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「 目の前にある、嫌なことから逃げてちゃダメだ!」僕が生徒に対して口にすることは、真っ直ぐに進む光。僕の目をしっかりと見る生徒は、放った光が真っ直ぐに返ってくる。そう、そう、そうやって、頭も心も鍛えられるんだ。 僕から目をそらしてしまう生徒は、魂のこもった僕の光を違う方向へそらしているね。それでも、方向は違ってるけど、はね返してはいるかぁ。僕の放つ光は決して冷たいものじゃない。温かさは、感じてくれてるよね。 でも、僕から目をそむけ、光もはね返そうとしない生徒。心の中で、角度を変えてるんだね。心の中に水をはってるからだよ。屈折して、僕の光は君を通り抜けて、どこかへ行ってしまっている。君のことを思って、放たれる心の光を受け止めず、はね返そうとしなかったら、誰も君に光を当ててくれなくなるよ。うまくできなくて、違うところに反射したって、練習すれば、光がやって来た方向に、ちゃんと返せるようになるよ。練習しようよ、心の光の返し方。僕も付き合うから・・・。 この前の土曜日、中1の理科、「光」の授業中、こんなことを僕は考えていた。
2007.07.30
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就職活動、それは、社会という世界の中での、自分の居場所探し。見つかれば、それは、そこで生きていくということ。「生きていく」ことを意識すると、急に社会に怯える自分がいた。 大学卒業後、広島での2年間。「お前なら大丈夫!」と、たくさんの人に応援されながら、自分と闘いながら、自分自身を見つめた。そして、自分一人の力なんか、ほんと、ちっぽけなものであることを知り、と同時に、周りに人がいてくれることを、心の底から有難いと思った。 大手塾の入社試験。「選ばれようという」意識だけでなく、 「選ぶ」という意識も大切であること。それは、「見る目」を養うということを知った。 そして、それまでの全ての経験があったからこそ、自分で「選び」、「選ばれて」、たどり着くことのできた、あの社長の塾。 長過ぎた僕の就職活動。社会に目を向ければ、向けるほど、逆に、自分へと目が向いていく。それは、より、自分という人間を知ることとなった。そのことが、僕という人間を、一まわり大きくしてくれた。自分の居場所を探すつもりで、それまで頑張ってきたけど、本当は、自分自身を探していたに違いない。この自由で厳しい社会で生きていく、未来の自分を。そう、僕の就職活動は、「自分探しの旅」だった!!今も、10年後も、20年後も、生きていく限り、この「旅」は終わらない。さぁ、これから、どんな自分を探せるだろう?どんな自分に出会えるだろう?怯えるのではなく、そう思えることが、この社会を楽しむ方法なんだと思う。う~ん、ワクワク・ドキドキが止まらない・・・。 おわり こんな記事ですが、お付き合いしてくださった方々、また、自分を振り返ることのできる、すばらしい機会をくださいました、satea,先生、本当にありがとうございました。
2007.07.29
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1社目、2社目の他にも、いくつか入社試験を受けていたのですが、あの岐阜の塾の入社試験を終えた後、全て採用という結果をいただきました。しかし、僕はあの事務所から帰る電車の中で、もう決めていました。あの社長から、学びたかった。自分よりも能力が高いと認める人。自分も同じような能力を身につけたいとき、まず、その人を真似てみる。僕はそうしていますが、周りから見て、真似ているのがバレバレなのは、プライドが許さない、僕はそんな性格です。だから、うま~く(ちょっとせこく)、オリジナル要素を入れつつ、いかにもオリジナルと見せかけるように、真似るんです。しかし、あの社長に関しては、もうバレバレでもいいから、真似て、自分の力にしないと、一生後悔すると思いました。許されるかどうか分からなかったけど、不採用という結果になっても、「 では、来年もう一度受けさせていただいてもよろしいですか? それまでに、自分を磨いておきますので。」そう言おうと決めていました。それは、事務所を背にしながら、駅へと向かう途中、大学時代、途中で就職活動を止めたあの日から・・・、やっとたどり着いた。広い社会の中で、自分の全てを投じたいと思える場所、やっと見つけた。そう思えたからです。それから、数日後、採用の連絡をいただきました。もちろん、「 どんなことがあっても、2週間以内に必ず出勤します!」と僕は答えました。僕は、この会社で、2年半、欠くことのできない塾講師としての基礎を学んだ。あの社長、会社にたどり着かなかったら、共同経営している現在の塾、来年開校するつばさ塾、間違いなく、存在しなかった。今でも、心の底から、感謝している。最終章へ、つづく・・・。
2007.07.29
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「 つばさくん、君、今日ここに来るまでに、 何社か受験してきたでしょ? なかなかいい顔、いい目をしてるよ。 その目は、いろいろ塾を見てきて、 『選んでやろう』って目だな。 はっはっはっはぁ~! じゃぁ、うちの会社もしかっりみてもらおうかな。」「 いえいえいえ、とんでもない。こちらこそ、よろしくお願いします。」何なんだ? すごいとしか言いようがない!何でそこまで分かるんだ? しかも全然不快じゃない。むしろ、気持ちがいい。 やばい、この人のペースに完全にはまってる。落ち着いて、よく見ないと。 よし、もうこうなったら勝負だ!「 つばさくん、僕が聞かせてもらいたいのは、二つだけだから。 その後は、お茶でも飲みながら、楽しく話そうよ、ねぇ。 君の今までの人生の中で、最も誇りに思うことは何かなぁ?」うっ、キタキタキターーー!ヨッシャァー! 気合見せちゃるもんねぇ!「 浪人したことです。 大学受験浪人と就職浪人。 あんなに勉強し、あんなに自分と向き合い、 あんなに自分と闘ったことは、他にありません。 今の自分があるのは、浪人時代があったからです。」どうだぁ? どう切り替えしてくる?「 なるほどなぁ。 それは剣道で学んだんだなぁ、その精神。 それに、君にはたくさんの支えになる人がいるんだな。 そうでなければ、ここまで、 浪人時代に対して自信はもてないよ。 君の人望が厚いのが窺えるね。 うん、うん、よ~く分かるよ。」涙が出そうになりました。 何でここまで他人の気持ちがわかるんだ?今まで、こんなに短時間で、的確に自分の心に訴えかける人は、会ったことがない。「 二つ目いいかなぁ? もし採用されれば、 どれくらいの期間でここに来てくれる? 君のそのすばらしい精神をもってすれば、 どれくらいの期間になるかな?」うっ、そう来たかぁ。 ヨッシャァー!「 2週間、今日から2週間以内です。」「 おぉ~、そうかぁ。 できれば、その2週間で君がどう頑張るのか、 この目で見たいもんだねぇ。 誠実に答えてくれてありがとなぁ。 後は、お茶でも飲みながら、気楽に話そうやぁ。」その後、30分くらい雑談したあと、面接は終了しました。あいさつを終え、事務所の扉を開けようと向かうと、彼は、すぐさま、僕を通り越し、扉を開けるのです。しかも、エレベーターで、一緒に1階に降り、駅への道順も教えてくれて、見送ってくれました。その全ての振る舞いは、決して媚を売るのではなく、颯爽と、オーラを放ちながら、自信に満ち溢れた笑顔なのです。完全に負けです。 この人のようになりたい。この人の下で学び、いつか追いつきたい。そう、強く思いました。つづく・・・。
2007.07.28
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僕がどうしても受けたかった塾。 その当時、創立10年で、その地域に4校舎展開し、総生徒数400名弱の塾でした。これは、後でわかったことなんですが、それまでは、バイトの学生講師を雇うという経営を、講師は全て、正社員という方針に切り替えるための、社員募集だったようです。時期的にも、規模的にも、これから成長していくだろうという期待感。その成長を成し遂げるメンバーの中に自分が入ることができる。そういう魅力も感じました。そして、この会社の試験、筆記試験はないのです。面接だけなのです。1社目や2社目とは違い、僕の人間性を見てもらえるという期待感もありました。さぁ、期待に胸を膨らませ、いざ出陣。試験会場になったのは、よくあるビルの1室。入ってみると、そこの広さは、生徒が20名ほど入れられるほどの教室くらい。十数名の人が、それぞれの仕事をこなしていた。事務系の仕事をしている2名の女性以外、みなさん、講師のようでした。ということは、みんな出勤はこの事務所で、時間になれば、校舎へ散っていくのかぁ。ふ~ん、なるほど。 みんな、必ず、毎日、顔を合わせるんだぁ。なんだか、アットホームな雰囲気だなぁ。すると、僕に気づいた事務員らしき女性が、「 今から、担当のものが参りますので、 それまでこちらでお待ちください。」その部屋の一番奥にある、接客用のソファーまで誘導されました。何の仕切りもなく、どうやら、僕の入社面接は、ここで働く人たちには、筒抜けのようです。どうせ、採用が決まれば、毎日顔を合わせる人たちだから、最初から僕を見てもらった方がいいやぁ。これも、この会社の方針なんだろうなぁ。すると、2人の男性がやって来た。一人は、30代後半で、何か風格を感じる人。「 初めまして、つばさくん。 僕は○○というものです。今日はよろしくね。」す、す、すごい!余裕と風格から出てくるこの笑顔!この人、もしかして社長かぁ?もう一人は、30代前半で、強さ、エネルギーを感じる人。「 どうも、つばささん、私、○○と言います。よろしく。」うわっ! この人、絶対、剣道か柔道か、何か武道をしてきた人だ。この声、口調は、縦社会でもまれてきた人だよぉ~。若いのに、面接を任されるということは、絶対この人凄腕講師!約、1時間の面接。 印象的だったのは、面接というよりは、話合いという感じだったこと。もちろん、資料などは、手にしておらず、2人とも僕の履歴書の内容を暗記していました。そして、質問の内容は、それぞれが違い、自分でこの日までに、質問内容を考え、僕の応答に応じて、臨機応変に、質問を変化させているようでした。なるほどなぁ。 面接の全てを自分で考えさせる方針なんだぁ。本当の意味で、仕事を任されてるんだなぁ。「 これで、私たちの面接は終了です。 次の面接に移りますので、しばらく、ここでお待ちください。」え? あの人、社長じゃないの?しかも、「次の面接」って? 「社長面接」って言わなかったよなぁ。じゃぁ、次はどんな人の面接なんだぁ????すると、「 お~う、つばさく~ん!遠いところから、わざわざ、どうもなぁ。 よ~しっ! じゃぁ、面接始めようかぁ。」な、な、何なんだ、この人?絶対にこの人が社長だ! 間違いない!先程の2人を足して、1・5倍ぐらいにパワーアップさせたような人。何歳か全然わからない。 肌から見ると、40歳近くに見えるけど、服装、髪型、歩き方、話し方、目の輝き。全て、エネルギーに満ち溢れていている。ものすごいインパクトなんだけど、どれも不快を感じるとこは一切ない。かっこいい!オーラ、オーラを出しまくっている。30代前半の武道系先生は、この人に憧れているに違いない。命令されて動いているのではなく、この人みたいになりたいと思うことで、自発的に行動しているんだ。すごい! そうやって人を動かしてしまう会社なんだ! そう、この人との「出会い」が僕の人生にとって、忘れることのできない「出会い」になる。つづく・・・。
2007.07.28
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実は、彼女から届いた就職・転職雑誌で、いろんな塾の紹介を見ているとき、非常に気になる会社がありました。その塾は、岐阜県にありました。会社を選ぶ条件の中に、「名古屋市内、もしくは、その近郊で働ける。」ということがあった。だって、ここまでこれたのは、彼女(奥さん)の支えがあってこそ。これ読んだら、その日は奥さん、超優しくなるかなぁ?(笑)条件は満たしていないが、気になる。 とにかく気になる。 何故かというと、他と比べて、アピールの仕方が全然違ったんです。市内に○○教室展開。 生徒数○○名。などの数字でアピールする塾が多い中、そこは、生徒との触れ合いや、塾講師としての苦労や、やりがいなどが、その場面を想像できるように、文章で表現されていたんです。普通、社員募集で、「苦労」というような、マイナス的内容は掲載されないと思っていたので、そこを隠さず説明してある点に、誠実さを感じました。写真や数字よりも、圧倒的に文章の方が目立ったんです。その文章は、数字だけでは動かすのは難しい、感情、僕の「エモーション」に訴えかけてきました。場所は、条件を満たしていないが、この目で見たい。この目で確かめないと、絶対に後悔する。強い感情に動かされ、入社試験を受けることにしたのです。そう、この入社試験が、僕の人生に大きな影響を与えることになるのです。その入社試験とは・・・。つづく・・・。
2007.07.27
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「選ぶ意識」の大切さを学び、2社目の入社試験に挑んだ。その塾は、県外にも幅広く教室展開している、大手塾だった。試験会場になった校舎は、校舎というよりは、立派な企業のビルという感じだった。オフィスフロアである2階で受付を済ませる。その日の受験者は、僕、1名だけでした。接客用のソファーで、しばらく待つように言われたので、腰を下ろして待ちました。そのフロアは、ドラマの中に出てくる一流企業のオフィスのようで、そこで仕事をする人たちの姿は、「企業戦士」という言葉がぴったりだった。一瞬、その雰囲気に圧倒されそうになったが、ここで、1社目で学んだ「選ぶ意識」が役にたちました。いかん、いかん、選ぶためには、しかっり見なきゃ。そのフロアに入ったすぐは、「かっこいい~!」という印象を殆どの人が持つと思う。僕もそうだった。が、よ~く見てみると、あることに気がついた。顔、そこで仕事をしている人たちの顔である。体の動きは、テキパキと非常に機敏で、確かに目を見張るものがある。が、顔が怖い、いや怖がっている?何というか、何かに追われているような顔に見えた。すると、それとは違う様子の人が目に飛び込んできた。ものすごい目つきで、他の人を見渡しているのである。一瞬、その人と僕も目が合い、「こわっ!」と目をそらしたくなるほどでした。見張ってるんだぁ~。なるほど、見張られてるから、みんな、あんな顔になるんだなぁ~。しばらく、そんな観察を続けていると、筆記試験を行うということで、5階の教室に誘導されました。僕は、生徒用の机で筆記試験問題を解く。担当者は、黒板の前の教卓で、何か資料を必死に読んでいる。気になる、非常に気になる。 早く問題を解き終えて、まだ解いてる振りして、隙を見て、覗いてみた。 ○○○○マニュアル1 あぁ~、なるほど、マニュアルね。何のマニュアルだろ? 疑問に思ったまま、筆記試験は終わった。「 次は、課長面接と部長面接です。 このまましばらくお待ちください。」10分ほど経って、先程の担当者がやってきた。手には、同じ資料を持っている。「 はい、私は、○○課、課長の○○と言います。 それでは、面接を始めます。」質問された内容は詳しく覚えていないが、ごく一般的な質問だったと思います。ただ、印象的だったのは、筆記試験のときに彼が必死に目を通していた、マニュアルを見ながら質問し、僕が答えた内容を記録していたことです。僕の答える内容よりも、記録することの方を重要視しているようでした。なるほどなぁ~。 オフィスで見た顔と同じってことかぁ。その後の部長面接も、同じ印象を受けました。その日はそれで終了。後日、結果が電話で報告され、良ければ、最終社長面接ということだった。 2社目の入社試験で感じたことは、「選ぶ意識」は、「見る目」を養うということ。1社目より、社屋、社員、社員の顔といった、様々なことに目が行くようになり、目にしたことから、「なぜそうなのか?」を考えるようになった。会社を「選ぶ」ためには、その会社を知る必要がある。その会社を知りたければ、資料に目を通すだけじゃなく、その方針を決定する社長を見ることだけでもなく、そこで働く人や、環境をよく観察することからも、知ることができるということ。2社しか入社試験を終えていませんでしたが、 この時点で、就職活動を始めたばかりの僕と比べると、世の中の見え方が、随分、違ったものになりました。つづく・・・。
2007.07.27
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昨日、奥さんが僕の記事を読んで一言。「 え? 終わっちゃうの? 最終的に選んだ会社のことまで書かないの? 読んでる人、特に今から就職活動しようと思う人なら、 絶対に詳しく知りたいし、読みたいんじゃないの?」全くその通りです。 一言も言い返せません。やっぱり、奥さんすごい大反省しております。ということで、誠にお恥ずかしい話ですが、続けます。誠に勝手ながら、前回の記事、削除させてもらいます。温かいコメントをしていただいた、もちざくらさん、コメントとてもありがたかったです。 本当に申し訳ありません。記事を、続け、もっといいものにすることによって、感謝と謝罪の意を表そうと思います。
2007.07.27
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名古屋にある、親友J宅に居候させてもらいながら、約2週間の就職活動が始まった。最初に行った塾は、30教室もある、小・中学生対象の塾でした。その日、受験者は僕を含めて、40名ほどだった。すぐに、5教科の筆記試験が行われた。その後、担当の方が、「 今から、幹部面接、社長面接と進んでいきます。 今からお名前をお呼びしますので、その順にお並びください。」「 つばささん!」おおぉ! 1番? なんか縁起がいいねぇ!「 はい!」僕は前へと進んだ。次々と受験者の名前が呼ばれていく。ん? 何で? 僕の後ろに並ばないの?僕以外の人は1列に並び、僕だけ1人で1列。何でだろう?すると担当の方。「つばささんは、こちらの方へお進みください。」ある部屋の扉の前へ、僕一人が誘導された。その扉には・・・。 社長室!! エーーーーーーーッ!俺だけ、いきなり、社長面接ーーーーーッ!?何でぇーーーーーーー? 「 つばさくん、君のご家族は? 君は長男かね?」「 はい、長男です。 父、母、姉と広島で暮らしています。 妹は、3年前に、結婚したので、家にはいません。」「 う~ん、そうかぁ。 」長男だと、実家に戻る可能性が高いから質問した。あからさまに、それが分かったのと、最初の質問がそれだったので、少し不快感がありました。「 つばさくん、うちの塾は、これから、 小学生を英検で合格させることに、 力を入れようと思っている。 君は、外国語学部英米語学科卒だねぇ。 君には、期待しているよ。」 ガビーーーーン!そ、そ、それで俺だけ、社長面接かーーーい! 「 つばさくん、僕は車3台持ってるよ。 もちろん、全部高級車。 君も頑張れば、僕みたいに、 車の2台や3台持てるようになるから。」 再び、ガビーーーン!金、金、金かぁーーー!この人、生徒の顔が、お金にみえとるんちゃうかぁー! 「 うん、つばさくん。君、採用しようと思ってるよ。 期待してくれてていいからね。」 エーーーーッ!お、お、俺の人間性は? ちゃんと見なくていいの?人間性は、関係ないの? 俺は、商品か? 履歴書を見ただけで、社長面接。車を何台も持っていることを自慢する。僕の人間性には全く興味を見せずに、採用すると言う。ビックリしました。この会社に訪れるまでは、どちらかと言うと、「選ばれる」ことを意識していた。が、この入社試験を通して学んだこと。自分も会社をよく見て、「選ぶ意識」をしっかり、もつべきだということ。「選ばれようという意識」だけだと、自分の本当の居場所は探せない。「選ぶ意識」が必ず必要なんだってこと。つづく・・・。
2007.07.26
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コンビニで働き始めて、2年がたとうとしたとき、もう僕は25歳になっていました。もうつべこべ言ってる場合じゃない。 この2年間で、自分はいろんなことを考え、悩んだ。そしてたくさんの人に支えてもらった。それに「自信」を持ち、社会に出てみよう!それから、資料請求などから始め、一般的な就職活動に動き出した。そんなとき、彼女(奥さん)から、ある小包が届いた。それは、名古屋で販売されている、就職・転職雑誌だった。「 ありがとう、助かるよ。」「 うん、そういえば、いつか言ってたじゃん。 先生に興味があるって。 子どもが好きだって。 あなたは、学校という枠があると、 あなたの良さは出せないんじゃない? 就職活動だって、全然、枠にはまってないし。 塾の先生はどうなの? その雑誌に結構載ってるよ。」「 おおおお! 大切なこと忘れるとこだった。 俺、子ども好きだってこと。 塾の先生かぁ。 うん、よしっ! いろんな塾の入社試験、受けてみよう!」本当に奥さんはすごい! このときの言葉もそうだが、この2年間、1度も僕のことを責めることなんてなかった。名古屋・広島間の遠距離恋愛。会いたいけど、なかなか会えない2年間。そうなったのは僕のせいなのに。「早く就職決めてよ。しっかりしなさいよ!」と言いたいときもあっただろうに。そんな彼女を奥さんに選ばなかったら、僕は不幸になっていただろう。今でも、奥さんには、本当に感謝している。それから、いろんな塾を調べていくうちに、塾によってアピールする部分がものすごく違っていることがわかった。資料を目にするだけでなく、実際に足を運んでみたい塾が数社あった。その塾に履歴書を送ることにした。1週間後、全ての塾が、入社試験、面接に来て欲しいという回答だった。もちろん、試験日、面接の回数など、会社によって違うので、名古屋在住の親友Jの自宅に居候させてもらうことになった。もちろん、合否の心配はあったが、それよりも、資料で見た塾が、実際にはどうなのかという好奇心、ワクワク感の方が強かった。今思うと、大学を卒業したての僕だったら、ワクワクなんて感じる余裕はなかったと思う。深夜働きながら、悩んで、もがいて、たくさんの人の温かさに支えられた、あの2年間がなかったら、感じることのできなかった感情だと思う。つづく・・・。
2007.07.25
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昨日、いつも楽しく拝読させていただいている、satea先生の記事を読ませていただいて、自分の浪人時代や就職活動のことを、懐かしく思い出し、コメントさせていただきました。自分を振り返る良い機会であることと、先生からの要望もあり(ちょっと、恥ずかしいですが・・・)、僕の就職活動の記事を書こうと思います。 就職活動、今、それを振り返ってみると、僕の就職活動は、あのときから、もう始まっていたのかもしれない。世間一般的に言われている就職活動を、途中で止めたあの日から・・・。このことは以前の記事で、少し触れました。社会に出ようとするのが就職活動であるのに、その社会に怯えている自分に気づいたのです。怯えているということは、自分に自信がないということ。このことは、「いつでも僕を動かしていた原動力は、『自信』だった」と、自分を深く見つめることに繋がりました。就職活動を止めてから、残りの大学生活、必死で勉強しました。それまでと違ったのは、頭の中に、「社会で生きていくために」ということがあったことです。大学を卒業したら、実家(広島)へ帰りました。もちろん、親に養ってもらうわけにはいかないので、コンビニで、夜10時から、朝8:30まで働きました。大学時代の自分の小遣いを稼ぐためのバイトではなく、厳しい社会の中で、食べていくため、生きていくための労働。怯えていた未熟者の僕にとっては、社会を知り、「自信」をつける良い機会でした。この生活は2年間続きました。もちろん、深夜働き続けるのは、体力的に大変でしたが、自分の精神を維持することの方が、何倍も大変でした。深夜、2時以降になると、ほとんどお客さんは来ません。そうすると、一人でいろんなことを考えるようになるんです。それが、どうしても考えることが、消極的になるんですよね。食べてくために、今、働いてるけど、これは本当に自分がやりたい仕事じゃない。こんなことを続けていて、本当にやりたいことって見つかるんだろうか?彼女(奥さん)は名古屋空港で働き、空港で働くことは、彼女の夢だった。それに比べて僕は・・・。いや、自分で選んで、決めたことじゃないか!今、こうやって悩みながら、経験していることは、必ず将来、役に立つ!自分のやりたいこと見つけて、必ずそのとき生かしてやる!弱気になる自分と、強気な自分との闘いの毎日でした。そんな毎日だと、さすがに精神が疲れ、弱ってきます。高校、大学の友人、彼女(奥さん)、大学の恩師。よく電話しました。 そんな自分も情けなく感じ、責めてしまう自分がいました。でも、僕を、「情けない」、とか、「しっかりしなさい」、とか、責める人は誰もいなかった。「頑張れ!」、「お前なら大丈夫!」、「そこまで自分を真剣に考えられるお前はすごい!」励ましの言葉ばかりでした。あれほど、人の温かさを感じたことはありません。後になって、あのころの僕の姿を、母親はこんな風に言ってました。「 もがいてたね。つらそうだったね。今までで一番つらそうだった。 でも、わかったでしょ。 あんたには助けて、支えてくれる人が たくさん、いるってこと。 大切にしなさい。 立派になって、恩返ししなさい。」あの2年間は、社会の厳しさ、人の温かさを知る、僕にとっては、就職活動だったと思う。つづく・・・。
2007.07.25
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1学期三者面談、2日目。今、新入の小4の女の子の三者面談が終わった。ガラガラガラッ。「 こんにちは、よろしくお願いします。」「 あっ、どうも、お久しぶりです。 ○○くん、元気ですか?」「 はい、元気です。 この度、妹もお願いしようと思いまして。」2年前の卒業生のお母さんが、妹を連れて来てくれました。「 勉強の方はどうですか、 妹さん?」「 はい、計算は○○教室に行っているので、 とても速く、正確にできるんですが、文章問題になると・・・。」「 そうですかぁ。 では、うちの授業、 妹さんにピッタリかもしれませんね。 うちの授業は・・・。」と説明しようとしたところ、「 そうですよね。 ここは、最終的に、文章問題が解けるようになる。 『考える力を育てる』ことを中心に、授業してくださるんですよね。 兄を通わせていただいたときも、高校に進学してからも、 ずっと彼は言っています。 『考える力が大切なんだ』って。 先生、妹も、よろしくお願いします。」「 いえいえ、こちらこそよろしくお願いします。」とてもうれしかった。 僕はこの校舎に来て、4年目。それまでやってきたことが、地域に浸透してきた手応えを感じ取れる言葉でした。今回、苦労して考えたチラシは、今まで自分たちがやってきたことを、裏づけする効果があったのかもしれません。もし、集客、利益にこだわったチラシであったら、逆に、親御さんを混乱させる結果になったかも・・・。今回のチラシ、方向性はこれで良かったんだ。チラシ作り、少し自信がつきました。
2007.07.24
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卒業旅行当時、僕は就職は決まっていなかった。自分が何をしたいのか真剣に考えずに、その答えが出せないのに、仕事を選ぶことができなかった。実家に帰り、コンビニでバイトすることだけ決まっていた。自分がこだわり、選んだ道だが、どうしても自分が情けなく思え、自分を責めてしまう。あの頃の僕は、そんな自分から抜け出そうともがいていた。すると、お父さん、にっこり笑いながら、話してくれた。「 つばさくん、僕は、デタラメな先生です。 決してお手本にされるような先生じゃありません。 でもね、子どもにとっては、必要なんですよ。 学校には、いろんな先生がいるべきです。 もし、学校に、いかにもって感じの先生ばかりだったら、 子どもは社会というものを学べません。 学校を卒業し、社会へ出ていけば、 世の中、いろんな人がいるんです。 社会へ出るということは、生きていくということです。 だから、学校に、いろんな先生がいるということは、 子どもが、生きていくことを、学ぶことができるということ。 つばさくん、就職する人にも、 いろんな人がいていいんじゃないかな? 就職活動を必死にする人、大学院へ進学する人、 海外へ留学する人、 実家に戻り、バイトをしながら自分を見つめる人。 つばさくん、それでいいんだよ。」この話を聞いた5人のうち、ケンちゃん、僕、FRの3人が、教育の現場を自分の仕事に選んだ。僕らにとって、彼は、友人のお父さんであり、間違いなく「先生」だった。先生!あなたの「教え」は僕らの中で生きています。これからの僕らの「先生ぶり」を、しっかりと見ていてくださいね。
2007.07.23
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「 ケンちゃん、お父さんの体の調子はどう?」ケンちゃんのお父さんは高校の先生である。そしてケンちゃんも高校の先生をやっている。お父さんは、癌を患っていた。 胃の摘出手術も受けていた。「 うん、そのことなんだけどね・・・。 親父、5月に、亡くなった。 でもね、本当に頑張ったと思う。 癌が発覚してから、3年。 あの人は本当に頑張った。 去年の9月ごろ、もう声もろくに出ない状態なのに、 仕事してた。 先生やってた。 『 進路指導、生徒の進路指導しないと!』って、 11月まで、必死で先生やってた。 本当にすごい人だった。」僕たちは全員、言葉を失った。僕たちは、10年前、大学の卒業旅行として、僕とケンちゃんの地元広島を旅した。ケンちゃんの実家に2泊、僕の実家に1泊した。ケンちゃんの実家での滞在。お父さんと酒を飲みながら、いろんな話をした。みんな、あの日のことを考えていたに違いない。こみ上げてくる。 あの日のことと共に、涙がこみ上げてくる。でも、涙を流すわけにはいかなかった。お父さんのことを、涙をこらえながら、凛とした顔で話すケンちゃんの前では。「 ケンちゃん、みんなでケンちゃんの実家にお邪魔した日。 あの時、お父さんが言ってくれたこと。 覚えてる?」「 うん、覚えてるよ。 幼いときから、何度も聞かされた。 その話をみんなにしているのを見ていて、 なんだかとてもうれしかった。」そう、僕らはあの日、大切なことを、お父さんから教わった。つづく・・・。
2007.07.23
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昨日、大学の友人5人が集まった。 前回の記事で紹介したFR、大学時代からのバンド、FromT.H.の相方T、入学式、隣の席で、初対面でビビッときた、親友J、大学受験旅行のときの宿で知り合い、同じ大学、同じ学科、同じクラス、そして同じ故郷(広島)のケンちゃん。僕らは大学を卒業して、もう10年になる。その間、留学、結婚、息子誕生、娘誕生、それぞれ、いろんなことがあった。それぞれ家庭があるので、なかなか男だけで集まるという機会はなかった。集まった店は名古屋のオフィス街にある料理屋で、その店は、親友Jの高校の同級生Yくん(家の奥さんも同じ高校で同級生)が去年オープンした店。Yくんは大学時代、親友Jの紹介で、仲良くなった。この店、もうすでにちょっと有名らしい。この前、あの「スター」も来店したとか・・・。すばらしい料理の数々だった。まぁ、大学時代からそうだったが、Yくんは「できる男」なのだ。最高に、ごきげんな環境で、久しぶりに集まった5人。話も弾み、あっという間の5時間だった。その中で、僕たち5人にとっては、忘れることなんてできない、とても大切な人の話になる。そして、その話は、僕たち5人の胸に深く、深く、刻まれることとなる。つづく・・・。
2007.07.23
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彼の根元に近付くこと。それが全てだと思った。「誉める」とか「叱る」とかいった表面的なものではなく、彼の心の中に入り込むために、必死に訴えかける。そんなことを繰り返す毎日。ビュンッ! ペシッ! イタタタタタッ!またかぁ~。 まだ、届かないかぁ~。僕が精神的に凹みそうになることも、よくあった。お父さんの話、お母さんの話、学校の先生の話、同級生の話。いろんな人の気持ちを話した。そんな日々が続いた。ある日の休憩時間、僕の気持ち、彼の将来の話をした。「 なぁ、先生、会う度に、お前に説教みたいな話しとるよな。 お前も聞くの大変だと思うけど、 お前のことが嫌いだからだと思うか? もし、そうなら、こんなに何回も話せないよ。 お前の将来を考えると、どうしても放っておけない。 このままだと、だんだん、 人に相手にされなくなっていくかもしれない。 そんなお前を放っておけない。 だから、何回でも話すよ。 お前に届くまで何回も。」僕は椅子に座り、彼は僕の前に立って話を聞いている。あれ? 「はい!」が聞こえない・・・。「 どうした?」僕は彼の顔を見上げた。 な、な、泣いている!涙を流している! 「 ごめん、先生、言い過ぎたか?」 「いえ、情けなくって・・・。 自分が。」 と、と、届いた!根元が少し動いた!やった、ヤッターー!僕も涙が零れ落ちる寸前でした。「 おぉ~、情けないかぁ、そっか、そっかぁ。 それがあれば大丈夫だぞ。 それに気づけば、もう大丈夫だぞぉ。 その気持ちを大事に頑張れば、 情けない自分じゃなくなるぞ! よし! 休憩、おしまい! 頑張るぞ!」「 はい!」これが僕の耳にした、彼の最初の、本当の「はい!」でした。休憩後の授業は数学。難しい文章問題3問。解いちゃいました、彼。完璧に、解いちゃいました。鳥肌が立ちました。塾講師になって、最高に感動した瞬間でした。彼の根元は動き始めました。もう、彼の定規の方向は、暗い未来の方向ではない。もう、ビュンッと戻る定規でなくなるのも、時間の問題だと、そのとき感じた。今でもまだ、僕と彼の物語は続いている。明るい未来の物語は続いている。また、そのときが来たら、書いてみよう。それまで、僕と彼も、もっと頑張らなくちゃ!みなさん、それでは、またの機会に・・・^^。
2007.07.21
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誰かに、何か、質問されると、とりあえず、「 はい! 」と答える。そのとき、相手にどんな印象を与えるか、話の前後関係のつじつま、そういった、先のことを全く考えていない、「 はい! 」なのだ。しかも、本人からは悪気は感じられない。彼にとっては、悪気などなく、日常の中で繰り返される、ごく普通の行動なのだ。が、「悪気はないんだ」で済むほど、世の中甘くない!今はまだ、「幼いから」で済むこともあるだろうが、歳を重ねる度にそれは減少し、彼はいずれ相手にされなくなってしまう。「ゆっくり時間をかけていけばいい。」といった、のんきなことを言っている場合じゃなかった。彼のことを考えると、とてつもない危機感に襲われた。わからないなら、その都度、その都度、教えるしかない!授業中にそれをし過ぎると、授業が進まないので、ほどほどに、授業終了後に、彼を残して、30分くらい話すことにした。しかし、彼の頭は、超・カチカチだった。もう、「ごく普通の日常の行動」以外のことは、全く受け入れられない。そのときの彼と話していると、彼は「プラスチックの定規」のようだった。 その定規は、暗い未来の方向に向いている。その定規はとてもいいヤツで、憎めないから、暗い未来に向かっている定規を、放っておくことができない。なんとか、明るい未来の方向に向けようと力を加えるが、手を離すと、ビュンッ! すぐに元に戻ってしまう。ペシッ!イタタタタッ! 元に戻ってきた定規に手をやられた。しかも彼は、プラスチック。 力を加えすぎると、ポキッ! 折れてしまいそう。僕と定規との距離は、知り合って、あまり経ってないから、まだまだ距離がある。未来の方向を決めているのは、定規の根元の方。僕はまだ、先しか触ることができない。先であればあるほど、力を加えると折れやすい。じゃぁ、定規に気づかれないように、徐々に根元の方に近付いていこう。まだ、根元まで、距離はあるけど、話をしながら、ちょっとずつ力を加えながら、近付いて行こう。 僕が彼に対してとり続けた行動は、こんな感じでした。つづく・・・。
2007.07.21
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これは、ある男の子と僕との物語。誤解のないように、述べておきますが、僕は彼が大好きです。 それがあったから、この物語は存在したのです。 彼は、ある年の春、4月にやって来た。入塾の3者面談では、僕の質問に対しても、「はい!」気持ちの良い返事をする。このとき、この返事がとんでもないことへの入り口だったことを、僕は知る由もなかった。 歳の割には、精神的に少し幼いという印象だった。しかし、それは不快なものではなく、彼自身の独特な雰囲気。それについて、お母さんは、「 いつも、癒されます。 」と言っていた。僕も、わかるような気がした。そして、最初の授業。「 はい、じゃぁ、みんな、英語のノート出してぇ~!」彼は、ずっと、僕の顔を見ている。「 英語のノート出してぇ。」・・・・・・・。 無言のまま、じっと僕を見ている。「 忘れたの?」「 はい!」 うん、とても、歯切れの良い、気持ちのいい返事だ!って、歯切れの良さを使う場面じゃないだろぉ~~~~!まぁ、初めてだからな、うん、ソフトに、ソフトに。「 そうかぁ、じゃぁ、今日は、この紙に書いてください。 あと、よく聞いてくれよぉ。 自分が忘れ物をしたとき、元気よく笑顔で 「はい!」は、 あまり反省してないように思われちゃうぞ~。 来週は、必ず、持ってきてくれよ。」このとき、僕は後でやってくる衝撃を、少し予感していたのかもしれません。そして、翌週の授業。「 は~い、先週、言っておいたように、宿題してきたか~? 先生の宿題は、ただやってくるだけじゃダメだって言ったよねぇ。 先生と勉強したことが、自分でできるように勉強する。 それが宿題だって言ったよなぁ? 先週の授業の確認する小テストするよ~。 黒板に問題かくから、答えはノートに書いてねぇ。」また、彼は僕の顔をじっと見ている。も、もしかして・・・。「 あらっ、また忘れたのか?」「 はい!」うっ!ま、また元気よく歯切れの良い返事~!「 先週、先生の言ったこと覚えてる? 2回目だぞ。 1回目は許してもらえても、 2回目からはそうはいかないよ。 すごく残念だ。 次も同じだったら、今度は、本当に怒るよ。 いいね。 この紙に書きな。 さぁ、問題やってみて!」彼は、問題は書いているが、1問もできない。10分たっても、全くできない。「 家で、勉強してきたの?」「 いいえ、してません!」ガビーーン!!しかもまた、歯切れの良い返事じゃねぇかぁー!や、やばい、やばすぎる!自分のこの状況が、自分にどんな影響を及ぼすのか、他人にどんな印象を与えるのか、全くわかっていないんだぁ。幼い、幼すぎるんだ。お母さんも、「癒される」って言ってるし~!やばい、やばすぎる!お母さん!このまま放っておけば、癒されるどころか、悲しい涙を流すことになりますぞ~!!ここから、教師である僕の闘いが始まったのであります。つづく・・・。
2007.07.21
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うちの2歳の娘、最近、いたずらすることが生きがいのようである。どこの家でもそうだと思いますが、体温計や、はさみ、のり、爪切り、耳掻きなど、家の物は、所定の場所というものがある。最近、そういった物を、わざと、違う場所に隠すことに、彼女は必死になっている。所定の場所にないときは、「 さくちゃん、どこにある?」と聞くと、その場所に連れて行ってくれる。そう、僕の愛用の眼鏡も、所定の場所というものがある。そこになかったので、いつものように彼女に聞いてみた。連れて行かれた場所で見たものは・・・ た、た、た、立ってる・・・。し、し、しかも、こころなしか、微妙に歪んでるぞ・・・。笑いまで狙い始めたかぁ。やるな! さくちゃん!
2007.07.20
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そんな妙に気を引かれてしまう看板に、衝撃を受けながら、結婚式会場に着いた。駐車場に車を停め、荷物をもって、正面玄関に向かう。道路の向こうのものが、目に入る。おい、看板!また僕の気を引くつもりなのか、君は!! 喫茶 あぁ、喫茶店ね、うん、うん。 普通、、普通。 最後の1ドル ガガガガガガビーン!な、なぜに最後? もうダメ、死にそ~うって時に、来い!ってことか? なぜにドル?ここは、思いっきり日本よ。 円じゃないの?ん? 日本に来られた外国人の方々専用喫茶店?? ものすんごい、気になりました。もうすこし、時間があれば、行けたのになぁ~。その地域にもう1度行く機会があれば、必ずや、行ってみたいと思う、2店でございました。
2007.07.20
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毎日、中学生に接していて、よく自分の中学生時代を思い出す。僕にも、反抗期、ありました。反抗する対象は、母親でありました。なぜ、母親と口論になったのか、よく覚えていませんが、ひどいことを母親に言ってしまったこと、はっきり覚えています。僕が中2のころです。「 なんだぁ、このクソババァ~~!」家が揺れてしまうような大きな声で怒鳴りました。バシッ!母親は右手で僕の左頬を平手打ち!彼女の指が、鼻にもかかり、僕の鼻から血がたら~り。「 なにすんじゃぁ、ボケェ~! 鼻血が出ただろうがぁ~!」と言おうと母親の顔を見た瞬間、何も言えなくなりました。顔は真っ赤になり、間違いなく怒っているのに、何かに必死に耐えているような母親の目から、涙がポロポロと流れ落ちているのです。もう、自分の言い分なんて、どうでもよくなりました。もう2度と、こんな顔に、母親をさせてはいけない。そう、思いました。あのとき、涙を流しながらでも、必死で僕を叱ってくれた母親の気持ち。今、痛いほどわかります。あのとき、痛かったのは、鼻血を流した僕ではなく、涙を流した母親でした。 来週からの3者面談。そんな必死で子どもを育てているお母さんの心の涙。僕の面談で、拭えるだろうか?その、かけがえのない涙に、生徒は気づくだろうか?頑張ろう!
2007.07.18
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前回のつづき、制服必要派、不必要派の意見がまさに、自由な世界を象徴していると思う。自由な世界。それは、誰かに命令されるのではなく、自分の考えで行動(選択)できる世界。個人として、尊重される世界。だから、その中での自分の行動(選択)には、自分が責任を負わなければならない、厳しい世界。あの討論会での双方の意見。自由な世界のすばらしさに憧れつつも、その厳しさに少しおびえている。それが思春期なんだろう。僕の仕事は、勉強を通して、自由な世界の厳しさを伝え、なおかつ、その世界への憧れを持たせ続けることだと思う。僕自身も、これから、どんな「厳しさ」が来ようとも、思春期のころに抱いた「憧れ」を持ち続けた人間であること。昨日、塾生が発した言葉から、考えさせられた。
2007.07.17
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おでこアツアツくんに勝利!さくら太鼓、復活!! 「 先生、大人っていいよなぁ~、 自由で。 髪型だって自由。 車があれば、遊びに行く所も自由。 何でも自由で、いいよなぁ~。」確かに、僕も中学生の頃、同じことを思った。少し、中学生時代のあることを思い出した。そのことについて今日は書いてみよう。 僕は、中2の2学期から、中3の2学期まで、生徒会長を務めた。( 塾生は信じてくれないけど・・・ )毎年、各中学校の生徒会長が集まり、討論会が開かれる。(確か、20数名だったと思います)もちろん、僕も出席しました。その議題が、「 中学生に、制服は必要か、必要でないか?」必要派の意見はこう。制服があれば、毎日、服を選ばなくてもよい。制服があれば、着ているものは、みんな同じだから、比べられる心配がない。制服を着ていれば、中学生とわかりやすい。 不必要派の意見はこう。中学生だって、それぞれ個性というものがある。制服では、個性が表現できない。服装を自由にすれば、制服のような服も、その自由に含まれるのだから、今の制服が好きな人はそれを着ればよい。 こんな感じだったと思います。この両方の意見、今考えると、よくわかります。子どもから、大人への途中の思春期というものが。つづく・・・。
2007.07.16
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しぶとい!このやろ~!下がるどころか、上がっとるやんけぇ~!咽のイガイガくんは、やっつけました。鼻のズルズルくんは、あともう少しやな。しかし、おでこアツアツくんが、しぶとい!ヤツをやっつけるために、今から頑張ります!中2のみなさん、夜の授業までには、勝負をつけちゃります、絶対!
2007.07.16
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今日は、1泊2日で、大学の友人Tの家族とうちの家族で、山奥のログハウスに行く予定でした。なんでも、Tの嫁さんYちゃん、彼女も大学の友人であり、家の奥さんとも、大学時代からの友人。つまり、4人は大学の同級生。そのYちゃんのお父さんが建てたログハウスに行く予定だったのです。が、台風!!二家族合わせて4人の子どももいるので、危ないということで、T家で焼肉パーティに変更だったのが・・・。 晴れとるやん! 台風もうおらんやん!もしかして、今からでも行ける? いや、いやいやいやいやいやいやいや!川の増水、土砂崩れ、いや危険がまだまだある!安全第一じゃ!っておいおいおいおいおい、なんだ・・・?。咽が少し痛い。 体が少しだるい。 まぶたが少し熱い。一応、確認しとった方がいいよなぁ~?体温計! 37.2度! 微妙~~~~!子どもも奥さんも楽しみにしていたので、T家での焼肉パーティ、今から行ってきます。ビールで、な・お・し・マスッ!J先生!( 彼女は僕の大学時代のスペイン語の先生で、 僕や、奥さんの相談にいつものってくれ、 良きアドバイスをいただいてます。)決して、無理なんかじゃないッス!仕事でも、無理はしてないッスよ~~~!行ってきま~す^^。
2007.07.15
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僕が塾講師になって、ずっと違和感をもち、使えない言葉がある。( これは、「僕自身が」ということ )僕が、塾講師という立場から、生徒に、様々なことを、「教える」。この「教える」という言葉を、自分が生徒に対して使うことに、どうしても違和感がある。何と言えばいいのだろう? 生徒に、様々なことを、「伝える」・「届ける」うん、この表現の方が、僕にとっては、適切なような気がする。そうすると、「教育者」が、「伝育者」!?「教師」が、「伝師」!?う~ん・・・・。学校の先生であろうが、塾講師であろうが、会社員であろうが、家族であろうが、大人に伝える意思があろうが、なかろうが、繊細で、敏感な感覚をもって、子どもは、大人から、様々なことを吸収していく。また、大人側から、伝えたいという意思があっても、なかなか子どもに伝わらないときもある。それならば、大人は、自分そのものが、子どもに伝わっていくことを意識し、また、それが難しいときがあるということを肝に銘じなければならない。塾講師である前に、自分は、そんな大人の一人であること。それをいつも大切にしたいからかもしれない。ただ単に、勉強という教科を教えるだけではなく、それを通して、僕という人間を通して、生きていくうえでの大切な何かを、伝えたい。伝え、育てていく者。僕は、いつも、「伝育者」でありたいのかも・・・。響きが悪いような・・・。
2007.07.14
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ウロコ先生、僕の記事を取り上げていただいて、本当にありがとうございます。歳の差とか、会ったことがあるとか、ないとか、そんなこと関係なく、この世の中で生きている人間として、心が重なること。迷い、悩んでいたのに、何かを探すことに繋がるときもあれば、ふと足を止められ、自分を反省することに繋がるときもある。過去を振り返り、また一歩進むことに繋がることもあれば、まだ見えない未来の道へ、一歩踏み出す勇気に繋がるときもある。本当にブログというツールのすばらしさ、ありがたさを感じます。今までに、僕のブログに訪問していただいた方々、また、僕がお邪魔させていただいたブロガーの方々。これからも、さくら太鼓は、皆さんのブログに度々、お邪魔させていただきますが、どうぞよろしくお願いいたします。
2007.07.14
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「 テスト当日、全教科、全問解答してきなさい! 空欄はなしだぞ~!」毎回、中学生のテスト前に必ず言うこと。これには、2つの意味がある。1 どんなときでも、最後まで諦めない精神をもつこと。2 正解であろうが、不正解であろうが、 未来に繋げるため、自分の考えを残すこと。解答するか、解答しないかの差が、最も明らかに表れるものの中の一つ、英作文。なんとか、英文になっている生徒は、アドバイスのしようがあるが、全く書いていない生徒は・・・。全く書けないことにおいて、問題なのは、本当に、全くわかっていないのかということ。僕は、そうとは限らないと思う。どの部分がわかって、どの部分がわからないのか、本人がわかっていないから、書けないのだ。だから、それをわかるようにしてあげれば、書けるようになる。頭の中で、日本文を分析し、それを英文に直していくプロセスをできるだけ細かく描き出させる。そういう指導に力を入れてみた。英文そのものを書くことよりも、むしろ、そこまでのプロセスを描き出させる指導の方に力を注いでみた。簡単に言うと、日本文を、英語の世界の中で分析すること。言い換えれば、常に、5文型という英語の世界の中で徹底的に日本語を考えさせることだろうか。今、英作文の問題で、手の動かない生徒はいない。アドバイスのしようがない生徒もいない。特に、現在の中2に関しては、国語の成績にもその成果が表れるようになった。つばさ塾では、どんなときでも、これを大切にしていこう。どんなときでも、忘れないようにしよう。
2007.07.12
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「 国語、勉強したか?」「 はい、頑張りました。」「 何を頑張った?」「 漢字を頑張りました。」「 そうかぁ。 何問中、何問正解だった?」「 20問中、12問です。」「 え? それで頑張ったのか? 結果に満足してるのか?」「 いいえ、満足していません。」「 じゃぁ、どれくらい漢字を勉強したの?」「 テスト範囲を1回ずつ書きました。」「・・・・・・・・・。 じゃぁ、1回書いて、 どれくらいできるようになったのか、試したのか?」「 いいえ、してません。」「 ちょっと待て! お前は本当に成績を上げたいと思ってるのか? 自分が本当に努力して、苦労したのなら、 その結果、どれくらいできるようになったか試したくなるだろ? テスト前日までに、それを確かめたくなるはずだろ? お前の「頑張った」は、「頑張った」じゃない! お前はそれでも受験生かぁ~~~!」期末テストを終えた、中3の生徒との会話。成績を上げるということは、自分の限界を超えるということ。余力を残していては、限界は超えられない。「 もう、これ以上は無理かも・・・」 と感じた、そこから、ほんの少しでもいいから、努力を継続すること。それが限界を超えるということであり、次からその限界は、限界ではなくなる。余力を残したままじゃ、同じ限界の円の中を、ぐるぐる回り続け、100年経ってもそこから抜け出せない。成績は変わらない。自分は変わらない。受験勉強を通して、わかって欲しい。
2007.07.12
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今から、15ヶ月前の4月。僕と、もちざくらと、2人で運営するこの校舎。その当時の生徒数、17名。その後校舎をどう運営していくか、いろいろと話合った。そこで、強く二人で誓ったこと。二人が独立するまでに、必ず、この校舎の生徒数を50名以上にすること。それからは、何て言うんだろうか?意見が合うときも、衝突するときも、僕が落ち込んでいるときも、彼が落ち込んでいるときも。それを解決するために、確かに大変なことは結構あった。退塾者が続いたとき、目先の利益に、軸がぶれそうになるときもあった。しかし、その度に自分たちの軸を確認することに繋がり、その軸が強く、太くなったように思う。そういえば、あれから退塾者は出ていない。二人で誓ってから、1年3ヵ月。先週の金・土曜日に、夏期講習チラシを撒いた。目標達成!! 自分で目標をしっかりと持てば、それは、自分にとって、偉大な教育者になる。とても大切なことを、再確認できた、1年3ヵ月だった。
2007.07.11
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昨日、卒業生Yのことが、ふと気になり、電話をかけた。 Yは中1から中3まで、うちの塾に通い、今は高校生、僕の教え子である。僕が塾講師になろうと、いろんな塾を回って、就職活動をしていたとき、一つ、不安なことがあった。それは、今時の中学生って、どんな感じなんだろう?話、合うかなぁ?ということである。 が、そんな心配は無駄だった。 確かに、時代による流行は違う。 でも、毎日、授業で接する中で、人間関係を築くのに、年齢の差など障害ではないということを痛感しました。その生徒の中に、たまに、大人レベルの話ができる子がいます。もちろん、僕との人間的な波長が合うこともあるのでしょうが、そういった子は、卒業した後でも、生徒と先生ではなく、友人としての人間関係を続けることができます。Yはそんな教え子の中の一人です。ある日、高校生活の悩みをYに打ち明けられました。Yはある壁を感じていたようです。その壁を本当は乗り越えたいのだけど、乗り越えられない自分に、自信がなくなっていたようでした。未来をしかっりと見ること。その未来に向かうために、今ある現実の壁から、逃げちゃダメだってこと。Yなら、必ず、乗り越えられるということ。必死になって、話をしました。教え子というより、友人としての方が強かったと思います。それから、しばらくして電話したのです。「 どう、 最近は ? ふと気になってな?」「 まぁまぁですよ。」おおおおお!! こ、こ、声が明るい!少し自信のついた声!「 おお! いいじゃないかぁ。 声でわかるよぉ~! そっか、そっかぁ。 また、何かあったら、なくてもいいけど、連絡してこいよぉ~!」「 はい、ありがとうございました。」塾講師やってて、本当によかったと思える瞬間でした。Yとお酒を飲みながら、昔の話をするのが、本当に待ち遠しく思います。Y! 待っとるでぇ~!
2007.07.09
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最近、家の娘(2歳6ヶ月)のわがまま、だだっこぶりが凄まじい。しかも、泣くか、喚く、とにかく声がでかい。女の子だから、そのでかい声も高くて、耳がキンキンする。弟(4ヶ月)ができて、ヤキモチを焼くのはわかるが、とにかく声がでかい。(僕に似たんだろうか・・・)塾で「生徒育て」と格闘し、家では「子育て」に格闘である。 負けんもんねぇ~~~~~!頑張って、育てちゃるぅ~~~~! っていうか、僕が大人として、親として、育ててもらってるような気がする・・・。
2007.07.07
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「成長する」って、どういうことなんだろう?(僕の人生において)最近よく考えることである。僕の中では、あるものとあるもののバランスによって、成されるのだと思う。一つは、自分らしさ。「成長する」って、誰かが、別の誰かに変わってしまうことじゃない。自分より優れている人を、ただ、コピーして、それで終わりじゃない。そこには、必ず、自分という存在があり、そういう自分に自信をもつこと。世の中に、自分という存在は、一つしかないという、心の証。それが自分らしさ。 もう一つは、柔軟性。自分の中にないものを、他から取り入れること。自分の殻だけに、閉じこもっていては、度々訪れる壁を、越えることはできない。自分の殻の外に足を踏み出し、そこで何かを吸収する勇気。壁の向こうにある、人生の真実に立ち向かう心意気。それが柔軟性。 これら2つを失うことなく、かつ、バランスを維持できて、初めて、「成長する」 ことができるんじゃないかと考えた。そんな最近でありました・・・。
2007.07.07
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人を好きになることは、とっても大切なこと。中学生にもなれば、好きな人がいて当たり前です。僕も、中学生のとき、いましたよ、好きな人。好きな人と会いたい。好きな人とできるだけ長くいたい。好きな人とできるだけ長く話したい。好きな人と、携帯でメールをしたい。どれも、自然で、すばらしい感情だと思います。でも、ちょっとだけでいいから、これからの話を聞いて。受験生が、テスト期間中、好きな人とのことで、しなければならないテスト勉強が、おろそかになってしまうこと。これは、「 好きだから 」で済むことだろうか?もし君が、そうなったら、君を大切に思う、親さんや兄弟・姉妹は、君の好きな人のせいだと思うよ。君の好きな人が、悪く思われちゃうんだよ。逆に君の好きな人の両親や、兄弟・姉妹も同じような感情を抱くでしょう。それを君の好きな人が喜ぶと思うかなぁ?もし君が、しなければならない受験勉強をせずに、志望校不合格になってしまうことを、君の好きな人が望むだろうか?好きな人が不合格になることを、君も望みはしないでしょ?本当に人を好きになることって、その人を大切に思うことじゃないかな?受験生にとって、それは、お互いのやるべき勉強をすることじゃないかな?自分がやるべきことをし、相手のやるべきことを尊重する。それが、人を好きになることであり、好きな人を守るということじゃないかなぁ?僕には、奥さん(好きな人)がいるけど、彼女が幸せになるために、自分のやるべきことを、必死でやってるよ。 彼女を思う気持ちに対して、見返りなんて求めていない。だって、彼女が幸せであれば、僕も幸せだから。君が受験生として、しなければならない勉強をすることは、好きな人を幸せにすることであり、守ること。それが、人を好きになるという、本当の気持ちじゃないかな。 以前から、恋愛に悩む受験生を見ていて、こういう記事を書きたかった。まだまだ、未熟な僕の話に、少しでも耳を貸してくれた方々、ありがとうございました。
2007.07.06
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まず、読書に入る前に、流れを説明します。1 読書する前の自分 ↓2 読書( 普通の作文なら、ここは自分の体験 ) ↓3 読書し終えた自分 ↓4 作文を書く僕が、特に注意している点は、1の自分と、3の自分が変わることを、読む前に意識してもらうことです。そんなに複雑なことを言っているのではありません。読んでいく中での、自分の感情の変化を意識してもらうということ。そのために、心に留まった場面のページ数と、簡単な場面説明(2・3行程度)をメモしてもらいます。そして読むときには、リラックスして、じっくり読むように言います。それは、感情の変化の認識に集中してもらうため。読み終わった生徒は、自分のメモを見ます。すると、「 先生、もう一度、読みたい!」と言うんです。 読む前は、「 こんな分厚い本、読みたくな~い!」って言ってたのに。そして、2回目の読書を始めます。読みながら、今度は、1回目にメモした場面に、自分の感情を付け加えながら、読んでいきます。それを見てみると、1回目より、自分の感情の認識が、明確になっています。国語の問題文を、制限時間内に読むといった、義務的な「読む」ではなく、味わいながら、自分の感情を意識しながら、読む体験をする。そんな感じでしょうか。そして、最後に、そのメモをまとめて、作文にする。もちろん、アドバイスを与えながら、一緒に考えながら、時間をかけて書いてもらいます。子どものころはあまり本を読まなかった人が、大人になると、本を読むようになる。こういった人は結構いると思います。それは、小説ならば、読むことによって、その主人公に自分がなりきれたり、また、ビジネス本であれば、今まで知らなかったことを、読んだ後に、それを仕事に生かせる。そういったメリットがあることを知っているからだと思います。そう、そのメリットを体験すれば、子どもは自分で本を読むようになると思いますが、それまでが、大変なのです。自分の体験を詳しく思い出すこと。それから深く考えること。自分の体験から、何かを学ぶということ。読書感想文に取り組む前、身につけなければならないことは、たくさんあります。そして、それから、読書をし、作文を書くまでは、今回、述べた通り、これまた、それなりのことをしなければならない。その準備をする助けをすることなしに、いきなり読書感想文を子どもに強要するのは、無理なことを押し付けること。反って、子どもは本を読みたくなくなるでしょう。僕の考える、読書感想文攻略の鍵とは、それまでの準備を、時間をかけて整えることです。最後に、あくまでも、この記事内容は、まだまだ、未熟者の僕の考えであり、まだまだ、改善したいと考えております。もっと良いものなれば、また記事に書いてみようと思います。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.07.05
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今回は、高学年編。高学年になると、ある程度、論理的な思考に慣れてきます。すると、やはりそれを生かした作文を書いた方が、能力は向上します。どこで、それを生かすか・・・。それは、作文を書くときではなく、書く前です。中学生になっても、原稿用紙1枚も書けない子がいます。それは、書くことそのものの能力(漢字が書けるといった能力)が足りないからではなく、原稿用紙1枚分しか考えていないから。書く前に、考えることが足りないから、書けないのです。これは、あるテーマを与え、それについての自分の意見を書く、小論文的なものを書かせれば、明らかな差が見えてきます。そのテーマの事柄を知らない子はもちろん、知っていても、自分の頭で、あまり考えたことがない子は、自分の意見そのものがないのです。ないものを書けと言っても、書けるわけがありません。だから、そういった小論文的なものを、いきなり書かせることはしません。深く考えやすいものは、自分の体験したことです。まずは、その体験をよく思い出すという訓練から始めます。それができるようになれば、その体験を今後どう生かしていくかということを考えてもらいます。自分の体験から、学ぶということです。これには、かなりの時間を使っています。それに慣れてくると、小学生(高学年)でも、小論文は書けます。実際、僕の教えている子の中で、小5(現在は小6)のときから、書ける生徒がいます。 ただ、小論文ということをあまり意識させないようにしています。本人は作文を書いているつもりです。が、訓練の結果、自分の体験を深く考え、そこから学び、自分の意見を持つようになる。そうして書いた作文が、結果、小論文にたどり着いた。そういった感じです。このように、何かを体験して、そこから学ぶということを身につければ、体験したことがないことでも、イメージできるようになるわけです。それでやっと、読書感想文に取り組めます。自分のした体験が、読書(本の内容)に変わるわけです。長くなってしまったので、実際の書き方は次回に・・・。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.07.05
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この記事に対して、直接、会って話すよりも、文章の方が伝わりやすいこともあるということと、コメント欄には収まりそうになかったので、僕のブログ記事を利用して、伝えたいと思います。 もちざくらさん、思うように進んでください!5年前に共同経営を始め、ずっと共にやって行くんだと思ってました。しかし、僕達は、それぞれの道を進んで行くという決断をしました。正直、僕の中で、その決断を出すまで、苦しかったです。でも、決断したのは、あなも同じように、いやそれ以上に、悩み、苦しんだのだろう。 確かに、共に歩んだ5年間、とてつもなく貴重な経験、僕にとっては、メリットばかりだった。でも、それより大切なこと。 それは、僕たち、お互いが、自分らしく生きること。僕が思う、あなたらしさは、いつも正直であることだと思います。落ち込んだり、悩んだり、大笑いしたり、怒ったり、寂しがったり、テンションが高すぎて、踊りだしたり。( しかも突然、!)時には、意見の衝突で、言い合いになることもありましたね。でも、どんな時も、あなたは正直だった。今回、悩んでいるあなたの姿も、そういう風に映りました。そうやって、正直に悩んで出した結論。正直に、胸を張って、思うように進めばいいんじゃないでしょうか。やる気をもって入塾してくる生徒も、時には、やる気をなくすことがあります。そんな生徒に、なんとか、やる気を取り戻させようと、いつもあなたは悩み、苦しみ、頑張っているじゃないですか。あなたは、身をもって、頑張ることの大切さを、背中で生徒に教えている!!ですから、初めは、もともと、やる気のある子が集まる塾であっても、いずれは、やる気のない子も、やる気になってしまう塾に、進化していくんじゃないでしょうか。僕たちは、来年からのことを考えると、とても大変ですよね。でも、そのことに対して、頑張っているあなたと働いている今、とても充実し、楽しいです。 頑張るあなたと接することによって、頑張りが子どもに広がり、塾内に、いや、塾外にも広がっていく。あなたを見て、僕がイメージするさくら塾はこんな塾かな。応援してます!!
2007.07.05
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以前の記事で、なぜ子どもは本を読みたがらないのか?ということに対して、文章力(表現力)が乏しいから。 ということを述べました。 もちろん、今も小学生の授業は、文章力の養成を目的とし、作文の授業を主にしています。今月から、夏休みが始まりますが、夏休みの宿題として出される、読書感想文。 生徒に訊いてみると、どうやら、強制ではないようです。提出するかどうかは、自由なんだそうです。(学校によると思いますが・・・)僕が考える、作文論の中では、読書感想文は難しいレベルです。日常の出来事を題材とする作文は、それより簡単です。僕の授業では、簡単なことを継続し、文章力を高めてもらってます。そしてその文章力がある程度までいけば、読書感想文も書けるのです。では、なぜ、読書感想文は難しいか?それは、日常の出来事は、過去、本人が体験したことであるのに対して、読書、つまり本の内容は、子どもからすると、経験したことのないことが多いから。大人は、それまでに様々な経験があるから、体験したことがないことでも、論理的に想像(イメージ)できます。しかし、子どもはそうではありません。ということは、経験が多い子どもの方が、より書けるということになります。ただ、ここに見落としてはいけない問題がある。あくまでも、僕の塾講師の経験測と、そこから生まれる疑問を解決するために、読んだ本の中の話です。小学3年生までは、自分の経験や知識から、想像、イメージを作り出す、論理的思考は難しい。それを求め過ぎると、逆に害になるということです。脳には、それを身につける適正な時期があるそうです。その角度から見ると、小学3年生までは、頭ににある知識を使って、何かを創りだす時期ではなく、その後にくる時期に備えて、様々な生きた体験をする時期なんだそうです。温かい人間関係の中で、たくさんの経験をし、社会のいろんな物事を見ること。そういう時期なんだそうです。それが充実していれば、時期が来たときに、その体験から頭の中が論理的思考に変わっていくそうです。確かに、論理的な授業が通用するのは、5年生以上のように感じます。4年生はその移り変わる途中のように感じます。では小学3年生は読書感想文を書いても、あまり良い結果が得られないということになります。だから、僕は、小学3・4年生に書いてもらう作文は、本人が体験したことに限定しています。それでも、学校に提出しないといけない場合は、お母さんが、お子様の経験があると思われる内容の本を選び、お母さんとお子様が一緒に読み、感想文を書くことをお勧めします。次回は、高学年編で、書き方を紹介します。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。
2007.07.04
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固定観念は罪、先入観は悪楽天の野村監督の言葉。 昨日、テレビをふとつけたとき、彼が言っていた言葉。教育という現場にいる僕には、とても響きました。学ぶということは、自分の中にないものを、自分の中に取り入れ、その前の自分とは、成長した自分になることだと思う。言い換えれば、自分の枠を広げるということ。小さな円が、どんどん大きな円になっていくイメージ。枠は自分の限界であるが、その限界を広げるということ。広げることのできる限界は、限界ではない。「学ぶ」という言葉の本当の意味は、そういう意味なんじゃないかと思う。英語30点から、90点になるはずがないと思い込んでる生徒や先生。だから、その結果、そうなるはずがない。だけど、実際、いるんです、30点から90点になる生徒。このような固定観念は、その人の中で、限界をつくるということ。限界の円を広げようとしないということ。それは、自分に対してでも、他人に対しても、罪だと思う。僕の授業や経営にとっても、とても大切な言葉。あの番組を見て、そんなことを考えた。
2007.07.04
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実は、僕、さくら太鼓と、もちざくら先生は・・・同じ塾を共同経営している同僚なのであります。( もう、知っている人もいると思いますが・・・。 え? もう、みんなご存知? すんません。)そして、来年4月からは、僕は、つばさ塾、もちざくらは、さくら塾を、それぞれ経営していくのであります。(あのぉ~、喧嘩別れとかじゃ、全然ないので、 心配しないでくださいね。)その準備として、お互い、ブログを始めました。今回は、そんな彼との出会いについて。 僕は、25歳の12月、ある塾に就職しました。その塾は当時、バイトの講師から、正社員講師に切り替えようとしていて、その数人目が僕だったと思います。その2ヶ月後、彼は入社してきました。実は、彼の入社面接の日、たまたま、事務所で仕事をしていました。この人が、今度、新しく来る先生かぁ~。歳は近そうだなぁ~。 おもしろそうな人だなぁ~。それが第一印象でした。( 予想、的中! 同い年! メチャクチャおもしろい、特に僕の結婚式・・・。)彼の歓迎会が開かれ、その帰り道での会話。今でも、はっきりと覚えている。「 もちざくら先生! どうして塾の先生に? 今までは、何をされてたんですか? 僕は、大学卒業してから、フリーターやりながら、 自分のやりたいことを見つけようとしてたんですけど、 2年もかかっちゃいました。」「 僕はこれで、転職2回目です。今まで経験した、2つの職業。 両方とも、本当に自分のやりたいことじゃなかったんです。 でも、今回は、そうならないと思います。 僕は、塾の先生、ずっとやりたいと思います。」「 僕も、同じです。ずっと塾講師したいです。 頑張りましょうね。」鮮明に覚えています。 とても、うれしく、元気が出たことを。担当校舎は別だったので、顔を合わせることは少なかったけど、久しぶりに会うと、いろんな話に盛り上がったかな。 あれから、もう8年が過ぎた。でも、あのときの会話の言葉。僕は、ずっと塾の先生やりたいと思います!僕も、ずっと塾講師やりたいです!この気持ちは、今も、お互い、変わらない。 もちざくら先生、続きお願い・・・^^。
2007.07.03
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すぐさま池に走った。池の周りは、背の高い雑草に覆われて、水面がよく見えない。雑草を掻き分けて、見えたのは・・・・。 カモ?あ~~~~~~っ、よかったぁ~~~~~~!しかし、まだ安心するわけにはいかない。すぐに、自販機の方へ走る。その途中、嫁さんの携帯に電話をかけた。「 そっちは、ハァハァ、どうだぁ?」「 ハァ、ハァ、ハァ、ハァ・・・。」「 どうなんだぁ~~~~~?」「 み、み、、見つかったよ。 ハァ、田んぼの奥、奥にいた。」プツッ!プー、プープー・・・・。「 怪我は・・・。もしもし!もしもし! くそっ!」全速力で、奥さんの実家へ走った。残り、50メートルぐらいの距離に来たところで、声が聞こえる。 通り過ぎる自転車のおじいちゃんも、不思議そうに見ている。「 こら~~~! みんながどれだけ心配したかわかるかぁ~! 見てみろ! みんながお前らを探しとったんだぞぉ~! 謝れ! みんなに謝らんかぁ~!!」奥さんのお父さんが、お兄さんの長男(8歳)に雷を落としていた。「 ぐすん、ご、ご、ごめんなさい。 うわぁ~~~~!」彼は、自分が一番年上だから、自分が怒られるのをわかっている。でも、凄まじいおじいちゃんの怒鳴り声と、顔。どんなに頑張っても、涙が止まらない。でも、本当に怒られるべき、反省すべき人間は、僕たち親だった。 子どものすることは、全て親の責任だ。みんなの前で、僕たち親ではなく、8歳の男の子を叱ったのは、お父さんが、その子の将来を1番に考えたからである。3人の子どもたちは、みんな怪我もなく、大丈夫でした。それから、家に入り、宴会再会。 8歳の長男は嫁さんのお父さんから離れている。僕の隣にいる嫁さんのお父さんは、少し寂しそう。「 お~い! もう、おじいちゃん怒ってないから、 こっちにおいでぇ~。いいから、おいで。」僕がそう呼ぶと、彼はおじいちゃんの膝に座った。「 おじいちゃんも、み~んな、お前たちがかわいいんだ。 かわいいから、怒ったんだぞ。 川に落ちてないか? 誰かにさらわれたんじゃないか? じいちゃん、心配しすぎて、心臓が止まりそうだったぞ。 いいか、忘れちゃいかんぞ。 みんな、お前たちが可愛いんだ。」彼は確かにとても怖い人です。しかし、それは全て愛情からくるもの。愛情がいつもあふれ出てる人。この事件に関しても、そうでした。そんな彼の姿を見ると、直接、怒られるより、こたえました。そして自分を責め、反省せずにはいられませんでした。この日集まった全ての人に気を配り、宴会を盛り上げようとしたお父さん。そんな風に、みんなに愛情をいつも注いでいる。その愛情全てが、心配に変わったこの事件。そのとてつもない、愛情、心配、責任。それら全てしょってる彼の背中で、僕は大切なことを教えてもらいました。お父さんは、僕なんか足元にも及ばない、偉大な教育者だ。
2007.07.03
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昨日は、2ヶ月ぶりの日曜休暇。久しぶりに、嫁さんの実家で夕食をご馳走になった。嫁さんのお兄さん家族(奥さん、長男、長女、次男)と嫁さんのいとこ夫婦がお見えでした。それに家の家族(嫁さん、長女、長男)も加わると、大人9人、子ども5人!大宴会が夕方5時半ぐらいから始まったのです。(みなさん、結構、お酒を飲まれます。 特にお兄さんはマジすげぇ~!)久しぶりで、人数も多いので、大盛り上がりだったのですが・・・。ふと気づくと、子どもの姿が見えないんです。「 おい、子どもたちは?」嫁さんに尋ねました。「 外に散歩したいって、言ってたけど・・・。」「 じゃぁ、誰かついて行ったのか?」「・・・・・・・・・・・・・・。」「 おいおい、ちょっと見てきてよ。」嫁さんはすぐに外に出ました。・・・・が、しばらくたっても帰ってきません。想像もしたくもない、嫌な予感と心配が頭の中に・・・。僕も行こうと、腰を上げた瞬間! 「 まだ、帰ってこないじゃないかぁ~! こんなに大人がいるのに、どういうことだぁ~~! バカタレ~、全員探しに行けぇ~!」 嫁さんのお父さんの怒鳴り声と共に、全員出動! 大捜索開始!お兄さんの長男(8歳)、長女(6歳)、家の娘(2歳)の3人で出かけたらしいのです。家の娘は、最近、自販機にハマッているので、そこから歩いて5分くらいのお店に向かいました。嫁さんのお母さんは、原付バイクで、僕を追い越して行きました。田んぼの方へ向かってるようでした。進めば進むほど、心配が募ってきます。途中にある神社も調べました。中に入って、辺りを調べても、気配が感じられせん。引き返そうと振り向いた瞬間! バシャバシャッ!右にある池から、水音が聞こえてきます! ま、ま、ま、まさかぁ~~~!!つづく・・・。
2007.07.02
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自分はどちらかと言うと、羨ましがってた方だと思います。努力しても報われないって思っていただけなのかも知れません。努力が報われないことなんてないんですね。これ読んで、これからは努力しようって思いました。 前回の記事にいただいた、「中2です」さんのコメントです。「中2です」さん、あまりにも、すばらしいことだったので、使わせてもらいました。 ブログを始めてから、ちょうど2ヶ月。来年の準備としての、自分の勉強として始めました。2ヶ月間、できるだけ毎日更新しようと努力しました。使い勝手も全くわからず、手探りでした。最初のころの記事なんか読むと、ただ、文章を書くことに必死になり、読みやすさなど考える余裕がない。そればかり目立つ記事です。(恥ずかしい・・・)(今も、まだまだ下手くそですが・・・。)1つの記事に、3時間、要したときもありました。でも思ってもみませんでした。先生として、最高にうれしい、生徒さん(僕の生徒かどうかは関係ないです)からの、このようなコメント。本当に塾講師やってて良かったと感じます。この記事を見てくれてる生徒諸君! 僕が前回述べたかったのは、まさに、こういうことなんです!僕がブログを始めてからの2ヶ月間。いや、今までの全ての経験がなくては、ブログ記事も書けなかったでしょう。それら全てが、このコメントで報われたのです!!報われるまでの時間は、長いか短いか誰もわからない。だけど、本当に、嬉しいよ!本当に、楽しいよ!また、頑張る元気が出てくるよ!努力してみなよ!
2007.07.01
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