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最近、思い出すことがあります。僕が高3の頃と大学受験浪人をしていた頃。僕は大学受験浪人になって初めて「塾」というところに通いました。僕は高3のときに受験した大学は、2大学。担任の先生に、お前、100%、浪人するよ? 他の大学も受けた方がいいぞ。と言われました。僕はこう答えました。はい、分かってます。 僕もそう思います。僕の今の学力では、受かる確率は限りなく0%に近いと思います。そんな努力しかできなかった自分だから、他の大学に通う自分が受け入れられないのだと思います。先生、今の自分のままで、どんな大学に行ったとしても、僕は自分に自信が持てません。 だから、今年の受験はケジメです。今、僕がしている勉強は、来年の受験の受験勉強です。 そうか。 お前らしいな。でも、ご両親はどうなんだ? 大丈夫なのか? はい、昨日、両親に土下座して、分かってもらいました。 人に土下座したのは、この1回きり。僕はこうして大学受験浪人になりました。某大手予備校に通いながら、休みの日には、地元の図書館に、開館と同時にこもり、閉館ぎりぎりまで勉強しました。あの1年間は、胸を張って、勉強した!と言えますね。両親との約束で、浪人は1年だけということだったので、2回目の受験は、第一志望大学を含めて、7大学受けました。第一志望大学を除いた6大学の合格通知をもらい、最後の1通を待っていたときです。あることに気がつきました。それは、1年前には持つことができなかった心境。 第一志望大学の合否にかかわらず、大学4年間、また頑張ろう!この1年で自分は間違いなく成長し、自信を持つことができた。全く悔いなんてない! そんな心境でした。結果は合格でしたが、僕が手に入れた最も価値あるものは、合格発表前の心境でした。僕が高3のときに、他の大学に通うことが受け入れられなかったのは、この心境にたどり着いていなかったから。 受験という世界の中では、プレッシャー、甘え、不安、迷い様々な感情が伴い、絡み合う。そんな受験前の受験生に、喝を入れたり、応援や励ましの内容を、「熱い想い」をもって記事にされているすばらしい先生方がたくさんおられます。僕も高校時代に、こんな先生方が塾におられるということを知っていれば、絶対に塾に通ったはずなのにと高校時代を懐かしく思い出す、がっきーであります。
2007.10.31
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今日の小学生の授業。ある生徒が漢字の読みで頭を抱えていました。 どうした? 先生、「諸問題」の読みがわかんない。 なるほど。 じゃぁ、「諸問題」のどこが読めなくて、どこが読めるの? 「諸」が読めなくて、「問題」は読める。 そっかぁ。 じゃぁ、この問題の「財宝」はちゃんと読めてるよねぇ。「財宝」の「財」を二つに分けたらどうなる? 「貝」と「才」。 そうだねぇ。じゃぁ、「財」をザイと読むその読みを表しているのはどっち? 「才」。 そう、そう、その通り。 「才」をサイと読む。それが少し変わって「財」をザイと読むんだよね。じゃぁ、「諸」も二つに分けて、読みを表すのはどっち? 「者」。 何て読む? シャ。 そうだねぇ。 その「シャ」を少し変えて、「問題」にくっつけると何て読むかなぁ? あぁぁぁー! ショモンダ~~~~イ!おぉぉぉー!正解! どうして分かった?ショモンダイって聞いたことがあった気がするぅ。 そう、そう、それで良いんだよ。漢字として知っている言葉より、音として知っている言葉の方が多いから、新しく漢字として言葉を学ぶときは、音として知っている言葉と照らし合わせることが大切だね。 ホントだぁ~。 先生が言うように、僕、5年生でも、6年生の漢字を勉強できるんだねぇ。 うん、それが分かる君がすばらすぃ~~~い!! 5年生のある生徒が、5年生の漢字を終わらせ、6年生の漢字に取り組む姿から、大切なことを再確認させてもらいました。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.10.30
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前回の記事の最後、僕が感じていた生徒の状態は、得点と実力の実感の不一致から起こっていました。それは、5文型という英語の世界の欠如からくるものでした。 1問3点の問題で、得点は、0点か3点のどちらかです。しかし、0点か3点かに振り分けられた生徒の英語の実力は様々。例えば、A 実力は1点だけど、得点は0点の生徒。B 実力は2点だけど、得点は0点の生徒。C 実力は1点だけど、得点は3点の生徒。D 実力は2点だけど、得点は3点の生徒。E 実力も得点も3点の生徒。AやBの生徒のように、実力はある程度あるにもかかわらず、得点が0点の生徒は、その自分の実力に自信を持てなければ、3点得点するまでの努力ができないと思うのです。一方、CやDの生徒のように、実力よりも得点が上回る生徒は、足りない実力を身につける努力をしなければ、中3になったときの入試対策である実力テストや入試問題で得点することは難しくなると思うのです。こういった生徒は、テスト問題の種類や難易度によってテストの点が大きく上下するようです。Eの生徒のようになるためには、現在の自分の実力が、3点のうち、何点まできているのかを把握し、何が自分に足りないのかを知る必要がある。そのためには、英語の問題を解く上で、英語の実力をはかる「ものさし」が必要だと思ったのです。そしてその「ものさし」を3段階に分けて考えました。まず、英文全体を視野にいれてはかる最も大きな「ものさし」が英語の5つの文の形、5文型。例えば、I can speak English a little.S V o 副詞句5文型のものさしを使って、SVOの形になる3文型に副詞句がくっついていると分析します。この「ものさし」で英文を分析し、自分の実力を上げなければ、学校の平均点を超えることは難しく、超えたとしても、1時的なものに過ぎないと僕は考えています。そして次に、5文型よりも少し細かいものさしを使います。それは、各学年や時期によって異なる英文法。僕は、「ポイントを探しなさい」と指導しています。同じ例文を使うと、I can speak English a little.S V O 副詞句can(できる)という助動詞が文法上のポイントです。(中1の3学期の範囲)そして、次に使う最も細かいものさしは、単語・語句です。例文中では、a little(少し)という副詞句。このような流れで、初めは5文型を使って、大きく文全体を視野に入れて把握し、それから視野を絞りながら、英文法、単語・語句と分析していく。カメラを構え、まず対象となる被写体全体を捉え、そこからピントをしぼっていくようなイメージですね。こういう形で授業を進めるようになってから、明らかに変わった点は、生徒の問題演習中に、以前のように、全員の手を止めさせて、黒板を使って、一斉に復習するということをしなくて済むようになりました。生徒それぞれ実力は異なるのですが、生徒が5文型、文法、単語・語句の3種類のものさしを使い、それを問題中に書き込むようになったので、生徒それぞれに必要なアドバイスを的確に、一言で与えられるようになりました。そこに新たな発見がありました。 3種類のものさしを使って生徒が書き込んだものは、その問題においての生徒の思考の足跡でした。自分で思考したことを目に見える形にしておけば、たとえ間違えたり、思考が止まったとしても、そこからまた修正したり、アドバイスから思考したりすることができる。これは僕にとって、非常に大きな発見でありました。実力を把握するための3種類の「ものさし」は、生徒の思考の足跡へと繋がりました。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.10.30
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久しぶりに、子育て奮闘記長女さくらは12月で3歳になります。 来年4月から保育園デビュー長男コタロウは今月で8ヶ月になりました。もう高速ハイハイを覚え、机やソファーなど、何かにつかまって、つたえ歩きをするようになりました。最近、寒くなってきました。2人とも、鼻水出してます。そこで・・・ ジャーーーーン!! レッグウォーマー!娘は娘でいつの間にか女の子っぽくなってるし、息子は息子でレッグウォーマーがはけるような足になってる。子どもの成長は早いです。僕がこんな風に穏やかな気持ちでそう思えるのも、毎日、奥さんが、子ども2人と奮闘してくれてるからだと大感謝!頭が上がりませんね。
2007.10.28
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イメージ英語にたどり着くまで 3の中の、2~4をそれぞれ考えていくとある共通点がありました。 それが、5という状態を作り出していたことがわかりました。 2 学校の定期テストの成績と、実力テスト(進路指導用)の 成績の差が激しかった。これは、見たことのない問題に弱いということ。 3 学校の通知表が4・5の生徒でも、 岐阜県公立高校入試問題に出題される 自由英作文の対策を、徹底的にしなければならなかった。 (絵やテーマ、字数、文数が与えられ、その範囲の中で、自由に英文を書くというもの) 中学1年のときから、学んできた英語が生かせていない。 4 この地区では有数の進学校と呼ばれる 高校に進学した生徒でも、 ときどき、僕が、「あれ?」と思うような誤答をしていた。僕の目から見て、「やってはいけない誤答」をしていた。例えば、「私は公園でテニスをします。」という文を、I am play tennis in the park. と誤答する。 生徒のこういった状態を考えると、実力がついていない。 英語の基本ができていない。ということを感じると共に、僕がこう感じるんであれば、生徒だって、いくら得点しても、英語に対して自信が持てていないのではないか?という疑問が生まれました。よくよく思い出してみました。 問題演習中、生徒の進度状況を把握し、アドバイス・指導するため、教室中をぐるぐる回ります。誤答に対して、生徒は、赤ペンで訂正しています。それに対して、どうして間違えた? 答えはなぜそうなの?と、確認のため質問すると、生徒は答えられません。説明しようとすればするほど、生徒の顔はポカーンとなります。仕方なく、黒板を使って、全員に説明することがよくありました。そのときの他の生徒の反応は、待ってました!と言わんばかりに、目が活き活きとしてきます。それは、自分で問題演習しているときには、ピタリと止まっていた思考を、僕に動かしてもらえるという救いの瞬間だったのです。特に英作文の問題演習のときの、その解答率が非常に低かったということがそれを物語っています。そうなんです。生徒たちが英語を勉強するとき、僕がいなければ、思考がストップしていたのです。家庭学習をするときは僕はいないので、思考は止まったまま。それでも、塾に来てくれる生徒は、みんな素直でいい子ばかりだから、勉強に対する意識は高い。そんな状態の子がとる行動は、こんなパターンの問題の答えは、たぶんこんな感じになると頭に霧がかかった状態で、なんとなぁ~く暗記することしかなかったのです。問題のパターンが増えれば増えるほど、なんとなぁ~く暗記し、たとえ正解したとしても、なんとなぁ~くの実感しか得られない。自分のとる得点が、実力がついたという実感になっていなかったのです。英語のテスト問題の配点は、1問、2点から4点です。例えば、1問3点の問題があるとします。その問題に対しての得点は、0点か3点のどちらかです。しかし、この3点を得点するために、日本語面、英単語、英文法と様々な知識を使い、思考しなければなりません。例えば、こんな英作文の問題。あなたは昨日英語を勉強しましたか?A Did you study English ?これは、昨日という言葉を、yesterdayという英語に変換し忘れただけなので、3点中、2.5点の実力があるとします。 B Do you study English yesterday ?これは、過去の時勢を表すことが欠けているので、1.5点。 C Are you study English yesterday ?これは、時勢、be動詞、一般動詞の使い分けができていないから、0.5点。 こういう風に、僕が分析し、生徒にその分析の仕方を教え、自分で分析、改善することができれば、少なくとも、1問3点の問題の得点が0点であっても、実力の実感点を得ることができるかもしれない。そう僕は考えました。ただ、まだこれでは甘い、分析が甘い。何かが足りない。そう思い、更に考えました。Cのような解答をした生徒と、AまたはBのような解答をした生徒との決定的な違いは、単語や文法といったものではなく、英語という世界の中であるか、外であるかでした。当然、英語の世界の中で考えなければ、英語は理解できません。そう、英語の世界の象徴は、5文型であると僕は思うのです。Cのような解答は、英語の世界、つまり、5文型に当てはまっていないのです。この5文型を主体に、文法、単語と細かく分析していけば、生徒自身が、1問3点中、何点まできているのかを自分で把握することができます。僕がいようがいまいが、生徒が英語を勉強するとき、思考は止まらず、単語、文法といった思考の材料を頭に入れる意欲を失わず、何段もある0点から3点までの階段を登っていけるはずだと僕は考えました。僕が感じていた生徒の状態は、得点と実力の実感の不一致から起こっていました。それは、5文型という英語の世界の欠如からくるものでした。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.10.27
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1 中2・中3から入塾した生徒で、 英語の成績があまり良くない生徒は、 単語を覚えようという意欲が、著しく低く、 覚えさても、成績に結びつかなかった。 この意欲の欠如の原因は、「覚えられない」ということと、「覚えても役に立たない」ということ。今回はその内の、「覚えても役に立たない」について述べさせていただきます。 「覚えても役に立たない」というのは、生徒がそう思っているということで、正確に表現しますと、「覚えても役立てていない」ということです。誤解を招くような表現だったかもしれません。申し訳ありません。 前回の記事で触れた、 play + er → player (動詞 + er → 動詞する人・もの)をそれぞれ発音することから理解すれば、swim + er → swimmersing + er → singerといった風に、覚えた動詞の数だけ、その派生語として語彙量を増やすことができます。ここで大切なのは、それに要する知識量は、動詞そのものと、 「動詞 + er → 動詞する人・もの」だけです。例えば、覚えた動詞が50語だとすると、知識量は、50+1 であるのに、語彙量は、50×2 の、約2倍にすることができるということ。player を play + er と分解できなければ、知識量は、 50+50語彙量は、 50+50になり、読めない生徒は、読めて理解できる生徒と同じ語彙力を身につけるためには、2倍の知識量が必要ということになります。英単語を覚える意欲が低い生徒が、「覚えても役に立たない」と思っているのは、こういうことだと僕は思うのです。こうなると、誰でも覚えようという意欲はなくなると思うのです。 知識は思考の材料であり、思考は知識を効率的に頭に入れ、新しい知識を生み出すきっかけになるものだと、僕は考えています。Aという知識とBという知識を材料として思考し、Cという知識が存在するんじゃないかと仮説する。そのCという知識の仮説を、現実世界と照らし合わせる。それが現実に存在したとき、思考することの喜びを得ることができる。だから、思考することも、その材料となる知識を頭に入れることも、意欲を失うことなく、思考が絶えず止まらない。言葉を学んでいく中での、発音し、読むというところから、生徒の知識と思考に、差が出ていたということを中学生の英語の成績から掘り下げることによって、知ることができました。高校での英語、特に大学受験まで考えた英語ともなれば、思考力を使って、効率よく語彙量を増やし、思考力を最大限に使って、英文を理解していかなければとてもではないが授業にさえついていけないと思うのです。高校生になる前、小学生、中学生のうちから、思考と知識の関係を理解し、うまくこの2つを使うことに慣れていなければ、高校生になったときに、とてつもない挫折を味わう可能性があるでしょう。また、そうなってしまった高校生が大学受験に到達することも、また、それまでのお世話をする高校や塾の先生方も、大変な苦労を要すると思うのです。また、大学に進学せず、社会に出て行く高校生も、知識を材料に思考することができなければ、社会で活躍することは難しいでしょう。小・中学生に授業をしている僕が、英単語を覚えるというところから、このことを意識して指導しなければ、子どもの可能性を制限することに繋がると、強く感じるようになりました。 共に同じ生徒に授業をしているもちざくらが授業で心がけてることも、生徒の思考を止めないことだということは、彼の記事を読んでいただければ、お分かりだと思います。なんか今回のシリーズ、彼とのコラボになってるような気が・・・つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.10.26
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前回の記事の1 中2・中3から入塾した生徒で、 英語の成績があまり良くない生徒は、 単語を覚えようという意欲が、著しく低く、 覚えさても、成績に結びつかなかった。についての分析はこうです。 この意欲の欠如の原因は、「覚えられない」ということと、「覚えても役に立たない」ということ。今回はその内の、「覚えられない」について述べさせていただきます。 覚えられない生徒の殆どは、以前の記事でも書かせいただきましたが、音と文字(アルファベット)が頭の中で一致していないからです。つまり、「読めない」からです。じゃぁ、何回も声に出して繰り返せばいいじゃないか!そう言いたい気持ちは、分かりますが、読めない生徒にとっては、そんな簡単に解決する問題ではなく、切実で、深刻な問題なのです。音と文字(アルファベット)が頭の中で一致していない生徒は、player を分解して発音してみて?と質問すると、発音できません。player → play + er と表記上分解できても、プレイャアー → プレイ + アー(本当はカタカナでは表せないがerの発音)と分けて発音できません。 だから、erの発音がわからない。そうすると、teach にer をつけると、何て発音する?という質問に答えられない。しかも、ティーチャーという言葉の先生という意味を知っていても。もちろん、erの発音を教えることも大切だとは思いますが、teacherという単語の発音から、erの発音に気付くことも、僕は大切だと思うのです。気付かないということは、関心を持っていないからです。なぜ英語のアルファベットと発音に関心が持てないのか?中学生の、小学生時代のことを訊いて見ると、その答えが分かりました。 英単語がなかなか覚えられない生徒の殆どは、小学生のときに問題があったようです。確かに、小学生のときに習う、ローマ字。ローマ字がしっかり読めて書ける生徒は、英単語もある程度、読めるようです。しかし、英単語が読めない生徒は、ローマ字が読めないということよりも、もっと前に原因があるようです。それは、英語を学ぶ前の、日本語。学校の宿題として出される漢字ドリルを、読めるとか、書けるとか、気にすることなく、ただノートに写していた生徒、また、全く漢字ドリルの宿題をしなかった生徒だったのです。そういった生徒は、漢字の読み、書き、意味のどれかが欠けた状態で、頭に入っている。 特に、意味ですね。 意味の部分が欠如しているから、読み、書きが一致せずに頭に入っている。例えば、「もり」を漢字にするとき、一致している生徒の頭の中はこう。「もり」には木がたくさんあるから、「森」と書く。一致していない生徒は、「形」を思い出そうとするのです。う~ん、確か △ こんな形してたよなぁ~。「森」を△、つまり、見た目だけで頭に入れているのです。曖昧な形で頭に入れているから、読もうとするときにも、それがはっきりしないのです。霧がかかったように、なんとなぁ~く知識を頭に入れることに慣れているのです。普段の日本での生活では、日本語を話すことはできるので、その欠如は見えにくいですが、外国語、つまり英語を勉強するときには、それがはっきりと表れてくるのです。 英単語が覚えられないということを、深く掘り下げていってたどり着いたのは、日本語の漢字でした。英語の授業だけではダメだと思いました。僕の担当する他の教科、特に社会の教科で、「漢字」に重点を置いて授業を行うことにしました。地理・歴史・公民の事柄を、漢字の意味から想像し、理解するということを、毎授業、徹底的に生徒に意識付け、塾内での演習は、漢字でなければ×にしました。もちろん、そんなんじゃダメだ!とマイナス思考的な指導ではなく、そこが君の能力を上げるチャンスだよという指導です。板書内容を生徒がノートするときも、意味がわからない言葉は、メモするよう指導しました。こういった取り組みをしていく中、僕は、生徒が英語で学んだことを社会で、社会で学んだことを英語で生かせることを意識するようになりました。今でも、絶えず心がけていることです。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.10.25
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仲間4人で、現在の塾を立ち上げてからは、自分の授業方針を縛るものは、何もありませんでした。それまでに自分が携わった生徒のことをよく思い出し、分析することから始めました。 1 中2・中3から入塾した生徒で、 英語の成績があまり良くない生徒は、 単語を覚えようという意欲が、著しく低く、 覚えさても、成績に結びつかなかった。 2 学校の定期テストの成績と、実力テスト(進路指導用)の 成績の差が激しかった。 3 学校の通知表が4・5の生徒でも、 岐阜県公立高校入試問題に出題される 自由英作文の対策を、徹底的にしなければならなかった。 (絵やテーマ、字数、文数が与えられ、その範囲の中で、自由に英文を書くというもの) 4 この地区では有数の進学校と呼ばれる 高校に進学した生徒でも、 ときどき、僕が、「あれ?」と思うような誤答をしていた。 5 中学のとき、同級生と比べると、英語に関しては 劣等感をもっていた生徒が、高校生になって、 「英語が得意になった!」という知らせが、1度も来なかった。 この5点が非常に気になりました。 それから、1つ1つ分析し、解決策を練ることにしました。当たり前のようにこのことに気づき、対策されている先生方は、たくさんおられると思いますが、この時の僕にとっては、本当に大きなことでした。今でも、この時、考え込んで、授業を練らなければ、「イメージ英語」なんて言葉が、僕の口から出ることはなかったと思います。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.10.24
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5月にブログを開設し、なんとか今日で、20,000アクセス達成!!皆様、誠にありがとうございます。また、今後とも、よろしくお願い申し上げます。ちなみに、20,000アクセス踏んだ人は、 200002007-10-24 17:59:20iモード iモードさんです。 あぁーざっす!
2007.10.24
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Sちゃんが高校に合格してから1年余り過ぎたころ、Sちゃんと仲の良かったYちゃんが塾に顔を出してくれました。 先生、Sちゃんがヤバイよぉ。 高校辞めたいって言ってるよ。 エェーーーーーーッ!どうした? 何があった?英語が全然わからないって。 学校の授業についていけないって。 この間のテストも20点くらいだったみたい。私が通ってる高校よりも、Sちゃんの高校はレベルが高いのはわかるけど、たぶん、今だったら、私の方が英語の力は上だと思う。 もう、言葉が出てきませんでした。頭の中で、全部覚えればいいじゃん! という彼女の言葉が駆け巡ります。彼女のあの言葉を、どうして真剣に考えてやれなかったんだろう?今、俺が必死になってることって、何なんだ?ただ単に、生徒の見た目の点数を上げて、『俺のテスト対策受けると、テストの点が上がるだろ?』『俺って、すごいだろ?』 そう示したいだけじゃないか!お前は、志望校さえ合格すれば、その後、生徒がどうなってもいいのか?じゃぁ、何のために塾講師になったんだ?生徒の未来を明るくし、幸せな人生を送る手助けがしたくて、塾講師になったんじゃないのか?そしてそれをお前が幸せに感じるから、塾講師になったんじゃないのか?お前に教えてもらったSちゃん、未来が明るくなってないじゃないか!それでお前はいいのか? それを続けていていいのか! 僕の中の、もう一人の自分が、僕を猛烈に責めました。それから1週間、考え込み、自分なりの答えを出しました。僕は、社長や上司の期待に応えようと、ただ、それだけにこだわり、僕の中の最も大切なものを、もう少しで完全に無くしてしまうところでした。見せかけだけの結果は、その場しのぎにしかならない。(僕が結果だけにこだわれば、見せかけになり、意味がないということです。)未来に繋がる結果でなければ、僕が塾講師をやっている意味はない。それから、僕の授業は変わっていきました。それと同時に、僕の授業方針と会社の方針とのズレは大きくなっていきました。このブログを始めたころにも、記事に書かせていただきましたが、この会社を辞めるという決断をするまでの1年間、このズレに、本当に悩み、苦しみ、もがき、その中で、自分が塾講師であるために、最も大切なものは何なのか、はっきりと見出すことができました。はっきり見えたそのとき、僕は会社を辞めることを決めました。あのときが、本当の意味で、僕の塾講師人生の始まりだっのだと今、つくづく思います。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.10.23
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今から8年前、僕は25歳で、右も左もまだ分からない、新米塾講師でした。今と比べると、授業はかなり違っていました。 英語の授業中、英単語や英文を僕が読み上げたときの生徒の反応、今でもはっきりと覚えています。僕の時間は流れているのに、生徒の時間は止まっていました。 え? 先生、何を言っているのか、全然わかんな~い。だって先生の発音、英語チック過ぎるも~ん!元気で明るい中3の女の子、Sちゃんです。 英語チック???だって、英語を勉強しているんじゃないかぁ~! This is Mika. This is Takashi. They are my friends.はい、初めの2文のbe動詞は[is]なのに、どうして最後の文は、[are] なんでしょう? また、生徒が固まっています。 時間が止まっています。 じゃぁねぇ、ヒントは主語だよ、主語を考えてみてぇ。 っていうか、先生。 be動詞? 主語? 何それ? 全然分かんない。 英語なんて、全部覚えちゃえばいいんじゃないのぉ?私、前回のテスト、それで85点とってるしぃ~。 唖然としました。 当時、僕は高校受験前の正念場、冬期講習、2週間前に、その会社に入社しました。もう、入試まで3ヶ月という状態で、「覚えればいい」と思っている生徒の考え方を、変えようとは思いませんでした。しかも、そのときは、85点とってるから、まぁ、いいよな。そう、軽く考えていました。そして3ヵ月後、その校舎の受験生の殆どが、志望校に合格しました。とても嬉しそうな生徒の顔を見て、そうだよな。まず、テストでの得点がなければ、この笑顔はないよな。とにかくテストの点を上げることが、僕の仕事なんだ。僕は、そう思いました。それから僕は、学校の定期テストの問題を分析し、その問題がどこから出題されているのか、探し当てることに必死になりました。学校のワークからか? 教科書からか? 入試問題からか? 指導書からか?分からないときは、自分で似たような問題を作りました。つまり、僕が必死になってしようとしていたことは、定期テストの予想問題を作ることでした。テスト対策を経験するごとに、その予想」的中率は上がっていきました。100%当たったこともあります。もちろん、その結果は凄まじいものでした。入塾する前は30点だった生徒が、たった1ヶ月半で、90点以上とってしまうほどでした。その結果に、当時の僕は、大満足していました。その校舎の生徒数も、100人から190人に増えました。 しかし、僕は大きな間違いを犯していたのです。それを思い知らされる出来事が、その半年後にやってこようとは、当時の僕は、思いもしませんでした。つづく・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.10.23
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当塾の中3を見ていて、みんな中3なりの悩みを抱えているようです。そりゃそうです。15歳にもなれば、いろんなことを考え、悩む。それが青春です。 ただ、それを乗り越えるために、大切なことを見失っては、全てがだいなしになってしまいます。受験生という立場であれば、尚のこと。悩み、苦しみ、もがき、乗り越えるのに時間がかかったからといって、時間は待ってはくれません。 入試は1日1日と近づいてきます。そんな受験生を応援するために、今回は、7月に書いた記事を、もう一度、掲載しようと思います。人を好きになることは、とっても大切なこと。中学生にもなれば、好きな人がいて当たり前です。僕も、中学生のとき、いましたよ、好きな人。好きな人と会いたい。好きな人とできるだけ長くいたい。好きな人とできるだけ長く話したい。好きな人と、携帯でメールをしたい。どれも、自然で、すばらしい感情だと思います。でも、ちょっとだけでいいから、これからの話を聞いて。受験生が、テスト期間中、好きな人とのことで、しなければならないテスト勉強が、おろそかになってしまうこと。これは、「 好きだから 」で済むことだろうか?もし君が、そうなったら、君を大切に思う、親さんや兄弟・姉妹は、君の好きな人のせいだと思うよ。君の好きな人が、悪く思われちゃうんだよ。逆に君の好きな人の両親や、兄弟・姉妹も同じような感情を抱くでしょう。それを君の好きな人が喜ぶと思うかなぁ?もし君が、しなければならない受験勉強をせずに、志望校不合格になってしまうことを、君の好きな人が望むだろうか?好きな人が不合格になることを、君も望みはしないでしょ?本当に人を好きになることって、その人を大切に思うことじゃないかな?受験生にとって、それは、お互いのやるべき勉強をすることじゃないかな?自分がやるべきことをし、相手のやるべきことを尊重する。それが、人を好きになることであり、好きな人を守るということじゃないかなぁ?僕には、奥さん(好きな人)がいるけど、彼女が幸せになるために、自分のやるべきことを、必死でやってるよ。 彼女を思う気持ちに対して、見返りなんて求めていない。だって、彼女が幸せであれば、僕も幸せだから。君が受験生として、しなければならない勉強をすることは、好きな人を幸せにすることであり、守ること。それが、人を好きになるという、本当の気持ちじゃないかな。 以前から、恋愛に悩む受験生を見ていて、こういう記事を書きたかった。まだまだ、未熟な僕の話に、少しでも耳を貸してくれた方々、ありがとうございました。
2007.10.22
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昨日、14:00過ぎごろ、もちざくらと2人で、さくら塾に到着。直ぐにプレップ総長も到着しました。新品ピカピカ校舎に3人で入り、すぐさま話は盛り上がります。先月のサミットのときは、僕ともちざくらは、あまり総長と話すことができなかったので、初めは、総長を2人で質問攻めでしたね。なぜか僕ともちざくらは、教室の机につき、総長は、黒板の前に立っている。総長は先生で、俺たち生徒?いつもの癖で、教室に入ると、黒板を背に話をする総長でありました。しかも、教室の黒板に、黄色のチョークで板書していただき、プチ・スペシャル授業をしていただきました。しばらくして、ハニハニ先生から電話。駅まで、もちざくらがお迎えに上がり、ハニハニ先生、さくら塾到着。お互い、名刺交換をして、自己紹介。4人の話は、切れることなく進み、ハニハニ先生のタイムリミットまで、あっという間でした。想像していた通り、すばらしい先生でした。やわらかい、優しい口調で、周りを和んだ雰囲気にする能力に脱帽でございました。 先生の生徒さんは、幸せですね。ハニハニ先生、奥様、息子さん、貴重なお時間を頂きまして、誠にありがとうございました。 来春4月に向けての準備、益々頑張れそうです。今度は、僕の方が足を運び、お邪魔させていただきたいと想いますので、そのときはどうぞよろしくお願いいたします。ハニハニ先生を駅まで送り、予約をしておいた店に場所を移しました。これまた、話は、大盛り上がり!あっという間に4時間が過ぎてしまいました。経営面、教務面ともに、メチャクチャ勉強させてもらいました。やっぱ、総長はすごいですね。今度は、僕らが伊勢の方に伺いますので、よろしくお願いしま~すハニハニ先生、プレップ総長、昨日は、本当にありがとうございました。こんな僕ですが、末永くお付き合いさせていただけたら、幸せでございます。
2007.10.22
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今日は、以前からお約束させていただいていた、この方とお会いする日でございます。しかも、こちらに来ていただけるということで、もちざくらの城、「さくら塾」に集合することになりました。 まさか、 で来るわけないですよねぇ?やっぱり、 でしょ? しかも、以前からお会いしたかったのですが、ここ中部地方からは、少し遠い場所なので、お会いできる日は、まだ先になるだろうと思っていたところ、この方から連絡をいただき、なんと来ていただけることになった。ブログ開設当初から、「お互い頑張りましょうね」と励まし合いながら、仲良くしていただいてる方です。「塾長4人集合 in さくら塾(ピカピカ)」でございます。早速、今から、準備して、出発しようと思います。今日は、どんな日になるのでしょう?素晴らしい日になることは、間違いないですね。
2007.10.21
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今日は、1日オフでした。 ふと友人のことが頭に浮かんだ。高校、大学の友人。 今、彼らはどういているんだろう?久しぶりに会ったりしたとき、いつも感じることがある。昨日も会っていたような気がするなぁ。みんな変わらないなぁ。そして、そう感じることが、とても心地よい。しかし、変わっていないはずがない。悩み、苦しみ、怒り、苦しみ、喜び、感動。いろんなことを経験し、乗り越えてきただろう。今も、進行形の者もいるだろう。だから、良い意味でも、悪い意味でも、実際は、変わっているはず。なのに、会うと、昨日会ったみたい、変わってないと感じる。それは、仲間と呼べる者が集まるその空間が、会えない時間に、それぞれが背負った、心の荷物を降ろせる場所だからなのかもしれない。ふと、そんなことを考えると、無性にみんなに会いたくなってきた。
2007.10.19
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昨日から、この本を読んでいました。 去年の12月に発行された本なので、もう少し、早く読めばよかった! と、少し自分を反省しました。いやぁ、すばらしい本でした。僕の感想を書かせていただくと、 あのときやればよかったなぁ~。そんな、前に進めない後悔はしたくない。結果はどうなるか誰にも分からないけど、これだけやったんだから、これだけ努力したんだから、どんな結果も自信を持って受け入れる。そんな生き方をしたい。常々、思っていることですが、この本を読んで改めて、そう、強く思いました。 もう、既に購入され、お読みになった方は多いと思いますが、特に、受験生、また、その親御様には、お勧め。当塾の塾生には、全員読んで欲しい本ですね。特に、中学生!!塾生で、読みたい人は、僕に声をかけてください。
2007.10.18
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昨日、仕事を終え、いつものように車で帰宅しました。早く奥さんのつくった夕食べたぁ~い!急ぎながら駐車場に車を停めようと、ハンドルを左に切ったとき、 あれ? 重たい? 何だ??? 急いで車を降りて、左前輪を確認。ベチョォ~~~~~ン完璧なパンクでございます。そう、だから今日は、早起きでございます。朝一で、修理に行きました。 受付を済ませたものの、どうやら混雑していたようで、修理開始が1時間後だということでした。 う~ん、どうしよう? この1時間? 本屋に行こう! いい天気だし、 ベンチに座って、本を読もう! 歩いて5分程のところに、イオンタウンがあります。その中の本屋さんに行くことにしました。30分程で、気に入った本を3冊購入。よし! 30分読めるぞぉ~少し日の差しているベンチに座り、本を読む。もちろん、本の内容も楽しみましたが、それ以上に、外に出て、太陽の温かさを感じながら、秋の風を感じながら、読書をすることって、こんなにも心安らぐものなのかと、癒されました。まさに、「読書の秋」でございます。こういう気持ちの良い秋という季節に、読書をしないなんて、とっても損をしてるってことなんだと、改めて、実感しました。車がパンクして、「最悪!」と思って、朝から良い気分ではありませんでしたが、そのお蔭で、短い時間でしたが、「読書の秋」を堪能することができました。秋が終わらないうちに、もっと堪能しちゃお~ぅっと!
2007.10.17
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中学1年生の人は、中学生になってから、もう、半年が過ぎました。中学校のテストも何回か経験し、部活動などで、試合を経験した人もいることでしょう。そういった中学校生活にも、大分、慣れてきたのではないでしょうか?実はこの時期、少し気をつけなければならないことがあります。当塾では、今現在まで、そういったことはなかったのですが、僕が以前勤めていた塾で、こんなことがありました。 ちょうど、中学校生活にも慣れてきた、この時期の中学1年生。男の子2人が休憩時間に、教室で遊んでいたようです。僕はそのとき、職員室にコピーをとりに行き、教室に戻ってきたときでした。僕の前で、一人の男の子Aくんが、もう一人の男の子Bくんにとび蹴り。(喧嘩ではなく、じゃれて遊んでいたんです。)Bくんは素早くよけました。 よけられたAくんの足は壁へと向かい、壁には、Aくんの足型の穴が、大きく開いてしまいました。僕は、この2人を厳しくしかりました。壁は、壊れれば、修理することができますが、人間は、そうはいきません。傷を負った人はもちろんのこと、傷を負わせた方にも、心に深い傷が残ります。壁ではなく、ガラスにぶつかれば、傷はもっと深刻になるはずです。それを分かってもらうために、厳しく叱りました。 慣れてきたときは、気をつけるときなのです。 追伸 昨日は、ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。 体の方は、大分、正常に近づいてまいりました。 温かいコメントの数々、誠にありがとうございました。
2007.10.16
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大変、申し訳ありません。 体調を少し崩していたので、2日間、更新できませんでした。用心のため、今日も、早めに寝ようと思います。更新していないにもかかわらず、このブログにご訪問くださった方々、申し訳ありませんでした。
2007.10.15
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数年前、その当時から、コイツには敵わない!と思った教え子がいます。彼は、授業中、明らかに他の生徒と違います。普通の生徒は、授業中、板書内容は、ノートをとります。そこから成長した生徒は、僕が口にしたことまで記録します。しかし彼は他の生徒のノートと比べると・・・・・・・・・・・・・・・ 半分ほどしかノートをとらない!! 僕は、そのことについて、何も言いませんでした。それは、彼が必要だと思う部分はノートをとり、必要ないと思うことはノートをとらない。その判断が、しっかりできていたからです。授業を聞きながら、彼はそれと同時に、必要か、必要でないかを判断していたのです。では、彼は何を基準に判断していたか?授業内で、理解したことが、自分の頭の中に刻まれたかどうか?刻まれれば、ノートをとらない。十分に刻まれなければ、ノートをとる。この判断を毎授業していたのです。たぶん、普通の生徒であれば、頭に刻まれているかいないかを判断するのはあるテストへ向けてのテスト勉強中でしょう。しかし、彼は、毎授業です。彼にとっては、授業を受けることと、テストを受けることの意味が、極めて近いのです!毎授業、テストみたいなものなのです!だから、授業中の彼の目、あんなに真剣で、僕に突き刺さるような真剣な目、そんな目をしている生徒は、今だかつて彼だけです。県内の殆どの生徒が受ける模擬試験。数学が最も平均点が低く、難易度も高いのですが、彼は100点満点!!これは、誰もが直ぐに真似できることじゃないので、この記事を見ている生徒さんは、勘違いしないでくださいね!でもね、最も大切なことが学べるんですよ。なぜ彼がこういう授業の受け方ができて、もの凄い結果を残せるのか?当時、僕は彼に質問しました。お前の授業の受け方は凄いなぁ。どうして、そういう授業の受け方をするようになったの? だって、先生。 俺が目指す高校、進学校の中の進学校でしょ?通うのには、電車でかなり時間がかかる。毎日、往復することを考えると、学校から近い人に比べて家で勉強する時間がどうしても短くなるじゃん?だから、今から、授業内容を家でどうにかするっていう甘えを少なくしておかないと、勝負できなくなるじゃん!そう、彼は絶えず頭を動かし、思考を止めない努力をしていたのです。高校へ進学してからの自分のことを考えて、中学生のときに、何をしなければならないのか、考えて、行動し、結果を出すことができるほど、普段の生活の中で、頭を動かして生きてきたのです。椅子に座り、机に向かうだけが勉強ではなく、生活の中で、絶えず考えることも、勉強なんです。時間は1日24時間、限られてるわけだから、人生の長さも限られている。であるなら、いかにその限られた時間の中で、頭を使い、考えることが大切か。彼から、そこを学ぶべきだと思うのです。彼は、今、有名国立大学の○年生。うまく頭を使い、大学生活を思う存分、楽しんでるみたいです。
2007.10.13
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只今、16:40。 以前の記事に登場した中1のAちゃんが、僕の隣りで勉強しています。来週月曜日に行われる2学期中間テスト、そのために勉強しています。教室では、中3がもちざくらの数・理の授業を13:00から受けているので、僕とAちゃんは、職員室。先週の土曜日、授業終了後、Aちゃんは僕のところにやってきて、 先生、来週の日曜日のテスト対策補習、町民運動会に出場しなければならないので、出席できません。 前の日の土曜日に、勉強しにきてもいいですか? と訊きに来た。もちろん、OK!そして今日、塾にやって来たAちゃん。 よしっ! 今日は国語をやるぞ! ワークの問題やろうか?まだ、やってないやろ? いいえ、もう1度、やりました。 これですね。 僕が中学生のときもありました、町民運動会。出場しなければ、その種目自体が無くなってしまうので、必ず、誰かが出場しなければなりません。しかし、翌日に2学期中間テスト。そういった自分の状況を把握して、それまでに自分は何をすべきかを考え、行動する。僕は、勉強そのものよりも、大切なことだと考えています。こういったことができる子は、必ず立派な大人になるはずです。Aちゃんの口から、何でこの時期に町民運動会に出なあかんのぉ~?次の日、中間テストなのにぃ~!というような言葉は出てきません。言い訳からは、何も生まれないということを彼女は分かっているんですね。言っても、仕方のないことだし、それなら、自分は、それをどう乗り越えればいいのかを考えているから、1週間前から、僕に確認を取り、国語の問題もすでに解いているのです。先を見る力、未来を見て進んでいく力を、中学生になって、半年で、Aちゃんは手に入れました。すばらしい!!
2007.10.13
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最近、つくづく思うことがあります。集団授業という形態をとっている、学校や塾の先生は、誰もが感じていることだと思います。その集団の中では、1人や2人、こんな生徒が出てきます。 1 宿題を忘れる。2 ノート、教科書、ワーク、筆記用具などを忘れる。3 静かに授業は受けているが、人の話を聞いていない。 これは、自分のことだけじゃなく、他人にも迷惑をかけてしまう行為です。1に関しては、他人との関連性は薄いですが、2・3に関しては、明らかに、迷惑をかけてしまいます。教科書、ワーク等を忘れた場合、放っておくことはできないので、コピーします。 そのコピーをとる時間、きちんと持ってきている人の時間を奪ってしまう行為です。人の話が聞けなければ、その内容が必要になるときに困ります。例えば、はい、ワークの52ページを開いてください。と指示を出したとき、それを聞いていない生徒は、しばらく、周りの同級生が何をしているかを、覗き込み、それでも分からないから、先生、何ページですか?と聞いてきます。 聞いていないから、後で質問する。この行為を、授業中、何度も繰り返すと、これも、他人の時間を奪う行為になってしまいます。僕は、このことに関して、生徒に厳しく対応します。それは、そういった生徒を放っておくと、もちろん、他の生徒の迷惑ですね。しかし、最も迷惑をかけてしまうのは、その生徒自身です。なぜならば、学年が上がるにつれて、生徒は精神的に成長していきます。もちろん、学年に応じた成長度は存在し、最低限、そこまで精神的に引き上げていくことに、僕は全力を注いでいます。ですから、殆どの生徒が、そのラインまで成長していきます。そんな中で、1・2・3の様な状態の生徒は、ポツンと浮いてしまうのです。そのまま大人になれば、浮いてしまうどころか、全く周りから相手にされず、自分の周りに人は近寄らなくなります。そうなってしまっては・・・・・・。こういった生徒は、自分のことを大切に思っていないからだと思うのです。自分の行動は、必ず自分に返ってきます。良い行動も、悪い行動も、全て自分に返ってきます。本当の意味で、自分のことを大切に思えないから、他人に迷惑をかけている自分に気がつかない。本当の意味で、自分のことを大切に思えないから、他人の気持ちを察することができない。それを続けていると、それは、集団社会の中では生きていけないということを意味します。勉強を通して、自分と向き合い、本当の意味で自分を大切に思い、自分を鍛えることは、人の気持ちを察し、思いやりのある人間に成長すると、僕は信じて、塾を経営しています。各学年、殆どの生徒は、自分のことを大切に思えています。そうでない生徒さん、頑張ろうね。僕は君のこと、大切に思っていますよ。君のお父さん、お母さん、僕以上に、君のこと大切に思っているよ。君はそうやって、人から大切に思われる人間なんだ。だから、そんな自分を、君が大切に思わなきゃ。ね!
2007.10.13
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今日、朝起きて、しばらくしてから、僕と奥さんの大学の恩師、J先生からでした。僕は大学時代、バイク通学(これに乗ってました)をしていまして、バイク駐輪場は、大学の職員駐車場と同じ敷地でした。そこで、J先生とよく出くわし、よく話をしました。大学を卒業してからも、僕が地元で悩んでいたとき、よく相談にのって頂きました。結婚式にも出席していただき、娘、息子が誕生したときも、直ぐに病院に駆けつけてくれました。今でも、狭い我が家で、娘、息子を遊んだり、僕と奥さんの話を聞いて頂いてます。ちょうど僕は、2つのことを先生に相談しようと思っていたときの、先生からの電話。しかも、先生の要件は、僕が相談しようと思っていたことの1つ。もちろん、直ぐに解決し、自分の進もうとしている方向を再確認することができました。そして、もう1つは、あることで、自分の感情を抑えることに苦労し、自分がまだまだ若く、未熟であることを感じていたこと。すると、先生から、こんな言葉を頂きました。 若い頃のあの突き抜けたエネルギー。あなたも毎日、生徒を見て感じているでしょ?あなたが大学生だったときも、そうだったでしょ?大切なのは、そのエネルギーを、歳を重ねることによって、違う何かに変えていくこと。放っておいたら、そのエネルギーは、自然と無くなっちゃうんだから。あなたは、そのエネルギーを、別の何かにうまく変えて、成長していると思うよ。塾講師としてだけじゃなく、経営者でもあるあなたにとって、とても大切なことだと思うよ。 いつも応援してるからね。 この言葉の深さとありがたさに、ただただ頷くばかりでした。J先生、ありがとうございました。
2007.10.12
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約1時間かけて、記事を書き上げ、文字色も整え、リンクも貼り付け、題名、タグも決定し、後は登録ボタンをポチッと押すだけだったのに・・・・・全てが消えちゃいました何なんだ?しかもこのとてつもない脱力感。気を取り直して、頑張って書きます。
2007.10.12
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今日はお休みだったので、夕飯を家族4人で食べました。娘は、セサミ・ストリートのDVDが最近、お気に入り。僕の前で、見ています。セサミ・ストリートのティンゴが、台所の蛇口を捻りながら、No water すると娘が・・・ お父さーん! No water ! って、水がないってことだからねぇ。わかったぁ~? な・なんで、そんなすばらしい発音?!しかも意味まで、何で知っとるんじゃぁーーーーーー!!君はまだ2歳じゃなかったのかぁーーーーー?しかも、俺に教えようとしているぅーーーーー!僕、一応、先生なんですけど・・・ 家の娘は、もしかして、先生むき?それにしても、ビックリしました。奥さんに聞いたら、いっつも見てるもん。っと、あっさり言う。そんなもんなんでしょうか?あぁー、ビックリしたぁ。
2007.10.11
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前回、push(プッシュ)のp(プ)を、f(フ)に変えたら、押せますか?ということについて述べさせていただきましたが、今回は、そのf(フ)という音の持つ印象についての僕の考えを書かせていただこうと思います。 f(フ)という音は、中学生になれば、学校で誰もが習った、あの下唇を上の歯で少し噛むような形で、息をもらすように出す音です。慣れないと、息を抜くのに力みすぎて、唾がでてしまいそうな音です。毎年、中学1年生が初めてこの発音をするとき、不慣れであるから、なかなか思うように発音できません。当たり前ですよね。 ただ、一生懸命に発音しようとする姿が、かわいくて、かわいくて、この発音を頭で思い浮かべる度に、にやけちゃいそうになります。あっ、話がそれてしまいました。すいません、戻します。この音は、「歯唇音」と言います。そのまんまですね。feel(フィール) 感じる fail(フェイル) 失敗するforget(フォゲット) という単語があります。破裂音(p プ)が「力やエネルギー」を必要とするのに対して、歯唇音(f フ)はその逆のイメージですね。 「力」をあまり必要としない。物事を感じ取るのに、力は必要ありません。力を抜いて、リラックスして感じ取ると思うのです。(feel)何かに失敗した瞬間、力が抜けてしまいますよね。膝がガクッとなって、膝をつくようなイメージですね。(fail)記憶しようとするときは力が入るのに対して、忘れるときは、忘れたのがいつなのか分からないぐらいですから、力を数字で表すと0だと思うのです。(forget)僕がこの音に持っているイメージはこういうことです。強いということではなく、弱さや癒しを持ち、一点集中で自ら突っ込むというのではなく、広がりを持って、大らかに受け取ることができる。こんなイメージですね。人の顔を、face(フェイス)と言うのも、何だか分かるような気がしませんか? 尚、この記事を含む、「イメージ英語 発音と感覚 2 ・ 3」は、あくまでも、英単語における1部分を、こんな切り口で見てみるのも、英語を学ぶ1つの取りかかりになるのでは?という僕の考えであり、英単語というものの捉え方を一般化しているわけではありません。言語というものは、長い歴史の中でできたものであり、また、これからも、時代と共に、少しずつ変化していくものだと思います。ですから、ある1つの捉え方で、全て説明がつくはずがないものだと考えております。あくまでも、英語を学ぶ取りかかりを目的とする、1つの切り口として、記事を書かせていただきました。それでは、今回はこの辺で・・・。
2007.10.11
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「読み」と、単語の「意味」を一致させるには?当然ですが、外来語として日本語に入ってきている単語、ペン、ボール、コピー、ギターなどは、既に、外来語として使って生活しているわけですから、「読み」と「意味」は一致しています。後は、「綴り」と「読み」を一致させるだけで、英単語習得です。僕が携わった生徒を見ても、こういった単語は問題ないようです。では、それよりも遥かに多い、外来語ではない単語はどうすればいいのか?全て説明できるわけではありませんが、僕はこんな風に授業してます。 push(プッシュ)という単語は、なぜ「押す」という意味なんでしょう?ヒントは「push」の「p」、「プッシュ」の「プ」ですよぉ~。 う~ん・・・・・・・・・・・・・ もしね、push(プッシュ)のp(プ)が、f(フ)になって、fush(フッシュ)だったら、どうなると思う? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 押せないでしょ? 「フッシュ!フッシュ!」って言いながら、力が入るぅ?入らないでしょ? 「プッシュ!プッシュ!」って、手でこう押しながら、言ってごらん? プッシュ!プッシュ!(手で物を押すようにしながら)おぉぉぉぉぉぉ!! ねぇ~ push(プッシュ)の方が押せそうでしょ?これは、p(プ)という音に関係があって、p(プ)という音を出そうと思ったら、一度口を完全に閉じて、息を破裂させるように出さないとならない。こういった音のことを、「破裂音」と言うんだよ。p(プ)の他に、b(ブ)もあるね。例えば、break(ブレイク)=こわす、bomb(ボム)=爆弾、両方とも、「力」や「エネルギー」が必要でしょ?ね? こういう風に、音(発音)と意味は、関係があるんだよ。面白いでしょ? 言葉や文化が違っても、人間同士、感じることは同じなんだよね。 中1の初めに毎年行う授業ですが、生徒は興味を持って、真剣に、聞いてくれます。とても楽しそうですね。では、今回はこの辺で・・・。
2007.10.11
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今日の中1の授業、19:30~20:00までの30分、「くやしさ」についての話をしました。 これは、愛夢舎の鎌田先生の記事に、非常に、共感を覚えまして、鎌田先生の記事を生徒に読ませながら、話しました。(子どもにとって僕が大切だと思う部分を)とても真剣に読み、話を聞いてくれました。首を縦に振りながら、うん、うん、と頷きながら、聞いてくれました。2学期中間テスト前、生徒の精神を向上させることができました。鎌田先生、ありがとうございました。
2007.10.10
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以前の記事で少し触れさせていただいた、「イメージ英語」。 今現在も研究中ですが、今まで、様々なことを試し、得たものを記録するという目的で、このカテゴリにて綴っていこうと思います。只今も、進行中のことですので、何篇になるのか、何年かかるのか、かりませんが、新しい発見がある度に、記事にしていこうと思います。 今回は「発音と感覚」小学生から中学生に変わるとき、教科の上で、最も異なるのは、英語という教科が、他の教科と同等になるということ。教科としてのテストが行われ、成績がつけられるということです。初めて本格的に、外国語を学ぶわけですから、やはり、慣れるまでが大変です。外来語として、英語は日本語の中に入ってきてますが、本格的に学ぶということになると、最初の壁は、英単語でしょう。発音、綴り、意味。 これを頭の中で、同じカテゴリの中に入れなければなりません。英単語を覚えられない生徒は、この3つがバラバラに頭に入っているか、もしくは、どれかが欠けていることが多いようです。最も多いのは、読めないのに、書けている生徒。「house」を、「ハウス」と読めずに、「家」という意味を頭に刻もうと思ったら、これは大変です。日本人なわけですから、基準になるのは、日本語。つまり、ここでは、「家」という言葉が基準になるのです。考えて見てください。家 = house この事柄を、「ハウス」という読みなしに、頭に入れられるでしょうか?難しいですよね。 「house」という言葉を、視覚的(どんな形に見えるか)に捉え、記憶しなければなりません。 数字の羅列を記憶するのと同じように、難しいと思うのです。当然ではありますが、だから、「音」なしでは言葉は記憶できないのだと思うのです。音(発音)と言葉(綴り)を一致させる、つまり、「単語を読む」ということは、英語を学び始める上で、最も大切なことだと思うのです。次に、単語を読めた後に大切なことは、その「読み」と、単語の「意味」を一致させることです。そのことについては、次回に・・・。
2007.10.10
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突然、家の奥さん。 うわぁっ!何これ??めっちゃデカイ!! ??????????? ブログチェックをしている僕は、奥さんの立っている台所に目をやる。 奥さんは、両手で、まだ開けていない、新品のケチャップを真顔で見つめている。 え? どういうこと? ケチャップ、デッカイなぁと思ってぇ~。 ほ、本気で驚いている!! って、あなたが買ったんじゃん!しかも、昨日!! 家の奥さんは、とてつもない天然なのです。もう、最近は、そんな彼女、尊敬してしまいそうです。
2007.10.09
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「負けたくない!!」って感情。(しつこくてすいません。)人から刺激を受けて、この感情が芽生えるとき、間違いなく、現在の自分を直視することになるんだと思う。そして刺激を与えることができるんだから、その人は、その刺激の部分で、自分より先を行っているんだと思う。だから、自分にとっては未来なんだ。だから、「負けたくない!!」って感情は、現在の自分を見つめ直し、新たな未来の自分を見つける感情なんだ。こうやって考えていくと、この感情って、改めて凄いと思う。僕にとって、絶対に、無くしてはならないものだ。人という字は、人が支え合ってできている。本当にその通りだ。僕が「負けたくない!!」って思うとき、それは、人に支えてもらってるってことなんだ。
2007.10.09
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負けたくない!!最近、僕がよく抱く感情です。 もちろん、良い意味での気持ちです。ある人と接して、「この人に負けたくない!!」って思うこと。僕は、この感情には、大切なことが2つあると思うのです。 まず1つは、その人のことを認めているということ。人を認めようと思うと、当たり前ですが、その人の長所を発見しなければならない。他人の短所は、努力しなくても、目に付きますが、長所は、その人の行動、発言、顔つき、雰囲気、などの外見を、よく観察し、その外面的なものを押し出す内面的なもの、つまり、その人が、その人であるための、思考!?、精神!?、価値観!?、世界観!?、人生観!?う~~~~~~~~~~~~ん・・・・・・・・・・・・・・・その人の人格を構成している要素とでも言えばいいんでしょうか?そういったものを見抜かなければならないと思うのです。そうすることは、自分の人生を豊かにしていくことだと思うのです。 2つ目は、自分のことも認めたいと思っているということ。ある人の長所を見つけて、それに対して、「負けたくない!!」って思うということは、「自分もそうなりたい!!」、また、「自分にはこんな長所があるぞ!!」って思っているということ。それは、向上心と自信を持っているということ。今の自分と未来の自分を認めたいということなんですよね。 ただ、このすばらしい感情を起こすには、自分一人では難しい。でも人は、その感情を起こすための、刺激を与えてくれる。だから、多くの人と出会い、接することが大切なんだと思う。人と出会い、接することに、積極的になること。僕には絶対、必要なんだと思う。 先月開催された、塾ブロガーサミット。僕が目を凝らして観察しなくとも、長所がにじみ出てくる先生方ばかりでした。僕は1ヶ月過ぎた今でも、刺激を頂いてます。
2007.10.09
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以前の記事に登場した、僕が小学生の頃、通っていた剣道教室のM先生。彼の言ってくれた言葉の数々、今でも僕の心に刻み込まれています。 僕が小学6年生、その剣道教室の主将をしていた頃です。 がっきー! お前は、俺の後輩になれ!!○○高校剣道部に入部し、インターハイを目指せ!!そして剣道の力じゃなくて、学力で大学へ行け!!その高校はいくら剣道が上手くても、入学はできん!!勉強ができなければ! 剣道の稽古をして、試合に勝てるんだったら、勉強だってできるはずだ!! そこに入学して、文武両道を貫き通せ!! 当時、その高校はその地区ではちょっと有名な進学校。殆どの卒業生が大学へ進学していきます。剣道部は、インターハイ出場を何度も果している名門。その地区の、小・中・高校生・社会人の剣道大会で、審判員を務める人は、剣道教室、中学・高校の剣道部の先生や警察官でした。その殆どの方が、その高校の剣道部出身でした。 僕は躊躇することなく、その高校に入学することを決め、卒業後には、大学へ進学することを決めました。もちろん、大学がどんなところなのか、その時はよく分かっていなかったと思うのですが、高校よりも、より専門的に勉強をするところだということは、分かっていました。なぜ迷わず決めることができたのか?勉強だってできるはずだ!!M先生のあの言葉。 剣道を通して、僕の性格など、丸ごと理解し、認めてくれてる先生に、「勉強はダメなのか?」って思われたくなかった。僕の勉強のことも含めて、丸ごと認めて欲しかった。そう、感じたからだと思うのです。それからですね、「大学」という言葉に、僕のアンテナが反応するようになったのは。M先生には、本当に感謝しています。また、M先生のように、子どもが未来を見ようとするきっかけを与える先生でありたいと思います。 この夏、広島への帰省中、地元の夏祭りに参加しました。そこには、あの頃とちっとも変わらないM先生がいました。 先生! お久しぶりです!おぉぉぉ~う! がっきーじゃないかぁ!お前、名古屋の方へ行っとるって聞いたけど、何してるんだぁ?はい、小・中学生対象の塾を経営してます。おぉー、おぉー、お前に合っとるよぉ。お前は、全然、完璧じゃないから、大事なこと、子どもに教えることができるよぉ!そっか、そっかぁ~! 頑張れよぉ!バンッ!! 僕の背中を叩いて、M先生は、人込みの中へ消えていきました。僕の全てを見抜いて、いつも余裕で話してくれるM先生は、あの頃と全く同じでした。凄い、凄すぎる。 いつでもM先生の言葉は、僕の心を捉えている。
2007.10.08
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家の娘、相変わらずのおてんばぶり。が、しかし、またまた今日、驚かされました。 お父さん、お父さーーーーーーん! 何ぃ? これ何? これ何? これ、なーーーーーーーーーにぃ? もう、「ひらがな」に興味を持っているのかぁ~? 「て」だよぉ~。 「て」~? テバのおじちゃんの「て」ぇ~? そうそうそう、テバの「て」だよぉ。 テバのおじちゃんとは、以前の記事で登場した僕の友人Iです。超イケメンの美容師さん。彼から告白されたら、99パーセントの女性がOKだと僕は思うのですが、ここに写真を載せられないのが、残念!家の娘は、彼が大好きらしいのです。もうすでに、目が肥えてるのか???テバくんは大喜びだと思うけど、親友のTくんがこれ見ると、ちょっと家の娘にジェラシーかなぁ?でも、実は、家の娘は、テバくんが話題になると、必ず口にすることがあるんです・・・ テバおじちゃんのお友だちは、Tのおじちゃんでしょぉー? 良かったねぇ、Tくん! 話は元に戻りますが、 お父さん、お父さん、これはぁーーーーー? 「せ」だよぉ~。 さくら(娘の名前)の「せ」ぇ~? そうそうそうって、ちがーーーーーーう!さくらに「せ」はないよぉ~。 言ってごらん? さ く ら !あっ、ホントだぁ~! あはぁ! まちがえちゃったぁ~!じゃぁねぇ、鈴木先生(小児科の先生)の「せ」ぇ~? そうそうそう、がっきー先生の「せ」だねぇ。 違うぅ~~~! 鈴木先生の「せ」でしょーーーーーう! はい、鈴木先生の「せ」でございます。 鈴木先生! いつか必ず勝ちます!
2007.10.07
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前回までに述べてきたようなことを日々繰り返し、塾に通ってくれる生徒は、自分の過去を振り返り、今現在の自分を認識し、未来を意識するようになったと思います。あとは、より明確に、より鮮明に未来を思い描くことです。そのためには、今のままでは足りないと僕は感じています。より具体的な未来を子どもに見せなければ!!そこで、今思案中であります。その内容とは・・・。 まず、中学生対象の大学見学!!中学校で行われる高校見学も大変すばらしいと思うのですが、今まで述べてきたように、目標を立てるには、その先の未来を見なければなりません。ですから、中学生が高校入学という目標を立てるのならば、その先、高校を卒業した未来を見る必要があると思うのです。特に普通科の高校に進学するのならば、その先の未来、大学を見ておく必要があると思うのです。高校卒業後、就職は考えていないし、これといって就きたい職業もないから、普通科に進学する。この進路指導が、少し積極性という面で、もやもやするような・・・。もちろん、そういう選び方をする人や、そういう指導をする人がどうこうということではありません。僕の行う進路指導において、もっと積極的な進路指導をできないものかと、ずっと、もやもやしていたのです。当塾での大学見学が実現すれば、子どもは、より明確な未来を見ることになり、進路決定においても、より積極的になれると思うのです。「未来は自分で切り開くものだ!!」とよく言いますが、これは、積極的に未来を考えることだと、僕は思うのです。 続いて、社会人講演会!!僕は外国語学部英米語学科出身ですので、僕の大学の友人は世界各地に散らばっています。世界を跨いで仕事をしている人間の話は、子どもの未来の視野を広げることに繋がると思うのです。僕が常々感じていることは、視野を広げることの大切さです。例えば、自分の成績を、中学校の同級生という枠で見るよりも、岐阜県の同級生という枠で見た方が自分の伸びしろを見出せる。岐阜県よりも、中部地区、中部地区よりも、日本全国、日本全国よりも、世界という枠で自分を考えることができたら、途方もない伸びしろと、絶え間ない向上心を持つことができると思うのです。もうすでに、この講演会について、もう、何人かの承諾を得ています。必ず、実現して見せます!! 子どものやる気について、真剣に考えて、僕がたどり着いたのは、子どもに大人の過去を語ることで、子どもの過去を振り返らせ、現在の自分を認識させ、未来を意識させること。未来を意識した子どもに、明確な具体的な未来を見せること。そうすれば、子どもは目標を持ち、それを越えていく。それには苦労を伴うが、乗り越えた喜びによって、立ち向かえるうになる。それを繰り返すことによって、遠い未来、「夢」を見るようになるということです。 非常に長くなってしまいましたが、今まで、断片的に日々感じていたことが、このブログを通して、多くの方から刺激をいただき、また、勉強させていただいたことによって、パズルが完成されるかのように、僕の軸になったように思います。このブログをお読みいただいてる皆さん、交流させていただいてる皆さん、本当に感謝しております。 ありがとうございます。それでは、このシリーズはこの辺で・・・。 おわり
2007.10.07
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前回、僕の経験を話すことについて、述べさせていただきましたが、 これは、中学生向けですね。小学生は、中学生ほど経験がありませんので、中学生と同じようにはいきません。もちろん、小学生向けの話はするのですが、それだけでは不十分なようです。特に、「自分の過去を振り返る」ということにおいては、なかなか僕の経験談だけでは難しいようです。ですから、小学生に対しては、もっと明確に、具体的に、自分の過去を振り返ってもらってます。何をもって過去を振り返ってもらっているかというと、作文を書くことです。何だ、そんなことか? 作文なんてどこでもやってるよ。はい、確かに、作文自体が特別なことではないと思います。ここ数年僕は、作文について研究しているのですが、マインドマップ同様、多面的な可能性を感じます。どういう目的で、どんな作文を書くかによって、様々なことが可能になると思うのです。そして、「自分の過去を振り返る」ということに関しても、もの凄い可能性を秘めていると思うのです。では、どんな作文指導をしているか、ここで例を挙げて少し説明させていただこうと思います。 例 そのときのお父さんは、とっても怖かった。 よく、小学生でも、中学生でも、書きそうな文です。しかし、僕の授業では、この文は、認められません。僕は、こう言います。「怖い」という形容詞だけで表現してはダメです。読む人には、その「怖さ」が伝わりません。そのお父さんをイメージできる? 目に浮かびますか?浮かびませんよね。 それは、「怖い」という形容詞だけで、片付けてるからだよ。「怖い」という言葉を使わずに、そのときのお父さんの様子を、しっかり思い出してそのまま書いてごらん。もちろん、何文になってもかまわないよ。思い出せば、思い出すほど、文の数は増えていくからね。 すると 足は開き、大きなお父さんの体を支えている。胸の前で腕を組んで、その手は震えているようだ。何だか顔を見るのが嫌になってきた。口はぐっと閉じて...。く・唇が震えている。鼻の辺りも、ホッペの辺りも、ま・真っ赤だぁーーー!ヒェーー!み・見たくない、目だけは見たくなーーい!や・やっぱり! 目は鋭くつり上がり、眉間にしわを寄せ、額の右の辺りの血管が、浮き上がってるぅーーーーーー!お父さんの頭の先から何か爆発して噴出しそーーーーーう! これは、当時小5が書いた文章です。いわゆる「描写」を意識した作文を書いてもらってます。この文章は、細かくお父さんの様子を書くことによって、お父さんの「怖さ」を表現しています。この文章のすばらしいところは、2つあります。一つは書き手の目線が、お父さんの足から始まり、頭まで、順に移動しながら、描写しているところ。もう一つは、視線が上に向かうにつれて、「怖さ」が増していくように描写しているところです。もちろん、1度で書けたわけではありません。何度も何度も書き直したのです。僕は、そこに意味があると思うのです。何度も何度も書き直したということは、自分の目にした過去を何度も何度も振り返り、考えたということです。小学生にとっては、このように、日常の些細なことを、詳しく思い出すことによって、自分の過去を振り返るという習慣がつくと思うのです。もりろん、「描写」は、読み手に伝わることを意識して書くわけですから、そうとう頭が鍛えられます。 子どもが、自分の過去を振り返り、今現在の自分を認識し、 これからの自分の未来をイメージするために、僕がが行っていることは2つ。今回は、その中の2つ目、「描写」を意識した作文を書くこと。つづく...。
2007.10.07
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自分の過去を振り返り、今現在の自分を認識し、これからの自分の未来をイメージする。これを子どもができるように、当塾では、2つのことをしています。まず一つ目は、教科を問わず、授業の中で、子どもの過去、未来に相当する、僕の過去(もちろん、僕の人生に関わった人の過去も含みます)を話します。 これに費やす時間は、普通の塾講師の方と比べると、僕はかなり長いと思います。授業料をもらっているのだから、その教科に関係のない話をするのは、おかしいんじゃないか?そういう御意見もあるかと思われます。しかし、僕は、「関係ない」とは考えていません。僕は、絶対に必要だと思うのです。中学生時代は、思春期であります。女の子であれば、お父さんと、男の子であれば、お母さんと距離をおきたくなる年頃です。よく3者面談にて、お母さんが言われること。 小学生の頃は、学校であったいろんなことを話してくれたんですが、中学生になってから、全く話してくれないんですよぉ。なんだか寂しくってぇ・・・。 男の子はこういうもんなんですかねぇ? そうですね、僕が中学生の頃、家では母親とよく話しはしましたが、授業参観日などで、学校に母親がいるとき、同級生、特に女の子の前で、母親に子ども扱いされるのが、すごく嫌でした。「カッコ悪い!」、そう思う年頃なんです。少なくとも公の場では、母親と距離をおきたいと思っていました。ましてや、恋愛、友人関係など、話したくない中学生は多いでしょう。しかし、思春期というのは、子どもから大人へと変わっていく途中。精神的には、大人と比べると、まだまだ経験が少ないのが当然です。だから、中学生は中学生なりに、悩みを抱えているのだけれども、まだ経験が浅いがゆえに、道を踏み外しそうになるときもあります。もちろん、そんなとき、悩みは悩み、勉強は勉強と割り切れないのが当然で、生活の中でのあらゆる動揺は、明確に、勉強にも表れるのです。ですから、子どもが何かに悩み、そのことだけしか見えていないとき、僕の過去を話すことは、子どもが見落としている大切なこと、親御さんの愛情、先生の愛情、友人の友情、そして今現在の自分を認識させ、未来に目を向けさせることだと思うのです。 授業時間内でどれだけのことを、子どもの頭の中に詰め込むか?これにこだわっていた塾講師駆け出しの頃と比べても、僕の経験話を入れながら授業を進めている今の方が、結果は良くなっています。 それは、結果を出すまでの内容、つまり、過程が改善されているからです。同じ結果でも、誰かに命令されて、嫌々やった結果ではなく、自ら自分のことを考えて、勉強に取り組んだ結果。そういう生徒が圧倒的に増えてきました。 子どもが、自分の過去を振り返り、今現在の自分を認識し、 これからの自分の未来をイメージするために、僕がが行っていることは2つ。今回は、その中の1つ、講師が自分の経験を子どもに語ることについて述べさせていただきました。2つ目は・・・。つづく・・・。
2007.10.07
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子どもに未来を見させるためには、何が必要か? 僕は、「過去」だと思うのです。その「過去」とは、子どもの過去と大人の過去。子ども自身がそれまでの自分を振り返る過去。それを自覚すれば、今現在の自分を認識し、未来の自分はどうありたいか、どんな自分になりたのか、考えるようになると思うのです。未来の自分を意識し始めた子どもに必要なのは、未来のお手本、未来の例、未来の道しるべです。そこで、大人が子どもに語ってあげる、大人の過去の出番です。当然ですが、大人は、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人という過去があります。しかし、大人にとっての過去の話は、子どもにとっては、未来になるのです。ですから、親、学校の先生、塾の先生が、自分の過去を語ることは、まだ、今現在の自分を認識していない子にとっては、自分の過去を振り返ることに繋がり、自分の未来を意識し始めた子にとっては、自分の将来を想像し、イメージすることに繋がると思うのです。「夢」を持つことに、近づくと思うのです。もちろん、一人の人間が大人になるまでに、様々な人と出会い、様々な人の人生に触れるわけですから、一人の大人の過去と言えども、様々な人間の過去を子どもに伝えることができると思うのです。家庭でのコミュニケーションが充実している子が学力が高いという現象は、このことも関係していると思うのです。大人が、今現在の子どもの状況を把握し、子どもに自分の過去、つまり、子どもにとっての未来の例を語ってあげること。僕はそこから、究極の目標、究極の未来である「夢」を、子どもが持つことができると思うのです。つづく・・・。
2007.10.06
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ただ単に成績が上がったことで起こるやる気は、1時的なやる気。ここからが本当の勝負の始まり。その1時的やる気が持続し、そのやる気自体が成長するかどうか?やる気を継続させるためには、目標を持つしかありません。そして、ある目標をクリアしたら、また新しい目標を立てるしかありません。目標を持てば、やる気は継続するのに、何故子どもにとって、目標を持つことが難しいのでしょうか?それは、目標を設定するときに、必ず必要なことがあるからです。それは、未来を見ること。 未来といっても、目標をクリアするという未来よりも、もっと先の未来です。「何ですかこの成績は・・・。次のテストで、○○点とりなさい!」大人が子どもに対してよく言うことだと思います。この言葉だけでは、子どものやる気を促す効力が少ないのは、誰もがご存知のはずです。 それは、目標の先の未来を、子どもが見ることができないからです。その先の自分がイメージできないからです。 こんな話を聞いたことがあります。仮に、あなたが3億円を手に入れることを目標として、もし、3億円手に入れたら、どうしますか?という質問に対して、答えは2つに分かれるそうです。A 家を買って、車も買おうかな? 残りはとりあえず貯金します。B その3億円が、10億円になるように努力します。AとBの決定的な違いは何なのか?それは、Aのように答えた人は、実際には「3億円手に入れる」という目標を持っていない人が多いのに対して、Bのように答えた人は、実際に、「3億円手に入れる」という目標を持ち、それに努力している実業家が多いということだそうです。確かにそうですね。 「10億円手に入れる」という未来を見ているから、現実に、「3億円手に入れる」という目標を持つことができる。僕から見て、この人は、何て凄い目標を持っているんだ!って思える人は、僕なんかが見えていない、その目標の遥か先が見えているんですよね。 勉強においても、同じことが言えると思うのです。初めは近い未来でいいと思います。 近い未来を想像して、その前にやるべきこと、つまり目標を設定する。そして目標をクリアすれば、今度は、もう少し遠い未来を見て、そしてまた目標を設定する。 これを繰り返すことにより、目標を設定して、それをクリアするときに伴う、苦労の耐性が成長すると思うのです。その耐性が成長すれば、そこからはかなり遠いと思われる未来を見ることができると思うのです。その未来が、「夢」というものではないでしょうか。「夢」を持ちながら、それに手を伸ばそうとする人は、それまでの目標を達成する苦労を経験しながら、「夢」を追い続けることのできる、苦労を乗り越えることのできる、耐性を持っているからだと思うのです。 やる気を持続させるためには、目標を持たなければならない。目標を持つためには、その先の未来を見なければならない。では、子どもに目標の先の未来を見せるためには、その未来を、「夢」にまで成長させるには、どうすればいいのでしょうか?つづく・・・。
2007.10.06
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僕が塾講師駆け出しの頃、勤めていた会社は、点数至上主義だった。夜遅くまで生徒を残し、学校平均点に対して、塾内平均が、どれ程上回るか?ただそれだけをひたすら追求する。それによって、どれだけ配属される校舎の生徒数が増えているか?それにより、年棒が決められる。だから、中学校の定期テスト終了後、会議にて、講師それぞれの担当クラスの成績を報告する。僕はとにかく生徒のテストの点を上げることにこだわりました。それは、自分の年棒を上げるためではありません。そんなこと考える時間もない、というのが正直なところでした。点を上げることにこだわり、結果を出すと、もの凄いこと(その当時、そう思った)が起こるのです。全くやる気がない生徒が、その結果を心から喜び、次のテストに向けて、とんでもないやる気を見せるのです。また、それを親御さんが心から喜んでくれるのです。だから、夜遅くまで生徒を残すことに対しては、ずっと疑問に思いつつも、生徒の点を上げることにこだわりました。もちろん、今でも、塾において、生徒の点を上げることは、絶対必要条件だと思っています。ただ、その頃の僕と、今の僕を比べると、当時の僕は、大切なことに気づいていませんでした。やる気のなかった生徒が、成績が上がったことを喜び、次のテストに向けて、やる気を出し、それを親御さんが喜ぶ。このやる気は、本物の「やる気」ではなく、本物の「やる気」を引き出す、きっかけ、本物の「やる気」への入り口だったと思うのです。本物の「やる気」には、何が必要なのか?僕は、それをどう考えているのか?このシリーズにて、綴っていこうと思います。つづく・・・。
2007.10.05
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日曜日、テスト対策補習のため、出勤するので、今日は、早く仕事を上がらせてもらいました。もちざくらくん、よろしく~嫁さんのお母さんが、土曜日から1週間ほど、故郷である北海道へ帰るということで、その前に、今から、家族4人で、顔を出してこようと思います。お土産、期待しちゃおーーーうっと。お父さんとお母さんは、北海道出身なので、親戚の皆さんや、お友だちは、北海道におられます。その人たちから届く、北海道の食べ物、メチャクチャおいしいんです。ですよねぇ、Will塾長じゃがいも、アスパラ、蟹、イカ、鮭などなど・・・。今、書きながら、想像するだけで、よだれが出てきそう・・・。では、行ってきまぁーーーーす。
2007.10.04
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最近、中2がすばらしい!! 「考えること」が根付いてきました。僕の担当する教科では、特に英語。 必ず5文型から考え始めるようになりました。5つの文型を決定するのは、その中のV、つまり動詞です。動詞をもとに文全体の構造を考え、たとえ知らない英単語が出てきても、前後からその単語の意味を推測して、文の意味をとっていく。これはかなり頭が鍛えられます。僕の英語の授業は、徹底的に5文型で考えさせるというところに、最も重点を置いています。英語を理解するためには、英語の世界を理解しなければならない。では、どうやって英語の世界を理解するのか?それは、我々の母国語、日本語の世界と比べるのです。そして、その違いを知るのです。比べるためには、まず、日本語がしっかり理解できていなければ、比べようがありません。ですから、英語を理解しようと思えば、同時に日本語も理解しなければならないのです。この日本語力は、英語のみならず、全ての教科に影響を与えるものです。英語を学びながら、同時に日本語力を鍛え、その日本語力で、他の教科にも、良い影響を与える。それが僕が目指している英語の授業。世の中は、様々なことが絡み合って、関係性をもって、成り立っています。一人の人間が行う、様々なことも、そうであると思うのです。当塾で勉強することが、部活動、家庭、学校生活、友人関係、恋愛、様々なことと絡み合い、良い影響を与えることができると僕は信じています。
2007.10.04
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7ヶ月になった、うちの息子コタくん。最近、ハイハイ初段まで習得!ただ、ちょっと目を離すと、ゴンッ!ふ・ふぇ~~~~~んいろんなとこに体をぶつけ、泣いております。なかなかハイハイする姿は、さまになってきました。逞しくなれぇーーーーーーい!
2007.10.03
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今まで何度も、繰り返し述べさせていたておりますが、当塾の小学生の国語の目的は、文章力(表現力)の養成。そのため、7・8月の目標は、読書感想文でした。では、読書感想文を含む作文において、具体的に目に見える形の結果とは何なのか?僕は、作文コンクールで入賞することだと考えました。これは、3年前から目標にしていたことです。一昨年は、小6が1名入賞。去年は、小4が1名、小5が1名入賞しました。さて今年は・・・ 出ました!! 小5 1名入賞!! 人数的に、大したことではないような印象を受けそうですが、160人のうち、2名しか入賞できません。これは、確率で表すと、1.25%です。うちの生徒たちが通う中学校のテストで、学年1位の成績をとる確率とほぼ同じです。しかも、去年小4で入賞した生徒と違う生徒です。6月終わりごろ、国語が苦手だということで、入塾してきた生徒です。もう、嬉しすぎます!!非常におとなしく、落ち着いた子なのですが、休憩時間に、賞状を、誇らしげに見せに来てくれました。もう、この顔、この誇らしげな顔なんです、僕が見たいのは!!他の学年の報告はまだ聞いていないので、どうでしょうか?3年連続で入賞者が出ましたので、次の目標は、入賞枠をうちの塾生が占めること。それができたら、その次は、全国大会目指しちゃおうかな?何はともあれ、M.Iくん、おめでとーーーーーう!!
2007.10.03
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半年後、受験生のみんなは進路が決まっていることでしょう。その1ヶ月後には、高校生として、新しい制服に袖を通していることでしょう。そこでどんな友だちができ、どんな生活が待っているんだろう?とっても気になるよね。でもね、その前に、もっと大切なことがあるんだ。新しい制服に袖を通すとき、自分自身を誇りに思えるかどうか?合否のことを言っているんじゃないよ。そこにたどり着くまでの自分を誇れるか? 人は人のことに対していろんなことを言うよ。良いことばかりじゃないから、そんな時は聞き流すことができる。でも、自分の心の声を聞き流しちゃダメだよ。それを続けてると、自分のことが嫌いになっちゃうから。嫌いな自分を誇りには思えないでしょ?自分を誇れるってことは、自分を好きだってこと。苦労を乗り越えて、そんな自分を誇れる人は、同じように苦労してきた人の気持ちがわかる。その人の良いところ、悪いところ、全部ひっくるめてね。それって、人を心の底から好きになれるってことだと思うんだ。彼氏、彼女だけじゃなく、家族や友人も含めた、大切に想う人ってことね。もしね、ある人を好きな自分のことを誇れなかったら、それって、本当にその人のことを好きだってことになるのかな?好きな人が困ってるとき、自分のことを誇れない人が、その人を救うことができるのかな?僕はできないと思うよ。だからね、基になるのは、自分を好きになること、自分を誇りに思うことなんだよ。高校生になって、君が、新しい制服に袖を通すとき、そんな自分を誇りに思うことができれば、人間関係だって、部活動だって、勉強だって、高校生活がすばらしいものになると思うんだ。自分を誇りに思うか、思わないか、判断できるのは、世界中で、君一人だけ。半年後、必ず自分で判断することになるんです。悔いのない努力を積んで、誇りをもって、制服を着て欲しい。
2007.10.03
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仕事を終え、帰宅し、風呂に入り、夕飯を食べ終えて、午前1時。いつもこれぐらいの時間になる。 それから、ブログチェックや何やらかんやらで、布団に入るのは、午前2時過ぎ。(塾講師としては、早いのかな?)息子、奥さん、娘、僕という順に、家族4人が並んで寝ている。そう、僕の隣りはいつも娘です。最近、あることであまり眠れないのです。 息子の夜泣きは、二人目ということで、結構なれました。が、最近、隣りの娘が・・・・・ 布団に入って、1時間程、午前3時半。いい感じに気持ちよく、眠りについたちょうどその頃。 お父さーーーーーーーーん!うわっ!ビックリしたぁー 何だぁ、突然!昼間に出す声より大きな声です。 ○○したらダメでしょーーーう! エーーーー! 怒られとるんか、俺?○○の部分はよく聞き取れないのですが、右手人差し指を、天井に向かって指しています。 さくちゃん、○○なんだからーー!ボフゥ!拳を握った左手が、僕の顔に、裏拳として・・・・ ハウッ! 痛ぁーーーーーーい! 娘の顔を見ても、目はずっと閉じたままです。弟がまだ赤ちゃんだから、僕がかまい過ぎるのでしょうか?次の休みの日には、思いっきり遊んでやろう!それにしても、痛かったぁ。
2007.10.02
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今日の小学生の授業。 はい、ここに山があるとします。その山の頂上には、誰もがどうしても欲しくなるものがあります。その山のふもとに、Aくん、Bくん、Cくんが立っています。Aくんは、優しくて、山に詳しい登山家を探し、その人に手を引っ張ってもらいながら、頂上までたどり着きました。Bくんは、お金持ち。ヘリコプターで頂上まで行きました。Cくんは、一人で一生懸命登ります。 途中で何度も退き帰そうか迷いました。でも、退き帰しません。 急な上り坂で、滑り落ちることも何度かありました。手や膝は擦りむけてしまいました。でも、彼は諦めません。Aくん、Bくんより、大分遅れて、Cくんは、やっと頂上に着きました。「誰もがどうしても欲しくなるもの」は誰が手に入れたでしょう?そう、Cくんです。 その山から見下ろす景色は、世界一美しい。しかし、Aくん、Bくんの何百倍も、Cくんはその景色が美しく見えました。あまりに美しくて、涙が止まりません。Cくんが手に入れたものは、景色ではなく、その涙です。涙が出てくるほどの感動です、喜びです。そう、それは誰もが欲しくなるものであり、お金では買うことのできないもの。自分の力でしか得ることはできないものです。これからもCくんは、どんなに高い山でも、自分の力で登るでしょう。だって、登りきったときに味わうことができる、喜びと感動を知っているから。さぁ、算数の文章問題も、「山」と同じです!頑張って、登りましょう!! それから1時間、小学生は、集中力が途切れることなく、文章問題を解き続けました。今日の小学生は、すばらしかった。
2007.10.01
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は~い、今日は地理ねぇ~ 漁業について考えるよぉ~漁業っていろいろあるの知ってるぅ? 網使ったり、釣りしたりってことぉ? うん、そういう見方もあるんだけど、社会に出てきそうな言葉で考えてみてぇ。 う~ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あっ! 「ようしょく」とかぁ~? そう、そう、そう、そう!それって、どんな漁業? 囲いの中で、魚に餌をあげて、育てる漁業~ いいねぇ! じゃぁ、どこまで育てるの? 食べられるぐらい大きくなるまでぇ~。 その通~~~~り!じゃぁ、漢字で書いてみてください。 養食!? 違ーーーーーう!育てて、自分で「食」べて、どうすんじゃぁーーい!売りもんがなくなるだろぉーーーー!「養」って、「殖」やすんじゃぁーーー!!! しかし、僕本人、突っ込みながら、うけてしまいました。
2007.10.01
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