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鳥取県の山あいの町八頭町では、耕作放棄地の田んぼを20センチほど掘り、用水路から水を引いてホンモロコという魚の養殖を行っている。現在養殖をしている人は51人です。ブームは周りの町や他県にも広がっている。ホンモロコは体長10センチほどの琵琶湖特産の魚で、昔から京都の料亭などで、高級食材として珍重されてきた。炭火であぶったり、甘露煮にしたりして食べる。上品な味の白身魚です。ホンモロコを京都の台所である錦市場に持っていくと、甘露煮が100グラムで1,500円を超える値段をつけていたこともある。しかし問題はホンモロコを食べる文化を持つのは京都周辺だけということである。だから、われもわれもと京都の市場にホンモロコを出すと、途端に供給過剰になり、値段が下がってしまうのである。生産者は、高級魚としてのブランド維持するためにどうすればよいのか。市場の拡大は図れないのか。会合を開いてさまざまな議論が行われた。しかし妙案は出てこなかった。ここでホンモロコの養殖の発起人である鳥取大学の七條喜一郎さんがある問題提起をした。荒れ果てた先祖伝来の田畑を見るのは悲しいことだ。耕作放棄地を活用することはできないのか。そこで始めたのがホンモロコの養殖だった。最初はそもそも儲けようとか、採算が取れるとかを考えて始めた事ではない。楽しいからしているのだ。それでもいいじゃないか。産地間競争をしてたの生産者と争うなどもってのほかだ。自分たちの田んぼで高級魚が育つ。そういう地域を誇らしく思う気持ちが大切なのではないか。この七條さんの提案をもとに、生産者は出発した原点に戻って考えることにした。ボタンの掛け違いが起こったのは、京都でホンモロコが高値で取引されているということに気づいたからだ。このホンモロコが八頭町の農家が、現金収入を得るための戦略商品になるのではないかと甘い幻想を抱いたことから始まっている。 1番最初にホンモロコを養殖し始めたのは、そうではなかった。過疎化進行する。空き家が増える。地域に活気がなくなる。そんな中で地域が元気になる。若者はuターンしてくる魅力のある地域づくり。地域の人の相互交流が増えて、人間関係の輪を広げる。その一環としてホンモロコを養殖したら何かが変わっていくのではないかと思って始めたことだった。その原点に帰って議論してみよう。するとこんな意見が出てきた。私たちはホンモロコを生産した時、これを外の市場に持っていき、現金化しないといけないと頑なに信じていた。京都の市場で値崩れが起きると、ホンモロコの品質と生産量だけにひたすらこだわり、他の産地に負けないように、価格競争をしてきた。海外産はもっと安いと言われ、しぶしぶ値下げに応じてきた。こんな状態がずっと続けばお手上げになる。そして、私たちが食べる魚は八頭町の外から入ってきたもの買って食べていた。発想の転換をして、私たちは食べる魚は、お金を出して買わないで、私たちが作っているホンモロコを料理して食べるようにしたらどうか。みんなで集まり、工夫して美味しい食べ方のレシピを作る。みんなで集まって酒を酌み交わしながら、その味を自画自賛する。そしてホンモロコを知らない人に、食べ方を紹介しながら、こんなに美味しい魚が取れる八頭町を自慢する。ホンモロコは、学校給食でも使うようになってきた。七條さんたちは何度も小学校を訪ねては、ホンモロコが育つ水がきれいなこと、そんな環境に自分たちが暮らしていること繰り返し子供たちに教えている。その結果、子供たちは自分の住んでいる地域を好きになってくれればいい。そして将来八頭町に住み続けてくれることがあればもっといいと考えている。 (里山資本主義 藻谷浩介 NHK広島取材班 196ページより引用)今の農家は自分たちの生産したもので、自分たちの生活を潤すという考え方が希薄である。自分たちが自立するために米を作る、麦を作る、野菜を作る、ニワトリやヤギを飼育するという考え方をしなくなった。売れる農産物を作り、それを市場に出荷してできるだけ多くの収入を得ることだけを考えている。そして自分たちが普段食べるものは、販売して得た収入でスーパーなどで購入してまかなう。やろうと思えばできるのに、実に効率の悪い方法をとっているのである。現在、アメリカは日本に対して全農産物の完全自由化を目指している。これが実現してしまうと、日本の農家が農産物を販売して現金化するという生活は成り立たなくなる。アメリカの安い輸入農産物に対して簡単に負けてしまう。その先はアメリカの穀物メジャーが我がもの顔で日本の市場に入り込み、暴利を貪ってしまうことになる。この考え方は日本の農家が完全に資本主義の論理で頭の中も実際の農業のやり方も翻弄されていると言える。八頭町の実践に学べば、農業をするということは、まず自分たちの食べるもの自分たちでまかなうということである。自分たちの町でできるものを多品種少量生産で取り組んでいく。そして今まで町外からお金を出して購入していたものを町内で賄うようにする。相互に融通しあうようになれば町内での人間関係も活発になってくる。そういう方向でせめて食料の分野だけでも、お金に振り回されない生活の仕方に変更していくことが大切なのではないか。いったん突破口を見出すと、それが様々な方面に波及していくことが考えられる。利潤追求、効率化一辺倒の資本主義社会に対して、生活中心、人間中心の社会を作り出していくことが今人間に課せられた大きな課題である。
2017.06.30
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広島県庄原市で高齢者や障害者の施設を運営する熊原保さんの話です。熊原さんは、「過疎を逆手にとる会」の活動もされている。多くの人が、「こんな田舎に未来はない」というのを尻目に、人がまばらで空き家や耕作放棄地が増えてきていることをメリットとしてとらえそれを存分に活用して生活を楽しむ提案を数多くされている。空き家を利用して地域のお年寄りが集まるデイサービスやレストランも作られた。これまで、それらの施設で使う食材はすべて市場で買う県外産のものばかりだった。職員たちは、少しでも仕入れ値が安いところ選ぼう、食材費のかさまない献立を考えようと努力はしていた。そうまでしても食材費は年間1億2,000万円ほどかかっていた。この食材費は庄原市から外に出て行くお金であった。ある日デイサービスを利用しにやってきたお婆さんと会話をしていた。そのお婆さんはこういった。「うちの菜園で作っている野菜は、到底食べきれない。いつも腐らせて、もったいないことをしているんです」庄原市ではお年寄りの家ではどこでも沢山の自家用野菜を作っている。ところが、せっかく作っても食べる人はいない。仕方なく腐らせて処分をしていた。熊原さんはその野菜を施設で使うことを思いついた。毎日300人を賄う食材をお年寄りたちの自給野菜から賄うのだ。声をかけてみると、ぜひ、提供したいと言って 100人ほどの応募者があった。今ではワゴン車で野菜を集めてまわっている。これで年間1,200万の食材費が浮くことになった。約1割のお金が庄原市の外へ出ていかなくて、地域の中で循環を始めたのである。買い取った野菜は、地域の中のレストランやデイサービスで使えるニコニコデザインの地域通貨で支払われる。これはお年寄りたちがお金を受け取らないために考えられたことだ。この地域通貨を使ってデイサービスが利用できる。また、レストランで使うことができる。今までお年寄りたちは、畑仕事に出たついでに、あちこちあてもなく散歩をしていたという。道で誰かに出会わないか、立ち話でもできないか、そのための散歩だったという。そうして話すことがなければ1日ほとんど誰とも話さない。寂しくて仕方がなかったのだ。地域通貨があることで、それを活用するためにデイサービスやレストランに出かける機会が増えたという。また、今まで食べきれなくて腐らせていた野菜を、喜んで引き取ってくれる人が出来てお年寄りたちも張り合いが出てきた。これを森田理論で考えてみると、 「物の性を尽く」すということになる。安易に県外で作られた野菜に依存することなく、自分たちの地元で作られた野菜を見直して余すことなく有効活用する。そうすれば庄原市から外へ出て行くお金が少なくなり、庄原市の中で循環していく。これは、資本主義社会という経済の循環から見ると、停滞しているようにも思えるが、森田理論から見てとても魅力的な試みのように思える。これにより、お年寄りたちに野菜作りに張り合いが出てきた。たとえお金にならなくても自分の作った野菜を捨てることがなくなり、よろこんで利用してくれる人がいることが嬉しいのである。また、野菜作りを通じて、それを収集する人とのつながりも生まれてきた。さらに地域通貨を使って地域のつながりも強くなってきた。一石二鳥どころか、一石三鳥、四鳥にもなったのだ。現在、田舎では、若者が少なくなり、空き家も目立つようになった。また体の自由がきかない老人が多くなり、地域の共同作業も支障が出るようになった。しだいにどんどん田舎がさびれてゆき、地域全体が暗い雲に覆われたような暗い気持ちになってくる。熊原さんは、空き家があると言うのはタダで使える家がたくさんあるということ。耕作放棄地がたくさんあるということは、それをタダで存分に活用できるという風にプラス思考で考えておられる。田舎暮らしでは、身近にすぐに行けるような大型ショッピングセンターや娯楽施設があるわけではない。毎日の生活に刺激がなく面白くないと嘆く人が多い。お金を使うことばかり考えているのだ。そんなことを嘆くよりも、田舎にあって都会にないものを探して、田舎にあるものの価値を高めて、徹底的に活かしていく方向に発想の転換を図る必要がある。そうすれば、地域の人のつながりを取り戻すことができ、田舎は宝の山の宝庫だということに気がつくようになるのだ。田舎を元気にするのも、森田理論の考え方が大いに役に立つ。(里山資本主義 藻谷浩介 NHK広島取材班 角川書店 207頁より引用 )
2017.06.29
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種田山頭火の自由律句は神経症で苦しいときには共感を覚える。分け入っても分け入っても青い山どうしようもない自分が歩いている振り返らない道を急ぐうしろすがたのしぐれていくかぬいてもぬいても草の執着をぬくふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれないおちついて死ねそうな草萌ゆる「神経症の時代 わが内なる森田正馬」と言う本を書かれた渡辺利夫氏は、種田山頭火は紛れもなく神経症者であるという。種田山頭火の生まれた家は山口県でも有名な大地主であった。ところが放蕩三昧の父のせいで破産した。母親は夫婦の不仲のために33歳の時で自殺している。兄弟姉妹にも不幸が相次いだ。そうした不幸な境遇がその後の彼の人生に大きな影響を与えている。山頭火は28歳の時に結婚をして男の子が生まれている。その後、熊本市に移り住んだか山頭火は定職というものを持たなかった。家に寄りつかず、俳諧仲間を訪ね歩くという生活であった。家庭をかえりみることがなく、その後離婚に追い込まれている。妻子は不幸であったが、子供は妻が立派に育て上げた。山頭火は乞食僧として托鉢をしながら全国を歩き回った。流浪の俳人と言われる所以である。その間俳句仲間には多大な世話をかけることになったが、山頭火に師事する人が多く助けられた。種田山頭火の一生を追ってみると、うつ状態と飲酒が常に付きまとっていた。いつも精神状態が不安定でイライラしている。うつ病ではなかったのか。その不安を取り去るために酒に走る。今でいうアルコール中毒であった。じっとしておられない精神状態とその不安を取り去るためのアルコール。少し精神状態が良いときに、その内面の苦しみを自由律句として吐きだしていったのだ。渡辺利夫氏は次のように説明されている。山頭火は、父の放蕩、母の自裁、弟の自殺、兄弟姉妹の早世、家産の瓦解、己を取り巻くものの、ことごとくの崩落に打ちのめされ、その暗鬱から逃れようとして漂泊を繰り返し、しかし苦悩から生涯逃れることのできなかった男であった。小鬱的心理にあっては、創作はかなわない。しかし、鬱という病の特徴の1つは波状である。鬱から次の鬱に転じる短い精神の晴れ間に、山頭火は自らの寂寞、絶望、不安、焦燥、恐怖を吐息のように詠って、その堆積が彼の膨大な俳句となって集成された。山頭火の俳句は、 「作られた」ものではなく、心の中の叫びとなって「自然に生まれた」ものなのである。波打つ苦悩を内界に抱えて放浪を続けた。山頭火の自由律句が、我々の心を揺さぶるのは、山頭火の内界の苦悩の吐露がのっぴきならないものであったからなのであろう。私の目に映る山頭火は紛れもなく神経症者である。神経症は高い文学的才能と結びついて山頭火は山頭火たりえたのだと言わねばならぬ。 (種田山頭火の死生 渡辺利夫 文芸春秋参照)神経症で苦しい時は、山頭火の自由律句を読んで共感を覚える。自分よりもさらに精神的に追い詰められ、なんとかそこから抜け出そうともがいている人は共感を覚えるのである。これは私が、マーラーの巨人という曲を聴いた時に、自分の苦しみを包み込んでいやしてくれた体験と重なるところがある。人間は共感を覚えると、自然に涙としてその苦しみを吐き出すことができるのである。症状で苦しい時はいくら適切なアドバイスをされても、心の中に染み込んでくることは難しい。それよりは、自分と同じように苦しみもがいている人がいるという存在を知って、共感できるというステップを踏む必要があるのだと思う。苦悩のどん底にある人は、最初にすることは、共感できる人を探し出しすことが重要になる。得てして自分の苦悩にのたうち回るだけで、益々増悪してアリ地獄の底に落ちてしまう人が多い。神経症では生活の発見会の集談会という集いがその役割を担っている。自分の苦しみを他人とシンクロできることは、一つの能力であるかもしれない。その能力は自助組織に参加することで獲得することができる。そしてその能力を持っている人は、苦悩を乗り越えて立ち直っていくことができると思う。
2017.06.28
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宮大工の棟梁の西岡常一さんの話の中から森田理論を考えてみたい。・正しいということは1つしかない。正しいという字を見ると1つに止まると書く。頭脳と知識と思想も含めて核心を、誰が何と言おうと、これ以外にまさる論理はないんだというものをちゃんと押さえてから発言しなさい。「あれもいい」 「これもいい」と言うような中途半端なことではなく、これだという信念のようなものを作り上げて生活していくことが大切だ。・職人と言うのは、頭と体を同時に動かさないといけない。頭で考えていることが同時にそのまま手に出てこないといけない。お前は(長男の太郎さんのこと)頭で考えているけれども、手がなかなか動かない。それではアカンのや。それでは仕事の出来栄えに勢と力が出ない。頭と手を同時に動かさないといけない。いくらよい作戦を立てても、自分が仕掛ける前に相手にたかれたら負けてしまう。拙速を尊ぶという言葉があるが、何事も早くやらなければならない。 (宮大工棟梁・西岡常一 「 口伝」の重み 日本経済新聞社 230頁より引用)まず1点目。森田理論はどんな時代でも、何処の国に住んでいようが、未来永劫普遍的に通用する素晴らしい考え方であると思う。それは地球上に生まれた1つの生物として、自然と共存共栄し、いかに人生を全うするべきなのかという根源的な視点から展開されている理論だからである。生の欲望の発揮、事実唯真、自分たちの欲望の追求よりは調和やバランスを意識した生き方などの提唱は、どんな時代にも受け入れられる考え方である。利潤追求や効率や合理化を追求する資本主義社会の問題点も、森田理論をベースにして、改善を図るべき時代に差し掛かっている。そういう意味では、森田理論は真理と言っても良い。森田理論は、すべての人が必須科目として学習していく必要がある時代に差し掛かっている。二番目に指摘されていることであるが、神経質性格の持ち主は、どちらかと言うと理知的で観念的である。目の前のやるべきことも、頭の中で納得しない限り、なかなか手を出すことができない。本来は熟慮に熟慮を重ねたことは、思い切って行動実践に踏み込むことが大切である。神経質者の場合は、この2つのバランスが大きく崩れているのだと思う。サーカスで綱渡りの芸があるが、長い物干し竿のようなものを持ち、右に大きく傾けば棒を左に大きく下げている。そしてバランスのズレを修正している。これをイメージしながら生活することが大切だ。これを神経質者の場合で言えば、頭の中でいろいろと試行錯誤している場合が大半である。つまり抑制力が強く働いて、行動・実践が伴っていない。そうした場合、どのようにしてバランスの崩れを修正していくかということになると、頭の中でいろいろと試行錯誤することはこの際無視するのである。そして意識を100%近く行動・実践のほうに振り向けるのである。身体を動かすことに力を入れる。そのように意識することで、次第に観念と行動のバランスが取れてくるものと思われる。多少のバランスの崩れの場合は、そこまでする必要はないかもしれないが、我々の場合は極端にバランスが崩れているので、大胆な対処法を取る必要があるのである。「生の欲望の発揮」とともに、調和、バランスのとれた生き方はとても大事である。
2017.06.27
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宮大工で伝説の棟梁として、法隆寺や薬師寺の改修にあたられた西岡常一さんという方がおられる。その方が自分の子供たちに話していた言葉が残されている。森田理論に通じることなので紹介してみたい。子供たちに本を読めということをよく言われていましたが、 1番大事な事は「残すな」ということです。「そういう考え方があるんだな」と覚えておくのはよいが、 「こうでなければならない」という事は本には書いてない。本に教えられたらいけない。つまり本の中に書いてあることにとらわれるな。捨てなさいということだ。「知識は豊富に持っておく必要がある。ただし知識人になってはならない」ものの考え方や見方とかの知識は必要だけれども、それに縛られてたり、自分が勉強して持っている知識を絶対だという考えは持ったらいかんということです。「いったんは頭に叩き込んで知る。そして最終的にはそれを捨ててしまえ」「学問ほど人間を毒するものはない。学問に縛られたら、それ以上の人間の成長もない。ただし、無知はバカと一緒だ。知った上で捨てなさい」実際に西岡さんも独学であらゆる事を学んでいた。最新工業大事典、世界美術全集、法華経大講座などたくさんの本が書棚に並んでいた。自分の専門分野だけではなしに、雑学まで幅広く学んでおられた。そして自分の知らない事は、 師と言われる先生のところに出向いて教えを乞うた。疑問に思った事は貪欲に勉強するという探究心が旺盛であった。それらは全て、法隆寺や薬師寺の改修工事につながるものであった。「文化財の修理とか保存は、学者さんとのお付き合いが非常に多い。それには建築の歴史的な流れは言うに及ばず、仏教伝来から今日に至る仏教史も教養として身に付けていなければならない。そうでないと、設計委員会などで先生方と議論が対峙した時に、相手を説得することはできない」喧嘩をして勝つのが本意では無いけれども、自分なりの考えをプレゼンできるだけの知識と論理的な背景をきちんと持っておくことが重要なのだ。子供の教育にあたって1番重視していたのは、頭の中で観念的に理解するよりも、手足を使って体で覚えるということだった。例えば、子供にカンナがけをさせた。 一回だけは自分が削って見せてくれた。「最初はこれで削ってな、次はこれで削ってな、仕上げはこれでするねんやで」そこまで説明するとどこかへ行ってしまう。1時間か2時間して帰ってきて、削った面をひっくり返してみて、四隅を抑えてみろという。ガタガタと動くと、板が吸い付いて離れないぐらいに削り直せという。そしてまたどこかに行ってしまう。西岡さんは、手取り足取り教えないことが教育だと言っていた。とにかく自分で考えろ。弟子たちにも、実際にこまごまと教えるということはなかった。技を盗め、自分で工夫し、考えろ、ということだった。(宮大工棟梁・西岡常一 「口伝」の重み 、日本経済新聞社 、 222ページより引用)これを森田理論の学習にあたってどのように活かして行ったらよいのだろうか。まずは、森田理論を学習したらそれを使って実践・行動してみるということが大事なのではないだろうか。森田理論には特殊用語がいろいろと出てくる。生の欲望、思想の矛盾、純な心、事実唯真など色々とある。その言葉の意味を納得ができるまで理解しようとする態度は立派であるが、必ずしも深く理解している人が森田の達人になるわけではない。むしろ森田理論の学習が不十分であっても、森田的な実践・行動がそれなりに行なわれている方が森田の達人に近づく可能性がある。まだまだ心もとないかもしれないが、その方が目の前に大きな可能性が開けているのである。実践・行動が伴わないで森田理論を捏ね回すことが生きがいになっている人は、ますます混迷の度を深めてしまう。森田の達人の域に達しているかどうかを見分けるコツは、その人の普段の生活ぶりにある。それを確かめるには、その人の家に出向いて、その人が普段どのような生活をしているのか見れば一目瞭然である。森田理論をよく学び、それを生活の場に活用し、自分の血肉化していく作業を行っているかどうかが成否の境目である。森田理論の体得にはそういう気持ちで取り組みたいものだ。
2017.06.26
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森田理論は事実をとても大切にする。そのためには事実をよく観察するという態度が大事である。このことをリンゴ農家の木村秋則さんから見てみよう。リンゴの葉っぱの中央部分に穴が開いていた。普通は虫に食われたのだろうと思う。でも真ん中だけを器用に食べる虫はいない。木村さんは葉っぱを観察することによって、虫が食べた穴ではないことがわかったという。ある時、この穴のあいた葉っぱの側に、斑点落葉病の黄色い病斑のついた葉を見つけた。そこで、その病斑がどうなるか観察をしてみた。すると、病気に侵された部分が、カラカラに乾燥していった。リンゴの葉がそこだけ水分の供給を絶って、病気を兵糧攻めにしているみたいに見えた。そのうち、病斑部がポロリと落ちて、穴があいた。この穴が開いてから、葉っぱの横に付いていた小さな葉がどんどん大きくなっていった。葉っぱを失った部分を補っているわけだ。スケールで計かったんだけれども、穴の大きさと葉っぱが大きくなった分はほぼ同じであった。穴がもっとたくさんあいて、それだけでは補えなくなると、今度は枝の先に新しい葉っぱを出すんだよこのリンゴ畑にはギリギリの栄養しかないから、りんごの木がもともと持っていた自然の力が引き出されたのだと思う。知れば知るほど、自然というものはなんとすごいものかと思う。(奇跡のリンゴ 石川拓治 幻冬舎 192ページより引用)なんという観察力でしょうか。事実をより深く知ろうとすると、感じが発生しより高まってきます。すると、気づきや発見が増えてきます。すると、しだいにやる気や意欲が高まってくるのです。このプロセスはとても大切なことです。森田先生も、事実を自分の目で確かめて、正確に把握しようとする生活態度が基本にありました。夜中の幽霊屋敷の探検、熱湯の中に手をつける実験、関東大震災の時の流言飛語の観察などがあります。私が物をよく観察するということでいつも引き合いに出す話があります。5歳位の子供が、新聞紙に水滴が落ちた時の事を次のように表現していました。「新聞に水が一滴たれたら、小さな水の小山ができて、そこに写った字が大きくなった。だんだん水の小山が小さくなってきたら、今度は横に拡がっちゃった。そしたら裏の字も見えてきた」事実に服従するということを体得することは大変難しいことです。その態度を身に着けることが森田理論学習の目指していることはよくわかりました。「具体的にはどうすればよいのですか」という質問を受けることがあります。なかなか的確に説明できません。その手始めとして、事実をありのままによく観察して、具体的に話したり書いたりするということだと思います。観念的、抽象的ではいけませんね。
2017.06.25
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自民党が先日まで国会提出を目指していた「家庭教育支援法案」について考えてみたい。これは子育てについて、今の親に任せておくと大変なことになるという政府の危機感の現れである。確かに子供をめぐっては、虐待やいじめ、不登校、自殺、無気力無関心、非正規雇用の増加、職場の適応障害などが問題になっている。また国際的には世界各地で発生している若者によるテロなどが問題となっている。これらの問題は、未熟な親に子育てを全面的にまかせているのが問題であるという認識がある。とにかく今の親に子育てを任せておくと、日本はめちゃめちゃにされてしまう。国や地方公共団体が親になり代わって、子育てに積極的に参加していくことが僅々の課題である。それを法律として整備して積極的に推進していこうとしているのである。しかし子育ては本来親が行うものである。親が行う子育てに様々な問題があるとしても、そこに国家の意思が入るということに大きな違和感を感じる人も多いのではないか。それは戦時中の国家総動員法につながるような短絡的考え方である。安倍総理は愛国心を持った子供、日本の国のみならず、グローバル社会で活躍できる子供を数多く教育していく必要があると考えている。安倍総理が関わったとされている森友学園では、「愛国心の醸成」「天皇国日本を再認識」などの言葉か並ぶ。国や政府のやり方に対し一切疑問や疑いを持たず、素直に服従する子供たちを作り出したいのである。ましてや、平気で世界中でテロに手を染めるような子供たちを作ってはならないと考えている。そこにはどうしてその子たちがテロに手を染めるようになったのか、その原因を追求することはない。一方で、その日の食べ物にもありつけないような閉塞感のある貧困層を作り出しておきながら、テロを起こすような若者は対症療法で徹底的に排除しようとしているのである。これではいつまでたってもテロはなくならない。むしろ今後ますますエスカレートしていくのではないだろうか。また、日本の大企業が世界に打って出て、勝ち残っていくための人材を育てあげていくことが急務であると考えている。国家や多国籍企業群は、素直で従順で大企業の手先となって働くことのできる優秀な国民をできるだけ多く創り出すことが政府に課せられた大きな課題であると思っている。そこで落ちこぼれた人には救いの手は差し伸べない。少数精鋭でいくという考え方だ。つまり国民のすべての人の生活や幸せを考えたうえでのことではないのだ。むしろ多くの国民は切り捨てていく方向に向かっているのだ。この法案の中で、戦前は伝統的な子育ては行われていたと言う。3世代同居世帯や子供が幼いうちは母親が家にいて子育てをしていた。さらには、隣近所の人が子供の動向に目を配り、社会全体が子育てに関わってきた。そうした教育環境が理想だという。私もそれは異論はない。そうした子育ての仕組みを現代に蘇らせるようとしているのである。しかしいつの間にかそういう伝統的な子育ての仕組みがなくなり、核家族が増えて、しかも共働きが増えてきた。今や待機児童が収容しきれなくなった。それはなぜか。貨幣経済にどっぷりと漬かり、お金がなければ生活が成り立たなくなったからである。過労死を招くような長時間労働、社会保障がなく、賃金の安い非正規雇用などの問題で、国民生活は瀕死の状態であることをどのように考えているのだろう。これでは愛着の形成時期と言われる幼少時期に親が子供と接触することが少なくなり、まともな人間に成長しにくくなってしまうのは当然である。国や政府が、本当に子供たちの成長や自立を願うならば、親と子供の関わり方の問題、親の働き方の問題、普段の生活のしかたの問題、経済的に安定的な収入の保証などに国民の議論を高めてコンセンサスを得ていく方向に向かうべきではないのかと思う。
2017.06.24
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リンゴ農家の木村秋則さんは9年かかって、無農薬・無肥料のリンゴ栽培に成功した。木村さんは行っていることは次のようなことである。・リンゴの根を痛める原因となる農業機械は一切畑には入れない。重い農業機械が土を踏み固め、根の生育を阻害するからである。一般的なリンゴの木の根が6メートル位と言われているが、木村さんのリンゴの木の根は20メートルぐらい伸びているという。・畑に雑草を生やして、土を自然の状態に近づける。一般的なリンゴ栽培では、雑草は綺麗に刈り取る。雑草を生やしていると、雑草にリンゴになるための養分を奪われてリンゴの木が弱ってしまうと思われている。しかし、夏の暑さで地表面の温度が極端に上がり、リンゴの根が悲鳴を上げる。弊害のほうが実際には多い。しかも10センチ以上の地下は急激に温度が下がっている。雑草を生やしておくと地表面の温度は極端に上がることはない。また、雑草がリンゴ畑を掘り返して地を団粒構造にしてくれる。それが微生物の繁殖を高めて、水や酸素を地中深くまで届けてくれる。・土壌に窒素が不足していれば、大豆を撒く。大豆には根粒菌が住みつき、肥沃な土地に変えてくれる。何年か大豆を作っていると、根粒菌の量が減ってくる。そうなるとリンゴの木は元気になり、毎年大豆を植えなくて済むようになる。・秋には1回だけ草刈りをする。そうすることでリンゴの木に秋が来たことを教えるのだ。そうしないとリンゴの木は赤く色づかないという。・病気の発生の兆候を見極めて、その時には酢を散布する。・害虫が増え始めたら、発酵リンゴの汁を入れたバケツを木にぶら下げる。害虫の駆除はこれだけである。・葉脈を見ながら、リンゴの木を剪定する。この剪定作業はとても大事であると言われている。そうしてできたリンゴは、外見はごく普通のリンゴだ。それほど大きい訳ではない。形は少しばかり歪んでいるし、小さな傷もある。少なくとも外見は、デパートの地下食品売り場に並ぶような一級品ではない。しかし、そのリンゴは信じられない位の味のするおいしいリンゴだという。これは自然の中でリンゴの木がその持てる力を存分に発揮して実をつけた結果ではなかろうか。私も以前弘前のリンゴ農家を回っていたとき、蜜の入ったリンゴというものを初めていただいた。そのリンゴはこの世の食べ物とは思えないほど美味かった。木村さんのリンゴは今や引っ張りだことなっているが、言葉では言い表せないほどの味がするのだと思う。これは私が平飼いのニワトリの卵を食べた時にも感じたことであった。黄身回りに白身がまとわりついて一段と盛り上がっているのである。ゲージの中に身動きできないように監禁されて、エサと水をふんだんに与えられ、卵を生む機械として取り扱われているニワトリと、太陽の光をふんだんに浴びて動き回り、そこらじゅうの土を掘り返しながら有精卵を生み落としているニワトリの違いではないのか。私たちは森田理論学習の中で、「物の性を尽くす」を学んでいるが、私たちが自らの命の再生産をしている食べ物について、本当に、米や野菜や動物たちの性を尽くしているのだろうか、大いに疑問である。(奇跡のリンゴ 石川拓治 幻冬舎参照)
2017.06.23
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今日は、青森県のりんご農家である木村秋則さんの紹介をしてみたい。ご存じの方は多いと思うが、映画「奇跡のリンゴ」の主人公であり、 NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で大反響を巻き起こした人である。当時、絶対に不可能といわれた無肥料・無農薬のリンゴ栽培に取り組み、 9年の歳月をかけて成功させた。その間、自分の畑のリンゴは害虫や病気で花が咲かず1銭の収入にもなかった。自殺まで考えたその木村さんが、今や欲しくても容易に手に入らないような引っ張りだこのリンゴの生産に成功したのである。そんな木村さんはどんな人であるのか、とても興味がある。木村さんは前歯がない。入れ歯をすればよさそうなものだが、そういうことには無頓着だ。また木村さんは贅沢とは無縁の人であった。服装などにもこだわらない。畳や襖はもう何年も替えていないらしい。近所の捨て猫を家で飼うので、畳や襖を替えてもすぐに爪を立てられてしまうからそのままにしている。木村さんのリンゴは産地直送だ。断っておくが希少価値が高いからといって法外の値段をつけておられるわけではない。そのための顧客管理のための年代物のパソコンが置いてある。未だにMS-DOSのマシンを使っている。(2008年の取材当時の話)そのパソコンの隣には、注文のファックスが山積みになっている。木村さんはもともと好奇心の強い人であった。小学校の低学年の頃、祖父にせがんでロボットの玩具を買ってもらったことがある。木村さんは家に帰るまでにロボットをバラバラに分解していたという。大人になってからは、使用できなくなったバイクやトラクターは自分で修理して使えるようにした。エンジンの改造などはお手のものであった。そして1つのことにのめり込むと、とことんまで執着するという面があった。無肥料・無農薬のリンゴ栽培の取り組みもその一つである。この点は我々神経質者の手本になるような人である。その日木村さんはとても愛すべきキャラクターを持っておられた。「あっあっあっあっあ」とよく笑う。水戸黄門の笑い方にちょっとだけ似ている。水戸黄門の笑い声から偉そうな雰囲気をきれいさっぱり抜き取って、陽気さを5割増にすると木村さんの笑い声になるかもしれない。次に話が面白い。自分を飾る人ではないので、たいていは数限りない木村さんの失敗談を聞くことになるのだが、イントネーションと話の間が絶妙で引き込まれてしまう。しかも彼の話にはいつもオチがつく。津軽弁の落語を聞いているような感じなのだ。その木村さんは、リンゴの収入が全然ない時、キャバレーで客引き兼ボーイの仕事をされていた。何年も続いている栄養不良のせいか木村さんはガリガリに痩せていた。化繊のセーターも膝の抜けたよれよれのズボンもいつも泥まみれだった。それを1日500円の契約で貸し衣装やから借りた安物のスーツに着替えて仕事をしていた。意外なことに、不思議とキャバレーの支配人やホステスさんにとても可愛がられた。ともに思い通りの人生を歩めないもの同士通じるものがあったようだ。木村さんはそこで無肥料・無農薬のリンゴづくりの夢を語っていたという。いつか成功させるという大きな夢を、ホステスさんたちも一緒になって夢見ていたのである。ホステスさんは、木村さんが夕食も食べずに畑から店に通っていることを知ってからは、交代で弁当を作ってきてくれたという。そこで3年勤められた。退職されたのはリンゴで生活できるめどが立ったからである。支配人からは強く引きとめられたが、意思が固いとみて、 「じゃあ頑張って立派なリンゴを実らせてください」と言って、退職金を50万円包んでくれたという。木村さんの人柄にほれ込むことがなかったら本来もらえるようなものではなかった。リンゴの収入が全くないときに、周囲の人から白い目で見られたのも事実であるが、そういう時にでも味方をしてくれる人が周囲にいたという。まったくの四面楚歌ではなかったのだ。孤立はしていたが孤独ではなかった。電気代とか水道代が払えないときにこっそりと払ってくれた友達もいた。スクラップ屋の主人もそのうち代金を取らないようになった。 「これ持っていけ」と言って、程度の良いエンジンとかをとっておいてくれたりした。お金を借りていた銀行の支店長も、利息だけでも払おうと思って、お金をかき集めて持っていっても、受け取らないことはあった。 「それ払ってしまったら、生活費はなくなるだろう」 と言われたことがあったという。税務署にも赤紙を貼られたけど、課長さんからは、 「いつかあんたの時代が来るから」と言ってずっと励ましてくれた。リンゴがなるようになってからは、近隣の人は木村さんのリンゴ畑の境にあるリンゴの木を全部切り倒してしまった。いやみでそうされたのではない。その方は木村さんのやり方に理解がある人で、 「木村さんの畑に自分のまいた農薬が少しでもかかったら、無農薬が台無しになる」と言って自分の家のリンゴの木を切ったのだ。地元のフランス料理店のシェフは、木村さんの畑にきて、少しでもリンゴが売れるようにと言って、木村さんのリンゴを使った料理を考えてくれた。木村さんは、自分1人で苦労しているようなつもりでいたが、周りで支えてくれる人がたくさんいたので、ここまでやってこられたのだと言われている。実家の両親、婿入りした木村家の義理の両親も反対することなくずっと見守っていてくれた。これだけの人を自然に味方につけていた木村さんはとてつもない人のように思える。木村さんはもともと好奇心と執着性が強い性格の上に、自然や他人に対する絶対的な信頼感を持った人だった。私たち神経質者も、心配性であらゆることによく気が付く、好奇心が旺盛である、生の欲望が強い、粘り強い、人の気持ちが手に取るようによくわかるという優れた特徴をもともと持っている。これらは後から身に付けようと思っても身につくものではない。そのもともと持っている優れた特徴を生かして、存分にそれらを花開かせて生きていけるようになりたいものだ。(奇跡のリンゴ 石川拓治 幻冬舎より引用)
2017.06.22
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りんごはバラ科りんご科に分類されている。原産地はコーカサス山脈の山麓一帯と言う説が有力だ。この野生のリンゴは一般的に小さくて、酸味や渋みが強く、現代人にはとても食べられたものではない。19世紀に入ると、メンデルの遺伝の法則を活用して、りんごの品種改良がなされるようになった。特にアメリカではリンゴの新品種が続々と生み出された。現代人は食べている大きくて甘いリンゴはこのような過程を経て造り出されたのだ。日本では明治時代に日本中で栽培されるようになった。「りんごの木1本から米16俵ぶんの収入がある」と言われ、りんごの栽培面積は飛躍的に拡大し、明治20年代には第1次リンゴをブームが到来したしかし長続きはしなかった。甘いリンゴは、虫たちの標的になった。特にリンゴワタムシが大発生して、花や葉を食い荒らす。さらにフラン病というリンゴの幹を腐らせる病気が流行して、りんごの木を回復不能なまでに傷めつけた。明治時代が終わる頃には、ほとんどの県がリンゴ栽培を放棄してしまった。リンゴ栽培を止めて養蚕へと舵を切った。ところが、青森県は気温の関係で養蚕は不可能だった。青森県の農家にとってりんごの栽培を諦めてしまうわけにはいかなかったのだ。青森県の人は甚大な被害を及ぼす害虫を人海戦術で駆除していた。しかし明治40年代に入りモリニア病と褐斑病の相次ぐ蔓延によって窮地に追い込まれた。この絶体絶命の危機を救ったのが農薬であった。特にボルドー液という農薬は、強力な殺菌作用を持ちリンゴ栽培の救世主となった。人間が栽培する作物の中でもリンゴは圧倒的に病気や害虫が発生しやすい果樹だ。ボルドー液やその後に開発された多種多様な農薬によって、りんご農家はかろうじてその脅威に対抗しながらリンゴを生産しているというのが現実である。青森県ではリンゴ用の防除暦が作られている。季節ごとに散布すべき農薬の種類とそのノートなどが詳細に書かれている。多量の農薬を使用するために、農薬散布をする人が健康被害を訴えるケースもある。またそれを買って食べる消費者は少なからず残留農薬に汚染されたリンゴを食べざるを得ない状況にある。リンゴの歴史を見ると、人間が自分たちの嗜好に合わせて、人工的に作り変えてきたと言える。ところが、リンゴ産地という単一作物の大量生産を行うようになると、虫や病気が大量発生するようになる。人間はその原因を調べて根本的に解決策を探ろうとはしなかった。虫や病気を一網打尽に押さえつける農薬の力を借りて、対症療法で対応しようとしたのである。その結果、自分たちの健康を害し、残留農薬に汚染されたリンゴしか提供できなくなった。反対に、農薬や肥料を販売する会社は多額の利益を計上できるようになった。このことはリンゴの栽培だけに限らない。米や野菜の生産についても言えることである。自分たちの都合の良いように自然を作り替え、そこで問題が出れば、対症療法で対応していく。自然の仕組みを観察し、自然の摂理を活かしていくというふうには考えないのである。自然と人間との間で問題が発生したら、自分たち人間の要求は一時的に棚上げにして、自然の動向に合わせていくという考え方がなぜできないのだろうか。森田理論では、人間は自然に服従して生きていくという考え方である。どんな不快な感情が起きてきても、それに対してやりくりをしてはならない。不快な感情を受け入れ、よく味わう。そして自分の生の欲望に従って生きていく。それはただ単に感情だけについて言えることではなく、人間のやることなすことすべてについて、自然と調和し、自然に服従するという態度で生きていくことが大切なのである。
2017.06.21
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森田先生は、みんなに「馬鹿になれ」と教える代わりに、 「偉い人になりたいものは、偉い人を見よ」と言われた。そうすれば自然に、自分は馬鹿のように感じ、これではならぬと努力するようになる。しかるに神経質者は、ここでひねくれてくる。ちょっと簡単にはいかない。神経質者は、偉い人になりたい欲望はいっぱいで、しかも自分を馬鹿と思うことの劣等感が、苦しくて、いやである。常に偉くなりたいあまりに、偉い人を尻目に見ながら、まともに見ることができず、しかして自分の劣等感に悩み、常にこれらの自然の人情に反抗して、強迫観念を起こしている。これにおいて「馬鹿になれ」と言うことの真意は、 「偉い人を見つめよ、うらやめ、あやかれ。そして自分の馬鹿さ加減をよく知り分け、少しでも偉い人の模倣をして、馬鹿でないようになれ」と言うことではあるまいか。私どもは昔から、このような「馬鹿になれ」とか「死を恐れるな」というような言葉のために、どうしたらその気持ちになり、その心境になり、いわゆる悟られるものであろうかと、いかに工夫し、迷い、いかにつまらない苦しみ・悩みを経てきたことであろう。私は過去の私の無益な苦労を思って、私の後輩には、決してそんな事は教えないようにしようと思うのである。何も物に当たらず、事に向かわずして、空中楼閣に、いたずらにいろいろな気持ちを作ろうとする事は、ずいぶん、無理な話でなくてはならない。なんでもただ現実を見つめさえすればよい。目を閉じて、空想し、机上論を弄して、事実を無視するのが1番いけないのであります。(森田全集第5巻 195頁より引用)ちょっと難しいことを言われている。私なりに解説をしてみたい。「馬鹿になれ」というのは、例えば対人恐怖症の人で言えば、他人から非難されたり否定されると、急に不快な感情がわき起こってくる。その時、その不快な感情に翻弄されることなく、馬鹿になって流しなさいということだと思う。しかし普通は、そのような感情が湧いてきたということを捻じ曲げて、心機一転、快の感情に切り替えようとしてやりくりしてしまう。確かに神経質でない人で、他人からどんなに否定、批判されようとも、「蛙の面にしょんべん」のような受け取り方をして、不快感を一向に気にしない人もいる。我が道を行くというような人である。「馬鹿になれ」ということに憧れている人は、どんなに嫌な場面に遭遇しても、物事に動じないあっけらかんとした寛容な人間に変身することを望んでいるのかもしれない。森田先生はそのようなやり方はまずいと言われているのだと思う。自然現象である感情は、どんなに不快極まりあるものであっても、人間の力でコントロールすることはできない。その感情は受け入れて、味わい尽くすことが肝心なことである。これは森田理論学習の中で何度も学習したことだ。だから森田先生は、嫌な感情に不感症になってはならない。むしろ不快感を受け入れてよく味わってみるという過程が大切だ。小さいことに動じないどっしりとした人間を目指すよりも、はるかに大切なことである。その不快感を基にして、偉い人を見て、偉い人にあやかって努力精進しなさいと言われているのではなかろうか。このように受け取ると、不快な感情は宝の山に早変わりすることもある。「馬鹿にされた」と言う不快な感情を素直に受け取り、味わい尽くすと、尽くした先に工夫や発見がある。「馬鹿にされないような偉い人になりたい」という課題や目標が見えてくることもある。人間の生き方として最も大事なことは、自分の抱えた問題点や課題、夢や目標に向かって努力している過程そのものである。これは森田理論で言うところの、 「生の欲望の発揮」である。森田先生は晩年、 「生の欲望の提唱こそ、森田の神経質解明の根本理論であると主張してやまない」と言われている。つまり、 「生の欲望の発揮」なくしては森田理論そのものが成り立たないということではあるまいか。馬鹿になれというのは、物に動じない人間になるのではなく、どんな嫌な感情も受け入れて、味わってみる。一時的にその感情に翻弄されてイライラしてもよい。味わいしくしたその先に、初めて他人から学んで、目の前に立ちふさがる壁を乗り越えようとする力が出てくるのだということではあるまいか。
2017.06.20
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生活の発見会の集談会で「生の欲望の発揮」というテーマで学習会をした。そのとき、みんなに自分の欲望について語ってもらった。ところが、あまり意見は出なかった。これはどういうことだろう。「生の欲望」は考えたこともないのだろうか。そんなことはないはずだ。それが生きがいにつながるからだ。私はその意味を考えてみた。もともとこの「欲望」という言葉はあまり良いイメージがない。衝動的な行動、自分の欲望を満たすためのえげつない行動。欲望に取りつかれている人は自己中心的な人である。欲望に取りつかれている人は私利私欲の塊のような人である。欲望にいったん取りつかれると、欲望が欲望を産んで収拾がつかなくなる。自分の欲望を達成するためには、他人から搾取したり支配するようになる。つまり、欲望の追求は他人を不幸に追い込む場合がある。だから、欲望の追求は歯止めをかけて、ほどほどにしないと自他共に不幸になる。欲望の追求というのは、無意識的にこのようなイメージがあり、欲望という言葉を忌避する傾向がある。これに対して、森田理論で言うところの「生の欲望」というのはどういうことか。目の前の気づきに対して実践・行動すること。普段の日常茶飯事を丁寧に行う。目の前の問題点や課題、夢や目標を自覚して、それに向かって努力することを言う。このように考えると、私たちは持っている欲望という悪いイメージとはかなり違うものである。それを表す適当な言葉がないために、やむなく誤解しやすい言葉を使っているが、その真意は違うところにある。生活の発見誌の6月号の学習会シリーズ、「欲望と不安」の単元でもそのことを指摘されていた。だから、 「あなたの欲望は何ですか」と聞くよりも、 「人から言われて1番嬉しい言葉はなんですか」と聞いた方が答えやすい。この方は学習会の時にみんなにそのように質問をしてみたという。すると、 「よくやっている」 「ありがとう」 「立派だよ」 「かわいい」 「素敵」 「大丈夫だよ」 「泣いてもいいよ」などの言葉が返ってきたという。これは「自分が自分自身に対して言われて1番嬉しい言葉はなんですか」と置き換えても良い。1人の人間の中では、 2人の人間が住みついていると言われている。 1人は現実の世界でアップアップしている自分。そしてもう1人の人間は、そんな自分は見て批判や否定を繰り返している自分。現実の世界でのたうちまわっている自分が、もう1人の自分から 「どんな言葉をかけてもらえると嬉しいですか」と聞いてみるのだ。「苦しみながらも、よく頑張っているじゃない」 「私はいつもあなたの味方だよ」 「今のあなたのままでいいよ」 「あなたは何も変えなくてもいいよ」 「決して無理はしないでね」 「ほどほど、ぼちぼちやっていこうよ」などの言葉をかけてもらえると、つい嬉しくなってしまう。自分の中にいる2人の人間が手を携えて、協力し合っているようでなんだかほほえましい。その上で、この方は次のように分析されていた。男性の場合は、職場などで、上司や同僚などから、「すごいですね」などと言って評価をしてもらうことがうれしいという傾向がある。女性の場合は、 「笑顔が素敵ですね」 「やさしい」 「明るいね」など、自分の容姿や性格に関することが多い傾向にある。1番嬉しい言葉というのは、考えてみれば自分の「生の欲望」につながっているものであるようだ。正面きって「生の欲望の発揮」と言われるとなんだか堅苦しいし、少々うんざりする。そんな時に、視点を変えて、 「人や自分自身から言われて1番嬉しい言葉」という題で話し合ってみることで森田理論学習は深まっていくのかもしれない
2017.06.19
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先日格安バスツアーに参加した。広島を出発して東洋のエーゲ海と言われる岡山県牛窓方面の日帰りバスツアーだった。とにかく料金が安い。一人当たり6,000円程度だった。行ったところは、製菓会社の工場見学、牛窓のオリーブ園散策、瀬戸内料理堪能、備前焼の窯元訪問、日本庭園の後楽園の散策、ワイナリーの見学であった。料理は満足できるものではなかったが、格安料金なら文句は言えない。とにかく盛りだくさんであった。 1度は行ってみたかったオリーブ園からの瀬戸内海の眺めは最高だった。目の前には小豆島、遠くは香川県屋島が見えた。海では多くの人がセーリングを楽しんでいた。備前焼の窯元を訪れた時は、登窯の説明や備前焼の特徴について詳しく知ることができた。備前焼の特徴は、 7日間も窯の中で焼き固めるという事でした。そのため、遠赤外線効果が出てきて、米を炊く時備前焼のかけらを入れておくと、土鍋並の美味しいご飯ができるということだった。また、生花の花瓶として使うと、温度を一定に保つことができ、活性炭素の効果で水を浄化し、花が長持ちするということだった。備前焼の器でビールを飲むと、クリーミーな泡立ちでとても美味しく飲めるということだった。普通、デパートでは1万円前後で売られているものが、窯元ということで3,000円程度で販売されていた。私も早速買い求めて、家でビール飲んでいるが、確かにキメの細かさには驚いている。後楽園では池の中で大きな錦鯉が泳いでいた。後楽園のすぐ側に岡山城があるが、この城はとても美しい。ここでは外国の観光客が多かった。特に中国の観光客が多い。このツアーで1番驚いたのは、添乗員の極め細やかな対応であった。添乗員の方は、 60歳を大きく超えたような男性の人だった。いつもニコニコと対応されていた。とにかく至れり尽くせりの対応力に驚いた。訪問先との連絡調整は、当然のことだが抜かりがない。また、ユーモアを交えての話が楽しかった。訪問先の予備知識としてのレクチャーが最高だった。以前天橋立での格安バスツアーに参加したことがあったが、その時の添乗員はただ付き添っているというだけで、訪問先の説明などはほとんどなかった。添乗員もピンからキリまであるのだなと感じた。この方はこのコースは何回も回っておられるせいか、細かな注意点が事前によくわかっておられた。また、自分でも訪問先の研究をよくしておられ、事前にポイントをレクチャーしてくださった。私はこの対応を見て、私たち神経質者も細かなことが気になるという特徴をこのように生かしていけば、やりがいにもなるし、人にも喜んでもらえるのだなと感じた。
2017.06.18
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ジャングルや山岳地帯に住む少数民族は、我々の目から見れば、貧しい暮らしをしているように見えます。それは私たちが高度に文明化された世界と比較しているから感じることではないでしょうか。彼らは毎日畑で働き、家族とともにつつましい生活をして、近所の人たちと助け合いながら生活をしています。比較していないので、それしかないという生活です。森田でいえば、なりきっている状態です。比較しないで、なりきった状態にあると、苦しみはありますが、悩みは発生しません。私たちは自分の容姿、性格、能力、存在価値、境遇、環境などについて、常に人と比較しています。人と比較して、自分の価値は上なのか、下なのかを推し量っているのです。上なら安心して人を見下したりします。劣っていると劣等感を感じて落ち込んでいます。落ち込んでいるだけではなく、劣っている点をなんとか人並みに押し上げようと悪戦苦闘します。これは劣っている点はよくないと価値判断して、否定しているからです。これは他人を否定するか自分を否定するかの違いはあっても、どちらも否定しているのです。本来自分と他人との違いは、その人の個性です。その人の持ち味です。いいも悪いもありません。そこに厳然と存在している事実です。大切なことは、自分に与えられているその個性を見極めて、はっきりと自覚することです。よく観察して他者との違いを認識することがとても大事だと思います。そういう意味で比較して違いを知ることは大変に意味があります。比較しなければ自覚できません。問題は、その先にあります。比較して分かった事実に対して、自分の不確かな物差しで是非善悪の価値判断をしてしまうことです。すぐに価値判断に結びつけてしまうと、事実、現実、現状を無視するようになるのです。森田でいう「かくあるべし」で事実を非難したり否定するようになるのです。優越感を感じて他人を否定する。劣等感を感じて自分を否定するというのは何とも愚かなことです。比較して自分が勝った、負けたと一喜一憂することは、自分を苦しめるだけだと思います。比較して違いを発見するだけにとどめていると、自己洞察が深まり、将来への自分の進むべき道がおのずから見えてくるようになります。だから他人との違いにはいいも悪いもないのです。次に、自分勝手な価値観という物差しで、優劣の判定ばかりに終始していると、好きか嫌いか、苦楽、快不快の感情が育たないということになります。それは自然に湧き上がってきた感情を是非善悪で選別しているからです。快の感情はいくらあってもよいが、不快な感情はすぐになくそうとしているのです。これは自然現象に反旗を翻しているようなものです。その努力は不毛な努力となり、エネルギーを消耗するばかりとなります。普段からあるがままの自分を認めていれば、プラスの感情も自然に湧いてきます。いいなあ、楽しい、うれしい、ここちよいという感情を味わうことができます。他人と自分を比較して、すぐに価値判断してしまう癖がついている人は、自分の劣った部分を目の敵にして、人生の楽しみを逃しているということだと思います。
2017.06.17
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プロ野球の試合を見ていると、1本のヒットやホームランを打たれると、それまで好投していたピッチャーが急に崩れてしまうことがある。これはなぜか。精神状態が冷静さを失い、本来相手打者に向かう戦闘意識が自分自身に向けられてきたからではないかと思う。それはあまりにも完全・完璧を求めすぎるからではないかと思う。その証拠に、後からのコメントで何が何だか分からなくなりましたと言っている。その時点でもはや勝負師ではない。相手への戦う戦闘意識がなくなり、ごまかしたり逃げたりするようになっている。反対に、ヒットやホームランを打たれたり、先取点をとられても、以後見違えるような投球をする人もいる。そういう人は、後からのコメントであのホームランで目が覚めました。緊張感を高め、相手打者に向かっていく闘争力に火がつきましたというようなコメントをしている。失敗をプラスに捉えて、いい意味での緊張感を高め、勝つための努力を積み重ねている。同じような能力を持ったピッチャーが、どうしてこのように両極端に分かれてしまうのだろうか。立ち直れないピッチャーは、 1から10まで相手打者を完璧に抑えなければならないと考えているのではないか。相手打者に1本もヒットを許すことはできない。ましてやホームランを打たれるのは論外である。相手チームに得点を許すと、すぐに監督から選手交代を命じられるかもしれないと考える。その点立ち直れるピッチャーは考え方が全く違う。「ヒットを打たれるのは当たり前。うまく打ちとることができればラッキー」と考えている。普通のプロ野球の打者は、 4回に1回ぐらいはヒットを打つ。優れた打者は3回に1回ぐらいはヒットを打つ。ピッチャーが打者3人から4人に対決すれば、普通は1本くらいはヒットを打たれる確率がある。ピッチャーはヒットを打たれるのが仕事のようなものだから、ヒット打たれても次善の策として連打を許さないようにする。回が押し迫ってくれば、最悪ヒット打たれてもいいが、長打だけは打たれないように配球を考える。調子のいいバッターに長打を打たれるぐらいなら、フォアボールで歩かせても良い。次の打者を抑えて、得点されなければ100%の仕事をしたことになる。仮にに得点されても、大量失点を避けて、最少失点で切り抜ければ万々歳だ。野球ではよくクオリティースタートすれば、 仮に試合に負けても、ピッチャーとしての責任を果たしたとみなされる。つまり、先発ピッチャーが6回を投げて3点以内に抑えたなら、監督や球団の査定は勝ち投手並みの評価をしてくれて、年俸のアップにつながるのである。つまり立ち直れるピッチャーは、最初から完全・完璧は求めていないということだ。自分の予想が外れることを十分に考慮し、結果が悪くても、ここまでだったら許せるという基準を持っている。その基準を最悪から最小まで何段階も持っており、その時の状況に応じて目標の再設定を行っている。最初から完全・完璧を求めていると、予想と反対のことが起きると、気持ちを切り替えて対応することができなくなる。その時の目線が上から下目線になっているために、どうしても不満足な出来映えについて批判したり否定するようになるのである。立ち直れるピッチャーは、目線は下から上目線になっている。全ての他者を押さえ込みたいという気持ちは強いが、予想と外れた結果のことも頭の中に入っている。予想と外れた時に、次にどういう目標を設定し、どのように動けば良いのか、頭の中でいろんなシュミレーションが行われている。だから失敗した自分の投球動作や配球について反省するよりも、次の打者に向いている。あるいは、盗塁をされないように出塁した打者に向けられている。森田先生は、人間は完璧を目指さなければならないと言われている。しかし「かくあるべし」で完璧主義者になってはならないと厳しく指摘されている。これをプロ野球の世界でいえば、完全に打者を押さえ込むために、日頃の相手打者の研究と技術の向上はどこまでも続けていかなければならない。そのような努力を続けても、結果に結びつかないことがあるかもしれないが、その努力を放棄することはもはやプロ野球の世界で活躍することはできなくなる。完璧主義、完全主義は、一害あって一利なしである。完璧主義は本来相手打者に向かうべきエネルギーが、自己否定に向かい、苦しみを抱えて自分が消耗して行くばかりである。プロ野球の選手ならそんなことはしないはずである。我々も生き方としては、完全主義に陥るのではなく、現実や現状を踏まえて、できうる限りの完全を目指して努力しつづけることが大切なのである。
2017.06.16
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森田先生は空に漂っている風船は、風の吹くまま気の向くままに移動しているので、決して破裂することはない。ところが、これがあるところに固定されてしまうと急に風が吹いたりして破裂してしまうことがあると言われている。また海ではイソギンチャクはある場所に固定して近づいてくるエサを取って食べている。これに対してクラゲは波のおもむくままに漂っている。クラゲのように周囲の状況に合わせて、生きていく方が良いと言われている。相撲や柔道なども相手が押したら自分は引く。相手が引いたら自分が押していく。つまり、相手の動きに合わせて動いていると、そのうち相手の方が根負けして勝つことができると言われている。また大波の時船酔いをしないコツは、船が波によって持ち上げられる時は自分の体も持ち上げる。船が波によって沈み込む時は自分の体も沈み込ませる。意識を船の動きに合わせて調和させていけば船酔いになることはないと言われている。ジャイアント馬場さんは60歳まで現役のプロレスラーとして活躍されていた。ジャイアント馬場さんは60歳になったときは、自分には力なんてほとんどないですよと言われていた。相手が力任せに自分を倒しにかかると、その力を利用して抑え込むことぐらいしかできないと言われていた。これらの話は、「かくあるべし」をもとにして、自分の意思や意見を前面に出して行動するのではなく、周囲の状況や変化をよく観察して、臨機応変に周囲に調和していくいくことが大切であるといわれていると思う。しかしここで1つ疑問がある。これでは、自分の意志を抑圧して、他人に無条件に追随することではないのか。自分の抱えた問題、夢や目標、課題などに向かって誠心誠意努力するということには、関心を払わなくてもよいのか。ただ周囲に合わせているだけでもよいのか。これでは自分のこうしたいという意志や意欲は微塵も感じられない。自分のアイデンティティの発揮はどうなっているのか。ただ、他人に追随して、優柔不断で周囲に合わせているだけではないのかという疑問である。私はこれに対して次のように考える。森田先生が言いたいのは、自分の頭の中で考えた観念によって、自分の行動を決定してしまうという考え方を戒めるためのたとえ話であると思う。 森田先生は、「かくあるべし」から出発して、事実、現実、現状を否定したり批判することを最も警戒されていたのだと思う。それよりは、自分の周囲の状況、自分の置かれた境遇、自分の持って生まれた性格等をよく自覚し、そこを土台にして物事を考えていくようにしなさい、と言われているのだと思う。現実や現状を土台にしていけば、当然周囲のの変化に臨機応変に対応していかざるを得なくなる。それが人間本来の正しい生き方であると言いたいのだと思う。現実や現状を土台にして生活している人は、事実として、そこから目線を上にあげて、日々行動・実践されていると思う。下を見下ろしているのではなく、目線を上にあげて行動・実践しているということが肝心である。ところが「かくあるべし」を持っている人は、現実や現状を受け入れることができない。上から下目線で現実や現状を否定したり批判している。頭の中では常に理想的な自分や他人の姿があり、現実や現状の問題だらけの自分や他人は決して容認することはできない。こういう生き方は、夢や目標に向かって一歩一歩努力していくと言うよりは、そのエネルギーを自己否定や他人否定に向けられてしまうのである。つまり、この問題は自分の生き方として、どんなに不満足な事実、現実、現状であっても、そこを土台にして生きていく覚悟を決めなくてはならないという事を言われているのだと思う。「かくあるべし」で自分や他人を追い詰めるのではなく、事実を直視して、周囲の状況や変化に合わせることを優先して生きていくことが大切であると言いたいのだろう。
2017.06.15
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先日テレビを見ていたら、教育評論家の尾木ママが出ていた。勉強しない子供にどうしたらやる気を持たせることが出来るのかコメントをしていた。なるほどと思えることがあったので、私の意見を書いてみることにした。・お母さんが子供に「勉強しなさい」 「どうして勉強しないの」 「ダメじゃないの。早く宿題をしなさい」などという言葉を発しても子供は反発するばかりでその気にはならない。このことを尾木ママは、 「親が子供より前に出ない」ことが肝心だといわれていた。確かに子供が今から勉強しようと思っている時に、そのことを指摘されると、やる気や意欲は急速に衰えてしまう。でもつい親は自分の考えを子供に押し付けてしまう。子どものためと言いながら、親の「かくあるべし」 を知らず知らずのうちに子供に押し付けてしまう。宿題はしないで、テレビを見たり、ゲームを長時間しているのを見ると、親はイライラする。その腹立たしい不快な感情を子供に向かって発散しているようなものである。勉強を始めるということは、本人がその気にならなければ基本的には不可能なことです。こういった場合、 「私メッセージ」を使って、 「お母さんは勉強してくれると嬉しいんだけどな」と自分の気持ちを伝えることぐらいしかできないのではないかと思う。森田ではそれから先、子供が勉強をしようがしまいがそれは子供の選択の範囲であるといっています。・子供が勉強をするために褒美をあげることがある。これは一時的には効果がある場合がある。目標の点数を上げた場合に子どもの欲しいものを買ってあげる。小遣いをあげる。美味しいのを買ってあげる。外食に連れて行ってあげる。行きたいところに連れて行ってあげる。また、テストの点が良かった場合子どもを「よくやったね」と誉めてやるとかである。しかし、これは度をすぎると、報酬をもらうということが目的となる可能性がある。またうまくいかなかったとき容易に挫折してしまう。尾木ママは、結果の良し悪しに関わらず、努力した結果を評価してあげるということが大切だと言われていた。全くその通りだと思います。・子供が勉強しているときは、親が近くにいてあげる。そして、わからない問題について質問してきた時は教えてあげる。注意しなければいけないのは、親が近くにいても、自分がテレビを見たり、飲食をしていたりしてはあまり効果がない。子供が勉強しているとき、親も一緒になって、本を読むとか、家計簿をつけるとか、日記をつけるとか、資格試験の勉強するとかすることである。子供は親の言った事はしないが、親のやっていることはするものである。これは確かにそう思う。私は本を読む習慣があったが、それを見ていた娘も実によく本を読む子供になった。・子供は親に言われなくても自ら進んでやりたいものを持っているものである。例えば、サッカーやバトミントンなどのスポーツ、野球の観戦、釣りや楽器の演奏などである。だから興味を持ったものにどんどん挑戦させていくことである。どんな小さなことでもやる気を持ってやってみると、それが子供の成長につながり、自信となる。またやる気や意欲は一旦火がついてしまえば、勉強など他のものにまで波及してくる。勉強するということは誰でもしんどいものである。大人になって社会生活を営むにあたって必ず身に付けなければならない基礎的学習はある。しかし、それ以上の勉強はその子供が面白いと感じればどんどん発展させていけばよいものではないのか。どうしても机の上に座っての勉強になじまない子供もいる。あるいは講義形式の学習には耐えられない子供もいる。数学や物理や化学、語学、地理や歴史などの勉強についていけない子供もいる。そういう子供に一律に強制的に学習させる必要があるのか。そういう子供は、得てして例えばスポーツに優れていたり、音楽や絵画などの面で優れていたり、ものづくりの面で優れていたり、観察力に優れていたり、文章を書いたりまとめたりすることに優れていたり、人とのコミュニケーション作りが優れていたりする。そういう幅広い視点で子供の特徴や能力を発掘して、その方面の能力をさらに高めていく方がその子の将来にとって有益なことではないのかと思う。ヨーロッパなどでは、中学ぐらいからその子の能力や特徴に応じて、教育内容ややり方を変えているというがそのほうが実情に沿っているのではないか。
2017.06.14
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普段普通の人は腹が立っても、、人間関係に波風を立てないように、怒りそのものを抑圧しようとする。しかし、怒りという感情を拒否したり、抑圧したり、無視したり、否定すると、注意や意識がそこに集中し、イライラやモヤモヤがどんどん大きくなってきます。耐えたり、我慢していると、様々な場面で小さな怒りを溜め込むことになります。するとまた怒りが生まれ、それをまた我慢することになります。そして最後には、感覚が麻痺して耐えたり我慢するということが習慣になってしまいます。常にイライラやモヤモヤを抱えながら生活をしていくということになります。心の中はいつも曇天や雨が降っているような暗い気持ちになります。そして最後に土砂災害でてきたダムが決壊をして大災害をもたらすような大爆発することがあります。そうすると、今までなんとか周囲の人と人間関係を保ってきたのに、一挙に崩れてしまいます。怒りを一般的に定義すると「欲求充足が阻止されたときに、その阻害要因に対して生じる感情」ということになります。「こうしてほしい」 「こうなりたい」 「こうだといいな」といった欲求が満たされなかったり、裏切られた時に怒りの感情が生まれてくるのです。これには、自分自身に対する怒りと相手に対する怒りがあります。「かくあるべし」が強い人ほど現実や現状を認めることが出来ないので、怒りが発生しやすく、また怒りが大きくなりやすいという特徴があります。森田理論では、まず怒りという感情は自然現象であるので、人間がコントロールすることはできない。ただし、自由自在に操作できないからといって、怒りという感情を拒否したり無視したりすることはよくないといいます。まず最初にその怒りという感情に十分にとらわれる必要がある。別の言葉で言えば、怒りという感情をよく味わってみるということです。普通怒りの感情が湧き上がってくるとすぐにその感情を無きものにしようとしている。楽しい、嬉しい、感動する等といった感情と同じように、十分に味わうことが必要なのです。怒りという感情が制御不能な暴れ馬のようなものだから、すぐに抑圧したり耐えたり我慢することは間違いなのです。怒りという感情をいつもごまかしていると、相手に支配されているような惨めな気持ちになって永く続いてきます。森田先生は腹が立つ時は、腹を立ててもよいが、その腹いせを反射的に言動として相手にぶつけることは子供のやることだと言われています。でも3日考えてどうしても腹立たしさがおさまらないときは、あなたのほうに分があることが多い。そういう時は、冷静になって相手の理不尽な言動を書き出して整理してみる。そして正々堂々と自分の主張を相手にぶつけていくことが必要だと言われています。ですから、衝動的で不快なイライラやモヤモヤをもたらす怒りの感情を、いつまでも自分の心の中に仕舞いこんでしまうのではなく、上手に吐き出すことが必要なのです。例えば、会社の上司が今までのノルマの2倍の予算計画を提示してきたとします。こんなにモノが売れない時代に、こんな要求には腹が立つ人が多いでしょう。そこで 「こんな数字、達成できるわけ無いじゃないですか」と反発すれば、 「やりもしないでもこう言うな」と言われるのが関の山でしょう。そこでいきなり腹立たしさを相手にぶつけるのではなく、 「数字の根拠を説明してください」と質問するのです。また、夫に、 「お前は何をやらせてもダメだな」と言われれば誰でも腹が立ちます。「私だって一生懸命やっているのに、どうしてそんなこと言うの」と言って反発する人もおられるでしょう。その時、 「私の全部がダメなら具体的に詳しく教えてください」と質問したらどうでしょう。レストランへ行って、自分より遅く来た人の方が料理が早く出てきて、自分のオーダーした料理がいつまでたっても出てこないことがあります。その時ウエイトレスに向かって、 「どういうことなんだ」と言って怒りを爆発させる人もいます。その時、 「どうして遅く来た人の方が早く出てくるのですか。私のオーダーはどうしてこんなに時間がかかるのですか」と質問してみたらどうでしょう。腹が立つというのは、その怒りの感情を相手にぶつけて、高ぶった感情を抑えたり、なくしようとしているのです。そうする前に、怒りの基になっている出来事に対して、事実関係を確かめてみるということが必要なのではないでしょうか。(腹が立ったら怒りなさい 和田秀樹 新講社参照)
2017.06.13
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神経質の人が、嫁入りをした後に、神経症がますます悪くなるようなことがある。それは自分が嫁として、良妻・賢母として、誰からも非の打ちどころがなく、完全な善人になりたいという欲望を押し通そうとして、つまり理想主義にかぶれるがために、舅姑や小姑などに対して、日常赤裸々の感情ではなく、完全な善人になりたいという欲望を押し通そうとして、強いて心を曲げてかかるから、周囲からも、かえって不自然なひねくれ者のようには見られ、自分が善人の義理を立てれば立てるほど、かえって周囲から虐待されて、反対の結果になり、その苦しみが重なり、ついに神経衰弱になるのである。これは嫁ぎ先の家族の人たちに、 「何でもよく気がついて、よく働くよい嫁だ」という評価を得ることに最大の関心を持っているためである。そうしないと、嫁ぎ先の人たちに嫌われて追い出されてしまうかもしれないという不安がそうさせるのである。森田理論ではそういう人は強い「かくあるべし」 を持っているとと言われている。「かくあるべし」を持っていると、理想と現実のギャップを埋めようとする。その際、理想を基準にして現実を何とかして理想に合わせようとするのである。そこでは理想からほど遠い現実に対して批判をしたり、拒否したり、否定したりする。本来は事実や現実を認めて、理想や目標に向かって一歩一歩努力していくことが必要なのである。森田先生はこのことを次のように言われている。およそ自分が善人として、周囲の人から認められるためには、人が自分に対して、気兼ねし遠慮しようが、うるさく面倒がろうが、人の迷惑はどうでもよいということになる。これに反して、人を気軽く便利に、幸せにするためには、自分は少々悪く思われ、間抜けと見下げられても、そんなことはどうでもよいという風に、大胆になれば、初めて人からも愛され、 善人ともなるのである。つまり、自分で善人になろうとする理想主義は、私のいわゆる思想の矛盾で、反対の悪人になり、自分が悪人になれば、帰って善人になるのである。自分が「かくあるべし」の味方になって雲の上のようなところに身を置いて、現実の世界で苦しんでのたうちまわっている自分や他人を見て、拒否、無視、脅迫、否定することは一害あって一利なしである。「かくあるべし」が出てきた時は、すぐに現実、現状、事実に立ち返ることは大変難しいことであるが、それが森田理論でいうところの修養である。森田先生は修養とは、実行によって精神の働きや動きを体得することであると言われている。森田理論学習の目的の1つは、この事実唯真の世界を体得することにある。(森田全集第5巻 白揚社 205頁より1部引用)
2017.06.12
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最近は勉強で子供を追い詰めてしまう親がいるという。代表的な言葉は、 「どうしてできないの」である。周りの子供たちができているのに、自分の子供ができないと「こんな問題ができないあなたはバカだ」に直結する。「この問題がこの子にとってどこが難しいのだろう。なぜこんな簡単な問題が解けないのだろう。どうやったらこの子にもこの問題の解き方がわかるようになるだろうか」という風には考えられないのである。子供の「今の段階ではできない」という子供の現状を受け入れることができないのだ。子供を今すぐに、この瞬間に変えてやろうと思ってしまう。森田理論学習をしていると、これは親が子供を自分の思い通りにコントロールしようとしていることがわかるようになる。つまり、親の「かくあるべし」を子供に押し付けて、子供を否定して無理やり子供を自分の考えに合わせようとしているのだ。子供にとっては、 「どうしてできないの」と言われてもどうすることもできない。それどころか、問い詰められれば問い詰められるほど頭の中は真っ白になる。そして投げやりになって親に反発をするようになる。これは、大人の私たちが、日常生活で他人を見て、 「どうしてこんな簡単なことができないの」と言って軽蔑し、批判することと同じことである。次に子供は、テストで悪い点に取ってしまったとき、親に約束をさせられる。その成績を見ながら親は、 「どうしてこうなったと思う」 「これからはどうするの」と詰問する。蛇に睨まれた蛙のような状態の子供は、今までの反省点と改善策を出す。例えば、 「これからはTVゲームをやる時間を減らして、毎日3時間勉強する」こうやって子供たちは無理やり約束させられるのである。その約束を破ると親は容赦なく子供叱りつける。「あなたは約束を破った」 「やるって言ったじゃない」「それは人間としてやってはいけないことなのよ」約束を破るのは、人の道に反することだと言って、親はそれを厳しく叱る。子供は言い逃れができない。追い詰められてしまう。親でも、いったん決めたことなのに三日坊主で終わることがよくある。毎日の運動が持続できない。つい間食をしてしまう。禁酒しようと思ってもすぐに破ってしまう。日記をつけようと決めたのに、すぐにやめてしまう。それなのに自分のことを棚に上げて、子供には完全、完璧を要求してしまうのだ。親になると、子供のために、こうなってもらいたい。ああなってもらいたいといろいろと手を尽くす。しかし現実は親の期待通りの成果をもたらす事は稀である。子供に親の期待通りの結果を望むのは親のエゴではないだろうか。子供は親のために生きているわけではないし、親の望む人生を生きるわけでもない。子供は自分の力で自分の人生を切り開いてこそ、生きている実感を味わえる。親が出来る事は、近くにいて子供を励まし、見守ることだけだ。親は子供を見ているとつい口や手を出してしまいやすい。求められていないのに、親が子供のやることに勝手に手を出すことは、子供に「あなたは私がいないと何もできない」というメッセージを伝えていることに他ならない。それではいつまでたっても精神的に自立できない。自分の人生を生きている実感を味わえない。代わりに生きづらさを感じながら生きることになる。自分ではない誰かのせいにしながら、誰の人生だかわからない人生を歩むことになる。こう考えると、森田理論学習は子育てに活かすためにもぜひ学習する必要があると思う。森田理論には、人間が生きるということは何か、自立することは何か、人間関係の持ち方はどうあるべきなのか等そのヒントが数多くちりばめられている。私は学校教育の中に、森田の考え方を取り入れるべきではないかと考えている。(追いつめる親 おおたとしまさ 毎日新聞出版より引用)
2017.06.11
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京セラの創業者の稲盛和夫氏は、理念に反することをしてはいけないと言われている。理念と言うものは、 「私はこういう経営をしていきたい」 「会社経営は、こうあるべきだ」と、考え、行動するもとになるものです。それを守って実践してこそ理念なわけです。経営者の人生観といってもいいでしょう。それを競争が激しいからといって、 「守っていては、やっていけない」と理念を曲げたとしたら、それはもはや理念ではありません。理念を曲げるぐらいなら、従業員ごと会社が潰れなければいけませんね。会社が理念を曲げてまで生き延びても意味がないんです。理念という基準がありながら、それほど切羽詰まっていないときに、 「少しこっちにずれてもいいだろう」とやってしまう。そこに自分では悪いことをしている意識はないのだと思います。だから、 「少し理念から逸脱するけれども、このくらいなら許されるだろう」とやるわけです。そんなことが日常的になると、基準がどんどんずれていきます。いちど理念をずらすと、今度はそれが基準になって、また少しぐらいならずれてもいいだろうとなる。そうして、どんどん最初の理念から離れていくのですが、本人は理念を守っていると思っているのですね。(ど真剣に生きる 稲盛和夫 NHK出版より引用)この話を聞いて私の感想を書いてみます。アルコール依存症、薬物依存症、ギャンブル依存症、ネットゲーム依存症の人たちは、依存症から抜け出すために、 「もう二度と手を出しません」という固い決意の下で新たな生活を始めます。最初のうちは手が出そうになってもなんとか我慢して耐えています。ところが、その固い決意がふと緩む時があるんですね。仕事などで思い通りにいかない状況や人間関係で問題を抱えた時です。気晴らしで少しならいいだろうと思ってやり始めると、少しだけでは済まなくなるのです。簡単にまた元の木阿弥になってしまうと言われています。考えてみれば恐ろしいことです。それは脳の中の快楽神経にそのときの快感が強く刻み込まれているのです。ですから、依存症で苦しんだ人は、立ち直ろうと思えば、以後一切の誘惑を撥ね退けって、決して手を出さないということが大切なのです。固い信念を持って近づかないことが決め手となります。自分1人の力で耐えられなければ、他人の力を借りてでも手を出さないという固い決意が必要なのです。さて稲盛さんの言われていることを、森田実践に当てはめてみるとどういうことでしょうか。森田先生のところに入院していた人たちは、退院する頃には、自分の症状のことよりは、自分の周囲のことや他人のことに色々とよく気がつくようになります。注意や意識が内向きから外向きに変わっているのです。次第に神経質性格のプラス面が現れてくるようになります。気づきや発見が多くなり、それに基づいて積極的、建設的、創造的な行動が多くなってきます。別人のような人間に生まれ変わるのです。そして周囲の人々を驚かすことになるのです。それを発展させていくと、森田的な生活が定着してくるようになります。森田先生が言われているように、感じを高める、無所住心、なりきる、物の性を尽くす、自然に服従する、生の欲望の発揮などにまい進できるようになります。ところが、これは少し気を抜くとすぐに森田的な実践から離れていくことになります。例えば、森田的な生活をしていると日常茶飯事を大切にし、規則正しい生活をするようになります。少し気を抜くと、毎日の生活が不規則になり、日常茶飯事も丁寧に取り組まなくなります。そういう生活習慣が身についてくると、なかなか元に戻すのは難しくなります。森田理論の理念は頭では分かっていても、実際には行動実践が伴わないということになります。せっかく森田理論で人生の方向性を見出したにもかかわらず、 「少しぐらいなら反森田的なことをしても構わないだろう」と安易な方向に向かい出すと、何のために森田理論を学習したのだろうということになってしまいます。森田先生はそれを食い止めるために、退院した人に1か月に1回ぐらい集まってもらい、形外会という会合を主催されて原点に戻るための話をされていました。稲盛さんの言われるように、いったん森田理論で生きていく方向性を見出したのならば、それを愚直に実践していくという固い決意が大切なのではないでしょうか。理論と行動のバランスがとれていない人は、人生が空回りしてきて、葛藤や苦しみを克服するどころか、反対に深める方向に向かっていくことが想像されます。
2017.06.10
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私は実務はしていないが、CFPというファイナンシャルプランナーである。幅の広い分野の中でも、ライフプランと金融資産運営設計の学習を続けている。この資格の更新のためには2年間で30単位という単位を取らないと資格を喪失してしまう。ところで誰でも65歳を過ぎると、年金生活になる。年金というのは、一般的には生活するための最低限度のお金しか支給されない。だから年金だけでは不足しているという人もいる。高齢になって経済的な面で困るのは、病気になったときや、介護が必要になったときのことである。さらに、冠婚葬祭費や固定資産税、家の修理や家電製品の買い替えなどである。さらに田舎に住んでいると、移動手段として自動車が必需品なのでその維持管理費も相当かかる。そして子供や孫にかかる費用も無視できない。そのために、 65歳を過ぎてもアルバイトのような仕事を続けている人も多い。また、退職金や親から引き継いだ遺産などを取り崩して凌いでいるという人も多い。取り崩すばかりの人は、財産が減ってくるので将来が不安でいっぱいだ。長生きすればするほど長生きリスクが増してくるのだ。そこで私のところに相談に来る人がいる。今の蓄えを銀行に預けてもほとんど利子はアテにできない。このままでは蓄えが底をついて首が回らなくなりそうだ。なんとかうまい資産運用のアドバイスをして欲しいと言われるのである。そういう人は、投資信託や株式の運用などで何とか財産を増やそうとされている。しかしながら多くの人は資産を増やそうとしながら、逆に資産を減らしているのが現状である。証券会社、銀行、ゆうちょなどの金融機関にしてみれば、カモがネギをしょってやってくるようなものだろう。そんな時私は年金以外に年間どれぐらいのお金が必要なのかと聞いてみる。ところがそういう人に限って、資産運用でお金を増やすことは熱心だが、将来にわたってのライフプランを持っている人が少ない。これは本末転倒ではあるまいか。本来は自分の生存期間中のライフプランを立てることが先決なのではなかろうか。ライフプランがあって初めて不足額がわかる。その不足額を埋めるために、次にどうすればよいのかという話になるのである。不足額を埋めるために、一生涯働くこともある。親の財産を活用させてもらうこともある。収支を見直して、支出を削減していくことも考えられる。お金のかかる生活の仕方を見直してみることも必要になる。親せき付き合いや近隣住民、友人との付き合い方を変えることも必要になるかもしれない。家電や自動車の買い替え、趣味や旅行などを見直すことも必要になるかもしれない。その一環として資産運用があるのである。ただし資産運用はプロがやっても決してうまくいかない。思惑通りに利益を上げることはありえない。だからすぐに不足分を資産運用をしてリターンを獲得しようと考えるのは軽率であると考える。金融資産には定期預金、国債、キャピタルゲインねらいの株式の運用、投資信託、配当金狙いの株式投資などがある。そのほかFX、先物投資、不動産投資などありとあらゆるものが用意されている。今は定期預金はほぼ安全に管理できるがほとんど利子はつかない。私の友人で退職金を定期預金に預けると、 3カ月間だけは高い金利が適用される。そこで3カ月間だけある銀行に預け、その後引き出し、また別の銀行に預けるということを繰り返している人がいた。それもよい方法だが、そんなうまい方法はいつまでも続かない。国債は比較的安定的で、定期的にわずかながら利子が入る。投資信託は手数料が高く、基準価格を大きく下回ることがあるので、損失を出している人も多い。株式の運用については、自己責任の世界である。デイトレード、スィング取引などはほとんどの人が失敗している。株式で成功している人は、長期運用している人が多いようだ。安いときに買って、長期に保有している人は今現在は大きく資産を増やしている。日経平均は8,000円くらいの時に、株式相場にみんながそっぽを向いているときに株を買って、持ち続けてきた人だった。3年から5年もすると大きく値上がりしていた。配当狙いの株式の保有は、多くの人が目を向けない。私はまずこれを勧める。確かに多くのリターンは期待できないが、会社が倒産しない限りは損失を出すことがない。私は前に会社に勤めていた時に、自社株をこつこつ買っていたが、その配当が現在1株30円から35円もある。しかも配当は年に2回ある。1000株もあれば年に最低60000円の配当がある。(ただし税引前利益である)ただし今は株価が高い時期なので、将来株価自体が下がる可能性が強いので注意が必要だ。基本は退職金などを元にして、年配者は安易な気持ちで株などの資産運用に手を出してはならない。もしどうしても値上がり期待の株式投資に手を出してみたい場合は、予想とはずれた場合に、機械的に損切りのできる場合に限る。それでもどうしても値上がり期待で株式投資を始めてみたいという人が多い。これしか道はないと考えておられるようなのだ。そういう人にはリスク管理を徹底することを話す。投資は全資産の20パーセント以内にとどめること。残りの80%は絶対に手を付けてはならない。投資の達人でも最終的には、利益が出ている確率は25パーセント程度だと聞いた。投資の多くは失敗しているという事実を無視してはならない。つまりプロ野球の選手と同じで、100回バッターボックスに入って75回は失敗しているのだ。それでもプロ野球の世界で飯を食っているという教訓に学ぶべきだ。それでも利益を出しているのは、予想が当たったときはできるだけ儲けは大きく、予想とはずれたときは少ない損失で素早く損切りをしているのである。そうなるためにはたゆまぬ株式市場の動向の研究や変化への対応力などを、粘り強く集団として対応していることを忘れてはならない。そしてインターネットなどで絶対に儲かる○○投資法なるものに引っかかる人が後を絶たない。株式投資は湯呑の中で100円玉を振って、さあ表が出ているか裏が出ているか予想するようなものだから絶対ということはありえないのである。過去の成功事例ばかり持ち出して話されても、結果が分かっていることを説明することに意味はない。そんなことをいう人には、明日上昇する銘柄を教えてもらい、それがどんな結果になるのかを検証してみるとよい。100%予想が当たるということはあり得ない話だ。その人の予想を信じて損失を出したときに責任をとるのは自分以外のなにものでもないのだ。
2017.06.09
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京セラやKDDIを創業した稲森和夫氏は、 「会社は誰のものか」という質問に対して、 「会社は全従業員の物心両面の幸福のためにある」と言われている。そして、お客様、取引業者の皆さん、地域の方々をはじめ、企業を取り巻く全ての人々のために存在している。もちろん、商法上の会社の持ち主は、株主です。最近は、会社は株主のものだから、株主が儲かるようにするのが経営者の責任だなどと言われます。中には株を大量に買い占めて、敵対的TBOを仕掛けたり、株主総会に出席して、 「もっと配当を出せ」とか、 「もっと利益が出るように、従業員のリストラを進めろ」などと要求する株主もいます。しかし、京セラは創業以来、 「株主のために会社が存在する」とは1度も言ったことがありません。これは、決して株主を軽視しているわけではありません。もし、株主から「けしからん」という苦情が来たら、私はこう説明します。「従業員みんなが安心して、喜んで働いてくれるような会社にする。さらに広く社会から信頼と尊敬を受けるような立派な会社にする。その結果として、すばらしい業績を実現する。そうすることが、ひいては会社の価値を高め、株主にとっても望ましいことになるはずです」ここで大事な事は、最初の目標の立て方が違うと、同じようなことを始めても、その内容は似ても似つかないものになってしまうということです。会社は株主のものという考え方に立つと、株主により多くの配当をもたらすことが経営者の最大の目標となります。そうなりますと従業員、お客様、関連会社、地域の人々に役に立つという使命はどうでもよいということになります。また経営者は、利益を最大限に出すことによって莫大なキャピタルゲインを得ることが目標になります。逆に、会社は従業員を始め、企業を取り巻く全ての人々の幸せを作り出すことに目標を定めると、経営者は自分の利益追求ではなく、自分を脇に置いて従業員の生活ややりがいを大いに高めるように努力するようになります。(ど真剣に生きる 稲森和夫 NHK出版 107頁より引用)このことを森田理論では、 「ごうりの誤り、千里の差を生ず」と言われています。普通神経症に陥った時、その原因となった不安や恐怖をなんとか取り除こうとします。それだけのエネルギーのない人はその場からすぐに逃避するようになります。その方向は、神経症の葛藤や悩みがとれないばかりか、精神交互作用でどんどんと増悪してきます。そして最後には神経症として固着し、うつ病になったり、実生活上の悪循環に陥ったりします。これは目標の立て方とその後の解決の手段を誤っているのです。神経症に陥る人はこのような誤った努力目標を持って、1人相撲を取っているようなものです。森田理論学習を続けると、原則として不安や恐怖は自然現象であり、人間の意思の自由はないと学びました。できないことにエネルギーを注ぎ込む事は最終的に無駄になりますので、不安や恐怖はそのまま受け入れて、自然に服従するようになります。そこに投入していたあり余るエネルギーは、日常生活や人のために役に立つこと、自分の夢や課題や目標の達成のために使う。こういう方向に向かえば、その後の両者の展開は雲泥の差となって表面化してきます。もともと小さなことが気になるという神経質性格が、目標の立て方の違いによって時間が経つにしたがって大きく差が開いてくるのです。神経質者が建設的で創造的生産的な方向へ舵を切っていくためには森田理論学習は欠かせないと考えます。特に自分の性格特徴の両面性、認識の誤り、感情の法則、精神拮抗作用の活かし方、生の欲望の発揮、自然に服従する生き方などを重点的に学習してもらいたいと思います。次に学んだことは体に覚えこませるようにすることが大切です。神経質性格は正しく活用すれば、自分だけではなく、人のため世のために大きな威力を発揮するようになるのです。
2017.06.08
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天皇陛下の心臓の手術をした天野篤医師は、順天堂大学で後進の指導にあたっている。指導に当たっては、山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」を座右の銘としている。まず手本を示した上で、次に同じ作業を第一助手にやらせてみるそこで、欠点や改善点を見出し、場合によってはもう1回やらせて見せてから、再び同じ作業をさせてみるそれをフェイスツーフェイスで繰り返して、相手の手の動きや視線の配り方を観察しながら実地に技術を教えていくわけです。第一助手に任せても大丈夫だなという段階になったら、今度は第一助手と、さらに経験が浅い第2助手とでやらせてみます。私は要点を指摘するだけで、トラブルが生じたりしない限り手出ししません。そういったプロセスで様々な症例を経験させることで、必要な技術を若い医師たちに習得させるわけです。経験の浅い第2助手を第一助手に起用して、マンツーマンで指導してみたことも過去にはありました。すると、多くの場合、私が目の前にいることで緊張してしまい、本来の力が出せなくなってしまうのです。下手をすると、自信喪失につながったり、研修医であれば落第点を付けられてしまう可能性もある。それを避ける意味もあって、経験の浅い者には、私の下の世代の第一助手に指導させるようになりました。そして若い医師が成長し、簡単な手術を任せられる程度になったら、思い切って突き放す。私の感覚で言うと、 1人前まで行かなくても、 0.7人前ぐらいになったら、巣立ちをさせる時期です。そして残りの0.3人前に必要な力は、自分で獲得させるように仕向けるのです。「何かあったら自分の責任のもとに対処するんだぞ」とあらかじめ宣言してから、決まったとおりのことをやれば確実に成功できるシンプルな施術の機会を与えてあげるのです。私は手術室には入りません。最初は手術の経過が気になって、 医師室のモニターで見ていたりもしますが、そこまで育った医師なら、まず基本的なミスを犯すような心配はないものです。(この道を生きる、心臓外科ひとすじ 天野篤 NHK出版新書より引用)この話は集談会や子育てに応用できる話だと思う。集談会では、実際に森田理論を応用して、普段の日常生活をいかに過ごしているかについて、自分の経験を話すことが大切である。できれば現物を持っていって見せる。あるいは実際に実演したり演技してみせる。それに影響を受けて、初心者が自分の生活の中に取り入れたり、考え方を見直す事は十分にあり得る。そして相手が考え方や生活の変化を見せた時、 「それは素晴らしいことですね」と言って評価をしてあげることだ。次に集談会では森田理論に精通し先生と呼ばれるような人がいる。その人が集談会の重鎮として崇められて、大学のゼミの先生と学生のような関係になってしまうことがある。天野先生はそれでは学生があまり成長しないといわれている。それよりは、先輩会員が後輩会員を指導したりアドバイスすることの方がより大事であると言われている。森田理論学習は本来、相互学習と言われており、先生といわれるような人はいないはずである。このことは、ある特定の人が先生のような指導的な立場にたって、集談会を運営してはならないということ言われているのだと思う。年に何回か奥深い講話を聴くことは刺激になるが、本来先生と言われるような人は、集談会には参加しない方がよいのかもしれない。最近は子育てにおいては、児童虐待の他に過保護や過干渉が問題になっている。特に親が子供を自分の所有物のように考えて、自分の考え方を子供に押し付ける場合がある。「どうしてできないの」 「やるって約束したじゃない」 「あなたのために言っているのよ」 「何をぐずぐずしてるの。早くしなさい」などの言葉を連発していると要注意である。天野先生の話からすると、 0.7人前になったら子供の自由に行動させてみる。親は傍で見ているだけにする。口を挟みたくなっても我慢する。そして失敗や成功を繰り返しながら、子供自身がが自立する方向に向かわせることが最も大事だと言われているように思う。
2017.06.07
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野菜はそれぞれ際立った個性を持っている。それを無視して、人間の都合で野菜作りをしてはならないのである。まず野菜は生育する時期というものがある。トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、スイカ、メロン、カボチャ、トウモロコシなどは夏野菜である。冬に作っても育つことはない。反対に、キャベツ、白菜、大根、玉ねぎ、ほうれん草、いちごなどは冬から春にかけての野菜である。時期を無視して作ろうと思えば、ビニールハウスのようなものが必要になる。それよりは自然の摂理に合わせて野菜作りをした方が、自然の理にかなっているのではなかろうか。次に野菜はそれぞれ性質の似通ったもの同士で区分されている。アブラナ科、アカザ科、セリ科、ユリ科、キク科、ナス科、ウリ科、マメ科、シソ科、イネ科、バラ科、アオイ科、タデ科、ウコギ科などがある。アブラナ科には白菜やキャベツなどがある。ナス科にはナス、トマト、ピーマン、ジャガイモなどがある。それぞれの科に属する野菜たちは性格や気性が比較的よく似ている。同じ科のものを続けて作ると、病気や収量が減るという連作障害に陥る。これは磁石でプラスとプラス、マイナスとマイナスを無理やりくっつけようとするようなものだ。だから野菜は特徴の違ったものうまく組み合わせていくということが常識なのである。次に野菜には吸肥性の強いものと弱いものがある。トマト、ナス、ピーマンなどは肥料をよく食う。反対に、カボチャ、エンドウ、ジャガイモ、サツマイモなどは痩せた土地でもよく育つ。むしろジャガイモなどはその方が良く育つし味のほうも良くなる。多肥栽培の後はイネ科の作物等を栽培すると残った肥料を吸い取ってくれる。そういう野菜を上手に組み合わせて、土の状態を改善することができる。野菜は地中深くに根を伸ばすものと、地上の表面にのみ根を伸ばすものがある。トマト、ナス、ピーマン、大根、ゴボウなどは深く根を伸ばす。反対にキュウリやイチゴなどは地上の表面に手を伸ばす。根の浅い作物ばかりを植えていると、地中深くの土地が固くなり、酸素や水が届かなくなる。トラクターなどで反転する手もあるが、作物を組み合わせることによって容易に問題は解決するのである。トマトの原産地は南米のアンデスの乾燥地帯である。そのトマトを日本で栽培するためには、梅雨の時期ビニールの雨よけが欠かせない。それを怠るとシリグサレ病や炭素病などにかかる。キュウリの原産地はヒマラヤである。そこは湿気があり、温度は一定している。キュウリにとっては日本の猛暑はとても苦手なのである。キュウリにとって育苗の時期はとても温度に敏感である。それらの特徴をわきまえて、育苗時期には付きっ切りで世話をしないとまともな苗にはならない。野菜同士は、人間関係と同じように、よい相性と悪い相性がある。相性を無視して野菜を作り続けると、病気にかかりやすく、肥料や農薬が余計にかかり、しかも収量が少なくなる。相性を考慮して組み合わせることが大切である。例えば、ナス科の野菜の後には、ネギやユリ科の野菜を植える。アブラナ科の野菜の後には、イネ科やマメ科の野菜を植える。つまり輪作が重要なのである。相性を考えて栽培をすれば、省力化につながり、品質の良いものが収穫できる様になるのである。だから単一作物の大量生産は無理があり自然の摂理には合わないのである。自分たちが食べるために多品種少量生産が野菜つくりの基本中の基本となるのだ。野菜作りにあたっては、旬の時期を見誤らない。そして個性豊かな野菜の特徴をつかんで、それぞれの野菜たちが十分にその特徴を発揮できるようにすること。人間の都合によって、同じ野菜を作り続けることなく、違う特徴の野菜をうまく組み合わせていくことが重要だ。そのような心掛けで野菜つくりに取り組んでいくと、野菜たちは人間の要望によく答えてくれる。今、政府が進めている野菜の産地化という政策は、同じ作物を同じ場所で何年にもわたって作り続けるという政策である。この政策がいかに自然の摂理と人間の幸せに背いていることか明らかである。森田理論で言うところの、自然に服従するというのは、野菜作りで言えばこのような事なのである。「医は農に聴け、農は土に聴け」といわれるが、「人間の生き方は、野菜をよく観察して、野菜たちに聴け」ということでもある。
2017.06.06
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フロイトは心の領域を意識、前意識、無意識の3つに分けている。これを氷山に例えている。意識は海面に浮いている。前意識は海面に浮いたり、沈んだりしている。無意識は完全に海面下に沈んでいる。意識は本人が、頭の中でいろいろと検討している知覚、思考、意思などである。前意識とは、普段は意識されていないが、注意を向ければ、抵抗を受けずに容易に意識化できる部分である。思いだそうとすればすぐに思い出せるような記憶である。無意識とは意識しようとしても意識されないものである。でもこの無意識は、その人のものの考え方や行動の仕方にとても大きな影響力を持っているものです。フロイトは不快で意識するのに耐えられない感情は、無意識の中に閉じ込められていると考えている。この無意識は、欲望が発生したときや、困難な状況に出会った時に自然に出てくると考えている。次にユングはこの無意識を2つに分けている。個人的無意識と普遍的無意識である。この個人的無意識は思い出そうとしても意識に浮かびあがってこない願望や感情などがある。それは個人の性格、資質などと深い関係がある。一方普遍的無意識とは人類が共通して持っている無意識のことである。または成長過程での両親、学校、社会の教育によって形作られるものと考えている。。この無意識はその人の体質のようなものだ。無意識が問題になるのは悲観的、ネガティブ、マイナス思考に陥っている場合である。森田でいう認識の誤り、認知行動療法でいう認知の誤りの部分であろう。人間は不快、不安、不満な状態に陥った時、それを解消するために様々な意識活動をする。代償、抑圧、投射、転移、昇華、反動形成、否認、同一視、合理化、逃避、補償、知性化、白昼夢、攻撃機制などがあるという。これらは心理学で説明されている内容だ。それらの行動が葛藤や苦しみを深めていることが多い。フロイトはこのネガティブでマイナス思考の無意識を意識化すれば、精神的苦痛は取り除くことができると考えている。これが精神分析と呼ばれている手法である。催眠療法やベッドに横たわって時間をかけて分析が行われる。これは私たち森田理論学習の立場からいえば、認識の誤りを自覚していくことだと思う。認知行動療法や論理療法では認知の間違い、認知の偏りを引き出して(いわゆる自動思考)反駁して修正していくということではないかと思う。これはコラム法を使って行うが、それを集談会などの場で、みんなで行うことが有効である。認知療法はベックという人が、うつ病患者を観察していて、悲観的、ネガティブ、決めつけ、先入観などに支配されて、事実を捻じ曲げたり、事実を観察しようとしない行動パターンを見つけ出したことから始まっている。神経症に陥っている人は多分にその傾向が強い。私は神経症に陥っている人は、認知療法は必須であると考えている。また森田理論学習のプログラムの中に一つの単元として、「認識の誤りとその修正」という単元を設けるべきであると考えている。
2017.06.05
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森田理論の講話などを聞いていると「人と比較しないこと」が大事だと言われる。今日はこの問題について考えてみたい。私たちは普段誰でも、容姿とか、性格とか、能力とか、資格とか、地位とか、立場とか、権力とか、実績とか、名誉などといったものを他人と比較しています。そして一喜一憂しているのではないでしょうか。人と比較するからこそ、自分のことが、より深く理解できます。比べるものがないと、自分の特徴や能力を正しく認識することは難しいと思います。これは海外旅行に行って感じることとよく似ています。海外旅行に行くと、好むと好まざるとにかかわらず、日本という国や日本人と外国人を比較することになります。そしてお互いの違いについて考えるようになります。例えば、ハワイに行くとなぜアメリカの人は半端でなく太っている人がいるのだろうか。貧しいと言われている国の子どもたちの目が、どうしてあんなにキラキラと輝いているのだろうか。どうして外国には犬のフンを人間が処理するという習慣がないのだろうか。どうして飲み物を注文すると入れ物のサイズがバカでかいのだろうか。私がシンガポールへ行ったとき感じた事は、ホテルを出るときは必ずベットの上にチップを置いておくこと。また、街中でチューインガムを道端で吐き捨てると逮捕されるリスクがあるということだった。シンガポールでは自分の家で料理を作るよりも、外食した方が安く上がるということだった。外国に行くと珍しいことばかりで、唖然とすることによく遭遇します。私は他人と比較して自分の特徴や能力を再認識するということはとても大事だと思います。他人と比べて優れている点や、自分にもともと備わっている能力は、他人と比較しなかったらわかりません。しかし反面、他人と比較するということは、大きな弊害があります。それは他人の長所や優れた能力と、自分の短所や自分の持っていない能力等を比較して落ち込んでしまうということです。比較して、自分と他人の違いを明確にするだけなら良いのですが、その次にどちらが良いとか悪いとか価値判断をしているのです。普通他人の優れた点と自分の劣った点を比較して自己嫌悪したり、自己否定しているのです。自動思考で比較した後に、どちらが良いとか悪いとか価値判断することは問題です。この2つの明確に切り分けることが必要です。他の動物や他人と比較することは、自己洞察や自覚を深めていくために必要なことです。ただし比較する場合は、違いを認識するだけにとどめておくことが大切です。それから先、是非善悪の価値判断をするということになると、途端に葛藤や苦しみの原因を作り出してしまいます。森田で言うところの「かくあるべし」で、物事を価値判断して、理想や完全主義を自分や他人に押し付けるということになります。これが神経症を作り出す原因にもなっており、何としても避けなければなりません。そのために森田理論では、 「かくあるべし」を少なくして、事実に基づいた考え方や生き方を推奨しています。事実の観察、事実に基づいた言動、「純な心」の活用、私メッセージの活用などがあります。放っておくと、人と比較してすぐに、是非善悪の価値判断をしてしまうのか人間の性ですので、よほど注意して生活することが大切です。
2017.06.04
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音楽家の久石譲さんは、オンリーワンよりはナンバーワンを目指したいという。オンリーワンであればよい、というのは向上心のかけらもないということだといわれます。もっと言えば、その社会から降りる、ドロップアウトすることを意味する。「いい曲ができないんですけれど」「いいですよ。一生懸命努力したんでしょう。だったらしょうがない」こんなことを言われて慰められても、ちっとも心が軽くならない。むしろその程度のものでいいのかと憤りたくなる。書くからには、いい曲にしたい。そうしなければ、作曲家としての命運など、あっという間に尽きてしまう。(感動を作れますか 久石譲 角川書店 182ページより引用)私の以前勤めていた会社の営業マンで、常にトップクラスの営業成績をたたき出す人がいた。その人は、見るからに神経質性格の持ち主であった。しかし彼は神経症とは全く無縁だった。それは真面目で努力家、細かいことによく気がつきやすいという神経質性格を、自分の類まれな長所として捉え、営業活動に存分に活用していた。口癖は、得意先は10個役にたつことを積み重ねて行っても、 1個、相手の機嫌を損なうことをすると途端に信用を失う。だからアンテナを幅広く張って地道なことを数多くこなしていた。一度でも信用を失うと、その得意先は他のライバル会社に簡単に鞍替えしてしまうといっていた。そしてもう一つは、社内でライバルとなる成績優秀な営業マンの動向を常にマークしていた。ライバルの営業成績よりも少しでも上回ることを目標としていた。さらに彼は毎年優良営業マンとして社長表彰を受けていた。それも彼の目標だった。そういう目標がなかったら他の営業マンと同じ程度の成績に甘んじていたのではないだろうか。彼はオンリーワンであったが、そのうえでナンバーワンを目指していた。以前、民進党が政権与党だったとき、事業仕分けというのがあった。税金の無駄をなくするため、国家予算を投入するかどうか選別していたのである。その時、事業仕分けをした女性の議員の人が、 「ナンバーワンではどうしていけないのですか。ナンバーツーでもいいのではないですか」と言っていた。これは資本主義の仕組みをよくわかっていないのではないかと感じた。資本主義社会では勝ち組企業が圧倒的な力の差を見せつけて、1人勝ちというケースが多い。負け組企業は市場から退場させられたり、 M&Aで吸収合併させられてしまう。資本主義社会では常にライバル企業と生死をかけた生き残り競争を繰り返しているのである。その仕組みを知っていれば、資本主義社会で生き残るためには、ナンバーワン企業として君臨し続ける必要があるのである。企業は宿命的にナンバーワンを目指すしか生き残れない。これは資本主義の弊害ではあるが、よい悪いにかかわらずそういう流れになっている。アメリカや東欧諸国では、オリンピック選手がドーピング検査に抵触する場合がある。特に金メタルが予想されている選手は、どうしても金メダルをとりたい気持ちが強くなる。ナンバーワンになるためには、ドーピング検査で引っかかるかもしれないという危険を犯しながらも、薬物に手を出してしまう。つまり、ナンバーワンになるために、ともすると他人を蹴落をしたり、違法行為に手を染めてしまうということになる。ナンバーワンを目指す事は、やる気やモチベーションを高めることにつながるが、反面「かくあるべし」を助長して、自分を苦しめる原因になるということは心しておくべき問題である。またナンバーワンを目指す生き方は、目標がしっかりしている面があるが、休む暇がなく、いつも神経が緊張している。オンリーワンというのは、 SMAPが歌った「世界に1つだけの花」という歌で有名になった。これは森田理論の「己の性を尽くす」という考え方に近いものだ。世の中にはいろんな花がある。どの花もそれぞれの道で精一杯生きていければよい。人と比較したりして、自分を卑下する必要は無い。それぞれによい点や能力があるはずだ。自分の特徴や能力を見極めて仕事を選択し、人と競争することなく、マイペースで生活していくことである。ただ楽器の演奏をしていて思うことですが、その演奏技術を高めていったり、継続していくためには、マイペースで練習だけしていると、途中でマンネリになり練習に身が入らなくなる。同好の士を集めて切磋琢磨したり、演奏会を企画して、人前で披露するという目標がないと長続きはしない。末永く楽器に親しみ、上達しようと思えば、マイペースでやればよいというだけでは無理があるような気がする。オンリーワンというのはマンネリ化に陥りやすく、意欲や気力を維持するということは難しい。また、オンリーワンの生活は、自営業で成功した人や年金がたっぷりある人は可能であるかもしれないが、会社勤めなどをしている人は実質不可能である。憧れの生き方であるが、絵に描いた餅のようなものである。だがこの考え方には、物、自分、他人、お金、時間などそのものが持っている特徴や能力を見つけ出して、最大限にその力を発揮するという考え方がある。森田理論の「物の性を尽くす」という考え方である。人間本来の生き方としては真っ当な生き方である。ただ、貨幣経済で翻弄させられているために、全く相反する生き方を押し付けられているのである。こうしてみると、ナンバーワンがよいとかオンリーワンがよいとか言う問題では無いと思う。ナンバーワンにもよい点もあれば、悪い点もある。オンリーワンも理想的ではあるが、問題点もある。それぞれのよいところを取り入れて調和を図ることが必要なのではなかろうか。
2017.06.03
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プロ野球の王貞治さんはストライクゾーンを77個分のボールが入る広さに見立てて打撃練習をしていたという。内角のここに来たならこう打つ、アウトコースのここならこのように打つと想定しながら練習をしていた。相手ピッチャーは滅多にホームランボールを投げてくれないが、もしホームランボールが来た時は確実に一発で仕留めることができなければ、観客の期待に応えることができないと言われている。王選手の1本足打法を写真で見ると実にバランスがとれており、芸術作品を見るようである。ここにプロ野球選手としての職人魂を見る思いがする。王貞治さん曰く。基本的にプロはミスをしちゃいけない。そう思って取り組んでいかなければいけない。人間だからミスをするものだよ、と思いながらやっている人は絶対にミスをする。またミスも多くなる。同じようなミスを何回もする。100回やっても、 1,000回やっても、 「絶対俺はちゃんとできる」という強い気持ちを持って臨んで初めてプロなんだ。森田理論学習をしていると、完全主義という「かくあるべし」は自分を苦しめるばかりであるという。なんか王さんの言われていることと反対のことを言っているような気がする。今日はこの点について考えてみたい。森田先生曰く。我々の完全欲というものは、どこまでも際限なしに、押し伸ばしていかなければならない。我々は自分の生命の欲望を、どこまでも完全にしなければならない。そうすれば必ず強迫観念の一方のみへの囚われから離れるのである。完全欲が強いほど、ますます偉い人になれる素質である。完全欲が少ないほど、下等な人物である。この完全欲をますます発揮させようと言うのが、この治療法の最も大切なる眼目である。完全欲を否定し、抑圧し、排斥し、ごまかす必要は少しもない。学者にも金持ちにも、発明家にも、どこまでもあくことを知らない欲望が必須。すなわち完全欲の表れである。我々の完全欲、すなわち向上心がある事は、ちょうど水が低きにつくのと同じ自然の勢力である。完全欲を否定したりごまかしたりする必要は少しもない。この完全欲をそのままに、持ちこたえていくことを自分の心の自然に服従するといい、おのおの境遇の変化に順応して、ますます工夫に努力することを境遇に従順であると称するのである。これは王さんのいわれていることと同じである。森田先生の言わんとするところは、目標や課題を持って、日々努力していく事は、人間が生きる上において必要不可欠なものである。別の言葉で言えば、日々運命を切り開いていくということだ。それが生きがいにつながってくる。その時の視線は、下から上を見上げて、しっかりと目標や課題を捉えている。失敗や挫折があろうとも、しばらくたつとまた、目標や課題に向かって挑戦し続けている状態であろう。これに対して完全主義という「かくあるべし」はどういったものであろうか。まず自分の立ち位置が違う。雲の上のようなところに自分を置き、現実社会で苦しんでいる自分や他人を見て、非難したり否定しているのである。そして至らない自分を、今すぐにでも理想的な状態に押し上げようとしているのである。つまり、自分という1人の人間の中に、完全でなければならないという「かくあるべし」を持った人間と、現実に様々な問題で苦しんでいる実際の自分がいて、互いにいつも喧嘩をしているようなものである。その葛藤でいつも悩みを抱えている。本来は一体であるべき1人の人間が、 2つに分かれているので問題が生じるのである。これが神経症に陥る1つの原因となっている。人間は生の欲望を発揮して、常に目標や課題に挑戦し続けなければならない。その時、なかなか自分の思い通りにいかなくても、そんな自分を非難したり否定するのではなく、自分を認めてあげる。そして現場や現実を踏まえて、そこから目線を少し上にあげて、二歩前進一歩後退の気持ちで生活をしていくことが肝心であると思う。(王貞治に学ぶ日本人の生き方 斎藤隆 NHK出版、森田全集第5巻参照)
2017.06.02
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オランダは、 1970年には合計特殊出生率が2.5を超えていた。ところがその後、日本と同様に、急速に少子化が起き、 1985年には1.5まで低下した。しかし、そこから徐々に回復を遂げ、 2000年には1.7まで上昇し、 2010年もその水準を維持している。オランダは自殺死亡率も非常に低く、日本の3分の1程度であり、生活満足度も世界トップ水準である。オランダは、愛着障害についての研究が、世界的に最も盛んな国の1つである。オランダは、その成果を踏まえて、パートタイム革命を行った。パートタイム労働者は、賃金などの差別なしに正規雇用されるようになった。これにより、特に働く女性は出産や子育てと仕事のバランスをとることが可能になった。オランダの出産休暇は産後16週間で、ヨーロッパでは特別長いわけではないが、出勤日数や出勤時間を調整することが権利として認められているので、無理のない範囲で働くことができる。近年オランダでは、夫と妻が、例えば、週に3日ずつ働き、仕事や子育てや家事も平等に分担するといったスタイルが増えている。労働時間自体は世界で最も短く、オランダの労働者の年間労働時間は、アメリカと比べると500時間以上少なく、日本との差はさらに大きい。残業は原則禁止である。夏には3 ~4週間の夏休みを取るのが普通である。その分、プライベートや子育てにゆっくりと時間をかけることができる。午後6時には、家族揃って夕食をとるというのが一般的である。オランダは小さい頃はとても子供かわいがることで知られている。他の先進国に比べて保育所を利用する人の割合が低く、 1980年代初めまでは1割程度であった。その後もその傾向は続いている。デンマークでは1984年から20週間、さらに翌年からは24週間の有給の出産休暇がとれるようになった。出産後の2週間は、父親と母親の2人でとることができる。また、 8歳までに、両親は1人の子供に対して合計1年間までの育児休暇をとることができる。これを出産休暇と抱き合わせてとれば、子供が1歳半になるまで育児に専念することが可能となる。デンマークでは1週間の労働時間は37時間、年間5週間の有給休暇が法律で定められている。残業は原則としてない。オランダとデンマークは自分たちが物質的に豊かな生活を送るためよりも、子育ての視点から仕事漬けの生活のあり方を国レベルで改善していった。子育てのための時間を、お金を稼ぐために削ることがないような仕組みが作られた。日本は少子化と言われて久しいが、オランダやデンマークに学ぶべき点が多い。さて、人間の欲望にはキリがない。それは、働く側の欲望と言うだけではなく、企業という組織の欲望でもあるし、究極的には、資本の欲望でもある。資本はもっと増殖しようとする本源的な性質を持っている。そのためなら、労働者であれ、経営者であれ、投資家であれ貪り尽くそうとする。その子供たちや家族はどうなるか、社会や人類はどうなろうが意に解さないのである。それは資本が増殖のために増殖しようとする欲望を本源的に持っているからです。それは知らないうちに、時間を、命を、社会の絆を、地球をを貪り尽くす。放っておけば資本はすべてのものをその奴隷に変えてしまうのだ。自由な競争を野放図に許せば、社会は、増殖しようとする資本の猛威にさらされ、荒廃させられていく。人間はそのことを肝に銘じるべきだ。我々の命や絆を守るためには、その活動に一定の制限が必要である。市場経済や競争原理は我々の幸福とは相入れないものなのである。それが、我々の生存を支えるシステムにまで入り込み、それを都合よく変えてしまうことに、もっと厳しい目を注ぎ、聖域に入りこませないようにしなければならない。我々は人類を滅亡に追いやろうとしている資本主義の弊害を取り除く時代に突入している。時間はもうあまり残されてはいないと思う。でもその手がかりが見いだせないでいる。的外れかもしれないが、そのために愛着システムの構築は外すことができない。金儲けの都合ではなく、子育ての都合を優先しなければならないのだ。子供達が幸せに育つことを最優先しなければならないのだ。それが我々の社会の幸福にもつながるからである。そのためには、まず安心して子育てに取り組み、家族との時間をゆったりと使える仕組みを整える必要がある。(愛着崩壊 、岡田尊司 角川選書から引用)
2017.06.01
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