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2019.07.03
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​芥川龍之介「地獄変、その他」(芥川龍之介全集 ・ちくま文庫)
​​
​ ​高校一年生の国語の教科書に 『絵仏師良秀』(宇治拾遺物語) という説話が出てきます。​
 ​​​自分の家が燃えるのを目の当たりにして 「あはれしつるせうとこかな」 、つまり 「ああ、もうけ(所得)たものだ」 と嘯(うそぶ)いた絵描きの話ですね。 「こいつ、ちょっと、大丈夫かいな。」 と言いたいところなのですが、 「宇治拾遺物語」(新潮古典集成ほか) の中では、​
「そののちにや、良秀がよぢり不動とて、今に人々愛で合へり」​
 ​と、まあ、かなり好意的なニュアンスの結論になっています。​​​
 お不動さんの絵を上手に書けることが、何より優先する価値だと信じているこの絵描きのことを、当時の語り手はそんなに悪くは言っていません。
 そこの所は現在の 「人間観」 と比べてどうでしょうね。 「宇治拾遺物語」 の編者の世界観にもかかわるのでしょうか、ぼくには面白いのですが。

​​ ところで、今から千年ほども昔の世間で語り伝えられていたらしいこの人物に興味を持って、小説まで書いている作家がいます。御存知、 芥川龍之介 ですね。​​
​ 彼は 「地獄変」(ちくま文庫・芥川龍之介全集) という短編小説で、実に 「人間的」 良秀 を描いています。 「その後の良秀」 とでもいうべき物語ですね。
​ リアルな現実の直視こそが 「芸術の肥やし」 と信じたこの 「絵描き=芸術家」 は地獄を描くためにこの世の地獄を見る事を願うのです。
 結果、誰もが驚嘆する屏風絵 「地獄変」 を描きあげた絵仏師=芸術家は・・・・・。

​ その結末が実に 「人間的」 なのですね。つまり、鎌倉時代の、今昔物語の編集者なのか、語った誰かなのかの 「良秀像」 とは違うのです。まあ、そこに近代人である 芥川龍之介 がいるのだと思いますが、あとは読んでのお楽しみということにしますね。​
​ ​ところで、教科書に出てくるといえば、彼の 「羅生門」 という小説は高校現代文の定番教材ですね。​​
 ​​​お話は皆さんよくご存じだと思いますが、同名の映画もあることはご存知でしょうか。
 名画の誉れ高い作品で、 黒沢明 が監督し、 三船敏郎 が主演しています。おそらく見たことのない皆さんに、こんな言い草もなんですが、この頃の 三船敏郎 はホントによかったなあ、と思いますね(長いこと見てないけど)。​​​​
​高校の授業とかで、小説 「羅生門」 をお読みになった若い皆さんにも、是非ご覧になっていただきたい作品です。
 こう紹介すると、小説に登場する 「下人」 「老婆」 の醜悪な対決のシーンとかを思い浮かべる方がいらっしゃるかもしれませんね。 「老婆」 は誰がやっているのかとかね。​​

​​​​​ ​申し訳ありません。じつはこの映画 「羅生門」 のストーリーは、小説 「羅生門」 とは違うんです。同じ 芥川 「藪の中」 という別の小説を原作にした映画でした。事件の犯人は調べれば調べるほど 「藪の中」 という、これまた 芥川龍之介 の好きそうなお話しで、 「下人」の行方 の話ではありません。​​​​​​
​ ​​​​そういえば、この映画では、殺された旅の武士が出てくるのですが、その武士を演じた 森雅之 という俳優は、ひょっとしたら、みなさんが教科書で出会っているかもしれない 「生まれいづる悩み」 「小さき者へ」 の作家、 有島武郎 の息子ですね。​​​​​
​  有島武郎 芥川龍之介 といえば、ともに、自ら命を絶った作家ということで有名ですが、なぜか教科書は自殺したり、病気で早死にした文学者が好きですね。 太宰治 しかり、 梶井基次郎、中島敦 しかり。まあ、 梶井 中島敦 は病死ですが。​
 話がどうも変なほうに行っていますが、 「死」 をめぐる感じ方というのは、その昔と明治時代以後の社会とでは異なっている面があるようです。
​ それは裏返して言えば、 「生きる」 という事をめぐる考え方も時代や社会によって異なっているということではないでしょうか。
​ 自我や自意識について執拗に問いかけることを作品群のテーマの一つとして小説を書き、若死にした作家がいます。
 人が存在することや、他者との関係についてこだわりつづける軌跡を小説として残した 芥川龍之介 有島武郎 のことです。
 彼らは大正から昭和の前半、今から100年前に生きた作家ですが、彼らが、 「生きること」 よりも 「死ぬこと」 と親しかったように見えるのはなぜでしょうね。ぼくにはそこがわからないところです。​
 ​
生き続けることが、上手だったとはいえなかった彼らの作品が、 「人間について」 真摯に問い掛けているスタンダードとして教科書には載っていて、高校生になって初めて出会う 近代ブンガク として君臨しています。別にいやみを言いたいわけではありませんが、いかがなものでしょうね。
​​たとえば 「羅生門」 という作品について、物語の歴史的背景、平安時代の風俗や門の形に拘泥してしまいがちな作品解釈が教室の普通の風景だと思います。
 しかし、 有島武郎 の場合はほぼ定説ですが、 「生真面目」 一方に見える 芥川 にしても姦通罪を恐れて命を絶った可能性を否定しきれません。
 そういう時代の、そういう作家の作品であるというコトも頭の片隅に置いておく事は、教室での仕事を目指すみなさんには無意味ではないかもしれませんね。​​
なんか偉そうですみませんね。

追記2020・07・05

 この文章は、国語の教員を目指している大学生の皆さんに向けて書きました。今年も同じような出会いをしています。
「良秀」 についてなら、 「芸術至上主義!」 「羅生門」 「下人」 については、それぞれの経験とてらしあわせてでしょうか、 「理解できない境遇」 と言い切る若い人が増えました。
 学校の 「国語」 「近代小説」 も危機ですね。


 本当に、もう、安全なのか?、感染の蔓延は収まったのか?、何か釈然としないまま、ゴールデン・ウィークの人出におびえ、インチキ臭い政治家の「マスクはいらない」とかいう、公衆衛生上、なんの根拠もないだろう発言がネット上に踊っているのに唖然とする 2022年5月 です。
 久しぶりに出かけた学校の教室では、相変わらず、友だち会話の感染の危険性が話題です。どうなっているのでしょう。
​ 国語の先生を目指す女子大生の皆さんへ、励ましの言葉を追記するつもりが、老人の愚痴になってしまいました。ここからが伝えたいことです。たとえば、 「羅生門」 なんていう作品は、100年前に1000年前のことを書いたような、まあ、古い作品なのですが、できれば作家が生きた時代と、作品が描いた時代と、そして皆さんが生きている「今」という時代の、それぞれの社会を考えながら読んでみてはいかがでしょうかということです。​
 今の感覚だけで判断したり、鑑賞しても、なかなかたどり着けない 「面白さ」 もあるかもしれませんよ。まあ、ぼく自身、あんまり好きな作品じゃないのですが(笑)






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最終更新日  2024.05.23 23:50:47
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