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おいしそうな赤ちゃんでした仕事を終えたら午前0時。台風の去った空にきれいな月があがっています。萩原朔太郎に「白い月」という詩があります。白い月はげしいむし歯のいたみからふくれあがった頬つぺたをかかへながら、わたしは棗(なつめ)の木の下を掘ってゐた、なにかの草の種を蒔かうとして、きゃしゃの指を泥だらけにしながら、つめたい地べたを掘りかへした、ああ、わたしはそれをおぼえてゐる、うすらさむい日のくれがたに、まあたらしい穴の下で、ちろ、ちろ、とみみずがうごいてゐた、そのとき低い建物のうしろから、まっしろい女の耳を、つるんとなでるように月があがった、月があがった。 幼童慕詩篇 (註・原文は促音になっていませんが、読みやすくするため小さくしました) 空にあるのは満月でした 。とべとべさっちさんから、日記のタイトルが訪問しにくいとのご指摘が…。え~と、どのタイトルだろう?
2004.08.31
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台風が通っています。われわれ団塊世代も日本という国にとって台風のようなもので、固まりになって通り抜ける先々で、一種の社会現象を巻き起こしてきました。もう、温帯低気圧になりかかっていますが、10年ほどたつと年金をもらう世代になるわけで、社会保険庁あたりの本心では早く消えてくれないかと願われているかも知れませんね。以前にも紹介しましたが、「老人は死んでください国のため」という川柳が、現実のものになることでしょう。「団塊の世代」って、要するに戦争の後遺症のようにできちゃった赤ちゃんたちで、本当の責任は第二次世界大戦にあるわけです。戦争から帰ってきたお父さんたちが一斉に奥さんを妊娠させてしまったから、生まれた世代ですね。考えてみるとワリにあわないことが多かったような気がします。僕の衣類などほとんど兄のお下がり、学校も大勢のクラスで勉強をさぼっても先生はわからなかった。だから、僕など成績が上がるはずがなかった。高校生くらいのときかな『平凡パンチ』が創刊されて、ビートルズ、野坂昭如や寺山修司、青島幸男等が生き生きと活躍していましたね。 マッチする束の間の海の霧深し 身捨つるほどの祖国はありやという寺山の短歌は、当時の世相を見事に描き、彼の代表作のように今でも詠まれています。東京オリンピック、大阪万博、大学紛争等で暴れた数万という学生たちは、髪を73に分けて、こんどは企業戦士と持ち上げられてバブル景気の立役者になっていったのです。僕たちが結婚する頃、ニューファミリーなどと呼ばれました。これからも、ニュー熟年、ニュー老人となってやっかいもの扱いされながら、騒がせていくことでしょう。この世代の人、武田鉄矢、西田敏行、上野千鶴子、江本孟紀、橋本大二郎……、あげ切れないね。
2004.08.30
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>由美かおる、小柳ルミ子、それに松坂慶子などみな私と同じ年です。彼女らには私は過去来一度も魅力を感じたことがないですね。騒いでいたのは自分よりも上のオヤジたちでしょう。とシャルドネさんもいわゆる別の大騒ぎした全共闘世代。我々の青春時代は…などと懐古趣味に浸るわけではないが、当時多くの若者たちが「体制批判」と「自己否定」をお題目にして行動していた。「体制批判」は、社会を革命により劇的に変えるという、今となってはロマンチシズム的理想主義の思想のもとに行われ、また「自己否定」は既成社会に安住しないという、自分自身に向けてのものだったと思う。それらも学内への機動隊の介入によって夢は分裂し、一部の過激派は見境のない「総括」や内ゲバの繰り返しによって自己破壊へ流されていった。そしてその多くは、彼らが攻撃した側の家畜あるいは牧童のように高度成長の社会のなかに慣らされていった。ときどき酒場の隅で「我々の青春は闘争だった。今の若者は…!」とがなりたてているオヤジがいるが、家に帰れば家族からも疎んじられ。子どもにロクに口もきいてもらえない淋しい生活だったりする。かくいう僕も、いまの若者達の姿に不快感をもつことがある。たとえば、駅前や街中の地べたに座って化粧をしたり、路上でファーストフードを食べたり、またところかまわず携帯を覗き、メールを打っている。親や教師とのつきあい、口のききかたも、親しい友だち扱いである。この子たちの親は、全共闘から新人類にかけて生まれた人達なんだろうと思う。我々が、彼らが掲げた理想主義が挫折したからこれらの若者達ができたのか。それとも理想主義のなれの果てが、この現実なんだろうかとも思う。しかし、オリンピックで活躍する若者をみるまでもなく、若者たちのなかには、自由にのびのびと社会の中で前向きに生きている者も、当然ながらいるのである。親はなくても…の諺ではないが、親を反面教師として育つ者は育つのである。全共闘世代の考える、社会の中での恥とかモラルというものが、ひと昔前のように画一化されたものではなく、多様化しているということでもあろう。また、人間の質も多様化してきているということだろう。僕も人並みのオヤジ思考で若者たちを見てしまっている。
2004.08.29
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先日の日記で「ボーボワール」を何気なしに「ボンボワール」と書いてしまったら、「(msk222は)嫌いなやつでも塩ぐらい送る」さんから、ご指摘を頂いた。僕のことを嫌ってくれるということはポチさんの仲間ということなのかな? しかし、アンチ巨人も巨人ファンという説からすると、この人も僕の日記のファンということなのだろう、などと憎まれ口をききながら、こういうご指摘は正直に嬉しいものである。ありがとう。PCのワープロソフトが飛躍的に発展して、格段にヒット率が高くなった。PCで文章をつくるようになって一〇年ほどになるが、こんなに毎日文章を書いても尽きることがないのはワープロソフトのおかげだ。信頼が高まったぶん、笑えない落とし穴も少なくない。僕はATOKをMIFESというエディターソフトで使っている。これは文章作りの最強の組み合わせだと思っている。思いついたことをつらつら打ち込んで、適当に順番を入れ替えたり文章チェックをさせれば、僕のように才能がない者でもそれなりの文章になってしまう。しかし、いいことばかりではない。深くものを考えなくなったのである。文字や言葉も絞り出す必要がなくなったため、つぎつぎと忘れてゆくものが多くなり、ボンヤリとしか浮かばないから先日のような失敗を繰り返すことになってしまう。最近のCMのコピーに漢字を上手に使ったものをよく見かけるが、これなどPCの誤変換からヒントを得たものが多いのではないかと思う。と同時に、言葉を覚えなくてはならない子どもたちは大変だろう。CMだけでなく、どれが本当の熟語か迷う言葉が氾濫しているから、CMコピーをそのまま使ってしまう笑えないケースもでてくるようだ。ある漢字の書き取りテストで、「良妻賢母」を「料裁健母」という解答があったという。これなど取りかえた方がよいほどピッタリのような気もする。CMのあて字コピーでは、「模範解凍」=「模範解答」、「一植即髪」=「一触即発」、「通勤快足」=「通勤快速」、「愛菜家」=「愛妻家」、「忙中燗あり」=「忙中閑あり」などの当て字が記憶に残っている。さて、それぞれが何のCMに使われていたのか、皆さん覚えていますか?答 ・冷蔵庫 ・かつら ・靴下 ・ダイエット食品 ・日本酒
2004.08.28
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私事ながら、カレンダー印刷の最盛期です。一日12時間くらいは働いています。忙しいので、皆さんの日記にお邪魔もできず、自分の日記も手抜きネタになると思いますがあしからず。カレンダーのなかで、きれいな女優さんたちが微笑みかけてくれる。なかには、一度ぐらい女優さんと夜明けのコーヒーを飲みたい、と思う人もいるのではないだろうか。昨秋に「プライト」などを撮った伊藤俊也監督のパーティーに招かれたときに、大勢の女優さんと間近に接する機会があった。小柳ルミ子さんや岸本加世子さんらは年齢よりずっと若く感じたし、そのほか若手女優さんたちも、テレビなどで拝見するよりずっと美しく感じた。しかし、体温を感じるほど近づいたらクラクラするほどのぼせてしまうのではないかと心配(?)していたが、おもわず触れてしまいたいほどのエロチシズムを感じることはなかった。僕が妻同伴だったからということではなく、なぜ、触れたくなるほどの色気を感じなかったのか、その原因が最近わかったような気がする。僕の友人の娘さんは女優さんをしている。その友人のところに帰省していた娘さんと隣り合わせに飲む機会があった。小心者の僕だが、アルコールの力を借りて、こんな質問をしてみた。「ドラマでキスシーンなどとても上手にするけれど、あれはふだんから意識して練習するの? ベッドシーンはどうなの?」すると表情も変えず、「それはそうよ、でもね、女優のほとんどは不感症だと思うわ」と応えた。「えっ、世の男たちは一生に一度でいいからあの女優さんと…、と思っているのに不感症?」と驚いて聞くと、「女優と寝ようとする男は、女優をはなから女とは思わずに、このスターがあのときどんな表情をするんだろうなんて興味で寝ているのね。その気配を察するから、期待に応えて、つい演技でとおしてしまうのよ」素っ裸になっても、男の肌と寝るのではなく、肌の下の情感と寝るものだから、好奇心だけで抱かれていたんでは、不感症になってしまうのも頷けるというものだ。つまり、女優さんたちの美しさは、商品としての美しさであって、一種の醒めた美しさだったのではないだろうか。それゆえに、美は感じてもエロスを感じることがなかったのではないだろうか。あ~ぁ、こんな日記を書くとまたまたシャルドネさんあたりに、叱られてしまうかな。
2004.08.27
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「ボーボワール」をボンボワールにしてしまいましたね。ご指摘ありがとうございました。うっかりボンボさんとダブってしまったようです。 押入の隅からボーボワールの「第二の性」(新潮文庫)が出てきた。「ブックオフ」で買ったまま読んでなかった。フランスの哲学者サルトルと互いを束縛しない生活をともにしていた女性として有名なボンボワールだが、評論的女性論「第二の性」もつとに知られている。はるか昔に、図書館で借りて読んだ記憶があるが内容はすっかり忘れていた。女性論の古典ともいえる書であるが、同時にもっとも「現代的」な古典のひとつであるとされている。パラパラ捲ってみても、含蓄のある文字が目に飛び込んできた。離れている恋愛は幻覚に過ぎず、現実の経験とはいえない。肉体的に確かめられてはじめて愛の欲望は情熱的な恋愛になる。逆に肉体的抱擁から恋愛が生まれることもある。性的に支配された女性が、はじめのうちつまらないものと思っていた男に感激するような場合がそれである。 *もし彼女があくまで完全に女でありたいと臨むなら、それはつまり彼女が最大限のチャンスをもって男という他の性に接しようと考えていることである。恋する女の最高の幸福は愛する男性によって彼自身の一部と認められることである。 *女は生まれながらにして「女」であるわけではない。その性体験を通して「女」につくられていくのである。ボーボワールは、過去の小説などに出てくる女性像から抽出して、「女」をさまざまな角度から分析した。自身が女として、自分の分析をすべて肯定できたのであろうか。
2004.08.26
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聖火台のような蓮の顎先日書いた「日の丸・日本国と、私という個人」という日記に、ネットの内外で何人もの方から反応を頂き嬉しかった。僕の日記ということもあって、共感するという意見が多かったが、alex99さんの(いつもながら)僕の姿勢へ反発する形での気骨のある意見があった。僕がズキンときたのは「表面的な論旨とはうらはらに、mskさんの日の丸に対する潜在的敵意・嫌悪感が透けて見えた。」というくだりだ。その応答で書いたように、自分では「日の丸」そのものへの敵意などもったことはないが、威圧的に飾られていることへの嫌悪感はつねづねもっている。それが日常でも強く感じられてしまっているのであろうか。「国旗や国家に対して敬意を抱く」という行為は、外国からきたお客様や、先輩・知人、そして年長者に敬意をもって挨拶することと同じで、ある意味当然なことである。最近は、とくに父親の権威が地に墜ち、よくて友だち扱い、ひどいと粗大ゴミ扱いということもある。これらも、「よき秩序」の崩壊だろう。どんな場合でも、一定の敬意をもって接するべきTPOというものはあってしかるべきだ。alex99さんが言う、「彼ら」というのは日教組・社民党・共産党およびその支援団体などの方々ですね。それなら「彼ら」は明確に【押しつけられることに反対しているのであって、日の丸・君が代自体に反対しているのではない】というべきですが、mskさんがそう思っておられても「彼ら」がそう言ったのを聞いたことがありません。ということについて、僕は確認してないので確かなことは言えないが、どんな経過があった国旗・国歌であったとしても、一定の敬意を払ったうえで筋道をたてて主張していれば、国民の支持もすんなりと得られたのではないだろうか。しかし国旗や国歌に、必要以上に権威意識をもたせたり帰属意識を求めると、偶像崇拝と同様な反作用を起こすものだということも、しっかり意識して欲しいと思う。たびたびひきあいにだして恐縮だが、オリンピックにプロのなかから選りすぐった選手で臨んだ長嶋ジャパン野球の敗退は、それを象徴するものだった。長嶋監督がナインに語りかけてきた「ゴールドを高々と掲げながら、エーゲ海に向かって君が代を歌いながら凱旋したい。」という言葉、中畑ヘッドコーチの「金以外はありません」という威圧にがんじ絡めになったチームというように、僕は思ってきた。すべての競技者にいえるが、まずは自分のために、恋人や家族のために、友人知人、そして応援してくれる国民のために、その結果としての金メダルで十分ではないだろうか。またぞろ、誰それに国民栄誉賞をなどという話しが出始めているが、金メダルこそ最高の栄誉であって、その上に政治がらみの賞を与えるのは文字通り屋上屋を重ねる行為にほかならぬと思う。
2004.08.25
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夢実さん家の新ジャガ長島ジャパンのドリームチームといわれ、金メダルを採るためにアテネ入りしたという野球チームが負けました。ドリームはドリームのまま終わったということで、金メダルにこだわったためにその重圧に負けた、いかにも古きニッポン体質がでてしまいました。中畑監督代行は回が詰まるにつれ、さぞかし「鳥肌が立った」ことでしょう。オリンピック選手の活躍を伝えるニュースのなかでたびたび使われ、ちょっと気になっている言葉があります。「鳥肌が立つ」と「開眼する」です。「○○にカイガンしたようですね。」と言っている解説者がおりますが、この場合の「開眼」は、仏教用語ですから「カイゲン」です。「カイガン」と読むのは、手術などで目が開いたときなどにいう言葉です。そして「鳥肌が立つような活躍をみせてくれました!」と叫んでいるのも変です。鳥肌は山道で熊に出会ったり、浮気の現場に伴侶が現れたりといったときなど、ゾーっと血の気が引いたときに立つもので、嬉しくて鳥肌が立つということはないと思います。「総毛だつ」もそんな言葉でしょうか。だから、今日の野球で、長島監督のために絶対に金メダルを持ち帰ると約束していた中畑代行は、よもやのオーストラリアに二度目の苦杯を喫することになり「鳥肌が立った」のではないでしょうか、と使うのならわかります。ただ、日本語は本来の意味と違った使い方をしているものがありますから、そのうちに間違いとは言わなくなるかも知れませんね。例えばマラソンなどで何人も抜き去ることを「ごぼう抜き」といっていますが、ごぼうを抜くときには一度には抜かず、一本一本上に抜きます。だからちょっと違うと思いますが、今では何人も抜くことということで一般化しています。さて、今夜はシンクロナイズスイミングで立花美哉と武田美保選手が、水鳥のように鳥肌のたつ演技を見せてくれるのでしょうか。 追記今朝の信濃毎日新聞の「斜面」を読んだら、まったく同じ主旨の文章があり驚きました。
2004.08.24
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書店に「レディースコミック」という種類の本のコーナーがある。(僕は当然ながら)詳しくは知らないが、過激なセックス描写のものがあるという。僕の認識では、女性はこの手のマンガは好まないと思っていたが、これだけ並んでいるところを見るとやっぱり女性にも“好きモノ”が多いということなのだろうか。ということで、研究熱心(?)な僕は、その手のマンガに詳しいある女性に聞いてみた。それによると、「過激なものも多いけれど、男性誌と較べるとセックスを下半身の問題だけととらえずに、生き方などと絡めて真剣に描いているものが多いのよ」と答えてくれた。それも、普通の男女のカップルを描いたものより、ゲイや美少年達のホモセクシャルなものも多いということだ。耽美小説というと、女性が描く男性同士の恋愛小説のことだが、ここ数年ブームが続いているということだ。これを書いている作家の多くは同人誌出身だという。ここでいう同人誌とは、僕たちのやっているような文芸誌ではない。コミックマーケット、通称コミケという世界のことだ。コミケは仕事の関係で僕も何度か覗いたことがある。東京のお台場で行われていたコミケを覗いたときなど、浜松町からモノレールに乗っている満員の客の殆どが、コミケ会場に吸い込まれていったのには驚いたものだ。数万人の漫画家や志望者が会場にひしめき、自分の作品を売っている。当然、若者が多いが、なかには怪しげな中年男性も混じっている。中には売れない漫画家もいるが、多くはマンガを印刷している印刷関係者だ。当時、そのなかのひとりが僕だったわけだ。 一時期、頼まれるままに印刷していたことがあるが、あまりにも過激な描写にうしろめたさもあり、また業者間の安受け競争も激しくて、今ではすっかりやめた。この彼らが好んで描くのが、耽美マンガ。僕などが考えるホモの世界は、毛むくじゃらな男同士が絡む気持ちの悪い姿しか想像できないが、彼女等の描くホモセクシャルは中世的な美男子タイプや両性具者が、あくまで美しく絡み合うものだ。これらを専門用語では「ゲロ甘」というそうだ。ゲロ甘とは、愛し合う(?)二人が、ただひたすらに(性的に)幸せな状態でいることをいう。阿部定の世界でもあるまいに、毎日セックス漬けなんて、僕にはとても考えられないが、その手の女性作家によると永遠の愛ということになってしまうのだろうか。この場合の男役を“攻(セメ)”、女役を“受(ウケ)”といい、“攻”は精力絶倫でテクニシャン、“受”は“攻”の巧みな愛撫によって開発(?)されてしまう、という筋書きが多いということだ。この作者たちに、どの程度実体験があるのか知らないが、実体験がないから妄想たくましく描けるのかも知れない。しかし、こういうマンガを喜んで読む女性が多数存在するというのもちょっと信じがたいのだが、マーケットがある以上一定割合の比率で存在するのだろうなぁ。ふ~む……わからない。
2004.08.23
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まほろば川柳社主宰の勝野みちおさんですまほろば川柳社主宰の勝野みちおさんは、県の詩性川柳を牽引してきた方です。もう80歳を越えますが、みずみずしい作品を書きます。そのまほろば川柳大会があり、長野県はもちろん、兵庫、石川、新潟などから大勢の川柳人を迎えて賑やかに行われました。長野県の川柳人はほとんどお年寄りばかりになってしまいました。僕たちのグループだけがひときわ若く、他のグループの方々からいつもうらやましがられます。うらやましいのであれば、若い人を開拓すればいいのにと思うのですが…。ぜひお願いしますよ、川柳界の皆様方!来年は、僕たちのグループ「旬」が県大会を主催します。珍しいものをみたい方々、どうぞ信州にお越し下さい。鬼に嗤われそうだね。 野菜が豊作です。 もうすぐ秋 [
2004.08.22
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台風の被害にあわれた方々、お見舞い申し上げます。もうずいぶん昔のことになるが、東京オリンピックのとき聖火リレー走者として全国の高校生たちが走った。僕もそのひとりとして日の丸を胸に付けて走った。だからというわけではないが、「日の丸」という旗にはけっこう思い入れがある。たしかに過去何度かの戦争で、日本は「日の丸」の下で戦い、他国民にも自国民にも大きな被害を与えた。そういった経緯から、内外に「日の丸嫌い」の人がいることは理解できるが、僕には「日の丸」すべてを毛嫌いする気になれない。いや、あえていえば日の丸は国旗として、シンプルでとても優れたデザインとして評価するべきではないかと思っている。もし、戦争時のシンボルとして使われたという理由で「日の丸」を忌避するのであれば、「日本」という国名もまた忌避しなければならないということになる。オリンピックで日の丸が揚がるのをみると無条件にこころ震えるし、応援団が顔に日の丸のペイントをして歓声をあげているのを見ても微笑ましいと感じる。しかし、先の日記にも書いたように、式典などで壇上に麗々しく飾られる日の丸、それをバックに得々と訓辞をたれるような場に立ち会うと、尻のあたりがムズムズと落ち着かなくなる。ましてや、君が代の歌とともに、礼拝しなければならないときには、おもわず顔がひきつってさえしまうのだ。実は取引先の社長に強く誘われて、ラ○オ○ズクラブという慈善団体に数年加入していたことがある。この例会は日の丸に向かって国家斉唱というセレモニーから始まる。僕は口だけモゴモゴ動かし、耐えがたきを耐えていたが、とうとう我慢できずある役員に、「あのセレモニーはやめませんか」と持ちかけたが、一笑に付されてしまった。それではと、適当な理由をつけて退会してしまった。偽善を感じたことも理由のひとつであるが…。かように“壇上に飾られる日の丸”には拒否反応してしまうのだ。これを非国民というのであけば勝手にどうぞと、まずは言っておこう。感じ方の大小はあっても、僕と同じように思っている人も少なくないはずだ。では、その人達がみな非国民であろうか。先に、イラクで人質になった彼らを「反日分子」と言った議員がいたが、彼と同じレベルの人達からすれば、十分に非国民に分類されることだろうが…。しかし、この人達とて日常の活動はまったく健全な日本人として納税し、地域や日本という国を愛し、オリンピックで日の丸があがるのに歓声をあげているのだと思う。こんな簡単明瞭なことを改めて書かなければならないのは情けない気分だが、このへんで整理したい。要は、日の丸の用いられかたに対して異議を唱えているのだ。多くの日本人は「日の丸」イコール「悪」などとは思っていない。むしろ敬愛の念さえ抱いているのではないだろうか。しかし、敬愛すべき「日の丸」の威を借りて、人心を纏めよう、号令に従えるようにしようという、よこしまに対して異議を申し立てているのだ。そんなふうにとるのは被害妄想、意識過剰という意見もあろう。しかし、過去そのように使われた時代があったのである。過去から学べない人は、同じ過ちを繰り返す可能性があると見るべきなのだ。もちろんこれは、僕の個人的な考え方であって、違う考え方をもつ人たちがいることは十分承知している。そして、それに反対しない。日の丸に三唱三拝しようが、ひれ伏して土下座しようが、どのように日の丸や国家に思い入れをしようと、それは個人の自由である。ただ、その価値観を他人に押しつけないで欲しい。自分だけでやっていて欲しい。「国を愛せ」「日の丸を愛せ」と、横から押しつけられなくとも、僕は、国も日の丸も愛している。ただ愛し方と、その段取りが違うだけなのだ。愛し方まで指図されたくはないのだ。以前にも書いたが、僕にとって国を愛するとは、まずは家族であり、友人知人であり、地域であり、それらすべてを集合した「日本」という国なのだ。中味のない「日本国」という国体、入れ物を愛したいのではない。
2004.08.21
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柔道100kg級に出場してメダルが獲れなかった井上康生選手は1978年生まれだというから、25歳か、まだまだ若い。帰国後は、北京大会を目指して柔道を続けるのか、あるいは吉田秀彦選手のようにプロの格闘技界に転進するか、マスコミを賑わすことになるだろう。プロ格闘技界にとっては喉から手が出るほど欲しい商品価値の知名度がある。一選手のことをとりあげるつもりは無かったが、先日も書いたように、僕は勝者より敗者に興味がある。井上康生選手は、前評判ではよほどのアクシデントでもなければ金メダルは確実といわれ、実力を買われて日本選手団の団長にもなっている。ふがいない試合ぶりから、肩か腕の負傷があったのではないかと言われているが、格闘技の選手は多かれ少なかれ負傷がつきものだ。多少の怪我は計算のはずだ。現に、谷亮子選手は1ヶ月前に出場を危ぶまれるほどの大怪我をしていた。谷亮子選手は、怪我があったために大技による勝負より、勝ちにこだわる勝負に徹していた。見ていて、勝ちにこだわる精神力に感服した。かたや、井上康生選手の出場前はテレビ番組にもたびたび引っ張り出されるなど、オリンピック選手の代表として、すでにタレント並みだった。その点では、谷亮子や水泳の北島康介も同様であったが、プレッシャーに押しつぶされず、競技者としての精神力をもっていたということだろう。競技者としての精神力とは、人間的にあるいは人格的に優れているということではない。むしろ非情なまでな自己管理、つまり自己中心的でいられる精神である。たとえば、囲碁将棋などのプロ棋士を育てる場合、子どもの頃から賭け勝負をさせることがある。もちろん、裏の世界のことで表立って報道されることはないが、僕はあるプロ棋士に直接聴いたことがあるので事実だろう。それはもちろん金儲けのためだけではない、賞金を稼ぐことがプロだという、ストイックで非情な勝負師の世界を身につけるためである。井上康生は、人間的には優しい人格者だという。だとすれば、シドニーでの金メダル以降背負ってきたメダリストという重圧、オリンピック選手たちの代表という重圧のうえに、さらに、日の丸という重みをずっしりと背負わされ、試合の前にすでに潰されかかっていたのではないだろうか。過去の日本人選手に多かったパターンである。谷亮子や北島康介は、したたかにプレッシャを力に転化してしまった。しかし、お人好しの井上康生は、まともにニッポンを背負ってしまったのだろう。このへんは、サッカー・バレー・野球・ソフトボールなど、期待されていた団体競技にも感じているところだが、これから吹っ切れるのだろうか。スポーツライターの小川みどりさんは以前、井上康生のことをこのようにルポしていた。「自然と誰かのためのようになってしまうけど、父には『お前はそういう宿命を背負って立つ男なんだ』と言われたんです。そう言われた時も素直に、そうなんだなと思った。別に苦にもならないし、気負うわけでもない」。( Number2000年10月23日号より) 病気で入院している恩師の奥様を励ますために。自分のことを心配しながら亡くなった母親のために。今回の世界選手権大阪大会では、1歳の姪に見せたいと、すばらしい柔道で3連覇を実現してみせた。畳の上では研ぎ澄まされた強者も、畳をおりれば柔和な笑みを浮かべたやさしい一人の青年に戻る。そんな彼のやさしさを一番知っている父親は、時にそのやさしさゆえの迷いや甘さを追い払おうと容赦なく彼を殴り、また別の時には人を想う気持ちを己の力にするようにと、諭しもする。五輪金メダリストになっても父親は今も井上選手にとって、かけがえのない師匠なのである。敗戦後、父親がインタビューで振り絞るような声で「日本の皆様に申し訳ない気持で一杯です。どうか康生を見捨てることなく、これからも応援してやってください」と言うように語っていた。このインタビューを聞いて、僕は井上康生の敗北の主たる原因が確信できた。試合にでる前に“日本”代表という重圧を背負わされてしまっていたのだ。もし、このまま北京に雪辱を目指すとしたら、この重石を捨て去ることから始めなかったら、今回の二の舞になることは十分予想できてしまう。北京オリンピックでの勝者・井上康生がたまたま日本人であった、というのではいけないのであろうか。今日は、代表決定戦で井上康生に勝っている鈴木桂治が100kg超級に出場する。 [
2004.08.20
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台風の前、空がきれいですオリンピックは体育会系そのもの。体育会系というと、先輩後輩の掟というか上下関係は不思議なもので学校を卒業しても続くものだ。実は僕は高校時代に愛ちゃんと同じネクラスポーツ部のキャプテンをしていた。キャップテンというと一番信望厚い人がなるのが相場だが、受験勉強に忙しい奴が多くて、お人好しの僕に押しつけられたというだけのことだ。このキャップテンがだらしがなくて、インターハイにでてもせいぜい一、二回戦どまりというていらくだった。親しくしている弁護士は当時、ライバル校の選手で戦ったこともあるが、彼にはそんなエピソードがあったことなど今でも秘密にしている。彼は、勉強ができるクセにスポーツも得意という嫌味なヤツだった。しかし、こんな僕でもキャップテンだったという威光は燦然と(ほどではないが)輝いていて、今でも当時の後輩と出会うと、つい横柄な口をきいてしまうこともある。後輩も後輩である。ある食料品店にいる後輩など、いいオバサンになっているのに当時のような憧れの眼差しで「先輩、いつまでもお若いですね(お若いはよけいだよ)。これお持ちください。」などと、店の商品を二つ三つおまけしてくれたりする。同じクラブに所属していた彼らも、今では僕より年上にみえる人ばかりだが、当時は1学年違うともう士農工商の士と農くらいの差があった。先輩の言うことは、多少理不尽であっても絶対にきかなければならないのである。合宿で、先輩が「果物が食べたい」といえば、学校付近の果樹園で闇に紛れて調達することだって厭わなかったのだ(もう、時効だよね)。そのかわり、先輩はどんなにビンボウでもジュースなどを奢った。つまり、体育会系出身者は「暗黙の上下関係」という構図のうえに成り立っているのだ。そんな体験もあって、オリンピックの金メダルの表彰で、君が代とともに日の丸があがるのを気持ちよく見ていても、国全体が体育会系システムになったら困るなー、と思ってしまう。先輩(お上)には無条件にしたがう雰囲気である。どんなに理不尽でも、国民は日の丸のしたにあり、隣人よりもまず国を愛するのが自然であるという空気。これは、「闇に紛れて…」の行動も、しかたがないということにつながりやすく、健全とはいえないのである。
2004.08.19
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隣村の田畑という地区には「盆正月」という風変わりな行事が残っています。深夜に、村の若者達が区長宅の玄関に戸板やハシゴ、さらにはトラックまで簡単に動けないようにするなど手の込んだバリケードを築いて封鎖してしまうのです。そして、庭に大きく「お正月」と書いておきます。すると、朝になって玄関先の様子をみた区長は、各組長を通じて「今日は盆(または正月)のため休みとする」と、村内に連絡するのです。かくして、その地区民は「盆(または正月)休み」が一日延びて、堂々と骨休みができるのです。しかし、区長は大変です。バリケードを元のように撤去するのに家族で一日かかってしまうのです。しかし、区長も若い頃はこの悪戯行事をやってきているので誰も文句をいうことなく今日まで続いているのです。この風変わりな行事がいつ頃始まったのかはよく判りませんが、もう100年近くも前から続いてきた風習のようです。ぜひ、日本中に普及させたいような…。 オリンピックは発祥の地ギリシャに還り、いまや真っ盛りですね。ところで古代オリンピックの様子などを描いた本などをみると競技者はみな全裸です。鍛え抜かれた肉体が躍動する姿を見る観客は、試合の結果を見るよりそちらのほうが楽しみだったのかも知れません。なぜ裸で競技をするようになったのかは諸説あるようですが、僕は男女の判別をするために裸にするようになったのではないかと、勝手に推測しています。当時、オリンピックに参加できるのは男性のみで、女性は排除されていたようです。しかし、排除されるとよけいに出しゃばりたくなるのが人の常、男性に変装して出てくる女性がいたのではないでしょうか。藤原紀香ならともかく、女子プロレスラー神取忍のような女、逆に美川憲一のような男では区別がつきません。ボストンマラソンでしたっけ、まだマラソンに女性が参加できなかった頃、男性にまぎれて完走したのに女性だという理由で失格になってしまった人がいて、話題になったことがありました。古代オリンピックではこのようなミス(?)を無くすために、全員裸にした、というのが真相ではないかと推理しますが、さて本当はどうなんでしょうか。観客に女性もいたのでしょうか?近代オリンピックでの女性参加は当然ですが、裸で競技するという規則が残ってもいいと思うのは、シンクロナイズスイミングとか体操種目などですね。もっともテレビの視聴率があがりすぎて、寝不足の人ばかりで、世の中のリズムが狂ってしまうかも知れません。あ~、こんな話題を書くとまたまた「好き者」と認定されてしまいそうだなー。
2004.08.18
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体操で日本団体が金メダル。28年ぶりですか、体操種目では必ず日本がメダルを獲ると思っていた時代もありましたが、あれからそんなに時間が経っていたのですね。どの種目でもそうですが、最終勝者はただ1人あるいは1団体だけです。参加者がどんなに卓越した技術や精神力をもっていたとしても、最後の一人に残らなければ手にできない金メダル。あたり前のことですが、オリンピック選手に選ばれるということ、それだけですごいことです。一人の代表の下に、何千何万人というアスリートの涙があり、無数の敗者という土台のうえにひとりが立ってているのです。いい方を変えれば、大勢の敗者がいるから一人の勝者が光って見えるということでしょう。勝者を称える百万の言葉にはそれなりに心地よくても、あまり興味がありません。僕は敗者の後姿や、その後の所作を見ることのほうが興味深いのです。体操の鉄棒で最後の日本選手の演技が終わったとき、拍手していたアメリカ選手。日本人選手の一人ひとりに祝福の握手を求めてきた銅メダルのルーマニア選手たち。その笑顔は、どれも爽やかで美しかった。ひるがえって、日本人やアジア系の選手たちが負けたときの所作を眺めてみると、爽やかさや美しさを感じる選手が少ないような気がします。負けた瞬間に応援してくれた、スタッフや国民にすまないという気持が先にでていて、勝者への祝福というところに思いが至っていないのではないのでしょう。石にしがみついても勝ちたいというハングリー精神は大事だと思います。国対国のメンツとか個人を越えたものを意識して競技するのはつまらないことです。しかし、所詮はスポーツというゲーム、優勝者は一人しか生まれません。必ず何倍もの敗者が生まれる必然なのです。負けたのはその土台となる幾多の競技人も含めての力が弱かったということ、そして選手のウンや技術が及ばなかったということではないでしょうか。誰に詫びることなどないのです。それにしても、技術とか実力は当然ながら、勝負にはそこにプラスされるものが大事だと感じます。プラスされるものとは、無心に競技に集中できる衒いなき余裕だとつくづく思います。アメリカやルーマニアの選手が、勝者に潔く祝福を与えたのは敗戦による次の試合へのプレッシャーを引きずらず、気持を切り替えて、個人戦に向けての牙をむくための準備を始めている姿、余裕(タメ)づくりと僕には思えました。敗者の姿が美しく感じるのは、うちひがれ押しつぶされることではなく、負けても負けても次の戦いへ闘志を向ける姿ではないでしょうか。 まことに余談ですが、功なり名をあげた選手が知名度を利用されて国政に打って出る人がいます。あれはそれまでのいいイメージを地に墜としてしまうようで、いかにももったいないですね。 100パーセント競技のみ考えてきた人が、海千山千の世界に飛び込んでなにができるのでしょうか。幾万の敗者もふくめての、競技者としての代表であり輝きでもあった人が、知名度だけを利用され、政治の俗垢にまみれ使い捨てられるのを見るのはしのびない、と思うのは僕だけでしょうか。
2004.08.17
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1960年、國學院大學の学生だった岸上大作が自死しました。死の寸前までの7時間の間に書きつづられた「ぼくのためのノート」は、当時の学生運動の中にあって、分裂抗争のなかでの恋に疲れ果て、ついては死を選ぶまでのプログラムが克明に記されていました。失恋による自殺という非常軌と、自らの死を実行するまでを冷徹にプログラムとして残した若者の記録。その一部を紹介してみましょう。準備はすでに完了した。もはや時間の経過が、予定のプログラムを遂行するだろう。現在8時前。あと数時間だ。ぼくの歴史は1960年12月5日午前何時かにて終了する。それまでの数時間、まったくぼくだけのために、このノートを書き残しておこう。自分の犬死に社会主義の大義名分をかかげるのはよそう。これは、気の弱い、陰険な男の、かたおもい、失恋のはての自殺にすぎないのだ。短研(國學院大学短歌研究会)の誰かがいったように、夭折を美しいものとするセンチメンタリズムはよそう。死ぬことはなんとしてもぶざまだ。首をくくって伸びきった身体、そしてその一部分一部分、あるいは吐しゃ物。これが美しいといえるか。問題は生きることがぼくにとってそれ以上にぶざまだということだ。昨日の渋谷のにおける、今日のSにおけるぼくのあのぶざまは生きた人間のすることか。しかし、身体の器官が活動しているかぎりぼくにはああよりほかないのだ。もはや、そのぶざまに耐えられなくなったいまは、みずからの首をしばるほかない。失恋により自殺に至るというセンチメンタルはすでに古典に属するものかも知れません。しかし、恋愛によるぶざまに、自らの死をもってあたろうとする美意識はこの時代あたりまでの普遍であったのでしょうか。現在でも自死は絶えず、年間3万4千余人にもなります。しかし、その多くは青年ではなく中高年による経済事例です。 老人は死んでください国のため 宮内可静この句が発表されたとき、川柳界の外のみならず内部から轟々たる非難が巻き起こりました。僕は、この句の底にある諧謔性に深い哀しみを読みました。この句が生まれたとき、作者はすでに80歳を過ぎていました。
2004.08.16
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今日は終戦記念日。多大な犠牲を払って、「不戦の誓い」を手にした日であるから、バレンタインデーやクリスマスいや結婚記念日より大事な日である。今日の午前11時頃、わが町でも終戦記念のサイレンが鳴り響き、黙祷をした。 忘れじの行末まではかたければ 今日を限りの命とともがな 貴子(儀同三司母)一夜を共にした人への返歌でしょうね。「いつまでもあなたを忘れないとの嬉しいお言葉も、末永く変らないとは思えません。お言葉を頂いた今日を限りとして死んでしまいたいものです」というから、二度目の契りを求められたことへの、湾曲したお断りの歌でしょうね。もっと直訳すれば、「あなたが私のことを思ってくれるのは嬉しいけれど、どうせただの浮気ですぐに私とのことなど忘れてしまうに違いないわ。私はもうあなたとは逢いたくないから、お言葉はありがたく頂くとして今日を限りに逢うのはお断りよ」とでもなるのでしょうか。短歌・俳句・川柳と並べると、ほとんどの人が、短歌・俳句、そして川柳というように、川柳を別の文芸として位置づける人がいるようですが、実は短歌の前身の和歌と川柳はとても近い間柄にあるのです。なぜ近いのでしょう。しいて言うなら、俳句は心に映した情景を遠くに置いて、意味を求めずに余韻を楽しむ文芸です。どちらかと言えば、解脱したお坊さんのように、モノや自然に向い合い、そのまま肯定した心で「嗚呼、……」と、とらえる事が多いのですが、これに対して、和歌も川柳も、モノに仮託しながらこころを意味として伝え文芸です。それも、短い言葉のなかに様々な思いをちりばめているのです。こんなことから、意味をもつ文芸ともいうのです。 月までの距離とくちびるまでの距離 岬
2004.08.15
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アテネオリンピックの開会式、きれいでした。 15日の日記で紹介した歌は、平安の女性貴子が、あなたとなんか逢うくらいだったらもう死んだ方がましよ、という意味のものでした。比較してその時代の男はどのようだったのでしょうか。 君がため惜しからざりし命さへ ながくもがなと思ひけるかな 藤原義孝君を知ってからというものは、それまでいつ死んでもいいと思っていたこの命だったのに、長生きしたいと未練たらしく思うようになりました。などと、女々しいことこのうえないのです。実はこれは義孝が10代後半の頃の歌、はじめて知った(契った)女性にあてた歌なのです。この頃の男女交際は同身分間ではかなりオープンに行なわれていました。義孝は仏教に篤く自らを律するこころが強かったものですから、女性を知るのも遅かったようです。初めての女性と知り合って、こんなにいいことを知らなかったなんて、長生きをしてもっと君のところに通いたいものだと決意したのですが、運命の悪戯とは皮肉なもので21歳のときに疱瘡にかかって死んでしまいます。生きているうちがはなですよ、と歌で後生の人たちに伝えているのかも知れませんね。 行列に誰か割りこむ死の順序 岬
2004.08.14
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修身にない孝行で淫売婦を書いた鶴彬(つるあきら)の川柳です。鶴彬は戦前に反権力の作品をたくさん書き、特高警察に捕まり拷問の末、赤痢で獄中死しています。赤痢菌を打たれたとも言われています。淫売婦とは、金で身体を売っていた赤線の女性の総称です。戦争へと突き進んでいた時代、国は疲弊し、今の北朝鮮と変わらぬ状況下にありました。鶴彬26歳の1935年頃、東北地方は飢饉で、家計のために娘達の身売りが公然と行われていた時代です。身売り先は良いところで機織り女工、一般には東京の吉原などの赤線地帯でした。 凶作の村から村へ娘買ひ 姉 妹 つぎつぎに 年貢の穴埋め 売り値のよい娘のきれいさを羨まれてゐる ざん壕で読む妹を売る手紙そして、機織りにでた娘達を詠んだ句、 もう綿くずも吸へない肺でクビになるクビになった娘は、帰るべき家もなかったことでしょう。玉ノ井あたりに淫売婦として堕ちてゆき、最後には投げ込み寺に死体として放りこまれるのを待つしかなかったのでしょうか。戦争とは、前線でドンパチ戦うだけではありません。また、ミサイルや銃弾による悲劇だけではありません。戦争の準備を始めたところから、いけいけどんどんになったところから、いちばん弱いものたちのところにジワジワとしわよせと犠牲が始まるのです。どのようなもっともらしい理由をつけても、人々の自由や尊厳を奪うためのたくらみは、芽のうちに摘んでいかなければなりません。
2004.08.13
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かすかに秋の気配が…というから、姪か甥のことでしょう。この作者も先頃紹介した原井典子です。これを読んで、何ということを言う人だ、と顰蹙ものの人と、心のなかでほくそ笑むひとに分かれるかも知れません。甥や姪くらいまでは可愛いとしても、その子ともなれば泣き声を可愛いとまでは感じられないのが本音ではないでしょうか。そのへんの本音を見事についています。 欠席に大きな二重丸を付ける出たくない行事、出たくない同級会、そんなものに嫌々参加したりはしない。堂々と欠席欄に二重丸を付けて出すだけです。 新聞の上に死に損ないの虫ハエタタキで叩いたゴキブリであろうか、まだ動いている。それを見下ろす作者の目。と、ちょっとニヒルな姿を想像するかも知れません。しかし、僕には作者の哀しみがほの見えるのです。川柳は、モノに仮託して人間=自分を書きます。例えばお月さまを例に言ってみましょう。「愉快な月」、「哀しい月」という表現をすることがあります。月そのものはただの月ですが、その時の人の心持ちによって、愉快にも哀しくも感じるわけです。作者が見ている「死に損ないの虫」は、あるいは自殺未遂を経験したことのある作者自身のことでもあるかも知れないのです。 中指を反らせて姉を悪く言う身内のことを悪くいうことも、また心地いいものではありません。肉親をあげつらうことは、また自分をあげつらうことでもあるのです。姉の悪口をいいながら、つい中指を反らせてしまうなかに、自嘲的な心境を伺えるのです。 死ぬと言う母に死んだらいいと言う「そんな親不孝言うのならいい、もうすぐ死んでやるから」こんなことを言わせてしまったあと「死んだらいい」と悪たれをつく。実際に“死ぬ”はずがないと思うからこそ言える言葉です。「死んだらいい」と言った後の、作者の哀しみがジンと伝わります。 最後まで言わせてあげる作りごと懸命に弁解するオトコ、それを黙って聞いているオンナ。ネズミをいたぶる猫のように、弁解が尽きるのを待っている……、うぅ、コワイ。川柳は、端的には「うがち」の文芸といってもいいでしょう。ただし誤解して欲しくないのは、単に悪口やあてこすりだけが穿ちではないのです。正面から見ただけでは伺えない本質、中まで掘り出さなくては見えない真実を掘り起こすのが川柳という文芸の面白さなのです。
2004.08.12
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死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。これは太宰治の「葉」のなかの一節です。太宰という男は何度も自殺未遂を繰り返して、一度は心中相手を死に追いやっています。どうも好きになれない男ですが、もしかしたら僕の嫉妬かもしれないと思います。「死」にたいしても、このように軽やかに考えることのできる、うんざりするほど憎たらしい男です。
2004.08.11
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男が多数の女と接したがるのは正常な状態であるが、女がそういう具合になる場合は、その原因を考えてみる必要がある。女は一人だけの男に束縛されて「狭く深く」なるのに満足を感じるようにつくられている。そうである筈の女が浅く広く求めている場合は、だいたいにおいて、その女は不感症であると考えてよい。今度こそ「深く狭く」なれる相手にめぐり会えるかもしれない、とおもって、さまよっているわけだ。…なんて、僕がいった言葉ではありませんよ。吉行淳之介がどこかに書いていた言葉なんですが、現在ではちょっと教条的な言葉に聞こえてしまうかも知れないですね。
2004.08.10
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碌山美術館昨日京都から訪れた夢子さんご夫妻と、安曇野の美術館などに行ってきました。夢子さんは想像通りの美人(?)、ご主人も渋いジェントルマンといった方でした。「何をしても時間をかけて観ないと気が済まない人なんです」と、穏やかにエスコートしている姿は、さすがに国際派ビジネスマンといった貫禄がありました。昨夜は、僕たちのグループに混じって一緒に花火見物を楽しんでいただけ、今日はちひろ美術館や碌山美術館でゆっくりと美術鑑賞を楽しめたでしょうか。ところで、当地から京都まで約400キロほどあります。それを3時間半ほどで走ってしまうとは、ご主人はレーサーのようなすご腕のようです。夕方から信州は猛烈な雨が降り始めましたが、今はあがって涼しくなりました。わが家の気温は23度、ちょっと肌寒く感じます。写真をしっかり取ってありますが楽天サーバーが受け付けてくれません。いったい、楽天はどうなってしまったんでしょう。ということで、写真は明日以降ということで…。 追記 ご本人からの申し出により、想像通りの美人(?)は、想像通りの美人(!!)に変更させていただきます。三人で撮った証拠写真は、下にあります。ドラエモン姿が僕です。
2004.08.09
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[昨日、今日と当市のまつりがあります。広島の原爆を描いた「父と暮らせば」の映画も会場一杯の人で埋まりました。今夜は灯籠流しと平和コンサート、打ち上げ花火があります。関西方面から楽天友だちがご夫婦で訪れてくれました。これからご一緒に食事をして花火見物などをする予定です。灯籠流しも、友人たちに手配してありますから万全です。ということで、しばらく出かけます。
2004.08.08
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先日、「辰野事件」について触れましたので。知っている範囲で書いてみましょう。調べてみましたら、僕が事件直後に父が母に話していたのを記憶していたとしたのは勘違いで、どうやら父が母に話した内容を後から聞いたのを記憶していたというのが正しかったようです。なにぶん幼い頃の話しなので…。「辰野事件」とは、1952年4月31日、長野県辰野町の警察署などにダイナマイトが仕掛けられたのを始め、郡内各地の駐在所が一斉に襲われたとする事件です。この実行犯として、共産党員たちが検挙されました。裁判で検察は、被告たちに死刑をふくむ重い求刑をもとめました。その後の20年間にわたる長期裁判の結果、事件が(指令先までは明らかにされず)地元警察がでっち上げたものだったということになり、被告すべての無罪が確定しました。この時代は、松川事件・下山事件・三鷹事件など、注目された大事件がつぎつぎと起こっていました。アメリカの意向をうけたレッド・パージの嵐が日本でも吹き荒れた一環のなかでおこされたものという背景があったものでしょう。似た事件は全国的にあったようで、共産主義者とみられた人たちは、自由主義者でもリベラリストでもつぎつぎと公職を追放されていったのです。振り返ってみると、この時代の大事件の多くに謀略の匂いがぷんぷんと匂っていました。事件をでっちあげては、社会・労働運動の弾圧政策に利用していたのです。シャルドネさんが提示された佐野眞一・著『巨怪伝』を読むと、読売新聞の正力松太郎も、どうやらこれらの事件を裏で操った黒幕のひとりだったようですが、そのころから「読売新聞」は、明確にひとつの方向性をもって、右傾化「公器」としての役割を果たしているのでしょう。僕はある時期、辰野事件の被告だった人から文芸に誘われたことが縁となり、まだ共産党員の人、すでに転向して実業家として活動していた人など、被告だった人たちから事件の背景をお聞きしたことがあります。戦後の選挙により共産党の伸張が著しかった時がありましたがその時共産党をひきいていたのが徳田球一です。危機感を抱いたマッカーサー指令により、徳田球一は共産党を追放され、窮地に追い込まれた徳田らが武装闘争方針を打ちだし、野坂参三らの穏健派と対立しました。徳田球一という人物は弁護士から社会主義運動に加わった人で、指導力も高く演説が上手だったため、追放されたあとも心酔する党員は多かったようです。いずれは自分たちも武装闘争に蜂起し、日本を解放(?)するという妄想に燃えていた若者も少なくなかったということです。長い全体主義から敗戦により解き放たれ、ソ連や中国などの共産主義国家の樹立などに刺激をうけ、社会主義に夢や希望をみいだしていた時代だったということなのでしょうか。このころ、電柱のビラ貼りをしていた党員が逮捕され、その抗議行動に押しかけた党員たちが所轄警察のガラスを割るという騒動がありました。そんな折りに、党員たちのなかに、このままでは党組織が壊滅されてしまう、このうえは一斉蜂起の準備をしろという秘密指令が流れてきました。このため決起はやる党員のなかにはどこからか手に入れたピストルを手に、地元警察を見張る者までいたということです。そんなときに、辰野警察が襲われたと聞いたときには、彼らさえも、仲間の誰かが先走ったのかと思ったということです。その後、なにも動かなかった自分たちまでつぎつぎと逮捕されてゆき、あれよあれよというまに被告人という身分になってしまった、ということです。地方党員のなかにも、武装闘争派と平和革命派との対立ができ、その軋轢の中で大きく膨らんでいた共産党も、失望から一気に衰退に向かっていったのでした。その後、「一斉蜂起秘密指令」が、党中央組織から正式に流されたものではなく、出所不明なものだったことが明らかになりました。また、各地で起こったという襲撃事件も、党員たちのしわざではなかったことなどが判ってきて、どうやら大きなワナがしかけられたようだと、述懐していました。その話しをしてくれた人の何人かはすでに亡くなってしまいました。他の重大事件と同様に、辰野事件でも、つぎつぎと検察側がデッチ上げた証拠が矛盾を示しはじめます。辰野事件では、警官派出所が爆破されたということでしたが、この偽証が崩れたのは目撃者と称した一警察官の証言でした。この警察官は「導火線が燃える“シュルシュル”という音を聞いた」と裁判で証言していたのです。ところが、本物の導火線は、音が無く静かにもえて、この「シュルシュル」という擬音は、映画かラジオの効果マンがつくったものだったわけです。先日日記に書いた、村の駐在所の玄関が襲われ破損したという件も、現場検証時により大きく壊してしまったため、父の目撃した時間のものと違い、事件後被害が大きくなるという矛盾が露呈してしまったわけです。それでも裁判は20年もかかり、つくられた事件への反証は容易ではなかったようです。時代が、戦後の混乱時期におきたこともあって、かなり乱暴な筋書きで仕掛けられたわけでしたが、これとて末端の警察官たちが、自分たちの意志で書くはずもなく、大きな力が背後にあったことが伺われます。裁判は被告たちの勝利におわりましたが、しかし社会全体のとらえかたとしては、共産党=暴力革命集団という印象が植え付けられたわけです。その後もこの誤ったイメージが払拭されるには何十年もかかったわけですから、大きくは仕掛けた側の作戦は、まんまと成功していたとも考えられます。当時は、社会が未成熟ということもあって、かなり乱暴な手法も通用したわけですが、現在ではそんな幼稚な手法がとられることはないでしょう。しかし、暴力団をみても昔のような単純な暴力組織でははなく、政治結社を装ったり、金融や経済に深くかかわる知的犯罪集団に形を変えているように、国家権力も合法的に反体制派を封じ込める手をつぎつぎに打っています。一概に現在のほうが良い社会になったとは言いきれないでしょう。そのようなことから、僕は体制や権力に限っては性善説でとらえないほうが正しいと思っていますが、さていかがなものでしょうか。 湿度が高く、もうひとつはっきりしない天気ですね。
2004.08.07
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8:15 原爆が投下された時間に黙祷を捧げる市民たち広島に原爆が投下されたこの日に、「平和の集い」を開いて18回になります。市が「非核平和都市宣言」をしたときに、言葉だけの平和ではなく実のある平和のための行動をしようと、市内の主な団体や宗教関係者すべてに呼びかけて石碑によるモニュメント「平和の塔」を建立しました。僕も呼びかけ人の一人として参加しています。 「平和の塔」には献花の列が この会の画期的だったのは、会に加わったのが思想や宗教の違いを越えて結成されたことです。名目的な代表には代々市長があたっております。この日の集会には仏教やキリスト教関係者もそれぞれの姿で参加し、(創価学会・公明党を除く)議員たちも党派を超えて参加しています。8日には、親子映画会「父と暮らせば」や「平和祈願の灯籠流し」も行われ、戦争の愚かさを伝えるための啓蒙活動もします。「平和の塔」には、広島原爆のときの残り火を分けてもらい灯しつづけています。地域の老人クラブの方々が毎日管理し掃除や手入れをしてきましたが、過去に何度かこころない輩によってガラスを割られたり、募金箱が壊されて盗難にあったりしています。しかし、その都度市民たちからの募金により修復され、今日に至っています。後ろに立っている柳の木は、広島で被爆した柳の一枝が根付いたものを「平和の塔」建立のおりに植樹したものですが、今では大きく成長しました。 今年も、市内に住む被爆者や市の関係者(市長や議会関係者)が挨拶に立ち、核廃絶の訴えやイラクなど世界平和の実現を訴えました。明日は長崎に原爆が投下された日です。
2004.08.06
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日記がUPできないよ~このところ日本の体制のシステムや警察のありかたについて書いてきましたが、あらためてお断りしておきたいのは、事件が起き、適切な対応ができていたらあるいは未然に防ぐことができたのではないだろうかという事例にかかわった警察の対応について検証し、そこに間違いがあったとしたら指摘するのは当然のことです。ただし、このことで日本の警察のすべてがダメだとか、信頼できないと言っているのではありません。僕は個々の警察官の正義感や使命感といった質においては、世界の警察の中でも優れているのではないかと思っています。最近は日本でも凶悪犯罪が増えたとはいえ、夜間の繁華街を出歩くこともできますし、常に危険と感じることもありません。また、わけのわからない不当逮捕などというケースも極まれです。僕はアメリカや東南アジア諸国の警察官よりは質がいいという印象をもっています。それでも、なかには不祥事か起こることもあります。警察官や教師などは不祥事があると大きく騒がれ糾弾されます。一般人より高いレベルのモラルが求められるのはその職務上しかたがないことです。実は、僕にも警察官やその関係者に友人がいます。職務から離れたつきあいでは全く市井の人々とかわらず、良いおつきあいをしています。だから、交通違反時などに不快な思いをしたことがあっても、すべての警察官を嫌いとおもう感情はないのです。これは、おそらく多くの国民も同じでしょう。警察官ということでは、僕の幼い子どもの頃に強烈な想い出があります。田舎の駐在所にいて、いつもニコニコと優しく尊敬されていたSさんというお巡りさんがいました。親しく地域の行事にもとけ込んでいました。子どもたちが駐在所に訪れると得意な紙芝居で防犯ルールなどをしてくれ、子どもたちにも人気がありました。そんなのどかな村でしたが、ある日、何者かに駐在所が襲われ玄関のガラスが壊されるという事件が起きました。当時、僕の父親は農協の支所長として勤めていました。S巡査が農協にきて、駐在所が暴漢に襲われたと話して行きました。駐在所は近かったので、父はすぐに自転車で現場を見にいったそうです。玄関のガラスが何枚か割られているのを確認してきました。次の日には、本署から大勢の警察官がきて現場検証をしていました。父も間接的な目撃者(?)として、駐在所が被害にあったことの証言を求められたそうです。その騒動の後、父はもう一度駐在所を見にいったそうです。すると不自然なことに気づきました。玄関の戸が前に見たときより大きく破壊されていたのです。そこで、その疑問をS巡査に問いただしましたが、S巡査は顔を真っ赤にして「Iさん、そのことはあなたの勘違いだったということにしておいてくれませんか」と、懇願されたそうです。父も堅物でしたので、そのことを困った表情で母に話していたのを僕は側で聞いていました。まもなく、その駐在所は廃止されて、S巡査も転勤してゆきました。その事件は、共産党員たちが一斉に蜂起し、各地の警察署などを襲ったとしてセンセーショナルな話題になり、大勢の党員が逮捕されました。「辰野事件」名付けられました。その後、事件は長い裁判を経て、被告全員が無罪になり、事件そのものも警察のでっちあげだったということが証明され結審されました。ところが、僕は大人になってから、まったくの捏造ではなかったことを偶然に被告だった人から聞き出したことがありますが、それはまた別の機会に語ることにしましょう。これはもう半世紀近くも前の事件ですが、個々には立派な警察官も、警察組織の一人としては自分の意に添わない行動にも従わなければならないことがわかります。最近では、北海道警察から始まり全国的に拡がった裏金疑惑も、裏金つくりに携わった個々の警察官は慣例として、あるいは職務として、やむおえず手を染めなければならなかったことでしょう。正義感のある警察官の内部告発により事件となりましたが、それでもキャリアはなかなか認めず、隠蔽工作に終始しました。そして先日もその板挟みとなり、自殺まで追い込まれた警察官がでたわけです。職務に忠実なあまり不正に手を貸さざるを得ない、しかし自分の正義感や信念にもとるといった、苦しい立場に追い込まれる現場の警察官たちの苦しみを救うためにも、雲の上にいる一握りのキャリアたちの不正は糾弾されるべきだと思うのです。灼熱のサマワで与えられた任務をこなす自衛官も、新潟や福井の大水害の復旧作業に黙々と汗を流す自衛官たちも、日本全国で市民の安全のために危険を顧みずに働いている警察官たちも、その一人ひとりは、きっと国民の奉仕者としての信念で働いていると思います。そうしたなかで、不祥事などが起きた場合、全体責任のように糾弾され肩身の狭い思いをしなければならないことはお気の毒だと思います。だからこそ、下隅の警察官達が営々として築こうとしている信頼を、ないがしろにして、また信頼にドロを塗るかの行動に走る、ひとにぎりの者たちの悪行は正さなければならないと思うのです。不正が慣例となるような警察システムがあるとしたら正さなければならないわけです。それは、警察官たちにとっての名誉にもつながることではないでしょうか。人間は誰でも、すべて正しいなどという人はまずいないでしょう。終戦直後の頃、闇米を拒否して配給だけで暮らし餓死した判事のような稀少例はあっても、今では笑い者にしかならないと思います。神様ではないのですから、何もかも正せとはいいません。国民全体の利益に反したり、安全を危うくする不正だけは正しい方向に向かわせていかなければなりません。そういった意味で警察批判も行われるのであって、丸ごとミソクソに批判しているのではありません。
2004.08.05
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川に鮎とりに行ってきました。しかし、不漁です。いい形の鮎は数本だけ、一緒に連れて行った友人と小宴を開いただけで終わってしまいました。友だちにも賞味くださりたかったけれで、今年も不作でかないそうもないな…。夜の川は、暗くて、涼しくてきもちいい。味見はさせてあげられないけれど、写真でごカンベン!
2004.08.04
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少年たちの凶悪事件についてご意見ありがとうございました。そうしている間にも、兵庫県加古川市で2家族7人が殺害された事件が起こりました。報道によると、これも犯行が予見されていたのにかかわらず阻止できなかったということです。そのことで地元警察が批判を浴びていますが、これなどどのように考えたらいいのでしょうか。誰かが犠牲になるまで放置しなければならなかったのか。しかし、予防拘置したとしてもまた批判を浴びるでしょうから、警察としても動きにくかったことは事実でしょう。むしろ、民主主義のなかった時代だったら、事前に拘束してしまうなどで事件の芽が摘まれていたのかも知れません。そのような国もあるようですが、それはまた政治的に悪用されそうでコワイですね。先の、少年達も少年法の規定によって出所時期が自動的に決まってしまうのであって、彼らが、本当に更正したのか、再犯の可能性がなくなったから出所したのだろうか、という疑問が湧くわけです。加古川市の事件は、容疑者はすでに何度も騒動を起こしていながら、結局は事件が起きるまで何もできなかったし、以前、埼玉の桶川ストーカー事件も警察に何度か相談に行っていながら殺されてしまったわけです。これらから考えられるのは、もしかしたら個々の警察署の問題というよりも、日本の法律か警察のシステムに問題があるのかもしれないとさえ思えてしまいます。また、alex99さんの仰るように悪いことをすべて社会のせいだと、大雑把に転化してしまうのは良くないと思います。しかし、日本という社会システムをつくってきた構造そのものにも大きな問題を抱えていることは確かだと思います。シャルドネさんは、一貫して自分のサイトのなかで社会構造の問題点を指摘しています。前三重県知事だった北川正恭さんが、政治評論家?の福岡政行さんと対談していたときの話しですが、「日本の政治システムはゆすりたかり、土建行政のうえにできている。自分の政治的都合で道を通せとか、ゴミ焼却場建設の見返りに公民館を建てろとか、議会も地域エゴや住民の顔色で動き、自分の票欲しさに住民のいいなりにやってきた。そしてそれが日本の民主主義だと思ってきた。公務員から政治家まで、本音ではすさまじくエゴスティクな利益誘導で動き、住民の中にも利益誘導のできる政治家が良い政治かとして了解してきたフシがある。こんな社会のなかだからこそ、学級崩壊だの、大人をなめきった少年事件など、子どもたちの反逆が生まれてくるのです。」と言っています。子どもたちに、大人がなめられている、社会がなめられていると同時に、大人になることに価値観を見いだせない“子人(コトナ)”が蔓延した社会が、現在の日本ではないかとも思ってしまうのです。信じられないような事件への対処法として、応急処置としての方法が罰則の問題であったり、事件を予感できる事例への予防措置であろうと思います。また、地ならしとして、社会正義とか民主主義が正常に機能する日本をつくってゆかなければならないと思います。小泉内閣ができたときに(これまでの社会システムの元凶であった)「自民党をぶっつぶす」といった雄叫びに、国民が反応したのは、うすうす日本社会の病理に国民が気づいてきたからではないかと思うのです。しかし小泉改革が幻想におわろうとしている以上、小泉内閣の役割も終わりに向かっているともいえるわけです。社会システムを正す受け皿に、民主党がなれるのでしょうか。あるいは、共産党や社民党が再び浮上してくる目があるのでしょうか。一票の格差もふくめ、選挙制度なども極端に政権党に有利にできているわけで、そんなところも変えなければなりませんが、社会システムの浄化を政治家任せにしても、泥棒たちに防犯システムの励行をしているようなむなしさを覚えてなりません。いみじくもシャルドネさんがNPOで内部告発制度のシステムができないかと提案したように、公正な第三者機関による社会システム見直し機関のようなものができないものでしょうか。
2004.08.03
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暑中お見舞い申し上げます。 「現在、アクセスが集中し、ページを閲覧しにくい状態になっております 」とかで思うように日記の書けない、編集もできないで、イラツキますね。ユーザーのためにと変えてくれているのでしょうが、読みにくくなったような気がしませんか?機能も、増えたという感覚より、絞られたイメージが強いんだけれどデザイン機能が強化されたということなんですね。でも、デザインで読んでくれる人どのくらいいるのかな? 日記の内容とか、フィーリングしだいだと思うけれどどうなんだろう。
2004.08.02
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UPしようとしても、こんなに弾かれてしまうのはなぜでしょう。
2004.08.01
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