たからくんが大人になるまで生きていたい日記

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高齢ママの育児日記 うさこ0168さん
2007.05.11
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カテゴリ: 家族




 お舅さんは退職するまで役場に勤めていたことがあって、
家から数百メートルくらいのところに住んでいる親戚(お舅さんのいとこ)の息子のお嫁さんも、役場に勤めていた関係で、
気心が知れていたため、
法事の翌日、どうしても体調が辛くて耐えられないと思ったお舅さんは、病院へ行くために健康保険証が必要で、
自分の妻が「病院なんて行かなくて良い、あなたは、病気でも何でもなくて、タダの怠け者で、運動をしないからいけないだけなのに、大げさに言うんじゃない」と相変わらず健康保険証を取りあげて隠してしまって居たので、
そのいとこの家へ、自力で必死で歩いて行って、
そこの嫁さんに、代理で役場へ行って、健康保険証の再発行をしてきて貰えないかと頼みに行ったのだ。

 それまで、愚痴ひとつ外へこぼしたことがない人が、

驚いたいとこ家族が、健康保険証の再発行手続きだけでなく、
自分の家の人が通院するときに、いっしょに病院へも送り迎えしてあげるから…と言ってくれていたのだ。

 それを聞いて、
お舅さんが自分でアクションを興して、物事が動き始めたことで、
私たちも、お舅さんが本気なのだと分かり、
手伝うのが余計なお節介ではないと確信できたのだった。


 しかし、その翌日、
親戚にそのように頼んだことを知った姑が、
自分が健康器具をネズミ講のようにいっぱい買っている病院の医師を裏切るようなことをして…とお舅さんに激怒し、
その親戚へも、余計なことをするなと言わんばかりに、
前日お舅さんがしんどい体を必死で引きずって頼みに行った内容(健康保険証の再発行と、病院への通院送り迎え)を全て、



 そのため、いよいよ困って、お舅さんはうちへ連れて行って欲しい、もう自分の家では住めないと夫に懇願したのだった。





 さて、お舅さんがやってきた夜は、
取り敢えず、食欲がなくて食べられないという。
何とか、子ども茶碗に一杯くらいのご飯と卵焼き、インスタントみそ汁を飲んで、
「あぁ、みそ汁が旨い」と言う。


 聞いたら、ここ一ヶ月くらい、一日に一食程度お粥を食べるかどうかの毎日だったという。
えぇぇぇ、幾ら何でもそれはひどすぎるよ!

 私の実家側のおじいちゃんには、お熱で保育所へ行けないときなどに預かって貰ったりしていて、結構面識があるので、
「じーちゃん、じーちゃん」となついている宝良ちゃんだけど、
夫側の家には、その困った姑が居るので滅多に行かないため、
この人誰?って感じで、何だか遠巻きに見ていた宝良くんだが、
おじいちゃん用にお布団を敷いていると、
その上でマット運動のようなことをしたり、シーツで「いないいないばぁ」なんかして、大はしゃぎ。
 それから、じーちゃんと呼んでなつき始めました。

 一晩寝て、
翌朝は宝良くんも保育所、夫も私も出かけて、
昼ご飯の準備に一度家へ戻る。
お魚好きだったので、
お刺身を揃えてみた。ハマチ、タイラギ、さより、鯛。
せっかくだからと全部一切れずつ食べたけれど、
結構無理に気を遣って、頑張って食べてくれたのかもと思ったよ。

 午後も、お舅さん一人で、ゆっくり寝ていて、
夕方、近くへみんなで買い物に。
着の身着のままだったからね。
お舅さんの、パンツ、靴下、ズボン下、シャツ、ズボン、ベルト、ポロシャツ、上着、部屋着、などなどね。
サイズが分からないから一緒に出かけたけど、
一緒に歩いているのがしんどいからと、
お舅さんは店内の椅子に座っていて、夫と私が選んで、お舅さんのところへ持っていって見せて、買うって感じ。


 日中昼休みに、役所へお舅さんの健康保険証の再発行に行ってきていたので、明日にはやっと病院へ行ける状態になった。

 夕飯に、
小エビとタマネギのかき揚げを少々載せたおうどんを半玉くらい、
小さなお丼にしてあげると、
「久しぶりに、うどんが旨いなぁ」と言うお舅さん、
しんどい体だけど、翌朝には病院だからと、
ちょっと頑張って、
ザブンと浸かるだけだけどお風呂に入いる元気も出て、

「あぁ、今日はいい日だった。
家では朝から晩までずっと文句を言われっぱなしだったけど、
今日は静かにゆっくり寝られて、
つらつら、つらつらと、本当によく寝た。」と
笑っていた。


「明日病院行ったら、先生、入院しろっていうかな」とお舅さんがいうので、
「それなら、先生の言うことを聞いて、入院したらええよ、
それで、ゆっくり直して貰って、退院してから無理のないように通院したらいいし」と返事する私。

 何たって、私の家と私がマイカー通学している短大の中間地点にある病院なんだ。
で、うちから歩いて5分くらいのところにある駅からも直に、病院までの最寄りの駅まで行ける立地。


 そんなこんなで、翌朝も、
夫は保育所へ宝良ちゃんを送ってから出勤、私はお舅さんを病院へ送ってから1限2限の二コマ授業に出てから、昼過ぎに病院へお舅さんを迎えに寄ろうという計画で家族全員、家を出た。
 その日は、午前は学校、午後からは、どうしても重要な仕事があり、県外からわざわざ人を招いての打ち合わせで、もしかしたら徹夜かも…という、私としてはヘビーな日だった。
なので、病院が終わったら、お舅さんには、前日同様、家で一人でゆっくり寝ていて下さいね~って予定だったんだわ。



 しかし、病院へ行ってみると、
健康保険証だけでは受け付けてくれないと言う!!
「老人健康保険証とセットで出して下さい」
「は?」


 てなわけで、私その日の学校は欠席確定。
今日は最悪実費でも良いですから受け付けて下さいと、お舅さんを診察待ちして貰って置いて、役場へ電話し、
老人健康保険証の再発行を頼んで置いて、
車で役場へ取りに行き、病院へとんぼ返り。


 その間、血液検査とかして、診察を待っていたお舅さん、
私が到着してから、診察室へ呼ばれて、


 あまりの痩せ方と、血液検査の結果がひどすぎ。
貧血、栄養不良、脱水。

 それまでの様子を聞かれても、私は答えられないので、
二日前から同居し始めたんで、と言うと、
「よかったですね、このままおとうさんを一人暮らしさせていたら、
数日後に朝起きてこなくて冷たくなってましたね。」と主治医に言われ、
(お舅さん、一人暮らしじゃなかったんだけどなぁ………と言葉に詰まる私だったよ)


 「去年の8月に検査に来ることになってたのに、どうして来なかったの?」という主治医に、
「いや、うちの家内が、もう、病院なんか行って贅沢しなくて良いと、
行かせてくれなくて、……」と答えるお舅さん。

 姑は、自分は病院三昧で、送り迎えして貰ってのデイケアとかで遊んで来たりするのにね。

「私の方が内臓もボロボロで、足腰だって痛くて、大変なんだよ。それでも、毎朝頑張って、運動して、努力しているんだっ!!」が、
先日法事の席で、お舅さんをいじめていたときの姑の元気な大声。


 随分以前に、小さな超初期の胃潰瘍がお舅さんにはあったので、
それが胃ガンにでもなっていて、大変な出血を起こしているのかもしれないし、
食べられないのとか、目が回ってふらふらするのとか、
とにかく、胃カメラとレントゲンを撮ろう、
そして、
何がどうあれ、「栄養障害と脱水」がヒドイからまずは入院してゆっくりしながら検査しましょうとの方針になった。


 胃カメラの結果、大きな腫瘍もなく、
でも、あまりに弱っていて免疫が落ちすぎているため、
本来誰にでも口の中に居る黴の菌が
腸の壁にたくさん繁殖しているのが分かった。


 診察室から出て、検査や入院の準備をするまでの少しの時間、
待合室のロビーで、情けなくてかわいそうで、
ちょとばかり、涙でたよ。


 ずっと役場に勤めながらの兼業農家で、
こんなに歩いたり座ったりできないほどの健康状態でも、
退職後うちにくるまでずっと、産直市場に野菜を歩いて売りに行って、
こんなに頑張って生きてきた人が、 
現代のこの日本で、
「栄養障害と脱水」って、つまり、栄養失調だよ!

それも、自分の家で、自分の嫁と娘と中学1年生の孫の4人暮らしで……、
自分の妻にいじめ抜かれて、
それを見ている娘と孫も分かっていても、もう狂った姑を止められなくて、
栄養失調だよ!!!!!!

 おとうさん、かわいそう過ぎるよ。
我慢強いにも程があるよ。
情けない。


 涙ちょちょ切れた。



 胃カメラ後、
急遽入院になったので、
午後からの仕事に間に合わなくなり、
電話で遅刻のことと先に進めておいて欲しいと連絡し、
(検査後1時間は点滴でじっとしていてくださいとのことだったので)
お舅さんを病室に残して、
取り急ぎの物品(スリッパ、ティッシュペーパー、タオル、湯飲み、お箸セット、保温水筒、テレビカード、……)をスーパーで買って、
病室へ。


 「点滴したら随分楽になった。食欲が出てきた。やっぱり病院来てよかったなぁ、いやぁ、点滴はやっぱり良く効くなぁ」と元気が出てきた様子。

 そうだよな。病気の根本治療はこれからの検査を待ってだけど、まずは、今目の前の症状としてある、低栄養と脱水を、点滴で回復させることは出来るわけで、
それだけでも、ここずっとの苦しみの一部はぐ~っと改善されるもの。


 お舅さんは私がお箸セットなどを買って戻るのを待ちかねたように、
病院食を食べることが出来て、
頑張って食べて元気にならないと…と、
一生懸命、
お粥全部と、鶏肉の照り焼き、オレンジ、などを食べ、
大根の煮物を、「この馬鈴薯の煮付けが旨い」というので、
「おとうさん、それ大根やろ?」と笑ったりした。


 滅多に、愚痴も姑の悪口も言わないお舅さんだけど、
この時ばかりは、元気が出てきて、
「おかあさんが~~」と、私に色々と姑の愚痴を話した。
私は、そうだろうそうだろうと思いながら聞いていたけど、
人の愚痴や悪口には、一緒になっては言わない嫁の智恵、
そこのところはわきまえて、
ただ、「はぁ。」「そう。」と相槌だけ返しながら、
お舅さんも優しいなぁと思っていた。
だって、
「でも、おかあさんも、昔はあんなんじゃなかったんやけどなぁ」なんて、この期に及んで言うんだよ。


「とにかく、退院しても、もう、自分の家では住めないから、
退院後も、お前たちの家で住まわせてくれ。」

 まぁ、そりゃそうだろうなぁと思いつつも、
退院後は、これから本格同居生活が始まるのね~と思う私。


 夫に早退してきて貰って、病院でバトンタッチして、
入院書類手続き諸々は夫に引継いで、
私は遅刻ながら仕事へ合流。
結局その夜、私の帰宅は深夜02:30頃で、
本当にヘビ~~~な一日となった。


 それが金曜日の話で、
週明け月曜日は宝良ちゃんの家庭訪問の日だったので、
土日は大掃除。
 お舅さんのお布団も服も、居間に住んで貰うことになるので、
家庭訪問で丸見え。
服などを収納しないといけないので、
急遽、ホームセンターでお舅さん専用の簡易箪笥(プラスチック4段引き出し)を購入。
ついでに、お舅さんが自宅へ帰ってきて暮らすとき用の、お茶碗・湯飲み・お箸・インスタントみそ汁各種・お汁椀などなども購入。

 同居かぁ、大変だろうなぁ。
(新婚当初、姑に追い出されるまでの1年半は同居してたから、まぁ、それほど抵抗も無いけどね、でも、どうなるのかぁ)
ひとりっこの宝良ちゃんには、おじいちゃんとの生活というのも、
ありがたいことかもね、
お舅さんがそこそこ元気になったら、保育所のお迎えなんかも
お舅さんが行ったりして、
じーちゃんにいっぱい遊んで貰える孫になるのかなぁ、
などと思いつつも、

 やっぱり、実際
本格的に入院道具を揃えて病院へ行ったりと、
私自身も大変疲れた週末だったのでした。


 つづく。





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Last updated  2007.06.08 13:35:31
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