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野田新政権の原子力政策を特に注視する青森国会で30日、新首相に指名された民主党の野田代表。山積する課題の中で、とりわけ青森県関係者が注視するのが原子力政策と東日本大震災からの復旧復興策だ。菅首相の発言に振り回されただけに期待が集まる一方、不安の声も上がる。「原発についてどういう考えを持っているか分からないが、トップとしてきちんとした方向を示し、自信を持って政策を展開してほしい」大間原発を抱える大間町の金沢満春町長は同日、役場内で記者団の取材に答え、原発推進への期待感をにじませた。東京電力福島第一原発事故の影響で大間原発は建設工事が約4割進んだところで中断。地元経済界を中心に再開を求める声が大きくなっているからだ。野田氏は今月発売の月刊誌「文芸春秋」に寄稿した事実上の政権構想で、原子力政策について、「原発の依存度を減らす方向を目指しながらも、少なくとも2030年までは、一定割合は既存の発電所を活用することが現実的」と明記し、菅氏の「脱原発」路線からの転換を打ち出した。それだけに立地自治体の期待も膨らむ。また、定期点検中の原発の再稼働について野田氏は、「政府には電力を安定的に供給する体制を作る責任がある。安全性を徹底的に検証した原発は再稼働に向けて努力することが最善の策」と前向きな姿勢を示す。県内事業者の1人は「脱原発を掲げた菅氏との違いは明らか。とにかくぶれずにやってもらいたい」と語る。ただ、野田氏は核燃料サイクル政策のあり方や個別の原発については言及していない。サイクル政策の基幹施設である使用済み核燃料再処理工場(六ヶ所村)の事業者・日本原燃は29日夕、「エネルギー政策は国家の行方を左右する重要な課題であり、エネルギー資源をほとんど持たない我が国の現状を踏まえて十分に議論を尽くしていただきたい」とするコメントを発表した。同社が首相就任に合わてコメントを発表するのはまれ。サイクル政策が今後、議論の俎上(そじょう)になることを見越して、けん制した格好だ。一方、反対派からは不安の声が漏れる。浅石紘爾・核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団代表は「野田氏の原子力政策はあまり聞いていない。不安と期待が半々」と率直に語る。その上で、「菅政権時代に脱原発の方向性が定まった。その方向性をふまえた上で国の原子力政策の舵取りをしてもらいたい」と注文を付けた。(以下略)-------あれだけの大事故が起こり、原発の周辺3km圏内(おそらく、20km圏内の一部も)は今後数十年にわたって人が住めない状況となり、地域社会全体が崩壊する状況になっているにもかかわらず、まだ「原発欲しい病」が続いている原発城下町もあるようです。自分たちの地元で同種の事故が再び起こるという事態は、考えていないのでしょう。これといった産業がなにもなく、原発が唯一の産業という町、原発がらみの交付金を当て込んで箱物を作ってしまったような町、一度原発という「麻薬」に侵されてしまうと、その依存症から立ち直ることは非常に難しいのでしょう。仮に観光資源があったとしても、原発が林立してしまったら、そんなところに寄りつく観光客は少ないでしょうし、農漁業にも当然影響があるでしょうから、ますます原発に依存していくことになる。たとえ明日原発事故で地域社会が破滅するとしても、その前に今日の飯が食べられるかどうかの心配をしなければならない、という現実も、確かにあるのでしょう。ただし、記事には行政当局と地元経済界の声しか紹介されていないようですが、一般住民の声はもっと多様だろうと思います。現実問題として国内の多くの地域で原発建設計画は中止に追い込まれているか、または激しい反対運動に晒されています。唯一すんなりいっているのは、すでに既存の原発があって増設が計画されているところだけです。つまり、基本的には誰だって自分の地元に原発なんか設置して欲しくないのです。しかし、一度原発が設置されてしまうと、たちまち依存症に陥って、次から次へと新しい原発(によってもたらされる金)が欲しくなる。アルコールや薬物の依存症は、どん底まで落ちてすべてを失わないとなかなか解決しないと言われますが、原発依存症も同様なのかもしれません。福島県は、すべてを失って始めて依存症から脱した。しかし、これら原発城下町の地元に投下されるお金のかなりの部分は税金です。そして、それらのお金は、経産省が公式に言っている「原発のコスト」には入っていないのですから、そりゃ原発の発電コストが一見すると安いように見えるのも当然ではあるでしょう。
2011.08.31
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少し前に、野田のことを批判する記事を書いたのですが、残念ながらその野田佳彦が首相に決まってしまいました。もっとも、決選投票に残ったもう一人の海江田万里も、とてもじゃないけど支持しかねる人物です。前原誠司も同様です。鹿野道彦ついては、政策の詳細をよく知りません。というわけで、もし私が5人の中で選ぶとしたら、馬淵澄夫しかないと思っていたのですが(もちろん、彼の主張、政策のすべてを支持するわけではありませんが)、結果は最下位。とにかく決まってしまったものは決まってしまったのだから仕方がないのですが、まずは原発問題について、どういう対応を取るのかを注視したいと思います。脱原発姿勢を取るならいいのですが、残念ながらその可能性はなさそうです。--ところで、東電の発表によると、8月上旬に福島第一原発での作業に従事していた協力会社(=下請け)の社員が8月16日に急性白血病でなくなったそうです。<急性白血病>福島第1原発作業員が死亡 東電が発表東京電力は30日、福島第1原発で作業に携わっていた40代の男性作業員が急性白血病で死亡したと発表した。外部被ばく量が0.5ミリシーベルト、内部被ばく量は0ミリシーベルトで、松本純一原子力・立地本部長代理は「医師の診断で、福島での作業との因果関係はない」と説明した。東電によると、男性は関連会社の作業員で8月上旬に約1週間、休憩所でドアの開閉や放射線管理に携わった。体調を崩して医師の診察を受け急性白血病と診断され、入院先で亡くなったという。東電は16日に元請け企業から報告を受けた。事前の健康診断で白血球数の異常はなく、今回以外の原発での作業歴は不明という。----被曝量と、作業に従事した期間が東電の説明のとおりだとすれば、確かに東電の言うとおり、福島第一原発での作業が原因ではないと思われます。「8月上旬に約1週間働いた」ということは、おそらく8月7日までは働いていた可能性が高そうです。そして亡くなったのは8月16日(またはそれ以前)。つまり、亡くなる10日前まで働いていた、ということになります。1999年のJOC事故では2人が亡くなっていますが、それだって被曝から死亡までは一人(被曝量16シーベルト以上)は80日、もう一人(被曝量6シーベルト以上)は200日かかっています。たった10日で亡くなるとしたら、それ以上の被曝量ということになり、いくら何でもそれはあり得ないだろうと思われます。※※ただし、過去に他の原発でも作業をしていたとすれば、そのときの被曝が原因で白血病になった可能性は、ゼロではないと思われます。その限りでは東電はこの件についてはウソはついていないと思うのですが、ただ、亡くなる10日前まで働いていた、というのはどういうこと?と思います。ふつうに考えて、白血病で亡くなる10日前というのは、まともに仕事なんかできるような状況とは思えないのです。それが働いていた。8月上旬から働き始めたそうですが、原発で被曝するかも知れない労働条件なのに、働き始めるに当たって健康診断をしなかったのでしょうか。1週間も働かせるまで、周囲の人間が「まともな状態ではない」と気がついて止めなかったのでしょうか。いったいどういう健康管理体制の下で仕事をしているのか、空恐ろしくなる状況です。今回の件は被曝が原因ではないにしても、将来作業員が実際に被曝が原因の疾患が発生しても、何のチェックもなく誰も気がつかないまま放置ということになりそうです。やっぱり、下請けは使い捨てなんでしょうか。
2011.08.30
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実は、急に思い立って、今日(日付上は昨日)「コクリコ坂より」を見てきました。私は元々宮崎アニメの大ファンなのですが、どちらかというと最近の作品よりは昔(もののけ姫以前)の作品の方が好きで、しかも今回は宮崎アニメとは言っても監督は息子さんなので、正直言ってあまり注目していませんでした。あまり突然に思い立ったものだから、相棒も子どもも相手にしてくれず、私1人で見に行ってきました。うちの子は、ナウシカやコナン、もののけ姫、ととろは大好きなのに、「同じ監督の映画だよ」(←さりげなくウソが混じっていますけど^^)と言っても「やだ、バーバのところに遊びに行く」の一言でおしまいでした。自転車で30分くらいの映画館で上映していることに、上映時間の1時間前に気がついて、すっ飛んでいったら間に合いました。というわけで、「ちょっと昔の横浜が舞台の作品らしい」という以外は何の予備知識もなく見たのですが・・・・・・・・。まあ、一言で言えば「耳をすませば」の話を「三丁目の夕日」の舞台でやりました、といえば分かりやすいでしょうか。でも、思いがけずいい映画でした。若干短めかな、とは思いましたが。何しろ予備知識なしで見に行ったので、設定がよく分からないところがありましたが、だいたいの疑問は見ていくうちに解決していく仕組みになっています。唯一分からなかったのは、時代設定がいつか、ということ。確かなことは東京オリンピックの前であること、朝鮮戦争当時に幼児だった主人公が高校2年生であること、60年安保前後の時期であること。私は1960年と思ったのですが、帰宅したあとで調べたら時代設定は1963年なんですね。余談ですが、母方の祖母が昔横浜の戸塚に住んでいました、幼稚園から小学校低学年の頃にかけて、ずいぶん遊びに行きました。この映画の時代設定の約10年後ですけれど、祖母の家はまだ下水がなくて、バキュームのくみ上げでした。笑ってしまったのは、主人公の通う高校の理事長「徳丸社長」。これって、どこからどう見てもスタジオジブリの親会社である某出版社のもじりですね。しかも、会社の所在地が新橋。確か、あの出版社の本社も新橋にありました。調べたら、実際にこの出版社の社長は、神奈川県で高校の理事長を務め、一時は校長も務めたことがあるのだそうです。(これは帰宅後に調べて、初めて知りました。)細かいところを言えば、設定の疑問はいくつかあります。この高校の雰囲気はどう考えてもかつての公立の進学校なのですが、設定上は私立高校。しかも共学。(少し前まで、東京では私立高校に共学校はほとんどありませんでした。神奈川も同様だろうと思います)他にもいくつか時代考証上の細かい疑問点はあるのですが、枝葉末節のことですし、作品の魅力には影響がないと思うので、割愛します。宮崎吾朗監督は、ゲド戦記の時は散々批判されましたが、今回はなかなか素晴らしい作品だと思います。なんてったって、主題歌「さよならの夏」が素晴らしい。(ゲド戦記のテーマ曲も素晴らしかったけど)この曲、オリジナルではなく30年以上前の曲のカバーなんだそうですね。「さよならの夏」手嶌葵バージョン倍賞千恵子バージョン森山良子バージョン←これがオリジナル映画のイメージに一番マッチしているという意味で、映画のテーマ曲としてはやはり手嶌葵バージョンが一番だと思います。しかし映画とは切り離して純粋に歌として聞く場合は、いずれも甲乙付けがたい。ただ、私は歌手としての倍賞千恵子の歌はほとんど聴いたことがなかったので(やっぱり、寅さんのさくらのイメージが強すぎて)、こんな素晴らしい歌声だったのかとびっくり。そういう意味では倍賞千恵子バージョンが一番印象深いかも知れません。いずれ、この曲もケーナかフルートで録音したいなあ。
2011.08.29
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前回から続きの記事です一方、低線量被曝の健康被害には「閾値(これ以下なら健康被害は生じない)」がある、という主張の論拠は、大きく分けて2つあるようです。一つは、チェルノブイリ原発事故の追跡調査では低線量の被曝で明確な健康被害は生じていない、とされていることです。しかし、旧ソ連地域において行われた被爆者の追跡調査は、広島やドイツで行われたそれよりも、かなり杜撰なものだったのではないかとの疑いを禁じ得ません。以前にも紹介しましたが、京都大学原子力研究所の今中哲二氏によると、公式には「甲状腺癌による死者がいない」ことになっているウクライナでは、実際には約400人の甲状腺患者が生じ、そのうち15人が亡くなっている、事故の処理に動員された建設作業員の多くが早死にしたと遺族は訴えているが、彼等も公式には被曝による死者とは認められていない、とのことです。(こちらのサイトより)閾値あり説のもう一つの根拠は、自然放射線の量は地域によって大きな違いがあるにもかかわらず、癌の発生率には大きな違いがないとされていることです。日本では、自然放射線は年間1.5ミリシーベルト前後ですが、世界平均では年間2.4ミリシーベルト、中には年間10ミリシーベルトにも達する地域もあるそうです。しかし、年間1ミリシーベルトの地域も10ミリシーベルトの地域も、癌の発生率に有意の差がないとされているので、低線量の放射線には健康被害はない、というわけです。しかし、実際には癌の発生率に差がないのではなく、差が分からないだけであることは前回の記事のとおりです。加えると、自然放射線と人口の放射線には大きな違いがあります。自然放射線の内訳(世界平均の2.4ミリシーベルトを分母として)は、外部被曝が約0.9ミリシーベルト(宇宙放射線が約0.4ミリシーベルト、地表から約0.5ミリシーベルト)、内部被曝が約1.5ミリシーベルト(食物から約0.3ミリシーベルト、呼吸により約1.2ミリシーベルト)です。自然放射線量の地域差は、地表に存在する放射性物質の量が地域によって大きく違うことから生じます。天然の放射性物質にはいろいろありますが、ラジウムとラドンが大部分を占めるようです。いずれも地球が誕生したときから存在する放射性物質です(ウランもそう)。そのため、生物の体はこれらの放射性物質を異物として認識できるのです。ラドンが体内に取り込まれても、そのほとんどは数十分から数時間程度で尿と共に体外に排出されます。つまり、内部被曝の時間もその程度ということです。一方、自然界には存在しないヨウ素131やセシウム134/137、ストロンチウム90などの放射性物質を、生物の体は異物として区別することが出来ません。ヨウ素131は、非放射性のヨウ素と区別できないし、セシウムはカリウムと、ストロンチウムはカルシウムと区別が付きません。だから、人体はヨウ素131を甲状腺に、セシウム134/137を筋肉や肝臓・腎臓に、ストロンチウム90を骨に溜め込んでしまうのです。ヨウ素の半減期は8日ですから、取り込んだ量が10分の1に減るには1ヶ月くらいかかります。セシウム134の半減期は2年、137は30年ですが、それより早く新陳代謝により体外に排出されるので、人体にとっての実質的な半減期は110日程度とされます。それにしても取り込んだ量が10分の1になるには1年くらいかかる。同じ内部被曝でも、期間が自然放射能よりずっと長いことが分かります。自然放射線でも、人体が異物として区別できないものもありますが(たとえば炭素14)、その割合はごくわずかです。だから、自然放射線の多寡で発ガン率に差がない(実際には、差がないのではなく分からないだけですが)としても、だから人為的な放射能で発ガン率に差が生じないとは断定できないわけです。付言すると、被曝による健康被害は癌と白血病がすべてではありません。状況証拠的に見て、心臓疾患、白内障、倦怠感、脱毛など、様々な健康被害が被曝によって生じています。もっとも、これらの疾患も被曝量との関連を証明することに大きな困難がともなうのはがんと同じです。特に倦怠感なんてものは、定量的な統計など不可能に近いでしょう。繰り返しますが、「分からない」限りは「リスクがある(だろう)」という前提に立つのが安全という考え方の基本です。それにも関わらず、「閾値あり」という仮説を聞いた途端に、低線量の放射線は安全だ、原発事故の健康被害なんて気にする必要はない、と言い出すような輩もいます。たとえば池田信夫は、「慢性被曝の上限は100ミリシーベルト/月、生涯の障害線量の上限としては5000ミリシーベルト」などという提言を真に受けてしまっています。正気の沙汰とは思えません。ええ、どうぞご自身はそれを是非実践なさって、福島第一原発の3キロ以内にでも移住してください。しかし、他者にそんなトンデモ基準を勧めるのは、移住して10年経っても健康状態に問題がないことを確認してからにしてください。ただし、現在50代後半の池田は放射能の健康リスクが大幅に低下しているはずなので、彼が健康だからと言うだけでは40代以下の人間にとって安心材料にはなりませんけれど。--ところで、今回の原発事故について、当ブログで何回か、広島原爆換算で何個分の放射能が放出されたかの推計を行ったことがあります。おそらく数十個分と推計していたのですが、このほど原子力危険ほったらかし院もとい安全保安院より、以下のような推計が発表されたそうです。原発事故の放出セシウム、原爆の168倍 保安院公表経済産業省原子力安全・保安院は26日、東京電力福島第一原子力発電所事故と、広島に投下された原子爆弾で大気中に放出された放射性物質の種類別の量をまとめた資料を公表した。単純計算すると、原発事故の放出量はセシウム137が原爆の168.5倍、ヨウ素131が2.5倍にあたる。資料は、衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員会の求めに応じ作成。今年6月に保安院が公表した福島第一原発事故の炉心解析による試算値と、2000年に国連科学委員会がまとめた広島原爆の試算値を放射性物質ごとに一覧にした。半減期が約30年と長いセシウム137で比べると、原発事故が1万5千テラベクレル(テラは1兆)、原爆が89テラベクレル。放射能汚染がそれだけ長期化する可能性を示している。保安院は「原爆は熱線、爆風、中性子線による影響があり、原発事故とは性質が大きく違う。影響を放出量で単純に比較するのは合理的でない」としている。---------------やはり、広島原爆より遙かに大量の放射能が放出したという見立ては間違いなかったようです。それにしても168倍か、数十倍という予測は甘すぎたくらいですね。(セシウムとヨウ素の合計で考えれば妥当な線ですが、私はセシウム換算で数十倍かなと思っていましたので)それにしても、危険ほったらかし院によると「原爆は熱線、爆風、中性子線による影響があり、原発事故とは性質が大きく違う。影響を放出量で単純に比較するのは合理的でない」だそうですが、そんなことは言うまでもなく明らかなことです。しかし、熱線と中性子線は爆発の一瞬のことであり、爆風もせいぜい数十分間の出来事です。しかし、爆発の直接的影響を受けなかった郊外でも、例の黒い雨を浴びて被曝した人も大勢います。救援のため市外から駆けつけて被曝した人も大勢います。その中から原爆症で命を落とした人も大勢います。彼等はいずれも、熱線も中性子線も爆風も関係なく、放射性降下物の影響のみで健康被害を生じたのです。今回の原発事故では、とにもかくにも爆発以前に20キロ圏内の住民の大部分が避難していたから、人的な被害は最小限に抑えられました。不幸中の幸いです。住民の避難を決断しないままズルズルと爆発に至っていたとしたら、と想像すると、空恐ろしいものがあります。
2011.08.28
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最初にお断りしておきますが、私は医療関係者ではありません。あくまでも素人としての考えですので、そのあたりはご了承ください。原発事故を巡る問題について、放射能の危険性について考えていくと、直線閾値なし仮説の問題に突き当たります。放射線は人体に対して、程度の差はあれ有害である、というのは誰もが知る事実ですが、統計的にみると、1人あたりの被曝量が100ミリシーベルト以上の場合は明確な健康被害があると証明されています。しかし、100ミリシーベルト以下ではそれが明確に証明はされていないのです。つまり、100ミリシーベルト以下の被曝による健康被害の程度は、はっきり分かっていません。そこで100ミリシーベルト以下の被曝の健康被害については、放射能の専門家の間でもふたつの考え方が対立しています。一つの考え方は、100ミリシーベルト以下の被曝でも、おそらく被曝量に応じた健康被害はあるだろう、という考え方です。50ミリシーベルトなら100ミリシーベルトの半分の、20ミリシーベルトなら1/5の健康被害があるだろう、ということです。つまり、「これ以下の放射線量なら安全」という「閾値」はない、という考え方で、これが「直線閾値なし(LNT)仮説」です。国際放射線防護委員会(ICRP)はこの考え方を採用しており、日本も含めた世界各国も、この仮説に基づいて被曝基準などを定めています。一方それに対立するのが、放射線の健康被害には閾値がある、という主張です。それによれば、100ミリシーベルト以下(それ以外の数値を挙げる人もありますが)の被曝では、健康被害はない、ということになります。日本国内の関係団体では、電力中央研究所と放射線影響協会がこの考え方を主張しています。電力中央研究所 原子力技術研究所放射線安全研究センター放射線影響協会 放射線の健康影響、放射線の基礎知識電力中央研究所は、その名前から明らかなように、電力業界の関係団体です。放射線影響協会も、その沿革として、「放影協は原子力や放射線の利用を促進するため、放射線の生物 及び環境に及ぼす影響に関する知識の普及、調査研究及び調査研究の助成事業を行ってまいりました。」と言っています。いずれの団体ともに、いわゆる原子力ムラの一員と見て差し支えないでしょう。はっきり言えることは、100ミリシーベルト以下の健康被害は、「よく分からない」ということです。「分からない」というのは、「ない」ということではありません。100ミリシーベルト以下の被曝による健康被害があることは証明されていませんが、健康被害がない、という証明もされていません。刑事裁判の鉄則は「疑わしきは罰せず」ですが、安全や公衆衛生、医療という分野においては、「疑わしきは罰す」が大原則です。たとえば食べ物で、安全か危険か分からないものは、とりあえず食べないでおくのが正しい判断というものでしょう。賞味期限の切れた食品だって、それを食べて健康に被害が出るかどうかと言えば、確率論的に言えばほとんどの場合被害は出ないでしょう。でも、だから賞味期限切れの食品を販売してよい、ということにはなりません。その意味で、放射線の健康被害に閾値があるという説は、説として唱える限りは自由ですけれど、それが明確に証明されていない以上は、実際の放射線規制には反映させてはならない考え方です。実際のところ、人間が健康を害する原因というのは放射線以外にも様々なものがあります。癌にしても、被曝意外にも様々な誘発因子があります、たとえばタバコとか。また、以前の記事でも何度か書いたように、被曝による影響自体が年齢によって異なります。しかも、被曝によって癌になるまでには、少なくとも5年以上はかかります。それ以前に別の要因で死んでしまう人もいるでしょう。タバコ他の発ガンリスクや年齢・性別などの条件を揃えた被曝者(被曝線量の程度ごとに)と非被曝者の集団を数十年にわたって追跡して発ガン率の調査をすることの困難さを考えてみれば、低線量被曝の健康リスクを統計的に証明できないのは当然なのです。しかし、統計的に証明は出来ないけれど、状況証拠的に見れば、100ミリシーベルト以下の被曝でも、健康被害がある可能性は高いと思われます。広島・長崎の被曝者については、戦後かなり詳細な調査が行われており、100ミリシーベルト以下の被曝量でも脱毛、紫斑、口内炎、嘔吐などの急性症状がかなりの割合で現れており、わずか数ミリシーベルトで急性症状が出た例もあるそうです。広島にある放射線影響研究所(先に紹介した放射線影響「協会」とは違う組織です)は、86,572人の被爆者を47年間追跡調査した結果として、被爆線量とがんの発生率には直線関係が成り立ち、ある線量以下の線量ならば被爆しても安全という「しきい値」の存在は証明出来ないとしているそうです。(報告書の現物を読んだわけではなく、こちらのサイトからの引用です)ドイツ連邦放射線防護庁は、1980年から2003年までの間、ドイツ国内(旧西独地域)の16の原発周辺地域において小児癌と白血病の追跡調査を行なっています。それによると、原発周辺5km以内では、それ以外の地域と比較して、5歳以下の癌の発生率は161%、白血病は219%とのことです。原発周辺とはいえ、事故が起きたわけではないので、被曝量はごくわずかと思われますが、それでも子どもの発ガン性には有意の差があるわけです。(この調査結果については、原子力資料情報室のサイトを参照)1979年のスリーマイル島原発事故でも、その後周辺住民の発ガン率が有意に上昇しているとの報告があります。スリーマイルでは、公式には周辺住民の被曝量は最大でも1ミリシーベルト程度だったとされているにもかかわらず、です。もっとも、被曝量の公式発表数値の方が怪しそうですが。放出された放射能量の比較で言うと、スリーマイルは福島第一原発の100分の一くらいの規模ですが、それにしても最大で1ミリシーベルトという公式見解は、いささか少なすぎるようです。この項、次回に続きます。
2011.08.27
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<電力使用制限>緩和へ向け協議 東電とエネ庁東京電力は26日、9月の電力需給に余裕ができる見通しになったとして、管内で発動中の電力使用制限令の緩和に向けて資源エネルギー庁と協議に入ったと明らかにした。当初想定したほど気温が上がらないと判断したためで、企業など大口需要家に課している15%の節電義務を減らしたり、9月22日までの制限期間を前倒しで解除することを検討する。同庁が来週中にも決定する。東電が26日発表した電力需給見通しによると、8月27日~9月2日の最大需要は4030万キロワットと前回19日の見通し(5500万キロワット)から下方修正。一方、供給力は5610万キロワットで予備率は40%程度となる見通し。9月3~23日も需要は最大でも4890万キロワットにとどまると想定し、予備率は10%前後になるという。----------いろいろ大騒ぎしたけれど、結局のところ電力は充分足りた、ということのようです。今夏、これまでのところ東京電力管内で最大電力が5000万KWに達したことはありません。今後もおそらくないでしょう。東北電力は、7月末の集中豪雨で水力発電所に故障が生じたため、「電気が足りなくなるかも」という報道がなされましたが、東京電力からの融通があったため、そんなことにはなりませんでした。電力足りないキャンペーンが張られた関西でも、ここまでのところ電力は足りています。気温はどうだったかというと、去年ほどではないまでも、かなり暑い夏だと私は思うのですが、どうでしょう。少なくとも、一昨年よりは相当暑かった。にもかかわらず、電力消費に充分な余裕があったのは、言うまでもなく節電努力のおかげです。ところで、その節電によっていったいどれほどの不便が生じたでしょうか。職場では、例年より空調の設定温度が高く、正直言って最初は暑いと感じました。しかし、今はまったく慣れてしまいました(※)。※実は、(詳細は書けませんが)空調の冷気が届かない部屋で仕事をしなければならないことがあり、そのときは猛烈に暑いです。ただし、その部屋は、例年エアコンがガンガンかかっていたときだって、やっぱり暑かったのです。通勤時の地下鉄は、今は充分エアコンが効いており、涼しいです。駅構内の照明はおとされているままですが、照明が暗いことで何か不便なことがあるわけではありません。エレベーターやエスカレーターの休止も、通勤経路上ではないようです。もっとも、私は通勤時にはエレベーターとエスカレーターはあまり使いませんが。自宅では、もともと夏場のエアコンの設定温度は28.5度だったので、今年もその設定温度は変えませんでした。節電とはいえ、暑いときには無理せずクーラーを使いました。今月中旬の数日間は、夜通しクーラー付けっぱなしにしたこともあります。何しろ、我が家の節電の気温原則は「無理なことはしない」ですから。だって、無理なことは長続きするわけがないのです。それでも、8月の電気使用量は261kwh。昨年が359kwhだったので、かなり減りました。家庭での15%削減は、充分にクリアしている。つまり、現状程度の節電なら、そんなに無理なことはしていないし、さほどの不便もないと私は思うのです。まあ、もちろんあくまでも「私の周辺の状況では」ということですけれど。この程度の節電なら、1年365日ずーーーーっと、無理なく続けられます。というか、続けます。現代社会において電気なしで生活することは不可能ですが、原発をガンガン稼働させて、電気を湯水のように使う生活をしたいとは、思いません。不便ではない範囲内で、東京電力という会社に支払うお金は、極力少なくしたい。節電すれば電気代も減るわけですから、私は秋になろうが冬になろうが、節電はずーっと続けようと思います。
2011.08.26
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ネットで暴露された徳光24時間マラソン“噴飯”全裏側「おい徳光、休みすぎだろ!」「これじゃ散歩じゃねーか」 ネットを中心に非難囂々(ごうごう)だったのも当然だろう。「24時間テレビ」(日本テレビ)の恒例企画、24時間マラソンに今年は70歳の徳光和夫が挑戦した。だが、走行距離はたったの63キロ……。しかも、休憩ばかりで、とてもマラソンとは呼べない内容だったのだ。(中略)まず、スタート早々に出発地点は相模原市中央区の南橋本駅付近の企業敷地内であることが判明。ちなみに、ここからゴールの日本武道館までは直線距離で約40キロ。最短ルートならゆっくり歩いても9時間程度しかかからない。今回は徳光の年齢を考慮して走行距離は歴代最短の63キロ(これまでは萩本欽一の70キロ)に設定されたが、それでも短すぎだ。しかも、ネットの24時間中継を見ると、「スタートして5時間で4時間睡眠(TV中継一切なし)、その後2時間ほど休みながら歩き、90分休憩」。早朝からは再び走り始めたが、「14:00 休憩 日産プリンス東京246上馬店」「14:56 休憩(トイレ休憩・ファミリーマート上馬交差点前店)」「15:19 休憩 アランチャータスクーターズ(目黒区碑文谷)」と休憩ばかり……。しかも、休憩中は足にお灸(きゅう)をしてもらったり、マッサージを受けたりと至れり尽くせり。徳光は番組終了直前の午後8時45分頃に武道館に到着し、ゴールのテープを切ったが、血色もよく、健康そのものに見えた。階段でコケるシーンもあったが、マイクの声は「千里の道も一歩から」とよどみなかったし……。ちなみに、東京マラソンでは規定の7時間以内に42.195キロを完走した70代以上のランナーが多数。フルマラソンのギネス記録は2010年のホノルルマラソンを完走した92歳の女性(9時間53分)である。至れり尽くせりの24時間マラソン。これで視聴者に「感動しろ」とは押し売りもいいところ。その上、ギャラまでもらえるんだから、こんなにいい商売はない。------------以前の日記に、私は「渡る世間は鬼ばかり」というドラマがとても苦手(嫌い)だと書いたことがあります。実は、もう一つ嫌いな番組がありまして、それがこの24時間テレビなのです。いつの頃からか番組恒例となった100キロマラソンも、あまり好意的に見ることは出来ません。が、しかし、です。この記事ばかりは、読んでいて不快感しか感じません。確かに、100キロマラソン(今回は63キロマラソン)という企画には疑問を抱いています。30代40代、せめて50代くらいまでの走者ならともかく、萩本欽一が出てきたあたりからは、いつかこの企画で死者が出るんじゃないかという危惧を抱いています。どう考えたって、トレーニングの積み重ねのない70歳の人間(それも、心筋梗塞の既往あり!)を、ほんの何ヶ月かの準備期間で8月という時期に24時間ぶっ通しで走らせる、というのは正気の沙汰の企画とは思えないのです。結果として、先週末は悪天候で気温が非常に低かったですが、時期を考えれば気温が30度以上あったって不思議はない、というかその方がむしろ普通だろうと思われます。ところが、この記事のスタンスだと、それは甘っちょろいということになるようです。だったら自分で63キロ走ってみたら?と思います。いや、走らなくていい。歩くだけでも、それがどれほどキツイか、体で実感することができるでしょう。ちなみに、私自身はハーフマラソンまでの経験しかありません。でも100キロはもちろん63キロだって、どれほどキツイかは想像がつきます。24時間で完走せよと言われれば、おそらく可能とは思いますが(ただし、今月は、あまりの暑さのため走行量が激減し、体重が激増しているので、脚力を元に戻すのに1ヶ月はかかりそう)、今ランニングをやめて、70歳になったときに「準備期間半年で63キロ走れ」と言われたら、まず不可能でしょう。ちなみに、記事に7時間以内にフルマラソンを完走した70代ランナーが多数とありますが、そういう人は、まず間違いなく1年中トレーニングを書かしていないはずです。まったく走っていなかった人間が、70歳でいきなりフルマラソンが走れるわけがない。それに、42.195キロが7時間で走れれば100キロが走れる、というものではありません。ま、私も、こんな馬鹿馬鹿しくも危険な企画はさっさと終わりにした方がよいという点においては、おそらくこの記事のスタンスと同じなのですが、そんな私でもこの記事には不快感しか感じない。批判の仕方はもう少し考えた方がいいんじゃないの、と思います。
2011.08.25
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少し前の記事ですが高線量地域の国有化検討 「警戒区域」長期化も 福島原発政府は21日、東京電力福島第1原発事故で設定した半径20キロ圏の警戒区域について、放射線量が極めて高い一部地域は、原子炉の冷温停止状態を目指す工程表「ステップ2」が完了した後でも解除検討の対象としない方針を固めた。長期化が避けられない場合を見越し、これらの地域について、土地の買い取りによる国有化も視野に対応を検討する。菅直人首相は27日にも現地入りし、今後の見通しや避難生活が長期化する住民への支援策をめぐり、地元自治体に直接説明したい考え。首相の現地入りは後継を選ぶ民主党代表選の日程や地元自治体の意向を踏まえて調整を進めている。解除を見送る具体的な地域は、今後の放射線モニタリングなどの結果を見極めて決める。政府は、来年1月までを期限とするステップ2により、放射性物質の放出が厳しく管理された段階で警戒区域の解除検討を始めるとしていた。しかし、19日に文部科学省が公表した警戒区域内50地点の震災発生から1年間の積算被ばく線量(屋外で8時間、屋内で16時間過ごしたと仮定)の推計値は、原発のある福島県大熊町内などで極めて高い数値だった。最も高いのは第1原発の西南西3キロの大熊町小入野で508ミリシーベルトと、緊急時でも20~100ミリシーベルトを超えないよう求めた国際放射線防護委員会勧告の上限の5倍に達した。また大熊町夫沢で393ミリシーベルト、同町熊川と浪江町川房で200ミリシーベルト超。50地点のうち、15地点で100ミリシーベルトを超えた。こうしたことから、政府は警戒区域見直しを進める場合も、一部地域は対象外とせざるを得ないと判断した。警戒区域のほか、20キロ圏外に「計画的避難区域」と「緊急時避難準備区域」を設定。緊急時避難準備区域は9月上旬にも解除の見通しとなっているほか、警戒区域のうち双葉町と大熊町にある3キロ圏内について、それぞれ8月26日と9月1日に初の一時帰宅を実施する方針を示している。------------やっぱりね、と思いました。事故の後すぐ、菅首相が原発周辺を「長期にわたって人が住めない」と言い、批判を浴びて「自分はそんなことを言っていない」と逃げたことがありました。あれは、おそらく菅首相自身が言ったことなのだろうと思うし、また歴然たる事実だとも思っていました。なぜそのことをきちんと説明せず、「言っていない」などと逃げを打ったのかは分かりませんが、案の定そのとおりになってしまいました。年間被曝量が500ミリシーベルトというのは、とてつもない数字と言わざるを得ません。少し前の記事で、年間20ミリシーベルトの被曝による発ガンリスクについて書いたことがありますが、年間500ミリシーベルトはその25倍です。1万人・ミリシーベルトに1人の発ガンという大雑把な計算式に当てはめてみると、1年そこに住めば、20人に1人が発ガンする、ということになります。子どもなら5人に1人。つまりそんなところに5年も住み続ければ、子どものほとんどが将来発ガンする、ということです。逆に、50歳以上ならば、そんなところでもあまり死者は出ないかも知れませんが。記事には放射性物質の名前は出ていませんが、現在でも残っている放射性物質は大半がセシウム137と思われます。(訂正、末尾参照)半減期は30年ですから、容易には減りません。全量がセシウム137だとすると、単純計算で、現在500ミリシーベルトの放射線量は、120年経ってもなお30ミリシーベルトが残っていることになります。実際には風雨に流されるため、もっと減るでしょうが。1986年のチェルノブイリ事故では、25年経過した現在もなお、3700平方キロが立入禁止となっています。500ミリシーベルトの汚染地域は、チェルノブイリと同様で、今から25年後にはまだ立入禁止の状態が続いている可能性が高いでしょう。もちろん、立入禁止の面積はチェルノブイリよりはずっと狭くなるとは思いますが。ただ、記事にある地名を調べると、大熊町夫沢と熊川というのは原発から3キロ圏内なのですが、200ミリシーベルトの浪江町川房は20キロ近く離れているのです。年間200ミリシーベルトだって、とてもじゃないけれど人間の住める場所でありません。つまり、数十年にわたる立入禁止地域は、チェルノブイリよりはずっと狭いとは言え、かなり広範囲に及ぶ可能性があります。このことについて、地元自治体の反発もあるようです。それはもちろん、住む場所を奪われた地元の人々の怒りは分かるのですが、かといってどうしようもないことです。さすがに年間200ミリシーベルトだの500ミリシーベルトなどというところでは、手の施しようがありません。除染作業といったって、仮に放射線量を10分の1にできたとしてもなお、20ミリシーベルトですよ。依然として人が長期居住できる環境にはなりません。だいたい、除染作業を誰がやるのか。先の記事で、20ミリシーベルトの汚染地域といえども、短期滞在なら神経をとがらせることはないと書きました。だけど、さすがに500ミリシーベルトとなったら、短期の滞在といえども神経をとがらせざるを得ません。除染作業が1時間や2時間で終わるものならまだしも、人家とその周辺、道路の除染に一体どれだけの時間がかかるかと考えたら、誰もそんな作業は出来ないことが分かるはずです。原発で命がけの作業を継続している作業員を引きはがして、周辺地域の除染に当たらせますか?できるわけがありませんね、そんなこと。つまり、残念ながら今となってはこの問題に選択肢などない、と言わざるを得ないでしょう。もっとも、別の選択肢もあります。どんな危険があろうが無視して、立入禁止を解除してしまう、という。そこに住民が帰ったとしても、「ただちに」は健康被害は生じないでしょうから。ただし、5年後10年後になって「しまった」と思っても、もう手遅れですが。訂正・追記本文に「現在でも残っている放射性物質は大半がセシウム137」と書きましたが、誤りのようです。朝日新聞の報道によると、実際は、セシウム137と、半減期が2年のセシウム134がほぼ半々だそうです。つまり、単純計算すると、2年後にはセシウム134が半減、セシウム137は1~2割の減で、併せると事故直後の7割くらいという計算になります。なお、本文中に「実際には風雨に流されるため、もっと減るでしょうが。」と書きましたが、それも計算に入れた試算値によると、2年後の放射線量(除染なし)は、4割減だそうです。2年で4割減ではね、500ミリシーベルトが300ミリシーベルトに、200ミリシーベルトが120ミリシーベルトに変わるだけ。とても人が住める状態ではない、ということに違いはないようです。
2011.08.24
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進化論も気候変動も否定、米大統領選に名乗り上げたペリー氏【8月20日 AFP】進化論は「少々ずれた学説」で、気候変動は「科学者たちのデータねつ造だ」――米テキサス(Texas)州のリック・ぺリー(Rick Perry)知事は、2012年米大統領選に向けた共和党候補者指名争いへの出馬を約1週間前に表明した後も、時に問題となるほどの保守的見解を和らげるそぶりもない。最近の遊説でペリー氏が繰り出したこうした発言は、共和党内の支持層を固めることはあっても、バラク・オバマ(Barack Obama)大統領の相手にはならないだろうと、シカゴ大学のジョン・ブレーム(John Brehm)教授(政治学)は批評する。「こうした発言をすればするほど、米国の主流からは受け入れがたい人物に見え、逆に共和党の活動家たちにとっては好ましい人物に映る」という世論と共和党との乖離が生じるという。しかし、そんな批判をものともしないペリー氏は、次々と発言を繰り返す。15日にはアイオワ(Iowa)州の遊説先で、米連邦準備制度理事会(FRB)のベン・バーナンキ(Ben Bernanke)議長が、来年の選挙までに量的緩和策に踏み切るとしたらそれは「反逆行為だ」と述べ、「アイオワの皆さんがどうするかは分からないが、(ペリー氏の地元)テキサスではただではおかないだろう」と述べた。これには民主党政権だけだなく、共和党内からも批判が吹き出したが、ペリー氏は釈明も謝罪もしていない。2日後の17日には、ニューハンプシャー(New Hampshire)州での朝食の席で「自分たちの研究に資金を呼び込みたいがために、大勢の科学者がデータを操作していると思う」と述べ、地球温暖化に疑義を呈した。翌日も同州ポーツマス(Portsmouth)で、「地球は何歳か」と質問した少年の肩に手を置き、「君のお母さんは進化論について聞きたいみたいだね。そういう説もあるが、少々ずれている。テキサス州では、天地創造説と進化論の両方を教えているよ。君は十分、賢いから、どちらが正しいか分かるだろうね」と語りかけた。天地創造説を信じる人は米国人全体では10人に4人だが、共和党員に限ると実に半分を超える。また地球が温暖化しているという事実に疑いを抱く米国人は増えており、2003年には人間の活動が気候温暖化を招いていると考える人は米国人の約6割だったのが、最近のギャラップ(Gallup)の調査では半数となっている。(以下略)----------私がこの記事を読んでちょっとびっくりしたのは、「天地創造説を信じる人は米国人全体では10人に4人だが」というくだりです。つまり4割ものの人が、進化論ではなく天地創造説を信じているというわけ???と思っていろいろ検索したところ、どうも4割という数字すら控えめなもので、wikipediaの記述によると2004年11月のCBSの調査では、55%のアメリカ人が神が人を創造したと考えているという結果がでている。2009年2月11日に米世論調査企業ギャラップ(Gallup)が発表した調査結果によると、米国で「進化論」を信じる人は39%にとどまり、全く信じない人が25%だった。36%は進化論に対して意見を持っていなかった。過去10年間に行われた調査においても、44~47%の人が、神が過去1万年ほどの間に、人間を現在のような形で創造したと信じていると答えている。のだそうです。こういうのも、ある種の歴史修正主義でしょう。生物科学の基本である進化論を信じるのではなく、天地創造説を信じる人が4割、あるいは過半数を占める国って、米国以外にあるんでしょうか。日本はもちろんキリスト教国ではないから天地創造説なんて信じる人は少ないでしょうが、キリスト教国であるヨーロッパ諸国やラテンアメリカだって、今時天地創造説を信じる人が4割もいるとは、とても思えません。こんな国であれば、キリスト教原理主義なんてものがはびこるのも道理というものです。いや、逆にキリスト教原理主義がはびこったから天地創造説の信者が増えたのかも知れませんが。米国の科学技術水準は、今後30年50年後には、どうなるんでしょう。まあ、自分の国ではないので、知ったことではありませんが。
2011.08.23
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長野県鹿教湯温泉の「鹿教湯ストリートフェスティバル」で演奏してきました。2001年に初めて参加してから、一度も欠かさず毎年出ています。例年は屋外演奏なのですが、今年は残念ながら雨天のため屋内演奏でした。最初は地元の小学生のブラスバンドなのですが、以前は文字どおりの地元の小学校(西内小学校)の金管バンドだけの演奏だったのですが、年々規模が大きくなり、今年はとうとう4校くらいの合同演奏になっている・・・・・、しかも、近隣と言っても、小諸とか、結構遠方の学校まで参加しています。どうやら、ブラスバンドの顧問の先生が異動する度に、異動した先の学校をこのイベントに連れてくるようです。屋内演奏だったので、参加者だけで会場内が埋め尽くされているような感じで、観客は外からも見ていました。(後ほど動画を見ていただけば分かりますが、ステージは内側からも外側からも見られる構造です)しかし、毎年思うことですが、小学生のブラスバンド、ものすごく演奏レベルが高いんですね。練習量が桁違いということもあるでしょうし、とにかく地元の日うち小学校は、本当に楽しそうに演奏するんです。見ているこっちも楽しくなってしまいます。さて、私自身の演奏ですが、ふたつのグループで参加しました。一つは、キラ・ウィルカ。2001年から、途中数回の中抜けはありましたが、ほぼ毎年参加しています。Levita larga 長いコートEncuentros 出会い私ともう1人のサンポーニャのピッチが、ちょっと合っていないですが・・・・・・・・。そして、もう一つ。やまとユニット。例年、このイベントだけで演奏する(練習も当日直前の合わせのみ)ユニットです。Todo Cambia すべては変わるScarborough Fair kakeyu スカポロ・フェア以前にも同じ曲をアップしたことがありますが、そのときはケナーチョとサンポーニャで伴奏しましたが、今回はフルートで伴奏。実は、ほぼぶっつけ本番でした。直前までケナーチョを使うつもりだったのですが、不意に、「最近フルートを人前で吹いていないし」とか思っちゃったわけですね。ところで、実はこの録音、設定を誤ってモノラルで録音してしまったのです。やむを得ず、1つの音を2チャンネルに貼りつけ、その際、左右に0.05秒ほどの時間差を付けたら、それだけで、ステレオみたいに聞こえるようになりました。まあ、疑似ステレオですけどね。モノラルとステレオは背面のボタンで切り替えるのですが、まれにこういうことが起こってしまうのです。
2011.08.22
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世界一高い山の名を問われたら、皆さんはなんと答えるでしょうか。エベレストでしょうか。これは、しかし英語の名です。地元の言葉では、チョモランマ(チベット)とサガルマータ(ネパール)です。この3つの名のどれが正しい、ということはありません。いずれも正しい。強いて言えば、「エベレスト」という名は地元の言葉ではないので、チョモランマかサガルマタの方がより正しいとは思いますけど。似たような例はいくらでもあります。アメリカ大陸最高峰の名は、英語ではマッキンリー、先住民の言葉ではデナリ。現在では、山の名はマッキンリーを、この山の属する国立公園の名はデナリ国立公園と両方の名が取り入れられています。こんな例はいくらでもあります。紛争に関わる例では、フォークランド諸島があります。かつて、イギリスとアルゼンチンが領有権を巡って戦争になった島ですが、英名はフォークランド諸島、スペイン語名はマルビナス諸島です。イギリス領ですが、日本の地図ではフォークランド(マルビナス)諸島となっており、「両論併記」です。日本に関わる例では、サハリンと樺太とか千島とクリルとか、竹島と独島とか。サハリンと千島は日本の地図でも両論併記ですが、竹島は日本名しかありません。もっとも、マスコミは極右産経新聞も含めて、竹島の名に(韓国名独島)と入れることが多いようです。日本国内でもあります。秩父山地の最高峰金峰山は、漢字では共通ですが、山梨側では「きんぷさん」であり、長野側では「きんぽうさん」と読みます。サントリー「東海」表記で謝罪 焼酎紹介サイトで「日本海」と併記サントリーが販売している韓国焼酎「鏡月グリーン」をめぐり、ネット上で波紋が広がっている。商品紹介のページに、日本海の名称として韓国や北朝鮮が主張する「東海」という表現が使われ、これを批判する声が続出しているのだ。サントリーは「広告上の表現で、地名に対する見解を表明するものではない」と釈明。批判を受けてページを削除した。「鏡月グリーン」は日本では1996年に発売され、韓国の名水地方「雪岳山」(ソラクサン)の天然水を使用。すっきりした飲み心地が日本国内でも人気だ。■日本海より先に「東海」を表記波紋を広げているのは、「『鏡月グリーン』ネーミングのひみつ」と題したコーナー。単に名前の由来を紹介するだけだが、その文章が、「『鏡月』というその名前は韓国/東海(日本海)に隣接した湖『鏡浦湖』(キョンポホ)の ほとりにある古い楼閣「鏡浦台」(キョンポデ)で、恋人と酒を酌み交わしながら、そこから見える5つの月を愛でた詩に由来しています」と、韓国側が主張する名称「東海」(トンヘ)を「日本海」と併記しているのみならず、日本海より先に「東海」を表記。国際的にも「日本海」という名称が通用していることから、ネット上では「売国奴」「サントリーさようなら」などと批判が相次いだ。(以下略)---------なんかもう、メチャクチャだなと思います。ちょっとでも韓国よりの視点は見境なくぶっ叩く、みたいな狂気の世界です。前述のように、地名なんて国ごとに読み方が違うのだから、日本では日本海、韓国では東海で、一向に構わないわけです。私は日本人なので、日常生活ではもちろん日本海と呼んでいますし、それを変えるつもりもありません。しかし、たとえば韓国の文化や風物を紹介するとか、韓国人の発言を紹介する、というような文脈であれば、「東海」という名前を日本語の中で使うことは、不自然ではありません。記事にある「『鏡月』というその名前は韓国/東海(日本海)に隣接した湖『鏡浦湖』(キョンポホ)の ほとりにある古い楼閣「鏡浦台」(キョンポデ)で、恋人と酒を酌み交わしながら、そこから見える5つの月を愛でた詩に由来しています」という文面は、まさしくそういう文脈に当たると私には思えます。この文面で、日本海のことをあえて韓国名で記すのは、ごく自然なことでしょう。まあ、「東海」という名を国際的に承認させようと韓国政府が躍起になっているのも、それはちょっと変じゃない??という感想を私は持ちますけど。もっとも、類似の例がないわけではありません。私の記憶では、先に紹介したフォークランド(マルビナス)諸島の名は、元々日本の地図では単にフォークランド諸島となっていたところ、アルゼンチンからマルビナス諸島の名も入れて欲しいと要望があって、両論併記に変わったと記憶しています。その後アルゼンチンとイギリスは戦争になり、アルゼンチンは惨敗しましたが、今も日本で発行される地図上では両論併記が続いています。もっとも、この島をイギリスで「マルビナス」と呼んだり、アルゼンチンでフォークランドと呼んだら、それぞれの国で売国奴と非難される、ということは、多分ないだろうと思うのです。地名をナショナリズムの道具にして、取った取られたとか、相手側の名前を使うと売国奴だとか、あまりに了見が狭すぎる。
2011.08.19
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避難訓練:地震と原発、複合事故想定 保安院難色、取りやめ--昨年・新潟県新潟県が10年に実施した避難訓練について、地震災害と原子力災害の同時発生という想定は「住民に不安と誤解を与えかねない」という趣旨の助言を経済産業省原子力安全・保安院が同県に対ししていたことが、政府の「事故調査・検証委員会」(畑村洋太郎委員長)の調査で判明した。その後、同県は地震災害の想定を取りやめ、雪害と原子力災害の複合災害に改めた。保安院が原発の「安全神話」を県側に押しつけた格好で、事故調は保安院の姿勢が福島第1原発事故での被害拡大につながった点がないか、さらに調べる方針だ。毎日新聞が入手した内部文書によると、避難措置の適否などを調べる事故調の被害拡大防止対策等検証チームは7月14日から聴取を開始。8月9日現在、内閣官房や内閣府原子力安全委員会、保安院などを対象に約60人から聴取した。今後も含めると対象は200人程度に上る見込みだ。07年の新潟県中越沖地震で発生した東電柏崎刈羽原発の事故を受け、同県は10年5月、地震災害と原子力災害の同時発生を想定した訓練を検討していた。これに対し、保安院が「震度5弱の地震発生と原子力災害の同時発生という想定での複合災害訓練は、住民に不安と誤解を与えかねない」と助言。同11月に実施した同県の防災訓練では、雪害と原子力災害の複合災害という想定に変更された。一方、09年4月に開かれた経産相の諮問機関「総合資源エネルギー調査会」の原子力防災小委員会で、原子力災害が大規模災害と同時期または前後して発生する事態に対応するため、保安院が「原子力防災マニュアルの作成上の留意事項」などをまとめた素案を示した。その中で、原発は「想定される最も厳しい地震に対しても安全が確保されるよう十分な対策が講じられている」と指摘。その上で「大規模自然災害を原因とした原子力災害が現実に発生する蓋然(がいぜん)性は極めて低い」としていた。----------地震が起きたら原発は危ない(かもしれない)、このことは、反原発派は以前から主張していたし、新潟中越沖地震でもその危惧はある程度裏付けられていました。新潟県が、このような事態を踏まえて、地震と原発の複合事故を想定した防災訓練を計画したのは当然のことでしょう。ところが、何と原子力安全・保安院が「住民に不安と誤解を与えかねない」という「助言」をして、防災訓練の内容を変えさせてしまったというのです。つまり、原子力安全・保安院というのは、原発推進の妨げになりそうな「安全」や「保安」は抹殺するという、原発推進機関となり果てていた、ということです。こんな組織が「安全・保安院」とは、何かタチの悪いジョークとしか思えません。記事の後段も酷い話です。「想定される最も厳しい地震に対しても安全が確保されるよう十分な対策が講じられている」というのは、明らかにウソです。原発の耐震基準は各原発ごとに異なりますが、もっとも厳しい基準の浜岡原発でも耐震基準は1000ガルです。しかし、1000ガルを超える揺れを観測した地震はいくつもあります。2004年新潟中越地震の2515ガルと、2008年岩手・宮城内陸地震の4022ガル。阪神淡路大震災も、おそらく1000ガルは超えていたはずです(揺れのもっとも強かった地域には当時地震計がなかったので、記録上は818ガルしか計測されていない)。つまり、実際には、「想定される最も厳しい地震に対して充分な対策は講じられていない」ことは2009年の時点で既に歴然としていたはずなのです。---ところで、もう一つ今回の原発事故について調べていて、今更ながら気がついてしまったことがあります。原発は地震の揺れには耐えたけれど、津波によって電源が失われたために事故が起きた、というのが今回の原発事故についての公式な説明です。私も、当初はその説明を信じていました。しかし、その後、この話はちょっと怪しいのではないかと思い、そのように記事に書いたこともありました。問題の発端となった外部電源の途絶は、高圧電線の鉄塔が倒壊したことで起こりました。この鉄塔倒壊は津波とは関係なく地震の揺れによって起きていたんですね。実は、5月の時点でそのことは報道されていたようですが、私は今まで気がついていませんでした。何しろ倒壊した鉄塔の地点までは津波は到達しなかったというのだから、津波が原因であるはずがないのです。そしてもう一つ、地震の時点(津波が来る以前)で、原発内部で重大な損傷が発生していたことを示す作業員の証言があります。ずれた配管、やばい水!…原発作業員の恐怖証言強い横揺れで天井のパイプがずれ、大量の水が漏れてきた――。東日本巨大地震が発生した11日、東京電力福島第一原子力発電所で、稼働中だった1号機棟内にいた男性作業員の証言から、建物内が激しく損壊した様子が初めて明らかになった。この作業員は、同原発の整備などを請け負う会社に勤務。昨夏からたびたび同原発で作業しており、地震があった11日は、稼働していた1号機の建物内のうち、放射能汚染の恐れがなく防護服を着用する必要がないエリアで、同僚数人と電機関係の作業をしていた。「立っていられないほどの強い揺れ。横向きに振り回されている感じだった」。地震発生の午後2時46分。上階で作業用クレーンや照明などの機器がガチャンガチャンと激しくぶつかり合う音も聞こえた。「これは普通じゃない揺れだと直感した」建物内の電気が消え、非常灯に切り替わった。「その場を動かないように」という指示が聞こえたが、天井に敷設されていた金属製の配管の継ぎ目が激しい揺れでずれ、水が勢いよく流れてきた。「これはやばい水かもしれない。逃げよう」。誰かが言うのと同時に、同僚と出口がある1階に向けて階段を駆け降りた。(以下略)-------この「やばい水」が放射能で汚染されていたかどうかは分かりません(証言の作業員はこのときは被曝がなかったとのこと)けれど、地震の揺れによって、津波以前に原発内の配管に大きな損傷が生じたことはあきらかです。最近、岩波新書「原発を終わらせる」(石橋克彦編)を読みましたが、それによると、2~4号機はともかくとして、1号機については、私の疑念のとおり、津波によってではなく地震の揺れそのものによる配管の損傷から冷却水喪失に至った可能性が高いことが、様々なデータに基づいて示されています。やっぱりそうか、と思います。津波さえ防げば原発事故は防げる、というわけにはいかないようです。
2011.08.18
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菅直人がついに首相の座を降りるのだそうです。私は、菅政権をまったく支持しません。しかし、何度も書くように、彼の脱原発の方向性だけは(不十分ではあるけれど)支持します。菅直人の震災に対する対応について、批判する人は多いですが、私はその点については批判しようとは思いません。確かに、菅の震災に対する対応は「とても良かった」とは言えません。しかし、ではいったい他の誰なら、よりましな対応ができたのでしょうか。誰が首相だったとしても同じだと私は思うのです。首相一人が代わっただけで、物事がそんなに突然代わるはずがない。何しろ、地震そのものの規模で言えば、日本の観測史上最大ですし、被害規模で言っても関東大震災以来の規模です。そんな事態に直面して、対応策が右往左往するのは当たり前としか思えないのです。少なくとも、ちょっとマスコミに叩かれただけで、あっという間に病気になって政権を投げ出した元首相に比べれば、図太さが桁違いです。さて、その菅直人の後継首相が誰になるかが問題です。今のところ、誰が最有力なのかは、私は知りません。ただ、マスコミ的には野田佳彦が最有力とされているようです。しかし、彼の主張はというとA級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない。戦争犯罪人が合祀されていることを理由に首相の靖国神社参拝に反対する論理は破綻している東京裁判を受諾したという政府や外交当局の見解によれば、裁判における南京大虐殺20数万や日本のソ連侵略といった虚構も含め、日本が満州事変以降一貫して侵略戦争を行って来たという解釈を受け入れることになってしまうとのことです。ネットウヨクと同レベルの歴史認識と言わざるを得ません。原発については少なくとも2030年までは技術の蓄積が現実的」と指摘。稼働中の原発全基が来年4月までに定期点検のため停止するとして、現在停止中の原発も含め「安全性の徹底的な検証」を条件に、再稼働の努力をすることが最善の策だとしている。とのことです。なぜ2030年までという年限なのか、そのあたりの根拠は不明確ですが、2030年というと、今から19年も先です。加えて、原発の輸出については、「短兵急に原発輸出を止めるべきでない」との考えだそうで、これらを総合すると、原発維持派(ほとぼりが冷めるまでの様子うかがい派)と考えざるを得ません。日米安保についても日米同盟が「日本の安全保障と外交にとって最大の資産であり基盤」であると述べ、日本の安全・繁栄に不可欠であり、更には世界の安定と繁栄のための「国際公共財」だそうで、つまり普天間基地問題では、やっぱり沖縄県内への移設(または普天間の固定化)を強行するのでしょうか。この点に関しては菅政権もまったく変りませんでしたけど。で、野田は自民党との大連立に積極的なのだそうです。そのために、民主党の本来の政策をかなぐり捨てて平然としている。野田ばかりでなく、民主党の執行部はみんな同じことを考えているようですが。そうなったら、もはや「民主党の仮面をかぶった自公政権」でしかありません。そんなものは、金輪際支持できません。もっとも、連立というのは相手の党と合意して始めて成り立つものであって、いくら野田が「連立したい」と言っても肝心の自民党公明党に相手にされなければどうにもなりません。そして、今のところはほぼ相手にされていないようです。民主党の、他の首相候補の政策についてはまだ詳細に検討していませんが、少なくとも野田佳彦は、私にとって絶対に支持できない人物だ、ということだけははっきりしました。
2011.08.17
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ゆるキャラ発言に苦情相次ぐ=「日本の侵略全てのはじまり」―長万部町ツイッターで「日本の侵略戦争が全てのはじまり」。終戦記念日を前に、北海道長万部町のゆるキャラ「まんべくん」が簡易ブログ「ツイッター」でした発言をめぐり、同町に苦情が相次いでいることが15日、分かった。同町総務課は「書き込みは業者に委託していた」としており、既に注意したという。書き込んだのは、同町出身のウェブサイト制作会社役員の男性。まんべくんの名前でツイッターを始めたいと申し出があり、昨年10月からスタートした。委託料などは支払っていないという。男性は14日、まんべくんのツイッターに「明日は終戦記念日だから、まんべくん戦争の勉強をするねッ」などと書き込んだ上、「日本の犠牲者三百十万人。日本がアジア諸国民に与えた被害者数二千万人」「どう見ても日本の侵略戦争が全てのはじまりです」などと発言した。これを受け、ネット上で論争が起こり、同町にも「町の公式見解なのか」という電話やメールが相次いだ。まんべくんは、町の公式キャラクターというイメージからはかけ離れた毒舌で人気を呼び、同ツイッターのフォロワー(読者)は約8万8000にも上るが、以前にも特定の芸能人を批判して謝罪したことがあるという。同課は「町としてはかわいいキャラを目指しているので、そんなに毒舌で売らなくても…」と困惑気味だ。----------この件、昨日mixiの日記にも書いたのですが、「日本の犠牲者三百十万人。日本がアジア諸国民に与えた被害者数二千万人」「どう見ても日本の侵略戦争が全てのはじまりです」まったくの事実であり、当然の発言であって、何故それが批判を浴びなければならないのか、私にはまったく理解できません。そもそも、国会は1995年に、戦後50年決議で世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する。としていますし、当時の村山政権もわが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。との談話を発表しています。もちろん、ネットウヨクはこの決議この談話を認めないでしょうが、連中が認めようが認めまいが、このような決議が国会で可決され、首相が談話を発表した事実に変わりはありません。村山政権以降の歴代内閣は、安倍内閣や麻生内閣(本心は違うでしょうが体面上は)も含めて、村山談話を踏襲すると明言しています。つまり、あの戦争が侵略だったというのは、個人的見解でも町の見解でもなく、国の見解なのです。それを町の公式マスコットが踏襲して書くことには、何の問題もありません。ところが、長万部町役場は、抗議するネットウヨクに簡単に屈服して、発言を撤回してツィッターのアカウントを停止するという挙に出ました。事なかれ主義の典型と言わざるを得ません。ネットウヨクが攻撃をかければこんなに簡単に屈服するなら、私も「政府の公式見解で認められている事実を何故そんなに簡単に撤回するんだ、撤回を取り消せ!!」とでも抗議しようかなと、一瞬思いました。まあ、勤務時間中にそんなことはできませんし(お盆は休みではないので)、そうでなくとも、私としてはそこまで役所を困らせるようなことをするつもりはありませんけど。でも、こんなことで簡単にネットウヨクに屈服しているのでは、あの連中のお眼鏡にかなわない発言は撤回に追い込まれる、ということであり、まさしく言論の自由が危うい事態となります。
2011.08.16
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太平洋戦争の直前の時期、日本は「高度国防国家を建設する」と自称していたことがあります。中国への侵略のどこが「国防」なのかと思いますが、当時の日本軍の主観としては、国防だったようです。その「高度国防国家」のために100万人を超える「無敵皇軍」や世界第3位の大艦隊を建造したわけですが、その末路がどのようなものだったかは説明するまでもないでしょう。世界を相手に戦争を引き起こし、連合艦隊はほとんどすべて海の藻屑となり、兵士たちの死屍累々、本土も空襲で焦土と化して敗戦を迎えました。高度国防国家は、すなわち高度国亡国家だったわけです。強力な軍隊や艦隊は、結果として「国を守る」ことにではなく「国を滅ぼす」ことにしか役立たなかった。もし日本が強力な軍隊を持っていなかったら、中国に対する侵略も対米開戦もできるはずがなく、当然悲惨な敗戦もなかったはずですから。少し前の記事で、石原都知事の「日本は強力な軍事国家にならなかったら絶対存在感失う。」という発言を批判したことがあります。「強力な軍事国家」でないと存在感が保てないような国になってしまったら、日本はおしまいだと私は思います。日本には様々な魅力があり、強みがある。それが日本という国の存在感だと私は思っています。軍事でしか存在感が保てないというのは、存在感がないというのと同義語です。「強力な軍事力がある」などというのは、その国の「魅力」でもなんでもなく、ただ恐怖と反発の対象となるだけのことですから。そして、周辺諸国も軍拡に走れば、こちらも軍拡しなければ安心できない、こちらが軍拡すれば相手国も・・・・・・という、際限のない軍拡競争を招くことになります。つまり、軍拡によって安心を手に入れることはできない、ということです。絶対的に他の国が真似できないくらい強力な軍備を手に入れたら?対抗する側は強力な軍備という手段はあきらめるかも知れない。そのかわり、別の手段で対抗しようとするでしょうが。別の手段とは、たとえばテロです。非対称戦争というやつです。そうでなくとも、強大な軍隊を維持する財政負担でひっくり返るかも知れませんが。
2011.08.15
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来週の土曜日に、長野県鹿教湯温泉で、ここ10年参加し続けている「かけゆストリートフェスティバル」に参加します。実は、今度の土曜日のイベントだというのに、開催の案内が送られてきたのは8月に入ってから。参加申し込みをしましたが、まだ出演順などの案内は来ていません。今年に限った話ではなく、毎年このくらいのギリギリの日程で案内が来るので、もう慣れっこになっていますが。案内が来ないうちから「今年は多分この週」と当たりをつけて準備して、そのとおりの日程になっています。というわけで、来週の演奏に向けて今日はキラ・ウィルカの練習でした。最近は、ずっと練習場所にペルー料理店「ティアスサナ」を使っています。4月にライブを行った場所です。というのは、いつも使っていた練習場所が、最近部屋の空きがないことが多く、その上夏場に入ったら「節電のため、新規の貸し出し申し込みは中止しています」というのです。土日の電力は余裕があると思うんだけど、まあ仕方がありません。「ティアスサナ」は借り切っているわけでもなんでもなくて、休日の日中はお客さんが少ないから練習に使わせていただいています。お客さんが少ないとはいえ、ゼロではないので、練習でありながら、半ばライブ状態になっているような気もするのですが。(もっとも、事前に何も告知はしていないので、演奏を目当てに来るお客さんはいません)涼しくなったら、いつか代々木公園あたりで野外練習してみたいのですが、さすがに今は暑すぎて野外練習は無理ですね。練習は、最初はリズムがガタガタ、途中からだんだん調子に乗ってきて、しかし最後はへとへと。当日演奏予定の曲から Yuri ユリそしてもう一曲、自分たちの演奏の音源がないので、人様の演奏の紹介になりますがEl Regreso 帰還2曲メドレーの前半部分が表記の曲です。歌っているのは、スルマ・ユガルというボリビアの歌手ですが、歌っている場所はアルゼンチンのコスキン・フォルクローレフェスティバルです。1988年の演奏なので、20年以上昔ですね。アルゼンチンは、ラテンアメリカでありながら、自国をラテンアメリカと思っていないようなところがあって、周辺国を見下す傾向があるといわれます。そんな国の最大規模の音楽祭に、南米でも最貧国とされる(その表現に違和感は感じますが)ボリビアから乗り込んでいって、「Bolivia」と大書きされたポンチョをまとい、100%お国自慢の歌※を歌って、アルゼンチン人の聴衆からこれだけの喝采を浴びるのです。何だかね、隣国で製作されたテレビドラマがちょっと放送されただけで発狂しちゃうようなネット住民の相手をした直後だけに、こういうのは新鮮に感じます。※この曲は、故郷ボリビアから離れて暮らしていた人が、懐かしい祖国に帰ってきたときの思いを歌った歌です。そして、メドレーの後半は、「我が祖国ボリビア万歳」という曲。タイトルだけで、歌詞の内容はおおよそ想像がつきますね。
2011.08.14
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九電やらせ、調査を組織的妨害か 議員名の資料抜き出す「やらせメール」や住民説明会への動員など九州電力の不祥事を巡る調査妨害問題で、玄海原子力発電所(佐賀県)の説明会関連資料から、佐賀県議らの個人名がある文書だけが大量に抜き出され、捨てられようとしていたことがわかった。佐賀支社が本社の原発部門に資料廃棄の指示を仰ぐなど、組織的な妨害の可能性が強まっている。九電の第三者委員会(郷原信郎委員長)は9日、原発本部の中村明副本部長の指示で、2005年にあった玄海原発の説明会資料の一部が廃棄されていたと発表。本社の原発本部のファイルにあった一部文書が捨てられ、佐賀支社でもファイル15冊が処分される直前に見つかったとしていた。九電幹部によると、改めて社内で調べたところ佐賀支社では、ファイル15冊から厚さ約5センチ程度(数百枚程度)の文書を捨てようとしていた。第三者委に情報提供があり、処分直前に確保された。県議や地元関係者らの面談内容などが記載されていたとみられる。中身が知られると問題になりそうなものを選んで、処分しようとしていた格好だ。----------やらせメール事件については、以前にも書いたことがありますけど、これはおそらく氷山の一角という奴で、九州電力だけではなくすべての電力会社が程度の差はあれ似たようなことをやってきたのだろうと思っています。しかし、リンク先の記事を書いた後で、更に明らかになったのは、菅首相に対して怒って見せていた佐賀県知事その人自身が、九州電力に対して「経済界にある再開容認の声も出すべきだ」「声の出し方としてメールやネットという方法もある」と、暗にやらせメールを示唆するような発言(本人はその意図を否定しているけど)を行っていたことです。更に、あろう事か、国の原子力規制機関であるはずの原子力安全・保安院すら、原発に関するシンポジウムで、推進派の動員ややらせ質問を手配していたことまで明らかになっています。表向き「規制役」のはずの存在が裏では「推進役」なのですから、刑事裁判で被告に対して弁護士が検察と一緒になって「お前は有罪だ」と言っているようなモのです。「原子力村」の内側はいったいどこまで腐っているのか、あきれ果てるばかりです。で、今回の不祥事を受けて九州電力は検証と再発防止のための第三者委員を設置しましたが、冒頭の記事にあるようなていたらくです。九州電力は、一方では「第三者委員皆様、真相究明と再発防止への協力をお願いします」と言い、もう一方では彼等の活動を妨害して、真相究明できないように工作した、というわけです。それはどういうことかというと、「第三者委員会を作りました」という免罪符を掲げて世間の目をごまかしてしまえ、ということです。あまりにふざけた対応であり、呆れてものも言えません。私は、当ブログで何度も主張しているように、10年程度を目安にすべての原発を廃止すべきだと考えています。代替発電手段は、当面はガスタービン発電。将来的には、再生可能エネルギー(もちろん発電の全量を再生可能エネルギーにせよ、という意味ではありませんが)です。で、10年後を目安にということは、つまり、特に危険な原発を除いて、安全が確認された原発については再稼働は認めざるを得ないだろうと思っています。そうでないと、10年後じゃなくて来年中には全原発が停止してしまいます。ただ、心情的には、もうこのまますべての原発を運転再開させず、来年中に原発完全停止でもいいんじゃないかな、とも思います。原発推進派の悪質性、しぶとさを考えると、そのくらい強硬でなければ、とても脱原発は実現できないのではないか、という気がするのです。だから、再稼働を認める場合、その条件は、安全確保の他にもう一つあります。それは、「202X年×月をもって運転を完全終了する」と明文化すること。ところで、「特に危険な原発を除いて」と書きましたが、特に危険な原発とは具体的に何を指すかというと1災害(地震と津波)のリスクが高い原発 浜岡原発、柏崎刈羽原発など2システム自体が危険な原発 高速増殖炉もんじゅ3老朽化した原発ということになります。じゃあ、問題の玄海原発は?私は運転再開を認めるべきではないと思います。このような悪事に対するペナルティーとして、「原発運転再開は認めない」という制裁は、当然あるべきだと思うのです。ペナルティー云々を別の問題としても、少なくとも1号機の運転再開は認めるべきではありません。なぜなら、玄海原発1号機は、1975年運転開始の老朽原発だからです。老朽化により、原子炉圧力容器の劣化を判断する指標となる脆性遷移温度が大幅に上昇している(=圧力容器の鋼鉄がもろくなってきている)との報道があります。記事中に研究者は試験片や検査データが開示されていないため詳しい検証ができないとし、電力各社に情報開示を求める意見も強いが、九電は「今後も安全な数値で推移すると判断しているので、すぐにデータを提示する必要はない」としている。との記述がありますけど、こんな会社が「安全です、でもデータは出しません」と言って、それを真に受けて「安全なのだ」と信じられるほどには、私はお人好しにはなれません。以前に、「原発、電力供給を巡る怪しげな言説を検証する」という記事を書いたことがあります。そのなかで私が批判した、いくつかの「怪しげな言説」の一つに、「夏場は老朽火力発電所を連続運転しなければならない、それは危険である」という意見があります。原発推進派から、よく聞こえてくる意見ですね。実際には、真夏でも深夜の電気使用量は大きく減るので、深夜には多くの発電所が発電を停止します。だから、わざわざ老朽火力発電所を連続運転する必要なんかないわけです。ピーク時の数時間だけ動かせばいい。で、老朽火力発電所の連続運転は危険だと言う人に限って、老朽原発の連続運転については何も言わないんですよね。原発こそ、一度動かしたら次の定期点検まで1年間、ずっと最大出力で連続運転し続けなければならないのに。火力発電所(ガスタービンを除く)も原発も、ボイラーでお湯を沸かして蒸気でタービンを回すという発電の理屈はまったく同じです。熱源が違うだけ。いや、原子炉の方が、中性子の照射による鋼鉄が劣化が加わるので、老朽化によるリスクは火力発電より原発の方が高いのです。だから、老朽火力発電所の連続運転が危険なら、老朽原発の連続運転はそれ以上に危険に決まっているのです。
2011.08.13
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先日、銀座の山野楽器の「ヤマノ・フルートワールド2011」に行ってきた話を書きました。その後で、私の試奏を見たたかさんから「ちょっと力が入りすぎている」とのアドバイスをいただきました。それで、それ以降「指の力を抜く」というところを意識してフルートの練習をしてみました。といっても、この1週間でフルートに触ったのは2回だけですけど。でも、たった2回練習しただけでも、「アルルの女のメヌエット」の、今までいつも指がもつれていたフレーズが、もつれずに吹けたりしたのです。もともと、フルートを吹くとき指に力が入りすぎと自覚はしていましたが、力を抜くだけでこんなに差が出るとはびっくりです。その代わり、力の抜きすぎ(?)で指穴が塞ぎ切れておらず、音が抜けてしまうことも多少ありましたが。まあ、今までも理屈では分かっていたけど、最低音(全部の指穴を閉じる)や高音域(比較的強い息が必要)だと、どうしても体に力が入って、無意識に指にも力が入ってしまうんですね。なかなか、息は強く、指は軽くという区分けは難しいです。でも、今日は「指の力を抜く」と意識したせいか、高音でもそんなに指に力を入れずに吹くことができた、ような気がします。そうそう、フルートという楽器は、通常3オクターブのドまで出すことができます。中には4オクターブを出す人もいる。(ケーナでも4オクターブを出せる人はいますが、音楽的に使い物になるかというと、ちょっと厳しい)でも、何を隠そう私は自己流で吹いているので、3オクターブのドの出し方をちゃんと覚えていません。フルートの教則本をもっていたのですが、あれ、どこに行っちゃったのかなあ・・・・・・・・。というわけで、先日たかさんに初めて最高音のドの運指を教えていただきました。でも、最高音のドはさすがに音が出にくいですね。かなり強い息でないと音が出ません。練習を続ければ、そのうち簡単に出せるようになるかな。シの音も、教則本なしで探り当てた音なので、正しい運指なのかどうかは分かりません。ファ♯は正規の運指ではないことは分かっているのですが、私にとっては、どう考えても正規の運指よりこちらの方が運指が楽なので(慣れの問題かもしれませんが)、開き直って「このままで良い」と思っています。我ながら自己流も良いところですね。
2011.08.12
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首相また思いつき?「核抑止力のない世界目指す」…日米防衛政策と矛盾菅直人首相は9日、長崎市内で記者会見し、米国が昨年12月と今年2月に臨界前核実験を実施したことに関連して「核抑止力の必要がない世界を目指して最大限努力したい」と述べ、核抑止力が存在しない世界に向けて取り組む考えを表明した。ただ、日本の防衛政策は米国の核抑止力を前提としている。またしても、国の政策を知らないまま思いつきで発言したようだ。「(目指す)核兵器のない世界は、当然ながら核抑止力を必要としない世界を意味している」首相はこうも語ったが、菅内閣が昨年12月に閣議決定した防衛大綱は「核抑止力を中心とする米国の拡大抑止は不可欠である」と強調した。今年6月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)共同発表は、米政府が核も含む軍事力によって日本の防衛と平和に関与することを再確認している。しかも、今後どのようなプロセスを踏んで日本の安全を確保しながら核抑止力の必要がない社会を実現する考えかは示さなかった。(以下略)----------例によって極右機関紙産経がおかしなことを書いています。よほど頭にきたのか、翌日の「主張」でも、この問題(?)を取り上げています。「核抑止力」発言 首相は何を学んできたか「核抑止力のない世界を目指す」ことが、産経新聞によると、どうやら悪いことになるようです。きっと、世界中に核兵器が満ちあふれている状態がずっと続くことを、産経新聞は望んでいるのでしょう。ついでに、産経は原発推進派ですから、原発が満ちあふれている状態が続くことも望んでいるのでしょう。原発はともかく、核兵器に関しては、その全廃を目指すというのが、自民党政権時代からの日本政府の公式な立場です。日本政府は2008年(自民党政権時代)に「核兵器の全面的廃絶に向けた新たな決意」決議を国連総会に提出し、圧倒的大差で採択されています。核兵器が全廃されれば、核抑止力もなくなる、そりゃ当たり前すぎるくらい当たり前の話ですから、核兵器の全廃を目指すというのは核抑止力のない世界を目指すというのと同じことです。言うまでもなく、核廃絶とはすべての国の核が廃絶されることを目指す、という意味ですから、それはすなわちロシア、中国、北朝鮮の核の脅威が消滅することを目指す、ということと同義語でもあります。産経新聞は、「またしても、国の政策を知らないまま思いつきで」菅直人を批判したようです。昨年、菅内閣が核抑止力は必要不可欠と公言したことについては、私は当時大いに失望しました。「核の傘」などというものは、ある種の幻想に過ぎないと私は思っていますので。ただ、核が存在する限りはその抑止力に頼るということと、核の廃絶を目指すということは、必ずしも相反する考えとは言えません。菅首相のやってきたことはダメなことばかりではあったけれど、数少ない「まともな行動」は脱原発につながるいくつかの動きと、今回の発言(残念ながら、発言だけなんですけどね)だと思っています。
2011.08.11
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7月中旬に台風が来て以降、しばらく涼しい日が続きましたが、先週後半から猛暑が復活しています。東京の今週の最高気温は8日33.2度9日33.9度10日34.6度(夜9時現在までの時点)そして、予報によると、明日11日の最高気温は35度。ひーーーーーー、って感じです。我が家は7月の台風以来エアコンは全く稼働していなかったのですが、先週末から再びエアコンを動かしています。設定温度は例によって28.5度ですが。この猛暑のおかげで、東北電力の管内で電力需要が逼迫しているそうです。もっとも、東京電力から融通してもらって凌げているようですが。東京電力の方は、まだ電力に余裕があるとのことです。そうなった要因は、7月下旬の集中豪雨で、東北電力の水力発電所が冠水して、修理が必要な状態になったことにもあります。そうすると、またぞろ原発推進派が「ほら見ろ、やっぱり原発がなければ電気が足りないじゃないか」と言い出すかも知れません。でも、そうは言えないでしょう。今現在、東北電力の原発は1基も稼働していません。そして、この夏(1年以内でも)これら停止中の原発が稼働できる可能性は、まったくありません。地震の際、本来数日かけてゆっくり停止させる原発を、数分で緊急停止させていますから、そのことだけでも、原子炉には大きな負担がかかっており、検査が必須となります。加えて、いずれの原発も程度の差はあれ、震災によってダメージを受けているから、検査にはかなりの長期間を要します。柏崎刈羽原発は、2007年7月に新潟県中越沖地震によって全基緊急停止しましたが、そのうち最初の1基が試験運転にこぎ着けるまでに1年10ヶ月かかっています。営業運転再開はさらにその7ヶ月後。7基中3基は、現在まで試運転までこぎ着けることはできていません。この前例から考えると、来年夏までに東北電力の原発が運転再開できる可能性はないと思われます。つまり、東北電力が原子力によって「電気を充分に足りさせる」ことは、当分の間物理的に不可能ということです。一方、水害で故障した水力発電所はというと、遅くとも数ヶ月以内には復旧できるでしょうし、いざとなれば火力発電所もかなり迅速に増設が可能です。東京電力は、震災の後に数千~数万キロワットクラスの比較的小規模なガスタービン発電機の増設を始め、この夏すでに稼働しています。ほんの3~4ヶ月で増設をすませてしまったわけです。更には、80万キロワットという超大型のガスタービン発電機の増設も発表していますが、これも来年7月には稼働するのだそうです。つまり、原発の点検終了より、火力発電所の増設の方がずっと早くすむわけです。ならば「原発がなければ電気が足りない」なんてことは言えるわけがありません。もちろん、あれこれ理由を付けて発電所(原発以外の)の増設を行わなければ、「原発がなければ電気が足りない」状態を作り出すのは簡単でしょうけどね。で、東京電力ですが、今日現在の最大供給力は5460万KW、それに対して本日のピーク時の電力使用量は4900万KWをわずかに超えた程度ですから、充分に余裕があります。これまで同様の節電が行われる限りにおいて、東京電力管内では電力不足の可能性はかなり少ないと思われます。追記我が家は、この夏はじめて、寝室のエアコンを稼働しています。これまでは居間のエアコンしか稼働しておらず、就寝時にはエアコンをつけていませんでした。さすがに、今晩はちょっと厳しい。
2011.08.10
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フジテレビ前に“ノーモア韓流“デモ「日本を返せ!」俳優・高岡蒼甫(29)が、韓国ドラマを放送するフジテレビを批判するコメントを短文投稿サイト「ツイッター」に書き込み、所属事務所を退社したのを受け、フジテレビに抗議しようとネット上で呼びかけあって集まった約1000人が7日、本社がある東京・お台場でデモ行進を行った。お台場ではフジテレビが主催する夏の屋外イベント「お台場合衆国2011」を開催中。日曜の昼間とあり、多くの来場者でにぎわう会場は、無数の日本国旗に加え、拡声器の声と怒号で騒然となった。デモ行進の許可を得ていなかったため、当初はフジテレビ社屋近くの公園で集会を行い解散する予定だったが、「散歩」という形でデモを始めた。だが、フジテレビ社屋前を通過したあたりから参加者は興奮。「日本を返せ!」「ノーモア韓流」「ツイートしたぐらいで事務所は解雇するなー!」などと絶叫。日章旗を持った男性を先頭に、行進の列は約500メートルにも達した。警察官は見守るだけで手出しはせず、怒号渦巻く行進の恐怖で泣きだす子供もいた。--------正直言うと、私は韓流ドラマは見たことがありません。その限りにおいては、おそらく嫌韓のネットウヨクどもと私には共通項がある。ネットウヨクが韓流ドラマを見ないのは韓国が嫌いだからでしょうが、私が韓流ドラマを見ないのは単純に興味がないからです。より正確に言うなら、韓流に限らず、最近テレビドラマはほとんど見ていないのです。テレビの視聴時間そのものが、かなり減っていますが、それでもニュースやドキュメンタリー、映画などは見ないわけではありません。しかしドラマは見ていない。今年見た唯一のテレビドラマは、TBS系で放送されたJIN(それも、話の後半に入ってから)だけ。人間に与えられた時間は一定ですから、パソコンの前に座る時間が増えれば、それに応じてテレビを見る時間が減るのは当然の話ですね。一方、我が相棒はテレビドラマが好きなんですね。推理ドラマと「渡る世間は鬼ばかり」が好きなのです。私は、「渡る世間は鬼ばかり」がとても苦手で、見ているだけで虫酸が走る。だから、相棒がこのドラマを見始めると、私はただちにテレビのある部屋から出て行くことにしています。あのドラマほど、私の感性に相容れない番組はありません。その相棒も、韓流ドラマには特に興味はないようですが。というわけで、韓流ドラマそのものに対する評価とか、好き嫌いというものは、私には全くありません。見ていないものに評価は下せません。ついでに言えば、フジサンケイグループの金づるであるフジテレビという放送局に対しても、私はまったく好意は抱いていません。(産経新聞ほどには嫌っていませんけど)ただ、ネット以外の実生活において、私の周囲にも「韓流ドラマが好き」あるいは「見ている」という人は少なからずいます。だから、世間一般的に韓流ドラマに人気があることは実感します。当然ですね、視聴率の取れない番組をテレビ局が放送するわけがないですから。私がもっぱら注目しているのは、例によって吹き上がっている自称愛国者のネットウヨクの連中の方です。フジテレビで韓流ドラマを多く放送していると言っても、平日の日中、1日に2時間程度です。その程度の時間を外国製ドラマに時間を割くことに目くじらを立てる感覚というのは、私には理解できないものがあります。思い返すと、私が子どもの頃、テレビには随分多くの米国製ドラマが放送されていたように記憶しています。私が一番好きだったのは「奥様は魔女」。その他、「名犬ラッシー」「大草原の小さな家」「刑事コロンボ」「特攻野郎Aチーム」他にもずいぶん多くの番組を記憶しています。最近米国製テレビドラマの放送は少なくなったように思いますが、映画はどうでしょう。現在でも、日本で公開される映画の半分以上は洋画(外国映画)だったと記憶しています。洋画の大半は米国映画ですから、テレビで放送される映画も、半分くらいは米国の映画でしょう。で、そんなことを理由にして「ノーモア米国ドラマ」とか「日本を返せ」なんてバカげたことを叫ぶ人なんか、見たことがありません。だって、見たくなければ見なければいいだけなんですから。冒頭に書いたように、私は「渡る世間は鬼ばかり」というドラマが、ものすごく嫌いです。だから見ない。でも、それだけです。間違っても、「TBSは『渡る世間は鬼ばかり』を放送するな!」などと主張するつもりはありません。あのドラマがどの程度の視聴率なのかは知りませんけど、一定のファンがいて、ある程度以上の視聴率が取れ、スポンサーが付いて利益が取れるから放送するのでしょう。その一定のファンの1人が我が相棒だったりするわけですが。韓流ドラマも同じでしょう。視聴者は正直ですから、韓流ドラマが面白くなければ、視聴率は取れません。だから、韓流ファンが多いということは、韓流ドラマが面白い、ということです。見たことがないから、具体的にどこがどう面白いのかは知りませんけど。ところが、嫌韓ネットウヨクの手にかかると、韓流ドラマを放送すること自体がけしからぬ、ということになり、「日本を返せ」まで話がエスカレートする。彼等が骨の髄まで韓国への差別意識に凝り固まってしまっているから、そういう思考になるんでしょうね。まさしくヘイトスピーチという奴です。ある意味では哀れな人たちです。
2011.08.08
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銀座の山野楽器でヤマノ・フルートワールド2011というイベントが行われていたので、行ってみました。一言で言えば、フルートの展示即売会のようなものですが、実は私は当分新しいフルートを購入する予定はないのに、無料のミニライブを聴いて、いろんなフルートを試奏してきました。3日間の日程の最終日だったせいか、お客さんはかなり多かったです。当ブログの常連であるたかさんがいらっしゃっていました。いろいろなフルート奏者の演奏があったようですが、私が聞いたのは、東京佼成ウィンドオーケストラのフルート奏者前田綾子氏のミニライブ。お名前は常々聞き知っていましたが、実際に生で演奏を聴くのは初めてでした。上手いとか、素晴らしい音色というのはプロの奏者なんだから当たり前なのかも知れませんけれど、でもやっぱり凄いなあと思いましたよ。これがプロの演奏なんだな、と。で、あとは色々なフルートを手当たり次第に試奏してきました。まずはとりあえずヤマハの総銀製フルートを試奏してみたのですが・・・・・・・・あれ、音が出ない、高音がかすれる、ひっくり返る、おかしいな、どうしたことだ、と思っているうちに、隣で別の方が試奏を始めました。それがメチャクチャ上手いのです。プロでしょ、絶対プロに違いない(実際は違うかも知れませんが)。さすがにその隣で試奏を続ける勇気はありませんでした。でも、その後試奏したフルートは、いずれも音は出しやすく、高音も特に問題はありませんでした。以前にアルタス・フルートを試奏したとき、とても音が出しにくくて、「アルタスフルートは私には合わない」という印象を抱いていたのですが、今日試奏してみると、何の問題もなくちゃんと音が出るではないですか。アルタスフルートが私に合わないのではなく、たまたまそのとき私の調子が悪かっただけのようです。おそらく、今日ヤマハのフルートが音がよく出なかったのも、そのときのアルタスフルートと同じで、たまたまそのときの調子が悪かっただけなのでしょう。というわけで、一回試奏しただけでは、どの楽器が自分に合う、なんてことは分からないのだと思います。でも、とりあえず今日試奏した中では、サンキョウフルートが一番いいなと感じました。中でもサンキョウの木管フルートの音が特に素晴らしい。以前にも試奏したことがあって、そのときも音色に感動したのですが、今回も同じ印象でした。ただ、値段は100万円、どう考えても買えない。現実的な価格帯のフルートの中でも、サンキョウフルートが一番吹きやすいように感じました。でも、いろいろなフルートを試奏した結果思うのは、今使っているムラマツEX(頭部管銀製)も素晴らしい、ということ。全部洋銀製のフルートと総銀製のフルートは、吹き比べて違いが分かるのですが、頭部管のみ銀製と総銀製のフルートでは、私の耳では吹き比べて違いがよく分からないことが多いです。総銀製の方が「遠鳴りがする」(広いホールの隅々まで音が届く)という話は聞きますが、フルートをそんな広いホールで客を前に演奏する機会(しかもPAなしで)が私にあるとは思えません。それと、もう一つ。多くの人が試奏していましたが、みんな猛烈に上手い。たかさんのフルートも上手い(たかさんのフルートは、録音では何度か聞きましたが、生では初めて聞きました)。私も、音色と音量だけならそんなに悪くないとは思うのですが、指が全然回らないのです。アマチュアでも、上手い人はこんなに指が回るんですねえ。
2011.08.07
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今日8月6日は、言わずと知れた広島原爆の日です。1945年8月6日8時15分に投下された原爆(ウラニウム爆弾)「リトルボーイ」によって、10万人以上が犠牲になったのです。この爆弾には、50kgのウランが搭載されていましたが、実際に核分裂したのは1kg程で、その威力はTNT火薬換算で15kt程度と見積もられています。一方、福島第一原発の場合はどうか。東京電力によると、4基の原子炉の核燃料棒は、1号機が400体、2~4号機は548体です。ただし、定期点検中の4号機には燃料棒がありませんでしたので、実際は1~3号機合計約1500体の核燃料があった、ということになります。では、燃料棒1体の重さはどのくらいか。この資料によると、タイプによって多少の差はありますが、ウラン重量で185kgから195kgです。平均190kgとして計算すると、原子炉内のウランの総量は約285トンということになります。このほかに、使用済み核燃料プールに貯蔵されている使用済み核燃料があります。経済産業省の発表によると、以下のとおりです。1号機 新燃料100本、使用済292本2号機 新燃料28本 使用済587本3号機 新燃料52本 使用済514本4号機 新燃料204本 使用済1331本合計 新燃料384本 使用済2724本ウラン重量に換算すると、新燃料が約73トン、使用済核燃料が約517トン。炉内とプール内の全燃料を合計すると、ウランの重量で870トン以上ということになります。ただし、広島原爆の核弾頭はウラン235が100%なのに対して、原発の燃料棒はウラン235は3~5%程度しか含まれていません。それを考慮に入れると、ウラン235の総量は26トンから43トンになります。広島型原爆の500倍から800倍のウラン235の量、ということになります。では、放射能の総量は。今回の原発事故で放出された放射能の総量は77万テラベクレルと原子力安全・保安院が発表しています。しかし、広島原爆で放出された放射能総量については、調べた限り資料がなくて、不明です。検索したところ、東京大学アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授が、衆議院厚生労働委員会の参考人招致の席上、今回の事故で放出された放射能の総量を広島型原爆29.6個分と説明しているそうです。http://www.youtube.com/watch?v=LunV27H3oW8この根拠となる数値は分からないのですが、ウランの量の差、実際に核分裂したウランの量の差(広島は、核分裂したウラン235は1kgだけなのに対して、福島第一は、全体の半分が核分裂済みと仮定すれば12トンから20トンに達します)から考えて、広島原爆よりも今回の事故の方が放出された放射能量は遙かに多い、ということはほぼ間違いない事実と考えていいと思います。しかも、原爆と原発を比較すると、原爆の方が放射能の減少が早く、原発はなかなか放射能が減衰しません。なぜなら、原爆では発生したすべての放射能(半減期がごく短いものも多い)が放出されるのに対して、原発事故では、半減期がごく短いものは炉内ですでに減衰しているので、比較的半減期の長い放射能だけが放出されるからです。先の数値(広島の29.6倍)を採用すると、爆発規模で言って450キロトンの核爆発に等しい放射能が放出された、ということになります。こう考えると、もはや日本の被曝は広島長崎の2回ではなく、今回の事故を含めた3回と言わざるを得ないでしょう。ところで、この広島原爆の日に、どうしようもない知事のどうしようもない発言が報じられています。石原慎太郎都知事:「原爆の模擬実験はスパコンで可能」東京都の石原慎太郎知事は5日の定例記者会見で、日本の防衛戦略について「米国は新しいニュークリア・ウォーヘッド(核弾頭)のシミュレーションをやった。日本だってそのくらいのことをやったらいい。持とうと思ったらいつでも持てますよ、と。スーパーコンピューター駆使すれば原爆のシミュレーションなんかすぐできる」と述べた。続けて石原知事は「日本は強力な軍事国家にならなかったら絶対存在感失う。北朝鮮、中国、ロシアが日本の領土をかすめ取ったりかすめ取ろうとしている。核を持って、歴然と敵意を持っている国に間近に囲まれているのは日本だけだ」と危機感を強調した。ただ核武装は主張せず、「米が核弾頭を積まない新しい戦略兵器の開発を言い出した。そういう核に関係ないものを日本が作る努力をしたらいいじゃないか」とした。-------------ま、相変わらずの愚劣な主張です。「日本は強力な軍事国家にならなかったら絶対存在感失う。」のだそうですが、果たしてそうでしょうか。戦後日本が大国と呼ばれる地位を築いてきたのは、経済によってであって、軍事によってではありません。確かに、軍事大国になれば「怖い国」「嫌な国」「嫌いな国」という「存在感」を国際社会の中で獲得することはできるでしょう。現在の北朝鮮がそうであるように、です。あるいは、日本自身も太平洋戦争直前の時点ではそうでしたが。そのような「存在感」を獲得して、いったい何の益がある?国民がどれだけ幸せになれる?何もありません。国際社会の中で、確固たる「存在感」を得ている北朝鮮の国民が、どれほど悲惨な生活をしているかを考えてみれば容易に分かることです。石原という「偉大なる首領様」の自尊心が満たされるだけです。
2011.08.06
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時々、「日本で原発の放射能で死んだ人はいない」と言う人がいます。たとえば、池田信夫がその1人です。ツィッターでの発言より過去50年間、日本で原発の放射線で死んだ人はいない。「人命」を錦の御旗にして高い電気料金を押しつける社会的コストのほうがはるかに高い。 はっきり言って、嘘つきです。この人は、1999年東海村のJCO臨界事故で2人が被曝によって死亡したことはきれいさっぱり忘れてしまったのでしょう。それに、過去多くの原発作業員が癌や白血病で亡くなっており、労災認定を受けている方(原発の被曝が原因と公的に認められたということ)も何人もいる、という事実も、おそらく知らないのでしょう。<原発作業員>被ばくでがん 労災10人◇9人は100ミリシーベルト以下東京電力福島第1原発事故で収束作業にあたる作業員が緊急時の上限250ミリシーベルトを超えて被ばくするケースが相次いだが、過去にがんを発症して労災認定された原発作業員10人のうち9人は累積被ばく線量が100ミリシーベルト以下だった。遺族からは福島第1原発の作業員を案じる声が上がる。 厚生労働省によると、10人は作業中に浴びた放射線を原因として労災認定された。内訳は白血病6人、多発性骨髄腫2人、悪性リンパ腫2人。累積被ばく線量が最も高かった人は129.8ミリシーベルト、残り9人は100ミリシーベルト以下で、最も少ない人は約5ミリシーベルトだった。◇50ミリの息子白血病死 母の怒り中部電力浜岡原発の作業員だった嶋橋伸之さんは91年に白血病で亡くなった。29歳だった。神奈川県横須賀市に住む母美智子さん(74)は、体重80キロだった嶋橋さんが50キロにやせ衰え、歯茎からの出血に苦しんでいた姿が忘れられない。嶋橋さんは下請け会社で原子炉内計測器の保守点検をしており、累積被ばく線量は8年10カ月間で50.63ミリシーベルトだった。死亡の半年後に戻ってきた放射線管理手帳は、赤字や印鑑で30カ所以上も被ばく線量などが訂正されていた。白血病と診断された後も被ばくの可能性のある作業に従事可能なことを示す印が押され、入院中に安全教育を受けたことになっていた。安全管理のずさんさに怒りがわいた。「福島の作業員は命を惜しまずやっているのでしょう。でも、国や電力会社は家族の心も考えてほしい。『危ない』と聞いていれば伸之を原発になど行かせなかった」と美智子さん。「何の落ち度もない労働者が亡くなるようなことはあってはならない。上限値はすぐに下げるべきだ」と訴える。そもそも原発での被ばく労災が表面化することはまれだ。市民団体「福島県双葉地区原発反対同盟」の石丸小四郎代表(68)は震災前、福島第1原発の作業員6人の被ばくによる労災申請を支援し4人が認定されたが、実名を公表したのは2人だけ。「原発の恩恵を受けているとの思いがあり、狭い地域社会の中で補償支給を知られたくない人が多い」と指摘する。がん以外の場合には認定自体に高いハードルがある。福岡市の元溶接工、梅田隆亮(りゅうすけ)さん(76)は79年2~6月に中国電力島根原発(松江市)と日本原子力発電敦賀原発(福井県敦賀市)で働いた。その後、突然鼻血が出るなどの症状が表れ、慢性的な倦怠(けんたい)感が続いた後、00年に心筋梗塞(こうそく)で倒れた。被ばくが原因ではないかと疑念を深め、08年に労災申請したが、認められなかった。累積被ばく線量は8.6ミリシーベルト。再審査を請求している梅田さんは「原発労働者が事業者の都合にいいように扱われている。このままでは自分のようなケースがどんどん生まれてしまう」と懸念する。被ばくによる労災認定に明確な基準があるのはがんでは白血病のみ。「年平均5ミリシーベルト以上の被ばく」と「被ばく後1年以上たってから発症」の2点。他のがんは厚労省の検討会が判断する。----------「年平均5ミリシーベルト以上の被ばく」で白血病が労災認定される、ということは、年平均5ミリシーベルトの被曝には、ある程度の危険性があると判断されている、ということです。そしてもう一つ「被ばく後1年以上たってから発症」という点も重要です。チェルノブイリでも、子どもの甲状腺癌が増加し始めたのは、事故から6~7年後のことです。つまり、事故から半年も経っていない今の時点で「福島原発の事故で、放射能で死んだ人はいない」なんて話は、まったく無意味だということです。JOC臨界事故のような、急性障害による死亡はともかく、被曝に起因する癌が半年やそこらで顕著に増加するわけがないのです。ところで、放射線の人体への影響とは、具体的にはどの程度のものなのでしょうか。よく知られている目安は、1万人・ミリシーベルトの被曝によって一人が癌になる、というものです。この根拠は、米国国立科学アカデミー「電離放射線の生物学的影響」第7次報告書(BEIR-VII)によります。それによると「被曝1ミリシーベルトにつき1万人に1人、固形癌(白血病以外の癌)にかかるリスクが増し、10万人に1人、白血病になるリスクが増し、1万7500人に1人が癌で死亡するリスクが増す」とのことです。1万人・ミリシーベルトとは、被曝量×被曝人数の積が1万ミリシーベルト(10シーベルト)という意味です。もし、その10シーベルトを1人の人間が被曝すれば、その人は必ず死ぬ(一度に被曝すれば、発ガン以前に急性症状で死にます)。100人が100ミリシーベルトずつ被曝すれば、その100人のうち1人が発ガンする。1万人が1ミリシーベルト被曝すれば、そのうちの1人がガンになる、ということになります。この計算で行くと、被曝量が20ミリシーベルトなら、500人に1人がガンになる、ということになります。確率で言うと0.2%となります。「なんだ、その程度の発ガン率か、たいしたことはないな」と思う方もいるかも知れません。しかし、それは2つの点で間違っています。第一に、1万人・ミリシーベルトに1人の発ガンというのは、全年代の平均値としての目安である、という点です。被曝による影響の程度は、年齢によって大差があります。50歳以上になると、被曝による健康リスクは大幅に低下します。現在、福島第一原発周辺の避難区域には、避難を拒否している方が何人も住んでいるそうです。彼等は若くても50歳以上、多くは70代80代の高齢者ですから、彼等が被曝によって癌になる可能性はかなり低いと思われます。一方、子どもは被曝による健康リスクが非常に高い。子どもといっても年齢によって差がありますが、おおむね大人の4倍くらいの危険性があるとされます。つまり、子どもが20ミリシーベルト被曝すると、125人に1人(0.8%)が後に癌になる可能性がある、ということです。第二に、年間20ミリシーベルトの汚染地帯というのは、1年後に放射能汚染が自動的に消滅するわけではない、ということです。そこに15年間住んだら?セシウム137の半減期は30年もありますから、15年間では累計200ミリシーベルトくらいになります。仮に累計放射線量200ミリシーベルトとすると、大人でも50人に1人(2%)、子どもなら12.5人に1人(8%)の発ガンリスクとなります。8%とは、恐るべき発ガン率と思いませんか?しかも、これは発ガン率についてのみの話です。被曝による健康障害は、ガン以外にも様々なものがあります。いわゆる「原爆ブラブラ病」もそうですし、心筋梗塞のリスクも被曝によって増大することが疑われています。事故発生時点で0歳の新生児がずっと20ミリシーベルトの汚染地帯に住み続けて15歳になったとしたら、そのようなリスクを抱え込むことになります。そのような場所に、何の対策も取らずに子どもを住まわせ続けておく、なんてことは狂気の沙汰としか思えません。したがって、どうしても年間20ミリシーベルトの汚染地帯に今後も住み続けるなら、生活圏における表土の剥ぎ取りは必須と言えるでしょう。現に、学校などでは行われているようです。表土剥ぎ取りによって、放射線量は9割減るとの報道があります。事実なら、年間20ミリシーベルトが2ミリシーベルトに激減するわけで、これは相当に効果的です。そもそも、年間20ミリシーベルトという数値は、放射線管理区域(3ヶ月で1.3ミリシーベルト以上)設置基準の4倍近くにも相当する数値です。法的に言えば、レントゲン室に1年365日住み続けなさいというのと同じです。ありえないことでしょう。そんなことがまかり通るなら、今後放射線管理区域に関する諸規制など不要だ、ということになります。ただし、その一方で、たとえ年間20ミリシーベルトの汚染地帯といえども、50歳以上の中高年はそれほど気にする必要はない短期滞在にまで神経をとがらせる必要はない(内部被曝に留意は必要でしょうが)ということも言えるだろうと思います。年間20ミリシーベルトの場所に1日滞在だけなら、54マイクロシーベルトです。さすがに、その程度の被曝にまで神経質になることはないかな、と個人的には思います。レントゲン室に1年365日住み続ける人はいないけれど、かといって、レントゲン撮影をまったく受けない、という人は少ないことも事実ですから。
2011.08.03
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福島第一原発の事故は、まだ何も解決していないにもかかわらず、最近マスコミに取り上げられる頻度が減ってきてしまったように感じます。それに反比例して、原発推進派の宣伝が激しさを増しています。たとえば、都知事の石原慎太郎はこんなことを言っています。日本に原発必要、核兵器持つべき 石原都知事インタビュー【7月14日 AFP】東京都の石原慎太郎(Shintaro Ishihara)知事(78)は、6月28日にAFPが行ったインタビューで、東京電力(Tepco)福島第1原子力発電所の事故を受けて原発に対する「一種のヒステリー」が起きると予想されるが、日本には原発がまだ必要だとの認識を示した。また、北朝鮮、ロシア、中国という「日本に敵意を持った」近隣国の存在を考慮すると、決して使用してはならないものの、日本は核武装するべきだとの考えを語った。■フランス人に出来て、なぜ日本人に出来ないのか4月の都知事選挙で再選された石原都知事は、原発について「管理さえしっかりしていれば、コストの面で、非常に安い電力を供給できる」と指摘。「これから選挙の時に、原子力発電所に関して一種のヒステリーが起きると思う」との見通しを示しつつ、電力供給の4分の3以上を原発でまかなっているフランスを例に挙げて「フランス人に出来ることがなぜ日本人に出来ないのか」と述べ、今後も日本には原発が必要との見方を示した。日本はこれまで電力の3割近くを原発に頼ってきた。東日本大震災を受けた原発停止による電力不足の懸念が広がるなか、東京都は都庁舎の節電目標を、国の求める15%をはるかに超える25%に設定。明かりをつける照明の数を減らすなど、さまざまな節電対策に取り組んでいる。■再生可能エネルギーには懐疑的石原氏は、ディーゼル車規制や気候変動対策方針の策定、排出量取引制度の導入、緑化計画など、環境政策では高い評価を受けている。2016年夏季五輪の招致活動でも、地球環境の大切さに焦点を当てた構想を前面に出した。だが、再生可能エネルギーについては、日本の産業界を支えるにはまだ未熟だと考えているという。バイオマスは日本ではコストが高すぎる。太陽光はそんなもので、日本の産業はとても支えられない。風力発電は日本では案外効果が薄くて、特に落雷が多いので、すぐに壊れる」「そんなもので日本の、世界第3位の経済産業が担保されると思いますか」(以下略)-------ヒステリーという言葉は、石原の息子(石原伸晃)も口にしていましたが、「自分自身のことを言っているんだろう」と言いたくなります。フランスにできて、何故日本にできないか?そんなことは、今回の事故が何故起こったかを考えれば一瞬に分かることではないですか。フランスには大地震はないからに決まっています。そして、再生可能エネルギーに対する根拠不明の敵意。確かに、技術的に未熟なところがあるのは事実です。太陽光発電は、今後更に発電効率が上がるでしょうし、風力発電は低周波騒音という問題もある(ただし、海上に設置すれば騒音問題は回避できます)。現状では、太陽光発電はコストが比較的高いのも事実でしょう。もっとも、原発のコストが安いというのは、まったくのウソですが。(以前の記事を参照)太陽光発電や風力発電にデメリットがあるにしても、日本中に放射能をまき散らしたり、原発の周辺に、数十年にわたって人の住めない土地が出現するような事態は起こりません。核兵器を持つべき云々に関しては、言うべき言葉もありません。更に、「原子力ムラ」の内部からも、公然とこんな声が上がっているそうです。原発抜きに国の発展ない…日本原燃社長が反論「エネルギー資源のない我が国は、原子力発電抜きには国民生活、国力の維持・発展は考えられない。核燃料サイクルは原子力発電の屋台骨を支える必要不可欠な事業だ」日本原燃の川井吉彦社長は29日の定例記者会見で、改めて菅首相による「脱・原発依存」表明に反論した。これまでに培った技術や人材の意義、地元との協力関係に言及し、「これらを捨てていいのか。熟慮に熟慮を重ねるべきだ」と主張した。訴えは会見の冒頭、約6分間。新たな安全対策についての言及が4分ほどだっただけに、その熱の入れようが際だっていた。青森県のある幹部は「首相だけでなく、あちこちから脱原発の意見が出ているだけに、危機感が大きいのだろう」と推測していた。(2011年7月30日15時18分 読売新聞)-----「エネルギー資源のない我が国」と「原子力発電抜きには国民生活、国力の維持・発展は考えられない」というふたつの文章が平然と結びつけられていますが、これは欺瞞です。なぜなら、我が国にはウランのエネルギー資源だってないからです。日本は、石油の99.6%、石炭の99%、天然ガスの96%を輸入に頼っています。それでも、これらの化石燃料は、国内での算出はゼロではありません。それに対して、ウランについては、国内からの算出はゼロです。岡山県と鳥取県の県境にある人形峠で、かつて日本で唯一のウラン採掘が行われていましたが、品質が低くて採算が取れないため、現在は閉山になっています。つまり、現在ウランの自給率は0%、ただの1グラムたりとも国産ウランは商業発電に使われていません。おそらく、この社長氏はこう言いたいのでしょう。核燃料サイクルが完成すれば、核燃料(プルトニウム)は事実上自給できる、と。しかし、その「夢の核燃料リサイクル」が、まったく砂上の楼閣であり、実現の可能性などないことは、以前の記事で指摘したとおりです。要となる高速増殖炉は、危険きわまりない代物で、20年間に二度大きな事故を起こして、実運転期間はたった7ヶ月です。そうそう、先の石原慎太郎の言葉に「フランス人に出来て何故日本人に出来ないのか」という台詞がありましたが、高速増殖炉はフランス人も出来ませんでした。(フランスは高速増殖炉から撤退)六ヶ所村の再処理施設も、施設はほぼ完成していますが、稼働の見込みは立っていません。そもそも、稼働したとしても、ここで再処理できる使用済み核燃料は全体のごく一部で、残りは海外に送って再処理してもらうのですが。いずれにしても、核燃料サイクルなど実現性は皆無といっていいでしょう。そんなものに期待を寄せるくらいなら、再生可能エネルギーの技術進展に期待を寄せる方が、よほど現実的です。何しろ、再生可能エネルギーは間違いなく国産のエネルギーですからね。「エネルギー資源のない我が国」にとって必要不可欠の存在と言えます。これまでに培った技術や人材の意義、地元との協力関係だそうですが、地元との協力関係なんてものは、事故が起これば確実に失われます。それは措いて、技術や人材は、脱原発でも捨てる必要はない、というか捨ててはいけません。福島第一原発は必ず廃炉になりますが、あそこに原子力の技術や人材がいらなくなりましたか?そんなことはありませんね。事故を起こしていない各原発にしても、運転を止めればそれでおしまいというわけにはいかず、長い長い後始末の期間を要します。以前にも指摘しましたが、日本で最初に廃炉となった東海原発は、1998年の運転終了で、まだ原子炉の解体に手を付けていません。廃炉とはそれほど長い時間を要する作業なのです。仮に明日すべての原発を廃炉にすると決まったとしても、原子力の技術と人材が不要になるのはおそらく50年先です。
2011.08.02
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