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数々の災害に遭ってきた。今までの被害とは、明らかに違う。3.11、つくば市北条の竜巻、鬼怒川氾濫被害。全然違う。夜眠れない状態が続く。でも、やっと眠れるようになってきました。寝ていても、眠りが浅い。どうにか、どうにかして手を打たなければ、いけない。そう感じてこの3か月間仕事をしながら、考えてきました。ピンチは、チャンス。布マスクも、協力縫製工場に依頼した。3本針縫製工業ミシンを使って、オリジナルマスクを作る。型紙も、16型作った。修正をし、修正をし、また見直す。お客さまのご意見を伺う。また、悩む。また、修正する。やはり、優先順位をどこに、フォーカスするか?????「涼しさを求めるのか?」「しゃべり易いを求めるのか?」「耳が痛くならないのを求めるのか?」「価格を抑えることを求めるのか?」「オシャレさを優先するのか?」考えて、考えて、考えて気づいたことがある。それは、素材によって、時季によって、優先順位を変える。だから、今ロコレディで展開しているマスクは、サイズ感や、耳ヒモの素材もすべてその都度その都度変えている。それは、オリジナルになることに、気づいた。バランス感覚とは、バランス感覚とは、その時季、時季によって臨機応変に変化させることだと気づいた。保守とは、常に変化しているから保守なんだ。・・・・・亡くなった父親から学びました。剣道家の父親は、「保守とは過去のままではなく、変化しながら、継続することだ。 ルールもその時代、時代によって変化させる。 優先順位は、常に継続することを第一に考える。」と教えてくれた。経営もその都度、その都度見直す。変化への対応・継続するには、継続するには、一度、引き下がることも大切だと創業者 故羽富 正三から学びました。「いいか、としあき。 自分が、正しいと思っていても、 ココは、長期的に観て、一度下がって時間をみながら微調整したほうが、良い ・・・・・と思うことがある。自分の考えを殺して、一度 微調整する。」と教えてもらいました。まさしく、今は、その時季かもしれません。見直す。見直す。見直す。バランス感覚、バランス感覚。
2020.05.31
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女性には、女性が得意な分野がある。男性には、男性が得意な分野がある。それぞれ、得手不得手がある。どうしたら、良いか?私は、22歳時に、女の世界=アパレル業界に入りました。それまでは、女性の世界があることを全く知りませんでした。私の過去のブログには、数々の失敗や、過ちを公開しております。ある女性から、嫌みを言われて、言われて悩んだ時期もありました。アパレルメーカーの営業マンとして働いていた時です。でも、私のことを気に入って、応援して下さった女性スタッフもいました。ありがたいです。「私とは、どうも馬が合わない。」という人もいます。それは、それ。相思相愛が基本がですが、どうも合わない人というのは、必ずいます。ただ、忘れていけないことがあります。「労い」です。「助かったよ。ありがとうございます。」の一言だと思いますが、いかがでしょうか?これは、商店街でも言えることです。「ご隠居様にも、敬意もって、接する。」「労い」「労い」「労い」です。人は、褒めて伸ばす??????人に労いの言葉をかけることが、一番大切なことだと思います。
2020.05.29
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3.11、つくば市北条竜巻、鬼怒川氾濫、新型コロナ禍の被害に遭っても、遭っても、前へ、前への発想で仕事をしています。3.11の被害時は、もう目が回りそうになりました。でも、そのおかげで、大型商業施設内の出店をすべて、止めました。つくば市北条の竜巻被害で、R2カフェをオープンするきっかけとなりました。鬼怒川氾濫のお陰でローカル型CSV手法経営(経営革新計画)を実践できました。今回の新型コロナ禍でも、何かが得られると思います。常に、常に、前へ、前へ。8月に、常総ふるさと大使青木氏(イバラキング)とイベントを考えております。鬼怒川氾濫被害では、お笑い芸人赤プルさんに、大変お世話になりました。お客様から「しゃべりたいのよ。笑いたいのよ。」と先日数多くのお客様に言われました。そんなイベントを8月、9月(懐かシネマ野外上映会?)を計画中です。微調整、微調整、微調整中です。
2020.05.28
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縫製工場とは、もう25年以上のお付き合いになります。今回の布マスクの件で、大変お世話になっております。弊社が、3本針縫製マスクにこだわっている理由は、沢山あります。基本的には、工業用ミシンの3本針で、縫製をお願いしております。日本製の布マスク。洋服とのコーディネートとして、秋冬から本格化を考えております。本縫い縫製ミシンでも、布の特質を活かしながら検討しております。実は、最近、色々な縫製工場や、生地屋さん、生地の小売店さんにも、顔を出しております。手芸品屋さんにも、出向きます。「教えてください。」とお土産を持参して教えて頂いております。織物工場さんへも、出かけます。「何の用だ。帰れよ。」と言われたこともあります。「名刺だけでも、置かせてください。」と言って、スグに帰ります。局地戦です。接近戦です。ランチェスター理論とユダヤ商法をミキシングしながら、仕事をしております。どうしたら?どうしたら?お客様が喜んで頂けるか?オシャレなマスクと洋服をコーディネート。「布マスクは、もう止めた方が良いよ。」とアドバイスをして下さる方がいます。私自身も、真剣に、真剣に、考えて考えて行動しております。協同組合の織物事務所にも、出向いてきます。日本製の素材を日本の縫製工場で、お客様のご要望を頂きながら、ご提案をする。松下幸之助先生のお言葉を胸に「やって、やって、やり抜く精神。」を大切にしております。あくまでも、あくまでも、用品としてのマスクではなく、お客様の生活様式に合う布マスク。そして、洋服、バック、ハンカチなどのコーディネート。手間は、正直言ってかかります。付加価値を上げる。最寄り品としての布マスクではなく、買い回り品としての提案型布マスクを提案する。妊婦さんへの寄贈運動を引き続き継続を考えております。「地域のお客様の目線で、行動していきます。」私の亡き父親は、剣道家でした。私の祖父は、傘職人でした。アイデアマンでした。そして、故羽富 正三からは、「心の経営」を学ばせて頂きました。「ヒットより、フィット」「人にフォーカスと系にフォーカス」「失礼ながらも、お客様のことを家族の一員として考えております。」
2020.05.26
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コロナ禍の影響で、アルバイトが出来ない。国で、保証して欲しい。・・・ということが、マスコミが取材しています。色々な考えがありますので、あくまでも、あくまでも、参考としてお読み下さいませ。私が、高校3年生の時です。「としあき、名古屋を出ていくなら、学費は、出してやるが、生活費は、自分で稼げよ。」と言われました。新聞配達をすれば、部屋代、食事代、奨学金、新聞は、タダで読める。そう考えました。毎朝3時30分起床、夕刊も配っていました。新聞の拡張や、集金もしていました。大学1年生の11月です。「父親が、ガンだ。余命3年以内だ。」と祖母から電話で聞きました。1日だけ、休みをもらって、名古屋の病院に駆け込みました。「おい、としあき。新聞配達の方は、大丈夫か?」と病室で聞かれました。手術は、成功しましたが、余命3年は、変わりません。ある早朝4時ごろだった。・・・と母親から聞きました。「としあきは、今新聞を配っているなぁ~。 苦労していないか???」と病室で、涙を流しながら、母親と話したそうです。新聞配達勤労奨学生制度があります。当時は毎月、20,000円の奨学金を頂いておりました。給与は、42,000円アパート代金は、無料。食事は、朝、晩付いていました。集金業務や、新聞拡張もしていたので、多い時では、10万円を超えていました。かけそばが、150円?180円?の時代です。働いて、働いて、年間で、72万円貯めました。新聞拡張で、学生チャンピオンになった月もありました。そして、2年生の時に東海大学の無返済勤労奨学生になりました。大学3年の10月に父親は、他界。授業料を滞納して、2週間停学処分を受けました。理由が理由だったので、スグ学生課に出向いて事情を説明して解除されました。アルバイトを3つ掛け持ちする。頼まれたら、トコトンやり抜く。まとめ朝早くのバイトをやることで、一日が長く感じる。時代は、変わってもアルバイトの仕事は必ずあるかと思います。掃除屋さんでも、バイトをしました。デパートの屋上の清掃、小田急電車の深夜の清掃。もちろん、食事付きと、お風呂(シャワー)付きでした。デパートの試食販売で、残った食材をいつも、頂いておりました。いかに、有意義に働くか?????常に考えることかもしれまんせんね。
2020.05.25
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イメージで イメージで描いてみました。 微調整して 微調整して。
2020.05.24
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お客様のご要望をお聞きしながら、微調整します。お陰様で、おかげさまで、布マスクのリピーターさんが増えています。「ロコレディさんの布マスクをもらって、着け心地が良いので、 買いに来ました。子供サイズありますか?」と。実は、「この子供サイズが、難しい???????」子供も、園児もいまし、小学低学年もいますし、 中学生、高校生もいます。JRサイズ=Sサイズという表現が良いか????????悩みながらも、微調整した結果、素材や、柄をもって、若干型紙を修正しています。ですから、サイズ感は、マスクの柄によって、サイズを変更しております。また、「どこを優先するか?」これによって、マスクのデザイン、型を変えております。16型の型紙を作り、何度も、何度も、微調整を繰り返しております。6月1日から、新たに、19型のデザインをデビューさせます。6月10日より、和柄・・・浴衣に合うマスクや、営業マン向けのマスクを開発予定です。素材も、天然素材を中心にして、しゃべりやすいマスクの開発をに力を入れております。「マスクをする一番意識したい部分は、どこか?」住宅リフォームと同じです。お風呂場?居間?玄関?トイレ?優先する箇所によって、対応の仕方が変わります。お客様の目線で提案する。これは、リアル店舗だから、出来ることです。ヒット商品より、フィット商品の時代へ。#ロコレディ#布マスク#ヒットより、フィット#茨城県#常総市
2020.05.24
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何回も、何回も、繰り返し、繰り返し。気づいたのです。気づいたのです。繰り返し、繰り返し、やっていると頭の中が、ぐちゃぐちゃになってきます。もう一度、もう一度、最初に戻る。すると、「なるほど、なるほど」と気づく。
2020.05.23
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アパレル業界は、今疲弊しておりあmす。正直に言いますね~。アパレル業界は、今回の新型コロナで大打撃を受けています事実です。本当の話しです。そして、「たいへんですね」って、よくお客様や、商店街のオヤジさんたちに、言われます。大手アパレルメーカーレナウンさんが、倒産しました。小売店も対処できなければ、死亡(倒産・廃業)です。ある経営コンサルタントの先生が私に言います。「はとみさん、10年先の業界自体が、今、現在起きてしまった。コロナ禍でおきてしまった。10年間は、何とか、何とか、今までの商売のやり方(ビジネスモデル)で、生き延びてこれるだろうと推測していた。でも通用しなくなる状態が、新型コロナのおかげで前倒しされるのですそういことは、多くの人が気づいてますよね。私も、頭ではわかっています。理解しております。そうなんです。その通りなんです。変わるしかないし、変わらざるを得ないのです。でも、中々変われない。そうです、誰にでも、自尊心があるからです。自尊心=プライドがあるから、変われないのです。現状のままの方が、楽だからです。故羽富 正三語録があります。「いいか、としあき。覚えておけ。 おれも、食料品店を衣料品店をする前は、やっていた。 石油ショック、ドルショックの時、大不況だった。 その時は、トップダウンで、仕事を進めた。 誰も、体験したことが無い時は、トップダウンで、危機を乗り越えろ。いいか、よく覚えておけ。この時も、バランスよく、バランスよくだぞ。」とアドバイスを頂いておりました。変化させることは、「面倒です。疲れます。頭を使います。」人間は、横着な動物だ。だから、考えう癖をつける環境づくりを整えよ。・・・・・とアドバイスをもらったことがあります。「面倒くさい」「めんどくさい」と思っている私がいるのです。それを打破する。それを打破する。それは、暗中模索ではなく、試行錯誤です。業界が違う人と会う。新たなエキスを注入する。ロコレディは、「美と健康とグルメ」に注目しております。常総市水海道宝町に健康に関するお店が6月に偶然にも、偶然にも、誕生します。しかも、経営者は、女性です。内閣府「経営デザインシート」を何度も、何度も、描き足しています。
2020.05.22
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アパレル業界では自前で生産設備を持っているアパレルメーカーは現在では、ほとんどありません。東京スタイルさんは、当時は、自社の縫製工場で縫製を行っていました。自社縫製比率は、50%? 70%位だったでしょうか??????現在のアパレルメーカーの多くは、多くは下請けや協力関係にある縫製工場で縫ってもらっています。縫製工場は縫うのが専門ですから、デザインやパターン(服の設計図)、生地、裏地、ボタンなどは発注する側が持ち込まなければなりません。「東京スタイルは、生地も、工賃もすべて銀金決済でした。 だから、良い商品が出来るのだ。 協力工場であっても、売れ筋が出れば、他のアパレルメーカーの縫製を途中で 止めても、優先的に縫製をお願いしていた。」と記憶しております。生地の支払いは、通常は、手形決済。それを東京スタイルは、全て現金で決算していました。生地や、ボタン、ファスナーなどは、以前は多くのアパレルメーカーが手配してやっていましたが、最近はデザイン部門を縮小したり、生地を目利きできる人が少なくなったりで、そこまでできなくなってきたので、すべて、丸投げ状態が多いかと思います。だから、ある意味感性を大事にする部分をシステム的に、効率を優先するために「楽しい服、夢のある服、ワクワクする服が少なくなったと言えます。ニット製品も同様です。「こんなデザインの服をいつまでに何着お願いします」と頼めば、その通りに製造して納めてくれる会社が出てきました。商社や服地問屋、同業のアパレルメーカーなどです。取引先の発注をまとめ、アイテムごとに製造する工場を組織し、材料を調達し、製造し、納品してくれます。以下、引用です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・OEM+「設計」=ODMもっと「お任せ」する部分が大きいのがODMです。「相手先ブランドによる設計・生産」を意味し、OEMに「設計」のひとことが加わります。Original Design Manufacturingの略語。いわば「こんなデザインの服いかがですか。よかったらあなた方のブランドで作りますよ」という提案です。ブランドコンセプトを理解して、それに沿ってデザインまで考えてくれるのですから、OEMより深い取り組みです。OEMからODMへと進化し、ものづくりの機能はどんどん外部に移ってきましたが、ここにきて、きちんとものづくりの仕組みまで組み立てているブランドやアパレルメーカーが注目されるようになりました。時代とともに企業の役割は変化し、ものづくりをどこが担うのかも変わっています。引用終わる・・・・・・・・・・・・・・・・アパレルは、「夢と希望を提案するのが、この業界の良さ」それが、いつの間にか、いつの間にか・・・・・・・・。効率性の追求や、普段着感覚になってしまった。ある意味、それは、大切なことかもしれないが、職人技の生地染め物や、縫製技術。手づくり。この感覚も大切かと思います。ハイブリッド感覚を大切にしたいと考えております。バランス感覚、バランス感覚。
2020.05.21
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色々な理由があるかと思います。デザイナーさんの雇用条件の問題もあるかと思います。東京スタイルのデザイナーさんも、退職者が多かったです。正社員の方が、多かったですが、年俸契約者も、かなりいたと思います。アパレルメーカーのデザイナーさんは、年俸契約条件で働いている女性が多いです。ある意味、一匹オオカミのような感じでしょうか?渡り鳥で、あっちのアパレル、こっちのアパレルと2,3年で転職する人が多いです。近頃は、アパレルメーカーも、OEM先として瀧定、スミキン、田村駒などの商社系に丸投げする傾向も多くなってきた。・・・・とよく耳にするようになりました。「現在の『丸投げ』ぶりは尋常ではありません。デザイナーや、企画担当者(MD)がOEMメーカーを訪れ、『ウチのブランドに合うデザインを、来週までに30型~40型デザインや、パターン作ってきて。その中から30%~50%を選んで出すので』と言うのを私は、その言葉を聞いてびっくりした。これは、事実です。私が、大阪に出向いた時に、某大手の有名デザイナーとの会話を耳にしたのです。もちろんそうして作られた製品は、素材も十分に吟味されていない」「このファスナーをレインボウファスナーに変えて頂戴ね。それで、OK。OK。 原価は、販売価格19,000円の26%以下にね」 もう、血の気を引いてしまった。暑い、暑い夏の時季の出来事です。別のアパレルメーカーの男性マチャンダイザーも言います。「他社のブランドで売れているものがあると聞けば、その店舗まで行ってスマホで試着室でその製品を撮影し、写真をメールに添付してOEMに送って『これと同じものを作ってください』と指示していた現場を観ました。しかも、「販売価格を9,900円にしたいので、余分なボタンや、加工部分は、排除してくださいね。」と。もう、これではダメだ。新たな取り組み先を考える必要があると考えました。もう、15年~18年ぐらい前の話しを想い出しながら、描いています。まとめ、リスクを分散したいのは、わかる。でも、バランスを崩したやり方は、長くは、続かないとかんじております。アパレル業界の常識を少し疑う。角度を変えて、検討するようにしています。
2020.05.20
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レナウンが、倒産した理由は、沢山あるかと思います。時代の変化にどう対応するか?その部分の対応が、遅れたのも理由の1つだと思います。弊社も、大型商業施設からすべて撤退を平成24年2月から、はじめました。4年半かけて、全てのショッピングセンターから退店をしました。体力も、お金も使いました。中小企業庁承認事項経営革新計画を作成して、R2カフェもオープンさせました。レナウンの倒産は、時代の流れもあります。デパートの花形時代が終焉し、カテゴリ・キラーが登場してきました。私は、昭和57年からこの業界(アパレル業界)にいます。全国大手専門店チェーンの花形時代も、観てきました。鈴丹、オオコシ、三峰、タカキュー、三愛などなど。倒産した小売店もあります。スケールメリットを出すと、ダメになるのが、アパレル業界だという人もいます。不特定多数を狙うと危険な時代かもしれません。さてさて、私の東京スタイル勤務時代は、とにかく、とにかく、デパート、デパート販売に力を入れると。故高野義雄社長から、指示命令が出ていました。そんな時代でした。昭和57年入社時は、私は、専門店販売部に属していました。2年目からは、百貨店3部(地方デパート担当)になりました。専門店ブランドがすべて無くなり、百貨店ブランドに吸収されました。商品本位主義で、「良い品さえあれば、専門店、百貨店関係なく売れる。」と教育されました。今、全く違います。個性の時代です。百貨店の売れ筋は、専門店では売れません。なぜなら、個に対応した商品構成が多いのが、専門店の特徴だからです。3年目からは、名古屋地区のラルフローレンのブランド責任者になりました。それがきっかけで、その後ラルフブランドの窓口であるセゾングループの商品部へ担当異動になりました。地方デパート担当者は、基本平日は、東京新宿営業センターにて勤務。会議の時は、四谷の本社に行くことが多かったです。土曜日、日曜日、祝日は、もちろん出張です。年間50回以上新幹線を利用していました。仙台に行く時は、大宮駅から、新幹線に乗車。(新幹線が、まだ東京駅まで来ていませんでした。)若かったのでしょうか、とにかく とにかく、仕事、仕事の毎日で、夜は、新宿界隈で、飲んでいました。月末は、サウナで泊まる。(月末は、夜中の1時ごろまで出荷作業でした。)もちろん、自腹です。会社の倉庫でダンボールを敷いて寝たことも、何度かありました。私の予算は、3億円(卸し) 粗利益率38%の目標でした。完全買い取りの地方デパート、量販大型店が担当でした。これが、昭和61年、62年の営業目標でした。都内の営業マンは、平均予算は2億円ぐらいだったと思います。百貨店3部(地方デパート)担当の営業マンの予算は、平均2億5000万円~3億円が当たり前の時代でした。昭和61年ごろから、東京スタイルでは女性営業マンの採用がはじまりました。違和感がありました。軍隊のような会社、体育会系の会社に、女性営業マンとして入社。(都内担当営業として)DCブランドの誕生時代です。チャラチャラした新入社員が入ってきました。やはり、宙に浮いた感じでした。ほとんどの新入社員は、1年以内に辞めていきました。DCブランドは、丸井さん、伊勢丹さん、三越さんが、導入計画。特に熱心でした。でも、全てアパレルメーカーリスクの委託条件でした。販売員も、メーカ-から、出せ。・・・・・・と。こんな状態では、デパートの衰退は、見えてくるとその当時から予想していました。そんな折に、茨城県常総市(当時は、水海道市)ロコレディという婦人服ブティック店から、お声が、かかったのです。しかも、しかも、デパートのバイヤー(仕入れ担当係長)からの紹介があったのです。昭和60年の秋ごろに、一度退職届を上司「課長に提出」しました。その場で、破られました。親せき(名古屋の実家)にも、相談しました。「もう2年ガンバレ」と。その後、約20回 故羽富正三氏と面談をしました。昭和62年8月末に、東京スタイルを退職。振休が、約50日(2か月間で、消滅)、有給休暇も取らずに、辞めました。課長からは、「振休、有給休暇は、要らないな。」と言われて、「ハイ」と答えました。給与を頂きながら、商売のイロハを東京スタイルさんで、教えて頂きました。そして、忘れもしません。退職の理由は、「名古屋に帰って、地元の会社で働く」というウソの理由で、退職しました。9月下旬まで、名古屋にいました。(9月中旬まで、お世話になった取引先様へご挨拶にいきました。 もちろん、自腹で行きました。自宅に泊まって行けよ。 ・・・と言ってくれた仕入れ担当者さまもいました。)名古屋に帰省して亡くなった父親の法事に参加してから、茨城県に向かう前に、東京スタイルの磯貝常務が、名古屋に出張に来る。・・・・・という情報が入りました。9月20日過ぎだったと記憶しております。三越名古屋酒店の婦人服売り場に、出向いて母親と2人で、常務取締役 磯貝勝氏に、「お世話になったご挨拶」を。確か日曜日の15時ごろだと記憶しております。ご挨拶すると、「お母さん、息子さんをしっかり教育をさせて頂いた。 どこに行っても、使える営業マンに育てました。 ガンバレよ。」と声を掛けられ、母親は、涙、涙で何度も、何度も、頭を下げました。8月31日の退職日には、東京スタイル本社にて「お前は、キンだ。 キンには、2種類ある。乳酸菌とバイ菌だ。お前は、2種類のキンを持っている。自分を磨けよ。乳酸菌になって、仕事で成功して、オレを食事会に誘ってくれよ。」と磯貝常務取締役に言われました。本当に、感謝の気持ちで、いっぱいです。まとめ法人と法人の取引条件であっても、人と人の付き合いを大事にしてくれるか?あくまでも、あくまでも、バランス良く、バランス良く。デパートの不振は、仕入れ権限があるという高飛車な対応が良くない。また、レナウンさんのように会社の力で、営業力を買うような仕組み(デパートの株を買って優位な条件を持っ。)この部分にも、今回のような倒産の理由があるかと思います。あくまでも、私見(個人の意見)であることを、ご理解頂きたいと思います。何とか、何とか、アパレル業界を元気になるように、努力していきたいです。次回は、最終回となります。
2020.05.19
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昭和30年代から、アパレル業界が、目が出始めた。既製服という発想から生まれた。売れて、売れて、もう昼メシをたべる時間も無いぐらい売れた。「給与は、ドンドン上がった。 もう、お金は、要らない。休みが欲しい。」と先輩社員からよく聞かされた。それが、株を持っているから、レナウンさんは、特別扱いだ。・・・とよくデパートのバイヤーさんに言われた。「上からのメッセージだ。東京スタイルさんは、奥の場所に移動だね。」と言われた。ライバルアパレルメーカーには、こちらから、挨拶なんかするな。挨拶するのは、東京スタイルの創業者の出である花咲さんだけだ。・・・・・とも、先輩社員から教育を受けていました。朝礼という名の個人攻撃は、日常茶飯事。朝礼が、1時間、2時間は、当たり前。終令も、1時間、2時間、酷い時は、3時間ということも、あった。どうにも、こうにも、全てが、体育会系でした。月に一度の棚卸は、社長巡回があって、ゴミが、1つでも落ちていたらもう、罵声を浴びます。それだけ、商品に関して、モノに関して、厳しい教育の基に、働いていました。土曜日、日曜日は、休みではありません。デパート担当者は、デパートの定休日に合わせます。商品を確保するには、休んでいては、確保できません。もう、必死でした。レナウンさんの営業マンさんは、商物分離で営業マンは、商品センターから流れてくる商品をデパートに収める方式だと当時、聞いていました。商物分離を東京スタイルでも、実施することになりましたが、3か月ぐらいで撤回になりました。それは、営業マンが、商品の流れをつかむことが、出来ない。・・・・・と故高野義雄社長が判断したからです。「営業マンは、商品を触って、商品の良さを覚えるのだ。」・・・・・・と。そのおかげで、私は、月別、素材別展開マップが、頭の中に入っています。そのおかげで、アパレルメーカーの分野まで私は、段取りが組めます。本当に、東京スタイルさんには、感謝しております。さてさて、レナウンの倒産の陰には、やはり、デパートの横柄な対応も大きかったと思います。条件は、委託条件。売れなければ、返品、値引きで対応する。一方的に、一歩的に返品、値引きをしていたのが、松坂屋グループ、西武グループの店舗が多かったです。営業マンたちとは、よく高円寺寮では、「まったく、いい加減なデパートだ。」と話しあったものです。でも、ある都内デパート担当の営業マンが言います。「やはり、伊勢丹本店が、全てのガンだよ。 ファッションのうんちくをしゃべるだけ、しゃべって委託条件で。 そして、売れ筋追加分は、別倉庫で確保しろ。売れ筋の商品が止まると、もう要らない。他のデパートで、処分しろ。何が、伊勢丹だ。 数多くのアパレルメーカーが泣いているよ。」・・・・・・と寮の食堂で話しが出ていました。デパートの言いなり、デパートの好きなように、対応する。それが、アパレル業界が衰退になった要因だと思います。だから、弊社では、取引きではなく、取り組みと言う発想で、共存共栄の発想で、対応しています。
2020.05.18
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第2弾です。この内容は、すべて私が体験、見たことを私見(個人的な感想)で、描いています。全てが、全てのデパートの婦人服バイヤー(仕入れ担当者)が、横柄ではなかった。でも、60%~70%のバイヤーが横柄だった。営業マンをゴミのような扱いするバイヤーが多かった。(特に、酷かった時期は、昭和50年ごろ~昭和63年ごろ?)三越デパートの岡田社長の時は、酷かった。横柄な態度のバイヤーさんが多かった。・・・と先輩社員や、同期の営業マンから聞いていました。仙台の藤崎デパートは、ADOグループでした。伊勢丹グループでした。仕事に厳しいバイヤーさんが、多かったですが、一人の人間として、扱ってくれました。山形の大沼デパートさん(倒産)のバイヤーさんも、人格を否定するようなバイヤーさんは、いませんでした。東北関係のデパートさんは、比較的支払いもよかったです。群馬県の高嵜スズランデパートの工藤店次長は、口は悪かったは、愛情たっぷりの人柄でした。スズランデパートは、委託条件でしたが、送料は、必ず、デパート負担の元払いで、返品でした。酷かったのは、松坂屋、西武グループでした。でも、同じ西武グループでも、西友の大型店さんは、とても紳士的でした。人と人の関係を大切にしてくれました。やはり、社風だと思います。厳しいことを言われても、人格を否定されなければ、デザインや、色、素材について、どんどん意見交換をしていました。喫茶店に行っては、販売計画や、イベントの打ち合わせも一人の人間として話しを聴いてくれました。さてさて、本題に行きますね。忘れもしません。昭和59年ごろの話しです。松坂屋名古屋本店での毎週日曜の夕方に行われる「セールス会議」の席上の話しです。レナウンさんは、いつも、いつも、デパートのバイヤーさんとは、ゴルフの話しや、接待の話しばかり、仕事に関しての話しは、少なかったです。いつも、いつも、怒られるのは、体育会系の東京スタイル、三陽商会、岐阜のシンガポールさんの営業マンでした。「おい、東スタ(東京スタイル)。なんで、売上げが、伸びないのだ。 販売スタッフに、もっと気合を入れろ。」と毎回、毎回言われていました。レナウンさんは、いつも、ぬるま湯の営業マンさんが多かった。デパートの場所取りは、いつもレナウンさんが、販促金を払って場所を確保していました。当時、婦人服担当のバイヤーさんは、エリートコースだったのです。商品売り場は、粗利益率が、低いので、出世街道が遅れていました。婦人服売り場で、売上、利益、商品回転率を上げると、時期幹部候補となっていました。ツバメコート(倒産)の営業マンも、サラリマーン化していました。日曜日に、よく休んでいました。そして、人事異動で、セゾングループと十字屋グループを担当することになりました。その時に、茨城県も担当することになりました。私の同期の営業マンが昭和60年3月オープンのつくば西武デパート担当で、部署が、同じだったので手伝っていました。やはり、ライバルは、レナウン、オンワード、三陽商会でした。レナウンの営業マンさんは、比較的温厚な人が多かった。休みもしっかりとっていました。社風だったのでしょうか?「自分の給料は、自分で稼げ」と東京スタイルでは、教育を受けていました。どこの営業マンよりも、早くデパートに行く。9時前には、商品センターに出向いて、検品を終えてオープン前には、もう売り場に商品が並んでいる状態にしていました。帰るときも、デパートさんの終令に参加してから電車に乗っていました。体育会系の社風で、いつもいつも、ピリピリした社風でした。故住本会長のエピソードです。古い本社では、いつも社員食堂で「味噌汁をごはんにかけて、食べる。 早く食事を終えて、すぐ取引先に出向く。」と言っていたそうです。「住本会長、もう会社が大きくなったから、落ち着いて ごはんぐらい、食べてください。」と部下が言うと「バカなことを言うな。緊張感が無くなるのが、怖いのだ。 まだまだ、他のアパレル会社より、売上、利益が、小さい。 働いて、働いて、みんなを幸せにしたいのだ。」と言ったそうです。レナウンが倒産した要因は、いくつかあるかと思いますが、危機感が薄れたことが、一番大きいかと思います。他人事ではありません。緊張感です。ロコレディに入社して、取引先さんには、支払いをきれいにする。偉ぶった態度は、しない。真剣勝負です。アパレルメーカーの営業マンは、家族と同じ。人格を否定するような態度は、絶対にとりません。まとめお互いに、お互いに、真剣勝負。ファッションを挟んでの意見交換のケンカは、するべきですね。人格を否定しないこと。当時のデパートのバイヤーさんは、横柄な人が多かった。その人たちのお陰で、今の私がいます。反面教師です。#東京スタイル#レナウン倒産
2020.05.17
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私は、昭和57年~62年8月末まで 東証1部上場会社 東京スタイルさんでお世話になりました。 大学生時代には、全く興味が無かったアパレル業界。 父親を大学3年生時に、ガンで亡くしました。 51歳という若さです。 大学1年の時は、新聞配達をしながら、勤労奨学金をもらいながら、大学に通っていました。 毎朝3時半起床、夕刊は、16時ごろから配達をしていました。 集金業務もしています。 新規開拓の拡張の営業もしていました。 大学2年生からは、無返済奨学金に合格して、勤労学生として 大学の清掃や、イベントに参加していました。 そして、大学4年生の時に、 「アパレルメーカーに就職しないか? 営業マンとして、どうだ?」と言われました。 三陽商会、東京スタイル、レナウン、ワールド、オンワード、 小杉産業、豊島(商社系のアパレル)をリストアップされました。 最終的には、第一希望ではなかったが、東京スタイルさんにお世話になりました。 入社して、専門店さん、地方の量販店さん、地方のデパート、デパートの商品部を担当する ことになりました。 もう時効ですので、ココで、公開します。 一番ひどかったのは、 大手デパートの対応です。 松坂屋、西武百貨店でした。 もう、高飛車、高飛車で 毎日が憂鬱でした。 デパートは、委託条件 売れなければ、平気で 着払い(送料は、アパレルメーカー持ち)。 返品は、汚いダンボール箱で しかも、ビニールをかけないで シワが付いたまま返品です。 こんなことでは、ダメだ。 正義感をもって、 デパートのバイヤーに言うと 「おまえらは、デパートがあるから、商売になるんだぞ。 逆に感謝しろ。」と言われました。 悔しくて、悔しくて、裏の倉庫で 「この野郎」と言って、殴りかけたら 逆に 上司の係長に、 「バカ野郎、トシ坊。 ビンタで、殴られました。」 帰りの新幹線の中では、 ビールをあびるほど、飲みました。 毎週日曜日 デパートの閉店2時間前には、 全アパレルメーカーの営業マンが集まります。 「セールス会議」です。 これが、また地獄のような会議で、 「罵声」 です。 仕入れ担当者から、ものすごい勢いで 「怒鳴られ」の連続です。 「売上げが、伸びないなら、このブランドを撤退させる。」などなど。 そんな横柄な態度が、長く続かない。 ・・・・・と思いました。 次回に続きます。
2020.05.16
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本当に、本当に、有難いです。 お客様が、少しづつ戻ってきております。 「お店の人たちの顔を見に来たよ~」とか、 「社長、元気そうだね」とか、 「笑いたいのよ。家にいても、面白くないから」などなど。 マスクをしながら、消毒液で、手を洗って 入店されます。 本当に、久しぶりに笑ったわよ~。 ・・・・・と言われました。 鬼怒川水害被害の時を思い出しました。 あの時も、辛かった。 女優の羽田美智子さんから 「はとみさん、元気を出してね。 ピンチは、チャンスだよ。 応援するからね。」と励ましのお言葉をご本人様から たくさん頂きました。 商売は、笑倍(しょうばい)と位置づけ 街を元気にしなければ、商いは続けられない。 そんな想いで、お店の経営をしております。 頭が痛くなるようなことがたくさんありますが、 「常に、前向き。上を向いて商売をしていきます。」 さぁ~、今日も働くでぇ~。
2020.05.15
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義を持って 義を返す。 街の子どもたちは 地域の宝物です。
2020.05.13
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アパレル業界の不振が伝えられております。作家の黒木亮氏は、言います。「アパレル業界の主役が交代したのであって、業界自体は、不振ではない。 主役が、カテゴリーキラーに変わっただけです。」と。なるほど、なるほど。休業を5日間。定休日も、増やして、営業時間も短縮しております。もしろん、売上げは、落ちております。レジ客数は、何とか、何とか、踏ん張っています。その本来売れる予定で前もって仕入れた5在庫が今は大きな負担となっています。春物の入荷が遅れた。店舗数があるので、その対応で頭を痛めております。アパレル・メーカーさんや、問屋さん、縫製には、お支払いをしっかりと行います。支払いはしますが、商品は現金になっていないので資金調達に頭を痛めます。こういう問題はアパレル業界、小売業全般(仕入れて、販売する業界)でおきていることだと思います。洋服は腐さらない。いいえ、腐ります。業界に詳しい人は、わかると思いますが、生鮮食料品とまったく同じなのです。食べ物と一緒で洋服にも旬があって、時季を逃すと、商品の魅力は途端に欠いてきます。いくら、価値があっても、今、冬のコートを買う人は、まずいないかと思います。自粛要請で問題になり、国が補助しようと動いてくれている「人件費」 「家賃」「マネキンのリース」などなどがあります。それ以上に気をつけているのが、取引先さまへのお支払いです。「取引先様への支払い」の件で、頭を痛めます。春物の支払い。初夏物の支払い。キャンセルすれば、そのアパレル・メーカーが、困ります。そのようなことをすれば、秋物の商品に影響が出てきます。返品をする????????どうして、デパート業界がダメになったのか???仕入れをするという優位な位置で「一方的に、支払いを遅らせたり、返品や、値引きをする行為が 多かったからです。私の体験からです。」だから、私は、支払いは、いつも、きれいにきれいに一日前にお振込みをするようにしています。弊社の取引先様とは、長年のお付き合いから、成り立っています。良い時も、悪い時も、正直に商売でお世話になっております。創業者故羽富 正三の言葉より。「実はなぁ~、昭和40年ごろだと思う。 商売していて、お金が足りなくなった。 本家に出向いて、お金を調達した。 取引先とは、家族のようなものだ。 それから、お金の準備は、早めに行動するようになった。」・・・・・・と教えて頂きました。早目の行動です。 全て買い取るはずの約束条件を売れ残り商品を一方的に返品要求したり、弱い問屋さんや、アパレルメーカーさんをいじめることは、弊社では行っていません。頼んだものは意地でも引き取って、約束通りのお支払いをする。仕入れて販売する小売業にとって取引先さまとは、お互いの信頼関係は弊社でお買い上げのお客さまと同じように大切です。大きな、大きな財産でもあります。 今は小売サービス業は、大変な時季です。心を込めて、心を込めて、縫製してくれている工員さんや、服飾付属屋さんの想いを大切にしたいと考えております。1点、1点、心を込めて、ミシンを動かしている皆様のお陰でごはんを頂ける。生活が出来る。どうか、どうか、ご理解して頂きたいと思います。入店に関しては、マスク着用、消毒液の準備。衛生面では、気を配って営業しております。ロコレディは、各店長、お店のスタッフが、ほとんど、仕入れに参画しております。どうか、どうか、洋服たちの晴れの舞台をご覧下さいませ。ありがとうございます。ありがとうございます。
2020.05.12
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今、営業時間を短縮して、営業をしております。水海道R2カフェ店は、10時30分~15時です。レディースアパレル店舗は、10時15分~17時15分の営業時間となっております。6月末まで、毎週水曜日が、お休みを頂いております。布マスクを作り出して、縫製工場によく出かけるようになりました。型紙を何度も、何度も見直す。素材の選定も行います。縫製工場とのコラボ。ある意味「布マスク作品」と言った方が良いかもしれませんね。1枚1枚、丁寧に仕上げていく。その姿を観ながら、微調整をお願いする。例えば、お皿も安ければ、100円ショップでも販売している。益子焼とか、笠間焼の器で、ごはんを頂く。お茶を飲む。おいしく感じる。髪の毛を切るときも、1,000円カットに行く人もいれば、美容室で、10,000円以上お金をかける人もいる。この私も、床屋のばぁさんのところで、4,000円近くのお金をかける。マスクも、ウィルス菌から守るなら、使い捨てマスクとか、衛生上を第一に考えたマスクをするでしょう。マスクをすると、これからの季節暑く感じる。マスクをすると、しゃべりづらい。マスクをすると、息苦しい。などなど色々なご意見を伺うことになりました。優先順位をどこに持っていくのか?????????それによって、おすすめするマスクも異なってきます。型崩れしない。生地が、縮まない。縫製がしっかりしている。だから、ロコレディは、3本針縫製ミシンと、パイピング仕上げのマスクを依頼しました。裏地も、肌に優しく感じる素材を考えて、考えて。耳ヒモも、痛くならない素材を使う。オシャレなマスクを考える。息苦しく無いマスクを考える。リフォームの工事と同じです。水回りを優先するのか?介護の考えを優先するのか?イメージを大切にするのか?それによって、コスト(価格)も変わってきます。布マスク(3本針縫製の場合)、丁寧に洗えば、6か月は、使用できます。1日当たり、10円しないです。キッチンペーパーや、ティッシュ、ガーゼを充てる。お客様から、励ましのお言葉を頂きました。「お店が、コロナ禍の影響で、廃業や、退店するお店が増えてきた。 出来るだけ、出来るだけ、地元で買い物をしたいです。」といわれました。ありがとうございます。ありがとうございます。失礼ながらも、お客様のことを家族の一員として、考えています。
2020.05.11
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今回のコロナ禍について、医療関係者や、ゴミ収集車、運搬業の皆様に心から、感謝申し上げます。さてさて、今回のマスク事情について、気づいたことを私見にまとめてみました。2月末ごろから、マスク不足で、皆さんが悩まれたことかと思います。この私も、悩みました。弊社は、レディース・アパレルチェーン小売店です。縫製協力工場もお付き合いがあります。最初は、使い捨てのマスクの上から、二重で、マスクしてウィルス菌から守りたい。・・・これを優先順位の一位として考え、大き目の布マスクをデザインしました。あくまでも、あくまでも、フォロー(補完)するという意味合いで4月中旬ごろから展開をし、大き目の布マスクが良く売れました。価格も、出来るだけ、出来るだけ、お買い求めやすい価格で販売して、現在も続けております。使い捨てマスクでは、どうも気持ちがワクワクしてこないというお客様の声から生まれました。それから、それから、4月下旬になると、小さめで、小顔に見えるマスクの要請がお客様の声から出てきました。無地の白や、ベージュ系の布マスクより、オシャレな、ワクワクするデザインや、柄が良いと言われました。もちろん、実験台は、この私です。16型の型紙をおこして、微調整を、微調整をし何度も、何度も、工場側の親父さん夫婦と息子さん夫婦さん、妹さん夫婦さんと話しをしました。「今日は、忙しいから、マスクの話しは、出来ないよ。」とも親父さんに言われて、ほんの5分ぐらいで、打ち合わせが終わったこともありました。しつこく、しつこく、丁寧に丁寧に、お願いして、誕生したオリジナルマスク。あくまでも、あくまでも、布マスクをつけて、ワクワクするようなデザインや、柄を選んでいます。残布生地を倉庫から探してきて、また打ち合わせ。アパレル業界は、今不況の状況です。同業者仲間の廃業も増えてきました。中小企業診断士の先生方にも、相談を投げかけています。お客様の声をひたすら聴く。そして、バランス感覚を大事にして微調整しております。バランス良く、バランス良く。微調整、微調整です。心豊かにになる布マスクを開発する。マスクデザイナーデェィブ・トシ(仮の芸名)と名乗ろうと思います。
2020.05.09
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今回のコロナ禍によって、数々の学びを得ております。試練かな???と思うようにしております。3.11被害、竜巻被害、鬼怒川氾濫被害、そして今回のコロナ禍災害に遭うたびに、気づきも得ます。どうして、どうして、こんなに被害を受けるのか?一つ、一つの災害を振り返ると、大きな転換期だとわかってきました。大型商業施設店舗から、路面店舗戦略に。人事制度も見直しました。商品構成も少しづつ変化させていきました。ヒットより、フィットの時代。不特定多数から、特定多数の時代へ。マイノリティ(少数派)の時代かもしれません。中小企業ですので、大手資本の会社には、規模では負けてしまいます。ランチェスター理論を軸に「局地戦」と「接近線」を考えております。ライフスタイルの時代から、ライフシーンの時代だと考えております。布マスクも、そんな発想から生まれました。余った布を縫製工場の倉庫へ行って、マスクに適した素材を探す。生地屋さんに、出かけてバランスを考えて、生地を選ぶ。デザインも、お客様の要望から、スグに対応できるように、少々生地が高くなっても、無理しない範囲内で、生地を手配する。型紙も、「面倒だけど、一枚、一枚、その都度検証をする。」大量に同じ生地で、作らない。1週間に2日、3週間に亘って、出かけ来た。打ち合わせは、しつこく、しつこく、何度も、何度も確認する。「はとみさん、アパレルメーカーのMD(マチャンダイザー)ですね。 もう、メーカーの仕事をしている小売店ですね。」とある人に言われた。それは、アパレルメーカー「東京スタイル」に居た経験が生きている。生地を触って、生地の値段を想定する。生鮮食料品と同じです。イチゴが大好きな私です。1パック600円以上のイチゴは、まず美味いです。750円のイチゴだと、もう全部食べてしまうぐらい美味い。相場を知る。布マスク3本針縫製マスクで、パイピング仕上げのマスクの相場をネットで知る。でも、まず私が考えた素材、デザインで、同じ布マスクは、ほぼほぼ無い。でも、高額にしたら、本来の目的とは、違う。あくまでも、あくまでも、「お客様の目線で」そして、縫製工場に支払う工賃を値切らない。適正な利潤で、お客様に満足して頂ける価格を設定する。大量仕入れ、大量販売ではなくその時季にあった素材、柄、色を選ぶ。耳にも、32センチの長さにしてもらっている。お好みの長さで、調整できる配慮をする。創業者故 羽富 正三の言葉より。「いいか、としあき。 お客様の目線で考える。 お客様の声を大事にする。 取引先様を大事にする。 バランスよく、バランスよく。」こんな形で、ロコレディのオリジナル商品が、開発されるとは 夢にも、思わなかったです。バランスよく、バランスよく。
2020.05.07
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