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日向の暑さから信じられないような、木陰の風の涼しいこと。金土とリハビリができなかったので、寝たきりだった。車いすに乗せてもらった。今日はお父さんもいっしょ。3人で木陰で初秋の風にあたりながらとりとめない話をする。祐二も穏やかな顔で、話を聞いている。2階に移動した師長さんが「覚えてるかい」と声をかけてくれた。胸を叩いて最高の笑顔で応対する。本当に分かっているのかなあ。それとも社交辞令なのかい。この病院で一番声をかけてくれた看護師さんだったし、声も祐二の好きなトーンで話していた大好きな人の一人だったからね。うれしかったんだよね。
2009.08.23
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耳で聞いた数字と目で見た数字と指の本数が一致するのは偶然ではないようだ。DVDを見ていてもおかしい場面では大笑いする。8時だよ全員集合では笑い顔、ZARDでは神妙に、目に映るものでの顔に変化がある。言葉があれば、とつくづく思う。
2009.08.15
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ベッドでの日々を余儀なくされてから、7年経つ息子。その友人の父親の葬儀に立ち会った。幼稚園のころからいつも一緒に過ごした友人は、学童バスケットでも、全国大会に共に参加し学童バスケットのエースであった。今もその腕を見込まれて、地域のバスケットボールの指導者である。かつての先生や仲間たちが駆けつけていた。息子が元気ならこの人たちの輪の中にいたであろう。かつての青年指導者は、校長になり、仲間たちもそれぞれ37歳の堂々とした父親としての顔を持っていた。それにしても最近身の周りに起きた不幸は、74歳の男性だった。人生の変わり目なのだろうか。
2009.08.11
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たばこを手放せなかった人が、当然の結果のように肺がんで逝った。発見から半年である。草花を愛し、自然を愛でる人。孫たちからこれほどに慕われた人も珍しい。それほどに心やさしい穏やかな人であった。自分の体が思うようにならなくなってからも、自宅に戻ったとき、私の息子に会いに行くからと何度も言っていた義理がたい人。葬儀の日の孫たちの涙。まだまだ生きていてほしかった。医学の進歩しているいま、癌は早期発見しなくては。手遅れになる前に。
2009.08.11
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広島の追悼放送のされているとき、私は生涯を終えようとする人の傍らにいた。意識の混沌とした中で、喘ぐように呼吸をする姿を何をする術もなく見ていた。同年代を生きた、教育者である彼、たばこをこよなく愛した彼は、肺を癌にのっとられてしまっていたのだ。手術も放射線も施せないほどに拡大していた病巣。 現在がんを治療中の彼の奥さんを、かいがいしく世話をしていた彼が病床の妻を残して先に逝ってしまった。かって私もがん患者であった。化学治療の副作用に苛まれた日々を乗り越えて、胃袋のないままあれから30年を生きている。一日でも早い発見が、がんを遠ざけることを実証する私の存在。
2009.08.06
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エレベーターの中で、祐二を知る人に出会った。この病院には以前から祐二のかつて勤めていた会社が出入りしていた。「息子もかつてあなたたちの会社に10年ほど勤めていたんですよ」「えっ、どなたですか。祐二君ですか。一緒にソフトボールをやっていました。彼はキャッチャーだったんですよ。ここに入院していたんですね」会社のメンバーが大分かわってしまい、息子を知る人はこの病院に来なくなって久しかった。話をする時間はなかったが、息子と同じ時、同じ青春を過ごした人に出会えて、温かな気分になった。次の機会に出会えたら、息子に会ってもらおう。
2009.08.03
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