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泣きながら「断乳する!」と決意した翌日、月のお客様がやってきました。チビちゃんを妊娠して以来だから、約2年間ぶりの訪問です。人によっては、出産後数ヶ月でやってくるらしいですが、つばめはずっと訪問がなかったので、授乳をしているうちは来ないのだと思っていました。だからちょっとびっくり。前日心乱れて泣いてしまったのも、ホルモンのバランスの変化と関係があるのかも。。。本気で断乳したくなったのも、月のお客様がやってくるようになったから?月のお客様の訪問が始まったということは、次の子供を妊娠する可能性があるということだものね。チビちゃんもそろそろおっぱい卒業して、お兄ちゃんになる時期ってことかな。つばめの身体も妊娠前の状態にほぼ戻ったということだろうけど、おなかの肉はあいかわらず妊娠4,5ヶ月という感じ。これは元に戻ってくれないのかなぁ。。。断乳すると、おっぱいは素早くもとの状態に戻りそうだけど(笑)!とにかくちょっと意外だった月のお客様の訪れなのでした。↓おばあちゃんとアパートの敷地であんよの練習
2009/10/31
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国慶節明けにチビちゃんが風邪を引き、続いてつばめも風邪を引きました。風邪を引いたチビちゃんは食欲がなく、おっぱいを飲む回数が増え、夜も頻繁に起きます。つばめも体調が悪くつらかったのですが、チビちゃんも風邪だししょうがないと、ほしがるままに授乳していました。でもある日、それもとうとう限界に。その日はチビちゃん、寝てもベッドに置くと泣くの繰り返しで、しょうがなく添い乳して寝かしつけようとしましたが、今度はチビちゃん、すごい力でおっぱいを吸って離してくれません。つばめもチビをおっぱいから引き剥がそうかと思いながらも、チビちゃん風邪だから、と我慢していましたが、1時間たってもまだ吸っています。乳首も痛いし、自分の体調も悪いのもあって、「もうだめだ・・・」と心がくじけてしまいました。「おっぱい地獄」という言葉が頭に浮かび、「今までできるだけ母乳で、と必死でやってきたけど、もうだめ。もう限界。もうこれ以上は続けられない」という思いが心に広がって、涙があふれてきました。そして、我慢できなくなったつばめはまだおっぱいを吸い続けるチビちゃんを胸から引き剥がすと、案の定チビちゃん、大泣き。その声を聞いて、夫が起き出してきました。「どうしたの?まだベッドに置けないの」という夫の声を聞いて、つばめのほうがチビちゃん以上に大きな声で泣き出してしまいました。泣きながらチビちゃんを抱っこしてゆすりますが、泣いてとりみだしている母に抱かれて寝付かれるわけもなく、よけいに大泣きのチビちゃん。それでもしばらくするとつばめも落ち着きを取り戻し、何度もベッド着地に失敗しながらも最後には着地に成功。夫もほっとした顔です。その後つばめは一言、「もう断乳するわ」と夫に告げました。「もうこれ以上続けられない。限界。あなたは私のこと、母親失格って思うかもしれないけど、私はもう全力を尽くしたし、これ以上は無理」と言うと、夫、「全力を尽くしたのに、母親失格なんて思うわけないじゃないか。そんな大変な思いをして子育てする世の母親はみんな偉大だよね」と返してきました。その答えを聞いて、無言になるつばめ。なんだか、世の母親はみんな同じように大変な思いをしているのだから、きみだけが大変なわけじゃない、と言われたような気がしたのです。夫はそんなつもりはさらさらなかったのだと思いますが、つばめが夫にかけてほしかった言葉はただひとつ。「今までご苦労様、よくがんばったね」ただそう言ってほしかったのです。夫はチビちゃんをベッドに置けないのでつばめが泣いていると思っているようでしたが、つばめはこの1年間、ずっと大変でもがんばって授乳してきたのがこの日にぷっつりと糸が切れてしまった感じだったのです。夫はやさしいけど、やっぱり母親と父親は違うし、私の大変さを共有してくれているわけではないのだと感じました。でも、つばめだって、夫の大変さを本当に分かっていない部分もきっとあると思うので、夫を責めるのはやめようと思い、何も言いませんでした。とにかく断乳。今まで断乳したいけどでもなぁ、、、と決意しかねていましたが、チビちゃん1歳を目前に控えた夜、もう断乳するしかない、とはっきり思った出来事でした。↓叫ぶチビちゃん
2009/10/30
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チビちゃん、今日で1歳のお誕生日を迎えました。この子を出産したのはもう1年前のことなのかと思うと、あっという間に1年が過ぎたという気もしますが、1日1日なんとかやり過ごして、やっと1年が経ったかと思うと、長かった~、よくここまでたどりついた、と感慨深い思いです。育児を助けてくれている義父母や夫にはお疲れ様、そしてありがとうと言いたいです。そしてなにより自分にお疲れさま~、これからもまだまだ育児は続くけどがんばってね、と自分を励ましたい気持ちです。まだまだお世話が大変なチビちゃんだけど、ここまで大きな病気もせずに元気に育ってくれたことに感謝、感謝。チビちゃんを通じて、色んな経験をさせてもらっていることに感謝、感謝です。さて最近のチビちゃんの流行は「指差し」。家族写真を見せて、「お父さんはどれ?」「おばあちゃんは?」などと聞くと、写真を指で指し示します。絵本を見ながら、「りんごさんはどれ?」などと聞くと、指でさして教えてくれるようになりました。食事の時は自分の食べたいものをしきりに指差しします。だっこしていても、行きたい方向を指差したり、身体をひねりながら手を伸ばしたりします。チビの言うとおりにこっちが連れて行かないとかんしゃくを起こして泣くので、なんだか大人のほうがチビに操られている恰好。まだ言葉は話さないのですが、おじいちゃんを見て、「オウ!」(おじいちゃん、帰ってきたの)おばあちゃんのほうを見て、「オウ!」(おばあちゃん、こっち来て)自分で立っちして、「オウ!」(みんな見て。ボク一人で立てたよ)というふうに、まるでお話をしているような声色と表情です。離乳食ですが、以前は食事時に眠くなってあまり食べられないことが多かったのですが、ここ1ヶ月のうちにお昼寝がほぼ1回になりつつあり、離乳食もよく食べるようになってきました。食べる内容も、大人のものを少し加工してやっています。ただ、おっぱいもまだやめられません。おっぱいを吸いながら寝るのが癖になっていて、つばめはそれに苦痛を感じる毎日。歯が全部で6本になり、寝ぼけたチビちゃんに乳首をかまれることも多く、これが痛い。吸う力も強くなり、噛まれているのか吸われているのか分からないぐらい。それで1時間も乳首を離さないこともあり、おっぱいももうやめ時かなぁ、という感じです。でもだっこで寝させようとすると泣き叫ぶので、断乳も相当の覚悟と体力が必要。最近まで風邪を引いていたつばめは、そんな体力もなく、「はぁ~、もう吸いたいなら、吸っといて・・・」と根負け気分で乳首を含ませ、なんとか寝かしつけています。満9ヶ月過ぎから、手をパチパチたたいたりする芸を覚え始めたチビちゃんでしたが、なぜか「バイバイ」だけはずっとできませんでした。それが先日、お店の店員さんと別れる時、「チビちゃん、バイバイは?」と言うと、腕を上げて、手のひらをグーパーしたのです。どうやらやっとバイバイの意味と動作がつながったよう。バイバイ以外には新しい芸は覚えていませんが、大人の動作をよく見て学んでいるようで、テレビのスイッチをつけたり、アパート入り口の鍵を開けたりするのでびっくりさせられます。うちのアパートの廊下の電灯は、夜音がするとつくようになっているのですが、チビちゃん、いちはやくそれを学んだようで、廊下に出ると、「アーッ」と声を出して電気をつけてくれます。手先も器用になって、以前はふたをひねって開ける練習をしきりにしています。以前は押せなかった「どうよううたのえほん」のボタンを自分で押して音楽を鳴らすことができるようになり、音楽を鳴らすのに成功したら、周りの大人を見回して自慢そうな顔をします。そんなチビちゃん、最近の変な行動といえば、「頭打ちつけ実験」。壁や窓などにわざと自分の頭を軽くぶつけるのです。・・・のみならず、自分の手で頭を軽くたたいたりしているときもあり、心配になって「チビちゃん大丈夫?痛くないの?」と言っても、うれしそうににこーっと笑うのみ。どうやらそうやって遊んでいるようです。どのぐらいの力でぶつかったら痛いか試しているのかなぁ。。。変な行動といえば、ある日突然、唇の間から下を出して変な表情をしたり、口かたブーッとつばを吹きかけたりするように。これも一種の遊びなのかな。数日前には急に舌打ちを覚えて、「タン!」と舌を鳴らしてはうれしそうに笑います。どこからそんなこと学ぶのか不思議です。まだまだ夜も頻繁に起きて母をゆっくり寝させてくれないチビちゃんですが、こちらに向けるその明るい笑顔を見ると、「神様、この子をうちの家庭に授けてくれてありがとうございます」という気持ちになります。これからも育児がんばっていこうと思います。↓ママ、お花どうぞ
2009/10/29
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国慶節の期間中、つばめたち一家はほぼ2年ぶりに夫の田舎に帰ってきました。チビちゃんを連れて初の帰省ということであちこちの親戚がチビちゃんを見るために集まってくれました。今回は老若男女入り混じる親戚の中にチビちゃんと同じか、少し大きいぐらいの赤ちゃんがたくさん増えていました。そして、1歳すぎの子供を抱いた母親がニコニコしながらつばめのほうに近づいてきて、赤ちゃんに向かって、「ほら、『おばあさん』って挨拶しなさい」と言ったのです。するとその子はつばめのほうを向いて、「おばあさん!」とちゃんと挨拶。つばめ、初めておばあさんと呼ばれてしまいました。聞けばその子は、夫のいとこの孫だとのこと。夫はやっと子供ができたばかりだというのに、いとこはもう孫がいるという現実。田舎は結婚が早いので、夫のいとこも早々と結婚し、早々と子をもうけ、その子供も早々と成人して結婚し子宝に恵まれた。だからこの子はうちのチビちゃんと年はたったの2ヶ月違いだけど、一世代の差があるというわけだ。チビちゃんはこの子の『おじさん』になるのだから、この子と二世代の差があるつばめは自然、『おばあさん』。そうか~、田舎だとつばめよりちょっと年上ぐらいでもう、孫を持っておばあさんと呼ばれるんだな。この子のお母さんは、実はチビちゃんと同世代ってことだよね。。。家の中のたくさんの親戚と、庭を走り回る子供たちを見ながら、なんだか頭がこんがらがってきたつばめなのでした。↓これ、みーんな親戚です。
2009/10/19
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昨日ある読者の方の指摘を受けてブログ記事を書き直したことを書きましたが、その方は安全保障の問題にも触れられ、「普通の市民が平和を望む気持ちに 日中の区別はないと信じたいです。 そういう意味で私は日本の平和主義教育は すばらしいと思っています。」と述べられており、つばめもその通りだと思いました。ただ、平和を望む気持ちは日本人も中国人も違いはないと思いますが、歩んできた歴史と常識が違うので、行動に差が出てくるのだと思います。日本は自ら武力を手放すことで平和への姿勢を表現していますが、中国はきっと、武装して強くなって自国をしっかり守って平和に過ごしたいと思っているのではないでしょうか。今まで日本の平和観を当たり前、常識だと思っていたのですが、世界に出てみると、国自ら武力を放棄して平和への姿勢を示す国のほうが少なく、たいがいは自国の国防のために武力を持っていることのほうが多いのではないでしょうか。普通に考えてやっぱり自ら丸腰になるのは怖いですものね。そういう意味では日本のほうがむしろめずらしい国で、日本の教育を受けた私たちの平和観のほうが、希少なものといえるかもしれません。私たちはそれを誇りに思うべきだと思いますが、一方、やっぱり日本の平和論は理想論なのかな、と思ったりもします。日本は武力を放棄して平和への姿勢を示しているはずなのに、いざとなったら親分の(!?)アメリカさんの武力をもって守ってもらおうという姿勢にはちょっと矛盾を感じます。武力による紛争解決反対のはずなのに、日本にはアメリカの基地があり、軍隊が駐屯しています。本当に武力反対なら、その現実はおかしいですよね。その点中国人の、「強くなって平和を勝ち取る」という考え方のほうがストレートで分かりやすいといえば分かりやすいですね。(別にそれに賛成というわけではありません)つばめは日本人だから、つい日本の平和観が正しいと当たり前のように思っていましたが、よく考えてみると、日本の平和観にも矛盾がある気もするし、どっちが絶対正しいと簡単に言えるものではないと気づきました。中国の国慶節パレードを通じて、国防や平和についていろいろと考えさせられたつばめなのでした。↓長安街と東単南大街の交差点に飾られた 鳥の巣とアクアキューブをかたどった花壇
2009/10/15
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先日の「国慶節パレード、ショック・・・!」の記事を載せたところ、それを読んだ読者の方から「冷戦後の世界を動かしているのは 軍事ではなく経済力だと思います。 つばめさんの 『核を持っている国の立場が強くなるのは当然』 『日本は弱い立場にある』 というご意見には違和感を覚えます。 そんな核絶対論のような考え方は 国際社会には受け入れられないと思います。」という意見をいただきました。そのように指摘をいただきはじめて、つばめの文章は自分の思いよりもかなり強い印象を読む人に与えてしまっているようだと気付きました。確かに今の国と国の間のことは経済力が動かす部分が大きく、核を持っているから強い、持っていないから弱いというように単純にいえるものではないと思います。つばめは核絶対論のような考え方を持っているわけではなく、ただ天安門を行き過ぎる核ミサイルを目にして、自国の安全保障をアメリカに頼っている日本に思いをはせ、それと比較して「自国の国防のために核爆弾を持つ!」とはっきり言える中国はある意味たくましく強いなあ、と感じたという感想を述べたかっただけです。つばめは別に核開発に賛成だという意見を持っているわけではありません。この読者の方のご指摘を受けて改めて考え直した部分もあり、本文で私の意図するところとちょっとずれている部分を書き直して10月8日の記事としてUPしましたので、ご興味のある方はまた読んでみてくださいね。↓長安街と王府井との交差点に飾られた チベットへの列車開通を記念した花壇
2009/10/14
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国慶節パレードの生中継を冷静に見ていたつばめ、生の戦闘機が空を横切っていくのを目にして一気にテンションUP!しかしその後、それ以上につばめの心に衝撃を与えるものが出てきました。それは・・・、原子爆弾。武器パレードの一番最後に、重々しい核兵器ミサイルが、ずらりと隊列を組んで天安門前を通り過ぎて行ったのです。唯一の被爆国に生まれたつばめにとって、それはとてもショックな光景でした。夫によると、一般の中国人は、中国が自前で核開発に成功したことを喜び、また自国が核ミサイルを持つことを支持し誇りに思っていると思うという答え。そうなのか~。日本だと国が核反対の方針で、国民は学校で非核三原則を習うので、核は悪いもの、核は持つべきではないというのがむしろ常識となっており、「日本も核を持つべきだ」と大きな声で言える雰囲気ではないですよね。でも、国民の祝福ムードのもと天安門を行き過ぎる核ミサイルや、夫の話を聞いて、日本の常識は世界の常識というわけではないのだと思い知らされました。新聞によると、核兵器は中国国防の実力を示すものであり、平和の糧になるものだというような説明。平和のために持たざるを得ないという解説であった。理想はもちろん世界に核がなくなることかもしれないけど、中国はもっと現実的で、世界に核が存在している今、核を持つことが国防のためになると考えているよう。特に諸外国に侵略された歴史を持つ中国は、二度と侵略の屈辱を味わわないためにも、自国が強くなって、しっかりと国防をできるようにならなければ、という強い意志が働くのも分かる気がする。しかし・・・、なんともいえない複雑な気持ち。日本で教えられた平和教育とは全く違う価値観と出会って、頭がこんがらがっておかしくなりそうになった国慶節当日のつばめなのでした。↓長安街沿いに飾られた何十もの花壇のひとつ、 天壇と万里の長城のモチーフ(東方新天地の東単側入り口前)
2009/10/08
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国慶節パレードの生中継を冷静に見ていたつばめ、生の戦闘機が空を横切っていくのを目にして一気にテンションUP!しかしその後、それ以上につばめの心に衝撃を与えるものが出てきました。それは・・・、原子爆弾。武器パレードの一番最後に、重々しい核兵器ミサイルが、ずらりと隊列を組んで天安門前を通り過ぎて行ったのです。唯一の被爆国に生まれたつばめにとって、それはとてもショックな光景でした。新聞によると、核兵器は中国国防の実力を示すものであり、平和の糧になるものだというような説明。平和のために持たざるを得ないという解説であった。思えば日本は非核三原則などと言っているが、実際はアメリカの核の傘の下にいるからそんなことをいってられるのであって、そうでなければそんな甘いことを言っていられないかもしれない。日本はアメリカに頼って、核開発を放棄した。中国は自国の国防のために、自前で核を開発した。思えば、他国に国防の要をゆだねていて、肝心の時に本当に守ってもらえるのか、それは核を持っている国の立場が強くなるのは当然で、いざとなったらその国の言うこと、やることを聞くしかないのだ。日本はそういう弱い立場にいると言える。それに比べて中国はどうか。他国に守ってもらうのではなく、自分で国防をできる実力を備えた強国である。アメリカも、ソ連も核を持っていて、中国だけに持つなというのはおかしな話だろう。特に諸外国に侵略された歴史を持つ中国は、二度と侵略の屈辱を味わわないためにも、自国が強くなって、しっかりと国防をできるようにならなければ、という強い意志が働くのも分かる気がする。しかし・・・、なんともいえない複雑な気持ち。夫によると、一般の中国人は、国が核ミサイルを持つことを支持していると思うという答え。天安門を行き過ぎる核ミサイルを目にしながら、日本で教えられた平和教育とは全く違う価値観と出会って、頭をガーンとなぐられたような衝撃の後、まるで鉛を呑んだように心が重く沈んだつばめなのでした。↓長安街沿いを飾る巨大花壇
2009/10/08
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10月4日はつばめの誕生日、去年は臨月のおなかを抱えて夫とふたりでちょっとリッチに5つ星ホテルに泊まりに行きましたが、今年はどうしようか、と言っていました。チビちゃんは生まれてこのかた、北京の自宅と日本の実家以外に泊まったことがありません。夜ちゃんと寝てくれるだろうか、離乳食はどうしよう、と心配はつきませんでしたが、一泊だけだし、旅行の練習もかねてチビちゃんを連れてホテル宿泊に出かけることに。午前中は親戚のうちに行って昼食を食べ、午後にホテルにチェックイン。チビちゃんがぐずったらどうしよう、とうちにあるおもちゃをいっぱい持ってきたのですが、チビちゃん、初めてのホテルの部屋に大はしゃぎ。まずはふかふかのベッドにダイブ!その後はベッドから下りて、部屋のあちこちをハイハイで探検!ホテルの床をあちこち這い回るのは汚いけど、チビちゃんがあまりにうれしそうなので、危険がない限り、好きなように探検させてやることに。チビちゃん、あちこちの棚を開けたり閉めたり、そのうち、じゅうたんの部分から這い出して、タイルのバスルームまでうろうろ。何もかもが新鮮でおもしろくて仕方がないようです。そうしているうちにだんだん疲れてきたチビちゃん、おっぱいを飲んでお昼寝。寝・て・く・れ・た!チビちゃんが寝ている間は、つばめの自由時間です。本でも読みながらゆっくりお茶でもしようか、いやいや、まずはお風呂でしょう。ということで、バスタブにお湯を張り、ゆ~っくりと湯船につかることにしました。ふだんはシャワーだけなので、こういうバスタイムはとっても幸せ気分。バスルームと寝室の間はガラス張りになっており、スクリーンを上げておくと、チビちゃんのようすが見えるので安心。お風呂から上がって、もうちょっとゆっくりできるかな、と思ったら、待ってましたかのようにチビちゃん、お目覚め。ひとときの自由時間はあっという間に終わり。それから、義父母をうちまで送り届けて再びホテルに戻ってきた夫と合流し、夜は3人でイタリア料理店でお食事しました。子供がいると、以前のようになかなかゆっくりとした時間を楽しむことが難しいけど、それでも久しぶりにうちとは違ったところにお泊りして、いい気分転換になりました。また来年も泊まれたらいいな。↓ホテルの机の下を出たり入ったりして遊ぶチビちゃん。
2009/10/04
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去る10月1日は国慶節、中国の建国60周年記念日でした。いつものように朝9時ごろ、チビちゃんを連れてお散歩に出ると、うちの前の道は車は通行止め、道路の真ん中をベビーカーを押して歩ける状態。ふと見ると、金宝街→金魚胡同から南側には入れないようにテープが張りめぐらされ、数十メートルおきに武装警察が立っています。そう、10時から天安門広場で国慶節の記念行事、閲兵式が行われるのです。金魚胡同を西へ向かって歩いて、王府井まで行ってみると、人、人、人。。。王府井の新東安市場から南はやはり一般人は立ち入れません。王府井から天安門前を走る長安街がちらりとでも見えるかな~、と思ったら、目隠しのように風船が道路いっぱいに並べられていて、全然見えませんでした。そのまま教会の角を曲がり、10時ぴったりにうちに到着。記念行事の生中継になんとか間に合いました。行事はまず、武装警察によって天安門中央に立つポールに中国国旗が掲揚されるところから始まります。それが終わると、中国国家主席・中国共産党の総書記・人民解放軍主席と国のトップ、共産党のトップ、そして軍のトップとトリプルトップの権力の座にある胡錦濤さんが天安門城壁上で挨拶。その後、胡錦濤さんは城壁を下りて黒い紅旗(中国産の車)に乗り込み、車の天井窓から顔を出して陸海空軍がずらりと立ち並ぶ長安街という道をゆっくり走行しながら、それぞれの軍に「同志の皆様、ご苦労様です」と挨拶。それに応答して各軍が、「人民のために働くのが当然です!」と声を揃えて応答。これが何十隊もある軍隊の数だけ繰り返されます。そう、これが軍のトップである胡錦濤が軍隊を検閲する行事なのです。その後胡錦濤さんは天安門の城壁上に戻り、今度は各軍隊が東から西へ天安門前をパレード。これも検閲の一環で、軍隊が胡錦濤さんのいる城壁前まで来ると、兵隊は敬礼して通ります。兵隊パレードの次は、いろんな戦車やレーダー機器、ミサイルなど武器のパレードです。軍隊物ばかりにちょっとあきてきたつばめ、夫に、「こんなの見て、おもしろいの?」と聞いてみると、夫、目をちょっとうるませながら、「オリンピック開幕式と同じぐらいワクワクしてるよ」との返事。そんなものなのかなぁ~、と冷静にテレビを見つめるつばめ。さて次は戦闘機のパレードです。飛行機が天安門に向かって飛んでいくのです。「うちは天安門から近いから、もしかして ベランダから見えるかも」という夫の声が終わるか終わらないかのうちにゴーッという音が。大急ぎでベランダに出てみると、戦闘機パレードの先陣を切る五機の戦闘機が五色の煙を吐きながら青空を横切って飛んでいきます。「あーっ!見えた、見えた!」と急激にテンションが上がるつばめ。興奮のあまり、夫に抱きついてしまいました。その後も次々と色んな種類の戦闘機が隊列を組んで、空を横切っていきます。夫も立ち上がり、テレビをチェックして「次は○○戦闘機が来るよ」と言いながら、ベランダと居間を行ったり来たり。全部で151機の戦闘機が空で胡錦濤さんの検閲を受けたようです。戦闘機で一気にテンションが上がったつばめでしたが、その後、それ以上につばめの心に衝撃を与えるものが出てきました。それは・・・。つづく。
2009/10/03
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