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お酒はほどほどに、気の合う仲間とほろよい程度が一番良い。沢尻エリカ編を選びました。カントリーロードとともに……。でも、人生うまくいかず、色々あって、飲みすぎちゃう時があんだよね。**やっちまったよ のみすぎたよ ほろよいが うらやましい**ざわめきが過ぎ去った後の静寂が好きだ。取り残された孤独感。空間の占有感。始まりへの期待感。私はジョニ黒のオンザロックを煽った。味が麻痺している。今夜は飲みすぎていた。たまにはいいさ。仕事のうさを晴らすことも必要だ。私だって、やられることがあるさ。あの調達次長の奴が2枚舌だとは思ってもみなかった。そう、私は今日、大きな契約をライバル会社にとられて、やけ酒を飲んでいるのだ。煙草に火をつけた。胃袋一杯に煙を吸い込む。一瞬、胃の満腹感が麻痺する。煙が胃の中でアルコールと混じりあって化学反応を起こしている。毒素たっぷりの混濁した気体を体から吐き出した。煙は私の口からゆっくり昇り、私の頭の上でドクロを作り渦巻いている。私はドクロと睨めっこしていた。「パタン」後ろでモップが倒れる音がした。私はその音に驚き、口を閉じてしまった。煙は錨をなくし、解き放たれ、ドクロは部屋を彷徨い始めた。取り残された私は、一人ぽっちだ。そこまで、感傷的にならなくてもいいか。思い直し、もう一服。「ガチャン」、今度はバケツをけっ飛ばす音。振り向くと、若いバーテンダーが床を磨いていた。私はにらみつけた。バーテンダーは愛想笑いをしている。ふと見ると、いつものベテランのバーテンダーがいない。私のジョニ黒の御変りは誰が作ってくれるのだ。おまえなんかに作らせないぞ。またしても、腹立ちさが沸き起こってきた。私は店内を見回すために頭を巡らした。背中で止めたつもりだったが、世界はそのまま回り続けた。やはり、地動説は正しいのだ。私は確信を強めた。あまり回り続けるものだから、私は地球からすべり落ち、床に倒れてしまった。バーテンダーが走り寄ってきた。「大丈夫ですか」私の顔を覗き込んでいる。「そろそろ、看板にしたいのですが」私は床にあぐらをかき、時計を見つめた。1分後に焦点があった。3時を過ぎていた。もちろん午前である。「あれ、閉店は2時だよな」「ええ」すまなさそうに、バーテンダーがうなずいた。「それでか。すまなかった」それで、バーテンダーは私を早く追い出そうと、不用意な音を出していたんだ。私はよろめきながら立ち上がり、出口に向かった。出口近くのテーブルに若い女が一人、うつぶせになっていた。「私の他にもいたのか」「ええ、そちらの方は全く動きそうにないんです」バーテンダーはやるかたなしといった表情だ。「どうするんだい」「しかたないから、そのままです。 始発が動き出す頃には少しは動けるでしょうから」「知り合いなの」「いいえ。でも、慣れていますから」あきらめ顔のバーテンダーを残し、階段を上がろうとしたが、空中に足を浮かせたまま、私は考えた。外に出てもあてが無い。始発まで町を彷徨しかないのだ。もうこれ以上は飲めない。「ねえ君。この女性とご一緒させてもらっていいかね」「えっ」「私も始発まであてが無いんだ」バーテンダーは大きなため息をついたが、顔は笑っていた。「いいですよ。毛布を持ってきましょうか」「そうだな。私はいいが、このご婦人にかけてやってもらえるかな。 どこの誰か知らないが、彼女のお陰で、私も暖がとれるのだから」バーテンダーは奥に行って、毛布を持ってきた。それを女性にかける時に女性が少しうわごとを言ったが、起きはしなかった。私はその女性の悪態を見ながら、椅子に腰掛けた。座ると、地球が早く回り出す。そのまま、テーブルにうつぶせようとも思ったが、煙草で気付けをすることにした。私が煙草に火をつけるのをみて、バーテンダーが灰皿を持ってきてくれた。「すまない」「いいえ。ジョニ黒のオンザロックを作りましょうか」「ああ、お願いするよ。ちょっと、濃い目を頼む。寝酒にするから」そう答えたが、新しいグラスを見る前に私は意識を失っていた。 サントリー ほろよい 12種アソート 350ml 12種×各2本 1ケース(1個口は3ケース迄です)
2021.02.28
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天孫瓊瓊杵尊が降り立ったという伝承が残る、もう一つの土地。宮崎県の高千穂峡の散策が上記である。1983年4月7日 曇り ⇒ 雨6:10、(起床)嫌な夢で目が覚めた。6時前である。もう一度目を閉じようと思ったが、思い切って体を起こした。国見ケ丘に行かなければ。朝方はまだ雨は降っていなかった。しかし、雲が重く垂れこめ、眺めがいまいちであった。遠く阿蘇の外輪山もかすんで見えた。朝食の後、高千穂線の日本一高い鉄橋を歩いて渡る。どこかの2人(あまり情報を聞き出す暇がなかった)と高千穂峡へ。雨が降っていてボートには乗れなかった。10:40、駅。茶店、400円。宮崎へ向かう2人を高千穂の駅で見送った後、茶店で一休み。雨がかなり降ってきた。12:25、天岩戸神社、八百万の神らが裸踊りをしようと決めた洞穴。天岩戸には学術的な言い訳がなされていた。戸は長野の戸隠へ飛んで行ったので、…だって。1:00~2:00、ドライブ後民宿おがたま着 4000円高千穂の林道をドライブした後、民宿おがたまに入る。夜神楽を見たくて、高千穂に連泊した。この時期だけ、観光用として、高千穂神社で行われている。夜8:00から、夜神楽が行われた。演目は、33番中4番で、スサノウ皇子とうずめ(戸を開ける人)の舞。と、もう一つは、夫婦ものであった。とてもよかった。ぜひ11月にも来てみたい。民宿に帰ってから焼酎を飲む。吐いてしまった。 とある。 何だか、人との出会いがあったような、ないような。 出会わせてくださった神様と、雨を降らせて邪魔した神様がいたようだ。 それはさておき。 高千穂YHは今もある。(上図の右下) 高千穂線(廃線になった)の鉄橋の西100mの所にある。 一つ目のキーワード。嫌な夢とある。 さすがに何か検索のしようがない。 ガイドブックに国見ケ丘からの日の出の様子が載っていたのを見て、 秘境探検隊の私は、行ってみようとしたのだと思う。 ただし、天候が優れない。日の出を見れそうにない。 眠気と戦ったようだが、行ってみることにいたようだ。 国見ケ丘は上図の左上にあり、YHから7~8Kmの地点だ。 国道218号線で西側に向かい、五ケ瀬川を渡り、押方簡易郵便局を右折 県道208号線(土生高千穂線)で進む。 道沿いに駐車場があり、南北に展望台があるようだ。これが国見ケ丘からの景色です。上から、展望台1、展望台2、展望台3の景色。雲が出ることも多いようです。雲海の景色も素晴らしいですが、当時の私は、雲海なるものの良さを知っていただろうか。 YHに戻り、朝食をとってから、 高千穂線の高架鉄橋を歩いて渡っている。 当時はまだ、廃線になっていない。電車の来ないのを見計って渡っている。 駅員が許してくれたのかな? 高千穂線は廃線となったが、今は、あまてらす鉄道として、 トロッコにより鉄橋を渡る運行などがされている。 トロッコからの風景など、グーグルマップで見て下さい。 ストリートビューにして視点を変えるのも面白いですよ。 雨が落ちてきそうな中、YHで出会った女性2人と高千穂峡に向かっている。 記述がないので、出会い等が分からない。記憶にも全くない。 想像するに、今回の旅の一つの大目的として、 高千穂峡で女の子とボートに乗ること、があったはずだ。(できたならであるが) 高千穂峡のポスターを見て、 ここを訪れた若者なら、誰しも同じ目的を持つだろう。 名前も素性も全く分からない2人の女性もきっと、同じだったと思う。 いいように想像しよう。 誂え向き、2対2の若い男女がYHで出会い、 夕食後の情報交換の場で、次の日、高千穂峡にご一緒しませんかとなり、 おーと、目的がなかうのか? と思ったら、 意地悪な神様が、大雨を降らせた。 高千穂峡には、滝のように水が流れ込む。 水量が増して、ボートの使用が出来なくなったのだろう。 女の子たちは、目的を失い、失意のまま、次の目的地・宮崎に旅立った。 我々も失意? のうちに駅前の茶店で雨宿りをした、ってところかな?天岩戸神社に行く前に、天孫降臨の候補地が2ケ所あることについて、今回の旅では、その2ケ所とも訪れようと考えていた。候補地は、既に登った、鹿児島の霧島にある高千穂の峯と宮崎のここ、高千穂峡である。論争は昔からある。例えば、このHPを参照。日本書紀の表記からすると、鹿児島の霧島が有利と思えるが、ここ高千穂峡も捨てがたい。日向国風土記には、こっちだよと書いてあるそうだ。それに、高千穂神社の近くには、天照大神が御隠れになった天岩戸と呼ばれる洞窟があったり、隠れた天照大神を引き出そうと神々が相談した天安河原(あまのやすがわら)があったりする。ただ、天照大神や神々は、確か天上界の高天原に住んでいたと思うのだが、いつ、地上界に降臨されたのだろうと、悩んでしまう。それに、開け放った天岩戸の戸は戸隠まで飛んで行っているし、悩ましい。 天岩戸神社の場所はYHから東側で、8Kmの地点。 地図では右側に出てしまう。 YH前の県道237号線で東に向かい、川を越えて、 県道204号線(下野鹿狩戸線)に乗り換え、そのまま行けばよい。 天岩戸神社に行ってみると、 雨上がりで靄がかかっていたと覚えている。 人の少なく、神秘的な趣がある。 山伏姿の人が「祟りじゃあ」と叫びながら出てきそうなスポットだ。 「おがたま」とは神社などの神域で植栽されている木の名前だそうだ。 『民宿おがたま』は、高千穂神社のそばにある。 夜神楽を見たくて、連泊した。 電話番号から、今は御宿まがたまと呼んでいるようだ。 人気の宿のようで、検索のヒット件数も多い。 高千穂峡までも1Km以内だ。 民宿に早めに入っている。 何も記載はされていないが、近場を歩いて散策したのだろうか。 夕食後に歩いて高千穂神社に行って、夜神楽を見た。 日本の伝統芸術に生で接するのは初めてだった。 今までの辛辣な感想に比べると、 本人は素直に感動したようだ。にしても、勉強不足だな。うずめは戸を開けた人ではなく、戸の前で日本初の裸踊りをした人であり、戸を開けたのは手力雄命(たぢからおのみこと)である。 ここでやめとけばよかったのだが、 せっかく民宿に泊まったからだろうか、 焼酎を買い求めて、吐くまで飲んでいる。 私は酒に弱いわけではない。余程飲んだのか。うまかったのか。男2人で、何故? つづく。名入れギフト彫刻 名入れ焼酎サーバー 美濃焼 うでい+本格焼酎 高千穂【麦900ml25度】セット【名前入り・名入れ】 名入れ 送料無料 【シミュレーション】 母の日 父の日 最短
2021.02.28
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春になると、新入社員が入ってくる。毎年毎年、職場が華やぐものだ。マドンナなんて、ちょっと古臭い言葉なんかで持て囃されたりする。でも、よく考えて見ると、毎年入ってきたら、マドンナの賞味期限は一年ということなのか?そういえば、原田知世がアコーディオンを弾きながらドイツのワイン『マドンナ』のCMに出ていた。**マドンナ**今年もニューフェースが会社に訪れる季節になった。バブルが崩壊した後、女子の新人補給が長らく無かった我が営業第3課にも、今年一人配属されたのだ。見るからに、人から好かれそうなタイプである。美人というよりは、かわいいと呼ぶにふさわしい。優秀というよりは、賢いである。しっかりしているというより、少し間が抜けている。男性社員にとっては、思わず手を差し伸べてしまう女性なのだ。今日は会社から直ぐの小さなスナックを貸し切っての、彼女の歓迎会。7時過ぎには主だったメンバーが揃い、会が始まった。基本的に私は大勢で飲むのは好きでない。一人、ジョニ黒のオン・ザ・ロックを傾けているのが性にあっている。会では先輩風を吹かせて、会場の奥まった席を陣取った。私のテーブルには年配の社員が固まった。それでいい。若者は若者同士うまくやればいいのだ。新人女性の名前は高橋未帆という。司会の男性社員が皆にそう紹介した。乾杯の後、さっそく新人さんの自己紹介だ。私は静かにロックを傾けている。ただし、ジョニ黒ではない。ここではそんな贅沢は言えないのだ。「たかはし、マホです。 私の母親が宝塚かぶれで、 このような名前をつけられました。 完全な名前負けですが……」いつもこのように名前を売り込むのだろう。すると限って、若手の男性から。「そんなことないよ。かわいいよ」と酒の席では声がかかる。彼女はつかみを心得ている。私はアルコールを補給しながら、新人君の屈託の無い笑顔に感心していた。「それでは質問タイムです」司会者はそう言ってからすかさず、「まずは私が代表して、恋人いますか」司会者はそれほど飲んでもいないのにハイテンションである。それが時には羨ましくもある。ひとしきりのどよめきが収まってから。「えー、ご想像にお任せします」と、かわい子ぶる。この時、男性諸氏は『かわいい』と例外なく心の中で思うのだろう。当の私も思わず口元がにやけてしまった。ところが女となると反応は複雑である。この手の話題は自分が収まるところに収まっている人。つまり、結婚している人。恋人がいて幸せな人は暖かい視線を送る。しかし、そうでない人、俗にいうところのお局さんにとってはたまらなく神経を逆なでされるのである。「けっ」そんな捨てセリフが聞こえてきそうだ。我が課にも一人いる。遠山みどり。30才の半ばと思う。私は彼女の入社当時を思い出した。彼女もそのころは今の高橋未帆と同じく、ちやほやされたのである。課のマドンナとして長らく君臨していた。それがいつからか、お局に名前が変わった。気が付けば、そうなっていたようだ。高橋未帆へ質問が次々に浴びせられた。愛のムチと言ったところだろうか。高橋未帆はそれをことごとくかわしていく。当てられるものなら当ててみなさいよ、とでも言わんばかりだ。場の男たちの視線がグングン彼女に引き寄せられていた。私はそんな中、2杯目のロックを傾けながら、お局さんを盗み見た。お局さんは、新人を見ていた。静かな、刺すような視線である。決して浮かれていない。しかし、寂しそうでもない。その視線が不意に、私に向いた。そして動こうとしない。瞬きもなしだ。私はドギマギした。あわてて視線を彷徨わせる。高橋未帆を見て、司会の若者を見て、課長の禿げ頭を見て、昨年結婚した彩ちゃんをみて、こっそり、お局に視線をもどした。そして再びその視線が捕捉されてしまった。ドギマギの2乗だ。(どういう事だ)私は冷静に考えてみようとした。(確かに彼女はお局だ。しかし、社外でみれば美人で通る。 30才半ばだが、見かけはもっと若い。性格もそこそこいいはずだ……。 私は何を言っているのだ。お局を擁護してもしかたないじゃないか。 まてよ、おれは惚れられたのかな)私は落ち着いて視線をお局に戻した。すると彼女はにこやかに笑顔を返してきた。私は益々、訳がわからなくなった。私も独身である。しかし、惚れられる理由が思いつかない。私はトイレに立った。トイレで用を足し、洗面所で顔を洗って、出てきたところにお局がいた。「何をうろたえているんですか」お局に見抜かれていた。「いや、その。 私はこういう雰囲気が、あまり好きじゃないんだ。 こんな場にいると、どうしてか、 一人の世界に浸り、他人の姿を眺めているのが常なんだよ。 皆を眺めていたら、 遠山さんだけ、 静かだったからつい興味を持って見ていたら、 視線が会ってしまったんだ。申し訳ない」「そんなに寂しそうにみえました」「いや、そんな事は言ってないよ」私はまた、うろたえてしまった。「顔にかいていますよ。 私、新人さんを見ていて、昔を思い出していたんです。 私もここで質問攻めされたなって、覚えていますよね質問した人。 その人に責任とって貰おうかなって考えていたんですよ」そう言って彼女は、意味ありげな笑みを残し、元の席に戻っていった。取り残された私は一時呆然としていた。「あっ」私は自分でも驚くような大きな声を出してしまった。その時の司会者、私だった。 MDNA [ マドンナ ]
2021.02.27
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この口コミサイトを過去に遡ると、『めっけもん広場』について書かれた記事があった。私の実家のある紀ノ川市にある。今日はめっけもん広場を紹介したい。「めっけもん」とは、「目を付けた物」⇒「目付け物」⇒「めっけもの」つまり、思いがけなく見つけた物。掘り出し物。という意味だ。JA紀の里の直売所で、地場の農家の持ち込みによる旬の野菜や果物、生花などがそろっている。農家さんの名前が入っている。また、提携している他の地域のJAからの品も出ている。例えば、お正月前後はミカン類だ。温州ミカンはもちろんのこと、きよみ、ネーブル、……。最近は品種改良が盛んで、私の知らない品種が取り揃えられている。昔からという意味では、八朔の産地である。子供の頃によく食べた。関東に来て店で買うと、とても酸っぱい。これは本当の八朔ではない。 両親が生きている頃は 実家で八朔を作っていた。(趣味で売り物ではない) 両親の作る八朔は 中心に蜜がいっぱいだった。 リンゴじゃああるまいし、蜜なんてと言われると思うが、 嘘ではない。 とても甘くて、近所で八朔を作っている農家の方も うちの畑を通る時に実をもいでいく。食べるのはうちの八朔だった。 果物はみかけより、手をかけて味をあげなくてはいけない。 私はいつか、実家に帰り、蜜を持った八朔を作って、 いつか生まれてくる孫に食わせてやりたいと思っている。 八朔のブランドイメージをあげよう! と、八朔好きは思っている。桃の季節も大変だ。近隣に桃の産地、桃山がある。季節になると、廉価版の桃が大量に売られる。その争奪戦が年ごとに大きくなっているように思う。桃農家も多くの品種を植えて、出荷時期を長くする工夫をしているおかげで、7月に入ると、そろそろ並びだす。8月のお盆が最後だったが、近年、お盆まで持たない。でも、おいしいし、安いよ。柿も産地だ。富有柿。いちじくなんかもある。お盆に合わせてスイカも地方から入っている。葡萄もあったな、キューイも苺も、あった。うわ~、よだれが出てきた。野菜も豊富だ。まず、玉ねぎ。大きなネットで買っても、「えっこの値段?」 って安さだ。水ナス。本当の産地は大阪府の泉南で、そこでは泉ナスというが、紀ノ川市界隈でも盛んに作られていて、水ナスとして売られている。 母は、この水なすが大好きである。 ぬか漬けの浅漬けは、これだけでご飯が食べられる。 実をもみながら、さっと水洗いし、手で4等分くらいに割く。 少し、お醤油を垂らして食べると、天にも昇る甘辛さ。 帰省すると、必ず作ってくれる料理に、水ナスの焼きナスがある。 焼きナスと言っても居酒屋で出てくるものと少し違う。 ナスを盾に7~8mm程度の厚さで輪切りにし、 フライパンで両面がしなっとなるくらいまで焼く。 それを、コショウをたっぷり、砂糖を少し、 醤油を適当に入れた出汁に放り込む。 醤油はお好みだが、ナス1個当たり、20ccくらいかな。 いつも目分量だらか……。 ごはんの友だちとして食べるは食べるはである。 これを水ナス以外ですると、水が出てこないので、 醤油の辛さで食べた物じゃない。 やってみてください。お花も季節ものもがお安く買える。高野山のおひざ元であるので、高野槙がいつも置いてある。榊よりも高野槙をお供えする家も多いのかもしれない。お墓参りに行くときに私もお世話になっている。駐車場はとても広い。が、広場の近くの駐車場はすぐにいっぱいになるので、裏手に、大きな駐車場を作った。観光バスでやって来る人たちもいる。はちみつ、農家さんが作った金山寺みそ、お漬物。お菓子や柿の葉寿司など、説明しきれない。やっぱ、一度来てみて、めっけてみて。 焼きナスです。私がつくったものだから見てくれはいまいちだが、味はぴか一。【ふるさと納税】(A001)和歌のめぐみ酒【A】セット 720ml瓶 3種 (南紀の完熟にごり梅酒/龍神の柚子酒/桃山の桃酒)世界一統
2021.02.27
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宮崎県の海岸線を北上し、途中から山手に入り高千穂峡を目指す、それが上記ノート。1983年4月6日 晴れ8:20、えびのYHを出発。9:30、都城通過。10:07、長田峡道沿いにあった。10:50、蜂の巣渓谷。11:10、結局、何も見ていない。徳田が自販機で2回続けてジュースを当てた。11:30、日南ハネムーンin宮崎の時代はすたれたとはいいながらも、まだまだ、アベックが多い。11:40~12:25、鵜戸神社 手形、300円しゃんしゃん馬に乗った花嫁が、お参りに来るという神社。日南海岸の中頃にあり、ながめが素晴らしい。亀石に男は左手、女は右手で石を投げ、入れば望みが叶うということで、皆の幸せを願い挑戦。欠片が入った。小さな幸せ。1:20~2:10、青島パイン、100円。 カツピラフ、700円青島を徳田と2人で1周した。やめときゃよかった。俺たち以外は全てアベックだった。~3:50、男狭穂塚、女狭穂塚。西都原市の古墳は期待外れ!男狭穂塚、女狭穂塚なんか柵の中。木の間隠れに丘を見るだけ。桜がなかったら、人は全くいなかっただろう。妻駅で入場券を買う。120円。右端に入妻を書いてあった。結婚したての女性にあげるのだそうだ。4:30、都万神社日本一の刀と樹齢1200年のクスの木があった。このクスの木、内側が焼けてしまったのに、まだ命がある。(欄外)都万より、高千穂にひた走り、予想通り、時間がかかった。日向市から高千穂峡への道に入った時はすでに日が落ちていた。6:00、日向市通過。ガソリン補給、45L。暗闇の道をフルスピードで飛ばす。7:40、高千穂峡YH到着。着いたとたん、マイクで「おかえり、まっていたよ~」と言われた。 とある。この日は高千穂までの移動日で、 途中で、目についたスポットを拾ってみて行こうという作戦だった。 県道1号線(えみのスカイライン)で小林市へ、 国道221号線で都城市へ行っている。都城は素通りしたようだ。 地図を見て、国道222号線で、日南市に向かったと考えた。 途中で、都城から12Kmの地点に長田峡とある。 検索してみると、コースが違った。県道33号線を通っている。 今回、見覚えのないキーワードが多い。記事を書くのに手間取った。 グーグルマップで見ると、 道からすぐのところに奇麗な渓谷がある。 カッパのオブジェもおいてあるようだ。 もっとも、私たちが行ったときに、カッパはいない。 そこから31Kmの地点に蜂の巣渓谷とある。 県道33号線が、北河内郵便局の当たりで 県道28号線に突き当り、 右折して、1Km以内の所だ。 蜂の巣形状の奇岩でもあるのかと行ってみたが、 キャンプ場やテニス場だけで、 観光としてみるべきスポットがなかったようだ。 そこで、ジュースだけでも買ったら、当たりが2度続いたらしい。本当かよ。永六輔作詞、いずみたく作曲、「フェニックス・ハネムーン」が1967年に作成されている。私の子供頃によくかかっていた。それで、新婚旅行は宮崎というのが流行していた。 私の大学生の頃は、新婚旅行と言えば、 海外旅行でワイハが定番だったような気がする。 それでも、街中はアベックでいっぱいだったのかな。 私の思い込みかな。 閑話休題(深キョンのサーフィン) 鵜戸神社は、日南から海岸線を国道220号線で進み、11Kmの地点。 山幸彦・海幸彦の神話で、 山幸彦の子を宿した豊玉姫が 子供を産んだとされる場所である。 主祭神はその子で、 「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」である。 と、ご由緒に書いてあるので、漢字はそちらで見て下さい。 書けない。 風習のページを見ていただければ、 しゃんしゃん馬のことや、おちちあめのことも記載されている。 問題の亀石他の情報は、こちらのHPへ いやー、アベック受けしそうなアトラクションだなと思える。 鵜戸神社から、国道220号線で北上し、27Kmの地点に青島がある。 写真をみただけでも、ここがパワースポットだと分かる。 女子受けの工夫もされており、縁結びのスポットでもある。 フリーな女子も沢山いるだろうとでも考えて、彷徨いこんだのだろうか 女の子の横にはすでに 男の子もいたということだ。 でも、 とってもきれいな所です。ストリートビューを歩いてみましょう。石碑の右側にあるのが青島です。そっちに向かってGO!人とぶつかってしまいますが、神社のところまで行けますよ。 次は、男狭穂塚・女狭穂塚は、青島から46Kmの地点である。 少し内陸側にあり、宮崎市からルートがたくさんあり、 地図からでは、絞り込めない。 しかたがないので、MapFanで検索した。 それによると、青島から宮崎市ヘは国道220号線で北上し、 市内からは220号線からそのまま219号線で北上を続け、 あっ、なんだ。そのまま、道なりに進むと、西都原古墳群に行きつくのだ。 男狭穂塚・女狭穂塚は、西都原古墳群のすぐ先だ。 男狭穂塚・女狭穂塚は、 高千穂の峯に降り立った瓊瓊杵尊とその妻・木花開耶姫の御陵である。 瓊瓊杵尊の子の一人が、鵜戸神社に出てきた山幸彦である。 宮崎は神話の国である。 神話の人物だがお墓がある。 そのお墓が、天皇家に関係しているものだから、 宮内庁により管理され発掘調査も行われず、 冊で囲っているのだ。 当時、日本の古代の歴史に全く興味のなかった私には、 つまらない場所だったのだろう。 今なら違う思いで見学できたと思う。 仕方がないので、グーグルマップを見ましょう。ところで、男狭穂塚・女狭穂塚の実際の被葬者には諸説あり男狭穂塚は、諸県君牛諸井(もろかたのきみうしもろい)とする説が有力。一方の女狭穂塚は、諸県君牛諸井の娘の仁徳天皇妃・髪長媛だそうです。諸県君牛諸井については、こちらをお読みください。 次に古墳からすぐである。妻駅に行って、入場券を買っている。 駅は今はない。入場券はこのようなものです。 1984年(昭和59年)12月1日に妻線の廃止に伴い廃駅となっている。 おお、我々が行った、1年ちょっと後だ。 次は都万神社。次から次へと、全く覚えのない名前ばかり。 これもすぐ近くだ。国道219号線のすぐ脇にあるので、寄ったのだろう。 調べてみると、ご祭神は木花開耶姫。 じゃあ、夫の瓊瓊杵尊をご祭神とする神社はどこにあるのだろう? 調べてみると、これから向かう高千穂峡の槵觸神社に祭られている。 何だか神話を辿る旅をしていたのだ。 もっとも、当時の私は古代の歴史など興味がない。 もったいないことをしたもんだ。勉強しておけばよかった。しかたがないので、(う~、こればかり)今回もグーグルマップでお楽しみを焼けた楠木や、清酒発祥の地のモニュメントなどがあります。あっ、刀もあった。 都万神社から日向市まで57Km。海岸沿いの国道10号線を北上したようだ。 日向市から高千穂峡までは70Km。1時間40分かかっている。 たぶんだが、海岸線を北上し延岡まで行ったとしたら、延岡経由とあるはず。 ないので、途中から山に入ったと思われる。 門川町で国道368号線に左折し、黒木神社を過ぎたところで、 県道20号線に右折。五ケ瀬川を渡ったところで国道218号線、 神話街道を左折し、川に遡って高千穂峡に向かったと考えられる。 日が暮れ、真っ暗な道をまだかまだかと思いながら、ひた走った記憶がある。 スマホのない時代だ。 どこかの公衆電話から、遅れると電話した記憶がある。 「今どこ」と聞かれ、 「まだ、そんな所」と驚かれた。今夜のお宿は高千穂YHである。つづく。【ふるさと納税】天孫降臨神話・月の神 ワイン5本セット - 赤ワイン(720ml・750ml)4種 白ワイン(375ml)1種 合計5本 極甘口/ほんのり甘口/辛口 お酒 アルコール 地酒 都城産 果実酒 ぶどう酒 葡萄酒 送料無料 AE-2003【宮崎県都城市はふるさと納税二年連続日本一!!】
2021.02.27
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私は昭和生まれ、ショートストーリの中で「女が一人で酒場にいるなんて、って思うのは男のエゴ」なんて台詞を吐かせている。世相を表しているのがCMか。70、80年代、「男は黙って~」というCMがあった。私の同年代の女性の友人は、男女間の差別を示すような話が出ると、すぐに、この言葉を口にしてしかめっ面をしていた。例えば、母親の味を継ぐのは女性の役目。君はぬか床を作っているかい。なんて言おうものなら、あなたがぬか漬け作ればいいじゃない。と反発を食らった。私は草食人間。ぬか漬けも母に教わり作っている。家事も妻と分け合っている。今現在は、りっぱな主夫だ。70、80年代って、男女差別をしていたのかな?私はこのCMが好きだ。「男は、グラスの中に自分だけの小説を書くことができる」シーン1、シーン2、シーン3。ナレーションは森山周一郎?お酒って、やっぱり、一生懸命に働いた人へのご褒美だと思う。だから労働者がたくさん集まるところに、お酒がある。一杯汗を流した後の方が美味し、嬉しいとき、悲しいとき、心が動いたときお酒を飲みたくなる。特に、年の瀬が迫ってくると、人は寂しさを紛らすために、宴会に明け暮れるのだ。**アイリッシュパブ**ここは産業革命の頃の、英国の田舎町。炭鉱夫たちは朝から晩まで、暗い坑道の中を這い蹲りながら石炭を掘り出していた。石炭は水蒸気タービンをまわし、水蒸気タービンは工場の動力源として怒号を上げていた。お陰で、町は石炭を燃やすスモッグと水蒸気タービンの霧とで昼でも暗くどんよりしていた。1日の仕事を終え、炭鉱夫が立ち寄るのはいつものアイリッシュパブだ。洗ったはずの顔には深いしわと染み込んだ石炭の黒が写っている。だが、どの顔もにこやかだ。仕事をやり終えた充実感が、彼らの人生を良き物に仕立て上げている。この店で彼らを待ち受けているのは、馴染みの女でも、優しい家族でもない、それは、クリーミィな泡がうっすらと上に乗った黒いビールだ。そう、それがギネスビール。この時ばかりは黒のシルエットから離れればいいのに、彼らはビールの中にも石炭を持ち込む。味はよく言えば、炭焼きコーヒーのような苦味であり、悪く言えば煤けたようなざらつきがある。しかし、彼らにはこれが極上の飲み物になっている。そんな想像をしながら、私は一口目を口にした。目の前にあるのは、独特の濃い琥珀色の液体。苦味と強いホップの香りを漂わせている。そして何よりもこのクリーミーな泡立ちだ。味は想像以上に上品だ。『煤けたようなざらつき』とは失礼千万だ。誰が言ったのだ。どうしてもビールだと聞くと、喉を潤すためにゴクゴク音をたてて飲むのが醍醐味だと信じていた。デパートの屋上で飛び交っている特大ジョッキに入った生ビールの泡と違い、私が見つめる約5mmの厚さは、ブラウン色の極めの細かな泡であり、時を置いても消えていくことはない。この泡の元が窒素と二酸化炭素の混合ガスだと聞くと、それに抱かれたいと思っていた私は酸欠に陥る前に抜け出した方が良さそうである。泡を通して液体が喉に流れ込んできた。ビール初心者にとっては、この苦味は敬遠したくなるという。人生の達人とまでは言わないが、子供じゃないぞと粋がる輩には、この味は登竜門だ。苦くてもうまいと言わなくてはいけない。でも、幸いにして私は見栄を張らなくても、この味が気に入った。こいつは味わう飲み物だ。この店に入ったのは偶然だった。年の瀬、忘年会シーズンが今年もやってきた。酒好きの私であるが、皆でわいわい飲む酒は性に合わない。2次会を辞退して、早々に仲間と別れた。仲間と反対側に針路を取り、道の角に来るたびに人通りの少ない方へ曲がって、繁華街の端っこにやってきた。もう少しで住宅街に入ってしまうぎりぎりにいた。小さな街灯の下に幅の狭い階段が見えた。近かよって見ると、階段はガーデニング好きのマスターを想像させるプランターが狭い階段をさらにせまくしていた。見上げると、赤のネオン管で彩られた入り口が見えた。『アイリッシュパブ・オ・カロラン』と言う名前を掲げている。呼びにくく、覚えにくい名前だ。それだけに、アイルランドっぽい。私は躊躇せず階段を昇った。口直しのスコッチを飲もうと思ったのだ。私はイギリスとアイルランドを混同していた。地球の裏側の事とはいいながら、後で物を知らないことを恥じた。店の中はまさに、『これがアイリッシュ』という世界だった。正面にカウンターがあり、酒が並んでいる。テーブル席が窓側に乱雑に並んでいる。客たちが勝手にテーブルや椅子のアレンジを変えてしまうからだ。カウンターに沿った、奥の壁に天使が描かれていて、その下に古めかしいピアノが置いてある。時にはライブも開かれるようだ。私が入った日は幸いにライブはなかった。騒がしいのは好まない。客である若者たちがそれぞれのスタイルで楽しんでいる。自分たちを区切る物は何も無いが、それぞれのプライバシーを守られている。不思議な空間だった。後で知ったことだが、このアイリッシュ風の和気あいあいとした雰囲気を現地ではクラックと言うそうだ。ポンと弾けそうな明るさを想像させるが、それが日本に来ると落ち着きが付け加えられる。一瞬、教会の中で酒を飲んでいるのかと勘違いした。各自がカウンターで酒や飲み物を買って、席に持ち運ぶシステムのようだ。私はもう食べものはいらない。とりあえず一杯の酒があればいい。そういえば、どうしていつものようにウィスキーを飲んでいないのだと言うと、それも偶然なのだ。と言うか、私にそれほどの信念が無いということかもしれない。カウンターでウィスキーを頼もうとしたときである。前に並んでいた、2人の若い女の会話が聞こえてきた。「何飲む」「ここにきたら、ギネスをまず飲まなくちゃ」「やっぱりそうよね。そのために来たんだもんね」と、彼らは黒い液体を運んでいった。そこまで言われると、あえてウィスキーと言うのも気が引けた。顔をあげると、アイルランド人と思われるウエイターが怪訝な顔で私を見ていた。注文を促しているのだ。「もちろん、私もそのために来たんだよ」と、意味不明なことを言ってから、「ギネス」と口走っていた。黒い液体を手に持ち窓際の一席を確保した。一つ空けて、仲睦まじいカップルが並んでいる。特にお邪魔虫な感じがしないのが、この店のいいところだ。私は落ち着いて琥珀を味わった。「ふう、酔ったのかな。うまいやこのビール」この表現は浮気をした私の、ウィスキーに対する言い訳が入っている。一杯を時間かけて味わった。そこへ、クリスマスを全身で表現した若者たちが登場し、私の後ろの席に陣取った。社会人1年生の忘年会の2次会と言ったところだ。ごそごそと、椅子と机のアレンジを変え、人で埋まっていく。ギネスを買ってくるもの、つまみを買ってくるもの。あっと言う間に後はパーティ会場にはや変り。そして、私の横の空席には女が座った。ただし、後を向いている。女の耳には一際大きなイヤリングが輝いていた。あまりにも大きいので私が見つめていると、女がそれに気づいて、「ちょっと、そこのを拝借したの」と物落ちもせずに答えてくれる。みると、クリスマスツリーに金色の飾りがたくさんぶら下がっていた。彼女の耳たぶから下がっているものと同じだ。「『帰るとき返していってね』って、マスターに言われちゃいました」陽気さは罪にはならない。まして、かわいい女なら特にだ。2杯目を飲もうかとも思ったが、押され気味の後の若者たちに遠慮して、店を出ることにした。出掛けに耳飾の女が振り向いて会釈してくれた。「似合っているよ。それ」といっている私がいた。追記の蘊蓄ギネスビールはアイルランド生まれである。ビールは大麦を発芽させ、麦芽として醗酵させて作る。これがラガービールだ。麦芽の時に焙煎するとエールビールとなり、やや赤黒い色のビールとなる。ギネスビールは大麦の時に焙煎して作る。このいきさつには色々な話がある。当時麦芽に税金がかけられたことから、税金逃れに大麦を焙煎して作った庶民のビールが始まりだとする逸話。まるで現在の発泡酒と同じだ。単なる失敗作を捨てるのがもったいないので安く売り出したら、大当たりしたと言うのもある。今は確固たる地位を築いている。ギネスビールはアイリッシュパブとセットで日本に輸入された。ちなみに、醗酵の過程で蒸留しアルコール度数を高めたものがウィスキーとなる。だから、ビールを飲んだとしても、それはウィスキーの親戚だった。 なんてね。 キリン ドラフトギネス ビール 瓶 330ml×24本 1ケース 地域限定送料無料
2021.02.26
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高千穂、韓国岳に登っている。それが上記ノートだ。1983年4月5日 晴れ。7:00、起床8:15、YHを出発。8:45、霧島神宮に参拝。9:00、登山。高千穂峰へ。10:10、頂上着。頂上で広島女子大のワンダーフォーゲル部の方々に出会う。また、京都から来たという、ロンリーボーイに出会う。桜島が見え、度々噴火していた。(欄外)高千穂峰は所々に背の低い、ミヤマキリシマが生えているで、あとは、ごろごろの石の地肌が出ていて、非常に登り難くく、落石に注意しなければいけない。10:45下山高千穂の火口を巡ってみた。すりばちの底に、吸い込まれそうな気になる。割れ目から水蒸気が噴出していた。12:20、登山口に戻ってくる。手形、300円。 うどん、350円。うどんを食べていると、店のおっちゃんが、「高千穂もいいが、韓国岳もいいよ」と言ったので、登る気がなかった山に登るはめになった。12:50~3:40、韓国山(から)山頂で再び、ロンリーボーイと出会う。徳田が異常に高所恐怖症であることが分かった。4:25、えびの高原内、露天風呂、100円お湯はすっぱい味がした。男女別々の湯だが、立ち上がれば、お互い丸見えだ。残念ながら? この時は、我々以外、誰も入っていなかった。4:45、えびのYHの場所を確かめた。5:10、小林市へ5:55~6:35、陰陽石ぼぼ。入場料500円説明のおっちゃんの声がいやらしいこと。世界一大きい、男女のシンボルが川の中にそそり立つ。他にも大小のシンボルがいたるところに散在していた。見物客の中に高校生のグループがいた。皆、純情で吾輩の若いころと同じ。一言もしゃべらずに、目を見開き、真っ赤な顔をしていた。 とある。 霧島神宮は、天孫瓊瓊杵尊をご祭神としている。 瓊瓊杵尊は記紀によれば、神様の住む天上界から 地上に降り立った神様で、天照大神の孫にあたる。だから天孫。 降り立った場所は、 「筑紫日向の高千穂の久士流多気(くしふるたけ)に天降(あも)ります」 「日向の襲(そ)の高千穂の峯に天降ります」 と記されている。 それが、霧島神宮の背後に天聳立つ 高千穂峰ということだ。 ご丁寧に、いつだれが建てたかわからないが、 伝承にある、天の逆鉾がある。(Wikiより:現在はレプリカらしい)追記:20210305この逆鉾を坂本龍馬が抜いたという噂があるらしい。その場面のCMを見つけたので添付する。 高千穂峰は1574m。霧島神宮から登りが約1時間半、下りが約1時間だ。 ごろごろの石で埋め尽くされた、階段を登るくらいの斜度の道が続いている。 デッキシューズという、とても軽装で登って大変であった。 落石には要注意だ。幸い、我々の前後には誰もいなかった。すっげー、ストリートビュー的に、高千穂に登っていける。(右クリックで)画面が出たら、矢印がなくても、賀三の上の方をクリックしてみてください。するとその先のポイントに画面が飛び、360度の静止画が見れます。また、その先を押せば、どんどん登っていけます。 頂上にも人は少なく、 広島女子大のワンダーフォーゲル部に女性たちとどういう成り行きか忘れたが、 記念撮影をした。この鳥居の前だった覚えがあるが? 京都の学生も一人で来ていたが、挨拶だけした。そんなものだ。 高千穂の峯は火口より少し先にある。 自分が行った覚えがない。 ワンゲルの女性たちと記念撮影したのに満足して下山したかもしれない。 逆鉾の記述がないし、見た記憶がない。 下山して、高千穂河原ビジターセンター辺りでうどんを食いながら、 「韓国(からくに)岳もいいよ」と勧められた。 進められたら、秘境探検隊としては行かねばならない。 標高差500mほど、所要時間3時間30分とある。 我々は、2時間50分で踏破した。車の移動時間もあるし、実際はもっと少ない? 登山口は普通、えびの高原 足の湯駅となるが、 我々は、車でえびのスカイラインを少し登り、 途中から登山道に入るという御法度を犯した記憶があるような、ないような。 感想も、徳田の高所恐怖症の発覚と、ロンリーボーイとの再会だけである。 今から考えると、ロンリーボーイは尾根伝いにやって来たのかもしれない。 検索すると、縦走するのに6時間かかる。(現在は縦走できないらしい) 時間的にそれは無理そうだ。ノートには記述がないが、グーグルマップで見ると、素晴らしい景色ではないか!写真と地図が開いたら、地図の右下の人型をクリックする。水色の線(ストリートビュー)と水色の〇(360度の静止画見える)を出す。まず、登っていく際、登山口から順に、青い〇をクリックしていく。高千穂と違って、先をクリックしても進まない。右上の×印をクリックし、元の画像に戻って、次の〇印をクリックし進む。頂上では、韓国岳と書かれた横の風船マークをクリックすると、韓国岳の小窓が開く。写真をクリックすると、多数の写真を閲覧できる。 えびの高原にもどって、露天風呂に入っている。 どこか散策してみたが、どうやら、市営の露天風呂があったようだ。 残念ながら、今は閉館している。 オープンな浴場だったかは、今では分からない。 えびのYHに泊まる計画だったようだ。 時間が余ったので、25Km離れた小林市に行っている。 どこかで、巨大な陰陽石の噂を聞いたのだろう。 昔のガイドブックを開いて探してみた。あった。小林駅からバスで20分の浜之瀬公園内にあり、浜ノ瀬川畔に立つ。別名、竜岩、夫婦岩とも呼ばれる。万生産のかいmとして信仰が厚いとある。決して秘宝館ではないようだ。グーグルマップを見て下さい。これも地球のでっぱりや裂け目てある。地球との出会いと言えよう。 高校生Grを見て楽しんでいたようだが、 対して年齢の違う私だ。 横を女性が通り過ぎると、目をそらせていたかもしれない。 その照れが高校生Grの逸話だと思える。YHでのエピソードが全くない。はやり今回は地球との出会いだ。つづく。赤霧島900 黒霧島900 霧島ゴールド720 霧島飲み比べ 3本セット 地域別 送料無料 セット 25度 焼酎 芋 お酒 酒 ギフト プレゼント 飲み比べ 内祝い 誕生日 男性 ホワイトデー お彼岸 就職祝
2021.02.26
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サントリーの社史を見ると、1899年鳥井商店としてスタート。1907年に『赤玉ポートワイン』を発売するとともに、日本で初めてセミヌードのポスターを作った。これは、NHKのドラマ『まっさん』でも示されていました。ポスターのモデルとなった方は、松島栄美子さん『まっさん』では、柳ゆり菜さんが演じている。松島栄美子のWikiの記事を読むと、彼女の人生は波乱万丈、小説になる。その中で、このポスターは重要なカギになる。2日間かけて様々なポーズを写真館で撮影。1年かけて画像処理の技術を磨き、ポスターが完成する。1923年、市中に掲載されると、関東大震災が発生した。1939年には世界大戦が勃発。何もかもが焼け野原になった。鳥井商店は、1921年に寿屋に改名。戦後、寿屋が美術館を立ち上げ、問題のポスターを探したところ、九州の酒屋で発見、サントリー美術館に収蔵される。その後、そのポスターがあるデパートで展示された時である。事件が起きた。「これ私の母ですよ」松島栄美子の息子さんが告げた。そこから、松島栄美子をサントリーの繋がりが再開され、サントリーから赤玉ポートワインが送られるようになったとか。事実は小説より奇なりである。当時のCM(映像版、ラジオCM1、ラジオCM2)残っているんだね。また、ユーチューブにあげているんだね。私のつたない物語は今日はいいかと思うのだが……。**赤ワインにはローストビーフ**下町の洋食屋に入った。酒場を探したのだが見つからなかった。仕事で歩き回って疲れていた。とにかく座って、今日はまず、ビールを飲みたかった。『パリジェンヌ』という小さな看板を潜ると、西洋風を切り取った世界に紛れ込んだ。店内に所狭しと、小さなテーブルとイスが並べられている。私は奥まった1席に落ち着いた。ビールにとっては失礼だが、とりあえずの生ビールを頼んだ。ジョッキを2~3度傾けてから、ソーセージの盛り合わせを注文した。五臓六腑が落ち着いた頃、私と対角の位置に、小柄な老婦人が座っているのに気付いた。彼女と目があった。彼女はニコッと笑って、小さく会釈を返してくれた。私もつられて頷いてしまった。どうやら、私が店に入ってきた時から見られていたようだ。私の騒々しさを楽しんでいたのかも知れない。少し顔が赤面するのを感じた。彼女のテーブルの上には、お皿が2枚乗っていた。夕食時である。それが彼女の夕食なのであろう。大きな皿にはローストビーフのスライスが数枚と温野菜がのっている。小さい皿には、柔らかそうな焼きたてのパンが2個。決して贅沢な食事とは言えない。ただ、赤のグラスワインが彩りを添えていた。彼女はゆっくりとローストビーフを口に運ぶ。ソースがしたたり、皿に戻っていく。受け口の彼女の顔が皿に近づく。魚が餌に食らいつくように最期の動作がパクッと。私は自分が口を開けて、それを眺めていたのに気付いた。彼女がこちらをみて、それでまた、微笑みを送ってきた。幸せそうな笑顔だ。私はちょっとどきまぎした。ときめきに似たものを感じた、しかし、もちろん恋ではない。小さいころに性的な事を親に叱られた時の、恥ずかしさに似たものだった。ジョッキは空になっていた。私はいつものように、ジョニ黒をダブルで頼んだ。ウエイトレスが申し訳なさそうに首を振る。銘柄までは指定出来ないようだ。グラスがやってきた。私はいつのも調子に戻っていく自分に気付いた。落ち着いてきた。私はもう一度、彼女を見た。今度はすごく寂しげに見えた。さっきと同じく微笑んでいるのだが、何故か寂しげに見える。考えてみれば、どうして一人で食べているのだろう。寂しさの原因はこれである。彼女が微笑めば微笑むほど、その微笑みを受けるはずである家族の存在が気になるのだ。扉が開いて、学生風の若者がなだれ込んできた。騒々しさの中に、私と彼女の存在は霞んでいく。学生たちは、多くの皿をテーブルに並べた。スープもそれぞれ別々のものを頼み、回し飲みしている。色々な種類のメイン、色々な種類のデザート、色々な種類のお酒。彼女のテーブルに比べると、華やかさの違いが歴然である。私は彼女を見ていた。彼女は学生たちを見ている。彼女は終始、ニコニコしていた。学生たちの賑やかさを楽しんでいるのだ。ゆっくりとローストビーフを口に運ぶ。グラスワインを喉に通す。パンをちぎって、ローストビーフのソースを少しつけ、口に放り込む。シンプルな上品さの中で、食事が進んでいった。学生たちが豪快な食事を終えるころ、彼女もまた、最期のソースをパンですくっているところだった。学生たちが去り、店内はまた、私と彼女の2人になった。彼女はそっと、席をたち、こちらに最期の会釈をすると店を出て行った。ウィンドウ越しに見える彼女の顔は微笑んでいなかった。彼女のかえる場所が、さも寂しい所なんだと言わんばかりの表情である。彼女にとってはここが家族とのふれあいを感じられる場所かもしれない。そう、この食事の一瞬、ここにいた我々は、彼女の家族だったのだ。とすると、さきほどのときめきは久し振りに会った母親への甘えなのであろうか。何だか、おふくろの声が聞きたくなり、スマホを手にした。「おふくろ、オレ、俺だよ」、「何だい、オレオレ詐欺かい」赤玉スイートワイン・赤・550ml・サントリーakadama SWEET WINE 550ml【wineuki_AKA】
2021.02.25
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ミステリー作家・内田康夫の最後の作品『狐道』の舞台となったのは、JR海南駅から南南西1Kmほどのところにある、藤代神社である。ここは、熊野古道として、本格的に山の中に入っていく「藤代坂」の入口であり、また、この藤代坂は、「家にあれば 笥(け)に盛る飯を 草枕 旅にしされば 椎の葉に盛る」(家にいれば器に盛るご飯を、こういう旅だから 椎の葉に盛ることだ)で有名な有馬皇子が処刑された場所でもある。墓が残されている。 有馬皇子は、孝徳天皇の子であった。 孝徳天皇は646年に難波宮に遷都したが、 それに反対する中大兄皇子は皇族や群臣たちのほとんどを連れて、 飛鳥に戻ってしまった。 孝徳天皇は妻の間人皇女(中大兄皇子の同母妹)にも去られてしまう。 失意のもと、病気になって亡くなってしまう。 子供の有間皇子は「やばい、私は殺される」と思い、 療養と称して牟婁の湯に赴いた。 しばらくして、ほとぼりが冷めたと思い、都に帰ってくる。 そこで、味方と思っていた蘇我赤兄の計略により、 謀反の汚名を着せられた。 そして、藤代の坂で処刑された。何故。藤代坂で処刑されたのか、有間皇子は捕らえられ、牟婁の湯に逗留中だった、中大兄皇子のもとに送られ、処刑が決まり、藤白の坂まで移動し殺されたことになる。何故?***ここから、私の勝手な思い込み***当時、殺した相手からの祟りが怖くて、墓や神社を関係のある場所に祭ることで、安全を祈願することが行われていた。これもそれだけとすると、藤代の場所は有間皇子(孝徳天皇)、中大兄皇子(斉明天皇)に関係した場所?藤白は熊野古道の入口。熊野古道の先には熊野本宮大社がある。両者の利害が関係するものはあるだろうか?ある、紀州鉱山だ。両者の間で、貴金属加工場をどこに作るかでもめたのではないだろうか。当時は朝鮮半島からの使者が多く訪れるようになっていた。孝徳天皇は、難波津の近くに作ることを主張し、難波宮に遷都した。中大兄皇子らは、飛鳥池周辺に作ることを主張し、もどった。孝徳天皇が亡くなって、飛鳥池周辺に作る工事が始まる。貴金属の素材は紀州鉱山から運び込めるように葛城(御所)にいた鴨氏の役行者に葛城24宿のバケツリレー宅急便ルートを整備させる。途中の熊野古道の輸送の安全を願って、敵対していた孝徳天皇の息子・有馬皇子を熊野古道の入口に祭った。藤代は、熊野九十九王子中、最も格の高い五体王子の一つ藤代王子があった。歴代上皇・法皇の熊野詣では、必ず藤代王子に宿泊し、特別な催事が行われた。記録に残っているものとしては、熊野詣が盛んであったのが、平安時代の中ごろからで、延喜7年(907)の宇多法皇以来とされる。つまり、京都に都が移った後である。何故だろう。飛鳥に都があったころの貴金属加工場は飛鳥池周辺だった。平城京に遷ると、早良親王などの有力貴族の屋敷内に飛鳥池での加工場が作られた。貴金属の素材は飛鳥までのルートはあった。そこから奈良盆地に扇状に流れる河川で運んだか、馬車で運んだ。馬もあるし、道(上つ道、中つ道、下つ道)も出来ている。しかし、平安京となると、これまでのルートを使うより、熊野川の河口から船で海岸伝いに紀ノ川の河口まで来ていたものをさらに、大阪湾に入り、難波津まで運び、そこから大和川を遡る。大和川は勾配が紀ノ川よりも緩く、京近くまで船でいけたと思われる。武蔵坊弁慶の出身、熊野水軍が運搬に関与していただろう。水軍の将の一人が藤代鈴木氏だった。ほうら、繋がった。藤代神社は藤代鈴木氏が代々神職を務め、鈴木の姓の発祥の地とされている。近くに鈴木屋敷が残されている。上皇・法皇の宿泊場所として提供されたという。 私が訪れた1997年では、鈴木屋敷は今にも倒壊寸前であったが、 今は復興が進んでいて、まさに2021年復興工事が完成するそうです。それはさておき。熊野詣を一生懸命行った上皇たちと言うと、回数の多い順位後白河上皇、後鳥羽上皇、鳥羽上皇、白河上皇である。彼らの共通点が何かないかと調べると、皆さん、鳥羽離宮に住んでいる。鳥羽離宮は、12世紀から14世紀ごろまで、代々の上皇により使用されていた。白河天皇が譲位後の御所として作り始め、鳥羽上皇の時に完成している。旧鴨川と桂川の合流点付近にあり、山陽道や淀川を経て瀬戸内海に通じた。つまり、紀州鉱山にも通じる。御所の中には近臣の住まい、蔵、武者所、工房などの施設があった。それまでとは別に、上皇の富を得るためだけの工房を作ったとすると、そこで使用する、例えば、貴金属加工の素材を確保しなければならない。熊野参詣は宗教的な意味合いと、貴金属素材の確保という目的があったのだ。 と、このような妄想を抱きながら、 藤代坂から少し熊野古道をストリートビューしてみましょう。 舗装はされているが、道幅がどんどん狭くなっていきます。 進まなくなった辺りで舗装がなくなり、山道となり雰囲気がでてきます。実際は、そのまま進んでいくと、藤代展望台、筆捨松、地蔵峰寺などのスポットを通ります。一人で歩くと心細いですよ。友達を誘いましょう。地蔵峰寺の近くに、御所の芝と呼ばれる展望台があります。日暮れ時の夜景がやけいに奇麗です。【送料無料】ミニほうき&ちりとり2点セット 棕櫚箒 ミニ3玉荒神ほうき 和風ちりとり 柿渋はりみ 小 (ひも付き)チリトリ おしゃれ 静電気が起きない 卓上
2021.02.25
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丸戸が鹿児島市内と指宿を案内してくれた。それが上記ノートだ。1983年4月4日 くもり ⇒ 晴れ昨日は夜中に雷を伴う土砂降りで、今日の天気が危ぶまれたが、どうやら持ちこたえた。9:10、鹿児島市内めぐりに出発。丸戸同乗。まずは、西田橋。5橋のひとつ。どの橋からも他の橋はみえない。橋の一つの石を取り除くと崩れるように作られている。城山からの桜島がきれいだった。10:20、西鹿児島。新しい都市なので、ビルディングもまばらに建っていて、大阪のように、ごちゃごちゃしていない。西鹿児島から49Km地点。指宿、ガソリン補給、8035円。12:30、砂風呂タオル代を入れて、600円。少しでも長く入っていようとしたが、ちょうど昼食前で、砂をかけてくれるおばちゃんが、早く昼安みにしたいらしく、砂をどんどんかけてくれるので、熱くてたまらなんだ。12:45~1:35、長崎鼻。トカラ馬イノブタ(牙のない猪?)、ブタのイメージはない。ウリ坊に牙がないだけ。長崎鼻らか、6Kmの地点。開聞岳。3合目までしか、車で登れない。レストハウスで、昼食、そば定食、700円。手形、350円。山としては低いので、登るというよりは、遠くから見る山である。(2ページ目の欄外)九州各地で日本人の格好をした異人さんがいたが、池田湖では、我々以外は皆、外人であった。3:20、池田湖。ネッシーに対抗したイッシーが住むという湖。また、ここのうなぎはばかでかい。ただし、かば焼きにはできない。5:30、鹿児島。半島の中ごろの林道を彷徨ったあげく、鹿児島に戻ってくる。丸戸をここで降ろし、霧島へ向かった。渋滞していて、かなり時間を食った。7:20、霧島神宮YH 温泉 2600円YHは思っていたところより、20Km離れていた。YHの本は分かりにくい。 とある。丸戸が市内と指宿を案内してくれることになった。 まず、西田橋とあるが、 今はグーグルマップを探してもそれらしきものがない。 あるとすると、昨日の西田温泉から100mのところだ。Wikiより甲突川五石橋(こうつきがわごせっきょう)は、鹿児島市を流れる甲突川にかつて架かっていた石橋群。上流から玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋の順。1993年8月6日の鹿児島大水害により5石橋のうち新上橋と武之橋の2橋が流失し、玉江橋、西田橋、高麗橋の3橋がその後、石橋記念公園に移設保存されている。 とあった。 肥後の石工が作った眼鏡橋を、我々は甲突川にかかっている時に見ている。しかたがないので、石橋記念公園をストリートビューしましょう。(右クリックで)稲荷川を挟んで、3つの橋があるので探してみましょう。橋の下にも潜り込めます。どの石を取ると壊れるか探してみましょう。私には分りません。 次の城山に行った。島津の鶴丸城があった場所だ。 西郷隆盛が西南戦争で立てこもり、最後に自刃した場所でもある。 現在は城山公園として、うっそうとした森になっていて、展望台がある。 展望台から桜島が見えたのだろう。閑話休題数年後、丸戸が結婚する際、私は鹿児島を再訪している。私を含めた同じ講座の仲間4人が城山近隣にある城山観光ホテル(今は城山ホテル鹿児島)に1泊している。式の後、新郎新婦を含めて2次会を行った。居酒屋での飲み会である。新郎新婦以外では、我々4人と、丸戸の親友2名(今回の2人だ)と新婦の友人一人(女性)だ。会のほとんどを丸戸の友人2人が鹿児島弁でまくし立てていた。新婦の友人も同じように豪快に鹿児島弁を操っていた。彼らは全員、同じ高校(城の名前に似た)の卒業生である。仲がいいはずだ。オーバーペースで、丸戸の2人の友人が酔いつぶれて静かになった。後半、新婦の友人が突如標準語で、我々に話しかけてきた。鹿児島から、なんとか脱出を試みていることを熱弁していた。「今度、関東に行くから会いましょう」と半ば強制的に約束させられた。あれ、そういえば、彼女来たっけかな? 西鹿児島駅界隈を見ている。今は鹿児島中央駅と改名されている。 我々が行った頃はまさに、鹿児島の再開発をしていたのだろう。 そして、今は、中心が西鹿児島に映り、改名されて鹿児島中央となった。 航空写真を見ても、全く空き地がない。 薩摩半島の南側、指宿に向かっている。 指宿は砂湯で有名だ。 長く入ろうと本当に抵抗したが、 砂をかける女性が笑いながら、砂をどんどんかけてきたことを覚えている。 長崎鼻が薩摩半島の南端である。 長崎鼻の由来は 「長く先が伸びた鼻」⇒「長先鼻」⇒「長崎鼻」になったという。 ピノキオかウソップの鼻のような岬ということらしい。 ここでもトカラ馬を見たとあるが、 現在は、開聞岳の麓で、長崎鼻側にある 開聞山麓自然公園にいるようだ。 経過時間からみて、開聞岳には車で3合目まで登っただけのよう。 登らなかった言い訳として、 開聞岳は登る山でなく、離れたところから見る山としている。 確かに、形がきれいだ。 長崎鼻から見ると左右対称に見える。 次にイッシーが住むという池田湖に行っている。 でも、本家のネッシーは捏造だったし……。 イッシーはいなかったが、大ウナギに会えた。 これがかば焼きになれば、激減しているウナギの置き換えになるのでは思った。 鹿児島に戻り、丸戸をお礼を言って別れた。 我々は国道10号線で霧島に向かった。 九州縦貫自動車道はあったようだが、使っていない。 なるべく、一般道を走るようにしていた。 霧島神宮YHは霧島神宮の南200mの所に今もある。 毎度のことだが、ナビがあれば迷うこともないのだが……。 確かにYHの本は地図がイラストで距離感が分かりずらかった。 でも、20Kmは嘘だな、都城まで行ってしまう。2Kmの間違いだろう。本日も地球にいっぱい出会いました。明日につづく。 <水産物応援商品>鹿児島産 特大うなぎ蒲焼き 約170g×5尾 送料無料 #元気いただきますプロジェクト
2021.02.25
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石原さとみが鏡月を飲みながら話しかけてくるCM、こんなにパターンがあったんですね。「ちょっと飲んでみ、ちょっと関節キッスしてみ」っていうのがいいですね。電車の中で大きな声で会話している人をみかける。上司の悪口であったり、もしかしたら結構秘密事項の仕事の話だったり。中には、年端も行かない若者が恋愛論を戦わせていたりする。笑いをこらえて聞き入る大人たち、思わず、殴ってしまいたいときもあったりする。まあ、なんにしろ、おおらかなことだ。**乙女達の恋愛談**夕方のラッシュアワーに揺られて、私はホームタウンに帰ってきた。会社の往復はあまり好きではない。営業で地方を出張しているほうが、私には合っている。おもしろい酒場にも出会えるからだ。ホームタウンの駅前には、数軒のスナックがあるだけだ。一通り入ってみたが、どこもカラオケの音がうるさくてゆっくり酒を味わえたものではない。唯一『モンブラン』だけが、カラオケを排除している。ただし、トロピカル系の店であり若者が多い。どうしても、一杯飲みたい時のみこの店を使っている。今日はそんな日だ。『モンブラン』はパン屋と果物屋の間にある。紫の照明に照らし出された入り口。店内は黒を背景に原色の光でスポット照明されている。熱帯雨林を模倣した植物により、隣との席をさえぎっている。覗かなくても分かる。その一つ一つの席に、若いカップルがいるはずだ。私はそのままカウンターに進み、照明を避けてすわった。バーテンダーとは顔なじみになっている。「いつものでよろしいでしょうか」バーテンダーから聞いてくれる。「ああ、頼むよ」しばらくして、ジョニ黒のロックがダブルでやってきた。つまみにチョコチップがピンクの小さな皿に入ってやってくる。ナッツではない。私はピンクの小皿をじっとにらんでからグラスに口をつけた。そんな私の様子を見ていたのか、少し離れた席からクスクスと笑い声がした。私は声の方を振り向いた。そこには女子高生と思える制服姿の女が2人座っていた。時間は7時過ぎ。もちろんこの店はお酒だけを出す店ではない。しかし、制服姿で来るとは勇気があるものだ。2人は私の方を向いていない。笑ったのが私の事なのかどうかも分からない。それに、そんなことはどうでもいい。酒が飲めれば私は幸せだ。店内は小さな音でポピュラー音楽を流していた。しばらくして、隣の女子高生の会話が熱を帯びてきた。それとも私の耳が慣れてきて、小さな音を拾えるようになったのかもしれない。私が反応したのは「愛しているのに」という言葉であった。もう一度、彼女たちをそれとはなく観察した。まず目につくのは、当世流行の茶髪だ。それも半端ではない。腰まで伸ばされた髪に黒、白、茶、黄金。そんな色が混じり合っている。手入れは行き届いていた。一体、髪の手入れに何時間かけているのかと思うほどだ。しかし、黒髪の方が似合っているのにと思う私は昔の人間なのだろうか。髪の色に合わせて服装その他がコーディネートされている。半袖のブラウスとルーズソックスは白であるがそれ以外は茶系統なのだ。スカートも茶色のチェックだ。本当に制服なのだろうか。そしてなによりも顔や手足が茶色であった。日焼けサロンに通いました。疑似日焼けクリームを塗捲っています。といった顔形である。レゲエを口ずさんでいても可笑しくない彼女たちの分厚い茶色の唇からは、顔形からは似つかない、とても幼い日本語が聞こえてきた。彼女達の話す日本語は単純である。日本語を習い始めた、外人さん達の言葉よりも語彙が少ない。文法もないし、文の種類も少ない。短文の羅列である。「それでさー、彼ってー・・・」どうやら、片方の学生が恋の相談を他方にしてもらっているようだ。『さー』が会話に入るのが関東の特徴となったのはずいぶん以前である。最近の傾向は、語尾を延ばすことである。「で、彼氏ー、何ってー言っているのー?」「それがさー、1週間の冷却期間を置こうっていうのー。愛してるにー」私は顔形の似つかぬ内容に、飯の中に紛れこんだ砂を噛んでしまった気持ちになった。単純な文の中に『冷却期間』という、高級な恋愛言葉が入っている。また、『愛』という言葉がたやすく使われている。彼女らにとって『愛する』とはどういう意味なんだろう。恋愛相談者の話は続く。「私もー、意地があるしー、どうなるか分からないんだけどー、本当に分からないんだけどー、それじゃー、2週間置きましょってー、彼に言ったのー、愛してるのにー」どうしても、最後に『愛してる』と言う言葉を入れたいらしい。他方の女に、2人は愛し合っているのだということを単に自慢したいだけなのだろうか。酔いが冷めてきた。説教をしてやりたくなってきた。愛し合っているとはどういう状態なのだろうか。私はもう一度、茶色の仮面の下に隠された素顔を見ようと女たちに視線を送った。私に顔を向けている女が恋の相談者だ。茶髪の顔は真剣であるが、まだまだ女性になりきっていない幼さがある。彼女たちの年代では恋に恋するレベルじゃないだろうか。そして、セックスに興味を持ちだす。もちろん、時を経て相手を本当に愛するようになることもあるが、高校生という、若い世代で、そんな領域まで達するのだろうか、もし、達したのだとすれば、その先、彼女らは恋愛から学ぶことがなくなってしまう。恋愛年齢的にいえば、その時点で老人になってしまうのである。『好き、嫌い』、そう、この言葉を使えばいい。外国映画の『I love you.』を『私は、あなたを愛してる。』と訳すべきでなく、『私は、あなたを好きです。』とすべきだ。日本語の『愛』と英語の『love』には大きな差がある。『愛』は気軽に口にすべきでない。私はグラスに向かって、一人ぶつぶつ説教をしていた。相手のグラスは、すでに3杯目である。ふとみると、彼女たちの姿は消えていた。アレキサンダーのカクテルグラスが2つ、彼女たちの色を残していた。えっ、高校生じゃなかったの?【送料無料】サントリー ふんわり鏡月700ml 1本単位で選べる12本セット【選り取り】
2021.02.24
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大阪南港から九州志布志に上陸している。それが上記ノートだ。九州の旅、始まり。旅の道連れは徳田(仮名)。1983年4月2日 晴れPM2:00、応物校舎前、出発3:30、大阪南港に到着マンガ2冊、350円。 カレー、600円5:15、サンフラワーⅡ世号に乗船、出航。船内でお湯が得られず、カップラーメンは無駄になってしまった。1983年4月3日 くもり ⇒ 晴れ9:00、志布志に到着。10:20~10:35、都井岬 入場料50円馬は耳が後ろを向くと噛むそうです。この馬、トカラ場と言って、小型で、よく見ると、顔は哲人のようである。猿がボンネットの上で暴れている。12:30、鹿屋、ホカホカ弁当、450円12:50~1:20、私が車中で昼食の間、徳田に運転を替わってもらう。2:15、佐多岬南国植物園の間を抜けて、日本本土最南端の海に着く。何のことはない、ただの海である。岬である。有料道路、1000円。手形、400円。 入場料、100円(スタンプの横)岬ごときに何故、入場料を取られるのだ。いか焼きのポンポン匂う展望台からは、薩摩半島の開聞岳がみえた。かすかに…。3:10、佐多岬を出発海岸の石がやたら大きいことに気づく。人間の身長の2倍くらい。5:15、桜島の南側は大正、昭和の溶岩で赤茶色一色。6:00、4合目。溶岩巡りの道はスリルがあった。6:35、桜島からフェリーで鹿児島へ。丸戸(仮名)家の歓待をうける。今晩は丸戸家に泊めてもらう。丸戸と彼の親友2人とともに、飲みに出る。現地語の理解量は50%かな。きびなご(これうまい)、トンコツ(これもなかなか)、さつま揚げ(これはどうも)、カルカン(これはまったく) 西田温泉、200円。丸戸の親友も母も言っていました。丸戸は飲んべーで、酒癖が悪い。丸戸家当主は小柄。母は、やや、ぷっくら。姉は丸戸が言っていたのに反し、美人である。そして、犬、よく吠える。 とある。今回、サンフラワーに乗って、南九州の志布志に上陸している。 南九州は2本脚のフォークのような形をしている。 その足は長靴を履いていて、内またになっている。 右側(東側)の足の付け根あたりに志布志がある。 志布志から南に向かう前に、都井岬にトカラ馬を見に向かっている。 国道448号線、岬の付け根から県道36号線。 日本在来場のトカラ馬はポニー程度の大きさである。 都井岬で放牧されていた。馬の顔をまじかで見た覚えがある。 ついでに猿もいたようだ。どこでも猿は人に餌をねだる癖がついている。せっかくなので、ストリートビューで走ってみましょう。正面に進んでください。森林の間を走りながら、木々が途切れたかと思ったら、両側が草原にトカラ馬が急に道に飛び出してくるので注意してください。草原の向こう側は海です。 鹿屋市は志布志市と桜島の間にある。 志布志より国道220号線で鹿児島湾側に出たようだ。 そこで、弁当を買って走行中、交代で食べている。 国道269号線で南下。1時間ほどで九州最南端の佐多岬についている。スタンプにも本土最南端とある。この『本土』と言う言葉が気になった。検索すると、色々定義があるようだ。北海道、本州、四国、九州を本土といい、それ以外を離島とするもの。北海道、本州、四国、九州に沖縄を加え本土といい、それ以外を離島とするもの。私の間隔では、離島も含め日本国の地面は本土と思えるのだが…。それで、ここでは、九州最南端とした。 『最~』という場所は究めたいと思ってしまう。 最後の1Kmほどが、南大隅町道佐多岬公園線という有料道路になっていた。 今は、無料のようです。 ただの海と言うことは、並み以上の美しさはあるということか。苦しいな……。グーグルで見て下さい。見ごたえあると思いますよ。晴れていれば、西側の薩摩半島の先端にある開聞岳も見えます。いか焼きの匂いは全国区ですね。 国道269号線で鹿屋市まで戻っている。 途中の海岸の石がとても巨大だった覚えがする。 国道220号線に乗り換え、垂水市へ。 桜島は東側の佐多半島と陸続きである。 島の南側を反対側まで進んだようだ。 桜島は四六時中噴煙を上げている。 私の桜島のイメージは左右に花崗岩の大きな岩がゴロゴロしていて、 人は危険で住んでいないと思っていた。(地図を見るまで現在も思っていた) グーグルマップで見ると、いくつも小学校があるではないか。 家屋も沢山ある。年がら年中、噴火している桜島に人が住んでいるんだ。 島にお住いの皆様には申し訳ないが、 イメージ違ったなあ。 国道224号線もきれいだ。 当時、確かザートの道を山向いて少し進み 爆発している音を聞いて、引き返した覚えがある。 だが、ストリートビューで走ってみても、それらしい所はない。 整備が進んだのか、 そんな危険な場所をストリートビューに乗せていないのか。 いずれにしろストリートビューではお伝え出来ないので、 普通のグーグルマップでお楽しみを。 桜島フェリーは24時間、1時間に1本~4本運行している。 現在の運賃は大人が200円で 車は1000円台(長さで変わる)である。(運転手一人分を含む) 所要時間は15分。 鹿児島に講座の友人、丸戸(仮名)の実家がある。 丸戸がこの春休みに帰省することを知り、 旅で立ち寄ることを約束していた。 夜の宴会と1泊の宿泊付きである。鹿児島県人はバイリンガルだ。我々の学科に2人鹿児島県人がいて、2人とも立派な標準語を話す。2人とも就職は関東地方で、そこでも標準語で通せた。一方、私は生まれ育ちが関西で、就職で関東に出たが、関西弁が抜けない。 丸戸は地元の友人2人を呼び、5人で飲み会を開いたが、 この宴会では、地元の2人と話すときは、全くの鹿児島弁で、 その会話の私と徳田の理解度は50%もない。 だが、丸戸は我々と話すときには標準語に変わる。少なくとも酔う前は。 鹿児島地産の料理を食べた。 彼らの鹿児島弁をソースにして食べたからだろうか、どれも真新しかった。 丸戸の家族にも紹介される。以前、名古屋の佃井の家にお邪魔した時同様。 お母さんもお父さんもお姉さんもはしゃいでいた。歓待していただいた。犬にも。 そうそう、西田温泉。銭湯です。あっ、でも温泉です。 今もあるようです。 200円とあるから入ったのだろう。 当然、宴会前だろうな。1日目から、地球と出会い、人とも出会った。宴会も大騒ぎだった。続く。【ふるさと納税】本格焼酎ふるさと鹿児島限定セット【小正醸造】
2021.02.24
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「紀ノ川」を書いた有吉佐和子は和歌山市出身の作家さんである。小説の中で嫁入りのシーンがある。「紀ノ川沿いの嫁入りは、流れに逆とうてはならんのやえ」花嫁が篭とともに船に乗り、川を下り嫁入りするのである。私の母方の実家は、紀ノ川沿いにあり、ちょっと裕福な家だったらしい。蔵には、紀ノ川の小説に出てくるような嫁入りの籠があったとかなかったとか。その話を母から聞いた時、いずれ、紀ノ川沿いの上流には家庭がなくなるのでは、と、私は心配したものだ。冗談はさておき、嫁入りと言えば、紀ノ川市では、毎年10月ごろ、青洲まつりとして、青洲の妻「加恵」が嫁入りするシーンを再現した青洲時代行列を行っている。青洲とは、全身麻酔による乳がん摘出手術に成功した、華岡青洲の事である。華岡青洲顕彰記念公園に併設された「道の駅 青洲の里」は紀の川市西野山473にある。私の個人的な意見ですが、和歌山の女性は男を立ててくれます。それで気を良くして和歌山の男はホイホイ危険に立ち向かう。そう、和歌山の女性は男を盾にしているところもある。父母を見ていてそう思う。(メダカ) めだか おまかせ紀の川ミックス 未選別 稚魚(SS〜Sサイズ) 20匹セット + おまけ浮き草付き 送料無料 ミックス お買い得 淡水魚 メダカ 金魚藻 水草
2021.02.23
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山下達郎の『I Love You』をバックにパントマイムを用いたCMもありましたね。15秒の中に、2回「I Love You」が語られ物語になっている。中学校の時の名物先生の話を思い出した。「バラエティ番組を見ていると面白いね。 僕は、音を消して見ているんだよ。 芸人たちは大きな仕草で飛んだり跳ねたり」皮肉が得意の先生だったなあ。それはともかく、話している時の仕草には個性が出る。まして、酔っていると、その特徴が誇張される。その様子を見ているだけでも、お酒が楽しめる。**ボディランゲージ**酒場に一歩踏み込んだ時から、一種異様な雰囲気を私は感じ取っていた。それでも引き返すことができず、吸い寄せられるように、カウンター席に座った。「いらっしゃい」バーテンダーの押し殺した声。「ジョニ黒のロックをダブルで」私の声がやたら大きくバーラウンジに響いてしまった。客が数組いたが、彼等は一様に怪訝な顔を私に向けた。「あっ、失敬」私は思わず謝っていた。ジョニ黒の入ったグラスがやってきた。口をグラスに運びながら、耳をすました。客は誰もがひそひそ声で話していた。非常に耳ざわりである。ひそひそが耳につき、逆に騒音となって津波のように襲ってきた。ぐるっと、頭を巡らし、客の顔をみた。どの顔も一組みのカップルをこそこそ伺いながら、声を潜めていることに気付いた。そのカップルは私とは反対側のカウター席に座っている。私からは女の顔と男の背中が見える位置だ。声はほとんど聞こえてこない。しかし、女は顔の表情で語っていた。男は上半身の動きと手の動きで語っていた。女の顔が作り笑いをしようと一瞬顔が歪む、ひくひくした頬がひん曲がり、その歪みが口に伝搬して、ひょっとこ顔になる。会話にめりはりをつけているのか、時たま、頷く動作とともに目の玉がひん剥かれる。百面相をしているようだ。基本の顔は美人で通るはずなのに、はなれて見ていると、ただならぬ雰囲気が伝わってくる。女のその表情を助長するかのように、男の肩が左右に揺れる。手でバランスでも取っているのだろうか。左右の手が宙を漂う。手話の様にも見えるし、へたくそなフラダンスともとれる。だが男の声も伝わってこない。2人とも、動きのわりにはサイレントなのだ。その動きに圧倒され、誰しもが見入ってしまい、その静けさが伝搬して、誰しもがひそひそ話になったようだ。もともと一人の私はひそひそ話す相手もいない。カップルの動きも顔を横にしない限り見えない。しかし、ラウンジ全体のひそひそ感が私に伝染した。「おかわり」消え入る声で私は注文していた。これで、この場に馴染んだようだ。 Cat´s Body Language【電子書籍】[ Fiona Bell ]
2021.02.23
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私は学生時代のノートに書かれた旅行のメモを解明することで、ミステリーツアーを楽しんでいる。ツアーのコースは、全6コース。1:能登 掲載済。2:北海道 掲載済。3:山陰 掲載済。4:九州5:大台ケ原6:九州から山陽である。今回は九州の旅だ。ここまでが車での旅となる。この旅の道ずれは、能登の旅で一緒だった徳田(仮名)だ。彼の特徴を示しておく、徳田 :私と同じ学科で同じサッカー部。心穏やかで静かな男である。昔のお父さんという感じかな。男からすると、いい旦那、父親になると思うのだが……。私と徳田のコンビでは、槌谷や上川のような旅の出会いは期待できない。今回は地球との出会いに、命をかけたいと思います。まじ、九州は秘境の宝庫だ。今回はそんな旅だ。ワクワク。『旅とは人と人の出会い』だが、それだけではなく、『旅は地球との出会い』ここで、この旅の正しい楽しみ方について再再掲する。この旅は文章中心だ。写真は実家の押し入れに入っていて手元にない。旅に出ると地図を片手にワクワクする人が適正だ。できれば、別のタグ/ウィンドウにグーグルマップを開いて、ルートを追随し、文章に登場するキーワードを検索する。検索結果に添付されている写真を見ながら読むと、臨場感が沸く。私はそうして書いている。また、なるべく地元の観光協会のリンクを張ったり、ユーチューブのBGMのリンクを張ったりしている。これらも、別のタグ/ウィンドウで開いて、見たり、聞いたりして頂くと楽しめると思う。ただし、グーグルマップを多用していて思ったのだが、このブログを見ると、旅行に行った気になり、実際の旅行に行かなくてもいいやと思うかもしれないと心配になる。中毒にならない程度に、グーグルマップは切り上げてね。それじゃあ、地球との出会い、やったんねん。やっ探年だ。 天然石地球儀キーホルダー ピィアース 天然石 地球儀 ギフト 誕生日プレゼント クリスマス 子供用 インテリア アンティーク 原石 ストラップ パーツ レディース かわいい おしゃれ 金属 金具【メール便対応商品/代引不可】
2021.02.23
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エロかわいいアニメを使ったお酒のCMに『カッパパー~』がある。日本人は桜に対して、狂喜乱舞する民族だ。あの短い期間に、人が変わったように咲き乱れる。今年はどうだろう。ストレスを吐き出すことが出来るのだろうか。「いい恋していますか」挨拶代わりに、こんな言葉を軽々しく吐く人がいる。相手とすれば、考えるだろう。冗談と取るか、本気で聞いているのか。そして思わず。「彼氏、いない歴、3ヶ月です」って、まじめに答えたりすると、「そんなの聞いてないって」と、さらりとかわされたりする。やはり、ただの挨拶だったのだろうか。**春爛漫 いい恋していますか**私の仕事を例えれば、砂漠を行くキャラバンだ。もっとも、隊商の構成員は私だけである。ラクダもいない。共通点はいつもオアシスを求めて、彷徨っているところだ。新大阪から、大阪環状線、阪和線を経て和歌山市内に入った。目ぼしい取引先を回ってみたが、手ごたえは皆無だった。まあいい、大して期待もしていない。さらに紀ノ川沿いを縫うように走っている和歌山線に乗り、奈良方面に向かった。途中にある、ここ五条に今日は宿を取ることにした。駅前のビジネスホテルにチェックインして、町にオアシスを求めて出た。定食屋で軽く食事をとり、裏通りで見つけた、日本風のショットバー『吉野』に入った。入り口ののれんはもちろん桜で彩られている。万葉調の美人ママに出迎えられるのかと期待が高まる。ところが、カウンター越しにこちらに顔を向けたのは、小柄で気のよさそうな40代のバーテンダーだった。そのバーテンダーの前のカンター席に、一人の女が固まっていた。2人の間には、1脚のスタイリッシュなグラスがスポットライトを浴びて鎮座している。バーテンダーが今まさにシェイカーからカクテルを注ごうとしているところで、動作が止まっていた。早く座れ、お前を待っていたんだ。とでも言い出しそうな命令口調の視線で、バーテンダーは、手前のカウンターを指示した。そして、おもむろにピンク色の液体をグラスに注いぎだした。カクテルグラスの底から1条の希望が上空を目指し、室内に放出される。女は私の存在を全く無視して、その液体を夢見していた。私は、入り口近くのカウンター席に座り、いつものように、ジョニ黒のロックをダブルで頼んだ。私は、……。女とは違う世界にいたかった。バーテンダーがカウンター越しに私の酒を作っている。それが音で伝わってきた。ロックを割る音。小さくしたロックをグラスに滑らす音。ジョニ黒を注ぐ音。琥珀を混ぜる音。準備が整った。私の、口の中の生唾も準備OKだ。すると、予期せぬものが私の前に、ポンと乾いた音をたてて置かれた。日本酒のコップ酒についてくる升だ。ロックグラスがその升の中に置かれた。コースター代わりといったところだ。さすがに升の中にジョニ黒がこぼれ出てはいなかった。「何のための升だろう。日本もまだまだ広い」辺境地に来た感想を一つ、述べてもみる。店の奥のテーブル席に、地元の若者と思われる集団が陣取っていた。それと隔てるようにして、先程の女がカウンターに一人。私はその女から、2つ席を空けて座っている。升からグラスを拾い出し、ロックを揺らしながら、私は場の雰囲気を感じ取っていた。若者たちからは時折、奇声が聞こえてくる。言葉が関西だ。『くゎんさい』と言うべきだろうか。こてこてのお好み焼きを連想させる。ねちゃっこい、響きが耳に残る。「俺な、俺な、ものごっつう、おもろいこと思いついたで」一人の若者が得意気に大声をだして仲間に告げている。「俺がな、吉野山の広報担当者やったら、こんなCMを企画しょう思てな」吉野山は五条から車で1時間の桜の名所だ。「何や? どーせ、しょーもないことやろ」口紅の赤色が、一際目立つ女がつっこみの相の手を入れた。「郷ひろみを使こうてな、歌わせるんや。『出~会い~は、お~くせんぼん(奥千本)の~胸騒ぎぃ~♪』ってな」「しょもなー。いね、いね。はよ、いんで、へえこいて、ねれ」一同がどよめき笑った。ちょっと古いひろみの曲によく反応できるなと感心しながら、聞くとわなしに聞いていた私も、もらい笑いをしてしまった。「『出~会い~は、お~くせんぼん(奥千本)の~胸騒ぎぃ~♪』か、だとするとコーラスは『下千本~♪、中千本~♪』だな」一人でくだらなさが伝染してしまったようだ。悪乗りついでに歌を一句。ここは万葉調の奈良なのだ。『桜郷(さくらさと)、歌のおひろめ(み)、奇声わく』隣の女は、静かにカクテルグラスを見つめている。人待ち顔ではない。ただの酒好きでもなさそうだ。一人旅の観光客がちょっと、迷い込んでしまった。そんな感じだ。それにしても、女が一人でショットバーに入る世の中になったのか。私のエゴは、“一人酒は男の特権”と思っているところだ。私が2杯目のロックをバーテンダーに頼んだその時だった。隣の女がぼそっと呟いた。「いい恋、していますか?」「何だって」すっとんきょうな声をだし、私は女の顔を覗き込んだ。女はピンク色の液体を眺めていたが、私の声に反応してこちらを振り向いた。瞳がギラギラして、少し潤んでいる。白目には脳溢血を連想させる、毛細血管が浮き出ていた。女はすでに酔っているのだ。それにしても唐突だ。私が言葉をつなごうとしたとき、女は席を横滑りして、私との距離をつめ、さらにカウンター上に上半身を預けながら、私に顔を近づけてきた。まるで、カウンターに乗った、“垂れパンダ”状態だ。横にま伸びした口が再び開いた。「いい恋していますか」女は私にはっきり聞こえるように言い直した。女の顔はキラキラと微笑んでいる。一方、私は警戒心を募らせた。それでも、ちょっとした間合いの後。「していますよ」と答えてしまった。相手は見ず知らずの女だ。見栄もあった。「していませんよ」と答えるのは、恥に思えたのだ。「いい恋をしていたら、私の悩みを聞いてくれますよね」これは面白い。話に何の関係も脈絡もない。それを口にしても良かったが、女の輝きに免じて、私も笑顔を返してしまった。女を、一言で描写すれば、美人だ。細述すれば、大柄、ダイナミック、豪快、魅力たっぷり、それでいて年は27 、8だろうか。「何ですか? あなたの悩みって」私は疑いつつ質問を返した。「桜が散って行くのが悲しいんです」私は声がでない。あきれているのだ。顔はしかめっ面をしているだろう。「はあっ」出したとすればこんな声だ。「今日、吉野山に登ってきたんです」女はやや、夢うつつで話を始めた。姿勢が垂れパンダなら、話し方も垂れパンダだ。どこか空気が抜けている。「下の千本、中の千本はすでに散っていました。 それでも奥の千本には花が残っていて、今を盛りに花吹雪。 それを見て私、胸が詰まされて……。女は実際に胸をギュッとつかむ仕草をしている。どこか芝居じみてきた。「どうしてですか」「だって、私と同じなんですもの」「何が」「散り際が」そういうと女は一句ひねり出した。ここは万葉調の……。『桜吹雪(はなふぶき)、散り際の艶に 共感す』女はそこでピンクの液体に口つけた。私はあきれて前を向きなおし、自分のグラスに集中することに努めた。私の気が離れるのを戻すかのように女は話を続ける。「まだ続きがありますのよ、『桜吹雪(はなふぶき)、散り際の艶に 共感す。 満開がいいって 君、青いわよ』 By お姉さま おそまつ」女はカウンターに崩れるように頭を垂れた。すぐさま、その顔を上げると、カクテルを飲みつないだ。私は笑い出してしまった。「うけちゃいましたね」女の目がうつろに漂う。私はちょっと女を苛めてみたくなった。「そういえば、 吉野の桜が私に言っていましたよ。『私の場合、来年になったらまた咲くことができるのに、 共感されてもねえ』って」そして私はジョニ黒を一口。女がこちらを振り向いた。どうやら睨んでいるようだ。だが、どうみても白目を剥いて、むくれているとしか見えない。「セクハラ訴訟、起そうかしら」「それは困ったなあ」私はまったく困っていない。「『お姉さま』という方は自己採点としては、もう散り際なのですか? まあ、柿も熟柿(じゅくし)を好む人もいますし、 干し柿でもいいという人も……」私のセクハラ攻撃は続く。さあ、どう切り返すのだろう。私は楽しみながら3杯目をお代わりした。女は私の攻撃を2、3度切り返したが、やがて、「私って、暇つぶしには素敵な相手じゃないですかあ」そういうと、女は快い眠りについたのであった。「常連さんですか」心安らかな寝顔を見ながら、私はバーテンダーに尋ねた。「いいえ、観光に見えた方だと思います」バーテンダーは笑いながら答えた。そしてバーテンダーも一句。ここは万葉調の……。『春爛漫。今宵は花見、酒三昧』おまけ:景気づけにこのCMでエキゾチックジャパン。黄桜 京のとくり 純米 金箔入り 金粉の舞う 純米酒 180ml 1本【☆包装・熨斗不可】1本毎のギフトできません 御神酒・日本酒・國酒・正月・御祝 【お取り寄せ】
2021.02.22
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吉野山から熊野本宮大社を結ぶ大峯奥駈道は熊野古道のひとつのルートである。修験道の開祖・役行者によって開かれた。大峯奥駈道は、ほとんど奈良県を通るので、ここでの紹介は控える。今日紹介したいのは、同じ役行者が開いたとされる、葛城二十八宿である。和歌山県と大阪府の県境を和泉山脈が横たわっている。山脈というくらいだから、尾根伝いと言っても比較的なだらかだ。西側は紀泉高原と呼ばれ、近隣の小中学校の遠足に使われるハイキングコースがある。また、それに続き、岩湧山⑮界隈から、奈良の二上山㉖界隈にかけてダイヤモンドトレールと呼ばれる、約45kmの自然歩道もある。歩くのが大好き、でも危険な山はちょっと、と言う人にはおすすめだ。****ここから先は私個人のかってな想像です****28か所の修験場があり、修験者はそれを辿り、修行を重ねていくのだが、前述したように、その修験場を避けて辿ることも可能なのだ。一方、大峯奥駈道は、私は行ったことないので知らないが、ネットで調べると、そうもいかない場所が多くあるという。どうして、役行者はこのような緩やかな山並みに修験場を作ったのか?それも大峯奥駈道を開く、たった6年前にである。こんなにたて続けに修験場を作るなんて、現在で考えると、スポーツクラブが施設を増設しているように思える。もちろん、実は役行者が開いたというが、それは格をあげるため。というのもあるかもしれないが、私はこう考えたりする。これは、実験であり、訓練場ではないのかと。各修験場には小屋のようなものがあり、人が数名常駐している。小屋間は人が50Kg程度の荷物を担いで運ぶ疲れない距離程度。紀ノ川の河口に荷物が着くと、それを背負い具に小分けして、人足が担いで、山中に入り、尾根伝いに奈良へ運ぶ。それぞれが担当するのは、修験道場間で荷物を手渡すと元に戻った。実際、葛城氏は朝鮮半島から鉄素材である鉄鋌を輸入し、紀氏が紀ノ川河口まで運んできている。河口から五条あたりまで水運があり、舟で運んだのかもしれない。しかし、川の流れなどにより、簡単ではなかったようだ。舟に縄を繋ぎ、両岸から人手で引っ張って川を遡ったとも聞く。馬が日本に入って来たのは、5世紀中頃以降である。このことを考えると、川の水の量により、上述したように、人足による、バケツリレー方式による運搬が有利だと思えるのだ。役行者が葛城二十八宿を開いたのは、斎明天皇7年(661)の頃である。その頃になると、馬の使用もあったし、水運の主流は、大和川ルートだったかもしれない。必要とされたのはそれ以前だ。私は思うのだが、葛城氏-紀氏によって紀ノ川の水運が管理されていた時代。すでに、バケツリレー方式の人足による、宅急便ルートがあったのではないかと思う。そう思う理由は、葛城山と呼ばれる山が2つある。一つは、⑨の上の和泉葛城山。もう一つは、㉔の左側の大和葛城山。和泉葛城山の和歌山寄りで紀ノ川近くに、紀伊国国分寺がある。紀伊国国分寺辺りまでは川幅の広く水量も多く、舟が遡るのも容易だった。大和葛城山の奈良側には葛城氏の本拠地がある。両者を結ぶルートが川と山と2つあってもおかしくないのではないだろうか。ここまで来ると、おいおい、紀ノ川沿いに平野部を通る道があるではないか、尾根伝いの歩きにくい道を通るのに、どんな理由があるのか。という人もいるだろう。私もそうだ。ただ、平野部が歩きやすいとは限らない。舗装道路があるわけではない。それに強盗に襲われるかもしれない。平野部だと、四方から狙われる。狙う場所も多い。尾根伝いだと、待ち伏せにも困るし、防御しやすいと考えられる。仮にバケツリレー方式による宅急便ルートがあったとしよう。それでは役行者はわざわざ、葛城二十八宿を何故開いたのか。一つは、修験者を山に配置して警護に当たらせるため。その警護の修験者の日頃の鍛錬のため。私はさらに、本来は、大峯奥駈道にバケツリレー方式による宅急便ルートを整備したかったのだが、大峯奥駈道は険しい紀伊山地の中にあり、ただ、辿るだけでも大変で、鍛えてない者は危険だった。それでまず、比較的なだらかな山でバケツリレー方式の宅急便ルートを確立できるか実験した。後に、大峯奥駈道ができて、そこに送り込む人足の訓練場として、葛城二十八宿を用いた。しかし、ここに大きな疑問が残る。大峯奥駈道、葛城二十八宿の宅急便ルートが何故必要なのか。葛城氏が鉄の加工をしている頃は曲がりなりにも、葛城二十八宿は利用できたかもしれない。しかし、葛城氏は5世紀中頃に滅んでいる。それに置き換えてかどうかは定かでないが、飛鳥池周辺に一大工業地帯が出現する。いわゆる飛鳥池工房遺跡である。天武・持統天皇時代の7世紀後半から8世紀にかけての遺跡と分かっている。思い出して欲しい、葛城二十八宿を開いたのは、斎明天皇7年(661)の頃である。飛鳥池工房遺跡では、工房ごとに、金銀銅鉄などの金属加工、ガラス・水晶・琥珀などの玉類加工などの種々の工業の加工場が配置されていた。とある、それでは貴金属加工の材料はどこからどのように運び込んだのか。私はその有望な原産地は、熊野本宮大社の東北東10Km地点にある紀州鉱山だと考えている。紀州鉱山は主力の銅だけでなく、金銀など多種の鉱石を産出する珍しい鉱山だった。紀州鉱山の歴史は古く、奈良時代頃に遡る。大宝三(七〇三)年に紀伊の国から朝廷に献上された銀も、この鉱山の楊枝産出という説があり(『紀伊続風土記』『紀伊南牟婁郡誌』)、また東大寺の大仏を建立する際にも、大量の銅が供出されたとの記録が残っている。じゃあ、どのようにして鉱石を運んだのか。紀州鉱山近くの北上川を利用して舟に乗せ、川を下った。やがて、熊野川に流れ込み、下流の熊野速玉大社に集められ、そこからは、海用の船に乗せ換え、岸伝いに紀ノ川河口まで持ってくる。そこからは、かつて紀氏と葛城氏の手によって運営されていた。ルートをたどり奈良南部に運び込まれた。それは、前述した様に、紀ノ川を五条あたりまで遡るルートと、葛城二十八宿のバケツリレー方式宅急便のルートがあったと思われるのだ。やがて、葛城二十八宿のバケツリレー方式宅急便のルートが有効なら、大峯奥駈道ルートは舟/船を使わなくても、人だけで運ぶことが出来る。一見、ありえないようだが、険しい山に入り過酷な修行をしていたのなら、背負い具を担いで山歩きするくらいできそうである。以上、初めにも言ったが、これは私個人の勝手な思い込みである。しかし、こんな夢のような話を想像しながら、葛城二十八宿やダイヤモンドトレールを歩いてみるのも楽しいと思う。葛城二十八宿を巡る 犬鳴山修験道 [ 垂井俊憲 ]
2021.02.22
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山陰の旅、最終日。津和野散策の日です。それが上記ノート。1982年10月15日 晴れからくもり7:40、法音寺から鷲原神社ここから歩いて15分。津和野の町を見渡せる津和野城跡へ。9:00~9:22、津和野城跡殿さまになった気分。ゆかい、ゆかい。10:10、森鴎外宅人形1000円。10:41、茶店ろまん、ガイドブックに津和野美人がいるとか……。津和野美人を見た。やや太り気味。(太鼓谷稲荷神社のスタンプ横)おいなりさんで巫女だんに見とれた。~12:00、太鼓谷稲荷神社、出発12:40、乙女峠(乙女峠36人殉教者のスタンプ横)乙女が一人、チャペルでお祈りをしていた。うしろ姿が美しい。顔は見たくなかった。仏教の私には、チャペルは聖域とは感じなかった。(津和野駅のスタンプの横)昼食は郷土料理、うづめめし、600円みやげ、源氏巻き2本、320円津和野の町は、作られた感じがした。津和ぶきを植えてある所もわざとらしい。2:20、津和野を去る(ここらか先は省略する) とある。 津和野の町は、上記地図の左右で2Kmくらいの細長い町である。 時間があれば歩いて回りたいところだが、 時間の都合上、車で回っている。 津和野YHは、上記地図の左端で川が上に曲がった辺りにあった。 今は、その建物が『SOME MORE』という名の、 レストランに変身しているようだ。 行ってみたい。 法音寺のお坊さんがYHを運営していたんじゃなかったかな? YHの隣(少なくとも近所)が法音寺と思われる。 ストリートビューで見つけた。正面が法音寺で、 左側に「厨ファミリア」の標識。『SOME MORE』の前身である。 法音寺(YH)から、 まず、一番端の鷲原八幡宮に行ったようである。 現存する最古の流鏑馬の馬場が隣接するとある。 グーグルマップで見て下さい。いい所です。 鷲原八幡宮から歩いて15分で津和野城址に行ったとある。 悩ましい。検索してみると、津和野城址はリフトか、 太鼓谷稲荷神社からの登山道で20分とある。 鷲原八幡宮から太鼓谷稲荷神社まで、1kmはある。15分では無理だ。 古いガイドブックを探し出し見てみると、 鷲原八幡宮から津和野城址への登山道が示されていた。 太鼓谷稲荷神社からの登山道より短い。 15分で行けそうである。 鷲原八幡宮に戻り、車で森鴎外宅(地図の左側)に行っている。 茶店ろまんは検索しても見つからなかった。 でも、大丈夫、ろまん亭を見つけた。 津和野美人に会えるかどうかは?だが、マロンケーキには会える。 続いて、太古谷稲荷神社に行っているので、 茶店ろまんは神社の近くにあったのかもしれない。 太古谷稲荷神社に来れば、有名な鷺舞に出会えるかなと思っていたが、 勘違いもいい所だ。鷺舞は7月20日、27日に行われる祇園御神事である。 またまた、巫女さんに見とれている。それはいいか。 太古谷稲荷神社から 乙女峠マリア聖堂まで歩いて行ったようである。 40分かかっている。 信者の女性がお祈りをしていた。 邪魔しないように後ろから見学させて頂いている。 「後ろ姿は美しいとか、顔はみたくない」と失礼な表現をしている。 当時流行っていたCMである。ふりむかないで、ハニーナイツ 最後に津和野駅に寄っているようだ。スタンプが押されている。 『うずめめし』とは、 一見、出汁をかけてわさびをそえたお茶漬けのようだが、 ごはんの下に小さく刻んだタイや野菜が隠れているものだそうだ。 一方、『源氏巻き』は平べったいどら焼きと言ったら乱暴かな? 批判的な年ごろだったのだろう、「津和野は作られた町」と感じたようだ。 それは町の人たちがきれいに整備されていたということだろう。 当時の私に説教したくなった。 さて、山陰の旅は以上で終了である。 あとは、大阪まで帰るだけだ。とは言いながら、 まだ、広島県の千代田ICまでしか、高速道路は出来ていなかった。 夕暮れ迫る山道を迷走している。上川は怖がって運転していない。 もう一つ、昔のガイドブックを見ていて、今気づいた。 太鼓谷稲荷神社近くに、茶店『儚夢』と言うのがあった。 『儚夢』と書いて、『ろまん』と読ますのではないだろうか? 検索して見つけたのがこれだ。これを聞きながら山陰の旅を終えます。おっと、忘れていました。山陰の旅のベスト3を追記しておきます。ベスト3:松江城界隈の散策ベスト2:景清洞の探検ベスト1:萩 笠山の夕日源氏巻 5本包み
2021.02.22
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NHKで放映されている『6畳間のピアノマン』、いいですね。構成がよく練られている。ビリジョの歌声も懐かしい。でも、今日は場に不似合いな奏者の物語。例えば、スカパラと共演する志村バカ殿様のような。**リトルピアニスト**最近、私はピアノを泣かせる店に御執心である。泣かせるピアノを聞かせるのではない。ピアノそのものが泣いているのだ。弾いているのは、20代の女である。聞くと、音大の学生でアルバイトに来ているという。若いのに、よほどの人生経験を積んだように思える。私は音楽を学術的に何ら評価できないが、そのピアノは、まるでグラスの中の氷のように、私の魂を直接揺さぶった。私は、いつものように一番奥まったデーブルに陣取った。いつものようにジョニ黒を舐めながら、ピアニストの出番を待った。フロアに流れるジャズの音楽がふっと消えると、ピアノの上にスポットライトがともる。この席からはピアニストは見えない。グランドピアノの陰に隠れているのだ。私はピアニストを見に来ているのではない。ピアノが泣くのを聞きにきているのだ。ピアノの音が転がり出した。「あれ」いつもと違う。今日のピアノは踊っていた。子供っぽい踊りである。あまりにもこの場に似つかわしい。フロアのここかしこで、けげんそうな顔がもたげた。回りの人達も同じように感じたようだ。2曲目が転がり出した。今度は遊び出した。やはり幼い子供のように。音に反応したジョニ黒も、私の舌の上で暴れている。私はバーテンダーをつかまえた。「今日のピアニストはいつもの人なの」立っている彼にはピアニストが見える。「ああ」彼はそう言った後、頭を巡らせた。その頭はカウンター席で止まった。「あのカウンターでお酒を飲んでいるのがいつものピアニストです。 今、弾いているのは彼女の妹なんですよ」そう言うと、それ以上は何も言うことはないとばかりに、きびすを返して行ってしまった。私はカウンター席を見た。白いドレスを身にまとった女が、琥珀色をしきりに体内に流し込んでいた。ピアノには背を向けている。妹の弾く姿を見向きもしない。女の背中は泣いていた。2曲目が終わると、ピアノの陰から赤い服の少女が現れ、カウンター席の女に近づいた。10才そこそこにみえる。少女は2言3言白いドレスの女に声をかけると、軽やかにフロアを後にした。明るさは全て妹に手渡した女は、ピアノの陰に入っていった。やがて、ピアノが泣きだした。私はほっとした。舌先のアルコールがまろやかになった。ジョニ黒には泣くピアノが似合う。輸入盤 BILLY JOEL / PIANO MAN (LTD) [LP]
2021.02.21
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萩散策2日目。午前中の行動が上記ノートである。1982年10月14日9:00、まふくやを出発。萩駅は東萩駅に比べると、天と地でさびれていた。こちらの方が好きになった。萩にふさわしい。(達筆の文字)萩市青梅??山大照院窯 夢荘庵 石丸萩想女性用の旅行雑誌にこのおっちゃんの紹介がさてれいた。おっちゃんは言った。「値段はわしが決めるんや。同じ茶碗でも、わしが10万ゆうたら、10万で、 5千円ゆうたら、5千円や」10:00~12:00、大照院ここは、毛利家初代と偶数代の殿様の菩提寺。東光寺とペアの寺であるが、訪れる人は少なく、苔がはびこっていたが、好きになった。大照院窯のおいちゃんに萩焼の講義を聞く。2大特徴は、ビワ色と萩のもみじ。5000円で茶器を買う。買うというより買わされた。買わにゃあ、放してくれない。 とある。その日は車で移動している。まず、萩駅に行った。 見知らぬ町を訪れると、我々はまず、駅に行く。 駅は町の顔だ。町の情報を得ることもできる。 東萩駅に行っているが、萩の町の駅は萩駅だろう。 続いて、メジャーな観光スポットから少し離れた大照院に行った。 東光寺とペアの寺であるが、人は少なく、苔むし感がとてもよかった。 近くにあった窯元を見学した。 窯元のオーナーが、私のメートにサインをしてくれた。 頼んだ覚えはないのだが……。 『??山大照院窯』、??の部分は私には読めない。白梅かな? 大照院は『霊椿山大照院』と言うそうだが、 椿の部分はそんな気もするが、霊の字は違うと思われる。 石丸萩想さんは、情報誌に書かれたご自分の記事を私に見せ、 「自分は偉い窯元なんだよ」という印象を私に植え付けようとしていた。 サインの下にぐちゃぐちゃと線が書かれているのは 窯元近辺の風景画のようだ。 萩の茶器の色合いには、ビワ色ともみじ色があると説明してくれた。 上川はびわ色の茶器を買い、私は紅葉のような風合いがある茶器を買った。 買わされたように書いているが、記念に買おうと思い窯元に入ったのだ。 今、その茶器は、もみじの部分が割れて、接着剤で応急処置され飾られている。 午後、萩の町を離れ、秋芳洞などを見に行っている。上記がそのノート。12:30~1:36、景清洞平景清が壇ノ浦の戦いで負けた後、隠れたという洞窟だ。人がいないマイナーな所。『観光ルート終わり』の立て札から、さらに1Kmほどライトを頼りに探検した。括約筋が締まる思いがした。2:10~3:40、秋芳洞景清洞にくらべると数倍の規模。でかいこと、すげーこと。人の多い事。秋吉台から山口へ。4:30~5:10、洞春寺山口市の観光は時間の制限があり、ここ一か所。――、瑠璃光寺五重塔に夕日が当たり、実にいい色。この塔は上にいくほど、細くなっていてスマートに見える。6:15、津和野YH夜空を見る。銀河が見えた。道で寝ていると、YHのおばちゃんが「気―つけなよ。昨日、ハブがでたんよ」と、おっしゃった。(欄外)津和野へは、大きな鳥居をくぐって入っていく。YHは駅と離れたところにあった。途中、ユースに行くのではないかなあと思う2人の女の子にあったが、さすがに節操がないと思えたので、声をかけなかった。30分後、大きな荷物をさげた、さきほどの女の子がYHに着いた。ここの風呂は五右衛門風呂である。 とある。 午後、萩市を離れ、秋芳洞に向かっている。 国道490号線⇒県道308号線⇒県道28号線。 その途中に、萩から南西に39Kmの地点にある、景清洞に寄っている。 洞窟内は、半円形でコンクリートによる歩道に沿って灯りがついている。 灯りが途切れた所に観光ルート終わりと張り紙があった。 洞窟はまだ奥にコンクリートの道が続いている。ただ、灯りはない。 でも、道は続いているのだ。行ってみたいではないか。 どういうわけだか、ライトを携帯していたらしい。 ライトがあれば、その奥に進めると、どこかで情報を得ていたのだろうか。 ライトは車に常備していた。 道に沿って進む。ライトが照らす範囲以外は闇である。 恐怖にお尻の括約筋がぎゅっと縮む思いをした。 道が途切れる場所まで進んでいる。その奥もあったが、引き返している。 帰りに、カップルが同じようにライトを持ってやってきた。 それなりに知られているようだ。HPに、探検コースとある。これか。 次は、県道242号線にて有名な景勝地、秋芳洞に行っている。 スケールも大きいが人もいっぱいだった。 午後4時近くになって、秋吉洞から西の京、山口市へ向かっている。 思い出した。本当は萩を目いっぱい見て、津和野に行く予定だった。 それが、出雲大社での約束を果たすために、 萩観光が午前中だけになり、急ぎ山口市へ、 でも、途中にあった、景清洞、秋芳洞を見過ごすことができず。 立ち寄ったのだ。 山口市に入り、毛利元就の菩提寺、洞春寺に参詣した。 時間の制限により、見たのはここ一か所と書いている。 続いて、瑠璃光寺によっているが、参詣時間を過ぎたのだろう。 でも、境内には入れて、有名な五重塔を見ることができたようだ。 ストリートビューで、瑠璃光寺の境内を探索できる。(右クリックで) うーん、不確かだが、上川が山口女子大のどちらかに電話をしたように思う。 通じたようだったが、時間も遅いので会うには及ばなかった。 みたいな物語じゃ、なかったかな? ロマンスがあるような、ないような? 国道9号線により、1時間ほどで津和野についている。 夕食後、辺りが真っ暗だったので、外に出て星空を見た。 首が疲れるので、道路に寝転がって見ていた。銀河が見えた。 すると、YHの方にハブが出るよと驚かされた。飛び起きたと思う。 欄外の逸話は必要あるのだろうか。 後で見ると、何だか節操ないように思えるし、 逆に、差別的であったりする。 書くぐらいなら、声をかけて、乗せてあげないといけないなあ。節操が……。今回の私は、どちらかと言うと、地球に会うことを楽しんでいると思う。続く。車えび味噌漬 250g(7〜14尾入)国産【送料無料】【TVで紹介され大人気】【お歳暮】【クリスマス】【おせち】スーパーセール お買い物マラソン おすすめ 人気
2021.02.21
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酒飲みがつい歌ってしまいたくなる「酒と泪と男と女」この歌がお酒のCMに使われていないかと探したが、意外と使われていなかった。でも、カラオケバージョンを見つけた。大いに歌ってください。夜の街を酔いを求めて彷徨うと、おしゃれな物語ばかりじゃない。どちらかというと、ごちゃごちゃした生活の染み込んだ話の方がありふれているのだ。**はしご酒 袖振り合うも酔っ払い**1:きっかけ仕事で山陽地方の街にやってきている。私はちょっと、有頂天になっていた。別の女の記憶を上塗りすることで、長年追い求めていた女の記憶を頭から抹殺しようとしていたのだ。一つの事例は、酒癖の悪い女子大生の泣き言を聞いて、もてた気分になったことである。妄想は可愛いもので、私は建て前を言いつつ、安全な逃げ道を作りつつ、逃げ腰でいながら、何かを期待していたのだが、泡と消えた。再会はドラマチックに秘密裏にである。しかし、あっけないのはその砕かれようだ。視線は合っていても、留まることがない。行きすぎてしまうのだ。だったらこっちから止める動きを、と思うのだが、それはきっと、わずかに残った私のプライドが許さない。そんなものをプライドと言うのだろうか? 私は酔っている。頭の中は床にばらまいたジグソーパズルのようだ。2:一人酒時を戻そう。とりあえず酔っぱらいたい。足早に、居酒屋『磯』を目指した。ホテルのカウンターで教えられた店だ。……、人気店らしく満員で入れなかった。第2候補は駅前の居酒屋『樽元』。長いカウンター席に空きを見つけ座ることができた。多少の余裕があった。多少の損をした気になったが、酒の味はどちらも同じであろう。席の隣には、髪を黄金色に爆発させた女子学生とその友人、反対側にはOL4人組。その間で私は一人で酒を飲んでいる。OLたちは食べるピッチが早い。酒を飲むピッチも、また飲む種類も多様である。うー、しゃこ天がうまい。甘い。500円。3:盗み聞き私は耳をすましている。そこへ突然、さわらのみそ焼きが。ちょっと待て、思ったよりずっと小さいが、旨い。300円。気を取り直して、耳をすましている。黄金色の女が話している。話相手はノーマルな頭の女子大生だ。彼等は恋愛論を語っていた。基本的には、女の酒は奇麗だ。黄金色はミッチーというらしい。2人から断片的に話が漏れてくる。「好きになったらどこまでもよ。 つれなくされても、好きな理由はたくさんあるわ」これ名言だな。「7ヵ月も続いているのよ。 私の最長記録。ここで別れたらショックでしょ」と言うことだそうだ。彼女たちの恋はチャットサイズなのだ。4:女のルール、男のルール恋愛論を語る上での女のルールは、だいたいにおいて一方通行である。一人が自分の実情について物語り、それを他方が人生相談するのである。物知り顔で答えるが、同じだけの人生しか歩んでいない。できることは、肯定することだけなのだ。「分かるわ」この言葉だ。ここで、「バカだ、ちょんだ」と反対する人は友達にはなれない。そこに存在する理由は擁護者だからだ。聞くことだけ、話は受け身に聞き流すという事らしい。これが男だと、「バカだ、ちょんだ」とどやして、知ったかぶりで「当たって砕けろ」と言う。多くは砕け散るのを期待している。これが男のルールだ。5:携帯電話の登場とうとう携帯電話が登場した。彼氏に電話している。実時間の恋愛講座だ。分かった。私はひらめいた。彼女達の時間軸は、私と違うのだ。超ハイスピードの空想空間で恋をしているから、結論が早いのだ。その分、多くの恋ができるのかも知れないが、そこにとどまって考えている時間はない。つまり、実空間における恋を楽しんでいる暇などないのだ。今の時代、時間の流れがどんどん速くなっている。携帯のボタンを押すことで、人はその流れに命綱を投げ込む。自分がその流れに沿って、連れていかれる感覚に酔えるのだ。ここで、2人は退場した。速い。食べるのも、飲むのも、しゃべるのも。とても奇麗なお酒でした。2人でビール2本。熱かんを大小1本ずつ。これでは酔わないだろう。6:一人酒について騒がしい店で一人酒をしている人を見ると、大体が他人を見ている。他人を肴に飲んでいるのだ。それは寂しい酒なのだろうか、それとも実空間の世界との接点を楽しんでいるのだろうか。その酒は他人からみれば、明らかに寂しい酒だ。しかし、当人にとっては、この酒が無いほうがもっと寂しいのだ。パリでローストビーフとワインで夕食を楽しむ老婦人がいた。その時の老婦人は、初めてパリに来て浮かれる学生たちの、賑やかな食事風景を見て微笑んでいた。老婦人にとっては、喧騒の場が生への繋がりを感じる時だったのである。7:一人酒の練習私は一人酒を練習している。一番楽なのは、居酒屋のメニューに『お進めコース』があって、順番に料理が出てくる時だ。「これ何ですか」、「おいしいですね」、「今が季節なんですか」板さんや、仲居さんにその都度、質問していればいいのだ。一番やっかいなのは、ごく普通の居酒屋に入って、雑音の中に身を置くときだ。今の私である。私はそんなとき、何かをメモする振りをしている。それは逃げだ。じっくり酒を飲め。寂しい酒を。8:酔った地酒、極聖(ごくきわみ)+5度、300mlを2本。酔った。でもね、酔ったら男の本懐は遂げられないのだ。先程、見るからに金持ち風の男ときらびやかなの女が入ってきた。秘め事前の腹ごしらえといったところである。男は巧みに自制している。大生ビールの後は、酎ハイなのだ。飲みたいが飲んだら役たたずになる。その葛藤なのである。「お兄さん、さわらのみそ焼き、お願い」女の鼻にかかった声を最後に、私は店を出た。9:ポン引き達の夜妄想を絶たれて、一人酒に酔いしれた後、直ぐにはホテルに帰り難くて、夜の街を彷徨った。繁華街を離れ、公園につながる道に出る。そこで自転車に乗った50過ぎのおじさんAから声を掛けられた。振り向くと、おじさんAは小指を立てて単刀直入に用件をおっしゃった。「女いらんか」私ははじけるように笑ってしまった。女はものではないぞ! 私は相当に酔っていた。役立たずだ。手を振って、そそくさとその場を2〜3m歩いて、ちらっと後ろを振り向いた。おじさんAは自転車をころがし、次なる獲物を求めて行った。私はその姿にもう一度腹を抱えた。そして私は頭を元に戻した。そこに、にこにこ顔のおじさんBがいた。10:必要悪おじさんBのにこやかさに思わず私は聞いてしまった。「何ですか。これですか」私は小指を立てていた。「必要悪ですから。いいんですよ」「私、経験ないんですよ、勇気がなくて」そんなこんなの話をしていたら、話が横にずれていった。「今、若い流れ者と同居してんだよ。袖振り合うもなんとかってやつでね。 そいつはここに流れてきて、女とくっついて、子供を作ってしまった。 その女と子供のために働いていたんだけど、 どうにもならなくなって、別れてしまったんだ。 田舎に帰ると言ってたが、今ごろいなくなったかもしれない。 俺、最近家に帰っていないから」多くのことを一気に語ろうとしているので、話が飛び飛びになってしまっている。人情話で私を信用させようとしているのか、それとも自分の心配事を誰かに聞いて欲しいのか。「たしょうの縁だよ。袖振り合うもたしょうの縁」「えっ」おじさんは、ぽかんと口を開けている。そして、「たしょうって、どんな字だ」「知らないよ」にこにこしながら、私はおじさんBもパスしていった。11:追伸多生:仏語。 1、何度も生まれ変わってくること。 2、多くのものを生かすこと。へえー、こんな字書くんだ。多少だと思っていた。袖振り合うも多生の縁[CD] / Chicago Poodle
2021.02.20
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今日は萩の町の散策と、笠松での夕日鑑賞である。それが上記ノート。1982年10月13日 晴れだもんね8:30、YHを出発。今日はサイクリングです。レンタル料500円。修学旅行の学生が多く、至る所で群れをなしていた。9:18、高杉晋作宅9:42、木戸孝允宅9:56、円政寺高杉晋作、伊藤博文らが、幼少の頃、ここに遊ぶ。晋作が度胸をつけたという大天狗がある。10:16、観光協会10:50、明倫館現在は小学校の構内になっている。11:05、藍場川の鯉桂太郎さん宅の近くで、スケッチをしている女性に会う。いかった。ここは、みっちゃんがポスターになったところです。11:40、鍵曲12:04、山縣伊三郎くん宅1:30、松下村塾、吉田松陰幽囚の旧宅明治維新の熱気を感じる。伊藤博文宅へはここから歩いて回った。4:50、東光寺。毛利家の奇数代の殿様の菩提寺。人が多い。ここはメジャーな観光スポット。5:30、笠山。夕日が見たくて笠山に登ったの。ちょっとキザかな。世界第2位の小さな火山だそうです。夕日を1時間くらい見とれていた。6:30、民宿まふくや笠山で夕日を1時間半も眺めたせいで、民宿に入るのが遅くなってしまった。民宿のおばちゃんが心配してくれていた。夜、東萩駅まで歩いていく。近代的な駅であった。(松陰のスタンプの横)昼飯、小萩うどん+わかめおにぎり、650円萩焼きのコーヒー茶碗、1500円 とある。この日は天気も良く、サイクリングで萩の町を回っている。 萩の町は阿武川の三角州に作られた萩城の城下町エリアと その西側の松陰神社エリアからなる。ガイドマップ 萩YHは、西の端の萩城跡近くにある。 三角州の中央に高杉晋作、木戸孝允宅、及び円政寺がある。 円政寺には、大きな天狗の面があったようだ。 観光協会に行っている。スマホのない時代だ。 ガイドマップなどの情報をインフォメーションからもらう時代である。 三角州の南端に藍場川という小さな小川が流れている。 いつまでも見ていたくなる、和やかな場所だ。 芸大の学生さんと思われる、トリッキーな服装をした女性が 風景をスケッチしていた。それを私たちは心にスケッチしていた。閑話休題です。今回も藍場川に沿って歩いてみましょう。(右クリックです)開いた画面を180度回転して、後ろ側に歩いていきます。右側に川幅2mほどの小さな川があれば正解です。 また、不思議なキーワードがある。 「みっちゃんのポスター」 いったい、だれやねん! 1時間かかって、やっと見つけました。 紺野美沙子のNHK朝の連続テレビ小説「虹を織る」のポスター。 その後、鍵曲(平安古)に行っている。 ここも、ロケスポットだ。 赤かぶ検事奮戦記で使われていた。 私は何度も往復した。鍵曲も歩いてみましょう。(右クリック)まっすぐ進んで、突き当りを左折してください。あとは道なりに。もう一か所、鍵曲があります。ここも歩いてみてください。 続いて、少し離れた松陰神社エリアに向かっている。 吉田松陰に関する史跡が集まっている。 その後、東光寺へ。萩にはお殿様の菩提寺が2つあり、 奇数代と偶数代に分かれている。東光寺は奇数代でメジャーだった。 日没前に、自転車を返して、車で笠山に駆けつけている。 昨日みた夕日があまりにも見事だったので、 晴れていたら、何をおいても見に行こうと上川と決めていた。 いやー、行って良かったです。 着いて、日没まで少々時間があったので散策している。 笠山は小さな火山で、火口を見ることが出来る。 もちろん今は噴火していない。 これもちょっとした冒険だ。 笠山での夕日の写真を検索してみたが、 私が見た夕日を探せなかった。 写真が手元に無くて残念だ。 今度実家に帰ったら持ってきて載せますので、数か月後見て下さい。 ギラギラの太陽が海に沈んでいく、 海面の上に陽光の道がこちらに向かって伸びている。 その道を邪魔だとばかりに漁船が横切って行った。 私は夢中でシャッターを切った。 民宿まふくやの位置は分からないが、 歩いて東萩駅に行っているので、 松陰神社エリアの北側だろう。 若いころ、自分より目上の女性は全ておばちゃんと呼んでいたと知る。いやー、いいもんを見せていただいたな。ぎらぎらの夕日。続く。 【作家名】内藤謙一 【作品名】萩・平安古の鍵曲
2021.02.20
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橋本環奈が1000年に一人の美少女と騒がれ始めたころ、私は黄桜のCMに出ている女性を見て、10000年に一人だと思ったものです。単なる私の好みですが……。(右クリックで)それにしても、1000年に一人の美少女が双子と言うのもすごいですね。日本酒も実際の私は好きなんだが、種類がたくさんあって迷ってしまう。それで、隣の客が注文した銘柄が聞こえてくると、つい冒険したくなり、同じものを頼んだりします。10000年に一人の美少女、真野恵里菜というんですね。知らなかった。生意気な小娘に、粋な決めセリフを言ったつもりが、一枚上手の返し技に、唸ったことってないでしょうか。まあ、それも晴れ晴れしたモノであれば、ひと時の恋のような、勘違いの気持ちになったりして。***利き酒***六本木。久しぶりに都会に戻ってきた。この街も不景気のあおりを食っていた。呼び込みがすさましいのだ。無国籍の女たちが私の腕を引っぱり、暗黒の世界に引きずり込もうとする。私はがっかりした。ひたすら明るく、きらびやかで、それでいて気取らない六本木を気に入っていたのだ。私はメインの通りからはずれ、裏道に入った。赤堤灯系の店が、ちらりほらりと並んでいる。その中で、遠目にも目立つ、大きな釜飯用の釜を形取った看板を見つけた。私は看板の下までやってきて、それを見上げた。丁度その時である。地下から階段を、こきみよい下駄の音をさせて板さんが登ってきた。「ヘイ、いらっしゃい。席、空いていますよ」タイミングのよいことである。「ゆっくり、ウィスキーを飲めますか」私の目的はそれだけだ。「ヘイ、落ち着いてやす。俺はおっちょこちょいですが」私は板さんについていった。「そこを引いてお入り下さい。昔のおきや作りになっています」地下の入り口に着くと、板さんがそう言って私をすすめた。格子の引き戸である。それも、へその高さほどしかない。客は腰を折曲げて入らなければいけない。外人さんや、太った人にはつらい入口だ。内部は、雪に閉ざされた古民家といった雰囲気だ。囲炉裏こそないが、掘り机が3つあり、柱はすすけたような配色。調度品も骨董のタンスが並べられている。きわめつけは天井をはう電線だ。白い陶器のがいしが2個づつ平行に並び、それに布で編込まれた被服の電線が近代化のあかしとばかりに取り付けられている。長方形の掘り机の、一方の端に私は案内された。「ジョニ黒のオンザロックを、ダブルで」お通しのだいこんの煮込みが置かれる前に、私は注文していた。机の他方の端には1人の女を含む4人の若者が座っていた。ビジネスマン風だ。場所をわきまえて、小さな声ではしゃいでいた。どうやら、日本酒のきき酒をしているようだ。彼等の前には、それぞれにマスの中に入ったガラスのコップがある。コップには並々と透明な液体が入っていて、縁からこぼれ出た液体が、マスの中にたまっていた。面白いものだ。こぼれるほど酒を注がれると得した気分になる。それぞれが違う酒を選んだらしい。4人はまず自分のマスからコップを出し、マスの中味を飲み干す。次に他のコップの酒を少しづつマスの中にこぼし、飲むのである。これだと女も男との間接キッスを気にせず酒が飲める。「なるほど」私は一人、ジョニ黒を舐めながら感心していた。ただし、今のところ他のウィスキーは飲むつもりはない。私から見て、正面の端に1人、右側に2人の男が、そして、左側に女が座っている。私の目は当然、女に引き付けられる。女はシックなグレーのスーツを着こなしていた。胸元から除いている真っ赤なブラウスがワンポイントの花だ。キュートな日本風の顔だちに、笑顔がとても似合っていた。そばにいる私までも明るくさせてくれる。けっこう飲めるようだ。「これ、甘すぎるわ。こちらの方が辛口で飲みやすい」いっぱしの批評家である。ほのかに朱の色が頬に浮かんでいる。こんな時、男たちは幼く見える。3人の男はみな同じく、にこやかで、穏やかで、優しいのだが、控えめな態度で、女の前に思いきって出て見ようとする者はいない。女と勝負する者がいないと見える。まあいい、私の視界から男たちが消えていく。2杯目のロックが私のグラスの中で、『カラン』と乾いた音を響かせた。その音に女の頭がピクンと反応した。そして、その頭がそろりと私の方を振り向いたのである。私の目は女の目をしっかり捕えた。女をおくびれもせず、小さく私に会釈した。私にはそう思えた。私の手元をちらっと見やると、素早く頭を戻した。「ふーん」私は理解に苦しんだ。「よし」私はもう一度、『カチン』今度はわざとグラフを振りロックを響かせた。女の頭がまたピクンと反応した。しかし、今度は振り向かなかった。音の出どこは分かっているのだ。「クックック……」これでは意地悪じいさんだな。3杯目のオンザロックが運ばれてきた。ロックが液体の中に浮かんで回転している。この状態ではロックは響かない。私はこの液体を一気に飲み干そうかと思案していた。しかし、さすがに3杯目だ。ロックを響かせる前に、私の頭の中がまわってしまいそうである。と、その時。グラスを見つめる私の視界の隅に、女の顔が現れた。いつの間にか、私の隣に座っているのだ。下から私を覗いている。その顔は満面に笑みをたたえている。「えっ、何」私は何か変な顔をしていたのか、顔に何かついているのだろうか。私は手で顔を拭った。「ティスティングしてもいいですか」女は手のひらに赤いマスを頂き、軽やかに美声をころがした。何事が起こったのか一瞬戸惑った。私は女の笑顔と、奥で囃し立てている3人の男たちの顔を交互に見つめた。「ずうずうしんだよ、夏ちゃんは」「酔っ払っているんですよ」「自分で注文すればいいじゃないか」私はもう一度、女の手のひらのマスを見て理解した。一口、私のジョミ黒を飲ませろというのだ。「先ほどの音がとても美味しそうだったので。 それに呼びましたよね、わたしを」(アチャー、ばれてるよ)私は心の中で顔を赤らめた。「どうぞ。そのままでいいよ。 マスに入れると日本酒と味が混じるから」「でも……」そうか、女は私との間接キッスを気にしているのだ。「唇を奪われるのを気にしているのなら、 すべて飲み干せばいい」女の笑顔がフラッシュした。女はグラスを手にとると、一口、ゴックンと至福の液体を喉に流しこんだ。ふうと小さく息を吐くと、グラスを私の目の前に戻し、「それでは奪って下さい」そう言って、仲間のところに戻っていった。「奪って下さいか」私は琥珀色の液体に、彼女の唾液が拡散していくのを想像していた。液体のなかでロックがゆっくり回転している。私はグラスに手を伸ばすことを躊躇しているのだ。「やられたな」 【あす楽 送料無料】 日本酒 飲み比べセット 黄桜 まごころセット 300ml×5本 飲み比べ ギフト セット 大吟醸 純米大吟醸 お酒 誕生日 プレゼント 贈り物 贈答 京都 清酒 冷酒 地酒 蔵元直送 伏見 お返し ホワイトデー
2021.02.19
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縁結びの出雲の国での行動は、上記ノートである。1982年10月12日 晴れ5:00、起床。大鳥居と竹内まりあの生家・竹野屋。それと出雲大社を見て回る。縁結びの糸と絵馬を買う。800円、400円。8:00、YHを出発。山口女子大の2人と連れ立って、日御碕へ8:20、日御碕到着。海の青、空の青、両者ともあざやかであった。海猫はすでにシベリアに飛び立っていて、鳴いているのは、上川猫のみであった。9:40、日御碕出発。10:00、大社駅。大社造りの駅で写真をとった。2枚撮ったが、2枚とも、間が抜けたアベックにじゃまされた。 とある。 我々が泊まった『えびすやYH』は今は『えびすや民営ホステル』として、 出雲大社の参道の脇にある。 歩いてすぐのところに、一の大鳥居、竹野屋があった。閑話休題(これ多いな)参道のストリートビューを歩いてみましょう。(右クリック)まず、頭上の標識を見て直進する。交差点を渡ると、すぐ左手に国引きのモニュメントがある。さらに進むと、一の大鳥居が見えてきた。どんどん進んでいくと、右手に出雲大社駅がある。(緑色のドーム状の屋根)ここで山口女子大の2人とお別れして、タイマーで記念撮影を撮ったのだろう。信号のある交差点を越えて、左:神門通り広場の標識を越えて、一つ目の十字路を左に曲がり、10mほど行くと竹野屋がある。竹内まりあの実家だ。そいうえば、北海道の旅で出会った、彩さんは、竹内まりあにそっくりだった。BGMはこれで。(右クリック)Wiki(竹内繁蔵)に竹野屋をめぐる、竹内まりあと夫・山下達郎の奮闘記が書かれている。元の道の戻ってさらに進むと、正面に出雲大社が見えてくる。ストリートビューはここまで。勢溜(せいだまり)の鳥居、鉄の鳥居、銅の鳥居と参道を歩いていく。縁結びには、一の鳥居から、この3つを含め、全てくぐってこなければいけない。拝殿だけでなく、左手にある神楽殿も忘れずに、こちらの方がしめ縄が大きい。それと拝殿の裏の素鵞社(そがのやしろ)も忘れずに。出雲そばも忘れずに。 戻って、日御碕に山口女子大の2人を同乗させて行っている。 萩津和野への急ぎ旅だったはずだが、 昨夜の情報交換で、彼女たちが日御碕に行くと言ったので、 このような流れになった。 快晴の青に加えて海の青。 ここは海鳥でも有名だったようで、それを期待していたようだが、 季節が違ったのか、全くおらず、擬声が得意な上川が、 海に向かって一人、青春をしていた。『ミー、ミー、ミーは上川、……』 大社駅で彼女たちを見送った。こんな会話をしたはずだ。 「私たちは、これで旅を終わり、すぐに山口へ帰ります」と彼女たち。 「俺たちも帰りに、山口を通るよな、オイ」私に上川が念をおした。 「ぜひ、声をかけて下さい。案内します」コメント通りの約束がなされた。一路、萩に向かっている。それが上記ノートだ。一路、萩へ。国道431号線から、国道9号線へ11:30、温泉津。これは、「ゆのつ」と読む。温泉の町。のぼり釜を見る。すでに潰れていた。かつては輸出までしていた壷が散乱していた。12:40、江津。これは「ごうつ」と読む。昼食を食べただけ。とんかつ定食めし大、680円。1:40、江津を出発。『畳が浦』の道が分からず、車一台がやっと通ることのできるハイキングコースを通りたどりつく。3:10、畳が浦を出発。ここは掘り出し物だった。ガミラス星に来たようだった。海岸に石のきのこが乱立している。4:30~5:00、医光寺浜田を経て益田市の医光寺へ。ここは雪舟が住職を務めたことのある寺。庭はもちろん雪舟庭園。落ち着くね。受付に現れた女子高生に見とれた。6:30、萩指月YH(しずき)に到着。笠山付近の夕日がきれいだった。 とある。一路、萩を目指すのであるが、 途中、休憩がてらに、目についたスポットに立ち寄っている。 初めが、出雲から、60Kmほど西に走ったところにある温泉津である。 道沿いの山の斜面にのぼり窯が放置されていた。 山に分け入ってみると、たくさんの一抱えもある素焼きの壷が 雑草に埋もれるように放置されていた。 のぼり窯は大規模なものである。 それが何本もあった。 さらに20Kmほど行ったところの江津で昼食をとっている。 めしを食べながらガイドブックを見ていたら、『畳が浦』を見つけた。 明治5年の大地震で海底が隆起してできた珍しい岩場が 浜田にあると書いてあったので行ってみることにした。 道に迷ったようだ。ナビはない時代だ。 ストリートビューで見てみた。 あれえ、昔はもっとでっぱりがあったような気がするが、 波で削られたのかな。 当時流行っていた、宇宙戦艦ヤマトに出てくる、(ガミラス星でなく) イスカンダルのイメージに合致した。 旅の醍醐味に、「掘り出し物の観光スポットを見つける」というものもある。 人との出会いだけが旅の醍醐味ではない。地球との出会いもまた、醍醐味だ。 感傷に浸りながら、医光寺に行っている。これも、ガイドブックでチェックしていた。 雪舟が築いた庭園が見事と書いてあった。 これは行ってみて良かったと思う。落ち着いたわ。 地元の女子高生にも出会ったし。やっぱ、人との出会いも大事。 ちょっと寄り道しすぎたようだ。 医光寺を出ると、海沿いをひた走りしている。 萩の手前に笠松と呼ばれる、海に突き出した場所がある。 ちょうど日暮れに通り、夕日がとても印象的だった。次の日は萩の町を散策しているが、夕日をもう一度笠松に見に行っている。 続く。【中古】S.H.フィギュアーツ 宇宙戦艦ヤマト2202 森雪 約140mm ABS&PVC製 塗装済み可動フィギュア
2021.02.19
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今回は比較的新しいものです。「ウィスキーが お好きでしょ」石川さゆりのフルバージョンで。(右クリックで)そして、この曲が紡ぎだす物語、この人を私は選びました。**「ウィスキーがお好きでしょ」「ハイ」**私は出張で帯広に来ている。夜になると、さすがに北海道は涼しい。8月だと言うのに、私は長袖のシャツにベストを着込んでいる。こちらの人がTシャツだけで歩いているのが信じられない。仕事を終え、明日、東京にもどるつもりだ。今夜はゆっくり疲れを癒すことにしようと、店を探していた。健全な、どさん子の町でやっと11時過ぎまでやっているバーを見つけた。名前は「北の宿」。扉を開けると、期待通り演歌のBGMが聞こえてきた。店内には若い男女が一組いるだけである。「いらっしゃい」カウンターの中から、ママが気さくに声をかけてくれた。都はるみに似ている。店の名前の由来が分かったような気がした。カップルから3つ離れたカウンター席に座った。「ジョニ黒のオンザロックをダブルで」何処に行っても私の頼むものは同じである。ママの手が、ジョニ黒の瓶に伸びかけた時である。「ママー、夕張メロンを作ってよ」満面笑顔の女がこちらを振り向き、ママに頼んだ。ママの手が空中に止まった。「夕子ちゃん。今夜はよく飲むわね」どうやら、カップルは地元民のようだ。「だって、宏ったら、今日ね、私にプロポーズしてくれたんだもの」夕子と呼ばれた女は、照れながら告白した。「あら、そんなこと今まで言わなかったじゃないの」ママの手が夕子の手とハイタッチしている。私のジョニ黒はしばし、お預けだ。「だって、まだママにも言ってないんだもの。 このママは、私の本当のママの事よ」夕子はそうとう酔っているようだ。その横で宏と思われる男がニコちゃんマークの顔で座っている。どうやら交渉は成立したようだ。宏は至福の時を味わっているといった顔である。「それじゃ、お祝いしましょうね。夕子ちゃんの大好きな夕張メロンで。 お客さんも飲むでしょ。これ、私のおごりですから」私はウィスキーしか飲まないので、と言える状況ではなかった。でてきたのは、オレンジ色をしたママ特製のカクテルである。「それじゃ、乾杯!」ママが音頭をとって乾杯の声が店内に響いた。そして一気にカクテルを飲み干す。甘い酒である。「夕子ちゃん、宏君、おめでとう」ママがすかさず奇声を発する。私も成り行きで和してしまった。「ありがとう。ママ。そして、おじさん」私はおじさんと呼ばれた。その後、立て続けに甘いカクテルを2杯飲まされた。それぞれ夕子と宏のおごりである。私はありがたく頂いてから、店を辞した。結局ジョニ黒は飲めなかった。私はこれから、さらにもう1軒、落ち着いてウィスキーを飲ませる店を探すつもりだ。「まだ、大丈夫ですか」「ええ、ウィスキーはお好きでしょう」「はい」サントリー 角ハイボール缶 350ml缶×2ケース(48缶)[SUNTORY][角瓶][チューハイ][サワー] RSL (ARI)
2021.02.18
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今日も萩津和野を目指して走るのが、それほど距離を稼いでいない。それが上記ノートだ。1982年10月11日8:30、三朝YHを出発。三朝から、蒜山(ひるぜん)へ。女性ライダーがいた。これまた奇麗な人たちで。――、YHから38Km地点。料金前。蒜山高原の眺望はすばらしい。大山がよく見えた。紅葉には10日ほど、早かった。――、YHから43Km地点。いか焼き。500円。高い。12:00~1:00、大仙寺。焼きいも、1000円。大山そば、450円。黒っぽいそば。出汁は濃い。大仙寺で、鐘を叩く。10円のところ100円入れてしまったので、2回たたいた。1:25、米子。カメラ。2:30、松江松江城は、彦根城以上。ヘルンさんと会う。地元の人は小泉八雲のことをヘルンさんと言う。彼は極度の近視だった。そのため、机の背が非常に高いのだ。4:20、松江出発4:30、ガソリンを補給、31.2L、5930円松江から、出雲大社まで海沿いの道を行く予定であったが、地図の道はまだ、できていなかった。それで、宍道湖沿いを走る。夕日がすばらしかった。5:20、えびすやYHに到着。えびすやYHで、山口女子大の2人に会う。一人は萩出身の人で、色々と予備知識をいただいた。『ふた並き道』 とある。ムフフ、出会いが……。その前に。 三朝温泉から、蒜山(ひるぜん)に向かっている。 蒜山高原は、大山の南東6Kmくらいにある高原だ。 (現在の私が)地図を見て驚いた。岡山県だ。 岡山の県境が蒜山高原の北側にある。 料金前とあるのは、米子自動車道の蒜山ICと思われる。 走行距離から考えると、 三朝温泉から、少し北に走り倉吉市へ 倉吉市から右手に大山を遠くに見ながら、国道313号線で南下。 国道482号線に乗り換えて、寄り道せずに、蒜山ICを目指している。 この間、右手が蒜山高原で、その奥に大山が見えていたということは、 この日は、快晴だったんだ。我々の時代、暴走族が全盛だった。 だからではないが、女性ライダーも含め、バイク乗りが多かった。 MapFanでルートの距離を調べると 三朝温泉⇒蒜山IC:39.5Km。 まあ、合っている。 蒜山IC⇒溝口IC⇒大山寺:34.8Km。まあ、合っている。 でも、蒜山ICから、5Kmの地点で、『いか焼き』とある。どこで買ったの? 大山寺。ネットで調べると、とても趣がある。 だが、鐘も2回たたいているのに、全く記憶にない。 感想も、焼き芋と大山そばである。 急ぎ旅だったようだ。 次は、米子に向かっている。たぶん、県道24号線を走ったのだろう。 また、『カメラ』のキーワードは読解不可能だ。 米子から松江城に向かっている。 距離は34Km。1時間かかっているので、国道9号線で行ったのだろう。 松江城の周りを、2時間ほど、観光している。 小泉八雲ゆかりの地で、城の北側に小泉八雲旧居や記念館がある。 後に、子供たちを連れて、再訪したが、この一帯は見応えがある。 半日でも時間が足りないと思う。 小泉八雲についてだが、(Wikiより) 本名がパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)。 松江の島根県尋常中学校への赴任を命ずる辞令に このHearnをヘルンと表記したのが、始まりとか。 また、小泉八雲記念館に行くと、彼が使っていた、机といすが残っている。 まあ、リンクを開いてみてください。 という、訳です。 今では、遊覧船に乗って堀川をゆっくりまわるのも良いみたいです。 松江城から、出雲大社にある、えびすYHに向かっています。 選ぼうとした道は、松江から、北上し、 出雲半島の日本海側の海岸線に沿って進む道です。 確かに地図にはあったのですが、工事中でした。 それで、宍道湖(しんじこ)の北側に沿って走っています。 夕日の時間です。 奇麗でしたが、なんせ、西に向かっているので、 まぶしい。閑話休題急ぎ旅出なけれ、せっかく、米子まできているのですから松江の前に、境港に行って「げげげの鬼太郎」にあってくるのもいいですよ。子供は悦び、大人は海鮮丼で大満足。さて、ゲームである。BGMはこれ。鬼太郎ファミリーには、鬼太郎、目玉おやじ、ねずみ男、猫娘、こなきじじ、砂かけばばあ、ぬりかべ、一反木綿がいる。ストリートビューの水木しげるロードを駆けずり回り、鬼太郎ファミリーのモニュメントを集めよう。時々、着ぐるみを来たファミリーもいたりする。その点数は2倍だ。全て揃ったら、……。楽しいぞ!境港から松江までは、江島大橋を通りましょう。迫力があります。江島、大根島を通り、松江に行きましょう 戻って、出雲大社、えびすやYH着です。 現在も、えびすや民営ホステルの名で運営しているようだ。 ここで、山口女子大に2人と知り合った。 そのきっかけが、これだ。(欄外)山口大の2人は、僕のノートをYHの落書き帳と間違えて持って行こうとしました。☆1982.10.11 えびすやユースにて☆ どーも、まちがえて すみません。 ところで…。 実は、私のいとこに そっくりなので、 初対面とはおもえません。 これからの旅も 気をつけて! 安全運転♡ By あられ 山口にいらしたら ぜひ(?)声をかけて下さいNe。 御案内いたしまぁーす では、これからも楽しい旅をつづけて下さいNe♡ By YK 北海道の時と同様に、我々が仕掛ける前にその時は突然にやって来る。 人と人の出会いって、そんなもんだ。 縁があれば、意識して近づくのはそれからである。 あっ、ここは縁結びの神がおわします、出雲の国である。 夕食の後で、ミーティングルームで情報を探していた時だったと思う。 机の上に置いていた私のこのノートを YHの落書き帳だと間違えて、持って行きそうになった。 それならと、ついでにコメントを残してもらったのだ。 彼女らの一人が、我々がこれから行く萩の出身だったので 萩の情報を教えてもらった。 ……の、はずであるが、ノートには『ふた並き道』としか書かれていない。 今回のミステリーは難問だらけだ。 「萩 ふたなみき」で検索をかけるも、有効打はなしだ。 それはそうと、あられさんのいとこにそっくりだったのは、どちらだったのか。 私は、鶴田浩二に似ていると言われたことがある。 『馬鹿な奴だとお思いでしょうが~』あれ、古い奴だったけかな? 続く。【宍道湖】【しじみ】【冷凍】 Lサイズ1kg(1キロ)【送料無料】青森県・十三湖と並ぶ日本有数の漁獲量を誇る島根県・宍道湖産砂抜き冷凍しじみ【国産】【冷凍シジミ】【味噌汁】【砂出し】
2021.02.18
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今回は、このシリーズのテーマ曲にしたい名曲である。小林亞聖作曲『夜が来る』である。(右クリックで)この曲が作り出した名作がこれだ。さて、独身時代の事だ。仕事が終わり、帰宅途中の電車の中での話である。私は疲れた体を支え、つり革につかまりながら、暮れ行く窓の外の風景を見ていた。つるべ落としに陽が陰り、都市部のまばゆい輝きから田園都市に入ったとたん、街の灯りが小さくなった。すると、急に窓ガラスが魔法の鏡のように、映し出す世界を変化させた。夜の景色の焦点がぼやけて、再び何かを補足したと思ったら、隣に立っている女性だった。魔法の鏡の反射率が、女性を魔性として映し出す。ショッキングピンクのワンピースも目を奪う。目と目が合ったとしても、私はその先の風景を見ている振りをしていた。鏡越しだとそんな勇気を与えてくれる。ただ、相手もそうだったりする。**黒大理石に映る魔性**「カチッ、シュポー」赤い細身の電子ライターに、頼りなげな幼火が灯る。正面の黒大理石に映る炎に、私は目を奪われていた。出張先のホテルのラウンジバー。ジョニ黒のオンザロックをころがしていると、3つ隣の席に、真紅のスーツに身を包んだ女が座った。私は何故か、そちらを振り向くことができずにいる。女の姿は、カウンターの正面にある磨き抜かれた黒大理石に写っていた。反射率が低いので細部までは見てとれないが、一目で美人と知れた。バーテンダーが現われ、女はオレンジジュース系のカクテルを頼んでいた。女にしては低音の、落ち着いた声である。運ばれてきたカクテルを一口含むと、ハンドバックからセーラムスリムを1本取り出し、人さし指と中指で、不安定に挟んだ。それからカクテルをもう一口。今度は少し多めに含んでいる。カクテルの冷たさを口の中で楽しんでいるのか、なかなか喉の奥に流し込もうとしない。私は黒大理石に映る女の喉元を、息を詰めて見守っていた。もちろん、女からも私の姿が見えているはずだ。しかし、私の視線がどちらを向いているかまでは分からないだろう。私からも女の視線が分からない。だから、私は勇気を持って黒大理石に映る女を見ていた。その間、私はジョニ黒を口に運ぶことを忘れていた。「ゴックン」待ちわびた音が黒大理石からではなくて、隣の席から聞こえてきた。私はほっとして自分のジョニ黒のグラスを口に運んだ。奇妙な緊張で咽喉が乾いていた。私が口元のグラスに視線を落とした瞬間である。「カチッ、シュポー」私の注意を喚起する、電子ライターの音が聞こえてきた。私は反射的に顔をあげた。黒大理石に映っていたのは、2本の細い指に支えられたタバコをくわえ、真っ赤なルージュに彩られた女の口であった。ライターの灯りが黒大理石の反射率を増加させ、女の口の周りだけを鮮明に映しだしていた。魔性の口が小刻みにタバコを吸った。その度に、ライターの炎が揺らいで、やがて、消え去った。魔性の口も黒大理石の闇の中に戻って行った。私は気を取り直して、口に張り付いていたグラスの底を持ち上げようとした。目は黒大理石の中に潜む、魔性の口を見据えていた。すると、ホタルの灯りのようにはかない点滅が生じた。2度、3度。それは私がグラスに口をつけるタイミングを図っているようだ。試しにグラスの底をゆっくりと持ち上げてみた。4度目の点滅が先ほどよりもゆっくりと瞬いた。見られている。私に緊張が走った。可笑しな話だ。無礼にも見つめていたのは私の方である。私はグラスを下に置いて、緊張を解くことに努めた。首が凝っていた。私は下を向いて大きく呼吸をすることにした。目は相変わらず上目使いに黒大理石を見ている。すると、かすかに女が笑ったような気がした。女は半分ほど吸ったタバコを灰皿に押し付け、軽くカクテルを口にすると席をたった。私は振り向くこともできず、氷ついていた。私の席の後ろを通る際に、女は少し腰をかがめたかと思うと、私の耳元でささやいた。「ごゆっくり」サントリー オールド 700ml
2021.02.17
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さて、山陰の旅の始まりである。上記が初日のノートだ。1982年10月10日 徳田の下宿で『勝利への脱出』の映画を見た。興奮冷めやらぬ、午前0:45、応物の校舎前を出発。北摂霊園を抜け、北上。1:30、箕面を通過。霧箕面から西舞鶴までは、霧がかかっていて、上川の「前が全く見えんわ」の声に眠れず。3:10、西舞鶴に到着。笠松公園へ登る道を探すのに右往左往。結局、歩くしか行く方法がないことが分かる。成相寺への道は険しく、ローでしか登らない所が度々あった。駐車場で2時間ほど仮眠した。5:00、成相寺を歩いて出発6:30、笠松公園、天橋立に到着。股の間から、天橋立を見る。誰しもがする行為らしく、お立ち台があった。8:00、駐車場を出発。8:25、大宮町で朝食、焼き飯、500円9:15、出発あみの駅からタクシーが飛び出してきて、ぶつかりそうになった。この時、上川が運転をしていたが、彼はブレーキを踏まなかった。丹後かんの駅でババをした。(欄外)今日は、距離をかせぐかめ、走りに走った。少し、疲れたもんね。――、日和山、ガソリン補給、33.4L但馬海岸にて、日本海の荒波を満喫。――、鳥取砂丘外人さんが泳いでいた。異人さんのすることには、ついていけん。5:10、三朝YH到着。ここには、泊まっただけ。本当は大山YHに泊まりたかったが、シーズン中でいっぱいだった。 とある。 今回の道連れは、前回の北海道の旅で、 久本号の搭乗員だった、上川(仮名)だ。 彼とは同じ講座で学んでいる。夕方、よく校舎の周りをランニングした。 彼は、陸上部で、ゴールまでのシナリオを計算尽くした、 終わりよければすべてよし型である。 私はサッカー部で後先考えずに、走れるときには突っ走る、 先行逃げ切り型。いつも最後には、彼に負けていた。 真夜中に校舎を出発している。 それまでの時間をもてあまし、能登の旅で道連れだった、 友人の徳田(仮名)の下宿で『勝利へ脱出』を見ている。 TVでロードショウをしていたのだろう。サッカーの王様ペレが出ていた。 前回の北海道の旅と同じ道を通り、西舞鶴に向かっている。 北摂霊園の道を今度は気をつけて、スピードを押さえて走った。 箕面から上川に運転を任せて、仮眠を取ろうとしたが、 「霧だ霧だ」と上川がうるさくて、キリがない。 笠松公園は、天橋立が眺望できる場所である。 車で登り、その駐車場で仮眠しようとしたのだろう。 しかし、その道はなく、成相寺の駐車場に停めている。 成相寺は、笠松公園の北側、1~2Kmの所にある寺だ。 中途半端な場所だ。 今、地図を見て停めるとすると、笠松公園に登る、ケーブルカーの 登り駅の近くにするはずだが、よほど、迷ったのだろうか。 繰り返すが、ナビのない時代だ。 笠松公園の天橋立側にケーブルカーがある。 登り駅の横に歩いて登る階段もある。 元気な人は歩くことを進める。 なかなかハードだ。 股から覗くお立ち台がある。 ストリートビューのリンクを張り付けたが、 どうしても、股から覗く景色にはできない。 工夫がたりないなあ。グーグルさん。 もちろん、天橋立そのものを歩くことが出来る。 この時は歩いていないようだが、 2016年に娘と来た時に南の端側から北の端まで歩き、 歩いて笠松公園に登っている。(夕方で、ケーブルカーが終わっていた)歩くと結構な距離である。閑話休題ストリートビューで天橋立を歩いてみよう!(右クリックね) 結構大変、誰が早くいけるかゲームにしても面白いかも。ストリートビューで遊覧船から天橋立を見てみよう!(右クリックね) 道だけでなく、海の上もストリートビューがあるのね。 先日、ブラタモリで天橋立を放映していた。 今は天橋立の南側が発展しているが、元々は北側が町の中心だった。 一宮・籠神社(このじんじゃ)や国分寺が北側にある。 当時はそのような知識がなく、通り過ぎている。 大宮町は、天橋立から、15Kmほどで丹後半島の付け根中央にある。 網野駅は京都丹後鉄道宮豊線の駅で、京丹後市の北側にある。 丹後菅野駅は2015年に小橋立駅に改名されている。 私がウンを落としたからだろうか。 京都丹後鉄道宮豊線と沿うように走る国道178号線で進み、 豊岡市で山陽本線に沿って走る県道3号線に乗り換え、 日和山海岸を目指したようだ。 どこに行っても、海側の道を我々はとりたがるようだ。 海沿いの道を鳥取砂丘まで走っている。74Kmほどだ。 鳥取砂丘の海岸で、10月だというのに、外人さんが泳いでいたんだな。 私でも、さすがにこの季節は泳がない。ハワイでのことを思い出した。 泳いでいたら、地元民に「この季節は泳がないんだ」と言われた。同じだ。 さらに海沿いを走り、天神川の手前で南下し三朝町に向かっている。 紅葉の季節で、お目当ての大山YHに泊まれなかったようだ。 というと、三朝YHに失礼だ。両方とも、今はない。 でも、三朝温泉も、今の私は魅力的な場所だと思う。一応の目的は、萩津・和野なので、西に向かっての急ぎ旅である。続く。らっきょう 鳥取 国産 甘酢 国産 鳥取県産 送料無料鳥取砂丘らっきょう甘酢漬け180g×5袋ふるさと認証食品程よい甘酢さ 国産 らっきょう漬け らっきょ セット
2021.02.17
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「ウイスキーが、お好きでしょ」 石川さゆりフルで聞くのもいいものです。それで、この歌が語る物語として、小雪バージョンを選択しました。(右クリックして、新しいウィンドウで開く)**スポットライトの中の語り部**北陸の城下町。古の名所旧跡めぐりと、港町を中心としたグルメ探訪。これがこの町を訪れる人々の主な目的である。と言っても、私は仕事だ。津津浦浦、仕事で日本中を歩いている。楽しみといえば、早く仕事をやり終えて、堀出し物の酒場を探すことだ。代々の城主が眠る菩提寺の参道に、一昔前の店が並んでいる。中には、新しい繁華街となった駅前通りに引っ越して空き家になった店もあるようだ。今は夕暮れ時、レトロ調に益々磨きがかかる。個々の店からこぼれ出る灯りも街灯も、裸電球を思わせるオレンジ色が基調である。その中に「茶房」と書かれた酒場を見つけた。看板が古く、漢字が右から左に書かれている。骨董屋で高く売れそうな看板である。私は不安と期待とを織り混ぜながら扉を開けた。スポットライトが3ヵ所にあり、それ以外は闇だ。ライトの中を煙草の煙がなびいていた。間口2間、奥行き4間程度の店である。左奥にカウンター席があり、それを囲むようにテーブル席が配されている。テーブル席は1人、2人の客で全てふさがっていた。私は奥のカウンター席に座った。「ジョニ黒をダブルで」「すみません。うちは角しか置いてないんですよ」見るとカウンターの後ろに陳列されているのは酒瓶ではなくてティーカップである。私がそれを眺めているのにバーテンダーが気付いた。「昼間は茶店をしているんです。夜になったらお酒を出しているんです」すまなそうにバーテンダーがいう。「いや、それじゃ角でいい」バーテンダーは、大きめのグラスにかち割氷をあふれるほど入れ、角瓶から、ほとばしる液体を並々と注いでくれた。店内には、小さな音でクラッシックジャズが流れている。確かにスポットライトのみの明るさはジャズライブの雰囲気である。私はグラスの中の液体を一口、体に流しこんだ。アルコールがしみ渡り、体のセンサーが覚醒する。店内に少しずつ、ざわめきがもどり始めた。どうやら私が秋の虫の泣き声を一時的に止めたようだ。ざわめきがもどるに連れて、私自身がこの場に同化していく錯覚に囚われた。カウンターの中央にスポットライトの1つがある。私はこの光を避けるためにカウンターの左端に座っていた。光は私の足元に届いていた。私以外に、カウンターにもう一人、年配の女が座っていた。光は女の左肩から下を照らし出している。顔は闇の中だった。割烹着姿からして近所のおばさんが喉を潤しにきているという感じだった。「わたしゃこう見えても、小さい頃は網元の娘だったんだよ」誰に言うともなく、その女はしわがれた声で言った。「いつの頃だい」入り口近くのテーブルから男の声がした。肩越しに覗くと、ランニングシャツにタオルをひっかけた労働者風である。どうやら私が入ってくるまで、秋の虫たちは、一つになって語らっていたようである。「先の戦争で工場が焼けるまでかな。 大きな釣船が50はあった。 釣舩が漁からもどってくると そりゃもう、港は活気ついたよ。 高級魚は料亭に運ばれ、 あとは、かまぼこや開きに加工されるんだよ。 近くの百姓が野菜を持って、魚を買いに来たもんだ。 そのころは物々交換だったんだ。 家には大きな囲炉裏があって、 訪れた人が好きなだけ焼いて食べていけるようにしていた。 ご飯や酒も振る舞ってね。 たらふく飲み食いできるものだから、毎日多くの人がやってきた」「工場が焼けてから、どうなったんだい」カウンターの後ろから声がした。右肩越しに覗くと小太りの老人だった。スーツを来ているところからすると、私同様、他所者のようだ。「あの戦争で父と兄がもっていかれた。 母は一人で網元を切り盛りできないからと、 権利を売ってしまった。 今は港の近くで小料理屋をしているよ。 あれだけ家に飲み食いしにきていた人も 金がかかるとなると、店には来ないと 母は文句ばっかり」「あんたは何してんだい」質問は順番制らしい。今度は私の後ろから声がかかった。振り向かなくともそこには、普段着姿の中年男がいることを座る前に確かめていた。「あれ、言わなかったかい。この店のオーナーだよ私」女はその時始めて光の中に顔を現わした。苦労を重ねてできた小皺に白粉を丁寧に塗込めていた。歌舞伎役者の登場に似ている。見栄を切るそのしぐさに一同からどよめきが上がった。「どうして、母親の店を手伝わないのさ」私を除いた最期の学生風の客が尋ねた。次は私である。わずかに緊張してしまう。とその時、入り口の扉が開いた。秋の虫たちが再び沈黙した。カツンカツンとハイヒールの音である。そのまま奥までやってきてカウンターに座った。私とオーナーの間のスポットライトの中である。歌舞伎の舞台が一気にキャバレーのステージになったようだ。一同が息を飲んだ。オーナーが入ってきた女を見つめて、大きなため息をついた。そして、また、闇の中に顔を沈めていった。「ママ、相変わらずね」一同は、もう一度息を飲む事になる。登場した人物は男の声を出したのだ。「私の息子よ。母がこの姿を嫌がってね。だから手伝えないの」「ママ、また、その話」話が滞った。沈黙である。秋の虫たちの目が、私の背中に注がれていることを感じていた。『こんどはおまえの番だ』と。私は話の展開に戸惑った。「美人ですね」とも言えないし。「お気の毒に」とも言えない。迷ったあげく、「お愛想お願いします」**仕事で金沢に行った時だった。その日は台風が近づいていた。私はふらふらと町を歩いていたのだが、突然土砂降りの雨。私は近くの茶店に入った。看板に「茶坊」とかかれていた。入ると、おばちゃんと、近くのおじさん風の人が話をしていた。私はコーヒーを頼んだ。おじさんはひとしきり話すと雨が小ぶりになったので、と出て行った。店に私だけが残された。おばさんは話し好きのようだ。話す相手を私に切り替えたのだ。おばさんは網元の話しをしてくれた。もっともおかまの息子はいない。 【sale】国産ウイスキー サントリー 角瓶 40度 700ml【家飲み】
2021.02.16
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私は学生時代のノートに書かれた旅行のメモを解明することで、ミステリーツアーを楽しんでいる。ツアーのコースは、全6コース。1:能登 掲載済。2:北海道 掲載済。3:山陰4:九州5:大台ケ原6:九州から山陽である。今回は山陰の旅だ。この旅の道ずれは、北海道の旅で久本号に乗っていた上川だ。彼の特徴を再掲しておく、上川:久本とのコンビはばっちりだ。陸上部で体も絞られている。憎めない笑顔で女性をトリコにする。私は自分でいうのもなんだが、久本ほど、自信の持てる外見を持っていない。上川とのコンビでは、私は常に引き立て役と言ったところだ。だが、今回の旅は北海道程、私は浮かれていない。この時点では、うさぎさんたちと後日談が進行中だった。その状態で二股なんか私のような凡人には無理で、とは言いながら、上川には関係のないことで、彼はいつもの笑顔で、いつ女性をトリコにしてしまうかもしれない。今回はそんな旅だ。ワクワク。『旅とは人と人の出会い』人は女性と限ったことではない。ここで、この旅の正しい楽しみ方について再掲する。この旅は文章中心だ。写真は実家の押し入れに入っていて手元にない。旅に出ると地図を片手にワクワクする人が適正だ。できれば、別のタグ/ウィンドウでグーグルマップを開いて、ルートを追随し、文章に登場するキーワードを検索する。検索した記事の写真を見ながらこの文章を読むと、臨場感が沸く。私はそうして書いている。また、なるべく地元の観光協会のリンクを張ったり、ユーチューブをBGMがわりに、リンクを張ったりしている。これらも、別のタグ/ウィンドウで開いて見たり、聞いたりして頂くと楽しめると思う。さあ、旅のスタート。ということで、今日はここまで。閑話休題ちょっと、普通のブログのようなおまけ。還暦を過ぎた世代の呼び名を考える。論語には次のような呼び名がある。年齢 年齢の呼び名 意味15歳 志学(しがく) 学問を志した30歳 而立(じりつ) 自分なりの考え方をもてるようになった40歳 不惑(ふわく) 迷わず自分の道を進めるようになった50歳 知名(ちめい) 自分の使命が分かった60歳 耳順(じじゅん) 人の話が聞けるようになった70歳 従心(じゅうしん) 心のままに動いても人としての道を外れることがなくなった70歳までしかない。人生100年時代にはそぐわないかもしれない。ユングは、人生を少年期、青年期、壮年期、老年期の4つに分けた。厚生労働省の提言では、幼年期0~4歳、少年期5~14歳、青年期15~29歳、壮年期30~44歳、中年期45~64歳、高年期65歳以上 高齢期の74歳までを前期高年期、 75歳以上は中後期高年期と区分している。還暦をすぎた我々は、中年か? 直ぐに、老人期または、高年期になる。何だかもう恋を語る年じゃないという感じだ。私が青年と呼ばれていた頃、確かに私は還暦を迎えた人たちを老人と呼んでいた。恋はないだろう。生きることで精いっぱいだろうと。今考えると、失礼なことだ。自分に対して、もし、若者から露骨にそう思われると、私は握りこぶしをあげるだろう。確かに、見かけは、決して「青年と変わらない!」とは、言わない。だが、本当に年をとったか、恋はできないか、現役でないのか。自分に問うてみる。いや、少なくとも気持ちは老いていない。気持ちは見えないもんね。人生100年時代と言われる今だ。60歳なんて、半ばをやっと超えたばかりだ。後40年もしたら、人生200年時代と寿命が逃げてしまい。いくら年月がたっても追いつけないようになっているかもしれない。それで考えた。もっと、活力を抱かせる我々の年代の呼び名。還暦が過ぎて終わるのではない。さらに飛躍するのだ。それから連想して、スイングバイというロケットの打ち上げ方法を思いついた。一度宇宙に飛び出し、楕円軌道を描きながら地球に帰ってきて、地球の引力を推進力に変え、スピードを上げて大宇宙に飛び出していくものだ。始めの60年は小宇宙を楕円軌道で戻ってくる安全なのも、その後のスイングバイにより、還暦を過ぎた我らは前人未到の大宇宙に飛び出していく。そうだ我々を探求する年代。探年と呼ぼう。これからは、なんでも、やったんねん。やっ探年だ。このミステリーツアーを続けるために自分自身を鼓舞するために考えてみた。やっ探年。結局、おじさんのだじゃれか?ゴルフ スイング バイブル [ 内藤 雄士 ]
2021.02.16
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今日は「和歌山市は観光地なのか?」をぼやいてみたいと思う。ネットには、観光関係のHPがたくさんある。例えば、『和歌山歴史物語100』100通りの旅行コースが載っている。和歌山県人の私は、1日中これを見ていても飽きない。1か月に一コース出かけたとしても、踏破するのに9年かかるのだ。他にも、『和歌山市観光協会』お勧めのモデルコースや、『わかやま観光』にも情報満載である。和歌山の民話を読んでから、和歌山を訪れたい人には、『和歌山県ふるさとアーカイブ』や『神奈備:紀の国の民話・昔話・伝説・伝承』がある。さて、これだけ見れば、和歌山に来てもいいと思うのだが……。確かに世界遺産の高野山や熊野古道は賑わいを見せたと思うが、他はどうだろう?例えば、和歌山市内の観光客は増えただろうか。京都や奈良に比べてどうだろうか。そこまで見るものがないだろうと思われているのだろうか。そんなことはない。和歌山城。徳川御三家の一つ紀州の城だ。暴れん坊将軍で有名な、吉宗の出身城だ。でも、大阪城、姫路城に比べるとなんだか影が薄く思える。和歌浦天満宮。日本の三管廟の一つと言われているが、北野天満宮、太宰府天満宮に比べると、どうだろう。紀州東照宮。日光東照宮に対して、西の東照宮と言われるが、知名度はどうなんだろう。こんな立派な御朱印帳を知っているのだろうか。すでに紹介した日前宮にしても、伊勢神宮と由緒的には肩を並べているはずが。コンパクトに見どころはたくさんあるし、狙いめだと思うのだが。例えば、和歌浦天満宮、紀州東照宮のあるところは和歌浦だ。片男波も歩いてすぐだ。山部赤人になりきって和歌も歌える。雑賀崎に出て間近に紀ノ川河口、紀伊水道を見てもよいし、紀三井寺に参り、太平洋を眺望してもよい。お腹がすけば、和歌山マリーナシティーの黒潮市場でマグロの解体ショーを見て、大トロ、中トロのにぎりも食べられる。和歌山ラーメンにさんま寿司の組み合わせも最高だ。猫好きなら、わかやま電鉄貴志川線にのり、『たま駅長』に会いにいけばよい。天空の城ラピュタに行きたいと思う冒険好きには『友ヶ島』だってある。ついでに、雛流しの『淡嶋神社』にも寄れる。歴史好きなら、紀伊風土記の丘にいけば、おびただしい数の古墳がある。ああ、1日では回り切れない。お土産には柚最中だってある。【港屋】柚もなか(21個入)
2021.02.15
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お酒のCMって、調べてみると記憶に残っている物が多いですね。今回は、石田ゆり子の「女房酔わせてどうするつもり」です。ニッカオールモルトですね。スタレビの木蓮の涙もいいですね。**世間知らずの心を酔わせてどうするの**湖が眺望できる、山の上のホテルに来ている。私は仕事を終え、まだ、太陽が沈み切らないうちからホテルのバーに行った。温泉に入り、汗を流し、浴衣に着替えてすっかり温泉モードだ。「ジョニ黒のオンザロックをダブルで」どこに行っても私のオーダーは同じだ。「かしこまりました」お決まりの、黒の服のバーテンダー。ただ違うのは若い女性だというところ。それが温泉モードのバーテンさんなんだろう。グラスが私の前にだされた。手の中で氷を一回ししてから、至福の液体をゆっくりと喉に注ぐ。『ペタペタペタ……』一口目の余韻の彼方から、スリッパの音が近づいてきた。振り向くと、小さなデイバックを担いだ、女子大生風の女がたっていた。ラフな純白のパンツに、手編みの丈の長いサマーセータ。これも純白である。ジョニ黒の花嫁が現れた、と言ったところである。女はバーラウンジ内をきょろきょろ見回している。この雰囲気に慣れていないようだ。手には旅行ガイドが握られている。私は頭を元に戻して、グラスに写る花嫁に乾杯した。「あのー。ここに座っていいですか」後ろから声がかかる。顔をあげてみると、カウンター内にバーテンダーがいない。と、いうことは私に対して言っているのか。私はもう一度、頭を巡らした。女の顔が意外に近くにあった。「ここに座っていいですか」女は同じ言葉を繰り返し、私から一つあいたカウンター席を指差している。客は私以外には、いないのである。「今日は予約が入っていないそうだよ」私はもって回した言い方をした。ちょっとした冗談である。「よかった」女は真に受けた。やっと落ち着くところができたというようにデイバックを降ろしている。(よかった? 冗談とはとってくれなかったようだ。 世間知らずなのか、それが女子大生のかわいさなのか)などと私は一人ほくそえんでグラスを傾けた。「あのー、リコメンドして下さい」「えっ、なんだって」「わたし、初めてなんです。キャバレーって」今どきキャバレーとバーとを間違う若者がいるとは。「残念だけど、ここはキャバレーとは少し違うね」「違うんですか」「バーだよ、バー。――失礼だけど、君。年は幾つなの」「18です。大学1年です。初めての一人旅で戸惑う事ばかりで」(おいおい、見知らぬ男にスキを見せるような事を言うんじゃない)私は思わず説教してやりたくなった。(18か、まだ未成年じゃないか)「それじゃ、ロイヤルホットミルクがいいんじゃないかな」「それ、アルコール強くありません」(おいおい、ただのあったかい牛乳だよ)「そうだな。強くはないよ」間違いではない。私は一人、心のなかで赤い舌を出していた。旅の可愛い嘘は、言い捨てである。(おまえの可愛い花嫁はバカがつくくらい純真無垢のようだ)そこへ、バーテンダーが戻ってきた。「あの、ロイヤルホットミルクをお願いします。 こちらの男性に勧められたので」私は思わず、口に含んだ至福の液体を噴き出すところであった。バーテンダーは悪戯っぽい目を私に向けた。「いや、あれだよあれ。イギリス産の」などといいながら、グラスの影でバーテンダーに、顔を近づけるように合図を出した。バーテンダーが私の口元に顔を近づけた。「彼女18なんだ。それで、特別のロイヤルホットミルク。分かるだろ」私はホットミルクのところを強調して言った。そして、ウインクをつけ加えた。「かしこまりました」バーテンダーはシェイカーを一つもって姿を消した。(大丈夫かな。シェイカーなんて、何に使うんだろう)私はちょっと心配になった。「わたし、父の仕事の関係で中学、高校はベトナムにいました」女は独り言のように自己紹介を始めた。「大学は日本にしなさいと両親が言うものですから、 わたし一人、日本に帰国したんです。 6年振りの日本。 どこもかしこもモダンになっていて、目がまわりそう。 でも、そうも言っていられないので、 一つ一つ経験していこうと思っているんです」「だからか」この世間知らずさは浦島太郎だったわけだ。「何がですか」「いや、冗談のつもりで、私がいったことを真に受けられて、 拍子抜けしていたんだ」「えっ、何か冗談を言っていました。 わたし、日本的常識が欠如しているんです」額をトントンたたきながら、女は何が冗談だったのかをリプレイしている。そんな悩める女を肴に、私はグラスに口を運んだ。『カチン』氷が、グラスに当たる音。「あっ、空だ」今日の酒は実に楽しい。そこにバーテンダーが帰ってきた。右手にちょっと大きめのグラス。左手にタオルに包まれたシェイカーを持っている。グラスが女の前に置かれた。タピオカが入っている。バーテンダーはおもむろにシェイカーを構えると、大仰に振り始めた。「おいおい」私はバーテンダーに意図が通じたものと思っていた。期待に胸を膨らましている女のグラスに、白い液体が注ぎ込まれた。液体から湯気が出ている。どうみてもただのホットミルクに見える。女はしばらく目を細め、うれしそうにグラスを眺めていた。やがて、グラスを手にとると白い液体の香りをかいだ。「いい、かおり」そして、口にした。私はその一部始終を、息を止めて見てしまった。「うわぁー。おいしい。お酒の味がする」女は感謝の顔を私に向けた。私は驚きの顔をバーテンダーに向けた。バーテンダーは顔を近づけてきた。「グラスにブランデーの香りを少しつけておきました」「あのシェイクは何なんだ」「単なる、デモンストレーションです」バーテンダーの方が一枚上手であった。「やられたな」私は安心の笑顔を女に返した。女のほっぺは赤く染まっていた。それがアルコールのためでないのは明らかであるが。「わたし、少し酔ったみたい」と、言われたものだから。「あんまり急いで飲んでは悪酔いするよ」と、私は悪乗りしてしまった。「分かりました」女は素直だ。また、香りをかいだり、グラスを眺めたりし出した。私はにやにやしながら、グラスに口を持っていく。『カチン』「ああ、そうだった」私のグラスは空のままだった。「もう一杯お作りしましょうか」「それじゃ、アルコールのたくさん入ったのを頼むよ」「シェイクは必要ですか。サービスしますよ」***これは、諏訪で開催された学会で出会った、財閥のお嬢さんに触発されて書いたものです。 ニッカ オールモルト 40° 700ml
2021.02.15
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これから3日かけて、関西に帰ります。1日目が上記ノートです。ほとんど事件もなく、ミステリーでないのですが、最後に、後日会ったうさぎさんのコメントを載せています。8月23日 9:15民宿を出発。この民宿、函館駅から離れていたが、温泉民宿で非常に良かった。10:20函館駅。先輩さんを見送った。チョコとオールド(だるま)を貰った。1:45、函館から本州の大間に渡る東日本海フェリーに乗った。12300円(車と一人運転手)+800円x2人。3:30、内地、大間崎に上陸。5:30、恐山通過。見たかった、登りたかった。7:10、奥入瀬ユース着。2700円。佃井の方言講座。東北編。 どこへ行くの? ⇒ どこさ お風呂へ ⇒ ゆさ じゃんけん ⇒ キュキュ 私は ⇒ ワは、 とある。お帰りモードだ。 その前に、民宿あきまの感想が書かれている。 我々以外に一組泊まっていた。 今でも覚えている。それが奇妙な組み合わせだった。 小柄で若い美女。もしかしたら、高校生かもしれない。 それと太った年配の男性。親子くらい年は離れていたが、 雰囲気からして親子ではない。 何やら怪しい雰囲気をぷんぷんさせていた。 函館駅で、先輩さんを見送った。先輩さんは飛行機で帰る。 お土産を貰っている。チョコとオールド。 申し訳ない。『あざっす』 (この時に行っていないが、駅前に海鮮丼が食べられる朝市がある) 我々は函館港から、大間行きの距離的に最短のフェリーに乗った。 いわゆる青函連絡船は、函館から青森行きだ。 青函トンネルの開業(1988年)まで運営されていたので、 我々が行ったときはまだあった。しかし、我々は大間行を選択した。 本マグロで有名な大間は、斧の形をした下北半島の北の先っぽにある。 本州最北端である。そこを出発点にしたかった。 恐山にも寄ってみようと旅の始めには思っていたが、 帰ると決めると、途中下車はしたくなくなった。 また、いつか改めてこようと心に決めた。 大間から国道279号線で、むつ市を経て野辺地町に。 そこから、国道4号線に乗り換え、十和田市へ。 さらに、国道102号線に乗り換え、奥入瀬に向かっている。 ただひたすら帰るといいながらも、十和田湖を見ようとしている。 この日の宿は、 奥入瀬渓谷の中央当たりにあった奥入瀬YH。 2食付き、2700円。 このYHも、今は長期休館中らしい。 佃井先生の方言講座が書かれている。 彼の実家は名古屋だが、親戚筋が北の地域かもしれない。 ということは、先の北海道の方言も佃井から仕込んだのかもしれない。 あの時、車を交換したついでに、相棒も取り換えたんだな。きっと。24日分が上記ノートだ。8月24日 小雨8:20、奥入瀬ユース出発。奥入瀬、ゆっくり歩いてみたい所である。十和田湖の展望台では、またしてももやに襲われて何もみえない。もーいや。十和田湖で大柄の人がヒッチしていた。よく見ると外人女性であった。しかし、ジャイアント馬場みたいに大きかったので車は止めなかった。1:00、秋田。昼食、カレー400円4:006:00、新発田、夕食。ヒレカツ定食750円。7:10、北陸、1700円。9:00、新潟県柏崎YH着。朝食付き2050円。新潟県は大きい。どこまで行っても次の県に入れない。 とある。もう書くのもいいかなと思うが、 最後のうさぎさんのコメントがあるので、がんばる。 途中下車はしないと決めている。 この日は、奥入瀬YHから十和田湖にでた。 この時は奥入瀬を通過したが、(でも、ストリートビューでどうぞ) 2018年に私は家族と再訪している。 これがその時の風景写真だ。 夏に行ったが、また、紅葉の季節にも行ってみたい。 湖沿いで外人さんのヒッチハイカーがいたが、車を停めていない。 とても大柄の美人さんだった。 乗せていたら、大騒ぎだっただろうな。 でも、先を急いでいた。 日本海の秋田に出ている。私が行ったことがなかったからだ。 十和田湖から国道103号線で大舘まで、 そこから7号線に乗り換えて秋田まで行ったと思われる。 176Km。3時間40分で走っている? 秋田自動車道、日本海東北自動車道などの高速道路はまだない。 秋田から新発田(しばた)ICまでの、157Kmを一般道で南下。 4時間ほどかかっている。 北陸自動車道で柏崎ICまで行って(1700円) 柏崎YHにPM9:00にたどり着いている。最終日は、高速道路で吹田ICまで行き、大学の校舎にたどり着き解散している。特筆すべきは、途中のネズミ捕りに引っかかり、8000円の出費。運転手は佃井だった。最後に、後日、写真を渡し、町民還元用ワインを飲んだ際にうさぎさんたちがこのノートに残してくれた言葉を掲載しておく。「うさぎ、No1。神戸に帰ってから、また会えてうれしいです。 北海道では、ほんとうに楽しかったナー。 運転したことも、地平線見たことも、摩周湖におりたことも、 みーんな楽しくていつまでも忘れません。ありがとう」 By 晶さん。「うさぎ、No2。今日はいっぱい、ごはん食べました。 ごちそうさまん!! ひろわれたなど、つゆ知らず。 でも、そのお陰で、危険いっぱいtourができたもんね。 また、お会いしましょう。」 By 彩さん。 書く際にこのノートを見て、いつどやの先輩さん同様、 笑いこけていた。私のアクアミィーがばれてしまった。 今、どうしているのかな? かっこいい、おばあちゃんになっているのかな?最後に今回の北海道の旅の思い出ベスト3の発表。第3位:屈斜路湖砂湯温泉でのカニ地獄 次の日アクアミィーになるくらい飲んで騒いだ。第2位:函館山の夜景 構図がいいのね。第1位:「和って、和歌山ですか」の出会い 旅は人と人との出会いです。北海道の旅、完結!
2021.02.15
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お酒のCMには、心に残るものが多かったと思いませんか。ジョニーウォーカーだけを宣伝するのもあれなんで、今日はサントリーで、大原麗子さんの「少し愛して、長く愛して」を見てみましょう。(右クリック、新しいウィンドウで開く)**一人身にはラガーマン**私は行きつけの酒場で友人を待っていた。そんなに待ちわびているわけではないが、扉が開く音がする度に、振り向いてしまう。何度目かの扉の音とともに、若い女が入ってきた。「お久し振りです」女は店の馴染みの客なのか、バーテンダーが声をかけた。しかし、自分を店の馴染みだと思っている私はその女に会ったことがなかった。女はカウンターの隅の席に腰掛けた。私からは5つ離れた席である。バーテンダーと二言三言、言葉を交すとひっそりその場の雰囲気に埋もれてしまった。しばらくして、ジョニ黒のロックが女の前に運ばれていった。女性向きの飲み物ではないと思うのは、私のエゴだろうか。女はじっとそれを見ているが、一向に飲もうとしない。時折、グラスのしずくを指ですくいとっては、カウンターに悪戯書きをしているだけであった。男として、声を掛けるべきだと判断した私は、グラスを持ちカウンターの席をスライドして、女の横に座った。「ちょっと、いいですか」私の声に女は驚いたように、こちらに顔を向けた。歳の頃は30ぐらいか、寂しそうな顔を除けば、美人である。「貴女も待ち合わせですか」「ええ。ここに来ると会えるかもしれないと思って」「それじゃ、来ないかもしれないんですか」女はそれには答えず、また、悪戯書きを始めた。テーブルには、破れたハートマークが書かれている。「私も友達を待っているのですが、そいつが来るまでご一緒していいですか」「私の彼。すっごく、やきもちやきですよ。 それに腕っ節も、すっごく強いですよ。覚悟できています」女は破れたハートを指で繕いながらコケチィッシュな会話を楽しんでいる。「やきもちやきですか。それは困りましたね。 それじゃ、近くにいない方がいいですね」私はすごすご退散した。元の席に戻り、手の中で行ったり来りのグラスの中味を一気にあおった。バーテンダーが気を利かせて、お代りを持ってきた。「ありがとう」「今日、旦那さんの命日なんですよ」「えっ」私は顔をあげ、バーテンダーをみた。バーテンダーの目線は若い女を指していた。「5年前、彼女と旦那さんはここで知り会われて結婚されたんです。 一杯のお酒が縁でね。 それが、昨年の今日、交通事故で旦那さんが亡くなったそうです。 今日、彼女がここに来られるんじゃないかと私は思っていました」私は女の横顔を見て、もう一度バーテンダーを見た。彼は40過ぎのように見える。どうしてお客の命日を知っていて、また、どうしてその奥さんが命日に来ることまで分かっていたのだろう。「ねえ、バーテンさん・・・・・・」私はそのことを聞こうとしたが思い直し、違う質問をした。「その時の想い出の一杯をまだ覚えていますか」「ええ、もちろんです」「それじゃ、それを彼女にプレゼントしてくれませんか。 私ももう一度、トライしてみますから」バーテンダーは意味ありげな笑いを浮かべ、うなずいた。私は再びグラスを片手に戦場に赴いた。女の横の席について、一呼吸を置いた。女はこちらを伺うように見ている。「体力をつけて来ましたから、やきもちやきの彼でも大丈夫ですよ。 もっとも足がなかったら、逃げて帰りますが……」女の反応は、素晴しい笑顔だった。これでパーフェクトの美人だ。「おしゃべりなバーテンさんね」そこへ、バーテンダーが想い出の一杯を持ってきた。ガラス製のアイスペールである。氷が半分くらい入っており、そこに琥珀色の液体が並々と注がれている。「バーテンさん、これ何?」私はすっとんきょうな声を出してしまった。「ご婦人に教わった、スペシャルロックです」バーテンダーの先ほどの、意味ありげな笑顔の意味がこれだったんだ。私は女を振り返った。女は巨大なロックグラスを見つめて、笑いながら涙を流していた。「ありがとう。こんな事を覚えていてくれたのね」「どういたしまして」バーテンダーはすました顔で、用意していたフェイスタオルを女に差し出した。「私ね。彼と初めてここで会ったの」女は昔話を始めた。「友達と2人でここに紛れ込んできたら、 彼が一人、カウンターで飲んでいたの。 体の大きな人で、ラグビーをしていたの。 友達も私も、ここに来るまでにすっかりでき上がっていて、 酔っ払って彼にからんでしまったの。 何かのはずみで、 『男ならぐぐって、一気にいきなさいよ』って言って、 私、アイスペールにジョニ黒を注いでしまったらしいわ。 覚えて、いないけど。 そしたら彼、 『これを飲んだら、付き合ってくれますか』って、言ったのよ。 不思議とそれは覚えているのね。 彼、一気に飲んでしまったの。 ……ねっ、貴方も試してみる」女の想いで話は麗しくはあるが、私にまねのできるものではない。その時である、後ろで扉の開く音がして、息を切らせた友人が入ってきた。「すまん、待たせたな」私はひらめいた。「ああ、待ったよ。おまえのために作っておいた。まあぐっといけ」私はジョニ黒の入ったアイスペールを彼に渡した。友人は、私と、女と、バーテンダーの見ている前で、何の疑いもなく琥珀の液体を飲み干した。そういや、奴もまたラガーマンだ。(オールドラベル) サントリー レッド 39度 640ml
2021.02.14
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民宿ぽんぽん船と、堀芳号見送りの様子が上記ノートだ。(ぽんぽん船スタンプの横)今日のお宿は民宿ぽんぽん船、朝食付き2130円。極道Tシャツが売れた。買ってくれたのは、僕の先輩さん、K高(だんじり高校:仮名)の1年上の泰ちゃんである。なかなか美人。おもわず、ほれちゃいそう。1982年8月22日 (日曜)ぽんぽん船の前で記念撮影。8:39、ぽんぽん船を出発。先輩さんが同乗。堀芳号を見送る。10:30、フェリー乗り場を出発。小樽の運河。埋め立てるとか、反対じゃとかで、もめているそうですが、ウンが良ければ残るでしょう。活気がなく、汚くみえた。 とある。 まず、ぽんぽん船について、 人気がある有名な民宿だったようだ。 多くの方がブログに懐かしむ意見を述べている。 スタンプの図柄では、ギターを弾いているが、 宿の主人が夕食後に、ギターを持って歌いだす宿だったようです。 我々は、外食し宴会していたので、参加していません。 もし参加していたら、堀芳がギターを奪って、歌っていたでしょう。 極道Tシャツとあるのは、 前述している、「我ら放蕩息子Tシャツ」です。 槌谷が持ってきた一枚を売りました。 その方は、私が卒業した、だんじり高校の1年上の先輩です。 いやー。旅の醍醐味ですね。 旅先で、ご当地の人に出会うのもいいのですが、それより、 実は近くにいたかもしれない人の方が、感動があったりして、 その感動が、性懲りもなく失礼な記述となっています。すみません。 私たちが函館に向かうということで、 同じ方向だった先輩が、同乗することになった。 Tシャツを売りつけた槌谷が早々と交渉し成立させたのだ。 でも、いつ交渉したのか? 我々は前日の夜は外出していたのだ?閑話休題(極道Tシャツについて)極道Tシャツの由来を思い出した。槌谷が「我ら放蕩息子Tシャツ」を作成し、学科のほとんどの者に売りつけた。それを着て片山津温泉に繰り出したことがあった。何を思ったのか、槌谷は旅行グループの名前を『極道会』とした。もちろん、学生であることは相手の旅館に告げていた。我々が旅館に到着すると、旅館の計らいか、中居さんが一同に並んで、我々を迎え入れてくれた。総勢百人はいたかもしれない。(時が経って、話が膨らんでいるかも?)中居さんも到着するグループが極道会としか知らされていなかったらしい、中居さんの一人に「おどかさないでよ」と、私は笑いながらおしりを叩かれた。それ以来、「我ら放蕩息子Tシャツ」は極道Tシャツと呼ばれるようになった。 話を戻して、 フェリーに乗り込む堀芳号を見送った。 『落葉』ではないが、 私たちは紙テープをどこかで手に入れている。 小樽運河は、今は整備され奇麗になっている。 人気の観光スポットだ。 ウンがあったのですねって、 へたなダジャレがしつこい。午後の行動が上記ノートである。1:10、積丹半島で泳ぐ。(欄外)白い岩が海底にあり、海水は緑色に見える。5mほどの海面下に底が見える。泳いでいるのが怖い。昆布もいたるところに生えていて、足にまとわりつく。女がまとわりつくなら、よろこんぶ なのに。ローソク岩を見た。(絵の下)誰しもが何かを連想する。1:40、昼食。チャーハン、先輩のおごり。3:00、興志内、トンネル。――、泊、ガソリン給油40L、7600円。5号線より駒ケ岳に雲のシルエットが映り、鉄腕アトムの顔のようになった。僕は思わず、激写した。6:50、函館駅。6:30、民宿あきま。朝食付き3100円。8:00、夕食。いかそーめん。カニ雑炊。1630円9:00、函館山から夜景。両方を湾に囲まれ、扇状に広がる光たち。波間にきらめくイカ釣り船。僕を飽きさせない。*先輩さんのお言葉北海道へ来て、泉州のそれもだんじり高校の後輩さんに会うことが出来て、感激しました。きのうは、一日中、ほんとうに、どうもありがとう。車で北海道をまわりたいなぁーと思っていた私の夢がかない、うれしいです。気持ちがよかったです。運転が上手だったからかもしれませんね。シャコタン岬も、函館山の夜景も見ることができて、最高の一日でした。 本当にありがとう。これからも、気をつけて、いい旅してくださいね。 S57.8.23. Y.泰っちゃん とある。 これからは一台の車での単独行である。 「うさぎ狩り」や「男の旅」などと小さいことに悩むことはない。 佃井も、我々と同化している。 それで、やっぱり、泳いでいる。 小樽から、国道229号線で積丹(しゃこたん)半島を一周した。 確か、先輩さんが、国鉄で函館にそのまま向かうつもりだったが、 本当は、積丹半島にも行ってみたいとのリクエストに応えてだった。 余市から5Kmほど北側に、 ろーそく岩と呼ばれる奇岩が海に突き出している。 誰が見ても、ローソクというよりは、他のものを連想する。 「カムイ・イカシ」(男神)として崇められているそうである。 その近くで泳いでいる。 海に向かって岩場が突き出していて、小さな湾を作っていた。 海底が白く、ブルーの海水が緑色に見えた。 海草や大きなとげをもった、色々な種類のウニが海底を蠢いている。 そこに飛び込むのだ。 決して安全と言うわけではないように思えた。 岩場の上から、海面までは3mくらいある。 先輩さんは、近くの岩場に腰かけて、我々の愚行を見ていた。 私は先輩さんに向かって、さっと手を振り、飛び込んだ。 まるで、昭和の青春映画『太陽の季節』のワンシーンのようだった。 映画、見たことないけど。それほど、高齢でもないけど……。 話を盛っています。『会えない時間が、愛 育てるのさ』です。 先輩さんに昼飯おごってもらいました。 この場をお借りして、 私の息子風にお礼を申し上げます。 『あざっす』ありがとうございます の、略らしい。 半島をぐるりと回り、ローソク岩の対象の位置あたりに、 興志内村(おきしないむら)があり、興志内トンネルがある。 運転を交代しただけかと考えたが、念のため検索すると、 並行して手掘りの旧道があった。冒険好きは見に行っただろう。 上記の興志内トンネルのリンクを右クリックし、 新しいウィンドウで開くと、トンネル手間のストリートビューが開く。 トンネルに入らずに、左手の道を進むと、 手堀のトンネルの入口が見える。 泊は興志内村より、 南に5Kmほどで積丹半島の付け根あたりだ。 そこから、海沿いを離れ、内陸へ 函館本線に沿った国道5号線を走っている。 長万部(おしゃまんべ)からは内浦湾に沿って南下。 ストリートビューを追いかけると、 JR石谷駅当たりの国道5号線あたりで、 ノートに書かれている画角で、駒ケ岳が見える。 雲の影が駒ケ岳の山肌に顔のパーツのように映ったようである。 本当かなと疑いたくなるが、 証拠写真は実家の押し入れにあるので、 信じるしかない。 函館駅で宿を探し、民宿あきまに決まった。 うろ覚えだが、たぶん、湯の川温泉ではないかと思っている。 函館駅から少し離れていて歩いていけない。 つまり、夕食に車で出かけなければならなかった。 函館駅から南西に2Kmほどの所にロープウェイの山麓駅があり、 函館山の展望台にいける。途中の八幡坂を通ることをお勧めする。 年配者なら知っているチャーミィーグリーンのCMロケ地だ。 坂の下から見上げると函館山が、上から見下ろすと摩周丸が見える。閑話休題実際に、グーグルマップのストリートビューを使って八幡坂を見てみよう!ここにカーソルをあて、マウスを右クリックして、新しいウィンドウで開く。別のウィンドウが開いて、写真が現れたでしょうか?写真の中央上側に、手の形のカーソルを持ってくる。左クリックを押し続けると写真を掴むことが出来、そのまま、マウスを左右に振ると、写真が回転する。今いる場所の360度の景色を見ることが出来る。坂の下側に向いて、カーソルを坂の下に持っていき、一度左クリックする。視点が動き、立ち位置が坂の下側に移ったでしょうか。繰り返して、坂の一番下まで行ったところで、視点を変えて、坂の上を向いてください。坂の上に函館山が見えているはずです。函館山が画角の上に出ていたら、写真を左クリックで掴んで、上下に振ってください。ある程度仰角を変えることが出来ます。ロールが付いているマウスでは、ズームができます。試してください。今度は、視点を坂の上の端までもって行ってください。上まで行ったら、視点を坂の下側に向けて下さい。函館港に係留されている青函連絡船摩周丸が見えるはずです。それが済んだら、チャーミィーグリーンのダンスが踊りたくなるはずです。 戻って、 車でも登っていけるが、多少渋滞に巻き込まれる。 我々は車で登っている。 ノロノロと登り、うまく駐車場の空きを見つけられた。 ホタテ貝の貝殻を思わせる末広がりの夜景が、やけいにきれいだった。 おじさんギャグを言ったりする。 風邪が吹いていて、少し肌寒かったが、 時間を忘れて見入っていた。 先輩さんにノートにコメントを残して頂いた。 ノートを一通り眺めて笑転げていた。 それにしても、北海道では車で回りたいと思う人が多いですね。 見るところが点在している割に、交通の便はそれほどない。 ご一緒出来て良かったと書いていただいて、 こちらこそと思いました。 先輩さんには、帰ってから手紙と写真を送りましたが、 太陽の季節のようなロマンスはありませんでした。さて、北海道の旅も終わりに近づいた。旅の終わりは、急に家恋しくなる。つづく。【ふるさと納税】 北海道積丹町「なごみの宿いい田」宿泊補助券北海道ふるさと納税 積丹町 ふるさと納税 宿泊補助券 指定旅館 宿泊チケット来た
2021.02.14
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おおっ、新規テーマを初めて作成してしまった。長く続きますように!さて、記念すべき、一発目の「心暖まるシュートストーリ」、これは私が勝手に感動しているだけなのかもしれないが……。皆さんは、昔、TVで流れていた「ジョニーウォーカー黒ラベル」のCMをご存じでしょうか。上に、ユーチューブのリンクを張りました。(右クリック新しいウィンドウで開いてください)それを文字に勝手に落としたのが、下記です。この口コミサイトでは、このような感じのショートストーリを書くつもりです。設定として、ジョニ黒大好きおじさんが登場しますが、このメーカーさんの回し者ではありません。念のため。***うそで良かった***これはジョニーウォーカーのTV-CMからダンプした物語である。この街にはふたつのタイプの人がいる。うそをつく人、うそをつかれる人。私は行き着けの酒場で、ジョニーウォーカーの黒をオン・ザ・ロックでころがしながら、友人を待っていた。店の外は霧雨が降り始めていた。しばらくして、ウィンドウ越しに通りの向こうからルーフケースを頭にかかげ、小走りにやってくる友人が見えた。すると、店の少し手前の路地から一人の若い女が飛び出してきて、友人に声をかけている。友人は立ち止まって女の話を聞いていた。そして、背広の内ポケットから財布をとりだすと、紙幣を抜き出し、その女に差し出したのである。「あれは」私は外に飛び出そうかと腰を浮かしかけたが、思いとどまり、窓の外の様子を見ていた。女はその紙幣をすまなそうに受け取ると、急いで通りの向こうに駆けて行った。「まあ、しかたがないか」私はもう一度座り直し、グラスの中の氷をころがした。「すまん、遅くなった」友人が店に入ってきて、私の隣に腰掛けた。「俺にもジョニーウォーカーの黒をロックで下さい」バーテンダーが静かに頷いた。「さっきの女、病気の子供がいると言っていただろう」グラスを合わせて、私が切り出した。友人の顔が一瞬曇った。「だまされたな。あれ、うそなんだ」私がそう言うと、友人は不思議に晴れやかな顔になった。「そうか、病気の子供はいないんだ」友人はうれしそうにグラスを空けた。ジョニーウォーカー ブラックラベル(黒ラベル) 40度 箱付 700ml 並行
2021.02.13
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国分寺は、東大寺に大仏を作った聖武天皇が、仏教による国家鎮護のために全国に作らせたものである。紀伊国の国分寺は、紀ノ川市東国分にある。私の実家から自転車で15分くらいのところだ。そうして、ここにあるのだろうと思えるところにある。設置条件は次のように決まっているらしい。(Wikiより)**地形的条件**①国華として仰ぎ見るのによい地形②水害の憂いなく長久安穏の場③南面(向)の土地**都市計画的条件**④人家の雑踏から離れている⑤人の集合するのに不便でなく、交通至便の地⑥条里制区画(六町四方を一里とする方形地割にもとづく土地制度)の拘束を甘受すること**政治的条件** ⑦国府(役所)に近いところ(国司が国分寺を監督したことによる)だそうである。紀ノ川と和泉山脈の間の平野部である。①はよくわからないが、②③の条件は満たしている。紀ノ國の中心と思われる、紀ノ川河口からは20数キロは上流にある。④も満たしている。奈良と紀ノ川河口を結ぶ紀勢路の通り道であり、紀ノ川まで1キロ少しで水運を使いやすい場所でもある。また、山越えをすれば、犬鳴山を経て、大阪平野に抜けられるし、犬鳴山から和泉葛城山を経て、奈良葛城山に向かう修験道もある。⑤も満たしていると言える。航空写真をみると、奈良の畑は長方形で条里制の名残が見えるが、紀伊国分寺の周りは、面影がない。⑥の条件は分からない。紀伊国府跡は、国分寺跡と紀ノ川河口の中間にある。距離では10Kmほどか。昔の人なら、2時間くらいの距離である。⑦も満たしていると言える。それで、①だが、国華とは、国も名誉といった意味らしい。紀ノ川市の昔話によると、国分寺の位置を決める際、近隣の村が、うちに誘致したいと言ってきたらしい。結局は、遣唐使の建造を行った船細工が住んでいた地に国分寺を置いたとある。今現在は、調査が住み、創建時の国分寺の講堂跡に立つ江戸時代に再建された本堂と、紀ノ川歴史民俗資料館がある。紀ノ川周辺の地域は万葉の時代の都・奈良への進入路に当り、石を投げると歴史的な史跡に当るのだが、(紀ノ川市文化財マップ)商業的に儲けようという意識はない。自分で歩き回り、発見していやろうと思う人には楽しい場所かもしれない。「紀の川市」ハグルマ 梅ドレッシング
2021.02.13
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前日、帯広から一気に札幌に走ってきた。旅に疲れたわけではない。堀芳の旅のタイムリミットが近づいていたからだ。明日、堀芳が小樽からフェリーに乗って関西に帰る。そのため、我々は札幌から小樽に向かっている。上記がそのノートだ。1982年8月21日(土曜) くもり6:40、起床8:15、札幌ハウスYHを出発。札幌駅で土産を買う。9:35、駅を出発11:25、オコタンペコ(欄外)三大秘湖 オンネトー、シノノメ湖、オコタンペ湖11:53、支笏湖、ポロピナイ観光センター昼食、スパゲッティ500円12:30、出発。支笏有料道路250円ザート。3:00、余市、ニッカウィスキー工場試飲コーナにて、ウィスキー2杯。アップルワイン1杯さすがに運転はだめじゃ。4:00、出発。樽倉庫一棟100億円。自分と同じ年齢の樽を見た。3日続きのアルコール。胃が持たない。 とある。 冒頭にも書いたが、堀芳の旅の日程が明日までで、 堀芳号は小樽からフェリーで舞鶴に戻る。 そのために、今日の最終目的地は小樽である。 距離で20Kmほど、車で1時間ほどで着く。急ぐ必要はない。 札幌駅に行っている。 当時は街に着くと、国鉄の駅に行って街の情報を得たり、 お土産を買ったりしている。 駅は街の中心であり顔として機能していた。今はどうだろう? 1時間20分を要している。お土産を買うだけなら、時間が余る。 時計台でも歩いて見に行ったのだろうか。南に400m。 または雪印パーラー札幌本店でアイスを食べたか。南に300m。 道丁の赤レンガを撮影したとも考えられる。南西300m。 札幌ハウスJYHは、今は名前を 『札幌ハウスセミナーセンター』と変えて営業しているようだ。 宿泊もできるようです。 駅からあるいて7分だそうです。 札幌から三大秘湖の一つオコタンペ湖に行っている。小樽とは逆だ。 オコタンペはアイヌ語で「川下に村がある」と言う意味だそうです。 ついでに、オンネトーは「年老いた沼、大きい沼」 シノノメは、「夜明けの空が東方から徐々に明るんでゆく頃」 オコタンペ湖は支笏湖の北西2Km、恵庭岳(えにわ)の裏にある。 札幌から、国道453号線で南下し、 恵庭岳の手前で県道78号線に右折する。45Kmほどだ。 途中、山間部を通るので、2時間近くかかっている。 30分後には、支笏湖ポロピナイ観光センターにいるので、 オコタンペ湖では写真撮影だけのようだ。 直ぐに来た道を取って返し、元の国道453号線で支笏湖へ 支笏湖ポロピナイ観光センターは支笏湖の北側にある。 観光センターでも、昼食時間を入れて30数分。 急ぎ旅である。 支笏湖有料道路とあるが、今は無料となり、 湖に東北側の湖畔を走る国道453号線となっているようだ。 ザートだったみたいだ。 ここをオンネトーで車をスピンさせた槌谷が運転している。 びびっただろうな。 替わってやればいいのに、私は鬼ですね。 支笏湖から小樽を10Kmほど過ぎた所にある余市まで、 2時間半でたどり着いている。 札幌までは来た道を戻り、札幌から余市までは国道5号線。 ハイピッチで飛ばしたのだろう。 余市にはニッカのウィスキー工場があり、工場内の見学と共に、 ここでしか味わえない、特別ブレンドのウィスキーの試飲ができる。 酒を飲まない運転手がいるので、私は堪能している。ニッカウィスキーのCMというと、これだ。その後の行動については上記ノートだ。5:30ごろ、『ぽんぽん船』に入る。銭湯に行って、それから小樽の夜へ。魚一心にて、うに丼、ほたてさしに感動。感動はドラマだね。つぼ八、5920円魚一心 6600円 ウニ丼800円。ほたてさし400円。毛ガニ1000円。茶店 1350円 とある。『ぽんぽん船』とは民宿の名前である。 余市を出て1時間半後に民宿に入っている。 少し時間が余っている。確か宿が見つからず、 駅当たりのインフォメーションかなにかで調べたような気がする。 銭湯に行ったとある。 民宿は坂の上にあった。風呂がなかった?てことはないだろうから、 面白い銭湯があったのかもしれない。 その後、夜の小樽に繰り出している。 関西にもあるチェーン店のつぼ八に入って、まずは乾杯。 きっと、飲んでいる途中で、小樽らしい店に行こうとなり、 ガイドブックでも有名だった、魚一心に行っている。 小さな店構えだったと思う。 豪快に魚介類がでてきた。 うに丼。つぼ八で腹は満たされていたが、食った。うまかった。 ほたてさしはサロマじゃなく、ここで食べた。 カニと書いているが、毛ガニ1杯、丸々だ。 娘が高校の卒業旅行で北海道に行き、 小樽の魚一心に入り、ほたてといかのにぎりを一貫づつ食べて、 「感動した」と言っていたことを思い出した。 親子そろって…。感度はドラマだ。(その魚一心も閉店している)満腹で、小樽の坂を上るのは苦しかった。次回、新たな旅が…、続く。数量限定生産 ニッカ 余市 10年 シングルカスク 59度 箱なし 700ml
2021.02.13
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前回の記事で、中央構造線と紀ノ川の関係、紀伊半島の中央構造線の東端に伊勢神宮が西端に日前宮があることを書いた。今回は、紀伊国には一宮が3つあることを書こうと思う。一の宮というぐらいだから、本来、一つの国に一つであるはずだが、紀伊国には、一宮が三社ある。和歌山市秋月にある、日前宮、和歌山市伊太祈曽にある、伊太祈曽神社、伊都郡かつらぎ町上天野にある、丹生都比売神社、である。建立された順番は、日前宮が一番後なのは間違いないと思う。伊太祈曽神社と丹生都比売神社はどちらが先か怪しいが、私は、丹生都比売神社が先ではないかと思っている。神社が元々、人が集まった場所だと思っている。例えば、港のような場所や、鉱物採取や工事現場の飯場のような所だ。日前宮のある秋月は、現在は紀ノ川から離れているが、万葉の頃は、河口が南に折れていて秋月はリバーサイドだった。つまり、日前宮は紀ノ川の河口の役所と思われる。海運の船と川運の舟は構造が違う。河口付近で荷を積み替える必要がある。川の水の量によっては、待たなければならなかっただろう。日前宮はそこを通過する荷物や人を管理していた。大和朝廷が始まる頃、河口側には紀氏が、上流側には奈良南部に拠点を置いていた葛城氏が川運を管理していた。伊太祈曽神社は日前宮のある秋月に元はあったという。それが、日前宮に席をゆずり、少し山手に遷座した。伊太祈曽神社の祭神は須佐之男命の息子、五十猛である。木の神様で、全国に木を植え、最後に紀伊の国に鎮座した。紀伊の国は元々、木の国と言われた。それが紀の国になり。国を2文字で表すようになって、紀伊国になった。つまり、出雲の人々がまず、紀ノ川の河口にやってきて、次に、紀氏がやってきたということだ。問題は、稚日女一行がいつ来たのかである。私は、出雲の人々が来る前に、稚日女一行が来ていたと思っている。出雲は玉作の国である。出雲ブランドを持っており、翡翠の勾玉は朝鮮半島の鉄鋌などの重要物資を手に入れるための重要な交易品だった。出雲の民は玉作のための石材を求め、日本列島を探索している。その際、玉材だけでなく、他の鉱物のありかも見つけているだろうし、朝鮮半島から持ち帰った役にたつスギやヒノキを全国に植えただろう。紀ノ川に沿った地帯は水銀が露出していた。地図で見ると、丹生神社が点在している。だが、それはすぐに枯渇したようだ。その後も多く採取されたのは宇陀地域や、伊勢の地域だったようだ。宇陀や伊勢にも出雲の影が残されているが、古墳時代が終わり、玉作が廃れると、急速に出雲の力が衰えて、神話の世界に生きる民となった。一方、稚日女一行も、紀ノ川沿いの露鉱の採掘が終わる頃、出雲、その他の豪族に追われるようにして、紀ノ川から離れ、山手の盆地、天野に神格化され鎮座する。天野と高天原。意味がよく似ていると思うのは私だけだろうか。** 日前宮を訪れた時の日記 **和歌山市岩橋、紀ノ川の河口を見渡せる所に紀伊風土記の丘がある。豪族・紀氏の大規模な古墳群が丘一帯にある。万葉の時代、紀氏は奈良の葛城氏とともに、紀ノ川の水運を担っていた。その紀氏によって歴代奉祀されていたのが、日前宮である。(おさらい)日前宮は、神武天皇のころに立てられたという。伊勢神宮と姉妹神社だ。紀伊半島の中央構造線の東西の端に伊勢神宮と日前宮がある。天照大神が天岩戸に隠れたときに、誘い出そうとして作られた鏡に、三種の神器の一つ、八咫鏡があるが、それと同じときに、日像鏡(ひがたのかがみ)と日矛鏡(ひぼこのかがみ)があり、両者が日前宮のご神体となっている。これだけの歴史を考えると、伊勢神宮とまではいかないが、それなりに格の神社と考えられるのだが、外観の雰囲気は神域を感じさせるが、規模はこじんまりとしている。国道24号線に沿った、こんもりとした森の中に日前宮はある。車で裏手の道に入っていくと駐車場がある。とても広いが、車は1~2台しか停まっていない。入り口には駐車料金200円と書かれていたが、管理人がそのまま入っていいと指示してくれた。訪れたのは、真夏の熱気でクラクラする日だったが、こんもりした森に入ると、急に神気に触れたように涼しいのだ。森は長方形の形をしており、その両側に、日前神宮(ひのくまじんぐう)と、國懸神宮(くにかかすじんぐう)がある。なんだか、寂れている感じがした。伊勢神宮を訪れたことがあったためだろうか、比べることはよくないのかもしれないが……和歌山県人としては……敷地内には小さな摂社もたくさんあるのだが、それも廃れている。灯篭の中には電燈が入っているのだが、最近、灯が点いたようには思えない。参拝者は、学生風の2人と我々だけだった。くるっと回るのに30分かからない。冷房ががんがん効いた社務所には、若くて綺麗な巫女さんが二人いた。ご由緒の書かれたパンフレットを貰って、日前宮を後にした。** 続いて伊太祁曾神社を訪れた時の日記 **日前宮が創建される前に、その場所には伊太祁曾神社(いたきそ)があった。日前宮に追い出された形で紀伊風土記の丘を中心に反対側に移った。日前宮の前の道に、伊太祁曾神社(7Km)への誘導看板があった。追い出した事の引け目なのだろうか? 行ってみることにした。しかし、これが、不親切なのだ。日前宮前の誘導看板から、次が出てこない。当時の車にナビはなかった。その後の誘導看板は本当に近くに行くまでなかった。県道から伊太祁曾神社に入り込む参道はとても狭い。なんだか虐げられている。そんな気がした。(おさらい)伊太祁曾神社は、素戔嗚尊の子供とされる五十猛命が祭られている。五十猛が木の神様で、日本中に木を植え、最後に紀伊の国に鎮座した。境内は中々歴史と趣があった。地元の人達の信仰もあついようだ。歴史を知って、どうして、こんなところもあるのだろうと訪れてみると、とても、興味深い神社である。どういう訳か、日前宮で出会った大学生の二人ずれとまた出会った。彼らは歴史探訪の旅をしているのだろうか?*** 後日、丹生都比売神社を訪ねた時の日記 ***和歌山の実家に帰ってきた。いつものように、実家の掃除、草刈と、ご先祖の墓参りを行った。今回、時間を作って、丹生都比売神社にお参りに行ってきた。「これが旅の醍醐味かな」なんて久しぶりに徳した気分だ。前知識として、丹生都比売神社の歴史を語るとき、三つの大きな話がある。一つは、創設時、播磨国風土記に寄れば、応神天皇が創設したとされる。二つ目は、空海が高野山を根本道場としたときの関わり。三つ目は、鎌倉時代の元寇に対して神通力を発揮したこと。***私の実家は和歌山県紀ノ川市にある。午前9時過ぎに、車で実家を出て、紀ノ川を右手に見ながら、国道24号線を奈良方面に走る。かつらぎ町に入り、道の駅・紀ノ川万葉集の里を過ぎてすぐ、笠田東の交差点で、世界遺産・丹生都比売神社の誘導看板を見つけた。真新しい看板だ。ここから、この看板に従って行くだけである。不思議なことに、同じく世界遺産であるはずの高野山に関しては、ただ、高野山となっているだけで、扱いは、丹生都比売神社と異なっているように思えた。紀ノ川を対岸に渡り、山に入っていく。登りはかなりきつい。道は整備されているが、所々、一車線のところがあるので、スピードはださないことだ。私は、平日に行ったのだが、休日だと、関東から観光バスが来るという。バスとすれ違うとなると、厳しいので、本当に要注意である。天野トンネルを越えると、突然の平地になる。相当に海抜が高いはずなのに、高低差の少ない開けた平野なのだ。感覚的には紀ノ川の川沿いにいるような不思議な感覚になる。家屋もこんな山の中の割には多いように思えた。家をでて40分ほどで目的地に着いた。車を丹生都比売神社の駐車場に入れ、車から出て振り返った。正面に池に浮かぶ太鼓橋が見えた。この池は、人魚だか、鮑だかを食べて不老不死になった八百歳の白比丘尼が、自分の美しさ若々しさを嘆き悲しみ、懐中にした鏡を取りだし、池の映る自分の水影に投げつけたと言われる伝説の池に違いない。 いつまでたっても若くて年をとらないことを嘆いた。 というのは、それでとても悲しいことかもしれないが、 だからと言って、その美しさを嘆いたと言うのは、 なんだか、嫌味に聞こえてしまうのだが…。正面の鳥居に回って境内に入っていく。歴史的重さを考えると、拍子抜けするくらい、簡素な社だ。神様が渡られるという太鼓橋の上にたち、鏡が池をのぞいて見た。古の趣はあるものの、まだその雰囲気は、私のものになってこない。 伊勢神宮や高野山金剛峰寺などと比べると、 変な言い方だが、 一般客が観光として訪れるには、 あまりにも見るべきものが貧弱に見える。 しかし、こう思える私は、商業ベースに染まった観光客なのだろう。 造られた物を見せ付けられ、満足したいだけかもしれない。 ここには、見ておきたいものが生のまま残されている。 帰る頃には、今度、もっとゆっくりとこのあたりを歩きたいと思った。神前に向かって進んでいく、私の前方に、40歳前だと思う、お遍路姿の夫婦が見えた。背の高い旦那さんは、肩から筒状のものを下げていた。きっと西国33箇所の御朱印を集めた掛け軸だろう。夫婦の方が、参拝をすませて、社務所の方に向かわれた。御朱印を頂きに行ったのだろう。入れ違いに、私が神殿に進んだ。お参りして記帳をしていた。神殿をそれとなく見ていると、先ほどの夫婦が神主さんと伴に戻ってきた。神主さんは、私の横をすり抜け、二人を神殿の近くに連れて行き丹生都比売神社の御由緒を語りだした。私は渡りに舟とばかり、ペン片手に、傾聴してしまった。 ***ここからはしばらく宮司さんの説明***正面の4つの神殿は、右から「丹生都比売」、「高野御子」「気比明神」「厳島明神」。一間社春日造りでは日本一の規模ということだ。「創設は1700年前、応神さんによって行われた」と言われた。播磨国の風土記によるものだ。 紀元300年というと、日前宮の方が先だということか? いや、これは丹生都比売神社の創建の話だ。 紀ノ川にやってきた年代とは違う。 丹生氏が神格化されたのが、日前宮に創建の後ということだ。 一間社春日造りでは日本一の規模という事だが、 きらびやかなものを期待してはいけない。 逆に、どうして、このように今まで放置されたのかが 疑問となった。(それから高野山との関係を話された)丹生都比売の子供、高野御子が白犬と黒犬を連れた猟師の姿として弘法大師空海の前に現れる。その猟師によって、空海は高野山の地を教えられ、1200年前、真言密教の根本道場を開かれた。空海は、まず、守護神として、丹生都比売と高野御子を壇上伽藍に奥の「御社」(みやしろ)に祀った。高野山では、弘法大師を敬う「南無大師遍照金剛」の他に、丹生都比売と高野御子を敬う「南無大明神」が唱えられるそうだ。その他にも高野山と丹生都比売神社との関係は深い。丹生都比売神社の神殿の前には、僧侶によって納められたお札が置かれている。修行の無事の祈願や、修行後のお礼、及び、今後の守護を望むものだ。また、高僧になるための試験の一つ問答が御社で行われるそうだ。 宮司さんの言葉を借りると、 高野山の僧にとって、丹生都比売神社は怖い存在だという。 おろそかにしていると、罰があたるのだそうだ。神道の仏教が空海によって融合していく宗教観を熱弁していた。この時は、朱については、それほど詳しく述べられなかった。夫婦ものが歴史を学びたくとここを訪れたのではないからだろう。続いて世界遺産についての説明をされた。これもとても熱がはいっていた。紀伊半島の3箇所に高野山・熊野古道の世界遺産が点在している。熊野と高野山とここ丹生都比売神社だ。ユネスコのホームページを見に行くと、一枚だけ写真が紹介されていて、それは、この丹生都比売神社だ。(今は変わっている) 正直、私はつい先日まで、丹生都比売神社については知らなかった。 でも、世界(ユネスコ)はこの地を注目している。ユネスコがこの高野山・熊野古道を世界遺産に決めた理由をこうだ。「日本古来の信仰である神道と 大陸から伝わった仏教が、この地で融合し、 現在まで1200年間にわたりその関係が続いている。 それがユニーク(他に類がないこと)であると評価した」その始まりが、ここ、丹生都比売神社と認めているのだ。 その説明を聞いていて、私は鳥肌が立った。 日本人はそれほど、不思議には思わないが、 世界的には自分の宗教以外の宗教を許してしまえる人種はいない。 日本人はそんな特質を持っているのだ。 「同じ人間が、神道も仏教も信じて良い」 と言ったのは確か聖徳太子だったと思う。 その聖徳太子も、物部守屋と蘇我馬子との神仏戦争に従軍し、 四天王寺に祈願したことで勝利したなんて伝説も残っているが、 その当時の四天王寺は神社だったという落ちだそうだ。 違ったかな?それはともかく……。 ***説明の盗み聞きはここまで***一通りの説明が終わり、夫婦は何度もお礼をして帰られていった。どこか厳しく、さみしいものを感じた。これは全くの想像なのだが、大事なお子さんを亡くされて、西国周りをしているのかもしれない。 私の家にも御朱印の掛け軸があり、父や兄の命日には飾られている。 兄が若い頃に死んでしまった時、私の両親は一時期自暴自棄になった。 それから二人して西国周りをした。 私は一度も一緒に行っていない。 若い私にとって、兄を失った悲しみはそれとして、 いつまでも引きずるものでないと思えたからだ。 「親と兄弟では違うのよ」 母は恨みがましく、薄情な私に悪態をついたものだ。 夫婦の姿を見て、かつての私の両親の姿を想像してしまう。 やはり厳しくて悲しい。 二人で旅をしながら、子供の思い出をいつまでも語る。 子供のことだから、二人でしか心の決着はつけられないのだ。 もし、そのような状況でなければ、 夫婦も宮司さんの話にもっと大げさに感動していたかもしれない。 それほど、宮司さんはとても大切な話をされていたのだ。 私は二人に代わって大いに感動していた。私は一緒に聞かせてもらったお礼を宮司さんに述べて、もう少しお話をさせていただいた。さきほどの夫婦は西国33箇所を回り終え、一宮だけ回っておこうと考えて、丹生都比売神社に来られたそうだ。宮司さんとしては、最期に来るのでなく、最初に来るべき所なんだと言いたかったようだ。「それで少し宣伝させて貰おうと思い、説明させていただきました」丹生都比売神社があまり知られていないのが歯がゆいようだ。日本人の宗教観の特質、それは、自然を敬い、ご先祖を敬う心だ。空海は、日本古来の神道と仏教を日本人の心に合ったものに融合した。そして、1200年もの間。それは守られてきた。ここは、その出発点である。宮司さんは、もう一度その主張を私に説明してくれた。宗教観を熱弁されている宮司さんに、歴史的興味からとは言え、朱について聞くのは失礼かと思ったが、思いのほか、そちらの知識も豊富だった。魏志倭人伝にすでに日本に朱(水銀)が豊富に取れることが記載されている。秦の始皇帝の時代には、多くの人が水銀を求めて日本に来ている。など。でも、それらはあくまで、山師的な話で、ここ丹生都比売神社を、それだけで語って欲しくないようだ。テレビの取材も度々あるそうだが、丹生氏がトレジャーハンターの集団のように放映されるのはお冠だった。最期に天野について尋ねてみた。天野は寒暖の差がはげしく、それは稲作にいい。ここは魚沼のこしひかりに負けないお米の美味しいところ。5Kg2000~3000円するそうで、こしひかりの2倍だそうだ。紀州の殿様もここの米を食べていた。知り合いのつてだけで、すぐに売切れてしまうと言う。しかし、過疎化が進んでいて、若い人が町に下りてしまうことを嘆いていた。「ここには、仕事が無い。 下の町に住んでいて、土日にここに来て、農業をする。 ここには、じいちゃん、ばあちゃんしかいない」宮司さんの話は、単に丹生都比売神社の宣伝だけでなく、村おこしにまで発展していった。厚く御礼を述べて、神社を後にした。いやあ、旅とはこうありたいものだと久方ぶりに満たされた気持ちになった。やっぱり、人と会わないと旅は面白くない。言葉を交わさなかったが、夫婦者と出会えたことも、私はよかったと思った。下記は、神社で頂いた資料だ。雑誌『高野山・熊野古道ベストコース完全ガイド』に記載されている記事。参考に書き写した。 ***高野山の守護神 丹生都比売神社語り:丹生都比売神社宮司(記事にはお名前とお写真が載っていた)平成16年、「紀伊山地の霊場と参詣道」として当社を含むこの紀伊山地一帯が世界遺産に登録されました。その理由として、ユネスコはまず、「日本古来の信仰である神道(しんとう)と インドから東アジアに伝わった仏教がこの地において融合し、 現在まで1200年間にわたりその関係が続き、 それらの文化的景観が残っていること」をあげ、その関係を「ユニーク(他に類が無い)」と評価しています。この1200年前とは、弘法大師空海によって、高野山が開創されたことを指します。弘法大師は真言密教の修行の拠点を神々の鎮まる山、高野山に求めました。そして、まず守護神として当社の神である丹生都比売大神(にうつひめおおかみ)と高野御子大神(こうやみこおおかみ)を祀る社を建てました。これが日本における「神道と仏教の融合」の始まりです。当社の創設は『播磨国風土記』によると、今から1700年以上前。応神天皇により社殿と紀伊山地の北西部一帯という広大な土地が神領として寄進されたと伝えられています。丹生都比売大神の“丹”は丹砂(たんしゃ)の鉱石からとれる朱を意味します。古来、朱には魔よけの力があり、悪いものを退ける強い女神として信仰されました。鎌倉時代の元寇のときには幕府は当社に祈願し、その力により救われたとされています。現在でも神社仏閣の建物には朱が塗られたものが多いのもこの魔よけのためです。『魏志倭人伝』には「倭国に丹の山あり」と記述があり、3世紀、卑弥呼の時代には日本で朱が用いられていたことがわかります。この丹砂を加熱し、蒸発した気体を冷やしてできるのが水銀です。不老不死の薬に、仏像の鍍金にと用途の多い水銀は当時、非常に価値のあるものでした。丹生都比売大神は、この地を本拠地に、全国に分布する丹砂を支配する一族の氏神として当社創建の以前より祀られてきました。高野山を根本道場とした弘法大師高野山の縁起によると、真言密教の根本道場となる地を求める弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人が現れ、弘法大師を高野山へ導いたと伝えられています。この狩人は丹生都比売大神の御子である高野御子大神が化身された姿でした。その後、丹生都比売大神に会い、神領地である高野山を借り受けた弘法大師は山上に、この二神を守護神として祀ったと記されています。弘法大師が高野山を選んだ理由として、近年、松田壽男博士が『丹生の研究』で述べているように「水銀の経済的価値を認めていた弘法大師は、 留学先の唐で学んだ採掘と製造の新技術をもたらし、 高野山経営の経済的な裏付けを求めた」との説もあります。しかし、文献的には高野山において丹砂が採取された記録は残っておらず、確信にいたるものではありません。当社が鎮座する天野の地は古来、神のみが鎮まる場所とされていました。天野と高野を合わせて神々の住む天上「高天原」(たかまのはら)と意味する地であったのです。唐へ留学する以前、若き弘法大師は山野をめぐる修行の歳月を送り、その中で高野山にも足を踏み入れたといわれています。根本道場を開く地を求めた弘法大師の脳裏に、それにふさわしい聖地として浮かんだ場所、それが高野山だったのではないでしょうか。弘法大師は、真言密教という新しい教えを広く庶民の間にも伝えようとしました。それまでの仏教は天皇や貴族などのためのものであり、仏教の経典を読み、実践できるのは教養や財力のある一部の人々のみだったのであす。対して、日本古来の信仰はというと、自然の中に神々の姿を見出し、自然を敬い大切にすることにより、自然に守られる。また、祖先を大切にすることによって祖先に対する「守り守られる」という関係を大事にしてきました。その中で山は天から下りてきた神々が鎮まる場所であり、先祖の魂が集まり、天に上っていく場所でもあります。弘法大師はこのような信仰観と密教を融合させ、新しい仏教を成立させたように思えます。そういう山を拠点に「真言密教を庶民まで広める」という一大事業に乗り出すとき、「神様、お守りください」と祈った弘法大師が、私には誠に日本人らしく思えるのです。高野山の守護神 「明神さん」の役割その弘法大師の姿勢は弟子たちによって守られてきました。現在も高野山では、丹生明神、高野(狩場)明神に、当社に800年前に祀られた気比(けいひ)明神、厳島明神を加えて、「明神さん」として壇上伽藍にある御社(みやしろ)に篤く祀られています。御社の拝殿(山王院)では、僧侶たちの読経が毎日かかさず続けられ、各寺院では、「南無大師遍照金剛」(なむだいしへんじょうこんごう)と弘法大師を称えるとともに、「南無大明神」と唱えられています。高野山で僧侶となられた方は、100日間の修行「加行」(げぎょう)を終えると、当社に守護を願うお札を納めに来られます。また中堅の方々は「勧学会」(かんがくえ)という法会を勤め、その始めには「無事に勤められますように」との願いをこめて、そして終わりには無事勤められますように」との願いをこめて、そして終わりには無事に勤められたことを感謝して、当社神前で法楽(読経)を捧げます。さらに修行を積まれた方々の中から、毎年2名の僧侶が当番として選ばれ、それぞれ寺院内に1年間、「明神さん」をお祀りします。その間、山を下ることは許されず、精進潔斎(しょうじんけっさい)してそのお勤めを果たし、さらに山王院において「堅精」(りっせい)という問答講を修めて、高僧の位である「上綱」(じょうごう)という地位に就かれます。これらの行事からは真言密教という尊い教えを学ぶ課程において、「明神さん」が守護神としての役割を果たしているかがうかがえます。また、御社は20年に一度、屋根の桧皮葺き(ひわだぶき)を葺き替え改修することになっています。その間、神様は別の場所に仮住まい願い、竣工後お戻りいただくのですが、その際には遷座際という祭儀があります。いずれも明治の神仏分離令が出る前は、当社の惣神主(そうかんぬし)が奉仕しておりました。平成16年、高野山からお話があり、おそよ130年ぶりに私たちがその遷座祭に奉仕させていただくことになしました。丹生家文書を頼りに、古来の形式により近い形を模索し、当日を迎えました。神道式の祓いに始まり、祝詞奏上、高野山の僧侶の方々の読経、200名からの遷座の行列が壇上伽藍を進みました。何の違和感もなく進んでいく儀式に、当社の神主が奉仕から遠ざかっている間も、僧侶の方々によって神祀りの形が守られていたことが感じられ、深い感銘を覚えました。現在、世界中で宗教紛争が起こり、この瞬間にもたくさんの尊い命が失われています。日本人には宗教の違いでこのようなことが起こるのが理解できません。これは、わが国では古くから神と仏が共存し、守るべきものは守り、受け入れるべきものは受け入れてきた日本人の民族の精神によるものです。また、自然との共存が忘れられた今、自然破壊が進み地球温暖化は待ったなしの状況です。今そこ我々が先祖から受け継いだ、世界的には「ユニークな」宗教的融和のこころと、自然を敬い共存する精神が求められています。長くなりましたが、紀伊国には3つの一宮があるでした。純米酒 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2021.02.12
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前回、我々の旅も終わってしまうのかと思わせるトーンだったが、これから後半戦である。人との出会いもあるかも?この日の日中は、帯広から札幌へドライブ中心だった、上記がそのノート。1982年8月20日(金) くもり(欄外)観光地を見るのは旅行である。旅は人と人の出会い。『水平線の向こうにはアー、アー、アー……』見送りの踊りが始まる。列車に向かって「いってらっしゃい」6:00、起床。8:20、YH出発。38号線9:30、狩勝峠12:20、富良野1:20~1:42、車両交換富良野にて、ラベンダーの苗木を買う。500円x3.匂い袋、400円しおり、150円(2枚目)2:40、□方言3:40、崖―――、石狩町 ガソリン補給 46L 8280円5:15、札幌駅6:00過ぎ、YH入り、朝食付き1900円。7:30、ビール園生ジョッキ中2.5杯ジンギスカン 3人前以上アイスクリーム1個ジュース1杯計2500円食って、食って、食って、飲んで、飲んで、飲んで、ウィップ。9:40、YHに帰る。さらに、メロンを食らう。 とある。 気が抜けているるのか、記述が心なしか少ないような。 欄外の言葉は、きっと帯広YHのミーティングで聞いたのだろう。 人と出会って別れた後だったので、思わず書き留めたと思われる。 『旅の終わりに』もここだったのかもしれない。 もし、そうだったら、こたえただろうな。 でも、旅を終えていないから、 ここでは、なかったのだろう。 帯広YHは、とにかくお迎えもお見送りも大騒ぎだった。 『水平線~』は海のトリトンの歌である。 私は社会人になって、カラオケに行くと、何故か知らなかったが、 盛り上げるためにこの歌を歌っていた。ここが原点だったんだ。 帯広YHのスタンプを見て思い出した。 前日、記載されていなかったが、我々は幸福駅に行っている。 幸福駅は、国道236号線で、 帯広から南に20Kmほど行ったところだ。 『愛の国から幸福駅へ』が流行した。芹洋子の歌もあった。 切符を買いに行っている。 幸福駅も今は廃止されている。 当時の面影がモニュメントとして残っている。切符も売られている。 この日は、帯広から札幌へドライブだ。 北海道は見るところもたくさんあるが、 何と言っても広い。移動に時間がかかる。 ドライブが好きなら絶好の場所だ。のんびり行こう。 帯広YHから国道38号に乗り、富良野方面に向かっている。 狩勝峠で写真撮影をしたのだろう。 峠の標高は644m。峠の西側は石狩川水系、東側は十勝川水系で、 日本海側と太平洋側の分水界である。(Wikiより) 富良野では、ラベンダー一面の風景を期待していたが、 我々が行ったのは、8月20日、 ラベンダーは7月の初旬~中旬がシーズンらしい。 仕方がないので、苗だけ買って帰った。植物好きの母への土産だ。 ドライブにも飽きたのだろう。車を交換したりしている。 そういえば、長いドライブの間にどんな会話をしていたのだろう。 男だけの空間だ。まあ、その一部が、2枚目の冒頭に書かれているが。 これも青春の形なのだろうか、我ながら恥ずかしい。 道連れに北海道出身はいない。 北の国の方言をどこかで仕入れて、口に出したのだろう。 私はこの時、運転しているから、 わだわだ、後で記入しているから、よほど心に残ったのか。 隠語ですが、興味があれば、『方言 ~』とすれば 誰かが説明してくださっている。 でも、隠語を含めて方言は面白い。 一つの名称/動作を色々な言葉で表していて、その由来が個々にある。 気になる一言だ。『崖』。なんだ、これ? 結論から先に言っておく。 半日かけて検索したが、分からない。 とりあえず、検討結果だけ示しておく。 富良野から、石狩町(今は市になっている)まで行くには、 途中、滝川(新十津川町)を経由したはずだ。ここまで約60Km。 滝川から、石狩町までは、3通りの行き方がある。 ①海沿いを行くか、②③内陸を行くか。 ①海沿いの場合、 滝川から、国道451号線で、海岸線まで、ここは山の中。 Tの字を左折し、国道231号線(日本海オロロンライン)を 南下し石狩町までいく。海岸線には崖があるのでは? ②内陸の場合、 滝川から、国道275号線で南下。 山肌と石狩川の間を走っている。 崖に遭遇する可能性が高いと思われる。 ③内陸の場合、 滝川から、函館本線に沿って、国道12号線で南下。 この区間は平野部を走っている。崖はなさそうだ。 そのままでは札幌に着くので、手前で右折したのか? 距離的にはどれも同じだが、地図で見る限り、①か②だと思われる。 石狩町から、崖までの距離は、走行距離を逆算すると、 崖があるのは、 30Km(=472-442)~45Km(=472-426)の範囲である。 険しそうな山や峠を検索すると、 雄冬峠、黄金山が見つかる。 どちらも①のルート上か近くにある。 なんとなく、当時の私は海を目指したはずだと思った。 しかし、どちらも距離的に合わない。 それに、海沿いを走っていれば、 また、泳いだはずだ。 ②のルートをストリートビューで追ってみたが、 崖っぽいところがない。 30年経っている。 崖のような危険な場所は、整備されているかもしれない。 一つ、面白い、ちょっとこじつけのようなヒントをみつけた。 ②のルート上に晩生内と書いて、おそきないと読む場所がある。 アイヌ語で、「川尻の高崖出たる所」という意味だそうです。 なんがか、ミステリーツアーっぽい、ヒントだとおもいません。 距離的にもぴったり。 でも、ストリートビューで見てもそれらしきところはない。 ノートを見直してみる。何をしたか。 運転手の交代ではない。写真を撮ったと思われる。誰か知らない? 札幌ではビール園に行くことは旅の前から決まっていた。 2500円で、飲み放題、食べ放題だった。 現在も値段はあまり変わっていないようだ。 コロナをやっつけたら、また、行ってみたい。 YHに帰ってからメロンも食べている! そうだ、富良野の道端で収穫後の規格外メロンが売られていた。 1個100円くらいだったと思う。 人数分買って、YHで食べた。形が悪くても味は最高だった。お腹がメロンのように丸く膨れたところで、つづく。【 送料無料 】富良野ラベンダーリースS/ドライフラワー/お祝い・お誕生日・お礼・ホワイトデー・プレゼント・母の日・結婚祝い・新築祝い
2021.02.12
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地図を広げて、和歌山市と三重県の伊勢市を直線で結んでみよう。その線に沿って紀ノ川が流れ、上流で吉野川になる。三重県に入ると、櫛田川となって伊勢に流れている。この線を中央構造線と呼ぶ。この線は九州から、関東にまで続いている。日本列島がまだ大陸とくっついていた頃、7千万年以上も前の造山運動の跡らしい。紀伊半島の中央構造線の西の端に日前宮があり、東の端に伊勢神宮がある。伊勢神宮は全国区で有名だが、日前宮を知る人は少ないだろう。日前宮、正確には、日前神宮(ひのくまじんぐう)國懸神宮(くにかかすじんぐう)という。御神体となっている鏡は、神話で天の岩戸に天照大神が隠れた際に、思兼命(おもいかねのみこと)が、天香山から採取した銅で鋳造させた鏡であり、伊勢の八咫鏡と同等とされている。つまり、伊勢神宮と日前宮は姉妹神社と言えるのではないでしょうか。和歌山の名前の由来を調べてみると、秀吉が名勝地の「和歌の浦」から、築城した城の名を「和歌山城」としたとある。別に、城の周囲は岡山と呼ばれていて、それが和歌山と訛ったというものもある。岡山の地の城なら、普通、岡山城とするところを、山陽の岡山と間違うので、「おか」を和歌の浦にちなんで「わか」としたのであろう。(私見)さらに、「和歌の浦」は、山部赤人の歌の『若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」にあり、「若の浦」と元は呼ばれていた。じゃあ、「若の浦」の由来は? なぜ(なで?)、『若』の字なんだ?話は変わりますが、瀬藤禎祥(どういう方かは知らない)という方のブログに「神奈備」と言うのがあり、和歌山のうんちくを得るのに私はよく読ませていただいています。その中に、「丹生都比売伝承」というページがあります。春秋戦国時代の大陸で、越に追われた呉の国の御姫様、大日女(おおひるめ)と稚日女(わかひるめ)の姉妹が日本の九州北部に逃れてきた。姉の大日女は九州北部を地盤として勢力を広め、妹の稚日女は中央構造線に沿って、水銀鉱を探し求め東進する。呉にも水銀鉱があった。日本列島が大陸にくっついていた頃、中央構造線の九州の続きが呉にあったと考えられる。(私見)稚日女はやがて、紀ノ川までやってきて、そこに基盤を作った。若の浦は稚日女が上陸した浜ではないだろうか。『稚』『若』は同じ意味。もう一人、中西睦夫(金属に関する研究者)のブログ『和鉄の道』もよく参考にさせていただいている。その中に『古代「紀路」 紀ノ川の流れに沿って大和へ』という記事がある。その中の、古代の紀ノ川の河口の地図を参考にさせてもらうと、紀ノ川は万葉の時代、現在の河口付近で、大きく南に曲がり、片男波の当たりに注いでいた。そこに、上陸したはありうる。この伝承の大日女(おおひるめ)は太陽神として、天照大神のモデルになり、伊勢神宮に祭られることになったのかもしれない。妹の稚日女(わかひるめ)は、水銀の女神として、高野山の南にある、丹生都比売神社の祭神として奉られている。時間が来たので、本日の和歌山の話はここまで。紀ノ川改版 (新潮文庫) [ 有吉佐和子 ]
2021.02.11
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私は和歌山で生まれました。和歌山市内の桐蔭高校の近くにあった酒屋の息子として。和中/桐蔭高校の学生/OBなら、これが何かわかるでしょう。紀元二千六百一年建之?と書かれている。私の生まれた時にはあった。右に15度ほど傾いていた。壁によじ登る足場にはちょうど良かった。その後、小学校に上がる頃、大阪の吉見ノ里に中学校に上がる頃、大阪の貝塚に高校校に上がる頃、大阪の岸和田に引っ越しています。就職は関東で、神奈川県に還暦を迎える今まで住んでいます。還暦をむかえ、充電期間の現在、奈良の大学に通信教育として在学中です。和歌山県紀の川市に実家が残っていて、大学で集中講義がある際、実家をベースに活動しています。言っておきますが、私は和歌山県人です。「さ」行の濁音と「た」行の濁音の違いをこの年になってもわかりません。このブログ内でも、げんだいとげんざいがごっちゃに使われたりしますが、それが和歌山県人の証拠です。和歌山について、思い出話や、うんちく、おすすめなど書いてみたいなと思い、口コミサイトを探していて、この『和歌山について語ろう』を見つけました。現在、休眠中のようですが、この場をお借りして語ってみようと思います。心あたたまる声援をよろしく。やさしいコメントを期待します。それでは、はじまり、はぢまり。(こんなミスはしないか?)復元 和歌山城(メール便可能)日本名城シリーズNo42 1/300 ファセット/お城/ペーパークラフト
2021.02.11
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今日は、『うさぎ狩りの旅』と『男たちの旅』の間で、どっちつかずだった私に、罰が当たったのでしょうか。(じゃなくて、たぶん、前日のカニ地獄で酒を飲みすぎたせいだ!)私は一日中、アクアミィーで、トイレとお友達だった。カニ地獄の顛末と、オンネトーについてが上記のノート。1982年8月19日 くもり5:00ごろより、屈斜路湖の湖面を見ていた。6:20ごろ、南方面がやや晴れ群青色が浮かび上がる。6:40ごろ、東方面に朝日がさし、黄緑色が……。暇じゃあ。5:00、起床、テントで寝たよ。屈斜路湖。昨日は、砂湯の中でカニを食らった。我ら妖怪族。ビール350円。酒300円+250円+250円。カニ1300円阿寒でガソリンを給油 44L 8580円。オンネトー着展望台に登ってもガスってて、何も見えない。皆さん湖畔で放屁するのはやめてください。うさぎさんとは、オンネトーでバイバイ。オンネトーで槌谷がスピン。(右下の絵)溝、ザート帯広ナンバーのおっちゃんが引っ張り上げてくれた。足寄で千春の家を見た。なぜか、石を投げたい衝動にかられた。 とある。 前日、屈斜路湖の砂湯近くにテントを張り泊まった。他には誰もいない。 湖畔に穴を掘るとそこが露天風呂となる。 少しぬるかったが、夏だし、お酒も飲んでいたのでちょうど良い。 関西人はカニを食べる時、三杯酢で食べる。 それで、近くの土産物屋で、 カニを食べる時の出汁ないですかと聞くと、 「カニはそのまま食べるんだよ。ここでは」と、言われた。 花咲ガニは堅いとげで甲羅が覆われている。 それを手だけでさばきながら食べた。 時には甲羅にかじりついた。 口の周りが血だらけになった。 ひとしきり大騒ぎをして、 疲れて湖面に横になり、夜空を見上げた。 良く晴れていて、銀河が見えた。 肉眼で人工衛星が流れていくのが見えた。BGMはこんな感じだ。 前日の興奮が残ったのか、早朝に目が醒めた。 朝靄の湖面を、朝日がでるまで眺めていた。 槌谷たちが、屈斜路湖までやってきて、 合流後出発した。 この日の最初の目的地が三大秘湖の一つ、オンネトーである。 ちなみに、後の2つは、東雲湖(しののめこ)、オコタンペ湖である。 記述が雑なのは、初めにも書いたが、 私がトイレとお友達になっていたからで、それどころじゃなかった。 ただ、そのために、うさぎさんたちとの時間が持てなかった。 下痢だなんて、そんな恥ずかしい単語を言いたくはない。 相手を槌谷に任せていた。 うさぎさんたちが、その日が最後というのも途中まで知らなかった。 屈斜路湖から、国道243号線で南方面へ、 弟子屈町(でしかがちょう)で、右折国道241号線に乗り換える。 昨日、槌谷はここを直進したのだ。 阿寒湖までは25Kmほどか。 オンネトーへは、雌阿寒岳、阿寒富士を左手に見ながら、 国道241号線に沿って進み、 途中県道949号線(オンネトー線)に入る。 5Km弱でオンネトーに着くが、途中でザート(未舗装)になる。 オンネトーに着いては見たが、 ガスがかかっていて、展望台に登っても何も見えない。 私と堀芳、佃井は前日の疲れからか動きが鈍い うさぎさんたちは、それを感知したのか、いつもの笑顔が少ない。 うさぎさんは、今日が最終日だと、阿寒湖YHで槌谷に告げたらしい。 そうとは知らず、私の反応は鈍かった。堀芳、佃井もだらだらだ。 そういうわけで、トイレから離れられない私は見送りにも行けず、 槌谷にうさぎさんたちを最寄りの駅まで送ってもらった。 槌谷はどこまで行ったか知らないが、なかなか帰ってこなかった。 私のお腹が復調しかけたころ、槌谷が徒歩で帰って来た。 なさけない顔で「やっちまったよ」という。 聞けば、すぐそこのザートでスピンしたという。 車を動かせないので、助けて欲しいと言った。 皆で行ってみるとノートの右下の図のように、 完全に道と直角に回転して、前輪の両方を側溝に落としていた。 エンジンのあるフロント側は重い。4人では持ち上げられない。 そこに、帯広ナンバーのランドクルーザーに乗ったおじさんが、 さっと降りてきて、ワイヤーを繋ぐと、引き上げてくれた。 多少、赤腹が砂にこすられたが、走行には全く異常はなかった。 槌谷は恐縮しまくりだった。 まあ、うさぎさんたちを乗せている時でなくてよかった。 お腹の調子ももどりつつあるし、気を取り直して出発。 国道241号で足寄に寄ったようだ。 そこにはあの大歌手松山千春の生家がある。 どうして、石を投げたくなったのか。 お腹の調子や、車のスピン、男の旅を押し通したことからの うさぎさんたちへの対応の不味さに対する反省もあったが、 何と言っても、生家に掲げられていた千春の看板を見たからだと思う。気を取り直しての午後の部のノートだ。(欄外)うさぎさんたちには、悪いことをした様な気がする。旅半ばにして、本日は嫌なことが多かった。水に流そう。洗濯しよう。アクアミィー。アクアミィーな一日。空白の2行は今の気持ち。2:00、池田町のワイン城で、十勝ワインを飲んだ。ステーキだもんね。ワインを盗んできた。1130円x4本。+1万円 ↑ うさぎのプレゼント3:00、帯広ユース。4階から叫んでいる人がいた。「おかえりー」入ってすぐヘルパーに「今日、変な人、泊まっていませんか」と聞いてしまった。すると、ヘルパーが「うしろにいるよ」帯広駅で土産を買う。チョコ、1000円と600円x2個。 とある。 欄外の感想を読んで、当時の私の気持ちがよみがえってきた。 うさぎさんたちは、オンネトーの最後まで楽しんでいたと思う。 楽しんでいなかったのは、当時の私だ。 男の旅を優先してしまったことへの罪悪感? その罰として、アクアミィーと車のスピン。 ただ、それは、今思い返して物語を盛り上げているだけかもしれない。 お腹の調子を取り戻した私は、ワインを飲みに池田町を目指している。 足寄から国道242号線で本別町を経て、池田町へ。 池田町にはワイン城があった、十勝ワインの試飲ができる(有料)。 その中には町営レストランもあり、ちょっと遅めの昼食をとった。 うさぎさんたちは、お礼にと槌谷に金1万円を残していった。 申し訳ない。1万円はステーキとワインになってお腹に入った。 ここで、『町民還元用ワイン』という名のロゼのワインを飲んだ。 とても、口当たりがよく、ぐいぐい飲めてしまう。 うさぎさんたちへのお土産として買って帰ろうとしたが、 このワイン城でしか飲めないと言われた。 そこで、もう一本、追加で注文した。 栓を開けられ持ってこられたが、コルクではなく、 回すタイプの栓だったので、元に戻して、残ったからと持ち帰った。 盗んだと書いていますが、ちゃんとお金は払っています。ハハ。 今では、『町民用ローゼ』という名で売られているみたいだ。 コストパフォーマンスのよいワインだと思う。おすすめだ。 もちろん、ワイン城もおすすめです。 私は社会人になって、札幌の出張帰りに遠回りをして再訪している。 この日は、早めにYHに入って、市内を散策したみたいだ。 土産を買った以外の情報はない。 やはり、気にしているのは、アクアミィーが残っているのか 堀芳号も確かこの日はYHで泊まっている。私の旅に付き合った形だ。と、話に余韻を与えようとしているが、次の日にはケロッと忘れているのだ。続く。自社出荷「十勝ワイン 町民用 ロゼワイン 720ml」常温ワイン ロゼ 十勝 北海道産 辛口 デイリーワイン 北海道ワイン 美味しい おいしい お取り寄せグルメ お酒 さけ 北海道土産 北海道 お土産
2021.02.11
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『うさぎ狩りの旅』と『男たちの旅』の間でゆれる、それが上記ノートだ。1982年8月18日 またまた晴れ6:00起床。海へ散歩。カモメとコーラス。(ウトロYHのスタンプの左側)朝めし、食わせてくれ。(ウトロYHのスタンプの右側)カムイワッカの滝は通行止めで見ることが出来なかった。露天風呂に入りたかった。9:40、標津知床峠以来、霧雨が続いていたが、野付に近づくにつれ雨があがった。知床峠を越えると霧の海10:00、野付半島ハマトマトがとれた。海水のため、トド松が浸食され、今、ナラの木も侵され枯れていること。 とある。 そうか、どうしてウトロに戻ったのか思い出した。 ガイドブックにカムイワッカの滝の露天風呂の記事があり、 秘境巡りを優先する我々にとっては注目のスポットだったからだ。 しかし、YHで通行止めになっていることを知った。 カムイワッカの滝は、県道93号線ウトロから北へ進み、 前日の知床五湖をさらに北へ進み、 県道の途切れにカムイワッカ川に行き当たる。 海近くにカムイワッカの滝があり、上流側にカムイワッカ湯の滝がある。 露天風呂があるのは、上流側で、河原に沿って遡上するしか道はない。 沢登りとなると、重装備でないと岩肌の苔などで滑ってしまうと思うが、 湯質が強酸性で、苔が生えないそうです。 色々なブログで体験記が書かれています。うー、私も行きたかった。 YHを出発。 書かれていないが、違和感なく今日もうさぎたちは道連れである。 「どうします。明日も一緒に旅する」などと聞いた覚えがない。 一緒に行くものと疑っていなかったと思う。しっくりハマっていた。 今日の最初の目的地は野付半島だ。 知床半島と根室半島の間にある、太陽のフレアのような形をしている。 地図でも、見るからに儚い半島だ。 再び知床峠、羅臼を経由し、国道335号線で標津(しべつ)へ。 野付半島でハマトマトが取れたとある。 ハマトマトとは、ハマナスの実である。 ハマナスが自生していたのだろう。 検索をかけると、ハマナスの実は食べられるそうだ。知らなかった。 私の母は、草花を育てるのが好きだ。 一時期、玄関わきにハマナスが植えられていた。 そこによく蛇がやって来るようになった。 気持ちいいのか、イガイガで皮を脱皮するようである。 ハマナスは直ぐに伐採された。 母は蛇が大嫌いだった。そんな母ももういない。 ハマナス、ふと思い出してしまった。 ハマトマトが実っていたのかな。昼からの行動は上記の通りである。11:50、トドワラ出発12:00過ぎ、鶴を発見。ありゃ、夫婦だね(欄外鶴の絵の横)鶴を見つけたのは僕でした。皆は、この時期にいるのは、おかしいと言ったのですが、どちらかが、けがをしているのでしょう。1:40、昼食。さんま、600円カニを買う。(花咲)2:00、開陽台。ここに行く途中の道がジェットコースターのようだった。180度しか見えない。和歌山ナンバーと出会う。4:30前、裏摩周、湖面まで降りた。すごい霧。あぶはブルーに反応する。いつまでもいたかったが、キリがないので帰った。あの時チョキを出せばよかった。―――、屈斜路湖到着。カニ地獄。砂湯温泉に入るぞ。何か感じるものがあれば、バカになることも必要!!愛車は阿寒湖へ。途中、北きつねを見に釧路まで行ったとか。バカ。 とある。 フレアの形をした野付半島を、フラワーロードに沿って進んでいくと、 ナラワラ、トドワラという観光スポットがある。 海水でナラの木、トドの木が浸食されているとある。 野付半島は、太古は陸地だったのだろうか。 野付半島の先まで行って、引き返してきた時だ。 2羽の鶴を見つけた。頭が赤かったのでタンチョウ鶴だと思う。 この時期は北へ渡っているはずである。 きっと、どちらかが怪我をして渡れなく、つがいで残ったのだろう。 野付半島から開陽台に向かっている。 その途中で、昼食をとっている。さんまと書かれている。 さんま定食だろうか? なんといっても、北海道は漁場に近い。おお、ご当地を食している。 野付半島から少し標津方面に戻り、 途中から国道272号線で内陸部に入っていく。 中標津町からきっと、標識に従って直角に右折したのだろう。 ミルクロードなる道もあるが、通ったかどうかは分からない。 開陽台は標高270mの台地にある。 そこからあたりを見渡すと、「緑のじゅうたん」とも表現される 牧草地帯が眺望できる。 北海道に来た!と実感できる場所である。 昔は360度の大パノラマと言っていたが、 今は、約330度のパノラマになっている。 30度を何が邪魔しているのだろうか? 夜空も絶景らしい。 私の行ったときは、180度と書いているので、 少しガスっている方面があったのかもしれない。 開陽台に向かう途中の道がまっすぐで見通しがよく、 下って昇るジェットコースターのようだった。 次に霧の摩周湖だ。開陽台からは県道150号を使ったようだ。 私が行ったときも湖面は霧がかかり、展望台から湖面は見えなかった。 ノートには湖面に降り立ったと記載されている。 今は湖面に降りることは禁止されている。 摩周湖の水の透明度を守るためと、熊が出没して危険なためである。 私はブルーのパーカーを着ていた。アブが私ばかり襲ってきた。 帰りにジャンケンで皆の荷物を持つことにした。 私が負けたようである。(私の歌のイメージはこっちだった) 摩周湖から北西約10Kmの所に屈斜路湖がある。 屈斜路湖には砂湯温泉があり、堀芳号はここで野営をすることになった。 堀芳は、私も一緒に泊れと勧誘してきた。 「俺たちと一度くらい、テントで寝てもいいだろう」というのだ。 私は悩んだ。ウサギさんたちを野営させられない。テントも足りない。 でも、うさぎさんたちを優先して男の旅を疎かにしても本末転倒だ。 ここまで、うさぎさんを優先しすぎて、堀芳号の搭乗者が 「なんだかなあ」と、思いつつあることを肌で感じていた。 途中で買った、花咲ガニも食べなければいけない。 「何かをかんじるものが~」という、意味不明の宣言は、 たぶん、このようなもやもやな雰囲気から発せられた、 青春の雄叫びだと思われる。私はこの夜、男の旅を優先した。 うさぎさんたちは、槌谷に任せた。 赤腹のコロナとともに、彼らは阿寒湖YHに向かった。 次の日に聞いたことだが、道を間違え釧路方面に行ってしまって、 そのお陰で、道に飛び出してきた北きつねを見たそうだ。 北海道出身のトシ&タカがTVで言っていたが、 北きつねに触ってはだめだそうだ。 とても危険な病原菌を持っているそうだ。 気をつけてください。当時は知らなかった。カニ地獄については、次ページに書かれているので、つづく。【送料無料 サンマ 根室産 釧路産】【大 浜呼び名】日帰りトロさんま 2kg 16尾前後【空輸】北海道産 獲れたてを【翌日】お届け!【秋刀魚は鮮度が命】氷の量も一目瞭然!【北海道ブランド】生サンマ 生さんま 指定日不可
2021.02.10
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お待ちかねの(誰も待っていない)、青春恋花の始まりが上記である。1982年8月17日 晴れ7:30、YHを出発。7:40、堀芳号と、小清水原生花園で合流した。が、うさぎ狩りに再びYHに向かう。グッドタイミング。8:40、小清水原生花園を出発。運転手はS.晶さん(仮名)、うさぎNo.1だ。 「53Kmも北海道を運転出来て幸!」By S.晶さん。途中、オシンコシンの滝付近で泳いだ。 「ただ、乗っているだけの、『K.彩さん(仮名)』でーす。 海は冷たかったけど いい思い出」By K.彩さん。うさぎNo.2。冷たさに筋肉が硬直。11:50、オシンコシンの滝を出発。12:00、ウトロにて昼食。ピラフ600円。1:26、出発熊の足の親指は人間様と逆である。知床五湖に到着。牛乳飲み放題。200円。250mlx3ぐらい飲んだ。3:15、知床峠。御用の待つ(はい松)4:00~5:00、羅臼の高砂にて、鉄板でトドの肉を食べる。1000円味はくじらだ。かがやけヒカリゴケ。かえせ北方領土。羅臼岳の夕日は運転のじゃましゃ!6:40、ウトロYHに到着、2食付き2700円。ミルクの飲みすぎで腹が痛い。YHの前のお土産屋の君、いいねえ。 と、ある。経験不足の男の心の揺れ具合を解明してみよう。 まず、原生花園を出発する際のコミカルなシーンだ。 前日、はからずも、2人組のかわいい女の子から声をかけられた。 夕食にでも、旅の情報を交換しようと、それぐらいは言っただろう。 私はともかく、相棒の槌谷は話し上手だ。 きっと色めきだって、色々な話をしただろう。 少なくとも、2人の名前と、 アメフトの強い、西宮市にある大学の学生さんであることを知った。 しかしだ。最大の目的である、 車に同乗してもらい、 旅の道連れになっていただく 約束を取り付けられなかった。 「明日どこに行くの」 「~」 「えっ、僕たちも~に行こうとおもっているのだけど、 車で一緒にいきませんか」 たった、これだけのお誘いの会話ができないのだ。 先に、宗谷駅での槌谷の初めての軟派のエピソードを書いたが、 それが成功したとは書いていない。 成功していれば、ここで、うさぎ狩りなどしていないのだ。 ところで、堀芳号の堀芳と佃井はYHには止まらず、 自然の中でキャンプをしながら旅をしている。 それが彼らの目的だ。 私たちに比べ、いたって、健全だ? 堀芳号とは、小清水原生花園でAM8:00に待ち合わせていた。 私たちは目的を果たせず、もやもやの気持ちでYHを出発。 堀芳たちは、手ぶらの私たちを見て きっとからかっただろう。 「うさぎはどうした。 どうせ、おまえらが、誘うことなんて、できないだろう」 「いや実はウサギが2匹いたが、約束の時間に遅れそうで…」 と、悔しさから、言い訳する。 「どうして誘わないんだよ」と、さらに責められ。 「待ててやるから、当たって砕けてこい」と突き放される。 「じゃあ、誘ってくるか」 背中を押されて再チャレンジである。 普通、このような展開だと、 すでに女の子たちは出発していて後の祭りという結末が 私たちには似合いなのだが、 その時だけは、神様が悪戯したようだ。 YHに引き返してみると、 ちょうど2人が出てくるではないか。 YHには多くの人が宿泊していたのに、到着のときも、出発する時も、 YHの玄関先で、私たちは彼女たちだけに出会っている。 運命の出会いを感じずにはいられない。 「これからどこへ行くの」、うっ、聞けた。 「バスで原生花園にいくの」 「僕らもそこに行くんだけど、乗っていく?」 これが違う目的地であっても、同じ返事を私たちはしたであろう。 都合よく、堀芳号を待たせている原生花園である。 2つ返事でOKが出た。 こんなにうまくいくとは思わなかった。 原生花園で堀芳と佃井に紹介する。 彼らは、驚いていた。 私たちは得意顔だったに違いない。 でも本当の驚きは、女の子たちが堀芳と同じ高校の後輩だったことだ。 原生花園の中の遊歩道を歩きながら、 「なんだ、俺の後輩かよ。 こんなところまできて、ろくな男に捕まらないな」 堀芳なら、これくらいは言っただろう。 私たちはのっけから、関西弁で打ち解けた。 原生花園は、網走から海沿いを東に10Kmほど行ったところである。 濤沸湖(とうふつこ)と、海岸の狭い間にある。 夏の季節だ。ハマナスや、蝦夷キスゲなどの花が咲いていただろう。 原生花園を見た後も女の子たちは道連れとなるだけでなく、 S.晶さんは、私の車を手なずけている。 ノートに「53Kmも北海道を運転出来て幸!」と 感想を書き残してくれた。 ウトロの手前10Kmの海沿いに、オシンコシンの滝がある。 私たちはここで再び泳いでいる。 彼女たちに、オホーツクで泳いだ話をしたら、 「いいなあ、私たちも泳ぎたいという」 彼女たちも水着を持ってきていた。 泳ぐ気、満々なのだ。『彼女が水着に着替えたら』 水着姿を拒否できる男などいない。 再び、『ヌード・マン』である。 しかし、オシンコシンの滝の水が流れ込む河口近くで 泳いだのが悪かった。半端なく水が冷たかった。 「海は冷たかったけど、いい思い出」 それでも、K.彩さんは感想をノートに残してくれている。 原生花園で再合流してから、オシンコシンを出発するまで 約3時間。 原生花園の散策が1時間。運転時間が1時間。 滝の見学と泳ぎが1時間。って、配分かな。 知床半島の中頃を東西に国道334号線が横断している。 西側の端がウトロで、東側の端が羅臼である。 オシンコシンの滝を出て、10分ほどでウトロに着いている。 昼食、ピラフとある。貧乏学生とはいえ、地域色のない食事だ。 「熊の足の親指は人間様とは逆である」とは何なのか? 『クマの手のひら』と検索してみると、熊の手を食する記事ばかり。 『クマの手足』と検索して、 『ヒグマ研究室』というブログを見つけた。 それによると、 前足も後ろ脚も、指の大きさからみて、 並びが人と逆になっているように見える。 それを、どこかでクマの剥製をみて知ったのだろうか。 ウトロから、更に知床半島の先端部に15Kmほど進み、 知床国立公園内の知床五湖を見に行っている。 五個を巡る遊歩道がある。 知床五湖の歩き方ガイドによると、 『全周約3キロで、見学時間の目安は約3時間。 小ループもあり、距離は約1.6キロ、見学時間の目安は約40分。 短い時間で森の散策と高架木道からの眺望を楽しめる欲張りなコース』 とある。時間からすると、私たちは小ループを歩いたようだ。 でも、どうして牛乳の飲み放題なのか因果関係がつかめない。 ウトロに戻り、国道334号線に入り、知床半島を横断。 中頃に知床峠がある。 周囲には地面をはい回るようにハイ松が群生している。 お椀を伏せたような、知床富士と呼ばれる羅臼岳が眺望できた。 羅臼側にはトドを食べに行っただけだと記憶している。 ここでしか食べれないと聞くと、誰しも行ってみたくなるものだ。 『高砂』という店は検索しても見つけられなかったが、 『純の番屋』という店をみつけた。 雰囲気はこのような店がったと、微かな記憶がささやいている。 メニューにトド肉もある。 見栄えは悪く、どす黒い。 味はくじらのようだと当時の私は評している。 羅臼から国後島までの距離は20Kmほどだ。 この日はよく見えたのだろう。叫んでいる。 ヒカリゴケは羅臼郷土資料館で見ることが出来るようです。 私は、食堂で見たと思う、少なくとも資料館はまだできていなかった。 トド肉の後、もう一度国道334号線を夕日に向かって引き返し、 ウトロYHに向かっている。2食付き、2700円。 帰りは羅臼岳が見えたようだ。堀芳号はこの日もキャンプ場である。 お土産屋の女の子によそ見している。それでいいのか、お前。 私も槌谷も写真が趣味だった。 就職した会社もお互いライバルカメラメーカーだった。 その時のうさぎさんたちは、格好のモデルだった。 北海道の自然を背景に、彼女たちの写真をたくさん撮った。 私と槌谷、それと堀芳と佃井の旅の目的は少し違う。 女の子たちを同乗させたことで、その違いが鮮明になる。 なんとなく、私は腹の痛みと共にその違和感を持ち始めていた。 それが、お土産屋の女の子に対するよそ見である。ほんと?うさぎは不思議の国から飛び出してどこに向かうのか。続く。トド肉大和煮70g×3個セット とどのジビエ 海のギャングのトドとおしょうゆの絶妙な味わい【トド出没注意】ご当地缶詰【北海道限定】貴重なとど肉【北海道産】醤油味 アシカ科肉缶【鳥獣肉】【メール便対応】
2021.02.09
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文中にリンクを張っている箇所があります。別のタグで開くようにする設定が分かりません。すみませんが、右クリックで開いて「新しいタグ」か、「新しいウィンドウ」で開いてください。見やすい、聞きやすい、楽しみやすいと思います。いよいよ『旅』の始まりだ。その日の出だしは上記のノートだ。1982年8月16日(月曜) 晴れ名寄駅で久本号と別れた。久本号は南下し、我々と堀芳号は、サロマ湖に向かった。11:30、紋別の手前のオホーツク海で泳ぐ。ヤッタゼ、ヌードマン。1:00、出発。 と、ある。 2時間も待ってやっと会えた久本号とは、あっさりと別れている。 その後、堀芳号とつるんで10日間ほどの旅をつづけた。 しばらく、2台で旅するので、佃井は堀芳号に移り それぞれの車の乗組員は2人ずつとなった。 まずはサロマ湖に向かっている。名寄から、国道239号線を使って、 オホーツク海に面した興部町(おこっぺちょう)に向かう。約70Kmだ。 紋別の手前で泳ぐとある。 興部町を調べてみると、沙留(さるる)海水浴場があった。 冬は流氷がやってくる。 オホーツク海で泳ぐと決めていたので、海水パンツは用意していた。 決して、フリチンで泳いではない。 『ヌードマン』、気になったので調べてみた。 1982年7月21日にサザンオールスターズが 『ヌードマン』というアルバムをリリースしている。 そのジャケットの写真が、砂浜から海に飛び込む写真で、 波に足だけが飛び出しているものである。 間違いなく、旅行にでるため、レンタルで借りてテープに録音したはずだ 『ヌードマン』という言葉は、 オホーツクの海の波に向かって、同じような飛び込みをしたということか。 『夏をあきらめて』が入っている。午後である。サロマ湖、網走での様子が上記ノートだ。3:30、サロマ湖にて、牛乳150円。4:00、サロマ湖は浅い。水深が腰より下で、どこまででも歩いていけそうだ。だが、水草がはびこっていて、歩くと気持ちが悪い。5:00、網走刑務所。近代化の波が番外地にも押し寄せてきた。この門も移転するそうです。(欄外)網走刑務所の門は、一大観光地で、(これも高倉健さんのおかげ)中に極悪人がいるなんて考えられない。5:30. 原生花園ユースに到着。2食付き2700円。うさぎ、2匹、同乗。先に声をかけてきたのは、うさぎさんの方でした。「『和』って、和歌山ですか?」実は、まさにこの時、僕たちは、うさぎ狩りをするべく、車の掃除をしていたのであった。 と、ある。おお~、旅の醍醐味だ。その前にサロマ湖だ。網走だ。 先日のTVの番組「ブラタモリ」で言っていた。 サロマ湖はホタテの養殖で有名らしい。あっ、スタンプ、ホタテの形だ。 すでに盛んに養殖がおこなわれていたようだが、食べていない。 牛乳を飲んだだけだ。それにこの日の昼食の記載がない。 前日の宴会で、二日酔いのため、食べられなかったのかもしれない。 サロマ湖にも浸かってみたようだ。 水があると、とりあえず入ってみたくなる年ごろのようだ。 網走刑務所の正門。 今は、刑務所の近くにある、網走監獄博物館に移築されている。 暗い雰囲気はない。グーグルマップのストリートビューに 怪しい人の足や上半身があるだけだ。 さて、原生花園YHに到着した。 うわ、この大事なYHもなくなっている。 若者の出会いの場を奪わないでくれ! あっ! でも、近くに小清水はなことりの宿YHがある。おしゃれ! 私と槌谷は胸弾ませていた。 今回の旅の大きな目的を果たすために、まずは車を奇麗にすることだ。 鼻歌でも歌いながら、どのように声を掛けようか思案していただろう。 例えば、こんな歌か? と、その時である。 「『和』って、和歌山ですか」 後ろから不意に声をかけられた。 振り向いてみると、大きな荷物を肩にかけ 今しがたYHに着いたばかりの女の子が二人立っていた。 『うさぎ狩り』と粋がって書いているが、過去にそのような経験はない。 今回が初めての試みだ。それが、こちらから仕掛ける前に、 その瞬間は訪れていた。2人の女の子は輝いていた。ぴょん。 私は何て答えただろう。「あれ、君らも、関西人?」なんて言ったのかも。 イントネーションで関西人は分かるのだ。 この後の展開はどうなるのだろうか。 どのようなシナリオが待っているのだろうか。 当時のことを私もこの段階では、思い出せていない。 茶化して、自らを鼓舞しなければ、 恥ずかしくて書けなかったりする。 だが、しかし、還暦を迎えたおっさんが 青春恋花を描いてもいいだろう!月ではうさぎが餅をついているという。私も月に行けるのか。つづく。蚊取り線香入れ おしゃれ 陶器 蚊取り線香ホルダー アウトドア/ 月うさぎ蚊遣器 /キャンプ 屋外
2021.02.08
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今日は合流の日である。約束の場所は宗谷岬、時間は正午だ。我々以外の2台は、大阪の地から、本州をひた走り、津軽海峡をフェリーで渡り、北海道に上陸している。何日前に出発し、どこを走ってきたかは知らない。宗谷岬での様子が上記ノートである。1982年8月15日(日曜) 晴れ6:20、起床8時過ぎに再び『氷雪の門』に登り、樺太を見に行った。晴れていて、遠くまで見渡せた。9:00、宗谷岬約束の時間は12時だったが、9時過ぎには、宗谷岬についていた。トウキビを食べた、200円。ラーメンを食べた、450円。板はがきを買った、150円。『流氷とけて 春風吹いて ハナマス咲いて カモメも啼いて 遥か沖ゆく 外国船の 煙もうれし 宗谷の岬』オホーツクの海で泳ぐことが出来そうだ。北の、北の端を見た。沖にソ連船が浮かんでいた。堀芳号がきたのは、11:45。久本号が来たのは、2:00。我々は5時間待っていた。2:20、宗谷岬を出発。3:30、浜頓別でガソリンを入れた。 とある。 約束の時間は正午である。 稚内から、宗谷岬までは、20数Km。 どうゆっくり走っても、1時間でついてしまう。 それで、だろう。 前日は雨模様で景色が見通せなかったので、 もう一度、氷雪の門に登っている。 氷雪の門はYHから北に2Kmほど行った稚内公園の丘の上にある。 かつて日本領土だった樺太で亡くなった日本人のための慰霊碑である。 樺太の南端までは、約50Kmほどだ。 晴れていれば、樺太が見渡せる。 この日は快晴で、樺太がくっきりみえたであろう。 この景色は宗谷岬からでも見ることが出来る。 何と言っても北海道最北端だ。氷雪の門より、樺太に近いかもしれない。 それで、他にすることもなく、 宗谷岬に行って時間をつぶすことにした。 9時に着いたようだ。約束の正午まで、3時間ある。 宗谷岬界隈は広い公園になっていて、ぶらぶら散策できる。 最北端のモニュメントの、北側の海は岩場になっていて、 少し沖まで歩いて行けた。 『北の北の端』と書かれているが間違いではない。 そこに、カメラの三脚を立てて、最北端のモニュメントの北側から、 それをバックに写真をとって、悦に入ったりしていた。 トウキビ、ラーメンを食べ、土産を買って3時間をつぶした。 堀芳はぎりぎりだけど、約束を守る男だ。 しかし、久本号はなかなかやってこない。 当時は携帯などない。 今の状態をお互い知る術がない。 やって来ると信じて待つだけだ。 待っていると信じて行くだけだ。 我々は、ただぼうっと海を眺めていた。 その間、『宗谷岬』の歌がずっと流れていた。今でも歌える。 樺太と宗谷岬との間の同じ場所に、ソ連の戦艦が漂っていた。 大砲の届く距離だ。いったい何を見張っているのだろう。 2時間遅れで久本号がやってきた。 我々は一通りの文句をぶつけると、笑って出発した。 合流する約束はしていたが、 合流してからの予定を決めていなかった。 6人もいればなかなか話はまとまらない。 とりあえず、名寄に行ってそこに今夜は泊まろうとなった。 街中に入るとネズミ捕りを気にして走る。 街と街の間は見通しが良く、ちょいとスピードが出たかもしれない。 バイクのライダー同士は、すれ違う時に手をあげて挨拶している。 我々もバイクを見つけては手を振るが、誰も返してくれない。 そんな遊びをしながら、海沿いを走る国道238号線を通り浜頓別へ、 ここまで、60Km。続きのノートが上記である。(欄外に)僕は恐怖を感じると意味もなく笑ってしまうみたいだ。5時過ぎ、今夜のお宿は名寄です。かめや旅館、3500円。夕食は中華料理、600円。盆踊りをしていると聞いたので、10時過ぎに行ってみると終わっていた。上川が持ってきたナポレオンカミュをみんなで飲んで騒いだ。 と、ある。 浜頓別から、275号線に乗り換えて、頓別川沿いに内陸に入り、 音威子府(おといねっぷ)まで、さらに、60Km弱。 音威子府から名寄までは、昨日、通った道を逆走する形だ。 天塩川を遡る、国道40号線で名寄まで、約50Kmほどか。 5時過ぎに到着している。時間記載が適当でなければ、 一般道路170Kmほどを、3時間弱で来たことになる。 平均時速60Km。信号がほとんどないとはいえ、ハイスピードだ。 欄外の意味不明な感想は、何かあぶない場面があったのだろうか? かめや旅館は今でも残っている。 名寄駅から北西に1Km圏内だ。 外で夕食をとっているので、朝食付き3500円だろう。(当時の値段) YHに比べると、やはり高くつく。 YHにしなかったのは、皆で酒を飲んで騒ぎたかったからだ。 当時のYHは、禁酒だった。 妙な時間に盆踊りを見に行っているが、 酔い覚ましに散歩にでたのだろうか?『旅』はこれからです。つづく。補足前回、「男たちの旅でもあった」と、思わず書いてしまった。少し、道連れとなる登場人物を紹介しておく。赤腹のコロナ号の搭乗人物。槌谷:すでに書いたが、イベント企画が得意だ。Tシャツの他、パーカー、トレナーも作成している。カメラ小僧でもある。心優しいお兄さんというタイプだ。私:サッカー小僧でカメラ小僧。旅は初心者。恋愛も初心者。想いのままに動くときがある。場の雰囲気が気になってしまう青年。久本号久本:モデルのようなホリの深い男前。車にハマっている。それでいて弓も絞っている。遠くを見つめる目で女性のハートを射抜く。上川:久本とのコンビはばっちりだ。陸上部で体も絞られている。憎めない笑顔で女性をトリコにする。女性に「どの車に乗りたい」と聞くと、この車になると思う。堀芳号堀芳:唯我独尊。独特の雰囲気がある。ギターが得意。この旅では、なるべく金を使わない。なるべく、キャンプで泊まるが彼の旅だ。佃井:彼は今日から堀芳号に乗り換えた。旅の目的が堀芳と同じだ。見るからに野生児のようだが、色々なことに気づいている。口にはしないが…。彼らと旅を続ける。北海道小麦100%使用/北の香り(しお・しょうゆ・みそ・とんこつカレー)8食入り 【ラーメン 拉麺 生ラーメン スープつき ラーメンセット セット みそ しお しょうゆ 塩味 醤油 豚骨 プレゼント 北海道 グルメ ギフト 贈り物 贈答 お返し お歳暮 おいしい】
2021.02.07
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小樽に上陸し、最北端まで一気に走っています。それが上記のノート。1982年8月14日(土曜)AM5:00、あかしや号を下船。国道5号線で札幌へ、そこから国道12号線で北上。6:30、朝飯。430円土砂降りの中、ガソリンタンクの空ランプが点灯した。北海道にはハイオクを売っていないスタンドがある。9:22、トイレ休憩。石狩川に放水。9:40、旭川。意外と都市である。旭川市通過。約束の地、宗谷岬を目指し、今日はひたすら北上。北へ北へとひた走り。12:22、名寄の手前で昼食。ラーメン、おにぎり、550円。2:20、天塩川。3:40、稚内YHに到着。意外と早く着いたので、氷雪の門。ノシャップ岬を見に行く。5:00過ぎ、YHに入館。2食付き、2700円。稚内駅まで歩いて向かう。40分。槌谷が大学1年の時、この駅前で女の子に声をかけたのだそうだ。夕食はカレー。この稚内YHは、カレーユースとして有名。しかし、私はこのカレーを好きじゃない。 と、ある。いよいよ北海道に上陸した。 小樽港に上陸して、国道5号で札幌に向かい、 函館本線に沿って走る国道12号線で北上を始めた。 今日の目的は、稚内に着くこと、観光は考えていなかった。 旭川市から名寄を経て稚内までは国道40号線を走ったと思われる。 よそ道、迷い道は全くしていない。 車を停めるのは飯を食う時と、放水する時。 旭川市を過ぎるあたりまで、石狩川も並行して流れている。 ノートの欄外に「北海道、1日目の午前中は雨、それも滝のような雨」 とある。 確かに、この日は土砂降りで、景色なんかも見えなくて、 「イヤー北海道へ来たんだ」なんて、一切感じることもできていない。 名寄からは天塩川が道案内をしてくれる。 グーグルマップには稚内YHが載っていて、『閉鎖』と地図上にある。 ノシャップ(野寒布)岬までは、YHから北へ6Kmほどだ。 根室半島にある、ノサップ(納沙布)岬とよく間違えてしまう。 ノシャップ岬の近くに、『稚内市ノシャップ寒流水族館』がある。 イルカやペンギンのショーをここで見た覚えがあった。 実は、その数年前にも、母とこの場所を訪れていた。 その時は、稚内から礼文島、利尻島へ渡っている。 ノートに寒流水族館のスタンプが押されているが、入場料の記載がない。 イルカやペンギンのショーの記憶は母と来た時のものかもしれないが、 でも、他にやることもないし、時間もたっぷりあったから、 この時も入ったのだろうな。 稚内YHの記憶はないのだが、 泊まったことのない、礼文、利尻のYHの記憶はある。 船が島の港から離れる際に、 スタッフ・宿泊者の全員で盛大に踊りながら見送ってくれた。 稚内ユースはカレーユースだとエピソードが書かれている。 でも、私の好きな味ではなかったようだ。 でも、カレーでしょ。よほど辛くなければOKなんだが…。 何か特別な味付けだったのだろうか? 槌谷の軟派エピソードが書かれている。 槌谷は色々なイベントを企てるのが得意だ。 前回の旅にも出てきたと思うが、『我ら放蕩息子』のTシャツを作った。 今回も冒頭にTシャツ2枚3200円とあるが、そのTシャツだ。 「YHで女の子と仲良くなり、道連れとするぞ! Tシャツ着せるぞ!」 と、彼と大いなる野望を抱きながら、北海道に来ていた。 そのスタート地点が彼のエピソードの宗谷駅である。 言っておきますが、我々はいたってまじめな、好青年です。 (自分でいうな!) 確かに、当時は大学生だから、 軟派も男女交際の第一歩と言えよう。 しかし、この文章を書いているのは、還暦を越えたおっさんだ。 こんなちゃらい書き方でいいのか。 お叱りの声もあるかと思いますが、 この文章を書いているときの私は、 学生の時の自分に感情移入して書いています。 だから、…。だから、…。だから、何なのよ…? えっと、人に出会う旅は続く。 おっと、大事なことを書き忘れた。(追記だ) 「旅の終わりに」の話である。 北海道のYHで広く歌われていると思うが、 私はきっと北海道で初めて泊まった、稚内YHで聞いたと思っている。 それで、多くの方が共感し、多くの方がブログに書き残している。 私も御多分に漏れず、表紙の裏に歌詞を残した。 歌について、それらのブログをまとめると 舟橋俊久という人が、石北線の車内で思いついた曲とのこと。 そして青木清という人が初めてレコーディングしたのが始まり。 その後、多くの歌手が歌っている。 題名は、「旅の終わりに」と「旅の終わり」がある。 歌詞で「今日は君も~」と、「明日は君も~」の違いがある。 夜のミーティングでは、「明日は君も~」と歌い。 翌朝の見送りでは、「今日は君も~」と歌ったのだろうか。 私はこの歌のように、この後の旅で 少女たちと夢のようなせつなを楽しむことになる。 多少違うのは、この旅は男たちの旅でもあったのだ。 心がきしむという意味では、旅の終わりは切ないものである。 宗谷沖そだち【稚内たこカレー】(220g)【RCP】【ご当地カレー/レトルトカレー】(北海道)【ギフト/景品/賞品/贈答/お祝い/内祝い/お中元/イベント/結婚式/二次会/暑中見舞い】
2021.02.06
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今回の『北海道の旅』の道連れになったのは、私以外に5人いる。5人とも、同じ学科の同級生だ。私と槌谷(仮名)が「夏休みに北海道へ車で旅行しようや」と話していると、「おれも連れて行けや」と前回、名古屋まで送った佃井(仮名)が加わった。話が他の同級生に広がると、「俺たちも行く予定なんや」と上川(仮名)と久本(仮名)。「わしもやんけ」と堀芳(仮名)。じゃあと日時を決め、北海道最北端の地、宗谷岬で落ち合うことにした。いつものように、ノートの記述からである。このブログは、30年前の旅行メモから、旅するミステリーツアーである。Tシャツ、1600円x2=3200円 旅の友は、槌谷、佃井、堀芳、上川、久本。北海道旅行記1982年8月12日(木曜)PM2:30、応物校舎前を出発。北摂霊園から国道9号線を経て、国道27号線に乗り、北上する。5:00、西舞鶴に到着。夕食をとる。酢豚ライス、ギョーザ、生ビール。1320円。7:50、乗船。10:30、出航、2等寝台。1982年8月13日(金曜)未明に佐渡沖を通過。終日、日光浴。昼はビール、250円夕食は、唐揚げライス、味噌汁、750円。なんや、この高さ。 と、ある。さて、解明していこう。 我々は、吹田市北千里にある大学の校舎を出発し、 大阪北摂霊園を経て亀岡市から9号線に乗り、 京丹波町から27号線に乗って舞鶴に向かっている。 槌谷も車を持っていて、どちらの車で行くか迷ったことを思い出した。 私はエンジンを載せ替えパワーアップした赤腹のコロナである。 槌谷はワーゲンのビートルだった。洒落ていたが、エアコンがなかった。 私のコロナで行くことが決まった。 何も書かれていないが、出発してすぐに、事故にあいそうになった。 北摂霊園の下り路で路線バスとすれ違ったのだ。 細い道である。まさか路線バスが通っているとは知らなかった。 突然だったので、思わずアクセルを踏み込んでカーブを曲がった。 あせって、ブレーキじゃなく、アクセルを踏んだのかもしれないが、 ブレーキでその場にとどまっていたら、バスに突っ込まれていたと思う。 私の潜在意識がアクセルを踏ませたのだ。って、安全運転しろよな、お前。 私のこれまでの運転人生の中で一番危なかったシーンだ。 北海道へは、西舞鶴からフェリーに乗り、小樽に上陸する計画だった。 乗船は7時半である。乗船の手続きをしても、時間が有り余っている。 今回の旅の友、槌谷と佃井はどちらも珍しくお酒が飲めない。 ラッキーである。私は、気が向くまま、アルコールが摂取できるのだ。 船旅は2泊3日である。中日は終日船上で何もすることはない。 甲板に上半身裸で日光浴をしていたら、 小学生の悪ガキが寄ってきて「あっ、あそこの毛がでている」 と、大きな声で言われた覚えがある。 私は毛深い。おへその下にも少し体毛がある。 それがサッカーの短パンの上からはみ出していたのだろう。 今の若者のように体毛処理なんかしない時代の男の子である。 恥ずかしくもないが、昼寝のひとときを邪魔された気分だった。今回、多少、下ネタも入ってきたりします。続く。【すぐ使える50円OFFクーポン対象】 ムダ毛ジョリー ムダ毛処理 シェーバー 体毛 処理
2021.02.05
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私は学生時代のノートに書かれた旅行のメモを解明することで、ミステリーツアーを楽しんでいる。ツアーのコースは、全6コース。 1:能登 掲載済。 2:北海道 3:山陰 4:九州 5:大台ケ原 6:九州から山陽である。今回は北海道の旅だ。この旅で、表紙の裏に書かれた『旅の終わりに』の歌詞が何なのかが明らかになる。ワクワク。前回、『旅とは人と人の出会い』と定義した。北海道の旅では、当時の私の成長がわかる。出会いが少しあった。ドキドキ。と、その前にこの旅の正しい楽しみ方について、この旅は文章中心だ。写真は実家の押し入れに入っていて手元にない。旅に出ると地図を片手にワクワクする人が適正だ。できれば、別のタグにグーグルマップを開いて、ルートを追随し、文章に登場するキーワードを検索する。添付されている写真を見ながら読むと、臨場感が沸く。私はそうして書いている。さあ、旅のスタート。ということで、今日はここまで。旅のキーワードカニ 花咲がに 北海道産★15,000尾突破★茹でたて直送!350〜500g前後 1尾入 かに カニ 蟹 花咲ガニ ご当地グルメ
2021.02.04
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