たからくんが大人になるまで生きていたい日記

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高齢ママの育児日記 うさこ0168さん
2007.05.20
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カテゴリ: 家族
 金曜日に私の車に乗り、自力で歩いて入院したお舅さん。
点滴を受けてから、食欲も出たと元気さを取り戻したように見えた。

 大部屋へ入院して、トイレだって自分で歩いて行っていたのに、
次の日、ベッドの横にポータブルトイレが置いてあり、
夜中にトイレへ行っていたら転んだから、夜だけはポータブルでと看護師さんが貸してくれたと。

 そして今度は、
病室が個室に移っていて、酸素を使い始めていた。
その次には、
導尿の管が入り、



 まだ病状をお舅さんに告知していないので、
お舅さんとしては、今は静かに治療したいから姑には来て欲しくないということがあり、何度聞いても、
「おかあさんには、言わないでくれ」という。
なので、どうしても姑にお舅さんの入院を知らせることができず、
そうは言っても、急変の恐れもあるので、
姑のまだ一緒に住んでいるもう一人の妹さんには
伝えてあげないとかわいそうだと言うことで、
夫が携帯電話をもう一台契約して、
仕事帰りの妹さんを呼びだして、
ファミレスで状況を説明し、携帯を持たせた。
その妹さんはとても節約家でコツコツとお金を貯めるのだが、

何十万・何百万と買ってしまい、それにお金を取られてしまっていて、
節約のため、携帯電話も持たず、
更に、あの家は、もったいないからと新聞の購読も姑が中止させたそうで、直近でお金の工面を言ってきたときは、
先日の法事の為に10万円先に出せというのと、何とかマットを健康のために買ったのの支払いを電話してきていたが、
そのマットも、お舅さん曰く、

スイッチ入れて無かったって………。
アホらし~。意味無いじゃんと思った次第。
まあ、そうやって、
姑には知らさず、でも、何とか夫の兄弟3人(夫・看護師さんの妹さん・姑と同居の妹さん)は連絡が取り合えるようになった。
ちなみに、自宅の電話と誰宛であっても郵便物全ては、全部姑のチェックが入るので、自宅の電話で妹さんにお舅さんの大事な話は出来ないのだった。
で、夫名義の携帯を下の妹さんに持ってもらうことにしたのだ。
 ファミレスで話した後、
下の妹さんは、息子のお稽古ごとの送り迎えがあったので、
姑にとやかくいわれることなく、
家を出てお舅さんの病院へ駆けつけることができたそうで、
本当に、急変する前に伝えられてよかった、と安堵した。
お舅さんが姑のノイローゼのような一日中続くわめきごとに耐えていたのも、
離婚して息子を連れて帰ってきて、同居していたその妹さんと息子、
つまりお舅さんにとっての娘と孫がかわいいからで、
姑のいらいらのはけ口が、
その娘さんと孫に向くよりは、自分さえ我慢すれば……、と、
常々以前から、お舅さんは言っていたのもあって、
本当に、一番かわいくて大事で大事で、
命を張って守ってきた娘と孫なわけで、
………、急変というのは、いつ起こるかわからないから「急変」な訳だから、
ああ、急変が起こる前に、
その妹さんがお舅さんに会いに行けて、
元気にまだしっかりとたくさん話もできる状況で
お見舞いに来てくれる状況がつくれたことに、
ほんとうに、よかったと思ったのだ。




 さてさて、
土曜日には、私たち夫婦は用があり、日中にはあ病院へ行けないのだけど、看護師をしている妹さんがこの日は付いていられると言うので、
お願いしていた。

 妹さんの電話で、
今日、時々意識がおかしくなることが出てきたという。
自分のいる場所が大部屋か個室か分からなくなったり、
病院に居ること自体が分からなくなったりする場面が出たり、
でも、ちゃんと説明してあげると、
ああそうか、と正常にコミュニケーションできたり、
という感じになったと。


 私たち家族の用が終わって、帰宅の途についたとき、
私が運転して、夫が携帯でまさに妹さんとそういう報告を聞いて、
しかし、いつまでもこのまま姑にお舅さんの病状を伝えないままでいいのかなどと、夫たちが話している間、
運転手の私は、
さて、このまま自宅へ戻るか、
妹さんに今日は頼んであるとは言え、
一日に一度はやっぱり病院へ顔をだそうか、と運転していたら、
夫の携帯が話し中だから、次の順番で、
私の携帯へ病棟の看護師さんから、電話。
すぐに病院へこれから来て欲しいと。


 というわけで、また、宝良ちゃんも疲れているのに、
そのまま20時頃から病院へ向かうと、


お舅さんが、意識が混濁して、
ベッドから自分で降りて歩けなくて転んで、
「自分は入院して処置して貰っているが、
自分の家内も体調が良くないので、家内を入院させて点滴してやって欲しい」とナースステーションへ言いに行きたかったという。
その後も、ナースコールで、
家内のことはどうなったかと、聞いてきたと。
また、意識が混濁したときは、自分で点滴を抜いてしまうことがあり、
太股に点滴の場所を変えさせて貰ったとのことだった。


 この意識レベルの下がり方は、後で聞いたら、
危篤とまでは言えなくても、
急変する兆しはあって、
危機的な状態ということで、
もしかしたら、息を引き取る恐れもあったので、
家族を呼ぶということだったらしいのだが、
私たちは、
勝手に、徘徊などに困るので、家族が呼ばれたと
この時は思った。

 でも、まだ土曜日は、意識がまともに戻るときの方が多く、
私たちが駆けつけたときは、おかしいながらも、
まだ、私たちが、
「そうじゃないよ、今は~だよ。」と説明すると
ああそうか、とお舅さんは分かる感じで、
その夜は暫く病室に居て帰った。

でも、病院からは、
もう、24時間どなたかご家族の方が側に付いて欲しいと相談を持ちかけられた。


 私は、毎日学校と仕事の合間に病院へ通って、
洗濯や身の回りの洗い物などはしていたけれど、
ずっと病室に泊まり込んでいたわけではない。

 子どもの頃、祖母が進行性筋ジストロフィーという病気で寝たきりなのを自宅で介護しながら暮らす家庭で私は育ったので、
晩年私が中学生の時、2年ほど祖母が入院していた間は、
母が36時間病室に付いて、仕事を持っている親戚のおばさんが2日に一晩ずつ、病室に寝泊まりして、ということを続けて介護してきた姿をはっきりとイメージすることが出来た。


 簡単に、
「はい分かりました、これから毎日ずっと私が病室に付き添います」とは、返事できなかった。
取り敢えず、土曜日の夜は、
お舅さんも落ち着いたこともあり、
その宿題を持って、相談しますと答えて帰った。


 さて、日曜日、
また病院から、緊急に呼び出しがあった。
すぐには行けなくて、
病院に着いたのが、20:30頃。
看護師をしている妹さんにも夫が電話で連絡。
妹さんが来てから、相談ということになった。

 夫が病室の外で電話連絡などをしていたとき、
昨夜の「姑に点滴してやって欲しい」のことを思い、
ちょっと落ち着いていてまともに話が出来る状態だったお舅さんに、

「おとうさん。おかあさんは元気だから、心配しなくて大丈夫だよ。
毎日、電話で何時間もガンガン怒鳴ってくるよ。
それほど元気だから、安心して良いよ。」と話しかけた。

すると、お舅さんは、(私たちはまだ告知も何もしていないのに、)

「おとうさんは、どうもおかあさんより先に死なないといけないみたいだ。おとうさんが死んだら、あれを守ってやる者がいなくなる。」と
言った。


 昨晩の、姑へ点滴……は、混濁した意識でのことなので、
お舅さん自身は覚えていないのだけど、
意識の底からそうやって姑のことを心配しているからこそ、
そういう形の徘徊や言動になったんだと思うと、
本当にたまらなく切なくて、

ああ、おとうさんは、それでもあの妻を愛していたんだなと、
周囲が何をどう言っても、
こんな健康状態にされて、いじめ抜かれても、
(姑にはいじめている意識は無いんだろうけど、)
根本には、お舅さんには愛があったから、
ギリギリまであの家を出なかったんだな、と思った。

今こうして書いていても涙がポトポト落ちるくらい、
お舅さんのこと言葉を聞いて、
私は本当に本当に切なくて、

まだ全部の結果が出ていないし、
癌自体の進行によって、
これから一年、いや何ヶ月生きられるか分からないけれど、
でも、癌の進行の前に、
癌が飛んで肺を詰めることによる急変があって、
今日明日どうにかなってしまうこともあるかもしれないわけで、
お舅さんには告知していなくても、
このまま姑に知らせないとか会わせない訳にはいかないと
思った。

 知らせて、病床のお舅さんをまた苦しめるような言動を取られるのも困るけど、でも、万が一のことがあったしまった後で姑に会わせるのでは間に合わない。
だって、おとうさんは姑のこと、それでも愛していたんだよ。


 電話を終えて病室に戻ってきた夫に、
後で、そのことを伝えて、
何とか姑を病室に呼んできて欲しいと
頼んだ。


 看護師をしている妹さんが到着して、
取り敢えず、家政婦協会さんへ24時間付いてくれる人を依頼。
一日約15000円で来てくれることになり、
人の手配が出来るまでは何とか私たちが繋ぐということになった。

 もう23時を過ぎていて、
宝良ちゃんは眠いのと病棟のびりびりした雰囲気で落ち着かずに泣いてしまう。でも、他の病室の患者さんに宝良ちゃんの泣き声が迷惑になってはいけないと、
宝良ちゃんが泣くたびに、
駐車場へ連れ出して、抱っこで寝かしつけていた。
日中は温かいので、半袖だったが、夜風の中でそんなことを繰り返していて、無理をさせ続けていたのもあり、
見る見るうちに、宝良ちゃんは風邪ひきに。
ごめんよ。こんなとき、一番にしわ寄せがくるのは、小さい子ども。


 結局、日曜日その晩は、
一旦家へ帰り、泊まり支度をして、夫が再度深夜01時頃病院へ戻って泊まり、
私は宝良ちゃんを連れて帰って、家で寝た。






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Last updated  2007.06.08 16:58:04
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