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議会の予算要望のため、会派代表者会議が開かれた。 これまでは、○常任委員会と特別委員会は2泊3日で13万円。 ○費用弁償は10km未満3000円、10km以上は3500円。 ○政務調査費は一人年間1、164、000円でつき97、000円。 新年度はどうするかということでの、議会の要望をまとめる会議。続きは後で。
2005年10月26日
次期市議選挙での議員定数を決める「議員定数等調査研究特別委員会」を立ち上げ、第1回の委員会が開かれた。 42名が合併に伴い46名となり欠員1人いるので現員数は45名。 次期市議選では42名定数で行われるということになっていたが、改めて、議会で議論し、条例で定めようとこの委員会が出来た。 国は財政が厳しいことを理由に、合併や議員定数の削減を法律で枠を決め地方に押し付けてきた。 全国では、市議会議員だけでも1万を超える議員が削減された。 今でも、合併が行われるたびに、減員されている。 自治の精神が脅かされる事態となっているのである。 住民の声が議会へ反映しにくくなってきた。 財政を切り詰めるために、「議員を減らせばいい」では済まされない。 私は、「議員定数の検討もいいが、市当局が財政が厳しいと、財政構造改革懇話会を立ち上げて見直しをしているとき、議会の側も、政務調査費や、歳費、日当、海外視察問題など今の時点に立って踏み込んだ検討が必要だ。」として、 それにふさわしい、資料を求めた。 しかし、共産党以外の新友会や市民ネットなどは、「その検討は、既に2年前の議会運営委員会で議論し決定済み」として、私の提案を拒んだ。 市民の思いや感覚、市当局の財政の見直し考えればいま、改めて議論すべき課題であるのに。多数で押し切った。 特別委員会の内容を市民に知らせ、市民的な大きな世論も作っていきたい。
2005年10月25日
昼休みの2時間、菅田さんの応援で候補者カーに乗り街頭から演説を行う。 生まれふるさとの、田子などなじみの地域での宣伝。 ○4年間、これまでの市長と議会で議論してきたこと。 ○この市長就任以来、一貫して自らの使命として「民間感覚導入」を言い、給食センターの民間委託、保育園の民営化などなど、次々と強行した。 職員や保護者、先生が反対していたのに。 『市民の声を聞く人が市長としてふさわしい』は、地元新聞の調査結果。 益々、「県下一の子育てのまち」を言い、「暖かい市政に流れを変える。」と公約している、「菅田」さんこそ市民の期待大なり。 心をこめて訴えた。
2005年10月24日
長野駅まで約500人の参加者を前に、第一声を行う。 菅田さんは「何でも民営化ではなく、暮らしを守る行政の責任を果たします。市民の立場で税金の使い方を見直し長野県一の子育てのまち長野市をつくり、市民に暖かい市政へ流れを切り替えます。」と市政改革のチャレンジャーとして決意を表明し、元気に出発した。 激励には 東北住電装支部の田中さん 元高等学校校長で文芸評論家の東栄蔵さん 下氷鉋保育園保護者の清水さん 菅田さんで市政の流れを変えようとの期待の声と広がりのある出発式であった。 市議補欠選も同時に告示 日本共産党の和田あき子さんも「市長のやることにはなんでも賛成で市民の思いが届かない議会を変えるため、日本共産党の議席増やしてください。 暖かい市政を作るためがんばります」と決意。
2005年10月23日
頭と腹が痛く、目をあけたら3時。 不覚にも風邪を引いたかも知れない。 今日は重要な「みんなの会」の市長予定候補「菅田」さんの車の先導役を務めることになっているのに。 心配しながら床に就いた。 案の定、7時になっても体調に変わりなし。 かったるく、何もする気なし。 事務所に電話をし、再び布団をかぶる。 5時間ほど、ただただ、寝ていた。 昨日の宣伝の際、寒かったのにもかかわらず、ふさわしい支度をしていかなかった自分の責任。 「菅田」さんはじめ、仲間に迷惑をかけてしまった。 憲法9条の署名用紙わが家のポストに 起きると、憲法9条を守る署名用紙がポストに入れてあった。 一人分の署名がきちんとかかれてあった。 先日、訪ねたとき、「よくわからないから勉強して、納得したらやるからね」といって署名用紙だけ置いてきたお宅だ。 小生が寝ているときに、ポストに投げ込んでいったのである。 おいてきた資料を読み、納得をしたので署名をしてくれたのである。 しかも、自宅まで持ってきてくれるとは、感激である。 引いた風邪もこの一軒で、収まりそうだ。 感激のついでに、しばらく出張中だった友人宅の近くを通ったら明かりが点いていたので、電話をする。「ああ、いいよ、また新聞入れてよ」と「赤旗」新聞の購読をしてくれた。「のぶちゃん」のチョット一言。 実家の甥が昨年、姪は3週間前に赤ちゃん誕生。 少子高齢化が言われているとき、わが実家の子どもたちが、男の子と女の子を産んだ。 出産のお祝いに行ってきた。 ごくごく小さい生命力旺盛な手足を存分に動かしている。 健やかな成長を願いたい。 そのためにも、戦争のない平和な社会を築くことが大人の責任。
2005年10月21日
緊急資料の印刷中、プリンターに用紙が絡みつき印刷不能に。 絡んだ紙を取り除こうと、試みたが残っている紙が指でつまむことが出来ないほどに小さくなってしまい、努力の甲斐もなく断念。 最寄の電気屋さんで、かかりつけのパソコンドクターに救急以来。 ピンセットと小型のペンチで難なく救助となる。 夕方、駅頭で宣伝。 夕方、「みんなの会」市長予定候補の「菅田」さんのチラシまきと宣伝で市内全駅頭で行動。 東部地域では、北長野駅、桐原駅、信濃吉田駅の3駅で宣伝を行う。 「鷲沢さん好きでない。何でもやるから言いつけて」といってくれる人もいた。スーパーメガホンで演説も行った。 風が冷たく風邪が心配。 3日後は市長選の告示日。 いよいよ本番。
2005年10月20日
ある団地で菅田さんが街頭宣伝をした後、訪問したお宅のおばあちゃんに渡したぬくもりある名刺、懐に入れて後生大事にしまっていた。 「お年より大事にしてくれる人」の名刺だからと。 この名刺の人に期日前投票したいから、「頼むね。」と連絡も来た。 市民の暮らし優先の市政に切り替えるために、財源も含めた4つのプランを示してがんばっている。 残された日にちは、12日間。 人から人へ、口から口へと伝播し鼠算式に「菅田、菅田」と広めたい。 菅田さんの名刺を懐奥深くしまっている人もいるんだから。
2005年10月18日
ようやく生気を取り戻したか、着ているものもこぎれいに、ひげもそり、さっぱりした出で立ちで控え室にきた。 「おかげさんで元気です。今、一生懸命ハローワークに行って職を探しています。」という。 「夜が寂しい。情報手段がなく、ラジオか古臭いテレビがほしい」 世の中の動きも知りたいとのこと。 当たり前である。さっそく、仲間や電気屋さんに問い合わせる。 お金がなく、新聞を取る余裕がない。毎日の食事が一番だから。 こんな暮らしをしている、ごく普通の人たちに、消費税増税は大きな負担となる。
2005年10月17日
「若槻北部憲法9条を守る会」は、私も入れて3人で地域を訪問した。 2時間ほどで9人と話が出来た。 話が弾んで、どこでも10分から20分も。 あるおばさんは「私は戦争は大嫌い。当時看護婦だった。終戦間際の8月13日、米軍爆撃機が飛来、病院の煙突をめがけて機銃掃射してきた。 給食のまかないさんがやられ、患者さんの用で給食室に来た看護婦さんが撃たれやけどして体中が膨れ上がり、特製の棺を作って入れてあげたほど。 食料もなく、貴重なメリケン粉をすいとんではもったいないので、味噌汁に溶かして糊状態にしてすすったことを覚えているよ。こんなことはもうこりごり」と、快く9条署名をしてくれた。 どこの家でも、自民党の大勝とおごりで、総選挙の公約でもなかった「憲法改悪」「増税」を打ち出した。心配、との声も・・・。 この声に応えて、国民の暮らし守ってがんばらないといけない。思いを強くした。 午後は、中野さんと「赤旗しんぶん」のお勧めで訪問。 3人の方が、購読をしてくれた。
2005年10月16日
年に一度の、市長はじめ総務、企画、保健福祉、環境、建設の5部長出席での若槻「元気な街づくり市民会議」が開かれた。 市長冒頭の市政報告方向では、「民営化、民間委託の一層の推進」を掲げた。 市長のライフワークは、常にここにあることを痛感した。 足腰弱くなったお年寄りが、公民館を利用しやすくするためにエレベーターを設置して。駐車場への近道となる階段をつけてほしい。産廃処分場の影響で地下水が心配、地下水の検査項目を増やしてほしい。土壌の分析もしてもらいたい。などなど、5項目ほどの要望が出された。 しかし、いずれもお金がないことを理由に体裁よい回答に終始。 ・・・結局は何もない・・・ことか。 そごう跡に造っている銀座A-1市街地再開発に補助金で5億円、生涯学習センター買い上げで14億円も投資する。 地域公民館からの切実な要望に応え、地域での交流こそ求められているのに。 中心市街地まで出て行って、施設利用はいかがなものか。 市民からも、活用方法も定かでないのに「建設先にありき」で建設は問題ありと厳しい指摘もある。 税金の使い方に異議ありだ。 地元の会議に出席していて、益々、市政を変えないといけない。と痛感する。 会議の終了間際に、来賓の挨拶があった。 S県議とF市議。私も入れて市議二人いるので今回はF市議の番。 なんと、S県議は挨拶の途中で、市長選挙について触れ、市長を持ち上げて起立させ「よろしく」と紹介した。 次が、F市議「市長の話しは物足りなかった。26日に市長の個人演説会があるので聞きに来てほしい。」と公職選挙法に抵触する危ない挨拶。 終了後、あそこまでやるなら原田さんも挨拶させるべきだ。 市長選挙に踏み込みすぎだ。不見識もはなはだしい。 参加者は口々に批判の声を寄せてきた。 地域でも良識ある、議員さんたちなのに「あれじゃ、落第」と厳しい指摘。 党吉田2支部主催で「県政・市政報告会」開く。 市長候補の菅田としおさんが冒頭に挨拶した。 石坂県議の県政報告をじっくりと聞くことが出来た。 視力障害者の投票問題の話には、参加者一同胸をつまされた。
2005年10月15日
長野バスターミナル会館で開いた「市政を変える市民の集いに」会場いっぱいの500人が参加、熱気にあふれました。 菅田候補は「何でも民営化で、本当に市民の幸せにつながるのでしょうか。 私は、市政としての責任をきちんと果たす市政、長野県一の子育てのまち長野市を作るために、市政を変革するチャレンジャーとして全力を尽くします。」と力強く訴え、大きな拍手と声援に包まれました。
2005年10月14日
事情でしばらく休んでいた駅頭宣伝を、今日から再開。 7時から市長選挙のチラシ配布とマイクでの宣伝である。 久しぶりなので、「元気かい」「見舞いに行こうと思っていたよ」など励ましの言葉が相次いだ。ええくれる。 タクシーの運転手さんも、通勤途上の人も気持ちよくちらしを受けとてくれる。 150枚のチラシと、街頭宣伝1回。 「菅田さん」の押し上げで力強く訴えた。
2005年10月13日
5時起きですっ飛び市場団地へ。 6時から「菅田としお」市長候補と団地内をあいさつ回りだ。 市議団と山口光昭代表委員、竹村顧問など総勢9人で元気よく回る。 八百屋さん、魚屋さんなど商売で活気ある職場である。 私の地域の知り合いの魚屋さんも二人いた。 菅田さんは、高校時代ラクビー選手で県大会準々決勝まで行ったとかで、なかなか走りっぷりも堂に入ったもの。 若さ・行動力を地で行っている。 頼もしい市長候補だ。 遠くから「がんばれー、応援するぞー」の威勢いい声援も聞こえてきた。 約1時間でほぼ構内を一巡。後団地内にある食堂にて朝食である。 ここでのマグロの中落ち定食は、定番となっている。ちなみに600円。 さすが、魚市場だけあって活きのよい食材。 精?をつけて、今日も元気にがんばる決意。
2005年10月12日
雨模様の午後の3時間、「若さ」「さわやか」「行動力」の新鮮な市長候補「菅田としお」さんと地域を街頭宣伝でひと回りする。 駒沢団地では、演説を始めると、次々と外に出てきて聞いてくれた。 総選挙でも、この場所でやったが同じくらいの参加者であった。 市長選挙に対する関心の強いことを実感。 菅田さんも、山口代表委員もびっくり。「いやー、励まされるなー」 上野が丘地域でも同様のことが。
2005年10月10日
ひまわり保育園の補助金削らないでと保健福祉部長と交渉した。 長野市は予算枠の引き締めで、補助金の見直しを進めようとしている。 その結果、H18年度からひまわり保育園の補助金がカットされるという心配が出てきた。 そこで、職員と保護者で保健福祉部長と話し合いをした。 ひまわり保育園は産休明け保育、障害児保育、延長保育、一時預かり保育、など保護者の就労時間、日数に合わせた特定保育など、保護者の多種多様な保育ニーズに応えてきた。ところが近所に幼・保一元化を目指す保育園が出来るので補助金を打ち切るという申し入れがあった。 しかし、保護者の就労時間や日数に合わせた特定保育、特に、個々の保護者のニーズに合わせた、きめ細やかな保育は不可能であること。また、幼稚園、小学校の長期休みの保育、放課後の保育も要望があり、引き続きこれらの要望に応えられる保育を行っていきたい。 しかし、補助金が打ち切られると運営は困難となります。 継続できるように補助金を打ち切らないでほしい。との要請であった。 これに対して、部長は「ひまわり保育園は、公立や私立の隙間を埋める仕事をしてきた。だから補助金を出してきた。 ところが、市は行政評価により補助金を廃止するとの方針を出した。 各部の予算の枠組みがあり、検討してきた。 特に、保育園や幼稚園が重複しているところは、調整したい。 ひまわり保育園は、A学園と重なるので、A学園と話し合いをしてほしい。 行政としては税金を効率よく使いたい。そのために、行政評価をしてきた。必要性が薄くなってきたものについては補助制度をなくしていきたい。このように応えた。とんでもないこと。 私も、いささか怒り心頭になり、 『・・・長野市は少子化が進み、現在38万人の人口は2016年度には36万人と試算している。 合併で増えた人口ではあるが、今後、急速に減少の一途をたどる。 今こそ、少子化に歯止めをかける必要がある。 ひまわり保育園は、部長が評価しているように「公立・私立に保育の隙間を埋めて役割を果たしてきたし、これからも、要求はある。多くの父母のニーズに応えることが重要だ。多種多様なニーズに応えることの出来る、つまり、融通を利かした保育の出来る保育園が必要ではないか。 わずかに、370万円だ。子育て支援の重要な部分を担っている、保育予算を行政評価を理由に手をつけることはないではないか・・・。』と厳しく指摘した。 いよいよ、予算の編成時期に入るが、部として予算付けすべきと強く要求した。 部長は「皆さんの要望を聞いたので、これから検討したい」と応えたが。 約2時間にわたる話し合いとなったが、これからががんばりどき。 職員・保護者が一体となって、引き続き、粘り強く予算付けするまでがんばりたい。菅田市長候補いよいよ本番。 市長候補「菅田としお」さんの出身母体、労働者の励ます会は120人が集い意気盛んな励ます会となった。・・・ これまでにない立派な事務所を確保したが、この事務所開きで報告された。 菅田候補のさわやかな、全身を映し出した写真の掲載してある「みんなの会」のチラシが完成。 論戦の決定打だ。 また、闘いの拠点の事務所とあわせて準備万端整った。
2005年10月07日
生活相談を受けてから約2ヶ月。 仕事なく、家賃滞納で家を追い出されて1ヶ月。 公園のベンチや地下駐車場で暮らすことを余儀なくされた。 保護申請にいくも福祉事務所から仕事を探せ、と厳しくいわれたにもかかわらず無視してきた。 ついに、無一文になり、切羽詰まって本気になって職を探すことに。 必死の努力がかない、仕事につくことができた。 努力のかいあり、誠意が認められ生活保護を受けることが出来た。 昨夜は、家を借りることができて久しぶりの、人並みな一夜をすごした。 しかし、布団など何もない。 そこで、使い古しの布団や茶碗など用意して持っていく。 玄関や家の中をきれいに掃除していた。 早く、落ち着き、仕事探しでさらにがんばってほしいもの。
2005年10月06日
10月1日から介護保険法が改悪された。 そこで、特養の施設を訪問し実情を聞こうと、党市議団6人で施設を視察した。 施設長さんが応対してくれた。 続きは後で
2005年10月05日
昨日の記者会見で、出馬表明をした菅田市長候補は今日、東部女性後援会役員会で元気に挨拶。 ある喫茶店で食事会をし、総選挙の反省会を開いていたが、出馬表明以降最初の出番となった。 参加者から、「かっこいい」「柔和」「さわやか」「若々しい」「新鮮」などなど、本音の言葉が寄せられた。 候補も恐縮の至りであった。 相手候補は65歳。 こちらの菅田候補は、53歳、若さと行動力では抜群。 県下一の福祉の街づくりで大奮闘する決意を表明した。 頼もしい、「みんなの会」うってつけの最善、最良の候補。高原ホテルをリストラの男性 生活保護申請なる 本日、職探しと仕事の努力を福祉事務所に認められ、不動産屋さんのご好意もありようやく生活保護の申請にこぎつける。 家もなく、地下駐車場にダンボールを布団代わりの日々をすごした。 今日、「もう少しで畳の上で暮らせるかな。大丈夫かな」疑心暗鬼の不動産屋での会話だ。 病院に飛び込み、点滴をしてもらったが、ドクターに点滴はだめだ、ご飯などたんぱく質をとって体を作らないといけない。といわれても金がなく、やむを得ず少しのパンのみ。 先を案じながらの今日である。 ほっとしたに違いない。 明日ようやく、部屋の鍵をもらい1ヵ月半ぶりに屋根つきの住宅で休める。 広い部屋で車との雑魚寝生活に別れを告げられる。 自活できるようにがんばってほしい。
2005年10月04日
みんなの会は3日午後、団体代表者会議を開き、23日告示・30日投票の長野市長選挙の候補者に、すがた敏夫さん(53才)「みんなの会」代表、長野県労連副議長を決定。記者会見で発表しました。「みんなの会」代表の市長予定候補に「菅田敏夫」さんが出馬を決意し記者会見。会見あいさつ 私が市長選挙に立候補を決意した理由は2つあります。 1つは、この間、みんなの会のシンポジウムなどで鷲沢市政4年間をさまざまに検証してきましたが、このなかで、今の市政が市民に大変冷たい市政であることが明らかになってきました。民営化路線が本当に市民のためになるのか、このことを大本から問いたいと思います。 2つ目は、総選挙の後、小泉内閣が増税と憲法改悪を言い出したことに市民の危機感が強まっています。改憲と増税、2つの悪政大型ハリケーンが市民を直撃しようとしています。この防波堤になって市民の命と暮らし、平和を守りたいと決意しています。 チャレンジャーの決意で、全力を尽くします。 「みんなの会」市長予定候補 菅田敏夫さん 53歳すがた敏夫さんとともに市政を変える市民の集い 10月14日(金)午後7時開会 バスターミナル会館ご参加を呼びかけます。
2005年10月03日
猫の手も借りたい秋の取入れで忙しい10月のひと時、地元の「文化芸術祭」が開かれた。 展示部門と舞台部門の発表である。 来賓として挨拶をすることになった。 「・・・29回目の歴史と伝統ある若槻文化芸術祭が、若槻小学校合唱クラブの児童はじめ老若男女多くのサークルやグループが参加して、日ごろの練習の発表と交流を深めてほしい。若槻はうずもれた古い文化を掘り起こし、新町甚句としてCDを作り、若槻音頭や三登山太鼓など創作し区民が伝承し広めている。すばらしいこと。これらの文化活動を発展させ、地域の街づくりに大いに生かしていただきたい・・・。」と話した。 小学生から80歳を越える高齢者までそろって、ハーモニカ、合唱、大正琴、舞踊など腕前に多少の差はあるが、玄人肌の出し物もあった。 地元の皆さんの芸術文化に触れ、癒されたひと時をすごさせてもらった。
2005年10月02日
総選挙のお礼で訪問している。70歳の半ばを超えるかというおばあさんの家に行った。 選挙中に電話で共産党へのお願いしたようだが、この人、私が納得すれば応援するよと、5つの疑問を出されたという。 全部答えるには時間がかかるので、郵政民営化について丁寧に話したら納得してくれ投票すると言ったそうだ。 今日、訪ねると「共産党に投票しましたよ。しかし、入れた価値があったのか疑問です。当選できないんだもの」といった。 小泉首相の選挙戦術で「郵政改革」というの流れが強烈だった。 今は、増税を言い、憲法改悪をいい、選挙中公約しないことを平気でやろうとしている。自民党に入れた人は「待てよ自分の投票行動がこれでよかったのか、不安になってきた」という人が大勢いる。 また、得票郵政賛成の得票は49%で、反対は51%有権者の思いは郵政反対であった。 さらに、小選挙区制という選挙制度によって、自・公は49%の得票で70%を越える議席を得てしまった。 共産党の492万票の得票は、政権争いの風が強かった中で、議席に結びつかなくても、まともな政党、国民の願いを受け止めてがんばる確かな野党への期待をこめた貴重なもの。 などと話し、改めて、誰が郵政民営化を要求しているのか、説明をしたら、「どうして、そういうことが知らされないのかね。」というので、「そうです。 この新聞が少なすぎるのです。」というと、「そののとおりですね。わかりました。と「赤旗」しんぶんの購読を約束してくれた。 午後は、中野さんとコロニー祭に参加。
2005年10月01日
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