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2013.01.16
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カテゴリ: 読書案内
【沢木耕太郎/無名】
20130116

◆最愛の父を看取るまでを淡々と語る

自分も含めてのことだが、人というのは身近なところで大切な人を亡くしたりすると、その人との思い出とか記憶をたどってみたくなるものらしい。その証拠に、様々な無名の方々が更新するブログには、亡き母、亡き父、亡き祖母、亡き祖父との思い出などが切々と綴られていたりする。
他人からしてみれば、誰かも知らない人の親族との思い出日記を読まされたところで、「ふーん」という感想ぐらいがせいぜいで、一般的には好まれない部類かもしれない。
中には似たような境遇の持ち主の方がいて、同情を寄せてくれたりするかもしれないが、それもごく一部だろう。また、文章力があっておもしろいエピソードなんかが添えられていたりすると、意外に支持されるかもしれないが、それでも素人エッセイの域を出ない。
ところが書き手が著名人で、しかもその親を看取ったうんぬんの体験談ともなれば、がぜん興味が湧く。

『無名』は、ノンフィクション作家として定評のある沢木耕太郎が、自身の父親を看取るまでの体験談となっている。そして、最後の四分の一ぐらいはさり気なく俳句のすばらしさを語っている。
一般大衆の心理としては、立派な父親の武勇伝などを聞きたがるのは皆無に等しく、ほとんどが無頼で放蕩の限りを尽くした、出来損ないの父親(母親)の最後であり、いわゆる苦労話とかゴシップを知りたがる傾向にある。
だが沢木の父はそんな部類には入らず至って真面目で、「背筋を伸ばし、机に向かって正座をして本を読んでいる」というイメージそのものなのだ。
とにかく何でも知っていて、それはつまり単なる物知りとは異なり、純粋に知的なことに限り、子ども時代の沢木が聞いて答えられないことはないほどの知識人だったらしい。
もうこの辺りからして、やっぱり作家を生み出す親は違うものだと感心してしまうわけだ。

沢木の二人の姉は頭脳明晰にもかかわらず、家計を考えた末に進学はあきらめ、末っ子で長男の耕太郎のみが横浜国大への進学が許されたようだ。
つまり、沢木の父親は「本を読み、音楽を聴き、散歩をする」インテリではあるが、馬車馬のように働く人ではなかったのだ。
とにかくそんな父親のありのままの姿を、淡々と、克明に書き記すところなど、さすがはノンフィクション作家だと認めないわけにはいかない。

『無名』の最後、四分の一は、その父親が五十八歳の時から始めたという俳句についての記述だが、沢木の並々ならぬ熱意は凄い。
なんとしてでも父の残した俳句を整理し、句集を作り上げるのだという意気込みたるや、もう父子という関係を超越しているのでは?とさえ感じられる。
この辺りになると、完全に沢木自身の日記に近付いた内容になってしまい、読み応えは感じられない。
私個人としては、沢木の、父親に少なからず感じていた親子の確執(あるいは距離間)みたいなものを、もっと掘り下げて欲しかったような気がする。
亡くなった人を美化するのは簡単だが、そこから生じる様々な人間ドラマを欲している読者の気持ちも、もう少し汲み取ってもらいたかった。

沢木耕太郎の著書は初めての方なら、『テロルの決算』から読むと良い。処女小説に『血の味』があるが、それよりは『無名』を読んで沢木父子の不思議な親子関係(当たり前のようでいて、微妙な距離間のある関係)を覗くのもおもしろいだろう。

『無名』沢木耕太郎・著


☆次回(読書案内No.35)は浅田次郎の『月のしずく』を予定しています。

~読書案内~

■No. 1 取り替え子/大江健三郎 伊丹十三の自死の真相を突き止めよ
■No. 2 複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!
■No. 3 雁の寺/水上勉
■No. 4 完璧な病室/小川洋子 本物の孤独は精神世界へ到達する
■No. 5 青春の蹉跌/石川達三 他人は皆敵だ、人生の勝利者になるのだ
■No. 6 しろばんば/井上靖 一途な愛情が文豪を育てる
■No. 7 白河夜船/吉本ばなな 孤独な闇が人々を癒す
■No. 8 ミステリーの系譜/松本清張 人は気付かぬうちに誰かを傷つけている
■No. 9 女生徒/太宰治 新感覚でヴィヴィッドな小説
■No.10 或る女/有島武郎 国木田独歩の最初の妻がモデル
■No.11 東京奇譚集/村上春樹 どんな形であれ、あなたにもきっと不思議な体験があるはず
■No.12 お目出たき人/武者小路実篤 片思いが片思いでない人
■No.13 レディ・ジョーカー/高村薫 この社会に、本当の平等は存在するのか?
■No.14 山の音/川端康成 戦後日本の中流家庭を描く
■No.15 佐藤春夫/この三つのもの 細君譲渡事件の真相が語られる
■No.16 角田光代/幸福な遊戯 男二人と女一人の奇妙な同居生活を描く
■No.17 室生犀星/杏っ子 愛娘に対する限りない情愛
■No.18 織田作之助/夫婦善哉 大阪を舞台にした男と女の人情話
■No.19 谷崎潤一郎/痴人の愛 この人物の右に出る者なし。日本の誇る最高の文士。
■No.20 車谷長吉/赤目四十八瀧心中未遂 生への執着は、性への執着でもあるのか
■No.21 松尾スズキ/クワイエットルームにようこそ 平成に新しい文学が登場
■No.22 川上弘美/神様 現代における女性版カフカ?!
■No.23 丸谷才一/鈍感な青年 男女の営みは滑稽なもの
■No.24 宮本輝/流転の海 第一部 戦後の混乱期を生きる日本人の底力を見よ!
■No.25 岩井志麻子/ぼっけぇ、きょうてぇ 女郎が寝物語に話す、身の上話
■No.26 柳美里/水辺のゆりかご 包み隠さず書くのは勇気なのか、それとも・・・?
■No.27 宮尾登美子/櫂 妻は黙って亭主に傅くのみ。殴られても蹴られても耐えるべし
■No.28 向田邦子/阿修羅のごとく いくつもの顔を持ち合わせているのが女なのだ
■No.29 樋口一葉/にごりえ 明治の娼妓のコイバナ、そして人情沙汰
■No.30 南木佳士/阿弥陀堂だより 信州の自然美に触れて生き返る
■No.31 東川篤哉/謎解きはディナーのあとで エンターテインメント性重視、ポップでライトなミステリー小説
■No.32 辻仁成/ピアニシモ 25歳ぐらいまでに読んでおきたい青春小説
■No.33 田口ランディ/コンセント 引きこもりをテーマにした社会派小説をねらうも、結果オカルト小説

◆番外篇.1 新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!
◆番外篇.2 菊池寛、選挙に出る! 読書階級の人は菊池寛氏を選べ
◆番外篇.3 芥川龍之介と菊池寛 唯ぼんやりとした不安、ハナはこちらなり。





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最終更新日  2013.01.16 06:22:19
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