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【中島梓/コミュニケーション不全症候群】◆コニュニケーション不全に陥る原因を鋭く考察するいつだったか、こんなことがあった。ショッピングモール内にある上りエスカレーターに乗っていた時のこと。私は左側に寄って乗っていた。私より2~3段上を、年配の女性が堂々と真ん中に乗っていた。後方から走って来た二十代男性が私の横を通り越し、年配の女性のすぐ真後ろまで来た時、ものすごい大きな「チッ!」という舌打ちをした。私のところまで「チッ!」という音がしたのだから、もちろん年配の女性も気付かないわけがない。おもむろに避けた。すると、すぐさま二十代の男性は女性の脇をすり抜け、バタバタと一段抜かしで上っていった。だからどうだと、ここではマナーについて語るつもりはない。思うに人間なんて、だいたいはこうなのだ。楽園のような国ではない限り、世の中はもともと住みにくいし、暮らしにくい。世の中にマナーとか道徳、あるいは宗教があるのは、人間という本来はそれほど優しい生きものではない種を、抑制しておかなければならないからだ。 私は、人間の側面を飾り立て、「誰でもやればできる」「夢は叶う」などの安易な励ましで何万部と売れたようなハウツー本が大嫌いだ。今もそれは変わらない。そんな中、『コミュニケーション不全症候群』と出合った。すでに10年以上も前のことだ。作家の中島梓は、心理学者でも何でもないのだが、自身が「コミュニケーション不全症候群」の代表者的存在であることから、徹底的に分析、考察してみようと思い立ったらしい。中島梓にはもう一つペンネームがあり、栗本薫という名の方が知られているかもしれない。早大文学部卒で、SFから推理小説など幅広いジャンルから人気作品を発表している。しかし、2009年に56歳という若さで他界しており、今はもう、あの緻密で斬新な新作に触れることはできない。 『コミュニケーション不全症候群』を読んでいて、私なりに目からウロコだったのは、人間なんて「じっさい自分のことしか考えられない存在であった」というくだりである。 「もともとヒューマニズムだとか、隣人愛だとかというコトバが生みだされなくてはならなかった事自体が、私たちがもともとそういうものを内包していたわけではないことを物語っているのだ」 私は膝を打って「そのとおり!」と言ってしまった。だれもそういうことをちゃんと言ってくれる人がいない中、中島梓のようにガツンと事実を語ってくれる人がいて、胸がスカッとしたのだ。そういうことをきちんと分かっていなければ、世の中すべての人が常識とか礼儀を知っていて当然、などという発想には至らないはずだからだ。 日本における公害問題や凶悪事件などは、統計から見ると、実際には減少傾向にあるようだ。それでも尚、現代というのは人間がかつて経験したこともないほど暮らしにくい時代であるという。(物質的な面で言えば十分に恵まれている国ではあるが。)中島梓があらゆる視点から分析・考察した結果、その原因は「過密」であると述べている。実験例としてあげているのは、水槽の金魚やフナである。生存に必要なための空間の確保の必要性が、いかに重要かが分かる。一定限度以上の数を、狭い水槽に入れると、魚たちは互いに攻撃的になり、弱いものから淘汰されてゆく。結果、調和の取れた数まで減ると、それ以上の共喰い行為はピタリと止む。この自然界における本能とはスゴイものだ。 こんな小さい島国にギュウギュウひしめき合って暮らす私たちは、程度の差こそあれ、皆、病んでいる。互いの顔色を見て、互いの言動に一喜一憂しながら、自分のテリトリーも確保できないまま浮遊している。狂暴な人・人・人の渦巻く波に、私たちは道徳や倫理、あるいは神仏の力を借りて、どうにかこうにか暮らしている。今後、人口減少が加速することで、経済的には苦しくなるかもしれない。年金制度が破たんするかもしれない。けれど、それなりに生存スペースが確保されることで、人間としての最低限度の住みやすさ感じられるようになるかもしれない。 『コニュニケーション不全症候群』では、他にもダイエットに関する強迫観念についても述べられている。選別される側の屈辱や恐怖は、やはり女子の方が過酷だ。ダイエットは今や、国民すべてと言っても過言ではないほどの関心事である。それはすでに精神のボーダーを越えようとするまでの病的なものが蔓延している。 これらの内容は、今を生きる私たちに烈しく警鐘を鳴らすものであり、今一度考え直すきっかけを与えてくれる。繰り返し読むのには、最高にして優れた評論エッセイである。 『コミュニケーション不全症候群』中島梓・著☆次回(読書案内No.162)は未定です、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.05.18
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【加東大介/南の島に雪が降る】◆パラオの戦場で、演じた芝居に兵士たちが涙する今年は戦後70年という節目の年だ。4月9日には、両陛下が激戦地となったパラオを訪れ、戦没者のご供養をされた。年々、戦時下でのご苦労をお話されるご高齢者の方々もお亡くなりになり、すでに戦争は歴史の一部として過去のこととなりつつある。そんな中、加東大介の『南の島に雪が降る』が、ちくま文庫から再版されたのはとても嬉しい!以前、母が持っていたものだが、引っ越しの時に紛失してしまったため、何とかして手に入れたいと思い、このたびやっと念願が叶った。 著者の加東大介は役者で、初期の頃は市川莚司を名乗っていた。姉に女優の沢村貞子、甥に長門裕之、津川雅彦らがいて、正真正銘の役者一門である。『南の島に雪が降る』は、いわゆる戦争体験記である。イメージとしては、何やらドンパチやって命からがら生き残った半生記のように思い描くところだが、そうではない。著者が衛生兵として召集され、送られた戦地が西ニューギニアのマノクワリ地方だったので、大きな戦闘はなかったのである。そのおかげで、加東大介らが演芸分隊を組織し、死にゆく兵士らにつかの間の娯楽を提供することができたのだ。 あらすじはこうだ。前進座の役者だった著者(本名・加藤)は、召集令状が届いたので出征した。送られたのは、西ニューギニアのマノクワリ地方だった。加藤が与えられた使命は、これから死にゆく兵士たちを激励し、鼓舞するための劇団づくりであった。少ない物資で衣装をつくり、背景をつくり、小道具を用意した。演芸分隊は一日の休みもなく、フル稼働し、来る日も来る日も観覧を心待ちにする部隊のために、舞台に立ち続けた。ある時、演芸分隊の活動を支え続ける上官の、杉山大尉が言った。「娯楽じゃない。生活なんだよ。きみたちの芝居が生きるためのカレンダーになってるんだ。演分は全支隊の呼吸のペースメーカーだぜ。そのつもりでがんばるんだ」加藤は改めて演劇をやり続けることに誇りを持った。 春風亭柳昇の著書である『与太郎戦記』などにも通じるものがあるが、非日常下に置かれたつかの間の安らぎ、充足感を語るものかもしれない。敵の銃弾に絶命する以前に、飢えとマラリアでバタバタと倒れていく同胞を目の当たりにした時、一体、人の命なんて、なんと儚いものなのかと思わずにはいられない。そんな中、パラオの舞台に降らせた雪に、日本の家族に想いを馳せたであろう兵士らの望郷の念を想像すると、胸がはちきれんばかりに苦しくなる。 この体験談を読むことで、それぞれに感じることがあるだろう。その思いを心の片隅に残し、戦後70年の節目の年に、改めて平和を祈願しようではないか。『南の島に雪が降る』は、必読の書である。 『南の島に雪が降る』加東大介・著☆次回(読書案内No.161)は未定です、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.04.25
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【古今亭志ん生/びんぼう自慢】◆五代目古今亭志ん生が自らの人生を語り尽した一冊上方落語の継承者であり、人間国宝でもある桂米朝が亡くなり、にわかに落語に関するCDやDVD、書籍などが売行きを伸ばしているらしい。私も米朝の落語は好きで、『たちぎれ線香』など聴いている。所作、振る舞いともに上品で、厭味のない噺に大変好感が持てた。心よりお悔やみ申し上げたい。 一方、江戸落語の達人、五代目古今亭志ん生も重鎮中の重鎮である。リアルタイムでこそ知らないけれど、八方破れのような芸風を達人の域にまで押し上げた志ん生の功績は大きい。志ん生の自伝である『びんぼう自慢』の基となる随筆が発表されたのは、“サンデー毎日”という大衆誌で、きちんと一冊の本にまとめられて毎日新聞出版社から出たのは昭和39年のことだから、すでに半世紀も前のことである。その『びんぼう自慢』がちくま文庫に入って、気軽に買い求められ、読めるまでになったのは大変ありがたい。 4月は年度変わりということもあって、環境が変わったり、周囲の顔ぶれが変わったりで、慣れるまでがなかなか大変だ。そんな中、ちょっとした息抜きにこの『びんぼう自慢』はおすすめである。売れなかった極貧時代のことや、なめくじ長屋に住んでいたころのことなどどれも興味深いけれど、私はあえて「真打一家」の章にある“二人のせがれ”のくだりをおすすめしたい。志ん生の息子が「外交官になりてぇ」と言い出したところ、「よせやい、役者の世界にゃァ、家柄てえものがあるんだよ」と一蹴する。ここだけ読むと、何やら夢も希望もない鬼父のように思えるが、決してそうではない。“身の丈”というものを諭しているのだ。その後、息子は「やっぱり、オヤジさんのいうとおりだ」と言って、外交官ではなく噺家の道へと進むことになるのだが、その息子というのが、かの志ん朝である。 私事になるが、いつだったか鉄道オタクの息子が、「オレ、ジョニー・デップみたいになりてぇ」と言ったことがある。「オレ、役者になってハリウッド進出を果たす!」と。親バカの私はついつい、「努力すれば夢は叶うよ!」と言ってやりたくなった。だが待てよ、いくら親バカでも見え透いたウソなどつきたくない。努力だけではどうにもできないことがあるってことを、もうそろそろ教えてもいいだろう、とそんな気になった。 さて、この現実を18歳の息子にどうやって諭すべきか?私は考えた。考えに考えた末に、「実は私もオードリー・ヘップバーンみたいになりたくてさ~」と言ってみた。その後、息子はジョニデへのあこがれを二度と口にしなくなった。逆を言えば、ジョニデへのあこがれなんて、その程度のものかもしれない。“分相応”なんて言葉を教えようなどとは思っていなかったけれど、結果として息子はジョニデになれないことを悟った。息子は息子以外の何者でもないのである。 さて、話を『びんぼう自慢』に戻す。志ん生は、昭和36年の暮れに高輪のホテルで倒れ、病院に担ぎ込まれた。脳出血だった。処置が早かったので一命はとりとめたのだが、医者からは酒もタバコも禁止された。当然である。しかし志ん生にとってみれば、酒は三度の飯より好きなものであり、必要不可欠なものだ。病室に見舞いに来た息子を捕まえて、 「おい、お前は、親孝行かい?」「そりゃァお父さん、ご存じのとおりだよ」「親孝行ならば、ダマッて酒ェもって来てくれ」 と頼んだところ、出て行ったきりとうとう戻って来ない。あとで息子が仲間のだれかにぼやいたのを聞いたところによると、 「親孝行が、あんなにこまるもんだとは、知らなかった」 とのこと。病床の会話までがおもしろおかしいので、志ん生の病気がちっとも深刻に感じられない。(笑)『びんぼう自慢』は、ギスギスして生きる現代人のオアシスにもなり得る自伝となっている。フレッシュマンのみなさん、気晴らしにいかがでしょうか? 「貧乏はするもんじゃありません。味わうものですな」ーーー古今亭志ん生の噺より 『びんぼう自慢』古今亭志ん生・著☆次回(読書案内No.160)は未定です、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.04.12
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【梅原猛/学問のすすめ】◆知識の習得は退屈、だが必要不可欠なもの個人的な嗜好で恐縮だが、私は梅原猛が好きだ。私が高校生の時にハマった『隠された十字架』に始まり、『水底の歌』『笑いの構造』など、どれも楽しく拝読した。今回再読した『学問のすすめ』は、すでに再版はされておらず、古書店などで手に入れるしかないものだが、ぜひとも若い人たちに読んでもらいたい良書である。著者がてらうことなく、「若い時には、学問が必ずしも面白くなかった」と語っているのには、つくづく共鳴した。こんなに立派な著名人でも、若いうちはイヤイヤ勉強していたのか、、、と思うと、何となくホッとする。 『学問のすすめ』は4章から成っている。第一章 生い立ちの記第二章 創造への道第三章 新しい認識への旅第四章 仏教・実践そして人生 私がとくに秀逸だと思ったのが、第一章と第二章で、自叙伝のところなど燃えたぎる熱情にあふれている。梅原猛は仙台市に生まれ、京都大学文学部哲学科を卒業している。代表作に『隠された十字架』や『水底の歌』『仏教の思想』などがあり、研究は多方面に渡っている。もともと著者は西洋哲学に造詣が深く、そこから東洋の仏教思想へと研究の幅を広げて行く。ニーチェの説く精神の三つの段階、『ツァラトウストラはかく語りき』など読んでもさっぱり頭に入って来ないところ、梅原猛の解説により、なるほどと分かったような気になるから不思議だ。 ちょっとここでニーチェの“精神の三様の変貌”というものをご紹介したい。これは、人間の一生を通して考えた時、三段階の変貌を遂げなければ、真の人生とはなり得ないという思想だ。第一段階・・・ラクダ=忍耐重い荷を背負って黙々と砂漠を歩くラクダの姿は、人間があらゆる困難に耐え忍ぶ精神をたとえている。第二段階・・・ライオン=勇気百獣の王であるライオンは、ドラゴンと闘う。それは必死の勇気なくしては挑めない相手であり、それだけの価値がある闘争だからだ。第三段階・・・小児=創造子どもは無邪気に好きなことを楽しむために、一からスタートし、一からつくり出す。創造とは、子どもにのみ許された特権である象徴。 このラクダ→ライオン→小児というプロセスは、あくまで理想論かもしれないが、それだけに示唆的でもある。この考え方は、若い人にはちょっとだけ励みにならないだろうか?若いうちに長く、辛い修練の時が必要なのは、やがて手にする創造の秘儀のためだと考えれば、少しは精神にゆとりが持てるかもしれない。※ここでいう創造とは、梅原解釈によれば、「家庭をつくり、子供を生み、子供を育てる。それもまた大きな創造なのである」と述べている。 私が『学問のすすめ』を何度となく夢中になって読むのは、こうして梅原猛の論ずるようなことも、知っているか否かでずいぶんと人生に対する考え方や生き様が変わってくると思われるからだ。知識の習得というのは、ホンネを言ってしまえば退屈である。役に立つかどうかも分からないのに、本を読んだり勉強したりすることに、一体どんな意味があるのか?だが、『学問のすすめ』を読むと、ニーチェのことが書いてあったり、万葉集のことが書いてあったり、仏教のことが書いてあったりで、知らず知らずのうちに、ほんのわずかでも知識の習得に成功していることに気付かされる。これからを生きる若い人たちの中で、このブログを読んで少しでも興味を持ってくれたら、ぜひとも図書館に足を運んでもらいたい。そしてできれば梅原猛の『学問のすすめ』の一読を推奨する。 「真理の探究は全く孤独な仕事なのである。全世界を敵にしても、あえて戦うことのできる孤独な勇気を自己の中にもたねばならない」 『学問のすすめ』より梅原猛・著☆次回(読書案内No.159)は未定です、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.03.29
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【石田衣良/夜の桃】◆肉欲は愛情よりも濃し図書館で4~5冊借りて来ては読書するのが習慣となっているが、それらのどれもが感銘を受けるほどの格調高い作品とは限らない。中には、公立図書館所蔵とは思えないものもある。今回借りて来た『夜の桃』は、作者が石田衣良で、これまでこの作家の本は未読だったので、たまには読んでみようかと思って手に取った一冊なのだ。カテゴリは恋愛小説として振り分けて問題ない、と思う。しかし、新潮に連載していた作品とのことでちょっと驚いている。この手の小説は、どちらかと言うと“週刊現代”とか“オール読物”的な誌面に喜ばれそうだからだ。 石田衣良は、成蹊大学経済学部卒で、代表作に『4TEEN』などがある。その知名度もさることながら、直木賞作家であるのは周知のとおり。テレビのコメンテーターとしても活躍されているし、作家としても売れっ子だし、申しぶんないと言えばそうなのだが、、、気になったのは、石田自身の抱いている日本人像というもの。もしかしたら私の思いすごしかもしれないが、ちょっとだけ自国民を過小評価してはいないだろうか? 「ボクは日本人が持つ正義のスイッチって恐ろしいと思う。日本人が正義を人に押し付けるときの厚かましさや考えの至らなさは怖い。それこそこれだけ“思いやり”とか言ってる割には押し付けるときってどちらもまったく関係なくなってしまう。その強制力の強い感じがボクはイヤでたまらない」 話の前後をいくら読んでも、この言葉の真意を探るのは難しい。(早い話が島国民族としての全体主義に我慢ならないということなのか?)余談になってしまい、恐縮。 『夜の桃』のあらすじはこうだ。45歳の雅人は、広告代理店のマーケティング部に勤めていたが見切りをつけ、独立してネット広告のプロダクションを立ち上げ成功していた。美人の妻とも上手くいっているが、子には恵まれなかった。他に34歳でナイスバディの愛人もいる。体の奥底からわき上がる欲望は果てしなく、同世代の疲れた男たちとは比較にならない強靭な肉欲を誇っていた。そんな中、雅人の事務所ではもう一人社員を増やそうとしていた。面接にやって来たのは25歳の初々しい女性だった。決して美人ではなく、さほどのインパクトはなかったものの、その若さと率直さが気に入り、採用することにした。その後、機会があって食事をし、飲みながらお互いのことを話し合った。結果、雅人はその新人にも手をつけ、深い関係となっていく。雅人はこれまで何十人もの女性と関係を持って来たが、その女性との貪るような激しいものは初めてだった。肌と肌との触れ合いだけで微弱な電流が流れ、快感が押し寄せるのだった。 どう言ったら良いのだろう?読者のその時の状況によって、感想はだいぶ変わって来るのではなかろうか?少なくともひまつぶしにはなる。病院の待合室に持ち込んで読んだら、長く待たされてのイライラ感からは解消されそうだ。女性ならレディースコミックなどを好む方にはおすすめだ。難解な表現もなく、とにかく肉欲を謳歌するシーンに事欠かない。一歩間違えたらポ○ノ小説にすり替わってしまうかもしれない。いや、直木賞作家に限ってそんなことはありえまい。あくまで、恋愛小説の域にある作品だ、と思う。 『夜の桃』石田衣良・著☆次回(読書案内No.158)は未定です、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.02.21
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【久世光彦/桃ーーお葉の匂い(『短篇ベストコレクション~現代の小説2000~』より)】◆熟れた桃の匂いは死にゆく者の匂いに通ず文字で読む小説が、時に、映像となって見える場合がある。それはもう鮮やかで、スゴイ時は香りまでが嗅覚を刺激するのだ。これまでそういう経験をした作品に、向田邦子や山田太一のものがある。このたび、それに久世光彦を加えたいと思う。こうして考えると、どの作家もテレビドラマの脚本も手がけているので、視聴者とか読者の存在をものすごく意識していることが分かる。自己満足の恍惚とした世界観からはほど遠く、常に読む者の懐を探るような、繊細さと鋭さが感じられるのだ。 今さらだが、久世光彦は「くぜ・てるひこ」と読む。TVプロデューサーとしても有名で、代表作に『寺内貫太郎一家』や『時間ですよ』などがある。(これらの脚本は向田邦子が手掛けている)東大文学部卒の、いわゆるパリパリの文学畑の人物であるはずなのだが、作品は通俗的で大衆向けなのだ。だからこそ、その魅力たるや一言では言い表しようもない。 『桃ーーお葉の匂い』は、「短篇ベストコレクション」に収録されている作品である。他に浅田次郎、伊集院静、重松清、常盤新平などのそうそうたる純文学作家らの中にあって、久世光彦の作品は他のどの小説よりも異色で、燦然と輝きを放っている。 あらすじはこうだ。男は女衒を生業としていた。お葉とは、けじめのない男と女の暮らしをしていたが、今夜はお葉の姿が見えなかった。お葉の匂いの代わりに、変な匂いがした。それは、卓袱台の方からして来た。男のために用意された夕飯の匂いかと思いきや、崩れかけた大きな桃の匂いだった。その桃の匂いたるや、まるで濃密な男と女の匂いのようだった。男は、古くからの仲間の長吉から聞いた話を思い出した。長吉によると、「死にかけた女ほどいいものはない」とのこと。もはや手の指が布団の端をつかむこともなく、足指が反り返ることもなく、腰を揺すり上げる力さえ失くした女の、たった一か所だけ、力に溢れているのだという。場末の廓では、順番待ちをしている悪趣味な客が大勢いて、死にかけた女の命と引き換えに、ご祝儀を普段の10倍~20倍までにはずんで、段取りをつけるのだ。これを裏の業界では“お見送り”と言うらしい。男は卓袱台の上に乗った大きな桃の匂いから、ついつまらない話を思い出してしまうのだった。 この作品は、暗く陰鬱で覇気がない。それなのに、静かな極楽浄土を想像させられるのはどうしてだろう?登場人物たちのどうしようもない人生が、すべて肯定されるような柔軟性を感じさせる。執着というものが人間の不幸の元凶ならば、どんな男にも等しく春を売る女は菩薩なのだ。自分の身体など、あってないようなものなのだ。その行為を誰が批難などできようか? あなたの妻が、子どもが、たとえ人には言えないような職業に身を委ねていようとも、そんなことは大したことではない。右へ行こうが左へ行こうが、すべては同じ。あるのでもなく、また、ないのでもない。生きていることも死んでいることも、さして変わりがないのだ。 言葉にするのは簡単だが、理解するのは難しい。現実には、瑞々しい桃も腐りかけている桃も、同じ桃であることに違いはなく、やがて細かな毛の生えた皮膚を破って崩れ果てていく有機物なのだ。部屋じゅうに充ちた匂いの濃さだけが、その存在をかろうじて記憶させるものだが、やがてはそれも消滅する。さて、あなたはこの世のすべての執着から解放されることができるだろうか? 「この世は、一人遊びの百面相である」 作者がどんな思いをこめてこの言葉を作中にしたためたのか、想像を絶する。読者がそれぞれに思いを馳せて、この短篇小説を味わっていただきたい。 『短篇ベストコレクション~現代の小説2000~』より「桃ーーお葉の匂い」久世光彦・著☆次回(読書案内No.157)は未定です、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.02.14
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【皆川博子/流刑(作品精華~幻妖~幻想小説編)】◆女は7歳の時に人を殺した。だが誰も責めなかった。なぜか。※上記本文が「公序良俗に反する」というガイダンスのもとテキストの掲載が出来ませんでした。画像としてアップをしましたのでフォントサイズ等で見にくい事がございましたら何卒ご容赦ください。『流刑(皆川博子作品精華~幻妖~幻想小説編)』皆川博子・著☆次回(読書案内No.156)は未定です、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.02.07
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【多島斗志之/症例A】◆ノンフィクションと見紛うミステリー小説とくに予備知識があったわけでもなく、何となく多島斗志之という著者に興味を持ち、『症例A』を読んでみた。サイコ・ホラーの大好きな私にとっては、メンタルのこういう領域を扱った作品に、年甲斐もなく好奇心を抑えられないのかもしれない。ところがページをめくっていくうちに、内容が思った以上に深刻であるのに気付いてしまった。世の女性たちが飛びついて喜びそうな精神分析というスタイルを、登場人物のセリフを通して真っ向から否定しているのだ。 「精神分析なんてのは、文学であって医療ではないんだ」 その痛烈極まる批判に、実は私も同感である。フロイトやユングなどを引用した心理学入門みたいな本が、あいかわらず人気だが、私は一切信じていない。 「患者の発言とか夢とかを材料にして勝手な解釈とこじつけをするような療法は、もう、いいかげんにやめてもらおうじゃないか」 話が飛躍してしまい恐縮だが、この小説が扱っているのは解離性同一性障害、いわゆる多重人格に関する症例を取り上げている。著者である多島斗志之は、早大経済学部卒で、代表作に『クリスマス黙示録』がある。ウィキペディアによれば、“世にも奇妙な物語”でいくつかの作品が映像化されているようだ。巻末に参考文献として取り上げられた図書の数を見ても分かるが、この著者の並々ならぬリアリティ追求の姿勢に、とても熱いものを感じる。 あらすじはこうだ。榊医師は精神科医として十年のキャリアがあるが、現在勤務する病院では三日目だった。そこで担当することになった亜左美(仮名)という17歳の高校生の診断を下すのにとても苦慮した。前任者である沢村医師(事故死した)は、亜左美を精神分裂病であろうと診断していたが、榊はそれに対し少なからず疑問を抱いていた。一方、上野にある首都国立博物館の学芸部に、江馬遥子は勤務していた。遥子は一通の封書を、金工室長である岸田に見せた。その手紙は、寺の住職をしていた遥子の父(故人)に宛てられたものだった。遥子の父は田舎で寺を継ぐ前、やはり都博の学芸部に勤務していた。差出人の五十嵐潤吉は、父の当時の同僚であった。古びた手紙には、重要文化財に指定されている青銅の狛犬が、実は贋作であることが書かれていた。遥子は真偽を確かめるため、金工の目利きである岸田に、狛犬の検査を依頼するのだった。 『症例A』では、精神病院内における榊医師を主とする話と、国立博物館に勤務する江馬遥子を主とする話が同時進行し、最終的に二つはつながっていく。途中、回りくどさを感じないわけでもないが、圧倒的なリアリティを感じさせる筆致に、ページをめくるのももどかしいほどである。単なるミステリー小説として紹介するには甚だ惜しい気もするが、ラストの純愛的なしめくくりに好感が持てる。読後の爽やかさがとても良い。しかしながら、著者の多島斗志之は現在、失踪中である。2009年に消息を絶っているらしい。(ウィキペディア参照)失踪当日に、友人らに「筆を置き、社会生活を終了します」との手紙が届いたとのこと。その後、依然として行方が知れないのが気になるところである。 『症例A』多島斗志之・著☆次回(読書案内No.155)は未定です、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.01.24
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【小池真理子/ナルキッソスの鏡】◆90年代流行のサイコ・スリラーを堪能せよ「今年はチェック柄が流行だね」と、若い女性の何気ない会話を聞いたのは、つい最近のこと。そうかな?と思いながらも、確かにチェック柄のパンツやストールを身に着けている人を見かけた。でもじきに流行なんて廃れてゆくだろう。時代が一過性のものであるように、変わらないものなどないのだから。 『ナルキッソスの鏡』は、言ってみれば、スリラー小説だろう。こういうサイコ・スリラー的なジャンルが90年代の最初に、爆発的に流行したのを覚えているだろうか?有名なところで『羊たちの沈黙』がある。だが『ナルキッソスの鏡』を語る上で参考にしたいのは、『ミザリー』であろう。『ミザリー』は、1991年に公開されたホラー映画で、スティーヴン・キングの原作である。あの猟奇的な主人公を演じたのはキャシー・ベイツで、この作品によりアカデミー賞主演女優賞を受賞している。 話が逸れてしまったが、『ナルキッソスの鏡』を読んでいると、このキャシー・ベイツとオーバーラップしてしまいそうな登場人物がいて、思わずワクワクする。『ナルキッソスの鏡』が“すばる”に連載されたのも、1992年のことなので、当時としたらストライクゾーンのスリラー小説として話題にもなった。著者は小池真理子で、それまで恋愛小説を書いて来た作家だという印象が強い。成蹊大学文学部卒の言わずと知れた直木賞作家である。 あらすじはこうだ。真弓は地味で大人しい女性だったが、親友の乃里子の彼を愛してしまった。そしてその彼・健一郎も、いつのまにか乃里子より真弓を愛するようになった。二人は乃里子の目を盗んで、ドライブに出かけた。何一つ悪いことをしたわけではない乃里子に、二人は罪悪感を感じずにはいられなかったが、それでも二人は自分たちの気持ちを抑えられなかった。二人は人目を避けるように逢魔高原までやって来た。そして車を降り、川べりを散策した。すると一人の女が仁王立ちになって、釣り糸を垂れていた。その女は、まるで牛のように大きく、オーバーオールに半袖のTシャツを着ていた。女は無愛想だったが、二人に「野イチゴを食べにおいで」と家に誘って来た。断るのも失礼だと思った二人は、女の家に出かけて行くが、その後、生きて帰ることはなかったのである。 この手の小説は評価がとても難しい。映画ならゾクゾクするような臨場感とともに楽しめるだろうが、文章として頭に刻んでいくと、リアリティー不足を感じてしまうのも事実だからだ。著者の小池真理子の作風は、良い意味で大人しく静かである。ドギツイ性描写もバイオレンスもなく、物語は淡々と進んでいく。男女が何気ない生活の一コマから愛を育んでいくストーリー展開なら、あるいは逆に、別れを決意する結果に至るまでの物語なら、見事なドラマに完成させるエンターテイナーだと思われる。だがしかし、そこにミステリーや恐怖が伴うものは、視覚的にも聴覚的にも一考する余地があろう。 余談だが、吟遊映人のブログでは『ミザリー』の記事を掲載していない。本来なら参考作品として引用したいところなのに、残念でならない。『ナルキッソスの鏡』を読む前に『ミザリー』を見て、キャシー・ベイツの並々ならぬ演技に触れて頂きたい。本物のホラーとはこうあるべき、というのが分かる。映像による恐怖をとっくりと味わってもらいたいのだ。 『ナルキッソスの鏡』は、ある意味、小説の限界を知る作品とも言えるだろうか。 『ナルキッソスの鏡』小池真理子・著☆次回(読書案内No.154)は多島斗志之の『症例A』を予定しています。こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2015.01.11
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【村松友視/幸田文のマッチ箱】◆幸田露伴の娘・文についての世界観を探る一般的な女子にとっての父親という存在は、ある年齢まではあこがれであり尊敬の対象であるが、いつのまにか嫌悪感を抱くようになるものだ。何となく距離を置きたくなる存在とでも言おうか。何かの本で読んだのだが、それは当然の帰結であるらしい。遺伝子レベルで父娘の間違いを阻止するため、本能的に女子が父親を拒否するように作られているらしいのだ。それはともかく、娘は父性によって守り抜かれる。父の死ぬその日までーーー 幸田露伴は明治期の日本を代表する作家で、知らぬ者はないほどの天才作家である。代表作に『小説神髄』や『五重塔』などがあり、格調高く壮大な表現力で読者を魅了した。幸田文というのは、その露伴の娘であり、プレッシャーと闘いながらも自分流を貫いた女流作家なのだ。 『幸田文のマッチ箱』は、当時、中央公論社の名編集者であった村松友視が、自伝的な筆致で幸田文との出会いや人となりを語ったものである。村松友視は、慶応義塾大学文学部卒で、もともと中央公論社に入社したのだが、作家に転向。代表作に『時代屋の女房』や『鎌倉のおばさん』などがある。村松自身、数奇な生い立ちであり、祖父が村松梢風で、養子縁組をしていることもあり、友視が梢風の孫でありながら養子でもあるのだ。これは私の勝手な解釈だが、実父が偉大にして著名な人物の幸田文に、村松は少なからず親近感を覚えたのではなかろうか。 あらすじと言っても、あくまで幸田文という作家がどのように形成されていったのか、その内側に迫るものなので、一口に紹介することはできない。そんな中、私がとくに気に入ったのは、幸田文が銀行でもらうマッチ箱に千代紙を貼ってリビングに置いておくというくだりである。銀行のマッチ箱は味気ないので、季節の千代紙を貼ってみるという幸田文。何とチャーミングでピュアな女性なんだろう!そしてそのマッチ箱に気付いた村松友視が、珍しがって「欲しい」と言うのだ。それも幸田邸に来たたびにマッチ箱を手土産にもらって帰るというのが、ちょっとユニークではないか。 著名人の二世というと、何かともてはやされて七光を羨ましがられそうではあるが、現実はそうでもないらしい。幸田文の場合も決して羨望の対象ではなく、早くに実母を亡くし、姉を亡くし、さらには弟も亡くしている。父である露伴から厳しい躾を受け、露伴の後妻(文にとっては継母)との関わりも、微妙な空気が流れる。そういうデリケートな背景を踏まえながら一読すると、いっそう楽しめるかもしれない。村松友視、渾身の傑作なのだ。 『幸田文のマッチ箱』村松友視・著☆次回(読書案内No.153)は未定です、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.12.20
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【曽野綾子/寂しさの極みの地】◆セレブの抱える心の闇今年も残すところあと一か月。この時期になると、必ず独居老人の孤独死や中高年の自死などが取り沙汰される。それもそのはず、クリスマスや大晦日など、家族や親しい仲間と明るく楽しいひと時を過ごすことがスタンダードな常識人のあり方と見なされるようになった昨今。その枠からはみ出てしまった人々の苦悩と言ったら、生易しいものではない。孤独なことが好きだという人、行事なんかに振り回されたりしないという人ならともかく、人並みの感情を持っていれば、世間が賑やかく浮かれ騒いでいればいるほど、絶望的な気持ちを味わうのではなかろうか。だからどうなのだと言われてしまうと困るのだが、曽野綾子の『寂しさの極みの地』を読むことで、私は少しだけ救われたことをここでお伝えしたいと思う。 主人公は諸戸香葉子で、大学受験を控えた息子がいる。夫は最高級ホテルのオーナーで、一家は何不自由なく暮らしている。本来なら絵に描いたようなラグジュアリーな生活で、波乱などなく、小説のプロットとしてはちょっと弱いぐらいに感じてしまうところだ。ところがどうだ、私はここ最近読んだ小説の中では一番孤独を感じてしまったのだ。それも底知れぬ闇をだ。 あらすじはこうだ。都内に高級ホテルを経営する夫を持つ諸戸香葉子は、一人息子にも恵まれ、何不自由のない生活を送っていた。しかし結婚後すぐに感じ始めたのは、夫婦の価値観の相違だった。それがとくにハッキリしたのは、息子が大学受験を控える年になってからだ。東大卒の夫は、息子に対しては何が何でも東大に入れたいと熱望した。一方、香葉子は、いずれ父親の後を継ぐ息子にさして学歴など必要はないという考えを持っていた。ホテル業は、人の心が読め、経理と語学に強ければ学歴にこだわることはないと思ったからだ。結局、香葉子は夫に反発することもできず、言いなりとなり、息子の東大受験を黙認した。しかし息子は東大に落ちてしまう。香葉子は、滑り止めに受けた大学が合格していたので、そこに入れたら充分と思っていたところ、夫は納得がいかず、一浪させる。その後、夫の仕事の都合で息子を都内のマンションに残し、夫婦は海辺のホテルに移り住む。香葉子としては、家族がバラバラに住むことに抵抗があったが、夫に意見することもできず、受験生の息子に一人暮らしをさせることとなった。だがそのことで、香葉子と息子の間にはますます亀裂が入り、会話もなく、親子としての関係が希薄になった。息子は自分勝手な言動を憚ることもなく、父に対する態度と母に対する態度を区別し、香葉子には何を考えているのかさっぱり分からなかった。 『寂しさの極みの地』のラストはあまりに衝撃的で、救いようがない。しかし、クリスチャンである著者の用意した赦しの手段は、やはり「神」への懺悔に近いものだった。神という存在が作中ではもっと漠然としたものになっているが(夫婦の絆なんてものは元々存在せず)、むしろ手も握ったことのないような異国に住む友人からの一本の電話に救われている。主人公の香葉子は、夫という存在をあてにせず、むしろ信頼を寄せた友情の中に魂の癒しを求めているのだ。 率直な感想として、これほど孤独を煽る小説はないと思った。その反面、これが現実なのだろうという苦し紛れの肯定をせずにはいられない。経済的に恵まれたとしても、精神の安定と充足がなければ、人生は空虚なものでしかないという定番中の定番とも言えるテーマだが、この年の瀬には持って来いの作品だと思う一冊なのだ。 『寂しさの極みの地』曽野綾子・著☆次回(読書案内No.152)は未定です、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.12.13
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【江國香織/犬とハモニカ】◆優雅で上品、まるで海外小説の翻訳を読んでいるよう昼寝から目が覚めた。ごわごわする布団をどけて徐に上体を起こし、また眠りに引き込まれないようにする。だが、それでもダメな場合はあきらめるしかない。(単に昼寝のあとのことだけど、江國香織風の文体にしてみた。) とても不思議なんだけれど、読後ものすごく雰囲気に酔わされてしまう作家というのがいて、私にとってそれは村上春樹と江國香織なのだ。日本からかけ離れた渇いた空気と香りを感じる。ジメついていなくて、優雅で、まるで海外小説の翻訳を読んでいるような錯覚に陥ってしまう。 江國香織は目白学園女子短大国文学科卒。その後、デラウェア大学に留学したようだ。(ウィキペディア参照)代表作は今さら紹介するまでもないが、『きらきらひかる』があって、それは映画化されているし、『号泣する準備はできていた』で直木賞を受賞している。辻仁成との共著である『冷静と情熱のあいだ』も話題となった。 『犬とハモニカ』は短編集となっていて、どれも文学的な香りがプンプン匂う。おさめられているのは表題作である『犬とハモニカ』『寝室』『おそ夏のゆうぐれ』『ピクニック』『夕顔』そして『アレンテージョ』の6篇である。どれも好きな作品だが、私がものすごくホラーを感じたのは『ピクニック』である。あらすじはこうだ。 「僕」と杏子は結婚して5年になる。杏子の嗜好で、近所の公園に度々ピクニックに出かける。と言っても、結婚前にはそういう習慣はなく、ある日いきなり始まったのだ。「僕」は杏子を風変わりな女性だとは思っていた。でもそれはあくまで「個性的な子」という意味で理解していた。だが少しずつ「僕」は杏子のことを魔女のようだと思い始めた。たとえば杏子は夫である「僕」の名前を、どうしても覚えられないでいた。「裕幸(ヒロユキ)」が正しいのに、「ユキヒロさん」と言ったりした。いつも自信なさそうに呼ぶのだった。あるいはベッドの上でも顕著なことがあった。「僕」が望めば拒みもせずに脚を開き、背を反らせる。「僕」にまたがって、「僕」自身を深々とくわえてもくれる。決して嫌がりはしない。「僕」は杏子に乱暴になり、おおいかぶさり、彼女を突き、離れ、また突く。だが杏子は行為の後、不思議そうな顔をしているのだった。 『ピクニック』に登場する杏子は、あるいは病んでいる女性かもしれない。だが「病んでいる」とは一言も触れていないところがコワい。読者は「僕」といっしょになって杏子の異常性を知り、恐怖を覚えるのだ。快楽を貪ることは、決して大きな声では言えないけれど、実はとても人間らしい営みと言える。感情を伴わない相手と肉体関係を結ぶことは、とても虚しい。「気持ちイイ」も「イタイ」もなく、淡々と行為を進行していくことの無機質さと言ったらない。この部分を読んだ時、いかに喜怒哀楽が人間としての本質的な感性であるかを思い知ったのである。 江國香織の作品は、決して多くを語らないけれど、読者に「あなたはどう思う?」と問いかけて来るような響きがあって、私には心地よい。上品な小説を読みたいと思っている方におすすめだ。 『犬とハモニカ』江國香織・著☆次回(読書案内No.151)は未定です、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.11.29
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【藤堂志津子/やさしい関係】◆友だち以上、恋人未満の関係は存在するのか?※上記の文章をテキストでアップしようとしましたが「猥褻、公序良俗に反する」をいうガイダンスが出たため、画像としてアップしています。☆次回(読書案内No.150)は江國香織の『犬とハモニカ』を予定しています、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.11.22
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【姫野カオルコ/ハルカ・エイティ】◆80歳のモダンガール・ハルカの一代記今年のお盆にも、叔母のお宅へとおじゃまさせてもらった。何てことはない。お昼をご馳走になり、近況などをあれこれ話した後はお茶を飲んで、じゃあそろそろ、、、という具合で帰路につく。叔母は、私の亡母と親子ほど年の離れた姉妹で、一番仲が良かったのだ。 「ねぇちゃんは結婚は遅かったけど、いつも誰かしらお付き合いしている男の人がいたよ」 それは本当に初耳だった。 「チビだし、太ってたし、相手はねぇちゃんのどこが気に入ってたんだか、、、?」 きっと昔はもっとおおらかな時代だったのだろう。そんな体型の母でも男の人からは好かれたらしい。今は細身でガリガリぐらいじゃないと、キレイだとは言われない。服のサイズは9号だと言える女じゃなければ、表舞台からは引っ込んでいなければならないのだ。 「ねぇちゃんは一家の大黒柱で、あたしらはみ~んなねぇちゃんの稼ぎで学校を出してもらった身だで、なんだかんだ言って結婚してもらったら困るっていう考えがあったんよ」 叔母は申し訳なさそうに、ポツリと言った。昭和3年生まれの母が、何らかのきっかけで付き合うようになった男の人の中には、妻子ある身の人もいたらしい。妻も子も捨てると言ってきかない人だったのか、あるいはそこまでの勇気はなかったのか、自然消滅だったのか、、、。とにかく母は、その恋を中断した。そうでなければ、今の私はこの世に生まれていないからだ。 『ハルカ・エイティ』は、大正生まれの女性が教育者の家庭に育ち、女学校時代の友人たちと青春を謳歌し、やがてお見合い結婚して子どもを生んで、、、という伝記小説のようなスタイルを取っている。おもしろいのは、この時代の女性のあるべき姿という固定観念を覆すようなモダンぶり。亭主も子もいながら、年下の男性と不倫をし、お金を貢ぎ、恋の潮時を心得た女の生き様。この時代の女性が皆が皆、貞淑だったと思うのは大きな間違いなのだ。人間として生まれた性なのか、いつの時代にも公にはできない秘密の恋があったのだ。『ハルカ・エイティ』は、著者・姫野カオルコの伯母をモデルとして描かれたモデル小説である。 姫野カオルコと言えば、近年、直木賞を受賞した作家だが、正直なところ他の作品はまだ読んだことがない。この「カオルコ」というペンネームが、何というか、若い(?)感じがして敬遠していたのだ。ところがプロフィールを閲覧してびっくり!私よりもずっと年上で、50代半ばであった。青学の文学部を卒業している。代表作は『昭和の犬』『ツ、イ、ラ、ク』などがある。 『ハルカ・エイティ』のあらすじはこうだ。1920年、持丸ハルカは教育者の家庭に生を受けた。長女である。その後、ハルカの母は二年ごとに受胎と出産を繰り返し、妹弟はハルカも含めて5人となった。父親の昇進で、一家は引っ越すことになった。女学校時代は、個性的な友人たちに恵まれて楽しい青春を謳歌した。年ごろになると、ハルカはお見合いをすることになった。陸軍士官学校を出た少尉候補生の、小野大介という青年が見合い相手であった。ろくに話もせず、顔をまともに見ることはなかったが、次に会った時には祝言を挙げた。戦時下での結婚はだいたいがそんなものだったからだ。二人は西洋風のホテルに泊まり、順番に風呂に入ると、そのあとはすることをおこなった。まるで、手術のような儀式だった。 内容は至って平坦なものである。それなのにおもしろいし、新しさを感じる。食糧事情の悪い戦時下でも何となく明るさが感じられるし、不倫の際中もドロドロしたいやらしさがない。きっとモデルの伯母さんが気丈で活発な人物だったのだと思う。 何てことはない物語だけれど、80歳になっても生き生きとしたコケティッシュな雰囲気を醸し出すハルカみたいに年を取りたい、と思わせたら筆者の勝ち。そういう小説なのだ。 『ハルカ・エイティ』姫野カオルコ・著☆次回(読書案内No.149)は未定です、こうご期待♪★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.11.15
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【田辺聖子/おちくぼ姫】◆古典名作『落窪物語』を分かり易く現代文にした作品せっかく日本人として生まれたからには、日本の古典文学にもある程度親しんでおきたい。とはいえ、現代語と古語では日本語と英語ぐらいに読み下していくのが面倒なものである。だいたい古典なんて学校の授業で教わったところはほんの、ほんの触りに過ぎないもので、原典を隅々まで味わうのは不可能に近い。もちろん、意識的に古典を親しむ習慣のある人なら何の問題もない。私のように、古典文学に興味があるけれど、原文のままではちょっと、、、という人がどうするか?当然のことながら、現代文に分かり易く翻訳されているものを読むということになるだろう。 『おちくぼ姫』は、田辺聖子によって『落窪物語』をある程度はしょって、おもしろいところをクローズアップした作品である。もともと『落窪物語』を原典で読もうとしたら四巻まであるのだから、あらましさえ知っておけばいいという場合はこのアンチョコ本で充分というわけだ。 田辺聖子は、現在の大阪樟蔭女子大学の国文科を卒業している。(まだ女子専門学校と呼ばれる時代。)代表作に『感傷旅行』や『ひねくれ一茶』などがあり、数多くの古典文学の翻訳を手掛けている。『おちくぼ姫』は、簡単に言ってしまえば、継子いじめの小説で、女性読者が大好きな純愛モノなのだ。 あらすじはこうだ。時代は平安朝。それはそれは見目麗しいお姫さまがいた。しかし、姫の実母は6歳の時に亡くなり、今は継母から酷くいじめられていた。異母妹たちは皆きれいな着物を着て、優雅に暮らしている中、一人だけ母の違う姫君は差別を受け、みすぼらしい部屋の、床が低く落ち窪んでいるところに住まわせられていたため、“おちくぼの君”と呼ばれていた。そんな中、乳姉妹であり召使の阿漕だけはおちくぼの姫の幸せをだれよりも願っていた。阿漕はどんなことがあってもおちくぼの姫から傍を離れず、よく仕えた。ある時、阿漕は夫の帯刀とともに、右近の少将という名門の出自で、しかも美青年の殿方を、おちくぼの姫と引き合わせようとあれこれ計画を練るのだった。 文庫本のあとがきにもあるように、この古典は「日本のシンデレラ物語」である。当時、上流階級の殿方は、妻を何人も囲うのが常識だったが、この物語では男の純愛を描くものであったため、女性読者から支持を受けたとのこと。西欧では『シンデレラ』や『白雪姫』などの純愛物語が燦然と輝く児童文学として存在するけれど、日本にも千年も昔にあったというのは驚きだ。単純と言ってしまえばそれまでだが、安心して読めるのが何より嬉しい。不幸な少女が様々な艱難辛苦を乗り越えて、ハッピーエンドで終うのはやはりホッとする。こういう定番スタイルがあってこそのラブ・ドラマだと、つくづく感じる古典名作なのだ。 『おちくぼ姫』田辺聖子・著☆次回(読書案内No.148)は姫野カオルコの「ハルカ・エイティ」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.11.08
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【内田春菊/キオミ】◆すぐにパンツを脱ぐ小説私の親しくしている友人で、約一名、性欲の塊(?)のような人物がいる。女性だが、底知れぬ異性への枯渇を感じてしまうのだ。でも私はそれが彼女なりの恋愛の延長線上にあるものだと認識している。43歳という年齢への挑戦もあるかもしれない。ダイエットに成功し、白っぽい柄物のチュニックを着たり、ピチピチのジーンズを穿いたり、耳にピアスを開けたり、とにかくフェミニンな印象を心掛けているようだ。仕事柄、腰痛を持ち、膝を悪くしているので、週一で整形外科にも通院している。それでも彼女は9歳年下の片思いの彼を求めてやまない。彼とはそういう関係になりたくて仕方がないようだ。男女の恋愛の行き着く先は、肉体関係を結ぶというごくごく原始的な行為に過ぎないのだろうか。私は否定もしない代わりに賛成もしない。枯れてゆく自分が瑞々しい彼女に嫉妬してふてくされているとは、思いたくない。 ただ、私と同年齢なのに9歳年下の男性に丸裸の自分をさらけ出して突進していく姿は、私にはとうていマネなどできない。 「男に恋をする時、女はバカにならなくちゃ」 というのが彼女の持論だ。とにかくまぶしい。妖艶な輝きを放っているのだ。 そんな中、私は内田春菊の『キオミ』を読んだ。これはまぁ、言ってみれば村上龍の『トパーズ』的な作品である。著者が女性なだけに、『トパーズ』よりはいくらか感傷的な感じだ。この作品に触れる前に、著者である内田春菊の背景を探ってみたいと思う。 代表作は『ファザーファッカー』があり、これを読むと内田春菊が父親(養父)から受けた性的虐待、妊娠→堕胎までの壮絶な過去が赤裸々に語られている。思うに、この作家は物書き以外で自身を救い出す術などなかったのではなかろうか?漫画家としてデビューを果たしている人だが、自分という存在を冷静で客観的に表現するには、何をやっても持て余してしまうような苛立ちを常に感じている人だ。 『キオミ』は短編集で、7作品が収められている。表題作でもある『キオミ』は、驚愕の性小説だ。 キオミは妊娠した。夫の晋は生んでくれと言う。だが晋は結婚前から女たらし、職場の女の子と浮気をしている。出張と偽って女と旅行に出かけ、一週間も留守している。キオミは何より、性欲のやり場に困ってしまった。欲情を抑えることができず、晋の職場の同僚である近藤を自宅に呼んだ。近藤は晋とは全く違う愛撫で、キオミを何度となくイカせ、確実な刺激で悦ばせた。その晩、キオミと近藤は何度も何度もやり続けた。一方、夫の晋も女とグアムまで旅行に出かけていたのだ。 作中に登場する男も女も、これという背景があるわけではない。とにかく性を謳歌したい若い男女である。そこには、恋も愛も存在しない。下半身を自在に操り、快楽を貪る生々しい男女が絡み合う姿を描写しているに過ぎない。会話に深い意味などさらさらなく、「あっあっ」とか「勃ってる」「いやあん」などの表現が主である。 私が半ばあきらめている性への積極性が、この作品には満ち満ちている。疲れた自分を鼓舞したい時、若返りたい時に読むと、目覚める(?)かもしれない。男女問わず、興味のある方はどうぞ。(笑) 『キオミ』内田春菊・著☆次回(読書案内No.147)は田辺聖子の「おちくぼ姫」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.11.02
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【三浦綾子/氷点】◆汝の敵を愛することは可能か?予定しておりました村松友視の『幸田文のマッチ箱』は、こちらの都合で後日の公開とさせていただきます。予定を変更しまして、たいへん恐縮です。 久しぶりの読書案内です。どうぞお付き合い下さい。 ファッションにしろ音楽にしろ、その時代に流行する傾向みたいなものがある。どうしてそういうタイプが流行るのか、その都度、大衆にアンケートでも取ってみなければ分からないことだが、後年になって当時の流行の理由みたいなものがおぼろげながら判明したりする。 三浦綾子の『氷点』も、当時は大ベストセラーとなった作品である。昭和39年に、朝日新聞が一千万円懸賞小説の募集をしたところ、入選したのがこの『氷点』なのだ。著者の三浦綾子は北海道旭川市出身で、最終学歴は市内の女学校である。(北大医学部を休学のままに至る)代表作に『塩狩峠』『道ありき』などがある。『氷点』は一口に言ってしまうと、何やら壮大なヒューマンドラマにも思えるし、サスペンスドラマとしても捉えられる。とにかくドラマの中のドラマと言ってしまっても過言ではない。私が幼いころ、山口百恵・三浦友和のゴールデンコンビで出演していたテレビドラマなどを彷彿とさせる。(宇津井健なんかも出演していた記憶がある。)今よりもずっと娯楽の少なかったこの時代、これぐらいドキドキハラハラさせられるストーリー展開は、大衆にとってつかの間の刺激であり、渇いた心への潤いであったに違いない。時代が求めていたのは、正に、『氷点』のような作品だったのだ。 その『氷点』のあらすじはこうだ。 旭川市郊外で、辻口病院長を務める辻口啓造宅で、妻の夏枝と、辻口病院の眼科医である村井が差し向かいで座っていた。村井は夏枝が人妻であるという立場も忘れ、自分の想いを告げ、迫っていた。そこへ、夏枝の3歳になる娘・ルリ子が割って入って来た。ルリ子は遊んで欲しかったのだ。夏枝は村井の熱情をきっぱり拒もうと思えばできたのに、それができず、ルリ子に「外で遊んでいらっしゃい」と言ってしまう。夏枝はもうしばらく村井と二人きりでいたかったのだ。村井は自分の感情を抑えることができず、夏枝の唇を奪おうとしたが、夏枝がそれを拒み、結局、夏枝の頬をかすめただけに終わった。村井が出て行ってしまった後、まるで入れ替わるようにして夫の啓造が帰宅した。時計が5時半であることに気付いた夏枝は、ルリ子が遊びに行ったきり帰って来ないのが心配になった。あちこちルリ子が行きそうなところを捜してみたものの、見つからない。警察にも届けを出したが、結局見つかったのは翌日のことで、しかも川原で他殺体となって発見されたのだ。父である啓造は、愛娘を殺された悔しさから、歯をくいしばって声を押し殺して泣いた。同時に、夏枝と村井との間にあったことを疑わずにはいられなかった。自分が不在の時、ルリ子を外に出しておきながら夏枝と村井は一体何をやっていたのだろうか?啓造は疑心暗鬼に陥るのだった。 『氷点』がおもしろくなるのは、亡くなったルリ子の身代わりとして乳児院から女の子をもらい、育てるところからだ。その女の子は陽子と名付けられるのだが、なんとルリ子を殺した犯人の子であるといういわくつきなのだ。また、夏枝に迫っていた村井も肺結核を患い、サナトリウムで療養することになり、病院を去る。さらには成長した陽子がそれはそれは清純で美しく、兄妹として育ったのにもかかわらず、兄の徹が陽子を異性として愛し始めてしまうのもドラマチックだ。とにかく次から次へと絡み合う人間模様から目を離せない。 この作品からは様々なテーマが投げかけられているように思えるが、中でも印象的なのは“汝の敵を愛せよ”という聖句である。敵を愛するというのは非常に難しい。そんなことすんなりできるわけがない、キレイゴトに過ぎない、と思ってしまう。クリスチャンである三浦綾子は、そのことに対しとても謙虚な姿勢で、作品を通して向き合っている。 内容的には時代性を感じさせるものの、この長編小説を読むことで、甘美な恋愛の情緒と同時に、人間の暗さ、罪の深ささえ気づかせてくれる。生涯に一度は読んでみたい作品なのだ。 『氷点』三浦綾子・著☆次回(読書案内No.146)は内田春菊の「キオミ」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.10.26
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【海音寺潮五郎/天と地と(下)】◆隣国の強は国の衰ふるなり人生とは闘いである。戦国を生きる武将なら、皆が領土拡張に心血を注いだ。なぜなら、敵が強大になることを防ぐためであるからだ。古い中国のことわざに、「隣国の強は国の衰ふるなり」というのがある。(※『天と地と(下)』より参照)つまり、敵が巨大化するのを指をくわえて見ていたら、自分の免疫が侵され弱体化するということだ。 例外なく景虎も戦うしかない。駿河に向かって野心を募らせる武田信玄、小田原北条氏の横暴、全てが景虎にとって因縁であり脅威であった。そんな中、景虎は関東管領に就任し、上杉の家督も譲られ、上杉政虎と改名する。だが宿命のライバル武田信玄との決戦は、避けられるものではなかった。 『天と地と(下)』では、何と言っても川中島の決戦が山場となっている。読者はこの一戦を楽しみたくて、一心にページをめくるのだが、その決戦に近づくとにわかに怖気づく。この名勝負の後に何が残るのか?死にもの狂いで雌雄を決するこの兵どもの夢のあとに、果たして希望はあるのか?一瞬にして歴史の残骸に打ちのめされ、現実に引き戻される自分がいる。 政虎はいつも神仏とともにあった。つまらない小細工などせず、正々堂々と戦うことを潔しとした。そこに卑怯な策は用いず、刻々と変化する戦況に身を委ねるのだった。一方、武田信玄は政虎と対極にある人だった。綿密な打ち合せのもとに事を運ばねば、落ち着かなかった。細部に渡って戦術を練り上げ、実行する。信玄の兵法は隙がなく、限りなく完璧を求めた。だから政虎が妻女山に陣を置いた時、信玄にはその作戦の意図が分からなかった。妻女山なんかに陣を張れば、袋の中のねずみに等しい。兵法者としては、あるまじき行為だったからだ。信玄は考えに考えた一体なぜ妻女山に?崖の上に立って、妻女山を望んだ。下界には霧がこめ、妻女山にも薄くかかっている。そこで信玄はハタと後悔する。 「おれとしたことが、何ということをしてしまったろう。やつを死地に追い込んだつもりでいたが、おれこそ死地に引きずりこまれる寸前に立っている。やつはおれをおびきだして、一か八かの勝負をいどみかけようとしているのだ!」 信玄は漸く政虎の真意を悟り、慌てて本陣を茶臼山に移した。相手にとって不足はなし、さすがは武田信玄である。 『霧は益々深くなって、今は空にある月の姿も見えない。漠として天地を閉ざす霧のこまかな粒子の一つ一つに月光がこもって真珠色の厚い幕となり、一間も離れればもう何も見えないほどであった。』 上杉勢は、ひたひたと武田勢に近づいていた。それは風の草原を過ぎる音とも、遠い川瀬の響きとも知れなかった。すべては霧に包まれ、異様な物音だけが聴こえて来たに過ぎない。こうして上杉・武田両軍の戦の火ぶたは切って落とされたのだ。 私たちは、事を起こす時、どうかすると計画通りに推し進めようとする。少しでも面倒を省き、合理的に済ませたいからだ。だが、上杉謙信の清々しさを目の当たりにした時、そのあふれる男性的気概に思わず圧倒される。すべてを天に委ね、何の駆け引きもなく、全力で敵にぶつかっていく姿は、上杉謙信以外の武将には見受けられない。海音寺潮五郎の描く上杉謙信は、清廉で、神仏と秩序を重んじた、無類の闘将である。私はこの謙信の生き様が大好きだ!できるなら一人でも多くの方に『天と地と』を読んで、謙信のあれやこれやを知って頂きたい。おすすめの逸作だ。 『天と地と(下)』海音寺潮五郎・著☆次回(読書案内No.145)は村松友視の「幸田文のマッチ箱」を予定しています。『海音寺潮五郎/天と地と(上巻)』はコチラ『海音寺潮五郎/天と地と(中巻)』はコチラ★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.09.27
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【海音寺潮五郎/天と地と(中)】◆血を分けた兄弟間の争いはいつの世も同じ私の知り合いの某さんは、男ばかりの三兄弟だった。実家は祖父の代から続く老舗の仕出し屋で、当然のことながら三兄弟のうち長男が跡を取ると思われていた。というのも、三兄弟の父親は、すでにこの世の人ではなかったからだ。経営者である祖父亡き後は、祖母が経営の全てを掌握していたのだが、直系の孫である三兄弟を見る眼差しは、優しい「おばあちゃん」ではなく「代表取締役社長」としてであった。 「長男は人の上に立つ器じゃない。二男を後継者とするわ」 という鶴の一声で、三兄弟のうち二男坊が経営者となった。跡取りの座を二男に譲らなくてはならない長男の心情はいかばかりかと、こちらが心配になるのもよそに、当の長男はサバサバとしたもので、代表という重圧から逃れられたことをむしろ喜んでいる様子さえ見られた。それにしてもこの時の祖母の決断は正しかった。長男は体が弱く、若くして夭逝してしまったからだ。他にも、長男では経営者として不向きな点はいくつかあったようだが、他人から見れば、何がどう二男より劣っているのかは分からない。長年、その気質・性格を見続けて来た者にだけ判断のできることだったのであろう。 前置きが長くなってしまったが、越後の長尾家でも、何やら兄弟間できな臭いものが漂っていた。私の知り合いの三兄弟とは違って、もっとドロドロとしている。 『天と地と(中)』において、とりあえず長男・晴景が長尾家の当主となり、新守護代となったものの、凡庸な器量ゆえか、合戦で武名を挙げるということが一切なかった。翻って異母弟である景虎には、利発さや勢いもあり、数々の合戦で味方を勝利に導いたのである。弟の活躍がおもしろくない晴景は、景虎を目の敵にし、いよいよ兄弟関係が悪化する。結果、兄弟間の熾烈な跡目争いの形を取るのだが、この戦いはあまりに晴景の分が悪すぎた。威勢が良かったのは最初だけで、勝ち目がないと分かるやいなや、命乞いの姿勢を取った。越後の守護代ともあろう長尾晴景は、不安と恐怖でおそれおののくばかりだった。もともと景虎に兄殺しの不義の弟となるつもりはなく、とにかく兄には政から一切手を引かせ、隠居の上、春日城から去ってもらえればそれで良かった。こうして兄に勝利した景虎は、若干二十歳で長尾家の当主となり、越後統一を実現させるのだった。 さて、私がこの本を読んでいて感じたのは、景虎は神経症を患っていたのではなかろうか、というものである。生涯独身でいたことと何か関係があるかどうかは分からないが、どうも度々鬱々とした心理に苛まれていたようだ。その虚無感に襲われた時は、その都度堂内の毘沙門天に礼拝し、救いを求めた。名僧と謳われた徹岫宗久からは、 「人間の生れながらの知恵才覚や善良な心などというものは、頼りないものじゃ。一にも打座、二にも打座、三にも打座。坐ること以外にはござらぬ。坐りなされ」 と助言を受けた。とはいえ、景虎の胸中を騒がせる様々な雑音・雑念は絶えることがなく、専一になれない。結局、景虎は高野山へと向かう。 “禅宗の信者でも、天台宗の信者でも、一向宗の信者でも、それはかわりはなかった。おかしな話ではあるが、日本人には神様にたいする信心と弘法大師にたいする信心は宗派信仰とは別なのである” そのとおり。景虎がそうであったように、古来日本人のほとんどが、高野山を救いの場としている。それは理屈などではなく、日本人としての魂が欲する清涼な空間が広がっているのだ。今を生きる私たちも、景虎の迷いは他人事ではない。鬱として晴れない時、心を正常に戻したい時、いつも心の中の高野山に手を併せたくなるのだ。 『天と地と(中)』海音寺潮五郎・著☆次回(読書案内No.144)は海音寺潮五郎の「天と地と(下巻)」を予定しています。『海音寺潮五郎/天と地と(上巻)』はコチラ★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.09.20
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【海音寺潮五郎/天と地と(上)】◆優秀な人材こそ人を育て、国を盛り立てる私が歴史上の人物で大好きなのは武田信玄で、その気持ちが揺らぐことはないと思っていた。それは、こちらのブログでも取り上げた新田次郎による『武田信玄』を読んだことで、何やら戦国武将の熱い血潮と漲る野性に強烈な魅力を感じたからであった。それがどうだ、人間の感情ほどあてにならぬものはない。あれだけ傾倒していた武田信玄から、いとも簡単に上杉謙信に対して並々ならぬ興味を抱くことになろうとは!もちろん、武田信玄に対する熱情が冷めたとか嫌いになったとかいう話ではなく、武田信玄も好きだが上杉謙信もまた好きだということなのだ。たとえるなら、大沢たかおも好きだが福山雅治も好きだというような感覚である。(←わざわざたとえるほどのものではないけれど、、、) 前置きが長くなってしまい恐縮だが、私が上杉謙信という人物に興味を抱くきっかけを作ってくれたのは、海音寺潮五郎の『天と地と』という著書である。海音寺潮五郎は国学院大学卒で、もともと中学校教員として勤務していた。先生として働きながらの執筆活動で、多忙を極めながらも、よくぞあきらめずに創作を続けられたものだと、今さらながら敬意を払わずにはいられない。(後に教員を辞め、作家業一本にする。)文体は緻密で、まるで戦場で傍観者として、事の一部始終を見て来たように描写している。登場人物のセリフには力があり、読者がページを追うごとに行間から感じられる味わいが、もう何とも言えない。見事な筆致である。 『天と地と』(上)では上杉謙信の出生と、父から愛されることのなかった幼少期、だが生まれ持った聡明さと頑なまでの意思の強さなど、性格や性質が丁寧に描かれている。あらすじはこうだ。 越後の守護代・長尾為景に男児が誕生した。為景はこの時すでに63歳で、妻はまだ20歳であった。年が孫ほどに離れていたが、美女として名高い姫君を妻妾としてもらい受けることに、何の申し分もなかった。ところが嫁いで早、三月目にみごもったことが分かり、にわかに妻への疑惑が生じた。みごもるには早すぎるのではないかと。そんなあらぬ疑いに駆られたこともあり、生まれて来た男児を為景は愛さず、目もくれなかった。この時の男児こそ後の上杉謙信である。産後の肥立ちの悪かった為景の妻は、この後まもなく死んだ。さらには、越中勢との戦で、猛将と呼ばれた為景も討死した。いよいよ越後は、お家騒動の危機に瀕した。しかし、知将・宇佐美定行の筋の通った意見が通り、長尾為景の嫡男である晴景が新守護代として決定した。この晴景は、景虎(後の謙信)にとって異母兄であったが、賢さに足りず、武勇にも長けてはいなかった。とはいえ、武将の器たる気質を持ち合わせていた景虎は、この時まだ13歳。いかんともしがたい立場にあった。 長尾景虎にとって幸いしたのは、人との出会いであろう。まず、守り役に就けられたのが忠臣・金津新兵衛である。また、兵法の師として仰いだのが宇佐美定行。さらには亡父の妻妾であった女傑・松江。それらの優秀な人材が、景虎を支え、盛り立てたのだ。不遇な幼少期を送った景虎が、世に出るまでの間に経験したであろうあれやこれやが、手に取るように分かる。不朽の名作というのは、正にこういう作品をして言うのではなかろうか。歴史ファン必読の書である。 『天と地と』(上) 海音寺潮五郎・著☆次回(読書案内No.143)は海音寺潮五郎の「天と地と(中巻)」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.09.13
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【勝海舟/第六巻・明治新政】◆激動に揺れる近代日本のあり方を考察する『勝海舟』は、昭和16年から6年に渡り中外商業系(現・日本経済新聞)の新聞に連載された小説とのこと。官能小説として名高い『失楽園』を連載していた新聞と同一と考えると、何とも不思議な気がする。硬派な『勝海舟』を、毎朝一読し、男一匹孤高に生きようと、勇気づけられ励まされた男性が、当時、数多くいたに違いない。敗戦の痛手も癒えぬ戦後の変革期に、『勝海舟』は江戸政府の終結と明治維新という、世の中がガラリと変容したその時期と概ねマッチしていたのかもしれない。 文庫本にして全6冊ともなる長編小説だが、最終巻である第六巻を読了後は、一抹の寂しさを感じる。たとえそれが再読であったとしても、この第六巻にさしかかると、まるで一つの歴史が閉じられてゆくのを傍らで見守る立会人のような感覚になってしまうのだ。そんな『勝海舟』の第六巻のラストは、正直なところ、尻切れトンボのようにプツリと終わっていて、何となく落ち着かない。もう少しこの後まで書いて欲しかったという気持ちは否めない。巻末の解説にもあるように、「この長編は勝海舟の一代記という面からいえば未完である」とのことなので、ラストに対する多少の不満は、だれもが抱く感想の一部なのであろう。とはいえ、波乱に富んだ勝麟太郎の半生を楽しむ分には、充分過ぎるほど魅力的で、子母澤文学の代表作として申し分のない大河小説に完成されている。 第六巻では、世の中の大変革事業に応じて、新しい分子が次々と登場する。その筆頭に、大村益次郎がいる。筆者は、勝海舟の口を通じて、このように大村を評している。 「国を治めるのも、万国と交際を結ぶも強い武力が無くてはいかんというところに、あ奴(大村益次郎)の大そうな間違いがあるんだ」 あるいはこうも言っている。 「永ぇ間、武家のおもちゃにされて来た日本国が、今度ぁ姿形は変っても、只々武力を奉ずる奴らにおもちゃにされるようになったんじゃあ、とんと、うだつが上がるめぇじゃあねぇか」 一方、江戸城を開け渡してしまった徳川幕府は、今やわずか70万石となって駿府(現・静岡)へ下って行く。時を同じくして、勝もまたそれに準ずる。他方で、旧海軍を率いて脱走した榎本武揚は蝦夷へと落ちてゆく。 作品はここへ来て、たたみかけるように激動に揺れる近代日本の考察に取り掛かっている。こんなことがあった、あんなことがあった、しかしあれはまずかった、こうするしかなかった等々、、、様々な思惑を登場人物のセリフを借りて語りかけて来る。現代を生きる我々にとって、幕末の動乱は大和民族の熱いロマンさえ感じるかもしれない。しかし、『勝海舟』を読了することで、そのような無責任極まりない感想は消え去るに違いない。もっと痛々しく残酷で、しかも陰惨なものである。(それを著者はサラリと書いているため、通常は見逃してしまいがちだ。)とはいえ、勝麟太郎とその父・小吉の、物質的には貧しいながらも、精神的には豊かだった時代などを噛んで味わうようにして熟読した時、いかに心の豊かさが大切であるか、伺い知れる。現代人の欠落した気力や感動の源も、この大河小説の中には溢れる清水のように湧き出している。なにぶん長編小説なので、短時間で読了できるものではないが、時間を作り出してでも読む価値のある全六巻なのだ。 『勝海舟』~第六巻・明治新政~ 子母澤寛・著☆次回(読書案内No.142)は海音寺潮五郎の「天と地と(上巻)」を予定しています。『勝海舟』~第一巻・黒船渡来~はコチラ『勝海舟』~第二巻・咸臨丸渡米~はコチラ『勝海舟』~第三巻・長州征伐~はコチラ『勝海舟』~第四巻・大政奉還~はコチラ『勝海舟』~第五巻・江戸開城~はコチラ★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.09.06
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【勝海舟/第五巻・江戸開城】◆徳川泰平の世も夢のあと、時代は変わる私の高校時代の同級生の中で、ほとんどが進学するのに、一人だけ公務員試験を受けて町役場の職員となったクラスメイトがいる。時代はバブル期、ちょっとした女子の集まりで、就職して初めて手にした給料の話で盛り上がったことがあった。私も含めた民間の会社に就職した者の手取りが13万円前後だった時、公務員の友人の手取り初任給は、当時、9万円だったと。「えーっ?! 9万円? 信じられなーい!」と、みんながみんな大騒ぎした。そんな金額、学生時代の夏休みのバイト代ぐらいだと、誰かが言った。あれから24年が過ぎ、時代は変わった。民間の会社に勤務していた友人は、皆がそれぞれの都合で退職した。中には会社が倒産して辞めた者もいる。そんな中、公務員の友人はいまだ変わらず従事しているし、人づてに訊いたところによれば羽振りも良く、外車に乗っているとか。諸行無常を感じる今日この頃である。 勝海舟はもともとわずか四十俵という小禄の身分から、今や幕府になくてはならない存在で、陸軍総裁となっていた。幕末の動乱期でなければ、これほどの出世は見込めない。時代は変わったのである。第五巻では、すでに徳川慶喜が恭順の意を示したにもかかわらず、薩長倒幕軍の追跡は熾烈を極め、幕府軍からの脱走兵が続出するという有り様が語られる。一方で、江戸市中では、一部の暴徒が江戸を戦場にして薩長と戦おうとする不穏な動きや言動が、そこかしこで飛び交った。こういう風評がますます官軍に猜疑心を起こさせ、慶喜の立場を悪化させていった。これを何としてでも晴らさねばならない。慶喜は、何事にも朝命に背かぬ赤心を示すため、山岡鉄太郎をもって朝廷へ恭順の真意を伝える任命を課した。さらには、勝海舟一代の名文を山岡に託し、官軍総参謀・西郷隆盛のもとへと赴くのだった。こうして、260年の歴史を誇る徳川幕府の本拠地・江戸城は、無血開城を果たす。 世の中の経済状況が悪くなると、大衆の不平不満が積り、比例して治安も悪化する。江戸末期は大変な混迷期に突入し、民衆が行き場のない怒りをぶつけるために集まっては、騒動を起こした。その度に上から弾圧をかけられ、それでもへこたれず、あちこちで暴れ回った。現代にも似たような状況がある。とはいえ、市民団体によるシュプレヒコールは、まだまだ理性のある活動ではあるが。 勝海舟のセリフに、次のようなものがある。 「人がどこかへ集まって、わいわい騒ぐ、どういう訳でそう騒ぐのか、これをとっくり考えもせず、只、騒いじゃあいけねぇ、集まっちゃあいけねぇと禁ずるよ。ねぇ、禁ずる前に、この集まっている人間をどうしたら、満足させる事が出来るかと、その工夫をちっともしてやらねぇんだ。みんな、なにも伊達や酔狂で、わいわい言っているんじゃねぇでんしょう」 そのとおり。でもこの問題はとても難しい。現代に置き換えるなら、昔よりもっともっと多様化しているので、少数意見がどれだけ多く取り上げられるかは、一重に、上に立つ政治家の手腕にかかっている。何事にも、時代は変わっていることの現れに違いない。 『勝海舟』~第五巻・江戸開城~ 子母澤寛・著☆次回(読書案内No.141)は子母沢寛の「勝海舟~第六巻・明治新政~」を予定しています。『勝海舟』~第一巻・黒船渡来~はコチラ『勝海舟』~第二巻・咸臨丸渡米~はコチラ『勝海舟』~第三巻・長州征伐~はコチラ『勝海舟』~第四巻・大政奉還~はコチラ★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.08.30
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【勝海舟/第四巻・大政奉還】◆海援隊の夢半ば、龍馬が逝く私の友人の一人に、元保育士で現在は福祉関係の仕事に転職した友人がいる。彼女は保育士をやっている時、よく言っていた。「幼い子どもでも、やって良いことと悪いことはちゃんと判断して、叱ってあげなくちゃいけないの。子どもに媚びる保育士なんて、おかしいよ!」私もなるほどと思った。「でも現実は、子どもの親の顔もチラつくし、保育士同士のテリトリーもあるし、余計なことをやれば睨まれて、本当の保育なんてできない環境にあるんだよ」そうなのだ、人と人とがいろんなしがらみに囚われて同じ空間に居合わせることは、生易しいものではない。こちらが良かれと判断したことでも、他方では余計なお世話だとも捉えられかねない。人それぞれに立場があり、利害が発生する。すべての物事を穏便に、円満に収めようとすること自体、ムリな話なのかもしれない。 第四巻では、いよいよ幕府としての機能を失いつつある江戸の街は、治安が乱れに乱れる。そこらじゅうで押し込み強盗が横行し、女、子どもは容赦なく乱暴を受けた。通りには、誰の仕業とも知れない辻斬りの手にかかった死体がゴロゴロと横たわるという有り様。 一方、京では、勝の門下である坂本龍馬が刺客にやられてしまう。油断もあったのであろう。刀を身近なところに置いておかなかった龍馬は、抵抗する間もなく斬られ続けた。最後は、脳漿が白く噴き出すほどの致命傷を負い、絶命したのである。赤誠を信じ、天下の将来を夢見た男・坂本龍馬も、立場を異にする相手からは邪魔者に過ぎない。出る杭は打たれるのだった。世情は混乱を極めた。毛唐人が虎視眈々と日本国の壊滅を待つ中、最後の将軍となる徳川慶喜は、勝海舟を呼び寄せる。すでに表舞台から去っていたはずの勝に任された大役、それは、大政奉還であった。 『勝海舟』だけでなく、司馬遼太郎の江戸時代に関する著書を読むと、いかに江戸期というものが混乱を極め、凄惨で不安定な世情だったかが伺い知れる。それもこれも鎖国政策の失敗と言ってしまったらそれまでだが、島国民族による究極の閉鎖意識が、国全体に広がっていたのかもしれない。万事、事なかれ主義が一時の平和をもたらすものだとして、その一方で、正しいことを正しいと言う者が詰め腹を切らされる世など、真の泰平とは言えない。ならばどうすべきだったのか? どうしたら良かったのか?それは、今となれば歴史から学ぶしかない。多くの知識人、改革論を唱えた先人の死を無駄にしないためにも、私たちは日々努力し、一歩一歩、身近な問題をクリアしていかねばならない。とはいえ、物事はそう易々と片付くものではない。この世に、人が二人以上存在する限り、問題は続く。 『勝海舟』~第四巻・大政奉還~ 子母澤寛・著☆次回(読書案内No.140)は子母沢寛の「勝海舟~第五巻・江戸開城~」を予定しています。『勝海舟』~第一巻・黒船渡来~はコチラ『勝海舟』~第二巻・咸臨丸渡米~はコチラ『勝海舟』~第三巻・長州征伐~はコチラ★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.08.23
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【勝海舟/第三巻・長州征伐】◆大坂夏の陣以来の戦、幕府VS長州先日、バス停で女子高生二人の会話を、聴くともなしに聴いてしまった。仮に二人をA子、B子としよう。A子はカレシと上手くいっていない、というのもA子がカレシに距離を置こうと言ったところ、翌日になってカレシの方から急に別れようと言って来たと。「あたしはさーただお互いがちょっとしたことでムカついてーすぐにケンカになるからさー冷却期間じゃないけどー自分を見つめ直そうよって意味でーべつに別れたかったわけじゃなかったのー」「わかる、わかる」「でー距離を置こうよって言ったらさー次の日カレシが別れようって言い出すしーはぁ?ってカンジ」その後、延々とA子がB子に「どうしたらいい?」と相談をしたところ、B子が急に思いついて、柔道部の某先輩は仲介のプロ(?)で、何度となく別れてしまいそうになったB子カップルを奇跡的に救ったという話を始めた。「A子さー柔道部の○○先輩に間に入ってもらってさー、たのんでみー。絶対カレシも考え直すと思うよー」結局、バスが来てしまい、A子がB子の提案を受け入れたのかどうかは分からずじまい。だが、いつの世にも、そういうギクシャクした関係を上手く修復してくれる存在が、少なからずあるのを知った。 第三巻では、いよいよ薩摩の西郷隆盛が登場する。勝麟太郎の宿泊する天満の近江屋五郎左衛門の旅籠に、西郷が訪れるのだ。東の勝海舟、西の西郷隆盛、この両名は、後に幕府軍と官軍の代表として日本国の命運を定めていく。この二人の心血を注いだ交渉がなければ、あるいは日本国は日本国でなかったかもしれない。 一方、幕府は長州に手を焼いていた。というのも、長州は何事にも徹底しており、攘夷の布告を忠実に守り、馬関海峡を通行する外国船を片っ端から砲撃するのだ。現代で言うところのタカ派で、それはもう容赦のない戦闘行為だった。ところがこれに激怒したのがイギリス公使オルコック。各国の連合艦隊で長州を総攻撃すると言い出した。幕府は慌てた。一方では攘夷、攘夷と布告しておきながら、外国へ味方するという矛盾も繰り返しているから、長州の融通の利かないやり方に苛立ちを隠せない。とうとう幕府は長州征伐に乗り出し、各藩に命を下すものの、これが通じない。なぜなら、いかに長州に罪ありとも、外国人の手を借りてこれを攻撃するなどというのは、同胞として国体の尊厳を辱めることだと皆が感じていたからだ。しかし、それもこれも結局、今や幕府にそれだけの統率力がなく、求心力を欠いていた現れでもあった。 さて、ここに一つのエピソードがある。それは、長州が朝敵となって二進も三進もいかなくなった際の、京での風評。それは、敗軍であるはずの長州の評判が、すこぶる良かったのである。一方、毛虫のように京の人々に嫌われたのが、会津である。とかく新撰組などは、武家はもとより町家にも金銀の無心にやって来るため、ありとあらゆるところで会津家中と見れば盗っ人呼ばわりされる有り様だった。とにかく金に執着し、応じなければ乱暴を働いたのだ。これは、勝海舟が評するところ、「会津には上に人物がない」とのこと。 ※無論、これは江戸末期のことであり、現代のことではないため、あしからず。 こうして、日本はますます混乱を極め、カオスに突入していく。勝麟太郎はあくまで国家統一を主張するが、果たしてこの意見が受け入れられる時が来るのか?赤誠に生きる勝海舟のその後が見逃せない。 『勝海舟~第三巻・長州征伐~』子母澤寛・著☆次回(読書案内No.139)は子母沢寛の「勝海舟~第四巻・大政奉還~」を予定しています。『勝海舟』~第一巻・黒船渡来~はコチラ『勝海舟』~第二巻・咸臨丸渡米~はコチラ★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.08.16
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【勝海舟/第二巻・咸臨丸渡米】◆即刻、海軍の備えをせよ! 海軍より他に国を守る法はなし私が子どものころは、青い目をした白人が歩いていたりすると、物珍しく、ジロジロと見てしまったものだ。好奇心旺盛だったので、友だちと二人でそのガイジンの後をつけて、一体どこへ向かおうとしているのか突き止めようとした。結局、尾行の途中で飽きてしまい、断念してしまったが。最近ではフツーに外国人が街を闊歩しているし、近所のスーパーで会計の際、外国人の後ろについたりすることもある。息子が小学校の時も中学校の時も、同じクラスに外国人の子がいた。外国人といえども、教育を受ける権利があるからだ。この浜松市という土地柄ゆえ、外国人労働者が多いというのも理由になるかもしれない。だが、今やこんなちっぽけな島国も、多国籍の人種でひしめき合っているのは事実だ。 第二巻では、三百年の鎖国を続けていた日本だが、このままではいけない、外国の事情を知る必要があると、開国論を展開する勝海舟が、米利堅(アメリカ)派遣を任命される。それにしてもスゴイと思うのは、これまで公的な立場でまだ誰も日本人が足を踏み入れたことのないアメリカにおいて、ありのままを見聞して来ようというのだから、潔いし、勇気ある英断だ。単なる好奇心だけでは成し得なかった大仕事、それは正に、愛国心と日本人としての誇りにかけた渡米だったに違いない。そして咸臨丸に乗り込んだ者たちは、毛唐人(この場合、アメリカ人)と、自分たち日本人とを比較し、初めてその性質の違いを知ったのだ。 「多くはいい人ばかりだが、ね。毛唐人の親切、親切ばかりではない総ての気持というものは、自ら、ちゃんと限度というものがあるんですよ。親切を尽すにしても、それをしては自分が飛んだ損になる、こ奴をやっては自分に大きな不為が来るというような事は、如何に頼んだところで、決して遣る事のない人間だと、わたしは見ている」 要は、アメリカ人の合理性を冷静に評価しているのだ。日本人にとって、信頼の足る人物に対する、とことんまで尽す精神は、本来美徳なのだが、グローバル・スタンダードに則ると、それは反って自らの損にもなり得るし、ヘタをすれば害ともなって己の首を絞めることにもなりかねない。そんな大和魂という精神性は、いかに優秀な通訳がいたとしても、アメリカ人にはとうてい理解できないものであっただろう。 さらに第二巻では、坂本龍馬が登場するのも見逃せない。もともと龍馬は、千葉十太郎とともに、開国論を推し進める麟太郎を殺す気で江戸にやって来た。ところが麟太郎の、日本国をいかにして世界の諸国と肩を比べる国にするかについての意見を聴いた際、すっかり兜を脱いでしまったのだ。これまで龍馬の周囲には、誰一人として勝麟太郎ほどの熱弁を持って、興国の業を来たすべき法について語った者はいなかったからである。それ以後、龍馬は弟子となり、麟太郎の右腕となって活躍するのだ。 この龍馬が連れて来た土佐の岡田以蔵は、麟太郎の用心棒として拾われた。学問はからっきしだったが、“人斬り以蔵”の異名を持ち、その腕は確かだった。後に、麟太郎を刺客から救った際の二人の会話がおもしろい。 「以蔵、いけねぇよ、人を斬っちゃあ」「わたしがあ奴を斬らなければ、今頃先生の首は胴についてはいませんでしょう」「そうかねぇ」 『勝海舟』は、読めば読むほど味わいがあって、作品全体が熱気のようなものに包まれている。私たちの先人が命がけで日本国を立て直そうとした情熱、心意気に、胸が熱くなる。このパリパリの幕末の志士たちの活躍は、第三巻へと続く! 『勝海舟』~第二巻・咸臨丸渡米~ 子母澤寛・著☆次回(読書案内No.138)は子母沢寛の「勝海舟~第三巻・長州征伐~」を予定しています。『勝海舟』~第一巻・黒船渡来~はコチラ★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.08.09
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【勝海舟/第一巻・黒船渡来】◆ピカレスク小説の筆頭、幕末大河ロマンはコレだ!幕末を舞台にした歴史小説を書く著名な作家と言えば、たいていの人なら司馬遼太郎あたりを思い浮かべるかもしれない。もちろん、それはそうだが、その司馬でさえ執筆のための資料を求めて頭を下げた人物がいる。それが子母澤寛である。子母澤寛は明治大学法学部卒で、もともと弁護士を目指していたが断念し、何度かの転職を経て読売新聞の記者になる。『勝海舟』は、その子母澤が“戦中戦後と6年を費やした大作”なのである。司馬は、自身の執筆に子母澤の所有する資料が必要となったため、譲ってくれるよう頼んだようだ。子母澤は快諾し、後に司馬の子母澤へ送った礼状が発見され、「うれしさ、感激でいっぱいであります」という内容の文書が残されていたと。そういう交流一つを見ても、いかに子母澤が後進にあたたかな手を差し伸べていたかがうかがい知れる。 さて、『勝海舟』だが、この近代日本の運命を背負った人物を語るには、その父について少し知る必要があるだろう。第一巻では、勝海舟を育てた父・小吉のユニークな人となりについて描かれている。人情あつく、義理堅い小吉は、チャキチャキの江戸っ子らしく、宵越しの金は持たない。金に困っている仲間がいれば、貧乏の自分を顧みることなく有り金すべてくれてやるお人好しである。正義感が強く、曲がったことの大嫌いな男だ。身分は四十俵の小禄だが、一応は徳川の御家人で直参である。この小吉の息子・麟太郎(後の海舟)は、そんな父の、金こそないが愛情だけはいっぱいに注がれ、開明的俊才を身につけていくのだ。 「江戸の海は、そのまま世界の隅々までつづいているのだ。云わばすぐ棟つづきのお隣に、顔も着物も食うものも違った得態の知れねぇ奴が住んでいるのと同じだ。油断も隙も出来ないこと故、先ず、奴らがどんなものか、それを知るにゃあ奴らの学問をやらなくちゃあいけない」 こうして麟太郎は、剣術の稽古以外に蘭学も学びつつ、徳川三百年の泰平の夢を破り、危機的な日本の置かれた状況というものを肌で感じていく。一方、麟太郎の妹・お順は、佐久間象山から見初められ、年の差婚をしている。象山が42歳でお順は17歳である。その象山が麟太郎に「海軍をやったらどうか」と勧めて来た。それが“海舟書屋”と象山の書いた横額で、麟太郎の雅号はここから“海舟”と名付けたようだ。 『勝海舟』は史実に基づいたフィクションとはいえ、思わず前のめりになって読みたくなるような大河ロマンである。嘉永6年に、浦賀沖に来航したペリー率いる四隻の黒船により、日本は度胆を抜き、いよいよ動乱期に突入する。幕末・維新の混迷期を語る時、やはり勝海舟その人なくしては語れない。何を置いてもこの長編小説を読了し、近代日本の成り立ちを漠然とでも知っておくべきだ。必読の書と言っても過言ではないだろう。 『勝海舟』~第一巻・黒船渡来~ 子母澤寛・著☆次回(読書案内No.137)は子母沢寛の「勝海舟~第二巻・咸臨丸渡米~」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.08.02
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【新田次郎/武田信玄 山の巻】◆三方ケ原の合戦に大勝するも、巨星墜つ疾如風徐如林侵掠如火不動如山 武田信玄が中国の古典に精通していたことは、周知のとおり。だからと言って、中国の兵書に陶酔していたわけではない。著者・新田次郎は、「むしろ彼は著書の文学的表現に敬意を払った」のだと述べている。そういうことから、孫子の兵法に出て来る“風林火山”の文言を、幟旗に書いたようだ。 ~火の巻~では、嫡子義信が離反したことで、武田家ではにわかにお家騒動が巻き起こった。しかし渦中の義信が病死してしまったことで、決着がついた。さらには、信玄の愛妾・湖衣姫との間に生まれた四郎勝頼が立派に成人し、正式に武田家の後継者と定めるに至った。~山の巻~に話が進むと、いよいよ信長のカリスマ性が、さりげなくクローズアップされる。著者は、武田信玄という人物を愛するがゆえに、二人を比較し、かなり冷静な視点を持って評価している。それは、信長の叡山焼討ちに関するくだりなのだが、信心深い信玄は叡山から焼き出された僧たちを身延山久遠寺に呼び、そっくり与えてやりたいと思ったのだ。そして延暦寺の再興を計りたいと願った。ところが寝耳に水だったのは日蓮宗総本山の久遠寺である。無論、信玄も代替えとして、久遠寺は信濃国中野へ今の3倍ほどの大伽藍を建立するという条件を出したのだが、久遠寺の僧たちは皆、小指を切って移転反対の嘆願書に血判を押し、一斉に抗議のための断食に入ってしまったのだ。信玄はここでも、イヤというほど信長の実行力を思い知らされたに違いない。 「信玄は誰にもどうすることもできなかった叡山を亡ぼした信長の力量と久遠寺一つ移転させることのできない自分の力とを比較して見た」 結果、延暦寺を身延山に再興する話は、中断してしまった。“戦いの神”とも呼ばれた信玄も、信長の大胆にして徹底的な叡山焼討ちには、驚愕を隠せず、言葉を失った。さすがの信玄すら手も足も出ない禁域に、信長はいとも簡単に刃を向けたのだから、その一点においても信玄は己の弱さを恥じ入るしかない。 ~山の巻~で最後の柱となるのが、徳川家康との合戦である。そう、三方ケ原合戦だ。浜松城で家康を囲む軍議は、白熱した空気に包まれていた。天下に並ぶ者のいない名将と称される信玄を相手に、どうやって迎え撃ったら良いものかと、出撃説やら籠城説で、軍議は割れていた。結局、家康は城を出て武田軍を迎え撃つのだが、精鋭の揃った武田騎馬軍団と見事な陣構えに、家康方の三河武士らは恐れおののいた。三方ケ原合戦は、徳川方の大敗北に終わった。 ※ちなみにこの時の陣構えは、徳川方は鶴翼の陣に対し、武田方は魚鱗の陣である。 私はこの三方ケ原(現・浜松市北区三方原)に度々出向き、その合戦場跡を見て来た。今は、戦国時代の片鱗を思わせるものなど何一つないが、四方を山に囲まれた甲斐育ちの信玄が、高台から遠州灘を望んだ時、どれほどこの浜松という恵まれた土地を渇望したことか知れない。西上の途中、53歳で逝った信玄の無念さを思うと、想像を絶する。“歴女”という呼称がない時、すでに“歴女”だった私は、もし、一番好きな戦国武将はと問われたら、迷わず武田信玄であると答える。最後に、その信玄の座右の銘を紹介し、『武田信玄』の感想を終うとしよう。 人は城、人は石垣、 人は堀、なさけは味方、あだは敵なり 『武田信玄』~山の巻~ 新田次郎・著 [吉川英治文学賞受賞作品]武田信玄「風の巻(第一巻)」はコチラ武田信玄「林の巻(第二巻)」はコチラ武田信玄「火の巻(第三巻)」はコチラ☆次回(読書案内No.136)は子母沢寛の「勝海舟」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.07.26
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【新田次郎/武田信玄 林の巻】◆父と息子は最高にして最良のライバルか、あるいはその逆か父と息子の関係というものは、今も昔もそれほど大きく変わるものではないようだ。息子は父を、父は息子を、最高にして最良のライバルと見なすこともあれば、あるいはその逆もあり得るわけだ。父は息子に対して、男と生まれたからには自信を持って欲しいと望む。卑屈な人間にはしまいと、誇り高い意識を持つように、若き魂に絶えず語りかけているのかもしれない。戦国の世にあって、信玄とその嫡男である義信の関係も、現代と何ら変わるものではない。~火の巻~では、義信が父・信玄に逆心を抱く場面が重く描かれている。「親の心、子知らず」とは言ったもので、信玄が諄々と戦国の習いの何たるかを息子に説いて聞かせたものの、反って義信は己の考えに固執するのだった。結局、双方の意見が物別れに終わったことで、若き義信は憤まんやるかたなく、傳役を務める飯富兵部に、父・信玄に対する最後の手段を取る旨を伝える。 あとがきによれば、『甲陽軍鑑』には義信の逆心が明るみとなり、座敷牢に監禁され、ついには自害して果てる、という悲劇的な最後になっているとのこと。しかし、著者は別の説にある病死説を取り、義信は病を患って亡くなるという最後に落ち着かせた。 「私が自害説を取らずに病死説を取ったのは、私の史観であって、ここで自害説を取れば、私の中の信玄像は根底からひっくりかえってしまうことになる」 この一文は、新田次郎の信玄に対する並々ならぬ思い入れを感じる。あるいは、息子を持つ父親の苦悩を、著者自身の親子関係と信玄父子を重ね合わせ、何か共鳴するものがあったのかもしれない。 ~火の巻~でもう一つの柱となっているのは、織田信長の上洛のくだりである。桶狭間の戦で今川義元を破ったころは、信長なんて弱小尾張半国の一大名に過ぎなかった。信玄も桶狭間の件は、偶然の勝利ぐらいにしか思っていなかったはずである。ところが信長の躍進は凄まじいものがあった。わずか7年の間に、尾張全域と美濃二国を掌握したのだからスゴイ!一方、信玄はたかだか信濃一国を平定するのに20年も費やしたことを考えると、今さらながら信長の実力を認めざるを得なかった。結局、信長は足利義昭の警固のためという大義名分を掲げ、上洛を果たしてしまう。ここで信玄は、完全に出遅れた形となるのだ。 歴史の何が楽しいかと言えば、やはり思うようには物事が運ばないもどかしさ。実力だけではどうにもならない天の時、地の利、そして人材の有無。それらがいろんなところで作用し、歴史が動いていくのだ。誰かの描いたシナリオ通りにはいかないからこそ、緊張感と野望に時代が波打っているかのような錯覚さえ覚える。 私は『武田信玄』を何度となく読み返しているが、その度に思うのは、もしも信玄があと10年若かったら、信長に出し抜かれることはなかったに違いない、ということだ。また、信玄は万全の健康体ではなかったことが惜しまれる。胸の病を抱えていたせいで、度々陣中にて発熱し、体調を崩した。頃合いを見計らっては志磨の湯に湯治に出かけるのだが、完治には至らない。そう考えると、基本中の基本ではあるが、人は何か大事を成す時、健康でなければならない。ごくごく当たり前のことだけれど、今一度、肝に銘じようではないか。 『武田信玄』~火の巻~ 新田次郎・著武田信玄「風の巻(第一巻)」はコチラ武田信玄「林の巻(第二巻)」はコチラ☆次回(読書案内No.135)は新田次郎の「武田信玄 山の巻」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.07.19
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【新田次郎/武田信玄 林の巻】◆宿命のライバル、信玄と謙信が川中島にて決戦現代はとりわけ合理的なものの見方、考え方が尊重される。いかに無駄をなくすか。一分一秒の短縮が成功へのカギとなっている世の中である。何事にも優先されるのは、スピーディーであること。プロセスはショートカットされ、結果ありきの現実。しかし現代人は、そのおかげで多大なる恩恵に預かっているのだから文句は言えまい。戦国の世にあって、一国をおさめる主ともなれば、その感覚は過去も現在も変わりはない。その証拠に武田信玄も、時間には大変うるさかった。たとえ愛妾と同衾中であったも、使者衆が駆け付けた際には、必ず知らせねばならないことになっていたとのこと。『情報』というものに、いかに敏感であったかがよく分かる。著者は、信玄を次のように捉えている。 「晴信(信玄)は勝れた戦術家であったが、その根底に、時間に対する徹底的な尊重感があった。時間を失うことが国を失うことになるというのが彼の哲学であった」 さすがに名将・信玄である。時間だけは、人の力ではどうにもできないことを知っていたのだ。 さて「林の巻」では、甲斐の国主となった晴信の愛妾であり、諏訪頼重の息女でもある湖衣姫が、労咳のため亡くなる。さらには、同盟国である駿河の今川義元が上洛の軍を発すものの、桶狭間の戦にて信長に敗れてしまう。後半においては、いよいよ越軍の長尾景虎(後の上杉謙信)と川中島の決戦に臨む。一冊の中に山場となるくだりが、これでもかこれでもかと押し寄せて来るため、まるで飽きない。 「林の巻」のあらすじはこうだ。晴信の目下の気がかりは、越後の長尾景虎であった。山本勘助の情報によれば、佐渡の金山を握った以上、景虎の国力は今や日ノ本一ではないかとのこと。そして、必ずや信濃に侵略して来るという予想だった。晴信はそれを絶対阻止せねばならない。なぜなら、晴信の意志こそ、甲信の平定であり、京の都を望むことだったからだ。長尾景虎は、朝廷から関東管領職の内命を受けていた。鶴ケ岡八幡宮にて上杉家の家督を相続することを誓い、ここに上杉政虎が誕生する。そんな政虎が一万三千を率いて、いよいよ春日山城を進発した。一方、信玄も古府中を出発した。越軍の本隊は異常な速さで善光寺に集結していた。信玄は慌てた。向かうは川中島である。夜を日についで川中島へ急がねばならない。こうして合戦の火ぶたが切られようとしていた。 巻末に寄せられたあとがきに、面白いエピソードが載せられていた。新田次郎がこの『武田信玄』を連載し始めてまもなく、「早く川中島合戦を書いてくれ」という読者の要望があったそうな。じっくりと史実に基づき、ペンを進めている著者にとっては迷惑な話だったかもしれないが、一読者としてその気持ちはよく分かる。私も川中島の戦を早く読みたいクチだったからだ。川中島の、辺り一面に霧が立ち込める場面なんて、ワクワクする。霧の向こうから粛々と敵が迫って来るような緊張感が、なんともたまらないのだ。この霧を上手に利用することで勝負が決まるのだから、甲軍も越軍も気象の変化に関する情報には物凄い力の入れようだったと思われる。ちなみに著者・新田次郎は、元気象庁職員なので、この川中島の霧についてはずいぶんと心を砕いたのではなかろうか。 宿命のライバルでもある信玄と謙信が、川中島にて対峙するくだりは、誰が読んでも胸が躍るし臨場感に溢れていて申し分ない。勝敗は、前半・越軍優勢、後半・甲軍の巻き返しだ。さて、皆さんはどちらに軍配をあげるでしょうか? 『武田信玄』新田次郎・著 [吉川英治文学賞受賞作品]武田信玄「風の巻(第一巻)」はコチラ☆次回(読書案内No.134)は新田次郎の「武田信玄 火の巻(第三巻)」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.07.12
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【新田次郎/武田信玄 風の巻】◆卑劣極まりない父の所業に、息子晴信が決断するNHK大河ドラマで『武田信玄』が放送されたのは、もう30年ぐらい昔のことである。信玄役として中井貴一が抜擢されたことで、世間の大河ファンから賛否両論が巻き起こったのだった。「中井貴一が信玄役を演じるには、ちょっと線が細すぎる」というような意見が多かったように思える。(亡き母が週刊誌を熟読していた関係で、そのような話題にはいつも事欠かなかった。)結局、今となってみれば、優秀な演出家による指導と、中井貴一ご本人による努力によって、気品のある武田信玄として何ら問題のない仕上がりだったように思えるが。 さてこの『武田信玄』は、新田次郎によるものである。新田次郎と言えば、『八甲田山』などの山岳小説を多々発表している作家として有名だ。そんな中、なぜ歴史上の人物を中心とした小説を書こうと思ったのであろうか?それはどうやら、著者の出生地が長野県諏訪であることに関係しているようだ。「先祖は代々諏訪家に仕えていた郷士である」とあとがきにあるが、その諏訪家というのは、なんと武田信玄によって亡ぼされている。おそらく、そういうことに因縁めいたものを感じ、信玄についてもっと詳細を知りたいと思うようになったのかもしれない。そして「調べ回るのはたいへん楽しかった」と語っていて、著者のこれまでにない有意義なライフワークとなったことがうかがえる。 そんな『武田信玄』~風の巻~のあらすじはこうだ。甲斐の国をおさめていた武田信虎は、長男の晴信(後の信玄)を憎み、次男の信繁を盲愛していた。最近の信虎の行為は、いよいよ常軌を逸しており、すでに元服して3年にもなる晴信を軍議にも参加させず、ことあるたびに「臆病者め」と口汚く罵った。ある時、晴信が家臣らとともに馬を走らせていると、土下座した郷民が死を覚悟して直訴して来た。内容は、父・信虎の所業についてだった。郷民が言うには、信虎はこともあろうに、村の妊婦を捕まえて腹を裂き、胎児をあらためたりするとのこと。初めて父の卑劣な行為を聞かされた晴信は、驚きのあまり返す言葉もなく、躑躅が崎の館に帰るのだった。その後、側近である板垣信方の画策により、晴信はいよいよ父を甲斐の国から追放することにする。信虎は駿河の今川義元の領地へ、引き渡されることとなった。 風の巻では、晴信の父・信虎を今川家へ追放する場面、そして諏訪家を亡ぼすくだりまでが山場となっている。後に織田信長が比叡山を焼き討ちする行為も革命的なことながら、この武田信玄が諏訪家を手にかけるというのもスゴイことなのだ。というのも、諏訪頼重を筆頭とする諏訪は、神氏の出と言われ、単なる武家とは一線を画し、格式の高い地位にあった。そこに攻め入るというのは、当時としてはよほどの自信と尊厳と執着がなければ、成し得なかったに違いない。 一方、『甲陽軍鑑』に登場する軍師・山本勘助は、著者が調べたところ、実在の人物ではあるものの、「軍師ではなかったことは確実と見てよいだろう」とのこと。しかし、だからと言って山本勘助の名を無視した史実中心にしてしまうと、何とも味気ない歴史小説になってしまう。そこで勘助を軍師ではなく軍使として、つまり平たく言ってしまうとCIAのようなスパイとして登場させている。これが見事に成功しており、作品を盛り上げるのに一役かっている。 私は思うのだが、新田次郎は、実はこういう小説を書きたかったのではなかろうか?嬉々としてペンを運ぶ著者の姿が、目に浮かぶような情熱と活気にあふれた一冊であった。 『武田信玄』~風の巻~ 新田次郎・著 [吉川英治文学賞受賞作品]☆次回(読書案内No.133)は新田次郎の「武田信玄 林の巻(第二巻)」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.07.05
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【阿部和重/グランド・フィナーレ】◆行き過ぎた少女性愛と愛娘に対する異常なまでの執着たいてい小説というものは、読者が作中の主人公に共鳴することで成り立つ娯楽と言えるだろう。それはたとえば、主人公の持つ弱さや脆さであったり、あるいは正義感や勇気に読者自身が内包する共通のものを感じ取るという具合である。ところがその主人公に、どうやっても感情移入できなかったり、不信感や違和感を抱いてしまったら、その小説の役目はどうなってしまうのだろうか?『グランド・フィナーレ』は、そういう意味で全く共鳴できない小説だった。それなのに、なんでだろう?ものすごく気になる作品なのだ。 著者の阿部和重は、山形県出身の今年46歳。代表作に長編小説『シンセミア』などがある。経歴をたどってみると、『グランド・フィナーレ』以前に数々の小説を発表し、いくつもの文学賞を受賞している。芥川賞というものは、新人に贈られるものだと思っていたのだが、どうやらこの阿部のようにイレギュラーなことも起こり得るらしい。 それはともかく、『グランド・フィナーレ』のあらすじはこうだ。「わたし」は都内の教育映画製作会社に所属していたが、現在は無職の身である。「わたし」は妻と愛娘・ちーちゃんと3人で暮らしていたが、「わたし」の大変なしくじりのせいで、その幸せな家庭を壊すはめになってしまった。というのも、「わたし」は写真に執着し過ぎた余り、妻にポータブルストレージを没収されそうになり、妻を突き飛ばしてしまったのだ。「わたし」がそこに収めていた写真の被写体は、ちーちゃんだけではなく、10年間に撮り続けて来た大勢の子どもたちの肢体が写し出されていた。「わたし」のそんなロリコン趣味を、潔癖症の妻は許すはずもなく、離婚調停を突き付けられた。もちろん、愛娘・ちーちゃんに対しても近づかないでくれと言い渡され、「わたし」の全てを拒絶されるに至った。 主人公は沢見という37歳の男だが、「わたし」という一人称形式で物語はすすめられていく。この沢見は、少女ヌード雑誌のスチール写真撮影という、半ば自分のフェチシズムを満足させるような仕事も請け負っていた。ある時、本業である教育映画のオーディションにやって来た美江という小学5年生の少女と懇意になり、やがて肉体関係さえ結ぶのだが、そのあたりの沢見の勝手な思い込みとか、線の細い性質などがものすごく気になるのだ。(これは、私が、女性ならではの嫌悪感かもしれない。)それはおそらく、男性サイドから見た一方的な性愛であって、女児の秘められた羞恥心や恐怖心が、これっぽっちも表現されておらず、一体この主人公はどうしたいと言うのだろうと、私は歯がゆさに耐えられなかった。人には言えないような変わった性癖があることは、今さらどうすることもできない。百歩譲って、仕方ないとする。しかし、それもこれもボーダーラインというものがあって、その一線を越えてしまったらアウトというものがある。そのラインが“法”であろう。小説の中で、そのタブーは簡単に破られてしまうものだが、ちゃんとフォローがあって、読者は溜飲を下げる。ところがこの『グランド・フィナーレ』は、そういうものがない。後半に至っては、主人公のロリコン趣味における自省の念とか、行き過ぎたフェチシズムの述懐などまるで皆無で、完全に別のストーリーに切り替わっているのも気になる。 私のような本好きは、たいていの小説に長所を見つけては楽しめるものだと思うが、この小説に限っては、複雑な心境に陥ってしまった。そんなわけで、みなさんにもこの小説の一読をおすすめして、それぞれの感想をご友人などと話し合ってみてはどうかと思ったしだいである。ちょっとした話題づくりには向いている一冊かもしれない。 『グランド・フィナーレ』阿部和重・著 (芥川賞受賞作品)☆次回(読書案内No.132)は新田次郎/武田信玄~風の巻~を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.06.28
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【本谷有希子/ぬるい毒】◆一見、恋愛小説のようで、実は闘争ドラマこんなことを言ったら、歴代の女流作家と呼ばれる諸先生方に失礼かとは思うが、ここはあえて言ってしまおう。最近の女性作家は、カワイイ!ちょっと小説家にしておくのはもったいないような容姿である。昔、女流作家と言ったら瀬戸内晴美(寂聴)とか、山崎豊子とか有吉佐和子あたりを思い浮かべてしまい、テレビでお顔を拝見した日には、何やら残念な(?)気持ちになったものだ。それがどうだ、今どきの女性作家はオーラが出ているのだ。例えば柳美里。彼女はスタイルも良いし、美人である。作家であり歌人でもある俵万智。彼女も実にチャーミングだし。最年少芥川賞作家の綿谷りさも、知的な可愛さに溢れている。いくら書くことが商売で、顔を出すことが仕事ではないとはいえ、多くの人々に夢を与えるライターという職業に就く者が、実はブスだったとなると、がっかり感は拭えない。その点、本谷有希子も可愛い部類だ。なんで作家なんかになったの? と聞きたくなってしまうところだ。 本谷有希子は石川県出身で今年35歳。“劇団、本谷有希子”を主宰し、舞台の脚本なども手掛けている。ラジオ番組『本谷有希子のオールナイトニッポン』のパーソナリティーを務めたりして、マルチな才能を誇る新鋭だ。正直、こういう作家が世に出て来た時点で、その他大勢の作家志望者がその道をあきらめることになる。どだい、こういう新鋭と争うこと自体、ムリな話ではあるけれど。 私がこの人物はスゴイと思う理由に、確固たる独自の世界観があることだ。つまり、オリジナリティーだ。二流、三流の作家にありがちなのは、どこかで聞いたような物語を、さも自分のオリジナルであるかのように、ちょこっとだけ作り直している器用さである。ゴミのリサイクルは大歓迎だけど、表現の世界に二番煎じはあまりいただけない。 その点、本谷有希子は表現方法を確実に我が物としている。しかも、誰のマネでもない本谷有希子ワールドを小説という手法の中で、私たちにグイグイと主張して来るのだ。 『ぬるい毒』のあらすじはこうだ。ある日、突然、熊田由理に向伊という男から電話がかかって来る。向伊は、高校時代に借りたものを返したいと言うが、由理には全く身に覚えがない。とりあえず会って、よくよく話を聞いてみると、何となくからかわれているような気がする。それでも向伊の魅力たっぷりの雰囲気に呑まれてしまいそうな気持ちになる。結局、由理が再び向伊と再会するのは一年後。待ち合わせに指定された居酒屋には、向伊の他に奥出と野村もいて、由理と同じ高校の同級生と言うが、全く覚えていなかった。そこでは他愛もない会話を交わし、そうとう複雑な気持ちにさせられるものの、やはり向伊のことが気になった。その一方で、由理は、好意の対象としていない原という男と付き合っていた。初体験の相手として原を拒むことはしなかった。キスが吐きそうなほど気持ちが悪かったけど、これは由理の自分自身への罰のようなものだった。 一見、恋愛小説のような体裁は取っているものの、これは主人公・熊田由理の闘争劇である。優しげで社交的で、世界を味方につけたような、軽薄で薄汚い男の本性を上回る手段で、尋常ではない鬼気迫る信念を持った、女の復讐ドラマとでも言おうか。こういう小説は何度も読む気はしないが、それでもけじめとして最後まで読まずにはいられない。本谷の描く恋愛(?)があるのだとしたら、これまでの男女関係は音を立てて崩れるに違いない。あえて独断と偏見で言わせてもらうと、可愛い女性の書いた、闘いの小説は、ジャンヌ・ダルクみたいで魅力的だ。なんだか頼もしくて仕方ない。本当の小説を読みたいと思ってる人におすすめだ。 『ぬるい毒』本谷有希子・著☆次回(読書案内No.131)は阿部和重の「グランド・フィナーレ」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.06.21
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【古井由吉/杳子】◆精神を病む女性を好きになった男性の苦悩ずいぶんと古い小説だが、この30数年の間に何度となく版を重ねられている。芥川賞受賞作品である。つい先日、街の書店でこの小説を見つけたのだが、なんと、目立つ位置に5~6冊も積んであるではないか?!リアルタイムの小説じゃないのに、一体なぜ? と不思議に思って調べてみると、何となくその理由が分かった。お笑い芸人ピースの又吉が、この『杳子』を愛読書の一冊として取り上げているのだ。“ピース又吉がむさぼり読む20冊”という中の一冊である。ピース又吉が芸能界きっての読書家という話は、何かのトーク番組で知っていたが、それにしてもこの『杳子』をエントリーするなんて、にわかに信じられない。と言うのも、この『杳子』は、ある特殊な恋愛小説だからだ。もっとストレートに言ってしまえば、異様で病的な世界観をかもし出したもので、深淵で濃密だ。 著者は古井由吉で、東大文学部独文科卒のドイツ文学者である。そのためなのかどうかは分からないが、れっきとした日本語の小説でありながら、しみったれたジメジメ感がなく、思索的で格調高い。この小説を読んでつくづく感じたのは、恋愛というものは“魔物”であるということだ。捉え方は様々で、私の『杳子』に対する感想が的を得たものであるかどうかは疑わしいけれど、精神を病む女性を好きになってしまった男性の苦悩とか違和感を表現する描写に、著者の作家たるテクニックを見たような気がした。 あらすじはこうだ。山登りの途中でSは、精神を病む女子大生の杳子と出会う。杳子が下山できずに立ち往生しているところを、Sが付き添って麓まで降りたのだ。その後、Sは駅で杳子とばったり再会し、なんとなく付き合い始める。ところが杳子は、自閉症みたいに同じ順序で同じ行為を同じ時間帯にやらなくては、みるみるうちに不安になり、不機嫌になっていった。何を言われても同じ表情で同じ返答を、意固地に繰り返すのだ。そして、そういう病的なものを杳子の実姉も持ち合わせていて、Sはいつも不安定なものを杳子から感じ取っていた。二人は肉体関係も持ったが、いつも距離感があり、杳子の身体が遠く、つかみがたい存在に思えた。 主人公のSは、杳子という存在を愛おしむ一方で、もてあましてもいる。その病気についても畏れを抱いているし、軽く狼狽もしているのだが、杳子と離れることができない。それが男性としての抑えがたい情欲によるものなのか、それとも杳子に対する素直な恋愛感情からなのかは微妙である。だが私が着目したのは、この杳子という精神の病気を内包した人物を、作者の巧みな筆致によって、一つの個性として浮かび上がらせている点である。そのことにより、杳子の神経過敏より世間の鈍感さを憎むべき対象としてシフトさせているのだ。さらには、主人公Sの口を借りて、次のような分別を述べている。 「癖ってのは誰にでもあるものだよ。それにそういう癖の反復は、生活のほんの一部じゃないか。どんなに反復の中に閉じ込められているように見えても、外の世界がたえず違ったやり方で交渉を求めてくるから、いずれ臨機応変に反復を破っているものさ。」 誰かを好きになり、同時にその人の特異性にも気づいてしまったら、迷わず『杳子』を読んでみるべきだ。その特異性が、実は自分の中にも内在していることを認めざるを得ないであろう。恋愛とは、きっとそういう矛盾した失調の上に成立しているに違いないのだから。 『杳子』古井由吉・著☆次回(読書案内No.130)は本谷有希子の「ぬるい毒」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.06.14
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【田中慎弥/切れた鎖】◆究極の孤独の中に見出される独創性芥川賞受賞会見でのあの不敵な態度には、マスコミも一瞬ざわついた。だが次の瞬間には「おもしろいヤツが出て来たぞ」的な好奇心に変わっていた。2012年に『共喰い』で芥川賞を受賞した田中慎弥は、私より一つ年下で今年42歳。山口県出身の高卒。(工業高校卒)作品の傾向としては、自己を破壊的に表現する技法を採用しているような気がする。(あくまでも私個人の感想だが。)その点、解説に書かれていた田中慎弥についての分析が的確だと思うので、ここに引用しておく。 「通常であれば、誰もが目を背けてしまうであろう自己の奥底に秘められた“おそましきもの”に田中は向き合」っていると。 実力作家のことだけはあり、これまでの受賞歴は華々しい。新潮新人賞を皮切りに、川端康成賞、さらには三島由紀夫賞も受賞している。すごい。とはいえ、純文学としてはなかなか購買部数が伸び悩むのも否めない。曖昧で読み辛い作風は、玄人受けはするかもしれないが、一般読者にはいびつなイメージしか残らないからだ。 『切れた鎖』は、表題作の他に「不意の償い」「蛹」がおさめられた短編集である。私が一番好きなのは「蛹」で、この作品には同世代として迷わず共感できる。私たちバブル世代がその末期に味わった閉塞した環境や、漠然とした不安がそこかしこから漂っている。 「蛹」のあらすじはこうだ。一匹のカブトムシの雄が、やっと出会った雌と交尾に成功し、やがて死んでゆく。雌が死の直前に産み落とした卵からは、幼虫が生まれる。だがその幼虫がたまたま見たものは、自分を産んでくれた母親の残骸だった。幼虫はひたすら食べ、理由のわからない肥大に初めて体の重さを感じ、惨めに思った。ところがそのうち、食べる量が減り、やがて空腹も覚えなくなった。それから幼虫は、自分に力を与えられたような気がして、上を見てみると角が輝いていた。そうして初めて、幼虫はちょっと前まで自分が幼虫と呼ばれる状態であることを知った。 私はこの小説に、本物の純文学を見たような気がした。究極の孤独の中に見出される独創性を、この短いカブトムシの一生に投影させているのだ。父の不在、母の死、子の自立、現実を超えたカブトムシの社会に、本能的で生臭く、醜い交尾の後、人知れず訪れる静かな死。この物語に冷酷な表現者の視線を感じる。田中慎弥は、これからも“売れる小説”を書いてはならない。誰にも理解されることのない自己満足と孤独の中に、真のオリジナリティーを追求せよ!心から健闘を祈る。 『切れた鎖』田中慎弥・著☆次回(読書案内No.129)は古井由吉の「杳子」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.06.07
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【井上ひさし/新釈遠野物語】◆常識を打ち破ったシュールレアリズムの世界明治時代に書かれた柳田国男の『遠野物語』はあまりにも有名だが、実は、私は読んでいない。古典的な香りがプンプンするし、日本民俗学などというカテゴリに分類されているだけで、拒絶反応を起こしてしまう。それに引き換え、井上ひさしの『新釈遠野物語』なら、「現代の怪異譚」と紹介文にもあるので、わりに取っつき易いだろう、、、そう思って手に取ったしだいである。 『ひょっこりひょうたん島』を手掛けた放送作家として有名な井上ひさしは、上智大学文学部卒業。代表作に『吉里吉里人』『不忠臣蔵』などがある。山形県出身の井上だからこそ、東北には並々ならぬ思い入れがあり、「新釈」を書くに至ったのかもしれない。作品は、大学を休学してバイトをやっている「ぼく」が、山で出会った老人から聴いた話を書き留めたもの、という設定となっている。ところが巻末の解説によると、井上自身、「大学に失望して休学届けを出し、当時母親が住んでいた岩手県釜石市に帰省して、やがて国立釜石療養所の事務員となった」とあり、小説の冒頭部に描かれている「ぼく」の状況が酷似している。おそらく自分で自分をモデルにして「ぼく」というキャラクターを作り上げたに違いない。その「ぼく」が、遠野近くの山の中の穴ぐらに住む犬伏老人と出会い、あれこれとおもしろおかしい物語を聞かせてもらうのだ。 犬伏老人から聞かせてもらう話はいくつかあるが、その中でも私が好きなのは、『雉子娘』『冷し馬』そして『狐つきおよね』の3本だ。「雉子娘」は正統派の伝説で、「日本むかしばなし」でも放送されたことのある物語だ。涙なしでは読めない結末である。「冷し馬」は衝撃的だ。私がこれまでに読んだことのない、人間の女性と牡馬との禁じられた愛とエロスの物語なのだ。あってはならない行為が、この小説の中では平然となされていて、もはや想像を超えた領域に、読者はパニック寸前になること間違いなしだ。そしてさらに、「狐つきおよね」、これもまた民話とはいえ、あまりにも生々しく妖艶で、どこか滑稽だ。人間の娘が狐に憑かれている話なのだが、それだけではなく、狐と交合しているという場面が出て来るからヤバイ。 「およねの寝所の蚊帳の中には狐がいた。そいつは人間ほどの背丈のある大狐で、おまけに毛は白かった。そしてやつは、およねの開いた股の間に躰を入れて、腰を前に突き出しては引き、突き出しては引きしている。」 なんだかとんでもない新釈となっている(笑)だが、もともと私はシュールレアリズムが大好きなので、こういう話は大歓迎である。常識ばかりにこだわった、堅苦しい小説には肩も凝るが、井上ひさしの新釈は昔話なのに反って斬新で瑞々しい!サプライズの連続で、ページをめくるのさえもどかしい。『新釈遠野物語』は、R-18(?)と指定させて頂いた上で、一読をおすすめしたい。最後のどんでん返しで見事なオチをつけている。明日のことでくよくよ悩んでいるそこのあなた、この『新釈遠野物語』を読んで、新しい世界観を感じて下さい! 「新釈遠野物語」井上ひさし・著☆次回(読書案内No.128)は田中慎弥の「切れた鎖」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.05.31
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【吉川英治/新書太閤記 八巻】◆裸一貫の平民から身を起こした秀吉の集大成長編小説として読み勧めて来た『新書太閤記』だが、この八巻が最終巻となっている。つくづく思うのは、秀吉という人物がいかに大衆的であるかという点である。「破壊のエネルギー」とオリジナリティーに溢れた信長のような英雄性には欠けるものの、平民の代表格とも言える大衆性に彩られていた。そんな秀吉の出世物語でもあるはずの『太閤記』なのだが、秀吉が卑賤の身でありながら、ついには関白となり太閤ともなったくだりになると、吉川英治の筆致に憂鬱さが感じられるのだ。不思議なことに、著者が躍動して筆を進めるのは、秀吉が明智光秀を討ち果たす辺りまでで、その後は何となく精彩を欠いてしまう。まるで、権力を握って絢爛豪華な桃山文化を築き上げた秀吉への熱情が、一気に冷めたかのような不自然さを感じてしまうのだ。そのため、物語は「秀吉が関白に就任する天正十三年の項で話が終わって」いる。もちろん、関ヶ原の合戦の場面もない。家康とは相変わらずの緊張感がみなぎっており、その不気味な存在に、秀吉も少なからず畏れを抱いているところまではきちんと記述されている。太閤記という小説を書くにあたって、どうしても描いておかねばならない人物が、この家康だからである。 「(家康は)第一線に近い岡崎を退き、わざと浜松に閑をめでて、大坂の事など耳から遠い顔をしていた。」 おそらく家康は、秀吉の関白就任の旨をただならぬ胸中で受け止めていたに違いない。静養という名目で浜松城に暮らす家康は、しかし、凡将ではなかった。鷹狩に出かけるついでに必ず近辺の田舎を見て回るのだ。 「従者七、八名と共にほっつき歩いている背のまろいずんぐりした四十六、七歳の武家があるなと、よく見かけるのを注意していると、それが家康であった。」 その家康こそが後に豊臣家を滅ぼし、天下人となるのだから、歴史というものは面白い。私は思うのだが、歴史は実に、偶然の積み重ねのような気がする。本来なら、中世の徹底的な破壊を成し遂げた信長こそが天下を取るはずだった。あるいは、その信長の目指した合理性に基づく治政を成した秀吉こそが、天下人として長く掌握するはずだった。それがどうだ、結果として、絶対的な封建社会を確立したのは家康だったのだ。粘着質な性格を発揮し、保守的で、人を信じず、ぬかりなく手をうちながら時節の到来を待ち続けた人のものになったわけだ。このような“棚ぼた”的な状況は、神様仏様のいたずらとしか言い様がないではないか。 「もし人の一生に、その多岐なる迷いと、多難なる戦いとがなく、坦々たる平地を歩くようなものであったら、何と退屈な、またすぐ生き飽いてしまうようなものだろう。畢竟するに、人世とは、苦難苦闘の連続であり、人生の快味といえば、ただその一波一波に打ち剋ったわずかな間の休息のみにあるといってよい。」 そのとおり。私たち日本人には、裸一貫の平民から身を起こした秀吉がいる。その秀吉は地を這うような努力と苦労とのわずかな合間に、一条の光を見たのだ。大衆のトップに立ったのは、誇るべき門地もなく、富もない、奇妙な猿顔をした小男だったのだ。これこそが能力主義と言わず、何と言おう。『新書太閤記』は、“激動の歴史の中に英雄の一代を描いた”最高の時代小説である。一人でも多くの方々に一読をお勧めしたい。 『新書太閤記(八)』吉川英治・著~ご参考~・新書太閤記 一巻はコチラ・新書太閤記 二巻はコチラ・新書太閤記 三巻はコチラ・新書太閤記 四巻はコチラ・新書太閤記 五巻はコチラ・新書太閤記 六巻はコチラ・新書太閤記 七巻はコチラ☆次回(読書案内No.127)は井上ひさしの「新釈遠野物語」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.05.24
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【吉川英治/新書太閤記 七巻】◆敗軍の将をもてなす前田利家父子の情昨年の夏のことだ。もう20年以上もの付き合いになるK美さんが実家を離れ、関西に引っ越すこととなった。40歳を過ぎてからの女性の転職がどれほど過酷なものかは、おおよその想像がつく。だが、友人としてあたたかく見守ってやるぐらいしか、他に術はなかった。 「一泊させてもらっていい?」という連絡を受け、私もこれがしばしの別れになるだろうと、快く承諾した。(引っ越し前夜のことである。)久しぶりに会ったK美さんは、こざっぱりとしたチュニックに、色褪せたジーンズ、旅行カバンとギターケースを抱え、落ち着いた物腰だった。意外だったのは、耳にピアスを開け、指にファッションリングをつけていることだった。これまでのK美さんは、そういう外見的な装飾は皆無に等しく、心境の変化どころの騒ぎではなかった。「あたしは変わりたいの」言葉には出さずとも、そういう意思みたいなものを全身から発散させているのだった。新たな門出というよりは、まるで背水の陣にかける女の意気込みのようなものを感じた。「本当に申し訳ないけど、アパートの身元保証人になってもらえない?」私は小さく頷いて、書類に押印した。この先、どんな苦難が待ち受けているとも知れない未知の世界で、人知れず年を取っていこうとしているK美さんのために、せめてもの餞だと思ったからだ。彼女がなぜ安定した仕事を捨て、家族を捨て、たった一人関西に逃れるようにして引っ越すまでに至ったのかは、ここには書かない。ただ、地元を離れる際に、我が家に一泊し、私の用意したお粗末なそうめんとポテトサラダを、「ああ、おいしい」と言って残さず食べてくれたことが、友情の証のようにも思えた。 『新書太閤記(七)』では、賤ヶ岳において秀吉が柴田勢と決戦。結果、柴田勝家は自刃して果てる場面が山場となっている。こうして織田家旧臣筆頭である柴田勝家を滅ぼすことで、秀吉は天下人たらんとする。涙を誘うのは、“途上一別”のくだりである。賤ヶ岳の合戦で壊滅状態となった勝家は、北ノ庄まで落ちる途中、同陣の人である前田利家の居城に立ち寄ったのである。利家は息子の利長ともども、血にまみれた勝家をねんごろにもてなした。「湯漬を一椀、馳走して賜るまいか」という勝家の望みを快諾し、利家の給仕で、サラサラと湯漬を食べ終えるのだ。「生涯の馳走、きょうの湯漬に如くものはなかった。」鬼の柴田と恐れられた人も、今は凄愴の気にまみれていた。かかるときの人の温情が、これほどまで胸に沁みるものだとは知らなかった。勝家は、利家父子の誠意と真心により、誰をも恨むことなく、精神の安らぎを得たのである。 「城門を出る勝家の影を、夕陽の赤さは特に濃く浮かせてゆく。馬上の供八騎、歩卒十数名という微々たる残軍の列はこうして北ノ庄へ落ちて行った。」 人はそれぞれ事情を抱えて生きている。無責任な慰めや、むやみやたらな励ましは、反ってあだとなってしまう。傷ついた友が自分を頼ってやって来た時、一体どうすることがベストなのだろうか?さしあたり、前田利家は、相手のささやかな望みである一椀の湯漬をご馳走した。私もシンプルに、そういう優しさを持ちたいと思った。なかなか難しいことではあるが。 『新書太閤記(七)』吉川英治・著~ご参考~・新書太閤記 一巻はコチラ・新書太閤記 二巻はコチラ・新書太閤記 三巻はコチラ・新書太閤記 四巻はコチラ・新書太閤記 五巻はコチラ・新書太閤記 六巻はコチラ☆次回(読書案内No.126)は吉川英治の「新書太閤記 八巻(完結)」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.05.17
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【吉川英治/新書太閤記 六巻】◆いよいよ秀吉が天下人を目指す!NHK大河ドラマで、黒田官兵衛を題材にした『軍師官兵衛』というドラマを放送している。しかも主役はV6の岡田准一だ。おかげで官兵衛というキャラが、人情厚く義理堅い、しかもイケメンというイメージが独り歩きしているようだ。もちろん昔のことなので、事実は分からない。今みたいに写真が残っているわけでもないので。ただ、官兵衛の身に起こった出来事や環境を考慮すると、おおよそ吉川英治の描く黒田官兵衛こそが事実と近いのではないだろうか? あくまで憶測だが。どんな風体かと言えば、まず片足を悪くしているため引き摺って歩き、きちんと座れないので君前でも特別に横座りを許されていた。さらに、伊丹城での獄中生活の際に患った皮膚病の名残りがあって、頭皮が荒れ、毛が薄く、根もとまで見えるほどだった。 「この体躯わいたんにして胆斗のごとき奇男児の風貌を、いやが上にも魁夷に見せ過ぎる嫌いがある。」 これが吉川英治の黒田官兵衛像である。さて、『太閤記(六)』では、中国の毛利攻めの指揮を執っていた秀吉の耳に、本能寺の変が告げられる。信長の最期を知った秀吉は慟哭するものの、事態は急を要した。そこで召集されたのが軍師・官兵衛である。結局、官兵衛他重臣らの策を用いて毛利と和睦し、秀吉らは急いで京都に上る。それはもう信長仕込みのスピーディーな撤退であった。そして、逆臣・明智光秀を成敗するに至る。こうして秀吉は名実ともにその存在を揺るぎないものにした。その後、信長亡き主家の継嗣について、また明智の旧領処分問題などを話し合うこととなる。これが世に言う“清州会議”である。 ここまでの流れを読んでいると、あまりの急展開に驚かされる。何より、秀吉の取ったスピーディーでぬかりのない戦略に、官兵衛の影を感じないではいられない。この見事な状況判断能力は、織田家の旧臣筆頭でもある柴田勝家の勢いさえ封じ込めるものがあった。明智討伐は、本来、織田家首脳部の首席にあたる柴田勝家が陣頭指揮を執るはずであった。ところが秀吉より一歩も二歩も出遅れてしまい、完全にイニシアチブを奪われてしまったのである。読者は、ここへ来て、迅速な行動と的確な状況判断能力の必要性を思い知るであろう。 「歳月は人間を対象として流れてはいない。が、人は往々、歳月をあてにして歩む。あだかもいつも歳月は味方のような片思いを抱いて。雲無心。歳月の光輪饗輪もまた、太虚の車に過ぎない。」 吉川英治の語る、時間(歳月)についての記述だが、いや、本当にそのとおりだと膝を打ってしまうところだ。これは私なりの解釈なのだが、天・時・人を味方につけ、この世の栄華を誇ったところで、それも一場の夢に過ぎない、という意味合いのような気がする。宇宙規模で考えたら、天地を揺るがす大事だと思ったことでも、実は取るに足らないことなのである。読者は、軍師・官兵衛を右腕とも頼む秀吉が、いよいよ天下をおさめる大人物として読み進んで行くに違いない。それはそうかもしれないが、長い目で見たら、秀吉も歴史上のわずか点に過ぎないことが分かる。私たちが尊ぶべきは、その点と点を結んで線にし、次世代へとつないでいくことなのかもしれない。 『新書太閤記(六)』吉川英治・著~ご参考~・新書太閤記 一巻はコチラ・新書太閤記 二巻はコチラ・新書太閤記 三巻はコチラ・新書太閤記 四巻はコチラ・新書太閤記 五巻はコチラ☆次回(読書案内No.125)は吉川英治の「新書太閤記 七巻」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.05.10
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【吉川英治/新書太閤記 五巻】◆人の繊細な気持ちを甘くみてはならぬ!「男の嫉妬ってマジ怖っ!」息子が身の毛もよだつと言わんばかりに語ってくれたのは、O君とT君の話である。O君とT君はお好み焼き屋さんでアルバイトをしている。甘いマスク(イケメン)で長身、女子高生たちから人気のあるT君に対し、ニキビ面で風采のあがらないO君は、店長やパートのおばちゃんたちと仲良くしていた。調子の良いT君は、お店に女の子が来たりすると、気前よく「オレのおごりだから金はいいよ」と言って、ご馳走することが度々あったようだ。だが実際には店長の目を盗んでやっていたことで、後で自分の財布から代金を支払っておくことはなかったという。そんな光景を横目で見ていたO君は、最初の一度や二度は我慢していたところ、女の子たちからキャーキャー騒がれてイイ気になっているT君に対し、抑えようもない嫉妬心で友情が壊れていった。O君は意を決して、仲の良いパートのおばちゃんに相談したところ、「よく私に話してくれたわ。あんたは何も心配しなくていいから。店長には私からちゃんと話してあげる」と。こうしてパートのおばちゃん、そして店長をも味方につけたO君は、T君を解雇させることに成功したのである。寝耳に水だったのはT君である。「一度だってオレのこと注意したことなかったのに、いきなりチクるなんてふざけやがって!」息子は、T君から憤まんやるかたないと言った愚痴を聞かされたとのこと。T君の言い分を鵜呑みにした息子としては、O君の復讐がよっぽどショックだったらしい。二人と仲の良い息子としては、友達ならもっと他にやりようがあったのではないかと、ややT君寄りの意見だった。だが息子よ、と言いたい。人の気持ちはそれほどまで計り難い、デリケートなものなのである。 『太閤記(五)』では、信長から“きんか頭”とあだ名をつけられた明智光秀が、積りに積もった怨念を晴らすべく、信長を討つ場面が山場となっている。世に言う、“本能寺の変”というくだりである。“サル”とあだ名をつけられ信長から可愛がられた秀吉に対し、光秀の方は“きんか頭”などと呼ばれて笑い者にされることに我慢ならなかった。信長もおそらくはそういうプライドの高い光秀の性格を知っていたであろう。頭脳明晰で兵法に明るく、何事にも礼儀正しい光秀だからこそ信長も重宝した。しかし信長はあまりにも人の気持ちを見くびっていた。まさかと思うようなことが起きてしまったのだ。「敵は本能寺にあり!」この時の光秀にあるのは、ただただ昔年の恨みつらみ。戦国時代とはいえ、戦には必ずや大義名分というものがあるはずだったが、光秀にそんなものはなかったのだ。とにかく信長を討ちとることに全神経を傾けていた。この光秀の鬼ような憤りを前に、さすがの信長にも成す術はなかった。桶狭間の戦で、三軍を率いた今川義元の大軍を撃ち破った勢いは、ここにはない。とはいえ、信長の最期はドラマチックで、他のどの武将よりも格調高く、高潔である。 「事実は一瞬の呼吸のうちに過ぎない。死なんとする刹那、人の生理は異常な機能を働かせて自己の通って来た全生涯に、平常の追想に似た訣別をなすものらしい。『悔はない』信長は大声で言った。」 私たちがこの歴史的事実から学べるもの、それは他でもない、人の繊細な気持ちを甘くみてはならないということだ。まさか?!と思うようなことが起きてからでは遅い。先人曰く、「親しき仲にも礼儀あり」誰かの恨みを買わぬよう、日ごろから気をつけようではないか。 『新書太閤記(五)』吉川英治・著~ご参考~・新書太閤記 一巻はコチラ・新書太閤記 二巻はコチラ・新書太閤記 三巻はコチラ・新書太閤記 四巻はコチラ☆次回(読書案内No.124)は吉川英治の「新書太閤記 六巻」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.05.03
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【吉川英治/新書太閤記 四巻】◆銃が刀と槍に代わるとき、時代は変わる長く愛用したウィンドウズXPのサポートサービスが終了した。パソコンが普及してもうしばらく経つが、私などはついこないだケータイを持つようになった身なので、進化するデジタル操作にはとうてい追いつけるものではない。息子は当たり前のようにスマホをいじくり回しているが、私はガラケーで十分。簡単なメールと通話ができさえすれば事が足りる。高校時代、タイプライタークラブというのがあって、ものすごく入りたくて仕方がなかったのに希望者が多く、ジャンケンに負けてしまい、入部できなかった。短大に進学すると、今度はワープロの授業が必修科目としてカリキュラムに入っており、タイプライターということばは死語?になった。レコードにしても、“およげたいやきくん”や“山口さんちのツトムくん”などを繰り返し聴いた世代なので、80年代に入ってCDなるものを買って初めて聴いた時、あまりのクリアな響きに衝撃を受けた。新しいものが古いものを淘汰していくのは仕方のないことで、それこそが科学の発展、延いては人類の未来を構築していくのだろう。だが、一抹の寂しさは拭えない。アナログの持つぬくもりや重厚感は、手間暇を惜しんでも次世代に引き継がれていくべきではないのか?という声もある。しかし、一分一秒がものを言う時代にあって、タイム・ロスは致命的で、否が応でもデジタル化は避けられない。もうその環境にどっぷりと浸かってしまっている私たちがいるのだから。 『太閤記(四)』では、長篠の戦により、甲斐の武田軍が尾張の織田と三河の徳川の連合軍に大敗してしまうところが山場となっている。このころすでに武田は代替わりしており、信玄から息子の勝頼が遺封を継いでいた。武田勝頼は、名門の出に多い、いわゆる“ぼんくら”ではなかった。しかし、信玄はあまりに偉大すぎた。戦の神様と畏れられた父を持つ子のプレッシャーたるや、いかばかりか。武田の誇る士馬精鋭が「陣鼓を打ち鳴らし、旗幟をひらめかせ」体当たりで織田・徳川勢に立ち向かうものの、五千挺の銃(当時としては最新式)の前には無力であった。武田の見事な陣構えと勇将に率いられた騎馬隊に、徳川勢は皆、身の毛をよだてた。だが、ひとたび徳川家の守将が「撃てーっ!」と叫ぶやいなや、武田軍はかつて聞いたこともない銃の轟音に恐れをなす。それはそうだ。甲州は内陸にあって、文化の移入にはあまりにも不利な地勢だった。徳川には海運の便があり、新鋭の武器購入に金を惜しまなかったのである。ここで、武田の名将勇将が最先端の武器を前に次々と倒れていく。甲州流の兵法と、信玄仕込みの名将をもってしても、新兵器にはとうてい適うものではなかった。 「一馬啼かず、一兵叫ばず、曠野は急に寂寞の底へ、とっぷり暮れ沈んでいた。まだ片づけられないまま夜の露に横たわっている屍は、甲軍の者だけでも、一万余とかぞえられたのである。」 この長篠の戦を振り返った時、読者は今さらのように現代に照らし合わせてみるに違いない。デジタルを駆使する者が世の中を席巻し、アナログに生きる老練はもはや成す術もないのだ。「時代は変わった」と嘆く前に、よく機を見て、自らの立ち位置を検証しようではないか。回顧主義に陥ることなく、新しい文明の利器と上手に付き合っていこう。スマホを持った現代人が、決して糸電話の生活に戻れるはずもないのだから。 『新書太閤記(四)』吉川英治・著~ご参考~・新書太閤記 一巻はコチラ・新書太閤記 二巻はコチラ・新書太閤記 三巻はコチラ☆次回(読書案内No.123)は吉川英治の「新書太閤記 五巻」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.04.26
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【吉川英治/新書太閤記 三巻】◆英雄の影に軍師あり私事ながら、高校生の息子は演劇部に所属している。昨年の秋の文化祭では、チラシ作りに余念がなかった。とにかく一人でも多くの人に見てもらいたいという気持ちに急いて、あれやこれやと、その構成に悩み抜いているようだった。「題字はパソコンから拾えばいいかなぁ?」「そこはチラシの要となる文字でしょ?」「うん」「М君にお願いしたらどう?」「М君? おーそっか!」М君というのは息子の友人で、書道五段の腕前を持つのだ。ふだんは生意気な息子も、この時ばかりは素直に私の提案を聞き入れた。後日、出来上がったチラシを確認すると、それはもう見事な題字で、何やら高校生の演劇とは思えない、前衛芸術の案内か何かと見紛うほどの出来栄えだった。かえって息子たちの演じた芝居が、チラシの題字に負けてしまったのが切ない。前置きが長くなってしまい恐縮だが、こんなささいなことからでも、プロデュース能力の重要性が分かると言いたかったのだ。(もちろん、私の単なる思いつきを、あたかもプロデュース能力の如く自我自賛しているわけではないので、あしからず。)さしあたり戦国時代なら、それを“軍師”と呼ぶ。 『太閤記(三)』では、秀吉が三顧の礼を持って迎え入れた軍師・竹中半兵衛が、いよいよ活躍し始める。秀吉がスゴイのは、自分が無学であることを謙虚にも認めていたことである。そのため、兵法に明るい人材を必要とした。戦国時代にあって、戦に勝つことが第一の目的ではあるものの、ただ槍や刀を振り回して武力にものを言わせて勝っただけでは、とうてい真の勝利を収めたとは言えない。それゆえ半兵衛の並外れた知性が、秀吉の欲している家中の士風を高めるのに大いに役立ったのである。 三巻を盛り上げるのは、やはり姉川の合戦と叡山の焼討ちであろう。 「英雄も英雄の質それだけでは、英雄となり得ない。環境が彼を英雄にしてゆく。」 ここで吉川英治の言う英雄とは信長のことであるが、彼を英雄にした軍師とは、一体誰だったのか?姉川では、織田勢もかなりの苦戦を強いられたが、それでも後半は浅井・朝倉勢を追い込んでいくことに成功した。しかし信長は、小谷城に封じ込めた浅井勢の息の根を止めるところまではしなかった。信長は急遽、岐阜に帰還するのだ。眼に見える敵と見えない敵がいるとしたら、信長はその後者に備えるため、一つところに留まらず、ある程度の戦果を得たら本城に引き上げるのを良しとした。時代の革命児でもある信長の敵は、叡山、本願寺などの僧団の他に、名ばかりの将軍家というやっかいな存在があったのだ。 この時代の流れを追っていくと、凡人の私でも何となく分かったことがある。それは、軍師の質の高さがものを言う、ということである。現代は戦乱の世ではないけれど、自分に諫言してくれる真の友人の言葉に耳を傾けるのを嫌悪してはならない。見え透いたお世辞に馴らされて、自分を見失うことのないように。あなたに本物の友人はいるだろうか? 『新書太閤記(三)』吉川英治・著~ご参考~・新書太閤記 一巻はコチラ・新書太閤記 二巻はコチラ☆次回(読書案内No.122)は吉川英治の「新書太閤記 四巻」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.04.19
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【吉川英治/新書太閤記 二巻】◆天が味方についた時、常識は覆る静岡県は大きく区分すると、西部、中部、東部の三つに分けられる。中部というのは、県庁所在地でもある静岡市を中心とした区域なのだが、その昔、駿河の国と呼ばれていた戦国時代、今川義元を筆頭にこの地をおさめていた。その家風は「すべてが公卿風であり、下は京好み」であった。その影響で平成の今もなお、名残りがあるとは思えないが、それでも町並みは優雅で上品、ことばの響きもおっとりした特徴を持っている。一方、西部は浜松市を中心とした区域なのだが、隣接した愛知県の三河地域とよく似た特性を持つ。艱難辛苦の幼少期を送った徳川家康の無骨な侍魂が根強く感じられる。職人気質を育む土地柄のようで、現代も“ものづくりの街”として定評がある。 『太閤記(二)』では、浜松市民のそんな気質の礎となった徳川家康が、まだ松平元康という名で駿河の今川家に人質として留まっていたころの話である。また、このころ漸く尾張の織田信長の名が世間に知られるようになった時代ともリンクする。駿府の今川義元が、信長を尾張の田舎侍と侮り、悠々と上洛の途につくのだが、田楽狭間と呼ばれる地で織田の奇襲に遭い、あえなく今川軍が大敗を嘗める戦がくり広げられる、世に言う桶狭間の戦である。吉川英治の描く人物像に、完全な悪人は存在しない。公卿風の今川義元は、どうかするとお歯黒大将のように揶揄されがちだが、決して凡将ではないし、いざという時は誰よりも早く形勢全体を察知し、いたずらに右往左往などしなかった。読者はその時、否が応でも気づいてしまう。どれほどの名将とはいえ、富を謳歌し、兵馬に優れたものを揃えてはいても、天に見放される場合があるのだということ。要するに、自分の力ではどうしようもできないことが起こりうるのを示唆しているのだ。 いつのころからか我々は、“やればできる”“夢は叶う”“人一倍の努力によって自己実現”という途方もない幻想に踊らされて来た。もちろん、ある程度の段階までは日々の積み重ねによって到達できるかもしれない。ほんの一握りの人に限っては、幸運にも、心願を成就させるかもしれない。しかしながら、800年も前の歴史をひもといた時、人の前に運命という巨大な海原が広がっていることに気づかされる。だからと言って、たゆまぬ努力を放棄せよ、とは言わない。ただ、如何せん計画どおりにはいかないのが世の常であるとだけ言っておきたい。 『太閤記(二)』では、三軍を率いた強大な今川勢が、当然のごとく織田勢を木っ端微塵に踏み潰して上洛を果たすのかと思いきや、大どんでん返しが起きてしまった。兵の数では圧倒的に不利だった織田勢が勝利するのだ。 人間五十年 下天のうちを較ぶれば夢まぼろしの如くなりひと度、生をうけて 滅せぬもののあるべきか この時、天を味方につけた信長だったが、その栄光も永遠ではない。私は、信長の太くて短い生き様を垣間見た時、天運と時運、そして人脈に恵まれた千載一遇のチャンスというものがあることを知った。同時に、人の命運は絶えず転がり続けていて、一定ではないことも知る。『太閤記』は、秀吉を中心とした軍記物語ではあるが、読者にそこはかとない哲学的命題を突き付けているようにも思えた。『新書太閤記(二)』吉川英治・著~ご参考~・新書太閤記 一巻はコチラ☆次回(読書案内No.121)は吉川英治の「新書太閤記 三巻」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.04.12
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【吉川英治/新書太閤記 一巻】◆極貧の中に育った日吉が信長に仕えるまで日本人ならそのルーツを探る上でも必ずや一読の価値がある。それが『太閤記』であるのは疑う余地もない。信長、秀吉、家康を扱った小説は、それこそ五万とあり、それぞれに違った味わいがある。海音寺潮五郎、山岡荘八、司馬遼太郎、そして吉川英治。どの作家の小説をひもといても、ぞくぞくするような高揚感と臨場感に溢れている。中でも私がおすすめしたいのは、吉川英治の『新書太閤記』である。吉川英治の代表作と言えば、『三国志』や『宮本武蔵』などが筆頭にあげられるかもしれない。だがあえて『新書太閤記』をおすすめしたいのは、吉川英治の描く秀吉が、驚くほど日本人らしい日本人だからだ。コンプレックスの塊のような小柄な男が、ただひたすらに大志を抱いてまい進する姿は美しい。この地道で、しかも滑稽な小男の物語を、壮大なスケールで描ける作家は、吉川英治しかいない。秀吉は極貧の中、母や姉においしいものを腹いっぱい食べさせてやりたい、新しい着物を着させてやりたいと思い、その一心でどんな仕事でも頑張った。戦乱の世にあって、身を立てるには何が一番大事か?家柄である。だが秀吉にはそれがない。じゃあ家柄の次に必要なものは?金と武力だ。だが、哀しいかな、秀吉にはその二つも持っていない。肉体は小柄だし、猿顔だし、ろくな学問もない。自分には一体何があるのか?忠実。とにもかくにも仕事でも付き合いでも忠実にやろうと決めた。忠実なら裸になっても自分には持ち合わせていると思った。そして、この忠実さが人々からの信頼に変わっていくのだ。『新書太閤記(一)』のあらすじは、次のとおり。木下弥右衛門は足軽ながら、織田信秀の家中だった。だが戦で不具の身体となり、今は百姓に身を落としていた。息子の日吉(後の秀吉)は期待の一粒種だったが、極貧生活が祟ってか、小柄で、奇異な猿顔で、ハナタレの腕白坊主だった。日吉の成長を唯一の楽しみにしていた弥右衛門だったが、あえなく病死。日吉が8歳の時だ。母は貧乏所帯を立て直すために、筑阿弥というケチな男と再婚した。日吉にとっては義父となるわけだが、どうにも相性が良くない。結局、日吉は義父から目の仇にされ、よそへ奉公に出されてしまう。その後、仕事が長続きせず職を転々とするが、侍になりたいという夢を持ち、尾張中村を出て各地を見て回るのだった。そんな折、日吉は信長こそ主人と奉るべき人だと信じ、身一つで直訴。やっとの思いで受け入れられ、信長に仕えることとなる。一巻では、秀吉がまだ一介の浮浪児で、その名を日吉と呼ばれていたころの序の口である。それにしても作者・吉川英治の見て来たような説得力のある筆致に、ページをめくるのももどかしい。早く次が読みたいと、気が急いてしまうのだ。解説によれば、『新書太閤記』は昭和14年から20年(敗戦の年)まで読売新聞に連載されたとのこと。その後、しばらく筆を置き、中央紙から離れ、地方紙に昭和24年に再び書き継がれたらしい。とはいえ、新聞に連載後まとめられた全八巻を読んでみた時、途中のブランクなど全く分からず一気呵成に読了してしまったというのが私の感想である。まずは一巻を手に取ってみよう!必ずや二巻も手にしたくなるに違いない。秀吉の天下取りの夢は、私たち庶民のロマンでもあるのだ!『新書太閤記(一)』吉川英治・著☆次回(読書案内No.120)は吉川英治の「新書太閤記 二巻」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.04.05
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【堀川アサコ/幻想郵便局】◆もっか就活中の方々につかの間の癒しを与える「オレがイメージしてたものとは全然違ったし!」と言って高校生の息子が貸してくれたのが、これだった。冬休みに息子が買って来た一冊である。息子としては、のんびりラクチンなはずの郵便局のバイトが、実は、過酷を極める陰惨な現場であるというルポルタージュ的な本だと思ったらしいのだ。「タイトルにだまされたー。“幻想郵便局”はないよなー」とボヤく始末。親の私から一言アドバイスしてやったのは、「ほら、背表紙のここに簡単なあらすじが書いてあるじゃん。これ読んでから買いなよ」である。そんなわけで手に取った『幻想郵便局』だが、うん、なかなかおもしろかった。カテゴリなら“ファンタジー小説”分類されるものだ。読者は、この春、新社会人となる若者や、もっか就活中の方々に向いているかもしれない。というのも、主人公の女性が短大を卒業後、就職浪人をすることになったという設定だからだ。いっしょに卒業した友だちは皆、どこかの企業に就職し、毎日忙しく暮らしているというのに、自分だけが世の中から取り残されたような気分になり、就職浪人という惨めなレッテルを貼られる。こういう経験は、今のご時世、決して少なくはないだろう。将来なりたいものが見つからず、本気で考える将来の夢が漠然としていて、具体的にこれと言う仕事が浮かばない。だったらそれを探すところから始めればいいじゃん、と他人は言うかもしれないが、当事者にとってはそれほど簡単なことではないのだ。『幻想郵便局』のあらすじは次のとおり。短大を卒業したにもかかわらず定職に就いていない安倍アズサは、もっか就職浪人中。 親は寛容にも「あせって決めなさんな」と励ましてくれるので、その言葉に甘えて、中古の自転車に赤いペンキを塗ったり、引越しの手伝いをしたり、本を読んだりしてすごしていた。ある時、学校の就職課から連絡が来た。それは、登天郵便局という山のてっぺんにある郵便局のアルバイトの紹介だった。アズサは、郵便局の仕事なら自分にもできるかもしれないと思い、引き受けることにした。バイト初日。狗山の山頂に建てられた登天郵便局には、赤井局長の他に、数人の職員が勤務していた。アズサが与えられる仕事は、切手類を売り、郵便物を受け付ける作業だと思っていた。 ところが意外にも“探しもの”をして欲しいとのこと。それは、木簡に書いた古い起請文で、それを何とかして探し出して欲しいというのが仕事だった。思い起こせばアズサは、履歴書の特技欄に“探しもの”と記入していた。どうやらアズサの採用理由は、それだったのだ。ストーリーの後半は、ややサスペンス仕立てで、犯人捜しの場面もあるにはある。だが概ね、ファンタジー小説と見なしてしまって構わないと思う。登場するのはほとんどが人知を超えた神や幽霊、妖怪のようなもの。著者・堀川アサコによって不気味さは軽減され、滑稽で、むしろもの悲しさが漂っている。登天郵便局という空間があの世とこの世のボーダーラインだとしたら、生と死の境目なんて、本当にわずかな階段の踊り場的なものにすぎないことが分かる。この作品は、様々な人々との出会いや触れ合いから、真摯に生きることの大切さを物語っている。さらには、どんな経験も無駄なものはないと表現しているのかもしれない。小説としては定石ながら、つかの間の癒しとして読むには最適な一冊だと思った。☆余談ながら、息子の感想をフォローするわけではないが、タイトルは“幻想郵便局”より、“登天郵便局”の方が、内容と合っているような気もする。『幻想郵便局』堀川アサコ・著☆次回(読書案内No.119)は吉川英治の「新書太閤記 一巻」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.03.29
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【壺井栄/二十四の瞳】◆平和とは何ぞやを再認識する名著今や高校生となった息子だが、その息子が小学生のころは、学校の方針で“朝読書”という時間があった。その時間に読むための本が欲しいと言うので、買い与えた一冊に、『二十四の瞳』がある。恒例のポプラポケット文庫である。対象年齢は小学校上級向きとあるが、大人の私でも充分に楽しめる名作なのだ。著者の壺井栄の夫はプロレタリア作家(詩人)である壺井繁治で、栄自身も少なからず影響を受けたのか、貧富の差とか、薄幸な人々の生き様にスポットを当てているのが特徴的だ。とはいえ、そこにむやみやたらな思想を織り込んだものではなく、ほのぼのとしていて、どこか懐かしい庶民の体臭が感じられるのだ。解説によれば、今でこそ名作として語り継がれる小説だが、実際には木下恵介監督による『二十四の瞳』の映画化により、大ブームとなったとのこと。この映画化をきっかけに、小説の方が遅れてベストセラーになったというわけだ。『二十四の瞳』のあらすじはこうだ。昭和3年4月4日。舞台は瀬戸内海べりにある小さな村の分教場。それまで村の子どもたちを教えていた小林先生は結婚のため、学校を辞めることとなった。新任の先生は大石久子で、女学校の師範科を出た優秀な教員だった。大石先生の任されたクラスは全員で12名。やんちゃな男の子におませな女の子、無口で大人しい子から騒がしい子までが揃っている。大石先生はよその村の者だったせいで、何かと噂好きの村の者たちの好奇の目にさらされながら、どうにかこうにか頑張っていた。ある時、大石先生はクラスのみんなを率いて、浜辺で唱歌を歌うことにした。一通り歌い終わって、さて帰ろうとしたところ、大石先生は、子どもたちの掘った落とし穴に落ちてしまったのだ。子どもたちはゲラゲラ笑いながら落とし穴に近付いて来て、手を叩いて喜んでいたところ、立ち上がらずにくの字に寝たままの大石先生を見て、すぐに黙り込んでしまった。その様子にやんちゃな子どもたちも、異様なものを感じてしまったのだ。一読して思ったのは、私たちが平和を謳歌できるのは、先人の血と汗と涙によって掴み取った自由と人権尊重のおかげだということ。当時は、インテリが戦争に反対しただけで、反戦思想だと国家から国賊の落いんを押されてしまうのだから!警察の拷問によって殺された者たちが何人もいたのだ!同じ日本人が国家権力によって同胞を弾圧していたのである。貧しい農村、漁村の若者たちは、「兵隊に入れば腹いっぱいの飯が食える」と聞かされ、兵隊にとられていった。著者の壺井栄は、作中、子どもにも分かるような易しい言葉で、当時の様子を克明に、そして事実を伝えている。〈昭和8年日本が国際連盟を脱退して、世界の仲間はずれになったということにどんな意味があるか、近くの町の学校の先生がろうごくにつながれたことと、それがどんなつながりをもっているのか、それらのいっさいのことを知る自由をうばわれ、そのうばわれている事実さえ知らずに、いなかのすみずみまでゆきわたった好戦的な空気につつまれて、少年たちは英雄の夢をみていた。〉今後、日本はどのような方向へ進もうとしているのか?様々な情報が錯綜する中、私たちはあらん限りの知恵と知識を振り絞って、事実という本物を見抜いていかなくてはなるまい。満州事変からやがて中国と全面的な戦争となり、さらには太平洋戦争に突入していったプロセスを思い出して欲しい。当時、新聞というメディアを通し、「戦争は正義の戦い」であると宣伝されたのだ。国民は、政治のやり方について一切口を出してはならず、「政府の命令のままに、すべてを戦争のために」と強制したのである。世界の情勢、日本の置かれた立場を知らなかった、否、知らされる自由のなかった国民に、もはや為す術はなかったのである。あれから時代は変わった。もう“戦後”とは言わない。だが、『二十四の瞳』を読んで、戦争によって様々な苦難の道を強いられることになる12人の子どもたちのその後と、女性教員・大石久子の歩みを通して、平和とは何ぞやを再認識するのも平和教育の一つではないかと、つくづく感じたしだいである。(沖縄への修学旅行だけが平和教育ではないはず)この小説は、万人におすすめの名著である。『二十四の瞳』壺井栄・著☆次回(読書案内No.118)は堀川アサコの「幻想郵便局」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.03.22
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【芥川龍之介/秋】◆大人の恋はじれったいほどに密やかなもの何年か前に息子のために買い与えた『蜘蛛の糸』が、本棚でほこりをかぶっているのを目にした。ポプラ社から出版されている小・中学生向けのポプラポケット文庫にある、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』である。読むともなく読んでいると、すっかりハマってしまった。短編で、しかも字が大きくて読みやすい。表題作の『蜘蛛の糸』以外に、『地獄変』『魔術』『舞踏会』『秋』『杜子春』『トロッコ』『漱石山房の冬』『雛』がある。芥川作品は、初期の平安朝時代の古典をベースに創作された短編が有名だが、晩年の現代小説の方が個人的には好きだ。(特に私小説ふうのもの)王朝ものから少しずつ遠ざかって発表した『秋』、これは〈中央公論〉の大正9年4月号に掲載されたものだが、恋の切なさと、どうしようもない現状をしみじみと感じないではいられない。こんな大人の作品が小・中学生向けのポプラポケット文庫にちゃっかり収まっていることに、正直、驚いた。『秋』を読むと、行間から漂う如何ともしがたい人間の素の感情がほとばしり、正統派の短編小説たる存在価値を、今さらのように認識せずにはいられない。この洗練された感覚は芸術の域にまで達しており、いまや芥川を越える短編小説家がいるのだろうかと、漠とした疑問を感じてしまった。しかし、そんな芥川の繊細さは異常なほどで、「昭和に入ると、時代の流れと自我とを懐疑」するようになる。芥川の表現する「ぼんやりした不安」は有名なことばだが、この神経衰弱によって自ら命を絶ってしまった。こうして大正文学が、終焉を迎えることとなる。『秋』のあらすじは、次のとおり。女子大卒の信子は才媛だったが、妹・照子と母の3人家族ということもあり、縁談を余儀なくされた。俊吉という大学の文科に籍を置く従兄がいて、おそらくこの俊吉が信子の結婚相手であろうと周囲は暗黙のうちに予想していた。というのも、信子も俊吉も文学という共通の話題があり、インテリジェンスに恵まれていたからだ。2人のデートには必ず信子の妹である照子も同伴した。だが照子は、時々、2人のハイレベルな会話について行けず、圏外に置き去りにされることもあった。そんな中、信子は周囲の予想に反して、別の青年と突然結婚してしまった。そして夫の勤務先である大阪へと引っ越してしまう。周囲はあれやこれやと無用の憶測を立てたが、実際のところ、妹・照子の俊吉への想いに気付いた信子が、身を引いたというのが真相のようであった。現代ならこのような筋書きはごくありふれたものかもしれない。だが、芥川の描くギリギリの恋は、じれったいほどに密やかなものである。細かな心理描写などはないが、時間の経過に伴う人間のどうしようもない不安や後悔、それに切なさみたいなものが、ぬえのように襲い掛かって来るのだ。堅苦しい純文学から遠ざかっている方にも、このポプラポケット文庫の名作は無理なく手に取ることの出来る、ありがたい存在であろう。『秋』芥川龍之介・著☆次回(読書案内No.117)は壺井栄の「二十四の瞳」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.03.15
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【寺山修司/書を捨てよ、町へ出よう】◆一点豪華主義にこだわり、反バランス主義を貫く男個性的なキャラという存在は、けむたがられることがままある。それは今に限ったことではなく、いつの時代にもあった。“出る杭は打たれる”ということわざにもあるように、何か突出した才能があったりすると、周囲に反感を買ったりするわけだ。いつのころからか、場の空気が読めない人のことを“KY”と言って非難めいた悪口をきくようになり、ヘタに会話もできなくなった。ましてやとんちんかんな返答などご法度なのだ。寺山修司の青春扇動エッセイである『書を捨てよ、町へ出よう』は、多くの既成概念から解放されるような、突き抜けた挑発書だ。だから、野球で盛り上がるオヤジ世代の中で、寺山はサッカーを高く評価し、トルコ風呂(現在のソープランド)を排泄の場ではなくエデンの園として扱おうと提案したりする。(昭和50年当時)何やら人生なんてヒマつぶしみたいなものだと言われているようで、人間関係ごときにくよくよと悩んでいるのがバカバカしくなる。興味深く読んだ箇所がいくつかあるので紹介しよう。一つは、サッカーの起源について書かれている章である。な、なんとサッカーは「はじめは、ボールではなくて、頭の骨でやった」とな?!「デンマークに支配されていた英国人たちが、裏通りにころがっていたデンマーク兵の頭蓋骨を靴で蹴ったのが始まり」とのこと。どおりでイギリスの国技として今日まで発展して来たわけだ。寺山いわく、「野球はピッチャーのナルシズムによる競技」であり、「まるで魅力のない」スポーツだと。一方、サッカーとは「憎しみから出発した競技」で、「蹴る、足蹴にする、という行為には、ほとばしるような情念が感じられる」というものだ。ううむ、なるほど。さらにもう一つ。それは一点豪華主義のススメである。「三畳半のアパート暮らしをしているくせに食事だけはレストランでヒレ肉のステーキを食う」とか「着るべきスーツはうす汚れた中古の背広一着なのに、スポーツカーはロータス・エランを持っている」などである。思うに寺山修司という人は、反バランス主義者であったに違いない。他にも自殺学入門の章も面白く読んだ。あれやこれやと寺山流自殺論を展開しながらも、その最後には「じぶんを殺すことは、おおかれすくなかれ、たにんをもきずつけたり、ときには殺すことになる。そのため、たにんをまきこまずには自殺もできない時代になってしまった」と書いている。寺山修司の東北人気質と、演劇で培った表現力、それにカリスマ的魅力の溢れる作風は、時代を超えて楽しめる。風俗史として読んでもいっそうおもしろいと思った。どちらかと言えば若い世代の方が“クール”に感じるかもしれない。四十代以上の世代には、「若いっていいなぁ」という感傷に近い味わいを覚えるに違いない。『書を捨てよ、町へ出よう』寺山修司・著☆次回(読書案内No.116)は芥川龍之介の短編小説「秋」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.03.08
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【江戸川乱歩/幽霊塔】◆黒岩涙香の翻案を乱歩が再創作もともと推理小説とか怪奇小説というジャンルは、通俗小説の筆頭にあげられるものである。そのため、作品としての評価が今一つ盛り上がらないのは致し方ない。言わずと知れた江戸川乱歩は、西洋と比べると立ち遅れていた日本の創作小説というものを確立した人物であると言っても過言ではない。かの大谷崎も、江戸川乱歩の描くおどろおどろしい世界観に早くから目をつけており、高く評価している。日本人が実は、根っからのエロ・グロ好みである気質を、鋭く見抜いていたという点では、江戸川乱歩は谷崎に勝るとも劣らない文士なのだ。江戸川乱歩といえば、『怪人二十面相』に始まる少年読み物が代表作であるのは疑う余地もないことだが、昨今でも一般読者の圧倒的な支持を集めるのは、この『幽霊塔』である。この作品はもともと黒岩涙香の翻案したものを、さらに乱歩が再創作した小説である。〈※ウィキペディア参照〉巻末にある乱歩本人による注釈だと、当時はこの黒岩涙香の翻訳した原作というものが分からなかったとのこと。だが最近になって原作が判明。アリス・マリエル・ウィリアムソンによる『灰色の女』がベースとなっているようだ。 『幽霊塔』のあらすじはこうだ。舞台は長崎の片田舎、K町。時代は大正初期。主人公・北川光雄の叔父が、時計塔のそびえる古風な西洋館を地所ごと買い取った。光雄は改築を命じられ、はるばる下見にやって来たのだ。ところがこの西洋館には、幽霊が出るといういわくつきの物件だった。というのも、もともとの持ち主は徳川末期の大富豪渡海屋市郎兵衛で、維新前の物情騒然たる時世ゆえに財宝の隠し場所としてからくり部屋を作ったところ、出入り口が分からなくなってしまい、そのからくり部屋で巨万の富とともに絶命した。その非業の死が悲痛な魂となって屋敷内をさまよっているという伝説が、まことしやかに囁かれていた。その後、時計屋敷はお鉄婆さんという老婆の持ち物となったのだが、いっしょに住んでいた養女に殺されるという悲運な最期を遂げた。このような因縁めいた屋敷に不安を覚えつつ見回っていたところ、光雄は突然、美しい女性と出くわす。それはそれは神秘的で、凛とした美しさを持つ、野末秋子という女性だった。秋子はなぜか時計屋敷について詳しく、大時計の巻き方なども知っており、持ち主である光雄の叔父にも挨拶がてらその旨、教えたいとのこと。こうして光雄は、秋子に対して深い詮索もせず、その魅力的な美貌から、徐々に気持ちが秋子の方へと傾いてゆくのだった。内容は古めかしく、時代性を感じさせるものだが、登場人物の善悪がハッキリ分かれているし、不透明感のない結末は、読後、清々しい。ラストでこれだけ後日談がきちんと語られていると、本当の意味でのハッピーエンドを味わえる。とかく社会派ミステリーなどにはつき物の、絶望的な後味の悪さは、乱歩の描くこの作品には皆無である。怪奇小説、スリラー小説は苦手だという人も、この『幽霊塔』なら、あるいは最後まで楽しめるかもしれない。『幽霊塔』江戸川乱歩・著(原作・アリス・マリエル・ウィリアムソン『灰色の女』より)☆次回(読書案内No.115)は寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.03.01
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【菊池寛/真珠夫人】◆格調高く優雅な通俗小説が昼ドラを席捲この作品は小説より、むしろ昼ドラで一躍ブームとなったのは記憶に新しい。私が勤務していた以前の職場で、あまりにハマってしまった同僚が、録画のタイマーをし忘れたとかで、ご主人に電話をして録画を頼んでいたのを思い出す。とにかくそれほどまで世のご婦人方を夢中にさせた作品である。昼ドラを侮れないのは、通俗小説とはいえ、著名な作家の作品をきちんと持って来るところだ。周知のとおり、『真珠夫人』は菊池寛の原作である。解説によれば(解説は川端康成によるもの)、菊池寛という作家は、「生活第一、文学第二」をポリシーとしていたらしく、純文学小説では食べていけないので、大衆小説の道へと転向したようだ。また、当時の新聞小説として連載していた『真珠夫人』は、川端いわく、「円熟の小説であるし、また代表作とも見られる」と評価している。しかし、私個人が感じたことには、川端康成が菊池寛の作品についてあれこれ論評するというよりは、人柄を大変高く評価しているように思われるのだ。たとえばこうある。〈『新思潮』の継承発刊の了解をもとめると、初対面であったにもかかわらず、何もたずねないで、到って無造作に承諾を与え、好意を見せてくれた上、「芥川や久米なんかには、僕から話しておいてやるよ」と言った。〉とある。こういうことをずい分後になるまでちゃんと覚えていた川端康成は、菊池寛に対して並々ならぬ恩義を感じていたのだと思う。極貧生活を味わった経験のある菊池寛は、「貧しくとも立派な純文学小説の創作」というものには何の意味も見出さず、むしろ生活のためなら何でも書くのを良しとした。だから才能があっても食べられない後輩作家の育成には余念がなく、援助を厭わなかったのだ。さて、その菊池寛の代表作ともなった『真珠夫人』のあらすじはこうだ。唐沢男爵の令嬢・瑠璃子は、杉野子爵の令息である直也と、荘田勝平の主催する園遊会に出席していた。招待客で溢れた会場を避け、二人は静かな場所で会話を楽しんでいた。直也は荘田勝平の成金趣味を批判し、名園と言われる荘田の庭も、人工的でコセコセしていると悪し様に言った。しかし偶然にも二人の会話を荘田勝平が聞いてしまうのだった。荘田は、まだ年若い学生である直也から、金さえあればどんなことでも出来ると思っている俗悪な成金趣味だと痛罵されたことを、心の底から恨んだ。この悔しさを一体どうしたら晴らせるだろうかと考えた時、美しい令嬢・瑠璃子の父・光徳が、貴族院の清廉な闘将ながら、その実は借金で火の車であることを調べ上げ、罠にかけてやろうと謀ったのだ。キレイゴトを言っても、最後は金が全てであることを分からせてやろうと、ほくそ笑んだ。こうしてまんまとハメられた瑠璃子の父の借金のかたに、瑠璃子は直也との恋をあきらめ、親子ほどの年の差はあったが、荘田に嫁ぐことになる。だが、瑠璃子の復讐はここから始まるのだった。とにかくストーリーはドラマチックで、波風が始終ざわついている感じだ。正に、昼ドラに相応しいストーリー展開である。登場人物のセリフもそれは大げさなもので、まるで小説の中の宝塚歌劇を楽しんでいる錯覚に陥る。「ははははは。強いようでも、やっぱりおなごは弱いものじゃ、ははははは」「ああ苦しい。切ない! 心臓が裂けそうだ!」「貴女は、僕を散々辱しめておきながら、この上何を仰ろうというのです!」という具合である。(笑)これほどまでにフィクションでありながら、いつのまにか作品に惹き込まれてしまうのは、どうしてなのか?それはきっと、生活のために必死でペンを執る筆者が、寿命の縮む思いで創り出す苦心までも背景に隠されているからであろう。通俗だ、大衆的だと詰られようと、一生懸命にドラマを紡ぎ出す菊池寛の創作姿勢はすばらしい!菊池寛、渾身の逸作なのだ。『真珠夫人』菊池寛・著☆次回(読書案内No.114)は怪奇小説の筆頭、江戸川乱歩の「幽霊塔」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.02.22
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【道尾秀介/光媒の花】◆6篇の短編小説が連作となってドラマを形成高校生の息子が福祉系の仕事に就きたいなどと言い出し、にわかに“認知症”とか“介護”とか“老親”などの言葉に敏感になった。私はこれまで、最近の小説はわざと後回しに読んで来た。だが昨年の夏は、旬である集英社文庫ナツイチをせっせと読んでみた。ナツイチにエントリーされていた道尾秀介の『光媒の花』の紹介文には、「認知症の母と暮らす男の秘密」とあり、がぜん興味が湧いた。息子は「福祉だ、介護だ」と言ってるし(一時的な興味に過ぎないかもしれないが)、ならばこれを読んでみるとするか、と購入。『光媒の花』は、6篇の短編が連作となっていて、一つのドラマを形成している。この手法は最近の流行のようで、有川浩の『阪急電車』にも見られる手法である。それは例えば、一章では脇役として登場した人物が、次の二章では主人公となり、二章でほんのチョイ役だったキャラクターが三章では主人公となる、といった具合だ。道尾秀介は、もともとホラーサスペンスでデビューを飾っている。そのせいか、『光媒の花』も全体的にトーンが低く、暗く閉ざされた世界観を思わせる。 各章ごとにタイトルが付けられているが、このタイトルがまた良い。第一章 隠れ鬼、第二章 虫送り、第三章 冬の蝶、第四章 春の蝶、第五章 風媒花、第六章 遠い光となっている。特に私が気に入ったのは、第一章 隠れ鬼である。あらすじはこうだ。主人公の遠沢正文は、認知症の母を介護しつつ“遠沢印章店”を営んでいた。母の痴呆は日に日に酷くなっていくが、初老で独身の正文は、自らが母の面倒を看るしかない。というのも、父は30年も前に自殺していて、母にとっては一人息子の正文だけが支えだったのだ。父が健在のころ、夏休みには家族で長野県にある別荘で過ごした。ある日、正文がへんぴな山間にある別荘の周辺を散歩していると、美しい年上の女性とばったり遭遇する。中学2年の夏だった。その女性と甘美なひと時を過ごしたのが忘れられず、それから夏休みに別荘へ出向く度に、その女性と会うのを楽しみにした。事件は高3の夏休みに起きた。毎年散歩の偶然を装って会っている、名前も知らない美しい女性は、なんと父の愛人だったのだ。物語はドラマチックで、しかも幻想的で、知らず知らずのうちに惹き込まれていく。ファンタジー的な要素が加味され、現代の雨月物語のようで、魅力的だ。一つ難があるとすれば、第二章 虫送りだろうか。このストーリーは、正直、好きになれない。登場人物のセリフに、「死んでいい人間なんて、この世にいないんだよ」とあるが、じゃあ凶悪事件を起こした死刑囚も死ぬべきではないと言うのか?そんな小説の中のセリフにいちいち目くじら立てるのもどうかと思うが、そういう理由で減点したくなったのは事実。とはいえ、『光媒の花』は山本周五郎賞受賞作であり、誰もが認めるであろう鮮烈な作品なのだ。『光媒の花』道尾秀介・著〈山本周五郎受賞作品〉☆次回(読書案内No.113)は菊池寛の「真珠夫人」を予定しています。★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから
2014.02.15
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