下、相変わらずの引用。しかし、短篇からだと引用も難しいのだが。自分は死ぬのだと、ふいに確信した。しかも、苦しみ悶えながら死ぬのだと。だが、それ以上に怖かったのは、死よりも恐ろしいことが待っているかもしれないことだった。(「黒いスーツの男」より)ごちそうを吸ったばかりのカをたたいたときみたいだ―あたりいちめんの赤ワイン。(「ジャック・ハミルトンの死」より)反対側の歩道には若い女たちがいた。男なら、どうしても夏服の女たちに視線を吸いよせられてしまう。人間のさがというものだ。(「死の部屋にて」より)ローランドの知るかぎり、十字架の神の教えは他の宗教と変わるところがない。すなわち、愛と殺戮はわかちがたいほどひとつに結ばれる―最後には。神は常に血を欲するのである。(「エルーリアの修道女」より)アレ、意外と引用できたじゃん。
2018.12.14

もはや「瞳」どころか「顔」すら見せない妄想話。「瞳のアナリシス」というタイトルは気に入ってるだけという理由で続けている。ホントは年始1発目にでも書こうと温存するつもりでいた話なのだが、「鉄は熱いうちに打て」という古人の教えに従って、書いてしまうことにした。やりたいことは「写真1枚から短篇小説の妄想的構想を得られるか」という実験である。さて、写真の彼女であるが、南国のビーチにひとり、おまけにビキニの上をとってしまっている。彼女に一体何があったのか? 例えばこんな風に考える。美意識が高い彼女は、ビキニの痕を残さずにキレイな小麦肌に焼きたかったから上をとってしまった。まぁさすがにこれだけの理由で下はとれないから妥当かもしれない。では何故、そこまでキレイに焼きたかったのか? 南国の開放的雰囲気がそうさせたというのは確かにありそうだ。ただそれだけでは動機としてちょっと弱い。彼女をそこまで開放的にさせたのは…。もうお判りだろうが、彼女はいわゆる傷心旅行でこの南国ビーチを訪れているのである。つまり半分自棄になって、上だけならとっちゃっていいよねと思ったのである。これなら先ほどの動機を補完できる。しかしまぁ、彼女ほどの魅力的な女性をふった男性の心理は、私には理解できない。さて、実験はここまでである。私は小説家ではないから彼女を主人公にした話を書くことはできない。では、誰だったら書いてくれそうか、あるいは書けそうか? 以下も勿論妄想だ。真っ先に名前が浮かんだのは早坂吝だ。すると彼女は上木らいちということか。らいちなら確かにビキニの上くらいとってしまいそうである。というか、下だってとってしまいそうだ。それに、さすがに彼女に「援交探偵」を演じてもらうのは私も心苦しい。いや、やってできないとは思わないけど、ファンとして嫌なのだ。そしたら誰がいいだろうか。何となく思いついたのが米澤穂信。この妄想的構想をベースに面白いミステリに仕立て上げてくれそう、というのがその理由。いやホント、何となくの思いつきなだけだけど。何かこの妄想シリーズ、続く気がする。
2018.12.13
私が最も愛する小説家スティーヴン・キングの名言に「魔法は存在する」というのがある。あまりに印象的な一節で忘れられない大好きな言葉なのだが、その出処については記憶が曖昧なままだった。そこで、ネットで調べてみたところ(こんな曖昧な情報からでも検索できるなんて便利な世界になったものだ)、巨編「IT」(文春文庫、全4巻)の序文に収録された言葉である、ということが判明した。そこで、改めて「IT」の序文を見てみると、ちょっと前段があることが判ったので、そこを含めて紹介しよう。子供たちよ、小説とは虚構(つくりごと)のなかにある真実(ほんとう)のことで、この小説の真実(ほんとう)とは、いたって単純だ―魔法は存在する(できれば英語の原著に当たりたいところだが、取り敢えずはこれでご勘弁を)そしてここまできて、何故この言葉がそこまで私の印象に残っているのかが判った。私の高校時代のとある国語の先生の教えを思い出したのだ。その先生は女性なのだが体は大きく声はさらに大きく、ついた渾名が「大魔神」で、古典文法の「係り結び」を教えるのに「我こそ大魔神なれ」という例文を考案した人である。と、話が逸れた。で、その大魔神先生は現代文も担当していて(確か夏目漱石の授業の時だったかと思うが、ここは記憶が曖昧)、その時にこんな話をしてくれたのだ。「事実と真実の違いは何か? 世の中の事実をすべて集めればそれが真実なのか? 否。小説は作り話であるから事実ではないが、そこに人間の真実が描かれている場合もある」若干脚色したが内容は変えていない。私はこれを聞いたとき、目が3段階くらい見開かされるのを感じたものだ。つまり、虚構の中に真実があると語ったキングと同じことを言っていたのである。しかも、私が「IT」を読んだのと、この大魔神先生の授業は、ともに高1という同じ時。どっちが先だったかは忘れたが、多分相乗効果もあって両方とも印象に残ったのだろう。何せもうあれからウン十年経つというのに、いまだに両方とも忘れられないどころか、大好きな言葉なのであるから。やはり、多感な時期に見聞したものというのは人格形成に多大な影響を与えるのだなと、今改めて思った。と同時に何か長年の謎が氷解したという思いすらする。ちなみに「IT」は映画化もされた名作で、ホラーだけど感動作だ。ただし、非常に怖い。高校時代に軽い気持ちで友人に紹介したところ、彼は「ピエロ恐怖症」にさいなまれることになったほどだ。
2018.12.13
「きのうの影踏み」(辻村深月、角川文庫)を読む。ホラーの短篇集なのだが、全体として独特な世界観が通奏低音的に存在しているなぁと思った。短い作品は4~5ページ程度、長くても20~30ページくらいの作品群は、どれも普通の日常生活のすぐ裏にある影みたいなものを描いている。ホラーと言っても「怖い」という感覚よりも寧ろ「うすら寒い」といった感覚に襲われる。ジワジワと背後から怖さが来る恐怖。例えば「手紙の主」は、「実体化する思念」みたいなものを描いていて、キングの「ダーク・ハーフ」を思い出したが、またアレとは違う種類のホラーだし、「やみあかご」や「だまだまマーク」なんかは、子育て中の人が読んだらより怖いタイプの作品。私の一番のお気に入りは「噂地図」という作品で、本書の中でもミステリ色が濃いのと結末の意外性と示唆性もあって、面白怖い作品だと思う。あと、これは邪推にも程があるが「私の町の占い師」で辻村の三年後の直木賞を予言した占い師、これは本書中唯一の実話なのではと思った。辻村と言えばドラえもんだが、本書の作品たちは「少し不思議」でダークなホラー、といった感じだろうか。以下、気に入ったところを切り取らせてもらう。呼ばれても、絶対に後ろを向かないでください。(「スイッチ」より)恐怖とか嫌悪は、興味があるという点においては、好きという感情とも紙一重だ。(「ナマハゲと私」より)
2018.12.12
「〇〇〇〇〇〇〇〇殺人事件」(早坂吝、講談社文庫)を読む。早坂のデビュー作にして、援交女子高生探偵「上木らいちシリーズ」の第1作。意味深なタイトルの「○○~」の部分には、発生する事件の様子を言い表すことわざが入る。これを読者に当ててもらおうというのが著者からの挑戦状である。まぁいきなり当てるのは難しいだろうからと、ご丁寧に例題まで用意されているのだが…私はこの例題も判らなかった。だって「猫」が閉じ込められた「箱」って言われたら、ことわざじゃなくて「シュレーディンガー」が頭に浮かんだものだから。それはともかくストーリーは、公務員の沖らアウトドアの同行者らが小笠原諸島の「再従兄弟島」なる孤島(仮面の男・黒沼の所有)で、夏休み恒例のオフ会を開催するところから始まる。そこに常連メンバーの一人に連れられてらいちが初参加。ところが、島に着いた翌日メンバーの2人が失踪、さらにらいちを連れてきたライターの成瀬が殺害され、おまけに女性メンバー2人が内から鍵をかけた密室で発見されるという謎の出来事も発生。果たして事の真相は? そして「○○~」に入ることわざは? というミステリ。このミステリ、「そんなのアリかよ」と言いたくなるような大前提が伏せてあって、勿論それが判らなければ犯人もことわざも判らない。勿論、私も判らなかった。だけど、大前提につながる伏線はいくつもあって、それには私も気づいていた。例えば、ラーメンのスープがはねてシャツが濡れたシーンで、普通ならシャツを着替えると思うのだが、主人公の沖はシャツを乾かしてそのまま着ていたシーンなんかは、読んでいて「!?」となった。他にも似たような伏線はいくつもあるのだが、大前提の意外さ故に全く辿り着けなかった。でもまぁ、その意外性ゆえに頭をガーンと殴られたような面白さを味わえたのであるが。まぁ、ことわざを当てられなかったことへの意趣返しというわけでもないのだが、私はミステリを読むとき犯人当てとかを基本的にしない。潔く犯人に騙され、探偵役の名推理を読んで納得するという主義なのだ。そのほうが作品世界に没入できるし、「当ててやるぞ」と息巻いて読むのは面白さが半減する気がする。例えば、マジックを見る時にタネを見破ってやろうとして見るか、純粋にマジシャンの技に見とれて楽しむか、の違いである。勿論私は後者派。(以下ちょっとネタバレ)それにしても犯人さん、あなたその道のプロなんだから、アレがみんなに丸見えになることが判っていたなら、何故事前になおしてから島に来なかったんだろう? ちょっと気になったもので。以下、気に入ったところの引用。「俺たちだって働き続けなきゃいけない限り死んでいるようなもんさ……」「女の子とご飯は待たせるなってのが俺の信条ですから」敵に回すと恐ろしいが、味方に付くと頼もしい。
2018.12.04
「梟のシエスタ」(伊与原新、光文社)を読む。とある地方の国立大学の心理学講座を舞台にしたアカデミック・ミステリの連作短篇5篇からなる1冊。発生する事件は、アカハラに業者との癒着、学会とサークルの会場ダブルブッキング、ストーカー、そして学長選をめぐる陰謀の数々…。更にその裏には学部改組(「ありがち」な「総合人間科学部」構想とか、人文系の臨床心理学講座を医学部に組み込む話とか)などの「大学あるある」的な話もチラホラ。そして本作の「探偵役」は「フクロウ」こと袋井。名前だけでなく彼は「夜行性」で「ほう」と鳴く、変人だらけの大学教員の中でも群を抜いた奇人変人だ。一応、専門は中世スペイン建築。しかしこのフクロウが凄い!何でそこまで見抜けるのかという慧眼の持ち主で謀略家で、奇人変人なんだけれども憎めないというか面白い。是非是非続篇を、と期待したくなる。以下、気に入ったところの引用。「僕ら助教や講師には権限も研究費もろくに渡さないくせに、こき使いたいときだけ『ここは若い人の力で』とか調子のいいこと言っちゃってさ。権利は不平等、義務は平等」「あれ? これって、あの悪名高い『自分探し』ですか? 違いますよね?」「そもそも、文科省が学長選考会議なんてものを押しつけてきたこと自体がおかしいんだ。法人化とか学外理事とか経営感覚とか、そんなものは学問の自由を阻害する方向にしか働かない」「あの三谷という男は、声がやたら大きい。声が大きい人間は、権力志向が強く、かつ単純だ」「ちゃんと数字で言えよ! 重みづけして計算しなおしてやるから!」
2018.12.01
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