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看護師さんたちが私の顔を見るたびに、土曜夜のテレビ見ましたかと聞いてきた。遷延性意識障害の人たちの意識回復の手立てを探る様子をドキュメントとして放映されたテレビのことだった。テレビで紙屋克子博士の看護プロジェクトも紹介されていたが、その先生の講演を前の晩聴いてきたことを話す。あんなふうに回復するといいですね、なりますよ。お母さん頑張って、と力づけてくれた。それにしてもあの魔法のような薬、信じられない。飲んだとたんに意識が回復し、二時間経つとまた元に戻ってしまうらしい。
2009.03.31
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お姉ちゃんが作ってくれたコンサート収録DVDには、祐二の好きだったエグザイルやスピードのコンサートの様子が収録されていた。目をそらすことなくしっかり見ていた。時折興奮して大声を上げていた。意識を失ったときからでは7年が経っている。それでも脳裏には彼ら、彼女らの歌が記憶の中にあるように思う。お父さんとのボール投げは、スナップをきかせて投げていた。受け取る仕草を見せ、それたボールも手探りで探して投げ返していた。結構父も子も嬉しそう仁キャッチボールをしていた。キャッチボールをしているときは、神経がうまくつながっているようだ。が時折口を開けたまま瞳も動かなくなる。神経断線の瞬間だ。やはり遷延性意識障害なのだな。作夜みた植物人間からの帰還、私の声が聞こえますか、は、祐二のこれからに希望を持つことができた。問題は私がいつまで見守れるかだ。
2009.03.29
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夕方6時30分からの講演に間に合うようにと、家を出たのが4時30分、迷いながらも、下野市野木町の花の舎リハビリ病院に到着。107人もスタッフがいるリハビリ専門の病院である。マンツーマンのリハビリをするという素場らしい病院、若いスタッフが看護の神様の話を熱心に聞いている様子に感心した。発病してから2ヶ月の患者さんが中心だという。それにしても紙屋先生のプログラムを施してもらえたら息子はもっとよくなるだろうという期待が膨らんだ。看護方法だけで、これほどに変化するのが不思議なくらいだ。私にもできないだろうか。かつて千葉療護センターで、腹ばいにさせてくれたこと、端座位をさせてくれたこと、これらがすべて祐二には有意義であったことを実感した。
2009.03.27
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運動音痴の私でも興奮したWBC。どのスポーツより野球は分かる。父も息子も草野球のメンバーだったこともあるし、母が実に野球に詳しかったこともある。仕事をそっちのけで草野球にうつつをぬかしていた父に小言を言い続けていた母がシーズンにはしっかりテレビを見ていた姿が思い出される。日本中を湧かせたことは最近にないこと。よかったよかった。祐二が見ていたらどんなに興奮したことだろう。スポーツ観戦は何より好きなことだったから。ところで祐二とライリーのことをまとめた著書「君へのメッセージ」がその後として、再発行される方向に進んでいる。脳が壊れてしまうということがどういうことか、祐二の遅々としたものながら修復への日々、一進一退に一喜一憂する家族の、母の、思いを綴っている。多くの人に交通事故の恐ろしさをもしってもらいたいとの願いもこめて。
2009.03.24
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久しぶりに味噌を仕込んだ。祐二が事故に合ってから、味噌の仕込をしないでいたが、今年は友人を介して、米・大豆の加工を頼んだ。以前は麦麹味噌ばかりであったが、今年は米麹味噌にしてみた。大豆6k 米9キロから仕上がり28キロぐらいになるようだ。これから8ヶ月以上寝かせて年の暮れには味見ができそうだ。楽しみ。話しは違うが、祐二は朝食はいつもパンに煮干入りの味噌汁という組み合わせだったっけ。煮干をいつも食卓の下にいるライリーに食べさせていたものだ。ライリーが祐二の椅子の近くを居場所にきめたのは、このおこぼれに預かる楽しみが理由だったようだ。
2009.03.23
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この会は本当にすばらしいと思う。腹蔵なく話し合える会になった。私が入会してから22年目になる。ずいぶん人は変わったが、当初からの人が、十人ほど、同じように年を重ねている。作品を通して、話し合いを通して、お互いに豊かな気持ちになっていく。ほどほどなおつき合いがよいのかもしれない。今回の作品について言えば、どれ一つとして同じ傾向のものがない。個性豊かな自分流がみえてきている。読みでがある作品集になっている。
2009.03.22
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笑顔が少なくなったと看護師たちがもらす。癇癪を起こしたようにベッドの枠を叩く。その腕は青あざだらけだ。怒らないで、と祐二に声をかけている介護士もいる。どこか変わってきたことを心配した医師が、脳のCTをとったようだ。心の変化なのか身体的変化なのか、進歩なのか後退なのか、今のところ分からない。調子のよい状態にちょっと浮かれ過ぎていた私達を、そうは問屋がおろさない、甘くないぞ、脳の回復は、といっているのかな。それでも氷川きよしのコンサートの様子のDVDはよくみていたようだ。
2009.03.22
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千葉から妹夫婦が祐二を見舞ってくれた。このところ状態がかんばしくなくて、大騒ぎをしている祐二だが、千葉療護センターのときのように、叔父さんの吹くハーモニカをジッと静かに聞き入っていたという。握手をし、にこにこしてさよならをしたのに、帰った後、あーんあーんと大泣きをした。まるで赤ん坊が後を追って泣くように。看護師さんが驚いてきてくれたが、このところこうして声を出して、私たちを呼んでいるようなのです、という。ずいぶん前にもこのようにいわれたことがあった。後戻りしてしまったのだろうか。
2009.03.20
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驚いた。人権教室をしてきて欲しいとの依頼。いつものようなビデオを使っての人権啓発のつもりで気軽に出かけていったのだが。6年生が卒業したので1年生から5年生までの6百人、しかも昨日の今日という、日にちに余裕もない突然のこと。この年齢差のある子ども達、どこに焦点を絞ったらよいのか。ビデをも使わず、話を聞いてもらうには、どうすりゃいいんだ。10分や20分なら分かるが1校時だという。私は現役の話のプロじゃないよ。冷や汗ものだったよ。それにしても、人権のキャラクター人権まもる君を知っていてくれてよかった。このキャラクターの作家とアンパンマンが同じなのが、話に乗せるのに成功のきっかけかな。そのうえ、有名な「手のひらを太陽」の歌が、やなせたかしの作詩だということ、意外に知らないね。先生方もへエー、という顔してたものね。口前奏をやったら、全員で僕らはみんな生きているって歌いだした。やったー。みんなの心をつかんだね。一度心がほぐれると次の話に入る前の騒然とした間、集中させるテクニック、あの手この手。久しぶりに、昔の血が騒いだ。人前で話すことは嫌いではない自分。でも・・・物忘れののひどさ、かなしいね。話している最中、ぷつんと話しに脈絡がなくなってしまう。肝心なこと、伝わっていないのでは、もう一度やり直ししたい気分。その後祐二の下へ、看護師さんたち、幼児が急に中学生になったのかな、何か変わっている。だって。
2009.03.20
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状態があまりよくなかったので、二人で確かめに出かけていった。昨日ほどの不機嫌さはないようだが、ご機嫌とはいえない。風もないので、車椅子の乗せてもらって、戸外の散歩に出かけた。以前だったら気持ちよさそうに目を細めて長い時間日向ぼっこができたのだが、まもなく凄い形相で大騒ぎをはじめてしまった。車椅子を倒して寝かせた。いくらか穏やかな顔になったところで、テレビの部屋に移動。ここも10分と持たないで大騒ぎ。こんな状態になるのは何かが体に起こっているに違いないと思ってしまう。祐ちゃん折角いい具合になっていたのにどうしちゃったんだろうね。看護師さんたちも、不機嫌だね、といっていた。
2009.03.15
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祐ちゃん、どうしたんだい。あれほどの回復の兆しは、どこにいってしまったのだろう。何しろあの明るさが,看る人に喜び楽しみをくれたのに、覇気がないし、笑顔の回数も少なくなったし、笑顔そのものも、とってつけたようになってきてしまった。怒りっぽくもなったかなあ。凄い形相で、わめくこともあったり。何かが脳の中で起こっているとしか思えない。心配だ。右手が赤く腫れているように思えた。熱ももっているようだ。看護師さんがシップを張ってくれた。ベッドを力任せに叩く仕草が、手の腫れの原因なのか。何かの体の異変なのか。
2009.03.14
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今日はお父さんが祐二のところに早めに出かけたのだが、何か様子がおかしい、という。言語の大好きな先生にも反応がなくて、今まで見た中で最悪だと心配していた。進歩したとあまり喜びすぎていたのかもしれない。一歩進んで二歩下がるそうは問屋がおろさないんだよ。ゆったりと見守っていこうよ。あせってみたところで、どうになるものではないんだからさ。
2009.03.12
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NHK出版から「60歳のラブレター」という作品集が出版されているが、昨年で第7集になっているという。第2集仁掲載された私の作品を、再掲載したい旨連絡があった。夫から妻へ、妻から夫への60歳のラブレターセレクション、という書名で発行されるらしい。楽しみのような、気恥ずかしいような。あの作品を書いた頃は、まだ祐二は青春真っ盛り、彼女もいて、将来を考えていた頃だったなあ。世の中先は見えないもんだねえ。無性に祐二の人生が切なくて悔しくなってしまった。作品の中の夫もその妻である私も、祐二の顔を見るために、今交代で病院へ通っている。あの時は病気の私と見舞ってくれる夫の話だったのだが。癒えることのむずかしい息子を見舞う日々は、際限なく私が動けなくなるまで続くのだねえ。あまりその先のことは考えないことにしよう。
2009.03.10
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「ごきげんいかが」いつものように覗き込む。いつもの開けっ放しの喜びとは違ったように見える受けとめ方だ。なにやら物足りない振る舞いに、こちらがご機嫌取りをした言動になってしまう。「昨日来られなくてごめんね、怒ってるのかい」ニヤーと目を半開きにして、顔を見ている。少し知恵のついた子どもの反応かな。脳も少しずつ進歩しているのだろう。兆候としてはよいことなのだろうか。帰り際突然ベッドの端をものすごい勢いで叩きわめいた。原因分からず、対応に戸惑った。高次脳機能障害ってやつなのかなあ
2009.03.07
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3月6日はライリーの命日。祐二の椅子にたどり着いてどおっと倒れてしまったライリーの劇的な最後は、その瞬間を目の当たりにした私とお父さんの瞼に焼きついている。3年間も祐二の帰るのを玄関で待ち続けたライリーの姿を、祐二に見せたかったのにね。今日、「おくりびと」の映画を見てきたんだけど、アメリカ版忠犬ハチ公が予告紹介されていて、ライリーのこと思い出しちゃったよ。「おくりびと」で泣いてしまったし、今日は顔が涙でグシャグシャになってしまった日だった。やはりアカデミー賞の作品だね。昨年亡くなった峰岸徹さんが死んだ父親役というのも何というか。今までにない日本の心に触れた作品だね。役者もいいし、音楽もよかったし。
2009.03.06
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3日4日の研修旅行で千葉に出かけた。前日から天気が悪いといわれて半分覚悟していた。上々とはいえないが、35名の研修旅行一行、遠見岬神社の階段ひな祭りが見られた。勝浦市民会館のお雛様の数に仰天していた面々。波が荒くて駄目だろうと思われていた、仁右衛門島にも渡れた。櫓こぎの小船に乗るのも、この歴史を物語る島をさんさくするのも皆はじめてのようだ。これらの見学場所を経験していたのはどうやら私一人のようだ。企画者としては嬉しい天気運だった。翌日の日本寺の大仏といい、1500羅漢様といい、興味深いお寺さんだったが、何せ階段が多すぎた。私をはじめそれに近い年齢の皆様、明日は厳しいでしょうなあ。
2009.03.05
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編集の仕事などがあって、おそくなってしまった。ごめんね。このところ感情をセーブしているのかな。なんだか物静かなんだよね。幼児が急に中学生になったみたい。お父さんは無理に笑わせようとして、ドリフのDVDにこだわっているけど、静かな雰囲気で見ていてもいなくても、ドラマ「波乗りレストラン」もいいんじゃないの。お父さんもおねえちゃんもこんなの買っても祐二は喜ばないって馬鹿にするけど、私は面白いと思うんだけど、祐ちゃんはどうかな。バックミュージックの桑田けいすけの声祐ちゃん大好きだものね。
2009.03.02
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