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市政シンポジュウムウを開いた。党市議団を代表しての私の発言の要旨を紹介します。『・・・ 市民の暮らしについて長野市の資料で、かいつまんで報告します。 平成16年度の「まちづくりアンケート」があります。毎年26行政区、20歳以上、5000人を無作為抽出行っているものです。 この結果を、「住みよい長野市をつくるため、特に力を入れてほしい施策」として、一番は「高齢者福祉サービスの充実」で平成5年度から11年間続けてトップとなっています。 次が、「中心市街地の活性化」で、3番目が、「子育て支援と子どもが夢をもてる社会」で、これも常に2から3番となっています。 お年寄りや子育てなど弱者に対する施策の要望の強いことを痛感します。それでは、実際の市民の暮らしぶりはどうなっているのかであります。私ども市議団も数え切れないほど議会や委員会で取り上げてきましたが、「まちづくりアンケート」を裏付けるようなことが、いくつか、長野市の関係部局の資料でも明らかとなっています。老人福祉施設のうち、特別養護老人ホーム入所待ち問題です。介護保険認定者は平成12年度から平成17年度末の6年間で倍化し、1万3千450人になり、特養入所対象者も増え続け、実質5年間で3倍近くの1228人が入所したくても入所できないでいます。このうち、3割の人が緊急に入所を必要とする人たちです。ある施設長は、「半永久的に入所できないのが実態。調査に来てほしい」と訴えるほどです。これ以上の放置は許されません。ところが、今度、このような利用者はもっと増え続けることが予想できますので、国は、利用抑制のため、ホテルコストとして宿泊料、食事代を徴収するようにします。すでに、小布施荘では、施設の立替でユニット方式を取り入れましたので、介護保険法の施行前なのに、食事自己負担額780円と居住費(ホテルコスト)1500円を取っています。 両方で1日、2280円、1ヶ月68400円利用者が支払っているのです。施設側は入所者と家族に、「こうなりますがどうしますか。」と聞いたそうですが、一人以外、やむなしとして無理矢理、自己負担額を強いられているのです。 私どもは、特養施設建設やグループホームなどへの大幅な支援策など、お年寄りや家族への思いやりがあってもいい。 これは、市長の裁量・姿勢でできるはずだと提案もしてきました。次に、国民健康保険制度のうち国保の滞納者が増え続けているという問題であります。 国保加入世帯6万9千世帯、加入者は12万9千人で、市民の3割を超える人たちの命と健康にかかわる重要な役割を担っている制度です。 ところが、いま、全国で不況やリストラなど社会経済環境の悪化で、収入が落ち込み保険料を払えたくても払えない加入世帯が急増しています。 長野市の滞納世帯数は、ここ3年来、毎年1000世帯ほど増え続けてきました平成16年度では12125世帯、(加入世帯の約2割)。滞納額は医療と介護分、合わせると24億8千万円で国保歳入総額の約1割に達します。次に、生活保護についてであります。 深刻な生活実態は、保護申請の急増に現れています。申請相談は連日となっているのです。次に、学校にかかわる問題のうち、就学援助を受けている児童・生徒や不登校児童・生徒が増えています。不登校児童・生徒は小学校で92人、中学校で370人ですが、小学校の4年生から6年生と、中学の3年生は急増となっています。教師や父母が歓迎と期待をしている、30人規模学級を中学校など、すべての学年まで拡大し、友人関係、学業不振、親子関係など悩みを抱えている、すべての児童・生徒に行き届いた、指導と援助が必要であることを教えているように思います。30人学級を6年生まで支援するとしている、県政も県民の期待にこたえて踏み出し、国も30人学級は必要と評価をしているのに、金がないからといって抵抗したのは、前の松本市長と鷲沢市長でした。次に農業問題です。長野市の遊休農地は増え続けています。 耕作面積は6100ヘクタール、遊休農地・耕作放棄地は1280ヘクタールで、耕作放棄率は17,4%です。全国は5,1%、長野県は平均で10,9%です。放棄率全国の約3倍、長野県の1、7倍。長野市の耕作放棄地はあまりにも異常です。それなのに、現状の優良農地をさらにつぶして、超大型店出店は問題ありと指摘されるのも当然です。出店するかしないかの最終判断は市長となっていますが、「38万市民の暮らし優先」で商業環境上は飽和状態、これ以上の農地はつぶさないという立場から、きっぱりと大型店出店は拒否すべきと思います。そして、市長は、農作物への価格保障制度など、農家が元気のでる施策は緊急焦眉の課題ですから、速やかに取り組むことが求められています。鷲沢市長のこれまでの政治姿勢はどうでしょうか。自らの政治姿勢「民間感覚の導入が使命」を旗印に、関係職員や父母、教師などの「学校給食も教育の一環」であり、「儲けを対象とする民間への委託は、食の安全性からも問題あり」と反対の声があるにもかかわらず、関係者の十分な合意も納得もないままに、第二学校給食センターの調理部門を民間委託してしまいました。 市長はさらに、公的責任を果たさなければいけない保育園の民営化を提案してきました。三輪、川田、下氷鉋の3つの保育園を保護者や関係地域住民の説明も不十分なまま、民営化するというものです。よい保育をしていると知り、選んだ公立保育園を市の都合で勝手に民間に譲り渡してほしくない、保護者や地域住民との話し合いを重ねても、3園とも納得せず、今でも民営化に反対を貫いています。それでもなお、市は関係者と「話し合い」を通して、民営化するとしています。誠心誠意、父母の声に耳傾けることなく、市長自らの姿勢を通そうとするのではパブリックコメント、市民の声をと、言っているのは偽りということになってしまいます。公立保育園は利益の対象とはせず、市の保育士や父母のみなさんの願いに答えて民営化方針は撤回すべきであります。次に、多額な予算の伴う市街地再開発であります。ご承知のとおり田中県政の元で県民不在のダムなど無駄な公共事業優先県政から、県民参加による県民主人公の福祉、環境、30人学級など教育優先の県政へと改革がすすんでいます。しかし、長野市はどうでしょうか。全国トップクラスの区画整理事業、特に、多額な公共投資を伴う市街地再開発は、そごう跡地の銀座A-1は、すでに建設が始まっていますが、総事業費 88億円で、うち,国、県、市とあわせて、税金だけで30億円35%の公共投資事業です。市は生涯学習センター取得を理由にしていますが、もんぜんプラザ四階以上は開いており新たな施設は要らないのではないでしょうか。よって、A-1 地域の開発はSBCという民間会社に任せるべきでありました。さらに、この南側、旧そごう駐車場跡地にも、銀座D-1市街地再開発事業が始まることになっています。総事業費24億円、国が4億2千万円、県が1億2千万円、市は一般財源で3億円、公共投資は締めて8億4千万円で35%です。駐車場確保など理由としていますが、厳しい財政状況で財政構造改革懇話会立ち上げて、財政の見直しをしようとしているとき、民間企業のために、多額な税金を投入する事業は中止すべきと考えます。 民間企業と共同で公共事業に税金を投資しておきながら、財政が厳しいからと、財政構造改革懇話会を作り、住民サービスの切捨てを狙っています。 理由は「国の三位一体による地方交付税の削減や税収の落ち込みでは、安定した行財政運営が出来ない。自主財源を確保したい。」からを口実にしています。 私も、第5回目の懇話会の傍聴に行きました。 市長が選んだ委員は、「市の駐車場の夜間有料」を求めたり、市税などの未収金57億円ほどあり解決が必要ですが、同和関係の住宅貸付資金未収額8千万円、67%もあるのに指摘もしないで、母子寡婦福祉資金貸し付け金3100万円、50%の未収金に対して取立てを指摘しました。 ムダ使いの一方で、それらを正さないでサービスの切捨ては許されるものではありません。見過ごすことのできないのは、懇話会の資料によれば議論の中身を事務局がリードしていることです。 公共事業の点検・見直しもせず、今後の議論の成り行きがどうなるか、市民負担につながる使用料や利用料などの引き上げが心配です。公共料金は3年ごとの見直しといわれていますが、いよいよ、市民の厳しいチェックが必要となっています。次に、長野市の職員の給与と職員数です。長野市の予算に占める人件費の比率は、中核市35市のうち、16,3%で低いほうから5番目。 職員の給与水準は低いほうから8番目。市民1000人あたりの職員数は7,1人で下から5番目、低い給与と少ない職員数で、全国的にも面積の広い地域を、市民サービスのためにがんばっていることがよくわかります。 結果、心身ともに、健康を害している職員も増えていることも聞いております。 次に、同和問題で報告したいと思います すでに、国は2年前、平成15年度で同和対策は打ち切りました。 長野県も、集団による、糾弾まがいの部落解放同盟など運動団体の激しい圧力にも屈せず、団体補助金はじめ、きっぱりとやめました。 長野市は、「審議会」答申を尊重するなどを理由で、漸次減らしていくとしか書かれていません。 また、団体補助金ですが、いま、解放同盟、推進の会、同和会の3つの団体で1千750万円となっています。ちなみに、解放同盟長野市協議会は、昭和47年から34年間で、総合計7億1千5百万円の団体補助金をもらっていました。解放同盟長野市協議会平成16年度の決算書がありますが、これによると、会員からの会費は83万4千円、市からの補助金は1120万円ですから、会費は1割にも満たない団体運営をしていたことになります。 1年ほど前、社会福祉協議会が職員を雇い給与をもらいながら、解放同盟長野市協議会の専従書記長としての任についていたことがわかりました。さらに、この職員は、どこの職員名簿にも記載されていなかったことがわかり、議会で大問題となり鷲沢市長は「私の不行き届き」として議会で謝罪しましたが、さらに勇気を持ってキッパリと止めるべきであります。引き続き、人権同和対策事業、人権同和教育は、すべて終了させるために、議会内外で奮闘する決意です。最後に、鷲沢市長の靖国問題と憲法9条について、その、政治姿勢についてであります。 国民的に関心高い、小泉首相の靖国神社参拝、憲法9条について6月の議会で質しました。 「靖国神社は、『あの戦争は正しかった』とする運動体であり、首相の靖国参拝はやめるべきであるが市長はどう考えるか」と見解を求めました。 市長は靖国神社について「そのようには認識しておりません。」とこたえ、参拝については「追悼は必要」といい、「近隣諸国との関係を十分に配慮すべき」と答えただけでした。 また、憲法9条については、「自衛隊の役割を踏まえた上で、憲法の規定は見直す必要はある」と、3月議会に続いて、一番重要な憲法9条2項を変えることに固執しました。 いま、思想・信条を越え、長野市のいたるところで「憲法9条を守る地域の共同の会」が大きく広がっていますが、この市民の「9条守れ」の平和への願いと、草の根の運動の広がりに、真っ向反する態度を示しました。以上、鷲沢市長の4年間を検証する、一端をのべて、報告とさせていただきます。。。。』
2005年07月31日
半年前、お隣さんの主人が玄関先で倒れ、たまたま偶然にも、宅配便の女性運転手さんが届け物があり、このお宅に行きドアを開けた。 そこに、主(あるじ)が倒れていたのである。 宅配便の女性は、度肝を抜いたと思う。あわてて我が家に飛び込んできた。 妻とすっ飛んでいくと、玄関で倒れたままでじっとしていた。 すぐに、救急車を呼んだ。 S病院に運び込まれた。 もちろん、一命は取りとめリハビリを始めるほどに回復してきた。 ところが、急変して先日なくなってしまった。 この人が倒れたことからご近所では、いつ、どこで、誰がどのような形で倒れるかわからないのでご近所お互いに助け合おうとなった。 たまたま、中央病院に関わる医療生協があり、健康管理を始め、お互いが仲良くご近所づきあいをしながら、助け合おうと意気投合。 20数軒のお隣さんが、交流する機会をつくることになった。 温泉など行楽地を訪ねたりして交流が始まった。 この地域に、次々と要望に応じた班がつくられつつある。
2005年07月28日
二十年前の今日、7月26日午後5時過ぎ、大規模な地すべりで特別養護老人ホーム「松寿荘」のお年寄り26人が、土砂に押しつぶされて亡くなった。 「助けてくれ」助けてくれ」といいつつ、土砂に引きずりこまれていったた人。人の形さえなかったお年よりもいたという。●忘れられない日。 二十年前のこの日私も、故宮沢忍夫市議とともに発行していた新聞「東北部新聞」の取材でこの「松寿荘」までバイクできていた。 施設の裏山の木々は地すべりの影響か、ゆさゆさと動いていた。 怖くなって、バイクで湯谷団地方面へ移動した。 ここも、バリバリと不気味な音を立てて家や庭の立ち木が動いている。 電線が大きく揺れ、電柱が倒れ掛かっている。 舗装された道路は、地下から押し上げられるような感じで浮き上がってくる。 ここでも、危険を感じて下におりたが、まだ、警戒のためのパトロールはなかった。 ●慰霊祭の遺族の謝辞で遺族会岡村会長は次のような挨拶をした。『今日はびっくりしたり、感激したりの日であった。 この二十年間、市や県からは公式には謝罪はなかった。 初めての謝罪に感激している。当時は、知事、市長、議員からは、血迷ったひどいいじめにあった。 この災害は天災だ。不可抗力であった、といわれた。犠牲者は長い時間をかけて、苦しみぬいて死んでいった。 午後5時35分が最初の地すべりで、「助けてくれー」という声とともに26人は、1時か30分もかけて死んでいったのである。 押しつぶされて、むごい死体であった。 これでも天災だといった。 「自分たちが世話もしないでなんだ」といわれた。 とんでもない。 遺族たちは市に言いに行った。 26人はなぜ死んだのか。 なぜ助け出されなっかたのか。 二度とこんなことのないように、原因をはっきりさせてほしい。 長野市はつい先ごろまで、最善を尽くしてきたといっていたが、本日はじめて公式に謝罪があった。 ●しかし、釈然としない。 7月12日通行止めになった。 危険は百も承知していたはず。危険で市に要望してきた。 その後さらに小崩落もあったのに松寿荘はどんな対応をしてきたのか。 湯谷団地の対応とは違う。 湯谷団地は自警団を結成し見回りをしてきた。 何もしてこないので、市と県、さらに市へ要望もしてきた。 しかし、市は「たぶん大丈夫」といっていた。 そこで、湯谷団地自警団は市と県を呼んで現状の説明を受けた。 そして、3通りの避難方法を決めた。 にもかかわらず、松寿荘に避難指示が出なかった。 なぜか、それは、危険に対する考え方があまかったのである。ここから、 何を学ぶことが大切か。 市はなにもしていなかった。 湯谷団地と松寿荘との違いは歴然としている。 ●裁判所の判断 裏山に異常があれば、下方に影響を及ぼすのは当然。 この危険を除くのも当然。 危険を取り除くことが出来なかった、しなかった県や市の責任は大きい。 また、県の昭和56年の報告では、4年前に崩壊土砂があれば、下方に影響する。 水抜きしなかったのはなぜか。 ●疑問が残る。 齢はしたが、今後これらの究明をしていきたい。 今日は、ありがとうございました。』と厳しい遺族の謝辞があった。 慰霊祭は今回が最後であり、来期からは、この災害の教訓を生かして二度とこのような痛ましい犠牲者の出ない対策が求められている。 行政の防災に対する対策は、われわれ議員のこれまで以上のチェックも必要となる。 住民の命や暮らしを守る立場から、いっそうの思い責任が課せられた。 地方自治の心をさらにいかさなければと痛感している。
2005年07月26日
22日から3日間の自治体学校に市議団全員と事務局員が参加してきた。 詳しくは後で。
2005年07月24日
1976年のこと。 長野市にあった「平和石綿」で塵肺裁判が闘われ、会社の責任が問われ被害者の労働者が勝利した。 中央法律事務所の冨森弁護士などが、人の命、従業員の命を顧みずアスベストをろくな防塵もしないで平気で扱い、多くの労働者が呼吸困難に陥り域も絶え絶えで死んでいった事実を鋭く突いて会社の責任を明らかにした。「人間裁判」だった。 同時に、このような人の命にかかわる危険な石綿(アスベスト)原料に問題のあることをこの裁判でも指摘され、国の指導・監督責任のあることも指摘していたのに当時の裁判所は、国の責任を反故にしてしまった。 妻が、かつて職場の友人であった親族の奥さんがこの7月のはじめにアスベストによる中皮腫でなくなった。先日この友人から電話が来た。 その夫は牟礼にあるアスベストを扱う「ニチアス」という会社に勤務していた。作業着の洗濯の際に吸い込んだのか。定かではないが、その影響は十分に考えられる。 徹底した究明が求められている。
2005年07月20日
議員になるまでほぼ30年間、同じ屋根の下で汗して仕事や活動をともにした仲間と交流をした。 出席している面々は、いずれも職場の仲間から絶大な信頼のある共産党員活動家。 専従書記長から委員長職を長くやったSさん、同じく、書記長や委員長を長期間その任に当たったKさん、いずれも当時は、社会党系の活動家もいて役員選挙といえば、1票、2票を争う、勝ったり負けたりの胃の痛くなるような闘いもしてきた。 会社からも、厳しい目で見られることもしばしばであったが、職場に根を張り、「組合員の要求実現、政党支持の自由、組合員こそ主人公」の旗を掲げ粘り強い活動を進めてきた。 時には、職場に赤旗しんぶんは労働者の4割から5割近くもあった。 共産党の後援会決起集会といえば、100人を超える時もあるほど。 その伝統は、今も受け継ぎ、出席している若い仲間には、現職委員長や副委員長もいる。 不況の影響などで、会社の売る上げも厳しく、賃上げや一時金の闘いは苦労の連続と聞く。 組合役員を若手に引き継ぎ、力量を買われ、会社からの要請もあり、課長職などについているものもいる。 20年前とは様相が一変している。 共産党員が課長になり係長になり、職場でリーダーシップとなりがんばっていることはすごいことである。 東京都議選での日本共産党の善戦健闘のこと、靖国問題など日本共産党がマスコミをリードしていることなども話され、引き続き、元気で大きな共産党を職場に築こうと思いをひとつにした。 私の5回に渡る市議選挙では、選対本部長はじめ、運転手、線引きなど選挙の中心で協力してくれた仲間である。
2005年07月18日
10人の呼びかけ人のうち、弁護士、大学教授、元先生、老人会会長、農業者、主婦など7人が参加し、「憲法九条を守る浅川の会」を結成した。 今後、地域過半数署名3000人目指し、学習会などに取り組むことを決めた。「憲法九条を守る浅川の会」への参加の呼びかけ 日本国憲法は、悲惨な戦争への反省から平和と民主主義の願いをこめて生み出されました。なかでも、戦争の放棄を定めた「憲法九条」はかけがえのない全人類の宝です。 米国のイラク戦争をきっかけに、憲法九条に焦点を定めた改憲の動きが急ピッチで進められています。その意図は日本をアメリカに従って「戦争をする国」にかえるところにあります。 大江健三郎氏や加藤周一氏らがよびかけた『九条の会』のアピールに賛同する声が日本中で人々の心に広くひろがっています。長野県でも、井出孫六氏、窪島誠一郎氏、今井良夫氏など、十六人のよびかけではじまった『憲法九条を守る県民過半数署名をすすめる会』の活動が県下に広がり始めています。 これらの活動がもっと広く地域に根ざした、草の根の運動として進められなければならないと考えます。憲法九条を守り、二度と戦争をしないことが、今に生きる私たちの務めだと思うからです。 思想、信条、立場の違いを乗り越えて、「憲法九条を守る」という、この一点で力をあわせ、「二度と戦争をする国にしない」の声が大きく広がることを願っています。 この運動へのご参加を心から呼びかけます。二〇〇五年七月 呼びかけ人 伊勢國三 (前老人会長) 大門嗣二 (弁護士)木下一代 (主婦) 小宮山寛喜(住職) 正村八重子(牧師) 巣山靖之 (元教師)野口清人 (教育と自治研究者) 原田久男 (農業)堀井謙一 (大学教授) 間宮淳子 (眼科医)
2005年07月17日
今日から、民放でしんぶん「赤旗」のCM放送が始まった。 元気百倍。「くらしを守る立場で書いている新聞。郵政民営化、増税、憲法など、どれを取っても心配なことばかり。国民の方に顔向けて書いている新聞は赤旗です。」と中身を示して丁寧に進めて歩く。「私、昔の友達から聖教新聞とっているんです。難しくて読んでいないけど。それでも、高い新聞だから「シャク」なので読んでみるが面白くない。赤旗しんぶんは確かにためになります。読ませてもらいましょう」と購読してもらう。 二人の主婦。たまたま、お父さんがいないので後で電話しますということになったが、電話が入った。「いいですよ」と。 憲法署名は5人。 「憲法九条を守る稲田・徳間連絡会」のGさんから携帯電話に連絡が入った。 「憲法九条の署名は、地域で2000筆を超えたよ。3分の2まで行った。 残り1000筆まで来た。がんばるよ」という。 浅川地域でも、この17日(日)午後2時から、浅川「九条の会」を立ち上げることになっている。
2005年07月15日
7月9日の「蛍を観る会」(大雨で残念)過ぎると、災害復旧工事が始まることになっており、ブルトーザーがエンジン音をうならせて川に入り込んだ。 夜、蛍観察に出かけたが、工事のせいか、寒いせいか今日の蛍はわずかに3匹しか舞っていなかった。 しかも、ブルトーザーがおかれている、これまで一番蛍の飛び交う川沿いには、ほとんど舞っていない。 下流に移動したようだ。 そろそろ飛ぶことをやめる時期に来ている。 どこで産卵するのかが、最大の関心事だ。 産卵場所にブルが踏み込めば、来年はその生命を永らえることは出来ない。 工事のやらない下流へ移動することを願わざるを得ない。 昨年ゼロが、今年は最大20数匹もいたのだから、たとえ工事が行われても、生き抜いて来年も子どもたちに蛍を観てもらいたい。 現存している貴重な自然環境はしっかり残しておきたい。
2005年07月13日
信州大学工学部敷地内に建設された『長野ものづくり支援センターUFOnagano』 を現地視察。 ここは長野市の産業振興政策の一環として、企業の創業や研究のために、信州大学工学部の頭脳(知識・技術)や研究を生かし長野市の産業の発展に貢献するというもので、このビルの管理運営は、信州大学が立ち上げた『信州TLO』という会社が担当する。 2年前の平成15年に建設、総工費が8億4千万円、うち、国が3億5千万円、市が起債を含めて4億9千万円の公費投入である。 有料で企業に貸し出すブースは6室中すでに4箇所が活用され、信州大学との共同研究が行われている。はじまってまだ3ヶ月なので、成果はあがっていないが、24時間いつでも実験・研究できる仕組みで、研究者にとっては使いやすい施設だと関係者は評価していた。 『インキュベーション・卵から孵化させる』・・・物を作り出すところ、だという。 企業から製品ニーズなどを提案し、この施設を利用し直近にいる大学の研究者と共同研究で、新製品を作り出し、長野市に企業起こしや発展につなげるもの。 この会社「信州TLO」には、「物を作り出す・インキュベーションマネージャー」が配置されていて、製品や企業起こしなどへのアドバイスをしてくれる。 工業は南高、北低・・・南信より北信のほうが遅れているものを追いつき、追い越すことを目指したい。長野市は期待しているようだ。? 「TLO」として行政への要望はと聞くと、「制度を知らないので、知ってもらう手段をとってほしい。施設を活用するために、200万円ほどの支援制度もあるので利用するなど、施設利用について市民に情報を広く提供すること」が必要であるとコメントしていた。
2005年07月12日
措置制度から障害者支援費制度に変わり、何年も経たないうちに、国の都合で障害者自立支援法に変わるという、めまぐるしい対応にはついていけない。 すでに今、国会で審議している「障害者自立支援法」は、介護保険と統合しよう、との思いもあってか障害者にとっては、「新法」は死活問題の制度である。 保険料を収め、利用料10%を払うというもので、所得がなければ、必要な利用がうけられない。 障害者の自立を求めるもので、働けるものは働き税金を納めてもらう。 それは結構だが、障害者を受け入れてくれる職場、つまり働ける企業はあるのか。環境もなく法律だけ先走ってほしくない。 全国ですでに、6600人、1万1千人の2回に及ぶ集会を開いて、障害者自立支援法の全面的な改善のための集会が開かれた。 続きは後で。
2005年07月11日
夕方8時蛍を観に行く。 昨夜の大雨で「蛍を観る会」は、お寂しい結果だった。 心配なので、8時過ぎに川に行ってみる。 つがいかどうかはわからないが、仲良く舞い遊んでいる姿がほほえましい。 ラブコールかも、と勝手に想って見ていた。 仲間に電話で呼び寄せた。 赤ちゃん抱っこの若い夫婦がやってきて、飛んでいる蛍の方向に顔を向け、「ほたるだよ」と教えていた。 「キャキャ」と喜んでいる。 「わかるんですか」と聞くと、「そのようですね。」と・・・。 孫の手を引いてこられた方も「いるいる」と、感嘆している。 暗闇でしかも面識ない人だが、「19年前から守ってきたんですよ」といったら、「そうらしいですね。原田さんという人が努力しているようですね」といってくれた。 隣に本人「原田さん」が聞いているとは知ってか知らずか。真っ暗闇でうれしくなった。 にわか仕込みの「蛍の知識」を披露した。 ・・・すごいですね。生物の研究をしているようですね・・・だいぶオーバーな話。 10数匹の蛍が、人の気配を感じてか、周りによってくる蛍もいるし、なぜか、ショーのように舞い上がっている蛍もいる。 いよいよ河川の工事が始まるが、来年も蛍が棲息してくれればと祈るばかりである。 昼間は、障害者自立支援法の学習会に参加。
2005年07月10日
交通事故で夫を亡くしたNさん、呼びかけにこたえてくれ、夫の遺志を継いで、日本共産党の仲間入りした。 共産党の頑張りが求めれれていることを承知しており、仲間が病気で赤旗しんぶんの配達も出来ないことから、引き受けてくれた。 明るく、元気のいい、しかも、気持ちの優しい人である。 演劇「小林多喜二・・・早春の賦・・・」を観ることを楽しみにしていた。 それは昨日のこと。 今日は、「私、赤旗しんぶん配るんだよ。あんたも読んでね。」と新聞を勧めて購読してもらった。 「のぶちゃん」のチョット一言。 待ちに待った、伝統の19回目の「蛍を観る会」は、あいにくの大雨となった。 午前中は、「今晩、7時から日本共産党若槻北部後援会と原田のぶゆき事務所共催の『蛍を観る会』を開催します。」と、2回目の宣伝カーによる呼び込みを行った。 晴れることを期待したが、『残念』19回目にして初めて雨に見舞われた。 雨で気温も22~3度と下がり気味で、蛍が舞うには少し寒すぎる感じだ。 参加者も承知の上か、7時集合・開始があまり人が来ない。いつやむともなく降りしきる雨がうらやましい。 夜7時が過ぎたので、『会』の役員が現地へ行く。 明るすぎてとても蛍の飛び交う条件ではない。 雨が激しく降ってきた。 それでも、我慢してじっと待っていた。 私のにわか仕立ての蛍に関する知識を、役員に次のように披露した。 1、蛍の起源は・・・今から2億年前といわれている。2、世界の蛍・・・・種類は2000種類3、日本では・・・・確かめられているのは46種類。大部分は沖縄。 このうち、光る蛍は14種類・・・ひからない蛍もいる。4、この地域では、源氏ボタルと平家ボタルが多い。5、源氏と平家ボタルは水中ですごす。世界で2000種類のうち、水中ですご す蛍は8種類いるがそのうち日本には3種類もいる。6、なぜ、源氏と平家か。どちらが大きいか。源氏が大きい。 7、源氏・平家の名前の由来は。350年前に俳句に○「かがり火も蛍も光る源 氏かな」○「夏の夜は蛍も照らす平家かな」作者不明。 これらの俳句からそれぞれの呼び方になった。といわれているそうです。8、蛍の卵。・・・どこへ生むのですか。・・・水際の石のコケのあるとこ ろか川にたれている木の幹などに生みつける。 ○1匹の源氏ボタルは500個前後・・・平家ボタルは100個前後 ○色はクリーム色・・・大きさは0,5ミリほどでボヤーンと光っていま す。人魂のように見えて気持ち悪いとか。?9、蛍の幼虫 ○7月の終わりごろ、蛍が舞わなくなってきた頃くらい水辺に産み付けます。 ○産み付けられてから20日くらい経つと色が変わり、30日くら いで真夜中に孵化を迎える。孵化すると幼虫になる。夕方、 水中から出てきてえさを食べ、明るくなると水中にもぐる。 ○幼虫は何回脱皮するのか。・・・5回から6回といわれていま す。それから冬を向かえやがて春から、夏への繰り返しと なる。 10、蛍の食べ物は・・・カワニナという貝。 ○源氏はカワニナのみ。平家はタニシやどじょうなどほかの貝 も。 ○幼虫は自分の体の大きさに合った貝を見つけて食べる。成虫 になるまでに20匹ほど食べる。 ○食べ方は・・・カワニナに噛み付き毒液を送り麻痺させる。 次に消化液を出してカワニナの体を溶かして、スープのよう にしすすりこむ。体外消化という。体内消化。(人間の胃)11、蛍の幼虫の上陸・・・5月ごろ。・・・水中から這い出し、石ころや土手に 上がり、舞い上がる様子を伺っています。12、蛍の時間・・・本当は日没から30分ごろから光る。 この辺では、8時から9時ごろがいちばんよく飛んでいる。 ○土京川の蛍は、・・・24日に2匹。27日に8匹、28日11匹、 29日18匹、次に20匹とだんだん増えてきました。13、蛍の方言・・・光方は○愛知、静岡、長野から西側は明滅が短く関西型。 で2秒から2,5秒くらい。せっかち形です。 ○東側は倍近い間隔で長い・・・4秒前後14、光の強さ・・・1匹の蛍の明るさは・・・約3ルックス 人が本を読む明るさは200ルックス、70~80匹いると読める15、蛍の寿命・・・一般的には1週間から10日間くらい。 なぜ短いか・・・飛び交い行動中の成虫は何も食べないか ら。長くは生きられない。15、蛍の産卵・・・石垣に群れて産卵するという。青白く光る大きな玉・・・魂 のようだといいます。16、川の工事について・・・蛍の棲息に十分に配慮して工事をすると約束してく れた。いずれも、「長野市蛍を守る会」会長の三石輝弥さんの書いたもの。ご本人と連絡を取りようやく手に入れた。これを、ほんの1時間ほど勉強し、パソコンにうち込んだ。 それにしても、観察会「蛍を観る会」は、「会」はじまって以来の大雨で大勢の人たちに見てもらうことができず、残念。 雨の中、1時間ほど待ち続けた。蛍がでない。じっと待つ。 甲斐があってか、ついに出てくれた。 わずかに全部で3匹。でも、神々しい感じだ。 雨中での観察でも、出てくれたので最高の気分。 川際を離れようとすると、蛍がついてくる。帰れない。しばらくお付き合いをしてきた。
2005年07月09日
議会行政視察予算、政務調査費、費用弁償、海外視察などこれまで問題になってきたことが再び浮上。 厳しい指摘をした。
2005年07月08日
米倉斉加年演出の演劇、小林多喜二・・・早春の賦を見た。・・・多喜二を考えることは過去に戻ることではない。私たちが今をいかに生きるかを考えることです。・・・米倉斉加年 あらすじ 小林多喜二は小樽の銀行に勤めるかたわら、創作活動に熱中していた。1928年2月、第1回普通選挙に立候補した山本縣蔵を応援。そのあと田中内閣は左翼勢力に大弾圧を加えた。多喜二はその不当な弾圧を小説に書き世論に訴えた。作品は「一九二八年三月一五日」は日本中に大きな反響を呼び起こした。上京後、一九三二年春、プロレタリア文化連盟は激しい弾圧を受け、逮捕を逃れた多喜二は地下活動を余儀なくされながら、次々に作品を発表する。多喜二の小説や評論を警察への挑戦受け取った特高は、捕らえたら殺すと予告していた。 戦争への道をひたすら歩む国策は、困窮の農民、労働者の怒りを湧き起こさせる。 多喜二は、天皇制権力の実態を暴き、特高の弾圧に屈せず戦争反対、くらし守る戦いにペンを振るう。 憲法9条の改悪、くらし脅かす今の政治は、あの時代への逆戻りか。 多喜二のまっすぐな生き方に改めて学んだ。
2005年07月07日
実家とお付き合いのあった、今は引退している、職人さんから電話があった。 嫁がせた娘のことで相談したいと。 急いでいるのか、続けて2回も電話がきた。 よほどの心配事かと、お宅へ駆けつけた。 70を少し超えている。二人とも心労なのか、元気なく玄関に出てきた。 「親戚もいっぱいいるが、こんなことやたらと相談できない。普段、付き合いはないが、議員さんしかいない。じっくり聞いてほしい。」とボツボツと話してくれた。 ・・・嫁がせた娘が、4回目の高利貸しに手を出し170万円ほどたまり、やたらと電話が来て、切羽詰り病気が悪化して入院している。 娘のしでかしたことなので、返すしかない。 借りたものだから当然・・・。 これまでに3回も同じことを繰り返してきたという。 一切清算が終わっていたと思っていたら、高利貸しから、「まだ残っていたからこうなった」という。 10年前から続いているんだと高利貸しの冷たさ。 その都度終わったと安心していると、全部返してなかったからと厳しい督促。 俺たちは1千万近いものを立て替えて返済してきたのに。 しかも、元気なときにわずかに蓄えた貯金と、月に6万円の年金があれば老後は何とかしのげると、今日まで細々と暮らして来たが、ここまでくればもう協力できない。 一緒に住んでいる、長女夫婦からもいくらつぎ込めばすむのかと、文句言われる。 自分たちが育てた娘だから、親に似たのか自業自得か。 死んでもらってもいいと思うときもある。 私は心労で倒れ、ようやく動けるようになったばかり。 助けてほしい。・・・ と、70のいいご夫婦が、老いが来たようにこぶしで涙を拭きながら話された。 病後のせいか、感情が高ぶってのせいか手がぶるぶると震えている。 借りたものはきれいに返すのが当たり前。人様に迷惑はかけられない。職人らしく義理人情を知り、自分が少々犠牲になっても借りたものは返すという、人のいいご夫婦である。 貸金業の法律も知らず、ひたすら娘が脅かされ、困っているのをしのびがたく誰にも相談せずに、ここまで来てしまった。 借りたことの証明書も返済した詳細な書類も、なく電話一本で言われるままに返済し、終わっていたと思ったら残っていた。いや、サラ金業者はあえて残しておいたのだ。 そして、金に困っている時期を見計らい、弱みに付け込み電話をかける。 「返済はいつでもいいから、貸してやるよ。」娘さんは懲りているにもかかわらず、手を出してしまう。 いくつもの病気を抱え、病院通いのまだ若い母親で妻でありながら、夫との仲も気まずく、食費はパートで働く妻の収入でまかなうという。 月々わずか足りないからと、サラ金に誘惑される。この隙間に付け込む怖いサラ金の誘いは許されない。 私の、これまで数あるサラ金の生活相談の事例などを話し、弁護士と相談すること。何よりも、まずは、サラ金に金は返さないこと。娘さんがどうしてこうなったのか。サラ金については、いつ、どこから、どのくらい借りているのか、通帳と証明書のすべてを聞き出すことが必要だと伝えた。 これまでは、娘のためにやたらと協力してきたが、人生をやり直す生活設計を立てるために、親として鬼になって娘と向き合いたい。と、泣きながら自らに言い聞かせていた。 帰り際、「誰にも相談できない。面倒見てほしい。今日は生まれてはじめて(大人となって)ないちゃったが、気持ちが楽になったような気がする。ありがとう」 といっていた。 サラ金の被害で追い詰められ、自殺者が後を絶たない。弱みに付け込み大もうけする、人の尊い涙を踏みにじって利益をむさぼる貸金業。ここから政治献金もらっている政治家もいる。 プロ野球の行われる、球場の壁にサラ金業界の広告が出ている。問題となり、議会で取り上げたり、地域からも問題ありとして撤去運動が起こった。 球場側もこれに答えて撤去しているところも出てきた。 引き続き、相談者の思いにしっかり応えたい。
2005年07月06日
恒例となっている、日本共産党若槻北部後援会(吉・田子・田中・上野・東条・上野が丘・東徳間)主催で、『蛍を観る会』を計画。次のような内容でチラシを作りました。 今年も蛍が帰ってきました。 小雨の夏ですが、今年は日々舞う数を増やしています。 みんなで蛍を観ませんか。? 原田市議の観測では、1昨年0匹、昨年は2匹でした。 今年は6月27日頃より数が増えだし、29日には 18匹を数えたそうです。今年は久々に乱舞が観られそうです。 日 時 7月9日(土)午後7時 集合場所 上野中央公園 現 地 上野と田中の境 土京川 持ち物 懐中電灯 どなたもご参加できます。 お子さん連れでどうぞ。 主催 日本共産党若槻北部後援会 連絡先 原田295-0200 服田295-2749 徳嵩296-5413 中野295-0690 朝田295-2657 栗岩296-9028 『蛍の棲息保護』のため 土京川の工事について、長野県浅川改良事務所と業者立会 県の工事関係職員と業者と私の3者で、急傾斜地や川の工事に当たり、「蛍を守る」立場から話し合いが行われた。 工事は土手を削り、じゃかごを設置するというもので、丁度、蛍がいちばん舞っているところである。 そのことを説明すると、「工事は『観る会』の終わった後から始めることにしてもいい」といわれた。しかし、「地元の関係者にはどのように説明してあるんですか。人命にかかわる大事な工事が遅れると困ります」と聞くと「それ心配ない」 という。 私は「成虫が飛び交い、舞わなくなってから産卵するはず。工事をすれば産卵できないのでは・・・。」心配になってきた。 しかし、蛍の舞う約100メートルほどの川沿いのうち、50メートルの工事だという。蛍が生命力を発揮して、産卵にふさわしい棲息地、環境のよい残りの茂みを探してくれればいいが。 それにしても、工事は7月9日以降から始まる。 県と業者に「『蛍』について資料を求めて勉強してほしい。」と伝えた。 それぞれ、「いまどき、このようなすばらしい環境のところがあるとはいいこと。子どもたちに、残してやりたい。」といってくれた。 それでも心配。 面識はまったくないが心臓強く、長野市の『蛍を守る会』の三石会長に電話をした。 土京川については、よく知っていて何度も調査をしたという。 しかし、災害と開発が進み、年々蛍も減り続け、かつてのような棲息環境にないのでしばらくは何もしていない。・・・あきらめていた・・・そんな感じであった。 工事と蛍保護との関係について聞いた。 「源氏ボタルは、初見日から4週間の富士山型。平家ボタルは、初見日から2ヶ月間の台形型で、7月中旬から8月はじめに産卵するので本当は川はいじらない方がいい。工事はしないほうがいいと思う」「やるなら、いっぺんにやらないこと。蛍が自分の住みやすい環境を選ぶので、分割での工事がいいと思う」「ならば、7月の下旬か8月の初めからの工事がいちばん」と助言してくれた。 ますます、心配になってきた。 工事は、9日の『観る会』の終了後から始まるのである。 今年はいいが、産卵せずに他のどこかに移動してしまうんでは。 しかし、土京川のどこか環境のよいところを、蛍が産卵地を自ら探して産卵し、来年も飛び交うことを期待したい。 くれぐれも、人命優先で。 工事は、昨年の23号台風による被害復旧である。人の命にかかわることで、災害復旧は最優先課題。 くれぐれも、この点は忘れないで、落ち度のないようにとお願いした。
2005年07月04日
りんご畑やすっかり根付いた青々の稲に囲まれて、老健施設「ふるさと」がある。 田園風景豊かな、環境のよいこの地域で、利用者は元気に人生を楽しんでいる。 毎年、恒例の祭りが開かれるが、今日も、ところ狭しと施設いっぱい活用してのまつりが始まった。 フリーマーケット、焼き鳥、にらせんべい、ちまき、焼きそば、ビールに居酒屋。 車椅子のお年よりも、笑顔いっぱい、最高の顔をしている。 往年の大先輩も含めて、来る人、来る人顔見知りが多く、元気をもらったひと時であった。 『小さな力でも、小さな声でも、いっぱい集まれば大きな力に』 中野さんと共産党へのお誘いで、「赤旗しんぶん」読者をたずねた。 ある日刊紙読者の女性のOさん「憲法や靖国、税金や介護など政治は国民に痛みを押し付けている。この政治変えないとの思いはあっても、選挙で大きく伸びない。来るべき選挙で前進できるよういに、まっすぐな共産党を大きくしたい。力を貸してほしい。共産党に入ってほしい。」と呼びかけた。 「私なんか、年もしているし役にはたちませんよ。」といった。 「でも、小さな力でも、小さな思いでも、いっぱい集まれば大きな流れになります。 世の中変える力になります。」と話す。中野さんが共産党に入るにあたっての「4つの大切」を丁寧に説明する。「わかりました」と、お互いに「ぎゅっと」握手。「のぶちゃん」のチョット一言。 降り続く雨で、わが家の紫陽花は活き活きしている。 淡いピンク系、鮮やかなブルー系、額紫陽花など10数本が咲いた。 好きな花といえば、紫陽花はそのひとつ。 よって、好みの色の花が咲いていれば、新枝をもらい、挿し木をして育てる。 今咲いているのは、すべて、小生の手がかかっているものばかり。 紫陽花は、・・・色が変化することで、めでたい席には嫌われているとか・・・ 梅雨のころ、雨にぬれて咲いている姿は、花の色合いもひときわ鮮やかで美しく、心がなごむ。
2005年07月03日
18回目の「蛍を観る会」に向け、毎晩、蛍の棲息状況を観察してきた。 21匹も舞っていたので今年は大丈夫である。 昨年は「観る会」を開いたにもかかわらず、残念ながらゼロ匹だった。 今回は子どもたちに、楽しんでもらうことが出来る。 ところが、暗くてよくわからなかったが、ブルトーザーがおかれ、工事の始まる様子である。 心配で建設事務所に問い合わせると、23号台風の被害で急傾斜地の崩壊を防ぐ工事が始まるという。 早速、例年「観る会」を行っているが、工事はいつからと聞くと、7月9日過ぎからだという。 それにしても、工事の影響で来年の蛍の棲息が心配となった。 県の職員は一度現場を見たいので、同行してほしいというので現地調査をすることになった。 急傾斜地の上方部には住宅があり、人命優先が当然なので工事は速くやってほしいが、可能な限り、来年も蛍が出るような工事を期待したいもの。 一応、担当職員にはお願いしておいた。
2005年07月01日
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