たからくんが大人になるまで生きていたい日記

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高齢ママの育児日記 うさこ0168さん
2007.05.22
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カテゴリ: 家族


保育所は37.5℃で呼び出し。

ギリギリ預かって貰える体温だけど、怪しい。
でも、お舅さんの様態がこんなとき、いつ何が起こっても不思議ではないので、宝良ちゃんをまず小児科へ連れて行く。

 小児科の診察室に着いて、問診票を書くためにそこで再度熱を測ったら、すでに、37.8℃に上がっていた。
あちゃ~。

 風邪の薬を貰ってお会計しようとしていら、病院から電話。
お舅さんの血圧が下がってきて、家族の方来てくださいとのこと。

 宝良ちゃん、ゴメン。

お昼前なので、夫と妹さんと宝良ちゃんと、
長丁場になっても、取り敢えず何人かは食べられるように、
5.6人分のペットボトルとおにぎりを10個くらいコンビニで買って、病院へ向かう。

 体調は悪いし、緊迫した雰囲気で、
宝良ちゃんはぐずって、
「あっち行こう」「帰る」と連発。


 お舅さんは、もう数日前から心電図モニターが着いた状態で、
でも明らかに、昨日はまだ少しは体を動かしたり話したりできていたのに、今日は全くぴくりとも体を動かさず、
かろうじて少し目を開けるかどうかというくらい。
ただ、口でする呼吸だけが、
大きく、がくっがくっと顎を揺らしながら苦しそうに目立っていた。


小さい声で、
「昨日のあのお姑さんのが、きつかったですよね。
もう昨日と全然様子が違いますもんね」と私に言った。


 夫も看護師さんをしている妹さんも来て、
どこまで連絡を拡げるか相談。

さすがに大きな病院でずっと看護師をしてきただけあって、
妹さんには、感覚で、もう危ない感じがすると分かるらしい。

 それで、
もう一人の妹さんも会社へ早退するように連絡。

 タクシーを手配して、姑を拾って中学生の孫を学校へ迎えに行かせて、また、看護師をしている妹さんの子どもたちも、
それぞれに学校を早退してタクシーで駆けつけるように連絡。
こちらの孫たちは、
昨日やっと姑へ伝えたばかりで、それまで隠していたのがあり、
おじいちゃんがこんなことになっているとは
全く知らされて無くて、
いきなり学校へ「祖父危篤、すぐ病院へ」の連絡になった。

 でも、こちらの孫たちはもう大きくて、
一番上のお姉ちゃんは看護学生なので、
先日の法事の際のおじいちゃん(お舅さん)の弱り方から、
病気だろうと言うことは感じていたし、
そのときの、おばあさん(姑)の仕打ちの意味も、
黙っていても理解していて、
だから、
駆けつけたとき、
余計なことは何一つ聞かずに、ベッドの横で泣いていた。
みんな幼稚園バスに乗れない日の送り迎えとか、
おじいちゃんにはいっぱい世話になって、
大事にして貰った孫ばかりで、
おじいちゃんのことが大好きだった。

 健康保険証再発行のことでお世話になった親戚のひとたちが、前日姑が来る前に来てくれて、
まだ入院してすぐ、点滴をして元気が出て、食欲も戻りかけて色々元気に話せるようになった姿を、前回のお見舞いの時は見てくれていたので、今回、もう随分元気になっただろうと思って、
お見舞いに来てくれたら、
もう、癌で手遅れで……ということを伝えなくてはならず、
でも、姑が来る前だったので、
まだ、何とか少しは話が出来ていて、……、
また、明日も来ると言ってくれていたのだった。

 そして、今日、お見舞いに来てくれたときには、もう危篤。
兄弟のように育った近所に住むいとこのおじさん。
姑に伏せていたために、
親戚には誰にも入院のことを伝えられず、
結局、誰にも会わせてあげられなかった。
このいとこのおじさんご一家が何度か来てくれたのが、
本当に救いだった。

 5月5日、おばあさん(お舅さんのおかあさん)の法事、
あの法事までは何とか頑張ろうと思っていたんだと
うちに来た頃お舅さんが言っていたけど、
ああ、あのとき、法事に来てくれた親戚の方々に
何とか会えたのが、お舅さんには最後の挨拶だったんだな。



 付き添いさんが、雰囲気からして、居づらくなって、
もう必要ないですねということで、14時で帰ることになった。
何ヶ月もお願いするつもりで依頼の電話をしたのは、
まだおとといの夜中。
なのに、
ちょうど、前日から24時間、たった丸一日しか…。

 付き添いのおばさんが帰られたあと、
本当に数十分、
最後の孫が間に合って、1時間ほど、
5月22日 14:42
お舅さんは帰らない人になった。


 ずっとずっとぐずって泣いていた宝良ちゃん。
この雰囲気だって怖いし、
何たって熱があるんだよ。
そのうえ、昼寝の時間だし……と思うのに、
糞姑は、
「こういうときは、一番小さい子どもが何かを感じるんだ。」と。

ふざけたことを言ってるんじゃねえよ、ばばあ。

 亡くなる少し前まで、まだ自分ではお舅さんに声をかけることもせず、一緒に住んでいる孫に、
「ほら、じいちゃんに、『頑張って、大好き』と大きな声で言え、じいちゃんは聞こえているから」と指示をする。

お前が言えよ、
お前の口で、お前が言えよ、
お前が、おとおさんに、
ありがとうって言えよ。

 本当に亡くなる2.3分前になって、家族に促されて、
やっとベッドの枕元、顔の一番近いところに来て、
最後の最期、息を引き取るそのときになって、
やっと、
「おとうさん、おとうさん、おとうさん、おとうさん」と、
姑は自分の口でお舅さんに語りかけた。



 家はゴミ屋敷で、とてもお葬式が出来る状態ではないので、
病院から葬儀社へ連絡して、そのまま葬儀会館を借りた。

 私はお舅さんが気の毒で、
でも、姑への怒りのが強くて、
その場では全く泣かなかった。
ふざけんな糞ばばあ!

 葬儀社の車が迎えに来て、病院から出るとき、
葬儀社の車に誰か同乗しなくてはならない。
こういうとき、周囲が乗ってはいけないと言っても、
制止を振り切ってでも乗り込みたいものだろうとおもうけれど、
姑は誰か乗れと四の五の言っていたが、
こういう経緯で、急遽呼ばれて家族が集まったので、
子どもたち以外はみんな、自分で自分の車を運転してきている。
必然的に姑しかいなくて、
姑が、葬儀会場までお舅さんの亡骸と一緒に車に乗っていった。

 私は、よかったなと思った。
せめて、この数十分だけでも、
夫婦二人きりで、お舅さんに声をかけてあげて貰いたかった。
意識が混濁したときの、
お舅さんが姑にかけてあげていたあの優しさを見ていた分、
どうして、
最期くらいありがとうって、優しい言葉がかけてあげられないのかと、
だから、せめて、この車のなかだけでも、
二人だけにしてあげられてよかったと
そう思ったんだ。

 病院を出るとき、
病棟の看護師さんも主治医も泌尿器科の先生も、
関係してくださった病院の方々が、
皆さん揃って、遺体と私たち家族を
深々と頭を下げて、ずっと病院の出口で見送ってくださった。

 本当にお世話になった、優しい主治医の先生のお顔が見えたとき、
最初診察室へ付いて入ったときからのことが、
一気に思い出されて、
本当にお世話になりました、ありがとうございました、という気持ちで、涙が溢れた。


 熱を出して辛い宝良ちゃんを、車に乗せて、葬祭会館へ向かって走り出すと、車の揺れでやっと眠った宝良ちゃん。
静かになると、
私はお舅さんの人生を思い、
本当にずっと涙が止まらなかった。


 葬祭会館へ着くともう夕方で、
そこから打ち合わせが始まったので、その日はお通夜にならず、
翌日お通夜、翌々日が告別式と繰り上げの初七日ということになり、
3日に渡ることになった。

 たまたま、亡くなるときに近所に住むお舅さんのいとこご家族が来てくださっていたので、そこから連絡が行って、
お通夜は次の日の予定だったけど、
近所の方は、当日の夜からずっとおいでて下さって、
長い長いお葬式が始まった。


 近所の方は、びっくりで、
姑に「どうしたの、急なことで…」と声をかける。
すると、
姑は、
「ええ、急なことで」
(嘘付け、何ヶ月も前からお舅さんは辛いから病院へ行きたいと言っていたのに、お前が保険証を取りあげて隠して行かせなかったんじゃないか!!!!) と、
聞こえてくるとむかつく私。


とうとう言うに事欠いて、
「私は病院に行きなさい、検査に行きなさいと何度も言うのに、
わがまま勝手でひとの言うことなんかちっとも聞かない人だったから……」と言いやがりやった。

 もう、虫唾が走るくらい、何者じゃこいつはと思うくらい、
たまらなく嫌悪感が涌いて、

どんなにできの悪い嫁と思われようと構わないので、
姑が居る部屋には私はもう居たくなくて、
廊下で宝良ちゃんをベビーカーに乗せて揺らしながら寝かしつけていたり、
とにかく、姑が居ないエリアで、
来てくださった方へ挨拶をしたり、お茶を出したりしていた。

 一段落ついたところで、
夜、一度宝良ちゃんを連れて家へ帰ることにした。
夫にも、泊まり込むのは交代にしようと話て、
先は長いから、順番に帰るように伝えて帰宅。

 でも、結局、何とか宝良ちゃんを寝かしつけて、
自分や宝良ちゃんの喪服の用意や、色々と準備をしていたら、
朝5時になっていた。
9時には出かけないといけないので、
2時間ばかり睡眠をとってシャワーを浴びて、

また姑が、
葬儀だけじゃなく、今後の法事関係も含めて、
訳の分からないことをごちゃごちゃと言い出しているので、
はぁ~と思いつつ、23日お通夜の日の朝が始まった。


 つづく。









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Last updated  2007.06.08 18:04:17 コメントを書く


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