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実は、昨日の記事をアップする直前でしたが、ご存知のとおり小笠原近海でマグニチュード8.1(当初8.5と発表されたが、今日修正された)の地震がおきました。最初に前震(P波)が来た時点で、「これは遠方のでかい地震だな」と直感したのですが、そのあと本震(S波)が来たら、これがでかくて、肝を冷やしました。東京の震度は観測地点によって震度3と4が入り混じっていましたが、やはり揺れ方が普通の震度3や4の地震とは違うので、ドキッとしました。東京を飛び越えて、神奈川で震度5強、埼玉でも5弱が記録されています。まだ揺れている最中に子どもがテレビを付け、震源が小笠原沖と分かったのですが、そうすると「これは大津波が来るな」と確信しました。(正直言って、東京は東京湾の奥ですから、津波があってもまず直撃の心配はないな、とも思いましたけど)が、その直後に「津波の心配はありません」と。何で??と思ったら、震源の深さが590kmだと。(これも、今日になって682kmに訂正されましたが)津波は、震源の深さ50km以内だったか、とにかく、あまり震源の深い地震では、揺れが海底面に到達するまでに減衰するので、津波は起こりません。※逆に、震源の深さが極端に浅い場合も津波が起こらない、と何かで読んだ記憶があるのですが、改めて検索しても、その情報が見当たらないので、記憶違いかもしれません。一般に震源が50kmより深い場合は津波は起こりにくいので、深さ590kmにしても682kmにしても、津波はまず起こりません。そういう意味では、揺れで肝を冷やしたけど、それほど深刻な事態にならずにほっとしました。緊急地震速報も鳴りませんでしたね。大深度の地震には緊急地震速報は技術的に対応できないようですね。大深度の地震だと死者が出るような揺れにはならないので(肝は冷やしましたけどね)、技術的な限界なら仕方がないかな、と思います。この深さでマグニチュード8クラスの地震は、世界的に見ても極めて珍しいようです。ただ、思い出されるのは2012年1月1日、やはり小笠原沖で起きたマグニチュード7.0の地震です。これも、深さ370kmというきわめて大深度で起こった地震です。地震の規模は今回よりだいぶ小さいですが、それでもマグニチュード7クラスですから、揺れは全国に広がりました。今回同様、津波もなかったし、直接的な被害もほとんどありませんでした。震源が大深度の場合、経験的に余震はほとんど起こらないそうで、確かに2012年のときも今回も、余震はありませんでした。ただ、観測史上では非常に珍しいとされる、大深度での巨大地震が、近い場所で3年余りの間隔で2回起こっている。これは、何かの予兆だったりすることはないのか、若干気になります。そして、予想どおりというか、首都圏の鉄道が軒並み止まり、また高層ビルのエレベーターの停止騒ぎがかなりあったようです。個人的には、あの時間にはもう帰宅していたので、安穏としていられましたが、丹沢から帰る途中であの地震に巻き込まれていたら、がっくりきていたところです。地震の後いったんは首都圏の鉄道が軒並み止まったものの、私鉄、地下鉄はそれほど経たずに運転再開しています。新幹線も同様です。ところが、JR東日本の在来線の一部(山手線、京浜東北線、横須賀線、東海道線の熱海以東、総武線(千葉まで)、内房線、外房線)は、地震から2時間以上経ってもまだ止まっていた。そういえば、311のときも、私鉄・地下鉄はその日のうちに一部運転再開に漕ぎ着けたけど、JR東日本は、当日中は運転再開しませんでした。さらに過去にさかのぼると、2005年7月に東京で震度5を記録する地震が起こったことがあります。私は相棒と2人で映画を見に行っていたのでよく覚えているのですが、このときも、JR東日本はいつまで経っても運転再開しなかった。都営地下鉄はすぐに運転再開したのに。どの地震でも、JR東日本だけ運転再開が遅れるような、特殊な事情があるんでしょうか。それにしても、箱根では噴火の前兆、口永良部島は噴火中、桜島は改めて報じられるまでもなく四六時中噴火中、そして地震もひっさきりなし、と。本当に日本は災害の多い国です。
2015.05.31
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実は、大涌谷の火山活動増大以降、箱根駒ヶ岳に行きたいと思っていました。さすがに相棒は「やめたら?」と言っていましたが。本当は先週末に行こうと思ったのですが、先週末は相棒が土日とも仕事になってしまい、私が子どもの昼食を作るため、山登りは無理で、1週間延期としました。その間に調べたところ、先日の記事にも書いたように、箱根駒ヶ岳はロープウェーは動いているものの登山道はすべて閉鎖となっていることが分かりました。歩いては登れないし、ロープウェーで登っても、山頂駅からどこにも行けない。ただロープウェーで登って降りてくることを山登りとは言わないので、箱根駒ヶ岳に登ることはあきらめて、箱根のとなりの山に行くことにしました。丹沢です。丹沢は、関東では非常にポピュラーな山であるにも関わらず、私はほとんど行ったことがありませんでした。一度だけ、10年くらい前の冬、大雪のときに、大山に行ったことがありました(東京では雪は降らなかった)。でも、大山は丹沢の一番外れです。丹沢の中心部には一度も行ったことがありません。それで、今回初めて丹沢の中心部に行ってみることにしました。私は東京の住人なので、奥多摩(東京都)は地元の山、丹沢は他県の山、という感覚がどうしてもあります。でも、実は東京23区からの交通の便は、奥多摩より丹沢のほうがはるかによいことを今回発見しました。23区の大半の場所からは、丹沢のほうが所要時間はかなり短く、駅から登山口までのバスの本数も多く、交通費も安いのです。さすがに、高尾山は丹沢よりもっと交通の便がいいですけどね。で、今日は朝の7時半過ぎには、大倉登山口に着いていました。とりあえずの目的地は、塔ノ岳(1490m)にしておきました。小田急線渋沢駅から大倉までのバスは、登山者で超満員でした。今日は天気もいいし、山も混みそうです。大倉のバス停を7時45分前後に出発しました。大倉尾根を経由して、塔ノ岳を目指します。樹林帯に囲まれた、気持ちのよい尾根道が続きます。最初のうちは、かなりハイペースで飛ばしました。塔ノ岳山頂まであと少し、花立山荘の前で眼下を振り返ります。相模湾が見える。登山道の途中から、ずっと富士山が見えています。まだ雪はありますけど、だいぶ地肌が出てきた富士山です。この写真をどこで撮ったか、正確に覚えていません。塔ノ岳の山頂に着いたところで撮ったのか、その手前で撮ったのか、どっちだったかなあ。富士山だけをトリミングして、縮小せずにアップしてみました。iPad miniの写真は、あのレンズの割にはなかなか優れているけど、さすがに縮小なしの原寸大だと、荒さが見えますね。正真正銘の塔ノ岳山頂です。10時半頃に到着しました。登山者は、かなり多いです。実は、丹沢を結構甘く考えていたのですが、登山口の大倉が標高290mほどで、塔ノ岳が1490m、つまり標高差が1200mもある。結構きつかったです。最初はハイペースでしたが、最後はペースダウンしました。所要時間は2時間45分くらい。まあ、そんなところかな。塔ノ岳は、丹沢の中でも一番人気のある山なので、山小屋・売店がいくつもありました。山頂にもある。尊仏山荘とは、すごい名前です。で、一応当初予定していた目的地には到着したのですが、まだ時間は11時にもなっていません。そして、この先には丹沢の主峰丹沢山があります。左側のピークが丹沢山です。ここまででも結構きつかったんだけど、丹沢山までさらに1時間。迷ったけど、天気もいいし、時間もあるので先に進むことにしました。塔ノ岳を超えたとたんに、登山者の数はかなり減りました。それだけでも、先に進んだ意味があったかな。もちろん、塔ノ岳に比べれば少ないというだけで、登山者はそこそこにいます。この、塔ノ岳と丹沢山の間の尾根道は、雰囲気がよくて、気持ちのいい登山道でした。11時半過ぎ、丹沢山に着きました。標高1567m、塔ノ岳より70mほど高い。一応、丹沢の主峰ということになっているようです。山頂には、人は30人か40人くらいいたでしょうか。大盛況ではあるのですが、塔ノ岳に比べれば断然少ない。丹沢山は丹沢の主峰ですが(名前のせいでしょう)、実は丹沢の最高峰ではありません。丹沢の最高峰は、蛭ヶ岳1673mです。どうせなら蛭ヶ岳まで行きたい、けど、丹沢山から登山地図のコースタイムでは往復3時間弱かかる。行ってしまったら日帰りは厳しい。今日は家族に夕方帰るって言っちゃったし、ここはあきらめて引き返すことにしました。いつか泊りがけで行くぞ、蛭ヶ岳。12時半頃、塔ノ岳まで引き返してきました。行きに通過したときも人は多かったのですが、この時間はもっと混んでいました。いや、本当に丹沢山まで足を伸ばしておいてよかった。当初予定では、下山は鍋割山経由のつもりだったのですが、予定外の丹沢山まで足を伸ばしたので、時間短縮のため往路と同じ大倉尾根を下ることにしました。往路と同じルートを取った理由は、実はもう一つありまして、登りで気になるものを見つけちゃったんですよね。花立山荘のカキ氷。行きにこの存在に気がついてしまい、でもさすがに登りの途中よりは下りの途中で食べたいと思ったのでした。おいしかったです。で、その後はひたすら下って、大蔵のバス停に到着したのが丁度3時でした。大倉から塔ノ岳まで、登りが2時間45分に対して下りが2時間半。所要時間に大差がありません。どうも、私は下りがあんまり速くないのです。それにしても、塔ノ岳のみでも、標高差1200m、さらに丹沢山までは、いったん100mくらい下ってから登り返すので、往復の累積標高差では1400m以上、1500m近くになりそうです。丹沢がこんなにきつい山とは知りませんでした。日帰りの荷物とはいえ、久しぶりに体力的に目いっぱい歩いたな、と思います。(正直に言えば、昨年末からの山登り、つまり西穂高独標、唐松岳、岳沢などは、雪山ゆえの難しさはあったにしても、体力的には余裕がありました)小田急線渋沢駅まで戻ってきました。新宿から渋沢まで片道670円、バスが210円。往復で2000円もかからないのです(新宿から先の交通費も含めれば2000円超えるかもしれませんが)。実に経済的な山登りです。次は、秋か冬にまた行きたいな。ところで、まだ5月だし、1500m級の山だし、樹林帯が多いし、と、甘く見ていたため、日焼け止めを持っていかなかったのです。そうしたら、両腕と首から上が真っ赤になってしまった。失敗した。日焼け止めを持って行くべきでした。
2015.05.30
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鹿児島・口永良部島で爆発的噴火 警戒レベル529日午前9時59分ごろ、口永良部島の新岳で爆発的な噴火が起き、噴煙が火口から9000m以上の高さまで上がり、火口の周辺に噴石が飛散しているのが確認されました。噴火に伴って火砕流が発生し、新岳の南西側から、北西側の向江浜地区にかけて流れ下り、北西側では海岸まで到達したことが確認されました。29日午後に上空から行った観測では新岳の南西側から北西側に加え、北東側でも火砕流が流れ下った痕跡が確認されたということです。気象庁は午前10時7分に口永良部島に噴火警報を発表し、噴火警戒レベルをレベル3の「入山規制」から最も高いレベル5の「避難」に引き上げ、今後も爆発力が強い噴火や規模の大きな噴火が発生する可能性があるとして、厳重な警戒を呼びかけています。気象庁が噴火警報を発表したのは、平成19年12月に警報を導入してから今回が初めてです。(要旨・以下略)---灰の傘、山肌走る火砕流=噴火の口永良部島上空山頂付近から白い煙が空に噴き上がり、上空で傘のように広がっていた。噴火した口永良部島上空からは29日、真っすぐ湾に向かって山肌を流れ落ちた火砕流の灰色の筋が確認できた。島に近づくにつれ、取材の航空機内はむせるような硫化水素の匂いが立ち込めた。噴煙を吐く火口から西側に向かい、谷のように低くなった山肌を幅数百メートルはありそうな灰色の跡が湾まで伸びる。すぐ脇には10軒ほどの民家があり、対岸には本村集落。工場のような建物が火砕流に巻き込まれたように見える。火砕流が流れ込んだ湾内は、海面が乳白色に染まっている。岸壁には3、4隻の船が係留されていた。木々に覆われ緑色の島の景色は山頂に近づくにつれ、灰一色に。肉眼でも分かる巨大な岩石が多数、火口周辺に転がっていた。火口北側は焦げたように木々が赤茶け、葉や枝が燃えてしまったのか、枯れ木のように幹だけしか見えない樹木の姿が灰色の山肌に広がっていた。(以下略)---箱根火山が噴火するかも、という件で昨日記事を書いたばかりですが、その間に箱根ではなく口永良部島で噴火が起こりました。箱根で想定されている噴火より、はるかに大規模な噴火です。(ただし、箱根も想定以内の規模で収まるかどうかは定かではないのですが)もちろん、去年の御嶽山より、噴火そのものの規模は明らかに巨大です。でも、幸いなことに、130名あまりの住民は、何人か火傷を負った方はいるものの、全員が無事に屋久島に避難したと報じられています。とはいえ、あとのほうの記事を読む限り、火砕流は明らかに人家や船を巻き込んでおり、それにも関わらず死者が出なかったのは奇跡的な幸運だったのかもしれません。火砕流の向かう方向がちょっと違ったら、住民の大半が犠牲になっていたとしても不思議はなかったところでしょう。気象庁によれば「今回の噴火の兆候は見られなかった」とのことですが、口永良部島は昨年8月にも噴火しており、それ以降ずっと火山性地震は起こり続け、警戒レベルも3が維持され続けているので、実際にはまったくの不意打ちというわけではないでしょう。火口付近の観測機器は故障していて測定できていなかったとも報じられています。それらの観測機器が生きていれば、もう少し明確な噴火の兆候を捉えることができたかもしれません。でも、観測機器は前回の噴火によって破壊され、その後ずっと警戒レベル3の中で、火口に行って観測機器の修理、または交換は確かに危険すぎて難しかったであろうことは予想が付きます。だから、これは仕方がない。この噴火がどれだけの期間続くかは分からないですが、面積38平方キロという小さな島だけに、大噴火となれば逃げ場がありません。避難民の帰島は、噴火が完全に終息したと確認されるまでは難しかろうと思います。少なくとも半年やそこらは続くのではないだろうか。三宅島みたいに、何年も、とならなければいいのですが。今の時点では、まだ始まったばかりの噴火なので、何とも言えません。
2015.05.29
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箱根山、初の噴火警戒レベル2 果断か時期尚早か噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)に引き上げられた箱根山で、火山活動活発化以降の火山性地震が観測史上最多を記録した。数年に一度、群発地震などが起こる活火山だが、12~13世紀を最後に噴火していない箱根山。地元の神奈川県箱根町ではレベル引き上げ時期をめぐり、素早い判断を評価する一方、その後の風評被害などから「早すぎた」との声も。火山と共存する町の葛藤は続いている。気象庁が箱根山の噴火警戒レベルを2に引き上げたのは6日午前6時。それに合わせ、箱根町は噴火した場合に火口になると想定される大涌谷の半径約300メートルに避難指示を出した。箱根山の警戒レベル引き上げは今回が初めて。数年に一度群発地震や蒸気が勢いよく噴き出す「暴噴」などが起きているが、噴火には至らず、これまで立ち入りが制限されたこともない。箱根山の噴火は12~13世紀に起きたとみられる水蒸気噴火が最後で、火山性微動や地殻変動などを観測できるようになった近代以降は記録がない。そのため警戒レベル引き上げに際しては「いつ噴火が起きてもおかしくなかった平成13年と似た状況」であることが判断材料とされた。気象庁の西出長官も「類推の中で基準を定めており、噴火の観測がないという間を埋めるため、専門家と議論しながら監視している」と説明している。地元ではこの判断への是非をめぐる議論が今も続く。強羅地区の旅館経営の男性は「火山活動の活発化は火山とともに生きている地元にとっては日常」と強調。「立ち入り制限などの措置は必要だが、『レベル2』はインパクトが大きすぎ、観光客を必要以上に怖がらせている」と指摘する。一方、「箱根は火口となる大涌谷の中を歩くこともできる。昨年の御嶽山噴火のような被害を出すことは絶対に避けなければならない」と強調するのは箱根町総務防災課の担当者。「箱根の特殊事情を考えれば早めに判断せざるを得なかった」という。西出長官は「これまで観測されているデータを総合すると、注意を要するのは大涌谷のごく狭い範囲」と強調した上で「御嶽山噴火を受けて、気象庁も丁寧に情報を提供するように心がけている。正しい情報を持って、正しく恐れてほしい」と呼びかけている。---富士山の宝永噴火は、観測機器の記録こそありませんが、文献記録が残っており、噴火の始まった日時も特定されていおり、それが宝永大地震の49日後だったこと、噴火の直前の群発地震の様子(もちろん、有感地震しか分からないですが)、火山灰が最初は白く、途中から黒い火山灰に変わった(つまり、噴火中に火山灰の成分が変わった)ことなどが、文献記録から分かっています。それに対して、箱根山は観測史上では噴火したことがなく、また噴火を記録した文献記録も今のところ発見されていません。12~13世紀といえば、平安末期から鎌倉時代です。箱根は鎌倉幕府から近い場所ではありますけど、噴火の程度がごく小規模だったため、特に記録されなかったのでしょう。だから、地質調査で分かったこと以外は、噴火の様相、噴火直前にどんな前兆があったのか、などはまったく分かっていません。だから、今回の火山活動活発化がどの程度噴火の可能性につながっているのかは、見当が付かないというのが現実でしょう。ただ、間違いなくいえるのは、噴火の可能性は平常時よりは高まっている、ということです。どの程度高まっているかも分からないですけど。引用記事には2001年と似た状況、と書いてあります。ただ、2001年には5ヶ月近くかかって記録された4000回以上の火山性地震という記録を、今回は1ヶ月で超えているので、実際には2001年を上回る状況と言っていいだろうと思います。そうであれば、少なくとも箱根山の噴火口である大涌谷に人が大勢いる状況は、やはり危険すぎるだろうと思われます。昨年の御嶽山と同じで、きわめて小規模の噴火でも、噴火口の至近距離に人がいれば、人的被害の発生は免れないからです。旅館経営の男性の言葉として、「立ち入り制限などの措置は必要だが、『レベル2』はインパクトが大きすぎ~」とありますが、そもそも気象庁の定めている定義ではレベル1は「火山活動は静穏」であり、立入規制はあるとしても火口内のみです(有毒ガスの噴出だけを念頭においていると思われます)。レベル2は、火口周辺の立ち入り規制ですから、今回の火山活動でレベル2というのはやむをえないところでしょう。実際には大涌谷に通じる登山道は現在みんな入口で封鎖されているようで、主峰箱根駒ヶ岳には、ロープウェーでは登れるけれど歩いては登れないようです。人目のない場所に規制線を設けても破る人がいることから、人目のある登山口で規制しているのでしょう。つまり、箱根駒ヶ岳ロープウェーを除くと箱根山の中央火口丘は全体が入山禁止であり、レベル2という名目で実質的にはロープウェー以外はレベル3(入山規制)になっていると言ってもいいかもしれません。この問題をめぐっては、こんな記事もありました。「箱根山」表記、報道も変更を 黒岩知事が呼び掛け箱根町の大涌谷周辺で活発化している火山活動に関連し、黒岩祐治知事は27日の定例会見で、気象庁が火山情報で用いている「箱根山」の表記を「大涌谷周辺」といった表現に変更して報じるよう報道機関に協力を呼び掛けた。「箱根山」の表記をめぐっては、山口箱根町長が菅官房長官に対し、風評被害防止の面から変更を検討するよう要望。県も気象庁に同様の申し入れを行った。黒岩知事は「『箱根山に噴火警報』とされると、箱根全体に危険が及ぶかのような誤解を与える可能性がある。『箱根』という広い地名ではなく『大涌谷周辺』など限定した地名を使用するよう表現に配慮していただきたい」と述べた。黒岩知事は30~31日に実施する横浜・日本大通りのイベントに参加し、箱根の観光情報発信や物産販売などを通じて規制区域以外の安全をPRする。---いや、名前だけ変えるというのは姑息な手段としか私には思えません。前述のとおり、中央火口丘は箱根駒ヶ岳ロープウェー以外は全部入山禁止になっています。大涌谷周辺立入規制エリアマップ赤い楕円形のエリアだけならともかく、実際には赤線の道路・登山道・ロープウェーがすべて規制されており、この規制範囲を「大涌谷周辺」と呼ぶのは無理がありすぎます。風評被害を気にするのはいいけど、そこを気にしすぎて噴火が起きたとき人的被害を招いたら最悪だと思うんですけどね。
2015.05.28
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普天間飛行場移設「工事進める考え変わらない」菅官房長官菅義偉官房長官は26日午前の記者会見で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題に関し、「関連法令に基づき、自然環境や住民生活に最大限配慮し、辺野古移設の工事は進める考えは全く変わらない」と述べ、同県の翁長雄志知事が埋め立て許可を取り消した場合でも、移設工事を進める考えを示した。菅氏は翁長氏が埋め立て承認を撤回した場合について、「辺野古移設を断念することは普天間飛行場の固定化を容認することに他ならない」と指摘。その上で「日米同盟の抑止力維持と普天間飛行場の危険除去を考えれば、辺野古移設は唯一の解決策だ」として、埋め立て承認手続きで政府に法的な瑕疵はないとの見解を示した。一方、政府筋は同日、翁長知事が辺野古移設の埋め立て許可を取り消した場合の対応について、「工事を進めながら裁判で争うことになる」との見通しを記者団に示した。---埋め立て許可を取り消しても工事は止めない、つまり法的権限も超越して、何が何でも工事を進めるぞと宣言したようなものです。これぞ超法規的措置、ということでしょうか。県知事ごときが設置許可を取り消したところで知ったことか、という意思を感じてしまいます。でも、そういう高圧的手段の果てに待っているものは何か。翁長知事は、記者会見において、沖縄独立論について「独立は議論としてあるが、実際上はなかなか簡単ではないということがわかりますが、じゃあ、それがないということになるとね、沖縄は放っておけとなると、そういう決意もないところは基地を置いておけという話しになると、それは分かりません」「サンフランシスコ条約で切り離されたように、沖縄はもう一回切り離されるんじゃないか、沖縄が独立するというより、日本が切り離すんじゃないかという心配の方がむしろある」と言及しています。県知事が、沖縄の独立について、消極的ながらも否定はしない、その状況まですでに来ています。私は、沖縄の住民ではないので当事者の資格はないけれど、沖縄が独立すべきだとは思いません。けれど、純然たる可能性として考えて、このまま行けば、どこかの地点をターニングポイントとして、沖縄独立論が急激に拡大する可能性は高いだろうと思います。ターニングポイントとは、高圧的な態度が極限まで高まって、「どうせ日本政府に何を要求したって、沖縄の要求など一つも考慮されない」という感情が支配的になったときでしょうね。「辺野古移設を断念することは普天間飛行場の固定化を容認することに他ならない」というのが政府の言い分のようですが、辺野古移設を進めるということは、基地の沖縄固定化を容認するということです。新たな基地を建設するということは、その基地を少なくとも今後何十年かは使うということですから、それは、やっぱり沖縄の世論には受け入れがたい言い分としか思えません。
2015.05.26
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【辛坊持論】次世代の意思高齢者が押しつぶした10年ほど前にIMFが、加盟国に「有権者の過半数が50歳以上になる前に、高齢者に不利益を与える制度変更を済ましておかないと、福祉予算で国がつぶれる」という警告を発した。実はこの警告、医療、介護、年金、高齢者の生活保護予算が膨れ上がりつつある日本を横目に発せられたもの。当時すでに日本の有権者の過半数が50歳以上になっていて、それがIMFの警告のきっかけになった。私は当時、「日本の高齢者はもっと賢い!」という趣旨で短文を書いた記憶があるが、今回の大阪都構想をめぐる住民投票の結果を見るとIMFの懸念は現代日本が抱える大問題となってしまったようだ。都構想をめぐる住民投票、結果は0.8%の僅差で反対派の勝利になった。世論調査などを詳細に分析すると、この結果をもたらしたのは、期日前投票における大量の反対票だったことが分かる。投票日当日の読売テレビ出口調査で反対が賛成を上回ったのは70代以上の男女と、50代女性だけ。特に20~40代の働き盛りの男性は、圧倒的多数が賛成票を投じている。これら大阪の次世代を担う人々の意思を、70歳以上の高齢者が押しつぶした。暗たんたる気持ちになるのは、そもそも若年~中堅層の人口は高齢者人口より少なく、今後ますますその傾向が強まることが決まっているから。これら高齢者の約4人に1人は認知症、またはその予備軍とのデータも存在するが、病気を理由に投票権が剥奪されることはない。投票年齢の引き下げと、若年が投票所に足を運ぶ民主主義教育に一刻の猶予もありません。日本の未来のために。(要旨)---先日、「シルバーデモクラシー」論を批判する記事を書いた際も少し触れましたが、辛坊次郎という輩の言い分が、相変わらず滅茶苦茶です。そもそも、この文章を一読して分かるのは、データの分析がおかしいということです。この結果をもたらしたのは、期日前投票における大量の反対票だった~投票日当日の読売テレビ出口調査で反対が賛成を上回ったのは70代以上の男女と、50代女性だけ。特に20~40代の働き盛りの男性は、圧倒的多数が賛成票を投じている。これら大阪の次世代を担う人々の意思を、70歳以上の高齢者が押しつぶした。なんだ?これ??です。当日投票の出口調査で20~40代に賛成が多く、70代に反対が多かったことは事実です。期日前投票が反対多数だったことも、おそらく事実です。しかし、期日前投票が反対多数だったことと、70代の高齢者が「次世代を担う人々の意思」を押しつぶしたという分析にはつながりがありません。無関係なものをつなげて、さも関係がありそうなフリをしているだけです。だって、期日前投票に行ったのは70代ばかりなんですか?どう考えたってそんなはずがないでしょう。というより、むしろ逆です。仕事で投票日に家にいないから期日前という人は、圧倒的に現役世代に多いはずです。だから、期日前投票の投票者は、むしろ当日投票より若い世代が多い可能性が高いんじゃないでしょうか。かくいう私も、最近は期日前投票をおこなうことが多いのですが(4月の統一地方選は、平日8時までに家に帰れず、当日投票しましたけど)、その際に他の投票者に高齢者はあまり見かけなかったように思います。なお、検索したところ、2011年2月におこなわれた愛知県知事・名古屋市長選の世論調査結果がありました。この10ページ目によれば、期日前投票と当日投票の年齢別割合を比較すると、20代30代は期日前投票のほうが圧倒的に高く、40代もやや高い。50代はかわらず、60代は期日前投票のほうがやや低く、70代以上は圧倒的に低い、という結果になっています。ここから導き出される推測は、当日投票では若い世代は賛成多数だったけど、期日前投票した若い世代は反対多数だったのだろう、ということです。全投票の2割が期日前投票で、しかも、その期日投票では相対的に若い世代の割合が高く、かつ反対が圧倒的多数だったとすれば、若い世代だって、全体としては必ずしも賛成が圧倒的ではなかった可能性が考えられます。何しろ、すでに指摘したように、住民投票以前の世論調査では、若い世代も大阪都構想には決して賛成多数ではなかった事実があります。「若年~中堅層の人口は高齢者人口より少なく」というのも、まったくのウソです。大阪市の有権者の構成比を再度掲載します。20代が14.2%、30代16.4%、40代17.5%、50代12.9%、60代14.4%、70代14.2%、80代以上10.0%です。70代以上より20代30代の合計のほうが多い。「中堅層」という言い方なら40代だって含まれるはずですが、70代以上対20~40代となったら、ダブルスコアの差です。ただ、若年層の投票率が低いことは事実で、「投票年齢の引き下げと、若年が投票所に足を運ぶ民主主義教育」という結論部分だけは、私も同意しますけどね。それにしても、自分の思い通りの選挙結果にならなかったからと、高齢者はおろかとでも言いたげな、この八つ当たりぶり。「これら高齢者の約4人に1人は認知症、またはその予備軍とのデータも存在するが、病気を理由に投票権が剥奪されることはない。」だそうですが、だからなんでしょう。選挙権を剥奪しろとでも言うつもりでしょうか。IMFという新自由主義の権化の言い分を金科玉条としているあたりも、どうしようもないなと思います。IMFの言い分が全面的に正しいなら、世界中で反IMF暴動なんか起こるわけがないのに。そもそも、人は必ず年をとるものです。今日の若者は、いつか必ず高齢者になる(20や30で若死にしない限りは、ですけど)。こうやって高齢者叩きをやっている人も、必ず高齢者になります。ちなみに、辛坊次郎自身は1956年の生まれだそうですから、私より10歳以上も年上で、来年60になるようです。ということは、11年後には70ですが、70になったときには、「若者の意思を押しつぶさないため」に自分の政治的発言は控えるのでしょうか。ま、そのときにどんな態度をと知るのか、見ものではあります。
2015.05.25
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先日、意味もなく羽田空港に行ってきました。実は、はじめて国際線ターミナルに行ってみました。これまで、海外旅行はすべて成田発着で、羽田は国内線しか使ったことがないので、国際線ターミナルに足を踏み入れたことはないのです。空港が拡張されて以降、羽田の国際線もかなり増え、国際線ターミナルも立派になったようです。でも、やっぱり成田や、おなじ羽田の国内線ターミナルに比べると飛行機は少ないかな。海外の航空会社としては、エア・カナダ、シンガポール航空、アシアナ航空(韓国)、キャセイ・パシフィック(香港)、エール・フランスの5社しかいませんでした。まあ、1時間くらいしかいなかったからね。それ以外はすべて日本の航空会社。それにしても、昔に比べて、航空会社の数は増えましたね。かつては、国内航空会社というと、事実上日本航空・全日空・東亜国内航空(日本エアシステム)と、それぞれの系列会社しかなかった。海外、行きたいなあ・・・・・。手前から、全日空B787-8、シンガポール航空B777-200、全日空B787-8スターフライヤーA320-200全日空B787-8飛行機って、このアングルから見ると一番見栄えがするように思うのですが、どうでしょう。展望デッキにいます。キャセイ・パシフィック航空B777-300スカイツリーをバックに、全日空機が着陸したところ。B777でしょうかね。機体の後ろに白煙が上がっています。着陸の瞬間に、タイヤと地面の摩擦で煙が上がるのです。着陸のたびにこれでは、タイヤのゴムも消耗するなあ。青息吐息航空、じゃなかった、スカイマークのB737-800全日空貨物機B767-300旧JALエクスプレスB737-800昨年、親会社の日本航空に吸収合併されたけど、塗装はまだ直していないようです。シンガポール航空B777-200名無しの権兵衛航空。B777-200だと思う。どこかの航空会社が売却するために塗装を消したのでしょう。これから売却先に飛んでいくのかな。まさかスクラップ行きじゃないと思うけど・・・・・・。奥はソラシドエア(スカイネット・アジア)B737-800、手前は日本航空B737-800シンガポール航空機が飛び立つところ。アシアナ航空A330-300機種は、羽田空港の発着情報と、各航空会社の保有機材リストで調べたので目で見て全部区別できたわけではありません。区別できる機種もありますけど、正直なところ、B777-300とA330は、私の目では見ただけでは区別が付きません。全日空B777-300エア・カナダB777-300私は乗ったことがないけれど、エア・カナダは南米行きの便が多いので、エア・カナダで南米に行く人は結構多いです。ただ、ボリビアには飛んでいないのですが。エールフランスB777-300国際線出発カウンターそういえば、この日は米国の航空会社をまったく見かけませんでした。考えてみると、飛行場というのは、飛行機に乗らなければ入場料を取られるわけではないので、お金のかからない遊び場所、ともいえます。羽田空港なら、都内からはそれほど交通費もかからないし、食べるところもたくさんあるし。もっとも、飛行機に興味がない人にとっては、楽しくも何ともないでしょうけど。
2015.05.24
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安保法制を閣議決定、安倍首相「米国の戦争に巻き込まれない」 政府は14日夕、集団的自衛権の行使などが可能になる安全保障の関連法案を閣議決定した。会見した安倍晋三首相は、日本の安全が強化されると強調。同盟国である米国の戦争に巻き込まれることは「絶対にありえない」と語った。法案の名称は「平和安全法制」。集団的自衛権の行使が可能になるほか、他国軍の後方支援、国際的な平和協力活動での役割が拡大する。掃海艇を派遣した1991年の湾岸戦争以降、海外での活動が徐々に増えてきた自衛隊の任務は大きく広がる。改正する現行法のうち、武力攻撃事態対処法は、他国が攻撃された場合でも、日本の存立にかかわるなど3つの要件を満たせば、自衛隊が武力行使できるように改める。安倍首相は、限定的な集団的自衛権だと説明。「米国の戦争に巻き込まれるという漠然とした不安を持つ人もいるかもしれないが、そのようなことは絶対にありえない」と述べた。「日本が武力を行使するのは国民を守るため。これは日米の共通認識だ」と語った。朝鮮半島有事を念頭にした周辺事態法は、後方支援の対象を米軍以外に広げるとともに、自衛隊の活動範囲も制約をなくす。弾薬の提供や、発進準備中の戦闘機への給油も可能にする。国連平和維持活動(PKO)協力法も改正し、国連以外が行う平和協力活動に参加できるようにする。武器使用の権限を拡大、治安維持任務も可能にする。新たに作る国際平和支援法案は、日本の安全に直接影響がない場合でも、アフガン戦争時に自衛隊がインド洋で多国籍軍に給油をしたような後方支援を随時可能にする。例外なく国会の事前承認が必要であることなどを歯止めとして盛り込んだ。安倍首相は「日本の平和と安全に重要な影響を与える事態にとどまらず、世界の平和と安定にこれまで以上に貢献する」と語った。ただ、「イスラム国」の問題については、多国籍軍を「後方支援することはない」と述べ、難民への食糧支援などを継続していく考えを示した。(以下略)---例外なく国会の事前承認と言っても、その国会は自民党が圧倒的多数を握っているのが現状です。「米国の戦争に巻き込まれる~ことは絶対にありえない」そうですが、その根拠は果たしてなんでしょうか。安倍といえば、前政権時に消えた年金問題で「最後の一人に至るまで、記録をチェックして、まじめにこつこつと保険料を払って頂いた皆さんの年金を正しくきっちりとお支払いしていく」と断言した挙句、それを実現できなかった過去の実績があります。(はっきり言えば、最初からそんなのできるわけなかろうとみんな思っていたわけですが)さらに、原発の安全性についても、「全電源喪失はありえない」と国会で答弁していた実績もあります。つまり、たいした根拠もなく、その場しのぎで「ありえない」とか「最後の一人まで」とかということばを、無責任に吐いた実績が一度ならずあるわけです。そんな人間が、またも「絶対にありえない」と言っても、どうしてそんな言葉を信用できるのでしょうか。「限定的な集団的自衛権」だそうですが、多くの大戦争は、「限定的」な計画から出発しています。こちらが「限定的」のつもりだったとしても、一度始まってしまうとコントロールが効かず、その意図のとおりにはいかない、というケースが多々あるのが歴史の示すところです。以前に、安倍が戦争法案に関する記者会見において「今までも1800人の隊員が殉職している」と発言したことを記事で紹介したことがあります。この発言は、殉職者が1800人もいるんだから戦死者が出ることくらいガタガタ言うな、という文脈にしか捉えることができません。要するに、なんの根拠もなくその場しのぎを言っただけであり、そんな発言は信用するに足らない、ということです。
2015.05.23
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橋下大阪市長の仕掛けた大阪都構想の住民投票は、反対多数という結果に終わったわけですが、これに関して「シルバーデモクラシー」だという批判を叫ぶ人がいるようです。何でも、住民投票の際の出口調査では、20代から60代までの各世代では賛成のほうが上回っていたが、70代だけ反対が上回っていたのだそうです。それなのに、全体では反対が多数だった、つまり70代のせいで若者の意見が政治に反映されない、というわけです。そういう意見の代表格が、Bill McCrearyさんの紹介してくれた、辛坊治郎のような輩でしょう。しかし、ちょっと調べると、そのような意見はあらゆる面で間違っていることが分かります。第一に、この出口調査の信頼性という問題です。今回の住民投票の出口調査は複数の報道機関がおこなっていますが、その多くは選挙当日のみの出口調査しかおこなっていないようです。たとえば20・30代は6割賛成 都構想 朝日・ABC出口調査こちらの調査は「今回の住民投票で、朝日新聞社と朝日放送(ABC)は17日、投票を済ませた有権者を対象に出口調査を実施した。」と明示されています。出口調査は「賛成51・7%」…せめぎ合う賛否、最終盤に賛成派追い上げこちらの調査も「産経新聞社※が同日、投票所で投票を終えた有権者に実施した出口調査の結果」と明示されています。(※実際には、産経単独ではなく共同通信、毎日新聞、毎日放送、関西テレビと協力して実施とのこと)しかし、実際の選挙には、期日前投票があります。(国政選挙では、期日前投票の出口調査をおこなう報道機関もある)今回の住民投票では、投票総数約140万票の2割以上の30万票が期日前投票によるものです。そして、今回の住民投票では、期日前投票分は、反対派がかなり優勢と言われています。期日前のデータも加味すれば、どの年代でも賛成が減り、反対が増える調査結果になった可能性が高いのです。事実、産経などの出口調査では賛成多数となっていますが、実際の投票結果は反対多数です。いずれも誤差の範囲程度ではありますけど、差が生じた一因は期日前投票であろうと思われます。第二に、70代の人口は20代30代を圧倒するほど多いわけではありません。大阪市の20歳以上の有権者に占める年代別人口割合は、20代が14.2%、30代16.4%、40代17.5%、50代12.9%、60代14.4%、70代14.2%、80代以上10.0%となっています。(大阪市年齢別推計人口平成26年10月データより計算)70代と20代の人口はほぼ同じ(わずかに20代の方が多い)です。70代以上すべてと20代と30代合計の比較では、20~30代のほうがかなり多くなります。つまり、70代の人口は、20代と30代の意見をかき消せるほど多くはない、ということです。差があるとすれば、投票率です。今回の住民投票の年代別投票率は、データがないので分かりませんが、一般的傾向として若年層ほど投票率が低く、高齢層ほど投票率が高い傾向があります。今回の選挙でも同様の傾向があったと思われるので、有権者数では20代30代のほうが多くても、投票数では70代以上のほうが多かったという可能性は考えられます。選挙において、投票に行った者の意見が通り、棄権したものの意見が通らないのは、これは仕方のないこととしか言いようがありません。ただし、です。第三に、若者の投票率が高ければ、住民投票の結果は逆転したのか、という問題です。おそらく、そんなことはなかったと思われます。若者の投票率が上がれば、むしろもっと賛否の差が開いた可能性が高い。何故か。住民投票の前に、産経新聞が大阪都構想の賛否を問う世論調査をおこなっています。何度か調査がおこなわれた中で、最後の調査は5月11日に公開されています。都構想 20代女性、調査のたび「賛成」低下…男性は「賛否」拮抗本文の引用は省略しますが、男性は賛否拮抗、女性は反対多数となっています。そして、さらに細かい性別年代別の賛否は、以下のグラフのとおりだそうです。男性では、30代から60代までは賛成が上回っている(60代はほぼ拮抗)のに対して、70代だけではなく20代も反対が多数となっています。真ん中の世代は賛成多数、一番若い世代と一番高齢世帯という両端は反対多数、という結果です。それに対して、女性は60代だけが賛成多数で、それ以外の世代はすべて反対多数です。中でも20代がもっとも反対の割合が多く、賛成の割合が少ない。男女合計した年代別データは不明ですが、男女が同数だと仮定して計算すると30代と50代は反対多数、40代と60代は賛成多数となります。要するに、さきの出口調査の結果とは、まったく異なった結果となっているのです。結局、若い世代の中では、大阪都構想に賛成の人は投票率が高く、反対の人は投票率が低かった、ということでしょう。「大阪都なんて馬鹿馬鹿しい」と思っている若い人の多くが、投票には行かなかった、ということです。だとすれば、若者の投票率が上がったらも、反対派の得票がさらに増えるだけ、ということになります。それにしても、「シルバーデモクラシー」を叫ぶ人の中には、「高齢者の投票権を剥奪しろ」なんていう人もいます。およそ、現実的ではない暴論です。かつて、1925年以前の日本は、収めた国税額で選挙権を制限していました。それとおなじことをやれ、というわけです。普通選挙はやめて、制限選挙にしよう、というわけです。辛坊治郎が「生活保護受給者が」みたいなことを叫んだらしいですが、これぞまさに、収入に応じて1票の価値を変える発想に他なりません。世界の民主主義国で、現在そんなトンデモな制度を導入している国がどこかにあるのでしょうか。
2015.05.21
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だいぶ遅れてしまいましたが、ゴールデンウィーク中の5月2日~3日に登った北アルプス・岳沢のポジフィルムの写真ができました。いや、実は1週間以上前にできていたのですが、取り込む余裕がありませんでした。こういうときは、デジタルに比べて不便だなと思いますね。さて。お決まりの上高地と河童橋、岳沢、吊尾根の写真です。河童橋から、岳沢とは丁度反対側、焼岳です。2011年の秋に登ったのですが、雪のため山頂得にたどり着けませんでした。近いうちに登りたいなあ。噴火する前に。東京を朝出たので、上高地着はお昼ごろでしたが、ここから岳沢までは3時間もかからないので、時間には余裕があります。岳沢に向けて登り始め、最初のうちは樹林帯です。雪はほとんどなくて、ぬかるんだ登山道を登ります。途中から視界が開け、そのあたりからはだいたい雪道になります。眼下に上高地のホテル軍、遠方に乗鞍岳が見えます。岳沢までもう少し。この時期なので、雪はきれいではありません。(15年くらい前、はじめてゴールデンウィークに岳沢に行ったときは、例年にない積雪量だったのですが、そのときはもっときれいな雪だったような、おぼろげな記憶があります)霞沢岳です。岳沢の小屋に到着。テント村。幕営料金は、かつては1泊500円だったのですが、去年あたりから1000円に値上がりしました。それでも、小屋よりは安いし、何と言っても混雑の山小屋よりはテントのほうが快適です。翌朝、快晴の夜明け、乗鞍岳を望みます。で、一応前穂高岳を目指したのですが、すぐに撤退したのは以前に書いたとおりです。最初から、山頂までいけるとは思っていなかったのですが。西穂高岳。左端が、昨年末に登った独標です。だいぶ雪が少ない。前穂高へのルート。先行する登山者が写っている、その少し先までいって引き返しました。ちなみに、昨年9月に前穂高岳に登りましたが、無雪期と積雪期ではルートが違います。そして、登山地図には無雪期のルートしか書いてありません。「日本雪山ルート集」で確認して来ればよかった・・・・・・というレベルですから、最初から山頂になど着けるわけがない。(夏道でもいっぱいいっぱいだった私が、それより確実に難易度の高い冬道を登れるわけもなし)でも、西穂高と乗鞍岳が見られれば、とりあえずは満足です。岳沢からは、西穂高の山頂は見えないのです。少し登らないとね。焼岳。標高2455mで、若干上から見下ろしているような写真になっているということは、その高さよりは上まで登った、ということですね。焼岳と乗鞍岳。焼岳も活火山で、あちこちから噴気が上がっています。震災のあと、噴気は激しくなったらしいです。そういえば、私が登った2012年10月も、ほんとに登山道の真ん中からも湯気が立っていた。岳沢まで戻ってきました。この雪渓を登っていったわけです。引き返すのが若干早すぎたかな、もうちょっと上までは登れたな、とは思うものの、2日間、天気もよかったし、満足できる山登りでした。
2015.05.20
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「スマホ依存」8割が自覚…削減される睡眠時間スマートフォン利用者の8割が、スマホに「かなり依存」もしくは「やや依存」していると答えている。便利なスマホではあるが、睡眠時間が減ったり、仕事に悪影響があったりするとしたら問題だ。4割の人が「1日3時間以上、スマホ利用」、7時間以上の人も1割MMD研究所が「スマホ依存に関する調査」の結果を発表した。回答者の28.5%が「スマホにかなり依存している」、52.0%が「やや依存している」と答えている。合わせて80.5%もの人が、スマートフォンへ依存していることになる。調査はインターネットで行われているため、スマホ利用者が多いという背景はあるが、8割がスマホ依存を自覚しているのは驚きだ。具体的にはスマートフォンへの接触時間が長いことがある。接触時間で多いのは「1時間~2時間未満」の22.6%、「2時間~3時間未満」の19.9%だが、それより時間が長い人も多い。第1位:帰宅してからベッドに入る前まで:70.8%第2位:ベッドに入ってから寝るまで:51.2%第3位:朝起きてから家を出るまで:38.3%家にいる時間、特に寝る時間にかかっている。「ベッドに入ってから寝るまで」に、スマホを使う人が半数以上おり、朝起きて出勤・通学までの忙しい時間帯にも、スマホを見る人が4割弱いる。この結果を見ると、「睡眠時間を削ってスマホを使っている」としてもいいだろう。寝るときも起きるときもスマートフォン。現代人の睡眠は、スマートフォンに侵食されているのだ。(以下略)---私は、スマホは持っていないのでスマホ依存はしていません。iPad miniは持っていますが、家の外でしか使わず、家の中ではあまり使っていないので、これも依存していません。が、その代わり、パソコンには依存しているかな。1日3時間以上、iPad miniと合計すれば、そのくらいは使っていますね。何の予定もない休日だと、7時間以上というのに該当するときもあります。さすがに、月に1~2回程度ですが。写真を大量にスキャンするときなんか、そういうことが起こりがちです。というわけで、わたしも「スマホ」依存ではないけれど、似たようなもの、とは言えます。ただ、調査によれば、ベットに入ってから寝るまでに5割の人がスマホを見ているそうですが、我が家はデスクトップパソコンなので、それだけはないです。帰宅後寝るまでの間と、朝出勤前ですね。少し前に「眠らない日本人」という記事を書いたことがあります。そのときは書かなかったのですが、夜12時過ぎに起きているときは、何をやっているかというと、風呂に入っているかパソコンを見ているか、です。休前日だと、稀に12時過ぎまでランニングをしていることもありますが、翌日が平日のときは、そんな時間にランニングをしていることはありません。風呂に入っているとしても、結局パソコンを見ていて入浴がその時間になった、というだけのことです。ただ、それだけではなくて、パソコンを使うようになってから、テレビを見る時間は劇的に減りました。現在は、特定の「この番組を見たい」というとき以外は、無目的に何となくテレビを見ている、ということはほぼなくなりました。読書量は、これはそれほど減っていないかな。でも、おそらく厳密に調べれば、パソコンを持つ以前に比べれば、読書に割く時間は、多少は減っているだろうと思います。世間一般的には、大幅に減っているかもしれませんね。新聞も、平日は、ゆっくり読むことが少なくなりました。だから、見落とす記事もいっぱいあります。ただ、最近は、夜の早い時間に、異様に眠くて起きてられない時もあるのです。10時頃に、思わず布団の上にちょっと横になったと思ったら、気がついたら夜中の2時3時、ということがあります。気がつくと、夜ではなく朝風呂に入ることが、なぜこんなに増えたのだ、と。そうすると、今日みたいにブログを朝アップしていたりするわけです。加えて、4月に職場での立場が変わったら「眠れない」ということはないのですが、夜中に目覚めてしまう、ということは激増してしまいました。いつも、じゃないけど、たまに異常に早起きになったり。仕事だけではないのですが、世の中には様々なストレスが満ち溢れています(笑)。
2015.05.18
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首相「殉職自衛隊員1800人いる」「戦死者」への批判かわす狙い新たな安全保障関連法案を閣議決定した14日の記者会見で、安倍晋三首相が自衛隊員のリスクについて「今までも1800人の隊員が殉職している」と述べたことに波紋が広がっている。殉職者の大半は任務中の事故によるもので、戦闘に巻き込まれて亡くなった隊員は、過去1人もいない。隊員に「戦死者」が出かねないとの批判をかわす狙いとみられるが、性質の違う数字を挙げる首相の論法に、専門家は「論理のすり替えだ」と批判している。 「まるで今まで殉職した隊員がいないかのように思っている方もいるかもしれないが、1800人が殉職している。私も遺族とお目にかかっており、殉職者が全く出ない状況を何とか実現したい」。首相は14日の会見で、新たな法整備によって隊員が死亡するリスクが高まると指摘した質問に対し、こう述べた。防衛省によると、自衛隊の前身である警察予備隊が発足した1950年以降、殉職者数は今年3月末現在で1874人。車両や航空機、艦船による訓練など任務中の事故が7割以上を占め、残りは過剰業務による病気などが原因のケースが目立つという。首相はまた「自衛隊は日ごろから日本人の命、幸せな暮らしを守るために苦しい訓練を積んでいる。こういう任務をこれからも同じように果たしていく」と強調した。だが、関連法案が成立すれば「非戦闘地域」に限定されていた他国軍への後方支援が、より戦場に近い地域でも可能になる。邦人救出や「駆け付け警護」などの任務で攻撃を受ける可能性は高まり、危険性は格段に増す。政府高官も15日、「自衛隊の活動場所や内容は広がり、隊員のリスクは確実に高まる」と認める。憲法9条の下、戦後、自衛隊員が戦闘で殉職した例はなく、野党は「今回の法整備によって、戦闘に巻き込まれて死亡する隊員が出かねない」と危惧する。専門家からも「首相は戦死者が出ても驚くことではないと言っているようだ」「自衛隊員の殉職はやむを得ないとも聞こえる」と批判の声も上がる。---「今までも1800人の隊員が殉職している」のだそうですが、だから、何だというのでしょうか?「だから、もうこれ以上殉職者が出ないよう、最大限の注意を払わなければならない」というなら、まったくそのとおりです。しかし、どう考えてもそういう意図で発せられた言葉ではないですね。「だから、戦死者が出るリスクを、それほど重大視する必要はない」という意図から発せられた言葉であることは歴然としているように思うのですが、どうでしょうか。要するに、「どうせこれまでも多くの殉職者が出ているのだから、多少の戦死者など仕方がないでしょ」と言っているようなものです。「まるで今まで殉職した隊員がいないかのように思っている方もいるかもしれないが」と、安倍は言ったそうですが、気は確かか?と思います。これまでに殉職した自衛隊員が少なからず存在することは、誰でも知っていることでしょう。東日本大震災の際にも、地震・津波に巻き込まれて、あるいは災害は圏の激務の中で過労で、など少なからぬ自衛隊員が亡くなったことは、記憶に新しいところです。また、死者(または行方不明者)が出るような自衛隊機の墜落事故も、起これば必ず報道されていますし。今まで殉職した隊員がいない、なんて思っている人は、安倍の脳内にはいるのかもしれませんが、世の中にはそれほど多くはないでしょう。それに、非戦闘任務中の事故や過労による死亡と、戦闘中の戦死は違います。非戦闘任務中の殉職は、自衛隊というものが存在して機能している限り避け得ないとしても、戦死は戦争に参加しなければ避けられます。実際、自衛隊はこれまで一命の戦死者も出していません。戦闘中の戦死も平時の殉職も同じだというなら、人の死はすべて同じ、ということになります。この世に不老不死の人間はいません。人は必ず死ぬんだから、事故死も戦死も殺人も老衰も病死も、同じでしょ、ということになる。80歳の人が医療ミスや殺人で亡くなったって、どうせ遠からず病気か老衰で亡くなるんだから、同じようなものでしょ、というような乱暴極まりない屁理屈を是とするなら、事故や過労による殉職と戦死をごっちゃにして論じればよろしい。だいたい、安倍自身が「日ごろから日本人の命、幸せな暮らしを守るために苦しい訓練を積んでいる。」わけではないし、安倍自身が「こういう任務をこれからも同じように果たしていく」わけでもありません。自身は戦死の可能性も殉職の可能性もない立場にありながら、まるで自分が自衛隊の立場を代弁するがごとき言い方で、「今までも1800人の隊員が殉職している」ことを盾に、これから戦死者が出るリスクの正当化を計る、醜悪な発言としか言いようがありません。
2015.05.17
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明日17日は、大阪で大阪「都」構想の賛否を問う住民投票がおこなわれるそうです。私は東京の住民なので、直接的な利害はありませんけど、大阪「都」になるメリットって、いったいなんだろうか、と思ってしまいます。東京「都」がとても悪い行政組織とはもちろん思いませんが、大阪府その他政令指定都市を抱える道府県(東京に隣接する神奈川・千葉・埼玉が該当します)に比べて、組織形態として、圧倒的に優れているかというと、首をひねるしかありません。それに要する費用がタダなら、ためしに変えてみるのも悪くないかもしれませんが、実際にはものすごい費用がかかるわけで、少なくとも、その費用に見合うほどのメリット(これぞ、コストパフォーマンス)があるとは思えません。さて、その「大阪都構想」の中で、なかなか面白い騒動が起きているそうです。「都構想で『西成』なくせます」 「大阪維新の会」名乗る謎のビラに住民反発「都構想で住所から『西成』をなくせます」――。大阪市をなくして5つの特別区を設置する、いわゆる「大阪都構想」をめぐり、住民投票で賛成票を投じるよう呼びかける謎のビラが2015年5月14日ごろからインターネット上に出回っている。「マイナスイメージを消して」「若い人が出ていってしまう西成区」など、西成区の悪いイメージを強調した内容に、地元に愛着がある住民からは反発が広がっている。ビラには「大阪維新の会」と書かれているが、同党は「党として作ったものではない」という。いまのところ誰が作成、配布したのか分かっていない。2015年5月17日に住民投票にかけられる都構想案は、17年4月に大阪市と現在の24区をなくして、5つの特別区を新設する。西成区は新・中央区に編入される。新しい区割りでは、いまの住所に特別区の名前がつく形が基本だが、住民の意見を聞いて町名が変更される可能性がある。そのため、このビラは「都構想で住所から『西成』をなくせます」と訴えているようだ。しかし、「『西成』のマイナスイメージを消して、住みよい便利な町として人を呼びこむ」「『中央区岸里』などの地名になって、イメージチェンジを!」など、西成区のイメージが悪いことを強調する表現ばかりが目立つ。実際に同区内にある、日雇い労働者が集まるあいりん地区では過去に暴動が起きたことがある。ツイッターでも「確かにマイナスイメージ強い」という意見はあるものの、「そんな名前、捨てたくて当然という前提が失礼きわまりない」「土地に愛着のある住民への配慮がない、あまりにデリカシーに欠けるビラだと言わざるをえない」「西成という名前に誇りを持って大切にしてきた人にとってあんな酷いことない」と反発する意見がほとんどだ。ビラには「橋下市長があいりん地区をきれいな町にしました」と、警察の見回り強化や不法投棄の回収が進んだなど、橋下市政の成果をアピールする記述もある。住民投票で「賛成」票を投じるよう訴え、末尾には「5.17大阪維新の会」と書かれている。そのため多くの人が、ビラは大阪維新の会が作成、配布したものだと思ったようだ。しかし、同党はJ-CASTニュースの取材に「党として作ったものではない」と回答。誰が作成、配布したのか調査しているという。ビラがネット上で拡散されだしたのは2015年5月14日ごろからだ。しかしJ-CASTニュースが確認したところ、市内のどこで、誰が配っていたのかを明記した書き込みは見つけられなかった。---今のところ、問題のチラシは「維新の会が党として作ったものではない」のだそうです。ただし、事実として、つい先月、橋下は西成での講演で「大阪都になればここは新中央区」と演説したと報じられています。実際、新しい区の仮称に、「西成区」はありません。だから、橋下が西成の名を消そうとしている(消すほうがよい、あるいは支持を得やすいと考えている)ことは確かでしょう。もっとも、大阪都構想の中で、各行政区の合併案をめぐっては、西成区の「ババ抜き合戦」が大変だったようです。どこの区も、西成とは合併したくない、というわけです。私の相棒の実家は、西成に隣接する区なので、そのあたりはもめたのかも知れません。しかし、です。名前を変えたらどうなるというのでしょうか。そもそも、名前はすでに一度変えています。西成区の中で、いわゆるドヤ街はもともと「釜が崎」という地名でしたが、現在は「あいりん地区」に名を変えています。でも、名前が変わったからと言って、路上生活者がいなくなったり、その生活態度が急に変わったりするわけがありません。「西成」の名が合併によって消えたところで、おなじことでしょう。ドヤ街といえば、西の西成に対して、東は東京・台東区山谷と横浜の寿町が有名です。寿町は行ったことがないのですが、山谷は何度も行きました。あそこも、現在は「山谷」という地名はありません。台東区日本堤と清川です。南千住の駅からいわゆる山谷にかけての一帯は、駅前も道路も整備されていて、とてもきれいなので、表通りだけを歩いたら、そこがドヤ街と気がつかない人もいるかもしれません。でも、そこにいわゆるドヤ(簡易旅館)が多数集まっている事実に違いはありません。朝からコンビに前にたむろして酒を飲んでいる、明らかにそれと分かる人たちが、いなくなったわけでもありません。大阪都も同じじゃないでしらょうかね。西成の名を変えたところで内実が変わるわけがないのと同様、大阪府が都に変わったところで(もちろん、それだけではなく行政組織も変わるわけですが、それでも)何かが大きく変わるとは、とても思えません。
2015.05.16
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少し前に、auからフィーチャーフォン(ガラケー)の外観をした、機能はスマートフォンという通称「ガラホ」と呼ばれる携帯電話が出ました。当時、記事を書いたことがあります。ガラホねえ・・・・・・その当時、すでに「ドコモからも同コンセプトの製品が出る」という話は報道されていましたが、6月にドコモからもガラホが発売されるようです。ドコモもガラホ投入。ガラケー料金プランでNTTドコモは5月13日、夏商戦向けモデルを発表した。注目はガラケー2機種で、シャープと富士通が新製品を投入する。ただし、ガラケーと言っても中身はAndroidベースの機種となる、いわゆる「ガラホ」だ。折りたたみのデザイン、テンキーによる入力方法、操作画面などは従来のガラケーと全く変わらないが、Androidを採用したことで、LINEアプリが使えるのが魅力だ。すでにガラホはKDDIが投入しているが、スマホと同等の料金プランであるため、ガラケーユーザーからすると「値上げ」になるのが欠点であった。しかし、NTTドコモではガラホであっても、従来のガラケーと同じ料金体系を適用。ガラホに乗り換えても、料金は同等であり、スマホに比べて割安で利用できる点が特徴となる。シャープ「AQUOS ケータイ SH-06G」はワンプッシュオープンに対応、防水性能、赤外線機能、ワンセグを備えるがおサイフケータイには非対応。カメラは5メガピクセル。富士通製「ARROWS ケータイ F-05G」もワンプッシュオープン、防水、ワンセグを備え、カメラは8.1ピクセル、こちらもおサイフケータイは使えない。数週間前、一部で「ガラケーの生産は打ち切り」報道があったが、各携帯電話会社とも、ガラケーに強い人気があることは認識しており、ガラケータイプの開発、製造は続けていく方針。しかし、従来のOSや部品を使ったガラケーは生産継続が難しくなることから、Androidやそれに対応するチップセットを採用した「ガラホ」に切り換えていく。ユーザーからすれば「いままで通りのガラケーを使い続けたい」と思うかもしれないが、実際、ガラホは操作性や使い勝手はガラケーとほとんど違いがない。ガラケーがガラホに進化したことで「パソコンやスマホ向けサイトが閲覧できる」「LINEが使える」など、むしろユーザーにとってのメリットは大きいはずだ。今回、NTTドコモが従来のガラケーの料金プランで使えるようにしたことで、KDDIも対抗プランを出さざるを得なくなるだろう。料金面の不安が取り除かれたことで、ガラホに乗り換えやすくなる環境が整ったといえそうだ。---なかなかいいなと思うのですが、ちょっと気になることがあって調べたのですが、両機種とも、WiFiあるいはbluetoothの通信機能には対応していないようです。つまり、無線LANに接続できない。それがあればほしいなと思ったのですが。(ドコモの既存のガラケーでも、WiFiを登載している機種はいくつかある)何度か書いているように、私は、ガラケーと、iPad mini(と、それを接続するモバイルルータ)を使っています。ガラケーは、通話及び家族・知人との携帯メールで、必要充分な能力を持っているので、まったく不満はありません。ただ、2008年秋に購入したので、もう6年半使っています。一昨年だったか、バッテリーを交換したので、まだ使えますが、あと数年後にまだ交換バッテリーがあるのか、液晶などの寿命はどうか、などと考えると、ガラケーの新品があるうちに買い換えたほうがいいのかな、なんてことも考えてしまいます。できれば、WiFiのある機種がいいんですけどね。もっとも、私のようにガラケー+タブレットの2台持ち(実際は3台ですが)ではなく、ガラケー1台だけを持っている人にとっては、WiFiはそれほど重要ではないのかもしれません。auの「ガラホ」は、見た目はガラケー、中身はスマホ、そして料金もスマホでしたが、それでも売れ行きは好調と報じられています。そこから考えると、料金もガラケーであるドコモのガラホも、ある程度売れるかもしれません。もっとも、ガラケーの料金が安いのは、データ通信量がごく少ないからです。ガンガン使うと、パケホーダイ・シンプルで上限4200円(税別)、それに基本料金その他がかかるので、結局月6~7000円くらいの、スマホと大差のない料金になりそうではあります。ガンガン使う人向きの製品ではないのでしょうが。それから、多少気になるのは、見た目がガラケーでもOSはアンドロイドなので、セキュリティー対策は必要なんでしょうね。
2015.05.14
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<安保関連法案>14日閣議決定 首相、会見で必要性説明へ政府は14日に臨時閣議を開き、安全保障関連法案を決定する。昨年7月の閣議決定を受け、集団的自衛権の行使を可能にするほか、地理的制約なく迅速な自衛隊の海外派遣を可能にする。15日に国会に提出し、夏までの成立を目指す。関連法案は、集団的自衛権の行使を可能とする武力攻撃事態法改正案など既存の10法を一括して改正する「平和安全法制整備法案」と、武力紛争時に米軍など他国軍への後方支援を行うための新しい「国際平和支援法案」の2法案として国会に提出する。安倍晋三首相は閣議決定後に記者会見し、法整備の必要性について国民に自ら説明する考えだ。これに対し野党側は、首相が訪米時の米議会演説で関連法案を「夏までに」成立させると表明したことを「国会軽視」と批判しており、審議の入り口から与野党の対決が激しくなりそうだ。---地理的制約なく、つまり世界のどこにでも自衛隊を派遣できるようにしよう、ということです。現実には、自衛隊が単独で海外で戦闘に参加、というのは考えにくく、米軍の主導する軍事作戦に自衛隊も参加、ということです。湾岸戦争やイラク戦争が今度起これば、自衛隊も戦闘部隊としてそれに参加、ということです。今度こそ本当に戦死者が出ることは確実です。そこまでして米軍のお先棒担ぎをやりたい、というのは私には何とも理解しがたい話です。しかも、それを夏までに、というのです。本来、憲法を変えなければいできない(もちろん、変えることには反対です)憲法解釈の変更をやった上に、それに基づく法体系をこれかに夏までに、というのです。まったく冗談ではないのです。
2015.05.13
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一極社会:結婚「コスパ悪い」 「恋愛の価値」低下少子化が進む東京は、地方に比べて物価が高く、恋愛や結婚にも経済事情が影を落としている。特に、不況しか知らないバブル後の世代は、お金への不安を感じており、結婚を含め金銭見合いで行動を抑えることがある。恋愛や結婚もカネ次第ということなのか。「結婚にはメリットがないと思うんです。だって、コスパが悪いですよね」。都内在住の公務員(26)は結婚しない理由を冗舌に解説する。「きれいでかわいい人といられるのはプラス。ただ、きれいというのは年々下がるし、特定の相手に一生縛られ続けるのはマイナス。2人分の生活費もかかる」大学進学で上京。1988年生まれで、バブル景気の記憶はない。「ぼくらは日本のいろんなものが崩れていくのを見てきた世代。不景気が当たり前だった」と話し、結婚でさえ、損得勘定で考えると明言する。手取りは月40万円弱。22平方メートルの手狭なワンルームマンションの家賃は約8万円で、最低限の自炊によって食費は3万円程度に抑える。光熱費も1万円ほど。友人とのカラオケ代は惜しまないが、服装は大手衣料チェーンでそろえ、貯金は200万円を超えた。学生時代に1年ほど女性と交際した経験があり、異性に関心がないわけではない。「だけど、子どもができれば養育費や教育費もかかるし、やっぱり結婚したいとは思わない」以前では考えられない論理だが、こういう考え方の若者が増えているのだろうか。「今の若者は個性重視の教育の影響もあって、理想は一つじゃないと教えられて育ってきた。不況もあり、将来の希望を抱いていないというのも特徴の一つだ。結婚が一番正しいという価値観は相対的に低くなり、損得で恋愛や結婚を考えるようになっている。特に東京は地方と違って、多様なライフスタイルができるため、この傾向が強い」結婚したいのに、経済的な理由で踏み込めない若者も多い。都心のNPO法人で働く男性(33)は、実家で両親と暮らす。月の手取りは20万円ほど。片道1時間の通勤を考え、勤務先近くでの1人暮らしも考えた。だが、家賃が高くて借りられない。身長も高く優しい印象を受けるが、恋愛に踏み出そうとはしない。まして結婚となると……。「経済的に女性を養っていく自信がないんです」非正規雇用の若者たちはさらに厳しい状況だと訴えるのは、労働組合「首都圏青年ユニオン」委員長だ。何も知らず入りやすいブラック企業で働く若者は多い。「ブラック企業では、低賃金や長時間労働を強いられ、生きるのに精いっぱい。かといって他の働き口を探すのは容易ではない。結婚どころではない」と指摘する。---すごく細かいことですが、26歳公務員で手取り月収40万って、あり得ないと思うのですが。ボーナスも含んだ額面(手取りではなく)年収を12分割した1か月分、なら、ありえるかもしれませんけど。そこは話の本筋とは関係ないので、深くは突っ込みませんが、結婚はコストパフォーマンスが悪い、ですか。考え方は人それぞれですから、そういう考えもあるんだな、としか言いようがありませんが、それを言うなら友人とのカラオケ代だってコストパフォーマンスはどうなんでしょうか。基本的には、楽しいことにはお金がかかります。もちろん、うんとお金がかかる割にはちょっと楽しいだけのこと、かかるお金はわずかだけど、とても楽しいこと、そのあたりは千差万別ですけど、おおむね楽しいことにはお金がかかることは事実です。何もしないことが、一番コストパフォーマンスがよいのです。ということは、それを突き詰めれば、生きるということ自体がコストパフォーマンスが悪い、ということになります。どうせ人は遅かれ早かれ必ずいつかは死にます。死ぬまでにお金を無駄遣いするのはコストパフォーマンスが悪い、早く死んだほうが得だ、という話になりかねません。でも、コストパフォーマンスが悪いから早死にしよう、という人はいません。下手をすると、政府が「年寄りを長生きさせるのはコストパフォーマンスが悪いから」と言いだしかねない世相ではありますが、自分からそう言い出す人はいないでしょう。結局のところコストパフォーマンスというのは言い訳のようなものであろう、ということです。後段の、手取り月収20万円で「経済的に女性を養っていく自信がないんです」という人の例。いろいろ大変だなと思いますけど、何で丸抱えで養っていく前提の話になるのかなとも思います。今の時代、共働きでしょうに。20万円同士で結婚すれば40万円ですよ、食べていけるし、貯金もできるでしょう。私なんかは、その場の勢いで結婚してしまったようなものですが(その割りに、まもなく結婚13年、よく続いているなあ)、やっぱり一人でいるよりは異性と2人でいるほうが楽しい。なんだろうね、これはやはり生物としてのある種の本能かなと思います。正直に言うと、30歳までは恋愛経験も乏しく、結婚したいという気持ちも、(あったことはあったけど)そんなに強くはなかったのです。ところが、30歳くらいの頃に結構真剣に付き合って、大失恋を味わったことがあって、それ以降は盛りの付いた何とかじゃないけど、独り身でいることに耐えがたい気持ちが強くなりました。その経験がなかったら、ひょっとしたら今も独身だったかもしれません。でも、確かに冷静に計算をしていたら、結婚なんてできないかもしれませんね。ある部分、計算も打算もなく、勢いで突っ走らないと結婚なんてできない、というのは事実かもしれません。が、それにしてもコストパフォーマンスねえ・・・・・・。
2015.05.12
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軽症患者の救急車、有料化案…教職員削減も検討財務省は11日、教育や科学技術、地方財政、公共分野の財政再建案を公表し、すでに発表済みの社会保障分野を含め、夏までにまとめる政府の財政健全化計画に向けた提案がおおむね出そろった。教員の人件費削減や、軽症患者が救急車を呼んだ場合の有料化などを打ち出し、財政再建に道筋をつける方針を強く示した。ただ、多くの反発が予想され、議論は難航しそうだ。11日の財政制度等審議会で、財務省が歳出抑制案を示した。政府は12日の経済財政諮問会議から議論を本格化させ、夏までに計画をまとめる。消費税率の10%超への引き上げは封印する方針で、安倍首相のリーダーシップが問われそうだ。財務省は教育分野で、2015年度に約69万3500人いる公立小中学校などの教職員数は、24年度までに約4万2000人削減できると試算した。削減により、国の財政負担は年間約780億円減らせるとしている。少子化で学級数が減る上、外部人材を活用すれば現在の教育水準を維持できると判断した。国立大学の授業料引き上げも含めて検討することも盛り込んだ。---ずっと以前に、「安易な救急要請」について記事を書いたことがあります。私自身、一度救急搬送されたことがあり、また私の父も救急搬送されたことがあります。父は、最終的にその1ヵ月後に病院でなくなりましたが(末期がん)、救急搬送に緊急性があったかというと、そこは微妙なところです。私自身の救急搬送は、後から見れば見れば軽症だったかもしれません。ただ、そのときは、のた打ち回るような痛みで、緊急性があるとかないとかが判断できるような状況ではなかったのですが。「安易な救急搬送」の代表例に、風邪(あるいはインフルエンザ)の発熱で救急車を呼ぶという事例があります。でも、私の子どもは、乳幼児の頃に2度、40度の発熱をしたことがありますが(救急車は呼んでいませんけど)、急激に発熱するときの様子というのは、ただ事ではありません。初めての経験なら、あわてて救急車を呼んだとしても責められないなと思います。それに、乳幼児や高齢者の場合、インフルエンザはそんなに安易な病気ではなく、それで命を落とすことはありえないことではありません。軽症患者が安易に救急車を呼ぶから、「本当に救急搬送が必要な重症者」の救急搬送に遅れが生じる、と言われます。でも、軽症と重症というのは、境界線はかなりあいまいです。本人自身ですら、痛みに苦しんでいる最中は判断できないし、まして他人には判断がつきません。本人(あるいは家族)が救急車を呼んだら「軽症だから有料」というならまだしも、街中で倒れている人がいたので救急車を呼んだら軽症だったので有料です、なんて場合はどうなりますか。誰がその費用を払うのでしょうか。善意の通報者に請求が来るのか、あるいは自分では通報していないのに、本人に請求が来るのか、いずれにしても大トラブルでしょう。そうすると、街中で倒れている人がいても、救急要請なんかしたら支払いトラブルに巻き込まれかねないから関わらないほうがよい、ということになりかねません。結局、「安易な救急要請は有料化」という安易な解決策は、「本当に救急搬送が必要な重症者」の救急要請も萎縮させる効果しか生まないように思えます。更に言えば、支払い能力のない人が相当多いのではないかと思われます。つまり、どの道何らかの身体的トラブル(場合によっては精神的トラブルさえ)を抱えているわけで、世間の平均よりは経済的に困窮している可能性は高いでしょう。有料化することによる事務的なコスト、費用を徴収できる確率と、それによる財政負担の圧縮が、果たして釣り合いが取れるのでしょうか。で、それによってどれほど財政負担が減らせるのか、記事には触れられていません。2013年の救急搬送人員は534万人だそうです。仮にその半数が軽症だったとして、230万人、そこから1万円費用を徴収したとして230億円です。引用記事にある、もう一つの、公立小中学校などの教職員数を4万2千人削減した場合、財政負担は年780億円圧縮できるそうです。二つあわせると1000億円くらいでしょうか。少し前に取り上げた、陸上自衛隊のオスプレイ導入は3600億円だそうですから、そうやって財政負担を圧縮した3年半分を使っちゃう、ということです。教育と医療という、国の屋台骨と思える部分を削って、オスプレイ導入に注ぎ込む、何というか、非常に釈然としません。
2015.05.11
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大和市渋谷学習センターというところで演奏してきました。たった4曲なのですが、ヘトヘトに疲れました。2曲をYoutubeにアップしました。Tierra Mestiza メスティソの大地メキシコの、ロス・フォルクロリスタスというグループの曲です。アンデスの曲ではないのですが、ケーナの音色にとてもよく合う曲です。ボリビアでも、ルミリャフタというグループがこの曲を演奏しています。ボリビアニータ(ボリビアの娘)名前からしてボリビアの曲!という感じです。カラマルカというグループの曲です。原曲はシンセサイザーの打ち込みをかなり使っているのですが、我々はアコースティックの楽器のみで演奏します。ところで、私のデジカメは、動画は連続して25分くらいしか撮影できません。そのため、演奏を撮影すると、いつも途中で撮影が止まってしまいます。そこで、今日はiPad miniで撮影しました。iPad miniは、動画の連続撮影に時間制限がない。しかも、解像度も私のデジカメは動画はHD画質(1280x720)ですが、iPad miniはFHD画質(1920x1080)で撮影できる。ただ、画素数はともかく、画質はデジカメのほうが上だし、音もよくありまぜん(iPad miniはモノラル録音)でも、音は別にICレコーダーで録音しており、後で映像に重ね合わせるので、動画の音質は悪くてもいいのです。画質も、充分実用の範囲内かなと思います。いいこと尽くめなのに、なぜ今までiPad miniで録画しなかったか。そりゃ、タブレットは三脚に固定できないからです。場所によってはiPadを床置きで、壁などに立てかけて撮影することもありますが、コンサートやライブの会場では、それはちょっと難しい。しかし、三脚にタブレットを固定できるアダプターを発見したのです!弱点は、カバーをつけたままではでは固定できず、カバーを外す必要があることかな。でも、私は、初代iPad miniに、それより0.3mm厚いiPad mini2用のカバーをつけているため(レンズやボタンの開口部は完全に一致しているので問題なし)、カバーの着脱はしやすいのです。いい道具を見つけました。
2015.05.10
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明日演奏します。---第7回湘南軽音楽フェスタ5月10日(日)12時開場/12時30分開演(フォルクローレ関係の出番は午後2時過ぎから)大和市高座渋谷学習センター多目的ホール 小田急江ノ島線高座渋谷駅前出演 エストレージァ・アンディーナ他(ラテン・フォーク・オカリナ・歌謡曲・シャンソン・ジャズなど、フォルクローレは4グループ出演予定)入場無料---さて、我が家にはケーナが数十本転がっています。一口にケーナと言っても、音域によってサイズがいろいろあるのですが、もっとも標準的なのは、最低音がソのケーナです。一般に、それより音域の高いものをケニージャ、音域の低いものをケナーチョと言います。別名、チッケーナとデッケーナと言うとか、言わないとか・・・・・(ウソです)で、私が持っているケーナは、ほぼすべて、標準サイズの最低音ソの笛です。そこから外れるものは3本しか持っていません。ソプラノリコーダーと同じ音域のケニージャが1本(これは自作で、普通のケーナに使えない、細い竹を有効利用しようと作りました)、普通のケーナより1音低い最低音ファのケナーチョが1本、そして、3音低い最低音レ(D)のケナーチョが1本です。このうち、ケニージャと最低音ファのケナーチョは、人前での演奏には使っていません。しかし、最低音レのケナーチョは、よく使います。ケーナを5曲吹くとしたら、そのうち1曲くらいはケナーチョも吹く、という感じでしょうか。この演奏の冒頭の笛のソロはケナーチョです。ケーナは何十本もあるのに、ケナーチョ(D管)は、たった1本しか持っていません。1992年に購入したもので、20年以上使っています。その、たった1本のケナーチョが割れてしまいました。割れたといっても、ひびが入っただけで、とりあえず木工用ボンドと割れ止めの釣り糸で補修したので、当面演奏には問題ないのですが、1本しか持っていないD管に割れが入ったとなると、予備のケナーチョがないと不安です。明日も1曲使う予定だし。というわけで、新しいケナーチョを買うことにしました。こちらのお店に足を運びました。アンデス・フォルクローレ音楽 楽器館「コチャバンバ」実は、お店の場所が何回か移転していまして、別の場所にあったときは何回か行ったことがあるのですが、現在の場所に移転してからは、初めて足を運びました。5年前に移転したそうで、ということは少なくとも5年ぶり、ということです。ウィパラの旗を掲げています。目指すケナーチョも、在庫はあります。もちろん、普通のケーナも。サンポーニャもたくさんある。で、購入したのは、Kalistiaという銘柄のケナーチョです。1万1千円くらいしました。23年前に買ったケナーチョ(アハユという製作者)は、確か9000円だったと記憶しています。(買った場所は同じではない)とりあえず、吹いてみます。サイズがでかくて指穴も大きくて、指穴の間隔も開いているので、普通のケーナよりかなり押さえにくいです。左上から右下に向けて、これまで使っていたD管ケナーチョ(アハユ製)・今回購入したD管ケナーチョ(カリスティア製)・普通のケーナ(G管・木製)・普通のケーナ(竹製)。今までのケナーチョより、少し長くなっています。口径は太く、肉厚もかなり厚いのが分かります。実は、一番肉厚の厚いケナーチョを選びました。今まで使っていたケナーチョを購入した当時は、あまり肉厚の厚い笛(音量は出るが吹きにくい)は吹ける自信がなかったのです。今は、避ける理由は特にないので、音量の出そうな肉厚ケナーチョを選びました。でも、今使っているG管の木管ケーナのほうが肉厚は更に厚いようです。で、吹いてみたのですが、どうもド♯とレ(普通のG管ケーナのファ♯とソに相当)が低いのです。これは、つまり一番上の指穴の位置が低い、ということです。写真は笛を上下反対に撮っていますので、一番左下の指穴が問題です。削ってみることにしました。結構削りました。多少音程はよくなりましたが、まだちょっと低いかな。でも、これが限界。これ以上削ると、私の指では塞ぎきれなくなってしまいます。穴の下側を埋めないとこれ以上削れないので、このあたりで妥協することにしました。加えて、個人的な好みでいうと、管尻の節の部分が、何も処理されず、きったままの状態になっているよりは、ここが削ってあるほうが好きなのです。だから、そのうちに管尻もヤスリで削ってしまうかもしれません。今日は、そこまではしませんでしたけど。2本のケナーチョを吹き比べてると、中音域の音量は大差ない感じですが、最低音は新しいケナーチヲのほうが圧倒的に音量が出ます。これは、なかなか当たりかもしれません。さて、明日の演奏でも1曲だけケナーチョを使うのですが、古いほうと新しいほう、どちらを使おうかな。
2015.05.09
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オスプレイ17機を日本に売却へ=総額3600億円―米政府米政府は5日、垂直離着陸輸送機V22オスプレイ17機と関連装備を日本に売却する方針を決め、議会に通知した。売却総額は推定で計30億ドル(3600億円)。米政府によると、日本はオスプレイ本体のほか、代替部品、エンジン40基、赤外線前方監視装置40基などの売却を求めてきた。米政府は「強力で即応性に富んだ自衛隊の能力を維持、向上させるための支援は、米国の国益にとって極めて重要だ」と表明。オスプレイは陸上自衛隊の人道支援・災害救助能力を大幅に高め、水陸両用作戦も支えると指摘し、売却について「同盟国との負担の分担を促進し、相互運用性を高める」と説明した。また、地域の基本的軍事バランスを変えるものではないと強調した。日本政府は2018年度までにオスプレイ17機を陸自に配備する計画。---17機で3600億円ということは、1機210億円ということになります。機体だけの価格ではなく、代替部品、予備エンジン等も含んだ価格(17機にエンジン40基ということは、予備が6基ということですね)とはいうものの、とてつもなく高価な買い物、という印象はぬぐえません。自衛隊が現在持つヘリコプターの中で最大なのはCH47チヌークですが、高いといわれるライセンス生産でも、その調達価格は1機50億円あまりですから、210億がいかにぶっ飛んだ価格か分かります。またも自衛隊の「あれもほしい、これも欲しい」病です。もっとも、報道によれば、オスプレイ導入に関しては政治主導とのことです。つまり、自衛隊の意向より、時の政権の意向で導入が決まった(自衛隊の中から政治を炊き付ける動きはあったに違いないが)ということです。また安倍政権が、と言いたいところですが、これに関しては民主党政権時代から導入の動きはあったようです。野田政権の弦葉外相が最初に言い出したようです。もちろん、安倍政権になってその動きが加速した、ということはあるでしょうが。オスプレイが従来型のヘリより優れているのは、速度と航続距離です。でも、時速300kmが500kmになると、具体的に何がどれだけ違うのかは、定かではありません。だって、それなら通常の輸送機は、オスプレイと同等かそれ以上の速度と航続力を持ち、積載量はオスプレイをはるかに上回ります。ちなみに、オスプレイは、垂直離着陸時の積載量は、CH47と同等か若干劣る程度で、しかもキャビンのスペースはCH47より小さいため、かさばる荷物の輸送はCH47よりむしろ不得手です。これらのことを総合して考えると、オスプレイは値段と安全性を度外視して考えれば、「あれば役に立つ」かもしれませんが、費用対効果のバランスが取れているとは、とても思えません。3600億円、もっと違うことに使ってほしいよ、まったく。
2015.05.08
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連休県内山岳遭難相次ぐ 前穂高岳 落石で滑落、女性死亡大型連休後半2日目の3日、好天に恵まれた長野県内の山岳で遭難が相次いだ。午前6時10分ごろ、前穂高岳の北尾根4峰付近を4人で登っていたグループから「2人が落石に巻き込まれ、1人が滑落した」と涸沢の山小屋に連絡があった。奥又側に約120メートル滑落した会社員女性は県警ヘリコプターで救助され、松本市内の病院に運ばれたが多発外傷で死亡。自営業女性は肋骨を折る重傷を負った。一方、燕岳では午前7時半ごろ、都内の旅行会社が主催した登山ツアーの参加者で、無職男性(79)が中房温泉登山口を出発後に突然倒れた。安曇野署によると、男性は県消防防災ヘリで松本市内の病院に運ばれたが、約2時間後に循環系の疾患で死亡した。外傷はなかったという。---3日の午前6時10分というと、私はちょうどその前穂高に向けて、岳沢から登っている最中でした。ただ、近辺で遭難があると、警察のヘリが来たり、山小屋の従業員が救助に出たりと、何らかの動きがあるものですが、このときはそういう気配はつゆほども感じられませんでした。大手紙はただ単に「前穂高岳」としか報じておらず、それ以上細かい場所は書かれていなかったので、これはおそらく吊尾根か北尾根から涸沢側に落ちたのだろうと(そうであれば、岳沢側でなんの動きもなかったことも納得がいく)予想していたら、案の定でした。さすがに、信濃毎日は地元紙だけに、報道が全国紙よりは詳しい。北尾根というのは、いわゆるバリエーションルート、登山のエキスパートが立ち入る世界(とりわけ積雪期は)ですから、ある程度覚悟の上のことではあったと思います。一方、燕岳で亡くなった方は、中房温泉出発直後、ということで、循環系の疾患ということは、心臓の何らかの発作による突然死、要するに病死ですね。これを遭難と呼ぶのは・・・・、まあ、出発直後の突然死とはいえ、登山中である以上は遭難死、ということになるんでしょうかね。そして、もう一つ、5日に奥穂高岳でも遭難がありました。奥穂高岳で2人滑落死 尼崎市職員の男女5日午前7時5分ごろ、北アルプス奥穂高岳で、「登山者2人が滑落した」と別の男性登山者から通報があった。松本署によると、2人はともに公務員女性と公務員男性。2人は県警ヘリコプターで松本市内の病院に運ばれたが、死亡が確認された。現場は奥穂高岳と涸沢を結ぶ登山道ザイテングラート脇にあるあずき沢。近くの山小屋に常駐していた県警山岳遭難救助隊員が駆け付けたが、2人は約600m滑落した標高2550m付近で見つかり、意識がなかったという。松本署によると、2人は前日に穂高岳山荘に宿泊、5日朝から下山途中だった。通報した男性は2人から離れた下部におり、「悲鳴が聞こえたので声の方を向いたら、2人が滑り落ちたのが見えた」と話したという。---この記事にドキッとするのは、滑落現場であるザイテングラードを、私はゴールデンウィークに3回登っているのです。(無雪期も含めれば4回)確かに急斜面だけど、滑落死する可能性があるとは、考えたことはありませんでした。引用記事に地図が載っています。実は、この地図を見るまで、私はザイテングラードとアズキ沢は同じ場所だと思っていたのですが、微妙に違うということを初めて知りました。2012年の4月末に登った際の写真がありますので、紹介します。赤いラインがザイテングラードで、青いラインがアズキ沢になるようです。そういう区別を、今までつけていませんでした。無雪期の登山道はザイテングラードですが、積雪期は登山道なんてなく、登れるところを登ります。ただ、通常はゴールデンウイークの時期は青いラインのアズキ沢を登るのが基本のようです。私も、1999年と2003年に登った際は、アズキ沢を登ったように思います。しかし、この写真を撮った2012年のときは、たしか警察に(涸沢には、警察の山岳警備隊が常駐しています)「アズキ沢側はまだ雪崩の危険があるのでザイテングラード側を登るように」と言われて、そちらを登りました。どちらにしても急斜面ですが、落ちて死ぬようなところではない。下りでシリセードしていたら、ピッケルを雪面に叩き込んでも止まらなくて、冷や汗をかいたことはありますけど。でも、よく考えてみると、私はいつも涸沢にテントを張って、早朝にアズキ沢(またはザイテングラード)を登り、その日のうちに下っています。つまり、雪面が凍結してカチカチの時間帯に登り、下るのは雪面が解けてグズグズになった頃というわけです。滑落は下りで起こることが多く、登りで滑落する人は、あまりいないので、この時間配分は安全な登り方なのかもしれません。しかし、遭難したお2人は、穂高岳山荘に泊まっていたと報じられています。穂高岳山荘は、ザイテングラード(アズキ沢)を登りきった上にあります。つまりこの山小屋を朝出発して下山するということは、早朝の雪面がカチカチに凍結している時間帯に急斜面を下ることになるわけです。記事によれば滑落は7時5分だそうで、微妙な時間帯ですが、おそらく、まだ雪面が凍結していたのでしょう。だとすると滑りやすくてかなり怖い場所だろうと思います。ただ、ザイテングラードの上から下まで、標高差は700mくらいだから、600mということは一番上付近から涸沢のちょっと上あたりまで、一挙に滑落した、ということです。2人で滑落ということは、アンザイレン(ザイルで結び合う)していたのかな。アンザイレンしていなければ、一人だけの滑落で済んだかも知れません。雪山でザイルで結び合っても、確保の姿勢をとって身構えているのでなければ滑落を止めることなんか出来ず、引きずられて滑落者を増やすだけだ、と私の雪山の恩師(職場の先輩)は言っておりました。シャクトリムシ型、つまり一人が歩いている間残る一人が静止して確保の体制を取っているなら、アンザイレンは効果があるけれど、イモムシ型、つまり全員でぞろぞろ歩くなら、アンザイレンはただ犠牲者を増やすだけ、だそうです。その他にもアズキ沢、ザイテングラードの写真が何枚かありますので、紹介しておきます。先ほどの写真とほぼ同じ場所です。鞍部の奥に、穂高岳山荘があります。(この写真では死角に入っています)下りの時間帯には雪がゆるくなっているので、足が雪の中にもぐりますが、早朝は気温が低くて雪がカチカチなので、もぐりません。ザイテングラードから、前穂北尾根を撮影。写真右の一番高い山が前穂高岳、3日に遭難があった四峰は左端のピークです。ザイテングラードの上から、涸沢を見下ろしています。それにしても、穂高は遭難が多い場所です。それだけ入山者が多いからですが、間違っても私がその一員にならないように、今後も気をつけなくては。追記 これは2015年5月の記事なのですが、どうも北アルプスで遭難が起こるたびにアクセス数が急増します。見てから「何だ、昔の記事か」とがっかりしないように、タイトルに年月を入れました。
2015.05.07
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箱根山、噴火警戒レベル2に=活動高まり、1から引き上げ―気象庁気象庁は6日、箱根山の火山活動が高まっており、小規模な噴火の可能性があるとして、噴火警戒レベルを1(平常)から2(火口周辺規制)に引き上げた。対象となる自治体は神奈川県箱根町で、箱根山の噴火警戒レベルが2となるのは初めて。同庁によると、箱根山では4月26日から火山性地震が増加。今月5日に震度1を観測する地震が3回発生したほか、現地調査でも大涌谷の温泉施設で蒸気が勢いよく噴出しているのが確認されていた。このため、小規模な噴火に伴って飛散する大きな噴石に警戒が必要で、風下側でも火山灰が降る恐れがあるため注意が必要だという。箱根町によると、噴火警戒レベル引き上げに伴い、6日午前6時半から箱根ロープウェイの運休を決めた。---今月はじめ頃から、箱根の火山活動が高まってきていることは報じられていましたが、とうとう警戒レベルが引き上げられるところまで来てしまいました。ただ、難しいのは、火山性地震が増大すれば必ず噴火が起こる、とは限らないところです。火山の活動が活発化していることは確実ですが、それが噴火という結果に結びつくとは限らないわけです。また、噴火するにしても、それが1時間後なのか数ヵ月後なのかは分かりません。たとえば、蔵王でも1ヶ月ほど前から火山性地震の増加が報じられています。ただ、実際には、詳細な資料を見ると、2013年頃から火山性地震は急増しています。でも、まだ噴火は起きていません。だからもう大丈夫、ではないのです、残念ながら。これから噴火に至る可能性は充分あります。箱根も同様で、噴火の可能性は高まっていますが、確実か、噴火はいつかと言われると、それは何とも、としか言いようがないところでしょう。地球の歴史の上で見ると、箱根火山というのはかなり大規模な噴火を繰り返してきた山です。富士山の噴火がいろいろと取りざたされていますが、富士山の噴火より箱根火山の噴火のほうが、規模ははるかに大きかったのです。また、首都圏にも富士山より近いので(もちろん、過去に大規模噴火が起きたときには、まだ東京に「首都」などは存在しなかったのですが)6万5千年前の最大規模の噴火では、火砕流が半径50kmの範囲を覆ったといいます。そういう意味では、箱根火山の噴火は富士山よりずっと深刻な問題です。ただし、今回の現象がそんな大規模な噴火につながる可能性は、ほぼ、ないと言って間違いないでしょう。それほどの巨大噴火を、現代文明が観測した例はないので、どのような前兆現象があるのかは分かりませんが、とてつもない規模の噴火というのはは、当然それに見合っただけのマグマが噴出するということです。当然、噴火の直前には、マグマの上昇によって山体はものすごく膨張しているはずです。しかし、今回の火山活動の高まりでは、山体の膨張は観測されているものの、ごくわずかな規模です。だから、噴火の規模も小さいと思われます。問題は、箱根は観光地であり、噴気が上がっている大涌谷にも人が大勢いることです。たとえきわめて規模の小さな噴火であっても、人が大勢いるところなら大惨事が起こるのは、昨年の御嶽山噴火の例からも明らかです。(あの噴火は、噴火自体の規模はきわめて小さなものでした)また、マグマが直接噴出するのではない水蒸気爆発(地下水がマグマに触れるて沸騰することで起こる爆発)も、前兆現象からは予測しにくいと言われます。というわけで、火口周辺の立ち入り規制は当然のことと言うしかないでしょう。観光業に打撃はあるでしょうが、こればかりは仕方がない。それほど大規模な噴火の恐れがあるわけではないので、箱根湯元とか、芦ノ湖あたりは普通に営業しているようですけど、客足への影響はあるでしょうねえ。先月、日本から見て地球の反対側のチリ南部でも、火山の噴火がありました。その光景が、あまりにすごいので、記憶に留めている人も多いかと思います。カルブコ火山、54年ぶりの噴火だったそうです。
2015.05.06
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ボリビア・フォルクローレの歴史的なグループ(と言っても、活躍したのは1970年代から80年代前半)に、ホセ・ホセロ・マルセロ Jose Joselo Marcelo があります。グループ名は単純明快、メンバー3人の名前をつなげただけ、というものです。すなわち、チャランゴ奏者ホセ・メンドーサ、ギター奏者ホセロ・ロドリゲス、ケーナ奏者マルセロ・ペーニャです。3人編成というのは、ボリビアスタイルのフォルクローレでは最小編成です。ギターとチャランゴと笛だけ。笛も、二重奏にできないので、1本だけの笛で勝負、ということになります。しかも、このグループが活躍した70年代末から80年代前半のボリビアというのは、非常に政情不安な時期で、クーデター、クーデター、ハイパーインフレ(1985年のインフレ率は20000%、つまり1年で物価が200倍になった)という無茶苦茶な時代。音楽家を取り巻く環境も極めて厳しく、録音スタジオも非常に貧弱で、LPレコード(の時代です)をよーく聞くと、外を自動車が走る音が入っていたとか、LPの音盤の反りは当たり前、A面は溝がきってあるけどB面は溝がきっていなかったとか、そんな話が山ほどあった時代に活躍したグループです。そのせいか、私の知る限り、アルバムを2枚しか出していません。しかし、日本のフォルクローレファンの間では非常に強いインパクトを残し、コピーを演奏するグループもたくさんあります。かくいう私も、このグループの曲をいくつかのグループで何曲か演奏しています。3人のメンバーのうち、チャランゴとギターの2人は、今はどこでどうしているのか、まったく名前を聞きませんが、管楽器奏者のマルセロ・ペーニャだけは、現在の活発に演奏活動をおこなっており、「ルス・デル・アンデ」というグループのメンバーとして数度の来日公演もおこなっています。この春、そのマルセロ・ペーニャと、同じ「ルス・デル・アンデ」のボーカリストで、ギター奏者でもあるウィルソン・モリーナ、そして、日本人のチャランゴ奏者福田大治の3名による、「ホセ・ホセロ・マルセロへのトリビュート」と題されたコンサートツアーがおこなわれました。私も行きたかった、すごーく行きたかった。しかし、東京公演は、4月はじめの月曜夜だったのです。年度初めの忙しい時期の休み明け、しかも私は職場での立場がちょっと変わり、とてもコンサートを見に行けるような状況ではありませんでした。しかも、客席数があまり多くない会場だったため、あっという間に満席になったと聞いています。涙を呑むしかなかった。の、ですが、何とそのコンサートがYouTubeにアップされている!!いやー、すごい時代です。思わず聞きほれてしまいました。ホセ・ホセロ・マルセロの代表曲の一つ、El Jinguero(ヒワ)「鳥かごの中から歌が流れ出ている、それは羽ばたきたいヒワの歌。この小鳥はかごの中に飾られるためにいるのではなく、空を飛ぶためにいる・・・・」(実は、この曲はディズニー映画「メリー・ポピンス」の「チムチムチェリー」の影響があったと思われ、前半のコード進行がまったく同じです)チャラグア。彼らのオリジナル曲ではなく、チリのビクトル・ハラの作曲です。ただ、チャラグアと言うのはボリビアの地名なのです。そのせいか、ボリビアのグループがよく取り上げる曲です。No se muere nunca(死んではならぬ)オクターブ上がったところで、録音レベルが振り切っちゃって音が割れてしまっています。これは、彼らのオリジナル曲だと思います。いろいろなケーナ奏者がいる中で、マルセロ・ペーニャのケーナは、音がとてもストレートな印象を受けます。150kmの剛速球、というイメージです。ホセ・ホセロ・ママルセロで活躍していた時代は、まだ二十歳にもなっていなかったそうです。(そのときの音源がないかとYouTubeを探したのですが、アップされていないようです。私がアップしてしまうのは、さすがにちょっとね・・・・・・)そして、昨日某所にて、コンサートツアー記念CDをゲットしてしまいました。ふふふ、さあ、聞くぞ!と、言いたいところなのですが、これから練習に出かけなくては。
2015.05.05
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ゴールデンウィーク、一昨日と昨日、1泊2日で山に行ってきました。本当なら、一昨日の夜夜行で出たかったのですが、諸事情によりそれができず、昨日の朝出発となりました。行き先は直前まで迷ったのですが、結局東京を朝出てもその日のうちにたどり着けるところ、という条件で岳沢に行くことにしました。上高地、河童橋から岳沢方面・吊尾根を撮影しました。雪が少ない!この冬は、例年より降雪は多かったのですが、4月に入って気温が高めで、雪解けが急速に進み、特に稜線上はどこの山でも非常に雪が少なくなっているようです。穂高連峰も例外じゃないようです。参考までに、過去の同時期の岳沢方面の写真です。2000年5月3日2002年5月3日2011年5月4日2012年4月28日---こうしてみると、2002年は雪の量が今年と同程度ですが、それ以外はだいたい今年よりは雪が多いことが分かります。で、岳沢に向けて登っていっても、なかなか雪に出会いません。ぬかるみだらけで、靴がドロドロ。気温も高くて、一応雪山だから長袖を着ていたのですが、暑くて暑くて、半そでにすべきだったと反省。やっと雪の上に出ました。ここからは、ずっと雪の上を歩きます。眼下に上高地、その向こうに霞沢岳、奥に乗鞍岳。岳沢の少し手前。岳沢に到着。テント場には、50張前後のテントがありました。涸沢に比べるとテントの数は少ないですが、それでも結構にぎわっています。翌朝、つまり昨日の朝です。さすがに、気温は氷点下まで下がったようで、氷が張っていました。標高2100mですから、当たり前ですが、でもそれほどの寒さは感じません。この高さでは、年によってはゴールデンウィークに積雪を見ることもまれではありません。海抜1500mの上高地ですら、ゴールデンウィークに雪に見舞われたことがあった。一応、目指すは前穂高岳なのですが、何しろ夏道ですら、去年秋にやっと登ったところです。積雪期に山頂までたどり着けるとは、とても思えないので、最初から山頂まで行くつもりはありませんでした。岳沢だけで帰るのはあんまりなので、西穂高岳が見えるあたりまでは登ろう、という程度で。その、西穂高岳が見えました。この位置からの見た目では右端のピークが一番高く見えますが、実際は右から3番目のピークが最高峰、のはずです。雪渓をひたすら登る。結構な斜度があります。それもだんだん急になる、当たり前ですが。この写真を撮った位置からは、さらにだいぶ登りましたけど(左奥のほうに進みます)、結局は途中で引き返しました。これは、引き返してだいぶ下ってきてからの写真です。(引き返した地点は、一眼レフの写真は撮ったけど、iPad miniでは撮らなかった)岳沢からは、焼岳は山頂付近しか見えませんが、この高さからだとよく見えます。岳沢まで戻ってきました。内心、引き返す決断が早すぎたと思いました。戻ってきたとき、時間はまだ八時半でしたから。テントを撤収して、しばらく岳沢でのんびりしていました。が、さすがに下山にかかります。上高地のホテル群が見えてきました。上高地から岳沢まで、標高差は600mしかありません。登山口まで戻ってきました。上高地は、いつも素通りしてしまうことが多いのですが、もちろんここもとても景色のよいところです。春夏秋冬、いつ来てもよい。(冬は、中の湯から歩いてくるので、たどり着くだけでも簡単ではありませんが)一眼レフでも写真は撮ったので、出来がよければ後日アップするかもしれません。
2015.05.04
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ネパールの地震に関して、被害の報がさらに拡大しつつあるようです。ネパールといえば、アジアの最貧国の一つと言われ、また、ヒマラヤの高峰が連なる山国として知られています。今回の地震では、ジェット機が就航できる空港がカトマンズ空港以外になく、それも3000m級の滑走路が一本あるだけで、それ以外はターボプロップのSTOL機しか離着陸できない500m前後の滑走路しかない、ということが知られるようになりました。それが原因で、カトマンズ空港が満杯になると、外国からの救援隊を受け入れることすらできない、というのが現状のようです。私はネパールに行ったことはないのですが、どうも南米のボリビアと、ダブって見えてしまう部分があります。ボリビアも、南米の最貧国と言われます。ヒマラヤよりは多少低いとはいえ、6000m級のアンデスの高峰が連なり、南米のスイスなどと言われることもあります。ボリビアも、災害に対してもかなり弱い国です。独立以来、200年に満たない期間にクーデターが190回起きたと言われるくらい政情不安の多い国でもあります。ただ、ネパールに比べると、随分違うとも思います。何てったって、ジェット機の発着できる空港が、国内にいくつもある。首都ラパスのエル・アルト空港(世界最高所の国際空港)と、サンタクルスのビルビル空港という二つの国際空港のほか、コチャバンバ、スクレ、タリーハ、トリニダなど、ジェット旅客機が発着できる空港は10近くはある。首都ラパスや、コチャバンバ、サンタクルスといった街には、ある程度高層ビルもあります。もっとも、それらの高層ビルの耐震性がどうなのかは、知る由もありませんが。経済統計で見ると、ボリビアもネパールも、GDPが200億ドル弱で、だいたい似通っているんですね。ただし、人口が違います。ネパール2600万人に対し、ボリビアは900万人しかいない。だから一人当たりのGDPだと、3倍近い開きになってしまいます。実際のところ、ボリビアは、(こういう表現は好きではないのですが)黄金の椅子に座った乞食、と表現されることがあります。つまり、天然資源は豊富なのに、それを国の豊かさ、人々の暮らしに結び付けていない、ということです。最近だと、天然ガスや、レアアースが注目されています。だから、ベースとしては、決して貧しい国ではない。問題は、ラテンアメリカの多くの国がそうであるように、貧富の格差が極端に大きく、富が偏在していること、それゆえに、上流と貧困層に分断されて、中流、あるいは中間層の厚みが非常に薄いことです。特に都市と田舎の格差は大きい。首都ラパスを歩いていて、最貧国という印象を抱くことは困難ですが、田舎に行けば事情は違うし、ラパス近辺でも中心街と高地のエル・アルトでも違うのです。貧富の格差をある程度解消できれば、決して最貧国などと言われる国ではなくなる程度の地力はあるし、それを目指してエボ・モラレスが圧倒的な支持を得て大統領の座にあるわけです。それに比べると、ネパールは石油も天然ガスも、その他の資源もほとんどないし、ボリビアと比べても圧倒的に苦しいなと思わざるを得ません。そのボリビアも、社会的なインフラは非常に貧弱で、私が旅行した際も、ちょっとした豪雨が降ると、道があっという間に濁流になってしまうのです。下水はあるけれど、配管が貧弱で、ちょっと激し雨だと簡単にオーバーフローしてしまう。下水が溢れかえった水だから、どんな汚い水かは、容易に想像がつきますね。ボリビアもアンデスがあるので地震はありますが、多くの死者が出る巨大地震は、少なくとも近年は出ていません。隣国のチリとペルーでは、巨大地震が頻繁に起きていますから、ボリビアだっていつかはあると思うのですが、その時どうなるか、ですね。
2015.05.02
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チリに、キラパジュンQuilapayunというフォルクローレのグループがあります。1965年に結成されたので、今年結成50周年になります。かつて、私が非常に強く影響を受けたグループなのですが、実は一度も生での演奏を見たことがありません。1970年代から80年代にかけて、3回来日公演をおこなったことがあるのですが、私はその頃までフォルクローレという音楽を知らなかったので。兄弟グループのインティ・イジマニというグループは、二度生で見る機会があったのですが、キラパジュンのほうは、今後も生で見る機会はないかも知れないなあ・・・・・・「フォルクローレ」と書きましたが、キラパジュンは、その中でもヌエバ・カンシオン(新しい歌)と呼ばれる、歌を通じた社会変革を目指す潮流の代表格でした。実のところ、私が普段演奏しているような、いわゆるアンデスのフォルクローレはボリビアの音楽で、もともとはチリではあまり一般的ではありませんでした。チャランゴとかケーナ、サンポーニャといった楽器は、1960年代まではチリではほとんど知られていない楽器だったのです。しかし、現在ではチリでもこれらのアンデスの楽器が、かなり一般的になっています。チリで、アンデスのフォルクローレに使われる楽器が一般化するきっかけを作ったのが、彼らなのです。しかし、1973年9月11日、彼らの運命は暗転します。チリでクーデターが発生、陸軍総司令官アウグスト・ピノチェトが軍事政権を樹立します。そのとき、彼らはちょうど海外公演中だったのですが、そのまま帰国を禁止されて、国外亡命を余儀なくなり、フランスに活動の拠点を移します。同じく、兄弟グループのインティ・イジマニも帰国できなくなり、イタリアに亡命しました。彼らの指導者格であったビクトル・ハラは、首都サンティアゴでクーデターに巻き込まれ、軍事政権に「二度とギターが持てないように」と両手を打ち砕かれた上で機関銃を乱射されるという非業の最期を遂げます。歌手のアンヘル・パラも、強制収容所で拷問を受けてものの、かろうじて生きて釈放され、フランスに亡命しました。唯一、チリ国内には、まだ結成間もなくて、それほど知名度のなかったイジャプというグループだけが、生き残ります。しかし、結局、彼らの音楽が人気を博するようになると、軍政当局の注目するところとなり、1980年代に入ったある日、国外公演から帰国したら、サンティアゴの国際空港で入国拒否されて、そのまま国外追放される、という事態に至ります。私の好みでは、キラパジュンの演奏の絶頂期が、この亡命時代であったように思います。中でも一番すきなのがこの曲です。1981年の演奏、ということは、国外追放から8年が経過しています。「私の祖国は、ヤナギであり、カラマツであり、雪であった。黒い肉桂、ポマイレの花、空の青さの中、石膏でできた乙女、古い火山に囲まれた、花の香り・・・・・・」帰れぬ祖国への思いを歌った、その名も「わが祖国」しかし、このグループは、こういうシリアスな曲ばかりでなく、実はコミカルな演奏も得意にしています。スペイン語というのはもともと早口な言葉で、中でもチリの訛りは弾丸のような速さなのですが、とりわれ、この歌の途中に出てくる早口大会は、さしずめバルカン砲。この演奏は1986年のようなので、祖国を終われて13年が経過しています。カルロス・ガルデルの名曲「ボルベール」のオマージュ、その名も「レ・ボルベール」。「再び帰る」という意味です。その意味するところは、説明するまでもないでしょう。この録音は、1983年ブエノスアイレスでの公演だったようです。アルゼンチンも、70年代には軍政下にありましたから、とても彼らが公演できるような状況ではなかったのですが、80年代に入ってマルビナス(フォークランド)紛争の惨憺たる敗戦からアルゼンチンの軍政はチリより一足早く崩壊しています。彼らは、チリの隣国までたどり着いた。でも、そこからチリに帰るには、更に何年もの年月を必要としました。しかし、1989年、ついに彼らの亡命生活が終わりを告げます。1988年、ピノチェトは任期延長を問う国民投票に敗れ、翌1989年、ついに民政復帰が決まりまったのです。この時期に彼らの帰国禁止が解除されて、帰国が実現しました。帰国公演のライブ盤より。El pueblo unido jamas sera vencidoという長いタイトルの曲で、直訳すれば「団結した民衆は決して敗れない」となりますが、日本ではもっぱら「不屈の民」と訳されています。多分、彼らの代表曲を一つだけ、というとこの曲になるのでしょう。もっとも、夢にまで見たチリへの帰国は、グループの分裂も招いてしまいました。というのは、亡命生活が16年も続いてしまったために、生活の基盤がフランスで確立してしまったメンバーが出てきてしまったのです。結局、グループはチリに完全に帰国したメンバーと、フランスに居住したまま、チリには一時帰国しかしなかったメンバーでバラバラになってしまいます。そのことだけが理由ではないようですが、フランス残留組の一部が「キラパジュン・フランシア(フランス)」を名乗り、グループは分裂してしまいました。現在も、別々のキラパジュンが、別々に活動しており、それぞれのグループがいずれも50周年のコンサートツアーを予定しています。キラパジュンの、もう一つの代表曲は、1907年、チリ北部のイキケの硝石工場の労働運動に端を発した軍の虐殺事件を題材にしたカンタータ「イキケのサンタマリア」。全部で37分の大曲ですが、その最終楽章のみを紹介しておきます。チリのテレビ番組に出演して演奏したようです。出演時期は分かりませんが、この動画がアップロードされた直前だとすると、2010年でしょうか。それにしても、50周年です。私の年より年上です。リーダーのエドゥアルド・カラスコは1940年生まれ、結成当時は25歳、今年75歳(まだ誕生日はきていない)です。さすがに、音楽家としてはギリギリの年齢でしょう。かくいう私も、ケーナを手にして来年で30年ですが、こちらはいちアマチュアですから、もちろん比較にもなりません。
2015.05.01
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