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怨霊と縄文梅原猛朝日新聞出版 四六並製(B6?)☆☆☆☆☆◎ 実は、この人の本を読んだのはこれが初めて。カバー折り返しの略歴を読むまで知らなかったけど、歴史学者じゃなくて、哲学者だったんだ。。。。ず~っと日本古代史には興味があり、本も読んでいたのだが、この人の本は今まで読んだことがなかった。ただ、聖徳太子と法隆寺のことなんかは読んだ本を通して知ってはいたけど。 最初が記紀神話、次が法隆寺と聖徳太子、その次が柿本人麻呂論、そして最後の章がアイヌと日本古代についての考察。今から31年前の1979年初版。多分、随分前に古本屋で買った本だと思う。昨日大掃除をしていたら出てきて、早速読んでみた。最初の前書きによると、三日間で口述筆記したもののようで、文章全体が敬体になっていてとても読みやすい。記紀神話については、研究途中の著者と毎日のように会話していたという上山春平氏の「神々の体系」の第一作目を読んだことがあったので、わりとすんなり読めた。法隆寺と聖徳太子についても、結論は知っていたが、「なぜ」その論考に至ったのかは知らなかった。朝廷が太子の子孫を根絶やしにして、そのタタリを恐れていたフシが濃厚であり、それが法隆寺への寄進から伺えるというのは面白かった。ただ聖徳太子も不幸だったのは、多分推古天皇の娘や孫娘、蘇我氏の娘の妃たちよりも低い身分出身の妃をより寵愛したらしいことや、外交政策の失敗から推古天皇や蘇我氏の支持も次第に得られなくなっていき、本人はよかったが、それが息子の代で遂に蘇我氏にジャマにされたのだ。あとちらりと書いてあったのは、法隆寺が「隠された十字架」の上梓後、梅原氏に対して嫌がらせをしてきたこと。ま、分からんでもないが大人気ない。今は代も変わっているだろうからそんなこともないだろうけどね。あと、今ならセクハラで削除されそうな発言もそのまま文章になっていた。「おばあさんになると色気もなくなるから執着もすごい」とか。これ、今なら間違いなくセクハラでカットになってるんじゃなかろうか。それに現在の実情にもあってないし。ちなみに「おばあさんになると色気もなくなるから執着もすごい」女性は持統天皇だ。 柿本人麻呂論については、初めて読んだ。この人も持統天皇の側近だったが、高市皇子の死後、皇后経験のない元明女帝の即位に反対したらしく、彼女からは遠ざけられ、流刑?左遷?されたようだ。それを江戸時代の国学者の研究に反証を述べつつ展開している。 最終章は日本古代を考えるにアイヌ語や朝鮮語の必要性を述べていた。アイヌ語と日本語には共通語が多いが、それは日本語からアイヌ語への借用語ではなく、もとは一つの古い言葉だったのではないかという考察だ。これは今から30年前の論考だから、現在では当然なんらかの結論が出ているはず。「隠された十字架」は前から興味があったのだが、この人の著書の新しいものも読んでみよう。
August 30, 2010
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松と日本人須山定義・北川泉清文社 四六並製☆☆☆☆ 平成元年初版。確か、出雲大社かどこかに旅行した時、お土産に買ったような気がする。タイトルの通り、出雲地方の松の植生と文化、名木、建築、歴史、その他についての本。林業家さんの手になるので、植生や松くい虫の被害など、実際的な内容が多くて、私にはピンとこない。出雲と隠岐の松の歴史と人々との関わりについての本といえるだろう。おそらくこの本が書かれた目的だと思うが、松くい虫の被害や、林業の衰退で、大切に育てられていた松がどんどん廃れ、枯れていくのを惜しんでの著作だと思う。古くはタタラでも木材は多く消費されたのだから、まあ人間の業ともいえるんじゃないだろうか。ただ、豊かな森林は洪水を防ぎ、実りをもたらすという。林業も不振だというし、長い年月をかけて大きく育つ大木を大切にしていきたいと考えさせられた。
August 29, 2010
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犬のミステリー傑作選鮎川哲也編河出書房 河出文庫☆☆☆☆◎ これも古い昭和61年…だから1986年の初版。佐野洋、樹下太郎、香山滋、御手洗徹、多岐川恭、竹村直伸、椿みち子、仁木悦子の犬が大きな役割を果たす短編ミステリが収録されている。一番初出が新しいものが昭和59年、古いものは昭和33年だ。もう少し新しいミステリにしとけばよかった。つい先日も昔の短編集を読んだばかりなので、ちょっと食傷気味かも。 しかも、これ、どの作品も昨今の風潮の犬をひたすら可愛がるだけ、犬の忠実さ、賢さのみに焦点を当てたある意味、犬好きにとっての予定調和がてんこもりになっている作風の作品ではない。どれも結構殺伐とした内容なのだ。しかも結構すぐに犯人やオチの検討がついてしまうし。もしかして、かなり昔に読んで綺麗さっぱりそれを忘れたのかもしれない。。。。とまで思ってしまった。評判がよいようなら次巻をなんて編者が前書きに書いておられるが、これはあんまり評判よくなかったのかもしれない、とか邪推してみた。
August 25, 2010
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新・片づけ術断捨離やましたひでこマガジンハウス 四六並製☆☆☆☆ 鴨長明のことを読んでいるうちに、読みたくなってきた。7月からン10年放置されていた汚部屋を大掃除して、スッキリさせ、それまでは恐ろしくて読めなかったこうした本に手を出し始め、元来怠け者で著しい物臭の私が片付けようとするモチベーションを維持しようとしているところなのだ。 この本で気に入ったのは、まず「できるところから」という考え方。たった引き出し一つでもいいから、ムダなモノを捨てる。まあ、最初に最大の難関の一つともいえる自室の大掃除を敢行したので、その後、トイレと洗面所は意外とラクに感じたので、ここは結構クリアできそうなところだ。まあ、もう一箇所私が断捨離できるところは凄いことになってるから、そこはタイヘンだろうけど、ちまちまやればいいのだ。あとは、捨てること=過去を捨てることに繋がることかな。私は割合モノを捨てることに対するハードルは低いほうなのだが、どうしても処分できないものがある。それは過去の思い出の本。今でも好きなのだが、所有して家に置いておかなくてもいいと感じている本が一冊。あと、手放してしまえば2度と手に入らない可能性が高く、なおかつ滅多に読み返さないにもかかわらずそれでも結構好きなマンガ。考えてみたが、それらは昔物凄くハマっていた趣味に関するもので、今はそうでもない。その趣味から離れてしまってもいいのだが、やっぱり離れられないのだ。この趣味、現実逃避にも繋がっていると思う。(まあ私の音楽だって似たようなものだが)まだ、この本でいうヘドロの中で足掻いている状態なのだ。このマンガ捨ててしまえば、完全にその趣味(つまりは同人だ!)のサブカルチャー的なところからは足を洗えるような気がするが……やっぱり踏ん切りがつかない。しばらくは悩んでてもいいかな。にっちもさっちもいかなくなったら、多分処分できるとは思うので。あとは、今は一応最優先で保存しているスコア・楽譜かな。将来的にはこのあたりも量を減らさないと、収納場所は無限じゃないからな。しばらくは積読を処分すれば何とでもなるけど。 ただ、読んでいて、私はまだこの本の断捨離に関しては始めたばかり。なんとなくこの本を読んでいても、前半部分はたとえみたいな内容や体験談が多くて、ちょっとタイクツ。後半からは面白いところも多いが、集合無意識とか言われてもナァ。カレン・キングストンの著書の風水定位盤の方が私にはとっつきやすい。もう1人の人が断捨離についた本も読んでみて、セミナーも機会があったら受講してみたいけど。まだまだ修行が必要ということなんだろうな。ま、今の自分を考えると当たり前か。
August 25, 2010
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方丈記私記堀田善衛筑摩書房 ちくま文庫☆☆☆☆☆ 「私記」とある通り、方丈記に対する著者のエッセイ。やっぱり難しかったけど、およそ言いたいことや時代背景も理解できるので、読み応えがあった。1971年刊行、ちくま文庫初版1988年。巻末に五木寛之氏との対談、「方丈記再読」が収録されている。 第二次大戦、東京空襲の焦土の中、深川あたりを訪れた昭和天皇と周囲の庶民の異様な反応(多分今なら某隣の半島の北半分あたりで見られるような…)に対する憤り、また、洲崎(前の日記「首塚巡礼・花魁道中」でちょっと触れた)に「知り合い」がいたので、彼女の安否に関しては絶望視していたものの、その場所まで行って見たという体験や戦後の悲惨な社会から、方丈記の内容に思索が飛び、同時代で、長明も鎌倉で何度か直接話したという源実朝についての話題、さらに方丈記を書いた鴨長明のひととなりにまでエッセイは展開される。 この方丈記の時代は、源平の合戦に加えて、疫病の流行、飢饉、地震など庶民には苦難の時代だった。が、貴族社会は新古今の時代なのだ。見事なまでに現実を排して、観念と抽象、あるいは象徴の歌が作られた時代なのである。長明は貴族ではなく地下人に身分から、和歌所の寄人となるが、藤原定家などからは不気味に思われていたそうだ。また、シニカルなところが多分にあり、秘曲といわれる琵琶の曲を調子に乗って公で演奏した、当時の大スキャンダルの後の叱責に対する弁明は、大げさでむしろ居直りすら感じるものだった。などなど、正直私は古典の時間に習った方丈記のイメージは、諦念と物静かな無常観だと思っていたのだが、確かに無常観は漂っているもののそれは、冷笑からくる無常観だったらしい。悟りすました人格者などではなく、世捨て人となって、山に籠っても、十分に下の俗世間にニラミがきいていたらしい。そもそも長明が世捨て人となったのだって、上記の大スキャンダルと折角の神官職への任官が親戚の横槍でダメになり、後鳥羽院が親切に次の職を見つけてくれたのも断って、山に籠ったらしい。それで、悟り済ました人格者になんぞなるわきゃないわな。そして、山籠りとて、今のような田舎暮らしIターンなどという生易しいものではなく、かなり大変な生活だったはずなのだ。久しぶりに会った知り合いが面変わりしていた、と書き残している。しかも長明の住居は自作した今だとトレーラーハウスと言えなくもない方丈(大体3メートル四方らしい)しかない住居なのだ。そこにお気に入りの本数冊と組み立て式の琵琶だの琴だのを持ち込んでいたらしい。方丈というと私の自室くらいの大きさだろうか。なんとなく冷笑的であってもサバサバしたような感じで生活していたんじゃないだろうか。まあ当時としてはいい年の爺さんだったんだし、それまでの人生を考えれば一筋縄でいくような人ではなかったんだろうけど。でも10歳の男の子と山で薪なんかを拾っている長明を想像すると、ちょっと侘しいけれど、ほほえましいかも。 長明の歴史を斜に構えて冷笑的に眺める視点というのは、ちょっと興味深い。方丈記は全文でも短くて、原稿用紙20枚程度のものだそうだ。いつか対訳(じゃないとムリだろう)でよんでみたいな。
August 25, 2010
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鮎川哲也編講談社文庫☆☆☆☆☆ 昭和61年第1刷発行。かなーり古い本で、商品情報には引っかからなかった。確か友人に借りっぱなしになってる本なんだよねー。。。収録作品は全て短編といっていいだろうが、(一つだけ長めなのがある)「彼は誰を殺したか」(浜尾四郎)「深夜の音楽葬」(妹尾アキ夫)「死の協和音」(北 洋)「悪魔の顫音(せんおん、ルビはトリル)」(氷川瓏)「アヴェ・マリヤ」(椿八郎)「ワルドシュタインの呪い」(丘美丈二郎)「G線上のアリア」(村上信彦)「黒い木の葉」(多岐川恭)「逝ける王女のための」(笹沢佐保)「灰色の楽章」(山村直樹)「わらべは見たり」(鮎川哲也)「バイエルの八番」(戸板康二)「ニ長調のアリバイ」(天城一)の全13編。編者の鮎川氏がクラシック愛好家だったそうで、タイトルからも分かるように全てクラシック音楽にちなんだもの。古い本だけあって、各小説の初出も古く、昭和5年の「彼は誰を殺したか」から昭和48年までが「バイエルの八番」までで巻末の「ニ長調のアリバイ」は書き下ろし。作品は全て初出の早い順に並んでいる。なので、描写もかなり古風。「マーラーの交響曲って素的ね。何だかむずかしくって分からないけれど」などとなんだかなーな台詞もあるが…。またネタ的に今はもう差別問題などで使えなさそうなものもある。それでも、どれも昨今のナンチャッテなクラシックの扱い方ではなく、著者にそれなりの蓄積や愛着があっての描写なので、読み応えがある。ただ、歌曲の歌詞の作品はタイトルみた途端にネタの想像がついて、挙句、それがそのままだったけど。今読んでも結構ペダンティックな感じがするが、これ、初出当時はかなりクラシックに大してマニアックな作品だったんじゃないかと思う。何にせよ、一部?なところもないではなかったし、巻末にある解説でもベートーベンとなっているのを作品の内容からブラームスと勘違いしているっぽいところもあるのだが、内容はとても充実して面白かった。特に最初の方の小説が短いが読み応えがあった。
August 17, 2010
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マジカル・ハーブ永武ひかる第三書館 A5上製☆☆☆☆◎ 随分前に買って、そのままになっていた本の一冊。1995年初版。読み始めるまでは、写真などほとんどないかと思っていたら、全ページ中、半分くらいは写真だった。実質的にはフォト・ルポルタージュだと思う。 著者の方がカメラマンなので、写真はかなり綺麗。内容はサブタイトルの通り、幻覚性植物を使った呪術的な治療を体験取材したルポ。あまり幻覚成分の薬学・化学的内容やシャーマニックヒーラーについての歴史的・文化的あるいは医学的な考察はなくて、著者が直接関わった人々の受けた治療の内容や時には著者自身の体験が書かれている。個人的にはこうしたシャーマニックな治療を受けたいとは思わないが、現にそれを長い間信じて実行して、効果があると思っている人がいる以上、なにせ遠い海外のことでもあるし、あまり否定する気はない。逆にまるで平安時代の日本の貴族社会のように全てが「呪詛」で片付けば楽だよなー、くらいの感覚だ。また作中の幻覚性植物も中毒性はないらしい。だからって、これが日本に入ってきたら困るだろうな。ただ、様々な薬草と一緒に煎じて(?)飲んだり、鼻から吸入したりするもののようなので、全部材料が揃わないと、案外効果もなかったりして。よく分からないけど。 ただ、以前拾い読みしたミイラの本の中に、生きた人にこうした幻覚性の植物を摂取させて眠らせ、そのままにして死なせた、みたいな記事を読んだ記憶があるので、こうした行為は随分昔から南米では行われていたんだろうと思う。シャーマンが入神する際にも当然こうした植物は用いられるわけだが、南米ではこうした植物を用い、ユーラシアでは太鼓を用いたみたいな一文もあった。さらにこの本が書かれた当時は町の市場でこうした幻覚性の植物や、コカの葉(精製すればコカインになるのだが…)が売られていたり、挙句コカの葉のお茶がホテルで出てきたりしたというのだから、(15年経った今はどうかしらないが)日本人が麻薬やドラッグと結びつけて考えるよりずっと、地元の人にとっては身近な存在で薬に近い感覚なんだろうと思う。現地の政府もこういった使用にはあまり規制をしていないというし。 だからって、この調子で日本でこんなような植物の摂取が解禁されたらどうなるのかは、ちょっと考えると怖いから、あまり規制が緩和されて欲しいとは思わないが。確か、日本ではないにしろ海外で、ドラッグに入るものの中毒性・常用性のない植物を違法ではなく合法にしようという動きがあるはずだ。 そういえば、南米は麻薬のシンジケートがはびこる地でもある。が一般の人々のそうした麻薬への接触度がどうなのかは、この本には書いてなかった。日常的に幻覚性植物が使用されている環境だとどうなっているのか気になるところだとは思うが。それともこの本で取材された人々と麻薬関係はあまり縁のない土地なのか、社会階層的にあまり近接してないのかどっちかかもしれない。
August 14, 2010
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黒の過程新装版マルグリット・ユルスナール白水社 四六上製☆☆☆☆◎ は~、難しかった、この本。本文は1段組で約400ページ。しっかし会話があるにしても、内容が難しい場合が多いし、仄めかして書かれていることが多い上、16世紀のフランドルの歴史や宗教改革に精通していないと、何が言いたいのかはっきり分からないことも多々あるのだ。けれど、多くの読者が似たり寄ったりの状態じゃないかなぁ。。。。この作品は作者が若い頃に短編として断片的な場面を書き、後に長編小説として上梓されたもので、著者は主人公にかなり親近感を持っていたようだ。最初の短編の時、ほぼ同時代の画家である「デューラー風に」「エル・グレコ風に」といったタイトルがあったりするせいか、淡淡とした文章と該博な歴史知識の積み重ねによる緻密で重厚な時代描写の中で、まるでフランスの歴史文芸大作の映画を観ているような雰囲気を楽しめる。でも内容の理解となると……情けないことになってしまう。 タイトルは錬金術に関する論考の中で、物質が分離し溶解する段階、化金石を実現するのに最も困難とされる段階を意味しているそうで、この表現の意味自体についても議論があるという。 その主人公の名前はゼノン。1510年に生まれ、1569年2月18日に獄中で火刑の前に自殺する、錬金術師というか外科医という設定だ。イタリアの聖職者とフランドルの富裕な家の娘との間に生まれた私生児で、僧籍に入るべく教育を受けるが、やがて異端の学問や思想に手を染めて、スペインからスウェーデンやバルト海の方までヨーロッパを転々とする。最後には故郷のブルージュに戻ってきて、僧院で医師として過ごすが、保護し理解してくれた僧院長の死後、つまらない醜聞に巻き込まれて、異端審問を受け、死刑を宣告される。そして、刑の執行の前に獄中で自殺してしまうのだ。巻末の作者覚書(つまりは作者本人による解説)や訳者の解題などによると、ゼノンの生涯はパラケルススのそれがヒントになり、他にもダヴィンチの研究やティコ・ブラーエのスウェーデンでの生活もモデルになったそうだ。さらに生前、既に一部水面下で知られていたと設定してのコペルニクスの天動説に言及されたりしている。それだけでなく、歴史上有名な人物も登場するし、作中人物も実在の同時代の人物がモデルになっているという。また、時期に前後はあるが、作中扱われるエピソードも実際の出来事がモデルだそうだ。 ペストの流行に宗教改革による戦乱、そしてカトリック教会による厳しい異端審問と不安定で厳しい時代に生きた知識人の生涯を描いた小説だと思う。ゼノンだけでなく、彼を取り巻く人々も詳細に描かれていて、当時の人々の生活に臨場感がある。面白かったのは、ゼノンがルターを「王侯貴族のような生活をしている」と批判するところで、これでゼノンはカトリック教会も批判しているということだが、彼のような学究的危険分子ともいえる人々はどちらかというと親カトリックだったそうだ。プロテスタントだけでなく、他にも異端の宗派が出てくるのだが、再洗礼派とかそれなに?という感じだった。また、ゼノンの母と義理の父はそうした異端の宗派に入信し、その宗派が起こした反乱の中で母は酷い死に方をするのだが、それも、知っている人が読めば、あれだ、と分かるようなのだが、私には全く分からない。 ユルスナールの小説は、随分前に代表作「ハドリアヌス帝の回想」や「東方綺譚」「青の物語」などを読んで雰囲気がとても気に入っているのだが、「ハドリアヌス帝の回想」では読む前に一冊古代ローマについての本を読んでも難しかった。「東方綺譚」や「青の物語」はそれほどでもないんだけどなぁ…。ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を更に硬くしたような感じの小説だろうか。もう少し内容が理解できたら、もっと面白く感じるんだろうな。
August 12, 2010
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