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赤塚不二夫の天才バカボンの口癖は「これでいいのだ」です。私たちも「かくあるべし」で現実、現状を否定したくなった時、いろいろと考えずに「これでいいのだ」と口ずさんでみることです。口に出すことがはばかられれば、心の中で口ずさんでみることです。この言葉を口ずさむと、現実を批判しなくなります。とりあえず現実を認めて受け入れることになります。具体例をあげてみます。たとえば、さあこれから食事という時、妻が炊飯器のスイッチを入れ忘れていたとします。妻に向かって「もう、いつもお前はヘマばかりするんだから」と不平不満をぶっつけたくなったときに、「これでいいのだ」と言ってみるのです。口に出すのが恥ずかしかったら、心の中で呟いてみるのです。感情は怒りでいっぱいでも構いません。感情は自然現象ですから意思の自由はありません。しかし行動には意思の自由があります。腹を立てて喧嘩を始めるのも自由です。相手のことを思いやって我慢するのも自由です。でもどちらかというと、相手の失敗やミスを許してあげるほうがいいじゃありませんか。「それでいいのだ」という言葉は、険悪の雰囲気を一転和やかな雰囲気に変えます。そして次に、ご飯が炊きあがるまで何をしようかと考えはじめます。メールを打っておこうか、掃除をしておこうか、好きな音楽やビデオでも見ておこうか。空いた時間の有効活用を考えるようになります。これは不快な感情を目の敵にして、不快感を取り去ろうとして妻を叱責することからみると大きな違いです。次の例です。仕事でお客様からFAXで注文をもらって、それをパソコンで加工して工場に制作指示をする仕事をしているとします。パソコンで入力ミスをして誤発注をしてしまいました。お客様のところに注文とは違った商品が届きました。お客様は烈火のごとく怒り心頭です。上司、営業マン、同僚からも軽蔑したかのような目で見られています。自分も自己嫌悪に陥っています。そんな時、「これでいいのだ。命まで取られることはないのだ」という言葉を自分にかけてあげるのです。すると、事態は少しも変わらないにもかかわらず、少し救われたような気持ちになりませんか。このやり方のよいところは、ミスを隠したりごまかしたりしなくなることです。すぐにミスをあからさまに公表してしまえばしめたものです。あなたの勝ちです。当然少しの間は叱責や批判の矢面に立たされて、いたたまれない気持ちになることでしょう。でも長いスパンで考えると、そのほうが傷も浅くて済むし、不快な感情を速やかに流すことができるのです。そして、ミスを帳消にして、迅速に事後処理に専念できるようになります。その対応いかんでは、ミスのおかげでかえって信頼感が増す場合もあります。営業マンによってはわざとミスをして、得意先からの信頼を勝ち取る戦略をとっている人もいます。お客様もミスをしたことのない人は誰もいないわけですから、その後の対応スピードと誠意に感動をもらうことになるのです。さて、自分に対しても他人に対しても不平不満は山ほどあると思います。「これでいいのだ。自分は自分なのだ。あなたはあなたなのだ」は不平不満があるけれども、それを認めてあげますよ。決して責めたりしません。許してあげますよという魔法の言葉なのです。この言葉は「かくあるべし」の世界から発する言葉ではなく、現状、事実を認めて、受け入れる言葉なのです。事実を肯定する態度は森田理論学習で目指しているところです。みなさんもこの言葉をキーワードとして生活の中にとり入れてみませんか。
2017.11.30
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山崎房一さんの講座の受講生に杉山文子さんという主婦の方がおられたそうです。姑は彼女の手料理や掃除、洗濯のこと、娘の教育までこと細かくいちいち口出しをする。そのイヤな姑のことを夫に話しても取り合ってくれない。姑と別居したい。それがだめなら離婚してもいい。と考えておられたそうです。山崎さんは即座に杉山さんに言ったそうです。「杉山さん、おばあちゃんを殺したいくらい憎んでもいい。自分の気がすむまで思う存分憎みなさい。いくら憎んでも、憎しみが心の中にある間は罪にはなりません。しかし、おばあちゃんに少しでも具体的な意地悪をすれば罪になるから、どんなに悔しくてもそればかりは絶対やってはいけません。」そして、「帰りに、おばあちゃんが一番好きなお菓子を買ってください。こういっておばあちゃんに渡してみてください。おばあちゃん、お留守番してくれてありがとう。いつまでも長生きしてくださいね。やさしく笑顔でいいながら、そのお菓子を差し上げてください。」このアドバイスは森田理論で学んでいることを具体化した適切な対応です。まず、憎しみはそのままにしてとらわれ尽くしてもよいのですよといわれています。普通一旦怒りなどの感情に点火されると、すぐに燃え広がります。自分の意志の力では、どうすることもできません。黙って成り行きに身を任せるしかありません。味わい尽くす。その不快な感情に浸りきることがポイントです。しかし、普通はそのイライラ、不快感をすぐに鎮火させないと気が済まなくなる。我慢したり耐えたりすることは、戦う前から相手に負けたような気にもなります。また、その不快感を放っておくと、怒りがどんどん増悪して、とんでもない暴言を吐いたり、暴力に訴えたりするのではないかと考えたりします。そのためにもすぐに鎮火させないと大変なことになると考えます。怒りの感情は手に負えない暴れ馬のようなものだと考えています。ここで大切なことは、どんなイヤな感情でもつつきまわさないということです。一旦発生した感情は山を一挙に駆け上ってきます。感情の法則1にあるとおりです。その勢い付いた感情を途中で邪魔をしてはいけません。上りきらせてしまうことが大切です。弾みがついて昇っていくイヤな感情を味わい尽くすということです。暴れ馬のような感情を何もしないで見守っていくことはとても苦しいことです。自分の頭がパニックになって混乱してしまいそうです。普通はその不快感に耐えかねて、まだ感情が上りつつある状態で、間違った対応に走ってしまうのです。怒りの感情が上りきるまでは、どんなに苦しかろうと、一旦上りきるまで持ちこたえなければなりません。それができないと怒りの感情は蛇の生殺しのような状態になります。もしそれができれば、怒りの感情は山の頂にたどり着き、今度は山を下っていく運命にあるのです。山を下り始めると、暴れ馬のような怒りの感情が変化してきます。薄まったりとるに足らないものに変わっていくのです。そんなのは理屈だと思われるでしょうか。このような経験はどなたでもお持ちなのではなりませんか。このような感情の変化を促進するものがあります。怒りの感情を持ったまま、新しい行動を起こすことです。その場を離れる。トイレに行く。深呼吸をする。コーヒーを飲みに行くなどでよいのです。イヤイヤ仕方なしの行動でも構いません。杉山さんのように心にもない行動を演技することだってかまいません。新しい行動には新しい感情が生まれやすくなります。すると以前の怒りの感情に加えて別の感情が付け加わることになります。怒りの感情だけにかかわっている状況が変化していくことになります。速やかに怒りの感情を流すことにつながるのです。イヤで仕方のない姑に対する山崎さんのアドバイスは極めて的を得ていると思います。
2017.11.29
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神経症が治るとは、自分の気になる不安や心配事に鈍感になることではありません。神経症を克服したあかつきには、行動範囲も人間関係も大きく広がってきます。すると、不安や心配事の種はこれまでに比べて益々増加してきます。それらの不安や心配事に対しての対応方法が変化してくるということです。適切に対応することができるようになります。まず、自分の人生が豊かになること、将来に明るい展望が開けるもの、真の意味で人の役に立つことは、不安に対して果敢にその解消のために行動するようになります。それ以外の不安や心配事は、苦しいことであるが、真正面から受け止めて、味わい尽くすようになります。神経症的に陥る不安や心配事は主にこちらのほうです。そして不安や心配事をなくするための不毛な努力をするのではなく、それらを無抵抗に抱えたまま、目の前にある課題に対して、イヤイヤ仕方なしに取り組んでいくことです。神経症が治るということは次の三段階のステップがあります。1、精神交互作用の打破2、思想の矛盾の打破3、「生の欲望」に沿った生き方をめざすまず1から2、2から3へと段階を踏んでステップアップしてゆくことになります。3までいけば完治となります。これは、観念的な理解だけではなく、日常生活の中で行動として実践できるようになることが大切です。1、精神交互作用の打破神経症に陥った人は一つのことにとらわれて、症状以外のことに目が向かなくなります。注意と感覚の相互作用により、どんどん増悪してゆきます。そして観念上の悪循環、行動上の悪循環が際限なく繰り返されるようになります。まず、その悪循環に歯止めをかけることが必要になります。それは、症状はひとまず横において、日常生活のなすべきことに手をだすということです。これができるようになれば、第一段階の治るということは達成されます。2、思想の矛盾の打破神経症に陥った人は、強い「かくあるべし」を持っています。○○しなければいけない。○○してはいけないといったものです。「かくあるべし」を前面に打ち出して、自分や他人、物事を価値判断してゆくと、「現実、現状、事実」はとても我慢がならなくなります。無理やり「かくあるべし」に合わせようとすると強い葛藤や苦しみを生みだします。これが神経症への苦悩の始まりとなります。ですから、神経症の苦しみから逃れるためには、「かくあるべし」的思考をできるだけ小さくして、事実本位、物事本位の生活に修正してゆくことが大切になります。こうした生活態度が身につくと、第二段階の治るということは達成されます。3、「生の欲望」に沿った生き方ができるようになる「かくあるべし」が小さくなり、事実本位、物事本位の生活態度が身についてくると、神経質者は強い「生の欲望」を持っていますから、不安というブレーキを活用しながら、自分に備わった能力をどこまでも活かし、運命を切り開いてゆくようになります。これが第三の最終段階です。この段階では、症状を治すということを通り越して、神経質者としてのよりよい生き方を目指してゆくことになります。ご自分の生活を振り返ってみて現在どのあたりにあると思われますか。一般的には、精神交互作用の悪循環を打破した段階が神経症が治った段階とみなされているように思います。薬物療法、認知行動療法などの精神療法が目指しているのはこの段階です。確かに表面的には症状に振り回された生活が元通りになったように見えます。しかし、強迫神経症の場合が特にそうですが、いつも出現する不安や恐怖に耐えて生活することはとても苦しいことです。もしあなたがそう感じて「生きていくことは苦しい。地獄のようだ」と感じておられるようでしたら、「思想の矛盾の打破」にも取り組んでみてください。これを乗り越えるための精神療法は、森田理論学習が一番だと思っております。「思想の矛盾」を打破して、いつも事実、現実、現状を正確にとらえて、そこを起点にして前向きに生きていけるようになった状態を想像してみてください。苦しみや葛藤が相当数激減するような気がしませんか。その段階で不安を制御機能として働かせながら「生の欲望の発揮」に向かって舵を切りなおすことができたならば、あなたの目の前に広がる視界は今までと全く違ったものとなるはずです。
2017.11.28
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精神科医の市川光洋医師は、森田療法を始めるにあたって、あらかじめ患者と相談して入院期間を決めると言われている。そうすると、患者さんは、 「 2ヶ月経ったら退院できる。それまでに治すぞ」と強い意志を持って治療に望むことができる。1回1回が真剣勝負になるそうだ。これは治療するほうも真剣になる。例えば「10回でやりましょう」と言っちゃった手前、なんとか治さなくてはいけない。そういう覚悟ができる。入院期間を決めて、一生懸命に治療に専念する事はそれなりに成果がある。(生活の発見誌 2017年11月号 54ページより引用)これはプロ野球の世界でもあり得ることだ。高校生が入団したときは、体も細いし、技術も未熟だ。そういう人が、1軍で活躍している選手を見ると、体つきも違うし、スピードや技術も雲泥の差がある。自分は果たしてプロ野球の世界に入って間違いなかったのだろうかと戸惑うことがあるという。プロの選手は入団した時が新たな出発点である。そこから基礎体力をつけ、俊敏性や技術を身につけて、レベルアップを図っていかないといけない。高校野球で甲子園で活躍した時がピークだったと言う選手はプロの世界ではすぐに淘汰されてしまう。普通のレベルの選手が競争を勝ち抜いて2軍から1軍に上がる。そして、 1軍でもレギュラーの座を獲得することは容易なことではない。広島カープで今は引退をしているが、レギュラーを張っていた人の講演を聞いた。その人は、高校ではピッチャーをしていたが、プロに入ってからは野手の道を選んだ。入団した当初は、レベルの差があまりにも大きく、プロの世界で飯を食っていくことは不可能だと思ったそうだ。その人は3年で1軍に上がれなかったらもうプロの世界から去ろうと決めていたという。そしてくる日もくる日も、持久走やバッティング、守備練習に励んだという。そうこうしているうちに筋力がついて、プロの体つきになっていったという。 その人が言うには2軍も1軍もそんなに極端な力の差はないという。しかし、全くないことはない。その間にあるちょっとした僅差がその後の野球人生の明暗をくっきりと分けるという。1軍の選手と2軍の選手ではまるっきり年俸が違う。2軍選手はサラリーマンより低いことがある。また、 1軍の選手でもレギュラーと控えの選手では、年俸をはじめとして、何かにつけて雲泥の差がある。バッティング練習もレギュラークラスが最優先である。その地位にたどり着くには、猛練習を積み重ねて、技術面では一皮向けて1ランク上のレベルに這い上がる必要がある。そして運も味方につけて、何回か与えられたチャンスに、ある程度の成果でもって答えを出さなければならない。1ランク上のレベルに上がっているからといっても、必ずしも成果が出るとは限らない。しかし、 1ランク上のレベルに上がっていない人は、絶対に首脳陣に目を引くような成果は出せないという。努力してレベルアップしていない選手に神様は応援してくれない。そうなるために、最初の3年間は疲れて寝る以外は、野球のことしか考えてもいなかった。実際に寝食を忘れるぐらいに野球に打ち込んでいた。酒を飲んだり、車を乗り回して遊んだり、旅行したり、女の子とデートしたいとは思ったことがあるが、そんな時間もなかったという。目の前の当面のライバル選手を追い越すことだけを考えていたという。一心不乱に頑張って、結果を出して、首脳陣に認められたからこそレギュラーになれた。一旦レギラーになると、少々成績が落ちる期間があっても(スランプ)すぐに2軍に落とされることはなかったという。1軍でそれなりの成果を出し続けていると、大きな怪我をしない限り、その後の生活は安泰だったという。レギュラーを取るには、ある期間死にもの狂いになって殻を突き抜けることが欠かせない。この人の講話を聴いての私の感想である。森田理論学習もある程度の期間を決めての集中学習が有効であると思う。その間は気持ちの上では寝食を忘れるくらいに本気で取り組んでもらいたいものだ。そうしたステップアップする期間を作った方が、自分のものになると思う。その期間を、私は約3年と思っている。3年が長いという人がいるかもしれないが、今までがんじがらめに自分を縛っているものから解放されるとしたら、まだ短い方である。1年目は森田の基礎的学習である。神経症の成り立ち、神経質性格の特徴、感情の法則、行動の法則、認識の誤りなどの学習である。一通り終わったら、自分の場合に当てはめて見て「まとめ」を行うことが大切である。そして集談会の場で体験発表を行い、先輩や参加者からアドバイスをもらう。この作業を繰り返して2回以上行うことが大切である。2年目に入ると、森田理論全体の枠組みを学習することから始める。森田理論全体像の学習である。これは私が作り上げたものをそのまま学習すればよい。このブログで何回も繰り返しているように、森田理論には 4本の大きな柱がある。その柱の1つ1つを深耕しながら学習していく。そしてもう一つ大事なことは、その4つの柱の相互の関連性を学習することである。そして森田のキーワードを聞いたとき、森田全体像のどこらあたりに当たるのかピンとくるようになるとよいと思う。神経症が治るという3段階もすぐに分かるようになる。3年目に入ると、今まで学んだ森田理論学習をもとにして、実生活での応用面を探っていく。これも奥の深い話ですが、とりあえず「生の欲望の発揮」から取り組むとよいと思う。これらは、本を読んで1人で取り組んでいくことは至難である。プロ野球で言えば、コーチにあたる人が集談会にはたくさんいる。その人たちの助けを借りながら取り組んでいくことが重要である。そして何より大事なことは、この3年間は寝食を忘れるくらいに取り組んでみることである。この期間一心不乱に森田理論学習に取り組んでいけば、その後神経症で生活が滞るというような事はなくなると思うのである。さらに、苦悩や葛藤がかなり軽減できるので、とても生きやすくなるのである。何度も言うようだが、短期集中型の学習が有効だと思う。集談会に参加していればいつかは森田的な生き方が身につくだろうと思っていては、当てが外れることが多いと思う。実際私は対人恐怖症と縁が切れたのは20年経過した頃だった。こんなしんどい思いは皆さんにはしてほしくないのである。
2017.11.27
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今月号の生活の発見誌の64ページに次のような記事があった。自分を縛っている価値観「かくあるべし」はたくさんありますが、今まではそれを治そうとしてきたように思います。今回、学習会(これはオンラインによる学習会のことです)が進んでいくうちに、 かくあるべしに気づいて自覚するだけにしておいた方がいいと分かりました。よいところに気づかれていると思います。今日はこのことについて私の考えを投稿してみたい。森田理論を学習しない人は、 「かくあるべし」が悩みや葛藤を産んで自分を苦しめているということが理解できません。それだけではありません。自分の周囲の人たちに「かくあるべし」を押し付けて苦しみを与えているのですが、そんな事は思いもしません。また、自然を人間の都合のよいように自由自在にコントロールしていますが、その弊害についても無頓着です。その結果逆に自然から手厳しいしっぺ返しをくらっています。原子力発電所から出る核廃棄物、地球の温暖化、オゾン層の破壊、巨大台風、森林破壊、酸性雨などの問題はそうではありませんか。「かくあるべし」という自己中心的な考え方、完全主義、完璧主義、理想主義、コントロール至上主義の考え方を、前面に押し出した結果、もはや抜き差しのならない迷路に迷い込んだようなものです。森田理論では「かくあるべし」という上から下目線ではなく、現実や現状、事実から、目線を少し上にあげて、努力精進するプロセスが、人間が本来の生き方であると言います。「かくあるべし」については、森田理論学習によって、その成り立ちや弊害をよく理解することが必要である。これは神経症で悩む私たちだけではなく、人間に生まれたもの全ての人が理解する必要がある。自覚が深まれば、たとえ「かくあるべし」が出てきても反省することができるようになる。「かくあるべし」の弊害がわかれば、次に取り組むべき課題は、 いかに「かくあるべし」を減らしていくかということである。そのために取り組むべき事は次のようなことである。・事実をよく観察する。事実こそ私たちが行動する出発点である。・事実を伝える時は、できるだけ具体的に話すようにする。推測、先入観、決めつけはやめる。・「純な心」を応用する。一言で言ってしまえば、 「かくあるべし」が出てくる前の感情、いわゆる直観とか初一念と言われている感情を重視する。 「かくあるべし」が出てくれば、 「ちょっと待て」と自分に言い聞かせて、最初に感じた感情を思い出すようにする。改めて 「純な心」に立ち返ることが大事なのである。・相手との対話では、 「私メッセージ」を活用する。「私」を主語にした会話を心がけるようにする。 「私は・ ・ ・と感じた」 「私はあなたが・ ・ ・してくれたら嬉しい」・相手と意見の対立があるときは、まず相手の言い分をよく聞く。そして自分の思いも十分に伝える。そして双方が納得できる妥協点を見つけていく努力をしていく。とりあえず私が勧めているのは、以上5点である。これを自分の生活の中に取り入れて実践するだけで、 「かくあるべし」は相当減ってくる。生まれてこの方ずっと「かくあるべし」的教育を受け続けてきているので、急激に変わる事は不可能である。これが私が森田理論学習は生涯学習であるという理由である。2歩前進1歩後退の様に行きつ戻りつしつつ、生活をしていくことが肝心である。「かくあるべし」が少なくなってきた状態は、葛藤や苦悩が急激にその勢力を弱め、自分にも折り合いがつけられるし、他人との人間関係、自然との向き合い方も全く違ったものとなる。
2017.11.26
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マンションの管理人業務をやる中で最近気づいたこと2点投稿してみたい。勤務棟の一階の開放廊下からエントランスに入るところに重い扉がある。半月ぐらい前から扉が下のタイルに擦れているのが気になっていた。しかし、気になるだけで、別に扉の開け閉めに影響はないのでほったらかしにしていた。居住者の人も別に何も言ってこなかった。先日、会社の業務指導員の人が来たので、思い出してそのこと伝えた。するとその指導員は扉の取り付けてあるところを点検した。すると、上の隙間は3センチぐらい離れていた。下の隙間はほとんどなかった。下が擦れる原因は、扉が大きく傾いていたのである。私は慌てて会社の担当営業マンに電話をして、すぐに修理をしてほしい旨を伝えた。後で振り返ってみると、うかつにも最初の違和感を軽く受け止めていたのが大きな問題だった。最初の気づきは、森田理論で言うと初一念だと思う。初一念の大切さは身にしみて分かっていたはずだが、今回また取り扱いを間違えた。毎日いろいろと行動していると、これは普段とは違うなと思うような違和感にはよく気がつく。最初に気付いた違和感はとても貴重なものです。かけがえのない宝物のようなものだ。それをきちんとキャッチするということは、ものすごく大事なことのように思う。きちんとキャッチすれば、それをメモしたりして、とりあえず忘れないようにする癖をつけないといけない。そうしないと、せっかくの気づきや発見がすぐに忘却の彼方に忘れ去られてしまう。そのことは後で重大事故に結びつくこともあるのだ。せっかく森田理論を学習しているのだから、最初に感じたちょっとした不快感や違和感などは貴重品や宝物を扱うように丁寧に取り扱うようにしたい。次に、私が勤務してるマンションでは玄関マットなど3枚ほどをある業者にリースしている。1ヶ月に2回、古いものを回収して、新しいものに取り替える。問題はその取り替え方にある。私のところではエントランスや玄関、エレベーターの前の扉にぴたっと付けて敷いている。ところが、とりかえに来た担当者はそんなことはお構いなしに、扉から離れて敷いて帰る。エレベーター前に至っては横と縦の長さが違うにもかかわらず、反対にひっくり返して敷いていることがある。最初の頃はきちんと敷いてくださいとお願いしていたが、何回いっても直らないので言うのをやめてしまった。担当者が帰った後、すぐにその都度直すようにしている。普通玄関マットはどういうふうに敷くかはみんなこだわりを持っていると思う。それを無視されるとあまりいい気持ちはしない。 私が取り替えの担当者なら、先方から指摘される前に、マットがどういうふうに敷いてあったをよく見ておいて、前と同じように敷くと思う。そういえば森田先生も、入院生が森田先生の部屋を掃除した時、自分の使用物を移動させているとすぐに注意されている。気配りに欠けているのである。神経質者はこういうところに気が付くようにならないといけない。こういうのをお使い根性の仕事というのではないだろうか。これでは、いくら仕事をやっても仕事の面白さや工夫はいつまで経っても生まれてこない。さらにこの前こんなことがあった。 1ヶ月に2回の交換だから、 15日ごとに交換してくれるものだと思っていた。ところが、 20日以上経って次のマットを交換に来た。説明を求めると、 1ヶ月に2回交換する契約なので、1か月の中で帳尻を合わせているのだという。たとえば1日と25日の交換でも契約はきちんと履行されているというのだ。「15日間隔できちんと交換してください」と伝えたが言い訳ばかりされた。仕方がないので、会社の上司に電話をすると、「そんなに言われても、こちらの巡回経路の問題もあるので、お宅だけ特別というわけにはいかない」という。会社ぐるみで、視線がお客様の方ではなく、自分の会社の都合や儲けのほうに向いているのだと判断した。こういう会社は私のところだけではなく、他でも同様のことをしているので、トラブルを抱えていると見た。お客様目線に立っている会社との差は開くばかりではなかろうか。
2017.11.25
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生活の発見会や集談会で中心的な役割を果たしていた人で、急に森田から離れる人がいる。あるいは極端に活動をセーブする人もいる。いろんな事情や理由があるのだとは思うが、とても残念なことである。活動することがしんどい。重荷になってきたと言う人もいる。現在は会員が減り、特定の人に役割分担が集中するので無理もないのかもしれない。経済的な理由や自分の病気、家族の介護などで自由に活動できなくなった人は、残念だが仕方がない面がある。単なる言い訳かもしれないが、仕事が忙しくなって、土曜日、日曜日も仕事という人もいる。そういう人たちは連絡をとってみると、森田を心のよりどころとしている人も多い。その半面で、森田の限界を自分なりに見極めて、森田に引導を渡したような人もいる。連絡をとってみると、もう二度と森田に関わりたくないという人である。そういう人たちは森田が自分に合わなかったということであろうか。あるいは会の中での人間関係が悪化してきたのであろうか。話を聞いてみると、神経症の悩みは継続しており、生きづらさの改善はできていない人も多いように思う。それから次に、森田理論を勉強してきたが、森田理論がいまいち理解できない。理論学習がマンネリで得ることが少なくなり学習すること、活動すること自体が苦痛になってきたと言う人もいる。そんな学習をいつまでも続けていてどうなるのかという人もいる。無駄な時間を費やすより、他な治療法を探した方がいいと方向転換をする人もいる。私は30年以上も生活の発見会と集談会に関わり続けてきた。途中で役割の負担が増えてしんどくなった。またある程度学習するともうすべてが分かったような気がして、もう得るものがないように感じていた。それでも世話役をしていたので、集談会を休むわけにいかなくなったのだ。惰性で続けていた。今となってはその歯止めが効いて、最終的には目指していた鉱脈を探し出すことができたのだ。生活の発見会にとどまり、集談会に参加することのメリットについてまとめてみた。まず、 集談会や発見会活動を通じて利害関係のない人間関係を広げることができた。普段は密接に交流しているわけではないが、強力な心の安全基地としてのバックボーンを得ることができた。普段の生活は、神経症を抱えて、無人島で1人で生活しているようなものである。そのような環境で背後から援助してくれる人がいなかったらどうなるのか。考えただけでも恐ろしい。集談会活動をしていて、 1番の心の安らぎを覚えるのはそういう仲間達と触れ合うことができることだ。発見会活動をやめるということは、そういう温かい人間関係を結果的には拒んでしまうということだ。孤立した状態で、果たしてこの厳しい環境の中を1人で生き抜いていくことができるであろうか。私は自信がない。集談会の中だけではそういう人を見つけきらないと言う人もいる。そういう人はもう少し視点を広げて、集談会以外の森田の活動にも参加してみることである。テーマ別集談会もある。支部活動、心の健康セミナーもある。全国の総会に出てみるなどだ。意外とそういうところで、心の安全基地を果たしてくれる貴重な人を見つけることができる。次に、森田理論学習は、神経症を治すだけではなく、神経質者としての生き方を教えてくれるものだと思っている。神経質性格を見直し、人生90年とも言われる期間をいかに充実させ、実り豊かなものにさせるかは森田理論を体得できるかどうかにかかっていると考えている。森田理論は確かにそれに応えるだけのものを持っていると確信している。これは間違いない。森田理論で言うところの、生の欲望の発揮、不安や恐怖の特徴と対処の仕方、 「かくあるべし」を少なくして、現実や事実にしっかりと根を下ろした生き方などを懇切丁寧に教えてくれるようなところは他にはない。これを自分のものにすることができれば、人間としてこの世に生を受けたことを心の底から喜んで活動できるようになる。私は今まで森田理論以外にそんなものに会ったことがない。これは森田先生が全世界の神経質性格の人に与えてくれたプレゼントのようなものである。無形世界遺産にしてもよいような代物なのである。その恩恵を受けた私たちは、森田先生が作られた森田理論をもっと平易に理論化して、神経質性格を持った人にあまねく福音が届くように工夫や改善をする必要がある。そして全世界の神経質性格の人が、森田理論学習の恩恵にあずかることができるように努力する使命を帯びていると思う。その活動は我々自身が輝いて生きていけることを意味している。
2017.11.24
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先日、私が勤務しているマンションに掃除のマイスターがやってきました。腰にはいろんな掃除用品の小物を入れるバックのようなものを巻きつけていた。毎日の掃除で困っていることがあったら何でも聞いてくださいという。私はまず、階段や踊り場のビニールシートが黒ずんでいる。どうしたらいいかわからないので放置しているが、どうしたらいいのか聞いてみた。その人が言うには、この黒ずみの原因は自動車の排気ガスから出る煤煙とカビであるという。対策としては、衣料用のハイターを使うそうだ。バケツに水を張ってハイターを混ぜる。それを使って、100均で買ったデッキブラシを入れてこすってみる。すると、ものの見事に黒ずみが取れて真っ白になった。衣料用ハイターは、ビニールシートを変色することはないので、安心して使ってくださいということだった。知らないということは恐ろしいものだと思った。次に、いつも気になってきた6階のエレベーター前の油汚れを見てもらった。会社から油汚れのオススメのスプレーがあったが、なかなか落ちなかったのである。マイスターは、まず水を撒いてビニールシートの模様に沿ってデッキブラシでこすってみた。するとかなり綺麗になった。この汚れは油ではないといった。これは居住者の人がゴミ出しをするときにビニールからこぼれた灰汁のようなものであると言われた。汚れ落としの基本は、まず水を含ませてブラシでこすってみる。これで大半はきれいになるそうだ。その際長い柄のついたブラシを使っては効果が出ないといわれた。力が弱くなって決してきれいにはならないといわれた。面倒がらずにデッキブラシを手に持っておこなうことだといわれた。私の今までのやり方が間違っていたことに気が付いた。それでも汚れがおちなければ、次に油ではないかと見当をつける。油落としの場合は、これを使いなさいと特殊な洗剤を見せてくださった。会社からの推奨のスプレーよりは、こちらの方がよく落ちるということだった。使い方も懇切丁寧に説明された。次に解放廊下側の各居住者の窓のサッシの下の面台の掃除である。ここは管理組合との契約には入っていないが、ここを掃除すると居住者にいかにもよく掃除しているように印象付けることができる。会社から特別に指示されている掃除箇所である。私は今まで濡れ雑巾で見えるところだけを拭いていた。それはやらないよりはよいが、サッシに隠れた見えない部分は放っておくのかといわれた。マイスターは汚れたタオルを捨てないでとっておいてこういうときに活用するとよいといわれた。スクレイパーという金具のへらのようなものをタオルの中に巻き付けて移動していけば、奥まで一瞬できれいになるということだった。確かに言われたとおりにすると、奥まできれいになった。これは大きな発見をしたようでうれしかった。今後の掃除が楽しくなるような予感がした。次に側溝の掃除は、大変よくできており他のマンションの模範になるといわれた。ここが汚れていると、居住者から掃除をしていないと判断されてしまうので、心して今後も丁寧におこなってくださいと言われた。ただし、ドレン(側溝のところどころにある水抜)は改善の余地があるといわれた。これはこのマンションの場合ビス2個で止めてある。それを外して、いつでも裏返しにして裏のごみをブラシで掃くようにするときれいになるといわれた。私は今までピンセットで綿ごみや髪の毛を取り除いていたが、マイスターの言われる方が理に適っていると思った。最後にエレベーターの溝について指導された。溝に詰まっている砂やごみは毎日掃きだしておくこと。さらに金属部分はきれいに磨いて、シリコンの油をつけておくことを教えてもらった。ここもピカピカに磨いていると、掃除が行き届いているように見え、管理人の株が上がるポイントであるといわれた。私はこの指導を受けて、今まであまりにも知らないことが多すぎた。他人から知らないことを教えていただいて、今後の仕事の改善となるたくさんのヒントを教えていただいた。短い時間ではあったが、私にとっては目からウロコの体験であった。森田でいうように、自分独自の気づきや発見を基にして、仕事の改善をすることも必要ではある。でも詳しい人から、基本的な事をしっかり教えてもらって、身に付けることも同時に大切だと思う。森田理論についても、人から教えていただいて、自分の考え方が大きく転換できるとしたら、素晴らしいことであると思う。その考え方を基にして、自分なりに発展させたり応用していけばますます成長できる。私は現在、 「森田理論全体像」の考え方をもっともっとみんなに理解してもらいたいと思っている。それが森田理論学習を有効に学習する手段だからだ。しかし、現実にはなかなか関心を示してもらえない。それはひとえに、自分の説明の仕方が悪いのである。これからは、説明の仕方を工夫して、それを私の使命として、あらゆる場をとらえて理解してもらうように努力していきたいと思う。この学習は森田理論の理解を飛躍的に高めることが身にしみてわかっているからだ。ライフワークとして取り組む価値があると思う。
2017.11.23
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昭和39年東京オリンピックの入場行進の実況中継は私の宴会芸です。もちろんバックには、BGMとしてオリンピックマーチを流して、ダミーのマイクを持っての熱演です。尚、これは演技ですので多少実際とは違うところがあります。ご了解願います。これをやるとなつかしさで、大変喜ばれます。皆さんもしばしお楽しみください。よかったらぜひ宴会などで使ってみてください。古関裕二作詞作曲オリンピックマーチに合わせまして各国選手団の入場であります。まずはオリンピック発祥の地ギリシャ選手団の入場であります。旗手は最初の聖火ランナーのペドロ・マルチネス君であります。ここオリンピアの丘で点火されました聖火は世界各国の大勢の若人の手によりまして一路日本へ、日本へと運ばれたのであります。まもなく聖火台には最終聖火ランナー酒井義則選手によって点火されることになっております。続きましてアルファベット順にアフガニスタンの入場であります。選手一名役員一名の計二名の行進であります。中東の民族衣装が国立競技場の赤いアンツーカーによく似合っております。まもなくアルプススタンド前にさしかかります。日の丸の小旗を振って天皇皇后両陛下ならびにIOCブランデージ会長にご挨拶であります。天皇陛下も帽子をお振りになってにこやかにお応えになっておられます。続きまして16番目。チューリップと風車の国オランダの入場であります。赤いユニホームはアムステルダム郊外に咲き乱れるチューリップの花を思わせます。旗手は柔道のアートン・ヘーシンクであります。柔道100KG以上級の出場が決まっております。決勝では日本の神永と優勝をかけて戦うものと見られます。柔道ファンにはいまから楽しみな試合となっております。続きましてケニヤ選手団の入場であります。小さな国に大きな拍手が巻き起こっております。たった一人の行進であります。しかしながら堂々とした行進であります。その姿は誠にけなげであります。そのけなげさがスタンドのすべての人々の胸をうっております。つづきまして93番目、星条旗を先頭に、自由をおおかする国、USAアメリカ、アメリカ合衆国の入場であります。世界最大の大選手団を送り込んでまいりました。ようこそ日本へ、日本へようこそ。入場行進はまさに圧巻であります。白人あり、黒人あり、黄色人種あり、まさに色とりどり、思い思いの服装、自由自在の行進であります。最も多くの金メダルが予想されております。陸上短距離のボブ・へイズ、水泳の7冠が予想されますドン・ショランダー選手が含まれております。さあ、場内が騒然となってまいりました。しんがりはもちろん開催国日本選手団の入場であります。旗手は水泳の福島正則。男子は赤いブレザーに白いズボン。女子も同じく赤いブレザーに白いスカートで統一であります。胸にはくっきりと日の丸が縫いこまれております。バレーボールの選手を先頭に軍隊のような一糸乱れぬ統一のとれたすばらしい行進であります。敗戦の廃墟から立ち上がり、もはや戦後ではないといわれてはや9年目、日本は世界第二位の経済大国として復活してまいりました。そしてアジアで初めてのオリンピック開催国となりました。選手団の中に東洋の魔女の異名を持ちます日本女子バレーの葛西さんの顔が見えてまいりました。そして重量挙げで金メダルが予想されます三宅義信選手の顔も見えます。そして体操の遠藤幸雄選手、水泳の岡山山陽学園の木原光知子さんの笑顔も見えてまいりました。がんばれ日本、日本がんばれの大歓声の中、スポーツ大国、日本選手団の入場行進で東京オリンピック入場行進はいまや最高潮に達してまいりました。
2017.11.22
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今月号の生活の発見誌に、次のような記事があった。神経症や抑うつに悩んでいた頃は、症状を治すことが1番の欲望と思っていましたが、森田を知ってからは、症状は治すものではなく受け入れるもので、本来の欲望は別にあることを学びました。(生活の発見誌 11月号 51ページより引用 なお、この生活の発見誌は神経症を治すためのヒントが満載であることを付け加えておきたい)森田理論では「欲望と不安」と言う単元があるせいか、 「あなたの欲望はなにか」と聞かれた場合、 「私の当面の欲望は神経症を治すことです」と発言する人がおられる。このように考える人は、森田先生が言うところの循環論理に陥っておられると思う。例えば、神経質の患者で 「どこが悪いのか」と聞けば、 「神経衰弱だ」という。「それではわからない。症状を言うように」と言えば、 「ものが気になる。いろいろなことが苦しい」と答える。「ともかく、何が1番苦しくて、第一に治したいことは」と質問すれば、 「とにかく神経衰弱を治してもらいたい」という。この場合は、 「気になる」と「神経衰弱」とがぐるぐる堂々巡りをしているだけで、次に進むことができない。 「困った」と「どうしよう」この2つの間をさまよっているの循環論理という。循環論理から抜けでるためには、症状について具体的に詳しく、赤裸々に話さなければならないと言われている。自分の当面の欲望は「神経症を治すことだ」と思っている人は、本来の欲望と当面の欲望(気持ち)をごちゃまぜにしておられると思う。本来の欲望を見失い、手っ取り早く自分の症状を取り去りたいと考えると、神経症を克服する方向には向かわずに症状を悪化する方向に向かうと思う。きちんと自分本来の欲望と症状を治したいという気持ちは分けて考えなくてはならない。そうしないと循環論理に落ち込んで苦しさが続いていくことになる。そういう人に、症状が治ったら何をしたいのですかと聞いているが、そんなことは考えたこともないという人もいる。症状を治すことにどっぷりと漬かっておられる。実はそのことが一番の問題なのだ。森田理論の「欲望と不安」単元を学習すれば、欲望を無視して、不安や恐怖にとりつかれ、精神交互作用によって不安や恐怖などが増悪することによって、神経症として固着することが分かる。従って神経症を克服するためには、この精神交互作用という悪循環を打破することが当面の目標となる。そのためには、不安や恐怖は不問にして、「生の欲望の発揮」に視線を向けていくことがとても大切になるのだ。ここで言われている欲望は決して症状を治すことではない。むしろ症状に手を付けないということだ。興味や関心、仕事や生活、家事育児に目を向けていくということだ。実際には実践課題を立てて実行する。やるべきことをメモして行動に移すことだ。さて「生の欲望」というと、自分の目指すべきはるかかなたにある大きな目標を見せつけ出すことだと思っている人もいる。これは生の欲望を曲解しているのである。そんな崇高なはるかかなたの課題や目標だけではない。森田先生によると「生の欲望」について次のように述べられている。・病気になりたくない。死にたくない。生きたい。・よりよく生きたい。人に軽蔑されたくない。人に認められたい。・知りたい。勉強したい。・偉くなりたい。幸福になりたい。・向上発展したい。生の欲望の範囲は広い。森田先生は大きな目標を見つけて、それを目指すことだけが欲望と言っている訳ではない。むしろその辺にたくさん転がっている日常茶飯事の中にこそ多く存在している。私は、日常茶飯事に丁寧に取り組むこと。規則正しい生活をして、心身共に健康に過ごす事。日々 、目の前に立ち現れてくる問題や課題に対して真剣に向き合っていくこと。人のために手を貸してあげると喜ばれると思うこと。好奇心のままにいろんなことに手を出していくこと。これらすべてが生の欲望の発揮そのものだと思っている。むしろ症状で苦しんでいるときは、こちらの欲望の方が大切なのだ。生の欲望とは、はるか彼方にある大きな目標だけではなく、日々私たちが取り組まなければならない事、取り組みたいと思っていることそのものだと思っている。あまりにも大きな課題や目標はどこから手を付けてゆけばよいのかすぐには分からない場合が多い。それらは、身近な課題をたくさん持ってこなしていくうちに次第に明らかになってくるものである。まずは普段の日常生活の中で「生の欲望」を見つけていく努力を重ねていくことが大切である。
2017.11.22
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平成7年2月号の発見誌の記事を紹介します。三重野悌次郎さんの書かれたものです。ちなみに私は三重野さんからも多くのことを学んだ。三重野さんは大分県在住で生活の発見会に多大な貢献をされた方だが、すでに亡くなられている。圧巻は、自書「森田理論という人間学」である。一般意味論から展開される言葉(観念の世界)と事実の世界をこれほどわかりやすく説明されている本はないのではないかと思っている。いつも「事実唯真」を突き詰めて考えておられた。「神経症は治すことはできないが、治る方法がある」というのが三重野さんの口癖であった。三重野さんは、物事を事実に即して観察し具体的に話すことが大切であるといわれている。我々は自分の見聞きしたことを、あるがままに見て、あるがままに話していると信じている。だが事実は決してそうではない。たとえば、私はいつも失敗するという人に、では最近の失敗がいつ、どのようなことであったか」と聞くとたいていすぐに思いだせない。事実は、何日か何か月か前に一度仕事上の失敗があった。その前にもいつか失敗をしている。ということであって、その後は仕事の失敗も家庭での失敗もない。でも本人は「私はいつも失敗する」と信じているのである。これは一例であるがこのようなことはよくある。一般に「いつも」とか「みんな」とか、「絶対に」とかいうときは、ちょっと立ち止まって「果たしてそうか」と自問する必要がある。ある人は「みんな」の名人であった。「みんなそう言っている」というのが口癖だった。そこで誰が言ったのかと聞くと、親戚の女の人が一人言っただけで、それに自分も賛成だと、みんながいっていることになるのである。このような具体的でない話は、本人の気持ちが入っているということだと思う。つまり「かくあるべし」が含まれているのである。抽象的な話は森田理論で学習する事実本位の生活からどんどん離れていく。「かくあるべし」から事実本位の生活に転換するためには、最初から難しく考えないことだ。まずは事実をよく観察することに徹したほうがよい。先入観や憶測、決めつけは三重野さんの言われるように間違いの元である。森田先生は、幽霊屋敷と聞けば真夜中に実際に確かめに行かれて裏付けを取ろうとされている。こういう生活態度はぜひまねてみたいものである。次によく観察した後は、それを具体的に説明する癖をつけることだ。「まとめて言うと・・・」「要するに結論は・・・」などと途中経過を飛ばして話してはダメである。また具体例がなく、抽象的な話だけでは聞いている人は分かりにくく、そのうちうんざりしてくる。観念の世界から離れて、事実の世界から出発する基本は、事実確認を怠らないことと具体的に話すということである。それだけでも大きな変化のきっかけとなるものである。
2017.11.21
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普段、私たちがよく使う言葉で、次のような言葉があります。雑事、雑務、雑用、雑仕事、雑念、雑誌、雑役、雑種、雑草、雑魚。これら言葉にはあまりよいイメージはありません。とるに足らないもの、無視してもよいもの、放っておいても支障のないもの、たいして役に立たないもの、金にならないもの、あると却って迷惑なもの、わずらわしいもの、適当に処分していいものとして認識しているものの総称です。これらは人間が、自分、他人、物を勝手に是非善悪の価値評価をした結果生まれた言葉です。もともと自然界にはそんなものが存在しているわけではありません。観念の世界で作り出されたものです。人間にとって役に立つ利用価値があるかどうか、経済的にお金が儲かるかどうか、人から高い評価が得られるものかどうか。「交換価値」「利用価値」「経済的価値」「評価価値」でもって自分の身の回りのものすべてをよい悪いと選別した結果作り出された言葉です。例えば家庭の炊事、掃除、洗濯、整理整頓、育児のような仕事を「雑事」とみなして軽視し、自分はもっと意味のあることをするべきだ。クリエイティブで創造性のあることを手掛けたい。あるいは「雑事」は他人に任せて、趣味や旅行、グルメ三昧の生活に軸足を置いて生活を楽しみたい。「雑仕事」は、細かい伝票整理のような仕事です。伝票がたくさんあると確かに煩わしいものです。これらをいい加減に取り扱って、整理することを怠っていると、調べ物をするときにとてつもない時間を費やすことになります。「雑仕事」を軽く見る人は、余計な仕事をたくさん作りだす名人です。また「雑草」という言葉があります。本来自然界に「雑草」という植物はありません。人間にとって存在していては困るものとして認識されている植物群のことを言います。そこで除草剤を振りかけたり、雑草をビニール製の寒冷紗のようなもので覆って、邪魔者扱いしています。それでも雑草はへこたれず伸びてくるので、ついに人間が敵視するようになったのです。青森のリンゴ農家の木村さんは、夏に雑草を刈り取りません。周りの農家は訳もなく雑草を刈り取ります。除草剤や草刈り機で刈り取ります。木村さんは刈り取ると夏の地表温度が30度を超えてリンゴの木の根がやられるといいます。根がやられないためにみんな水の散布をおこないます。木村さんに言わせればしなくてもよい仕事です。木村さんはいろんな植物を生やしたままにしているので、地表温度は20度台の前半です。水やりは必要ありません。またマメ科の植物は窒素を固定してくれるので肥料もやる必要もないのです。木村さんのリンゴ栽培では「雑草」というものはないのです。これこそ植物の「存在価値」を見つけ出して活用しているという例です。「雑魚」という魚は、鯛やヒラメ、マグロやハマチ、フグ、金目鯛などの高級魚と比べると見向きもされません。小さな魚やイワシやボラのような魚です。広島では瀬戸内海でとれた小イワシの刺身は人気がありますが、一般的には出汁をとったり、畑の肥やしにしています。それはまだいい方で、網にかかっても、経済的価値がないので、面倒な魚として、そのまま捨てられてしまいます。森田では雑事、雑用、雑仕事、雑草、雑魚などといった考え方はしません。すべての生き物には「存在価値」があるという立場に立っています。森田では人間の都合によって、安易に是非善悪の価値評価をしてはならないといいます。それぞれの「存在価値」を見つけ出して、最後の最後まで活かしてゆきましょうという考え方です。森田理論全体像の中で考えてみても、この段階は森田が目指している最終段階といえるでしょう。森田先生曰く。「善し悪しとか苦楽という事は、事実と言葉との間に非常な相違がある。この苦楽の評価の拘泥を超越して、ただ現実における、我々の「生命の躍動」そのものになりきっていくことができれば、それが大学卒業程度のものでもあろうか。「善悪不離・苦楽共存」というのもこのことである」(森田全集第5巻 653ページより引用)森田先生が言われている大学卒業程度の段階という言葉はとても奥が深いように思います。神経症が治るという2番目に「思想の矛盾の打破」というのがあります。ちなみに1番目は「精神交互作用の打破」です。「思想の矛盾の打破」とは、「かくあるべし」に重きを置いた世界から離れて、事実、現実、現状を出発点にする生き方に転換できたときに身につくものです。この段階が実現できた段階では、神経症が治るだけではなく、神経質者としての本来の生き方を体得し、味わい深い人生を歩み始めた人の姿といえるでしょう。ここまでは森田理論学習に取り組んでいる我々が目指すべき確かな目標となります。森田先生は、その上に是非善悪という価値判断をやめて自然と一体となった究極の生き方があるといわれているのです。価値判断をやめればすべてのものには存在価値がある。生きとし生けるものは、意味もなくこの世に存在しているということは考えられない。自分も他者も、動物も植物も地球上に存在するものすべてに存在価値はある。それぞれが持つ存在価値を見つけ出して、思う存分最後の最後までその価値を実現していこうではありませんかと提案されているように思えてならないのです。森田ではむしろ「雑」をつけて呼ばれているものこそ、大切な宝物として取り扱う必要があるといっているのです。そういう考え方に思いを馳せれば、雑事、雑務、雑用、雑仕事、雑念、雑誌、雑役、雑種、雑草、雑魚という言葉は死語になってしまう。
2017.11.20
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退職までの半年で 答えを出せというけれど加入期間が短くて 年金もらえるアテがない年金暮らしが 夢なんて 現役 時代の 甘い夢年金時代の 入口は 先の見えない ことばかりからだは もはや あの頃の 盛りを過ぎて しまったか胃腸に肝臓 ガタガタで おまけに糖尿 五十肩年金暮らしが 夢なんて 現役 時代の 甘い夢年金時代の まんなかは 医者に通って いるばかり元唄 森田公一とトップギャラン卒業までの 半年で 答えを出すと言うけれど二人が暮らした年月を 何で計ればいいのだろう青春時代が 夢なんて あとからほのぼの想うもの青春時代の真ん中は 道にまよっているばかりこれは私が作った替え歌ではありませんが、みんなで歌って楽しんでください。私は、「青い山脈」の替え歌で、「森田とともに」「瀬戸の花嫁」の替え歌で、「瀬戸内支部賛歌」を作りました。集談会や瀬戸内支部研修会の懇親会で歌っています。替え歌作りはとても楽しいものです。こうゆうところで神経質性格を存分に花開かせてみませんか。
2017.11.19
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森田先生は神経質同士の結婚はよくないと言われている。神経質者同士は、お互いに心持ちが分かり、心の底まで見通しているから、お互いにその欠点を挙げ合って、相手にばかりそれを改良させようとするぐじぐじといつまでも、しつこく言い争をする。また、ヒステリー同士でもいけない。喧嘩が早くて始末に負えない。およそ、結婚は気質の違った人が、うまく組み合わされるとよい。神経質な人は、気の軽い大まかな人と結婚するのがよい。するときの軽い人は、あの人はどうせ気難しいがり屋だからといって大目に許し、また神経質な方では、どうせあれには、難しいことを言ってもわからないといって、あまりやかましくはいわなくなる。お互いに許し合うから円満になる。結婚について最も大事な事は「調和」ということです。たまにいとこ同士で結婚している人がいる。この場合は、遺伝子がよく似通っているので、優性遺伝が強く現れるととてつもなく素晴らしい能力を持った子供が生まれることがある。私の知ってる人でも、夫婦は日雇いのような仕事をしている人だか、生まれた女の子供は最高学府の学校出ている。その話を聞いた人は誰でも嘘をついているのだろうと思うそうだ。だから自分の娘の卒業写真を常に携帯していた。語学に堪能で大きな会社に入り、世界中を飛び回っている。キャリアウーマンになった。その子供が結婚する時、そのお相手もまた経済力や能力のある人で、結婚式で相手の出席者は国会議員を始めとしたそうそうたるメンバーを揃えていたそうだ。自分のほうは、親族や2人の友人のみでとてもみすぼらしくて肩身の狭い思いをしたとと言っていた。いとこ同士の結婚で一番問題になるのは、劣勢遺伝が強く現れた場合である。この場合は先天的な身体や脳の機能の異常という場合がある。いとこ同士の結婚は、結果が極端によいか悪いかということになりやすい傾向があるということである。集談会でもよく集談会でお相手を見つけて結婚する人がいる。私はそれが必ずしも悪いとは思っていない。森田先生は、神経質気質同士は、性格がよく似通っているので、それがプラスに出ればお似合いのカップルとなる。反対にマイナスに出た場合は、収拾がつかなくなるということを言っているのだと思う。お互いに細かいことが気になり、自己内省性が強く、執念深いという特徴がある。また、一般的には「かくあるべし」が非常に強い。それが自分に向かった場合、神経症に陥りやすい。そして葛藤や苦悩で苦しむ。また相手に向かった場合、そのうち支配被支配の関係になりやすく、油の切れた機械を動かすような摩擦を生みやすい。もちろん、感受性が強いという面を生かして、お互いの思いやり絆を深めていけばよいのだが、ちょっとしたことをきっかけにして、それらがすぐに瓦解してしまうという危険性は持っている。神経質者同士の場合でも、強迫神経症の場合と不安神経症の人の組み合わせは比較的よいようだ。それは、強迫神経症の場合は、森田理論で言うところの自己中心性がとても強い。端から見ると自分のことしか考えていないように見える。活動は自己抑制的である。ところが、不安神経症の人は、基本的には自分の周囲の人の事を大切にする。それは自分がパニックに陥った時に、誰かに助けてもらえないと死んでしまうかもしれないという気持ちがあるからだろう。活動は神経症が回復した時点では、人間が変わったように活動的で、リーダーシップをとったり、人を取りまとめたりする力を発揮することがある。そういう意味で、神経質の中身が多少違うのである。異質な特性を持った人が一緒になると、磁石で言えばマイナスとプラスを近づけるようなものになる。近づけるだけで自然にくっついていくようになる。ところがプラスとプラスを無理矢理引きつけようとしても反発するばかりである。マイナスとマイナスをつけようとする場合も同じである。だから、お互いの人間関係においては、異質な性格や能力を持った人同士が協力し合うというのが、自然の摂理にかなっているということだ。頭の中だけで考えると、性格や能力、趣味や目標が似通った人同士の方がうまくいくように考えられるが、事実は決してそうではないということだ。短い期間で見ていると気心もしれ対立することもないので、その方がよく見えるのだ。ストレスがなくて楽なような気がするのだ。趣味や考え方が似通っているので、この人とずっと死ぬまで相思相愛で争うこともなく楽しく生活できるはずだと思うのは、あまりにも短絡的な考えかたである。何十年という単位で考えてみると、自分の持っていない面で相手に助けてもらい、相手の持っていない面で相手を助けるという関係が理にかなっている。会社などの組織で考えても、同じような考え方、行動の仕方をする人よりも、考え方、行動の仕方、年齢も性別も違う人同士が集まっているほうが、長い目で見るとプラスに働くようである。確かに、いろんな人がいるとたえず摩擦が発生する。嫌な思いをすることも多い。しかし、その問題を話し合いによって乗り越えようとする努力が、結局自分たちの組織を強くしているのである。そういう意味では、我々の神経質者の自助組織においても、異質な傾向を持った人が多く関わりあうことが、組織の維持と発展には欠かせないものであると考える。
2017.11.19
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森田先生の格言の中に「迷いの内の是非は、是非ともに非なり」というのがある。この格言で、森田先生は何を説明されようとしているのであろうか。1つには、精神拮抗作用の活用を説明をされているように思う。例えば、今日、親しい人たちと食事会を予定しているとする。気のおけない人たちであるから、当然酒のほうもすすむことが予想される。酒好きは、今日は思う存分いろんな酒を飲みまくっていい気分になりたいと思っている。しかし、今までそのような調子で飲みまくり、次の日二日酔いでダウンした失敗は数多く経験している。ましてや、生活習慣病検診の結果はよくない。だから飲み過ぎる事はよくないと思っている。このような2つの相反する気持ちの中でどうしたものかと揺れ動いているのである。このような時、森田先生はどちらか一方に自分の態度を決めてはならないと言っている。飲みまくるほうに態度を決めてしまえば、誰よりも早くビールのジョッキを飲み干しておかわりをする。何杯もビールを飲んで、焼酎や日本酒、サワーやワインなどにも手を出す。最後にはろれつが回らなくなるほど酔いつぶれてしまう。最悪のパターンだ。こういう場合は酒をたらふく飲みたいという気持ちはそのままに認める。しかしその時に、ある程度制御しなければならないという気持ちも同時に沸き起こっている。その感情も認めてあげる必要がある。 2つの相反する感情の間でどっちつかずの宙ぶらりんな状態である。この不安定な2つの感情の事実を認めて受け入れていくという態度が肝心なのである。右に揺れたり、左に揺れたりして、どうしても割り切ることができない。このような態度でいると、しだいに二日酔いにならないような酒の飲み方を工夫するようになる。例えば、ビールを飲むとともにサラダなどの副食物を同時にとるようにする。空腹にアルコールを流し込むということを避けるのだ。また、ビールの飲み方も駆けつけ3杯というような飲み方をしなくなる。周囲の人を見渡して、その人たちの飲むスピードに合わせるようになる。できれば周りの人たちが飲み干した後に飲み終えるように飲むスピード調整するようになる。いろんな酒をちゃんぽんで飲むと二日酔いになりやすいということはわかっているので、いずれかの酒ひとつに絞るようになる。そうすれば、二日酔いになることもなく、ろれつが回らなくなり、仲間に迷惑をかけることもなくなる。相反する2つの気持ちで自分の心が揺れ動くということは日常生活の中でいくらでもある。その時、性急にどちらかに自分の態度を決めてつけるということをやめて、どっちつかずの感情の中に自分の身を置いてみるという態度でいることが大切なのである。そうしていると、その時その場に応じた気づきや工夫が浮かんでくる。それは自分一人が浮き上がることがなく、周囲の状況の変化に合わせるということになるのである。もう一つは、森田先生は、神経症を治そうとする積極的な態度は、ますます神経症を増悪させると言われている。迷ってもがけばばもがくほど、思いつくことすべてに手当たり次第に手を出すが、これこそ「迷いの内の是非は、是非ともに非なり」である。神経症は器質的な病気ではない。考え方の誤り、人生観の間違いから発生しているものである。それを器質的な病気とみなして、治療するというのは間違いである。そこから森田療法は始まっている。迷って判断ができないときは、神経症の治し方の正しい道を知っている人にお任せすることが肝心だ。森田先生の治療法に素直に従って試しにやってみるという態度になることが大切なのである。「すなわち強迫観念を治すには、恐怖はそのまま受忍して、心配は当然心配するとともに、一方には積極的に欲望に対して、人生を切り開いていく努力をすれば、従来の苦悩も、うなされていた夢の醒めるように治るものであります」神経症を治すために、慌てふためいて手当たり次第手を出すことは、ほとんど失敗する。信頼できる先輩や森田療法の専門家に任せて、素直に従うことが肝心である。
2017.11.18
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森田先生はことば使いにやかましい人だった。ことに敬語の乱用を嫌っておられた。ある人が森田先生のところで飼っていたサルのことを、 「おサルさん」と言った。「お」の字をつけて、「さん」までつけてしまった。森田先生は唖然としておられたという。だから患者さんがサルにカキをあげるとか、サルがカキを食べるなどというとすぐにお小言だった。サルは餌を食うのであって、食べるのではない。ライオンが人をたべ殺すなんて言うのは、いかにも妙に聞こえるではないか。こうした言葉づかいのはしはしにも、神経質者は神経質らしい細かい配慮をするべきだというのが先生の主張だった。何事にも神経質らしく、ゆるがせにしないという態度、それが神経質を活かす道なのである。(形外先生言行録 175頁より引用)敬語の使い方を誤ったぐらいで何もそこまでと思うのだが森田先生はそうではなかった。つまり敬語の使い方の無頓着な人は、細かいことが気になるという神経質性格を活かしていないということなのだ。神経症に陥ると、心配性である自分をよくない性格だと思って否定し、性格改造に取り組む人もいる。確かに小さいことが気になる人は、何かにつけて不安になる。普通の人の倍以上も悩みを抱える。取り越し苦労ばかりして実践・行動をすることに二の足を踏んでしまう。森田理論では、そのようなマイナス面だけをことさら取り上げて否定するようなことはしない。その裏の面をみる。マイナスの裏には必ずプラス面があるわけですから、プラス面も評価しないと、ものを正しくみたとは言えない。心配性であるという性格は、感受性が鋭いということである。いわば最新鋭のレーダーを標準装備しているようなものである。自然の風景やクラシック音楽を味わったり、絵画を見て感動したりできるのはこの鋭い感受性のおかげである。それを利用してゆけば、いくらでも人生を楽しむことができる。この性格は、それにとらわれてしまうと、容易に神経症に陥ってしまう。しかし、逆にその気づきや発見を生活の中に活かしていけば、自他共に役に立つ。森田先生は神経質性格というものを、とても得難い素晴らしい性格であると言われていた。しかし、一般的には神経質性格を忌み嫌い、存分に活用しきれていないというのが実態である。もし活用できていれば、敬語の使い方ひとつにしても、当然配慮があってしかるべきだというのが森田先生の考え方である。集談会では、定例の学習以外に、忘年会や新年会、あるいは1泊学習会などのイベントがある。こういう時こそ神経質性格を存分に生かすべきであると考える。参加する人たちにいかに喜んで楽しんでもらうかに焦点を当てて進行を考えるのである。日時、会場の決定、料理、役割分担、費用、プレゼント交換、時間配分、出し物の決定などまずは大まかな計画を立てる。出し物では、カラオケ、合唱、ビンゴゲーム、隠し芸、趣味の模範演技、作品展示などが考えられる。その中から、当日の計画を細かく立てていく。試行錯誤を重ねたイベントは自他共に感動を味わえる。そうすればかなりの高い確率でみんなに喜んでもらえるはずだ。自分でも弾みがついて実施日が待ち遠しくなる。こういうことが神経質性格を活かすということにつながる。そういうことに真剣になれる人は、もし仮に集談会での森田理論学習がマンネリに陥っていればすぐに気がつく。何とか改善したいと思うようになる。みんなで改善点を話し合うようなことにつながる。集談会活性化のために工夫やアイディアが出るようになる。例えば、森田理論を実際の生活にいかに応用しているかという、「生活森田・応用森田」のコーナーを作ってみようなどという提案も出てくる。集談会はマンネリ化してつまらないと思っている人は、神経質性格の長所を活かしきれていない人と言えるのではないだろうか。そういう人は、神経症の回復からも取り残されるし、神経質性格を活かした生き方も見つけることができないと思う。
2017.11.17
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私はマンションの管理人をしている。マンションの管理人の仕事は5つある。まず受付業務。清掃業務。立会業務。点検業務。連絡報告業務である。今日はその中の清掃業務について投稿してみたい。清掃という仕事はとても奥が深い仕事である。私が1番力を入れているのは、開放廊下の側溝の掃除である。ここは大規模修繕工事などがあると、ウレタン塗装でピカピカに輝いている。ところが管理人がここの掃除を怠ると真っ黒に変色してくる。しつこい黒い汚れが付着してしまうと、なかなか元には戻らなくなる。そうならないためには、 1週間に1回ぐらいモップ掛けをするとよい。この側溝の掃除を丁寧にしていると、実に気持ちがよい。居住者の人も、管理人の清掃業務を高く評価してくれる。開放廊下の掃除が少し手抜きになっても、側溝と面台の拭き掃除は手抜きはできないと考えている。開放廊下は基本的にはホウキとちりとりによる拾い掃きである。しかし、エントランス自動ドアやエレベーターの溝のゴミはなかなか掃き出すことができない。そんなところによく綿埃のようなゴミや虫が入り込んでいる。私は長年の経験により、清掃の7つ道具を絶えず携えている。ちょっとした気づきですが、他の管理人さんでまだ知らない人がいるので、教えてあげることがある。実際に実践してみるととても役に立つと言われる。・側溝用ちりとり・・・側溝の砂などのゴミを掃除するのに欠かせない。・小さなブラシ・・・エレベーター回り、ドア周り、廊下の隅の掃除に欠かせない。・ドライバー・・・水道メーターの点検するときに欠かせない。こびりついたゴミをほじくり出すときにも便利である。・ピンセット・・・ドレンの中に詰まったゴミを拾いあげるときに必要である。・メモ帳・・・水道メーターの数字を記入したり、居住者の伝言を素早くメモしている。・ライト・・・電気のタイマーのセットや、暗い場所での作業時に欠かせない。・カメラ・・・不具合箇所や不審車両などを撮影して、管理会社に見てもらっている。この7つ道具は、清掃をしているときにとても役に立つ。100均で買ったものが多い。これがないと、きちんとした清掃作業ができないのである。小さなブラシにはドライバーをくっつけて、ちりとりに取り付けている。側溝用ちりとりもちりとりに取り付けている。ピンセットはバンドにセットしている。メモ帳、ライト、カメラはスマートフォンで用が足せている。先日、管理人の研修会があった。その時に、みんなで清掃作業の工夫を出し合った。清掃作業中に気づいた問題点や疑問をもとにして、みんな様々に工夫しておられることがよくわかった。そういう人は、 「たかが清掃、されど清掃」と言うような気持ちでおられることがわかった。清掃作業という仕事は、 3kと言われるような仕事である。そんな仕事でも、一歩踏み込んで取り組んでいると、いろんな気づきや発見がある。それを元にして工夫や改善を心がけていれば、苦痛と言う事はなくなり、むしろ面白くなってくる。そして、居住者の人に気持ちよく生活してもらうことができる。すると、何かにつけて居住者の人が仕事ぶりを評価してくれるようになり、自由にのびのびと仕事ができるようになった。最近ではいろいろ優しい言葉をかけてもらったり、いろんなものを差し入れしてもらえるようになった。最初この仕事を始めたときは、アルバイト程度で5年ぐらいで辞めるつもりだったが、今では弾みがついて10年までは続けたいと思うようになった。森田でいう「ものそのものになりきる」という実践は、色々なメリットがあることに気がついた次第です。
2017.11.16
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森田先生のところに入院していた舘野健さんが次のような話をされている。森田先生が亡くなられた。前年の秋のことである。日曜日の午後、高良先生・古閑先生をはじめ門弟一同が先生の病室に集まって雑談をしていたが、誰が始めるともなく、みんなが思い思いに人の顔を写生しはじめた。私は高良先生のお顔を写生していた。 ○○先生だけが仲間に加わらなかった。「 〇〇君はどうして描かないのですか」と森田先生がいわれた。〇〇先生は何か口ごもりながらバツわるそうな表情をした。そばから古閑先生が、 「 〇〇君は絵のほうはダメなんです」と、おとうと弟子に助け舟を出した。「僕は風邪でねたときに下手な俳句を100首以上も作ったことがある。上手とか下手とかということにとらわれず、なんにでも手を出さなければ」と、 〇〇先生のほうを見据えるようにして、意外に厳しい調子で、 「自分の本職のほうにしろ、 1人前にはなりません」といわれた。一瞬、ピリッとした空気が、その場を領した。舘野さんは、入院中、夜に庭に出て発声法の練習をしていた。それを聞いていた森田先生が、ある日、 「舘野君は声楽をやっているそうですな」と先生に訊かれ、叱られるのではないか、と黙ってみまもる私に「僕も試験勉強中に三味線を習ったことがあります」とポツリと言われた。そして、しばらくしてから、 「何にでも手を出しなさい。僕の療法も、西洋医学の療法といわず民間療法といわず、あらゆる療法に手を出して、やってみた結果、自然にできたもので、初めから作り出そうと思ってやったことではありません」と言われた。私は、この時ぐらい嬉しい気持ちで先生のお顔をみあげた事はない。(形外先生言行録 204ページより引用)この文章を読むと、いかに森田先生が実践や行動を重視されていたかがよくわかる。私は実践や行動は、好奇心が湧いてきたり、興味がある事は基本的には何にでも手を出した方がよいと思う。手を出してみれば、いろんな感情が沸いてくる。簡単にできると思っていたことが、意外と難しかったりする。例えば、大道芸で皿まわしがあるが、簡単そうに見えるが、うまくできるようになるまではかなりの練習をつまないとできない。また、取り越し苦労ばかりして右往左往していたようなことが、実際に取り組んでみれば意外と簡単にケリがつくこともある。また、豆腐のやわらかさは口でいくら説明しても分かりづらいが、実際に自分の手で触ってみれば、その感触がすぐにわかる。実践、行動がなぜ大切なのかというと、様々な感情がわき起こってくるからである。その感情がまた次の感情を生みだして、弾みがついてくるのである。すると、自分の症状にばかり関わっておられなくなる。それは、気づきや発見によって、自分の中でやる気や意欲が次第に高まってくるからである。仮に手を出してみれば、さらに新たな感情が生まれてくる。さらに工夫や挑戦を続けることによって、建設的生産的な生活へと変化していく。実践や行動は、最初のうちは面倒だとか億劫だとか色々理由をつけて、回避しようとしがちである。その気持ちをある程度封印して、嫌々仕方なしにでも体を動かすことが大切なのである。規則正しい生活を心がけていれば、体がひとりでに動いていくようになる。学校での勉強や会社での仕事は、最初から好きでやっているような人はあまりいない。勉強は大学に入るため、あるいは、いい仕事に就くため仕方なく始めることが多い。会社での仕事は、自分の生活と家族の生活を成り立たせるためにやむなく携わっていることが多い。いわば他人から強制されて、自分の意志に反して無理やり行動しているようなものである。最初はそんな状態でも一向に構わない。むしろ、そこには嫌々仕方なしに行動しているということに大きな意味がある。とはいえ、そのような状態がいつまでも続く事はストレスの蓄積につながる。そのうち、精神的な苦痛に耐えきれず怠けたり挫折したりすることがある。 それではせっかくの実践や行動が台無しになる。これを避けるためには、森田理論で言うところの「ものそのものになりきる」を取り入れるとよいのだ。いやいや、仕方なしに始めた勉強や仕事であっても、いま一歩踏み込んでみることだ。少しでも面白み、疑問や改善点などの気づきや発見という宝物を探し当てるという気持ちが大切なのだ。その宝物を1つでも見つけようと言う気持ちがあると、必ず「ものそのものになりきる」という行動につながる。そうすれば次第に、勉強や仕事に興味がわき、いつの間にか時間を忘れるぐらいにのめり込むようになるのである。それが森田理論で言うところの、 「努力即幸福」の体験である。いつもいつもそういう状態になることは難しいが、勉強や仕事を面白くするためには、どうしても通らなければならない関所のようなものである。
2017.11.15
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この迫力ある獅子をご覧ください。踊る森田といえば獅子舞も見逃せません。この獅子で老人ホームなどで、篠笛、太鼓に合わせて「江戸寿獅子」を舞っております。重さ約4キロあります。そのため日ごろから手の筋力をつけています。また地面に這いつくばった状態から、急に飛び上がりますので、足腰を常に鍛えておく必要があります。つまり、体力勝負なのです。普段から毎日仕事で10階建てマンションの階段を2段跳びで駆け上がり、足腰の強化を図っています。獅子舞は見る機会がないので、見た人は喜びます。獅子舞が終わると、希望者に縁担ぎで頭を噛んであげます。
2017.11.14
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集談会の懇親会で、しば天踊りを披露する私。第35回日本森田療法学会に参加した。約200名近い方が全国から参加されていた場所は、森田先生が学生生活を過ごされた熊本であった。森田先生の五高時代のエピソードがふんだんに紹介されて感慨深かった。私は初めて参加したが、大変役に立ったので、近くの県で開催される時は、また参加してみたいと思った。その中で印象に残ったことをお話ししてみたい。北海道の方で、復職デイケアを担当されている方が、「踊る森田療法」について発表された。身体からのアプローチを重視して、運動系プログラムを積極的に取り入れていることが特徴です。その中でも、エアロビクスはクラスの看板プログラムである。その目的は、仕事に欠かせない身体的な疲労耐性を養うことである。最初は踊ることに抵抗を示す人が少なくない。ところが、参加を重ねていくうちに、好きなプログラム・ナンバー 1へと評価が変容していくことが多い。その理由の1つとして、気分がすぐれないまま踊るという行動を起こすことで、不快な気分へのとわれから抜け出すことを体験的に学んでいることが挙げられる。リズムに乗ってダンスを踊るという事自体、人間の根源的な楽しみの1つであり、固有の音楽と舞踏を持たない民族はない。それは舞踏が「楽しさ」を内包しているためである。理屈抜きにしても、実際、音楽に合わせて踊る時は、余計なことを考える暇が一切ないのである。踊っている瞬間は、言葉や観念からは解放され、今この瞬間に「なりきる」ことを体感できるのである。一般に悩んだり不安にさいなまれている人ほど、体が動いていないことが多い。さらに、動かず、考えても答えが出ないことで悩み始めると、自分のこと(気分や立場)ばかりに関心が向きがちになる。その結果、今やるべきことがおろそかになり、ますます苦悩にとらわれるという悪循環に陥ってしまう。それを打破するために踊りは有効なのである。これは集談会活動に取り入れるべきであると判断した。普段の集談会では、自己紹介、理論学習、体験交流が定番プログラムです。その中に、このような体験学習を取り入れてみるという考え方はいかがでしょうか。私は集談会の中に、「生活森田・応用森田」というコーナーを設けるべきであるという立場に立っている。私の所属している生活の発見会の瀬戸内支部では、毎年1回、 1泊研修会行っている。その時の懇親会の時に場所があれば、徳島阿波踊りの音楽をかけて踊っている。徳島集談会の人が講師になり、最初に簡単なレクチャーを受ける。阿波踊りはそんなに難しい踊りではない。あとは自由気ままに踊りまくるのである。文句なしに楽しい。私は、高知のしば天踊りをYouTubeで発見し、かぶりものを高知の北村染物店から取り寄せて練習を開始した。最初は所作を覚えるのが大変だったが、現在はアドリブも含め、完全にマスターした。忘れないために、毎日朝練習を続けている。毎日踊り続けて約3年である。長く続いているのは、老人ホームの慰問活動で出し物として使うためである。それに加えて、安来節のどじょうすくいの踊りも私の得意な踊りであり、毎日練習している。獅子舞、浪曲奇術も習得しており、これらは本番前には1週間程度集中練習をする。場を和ませて、人に喜んでもらえるし、自分もそれに没頭しているときは、症状のことは完全に忘れるので一挙両得である。これらについては、挑戦したいという人がおられればいつでもすぐ応じている。将来はホームページを立ち上げることも考えている。題して「一人一芸の持ち主、全員集合」である。座学の森田理論学習も大切であるが、もっと大切な事は森田理論を実際に生活の場で応用してみるということである。
2017.11.14
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森田先生は熊本の第五高等学校に在籍されておりました。今回初めて訪問しました。現在は熊本大学です。当時夏目漱石が英語教師でした。社会教育家の下村湖人、永杉喜輔、そして生活の発見会の生みの親の水谷啓二氏も第五高等学校の出身です。
2017.11.13
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過去の投稿の再録です。シャロン伴野さんは「子供を伸ばす魔法の言葉」(文園社)でおもろいことを言われています。この中で「かくあるべし」を少なくするために役に立つ話があります。例えば、大切なお客さんが来ているのに、子供がぐずって泣き出したとします。 シャロン伴野さんは子どもにこう言います。 「お母さんは今、お客様と大事なお話をしているの。もし、泣きたいのなら、玄関のところにいって泣きなさい。もし、お母さんたちと一緒にいたいのだったら、泣き止みなさい。どっちがいいですか?」 子どもはしばらく考えて、どちらかを選びます。 泣きたいと思えば玄関のところに行きます。 玄関のところにいって泣いても誰も相手にしてくれませんから、つまらなくてすぐに泣き止みます。この場合自分で選んだことですので、小さな子供でも誇りを持って、再度泣き出すようなことはありません。 子供は自分でどちらがいいかを判断して選び、そして自分が下した決定を守る能力と自尊心が育ちます。選択肢は2つにすることです。 何でもかんでも自由にしなさいというと、子どもたちは右往左往します。また3つや4つでは多すぎます。集中できないのでダメです。また選択肢の中に脅しを入れてはいけません。こうしないと、ぶちますよとか、なにかをしてあげない、買ってあげない、という形の選択だと、それは強制になって子供の自由意志を尊重することにならない。このメリットは次のようなものです。 1、 親が子供に一方的に押し付けずに、自分の行動について子供自身に選ばせることによって、子供の自立心が育ちます。つまり森田でいう「かくあるべし」を子供に押し付けることを回避できる。 2つの選択肢を与えることで、目の前の出来事に集中できる。 比較検討することによって感じが高まります。 2、 どちらを選ぶかについては、当然、子供自身の頭で考えなければなりませんから、思考力も養われます。 3、 自分自身で考え、それに基づいて下した結論によって行動するので、子供自身のやる気が出てきます。モチュベーションが高まってきます。 4、 親にとって、子供がぐずったり、すねたりしなくなるので、子育てからくるストレスがなくなります。 「ダメです」「早くしなさい」「親の言うことが聞けないの」などという言葉は、子供が反発しやすく、親子げんかの原因になります。 5、 子供は自分に選択肢を与えてくれる親を尊敬し、親は子供が自分で選んだ行動に責任を持つのを見て頼もしく思いますので「信頼関係」が深まります。 親子の間でよくありがちなのは、大人が自分のイライラした感情をなんとか早く取り除いてすっきりしたいというということです。しかし、その手の行動は親子関係が悪化してゆきます。そして最後には、自分の思うようにならなくて「お前の好きなようにしろ」と放任して突き放してしまいます。そうなりますと、子供は、親の後ろ盾を無くしてしまいます。 親の後ろ盾を得られずに育った子供は、他人との信頼関係を築くことがとても困難になります。子供は他人が自分をどう扱ってくれたかにばかり神経を使うようになります。これが対人恐怖症の大きな原因に発展してゆくことがあります。 暖かい人間関係の枠外に出されることは身体的および社会的な「死の恐怖」と直結するからです。そうならないために、シャロン伴野さんの「どっちがいい」「どっちにする」という接し方は応用してみる価値があると思うのです。こういう考え方ができる人は、人間としての懐の深さを感じさせます。森田理論学習ではすでに「純な心」「私メッセージ」の人間関係への応用はすでにされている方も多いと思います。それにこの考え方を取り入れて、自分の「かくあるべし」を自分にも他人にも押し付けないという態度の養成はできないものでしょうか。
2017.11.13
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森田先生の入院森田療法を受けられた早川章治さんの言葉である。「事実唯真」は、最も多く揮毫された先生の言葉と思われるが、科学者としての森田先生の物の見方、考え方、言動などのすべての生まれる根源を示している言葉のように感じられる。この言葉の本当の意味は、日常の生活体験を通じて理解されるようになれば、すなわち森田神経質のいわゆる全治であると言えるかもしれない。晴れた日はさわやかであり、雨が降ればうっとうしい。桜の花は美しく、毛虫はいやらしい腹がすくとひもじく、美人の前では恥ずかしい、これを「柳は緑、花は紅」という。森田先生はこんな調子で話をされた。そのあるがままであることが大切である、と言われる。こんな時、患者の誰かが、先生、それではあるがままにしていればよいのですね、と念を押すと、それを僕に問うてはいけない。そうですか、なるほど、と頷けばよろしい。このリンゴは赤い、と僕は事実を言っている。これに対して、先生、それでは赤いものはリンゴですね、と言ったら、誤りである。赤いものといえば、トマトも赤いし柿も赤い。この辺の意味が、入院患者にはなかなか理解が難しいようであった。神経質の症状は病的異常のものではないから、治すに及ばない。そのあるがままであることが大事だと先生は教えられるのだが、患者は症状を治そうと焦るために、あるがままになろうとするわけである。「かくあるべしという、なお虚偽たり。あるがままにある、すなわち真実なり」と言うのも森田先生の有名な言葉である。(形外先生言行録 189ページより引用)森田先生は現実、現状、事実に立脚した生活態度を身につけることを、ことのほか重要視されている。その反対は、 「かくあるべし」を前面に押し出した生活態度のことを言う。なぜ「かくあるべし」という生活態度が身についてしまったのか。これについて森田先生は、 「教育の弊は、人をして実際を離れて徒に空論家たらしむるにあり」と言われている。これは森田全集第5巻の最初に出てくる言葉である。生まれてきてからずっと、 「かくあるべし」教育を受け続けてきたと言われるのである。人間は「かくあるべし」で骨の髄までがんじがらめに縛り上げられているという事を憂慮されている言葉である。人間は、言葉という便利なものを作り出した。そのおかげで、過去のことや未来のこと、抽象的なこと、複雑なことなどを自由自在思考するようになった。そのおかげで人間は今日の高度な文明を築き上げることができたともいえる。しかし、その半面で、それにあぐらをかいて、現実、現状、事実を軽く取り扱い、頭で考えたこととそれらが矛盾する場合、頭で考えたことを優先するようになった。それが、人間が葛藤や苦悩を抱えるもとになった。人間の不幸の始まりとなった。森田先生は、頭で考えたことを最優先するような生活態度は間違いである。どんなに問題があり、頼りなげであっても、現実、現状、事実にどっしりと根を下ろして、常にそこから出発するという生活態度に立ち戻る必要があると言われている。「事実こそが真実であり、人間が生きていく上での出発点とすべきである」という森田先生の考え方は、けだし名言である。これが森田理論の核心部分の考え方であり、 1人でも多くの神経質者がその生き方を身に付けることが肝心である。早川さんの言われるように、この部分が身につかないと、本当の意味で神経症は治らない。逆に言うと、この部分が真の意味で理解できるようになると、その人は神経症が治るだけではなく、その後葛藤や苦しみが激減して素晴らしい人生が待っている。
2017.11.12
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運転免許証の更新の時、優良運転者は講習時間は30分である。その時講習の担当者が、道路交通法改正や注意事項については、ハンドブックを渡してよく読んでおいてくださいという。私はそれを軽くみて読んでいなかった。これがまずいことは後で分かった。そこに原付バイクの場合は3車線道路で右折する時は、 2段階右折をすることが明記されていた。なお、 2車線の道路の場合は、 2段階右折は必要ないそうだ。しかし、道路をよく見ると、普通は 2車線道路にもかかわらず、交差点に差し掛かる手前で、急に3車線になっているので要注意である。私がけたたましいサイレンを鳴らしたパトカーに捕まった時に、そんな法律は知らなかったと言ってみたが後の祭りだった。道路交通法を知らなかった自分が悪かったのだ。法律を知らないということは、道路交通法のみならず、とんでもない損害を被ることがある。失業した場合も、雇用保険で申請すればもらえるものがあるようだ。これは期限があり、期限を超えると知らなかったといって後から申請しても受け付けてもらえない。こういう事は、集談会の自己紹介の場で近況報告で話してもらうととても役に立つ。その後、私はまた優良運転者になった。今度は渡された2冊の冊子を丁寧に読んだ。すると、その中にこんなことが書いてあった。2つ役に立つことがあった。まず自転車に乗る場合のことである。市道や県道で自転車の右側通行はいけませんと書いてある。「自転車などの軽車両が通行できる路側帯は、道路の左側部分に設けられた路側帯に限ることとされました」今までは右側通行でも構わなかったのだ。路側帯の右側通行をした場合は、通行区分違反として、 3ヶ月以下の懲役はまたは5万円以下の罰金に処する。つまり、自転車は自動車が走っている方向の左側路側帯を通ることが義務付けられたのです。皆さんの中にも自転車に乗っている人は多いと思う。これも知らなかったのだから勘弁してくださいといっても警察は許してはくれない。 要注意だと思う。もう一つ役に立ったのは、夜間黒っぽい服装をして道を歩いているとき、ヘッドライトを下にして近づいてきた自動車は26メートルに近づいた時にやっと認識をしてくれる。しかし黒っぽい服装をしていても、 100均で買った反射材を身につけていると、57メーター以上前に自動車の運転手が気がついてくれるという。時速60キロで走っている自動車は、歩行者を発見して止まるまでに44メーターかかるという。万が一の場合、反射材をつけていると助かる可能性が強いということである。こんな簡単なことで命が守れるのなら安いものだ。私は早速、 100円均一で肩からかける反射材を購入した。これからは早く日が暮れて暗くなる。犬の散歩などをする人は明るい色の服装や反射材を利用することをお勧めしたい。なお、自動車はライトの点灯の基本は上向きであるという。私はほとんどどんな道路でもライトは下向きにして走っていた。これからは細かく切り替えるようにしようと思った。このように知らないことを学習すると、気づきや新たな発見がある。工夫やアイデアなどが膨らみ新たな行動へとつながっていくようである。森田理論学習も全く同じことが言える。
2017.11.11
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森田先生は慈恵医科大学の講義の時は詰め襟の服装であったらしい。その風貌は、いかにも田舎のおじいさんといういで立ちであった。そのため、大学の小使いさんと間違えられることもあったという。結核性喘息持ちで、話の途中でよく咳をされていた。一見すると、とても当時尊敬の的であった大学教授には見えなかった。しかし、形外先生言行録を読んでいくと、多くの人が森田先生に対する感謝と思慕の念で溢れている。それも儀礼的なものではない。心の底から森田先生を尊敬してやまないのである。また、現代においても、人間森田正馬を研究すればするほど燦然と輝きを増してくる。森田先生のこれほどまでに人を惹きつける要因は何なのだろう。私は常々このことに対して疑問を持ち、何とか解明したいものだと思ってきた。今日はこのことについて書いてみたい。森田先生は自分の弱点や欠点をごまかしたり隠すということをされていない。事実そのものありのままにみんなの前でさらけ出しておられる。ここが我々と大きく違うところである。自分をかっこよく見せたいという気持ちはさらさらない。ありのままの自分をさらけ出しながら、自由気ままに行動しておられる。身近に森田先生の側で生活していると、自然に身についていくのだろう。次に、森田先生は入院生をよく叱られている。だいたい、神経質な人は自分を叱責、批判するような人を敬遠する。森田先生は重箱の隅のほうをつつくようなことを見つけ出してはすぐにその場ですぐに叱られている。森田先生は相手の気持ちを考えて愛想振りまくというような考え方は全くない。これでは叱られた人は腹が立ってすぐに反発するのではないかと思う。あるいは先生の側に寄り付かなくなる。実際、感情を荒げる人はいなかったようだが、側に寄り付かなくなった人はいたようだ。そのことでまた森田先生に叱られるというのが実情であった。そのままではいたたまれないような気持ちになりながらも、最終的には森田先生に対して尊敬と思慕の念が沸き起こってくるのはなぜなのだろう。それは根本的なところで、森田先生に人間に対する全幅の信頼感があったのではないだろうか。入院生をすぐに叱りつけるようなことがあっても、根本的にはその人の存在自体を尊重していた。かけがえのない人格の持ち主として認めておられた。人間賛歌の気持ちが強かった。なんとか人間本来の生き方に立ち戻って、神経症を克服するだけではなく、 1人の人間として悔いのない生き方を見つけてほしい。そのためにあえて自分が嫌われ者になってなっても構わない。森田先生が入院生と付き合う上において、最も重視されていたのはそのことであろう。それは森田先生が、人間が生きるということの確固たる真理を見極めておられたからであろう。私はこの真理について森田先生は主に2つの大きな柱を持っておられたように思う。1つ目は、不安や恐怖に対する考え方とそれへの対処の仕方である。2つ目は、現状、現実、事実にしっかりと根を下ろした生き方を目指すということである。この2つは森田先生が試行錯誤の末にたどり着いた人間本来の生き方といってもよいと思う。この2つが間違っているから、神経症にも陥るし、人間本来の生き方から外れてくる。神経症を引き起こしたり、人生の苦悩や葛藤を引き起こす原因となっている。このことを分からせ、今後の人生を悔いのないものにするために、森田先生はあえて叱責という感情を使って入院生を指導されていたのではないだろうか。それだからこそ、森田先生は、多くの人を魅了し、今もなお多くの人を引きつけてやまないのではないかと思う。こんな子育てができれば、素晴らしい人間に成長するだろう。どこまでも人間愛の深い森田先生に脱帽である。
2017.11.10
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私が集談会に出席し始めた頃には頻繁に野外学習会があった。これは座学ではなく、実際に野外でキャンプのようなことを体験した。薪で飯ごう炊飯やカレー作りをした。その後は、ギターの上手な人の伴奏に合わせて、みんなで歌を歌った。ときには、みんなでテニスをした。ゲームをしたり、付近を散策して楽しんだ思い出がある。最近はこのような体験学習はほとんど行われなくなった。野外学習会は体験交流のようなものはあったが、森田理論学習はなかった。これはいわば森田先生の入院療法の真似事のようなものだった。頭でっかちになり、理論ばかりに取り組むことよりも、視点を変えてこうした取り組みは必要だと思う。最近は生きるのが精一杯で、そうしたゆとりを持つことができないのかもしれない。もし今集談会で行うとすれば、せめて 「応用森田・生活森田」というコーナーを設けて取り組むことぐらいか。私の参加している集談会では、毎回15分ぐらいな時間で、代わる代わる発表した。楽器の演奏、水彩画、川柳づくり、似顔絵作り、編み物の楽しみ、折り紙の楽しみ、私の取り組んでいるスポーツ、ヨガ、ペットとの付き合い方、陶芸の楽しみ、趣味の紹介、映画の紹介、書籍の紹介など多彩であった。今はネタ切れになり中断中だが、いずれまた復活させていきたいと思っている。他人の日常生活の中での実践や工夫例、趣味への取り組みなどの話を聞くととても楽しい。それに刺激を受けて、自分の生活の中に取り入れたり、趣味などへの挑戦を始めたりする人も出てくる。集談会は、森田理論学習だけではなく、お互いに様々な刺激を与え合う場でありたい。広島風お好み焼きの作り方、魚の3枚おろしの作り方などは集談会で聞いて修得した。NHKの「ためしてガッテン」というような、新しい発見や体験は、自分の生活自体が活性化する。魚釣りの好きな人がこんな話をしてくれた。その方は魚を釣り上げるとすぐに後処理をするという。普通は釣り上げるだけで、海で後処理までしている人は少ない。後処理をすると、鮮度を保ち、刺身にしても、とても美味しく食べられる。その方によると、すぐにえらぶたの脇の神経や血管がくっついている背骨を切るという。次に海水を入れたバケツの中に魚を入れて血抜きをする。それからバケツを変えて、持参した氷の中に2、3分入れておく。それが済んだら、クーラーの中へ入れる。クーラーは底に氷を入れる。その上に新聞紙を敷く。その上に処理の済んだ魚を並べておく。冷気で冷やすといった感じだ。このような処理をするだけで小料理屋で出されるような美味しい魚料理が食べられるのだという。この方は、魚釣りの名人だと言われているが、釣り上げた魚の処理の名人でもあった。こういうところに注意や意識が向いている人は、神経質性格を持っていても、神経症にはならない。むしろ神経質性格を存分に活かして、どんどん生活を膨らませて楽しんでいる人だと思う。
2017.11.09
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森田理論の中で最も重要な考え方は、 「生の欲望」であると思う。もし「生の欲望」に目覚めて、不安とのバランスを取りながら 「生の欲望」の発揮に邁進することができたならば、森田理論学習はそれで十分だと思う。古閑義之先生は次のように述べられている。「生の欲望」の提唱は、森田先生の晩年において、強く浮かび上がった重大な事項で、この「生の欲望」の提唱こそ、森田の神経質の解明への根本要義である、と主張してやまない。ですから、 「生の欲望」の学習は最も力を入れて学習する単元である。これに触れない森田理論は、森田理論とは言えない。森田理論は「生の欲望」から始まって、色々試行錯誤した後、最終的には「生の欲望」に戻っていく理論であると言っても過言ではない。山野井房一郎先生は次のように述べられている。森田先生は、御生前に常々 、 「生の欲望」ということを言われました。そして、 「生の欲望」に伴って、それに相応する不安、心配が存在するものであることを説明されました。つまり、生の欲望とそれに伴う不安、心配は、盾の両面であって、その一面は「生の欲望」であり、他の面は不安、心配であると言うわけです。サラリーマンが、勤め先で成績を上げようとすれば、それに相応する不安があり、学生が良い成績を上げようとしても同様である、とのことです。大会社の社長は、一面において、 「生の欲望」に張り切っていますが、 1サラリーマンに比べて、株主への配当、社会への企業責任および従業員ならびにその家族の生活など、多大な不安、心配をしなければなりません。森田先生はその著書「神経質の本態と療法」の中で次のように述べられています。1 、人前で不安を感じるのは、異常な心理ではなく、当然あるべき感情であるから、これを排除すべきでない。また排除しようとしても不可能であるから、これに耐えなければならない。2 、そして自分の必要な仕事に精を出すべきである。山野井先生は、会社で経理の仕事されていました。自分を認めてもらうには、経理の勉強するのが近道であると考えて、会社にあった経理関係の図書を次々と読破しました。その結果、 5 、 6年もすると経理でわからないことは、 「山野井に聞け」と言うようなことになりました。その後、関連企業の財務の相談にのるようになりました。公認会計士試験にも合格し、会計に関する本を10冊以上も出版しました。私は「生の欲望」の発揮にあたって、次のように考えている。1 、仕事や日常茶飯事に丁寧に取り組む。2 、規則正しい生活を心がける。3 、目の前の問題や課題に対して逃げずに取り組んでいく。4 、好奇心を発揮して、夢や目標を持って果敢に取り組んでいく。「生の欲望」は難しく説明すれば、いくらでも説明できるが、シンプルに考えればこのようなことである。その際忘れてはならない事は、人間は欲望があれば必ず不安が出てくる。強い不安が出てくるということは、それだけ欲望が強いということである。不安と欲望は本体と影のような関係である。不安を敵視してはならない。不安は重要な役割を持っており、不安は我々人間の強力な仲間なのである。不安と欲望のバランスをとれるようになった人が、森田の達人と言えるのではないかと考える。
2017.11.08
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「たかが人生、されど人生」という言葉があります。今日は自分の人生をキラキラと輝かせるためには何が必要なのかを考えてみたいと思います。お金が有り余るほどあって欲しいものが何でも手に入る。おいしいものがいつでも腹いっぱいになるまで食べられる。仕事をしないでも毎日遊んで暮らせる。名声を得て、多くの人から賞賛されている。世界中を旅して珍しいものを見て回れる。これらが満たされることが、人生をキラキラと輝かせることにつながるのか。これらは確かに生活の中にアクセントとしてあれば楽しいことには間違いない。ところが、そういう生活にどっぷりつかってしまうと感覚が麻痺してしまう。それは丁度毎日脂ののったトロや霜降り肉を食べているようなものである。すぐに飽きてくる。さらに刺激のある珍しくて美味しいものを求めるようになる。そんなことが実現できたからといって、死ぬ間際になって面白い人生だったと振り返ることはできないだろう。森田理論では、その質問に対する明確な答えを持っている。それは今自分が取り組んでいることで、感情が生まれ高まっていくかどうかということである。気づきや発見が生まれたかどうかということである。工夫やアイデアを思いつけばしめたものである。そうすれば自然に意欲や、やる気が高まってくる。そこに自分の人生が活性化するかどうかのカギがある。これは勉強や仕事をやっていて、誰でも経験したことがあると思う。最初は誰でも生活の為、生きていくために何らかの仕事に就く。できるだけ自分に合った面白そうな仕事を探すが、なかなかそういう仕事はない。しかし食べていくためには、仕事をしないわけにはいかない。いわば嫌々仕方なしの仕事である。会社に行けば、仕事のやり方を指示、命令され自分の意思とは関係なくやらざるを得ない。そんな状態がもし、定年まで続くとすると大変な苦痛である。精神を病んでしまう。たとえば自動車組み立て工場の仕事を思い出してみるとよい。自分の持ち場、ある特定の単純作業に就くと、2年間はくる日もくる日もそれに専念する。機械に使われているかのような仕事である。普通の人では耐えられないのではないかと思う。もし、仕事の中で生きがいを見つけようとすると、別のやり方が必要である。それは仕事の中にいま一方踏み込み、その仕事の中に工夫や改善点を見つけることである。他人から教えられて見つけることでは不十分である。自分で気づくことが大切である。自ら気づきや発見を得た人は、急に仕事に対する意欲やモチベーションが上がってくる。そこからさらに創意工夫をしていると、ますます仕事が面白くなってくる。これは学校の勉強でも同じことが言える。ここで注意したいのは、最初は嫌々仕方なく取り掛かってもなんら問題はないということである。人間は、しんどいことはしたくない。新しいことをやるのは不安だ、億劫だ、気が進まないなどと思う。何もしないで他人よりよい思いをしたいなどといった怠惰な面を持ち合わせた生き物なのである。そういう生き物が、他人から指示命令された仕事などに対して、最初から積極的に取り組んでいくなどということは考えにくい。最初は自分の意思とは無関係に、嫌々仕方なく取り組んでいくというのがほとんどである。しかしそういう気持ちを持ちながらも、必要なことに手を出していくということがとても大切である。そのうち、いったんやり始めたことは、次第に弾みがついてくる。弾みがついてきたときに、森田理論で言うところの「ものそのものになりきる」と言う経験を持つことが大切である。これはお使い根性やよこしまな目的本位の態度では到達することはできない。我を忘れて瞬間的にそのものにのめり込んでしまうという体験が必要なのである。今一歩踏み込んで、一心不乱な態度である。そして、感情が発生して、興味が湧いて、気づきや発見がいつの間にか生まれてくるということが肝心なのである。森田理論学習では、 「 見つめよ」とも言われる。その先に感情が生まれ、気づきや発見が自然に生まれることが大事なのである。そのようなことを心がけて生活していれば、人生はキラキラと輝くようになるのである。そういう人は目がキラキラと輝き人生を謳歌しているのである。森田では努力即幸福ともいう。これが私が森田理論学習で学んだ、人生を実りあるものにするかどうかのカギとなる。
2017.11.07
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森田先生は、物事を処理するについて、能率を上げることを強調されました。その方法を箇条書きにしますと、おおむね次のようであります。1 .処理する仕事が2つ以上あって、自由に選択することができる場合、まず易しい仕事から手をつけること。2 .考えてばかりいないで、まず着手すること3.1つのことを長時間継続しないで、仕事の転換を図ること。 「休息は仕事の転換にあり」とは、先生の名言であります。4 .しかけている仕事は、仕舞いこんでしまわないで、目につくところに出しておくこと。(形外先生言行録 山野井房一郎 81頁より引用)ここで言われている「考えてばかりいないで、まず着手すること」から考えてみたい。神経質者の場合は、様々に思考をめぐらし、成功間違いなしという確信を持たないと、なかなか行動に移らない。その結果、千載一遇のチャンスを逃してしまうことが多々ある。後で後悔するが、すでに時遅しである。私もこの手の失敗を積み重ねてきた。森田理論では、頭の中で試行錯誤することは極力少なくして、仮説を立てて、仮に実際に行動してみることをすすめている。仮に行動しているのであるから、これはまずいと思えばすぐに手を引くことができる。また失敗の経験は貴重な体験となり、次回の成功の糧となる。思考することと行動実践することのバランスが崩れている場合は、行動実践することに注意や意識を重点的に配分することが必要である。その2つのバランスを整えることにエネルギーを投入するべきである。神経質者は元々慎重な人が多いので、尻軽く行動できるようになれば、それがプラスに働くと思う。次に難しい仕事と易しい仕事がある場合、どちらから手をつけるか迷うことがある。基本は、易しい仕事、数多くこなせる仕事から手をつけるとよいと思う。嫌な仕事や、やる気が出ないとき、嫌々仕方なしに手を出していくとしだいに弾みがついてくる。そうすると、気づきや工夫が生まれてくる。そして意欲や、やる気が高まってくる。とっかかりとしては、気持ちが入らないのでやらないというのではなく、気が乗らないままに身体を動かしていくことが大切なのである。そうすれば、弾みがついたその勢いで難しい仕事も挑戦できるようになる。難しい仕事は納期をはっきりさせることが大切であると思う。いつまでにやらなければならないという最終締切りがわかれば、それまでに色々と段取りを考えることができる。難しい仕事も単純な仕事が複雑に絡まっているだけのことが多い。それを分解して単純な仕事にして、ひとつひとつクリアしていけば、最終的に難しい仕事もこなすことができるようになる。また、自分1人ではできない仕事、あるいは今現在では時期が悪いというような仕事もある。そういう時は、自分1人で抱えずに、上司などに相談して、何人かで協力し合いながら取り込むことも必要である。まだ時期早尚と言う場合は拙速にとりかかるのではなく、タイミングを計るということも頭に入れておく必要があると思う。「休息は仕事の転換にあり」は、森田理論学習をした人は生活の場に応用されている人も多いと思う。30分経てば、今手がけている仕事を中断して新しい仕事に取り組んでみる姿勢が大切である。そうすれば、また新たな緊張感が生まれて精神が弛緩状態に陥ることを防ぐことができる。それが積み重ねられば、疲労を感じることがなく、相当仕事がはかどるということである。4番目に言われていることであるが、森田先生は気になる事は、よく目に付くところに置いておくと良いと言われている。人間はすぐに忘れる動物である。先程まで、これは絶対に忘れてはならないと思っていても、別のことをしているとすぐにうっかり忘れてしまう。そういう時は付箋に書いて机の上に貼っておく。あるいは携帯のアラーム設定をしておく。皆さんも忘れないための工夫を様々にされていることと思う。気になることをよく目に付くところに置いておくと、すぐに思い出すことができる。あるいは、こまめにメモするようにしたらいいと思う。最近は携帯電話にメモ機能、ボイス機能、カレンダー機能が付いているので、有効に活用した方がよいと思う。余談だが、携帯といえば、最近UQモバイルに変更した。ここ1年間は2メガついて1か月1,980円だった。通話は1か月60分以内0円というプランだ。来年からは2メガ使えば2,980円になる。それにしても、格安である。 田舎の方で使っても支障なくつながる。既存のauの回線を使っているからだ。どうしてこんなに安いのかと聞いてみたら、店舗をあまり持たないので、事務所、人件費などの必要経費がかからないからという回答だった。他の格安スマホは、使用回線の関係で支障があることがあるので、よく調べてからにした方がよいと思う。これはあくまでも参考のために書いてみた。
2017.11.06
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森田先生が三聖病院で講話をされた後、患者の質問をお受けになった。退院間近の患者が次のような質問をした。「自分の主訴する症状はありながら、前ほど気にならなくなり、仕事もできるようになり、体力も病前以上に充実してきました。宇佐先生はもう退院して働いてもよいと言われますが、さて退院となると、またあの怖ろしいことのあった職場にかえるのかと思うと不安が昂じてからだがすくみ、食欲も消えてイライラします。先生、この不安をどうしたらなくすることができるでしょうか」森田先生はこれに答えて次のように話された。「お釈迦様は座禅をして悟ったといわれるが、お釈迦様は一体何を悟って一切が分かり離脱したのでしょう。お釈迦様は入山の後、心当たりの先輩を訪ねて教えを乞うたが、生老病死の悩みを解消し、不安を去る事は出来なかった。その後、自力解決のために座禅に入って最後に悟ったのは、次の3つでした。1 .生老病死の苦悩は人生から取り去ることのできない事実である。2 .人間は一切の不安をなくする事は出来ない。3 .不安の多い人ほど心の上等な人である。この話を聞いた大三輪義一さんは、次のように「形外先生言行録」に書いておられる。 (29ページより引用)「この意外な解説を聞いて、私の全身全霊は、ドシンと雷に打たれたように感激し、今まで血眼になって、求め探していた不安解消法は無意味になって霧散霧消してしまった。その晩は胸の奥底からこみ上げてくる魂の歓喜に涙が止まらず、わくわく興奮して一晩中眠れなかった。私の心は180度転換し、見るもの聞くものなにもかもが生き生きして躍動している。長い夢から覚めたようである。私は森田先生のおかげで、第3の目を開かれたのである。夢想だにしなかったことが身近に展開して、じっとしておられなくなった。それまで本来ないものを探して心身をすり減らしていた自分がいとおしくなった。自分の迷妄、暗愚のためどれほど周囲の人々に迷惑をかけたことであろうか。不安解消のための一切の手段、方法をやめてしまった。不安のまま、ビクビク、ハラハラ、本業に励むことに方針を決め、即日実行を開始しました。何事も事実本位の努力に切り換えました。朝から晩まで天気のようにぐるぐる変わる気分を故意に自分から安心快適にしようとする努力を放棄しました。もちろん、長年の癖がついてくるので初めから全部成功とはいきませんでしたが、苦しいまま不安なままに実行しているうちに、だんだん新境地が開けてきました」欲望がある限り不安はなくすることはできない。持って生まれた心配性という神経質性格も変えることはできない。不安や恐怖などををあるがままに認めて受け入れていくこと。多くの不安や恐怖を抱えたまま、「生の欲望」に向かって努力精進する以外に生きていく道はない。そして、「かくあるべし」で自分と他人、自然を自分の思い通りにコントロールしようとする態度を弱めて、あくまでも事実や現実、現状にしっかりと根を張り、いつもそこを出発点として生活していく態度を身に着けること。森田理論学習の目的は、一言でいってしまえば、それを会得することに尽きるのだと思う。
2017.11.05
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今日は「事実本位」ということについて考えてみました。昔スキーに凝っていた時のことです。初めてリフトに乗りました。最初あんなに動いていては乗れないよと思いました。せめて乗る時は止めてもらえないかと思いました。ところが係員の指示に従い早めに準備をして待っていると心配するほどのことはありませんでした。リフトに乗って空からスキーをしている人を眺めておりました。でもすぐに終点にやってきました。「おいおい、どうしたらリフトから降りられるのだろう」と思いました。動いているのにどうして降りるのだよ。降りられなかったら一回りしてまた降りていくんだよ。そう思うと一瞬パニックになりました。もう意を決して降りるしかありません。他の人のやり方をまねて、ぎこちない格好でリフトから腰を浮かせて思い切って飛び出しました。やぶれかぶれです。勢い余って左前の壁に突き当たって転びました。やれやれです。でも何とか降りられる感触はつかめました。そして何回か挑戦しているうちに、なんとか降りられるという自信ができてきました。それ以後緊張はしますが恐ろしさは急激になくなりました。恐ろしいという感情を持ったまま、恐怖突入していくとなんとかなるという体験をしました。これは小さいころ自転車に乗るのを会得したときと同じです。私の小さいころは子供用の自転車はありませんでした。大人が乗る自転車を三角乗りして練習したものです。最初のころは何度も転びました。ケガもしましたが、やめようとはしませんでした。そのうちなんとか三角乗りで前に進むことができたときはとてもうれしかったものです。こうして徐々に自信をつけて、自由に自転車で遊ぶことができるようになったのです。小学生の時、大人数でやる大縄跳びも最初はビビりました。どうして友達は苦も無くグルグルと回る縄跳びの中に飛び込んでいけるのだろうと思いました。最初は破れかぶれで飛び込んでいるのだろうと思いました。でもちょっとしたコツをつかむと難なくできるようになるのですね。これはどなたでも経験されていることと思います。そのためには失敗を恐れずに思い切って挑戦することが何よりも大切です。当然最初のうちは数知れず失敗をします。その失敗が糧になっているのだと思います。集談会で3000回の失敗を積み重ねて立派な大人になっていくのだと聞いたことがあります。そういう点からすると私たちは不安を目の前にすると、取越し苦労ばかりして、極力失敗を回避して生きてきたのではないでしょうか。それが塵と積もれば山となるではないですが、大きな差になってきたように思います。森田では失敗をしながらも何度も挑戦し続ける生き方を「事実本位」の行動というのですね。赤ちゃんが歩き始めるときは何度もひっくり返り失敗を繰り返します。でも泣き叫んでも挑戦をあきらめることはありません。何度失敗してもできるようになるまで挑戦しています。私たち大人はこの赤ちゃんの態度に学びたいものです。もし仮にリフトに乗らないということになると、スキーは楽しむことはできなかったでしょう。するとみんなが楽しんでいるときに車の中で待っているしかなくなります。さらに悪いことに、注意や意識が内向して、自分のふがいなさに向かい、自己嫌悪感が出てきます。そういう生活態度のことを森田理論学習では「気分本位」といいます。また恐ろしいという感情を無くしてから挑戦しようという態度を「理知本位」といいます。この態度は神経症を引き起こします。森田では「気分本位」でも、「理知本位」でもダメだといいます。目指すべき生活態度は、不安を抱えたまま、生の欲望に邁進する「事実本位」の生き方です。
2017.11.04
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今日は西日本新聞に載っていた記事を紹介します。横浜に住む男性が50年以上連れ添ったてきた妻が亡くなりました。葬儀を済ませ、妻のお骨を佐賀県の唐津市のお寺に納めるために羽田から飛行機で九州に向かいました。機内にお骨を持ち込むことはできますが、バックがかなり大きくなります。その男性は搭乗手続きの時、お骨である旨を伝えました。やがて彼は機内に入り、バッグを上の棚に入れて席につきました。すると、客室乗務員がやってきて、こう言われたそうです。「隣の席は空けております。お連れ様はどちらですか? 」搭乗手続きで彼の言ったことが客室乗務員に伝わっていたのです。男性は、 「あの棚の上です」と言いました。すると、客室乗務員は棚からバックを隣の席におろして、バッグごとシートベルトで締めてくれたそうです。そして飛行中も、飲み物サービスの時、 「お連れ様の分です」と隣にも同じ飲み物が置かれたそうです。この男性は暖かい気配りに対してとても感動したそうです。この話を森田理論で解説してみましょう。お骨を機内に持ち込むことに関して問題はありませんので、搭乗窓口では許可します。普通はこの1件はそれで終わってしまいます。ところが、搭乗窓口の担当者は、手続きで忙しい中、そのことを客室乗務員に伝えました。客室乗務員も顧客サービスという考えが希薄な場合は、 「わかりました」で終わってしまいます。この客室乗務員は隣の席が空いていること確認した上で、上記のことを思いつき実行したのです。この男性にとっては、考えてもいないサービスであったのです。これは会社が一丸となって、顧客サービスという方向に向いていないと、とてもできることではありません。意識や注意が会社ぐるみで常にお客様のほうに向いています。その結果、お客様に喜んでもらい、今度また飛行機に乗るときはこの会社を指名してくれることでしょう。お客様に喜んでもらうという事は、サービスを行った人たちにとってもとても感動的なことです。自分の存在意義を再確認することができるからです。我々神経質者は、神経症で苦しんでいる時は注意や意識が常に内向化しています。いつも他人が自分のことをどう思っているのか気にしているのです。そういう意味では自己中心的です。他人に注意や意識が向かないので、他人を感動させるような行動はとることができません。そのくせ人間関係を良くしたいという気持ちはとても強いものがあります。その欲望を満たすためには、この新聞の記事から、教訓を得ることが大切です。人に好かれる事はただ1つ。他人のために役にたつことを見つけて実行するということです。それも小さければ小さいほどよい。それを数多く実行に移すということが大事です。そういう態度を、普段の生活の中で実践していけば、自然に人が集まってきます。すると温かい人間関係の中でとても快適に生活できるようになります。
2017.11.03
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自分で自分のことを否定している人がたくさんいます。その人たちは1人の自分の中に2人の人間が住みついています。1人の人間は現実世界にいる人間です。もう1人の人間は、現実世界にいる人間を見て批判ばかりしている人間です。普通に考えると信じられないことですが、これは紛れもない事実です。神経症に陥る人は、批判ばかりしている人間が主導権を持っています。批判ばかりしている人間が親分のような立場に立ち、現実世界にいる自分を子分の様に取り扱っています。森田理論で言うところの「かくあるべし」を強力に押し付けているのです。他人と比較して見劣りしていると容赦しません。せめて他人なみに修正しないと承知しないのです。今のあなたのままでいいという考えはありません。一定の価値観の下に、それから外れると規格外として排除されるのです。また、あなたはこんなところがよくないけれども、こんな良いところもあるという見方をしません。ひとつ劣ったところがあれば、あなたの全存在を駄目だと否定してしまうのです。1つのパーツの欠陥によって、他の全ての人格を否定しているのです。これでは現実世界にいる人間にとって立つ瀬がありません。現状を踏まえて、精一杯努力してみようという気にはなりません。批判や否定されないように注意や意識を他人の言動に集中させるようになります。目の前の仕事や、やるべきことがおろそかになってきます。自分の欲望も見失ってきます。そして、人に依存するようになります。そういう行動が習慣化されてくると、抑鬱状態が続くことになります。それらを発散させるために一時的で刹那的な快楽を追い求めるようになります。ストレスの発散のつもりですが、原因が取り除かれていないために、一時的には楽になっても、さらに苦悩や葛藤を深めてしまうという結果になります。ますます、自分の気持ちや意思は抑圧されるようになります。そういう気持ちを持っていては、他人と衝突し、ますます否定されるようになるので封印してしまうのです。自分の気持ちや意思を抑えこんで、他人に合わせることばかりしているのは、野球で言えばバッティング練習をしないで、点を取られることを恐れて守備の練習ばかりしているようなものです。確かに失点は少なくなるかもしれませんが、試合に勝つことはできなくなります。そのうちゲームを楽しむことができなくなります。そういう状態に陥ってしまうと、自分の人間性に問題があるとして、 自分で自分を責めてしまうようになります。何をやってもダメな人間、生きていても仕方のない人間として現実世界で苦しんでいるにもかかわらず、火に油を注ぐようなことをしているのです。自分で自分を苦しめているのです。本来守ってあげるべき人間が反対のことをしているのです。このような「かくあるべし」の強い人間を作ったのは、決してあなたの人間性に問題があったからではありません。小さい頃からの親による「かくあるべし」的教育があなたに悪い影響を与えているのです。さらに、周囲の大人たち、学校教育や社会教育によって、強力な「かくあるべし」的教育を受け続けてきたのです。その結果、理想主義や完璧主義が骨の髄まで貫徹するような人間になってしまったのです。生まれてこの方、自分の周囲の人たちによって、洗脳されて、完全な「かくあるべし」的人間が生み出されてきたのです。そのことによって、私たちは葛藤、苦悩の道を歩きつづけることを強制されてきたのです。まるごとの自分の存在を個性として捉え、自分の感情や気持ちを素直に押し出して、のびのびと自由に生活していくことを拒んでいるのは、あなた自身の人間性の問題ではないのです。そういう井戸の中に入り込んで生きていると、どこに問題があって今の自分が苦しんでいるのか見えなくなってしまいます。井の中の蛙状態です。森田理論学習に取り組んだ人はすでにそのからくりを見破ってしまいました。これは大変な成果です。このからくりが分かったということは、半分は解決したようなものです。つぎに手をつける事は、自分を苦しめている肥大化した「かくあるべし」をいかに減らしていくかということです。基本的な方向は、 「かくあるべし」を減らして、現状や事実を起点にして生活していくようになるということです。そのような人間に変身していくことが大事です。その具体的な方法も、森田理論の中で明確に示されているように思います。このブログでも何回も取り上げました。あとは、その方向に向かって実践することです。いかに難しい壁が目の前に立ちはだかっていても、学習仲間みんなで協力して乗り越えることが大切だと思います。その目標が達成できると、「人間に生まれてきてよかった」としみじみと感じることができるようになります。気を抜くとすぐに元の木阿弥になってしまいますので、生涯学習として取り組みましょう。
2017.11.02
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対人恐怖症の人は、他人を心から信頼できなくて怯えまくっているのだと思う。他人は少しでも隙を見せると、すぐに再起不能になるまで自分を攻撃してくると思っている。人は決して自分の味方になってくれるようなことはない。それはあたかも、アフリカのサバンナでチーターやライオンなどの肉食獣に狙われている草食動物のようである。圧倒的な力の差があるために、対等な立場で話すことができない。自分の出来る事は専守防衛のみだと思っている。そうやって自分を守ろうとしてきたのである。将棋でいえば守り一辺倒だ。守りを固めることは大事だが、攻撃をしないと勝負にはならない。それは解り過ぎるほど分かっているが、そんなことをすると、社会から放り出されてしまうという観念から抜け出せないのだ。自分の弱点や欠点を見つけると、それらを目の敵にして、修正したり隠したりする。ミスや失敗をすると、能力のない奴だと馬鹿にされたり、批判や叱責を受けるのでごまかしたり隠したりする。弱点は欠点、ミスや失敗はあっても構わないが、それらを人目に晒すという事を極端に恐れている。人の目に晒すと、自分が無視され、否定されるので、うまく立ち回らなければならないと考えている。しかし、いくら完璧に防衛ができたとしてもどこかでボロが出てくる。逃げたり隠そうとすればするほど話が噛み合わなくなる。また逃げたり隠そうとすればするほど、他人はすぐに見破ってしまう。その結果、ますます人から軽蔑され無視されいじめられ仲間外れにされるようになる。専守防衛にばかり注意や意識を向けていると、生きていくことが辛くなってくる。一人でいることは味気ないが、そのほうがまだ精神的には楽だという風に考えるようになる。これは長らく対人恐怖症で苦しんできた私の姿である。私は幸いにも、森田理論学習を続けて、対人恐怖症をどのように修正していけばよいのか学んだ。そのうちの何点かを紹介してみたい。まず、対人恐怖症の人は、多くの人が愛着障害を抱えている。愛着障害については、過去に何回も投稿しているので、読んでみてほしい。問題は愛着障害の修復である。これには、心の安全基地を作るのが有効だ。対人恐怖症に陥っている人は、その安全基地を持たずに孤立している人が多い。安全基地とは、自分の苦しみや悩みを吐き出すことのできる仲間を持つことである。神経症の人はまずは集談会に参加している人たちだ。これは貴重な安全基地となりうる人たちである。その他家族、同窓生、趣味やスポーツの仲間、近所の人たち、カウンセラーなど、人間関係の幅を広げることも有効である。幅広い人間関係を築いていると、躓いたときに誰かに相談に乗ってもらうことができる。そういう安心感というか、心の後ろ盾を持っておくとつらいときに踏ん張ることができる。日常生活が破たんするまで、落ち込んでいくことはなくなると思う。私は所属集談会と支部研修会を通じて知り合った人の中から、貴重なバックボーンを得ることができた。これがなかったら定年まで会社生活を続けることは難しかったかもしれないと思っている。こんな貴重な人間関係を見逃していることはもったいないと思う。注意点として、その中での人間関係のあり方としては、森田理論で言うところの不即不離を心がけることである。人間関係は必要に応じて必要なだけ付き合えばそれで充分なのである。あまりにもくっつきずぎることは避けたほうがよい。人間関係の基本は、広く浅くを基本としたほうがよいようだ。発見誌でも、コップ一杯の人間関係を数個というよりも、コップに少しだけの人間関係をたくさん持っていたほうがよいとあった。次に弱点や欠点、ミスや失敗は誰にでもある。普通の人を見ていると、ごまかしたり隠したりすることは少ない。すぐに自分の非を認めて、全てをさらけ出している。そうすることで、精神的苦痛を回避し、すぐに事後処理に専念できている。私たちも少しでもその人たちを見習って行動したいものだ。私は、ごまかしたり隠したりしたくなったときは次のように自分に言い聞かせていた。「清水の舞台から飛び降りたつもりで」「まな板の鯉のようなつもりで」「注射針を刺されると痛みがあるが、その痛みを我慢するとインフルエンザにかからない」以上の3つのキーワードとして、できるだけごまかしたり隠したりしないように戒めていた。全部はできなかったけれども、10個のうち2つでも3つでもできるようになると、成功体験ができるのだ。成功体験があると、対応の方向性がわかってくるようになる。最後に専守防衛という生き方は自分を閉塞状態に追い込んでいく。高良先生は、人間関係を良くしようと思ったら、これだけは誰にも負けないというものを持てと言われた。仕事、趣味、スポーツ、習い事など何でもよろしい。ある寿司屋のおやじは、ゴルフはダメ。カラオケは歌えない。麻雀をすればカモにされる。でも寿司を握らせると自分の右に出るものはいないと言うぐらい自負心を持っていた。それだけの努力や精進を重ねてきたのである。雑談の場で自分のこと面白おかしく取り上げられても、笑って聞いていたという。人間は10年ぐらいひとつのことに取り組んでいれば、たいていその分野ではエキスパートになれる。自分の得意な分野を持っていると、人から少々馬鹿にされたりからかわれたリしても、ムキになって反論しなくなる。それが心の強力な後ろ盾となって、笑って済ますことができるようになるのだ。専守防衛から、生の欲望の発揮に向かって舵を切りなおすことが、対人恐怖症を克服するには有効なのである。
2017.11.01
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