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早くも4回目のこの落語会、いつも客層が面白い。ゲストもそうだが、秋田の芸能関係というか、放送関係者の顔ぶれが見える。地方テレビで見かけるアナウンサー、ディレクター、アシスタントにその家族と思われる方々など、なんか、秋田芸能界の縮図のようだ。さらに、今回は、同僚の奥様(この人も同僚だが)が来ていて驚いた。演目は次のとおり。桂三若 新作(お祭り大好き先生の噺) 桂三度 新作(瀬戸の花嫁の替え歌)元・世界のナベアツは、大人気でした。桂三若 愛宕山あべ十全 漫談桂三若 胴乱の幸助 次回第5回は、7月14日ということだが、大館特選落語会と重なる。ひょっとしたらダブルヘッダーになるのか。
2012.04.30
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私は、自分の好きな作家の作品しか購入しないのだが、昨日、久しぶりに新しい作家の炭鉱本を購入した。若杉公徳の「KAPPEI」第1巻。白泉社のヤングアニマルに連載中のギャグマンガである。購入した理由は、私を知る人ならわかるだろう。 この作者の代表作は「デトロイト・メタル・シティ」。この作品も前作同様の「勘違いヒーローギャグ」である。絵柄はもう、ヘタウマ系劇画調、主人公は勝平といい、若いが、「ワイルドだぜぃ」のスギちゃん風、読んでみたが、なんということもなく、次を買う必要があるか悩むところである。 名前に著作権があるのなら、なにがしかの請求をしたいところではあるが、ただのオヤジなので、それもままならない。なんだか釈然としないが、私がこのマンガを人に勧めることはないだろう。
2012.04.29
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私の最大の趣味であるマンガのこの頃について書きたい。 現在、定期的に購入しているのは「手塚治虫文庫全集」(全200巻)と、「藤子・F・不二雄大全集」(全100巻)だ。前者は、来月で終わり、後者は今年の9月で終了となる。以前から、宣言しているように、金額については考えないようにしているのだが、いや、どちらも、コレクター冥利に尽きる満足感がある。 ただ、これだけではない。団塊の世代前後が金があると知った「敵」は、(出版社のことだが、ここまでくると、そう呼びたくなる)手を変え品を変えて攻めてくる。もう、毎月のように、手塚治虫の完全復刻版が出る。貸本や雑誌連載時と同じサイズのボックス入り豪華本である。これまでに、貸本時代の作品はほとんど、「鉄腕アトム」、「火の鳥」、「0マン」、「W3」と、全部買ってしまった。まだまだ、続々出そうだ。手塚作品の場合、単行本になると手直しが入るので、雑誌連載そのままの復刻はマニアにとって貴重なのだ。こうなったら、意地でも着いて行きたいとは思うのだが。
2012.04.28
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そもそも、団塊の世代が甦らせた「食育」という言葉が、若い世代に浸透するワケもない。グルメだとかボージョレヌーボだとか言っている世代に届くはずもないことは、ちょっと考えればわかると思うのだけど。 だからと言って、すべての若い世代がファーストフードばかりを食べているはずもなく、ちゃんと食べ物には関心があるのだ。テレビで「ダイエットに効果」とか「健康にいい」とか放送されると、その食品がたちまち売り切れるのも、これを裏付けているのではないか。だから、「食育」とかでなく「痩せるかも食品」とか「健康にいいかも食品」とか「幸せになれるかも食品」として普及させれば売れると思うのだが。 もう一つ、日本語としてどうなのか。ここまで書いていて、ようやくわかった。教えて育てるのが「教育」、体を育むのが「体育」、では「食育」はというと、食べさせて育てるなのか、だったら「飼育」と変わらない。私はここに、違和感を覚えるのだ。
2012.04.27
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「食育」とは、「自分の体に良い食品を、適量に摂食し、その生産者にも感謝する」ような子供を育てようということか。これは、ほとんど道徳教育ではないか。道徳を法律にしていまうのはいかがなものか。まぁ、私たち以下の親が、そんな基本的なことも教えられなくなったからとか言われればそれもアリだとは思う。だが、戦争体験のある私の親世代が、「食うモノがなかった時代」をどんなに語っても、私たちにはわからない。同じく、私たち世代が「給食の無かった昔」を子供に語っても、伝わらないだろう。「ひもじかった時代」や「そんなインスタント食品は無かった」とかを、今語ってもどーなのかということだ。 明治にできた造語の「食育」を、今持ち出すことに、どうも胡散臭さを感じる。かなりの年配者が作ったのではと勘ぐってしまう。こんな当たり前のことを法律にしなければならないことに、ちょっと恐ろしささえ、感じるのだが。
2012.04.26
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Yahoo!百科事典だと、もう少しわかりやすい。食育とは、いわゆる「食べる」という面からの「食事」や「食材」のことだけでなく、食物をバランスよく食べるためのさまざまな知識を身につけること、食品の選び方を学ぶこと、また食堂(ダイニングルーム)、食卓、食器、食具などの食事の環境、そしてそれらを計画すること等といった「食の周辺」のことや食文化をはぐくみ伝えていくこと、さらに新しい食文化の創造、など広い視野で「食」について学んだり、考えたりすることをさす。また、食育は、学校という場での学習のみならず、家庭、地域をはじめ社会全般のテーマとしてとらえることがたいせつである。「食育」は、新語ではなく、1898年(明治31)には、石塚左玄(いしづかさげん)(1851―1909)が『通俗食物養生法』のなかで「今日、学童をもつ人は、体育も智育も才育もすべて食育にあると認識すべき」と表現している。また、1903年に出版された村井弦斎(むらいげんさい)著の『食道楽』のなかにも出てきており、それによると「小児には徳育よりも、智育よりも、体育よりも食育が先。体育、徳育の根元も食育にある」と書いてあるように、歴史的にも長い間、どの家庭でも子育てとしつけの基本であったことがうかがえる。 まったくごもっともであるが、これを法律にしてしまうというのがわからない。
2012.04.25
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仕事柄、「食育」という言葉がよく使われるようになって久しいが、私は、コレがよくわからない。 Wikipediaによると食育(しょくいく)とは、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てることである。国民一人一人が、生涯を通じた健全な食生活の実現、食文化の継承、健康の確保等が図れるよう、自らの食について考える習慣や食に関する様々な知識と食を選択する判断力を楽しく身に付けるための学習等の取組みを指す。2005年に成立した食育基本法においては、生きるための基本的な知識であり、知識の教育、道徳教育、体育教育の基礎となるべきもの、と位置づけられている。単なる料理教育ではなく、食に対する心構えや栄養学、伝統的な食文化、食ができるまでの第一次産業についての総合的な教育のことである。この言葉を造語した石塚左玄は、食品の与える影響に関する独自の説によって、子どもに食べさせる食品の影響によって子どもの心身を養うという意味で用いた。 これ、わかりますか?良いことだとはわかるが、だからどうしろというのか。この言葉、わからないからなのかもしれないが、私は大嫌いだ。
2012.04.24
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いや、面白いぐらいジャイアンツが弱い。中畑DeNAより下の最下位である。ピッチャーはそこそこだが、なにしろ打てない。批判たらたらの、あれだけの大補強をしておきながら、この体たらくである。もう少し続けば原監督の休養もあり得るかもしれない。私的には、この結果にどうのこうのはないのだが、好きな小笠原選手の復活がならず、スタメンからも外されているのだけが残念だ。 もっとも、原巨人にも同情すべきところはある。一連の清武騒動で、キャンプ前からぐちゃぐちゃにされ、開幕直前に過去の契約問題でダメを押されているのだから。 ちょっと、ズレるが、一連の朝日新聞は、いったいとうしてしまったのだろう。こんな時期に、過去の契約問題をトップで扱うことを読者が望むとでも思ったのだろうか。週刊朝日の、「しずちゃん脳に影」記事も、オリンピック出場が決まってもいない一個人の健康状態を報道するという大愚挙だ。朝日に対する不信感だけが残った。 ここは開き直って、もうちょっとだけでいいから頑張って欲しいものだ、ジャイアンツ。
2012.04.23
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この土日に、再び部屋の掃除を敢行したところ、また出てきた。奥に隠れるようにして置いてあった30年前の衣装ケースが6個。ほとんどが、死んだ女房の夏物衣料だった。これは、もう、捨てるしかない。実は、先日の第一次整理の時に、キャラクターもののまだ着られそうな冬モノだけを、衣装ケース2個分ほど、リサイクルショップに持ち込んだ。ひょっとしたらのスケベ心があったのだが、なんと、これがたったの300円。ガソリン代にもならない。なにせ、10年以上前のモノなので、買い取る側としては、引き取ってやるだけでもありがたく思えということなのだろう。わかるのだが、とても落ち込んでしまった。だから、今回の夏モノについては、捨てるしかない。誰も着ないし、欲しがる人もいないのだから。今回は燃えるゴミ袋7個分である。水曜日にお別れしよう。 かなり片付いたのだが、まだ、バッグ、カバン類と大物の押し入れの中が残っている。実は、コイツラについてはゴールデンウイークにゆっくりやろうと思っていたが、予想していなかったのに子供たちが帰ってくるという。うれしいやら、わずらわしいやらで、掃除の続きはまた後になるようだ。
2012.04.22
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三遊亭圓生の襲名問題が騒がれた時があったものの、今ではどうなっているのか、さっぱりわからない。要するに、それを継ぐ実力者がいないということだ。だったら、このままでいいと思う。それでこその、大名跡というものではないか。 では、立川談志の場合はどうだろう。一代で不滅の名声を得た風雲児である。談志には四天王と呼ばれる志の輔、談春、志らく、談笑の弟子がいる。実力十分の面々だが、やはり談志を襲名するのはいかがなものだろう。名跡の重さから言っても、誰も襲名しない方がいいと思う。今回、このことを言いたくてこれを書いてきた。余計なお世話なのは承知だが。
2012.04.21
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ちゃんと実証したことでもないのだが、落語家の名前には、前座、二つ目、真打に相当した名前があるようだ。「小」、「若」、「太郎」等の文字が入る名前はだいたいが、二つ目までの名前なのではないか。だったら「小さん」も「小三治」も真打の名前ではないということになるが、これにはちゃんとした理由があって、前座や二つ目ですでに名人級の大物が出た場合には、それが大名跡となって残るということだ。 ちょと話がややこしくなるが、柳家では、「小三治」を名乗る者が「小さん」を継ぐという、暗黙のルートがあり、談志はこの名を欲しがったという。だがら、そのルートでいけば、現小三治が、小さんを継いでも何の不思議もないのだが、今は実の息子が小さんを継いでいる。その是非や思惑やらなんたらは、いろいろあるのだろうが、ようするに、現小三治の実力がありすぎて、そのまま大名跡になってしまったということではないだろうか、と、私は思うことにしている。相撲界では功績のあった大横綱だけに、一代年寄が贈られることになっているが、落語界では、実力さえあれば、誰でも部屋が起こせるということである。不謹慎かもしれないが、これがまた、はた目から見ていると面白いのだ。
2012.04.20
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落語家の場合、実の血縁関係が有り、実力うんぬんも有りなので、実際にはなかなか複雑で難しい。さらに、師匠と弟子は親子同然という絆の強さが、はなしをややこしくする。 最初に、私なりの結論から言ってしまえば、血縁関係の親子なんかは、優先的に襲名してもいいが、大名跡の場合は、それ相当の実力者と認められない限りは襲名しない方がいいのではないかということだ。 具体的に例を挙げると、生前贈与という型破りな襲名を敢行した、林家喜久扇、喜久蔵親子や、林家こぶ平が実の祖父の正蔵を継ぎ、いっ平が実父の三平を継ぐのは実力うんぬんはどーでもよく、世間的な批判は少なく、家族の絆の強さが話題になり評価は二の次だろう。先代の芸を超えられなくても、まぁ、血縁関係なのだから、せいぜい頑張れというのが世間の反応だ。ちなみに、名人正蔵(私は古い録音でしか聞いたことはないのだが)の実の息子でありながら、その芸を継いだとはいえず、まともな噺はほとんど出来ないにもかかわらず、それでも昭和の爆笑王として名を成した三平は凄いと思うし、正蔵を継がなかった判断は、まったくもって正しかったと私は思う。
2012.04.19
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襲名というのは、なかなか日本的な制度だと思う。伝統芸能や相撲の世界だけではなく、一般の社会にも、稀にある。たとえば、株式会社 山田太郎商店の社長は、公に代々襲名したりするアレだ。 その中でも一番スッキリしていて、世間的にも認知されているのは、歌舞伎の世界、梨園だろう。何がスッキリかというと、世襲が徹底していること。これは、閉鎖された世界であるからこそなのだが、親から子への襲名に、ことさら異を唱える声は出てこない。もっとも、マニアックなファンの中には、「まだ、先代の芸の域ではない」なんか、言いたい輩もいるのだろうが、私のような門外漢には、それもよくわからない。 相撲の世界になると、これはなかなか難しい。「強い」という実力が、どうしても必要になるからだ。だから襲名も少ない。横綱の名前を襲名し横綱になったという成功例はほんの数例だけ。近いところでは、2代と3代の若乃花ぐらいのものだ。父の大関貴ノ花を継ぎ横綱になった貴乃花なんかは、例外中の例外。あとは、失礼だが失敗例ばかり。小錦、朝潮、豊山、玉乃島、大錦なんかだが、まぁ、例も少ないし、親子関係というか世襲というのも本当に稀なので当然のことだと思う。そこで、落語会である。
2012.04.18
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昨日は、歓迎会で、またも痛飲してしまい、書けなかった。まぁ、楽しい酒だったので良かったのだが。で、前回の続き。 シネマディクトは青森市の中心にあり、家からはクルマで1時間半、まちなかパーキングに駐車し、そのビルにあるまちなか温泉に入浴するのだが、何度行っても必ず迷ってしまう。一方通行が多いので、見えていてもたどり着けないのだ。 噺の中で、大きなニュースがあった。首都圏にある寄席に出演できる落語家は「落語協会」と「落語芸術協会」に所属する落語家だけだった。しかし、今回、「落語芸術協会」会長の桂歌丸師匠のはからいで、これまで、寄席に出られない独立団体だった「円楽一門会」と「落語立川流」にも門戸を開くというのだ。実現すれば、落語界にとっては歴史的な朗報になると思う。個人的に好きな立川流を寄席で聴けるかもしれない。
2012.04.17
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今回は、三遊亭歌武蔵・桃月庵白酒 二人会。演目は以下のとおり。三遊亭歌武蔵 支度部屋外伝:どこまでが枕で、どこからが噺なのかわからなかったが、さす がに元力士の師匠だけあって、相撲好きの私としては、堪らな かった。桃月庵白酒 松曳き:師匠は3回目だが、声が好みで、かなり強烈な内容の枕でも、なぜか ソフトに聴けるから不思議だ。桃月庵白酒 つる:達者なので、どんな噺でも聴かせてしまう。贅沢を言わせてもらえば、 もう少し長い人情噺を、今度は聴きたい。三遊亭歌武蔵 壷算:おなじみの噺でも、あの巨体で演じられると迫力満点の熱演に感じられ るから不思議だ。 いや、満足。青森市まで遠征した甲斐があるというものだ。明日も、続きを。
2012.04.15
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我が家には今、コンピュータが4台ある。このノートとその前のノート。これらは、まだ現役で使える。その前のディスクトップは、捨てなければならないだろう。これは、まぁ、あきらめもつく。もう1台は、友人から預かっていた、NECの「PC-9801VX488」、知る人ぞ知るパソコン黎明期の名機である。なにせ、5インチのフロッピーディスクを使うタイプなので、今や骨董的な価値も出始めている。これは、友人の許可が無ければ捨てられない。近々連絡の上、処分方法を決めなければならない。 今日は、部屋のかたづけ予定だったが、我慢できずに秋田市にアカスリに行ってきた。高速無料化が終わったので、本当に久しぶりに一般道を走ってみた。昨日、夏タイヤを購入しとりかえたばかりだったので格好のテストランになった。
2012.04.14
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次はワープロである。愛用していたシャープの書院が大量のフロッピーディスクといっしょに置いてある。この書院には、本当に思い入れがある。仕事でも私的にも大活躍してもらった。いまだに、その後遺症でパソコンソフトの一太郎にもワードにも馴染めずにいる。だが、もはや製造中止になってから何年もたち、フロッピーディスクも過去の遺物となってしまった。残しておいてもしょうがないことはわかっていたのだが、捨てがたかった。 ところが、いざ捨てようとしたら、ゴミの分別表に「ワープロ」という表記が無いのだ。たぶん、捨ててもいい小型家電に含まれるとは思うのだが。来月10日の「燃やせないゴミ」の日には、きっぱりと別れようと思う。
2012.04.13
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今回、書斎の大掃除を敢行した。書斎と言っても、階段の踊り場を利用した一坪ほどの小部屋で、机と本棚で身動きできない狭さだ。そして、そこには200本以上のカセットテープが、TDKのポイントを貯めてもらったラックに収まっている。レコードになり替わった時代の市販のアルバム、クルマのカーオーディオで聴くために自作したもの、中身は様々だ。我が家には、カセットを再生できるダブルラジカセが1台だけある。タイトルとは反するが、これを捨てる覚悟がどうしてもできない。だからといって、聴くわけでもないし、CDに保存し直すほどの内容でも音質でもない。でも、捨てられないのだ。 何度も書いていることだが、オーディオやコンピュータ関係の進化はすさまじく、私にはついていくのがやっとだが、それにしても、それまで使用していた機材に対するアフターケアは、残酷なほど無い。メーカーは、古いものは捨てて、新しいものに買い替えるのが消費者だとしか思っていないのだ。 そんな思惑が、見事に外れて、大赤字に陥った家電メーカーには、ざまあみろと言うより、もう少しでも、消費者心理を読めなかったのかと情けなささえ感じる。 旧機器、旧媒体(レコード、カセット、VHS、デジタルテープなど)を、一挙に保存できますというような機器やサービスは、けっこうな商売になると思う。私なら飛びつく。
2012.04.12
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他の衣料品でも、まだまだ捨てなければならないものがある。まず、捨てきれずにいる、子供たちの小さい頃の衣類だ。最近は近所にお下がりという、エコの基本のような風習もなくなってしまっており、古い衣類を雑巾にするなんてことは、もはや特殊技能でしかない。被災者への救援物資でさえ、未使用じゃなければ受け付けないというのだから、着古した衣類は、もう、熟れるものはリサイクルショップへ、じゃなけりゃ燃えるゴミにするしかない。まぁ、自分の着古したモノさえ、よう捨てないのだから困ったものなのだが。 あと、使わないハンカチ、タオル、バスタオル、シーツなんかも、相当の量になる。これも、捨てるしかないのはわかっている。布団やマットレスにいたっては、捨てたいのだが、その手間が尋常でなく、ついつい押し入れに押し込んでしまう。 「箪笥の肥やし」という言葉があるが、今の世の中、箪笥はもう、必需品ではなく絶滅家具種に指定されているようだ。作り付けの収納クローゼットだかがあれば、衣装ケースの方が絶対に使い出がある。嫁入り箪笥は、もはや死語だろう。 箪笥を捨てることはできないので、この気持ちを忘れずに、少しずつ捨てていきたいものだ。
2012.04.11
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単身赴任を終え、家から通えるありがたさを身に染みて感じた。職場が近いので、時間もたっぷりある。そこで、家の大掃除を、少しずつやっている。しかし、これがなかなか難しい。ただでも、収集癖があり、やたらモノを貯めたがる性質なので、それがさまたげになる。子供たちは、その点、誰に似たのか、どんどんというより容赦なく捨てる。うらやましい限りだ。 で、何から始めたかというと、まずは女房の残していった衣類だ。娘や誰かが着るかもしれないとか、なんとなく捨てがたく残っていたモノを全て捨てることにした。なんと、大きなゴミ袋に6個。明日の燃えるごみの日に出す。女房が亡くなってから丸10年だ。もはや、衣類としても限界である。思えば、4月14日は28回目の結婚記念日だ。きっと許してくれるだろう。
2012.04.10
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totoというサッカーくじを買っている。例の6億円が当たるBIGというのを、700円、これは自分で選べないので、まぁ、宝くじを買っているようなものだ。そして、、自分で選べるtotoもいっしょに買っている。これは、自分の責任で買えるだけに、ハズレても納得がいく。毎シーズン1回は当たる。これまでに、2等の一つハズレを2回、総額10万円以上を当てている。そして、昨日、また、2等に3回目の当選!これは、やったと、思ったが、当選者数が多く、たったの1万6千円にしかならなかった。いや、残念。しかし、もっと残念なのは、ハズレた1ゲームが当たっていれば、180万だったということ。もう、悔やんでも悔やみきれない。それも、アナタ、13試合の最後の一試合だけがハズレだったのだ。コラ、J2福岡!どうして負けた!と、叫んでも、むなしいだけだ。
2012.04.09
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auの「巨人の星」のCMだが、これがなんだかよくわからない。あの、名作を馬鹿にされているようなところも気に食わないが、そこは、我慢しよう。だが、今の高校生以下の若者に伝わるのか。そりゃあ、再放送もあっただろうが、なにしろ時代が違う。若者たちはおろか、出演している剛力彩芽でさえ、わからないのではないか。まぁ、私が昭和時代を懐かしんで書いているので、そのことがどーのとかではない。このCMのターゲットは誰なのかということだ。こんな、余計な心配をする、私のようなオヤジを怒らせて興味をもたせようというのなら、ある意味狙いどおりなのだろうが、だからといって、スマートフォンの売り上げが上がるとは思えないのだが。
2012.04.08
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ソフトバンク携帯のCMで、例の白い犬のお父さんとその息子がテニスの試合を観ているのがある。選手は「スマホワ」と「ビビワリ」だそうで、内容はこれまでどおりたわいもないものだが、一つ気になるお父さん犬のセリフがある。「実はビビワリはお前のお姉さんだ」というのがそれだ。息子も、ビビワリも黒人ということで、お父さん犬の軽いジョーク何のだろうが、私にはちょっとしっくりこない。まぁ、このCMシリーズの設定に文句をつけてもしょうがないのだが、一応、家族愛なんかもうたってきたのだから、自分の息子に、こんなことを言うのはどんなもんだろうか。最初から、奇想天外でムリヤリな設定なのだから、そんなことどうでもいいだろうとは、思うのだが、何か人種差別みたいな空気も感じてしまう。私だけなのか。
2012.04.07
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昨日は、職場の課の歓迎会だった。ここまで勤務していると、以前にいっしょだった仲間ばかりなので、昔の話で盛り上がった。いくら飲んでも、歩いて家に帰れるのだから、これは楽だ。ついつい、ペースをオーバーし、今日の勤務はつらかったのなんの。 これで一週間が終わった。今のところあいさつ回りと、人を覚えることしかしていないのだが、それでも疲れた。この土日は、ゆっくり、部屋のかたづけでもしようと思う。
2012.04.06
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凄い嵐だった。電柱や大木が何本も倒れた。今も、数万戸で停電している。幸いにも、私の住んでいる地域はほんの数分の停電だけだったが、休校があいつぎ、交通網もズタズタである。少なくても秋田では春嵐というより超ド級の吹雪だった。今も風は強いが、今朝がたは寝ていられぬほどで家が壊れるかと思うほど揺れた。強風と地震は避けるすべがないだけに本当に怖い。 私は、朝はフジ系の「めざましテレビ」をつけているのだが、今朝のめざましはいただけなかった。こっちは、強風のピークのさ中だというのに、昨日の都内の混乱を何回も流すだけで、なにかしら過ぎ去った嵐に対する安堵感がにじみでていた。もう少し、直下の地域に対する配慮があってもいいのではないか。これを書いている今は、北海道がピークなのだから、そこに対する報道をすべきではないのかい、「報道ステーション」。全部の番組をチェックしていたわけではないが、このことに気づいたキャスターがいたのだろうか。猛省をうながす。
2012.04.04
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完璧な引っ越しをしたつもりだったが、やってしまった。向こうで買った掃除機で最後に部屋を掃除して、先端を細いのに替えて仕上げをしたのだが、その細い先端を置き忘れてしまった。後で何らかの手段で届けてもらえることにはなったが、なんとも私らしいドジだった。あのラーメン店やサウナに、今度行けるのはいつだろうかと思うと、まだ二日目なのに、湯沢での生活に、もう、懐かしさを感じてしまう。 職場では、まだアイドリング中だが、こちらでの生活は時間的に余裕がある。家に居られる時間が長いので、いろいろ出来るのだが、やりたいこともたくさんあるので、それなりに充実している。 天候は、新年度は初日から連続で雪が積もった。そして今日は、夜から、春嵐の強風が吹き荒れている。いや、風はハンパじゃない。明後日の課の歓迎会までには回復しますように。
2012.04.03
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先日の送別会で、私が「いやぁー、ついに洗濯機無しで、1年間、生活しましたよ」とちょっと自慢げにしゃべったら、その送別会の主役ともいえる定年退職する女性が「えぇーっ、じゃあ、洗濯板でやってたのぉ、偉いねぇ」と真顔でおっしゃった。一瞬、なんのことかわからなかったが、大爆笑してしまった。私としては当然ながら、実家に持ち帰ったり、コインランドリーで洗濯してしのいだということを言いたかったのだが、この感覚は、もう、お見事としか言いようがない。漫才のネタでも、こうはいかないだろう。 小ネタだが、あまり面白かったもので。
2012.04.02
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いや、あっという間の4月1日である。この土日で引っ越しの荷物を整理して、やっと明日からの生活の準備ができた。テレビもコンピュータも設置し、当面の衣服もどうにか落ち着いた。とにかく、生活圏が一つになったことがうれしい。今度の職場は、家から歩いても通える近さなので、時間がたっぷりある。ここは、この気持ちを忘れずに、家の整理整頓をやっていきたい。今まで母まかせにしていたゴミ捨ても自分でやろうと思っている。まず、捨てることから始めたい。だが、数日も過ごすと、すぐ忘れて何もしなくなるのが常だ。ここに、ちゃんと書いておけば、戒めになるだろう。 今さっきも、福島で大きな地震があった。幸いに大きな被害はないようだが、昨年の今頃を思い出すと、もう、なんとか終わりにしてもらえないかと思う。
2012.04.01
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