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一昨年11月に足の骨折をして、昨年夏以降は、ほぼ怪我以前に近い状態で山登りをしてきました。が、怪我以降唯一再開していなかったのが、テント山行です。今回実に1年半ぶりに、テントで山に行ってみました。タイトルにあるように、行き先は北アルプス穂高連峰の涸沢です。ここは、過去春と秋に何回も行っているのですが、最後に行ったのが2012年のゴールデンウィーク、つまり7年ぶりになります。いつも、テントではかなりキツイのですが、今回は果たして。夜行バス「さわやか信州号」で28日朝上高地に到着しました。前日東京は雨でしたが、上高地は雪だったようです。河童橋と穂高連峰、定番の光景ですが、何度見ても美しい、と思います。河童橋から撮影した穂高連峰。同じく河童橋から撮影した焼岳。河童橋自体もうっすらと雪化粧。前日までのぬかるみがカチンカチンに凍結。往路は横尾まで、ずっとこんな状態で、凍結したぬかるみは汚れないのはいいけど、滑る滑る。明神岳横尾大橋まできました。ここまで上高地が10kmくらい。すでにそれなりの疲労はありますが、まだまだ余裕。でも、本当につらいのはこれから。横尾大橋から見る梓川横尾から更に1時間あまり、本谷橋でアイゼン装着。橋、とありますが、橋は撤去されていてありません。右手のデブリは雪崩の跡。本谷橋にて。ここからは、眺めの良い雪の上をひたすら登ります。ひたすら雪の上を登ります。もうじき涸沢小屋が見えるところ。登山者の行列はわたしの後ろにも続く。本日の目的地、涸沢小屋が見えた。涸沢のテント場。2時頃に到着しました。かつては、おなじ「さわやか信州号」で上高地に着いて、涸沢到着が1時頃だったような記憶があるので、それより1時間余計に時間がかかっているようです。疲労度は、それ以上に激しいような気もします。テント場の全景。この場所で例によって笛を吹きました。続きは次回です。
2019.04.29
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4月ももうじき終わりです。今月はここまで、2回しか鳥の写真を撮りに行っていません。いずれも葛西臨海公園です。4月13日、都心の桜はもうほとんど終わっていましたが、葛西臨海公園では満開でした。ただし、これはソメイヨシノではありませんね。種類は分かりませんが、ソメイヨシノより花期の遅い桜でしょう。センダイムシクイ。ウグイスとも似ていますが、ウグイスはくちばしが黒っぽく、センダイムシクイは黄色っぽい。昨夏北海道の霧多布で初めて撮影しましたが、夏鳥として全国的に渡来します。東京でも奥多摩のほうでは繁殖しているようで、子どものころ渡りの時期に明治神宮で見た記憶はあります。ウグイスもいました(さえずりは聞こえましたが姿は捉えられず)。一方センダイムシクイは姿は見ましたが鳴きませんでした。目の上の白線が目立つことも、ウグイスとの識別点。センダイムシクイのさえずりは「チロチロチロビー」とか「焼酎一杯グイー」と聞きなしされます。姿はウグイスに似ていますが、鳴き声は違います。ホウロクシギとダイシャクシギは酷似していて、しかもいま両方とも葛西臨海公園にいます。遠方で判別には苦労しますが、これはホウロクシギ。ホウロクシギこのアングルで、お尻が真っ白なのがダイシャクシギ、褐色の斑点があるのがホウロクシギ。そして、翌週4月20日にも葛西臨海公園に行きました。ダイゼンだと思っていたのですが、ムナグロだそうです。両者よく似ていますが、確かに、言われて見ると黄色味があるのでムナグロなのですね。ムナグロ。足に、ダイゼンは後ろ指があり、ムナグロは後ろ指がないことも識別点だそうですが、指は見えません。ダイゼンは三番瀬でよく見られますが、ムナグロはあまり見られません。一昨年の春に、同じ葛西臨海公園で撮影したことがあったと思います。ウミアイサのメスウミアイサ。カモの仲間の中ではもっともスマートな鳥です。さきほどのムナグロの群れ。またまた、詳しい人が一瞥して、「キョウジョシギが1羽いる」と言うのです。なるほど、確かに1羽だけキョウジョシギです・・・・・・ということが分かるのは、帰宅後写真を確認してから。その場では、1羽だけ違う鳥が混ざっていることは私にも分かるものの、高速で飛びまわっていて、とても種類までは識別できませんでした。写真で分かると思いますが、中央やや右の一番下の1羽がキョウジョシギです。同じくキョウジョシギ1羽とムナグロ。クロツラヘラサギが、なんと2羽いる!!!以前ヘラサギとクロツラヘラサギが渡来していた時期もありましたが、昨年以降はヘラサギは渡来しなくなり、クロツラヘラサギはいつも1羽だったのですが、仲間ができたようです。ただ、くちばしを羽に突っ込んでお休み中なので、トレードマークのくちばしは見えません。サギと名がつきますが、実際はサギの仲間ではなくトキの仲間。手前の、本物のサギであるダイサギとは、首の太さなど体型が相当違うことが分かります。クロツラヘラサギがお目覚めのようです。世界で3000羽しかいない珍鳥ですが、ここ数年は葛西臨海公園では秋から春の定番の鳥になっています。夏羽なので、胸のあたりが少し黄色味を帯びています。場所を移動して撮影。こちらからの方が近くて大きく写りますが、ごみもいっぱい写ってしまうのが難点。アオアシシギ。
2019.04.27
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NHK批判の団体、参院選に候補「選挙区当選目指さぬ」今月の統一地方選でNHKへの批判を唯一の政策に掲げた政治団体「NHKから国民を守る党」の公認候補26人が当選した。所属する地方議員は選挙前の13人から39人に大幅に増え、今夏の参院選に候補者を擁立すると発表した。「ネットの時代に、NHKのみに強制的に(受信料を)支払わせることに相当の不満があって投票につながった」。26日に東京都庁で会見した同団体の立花孝志代表は、統一地方選についてそう述べた。7月の参院選では比例区への候補者擁立に必要だとして、選挙区も含め10人を擁立すると発表。自らも東京都葛飾区議を辞職して比例区に立候補すると表明した。「選挙区は当選を目指していない」という。NHKの受信料を支払った人だけが見られるスクランブル放送化を掲げる。同団体は元NHK職員の立花氏が2013年6月に設立した。立花氏は千葉県船橋市議を経て、16年の東京都知事選で落選。17年11月に葛飾区議に当選した。受信料請求額の減額や、ワンセグ機能付き携帯電話の所有者への受信料義務付けは不当などと訴え、NHKと司法の場で争ってきた。---NHKの受信料に好感を抱いていない、という一点については、私はこの「NHKから国民を守る党」なる政党と一致点があるものの、その一点以外はまったく賛同できる要素がないので、とても支持したり投票はできません。この党の公式ホームページを見ても、政策と呼べるものはNHK批判以外は皆無に近いのですが、それでもよく探すとヒントがいくつか隠れています。8 NHKはウソの番組を放送している2009年に放送されたNHKスペシャルで、ウソの歴史を捏造し東京高等裁判所でNHKは敗訴しています。これは、明らかにNHKスペシャル シリーズ 「JAPANデビュー」の、日本の台湾統治を取り上げた第1回放送の事を指しています。「高裁で敗訴」は事実ではありますが、敗訴したのは高裁だけです。つまり、1審と3審ではNHK側が勝訴しています。最高裁ではNHKが勝っており、それが確定判決です。勝ち負けのことはともかく、この放送を「ウソの歴史を捏造」と主張している時点で、彼らがどのような歴史観の持ち主か、ということが顕になっています。日本の台湾統治を悪く言うのは許せない、というお決まりのネトウヨ思考というわけです。加えて、もうひとつ、NHKから国民を守る党のもうひとつの公約【生活保護費は現金支給から現物支給へ】生活保護受給者には現金やバウチャーやクーポンではなく、食事・衣料・住居・医療・介護・余興を現物支給にします。つまり生活保護受給者には、公共の施設に入居していただき、常にバランスのとれた食事と医療や介護サービスが24時間受けられる安全で安心な環境を提供します。これも、ネトウヨ系にありがちな、定型的生活保護叩きであり、現実性もないし支持できるような代物ではありません。また、党公認で川西市議に当選した中曽ちづ子という人物は、在特会系の極右で、ヘイト宣伝を繰り返し、かつて徳島県教職員組合事務所で大声で騒いで有罪判決(罰金刑)を受けた人物です。他の議員も、基本的には保守系であることが伺われます。こんな連中でも、NHKの受信料批判を主張の中心にすえると、こんなに当選できてしまうのだから、それだけNHKの受信料に対する不信が強い、ということなのでしょう。そこの部分だけに関しては、わたしも気持ちは分からないではないのですが、そこの部分に騙されてはいけない、ということに尽きます。
2019.04.26
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免許返納に「老人イジメじゃないの?」 武田邦彦氏が発言、ネットには異論続出 TBS系の情報番組「ゴゴスマ」で、コメンテーターの武田邦彦中部大教授(75)が高齢者に免許返納を求めることについて、「老人イジメじゃないの?」と指摘した。4月23日放送の番組では、高齢ドライバーによる重大事故が続発している現状を特集し、75歳以上になると運転に自信があると答える人が増えるという調査結果も紹介された。「年齢がいくと自信がなくなるという根拠はどこにある?」。武田さんは、この調査に不満をぶつけ、「何かみんな先入観があるんじゃない? 老人になると自信を失ってほしいとか」と漏らした。 そして、むしろ20歳代が免許を返納すべきじゃないかと持論をぶった。事故率と死亡率が一番大きいからだといい、「20歳代の人には、なんで返納求めないの?」と疑問も呈し、こうも主張した。 「これ、老人イジメじゃないの?」交通安全白書を見ると、運転ミスは、75歳以上になると倍にも増えると指摘があったが、武田さんは、「それはね、情報操作なの、警察庁の」と譲らなかった。「運転を安全にするってのは、技術だけの問題じゃないんですよ。心理的な問題ですね。20代の事故率がなぜ高いかって言ったら、乱暴だからなんですよ。だから、その調査の中に、乱暴性も入れなきゃいけない」武田さんによると、高齢者は、運転ミスが増えても、慎重さが上がって事故率は低いのだという。---何というか、武田邦彦は温暖化懐疑論を叫んでいた頃から、まったく信用ならん人だと思っていました。かなり以前にも批判記事を書いたことがあります。週刊ポストのおかしな記事(生物多様性を巡って)生物多様性について 続編引用記事を見ると、当時も今も、武田のデタラメな論理は変わっていないようです。確かに、見かけ上の交通事故発生率、つまり運転免許を持つ人口に対する事故発生率は、70代80代より10代20代の方が高い、という統計は存在します。年齢層別の交通事故率【平成28年度】「なんだ、武田邦彦の言うとおりじゃないか、高齢者より若者の運転の方が危険だ」と早合点はしないほうが良いです。わたしinti-solは、これまでずっと無事故無違反できていますが、それは私が運転が上手いから、ではありません。そうではなく、運転をしないからです。つまり、ペーパードライバーは絶対に事故を起こさないのです、当然のことながら。具体的な統計数値は知りませんが、常識的に考えて、免許を持っている人の中で実際に運転する人の割合、あるいは実運転時間は、いわゆる現役世代で高く、高齢になるほど減っていくことは確実です。ペーパードライバーの割合は確実に上がっていくし、現役を引退してしまえば、仕事(通勤も含め)で運転しなくなる分だけ、運転時間は減りますから。もちろん、中には70代80代でも現役バリバリで仕事をして運転もしている人もあるかもしれませんが、平均値としては、そうなります。残念ながら、年代別の運転時間という調査結果は見当たらないので、運転時間あたり事故発生率のデータは分からないのですが、単純な免許保有者数あたりの事故率とは違った結果が出てくるであろうことは確実です。それでも20代以下の若者の事故率が、30代以降に比べて相対的に高い、ということは言えそうです。ただ、社会的に見て、「だから(高齢者の運転を禁じる代わりに)若者の運転を禁止しろ」という理屈が成り立ち得るのか、ということが問題になります。機械でも、新品のうちは「初期不良」と言うべきトラブルが少なからずあります。そういった問題が解決されていくにしたがってトラブルは減少し、老朽化すると、それによって再びトラブルの発生が増加する、という傾向があります。そして、それは人間においてもおおむね同じでしょう。若者世代の事故が多いのは、ありていに言って経験不足のせいでしょう。経験は、積めばよいのです。逆に言えば、経験を積まなければいつまで経っても事故は減りません。もし武田の言うように、20代の免許取得を禁じたら(現実にそんなことができるわけはありませんが)、今度は30代の事故率が上がるだけでしょう。確かに、経験を積んでも運転に適性のない人はいるでしょうが、それはごく例外的です。一方、高齢者の事故が多いのは、能力の低下のせいです。判断力、記憶力、反射神経、視力、車の運転に必要なあらゆる能力は、高齢になるとともに衰えて行きます。確かに、能力の低下は経験の積み重ねである程度はカバーできます。でも、ある程度であって、カバーしきれなくなるときが、必ず来ます。どんな人でも例外なく、必ずそういうときがきます。それは、生物学的な必然です。まあ、こんなことは、いちいち理論的に説明しなくても、たいていの人は直感的に理解できるものだと思うのですが、どうも武田には理解できないようです。もちろん、能力の低下には個人差があります。一律に75歳以上は全員運転が危険、とは限りません。60代で運転が危険な状態になる人もいれば80でもそれほど危険ではない人もいるでしょう。ただ、経験則的に言えば、高齢でも元気な人は、逆に言えば衰えるときはあっという間です。80歳で運転に問題なかった人が、だから81歳で大丈夫かというと、とてもそんな断定はできません。それが80代後半にも至れば、むしろ大丈夫な人の方がはるかに少数派であろうことは容易に想像できます。というわけで、個人差があるので75歳になったら全員一律に免許剥奪、だとしたらそれはそれで暴論と思いますが、85歳を過ぎて運転は、正直言ってカンベンしてほしいです。
2019.04.24
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先日少しだけお知らせしましたが5月5日に演奏します第2回ラテンアメリカへの道フェスティバルゆりかもめ「台場駅」下車すぐ、ウエストプロムナードイベントは5月3日から5日まで3日間ですが、私自身の参加は5日にみです。多数のグループが出演しますが、踊りのグループが多いようです。演奏は、ヨーキース、バンダ・ポオポ、グルーポ・カンタティなど。そして、わたしはキラ・ウィルカの一員として演奏します。演奏時間は1回目が11時30分から、2回目が午後2時30分から(当初予定の2時より変更)、いずれも30分程度です。1回目はなんと最初の出演グループです。なので出演時間の前後はほぼないと思われます。ボリビア・ステージとパラグアイステージがありますが、もちろんボリビアステージの方で演奏します。入場無料。昨年のイベントの様子ですそして、私自身も昨年のイベントについて記事を書いています(昨年は演奏していません、見に行っただけです)ラテンアメリカへの道フェスティバル
2019.04.22
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87歳車暴走で母子死亡 池袋8人けが「アクセル戻らず」19日午後ごろ、豊島区東池袋四の都道交差点で無職87歳の乗用車が、横断歩道を自転車で渡っていた31歳と3歳の母子や歩行者らを次々とはねた。母子は病院で死亡が確認された。ほかに男女8人が骨折などの重軽傷を負った。ドライブレコーダーに残された音声から、運転者は事故直前、同乗していた妻から「危ないよ。どうしたの」と声をかけられ、「どうしたんだろう」と答えていた。事故後、息子に「アクセルが戻らなくなって、人をいっぱいひいてしまった」と電話していた。車は池袋駅方面から南東に走行中、道路左側のガードパイプに接触。スピードを緩めずに約百五十メートルにわたって暴走した。その間、横断歩道で自転車の70代の男性をはね、2カ所目の横断歩道で、自転車に乗っていた親子をはねた。さらに、左側から来たごみ収集車と衝突し、別の横断歩道に突入。歩行者4人をはねた。対向車線で信号待ちをしていたトラックにぶつかって止まった。現場は片側二車線の直線。いずれの横断歩道も暴走車側が赤信号だったと、交通捜査課はみている。目立ったブレーキ痕はなかった。(以下略)---ぞっとするような事故です。池袋は、最近でこそ滅多に行きませんが、かつては、実家から行動圏内だったので頻繁に行っていました。事故現場も空撮写真と地図を照合して、イメージとしてすぐに分かりました。サンシャイン60の近くですね。突然に命を奪われた母娘の悲劇には、言葉もありません。残された家族、とくに夫の悲嘆は察するにありまあります。もしわたしがその立場だったら、とても立ち直れないだろうと思います。「アクセルが戻らない」と言っていたそうですが、最近は杖歩行だったという話からは、足の自由が利かなくなってアクセル操作が思うようにできなかった可能性が示唆されているように思います。別報道によれば、「運転はやめる」と言っていたこともあるようです。ということは、本人は(おそらく周囲も)危険性の認識はありながらも運転を続けた(周囲も止めなかった)ということになります。もうちょっと対処の仕方があったのではないかと考えざるを得ません。この件で本人が刑事責任を問われるか、問われたとして逮捕までされるか、逮捕されたとしても実刑を受けて収監されるかと考えると、87歳という年齢、本人自身も骨折していること(おそらく、この事故を契機として認知症の進行や自立歩行ができなくなる可能性は結構高いと思います)を考えると、残念ながらその可能性はかなり低いように感じます。ただ、刑事責任が問われるか否かに関わらず、「加害者」であることは歴然としており、その非は相当重いと考えざるを得ません。元記事には、暴走車の運転手の実名も出ています。別報道によれば、元通産省の官僚(おそれく技術系)だったようです。まさか人生の最後に、こんな大事故を引き起こすとは、本人も不本意ではあるでしょう。もっとも、賠償という意味では、それなりの額を賠償に充てられる程度の資産は、ひょっとしたらもっているかもしれません。遺族からしたら、高額の賠償金をもらっても嬉しくも何ともないかも知れませんけど、それにしても、この種の事故は過去にも何回も起きており、その度に認知機能の衰えた高齢ドライバーの問題が取り上げられます。私も、個人的に職場の関係で、高齢ドライバーの危険な運転にヒヤッとさせられた(わたしが直接轢かれそうになったわけではありませんが、そのままの状態が続いていたら、遠からずそういう危険性も生じたかもしれません)経験はあります。自動車は、コントロールできなければ凶器と同じであり、高齢者の運動能力、認知機能が衰えれば、そのような事態になる可能性は低くはありません。免許の更新(高齢者は3年毎)時に認知機能の検査はありますが、80代後半ともなれば、認知機能も運動機能も、衰えるときはごく短期間のうちに急激に衰えることが少なくありません。だから、免許更新時の認知機能検査なんて、参考程度以上のものにはなりようがありません。ともかく、歩行者が青信号で横断歩道を渡るときも、絶対安全など考えずに、怪しい動きの車はないかと、注意を払う、くらいしか歩行者の側の対策は取りようがありません。実は、ラテンアメリカ諸国では自動車の信号無視が多い上、「車が突っ込めば歩行者が逃げてくれる」と考えている節がありそうな車の運転が珍しくないため、町を歩くときは常にそうしています。日本でも、そうした方が良いかもしれないと、今回の事故の報を読んで、思ってしまいました。なんにしても悲しい事故です。
2019.04.20
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新紙幣のデザイン発表 1万円札は渋沢栄一氏 5000円札は津田梅子氏 千円札は北里柴三郎氏政府は、1万円などの紙幣を20年ぶりに刷新する方針を固め、麻生財務相が4月9日午前会見で発表した。紙幣は偽造防止などのため、およそ20年周期で紙幣を新しいデザインに変える改刷を行っている。新しい1万円札に「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一。5000円札には、「女子教育の先駆者」と評され、津田塾大学創始者である津田梅子。1000円札の肖像画には、「近代日本医学の父」と言われる北里柴三郎。これまでの紙幣より数字が大きく見やすくなっている。また500円硬貨も変わり、周囲と真ん中で色が異なる2色のデザインとなる。---今更の話題ですが、約20年ぶりに新しい紙幣を発行するそうです。正直言って、ついこの間新紙幣が出たばかりなのに、もう変えるの?という印象です。もっとも、冷静に考えると、実際の新紙幣の発行は5年後の2024年ということなので、前回の新紙幣からちょうど20年になるようです。わたしが物心ついた頃のお札と言えば、1万円5千円が聖徳太子、1000円が伊藤博文、500円が岩倉具視でした。500円札に代わって500円玉(初代)が登場したのは1982年だそうですから、わたしが中学生の頃です。そして、高校生だった1984年に福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石に代わり、更に2004年に今の福沢諭吉、樋口一葉、野口英世に代わったので、私自身の使ってきた紙幣としては次は4代目ということになります。もし、今後も20年ごとにお札を変えるなら、私が70代後半まで生きるとしたら、6代目まで目撃することになります。わたしはユーロを使ったことはないので、米ドルとの比較しかできませんが、日本円の紙幣は米ドルに比べると圧倒的に細密に印刷されている印象があります。偽造防止のため、きわめて高度な印刷技術が使われていることは明らかです。それを20年で新しくしてしまうのは、端的に言って「もったいない」と感じます。加えて、今は日本はまだまだ紙幣が社会の隅々に至るまで、圧倒的に流通度の高い社会ですが、果たしていつまでそうでしょうか。今後急激にキャッシュレス化が進む可能性が高いのではないでしょうか。もちろん、実際にはどうなるか分かりませんけど、少なくとも政府のもくろみとしては、今後も紙幣が圧倒的に流通し続ける社会であり続けることを、望ましいとは思っていないはずです。にも関わらず、今新紙幣というのは、どうもあまり筋のよい政策であるようには思えません。今から5年も先の新紙幣発行をぶち上げるのも、過去の例はそんなに早くから公表していたでしょうか?どうも、改元のタイミングに新紙幣発行のニュースを無理矢理便乗させようとした、という印象を拭えません。肖像画の人選にも、少なくとも渋沢栄一には問題があるように思います。津田梅子と北里柴三郎についても、問題点は指摘されていますが、それはやむを得ないかな、と私は思います。津田は、(満年齢で)10代の頃に私信に、朝鮮人蔑視の内容を書いたことがある、というのです。それ自体は残念なことです。でも、その後もその種の蔑視感情をことあるごとに露わにし続けていた、というのなら批判も当然ですが、私の知る限り、そのような事実はなさそうです。であれば、二十歳前の青年期に、私信にうっかり書いた過ちを、100年たっても非難するのはどうか、と私は思います。北里は、彼が日本で切り開いた細菌学が、後に細菌兵器と人体実験で悪名を馳せる731部隊などに連なっていること、実際、彼の弟子が少なからず731部隊などに参加していることが批判の理由です。確かに、そのことは北里の歴史的評価に暗い陰を落とさざるを得ないように思いますが、1931年に死去した彼が、死後の弟子たちの行動について何かの責任を負っているかというと、それはちょっと無理なんじゃないか、と私は思います。というわけで、津田梅子については問題なく、北里柴三郎については、やや微妙ながらも、概ね大きな問題はないように思うのですが、渋沢栄一は別です。彼は、日本資本主義の父であるだけでなく、間違いなく朝鮮半島からの収奪に直接的な責任を負っているし、またそのことを別にしても、今でいうところのブラック労働、つまり低賃金長時間労働の祖ともいうべき人物です。彼は、明治政府が遅まきながら制定しようとした長時間労働に対する制限、工場法に対して(かなり規制の緩いザル法だったにもかかわらず)すら反対した人物であることを忘れてはいけない、と思います。このような人物を紙幣の肖像画にすべきではありません。
2019.04.18
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南北の“聖地”白頭山に「噴火兆候」 韓国の研究機関が公表北朝鮮と中国にまたがる活火山「白頭山」で噴火の兆候があると、韓国の研究機関が明らかにした。白頭山は、2018年9月の南北首脳会談後に、文大統領と金委員長がそろって訪れた場所で、韓国と北朝鮮では「聖地」とされている。韓国の研究機関は、2002年からの3年間で火山性地震が3,000回以上発生し、頂上付近で地殻変動が起きていることから、深刻な噴火の兆候だと判断したとしている。白頭山は、西暦946年に大噴火し、この際には、朝鮮半島全域で火山灰が1メートル以上、北海道と本州北部でもおよそ5cm積もったという記録が残っている。---946年の白頭山の噴火というのは、調べてみたところ、噴出物の総量が83~117立方km、つまりおおむね100立方km前後という規模の、超巨大噴火だったようです。今回危惧されている噴火が、そんな規模になるかどうかは分かりませんが(それ以降も何回かは噴火しているようですが、946年ほどの規模ではなかった模様です)、もしも、それと同規模の噴火が起こったとすると、それはただ事ではありません。世界的に見て、この規模の噴火が起きた最新の事例は、1815年インドネシアのタンボラ山噴火です。20世紀以降で世界最大の噴火は1991年フィリピンのピナツボ山噴火ですが、その噴出物総量は10立方kmですから、その約10倍ということになります。私は、白頭山周辺にどの程度の人口が住んでいるのかは知りませんが、火砕流の及ぶ範囲は、半径数十kmにおよび、その範囲内で生存者はほとんど望めないでしょう。さらに、韓国全土に1メートル以上の降灰があると。そこに雨が降れば、必ず火山泥流(ラハール)が頻発します。そして、原爆の黒い雨で知られるように、巨大な熱源の発生は、必ず雨を降らせるものです。火砕流の及ぶ範囲の人口が分からないので何ともいえないですが、火砕流と火山泥流による直接的な犠牲者だけでも、数十万人は出るでしょう。しかも、噴火による犠牲者は直接的なものだけにはとどまりません。韓国全土に厚さ1メートルの火山灰が降り積もるとなれば、その年の農作物は壊滅ですし、火山灰を除去するまでは、それ以降も数年間は耕作困難でしょう。ただでさえ、北朝鮮は食糧不足が言われていますから、その状況になれば大量の餓死者が出ることは避けがたく、その犠牲者はおそらく噴火による直接の犠牲者数をはるかに上回るでしょう。日本もきわめて大きな被害を受けます。北日本に厚さ5cmの降灰というのは、厚さ1メートルに比べればたいしたことがないように思えますが、日常的に降灰に見舞われている鹿児島市ですら、こんな量の降灰は、まずありません。まず間違いなく農作物は壊滅ですし、やはり火山灰を除去するまでは耕作困難でしょう。加えて、この量の火山灰は交通網を麻痺させます。航空機は大量の火山灰を吸い込むとエンジンが壊れてしまうため、降灰が完全に収まって、空港に積もった灰が除去できるまで飛行不能です。自動車も、完全に動かなくはならないとしても、大量の火山灰を吸い込むことで故障が頻繁するでしょうし、火山灰が降り積もった道路は速い速度での走行はほとんど不可能で、停電によって信号機が機能を停止する可能性もあり、相当のノロノロ運転にならざるを得ないでしょう。鉄道も同様です。停電によって架線からの通電ができなくなり、あるいは非電化区間でも信号システムの停止によって、運転不能となる可能性が高いです。日常生活への影響も深刻です。前述のように、大量の降灰は停電の原因となる可能性が高いのです。これは、火山灰が通電するためです。電柱、高圧鉄塔などに大量の火山灰が付着すると、絶縁不良によるショートが多発する可能性があります。また、細かい火山灰は、通信機器、精密機器の内側に入り込み、故障の原因となります。人間も喘息などの健康被害が多発するでしょう。5cm程度の降灰であっても、それが広い範囲に及べば、社会は麻痺状態とならざるを得ません。加えて、その規模の超巨大噴火が起きた場合、大気中にまき散らされた火山灰によって、極端な低温にみまわれる可能性が高いのです。その影響は全世界に及びます。1815年のタンボラ山噴火によって、世界的に「夏のない年」になったことが知られていますし、その10分の1の噴火規模でしかなかった1991年ピナツボ山の噴火でさえ、世界の天候に大きな影響を与えています。1993年、平成の米騒動として知られている日本の冷夏(観測史上唯一、関東で梅雨明けがなかった年)は、ピナツボ山の噴火が原因ではないかと目されています。要するに世界規模で破滅的な事態が生じる可能性がある、ということです。もちろん、最悪の場合の可能性です。前述したように白頭山の噴火がいつもそんな超巨大噴火だったわけではありませんから。でも、気にはとめておいた方がよいように思います。
2019.04.16
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ご報告が遅れましたが、先週所沢市の航空公園で演奏してきました。その前の週末にはさくらが咲き始めていたことから、もう葉桜まつりになっているだろうなと思っていたのですが、この間非常に寒い日が続いたため、さくらの花はずいぶん長続きし、さくら満開の下で演奏できました。所沢に行くのに西武池袋線に乗ったつもりですが、間違えて京急に乗ってしまった・・・・・・、わけではなく、京急とのコラボで京急に西武線塗装、西武池袋線に京急塗装の車両が導入されています。石神井公園に行く際に何回も乗っているけど、初めてこの塗装の車両に乗りました。最初はびっくりしたんです。いったん新所沢に集合して、カラオケボックスで練習してから、いざ航空公園へ。で、肝心の演奏は、YouTubeに2曲アップしました。最初は、2曲目に演奏したDesde Trinidad トリニダーより私の参加しているもう一つのグループ「キラ・ウィルカ」でも演奏している曲です。♪トリニダー(ボリビア東部低地の街の名前)から荷馬車に乗ってやってきた、時間もかかるしお腹もすくけど、命を落とす危険はないよ、というような内容の歌です。一見牧歌的な歌ですが、実は、断崖絶壁を通過する「ユンガスの道」の危険を歌った歌です。(「地球の歩き方」にも、ユンガスに行くなら大型バスには乗るな、小型のコレクティーボ(乗合タクシー)で行け、と書いてあります)そしてもう1曲、事情により音声のみで映像なしですが「3つのバイレシート」オリジナルは、ロス・インカスというグループ(サイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」の伴奏をしているグループ)の演奏です。 一見簡単な曲なのですが、実はキーがD/Bmなのです。♯が二つ、といっても、G管のケーナから見れば、♯は1個相当、ドがド♯になるだけですが、それだけでも結構難しい。しかし、実はオリジナルはどうやらDで吹いているわけではなく、普通のGのケーナでCで吹いて、レコードの回転数を上げているだけのようです。そうだったのか・・・・・・。そういうわけで、早いフレーズで指がもつれ気味なのは御容赦。1番のイントロが最大の難関。いきなり容赦なくアップテンポで伴奏が始まると、ついて行けないのです。前述のとおり、桜は満開でした。会場案内図フランス航空教育団来日100周年記念イベントというので、航空自衛隊の輸送機が上空を飛んできました。知らなかったので望遠レンズを持っていかなかった。17-70mmのレンズでの最大望遠なので、あまり大きくは写せませんでした。C131輸送機C2輸送機。もうひとつ、C1輸送機も飛んでいたのですが、露出間違えて真っ白な写真になってしまいました。こういうお祭りで自衛隊があんまり前面に出るのはどうか、という気がしないこともありませんが「航空公園」だし(元々、引退した自衛隊機がいくつか展示してあります)、わたしは飛行機は好きなので(これが戦闘機だとうるさすぎるのですが、輸送機はそんなにうるさくはありません)まあ良いのではないかと。そのイベントの記念式典とか、自衛隊音楽隊の演奏なども、公園内の別会場でやっていたらしいです。我々の演奏とちょうど同じ時間帯だったので、見ていませんが。そして、演奏の後はこれですよ。美味しかった。そのあと日本酒も飲んだりして、楽しいお花見になりました。そして、時間等詳細は未定ですが、5月5日こどもの日、お台場(港区台場ウエストプロムナード・ゆりかもめ台場駅側)で開催される「第2回ラテンアメリカへの道フェスティバル」で演奏します。今度は「キラ・ウィルカ」というグループです。イベント自体は3日から5日まで3日間ですが、われわれは5日のみの参加です。2回演奏、各30分程度ですが、時間は決まりましたらまた告知します。公式ホームページ
2019.04.14
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韓国の水産物輸入規制に「お墨付き」 水産庁と外務省の油断 WTO逆転敗訴に動揺WTO)を舞台にした日本と韓国の水産物の輸入制限を巡る争いは、日本の「逆転敗訴」となった。東京電力福島第1原発事故後、韓国が実施する日本産水産物の輸入規制に事実上の「お墨付き」が与えられた結果となり、日本の提訴が裏目に出た形。農水産物の輸出拡大を目指す政府の戦略への打撃は必至だ。今回の判断は、日韓関係や被災地の復興に影響を与える可能性もある。「対抗措置を取れるパネル(紛争処理小委員会、1審に相当)の判断を維持したかったが、取り消されて(輸入規制)撤廃を迫るツールを失ってしまった。非常に残念だ」。河野太郎外相は12日の衆院外務委員会で、そう話した。政府は、輸入規制を続ける23カ国・地域に対しWTOの判断をもとに規制緩和を求める戦略だったが、逆転敗訴で見直しを迫られそうだ。逆転敗訴は、日本にとって想定外だった。韓国の禁輸措置が「差別的」だとする日本の主張をほぼ認めた1審では原子力の専門家らも審議に加わっており、水産庁と外務省の担当者は10日、「専門家が検討した1審の事実認定が覆ることはほとんどない」と楽観的だった。判断が覆ったのは、上級委が日本産水産物の安全性や貿易制限など重要な論点について、1審の検討に不備があったと判断したためだ。韓国は、放射性物質のレベルが今は低くても将来、影響が現れる潜在的リスクを訴えてきた。上級委は、1審はこの潜在的リスクについて検討が不十分だったと指摘。韓国の措置が貿易制限に当たるかどうかについても、1審は韓国と日本の地理的な事情などを十分考慮していなかったとした。 (以下略)---リンク元の記事にある地図を見ると一目瞭然ですが、福島原発事故以降、日本からの食料品の輸入に規制を設けている国は数多くあります。例えば米国は、青森から長野、静岡に至る14県の農産物、畜産物、水産物にかなりの程度輸入規制を敷いています。静岡や長野は野生のキノコ類だけですが、福島県産は牛乳、牛肉からキノコ、山菜、野菜類、もちろん魚類まで、ずいぶんある。EUも、最近になってだいぶ規制が緩められたものの、福島、岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、千葉県産の水産物に政府作成の放射性物質検査証明書を求めています。それら各国からの輸入規制があるにもかかわらず、韓国についてだけ、WTOに提訴した時点で、安倍政権のある種の意図を感じざるを得ません。要するに、客観性とか公平性とは無縁に、一番気に入らない相手だから、ということでしょう。それで提訴してみたら、予想に反して負けちゃった、と。自業自得としか思えません。わたし個人としては、ごく微量の放射能まで忌避する気はない、というか関東に暮らしていてそれをいちいち気にしても仕方がありません。でも、他国から見れば、安全性が気になる食品をわざわざ外国から輸入してまで食べる必然性はないでしょう。WTOは科学より風評を優先させるのか、などという批判を口にする人もいるようですが、こと食べ物に関する限り、そのような言い分は物事の本質を何も分かっていないとしか言いようがありません。科学は万能ではありません。科学的には安全でも口に入れない、入れたくないものは世の中にいくらでもあります。「美味しい食べ物」「まずい食べ物」あるいは「好きな食べ物」「嫌いな食べ物」を科学的に定義はできません。まずい、あるいは嫌いな食べ物も安全性という意味では「食べても安全」です。では、美味しいものを好み、不味いものは食べないというのは風評被害ですか?糞尿は科学的には何の危険性もありませんが、科学的に安全だから糞尿かけご飯を食べられますか?口に入れるものに「科学」を持ち出せばすべてが通ると思うのは、そういうことです。
2019.04.13
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懲戒請求された弁護士、712人提訴「悪質な嫌がらせ」朝鮮学校への補助金支出を批判するブログの呼びかけなどをきっかけに、全国の弁護士会に大量の懲戒請求が寄せられた問題で、対象とされた弁護士2人が、請求は業務妨害などにあたるとして請求者712人を相手取り横浜地裁に訴えを起こした。懲戒請求者らは、弁護士から慰謝料などを求める通知が届いたことを「脅迫だ」として損害賠償を求める裁判を起こしており、今回はこれに反訴した。反訴状などによると、2人には、2017年以降に5千件超の懲戒請求が寄せられた。朝鮮学校への補助金支給を「推進するのは犯罪行為」などとする内容だった。2人は、弁護士としての社会的評価の低下や業務妨害にあたるとして、計3億6729万円の損害賠償を求めている。また、同様に懲戒請求を受けた弁護士が「違法な懲戒請求をされた」として損害賠償を求めた訴訟の判決が11日、横浜地裁であり、被告6人に各33万円の支払いを命じた。---3億6千万円というと巨額に思えますが、712人に対してだから、割り返すと一人当たり50万円ほどです。それにしても、この問題は以前にも取り上げたことがありますが、懲戒請求者たちの身勝手な「正義」には呆れるしかありません。弁護士の懲戒処分とは、弁護士法第56条に基づくものです。その条文は弁護士及び弁護士法人は、この法律又は所属弁護士会若しくは日本弁護士連合会の会則に違反し、所属弁護士会の秩序又は信用を害し、その他職務の内外を問わずその品位を失うべき非行があつたときは、懲戒を受ける。という内容です。ネトウヨどもにとって気に入らない政治的主張を掲げることが「品位を失うべき非行」だと彼らはいうのでしょうが、それは「オレ様定義」に過ぎないことは明白です。非合法活動を直接的に煽動する内容はともかく、敵対者にとって気に入らない政治的主張を掲げることは、弁護士法そのほかどのような法律にも違反しないし、弁護士会の会則にの反しないし、「品位を失う」とか「非行」とも呼ばないものです。もしそんな懲戒請求が通用するものなら、橋下だの稲田だのには、大量の懲戒請求が押し寄せているはずです。(なお、稲田は、保守陣営の内部対立から、保守陣営の「元味方」から懲戒請求を出されたことはあるようです)まして、弁護士から慰謝料を求める通知が届くことを「脅迫」などと言い裁判に訴えることは、むしろ「どうぞ裁判に訴えてください」という自滅行為であるとしか思えません(もちろん、どんなバカバカしい裁判であっても、起こすことは自由ではありますが)。懲戒請求は、それが認められれば弁護士が最悪職を失ったり、一定の期間資格を停止される、つまり具体的な不利益を課すものです。その行使は、当然にそれなりの根拠と覚悟が求められるものです。通常は、その弁護士から直接的に不利益を受けた場合(例えば依頼してお金も払ったのに何もしなかったとか)や、犯罪行為に関与した場合に認められるものです。それを、たいした根拠もなく、政治的な対立者に対する嫌がらせの手段として利用すれば、当然それなりの報復を受ける、それだけのことです。これが裁判だったら、彼らも二の足を踏んだでしょう。安くない額の印紙代を払い、訴状、準備書面、弁護士を頼まないとすれば自らが裁判に出廷・・・・・・、どんなネトウヨでも、「左翼弁護士の主張が怪しからんから」というだけの理由とノリで、そんなことはしない。しかし、懲戒請求となると、一見すると手続きは簡単だからと、処分が下れば他人の職を奪うことにもなりうる、という重みに思い至ることもなく、ホイホイと扇動に乗ってしまう。無思慮に、ネトウヨの流行で懲戒請求を行った皆さんは、是非それに応じた報いを受けてください、としか言いようがありません。
2019.04.12
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以前に、長谷川豊という元アナウンサーがブログで「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ、無理だと泣くならそのまま殺せ!」と暴言を吐く騒動があり、当ブログでも記事を書いたことがあります。自業自得の透析患者、ですかその言い分は、まったくロクでもないものでした。が、彼自身が実際に医師として透析患者に対して直接的な不利益を与えたわけではありません。また、その発言によって彼は出演していたすべてのテレビ番組を降板するという制裁を受けました(ただし、更にその後、長谷川は維新の会の選立候補予定者となり、もしも当選した場合は、国政の場において透析患者に直接的利益を与えかねない立場になるかもしれません)。さて、しかしその後、透析医療の現場で、透析治療を中止して死者も出る事態が起こっているとの報道がありました。長谷川の発言は(選挙に当選しないうちは)いちニュースキャスターの暴言に過ぎませんが、実際に病院でそのような事態が起こっているとなると、その深刻さは長谷川の暴言をはるかに上回ります。透析中止で患者死亡 説明記録確認できず 都が病院に改善指導東京の公立福生病院で、44歳の女性患者の人工透析が中止され、その後、死亡した問題で、東京都はこの女性への説明が十分に行われたかどうかを確認できる記録が残されていないなどとして、9日、病院に対し、文書で改善を指導しました。この問題は去年8月、東京 福生市の公立福生病院で、腎臓病を患っていた44歳の女性の人工透析の治療が中止され、女性がおよそ1週間後に死亡したものです。東京都は先月6日に病院に立ち入り検査を行い、人工透析の中止について、患者への説明が適切に行われていたかなどについて調べていました。都の調べで人工透析の中止を決めたあとでも、本人の希望で、いつでも撤回できることについて、この女性に説明を行った記録などが確認できなかったということです。また、この病院では人工透析を行わなかったり、中止したりして、その後、死亡した患者が、平成25年4月から立ち入り検査に入った日までに、44歳の女性を含めて24人いたことがわかりました。(以下略)---この事態が表面化したのは先月のことでしたが、どうもわたしに余裕がなくて(今も余裕はないけど)、その上楽しい沖縄旅行の記事と重なってしまい、後回しにしたままになっていました。わたしの個人的見解としては、本人の積極的な意思の元での延命治療中止は、ありえると思っています。ただ、引用記事に触れられている女性の場合は、そもそも末期状態ではなく、透析を続ければあと数年は生きられる状態だったとされています。また、いったん透析の中止を希望したあとで、「こんなに苦しいんだったら透析をやめなければ良かった」という趣旨の訴えがあった、とも報じられています。これらの点を総合して考えると、治療中止が本人の自発的な意思とは考えにくいし、いずれにしても治療再開の希望を示唆していたのにそのまま治療せずに死亡に至ったという点で、問題は大きいように思います。もちろん、それ以外の24人の中には、様々な例があったかも知れません。本人の自発的意向どおりの例も、少なからずあったかも知れません。ただ、透析治療は、基本的には通院で行われます。週に3日通い続けるのは結構大変で、時々通院をバッくれる患者がいて、放置すれば確実に死んでしまうので、病院から本人や関係者に必死で連絡を取る、ということは時々あると聞きます。1日遅れくらいなら、通常はさほど深刻な問題はありませんが(元々、透析が週3回ということは、毎週一回は中二日の時がある)2日遅れになると、命に関わってくるので、病院も慌てるようです。逆に、今回の報道で、透析を中止してからなくなるまで1週間という話には、案外長くて驚きました。もちろん、これはその人の病状や体力によりけりでしょう。別の疾患を持っている人が、何かの事情で気分を害して1日透析を拒絶し、翌日には気が変わって透析を受けたものの、数日後に様態急変して亡くなってしまった、という例を聞いたことがあります。本題に戻りますが、多くの透析患者は、通院で透析にかよっています。ということは、本気で自発的に延命治療中止を望むなら、本人が通院を放棄してしまえば済んでしまうのです。世の多くの良心的な医療機関は、必死で本人に連絡を取って翻意させようとするでしょうが、首に縄をつけて病院に引きずってくることはできませんから、本人の意志が変わらなければ、あるいは連絡が付かなければ、それまでのことです。具体的にそのような例は知りませんけど、おそらく実例は多数あるでしょう。したがって、透析治療の通院をちゃんと続けている時点で、本人には生き続けたいという意志はあるはずです。そのような状況下での治療中断は、多かれ少なかれ、本人の自発的意志というよりも医師あるいは医療機関の側が誘導したのではないかという疑いを抱かざるを得ません。その経緯や状況は人それぞれかもしれません。しかし、もう後は苦しむだけ、という末期的状況ではなく、適切な治療を行えば、あと何年か、寝たきりではなく生きられる人、本人の治療中断の意志も揺れ動いて明確ではない人の治療を中断して死に至ることは、私は医療の本道からは外れた選択であるように思えてなりません。
2019.04.10
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英首相、EU離脱で八方塞がり 労働党は再国民投票迫るEUからの離脱期限の12日を前に、英国のメイ首相が八方塞がりの状況に追い込まれている。メイ政権が離脱協定案を可決させるために開始した最大野党・労働党との協議は難航。労働党幹部が離脱の是非を問う国民投票の再実施を求めていることから、決裂に終わる可能性も高まっている。一方、野党への接近に与党・保守党の反発が高まり、メイ降ろしの動きが強まっている。協議は、労働党議員の大半が反対するメイ氏の協定案を可決するため、メイ政権が労働党と離脱方法の妥協案を探るために始めた。英BBC放送によると、4日から開始したメイ政権と労働党の幹部で構成した交渉チームによる協議は8日も行われる見通しだ。しかし、交渉は早くも行き詰まりを見せ始めている。労働党のワトソン副党首は5日、協定案について「国民投票の再実施が盛り込まれなければ、労働党は支持しない」と指摘した。メイ氏は国民投票の再実施については否定しており、譲歩は困難とみられる。---国民投票でEUからの離脱という仰天の事態から3年、イギリスは迷走を続けています。国民投票で離脱は決まったものの、その具体的なプロセスについて、政治家たちは決めることができない状態です。与党保守党は、党内に離脱強硬派から離脱反対派までを抱え、首相の提案に対して一致して賛成することが出来ないため、野党が反対する限りは一切法案が通らない状態です。そのため、首相は保守党内をまとめることをあきらめて、野党労働党の協力で法案を通そうと考えているようです。メイ首相は、既に「可決したら辞任」と明らかにしており、その先の心配をする必要がない。普通なら、与党の大半が反対し、野党の賛成で法案可決、などということになったら、その先の政権運営はお先真っ暗ですが、メイに「その先」はないから、そんな心配は不要なわけです。しかし、現実には労働党との妥協による可決も難しいようです。引用記事には触れられていませんが、歴史的に見ると、労働党はイギリスのEU(かつてはEC)加盟には懐疑的でした。現党首のコービンも、少なくとも本心ではEU離脱派と言われています。労働党支持層にもEU離脱賛成派はかなりいて、その少なくない部分は極右のEU離脱派に侵食されているようです。一連の離脱協定案には、労働党は一貫して反対しています。しかし、実際には保守党と同様、党内はEU離脱絶対反対派から内心は賛成派までバラバラで、現状の案には反対でまとまることが出来ても、「どこまで譲歩されれば賛成できるか」について党内で一致することは、まず難しそうです。結局、引用記事が指摘するように八方塞がりです。道は、合意なしの離脱か、あるいは合意できるまで離脱期限を引き延ばし続ける、つまり実質的な離脱の棚上げか、どちらか、ということになりそうです。どちらになるのかは分かりませんが、民主主義の祖国ともいえるイギリスの、この迷走ぶりは、民主主義と「衆愚政治」のあいだが紙一重であることを示しているように思え、なんとも暗澹たる気分になります。
2019.04.08
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気の毒に思う「令和」ヘイトな人々 あきれる発言…誕生しなくてよかった“石破総理” 有本香の以毒制毒(記事引用は、くだらなすぎるので省略)昨日の記事にも少し触れましたが、この1週間は職場での異動があり、どたばたしていて、とてもブログ記事など書いている余裕がない・・・・・・と事前に考えて、先週末に沖縄の旅行記と演奏の案内をまとめて予約投稿にしてしまいました。まともに記事を書くのは1週間ぶりです。いや、その前の週も沖縄旅行の記事しか書いていないので、それ以外の記事を書くのは2週間なぶりでしょうか。このあいだに色々なことがありました。関心はあったものの、記事を書く余裕がないままに流れてしまったできごともありました。この1週間で世の中的に最大の関心事は、おそらく新しい元号が発表されたことでしょう。リンク先の記事は、ネトウヨ御用達の保守系「ジャーナリスト」ですが、保守派といえば、ついこのあいだまで、新しい元号は事前発表などするな、新天皇の即位と同時に発表しろ、と叫び、更にその前は、そもそも天皇の生前の退位などするなと叫んでいたわけですが、その辺りと、新元号フィーバー便乗との整合性はどうなっているんでしょうか。きっと、「安倍が右向けば右」な人たちだから、安倍自身が1ヶ月前に新元号を発表したことで、「事前発表するな」という過去の主張は、なかったことにしたいのでしょうね。新しい元号は「令和」だそうです。わたし個人としては、この元号に、肯定的にも否定的にも特別な思いはありません。ただ、「令」という漢字はどうしても命令、指令など単語を連想します。聞いたところでは、マスコミの報道においても、令和という元号を「命令の令と・・・・・」と説明したようです。どうしたって、それがもっとも分かりやすい説明ですから。また、令は冷のつくりと同じで、読みも同じなので、その面でも少し冷たい響きはあるかな、と思います。ただ、わたしは元号に対してあまり肯定的ではなく、それは「令和」はダメだが他の名前ならよい、というものでもない、と思っています。仕事上は仕方がないので使いますが、仕事以外では基本的には元号で年を表記はしないようにしています。理由は色々ありますが、数十年ごとにリセットされる年号表示というのは、あまりに非実用的というのが、最大の理由です。昭和40年生まれの人は今何歳か、ということを元号だけで計算できる人は非常に少ないし、それが「大正生まれ」になったら、まずそんな計算をできる人はいないでしょう。つまり、元号は裏で西暦と照合しなければ実用的には使い物にならないのです。私でも昭和と西暦はほぼ瞬時に相互変換できるのですが、平成はそうは行かないのです。自分自身の節目の年(最初に就職した年とか、今の勤務先に転職した年とか、結婚した年、子どもが生まれた年など)と、最近の数年間はパッと変換できますが、それ以外の年は頭の中で色々考えないと変換できません。昭和20年は1945年で、昭和53年は1978年、というのは、計算もせずにパッと出てくるのですが、平成19年は西暦何年か、となると、詰まる。計算するか、自分にとっての節目の年との差から数えていかないと、出てきません。日本会議系のいわゆる保守派の連中は、天皇の生前の退位に当初はかたくなに反対していました。しかし、元号の社会的通用性を維持したいと考えるならば、平成31年を令和元年とする代替わりは、唯一の選択肢です(もちろん、平成21年でも41年でもよいのですが、この数年のあいだでのタイミングならば、ということ)。わたしは、今の天皇にはかなりの好感を抱いていますけれど、元号の延命という意味では、上手い手を考えたな、と、逆に言えば元号なんかやめてしまえという観点からは、「してやられたな」と思います。平成と令和で1の位が揃っているから、元号またぎの計算の煩雑さはかなりの程度緩和されます。とはいえ、延命でしかないと思いますけどね。今の皇太子は59歳なので、「令和」の続く年数はどう考えても平成より短い。更にその次、仮に元号を「秋篠」としておきますが、元号秋篠は、10年にも満たない短期間になる可能性が高い(もっとも、元号秋篠が飛ばされる可能性も、多少はあるでしょうが)。たとえ今回のような計算のしやすいタイミングでの退位が行われたとしても、昭和末期から数えておそらく60年ほどのあいだに元号を5つ通過するのだから、実用的把握は困難です。まして、その間に計画的な退位ではなく突発的なタイミングでの改元があれば、つまり1の位が前の元号と不整合な改元がひとつでも入ってくれば、元号は実用的な紀年法ではなくなり、社会的には消え去っていくことになるでしょう。
2019.04.06
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鳥の写真2回を含めて8回も続いた沖縄旅行記も今回が最終回です。前日、わたしはいったんモノレールの首里駅まで行ったものの、首里城は翌日見られるからと鳥の写真を撮るために行き先を変更したのです。ところが、相棒は、人ごみは嫌いだから首里城は行かないというのです。はいはい、分かりました、で、どこに行くの?と聞いたら、前回沖縄に来たときに世ごく良かったけど短時間しか立ち寄れなかった「福州園」という公園に行きたいというのです。モノレール県庁前駅から徒歩圏内なので、宿からも充分に徒歩圏内です。それがこちら。中国式の庭園です。中国福建省福州市と那覇市の友好都市締結10周年と那覇市市制70周年を記念して1992年に建設されたとのことなので、そんなに古いものではありません。首里城・・・・・・という思いは封印して(笑)相棒に付き合いました。公園内です。ヒスイカズラこれが、芭蕉布のバショウですか!バナナ科だそうで、それは知りませんでした。クチナシの花福州園をゆっくり見学したあと、相棒は前回那覇にきたときに見られなかった、ここを見学したいと言います。対馬丸記念館。沖縄戦直前の1944年、学童疎開の児童ら1700人前後を乗せた対馬丸が米潜水艦に撃沈されて、約1500人が亡くなった悲劇を伝える記念館です。約1500人の犠牲者を出した対馬丸事件ですが、中でも疎開児童は800人中生存者が60人くらいと、生存率が1割に満たなかったということです。逆に、乗組員は7割以上、船舶砲兵(配属された軍の部隊)も約半分が生存しています。被雷したとき、子どもたちの多くは寝ていて、とっさに脱出できなかったこと、船倉から這い上がれなかったこと、脱出しても救助までに時間がかかり、体力がない分不利だったことが原因なのでしょう。対馬丸記念館のちょっと先は、もう海岸です。公園にガジュマルの大木がありました。なんと、ヒラドツツジです(東京などでよく植え込みに使われているツツジ)。もう満開、というか、そろそろ枯れはじめています。ツツジの仲間は、どちらかと言うと寒いところか、低緯度では高地に多い印象がありましたが、沖縄にもツツジはあるんですね、これは栽培されたものですけど。砂浜に出ました。波の上ビーチというところです。実は、朝散歩に来た若狭公園から数百メートルの至近距離。やはり目の前に橋がかかっていますが、海の青さはやっぱり沖縄です。後で調べたところ、人工的に造成されたようですが、那覇市内では唯一の砂浜とのことです。橋がなければねえ・・・・・・とはいえ、人口31万人の県庁所在地の目の前にも関わらず、水はきれいです。相棒と子どもは砂浜で遊んでいたので、私は一人でちょっと周囲を歩いてみました。大型客船が入港していました。コスタ・ネオ・ロマンティカ号だそうです。那覇港のクルーズ船入港予定表によると、中国の厦門から往復しているようです。このあと、県庁前に引き返します。生垣の花。葉はツツジの仲間のように見えたのですが、花が明らかに違います。なんでしょう。沖縄県庁。県庁の隣には那覇市役所。数年前に、那覇市役所の××課とは、××の××を巡って、仕事上のやり取りがあったことを思い出しました。対応は親切でした。それにしても、県庁所在地の30万都市だけあって、このあたりは大都会です。モノレールで那覇空港駅へ。結局、前日とあわせると、結いレールは全区間を乗りました。往路に羽田に30分前に着いたらオーバーブッキングで席がなくなりそうで冷や汗をかいた経験から、この日は帰りの飛行機の1時間半以上前に空港に着いたのですが、それでも荷物預かりが長蛇の列で、荷物を預けるまでに30分以上経過。往路と同様に席は3人バラバラになってしまいましたが、とにかく席は確保できました。でも、やはりオーバーブッキングで「1万円で次の便に振り替えてくれる方に1万円差し上げます」って案内をやっていました。ちなみに、往路は全日空でしたが復路は日航です。急いで昼食食べて、大慌てでお土産買って、バタバタと飛行機に乗ったら、どうも感覚的には往路より飛行時間が短く感じました。気持ちの問題だなと思ったのですが、後で調べると実際に羽田→那覇より、那覇→羽田のほうが20~30分所要時間は短いようです。偏西風の影響ですが、このくらいの距離でもそんなに所要時間が違うとは知りませんでした。とにもかくにも、楽しい旅行はあっという間に終わってしまいました。この記事の公開は4月に入ってからになりますが、書いているのは3月31日です。私事ながら、10年間在籍した部署から、今月いっぱいで異動になります。大変なこと辛いこともあった部署ですが、私はこの仕事が好きでした。異動の直前の時期、休暇を取っての旅行は、その翌週に後始末が大変ではあったのですが、新しい部署への不安に押しつぶされそうだったわたしにとって、本当に貴重な命の洗濯になりました。そういう条件もあってのことでしょうが、初めての沖縄は、ほんとうに良いところでした!また是非行きたいです。別れの3月出会いの4月、当ブログをご覧の皆様にも出会いと別れはきっとあったことと思います。皆様にとって、新しい年度が素晴らしいものであることを願って、今回の沖縄旅行の記事をおえることにします。
2019.04.05
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1回間が空いて、前回の続きです。3日目、家族で夕飯を食べに行きます。本当は行きたいお店があったのですが、相棒に却下されてこの店にしました。沖縄での最後の夜、家族3人で乾杯(と言っても、相棒と子どもは烏龍茶ですが)ソーミンチャンプルー沖縄風塩焼きそば。三線の演奏もありました。ハイサイおじさんを歌っていて、わたしが子どもに冗談で「変なおじさんって曲だよ」と囁いたら、本当に「変なおじさん」と歌い始めたので、笑ってしまいました。まあ、この曲の定番の駄洒落だと思いますが。しかし、このお店で夕飯を食べた後、わたしは冒頭に書いたお店にどうしても行きたかった。そこで、1人二次会決行しました。お店の外観写真はその晩は取り損ねたので、翌朝朝散歩のついでに立ち寄って撮影しました。(国際通りの宿から徒歩圏内です)ペーニャあまんかい。アルゼンチン出身のギタリスト、シルビオ・モレーノさんのやっているお店です。詳細の説明は面倒なので省きますが、何人かの共通の知人を介したつながりです。四半世紀以上前ですが、シルビオさんのライブを東京で見たこともあります。もし沖縄に行くことがあれば、是非行きたいと以前から思っていました。ちょっと疲れてしまい、どうしようかと迷いましたが、次にいつ沖縄に行けるか分からないので、とにかく行くことにしました。調べたところ、止まった宿からもかなの近い場所にあることが分かりました。店内は、ドーンとアルゼンチンの空気が漂っています。残念なのは、ちょっと前まで地元のケーナ吹きのお客さんが来ていたけれど、丁度帰ったところだったそうです。それは残念。チャランゴ他の弦楽器や・・・・・・、ギターも飾られています。夕飯を食べた後でしたが、エンパナーダを美味しくいただきました。(1個食べてしまった後で撮影)シルビオさん御自身は高齢で、お店は奥様が切り盛りしていました。多分初対面ですが、おなじフォルクローレ音楽という共通の接点、共通の知人を巡ってのあんな話、こんな話に花が咲き、アルゼンチンビールを飲みながら、沖縄最後の夜は更けていきました。で、翌朝ももちろん朝散歩です。海岸沿いの若狭公園というところまで行ってみました。ここなら吹けるかも、というわけで。護岸の下に降りて笛を吹いたのです。というのは、公園の近くまで住宅があったので、多分公園内で吹いたらうるさいだろうな、と。護岸の下に降りれば、コンクリートの壁に遮られて、内陸側には音は届かないだろうと踏んだのですが、目の前の橋の存在を忘れていました。いざ吹き始めたら、音が目の前の橋に反響して、よく響きます。音が響くのは気持ちいいけど、多分うるさい。2曲で練習は終わりにして(宿に戻ると約束していた時間との関係もありますが)帰路につきました。朝食後、宿をチェックアウト日曜朝、人通りのまばらな国際通りを歩きます。こんなお店もありました。街路樹に、なにやら別の植物が貼り付いています。しかも人為的に着生植物が貼り付きやすいように保護しています。種類も、このようにする理由もそのときは分かりませんでしたが、印象的でした。あとで調べたところ、どうやら着生させている植物はランの仲間で、時期になるときれいな花を咲かせるようです。次回が最終回になります。
2019.04.03
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数年おきに不定期で出演している、所沢の航空公園の、所沢市民文化フェア さくらコンサートに出演します。4月7日(日)所沢市民文化フェア さくらコンサート所沢市航空公園内「よってけステージ」11時50分~12時10分4曲演奏予定です。所沢市第34回市民文化フェア今回は、コロンビアから一時帰国中の誰かも出演予定です。ティエラ・クリオージャ
2019.04.01
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