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私:政府がデフレ宣言をしたということで、TVなんかはいっせいに「デフレスパイラル」を言い出した。A氏:製品が安くなる→企業収益が落ちる→社員の給与も減る→消費が落ちる→もっと安くなる→もっと企業収益が落ちる。 悪循環しながら奈落の底に落ちていくというわけだね。 TVに出演していた金融副大臣までそういう説明だね。私:しかし、矛盾するのは、好調なユニクロのことだよ。 ジーンズなどの安売りをして、売り上げが急上昇だよ。 安売りで利益を落としているどころか、大きな利益を上げている。 社員の給与や利益を削って、安売りをしているわけではないね。A氏:聞くところによると、生地は中国で、縫製は中国より賃金が安い国でやっているらしい。 あんまり小さい国なんで、名前を忘れたよ。私:だから、グローバル経済が背景にあるデフレなんだね。 発展途上国の雇用は増加するが、日本の雇用は減少という構造で、これは経済のグローバル化でもう、長い間続いているデフレだね。A氏:君のブログで紹介していた榊原英資氏の「間違いだらけの経済政策」にあったね。 榊原氏は、グローバル経済になった後のデフレは、その前の経済理論で説明するのは間違いだと言っているね。私:グローバル経済以前は、物価が安くなるから、デフレスパイラルという理屈はなかったね。 昔から、薄利多売と言われているね。 企業が利益を出す主な方法だよ。 日本の高度成長時代には、電気製品はコストダウンで安くなったが、そのために市場が拡大して、テレビは売れ、洗濯機は売れ、クーラーも売れた。 企業は利益を出し、社員の給与も上がったね。 自動車もそうだね。 榊原英資氏が言うように、どうも、まだ、デフレスパイラルの理屈がグローバル経済の時代に追いついていないようだね。
2009.11.30
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それでも、日本人は「戦争」を選んだ太平洋戦争私:太平洋戦争については、すでにこのブログでもいろいろふれているので、重複部分は避けて、この本で新しく知ったことをまとめておこう。 まず、戦争の特別会計のことだね。 1937年、近衛内閣は特別会計で「臨時軍事費」を計上するが、これは戦争開始から終了までを一会計年度とするものだ。 だから、この会計は太平洋戦争に負けた1945年11月に帝国議会に報告される。 その間、軍は国会を通さないですむので使いたい放題税金を使う。A氏:軍の代わりに今の官僚が考えた特別会計とやり方が似ているね。私:1940年度の1年分を例にとると、現在の貨幣価値で約20兆5千億円の軍事費が使われた。 しかも、日中戦争中なのに、それに使われたのは3割で、残り7割は、海軍は対米戦準備、陸軍は対ソ戦準備に使っていた。A氏:せっせと準備していたわけだね。私:戦力比較という面から見ると、日本とアメリカはかなりの差があるが、日本、ドイツ、イタリア、そして一時、不可侵条約を結んだソ連まで入れると、そんなに差はない。 また、1941年の戦争開始時の空母に載せる飛行機の生産数の日米比較をすると、日本100に対してアメリカは107と均衡している。 しかし、戦争の最後の年の1945年には日本100に対してアメリカ1509で比較にならない。A氏:だから奇襲作戦で早く開戦しようとなるわけだね。 それにしても、アメリカは、日本の真珠湾攻撃を予想しないで、何故、主力艦船を真珠湾に停泊させていたんだろうね。私:戦艦を効果的に攻撃するのには魚雷攻撃がいい。 しかし、飛行機から重い魚雷を落とすと、瞬間的に水深60メートルほど沈む。 真珠湾は水深12メートルの浅い湾だったから、大丈夫というアメリカには油断があったんだね。 それと、日本人に対して技術的に遅れていると馬鹿にするような人種的な見下しがあっただろうね。 日本の海軍航空隊は、開戦前の3ヶ月間、水深12メートルで魚雷を落下させる猛訓練を徹底的にやる。A氏:ところで、日本は太平洋戦争の「落としどころ」を考えないで始めたと言うね。私:実は、天皇陛下は、日中戦争が意外に長引いているので、太平洋戦争についても「落としどころ」に疑問を持っていた。 そこで、軍はそれを開戦前に説得しなければならないので、いろいろ説明をしている。 しかし、基本的には軍は戦争するなら早く開戦決意をしようと考えているから、いいとこ取りの数字や見通しを並べるんだね。A:戦後の高速道路、空港やダムを作るときの計算と似ているね。 役人は皆、族議員や土建業者の要求に合わせて効果があるように計算する。 しかも、一旦走り出したら、状況が変わっても止まらないという点も日本軍と似ているね。 原爆を落とされてやっとやめる。 この癖は直っていないね。 歴史を学んでいないね。私:最後に著者は、戦中の日本国民の食料のなさをドイツと比較している。 ドイツの国土は日本以上に破壊されたが、降伏する2ヶ月前までのエネルギー消費は1933年の1、2割増。 ドイツは国民に配給する食糧だけは絶対に減らさないようにしていた。 日本は農民の技術者を全部兵隊にしたので、食糧生産が激減する。 あわてて、徴集猶予をするのが1944年の戦争末期。 国民に厭戦気分が出て、占領に来た敵のアメリカ軍を歓迎するのは仕方がないね。 戦争に負けて自殺した人はドイツ人のほうがはるかに多いね。 最後に著者はこの戦争の反省は不十分だという世論調査を示している。 また、歴史を同時代感覚で想像してみる姿勢が重要だと言っているね。 この本はそういう視点でまとめられているね。 先週、テレビでは、連日、例の「仕分け」を報じていたが、あんなことを今までしないで放任してきたのは、やはり、国民にも責任があったのではないかね。 お役人が被告席にいたが、国民も被告席にいるという姿勢も必要だね。
2009.11.29
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それでも、日本人は「戦争」を選んだ 満州事変と日中戦争私:日露戦争後、満州への日本の投資は増加するが、85%は国がらみの投資だったという。 これは何か事が起これば、日本国家の資産だから、国家の望む方向に人々は容易に動く。 満州事変が起こる前の1931年7月に東大の学生たちに「満州に武力行使は正当か」という問いを出したら、88%が「はい」であったという。 インテリアは偏見が少ないはずだが、満州問題については、国民にある方向性の一致があったと考えられるという。A氏:日中戦争は、1937年7月7日、盧溝橋で日中の小さな武力衝突をきっかけとして偶発的に起こるが、満州事変はその前の1931年9月18日、関東軍参謀の石原莞爾らによってしっかりと事前に準備された計画によって起こされた。 軍人たちの主眼は、来るべき対ソ戦に備える基地とし満州(満蒙)を中国政府の支配から分離させること。 そして、対ソ戦中に予想されるアメリカの干渉には、対米戦も持久できるような資源獲得基地として、満蒙を獲得するというものだ。私:そして、すぐに、日本の傀儡国家である満州国が建設される。 蒋介石は国際連盟に提訴する。 連盟からリットン調査団が来て、現地調査して報告する。 そして、満州国は傀儡国家であるとして正式な国家として認めないとなる。A氏:日本では国際連盟脱退論まで出るね。私:しかし、当時のアメリカは不況の真っ最中。 ソ連も餓死者が出るほどの国内改革に迫られている。 だから、国際的な交渉の余地があり、中国側の妥協の余地があった。A氏:それを完全にノックアウトしたのが、交渉中に始まった日本陸軍の熱河侵攻だね。私:国際連盟が、満州問題で和協案を提議して、日本側に最後の妥協を迫っている真っ最中の軍事侵攻だから、連盟規約第16条の通商上・金融上の経済制裁の適用をうける違反となってしまった。 そうとは知らない昭和天皇はすでに熱河侵攻の認可をしてしまった。 当時の斉藤首相は、あわてて天皇のところに駆け込み、熱河作戦の裁可取り消しを頼む。 天皇も悩む。A氏:このとき、天皇と斉藤首相の考えの通りになっていたら、日本の歴史は別の道を歩んだかもしれないだろうね。私:しかし、侍従や元老は一度、天皇の裁可したものを撤回したとなれば、天皇の権威が決定的に失われるし、陸軍が天皇に公然と反抗するだろうと考えた。 連盟の除名や経済制裁を受けるよりは、先に自ら連盟を脱退してしまえということで、日本の態度は決定された。 さて、満州事変が1931年に起きて、日中戦争が1937年に始まるが、この6年間に大きな国際的、政治的、経済変化が起きているね。A氏:日本にも世界恐慌が波及する。 農村は荒れる。私:そういうときに政党は冷淡だったね。 しかし、陸軍の当時のパンフレットには、「農村漁村の疲弊の救済は最も重要」としていた。 農村は兵士の供給源でもあった。 国民は陸軍のスローガンに魅せられた。 しかし、日中戦争では、日本軍は1年くらいで中国の奥地まで侵攻するが、中国は戦争の長期化を覚悟して粘る。 この本ではふれていないが、途中、ドイツのトラウトマン大使の調停問題も出たが、うまくいかず、日本は次第に罠に落ちていく。 後は、俺のブログの同じ著者の「満州事変から日中戦争へ」岩波新書・シリーズ日本近現代史5巻・2の1、2の2に詳しい。 なお、この本では、日本は中国の暗号を解読していた事実を明らかにしているね。 しかし、その多くは列強への支援要請だから、逆に、日本はあせることになるね。 次第にアメリカ、イギリスを敵に回すようになる。 そして、次第に太平洋戦争につながっていく。 明日は、日本の20世紀最後の戦争である、アメリカを敵に回した太平洋戦争に移ろう。
2009.11.28
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それでも、日本人は「戦争」を選んだ第1次世界大戦・2の2私:第1次世界大戦が終わり、1919年1月からパリ講和会議が始まる。 この間、日本は、ドイツが権益を持っていた山東半島を1914年に「中国に還付する目的をもって」といいながら会戦したのに、翌年、21カ条要求を中国の袁世凱につきつけ、この条約で山東を日本のものにする。 これが、火事場泥棒的として、このパリ講和会議で日本は非難を浴びることになる。 しかし、戦後の植民地の再分割で、連合国のイギリス、フランス、日本が、当時の帝政ロシアとの間で密約をしていた。 これが、ロシア革命で政権をとったレーニンとトロッキーが、このロシア王朝時代の密約を暴露する。 その密約に、戦後、山東半島や南洋諸島が日本のものになるというのも含まれていたという。A氏:しかし、他の人だって強盗を働いているのだから自分はとがめられないという論理は無理だね。私:著者は、この会議に参加した若い日本人が書いた当時の文書を引用しているね。 後の外務大臣になる松岡洋右が若くして参加しているが、強盗と同じだと日本に批判的に書いているという。 また、若い近衛文麿も会議についていくが、「理想だのなんだの言っても、しょせんは力の支配という鉄則はここでも貫徹している」という感想を残しているという。 客観的にみると会議の結果は、基本的に日本の思う通りになっているのだが、主観的にはかなりの被害者意識を持ったようだね。A氏:この会議で、アメリカのウイルソン大統領が活躍して、植民地主義を反省して民族自決を言うね。私:実は、その民族自決の考えとしてウイルソンの念頭にあったのは東欧などの限定されていた地域だったんだね。 しかし、当時のアメリカの国務長官のランシングは「この宣言はダイナマイトを積んでいて、実現されない希望を呼び起こす」と危機感を持っていたという。 ランシングの懸念はあたっていた。A氏:日本の統治下の朝鮮に民族自決の火がつき、1919年、パリ講和会議中に、独立運動の三・一運動が起きる。私:実は、この運動が後に変なことに連動するんだね。 アメリカはウイルソン大統領が国際連盟を言い出し、アメリカ議会をその参加を説得しようとするが、アメリカが欧州の帝国主義間の抗争に利用されるのを恐れた議会はなかなか「うん」と言わない。 そして、アメリカ議会がウイルソンへの反論としてあげたのが三・一運動だね。 このような過酷な植民地支配を中国本土に及ぼそうとしている日本に対してウイルソンは妥協しようとしているとして煽動する。A氏:日本はあきれただろうね。私:日本の植民地支配が苛酷であるとの批判は甘んじて受けるが、ウイルソン大統領を批判するためだけに、アメリカ議会が日本批判を持ち出したのであれば、それは不当だというものだね。A氏:何か、2、3年前にアメリカ議会にあった日本の従軍慰安婦問題と似ているね。 私:結局、アメリカは議会の反対で国際連盟に不参加だね。 ところでパリ講和会議で日本側が負った衝撃や傷は、1930年代になってから、深く重くジワリと効いてきて、満州事変へとつながる。 明日は、その満州事変と日中戦争へと移ろう。 なお、この本では、パリ講和会議にイギリス全権団の大蔵省首席代表として参加したイギリスのケインズについてふれているね。 ケインズは、会議の途中でアメリカのドイツに対する苛酷な政策に憤慨して、途中から役職を辞してパリから帰国してしまう。 1919年当時、ケインズの言う通り、寛容な賠償額をドイツに課していれば、1929年の恐慌、そして第2次世界大戦は起きなかったのではないか。 ケインズは、後にパリ会議でのウイルソン大統領の様子をかなりの悪意をこめて描いているという。
2009.11.27
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それでも、日本人は「戦争」を選んだ第1次世界大戦・2の1私:日本の植民地化の戦略は、先進の列強国と違っていた。 先進国は市場拡大、プランテーションなどによる効率的な大量生産、キリスト教の布教などいろいろの理由で植民地化が進むが、日本は安全保障上の利益を第1目的として植民地を獲得していくという一貫した戦略があった。 これが特徴だという。A氏:第1次世界大戦は日本にとっては遠いヨーロッパの戦争だが、何故、日本は参加したのかね。 安全保障上の問題があったのかね。私:第1次世界大戦が始まる数年前から、日米関係はぎくしゃくし出す。 アメリカは、1898年にフィリピンとグァムを獲得し、ハワイ、サモアも併合する。 そして、1905年にロシアに勝った日本を警戒するようになる。 1907年には、日本人移民の排斥法が可決される。A氏:日露戦争のとき、日本をバックアップしてくれたアメリカなのにね。 一方、西大西洋の島々を持っているのがドイツだ。 日本はこれに目をつける。 日本は日英同盟を理由にドイツに参戦しようとするが、イギリスは警戒的で日本の参戦には消極的だったのに、日本はどんどん、参戦して、日本海軍は西太平洋のドイツ領の島々を占領してしまう。A氏:一方、日本陸軍は、中国のチンタオ(青島)と内陸に向かう鉄道を占領するね。私:これもいざという時に、朝鮮を迂回しなくても北京に直接接近できるという安全保障上のためだという。 ところでこの本は、第1次世界大戦で、日本が大きく変わる点に注目するね。 3つの段階にわけて説明している。 第1段階は、日本が参戦するときにイギリス、アメリカとの外交上(日本の外務大臣は加藤高明)のやりとりが議会で暴露され、激しい政府批判が社会に巻き起こったこと。 第2段階は、戦争が終わったときのパリ講和会議で、中国とアメリカの対日批判にぶつかり、深く日本側が衝撃を受けたこと。 第3段階は、日本統治下の朝鮮で三・一独立運動がパリ講和会議の最中に発生してしまったこと。A氏:第1世界大戦は、日本はほとんど戦争による損害がなかったのに、国際的にいろいろな精神的な苦悩にぶつかり、危機感を持つようになるんだね。 日露戦争に勝って、日本は、ようやく列強の仲間として認められるんだが、逆に、手練手管の列強との厳しい外交戦略に直面するんだね。私:日英同盟を大儀に、日本は参戦するが、イギリスは、ヨーロッパでドイツと戦っているときに、日本が中国のドイツ領を占領するだけでなく、中立宣言をしている中国の権益まで手を出すのではないかと懸念する。 当時の中国はイギリスの重要な貿易国だからね。 そこでイギリスは、日本の参戦に対して、ドイツ領だけに限定するように条件をつける。 同様に、アメリカも、日本を縛るコメントをする。 しかし、これらのコメントは密約であればよかったのが、日本側の野党に暴露される。A氏:当時は、与党は憲政会。 野党は政友会。私:これらのイギリス、アメリカの制限は、日本の自主権、日本の独立権、日本の宣戦行動に対する一大制限だとして、政友会は政府批判をする。A氏:第1次世界大戦は連合国とドイツの戦争だが、同じ連合国の仲間であるイギリス、アメリカへの反感が日本では芽生えだしたということか。私:中国の山東半島はドイツが握っていたが、これは中国領土だ。 この領土を戦後、日本の手を経ないで中国に自動的に返すべきか、一旦、日本が敗戦国のドイツから受領してから、適切な時期に中国に返還すべきか、をめぐって国際的な議論となる。 これが、第2段階のパリ講和会議での日本の外交上の難題につながる。 これは明日の話題としよう。
2009.11.26
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それでも、日本人は「戦争」を選んだ日露戦争私:日清戦争は英露の代理戦争だから、戦後、当然、清とロシアは親密になり、ロシアは満州から旅順、大連まで乗り出す。 ところが、1900年の北清事変でロシア軍が北京に駐留し、なかなか約束通り撤退しないので清との関係がおかしくなり、かつ、李鴻章が1901年に亡くなる。 イギリスはこのロシアの態度を日本により牽制すべく、1902年に日英同盟を結ぶ。 イギリスは当時南アフリカ戦争(ボーア戦争)では苦戦をしており、中国にまで手が回らなかったからだ。A氏:日英同盟締結で、ロシアとの戦闘体制準備に入ったのかね。私:最近の研究では逆で、日英同盟で大海軍国のイギリスと同盟したから、日本は税金で軍艦を作らなくていいということで政党は歓迎したという。 そして、日本国民のかなりの部分と支配層の一部は、日露戦争の前までは厭戦的だったという。 一方、中国のほうは、ロシアに対する不信が生まれ、立憲君主制をめざした国内の近代化改革が始まる。A氏:ところで、当時の日露交渉の焦点は、日本はロシアの朝鮮問題への不介入、日本はロシアの満州利権への不介入を交換条件にしていたが、ロシアがこれをけるんだね。私:しかし、日本は最後まで外交交渉に望みをかける。 マルクス主義の唯物史観では、1970年代まで日本という国は帝国主義国家として成長してきたのだから、満州に市場を求めてロシアに門戸開放を迫るために戦争に訴えたという解釈していた。 しかし、最近のロシア側の資料などで、ロシア側のほうが戦争に積極的で、日本は戦争をむしろ避けようとしていたということだ。A氏:しかし、表面的には日本はロシアに満州の市場を開放するように要求したのではないの。私:日露戦争の正当化を宣伝するときはそうだね。 アメリカやイギリスが本気になって日本を応援し、お金を貸し、軍艦の購入の便宜を図ってくれるには、アメリカやイギリスが気に入る大義がなければならない。 それには、アメリカやイギリスが深い関心を持つ満州市場の開放を問題にしなくてはならない。 日本が一番解決してほしい朝鮮問題は、すでに日清戦争で解決済みだとして、アメリカやイギリスは関心がないからね。 日本の「遅れてきた帝国」の悲しさだね。 本音は朝鮮問題のほうが重要なんだが、欧米に向けて語る戦争の正当性には、満州開放が建前になるんだね。A氏:日露戦争も代理戦争だね。 ロシアに財政的援助を与えるのはドイツ、フランス。 日本に財政的援助を与えるのはイギリス、アメリカ。 君のブログでは「日露戦争に投資した男・ユダヤ銀行家の日記」の話題があるね。私:ドイツはロシアの目を東方にむけさせるための支援。 フランスはロシアにシベリア鉄道などに金を貸した関係。 一方、中国は、ロシアに対する不信で日本に近づく。 戦争中、中国は日本にカネを寄付する。 満州の戦場では、中国は諜報活動に日本に協力してくれて成果を上げている。 著者は、日露戦争が戦後日本社会に与えた影響は、賠償金が取れず、国民に増税が課せられたため、直接税10円以上の選挙権を持つ人が倍増したことであるという。 それから、日露戦争で多額の金を借金し、多くの戦死者を出したので、戦後から昭和の頃にかけて、「20億の資材と20万の生霊(死者)」で満州を獲得したのだとよく言うようになったという。 約30年後の満州事変の頃に「20億の資材と20万の生霊(死者)」によって獲得された満州の権益を守れ」というフレーズが使われるのはそのせいだね。A氏:満州事変の根っこのところに、日露戦争の記憶がつながっているというわけか。私:その満州事変にいくまえに明日は、第1次世界大戦に話題を移そう。
2009.11.25
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それでも、日本人は「戦争」を選んだ日清戦争私:著者は、日清戦争を語る前に、日中関係を侵略、被侵略の関係でなく、アジア地域の覇者として競争するという視点で捉えようとする。 日清戦争前までの日本と清の列強に対する安全保障のやり方は違う。 日本は、近代国家らしい法整備ができることが列強からの安全保障になるので、法整備が急いで行われ、列強に安心をしてもらうようにする。 これに対して、清は周辺諸国との朝貢体制(「華夷秩序」)が列強から便利なシステムとして利用される。A氏:沖縄は、当時琉球王国で薩摩藩に朝貢していたが、清国にも朝貢しており、華夷秩序にとりこまれていたね。私:清は言わば、周辺諸国に対する「大家」のような役割をしており、列強は清に対して話をすれば、周辺諸国と円滑に対応できるので、それによって、列強は安心できる。 こうして1880年代には両国とも成長をする。 この清の朝貢体制は、李鴻章の登場で変わる。 1880年代から中国軍隊を近代的なものに改革しだす。 朝貢でなく、武力で周辺諸国を抑え出す。A氏:朝鮮がそうだね。 1884年に朝鮮の親日改革派が起こした甲申事変で、清は武力でこれを鎮圧した。私:同時期に、ベトナムに進出しようとしていたフランスにも清は武力で対応する。 清仏戦争だ。 清は一応、有利に講和条約を結ぶ。 列強は、今まで、朝貢体制下にあったベトナムを武力に訴えてでも守るという清の変化に驚く。 この「中国もやるな」と中国軍の近代化に注目していたのが、日本陸軍トップの山県有朋だね。 福沢諭吉の「脱亜論」も、最近の解釈では、アジアを見捨てるのでなく、朝鮮に日本が進出するには、朝鮮内部からの改革は期待できないので、中国を討ってから朝鮮に進出すべきだという意味にとれるという。 山県も列強に朝鮮をとられたら、日本は危ないという危機感を持ち、朝鮮を中国から切り離し、独立させようと考える。A氏:当時の清は近代化が日本より遅れた「弱い国」というものではなかったんだね。私:福沢と山県は朝鮮をめぐる危機感があったが、著者は1880年頃の地方の名望家の日記を引用して、日本が独立国として認められるのが最優先で、そのためには条約改正を急ぐべきだとする考えが国民に多かったことを説明しているね。 国会開設は後でよいという考えが支配的だったようだね。A氏:当時は、まだ、日本は列強とは不平等条約を結んでいる状態だったね。私:国会開設を叫んでいた民権派も同様な考えだったという。 民権派の考えには、欧米と比較すると個人主義、自由主義の理解が薄い。 「国家の独立なければ、個人の独立なし」というように、民権派も国権を優先していたという。 そして、国会開設が優先するという論者にすら、国家が出てくる。 著者は、その論者から「兵力というのは国民の集合体、一致集合のあかし」だという内容を引用している。A氏:その当時のムードからすると、民権派の人は政府反対をいいながら、国のゆく道を左右する根本のところでは他の派と一致していたことになるね。私:日露戦争のときは、反対論が多かったが、日清戦争のときに少ないのは、そういう背景があるからだね。 田中正造は日露戦争のときは、反戦論・非戦論だったが、日清戦争は「良い戦争だった」という。 ところで、日清戦争は、日本はイギリス、清はロシアのバックがあった代理戦争だね。 そして、勝っても、日本は列強の三国干渉という屈辱的な外交となる。 日本はアジアのトップに立ったが、まだ、列強の仲間とはなれなかった。 著者は、これが国民の政府不信となり、国内的な動きとして普通選挙への期待が高まったとしているね。 明日は、日露戦争に移ろう。
2009.11.24
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それでも、日本人は「戦争」を選んだ私:レーニンが亡くなったとき、ロシア革命政府は後継者としてトロッキーでなく、スターリンを選ぶ。 これはその前のフランス革命がナポレオンという軍事的なリーダーシップを持ったカリスマの登場で変質したという歴史的な事実が現実判断の縛りになっていたという。A氏:トロッキーのほうに軍事的カリスマ性があったが、ナポレオンを教訓として、第一次世界大戦やその後の反革命勢力との戦いで軍事的なリーダーシップを全く持たなかったスターリンを選んだというわけか。私:第2のナポレオンを選ぶより、田舎者のスターリンがましだというわけだ。 しかし、その選択が正しかったかは、後世の評価となるね。 著者は、これを日本の明治維新のときの西郷隆盛と統帥権問題を類似した問題としてあげている。 西郷隆盛は、ナポレオンやトロッキーと同じで、軍事的なリーダーシップがあり、カリスマ性もあった。 政治家としての評価も高かった。A氏:その西郷は、西南戦争で自刃したが、政府としては肝を冷やしたことになる。私:明治政府は、このようなカリスマ的な指導者が今後現れて、政府に反抗したら困ると考えた。 そこで、政治から軍隊を離しておくということから、統帥権の独立を山県有朋はつくりあげる。 山県は西南戦争では自ら指揮した経験もある。 軍事面の指導者と政治面の指導者を分けておいたほうが国家のために安全と考えたのは当時の情勢から当然の発想だというわけだ。A:そして、実は、その後、統帥権は違った方向に行き、日本の昭和の道を間違える原因となるとは、山県は予想だにしなかっただろうね。私:ルーズベルトアメリカ大統領が、第2次世界大戦で無条件降伏にこだわったのも、第1次世界大戦で休戦の条件を話し合った苦い歴史の教訓からだという。 ベトナム戦争にアメリカが深入りした原因も、第2次世界大戦後、中国を十分支援しないで共産党政権となってしまった歴史の失敗の教訓からだという。A氏:当時、ドミノ理論といわれたね。 歴史の当事者にすれば、そのときどきに良かれと思って、過去の歴史を参考にしながら判断をしてきたが、結果はそれに伴わないということだね。私:政策を決める人々がいかに幅広く過去の歴史を知っているか、そしてそれを度々間違って応用しているのが問題だね。 政策決定者が、歴史の教訓をきちんと学んでいること、そしてその教訓を適切に用いていることが、良い政策決定に必要だということだね。 明日は、この本でとりあげた日本の近現代の5つの戦争のうち、トップの日清戦争からまとめてみよう。
2009.11.23
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それでも、日本人は「戦争」を選んだ私:この本は、「普通のよき日本人が、世界最高の頭脳たちが、『もう戦争しかない』と思ったのは何故か?」という問いで、著者が5日間、高校生に講義したものをまとめたものだね。 著者は近現代史の専門なので、扱っている戦争は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争と5つの戦争についてふれているね。 講義の話スタイルの本なんで、分かりやすく読みやすい。 それと、みている視点が、後からの結果論でなくて、同じ時代の人々の考えに置いているので、参考になるね。A氏:加藤陽子氏は、君のブログの「満州事変から日中戦争へ」(岩波新書・シリーズ日本近現代史5巻)の著者だね。私:冒頭、歴史の面白さとして、2001年のアメリカの同時多発テロによるアメリカのテロに対する報復という国家同士の戦いでない、かってない種類の戦争と、日中戦争の類似をあげている。 日中戦争では1938年1月16日に有名な「国民政府を相手とせず」という声明を近衛内閣が出している。 この内閣のブレーンたちは、この戦争を、匪賊を討つ戦争だと考えていたという。 要するに、当時の日本の軍人や政府のブレーンは、戦争の相手を認めず、あたかも警察が悪い人を取り締まるかのような感覚でとらえていたということだね。A氏:2001年時点のアメリカのテロに対する戦争開始の論理と似ているということか。私:日本は正式な宣戦布告をしていないし、中国側の蒋介石もしていない。 その裏に、その場合は、アメリカの武器支援が期待できないという日中相互に読みがあったからということもあるがね。 それに当時の中国は1つの国としてまとまっていないで、各地に軍閥が横行していた国家だったからね。 しかし、こういう時代を離れたことについての類似性は歴史を面白くするね。 次に出てくるのが、アメリカのリンカーン大統領の有名な「人民の、人民による、人民のための」というゲティスバーグで演説だね。 何故、リンカーンは南北戦争に際して、この理想を掲げなくてはならなかったかを説明しているね。 そして、1946年11月3日に発布された日本国憲法前文にこれがそのまま入っているということだね。 ここで著者は、話を転換して、レーニンの「大衆の政治は大衆の数千人いるところでなく、数百万人がいるところで本当にはじまる」という言葉を紹介しているね。 そして、戦争の犠牲者数が圧倒的になったとき、そのインパクトが戦後社会を決定的に変えてしまうという。 日本国憲法というGHQが作り押しつけた憲法だという議論とは別に、あの戦争で3百万人の死者を出した日本社会の傷みを考慮すべきだというね。A氏:それは近代の戦争が「総力戦」となったからだろうね。 大衆社会を巻き込んだ戦争になったからだね。 戦争は、相互の社会の戦争だね。私:そこで著者は、ルソーの考えを示しているね。 ルソーは「戦争は敵対する国家の憲法に対する攻撃というかたちをとる」という。 要するに、相手国が一番重要だと思っている社会秩序の基本を変えるのが戦争だというわけだ。 では、日本の社会秩序の基本は負ける前はなんだったかね?A氏:ポツダム宣言の受諾でもめた、「国体」かね。私:天皇制だね。 これはマッカーサーの占領政策で、とりあえず、象徴的存在で残されたが、皇族の縮小で、今、世継ぎ問題でゆれているね。 マッカーサーの陰謀だと言われているね。 この本は「歴史とは現在と過去の間の尽きることを知らぬ対話」としているね。 そして、過去の歴史が現在に与えた影響例をあげている。 本番の日清戦争に入る前に、明日はその例をまとめよう。
2009.11.22
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A氏:君が「数字の独り歩き・目からウロコの可処分所得増」と「『25%減』道探る」のブログでふれている鳩山首相の25%温室ガス削減の問題が続いているね。私:11月13日の新聞で、第1次試算が出るといっていたが、昨日の新聞で家計負担を盛り込んだ「中間取りまとめ」の概要が出ているね。 それによると見出しのように「家計負担13万円から76万円」だという。 幅が大きく開いているのは、3つの計算(国立環境研究所、野村慶応大準教授、日本経済研究センター)がばらついているためだね。 国立環境研究所は13万円から17万円。 野村準教授は76.5万円。 日本経済研究センターは約15万円から21万円。A氏:野村準教授の額がとび抜けて多いね。私:これは環境税を野村準教授は国債償還に充てる前提にしているからで、他の2機関は家計への一括返還や環境投資に充てる前提としているからだね。 前提が異なるから、ならべるの意味がないね。 しかも、この計算は、海外からの排出枠の購入をどのくらいするかによって違う。 この数字は、海外から買わないという前提だね。A氏:いわゆる「真水」25%の場合ということか。私:海外から買うのを25%のうち、15%とすれば、負担は3万円から28.3万円に減少する。A氏:しかし、15%分の金は海外に行ってしまう。私:民主党は国内排出量取引制度や環境分野の新市場創出の効果を試算に入れるべきとしたようだが、時間がないと織り込んでいないという。 第一、 鳩山政権は「経済と環境の両立」では具体策が描けていない。A氏:12月7日から国際会議(COP15)に間に合わせるためだというが、これでは間に合わないね。私:24日まで調整してなんとかまとめるようだね。A氏:それにしても、この新聞の見出しの「家計負担」という文字は、また、誤解のもとだね。 「予想される可処分所得の減少額」だね。私:多くの不確定な想定条件で、2020年まで明確な数字で予測しようというのだから、意味があるのかね。 25%と大見得を切って、後から数字を作っているような感じだね。
2009.11.21
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A氏:君のこの問題の知的街道は「宝塚線事故の調査情報漏洩問題」、「『国鉄一家』復活?」、 「JR西日本の隠蔽体質」と続いたが、昨日19日の朝日新聞朝刊の一面トップは、JR西の漏洩問題を検証した第三者機関の報告を報じているね。私:漏洩の原因を「組織防衛優先の企業風土」にあったと指摘しているという。 そして、井手正敬元会長が作り上げた経営体質について「独善的で『上にもの申さぬ文化』をつくり、技術軽視も進んだ」と報告書は批判しているという。 国鉄分社民営化のとき、井出氏は、松田昌士・JR東日本前会長、葛西敬之・JR東海会長とともに、「国鉄改革3人組」と呼ばれたという。A氏:葛西氏は、このブログでも「国鉄改革の真実・『宮廷革命』と『啓蒙運動』」の著者として登場するね。私:「国鉄改革の真実・『宮廷革命』と『啓蒙運動』」で葛西氏が「宮廷改革」として、トップ人事の重要性を強調し、同時に、働く人の「啓蒙運動」の重要性も指摘しているね。 民営化当時、民営化を成功させるため、JR東日本がモデルとして重視され、有利な条件でスタートさせたが、JR西日本はその点、不利なスタートだったようだね。 しかも、京阪神は「私鉄王国」だ。 そこで、1992年に初代社長となった井出氏は、ワンマン経営をして、一時はJR西日本は「井手商会」と呼ばれるほどであったという。A氏:利益優先策は成功するが、一方で安全面の投資はJR東日本やJR東海に比較すると低かったというね。私:俺が気になったのは、井出氏が1995年ごろ、「鶴の一声」で技術系社員の採用を減らしたことだね。 「昭和人」らしくないからだ。 関係者は「運輸を全部事務屋にやらせるという、現場知らずの過ちを犯してしまった」と第三者機関に語ったという。 井出氏は、「昭和人」で年齢的に少年時代は軍国少年だと思うね。 この世代は、アメリカの技術に負けたという「技術コンプレックス」があるから、本来は「技術重視」がしみついているはずなんだがね。 この世代は、軍国主義イデオロギーに拒否反応を示し、軍国主義イデオロギーがもっとも軽んじたもの--科学性と民主主義--への熱い期待を持つようになるんだがね。 戦後の高度成長がそれを示している。A氏:それが「昭和のエートス(気質)」で民主主義と徹底した科学主義(技術主義)だね。 ところがJR西日本は「日勤教育」という「日本陸軍のピンタ教育」同様の精神的教育が「啓蒙運動」になってしまったね。 井出氏は、その意味で軍国主義嫌悪から来る「昭和のエートス」を持っていなかったのかね。私:ただ、この第三者機関が「漏洩問題」の原因は「井手体質」だというのは、疑問だと俺は思うね。 どの企業も「組織優先の風土」があるからね。 特に日本企業はそうだね。 JR西日本の現社長の佐々木隆之氏が「井手体質と情報漏洩問題とは無関係」と報告書を批判しているのは正しいと思うね。
2009.11.20
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A氏:君がこの問題に興味を持って、このブログで1、2と2回にわたり、このイベントをとりあげているね。 今朝の朝日新聞の横浜版では「開国博 25億円収支不足」という大きな見出しで報じているね。 大きな原因は、有料入場者数が計画に対して、4分の1にも満たなかったことだね。私:入場収入予定が45億円だったのが、実際は10億円台だから、これだけで大赤字だね。 まだ、運営を担当した民間企業に対して、契約額の縮小交渉があるので、最終計算はまだ確定していないという。 しかし、企業側も実際にカネを使っているので、減額は無理ではないかというね。A氏:林文子横浜新市長は、「市が税金で赤字補填をすることはない」と発言しているという。私:中田宏前市長の負の遺産だね。 12月4日の市議会常任委員会に最終報告が出されるという。 どういう数字になるかね。 そして、われわれ市民の税負担となるのかね。 行方を見守りたいね。
2009.11.19
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【中古】Wiiソフト はじめてのWii【05P16Nov09】 Wiiを買ってから、2年になる。 すでに、購入したソフトは中古も含め21本。 孫にせがまれて買ったものもある。 Wii-Fitはボードがあって体を動かすに良い。 最近、プラスも買った。 ところで、未だに、よくやるゲームは最初の「はじめてのWii」にあったタンク(戦車)のゲームである。 これはあまり体を使わないゲームであるから気楽に気分転換のためにやれる。 相手の数台のタンクを潰すので、相手の出方を予測する知的な部分がある。 このゲームは相手のタンクを攻撃して潰すのであるが、赤いタンク、緑色でミサイルを発射してくるタンク、黄色い地雷を置いていくタンク、走りが早い紫色のタンクなどが次々に出てくる。 逐次、潰していき、累積60台くらい潰すと、銅メダルをくれる。 もっと潰せると銀メダルをくれる。 ついに、82台潰すと、白色で、戦闘開始とともに、消えるタンクが出てくる。 強敵である。 この2台を潰すと累積84台となり金メダルがもらえる。 これで終わりかと思ったら、次にまた、別な戦闘シーンが展開してくる。 ついに、あるとき、累積218台まで潰して来た。 スタートしてから小1時間たっていた。 なんと、今度は、すごいスピードで走り、速射してくる黒いタンクが2台出てきた。 1台潰した(累積219台)が、残った1台にやられ、これで終わった。 今のところ、これが最高累積台数だ。 再挑戦して、この黒2台を潰せたら、次に何が待っているのだろうか。 このゲームはエンドレスなのだろうか。
2009.11.18
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知人のT氏より連絡があり、K氏が11月14日、静脈瘤破裂で逝去したということであった。 66歳とのこと。 まだ、早い死であった。 夏から調子が悪かったとのことであった。 K氏は改善コンサルタントで、私と仕事で関係があったのは、十数年前であったと思う。 信州人で理屈っぽく頑固なところがあった。 しかし、熱血漢的なコンサルタントであったようだ。 あるとき、夕飯を一緒にして議論していたら、K氏が「日本は一神教だ」という。 私は「多神教だよ」と言下に否定したら黙したことがある。 そういう基礎的な間違いを思い込んでいる点があった。 また、その後、ある教育団体の依頼で、K氏はコンサルティングに使うテキストを作成し、私に一部送ってきたことがある。 読んだら、数箇所の致命的な間違いがあった。 本人に直接指摘すると頭にくるだろうと思い、その教育機関にやんわりと伝えた。 その後、本人から間違いの指摘を感謝する連絡がきた。 そういうことがあり、彼とはあまり、いい思い出がなかったように思う。 数年前までは毎年、年賀状が来ていたのがパッタリ来なくなった。 ここ数年間、音信不通であった。 しかし、今回、その訃報に接すると懐かしい感情がわいてきた。 私より一世代下で、高度成長の後の低成長に入った時代に活躍した世代である。 心より、ご冥福を祈る。
2009.11.17
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文藝春秋 2009年 12月号 [雑誌]私:この浜矩子氏の寄稿は、3回シリーズで、今月号が最後だ。 シリーズ2回目の先月号の文芸春秋で、浜氏は、リーマン・ショック以後の世界は「国破れて山河あり」の時代だという。 「国」=政府の力が弱まっても「山河」=人々、自然環境、そして日本の文化がしっかり残ればいいという。 では、具体的に日本はどうすればいいのか。 それを今月号に期待したが、それはなく、ガッカリしたね。 今後の具体的対策論はなかった。 二番底を恐れる内容が中心だね。A氏:二番底は本当に来るのかね。私:各国は、昨年来の経済不況による財政出動で、金をふりまいている。 このため、「ワールドダラー」は昨年の9月にリーマン・ショックが起きたときに、約3.3兆ドル。 それが今年6月には4.5兆ドルまで膨らんでいるという。A氏:世界的なカネ余りと低金利がリーマン・ショックの根本原因とすれば、このような状況では金融バブルの再燃を懸念するのは当然というわけだね。私:そして、あれだけ世界を混乱に陥れたアメリカの金融業界の反省が足りないという。 だから、ドルが没落するのは不可避だという。 今、米国の金融業界がバブルを再燃させるのに成功するのか、ドルの没落で不可能になるのかの分水嶺に立っているのかもしれないという。 いずれにせよ、「財政バブル」の崩壊による「二番底」はやって来ると浜氏は予告する。 早ければ来年の春だという。 グローバル恐慌以後の危機はまだ去っていないとして、このシリーズは警告で終わっているね。A氏:今日の夕刊では、内閣府が7月から9月期のGDPは年率4.8%と2期連続増と報じているね。 底を脱したのかね。私:しかし、雇用や賃金は低迷気味で、2番底の到来の不安は消えないね。
2009.11.16
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孫は、アイスのガリガリが好きだ。 先週、孫が遊びに来たとき、お付き合いで、俺も固いアイスを強く前歯でかじった。 ところが、何か硬い異物を口の中で感じた。 出して見ると、上の前歯の差し歯の琺瑯質の部分が欠けた破片だね。 翌日、近くの歯医者に行ったら、前歯を3本くらい治療しなくてはならないとなった。 しかも、レントゲンで見るとブリッジしてある歯の根が虫歯で細くなっている。 医者は、これは抜かないといけないと言う。 前歯の差し歯とこの虫歯を抜歯すると、俺の前歯の一部はスカスカになる。 抜歯した後が落ち着くまで、きちんとした部分入れ歯の型はできないという。 そうすると、落ち着くまで、1ヶ月くらいはかかるという。 それまで、スカスカの状態になる。 発声もおかしくなるし、見掛けも悪い。 そこで、1ヶ月は仮の部分歯を刺しておくことになり、先週、その型をとった。 今週の水曜日(11日)、その仮の入れ歯ができたので夕方、その医者に行った。 雨が降っていた。 まず、部分麻酔して刺し歯を破壊。 医者は、この差し歯はだいぶ金をかけていますねという。 上の前歯の治療は、長い間、していないので20年位前のものだろう。 次にまた、部分麻酔をして抜歯を開始。 医者は、根が深いので手間がかかります、頑張ってくださいという。 結局、最初から最後の抜歯を終わり、傷口を縫い、仮の入れ歯を調整して、つけ終わるのに、2時間半かかった。 前掛けに血が少し飛んでいた。 抗生剤、痛み止め、消毒するうがい薬をもらって帰る。 支払いは保険でも1万2千3百円。 もう、外は暗い。 しかし、雨は止んでいた。 医者は、その夜は入浴しないで、シャワー程度にして、翌日の運動はだめだという。 しかし、その夜は痛みもなく、何も異常はなかった。 翌日、医者にまた行き、抜歯後を確認し殺菌する程度の治療で、2、3分で終わった。 来週は抜糸である。 本格的な部分入れ歯をするまで、1ヶ月ほど、歯医者通いをする羽目になった。
2009.11.15
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A氏:君が昨日のブログでとりあげた温室効果ガス25%削減について、偶然、昨日の朝日新聞の朝刊で、詳しく、図入りで解説していたね。 これは麻生政権のときの試算だね。 実際の試算を行ったのは5つの研究機関だという。 麻生政権はこの案は採用しなかった。私:この朝日新聞の解説を見ると、25%のうち、国内対策は15%、海外からの排出枠取得10%だね。 京都議定書で日本は08年から12年までの間に、90年比6%が定められているが、うち、森林吸収3.8%,1.6%は排出枠購入で、「真水」は0.6%だという。A氏:「真水」とは本当に国民の努力による削減を意味するんだね。 断熱工事、高効率照明、太陽光パネル、省エネエアコン、有機ELディスプレー、省エネ冷蔵庫、高効率給湯器、次世代自動車などだね。私:不確定な要因も多いね。 俺の家でも風呂をガスから電気にする高効率給湯器に変えよう思ったが、これは夜間電力料金が安いときに湯をためるので、夜間深夜に継続的に雑音がする。 このため近所のクレームが増加しているというので、やめたよ。 しかし、排出枠購入は、国富が海外に流出するね。 それは結局、国民負担になる。 電力10社が09年3月期決算で計上した排出枠の取得費は計約1千億円。 これらは電力料金の値上げで国民負担となる。 鳩山首相の25%削減にはこの海外排出枠購入や森林吸収が入っているという。私:日本はすでに京都議定書の目標より温室効果ガスは08年では1.9%増だね。 削減どころの話ではないね。 昨年の大不況でも政府の計画は未達成だね。A氏:鳩山政権は、この麻生政権のときの試算を見直すことにしているね。 このため専門家7人と研究機関で「タスクフォース」を作り、今月中旬に1回目の試算を出すという。 しかし、5研究機関は麻生政権のときと同じだから、見直しに消極的な意見が多いという。 いずれにせよ、来週には第1次試算が出るだろうね。 どうなるかだね。
2009.11.14
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私:朝日新聞の月曜夕刊には池上彰氏の「新聞ななめ読み」というコラムがある。 11月9日の月曜日には、タイトルのような記事を書いている。 これは例の温室効果ガスを2020年までに1990年に比べて25パーセント削減するということに関連したものだね。A氏:君がこのコラムを愛読しているので、俺も毎週読んでいるよ。 25パーセント削減すると、1所帯当たりの可処分所得は年間22万円減少し、光熱費は14万円増加するので、「合わせて年間36万円が世帯の負担になる」というものだね。 これは麻生前政権の目標づくりのために、経済通産省が試算したものだという。 これだと、年間36万円の負担を今から20年まで毎年続くのかと誰もが思ってしまうし、当時、テレビのワイドショーでよく大変だという説明があったね。 実は、これは数字が独り歩きした誤解によるウソなんだね。私: 池上氏は、9月27日付の日経新聞の「中外時評」欄の記事をとりあげ、この「年間36万円の誤解」を指摘した内容を「目からウロコ」としてほめているね。 1ヶ月ほど前の新聞記事で、ちょっと取り上げるのが遅かったね。 何か事情があったのかね。A氏:約10年先を予測して計算するのだから、ある条件を前提にする。 この温室効果ガスの試算では、毎年、GDPが1.3パーセントほど伸びるという前提だ。 その上に立って、排出削減策をとらない場合と、削減策をとった場合の2002年時点の可処分所得を比較する。私:そうすると2020年の可処分所得に22万円の差が出るという計算だ。 すなわち、削減策をとると22万円の可処分所得のダウンとなる。 それに光熱費の増加14万円を加えて36万円となる。 これは毎年、2020年まで続くのでなく、2020年時点での差だね。 ここにまず誤解が生まれるね。A氏:一方で、毎年GDPが1.3パーセント伸びるから、可処分所得の絶対額は25パーセント削減策の実施とは無関係に70万円以上増加する。 したがって、25パーセントの削減策をとると、70万円から36万円を引いた34万円の増加となるという意味だというわけだね。私:「36万円負担が増える」のでなく「70万円の可処分所得増が、34万円の可処分所得増に留まる」ということだね。 ずいぶん前のサンデイープロジェクトか何かで、25パーセント削減をすると国民負担が年間36万円増えると司会者が言っていたのを思い出したね。 そのとき、民主党で環境に詳しい福山哲郎議員が、ずばり、それは誤解で、経済通産相がある仮説で作った2020年の予測値だと明快に即答していたね だから、俺は前から誤解はしていなかったがね。 福山氏は、鳩山政権で外務副大臣になったね。 京都議定書の外交の失敗の反省から来た布陣かね。A氏:しかし、こういう数字は意味があるのかね。 「百年安心の年金」の計算の根拠だって、将来の子どもの出生率や経済成長率を予測して計算していたね。 計算の前提になった子どもの出生率の実績は、翌年から予測値を大きくダウンしだした。 経済成長率も、昨年起きた百年に一度の経済不況でダウンだしね。私:30年くらい前かね。 俺の友人でマーケティングを専門にしていた人が、工場の設備機器を作っている中小企業の売り上げ予測をした。 彼は、その会社の売り上げの上昇線が、日本企業の設備投資の伸びと比例していたのを見出し、当時の通産省の10年先の設備投資の予測値があったので、これを用いてその会社の売り上げの伸び率を予測した。 ところが、社長は、「そんなにうまくいくかね」とニヤニヤ笑っていたという。 彼は頭にきて「論理性のない社長だ」と不満だった。 後で聞いたら、社長は、ときどき、高島易断の占い師を呼んでいたという。 しかし、数ヵ月後にオイルショックが来た。 その会社の受注は激減した。 俺の友人の売り上げ予測は見事に外れた。 後から振り返ると、日本が高度成長から低成長に転換した時期だね。A氏:その会社は大丈夫だったの?私:製造機能は全部、外注にするという社長の長年の方針に救われて、実害はほとんどなかったね。 こないだ国会中継をTVで見ていたら、自民党議員が鳩山首相の25パーセント目標は中身がないスローガンだと批判していたが、麻生政権のときも数字遊びのスローガンであることは変わりがなかったのではないのかね。 昔から「捕らぬ狸の皮算用」とか「来年のことをいうと鬼が笑う」というし、占いも「当たらぬも八卦」というね。 数字スローガンは明快で結構だが、その計算根拠となる数字は明日には読めない条件変化があるということと念頭に、こういう問題はあまり、熱くならないことだね。 必要なのは、具体策の着実な推進と状況の変化に対する対応力だね。
2009.11.13
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道路整備事業の大罪私:東海道の三島市の商店街は「シャッター通り」ではない。 活気がある。 郊外にショッピングセンターを作る土地がなかったことと、電柱地中化を契機に2004年から「町並みづくり協定」を4つの商店街が協定して作った効果が大きいという。 空襲にあっていないので街並みは曲がっていて自動車には通りにくいが歩行者には歩きやすい。 そこでその特性を生かし、三島市では1996年から「街中がせせらぎ事業」が展開されている。A氏:俺は三島市の道をタクシーに乗って走ったことがあるが、道路が何か一般の都市と変わっていると思ったが、そのせいなんだね。私:富山市は、県庁所在地で最も人口密度が低い。 そうすると公共交通の採算性が悪くなる。 用事のためには長距離の移動が必要になる。 しかし、その問題を富山市は道路整備と自動車で解決しなかった。 2006年、富山市は路面電車(ライトレール)を再生した。 中高年齢層の利用が増加した。。 そして、沿線に障害者のグループホームや高齢者のディサービス施設、高齢者賃貸住宅などを立地させている。 また、企業の社員寮もある。 このような自動車主導方式に反対の施策を次々と打ったことで、1963年以来、減少が続いていた中心市街地の人口が2006年度に前年比で増加に転じたという。A氏:そういう動きが「コンパクトシティ」というのだね。私:青森市もそうだね。 青森駅を降りれば、すぐに賑やかな商店街だね。 「シャッター通り」はない。 これらの動きは、底に大きな思想があるね。 「脱自動車」だね。A氏:自動車は、もはや豊かさの象徴ではなくなったというわけか。私:著者が、この本を書いているとき、著者を頼って、スウェーデンの建築家が訪問してきた。 日本の研究のためだという。 彼が言うには、スウェーデンでは、自動車社会が進みすぎたことで、公共交通の利用率が激減し、郊外型ライフスタイルが定着して、地元の商店街がほとんど死にかけているという。 日本では、自動車に依存しないで歩いて生活ができると聞いて、その理由を研究にきたのだという。A氏:なんだか、こそばゆいね。 日本では、反対にスウェーデンは高福祉で理想の国のように言っているのにね。私:しかし、その東京都がまだ、道路が足りないと言っている。A氏:道路整備問題は、単に道路だけでなく、日本が戦後の廃墟から奇蹟的に経済大国になり、今は落ち目になっているのに、その夢が覚めないという戦後史の象徴だね。 道路整備の真の問題点に目覚めれば、まだ、救いの道はあるかもしれないね。私:民主党政権で「事業見直し」がはじまったが、ダムは「流域思考1.2.3」で、道路整備は「自動車社会からの脱出思考」でやってもらいたいね。 そのような政治転換ができれば、そこに韓国の李大統領が言うような「21世紀の先進国日本」があるように思うね。
2009.11.12
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道路整備事業の大罪 私:ロスアンジェルスは、1970年から90年まで人口は45パーセント増加したが、面積は3倍以上も増加した。 人が広い面に広がった。 その巨大な面を道路と自動車でつなぐのだが、車での通勤が長時間の人が増加してきた。 このどうしようもない状況を打破するために、ロスアンジェルスも公共交通の導入を始め、1990年には最初の地下鉄を整備し、現在では5路線に達しており、バスの増強も検討しているという。 同じように、自動車優先型の代表的な都市のブラジルも、歩行者は無視されていて不便であるという。 自動車優先なので、横断歩道も歩道橋もなく、青信号もない。 自動車は高速で走る。 それが反省され、ようやく青信号がつけられ、地下鉄が計画されているという。A氏:子どもたちの遊び場だった車の少ない道や空き地がなくなってきたね。私:東京ディズニーランドがある浦安市や周辺の江戸川区の新住宅地域は、道路幅が広く、自動車が高速で走る。 自動車の運転にはいいが、子どもには危険がいっぱいだ。 そこで、平日の午前中には、東京ディズニーランドの駐輪場に幼児をママチャリの後ろに乗せたお母さんたちが続々やってくるという。 ディズニーランドで子どもを遊ばせるためだ。 安全だからね。A氏:なるほど、しかし、入園料が大変だろう。私:年間パスポートを使えば、安くあがるし、3歳以下の幼児は無料だ。 年間50回も通った母親もいるという。 道路は自動車には便利だが、子どもの遊び場を奪い、安全な遊び場には金がかかるという行政の矛盾が現れている。 外国では、道路を自動車から子どもたちに取り戻そうということで、1970年頃から、オランダで考案されたのが「ボンエルフ」だ。 デルフト市で最初に導入されたという。 「ボンエルフ」は、子どもや歩行者が自動車に優先する道路空間として位置づけられている。 道路はカーブを設け、速度制限は時速20キロ、舗装を変えて運転者に注意を喚起する。 この「ボンエルフ」はオランダだけでなく、隣国のドイツにも広く普及しているという。 ブラジルのクリチバ市では、極端で、道路を潰して公園にしたという。A氏:逆に、子どもたちが道路の主人公だというわけか。私:1960年代から70年代にかけて、アメリカやカナダの都市で高速道路反対の市民運動が展開された。 そして多くの都市で高速道路建設が中止されたという。 サンフランシスコは1999年から2005年の期間で高速道路の延長距離が短くなったアメリカ唯一の大都市で、1972年には鉄道網を敷く計画をし、都市鉄道を整備したという。 ニューヨークでも、1960年代から70年代にかけて、2つの高速道路の計画が住民の反対で廃止になったという。 現在に至るまで、マンハッタンの都心を走る高速道路は一本もない。A氏:東京都心は高速道路だらけだがね。私:今の韓国の李大統領は、ソウル市長時代にやった偉業は、ソウルの清渓川を暗渠にして高速道路にしていたのを、元に戻したことだね。 李氏は「都市に暮らす人たちに最も必要なのは歩いて考える時間である」という。 かっての高速道路のあとは、再生した清渓川となり、市民の憩いの場となっている。A氏:日本橋の上に高速道路を作った日本と違うね。私:李氏は「日本は決して21世紀の先進国にはなり得ない。 経済的な効率性ばかり計算する時代は終わっているのに、開発と環境破壊の象徴である高架道路一つ取り外すことのできない国がなんで先進国か」と日本橋を批判しているという。 しかし、日本でも道路整備によって発生した「シャッター通り」を防止するために、「コンパクトシティ」という考えが広がっている。 明日はその話題に移ろう。
2009.11.11
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道路整備事業の大罪私:東国原知事がいる宮崎市に2005年に九州最大級のショッピングセンターができた。 駐車台数4千台で有料道路のインターチェンジそばに立地しており、宮崎自動車道の宮崎インターチェンジを使うと、広域からアクセスできる立地だという。 開業は成功し、2007年度の売り上げは315億円で、年間来訪者は約1千万人を数えたという。 前年の宮崎市の商店街の年間売上高が約1500億円弱だというから、かなりの客を自動車と道路で集めたことになる。A氏:しかし、従来の宮崎市の中心街の店は大きなダメージだろうね。私:通行量で約3割減。 商店街の7割が売り上げを減少したという。A氏:「シャッター通り」現象の一種だね。 道路整備を叫ぶ東国原宮崎県知事の足もとで、道路整備によって、ショッピングセンターのような全国規模の大企業にはメリットはあったが、地元の商業にはデメリットになっているという皮肉な現象になっているね。 しかも、少子高齢化を迎えて、自動車を運転できない老人が増加し、近くにあった従来の市街地の商店街が「シャッター通り」になっているので、買い物も不便になる。私:ところで、田中角栄の「日本列島改造論」の中心となっているのは、経済の活性化だね。 彼が唱える高速道路の効果は、「地方の人間を大都市に吸い上げる求心力から、大都市の人間を地方都市に運ぶ遠心力へと転換する」というものだね。 そして「工業の再配置や地方都市づくりのためには、生産機能や人口の地方分散が必要で道路網の整備は不可欠だ」というわけだね。 しかし、約30年の結果は、逆の現象が出ていて、ここ10年くらい、地方に行くと、立派な道路の先に、閑散とした工業団地があるという風景だね。A氏:地方にあった工場の仕事は、今、中国に移っている。 かって、日本にあったような工業団地のための道路整備が中国で進んでいる。 グローバル経済が急速に進んでいるからだね。 道路が整備されていないから、地方の工業団地に企業が進出しないのでなく、企業は中国に進出するから地方の工業団地に進出しないか、あるいは撤退するのだね。私:俺が30歳前後の頃、横浜で工場管理していたが、高度成長で人が足りない。 そこで会社は東北に人を求めて移転する。 賃金も安かった。 この頃は、確かに道路は生産拡大のインフラとして重要だったね。 ところが、そのうちに、東北でも人手不足傾向なり、賃金も上がり、賃金の安いシンガポールに工場が移転しだす。 この頃から、「製造業の空洞化」が言われ始めていたね。 しかし、高度成長の経済の拡大で救われていた。 そのうちに、シンガポール、マレーシャ、タイ、インドネシア、そして市場経済化を始めた中国と、製造業は低賃金を求め、東南アジアに拡大した。 その結果が、日本の地方都市の工業団地の空洞化であり、雇用の減少だね。 これが背景にあるから、今になって、いくら立派な道路を作っても、企業は新しく工場は作らないから、かっての田中角栄時代のような、経済効果に結びつかなくなったんだね。A氏:悪名高い東京湾アクアラインは最初、千葉の木更津市の経済活性化を考えていたが、結果は、木更津市の商業は大きく衰退し、木更津駅前の大手スーパーは次々と撤退した。 アクアライン開通後に木更津市が経済的に地盤沈下しているという。 浜幸さんもガッカリだね。私:また、渋滞解決のため、バイパスを作ると、新たな交通が誘発されて、結局、渋滞は解消しないこともあるという。 道路整備をするとそれまで公共交通を利用していた人が自動車を利用するようになることや、道路整備によって沿道の土地利用が変化して、新たな交通需要を発生させたりするからだという。 これを「誘発交通」という。A氏:どうも、アメリカがモデルになった自動車優先の社会、特に都市は曲がり角に来ているのではないかね。 私:その意味で、自動車社会をバックアップしてきた道路整備の根本的な考えも転機を迎えたということだね。 明日は、自動車優先で破綻したロスアンジェルスの話からはじめよう。
2009.11.10
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私:この本のタイトルは、著者は反対であったが、出版社に押し切られたという。 ところで、東国原宮崎県知事が、「宮崎県は、道路、とりわけ高速道路については、空白地帯、陸の孤島と言われています。もっと道路を作るべきです」といっているたびに違和感があったね。 それは、俺は十数年前に、仕事に宮崎地方によくいったんだが、そんなに他の県と比較して、道がひどいという印象がなかったからだね。 それに、日南海岸という観光地もあるしね。 一体、「宮崎県のどこの道路がひどいことになっている」のか、東国原宮崎県知事の発言には具体的な地域名が出てこないね。 それを言ったら、岩手県の山奥など、陸の孤島だろうね。A氏:長野県の山奥などもそうだね。私:この本を読んで、いろいろな道路の整備状況を数字で見ると、俺の勘は当たっているようだ。 可住地面積当たりの道路延長距離でいくと、九州の7県では、福岡、長崎についで宮崎県は3位だね。 人口当たりの道路延長距離ではトップだね。 後で、国際数字でもふれるが、フランスはヨーロッパのどの国より人口当たりの道路延長距離が長い。 ところが、そのフランスよりも宮崎県のほうが長い。 高速道路も同様だね。 その宮崎県の知事が「宮崎県は道路が少ない」というのは奇異だね。A氏:東国原宮崎県知事は大学で政治学を学んだというが、道路行政について学んでいなかったのかね。 それにしても、日本の道路整備は国際的に遅れているという先入観があったが、それは俺の不勉強かね。私:田中角栄は1972年に出した「日本列島改造論」で「人口や国土面積、自動車保有台数のどれをとってみても日本より小さい西ドイツやイタリア、イギリスが高速道路の建設では日本を上回っている」と言っている。A氏:それで日本は土木国家となって、高速道路整備に邁進するんだね。私:その結果、2007年の国際数字をみると先進国を追い抜いているね。A氏:戦後の高度成長で、敗戦の廃墟から、GNP世界第2位まで駆け上がった勢いは道路にも言えたんだね。私:2007年の数字では可住地面積当たり道路延長距離では、ドイツの約15倍、アメリカの約7倍。 人口当たりの道路延長距離では、国土の広いアメリカとフランスに及ばないが、ドイツの約3.4倍で、また、イギリス、イタリアよりも長い。 俺は2000年にイギリスの地方の道を走ったことがあるが、日本のほうが道路はいいね。 この本の筆者もアメリカ、イギリス、カナダ、ドイツなどで運転したことがあるが、その体験から日本の道路の質はよいという。A氏:日本はもう道路先進国だね。 それなのに、道路建設でしみついた高度成長の土建国家体質を、少子高齢化、グローバル経済化、低成長化という環境の変化に対応できず、過去の夢をまだ、追っているわけだね。私:それで気がついたことは、地方に行くと車なしでは生活ができなくなったことだ。 勤めるにも車だね。 昔は、都会の人は運動不足と言われたが、20年位前から、田舎のサラリーマンのほうが運動不足。 都会のサラリーマンは自動車でなく電車、バス、地下鉄などを使うので、運動不足にならないと言われるようになったね。 そして、地方都市では町の中心街での、いわゆる「シャッター通り」が目立つようになったね。 郊外に新しくできた広い道路の両側に、いろいろな店や大スーパーが並ぶ風景も、どこに行っても同じアメリカ的になってきて、個性が消えたね。 路面電車も自動車交通の邪魔だとして消えた。 この本は、道路整備が必ずしもバラ色でないことを、日本国内や世界の先進国の例をあげ、詳しく説明しているね。 明日は、その話を中心にしていこう。
2009.11.09
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昨日、かっての仕事仲間と3人で、T氏のおくやみに行く。 いきさつは、先週、知人のS氏から、今年、T氏がなくなったとメールが来たことから始まる。 享年85歳だという。 私は、T氏とは、30年ほど前に、シンガポールプロジェクトの仕事でお世話になった。 T氏は、商社経験があり、英語が堪能だったのでシンガポールに仕事で居住していた。 それで現地で2、3回会ったことがあり、シンガポールの居宅に伺って夕飯をご馳走になったこともあった。 プロジェクトは十数年前に終わったが、プロジェクトの事務局的な存在だったS氏は、その後、T氏と個人的につきあいがあり、年賀状もやりとりしていたという。 それが、先週、T氏の奥さんからの「喪中につき年賀状欠礼」のはがきをもらって驚き、当時のプロジェクトの内容を計画した私とプロジェクトリーダーK氏とに連絡が来たという次第だ。 3人で、東京都内のJRの駅で待ち合わせた。 K氏とは10年ぶりに会ったが、10年位前に定年退職してからは、悠々自適だという。 お花と供物を持って、駅から15分ほど歩いて、あらかじめ連絡しておいた時刻にT氏宅に伺った。 ご仏壇に線香を上げておくやみを申し上げた。 T氏は、昨年10月までは病気知らずで、健康であった。 11月に食欲が急になくなり、医者に見てもらったが胃潰瘍ではないかとなった。 手術で開腹したらガンであり、かなりあちこちに転移していることが分かり、切除せず、そのまま閉じたという。 年齢なので放射線治療なしで、また、自宅療養を希望して、自宅で療養したという。 今年2月17日に自宅で眠るようにして亡くなったという。 T氏のように今、80歳代の人は若いときに戦争の第一線経験がある人が多い。 T氏は体格がよく、30年ほど前にお会いしたとき、重い背嚢を背負って、何キロも行軍したと戦争中の話をしていた。 工兵隊の小隊長をしていて、あるとき川に鉄橋を架ける工事をしたが、自分が先頭に立ってやらねばと、自ら杭を川に打ち込んだという。 そして無事、汽車が橋を渡ってホッとしたという。 その鍛えられた頑丈な体は、戦後もすごかった。 奥さんの話だと、数年前までジムに行っていて、100キロくらいのバーベルをあげていたらしい。 しかし、無理して腰を痛めてから、ジム通いをやめたという。 青春を戦争で送り、戦後は東南アジアへの日本の民間企業進出で活躍した。 ささやかながら、これからの日本の東南アジアへの新しいアプローチの基礎を築いたとも言える。 心から、T氏のご冥福を祈る。
2009.11.08
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私:養老氏はある補助金付きの幼稚園の理事長をしていて、あるとき、週1回は給食をやめ、母親が作った弁当にして多様化した昼食を計画したら、お役所から2週間に一度という要請があったという。 しかし、それはお役所の要請ではなく、もとは母親から「給食費を払っているのに」という苦情がきて、板挟みになったお役所の妥協案だったという。 宮崎氏の保育園もそういう親の雑音はあるが、親のための保育でなく、子どものための保育だから無視だという。A氏:その点、補助金がないのは有利だね。私:宮崎氏のアニメで「崖の上のポニョ」があるが、ここでは保育園の隣りがホスピスだ。 宮崎氏は、老人が子どもといることは、子どものためだけではなく、老人のためでもあるという。 宮崎氏も子どもを育てている頃は、仕事が多忙で、子どもをよく観察していなかったが、年をとり、暇ができると、孫のちょっとしたことでも観察できるという。A氏:3世代の家族同居が理想的だね。私:ここで、対談は男女の問題に移った。 宮崎氏のアニメは女の子が主人公となっている例が多い。 それは、女の子の方がしっかりしているからだというようだね。 昨年、名古屋の方に、別のアニメの研修所を作って、44人を訓練したが、採用になったのは22人で、男子は4人だという。 今年は、10人合格で、男は1人だという。 宮崎氏の印象では、男は生産者でなく消費者になってしまっているという。 これは、養老氏も同じ意見で、ある大学で1時間半の間に自由に感じたことを紙1枚に書いて提出せよ、書けた人から退席してよいと言ったら、書いて出すのは圧倒的に女子が早いんだね。 男は自由に書くのがつらいらしい。A氏:養老氏は「男女、7歳にして席を同じうせず」というのは、男女をそのまま、放置しておくと、男が弱くなるための予防ルールだと言っていたね。私:このTV番組の「こどもへ」というタイトルは適切でないね。 「危機に瀕した今の日本社会へ」とすべきだね。
2009.11.07
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私:50分ほどの番組だ。 2人の異色対談ということで知的興味をひいたんで、録画しておいた。 ところで、本の読後感をブログに書くときは、もう一度、さっとその本のポイントを再読するね。 ブログを書く意味は、内田樹氏も言っていたように、日記と違って後で情報が使えるからだね。 内田氏は日記だと、後から読むと意味が分からないことが多いが、ブログは他人に読まれていることを意識して書くので、後で自分のためにも役立つという。 こういう録画したTV番組も、ブログにまとめるとなると、ポイントを確認するために、本同様、再度、録画を見る、ことになる。A氏:特に対談の場合は、話題があちこちととぶからまとめる苦労があるだろうね。私:宮崎駿監督の「となりのトトロ」を60回も見たという少年ファンから手紙が来たというが、宮崎氏は、本当は1年に1回程度見ればいいのであって、トトロにあるような自然にもっと、ふれてもらいたいと言っているね。A氏:60回もエアコンのきいた部屋で、一人で見ていたのでは、子どもにとって問題なわけだ。私:アニメで、土の色を描くとき、関東出身の人は赤色だという。 しかし、秋田出身の人はその色を嫌がるという。 夕陽も出身地で描き方が違うというが、東京の人は自然の夕陽を持たないという。 都会生活では、漫画とアニメの基礎ができていないようだ。A氏:ナマの生活体験が自然と基礎をなすのかね。私:養老孟司氏は、現代人は死を見ないようにしてきたという。 死体をナマで見なくなった。 交番にある「本日の交通事故の死者数」や「今年上半期の自殺数1万7千人」というように、死は数字となって、個性と生々しい現実と乖離している。A氏:多様な個々の死に様という現実は消えているというわけだね。私:宮崎氏は、現代の生活のあり方を変えないと文明は滅びるという。 子どもは小さい時から、非現実的なコンピュータゲーム、本、ビデオなどに取り囲まれてきた。 そして過保護だね。 昨年4月、宮崎氏のスタッフの子どもたちのために、コンクリートやプラスチェックをできるだけ使わないで、木を中心の保育園を作った。 風通しをよくしたので、屋根は風呂屋のようで、夏でもクーラーは使わないですんだという。 現在17名の子供がいる。 補助金をもらうとお役所からいろいろな制約がつけられるので、補助金なしの保育園だという。 だから、バリアフリーと反対だね。 床はわざとデコボコ。 包丁やナイフを使う。 自由に木登りできる木。 火も使ったり消したりする。 池があって、落ちる子もいる。 庭に小高い丘があって登ったり、滑ったりする。 縁側は高く、落ちたら軽いけがはするだろうという。A氏:そういう中で、本当の人間は育つんだろうね。私:明日は、その保育園の話から続けよう。
2009.11.06
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環境を知るとはどういうことか私:今、アメリカでは小学校教育の大動乱期に入っているという。 ブッシュ前大統領のときに、「落ちこぼれゼロ法(No Child Left Behind)」という法律を通し、教育を改正した。 英語と数学に競争的なテストを導入して、それを目標にして先生が合理的な授業を行うというものだ。 英語と数学の成績が上がったが、野外活動がほとんどできなくなったという。 その結果、肥満と注意欠陥・多動性障害(ADHD)の子が増加したという。 そして、この教育に対する大規模な反対運動が起こり、「子供たちを教室から出せ(No Child Left Inside)」という連合組織ができたという。 2008年に、これを支援する法律が下院で可決されたが、大統領選でゼロに戻ったという。 しかし、環境重視のオバマ大統領がどう対応するかだね。A氏:日本の「ゆとり教育」問題とよく似ているね。私:しかし、このアメリカの話は、日本ではあまり騒がれていないようだね。 岸氏が先日、近所の小学校に行き、市民も応援して作った校庭の池の生き物の学習はどうなったかと聞いたら「すみません。総合学習の時間は、この春から全部英語の授業に切り替えました」と言われたという。A氏:川の好きな子、足もとの地球が好きな世代が育つことに意味がある、学力とは別の感性の重要性がわかっていないね。私:養老氏は、現場とのズレは日本のすべての問題に共通しているという。 脳化現象だね。 ところで、驚いたのは日本では、今、丸太の輸出が急増しているという。 中国が買うからだ。 山林は、農地同様、相続後、放置されて荒れていて、そんな山地を中国企業が買い上げ、山中の木をすべて切って、中国に入れているからだという。 そして、中国の狙いはその山地の地下水にあるという。 地下水は、川に入った瞬間、水利権が発生する。 しかし、地下水に留まれば、地主のものだから、いくら地下水を抜いてもいい。 スーパーで売っているペットボトルの水のように、中国に水も持っていけるというわけだね。私:それを救うのは、自然の土地を重視する「流域思考」だね。 ところで、この本で本当はふれてほしかったのは、ダムの問題だったが、一言もふれていないのは残念だね。 「流域思考」で八ッ場ダム問題をどう評価するかだね。 この本は、岸氏が関係した鶴見川流域の治水にふれているが、治水にはいろいろな方法があるんだね。 鶴見川流域は、動物の「マレーバク」の形に似ているという。 1991年に「鶴見川流域総合治水協議会」という組織ができた。 これは、「流域思考」に基づいて総合的な治水対策、汚染対策、環境対策、流域啓発などを応援しつつ、安全・安らぎ・自然環境・福祉重視の流域文化を育てるためにスタートし、すでに18年の歴史を積んでいるという。 いろいろな成果があるが、流域という枠組みで防災、環境、文化、教育などを総合的に語ることができる流域学習コミュニティーを育成できたことが、何よりの成果だったという。 住宅地で遊水地を作ることを法律で要求しているのも、「流域の治水」が原点だね。A氏:「ダム思考」は「流域思考」と完全に対立する思考ではないのかね。私:民主党は「流域思考」を持っているのか知らないが、ダムの見直しの際、「ダム思考」から「流域思考」への大転換になることを期待したいね。
2009.11.05
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環境を知るとはどういうことか私:この本は、養老孟司氏が、岸由二氏の案内で小網代の谷を下っていくカラー写真約30枚を使っての歩きながらの対談から始まる。A氏:小網代というのはどこにあるの?私:三浦半島の先の方にある小網代湾に至る谷一帯をさすようだね。 「浦の川」という川が刻んだ谷なのだが、「流域」がまるごと自然のまま残っている、という。 「流域」とは雨水が川に集まる台地全体をさす。 小網代では、降った雨が森を下って川になり、上流・中流・下流で大きな湿原をつくり、干潟になって海に流れることで形成される「流域」の姿がワンセットで全部見られるという。 こういう「流域」は関東では他にない。 2005年に全域が「近郊緑地保全区域」に指定されたという。 3000から4000の生物の多様性があるという。 カニは、陸のカニ、干潟のカニ、岩場のカニと合わせて、30種類強の種類になるという。A氏:君のお孫さんが喜ぶだろうね。私:ところが、この地をゴルフ場やリゾートマンションにするという計画が1983年に持ちあがる。 地元の三浦市の経済の活性化のためだね。A氏:リゾート法で日本中が沸き立っていた頃だね。私:岸氏は、現地を見て、これは残すべきだと痛感する。 そして「小網代の森を守れ」という市民運動に参加する。 この運動は「小網代はいいところだ」と宣伝するだけで、政治的な運動はせず、イデオロギーを標榜して大きな声を出すような人はお引き取り願ったという。 自民党から共産党まですべてが賛成してくれないと小網代は守れないということで、特定政党の支援も断ったという。A氏:それでは、市の行政に押し切られるのではないの。私:そのうちに外国の専門家も来て小網代を高く評価する。 それをまた宣伝する。 神奈川県の自然保護課の課長は、開発をひっくり返すことはあり得ないと言っていたが、1904年、当時の長州一二県知事が百八十度方針転換し、自然保全がすすんだという。 最後は政治家のトップの決断が重要で「環境は権力者にしか守れない」という。 一般庶民の活動だけでは、ただ細分化するだけだという。 もっとも、小網代の自然のすばらしさを、カニの産卵の光景の素晴らしさを見るイベントでアッピールするなどして、1990年から数年ぐらいの間に、4千人ぐらいに会員が増加したという効果は大きいね。 これに知事が驚いたのではという。 署名が10万超えようが20万を超えようが行政にとっては怖くないが、お金を出す人が1千人単位で集まると注目するという。A氏:金がものをいうわけか。私:ところで、江戸幕府が世界に冠たる封建制度を構築できたのは、各藩を流域単位で上手に抑えたからだという。 江戸時代に土地争いが殆どないのは、そのせいだという。 そして、流域ごとに祭りがあった。 一種の地方自治があった。 明治維新でそれをこわしたのは、鉄道だという。 これで地形に張り付いた流域という概念をつぶし、中央集権国家となる。 その考えは産業文明も同じで、この根底にあるのは地球をつくり上げる個々の地域(流域)の制約や可能性、つまりは大地の個性をていねいに扱えない方式、思考だね。 今になって、地方が疲弊したため、地方自治権を復活させないといけないとなってきたね。A氏:流域概念をつぶしたところに地球環境危機の根本もあるというわけか。私:明日は、流域思考の教育と今後を考えてみよう。
2009.11.04
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私:一昨日、昨日と俺が行った自然公園の話をブログで書いたが、この本を読んでいる途中で、この公園名が登場したのには驚いた。 この公園は、高尾山から始まり、三浦半島につながる南北に垂れさがる多摩三浦丘陵の中央部にあるんだね。 ウオーキングの視野が開けた感じだね。 何か一体感ができた感じだったね。A氏:なるほど、住んでいる地域をそういう視点で考えるということがあるんだね。私:この南北に下がる多摩三浦丘陵がイルカの形に似ているので、岸氏はこれを「イルカ丘陵」と名付けたという。 これを出版社が面白いと聞きつけ「いるか丘陵の自然観察ガイド」という本を1997年に発行したそうだね。 ところで、俺の住んでいる横浜の丘陵地には「谷戸(やと)」という名称がついた土地が多いね。 俺は横浜に住みだした頃から、この地名が気になっていた。 この言葉は辞書をひいてもなく、「やと」から「やつ」、そして最後が「谷」となる。 辞書では、鎌倉辺に地名として多いというね。 このイルカ丘陵の地図を見ると、イルカの心臓部あたりが鶴見川流域で、これが東京湾に注ぐ。 イルカ丘陵の上側を多摩川が流れている。 下側を境川が走っているね。A氏:境川は今の藤沢あたりを流れ、相模湾に注ぐね。 源頼朝が目を付けた場所だね。 鎌倉は「谷戸」に囲まれ、それを壊して道路とした「切り通し」があるね。私:この本を読んで考えてみると、俺は住んでいる場所のデコボコを自然に気にかけていたんだね。 それは俺が子どもの頃育った土地が、高い山に囲まれた広い盆地で、しかも、その盆地では2つの大きな川が合流して、1つの大きな川になり、山を越えて日本海に注いでいる。 要するに、大きな山に囲まれ、大きな流域に住んでいたという感覚が子どもの時からあったようだ。 夏休みなど、この源流の方にある親戚の家の近くの川で、水遊びをしていたね。 養老孟司氏は、鎌倉育ちだが、小学生頃、自宅から歩いて5分ほどの「滑川」でよく遊び、いろいろな魚をとったという。 あるとき、この川の水源までたどろうと友達と川をさかのぼったという。 これが養老孟司氏の「流域思考」のはじまりだったのだろうという。 地図で見ると、イルカ丘陵にある今の鎌倉霊園の山奥あたりが水源らしいね。A氏:なるほど、「流域思考」というのは、俺たちの住んでいる足元を「流域単位で考えよう」「なんでもかんでも可能なものは流域で考えたら面白い」という思考というか発想だね。私:岸氏は大学でも講義しているが、学生に「誰とどこに暮らしているか」と聞くと「家族と家で暮らしている」という返事が多くなっているという。 要するに、土地感覚、自然感覚が欠如してきているという。A氏:そういう人が役人や政治家になって道路を企画し、ダムを計画するわけか。 デコボコ感覚や、流域感覚はゼロなのにね。 問題の原点はそこにあるようだね。私:この本はダム問題には一切触れていないが、その問題点がよくわかるね。 岸氏の研究所の住所は行政の分類では神奈川県横浜市港北区日吉4の1の1、慶応大学第2校舎301だが、流域思考の分類で行くと、鶴見川流域・矢上川支流流域・松の川小流域・まむし谷流域・一の谷西の肩第2校舎301となるという。A氏:「家族と家で暮らしている」発想では、こういう視点は無理だね。 環境を知る原点は、日常のその意識にあるね。 足元をよく知らないで、環境について偉そうに言ってもそれは上滑りだね。私:明日は日本人の流域思考の歴史から話をはじめよう。
2009.11.03
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土曜 横浜は朝から秋晴れ。 午後3時過ぎに、歩いて20分ほどの自然公園に行く。 土曜だが人影はマバラで、ウォーキングしたり、ジョギングしたりする人、何人かとすれ違う。 夏の公園と違い、静かである。 コオロギの鳴き声も少なくなった。 秋は深い。 この公園には1キロくらい、自然を守るため、ペットの犬を連れて入るのを禁止している道がある。 舗装もしていない。 砂利が少し混ざっている。 今のシーズンでは、枯れた落ち葉が厚く積もっている。 しかし、常緑樹は茂っていて、道を覆っている。 道は分岐していて、いろいろな狭い森の中の道を選択できる。 小さな丘に上がったりしていろいろなコースがある。 皆、裸土である。 1時間半くらい歩いて、少し汗をかいて帰って来た。 家に着いたら、携帯電話の万歩計は11372歩を示していた。日曜 昨日に続き、横浜は秋晴れ。 小学校1年生の孫が遊びに来たので、午後、昨日行った自然公園まで虫取りに行く。 しかし、虫がいるシーズンは去ったようで、収穫がない。 帰りに地面をはっている小さなクモを見つけた。 ハエトリグモという種類らしい。 手で捕まえるのには、素早い。 枯れ葉に乗せて捕まえようとすると、後ろに素早く後退する。 俺が、枯れ葉2枚で前後挟み撃ちするアイデアを出すと、孫はそれを器用に実践し、クモは前の枯れ葉に飛び乗る。 すぐに、枯れ葉ごと、ペットボトルにあけた入口から入れて捕獲。 帰り道で孫は、熱心にクモの動きを観察していた。 帰る頃はあやしい雲が出始め、空は灰色になってきた。 天気予報通りだ。 家に着いたら、万歩計は5702歩を示していた。 夕方、クモは逃がす。 夜になって、雨が激しく降り始める。 孫は父親が車で迎えに来たので雨の中を帰る。
2009.11.02
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A氏:君のブログのマニフェスト知的街道が続いていたが、今朝の朝日新聞の3頁目には、今、民主党政権が直面しているマニフェスト問題が大きく特集されているね。 鳩山首相自身、最初、「必ずしも国民の皆さんがあまり期待していない事象もある」と言ったかと思えば、この間の国会答弁では「達成できなければ責任をとる」と言い切っているね。 迷走しているね。 私:この新聞特集は3人の記者が署名で書いているが、一人はロンドン在住記者からだね。 迷走の背景に日本のマニフェスト政治の「未成熟」があるとしているね。 もうすでに、俺のブログで30日、31日とまとめているが、俺がこの新聞記事で一番、知りたかったのは、「本家」の英国の実態だね。A氏:英国は時間をかけて民意をすいあげるようだ。 選挙の2年前くらいから、国会議員らが個人や地域の声を聞き、マニフェストしてまとめあげる。 政権獲得後も政策を具体化した「グリーンペーパー」や「ホワイトペーパー」を発表し、国民や関係団体に意見を求めているという。 サッチャー政権では、年金改革の提案書を発表したが、反対意見が相次ぎ、見直したという。私:その英国では、最近では、党首がテレビやネットを使って国民に政策を訴えることを重視し、マニフェストは補足的な役割に転じたという。 しかし、これは保守党と労働党の政策の違いが小さくなったことと、経済が好転した結果だという。A氏:日本では自民党と民主党は政策理念からしても、大きく違っているね。 経済も、昨年から悪化し、税収も6兆円ほど減少するという。私:イギリスは政権獲得後も見直しをしているという。 欧米は契約社会だから、マニフェストは国民との契約書だというのは、正しくないね。A氏:むしろ、英国のマニフェストで学ぶべきは、国民とじっくり政策を話し合うことだろうね。 選挙で、候補者の名前を連呼し、握手、握手の選挙運動をやめることだね。私:子ども手当の具体化を担った林参議議員の次の言葉で、この特集記事は終わっている。 「いまのマニフェストは民主党のマニフェスト。国民の代表や有権者でもう一度論じ、優先順位などを話し合ってもいい」A氏:しかし、八ツ場ダムだけは、マニフェスト通り中止したいね。私:おそらく、中止しなければ今の予算の10倍以上が追加されるだろうね。 民主党が政権をとったのを機会に徹底的に検討すべきだね。 「過ちは改むるに憚ることなかれ」だね。
2009.11.01
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