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私:このブログは、2006年の4月23日にスタートした。 このときのテーマが「『人は見た目が9割』を読んで」という読書感だね。 君との対話形式を考えたのが、5月18日の「『頭上の敵機』と『プライベイト・ライアン』」という映画感想からだね。 以後、今年の4月の引越し時期を除いて、ほぼ、なんらかの文章を毎日ブログに書いている。 今では日課になっていて、書かないと気持ちが悪い。 こういう継続した効果は、後でふり返ったときに、過去を現在の視点で見られることだね。A氏:大晦日だけを君のブログでふり返ると2006年の12月31日のブログは「文春新書編集部編『論争 格差社会』文春新書」の読書感想で、格差が問題になっているね。 2年後の大晦日の東京日比谷の派遣ムラの出現の予兆だね。私:2007年の12月31日のブログは「『アジア・太平洋戦争』シリーズ日本近現代史6巻・吉田裕著」の読書感だね。 この頃は、世界的に好景気だが、歴史に学ぶと必ずしも楽観はできないという流れだね。A氏:2008年の12月31日のブログは「『論争 若者論』文春新書編集部編・文春新書」で2006年と同じで格差問題が中心となっているね。 このときに派遣ムラが生まれて問題になる。 特に派遣労働をしていた加藤被告が、この年6月に秋葉原無差別殺傷事件を起こす。 この衝撃がこの本が出た背景にあるね。私:リーマンショックが起きたのがその年の9月だね。 そして、同じ9月に選挙管理内閣としての麻生政権が発足する。 最初、リーマンショックはアメリカの対岸の火だと言っていたが、あっという間に日本もその津波に巻き込まれる。 麻生氏は解散ができなくなり、09年度に選挙を持ち越すね。 そして大敗。 麻生氏にしては、百年に一度の不況というまことに不運なタイミングだったね。A氏:そして2009年には、アメリカ政治史上、初の黒人系大統領が就任する。 遅れて今年の8月には政権交代が衆議院選挙で決まる。 今年は内外ともに、大きく揺れた年だね。私:今年の漢字は「新」だが、俺も個人的に4月に転居して「新」生活になるという大変化があった。 「新生活」は未だに安定していないよ。 もう1年はかかるね。 民主党の気持ちがよく分かるよ。 ところで、俺は、1980年以来、3年日記を毎日、欠かさずつけている。 今日、ざっと、29年分の12月31日の欄を見たら、共通点があったね。A氏:なんだい? ちょうど、日本が一億総中流から次第に転落していく30年だがね。私:共通点は紅白歌合戦を見ていることだね。 全部見ていないことが多いが、TVはつけっぱなしで、好きな歌手のときだけ見ていた。A氏:紅白歌合戦の視聴率に貢献してきたということかね。 今年の紅白も、過去をまとめるシーンがあるらしいね。私:ところが、1990年の12月31日だけ、紅白を見た記録がない。 熱が急に出て、39度だと書いてある。 気になって、翌日の1991年の1月1日の日記を見ると平熱になったとある。A氏:風邪でないみたいだね。私:古い日記だから、細かいことは書いてなかったね。A氏:まぁ、今年は、お互いに特に寝込むような病気もなく、大晦日を迎えられることは何よりだね。 来年もお互いに健康に過ごせることを祈るよ。私:こちらこそ、よろしく。 まぁ、今年も夜は紅白歌合戦を見ることになるね。 戦後長年続いた日本の平和の象徴かね。 イラクやアフガンではこういう安心はないだろうがね。 では、よいお年を。
2009.12.31
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間違いだらけの教育論私:この本で取り上げている最後の人は渡邊美樹氏だ。 渡邊氏は、経済人だが、教育に関心が強く、私立学校も経営している。 渡邊氏の教育理念は「夢教育」と言われている。 偏差値教育に代わる新しい教育として、「自己の夢を持ち、夢を追い、夢を叶える中で人格が完成されていくものだという理念」だね。 だから、教師はその理念にそった者でなくてはならない。A氏:これはまた「理念」と「現実」との問題になるのではないの? 昨日の「ゆとり教育」のようにーーー。私:最初、渡邊氏は私学を経営して、教師の行動にがっかりする。 言われた通りやるが、その半面、非常に頑固で変化を嫌う。 持続性がなく、実行してもしばらくすると元どおり。A氏:面従腹背かね。 本気にやる気がないのかね。私:渡邊氏が最終的にとった対策は、ダメ教師は辞めてもらい、教師たちとは契約を結ぶという方法だという。 競争と市場の導入だね。 著者は、渡邊氏の教育理念には賛同している。 しかし、現実にこれを実施するとき、教師は渡邊氏の教育理念のロボットになると高く評価されることになる。 そういうロボット教師が果たして、「夢教育」にふさわしいのか著者は問題としている。 教育行政が教員を将棋の駒のように扱おうとしているが、それと似ているね。 教師たちは、渡邊氏に本気で協力しないことによって、教師の倫理と人間の崇高さを守っているのかもしれないと著者は言う。A氏:経営の論理は資本主義的な合理性に貫かれているが、教育の論理には人間の非合理性が組み込まれているというわけだね。私:しかし、俺は経営も従業員という人を扱うから同じと思うね。 竹中平蔵氏がよく言っていたね。 「本当の答えは唯一市場にある」と。 著者は、それを信ずる渡邊氏には、教育の、そして人間の非合理性に打ち克つことはできないであろうとしているね。 しかも、リーマンショックで「本当の答えは市場になかった」ことになった。 結論的に言うと、教育には、「啓蒙」「文化」「真理」の3つの段階からなると著者は言う。 それを「文化」や「真理」としての教育がうまくいっていないと、しばしば「啓蒙」の教育のための教師が混同されて非難される。 しかし、「啓蒙」の教育が、土台をなしていることに気がついていないという。 著者は、この「啓蒙」の教育の重要性を強調してこの本を終わっている。 この本は、著者が8人の人の教育論議をとりあげているが、2人を除いて、後6人を批判して、彼らに明確な「啓蒙」の教育概念がないことを一貫して指摘している。 これが、この本の題名の「間違いだらけ」の意味かね。 ただ、その「啓蒙」の教育とは何かが、もう一つ具体的でなかったのが残念だがね。 「読書きソロバン」をいうのかね。A氏:「ゆとり教育」では子どもが教室だけでなく、自然から学ぶという重要性を織り込んでいたように思うが、これも「啓蒙」の教育の重要な点ではないのかね。 「こどもたちへ」宮崎駿・養老孟司対談にあるように、自然的な生活を通じて、怪我をしたり、挑戦をしたりして学ぶような動物的な「啓蒙」の教育も重要なのではないのかね。私:俺が小学校4年生のときに、学校図書の中から自分で見つけた「シートン動物記」なども、今で言う「ゆとり教育」的なものだったのではないかと思うね。 この動物記では、動物が本能で「啓蒙」の教育を子どもにしているのがよくわかるね。 餌のとり方、巣の作り方、天敵の動きを察知する方法、敵から巧妙に逃げる方法など、親は「啓蒙」の教育を行う。 シートン動物記の「ジョニーベアー」の物語では、イエローストーンに人工社会が侵入することによって、親熊が小熊ジョニーに対して本能的な「啓蒙」の教育を放棄する物語だ。 そういう教育が崩壊していくと小熊ジョニーがどうなるかが分かるね。 今、人間の子どもが都市化、脳化で、ひ弱な小熊ジョニーになっているのかもね。 「啓蒙」の教育は、まだまだ、奥が深いね。 そう感じたよ。
2009.12.30
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間違いだらけの教育論私:寺脇研氏は、「ゆとり教育」を推進した責任を取って文科省を退職をしたという。 しかし、未だに、その「教育理念」は、現代社会に必要だと思っているという。 ここで著者は、「教育理念」を語るとき重要なのは、教育の中心にある「人間とは何か」が分かっているかだという。 ところが「教育理念」を語る人は「人間とは何か」「宇宙は何か」「歴史とは何か」といったいまだに人類史上で解決されていない課題を、あたかも解決しているものとして扱っていると著者はいう。A氏:「人間というものはこういうものだ」とはいまだに分かっていないね。 「人間は教え込まないと駄目な存在だ」という人間観を持つ人と、「人間は能力があるので引き出すことができる」という人間観を持った人とは、「教育理念」が自然と異なるね。 いまだに、性善説、性悪説の議論は尽きない。私:「ゆとり教育」には人間はもともと自ら学ぶものだ、そうでなければ人間でないという強い確信が前提となっているという。 一方、学力中心主義には、人間はまず教え込まないと学ぶ力を持たない、人間は教育によって人間になるのだというある種リアリスティックな認識がある。 著者は、すでに「啓蒙」の教育を重視しているから、後者が前者に先行すべきだとしているが、前者の教育を捨てたわけではない。A氏:それほど、人間の存在は割り切れるものではないということかね。私:寺脇氏は、「ゆとり教育」が敗北してもその理念は変わらないという。 著者は、この寺脇氏の主張を、理想と現実の対比の問題としてとらえているね。 まず、文科省が「ゆとり教育」とその理念を、上から下ろしたことだね。 著者は、これを社会主義国家のやり方と比較している。 ソ連を含め、かっての後進的な社会主義国家は、独裁で、「これが正しい」という理念を民衆に押し付ける。A氏:「理念が正しい」ならば、「現実も正しい」という前提だね。 しかし、理念は人が考えたものであり、現実はもっと複雑だから、思うようにはゆかないのが当たり前だね。私:著者は、「ゆとり教育」の教員たちへの押しつけは、まったく後進的な社会主義革命と同じような構造だったという。 「ゆとり教育」の敗退の大きな原因のひとつは全国の教師たちを味方に組み込むことに失敗したことだという。 理念は現実とマッチしないと達成されない。 理念は、いつも現実からしっぺ返しを食う。 それを読み込んだ理念でないと駄目かね。 明日は、教育に市場主義導入を叫ぶ渡邊美樹氏の話題に移ろう。
2009.12.29
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間違いだらけの教育論 私:「ヤンキー先生」の義家弘介氏については、著者は、まず、義家氏に一貫した教育に対するコンセプトがないことを指摘している。 学級崩壊が問題になった2005年には、ある雑誌で、教師がたるんでいると評していた。 ところが、2年後の対談では、子ども批判を打ち出したという。 コンセプトに一貫性がない。A氏:しかし、「ヤンキー先生」として教育熱心な教師で有名だったのではないの。私:自分で熱心な教師と言うだけで、自分を外から見る、自己を客観視する視点がないと著者は厳しいね。 義家氏は、不幸な少年時代に、担任の先生に2度救われる。 しかし、そういう経験は、ほかの問題を抱える生徒たちにとっても通ずるとは言えない。 義家氏のケースは生徒たちにとっては一つの例に過ぎない。 A氏:個を超えた教育者にならないといけないというわけか。 自分の生身を生徒の前にさらせば、教育が発揮できると思っていたのかね。私:自分が人としてすぐれていると錯覚している教師にはこういう人が多いという。 義家氏の著書「ヤンボコ」の最後に「お前らは俺の夢だ!」という呼びかけがあるという。 これは義家氏の生徒が義家氏の思い通りのロボットになってしまうと著者は指摘する。 生徒に主体性を認めないことになる。A氏:自分の体験の思い込みが強いのかね。 生徒の人としての多様性が見えなくなるのかね。私:著者は、義家氏の自己のイメージとしての理想的な教師の姿と、彼の客観的な姿とは大きく離れていると厳しく批判しているね。 明日は、「ゆとり教育」の文部省のスポークスマンと呼ばれた寺脇研氏の話題となる。
2009.12.28
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間違いだらけの教育論 私:内田樹氏には「先生はえらい」という本があるそうだ。 この本で、内田氏は、教えを受けるほうが「先生はえらい」と思わないと、学ぶことは成立しないという。 また、車の運転について、教習所では「定量的な技術」を学び、F1ドライバーからは「技術は定量的でないこと」を学ぶという内田氏の本から引用している。 教習所の先生は「君は他の人と同程度に達した」ということで評価するが、プロのドライバーは「君は他の人とどう違うか」ということで評価する。 そこで、著者は、内田氏は、師と先生をごっちゃにしているという。A氏:ここでも「啓蒙」の教育が問題になっているようだね。私:内田氏の先生論議には、「啓蒙」の教育の教師でなく、その上に立つ人生の師としての先生論に入ってしまったという批判だね。 内田氏は、「私たちが学ぶのは、自分がこの世界でただひとりのかけがえのない存在であるという事実を確認するためです」と書いているという。 これは「真理」を学ぶことだ。 しかし、不登校やひきこもりの子ども(若者)たちは、「ただひとりのかけがえのない存在」だから、自分の感覚を絶対視して、社会に合わせようとしない。A氏:ひこもりやニートをなくす「啓蒙」の教育を経ないで、内田氏の考える「真理」としての教育も成り立たないというわけだね。私:著者は「啓蒙」の教育は「贈与」だから、すべての公教育の教師には社会は権威を付与すべきだという立場だね。 先生はえらいという権威だね。 そして、「啓蒙」としての教育なしで、いきなり「真理」としての教育や、「文化」としての教育を突きつけてもダメであるとしているね。 明日は、「ヤンキー先生」の義家弘介氏に話題を移そう。
2009.12.27
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間違いだらけの教育論私:著者は「啓蒙」教育は、本質的に暴力的であるとしているね。 ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン先生の暴力的な関係は極端な例だが、本質は「啓蒙」教育の一般的な性格を示している。 サリヴァン先生は、ヘレンの「いま」を暴力的に否定して、其の向こうに「あるべきヘレンの姿」を構想する。 同様に、学校で教師は子ども(生徒)と対面しながら、生徒の向こう側に自らがイメージする「望ましい生徒像」を構築する。 親も同じで、「あるべき子ども」を構想して、子どもに対応するが、意のままにならないと児童虐待になる。A氏:「押し付け」下手の結果だね。 しかし、生徒にもそれぞれ「自己」があるね。 教師も人だから、生徒の個々の「自己」を完全に把握して対応するわけではないね。 その不安がある。私:著者は、個々の生徒の人間(自己)としての総体を理解し把握できるのは「神」しかいない。 その不安があるまま、教師は教育に突入する。A氏:今朝の新聞は、病気休職教員が08年度は過去最多の8578人だと報じている。 63%がうつ病や適応障害という精神疾患だという。私:著者は、教師は自分が考えて「社会的に望ましいと思える生徒像」から逆算して生徒を見るから、教師のありようは「今風なやさしさの対極」にあるという。A氏:その「社会的に望ましいと思える生徒像」がまた文科省や日教組などが不安定なので、やさしい教師は「うつ」になるのだろうかね。私:生徒の個々を把握するなど、不可能に近いね。 俺の孫は、いろいろな空き箱から何かを作ることが好きだったから、幼稚園の頃から美術の塾に通わせた。 今年、小学一年で、クリスマスプレゼントに複雑なレゴの組み立てセットを父親からもらった。 昨日、終業式から跳んで帰るなり、いきなり、その組立に1時間ほど集中し、一人で組み立てたね。 親も驚いていた。 これなど、教師の知らない孫の「自己」だね。 孫は、授業はあまり好きでないが、休憩時間での遊びは好きだと言っている。 著者の蔭山英男氏批判は、その観点からで、蔭山氏は教育とは「学力を伸ばす」ことであるとしているという。 その学力は、教師が期待した答えを出す力としている。 例えば、算数の計算がいい例で、迅速に正解を出す力だね。 しかし、子どもは「何故、そういう結果になるのか」という「自己」として納得して理解をしているわけではない。 先生の期待に「迎合」しているだけだ。 子どもの「自己」はそれを見透かしている。 蔭山氏はそういう個々の子どもの「自己」的側面については無関心だ。 だから、蔭山氏の教育実習にやってきた卒業生は「先生のやり方はおかしい。 勉強、勉強とばかり言い過ぎて、もう少し勉強できない子に対してはゆとりをあげるべきじゃないかと思う」という批判が出る。 著者は、蔭山氏の教育物語には、自我に悩んだり、身体性が自我の統制に反抗したりするような近代的な人物が登場してこないとしているね。A氏:いつかTVの「徹子の部屋」で勝間和代氏が、「発展途上国で、教育を徹底的にやるとすばらしく学力が向上して経済発展に貢献する」と言っていたが、それとよく似ているね。私:著者は、いい教師にはミステリーのセンスが必要だと言う。 要するに、一番怪しい人物が犯人だと思ってしまう自分を、とにかく、疑ってみる感覚だという。A氏:俺たち、教科書に墨を塗った世代の感覚だね。私:著者は、学力向上に突き進む教師は近代そのものを盲信しているという。 ミステリーセンスがない。 学力向上運動は、経済的なものが我々を支配し始めた結果であるという。A氏:だから、経済の勝間和代氏が学力向上に登場するわけか。私:明日は、内田樹氏の「先生はえらい」という本に対する著者のコメントに移ろう。
2009.12.26
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間違いだらけの教育論私:著者は、教育社会学者の苅谷剛彦氏と哲学者の西研氏の共著「考えあう技術」を引用しているが、ここでは、批判でなく、むしろ「学んでいる」としているね。 自説の「啓蒙」の教育と「文化」の教育とを区別している点をさらに、両氏の意見で補強しているという感じだね。 苅谷氏は「個人」と「自己」を区別すべきだとしているね。 著者は「ひと」が「ひと」になるというが、前者が苅谷氏のいう「自己」で、後者が「個人」だね。A氏:言い換えると、「個人」は「公的個人」、「自己」は「私的個人」だね。私:学校では、生徒や子どもに「知」を教える前に、「子ども以前の子どもを『子ども』にすることや、「子どもを学ぶ主体としての『生徒』にする」ことが必要だね。 俺の孫を見ていると、親を離れて幼稚園に行く初日が峠だったね。 すんなりいったがね。A氏:俺の近所の女の子は、初日、お爺さんに連れられて幼稚園に行ったそうだが、どうしてもいやで泣く泣く、お爺さんと一緒に帰ってきたというね。 年少組の初日は、多くの園児が家に帰りたいと泣く、という。私:これを泣かないで幼稚園という社会生活を送るまでの教育が、「子ども以前の子どもから『子ども』にする」ことだね。 これは「公的個人」を作る第1歩だね。 幼児の「自己」が「個人」になる大きな変化だね。 苅谷氏は、「公的個人」の教育は押し付けが本質だ、という。 「教育は押し付けは馴染まない」というのはナンセンスで、「教える側がいかにうまく押し付けるか」という問題だという。 ベテラン保母さんはうまく、「押し付けている」ね。A氏:苅谷氏はオックスフォード大学の教授だというが、イギリス人などの子どもに対する躾は、厳しくて、子どもはまだ、人間でなく、動物だからトレーニングが必要という発想なようだね。 その影響かね。私:苅谷氏と同様に、西氏も「個性の実現」には、まず、「啓蒙」の教育によって、子どもに「現代社会の成員としてふさわしい能力をつけること」が必要としているね。 苅谷氏は、戦後教育が、「私的自己」と「公的自己」を分けて論議してこなかったために、結果的に有用な自立的な市民を形成することに失敗しつつあるという。A氏:簡単に言えば、自由が責任を伴うことを理解しない市民が増えたということかね。 ニートやひきこもりにつながったということか。私:西氏は、ヘーゲルの言葉を引用して「自由になるためには不自由が必要だ」と言っているね。 明日は、「百ます計算」で有名な蔭山英雄氏の話に移ろう。
2009.12.25
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間違いだらけの教育論私:何かの書評で知って興味を持ち、図書館から順序待ちで、今日、借りた。 この本の出だしに、映画「奇跡の人」で有名なヘレン・ケラーとサリヴァン先生の壮烈な「戦い」の説明が登場する。 要するに、著者は、教育の最初に、「人」として身につけるべき半ば強制的な「啓蒙」教育があるとしている。 ヘレン・ケラーだけでなく、誰でも子どもは野性を持った人として生まれる。 これを放置せず、家庭、地域社会、学校はいろいろ生きる上の行動を教える。 一人の近代的な生活ができる社会人としての基礎をね。 それは、ある意味、サリヴァン先生のような立場だね。A氏:例えば、子どもは甘いお菓子がほしい。 ほしいと言っているから、どんどん与えると子どもの体にも良くない。 子どもがそれを正確に知性をもって理解することは困難だね。 食事も姿勢を正しくして、日本人なら箸を使って食べる。 子どもは最初、嫌がるかもしれない。 しかし、強制が必要で、何故、箸を使わないといけないかの説明で理解できるものではない。私:俺の孫も、しょっちゅう、叱られているよ。 この強制を伴う教育を著者は「啓蒙」教育として明確に一般の教育と区別している。A氏:「啓蒙」教育は、サリヴァン先生ではないが一番難しいね。私:それが戦前では、家庭、地域社会、学校が1つの価値観を共有していた。 それが1960年ごろから分離してくる。A氏:いじめ、不登校、学力低下、モンスター・ペアレント、不適格教師、あるいは児童虐待などの問題が顕在化してくるね。私:この本は、著者のそういう観点から、7人の教育者を批判して論じている。 トップに槍玉にあがったのは、斉藤孝氏だね。 斉藤氏の教育論は、この「啓蒙」教育をほとんど意識してとりあげていないとしているね。 斉藤氏の教育論は、すでに「啓蒙」が終わり、一応の「人」となった人との教育論だとしている。 だから、「教育は商品」で、教育を受ける人は買い手となるという論法だね。A氏:市場原理主義では、買い手は正しい判断力をもっていて、正しい選択ができる1個の独立した人格という前提があるね。私:しかし、「啓蒙」教育は、子どもは本来選択できないものだ。 だから、「啓蒙」教育は、売買できるものでなく、「贈与」だと著者は言う。 2番目に著者が槍玉にあげたのは、苅谷剛彦氏だ。 これは明日の話題としよう。
2009.12.24
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A氏:国の選挙で、マニフェストは国民との契約だという理屈は、だんだん、おかしくなってきたね。 君もブログで「政策マニフェスト選挙の意味を疑う 」、「民主308議席の衝撃」、マニフェスト原理主義とは、 「英国『政権交代』失敗の教訓」、「民主党よ、豹変せよ!」、再度・マニフェスト選挙への疑問、「試練のマニフェスト・必ず達成?柔軟に?民主迷走」とマニフェスト知的街道を作ってきたね。私:この知的街道で一貫しているのは、マニフェストをよく読んで、政策の各項目に賛成したから民主党が大勝したという民主党の選挙大勝の原因分析が第一に甘いということだ。 それは「神話」だね。 「マニフェスト原理主義」は、理念だから、リアリズムに弱い。 世界的な不況で、麻生政権より、税収も3兆円から4兆円くらい減る。 無駄を削るのは結構だが、最終的な節減額は、時間をかけて全事業を「仕分け」てみた結果待ちだね。 無駄を削減すると3兆円くらい捻出できそうだというのも、俗に世間の知恵でいうところの「捕らぬ狸の皮算用」だね。A氏:4年間で実施すればいいのではないの?私:それがまた、問題なんだね。 というのは、それは暗黙のうちに、4年間、現状が維持されるか、ともすれば経済がよい状態になるという期待感がある。 逆に4年間で国際情勢はより悪化したり、日本経済はさらに悪化するかもしれない。 あるいは日本が孤立するかもしれない。 すでに、日米関係は変化しそうだね。 今のように変化の激しい時代は、基本的にマニフェスト原理主義は向かないね。A氏:今朝、テレビで、東国原宮崎県知事がTVで「マニフェストが守られなくても国民は柔軟ですね」と皮肉っていたね。私:柔軟で結構なんだが、民主党自身はあまり「マニフェストは国民との契約」だとしつこく言ってきたものだから、自縄自縛に陥っているね。 世間の荒波を切り抜けてきた大人の感覚ではないね。 マニフェスト選挙の弱点が見事に出ているね。 公約無視の伝統を持つ自民党まで「マニフェスト違反」だと馬鹿声をあげている。 予想した通りの常識的な結果になってきたね。
2009.12.23
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牛を屠る 私:この本は、何かの書評で知り、屠畜の知的街道に連なる本として図書館で借りて読んだよ。 前に読んだ本は、内澤旬子著「世界屠畜紀行」解放出版社だね。 この本の著者の佐川光晴氏は、1989年、北海道大学法学部を卒業する。A氏:バブル経済の最盛期だから、大学生は売り手市場の頃だね。私:東京の小出版社に就職するが社長と編集長とケンカして1年で失職。 土木工事の日雇いみたいなことをしてから、大宮にある屠畜場に入社する。A氏:一般的に知られていない職場だから潜入ルポを書くためかね?私:まったく、そういう意図はなく、偶然、職安の紹介で入社したという。 この仕事は、よく知らない人は、工場の匂いだけで、逃げ出すという。 ましてや、初日、牛や豚の血が飛ぶ職場に入ったら、長続きはしない。 著者も、最初は、学歴からして、デスクワークをするように会社は考えていたようだが、それを断り、最初から現場作業をする。 初日、作業服に着替え、現場に下りていくと、作業長から「ここはおめえみたいな奴の来る所じゃねえっ!」と怒鳴られる。 仕事はナイフ中心だから怪我も多い。 著者は、不思議に長続きして、10年余をこの現場一筋に働く。A氏:しかし、せっかく北大を出て、屠場の作業者とは、家族などの反対はなかったのかね。私:著者は、別に被差別部落民ではない。 父親は学研に勤めるが、組合結成で、会社に嫌がらせを受けた経歴があったという。 その父親も母親も別に反対しなかったという。 すでに結婚していたが、奥さんの反対もないし、奥さんの両親は教員なのに、反対もなかったという。A氏:珍しいね。 俺は昔、ある大手のハム会社の総務課長に会って世間話をしていたら、「私は自分の仕事にコンプレックスがあるんです」と言っていたがね。私:著者は2000年に、この屠畜場での10年ほどの体験をもとに書いた小説「生活の設計」で新潮新人賞を得る。 そして、屠場との仕事もしながら小説を書くつもりが、その後、小説の仕事が多忙になり、会社をやめ、職業小説家となる。A氏:小説家には変わった人生の人が多いが、この人の人生も変わっているね。私:この本は、屠畜作業を著者が求道士のように学んでいく過程が中心だね。 著者は、「屠畜」とあえて言わないで、作業をした実感から「屠殺」という。 著者が働いていた大宮の屠場は機械化が遅れていたようで、最初の皮剥ぎ作業は台の上でやっていたようだね。 大変な力仕事、手作業だが、機械化し、単純化した作業でなかったことが救いになったかもしれないね。 著者は、10年間で体重が増加したそうだが、メタボでなく、筋肉の増加だね。A氏:まぁ、我々の肉を食べるという行為に、屠殺という裏があることを知らないとね。私:それにしても、この著者は、10年も屠殺作業を追求する。 相手は自然物の動物。 肉を切るほうも自然が生んだ身体。 道具のナイフも職人が作る精巧なものだ。 自然物同士のぶつかりあいだね。 野球のイチローが、身体の限りを動かし、職人が作ったバットで、相手投手の多様なボールに長年対応してきた姿と似ているね。 著者には、そういうヒタムキさがあるね。 だから、作家となっても毎年のように芥川賞候補になっているんだろうね。 父親は組合活動で左遷されながらも裁判で戦い、働き盛りを犠牲にしても、勝訴したという。 その「親父の背中」をなんとなく見ていたからなのかね。 人生いろいろ、一生は1回、嘆いてばかりいても時間はたつばかりだ。 戦えば道が開けることもある。 そういうものだろうね。 この本は、牛の屠殺作業がメインだが、俺には著者の生き方が新鮮に映ったね。
2009.12.22
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私:一昨日、日経ビジネスの「スパコン世界一は無意味」の記事を紹介したが、もう一度、この1頁大のコラムを見て、見逃したことがあった。A氏:なんだい?私:頁の中央に、建設中の次世代スパコン施設の写真があったことだ。 立派な、大きな建物で屋上はほぼできあがっていた。 建設費だけで相当カネがかかるだろうね。 スパコンにまで「箱物」がついてまわるとはね。 箱物にしつこいのには唖然としたよ。 やはり、現場を見ないと実態が分からないというのはこのことかと思ったね。 写真の説明に「この箱物をどうするのかも課題だ」とあった。A氏:そこまでできていると、工事途中で止めるわけにもいかないしね。 八ッ場ダムと似ているね。私:「世界一のスパコン」というのは、ハードも世界一巨大なのかね。 どうも、パソコンのハードの極小化の歴史と合わない気がしたね。 このコラムの隣の頁に読者からの「往復書簡」という欄があって、ある中小企業の会社経営者からの投書が掲載されていた。 それによるとその会社はソフトウエアを開発している中小企業だが、大学教授がベンチャー企業を作り、国や県から補助金を得て、民間企業と競合するソフトを開発しているケースがあるという。 相手は、国の補助金に加え大学院生や職員を使って開発するため、民間企業では対抗できない低価格で売り出す。 あるときは、その会社の製品を買うような意図を示してデモをさせておき、同じような製品を大学側で開発したこともあるという。A氏:科学技術振興補助金にむらがる金儲けに敏い大学教授や研究者がいるんだね。私:「国が税金を投入して中小企業を潰しにかかるとさえ言える」と憤慨している投書だね。 科学技術新興における税金の使い方は今まで大義名分に隠れた「聖域」だったのかもしれないね。
2009.12.21
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スポーツクラブのヨガではインストラクターがいろいろなBGMをその都度、変えて流す。 今月、気に入った曲が「ブッダBudda仏陀」だ。 これは、このブログの「パソコン作業・音楽ブッダ・12面体スピーカー・ミニコンポの一体化」で書いた。 ところが先週、ヨガに行ったとき、インストラクターがまた、新しいいい曲を流しているので、ヨガが終わった後、曲名を聞いた。 どうもヨガのBGMの曲に関心を持って毎回聞きにいくのは俺だけのようだ。 ヨガ・インストラクターによると曲名は「ナダ ヒマラヤ」だという。 これはそのインストラクターの同僚のCDをMDに録音したものなので、ダビングはすぐ頼めない。 このCDも「ブッダ」同様、同僚がインドで買ったものだという。 そこで、帰宅してから、まず、インターネットでアマゾンにあるかさがした。 最初「ミュージック」の分類で「ナダ ヒマラヤ」と入力したら、「該当なし」となり、「和書」のほうで「ナーダ ヒマヤラ」と出た。 どうも正式には「ナダ」でなく、「ナーダ」と延ばすようだ。 そこでグーグルで「ナーダ ヒマラヤ」として検索すると、通信販売をしているヒーリングショップに在庫があることが分かった。 これは、2つあって、「ナーダ ヒマヤラ」と「チベット/ナーダ ヒマラヤ2」であった。 ヨガのインストラクターのものは、どちらか分からないので、2つ注文した。 2日後に宅配便で届いた。 「ナーダ ヒマラヤ」は1997年リリースのものだし、「チベット/ナーダ ヒマラヤ2」は、2005年のリリースのものだ。 作曲者は、両曲ともディユータ・Deuterという人で、瞑想曲では有名なようだ。 アメリカからの輸入盤らしく、カバーもすべて英語だ。 「ナーダ」というのは、「音」を意味し、深い意味があるらしく、瞑想曲を聴き、しずかに心の中の音を聴くという「ナーダ ヨガ」と関係するようだ。 昨日の土曜の午後、ちょっと、疲れ気味だったので、寝椅子に横になって12面体のスピーカーで聴いていたら、自然に寝入ってしまった。 このブログも、この曲をBGMとして流しながら書いている次第。
2009.12.20
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私:今週の日経ビジネスで「まつもと ゆきひろ」氏が、科学技術振興問題で寄稿しているね。 氏は、名前をひらがなで書いているね。 漢字は使わないようだね。 プログラミング用語の「Ruby(ルビー)」を開発したので有名な人だという。 氏は、NECと日立が今年5月にスパコンから撤退したことで、根本的な見直しが必要になる仕分け側の指摘は的を射ているという。 最初は、富士通、NEC、日立の3社が中心だったからね。A氏:この問題は、君のブログでは一つの知的街道として「「仕分け」で、「逆仕分け」された人々」、「科学技術予算の中抜きとユニクロ」、「事業仕分け・(上)見えたものは」と続いてきたね。私:スパコン推進派は論理的な答えを出せなかったので、予算削減と判定されたのはある意味当然だと氏は指摘する。 そこで推進派の「世界一」という感情論が大きく台頭する。 感情に論理で対抗できないというわけだね。 しかし、氏は、冷静に考えるとスパコンのランキング世界一になることは意味がないという。 そもそもランキングの評価に問題があるという。A氏:株や債券のムーディのランクみたいだね。私:世界一という感情論は国威発揚に役立つかもしれないが、科学技術の発展という本来の目的からは離れてしまうと氏は指摘しているね。A氏:そういえば、昨日18日の朝日新聞の「経済政策を問う」という欄で、君がブログでとりあげた松井孝典所長のインタビューが載っていたね。 氏は、民間仕分け人の1人だね。 氏は、「仕分け」は科学技術の重要性を議論する場ではないと言っているね。 科学技術の重要性という総論は誰も賛成だね。 しかし、「仕分け」の場は、既存の個別事業の無駄を精査する場だね。 「科学技術振興」を錦の御旗として、「聖域として見直し議論の対象とするな」というのはおかしいとしているね。私:氏は、科学技術予算にも官庁の縦割りや公共工事と同じ無駄な構造があると指摘しているね。 スパコンの凍結も、NECと日立の撤退で開発の大きな前提が変わった以上、見直しは自然の流れだという。A氏:今までは国は予算を一旦決めると、周囲の状況が変わっても、まったく考慮しないで無駄にカネ(税金)を使い続けるという不思議なことが多かったね。 民間企業では考えられない非科学的思考だね。私:松井氏も、それぞれの事業の必要性を明確に説明できない文科省がノーベル賞の権威を隠れみのにして予算を確保しようとしていると指摘している。 そして、感情的に動いていると指摘しているね。A氏:官僚は巧妙な手を使うからね。 うぶな科学者は利用されやすい。 専門の科学では冷静な学者が、カネのことになると、冷静を失うらしいね。私:無駄がわかってもこれを改善するとなると抵抗勢力が力をつける。 それは民間企業も同じで、それを排除できた企業が生き延びる。 政府の動きが今後どうなるか、楽観はできないね。
2009.12.19
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ハーバードビジネススクール私:「グリードgreed・貪欲な人たち」の養成機関としてのHBSが昨年来の金融危機で問題になっている。 著者はこの本の最後のほうで、HBSの卒業生でもっとも有名な一人であるベトナム戦争当時のロバート・マクナマラ国防長官の例を出している。 マクナラマが、ベトナム戦争の戦死者の計測に、HBSの戦略、計画、評価のメソッドを応用したとき、著者は背筋の凍るものを覚えたという。 マクナマラについて聞かれたある南ベトナム士官は 「統計表ね。 おたくの国防長官は統計が好きだから、我々ベトナム人はいくらでも彼の望む戦死者の数を提供してやる」と答えたという。A氏:彼はデータや数字しか信じなかったというね。私:同様に、著者は我々の社会は、自己陶酔的な表計算屋、パワーポイントのプレゼン屋によって、ほんの一握りの人間の階層に、過大な力を与えたのではないかという。 今後、新入生がHBSに入学時に最初に学ぶべきケースはマクナマラを扱ったものであるべきと著者は言う。A氏:ところで、俺もアメリカのビジネススクールに興味を持っていて、11月23日の朝日新聞のGlobe版にあった「今だから米ビジネススクールが面白い。新たな存在意義を模索して」という記事をとっておいてあったよ。 これは08年秋から、ウォートンビジネススクールに入学し、学生の自治会長をしている塩崎彰久氏の記事だね。私:俺も読んだよ。 昨年の金融危機で 「グリードgreed・貪欲な人たちを生み出したのは経済合理性に偏った非人間的なビジネススクール教育ではないか」 「ウオール街のCEOを山のように輩出してきたビジネススクールこそが諸悪の根源だ」 とウォートンビジネススクールもHBS同様に批判を浴びた。 そこで塩崎氏は、学生会長として手を上げ、社会奉仕などに力を注ぐように方向転換してきたという。A氏:ウォートンビジネススクールのイメージが変わったと評価されたようだね。 これを彼は「『グリード』から『グレートgreat』への転換」と言っているね。 今年4月にはHBSやスタンフォードなどのアメリカの7大ビジネススクールの学生会長が集まったという。 ビジネススクールも変わるのだろうかね。私:ところで、話は変わるが、日本のアメリカへの留学生が減少しているようだね。 特にビジネススクールは少ないらしい。 ビジネススクールには世界中から将来、国のリーダーになりそうな人物が来るので、人脈が貴重だね。 それが日本は遅れをとることになるかもね。A氏:何かの新聞で、今の若い日本人は草食系になっているので、アメリカのビジネススクールのような自己主張中心の肉食系の授業を嫌うのではないかという。私:しかし、今度の金融危機は弱肉強食放置が原因だと言っても、はやりビジネススクール教育の自己主張の中心の肉食系体質はかわらないのではないかね。 それから、2、30年前に読んだ、HBSについての本に、数式が好きなHBSは良い企業の一般的なモデル式を作ろうと研究したとあった。 しかし、結論は「常識的なことをきちんとやれ」となったということが書いてあって、未だに記憶に残っているね。 結局、ウオール街も「人として常識的なこと」をしなかったんだろうね。 ビジネススクールは、結局、「常識を忘れた」偏った不幸な人間を大量生産したんだね。
2009.12.18
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ハーバードビジネススクール私:著者は、2004年から2006年にかけての2年間、ハーバードビジネススクール(HBS)に行き、2006年6月にMBAを取得する。 そのHBSでの体験記が詳細に書かれている。 全部で470頁の大著だが、具体的な体験記だけに読みやすい。 しかも、この原書が出版されたのは2008年7月だというから、ある意味でグッドタイミングだと言える。A氏:リーマンショックが2008年9月で、それまでMBAを取得して金融界(ウオール街)で活躍していたヒーローたちが一挙に崩壊したからね。私:オバマ大統領は「グリードgreed・貪欲」な人たちと言っていたね。 著者は、別にHBSの内部を書くために入学したのでなく、あくまで起業したい目的で入ったのだが、次第にある違和感を持つようになる。 その違和感が、「グリードgreed・貪欲」を追求するHBSの教育に対するものだね。 それが体験記を出してから、見事に的中したということになるね。 この本は、リーマンショック以前のHBSの実態だから、MBAを取得して高給でウオール街に就職した同窓生は多い。 その人たちは、今、憂鬱な気分になっているという。 筆者はその道を選ばなかったので、救われているね。A氏:原書が出版されて、1ヵ月後に、ビジネススクールの権威はあっという間に崩壊したとはドラスチックだね。私:俺はHBSの教育方法を30年ほど前に本で知ったね。 中心になるのは、ケースメソッドだというのを知った。 ケーススタディと違う。 ケーススタディは、過去の企業の成功例、失敗例の分析だが、ケースメソッドは、現在、進行中の企業に対する分析と、自分の提案作成だ。 当時は、OHP(オーバーヘッドプロジェクター)による自己の分析結果の発表だろうが、現在はパソコンによる分析(エクセルが活躍)とパワーポイントによる発表だね。 そして、数人のグループを作り、共同で討議してまとめていく。 HBSで重要なのは、同級生とのコネ作りもあるね。A氏:ビジネススクールの学生は、実際のビジネスの世界で、かなり高い地位の人が入っているらしいね。私:それなりの経験があり、地位もある人が、さらに理論武装をして、MBAの箔をつけるために入学する。 ところで、MBAで問題になった「グリードgreed・貪欲」な人たちの問題は、今回のリーマンショックだけではなく、例のエンロン事件ですでに現れていた。 エンロンの経営者は、その最盛期には、HBSでは成功者として扱われた。 しかし、その不正で、HBSにはビジネスマンの倫理に関するカリキュラムが設置されたという。A氏:しかし、その効果はなかったようだね。私:2008年10月、HBSは開校百周年を記念して、卒業生数百名をボストンに招いて国際サミットを開催した。 リーマンショック直後だから、会議場の外は金融界の混沌が渦巻いていた。 学長のジェイ・ライトのスピーチでは、危機を予見することができなかった自分や他の一流教授陣の犯人探しは意味がなく、今後、解決方法を探すべきだと言っていたという。 著者は、「だれのせいかなんてことは考えなくていいよ、とにかくみんなでこの場を立ち去ろうぜ」と言うことと同じと皮肉っているね。A氏:日本が太平洋戦争に負けたとき「1億総懺悔」という言葉があったが、それは同時に敗戦の責任追及回避につながったのと似ているね。私:意外だったのは、「グリードgreed・貪欲」な人たちの驚異的な長時間労働だね。 だから、成功した人は離婚者が多いようだね。A氏:家庭をとるか、カネをとるかということかね。私:明日は、HBSや他のビジネススクールのこともふれていこう。
2009.12.17
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許されざる者(下) 私:上巻を読んだのが、2ヶ月前の10月4日だね。 図書館での順番待ちで、下巻がようやく読めた。A氏:たしか、日露戦争開始で上巻が終わるんだね。 そして、脚気の治療のため主人公の医師が満州に出発するところまでだね。私:この本は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」のように、軍人をあまり描いていないね。 戦争は大体の概要に止めている。 そして、日露戦争に勝ってから、ロシアから賠償金を取らなかったということで民衆が日比谷公会堂に集まり、交番を焼き打ちするという事件が起きるね。 この小説の終わりのほうは、そのあたりまでの日本を背景にしているね。 しかし、登場人物は、紀伊半島の森宮というまちをモデルとしてね。A氏:脚気の原因の問題で、森鴎外との対立はなかったのかね。私:この小説の主人公の医師は、巧妙に「正露丸」とごまかして、栄養剤を丸薬にして、脚気の兵隊に飲まして、効果をあげていた。 だから、正面からの対立はなかったね。A氏:「正露丸」と言えば、これは当時は「征露丸」で「露」であるロシアを征するという意味があるんだろうね。私:下巻も400頁を超える大作だが、特に感銘を受けることはなかったね。 この時代の雰囲気は感じたがね。
2009.12.16
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私:先月号(12月号)の「文藝春秋」で特別企画として、司馬遼太郎氏の「日本人の20世紀」という論文が再録されていたね。 この論文は、司馬氏が「坂の上の雲」を書いた動機にもふれているね。A氏:NHKのドラマでも「坂の上の雲」が始まっているが、特別企画はそのせいかね。 それとも政権交代に刺激されたのかね。私:この論文で、旅順の要塞の攻撃失敗の原因が書いてあるね。 乃木将軍指揮下の第3軍の伊地知参謀総長が陸軍のメンツによって海軍から申し出のあった軍艦砲の支援は不要であるといったことだという。 要塞攻撃は大砲でやらなくてはしようがないのに、野砲程度で後は肉弾攻撃あるのみというとても考えられない愚策をしたというわけだね。A氏:「坂の上の雲」によると、結局、もたもたしているので、東京湾防衛のための海岸砲(28サンチ砲)を児玉源太郎がむりやり203高地まで引きずっていって、要塞を砲撃し、これで旅順はおちる。私:ここで司馬氏は、陸軍のメンツと書いているが、加藤陽子氏の「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」によると、逆のことが書いてあったね。 加藤氏によると、日露戦争をロシア側で戦った若き将校のスヴェーチンが後に日本軍ことを書いているという。 それによると日露戦争は、日本側の陸海軍の共同作戦の成功としているという。 要するに、陸軍と海軍は仲がよかったという。A氏:逆だね。私:海軍の作戦参謀の秋山真之が乃木大将に毎日のように、203高地の重要性を手紙に出していた。A氏:しかし、203高地の戦いは、いろいろな側面があるね。私:日露戦争の頃の幹部の明治人というのは、戦いの経験があるね。 だから、日露戦争に反対していた伊藤博文は、開戦と決まったとき、悲痛な表情で「むかし(幕末)にもどって自分も銃をとって戦う」とロシア兵の上陸を予想していたという。 ところが、昭和の知識人は太平洋戦争勃発のとき、雪崩をうって戦争を賛美する。 これは大正期の教育で軍事知識なしで育ったせいだという。 軍事音痴だね。A氏:戦争というリアリズムの理解力がないんだね。私:明治・大正のインテリが軍事を別世界のことだと思い込んできたのが、昭和になって軍部の独走という非リアリズムを許したと司馬氏はいう。 司馬氏は、戦後は逆に、軍事に触れるだけでも具合が悪いという細菌恐怖症のような気分がずっと続いていて、現実をきちっと認識しない平和論はかえって恐ろしいと言っている。 この論文は1994年のものだが、15年ほどたって、いまだにアメリカの軍地基地でもめている今の日本を司馬氏はどう思うかね。
2009.12.15
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A氏:スズキ自動車がドイツのフォルクスワーゲン(VW)と正式提携したというニュースが、12月10日の新聞で報じられていたね。 スズキはかって、GMと提携していたが、GMの危機で、これが解消されたのでどうなるかと思っていたがね。私:ところが、俺のところに、同じ10日に来た「日経ビジネス」では「三菱自・プジョーの次はスズキ?」とあり、その中に「VWと日産がスズキに秋波」とあるね。 「日経ビジネス」の記者は、その記事が発行されたその日に、現実が変わるとは想定外だっただろうね。A氏:週刊誌の弱点だね。 今の業界は、1日が目の回るように変わっているんだね。私:もっとも、この「日経ビジネス」の記事では、VWがスズキと提携する可能性が高いとしているね。 自動車は、今後新興国の需要増大に頼らざるを得ない。 その新興国の先端に中国とともにインドがある。 インドの自動車のシエアはスズキが50%だという。 これをVWは狙ったんだろうね。 VWはトヨタを抜いて世界一になろうという野望がある。 この「日経ビジネス」の記事の時点では、鈴木会長は「火のないところに煙が立った」とおとぼけだったが、当時、両者の経営陣が接触したというのが業界の「定説」となっていたという。A氏:定説通りになったというわけか。私:一方のGMだがこの「日経ビジネス」によると、前途多難だね。A氏:今年、7月にリック・ワゴナーを政府は退任させたね。 この人はトヨタ生産方式を理解していた人で、惜しかったね。 政府はピンチヒッターとして後任のCEOにGMの経理・財務畑を歩いてきたフレデリック・ヘンダーソンを選んだ。 しかし、12月1日に急に退任となったね。私:取締役13人のうち、10人は政府が送り込んだ。 そして、GM生え抜きはヘンダーソン一人となり、孤立したようだ。 トヨタ幹部は「ヘンダーソンは唯一、クルマの話しができる取締役だった」と言っているという。 そのヘンダーソンが退場。 残り12人の取締役はクルマの「超素人(どしろうと)」。 この異例の体制で、GMの復活はあるんだろうか。
2009.12.14
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「耳で考えるー脳は名曲を欲する」で、養老孟司氏は、家で捕ってきた虫の研究をしたり、何か考えたりしる作業をするときに、気楽な音楽をかけていると書いてあった。 そんなことが頭にあった。 一方で、引越しのときから、ミニコンポを居間の隅に置いてあったが、音楽を聴かないのでそのままであった。 だから、12面体スピーカーが手に入ったとき、ミニコンポに接続したがつけただけだった。 そこで、TVにつなぎ直し、ゲームの立体音に用いていたが、音響効果を問われるゲームは多くない。 テレビの音楽番組も聞くのは演歌のほうだからNHKだ。 しかし、番組は多くはない。 12面体スピーカーも放置のケースが多くなった。 また、一方、スポーツクラブのヨガでインストラクターがバックグランドミュージックに流す音楽がいろいろあるが、あるとき、お経のような静かな音楽があった。 気に入って入手したいので曲名を聞いたら、彼女がインドにヨガに行ったとき、インドで買ったCDだという。 題名は「ブッダBudda仏陀」である。 日本にはないようだ。 そこでダビングしてもらった。 ここで、パソコン作業(読書も含む)、Budda曲、12面体スピーカー、ミニコンポが一挙につながった。 パソコンデスクの上の段に、ミニコンポと12面体スピーカーを置き、「Budda」の曲をバックグラウンドで流し、パソコン作業や読書をするということになった。 このブログもその「贅沢な」スタイルで書いている。 曲は、随分前に買ったが、その後、ほとんど聞いていない、喜多郎、宗次郎やヒーリング曲を逐次、選んでいきたい。
2009.12.13
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ピアノを弾くニーチェ私:なんかの書評で興味がわいて図書館に予約していた本だ。 著者は木田元氏は哲学者だね。 すでに80歳を迎えている。 16歳のとき、江田島の海軍兵学校に4月に入学して、8月に敗戦を迎えている。 江田島は広島市の南15キロだが、ちょうど、朝の水泳の練習のとき、原爆の閃光を見ている。 そういう世代の人だね。 この本は、著者のものすごい読書量を示すものだね。 いろいろな本を読んだ感想や、エッセイが数多く集められている。 だから、本の最後に厚い索引がついているのも、特徴だね。A氏:題名のニーチェは「神は死せり」という宣言で有名なドイツの思想家だが、ピアノを弾くのかね。私:ニーチェが豊かな感性にも恵まれ、自分で作曲をしたり、ピアノも弾いたりできたという。 しかし、この題名では、2頁しか書いていない。 だから、著者はあとがきで、題名にだまされたという読者がいるかもしれないと書いているね。 この人の読書の幅は哲学だけでなく、文学まで及んでいるし、ミステリー小説のファンでもあるね。 知的に興味を持つと、それを追求して関連する書をあさっていく。A氏:知的街道だね。私:多くの知的街道があって、その街道につらなって、多くの図書がならんでいく。 知的街道の1つに、ギリシャ哲学が、ヨーロッパに伝わるには、イスラム世界のおかげだというのがよくわかるね。 ギリシャ語からイスラム語、そしてラテン語と壮大な中東の長い歴史を経てヨーロッパに文化が伝わる。 当時は、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教は、争いなく共同していたのにね。A氏:君のブログでも「イスラムの怒り」でふれているね。私:著者の知的街道の例として、トマス・アクィナスというスコラ哲学者は、超人的な大量の本を出しているが、それに知的興味をもち、その謎を追求していく。 近松門左衛門が教会ラテン語やスペイン語に堪能で、その作品の台詞にもあるという謎。 大量の小説を書いていたから、本来、金持ちのはずのバルザックが、年中、借金取りに追われていた謎。A氏:ミステリーだね。私:ミステリーだから、ここで種を明かすのは憚れるね。 これだけの読書に驚嘆するだけだが、哲学にあまり興味がない俺が参考になったのは、明治維新を理解するには、山田風太郎の明治ものがいい教科書になるというものだね。 今の世の中、亀井静香大臣ではないが「乱」で明治維新初期に似ているからね。 次の5冊紹介している。 「警視庁草紙」 「幻燈辻馬車」 「エドの舞踏会」 「地の果ての獄」 「ラスプーチンが来た」 司馬遼太郎と違った視点の明治ものだね。 俺は山田風太郎の忍法ものは全部読んだが、明治ものは読んでいない。 今度、読んでみようと思う。A氏:司馬遼太郎といえば、NHK大河ドラマの「坂の上の雲」がはじまったね。私:今の日本は、まさに明治維新の最初の頃のような内外ともに混乱を迎えているという意味かね。 今、政治も経済も何か大きな目に見えない力で変わっているのだろうかね。 今年の漢字は「新」だそうだ。 「平成維新」になるかね。
2009.12.12
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逸見厚(へんみあつし)氏は、平成11年頃、サラリーマンをやめ、古物商を開業するため、商品の買い付けをしていた。 その頃、神奈川県の骨董市で、いろいろなものが入っているダンボール箱を買ったら、そこに三つ折になっていた1枚の「西澤島五圓通用引換券」があった。 明治40年西澤商店発行とあった。 氏は、「西澤島」を地図で調べたがないのでそのままになっていた。 その後、神奈川の相模原市に「雅楽多堂」を開店してから、9年たった今年の春、この通用券を入札に出品しようと思い、インターネットで検索をした。 そして、いろいろなデータを得たが、次のあるサイトからのデータで全体像が分かった。 「明治40年(1907年)8月、日本人西澤吉治氏は、台湾の南西海上、香港とフィリピンの間にある無人島に上陸し、上陸するや、『西澤島』という標柱をたてた。 人数を3百人ほど集める。十ヶ条の西沢島憲章を作った。精巧な紙幣も発行した。電話線も、トロッコも、地下の水道管も敷設された。一つの国家を夢見たのであろうか。 燐が豊富でこれを売って利益を上げた。 当時、海にあまり関心がなかった大陸国家の清国政府もこれに気がつき、翌年、日本政府に抗議が来た。交渉の末、すでに日本人の活動実体があるので、清国が買収して正式に清国領土にすることになった。 日本側は島の値段を決めるため、国勢の弱くなっている清国への脅しもあったのか、軍艦三隻でこの島に来た。三隻のうち『明石』の艦長は鈴木貫太郎大佐(後に海軍大将、太平洋戦争終結のとき内閣総理大臣)である。 結局、38万円として評価して清国も日本の言い値で承知した。現在の貨幣価値にすると10数億円程度になろうか。 吉治氏の手元に残ったのは10万6千円で、投資した資本よりはるかにすくなく、大きな損失となった。」 この島は、現在は台湾領の東沙諸島にある東沙島である。1939年に日本軍が占領し、飛行機の滑走路を作った。太平洋戦争後、蒋介石政権のものとなり、現在も台湾領となっているという。 なお、西澤吉治氏は鯖江市の出という。 この頃の日本人はエネルギーがあったようである。 この逸見氏の引換券の知的街道の一連の物語は、「非売品」として「雅楽多堂」のパンフレットになっている。 ここには、ここを取材した、特派員の記事と島の写真もある。 札は復刻版で売りに出されるのだろうか。五圓というと、現在の価値からすると、10万円くらいになろうか。 壱圓券もあったのだろうか。 何故、五圓の1枚が残っていたのだろうか。 興味は尽きない。
2009.12.11
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私:今朝の新聞のこの欄は、昨日の続きだね。 例によって、別な3人がコメントしている。 まず、江田憲司議員は、今回の仕分けを評価しつつも、制度改革を伴わないので効果はすくないという。A氏:しかし、全体の1パーセント程度の仕分けだし、12月までの短納期という問題もあった。 第一、国家戦略室からまだ、基本的な戦略も出ていないから、とりあえず、戦後の政治史でできなかったことを少しだったが前進したというべきで、欲を言うときりがないね。私:シンクタンク「構想日本」代表の加藤秀樹氏は、岐阜県事業仕分けから開始した仕分け仕掛け人だね。 科学技術振興という総論でなく、各論で検討するという発想だね。 総論だと問題点が見えない。 やはり、最初はいろいろ失敗があったが、いろいろ工夫しているね。 加藤氏は自治体から仕分けを始めたが、念頭にあったのはもともと国だという。A氏:それが今回実ったわけだね。私:しかし、今回は事業仕分けに過大な期待が集まってしまったが、政策評価は政治サイドの問題で、仕分けは現場でのお金のチェックが中心だとしているね。 その分業が重要だとしているね。 3人目の鈴木豊青山学院大教授は、税金の監査は、政策の監査という事前監査、目的通り進んでいるかの実施中の監査、効果はあったかの事後監査の3段階の監査が必要としているね。A氏:それは正論だが、実施するとなると、人、カネ、時間などが必要だね。 田中角栄ではないが、「最善の策がすぐに実行できなかったら、次善の策で行け」だね。私:企業でも「改善」というのは、今までのやり方を変えて、新しい方法に切り替えることだね。 だから、切り替えのとっかかりで、トラブルが出ることが多い。 通常、それで諦める。 だから、改善が進まない。 俺は「改善」という言葉の「改」と「善」の間に一拍を置けと言っているんだがね。 「改」してすぐに「善」にならないことがある。 「改」して一時的に「悪」になることがあるからね。 多くの発明に成功したエジソンが言っているよ。 「多くの人は後一歩というところで諦めてしまう」とね。 今度の仕分けも、そういう苦労人のコメントがほしいところだね。
2009.12.10
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私:オピニオン欄で3人の人がこないだの「事業仕分け」についてコメントしているね。 まず、総括役の枝野幸男議員のコメントがある。 仕分けの対象は財務省主導でないことを説明しているね。A氏:マスコミで「財務省主導だ」と強調しているものがあったが、人騒がせだね。私:仕分け作業の中心は事業の目的でなく、お金の使い方が合理的かだね。 だから、「科学技術は重要でない」とは仕分けで言っていない。 金の流れを見ると「中抜き」や「ピンハネ」が目立ち、ひどいから指摘があったんだね。 1時間で短いのではという問題も、事前にかなりの時間をかけているんだね。A氏:蓮舫議員が、文科省の国立女性教育会館や宿泊研修事業に対して、稼働率を質問していたら、省庁側の年配の女性が「私の話も聞いてください」と反論しているのをTVでうつしていたが、実は、この後、すぐに枝野議員が、討議は施設の目的でなく、運用が議題であるというフォローをしているね。私:ところが、TV局によっては、枝野議員の説明をカットしているものがあったね。 カットされると、蓮舫議員のとげとげしさだけがクローズアップするね。 マスコミの情報操作にも気をつけないとね。A氏:9日の新聞は、「もっと知りたい!」のコラムで、「仕分けに反発・・・科学界反省も」という記事があったね。私:枝野議員が言うように、仕分け人側は科学自体を否定していない。 「中抜き」「ピンハネ」など予算の使い方を問題にしている。 仕分け人の一人である松井孝典千葉工業大惑星探査研究センター所長は、ノーベル賞受賞者を始めてとする人々の厳しい口調の反発に対して 「情けない気持ちだ。 仕分けでどういう議論があったかも踏まえていない」 と憤慨しているという。A氏:科学者は、まず、真実を冷静に観察してから発言する体質があるはずなのに、ノーベル賞受賞者を始めてとする人々の発言は、総論で軽いね。 優秀な学者が仕分けられている。 ネット上の書き込みや、朝日新聞の投書には「上から目線」「社会が見えていない」といった学者に対する違和感を指摘する声が出ているという。私:松井氏は「スーパーコンピュータもまともに事情を知っていれば、見直しを求めるのは当たり前。 そうした話と科学の衰退という大げさな問題がなぜ結びつくのか理解できない」と言っているね。 松井氏は、本来必要な分野に広く資金を振り向けるべきだとの考えで仕分けに臨んだという。 仕分けは、そういう意味で、日本人の税金の使い方について、そして総論でなく実際的な議論の仕方について、もう一度、原点にもどって問いかけをしているね。
2009.12.09
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昨日、朝から1日用事で外出。 帰りは、夕方で、暗くなっていた。 駅前のバス停で始発バスが来るのを10分くらい待った。 ものすごく冷たい風が吹き抜けていく。 背広の下にベストを着用しているが、薄いコートでは、その冷たい風が骨身にしみる。 震えはしなったが、震える寸前まで体が冷えた。 バスを待つ人は次第に増え10人くらいになったが、中には厚いジャンパーの人がいて暖かそうだった。 横浜にも本格的な冬が来たという感じだった。 雪は、まだ、降っていないが---。 始発のバスが来た。 座席に座って5分ほど乗って、我が家の近くで降りて、3分ほど歩いて、暖かい我が家にたどり着いた。 帰って、TVの天気予報を見たら、昨日は旧暦では「大雪」の日だという。 九州地方で初氷、初霜だったと報じていた。 しかし、今年は暖冬らしく、いつもより遅いという。 ふと、今年の東京の年末の派遣村はどうなるのかと思った。
2009.12.08
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長寿大国の虚構 私:日本は、今、歴史始まって以来、未経験の高齢者社会に直面しており、今後、ますます、加速されることは明らかだね。 少子化で家族が親の老後を面倒を見るという伝統的な介護が崩壊して、介護施設や介護保険でカバーするようになっている。 問題は、その介護をする介護士の慢性的な人手不足だね。 若者は減っているし、老人介護の仕事を好まない。 今後、不足はますます、拡大することは明らかだね。A氏:そこで、東南アジアの労働者の採用を考えるということかね。私:2008年8月に、インドネシアから総勢約200人の外国人介護士・看護師が来た。 日本政府が正式に受け入れたものだね。 半年間日本語研修をして、介護士は3年半、看護師は2年半働き、その間に国家試験に合格すれば、無期限に日本で働ける。A氏:このきっかけは、小泉元首相がアロヨ・フィリピン大統領と結んだフィリピン介護士と看護師の日本への受入だね。私:ただ、これは日本政府が介護分野に移民政策をとったという転換でなく、出稼ぎを支援する経済連携協定だということのようだね。 フィリピン議会では看護師の海外流出を恐れ、協定の批准が遅れ、逆に、後発のインドネシアが先に実施された。 インドネシアは大統領の一声で決定されるからだね。A氏:フィリピンは、インドネシアより1年遅れて受入が始まった。私:著者は、この問題を直接関係者に取材して、彼らのその後の活動を追っているね。 やはり、インドネシア人やフィリピン人は、日本での給与が高いことが魅力だね。 本国に多くの送金ができる。 しかし、まず、一番、大きな問題は、日本語の壁だね。 特にインドネシアは英語も一般的でないので、フィリピンよりも不利だね。 両者に共通して問題なのは漢字の習得だね。A氏:国家試験は日本語だろう?私:そうだね。 国家試験に合格しないと日本人と結婚でもしない限り帰国しなければならない。 再受験はできない。 日本人でも介護士の合格率は50%だという。 難関だね。 インドネシア人やフィリピン人の合格率がどうなるかが、このプロジェクトの成否を決定しそうだね。 全員不合格もありえる。A氏:介護士の仕事には、難しい筆記試験をするのはあまり意味がないように思うがね。私:フィリピン人やインドネシア人を移民のように受け入れるという基本的な発想は政府にないから、中途半端だね。 日本人介護士の給与を下げたくないし、日本人看護婦も守りたい。 そういう日本国内の反発もある。 しかし、一方では介護士の慢性的な不足への手も打たなくては、高齢者社会の介護は崩壊する。A氏:抜本的な問題解決には政治のリーダーシップの存在が問われるね。私:しかし、このインドネシアやフィリピンからの介護士や看護師の政府の採用プロジェクトにも、天下り団体がからんでいて、ピンハネをしているのには驚いたね。 官僚は呆れるほど、よくこういう悪知恵が隅々までまわるね。 ある意味で感心するよ。A氏:介護ではないが、単純労働では3K(きたない、きつい、きけん)の仕事に、中国の研修生と称した労働者がたくさん来ているね。 これも期限があって、帰国しないといけない。 だから、不法滞在が増える。 一時、自動車産業が盛んなときは日系ブラジル人が多くいたね。私:これらも移民といえるほどのものでないね。 政権をとった民主党は、移民策についてはどういう考えなんだろうね。 この本は、政権交代前の出版なのでそれについてはふれていない。 しかし、長寿大国日本の問題は、時とともに拡大しつつあるね。 他の先進国では、移民政策をとっているが、長短はあるね。 文化の壁が厚い日本はどうするのかね。 崩壊を待ってから考えるのかね。
2009.12.07
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私:昨日の夕食で、正面の上の前歯が1本ポロリと落ちた。A氏:こないだ抜いた歯の後の仮歯かね。私:そうだよ。 先週、木曜日に本格的に前歯を抜いた後の歯茎のほうの型を取ったんだが、型を取ったあと、また、仮歯を入れたが、これが接着が悪かったのか、落ちたんだね。 なにせ、前歯の正面の歯だから、欠けていると見苦しいし、発音もおかしくなる。 医者に電話したら、もう夜で出ない。 そこで欠けた歯をまたさしてもらうため大事に袋に入れて引き出しにしまっておいた。A氏:日曜は歯医者はやっているの?私:この医者は日曜もやっているんだね。 医者は一人でなく、2、3人いて、交代でやっているようだね。 今朝、9時半に電話したら、すぐに来てくれとなった。 ところが、問題が起きた。A氏:なんだい?私:昨夜、大事に袋に入れてしまっていた歯が見つからない。 確かに置いた引き出しにない。 大騒ぎになった。 あちこちの引き出しをひっくり返した。 小1時間ほどさがしたが、見つからない。 結局、手ぶらで医者に行くことになった。A:すぐ、歯を入れられるのかね。私:標準的な歯があるらしく、それを俺の歯に合わせて、削って埋めてくれた。 30分くらいかかったかね。 とりあえず、みっともなくなった。 医者側の接着責任もあったのか、治療費はゼロだったよ。 それにしても、欠けた歯はどこに消えたのかね。 いつか、出てくるだろうがね。
2009.12.06
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私:2、3日前にかかりつけの医者の受付の女性から電話が来た。 金曜日にインフルエンザの予防接種をしないかという電話だ。A氏:新型のワクチンかね。私:違うよ。 従来からの季節型インフルエンザの予防ワクチンだよ。 これが、11月くらいから足りなくなって、予約待ちで、いつになるかわからないという状態だったんだ。 俺は、長年、インフルエンザにかかったことがなかったから、予防接種はしていなかった。 ところが、一昨年の冬、A型インフルエンザにかかり、タミフルをのむ羽目になった。 3日くらい、鼻汁がどんどん出て、クリネックスの山ができたよ。 懲りたんで、昨年は予防接種をしたよ。A氏:効果はどうだった?私:その効果かどうかはわからないが、昨年はインフルエンザにはかからなかった。 そこで、今年もやろうかと思っていた。 10月にかかりつけの医者に行ったら、当日申し込んでも季節型はやってもらっていた。 だから、10月では早いと思い、11月くらいになったらやろうと思っていた。A氏:11月頃に、新型インフルエンザ感染がまた、拡大したね。私:そのあおりで、季節型のワクチンも急に不足となり、11月には、従来の季節型ワクチンもいつ入荷するかわからないという状態になった。A氏:新型ワクチンが足りないのは分かるが、ムードで季節型までやる人が増加したのかね。 オイルショックのときのトイレットペイペー騒動のようだね。私;最近、ほうぼうの医者で当日行っても接種できたという話を聞くようになったんで、騒動も治まったのかね。 昨日接種したが、24時間以内には副作用が出るかもしれないというが、どうやら問題ないようだ。 「接種済証」というのをもらったが、ワクチンのロット番号が書いてあった。 これは確か、去年はなかったと思うね。 問題が出たら、後で終えるようになっているんだね。 トレーサビリティだね。 さて、今年は無事、季節型のインフルエンザは避けられるかな。 新型のほうは運を天に任せるだけだがね。 そういえば、俺の孫の小学校も4年生が学級閉鎖だという。 孫のクラスでも2,3人休んでいるという。 孫は「俺は何故、感染しないのかなぁ。 頭が悪いのかなぁ」と言っていたよ。
2009.12.05
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司法官僚私:なんかの書評を読んで興味をもち、図書館に予約しておいた。 かなり待ちがあって、ようやく俺の順番になって借りたよ。 俺は、今まで裁判所には無関係で過ごしてきたし、くじ運が悪いから、民間の裁判員に選ばれることもないから、別に強い興味があったわけではない。A氏:行政官僚はよく知っているし、天下り問題で今、世間を騒がしているね。 しかし、俺も司法官僚というのはよく分からないね。私:現在の裁判制度は、敗戦後、GHQとの折衝でできたものだね。 その結果、戦前は、司法省に属していたのが独立した。 ところで、裁判は、一番下の簡易裁判所。 次に地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所と上にいくね。 だから、最高裁裁判官が一番偉いから、これを司法官僚というのかと思ったが、違うんだね。 最初、最高の意思決定機関である最高裁判官会議を補佐する事務局があった。 これが、1957年から1958年にかけて、この事務局が司法行政機構として体制を整えだす。 これが現在の事務総局だね。 会議体で意思決定をすると時間がかかり、責任が不明確だ。 その点、ピラミッドの組織が効率的だね。A氏:それを司法官僚というのか。 どんな部署があるのかね。私:総務局、人事局、経理局、民事局、刑事局、行政局、家庭局などがある。 職員数は約760名だという。 この事務総局の幹部の大半は職業裁判官だという。 司法試験に受かり、研修を受けている間に、将来のエリートは一本釣りされ、このエリートコスを歩む。 形式的には、最高裁判官会議が最高の決定機関だが、かっての自民党内閣のように、事前に事務総局で検討した案が、そのまま、会議で承認される。A氏:自民党内閣では、閣議の前に、事務次官会議があり、そこで決まった案件が閣議に出される。 閣議は署名だけで議論はほとんどなかったのと似ているね。私:もちろん、事務総局長を経験して、最高裁裁判官になる人もいる。 ここで著者が問題にしているのは、人事局で、中央集権的な裁判官の人事(配置、昇進、給与など)を行っており、これが裁判官に対する圧力になっているということだね。A氏:人事を中央が握っていると、裁判官は萎縮するだろうね。 どうしても、「上にさからえない」ことになる。私:今、「開かれた裁判」として司法の閉鎖性を改善しようという動きがある。 民間の裁判員の登場がそうだね。 しかし、裁判官たちは逆に司法官僚による閉鎖的な人事のもとに置かれているという。 著者の基本的な主張は、人事の分権化や公開性が必要だということかね。 細かい具体的な資料が多くあり、司法に関係ある人は役立つだろうが、俺にはあまり細部は興味がなかったね。 司法関係にうとい俺だが、この本は別世界の本としてそれなりに面白かったね。
2009.12.04
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A氏:今朝の朝日新聞の船橋主筆のコラムで、仕分け問題をとりあげているね。 その中で、先週、6人のノーベル賞受賞科学者が官邸を訪れ、鳩山首相に「科学技術への格別な配慮」を求める要望書を手渡したと書いているね。私:その席でノーベル賞受賞科学者たちは 「システムが今のままでは、十分な効果は出ない。 刷新の必要がある」(野依良治氏) 「国立大学の法人化により、事務員、教官が、研究費確保のために産学協同に走っている。 教官に配られる研究費を学長、学部長がピンハネし、研究者のところには10分の1しかこない」(小柴昌俊氏)といった現行予算配分の仕組みへの疑念もあがったという。A氏:科学技術予算も他と同様、官僚と業界と天下り法人による「縦割り・ハコモノ・中抜き・ピンハネ」構造が現場をむしばんでいると船橋氏は指摘しているね。私:この問題で、「仕分け」のリーダーの枝野議員が、2週間前のサンデープロジェクトで説明していたが、スーパーコンピューターの補助金削減が「仕分け会議」で結論が出てから、急にTVなどで専門家の反対意見が出たという。 なぜ、そういう意見が「仕分け」の場で出なかったのか、不思議だという。私:仕分けの場での文科省のお役人の説明が、全く説得性がなかったというね。 今まで、このような説得を必要としないで税金が使われてきたので、原点から追求されると自信を持って言えないんだね。 サンデープロジェクトでもレギュラーコメンテーターの財部氏が、以前、スーパーコンピューターで取材したことがあるが、関係者から明確な説得性ある説明がなく、がっかりしたというような発言があったね。A氏:今朝の朝日新聞のオピニオン欄では、スーパーコンピューター問題に関連して、ノーベル賞受賞者の野依良治氏の「1番目指しての未来」という見出しで科学技術振興の重要性を説明しているね。 それは言われるまでもないね。私:同じ欄でそれと並列で、アメリカのスタンフォード大客員教授の中村維男氏の「次世代スパコン 計画をゼロから立て直せ」という論も載っているね。 中村氏は米国を拠点に約30年間計算機科学を研究してきたという経験者だ。 そういう中村氏の目で見ると今の日本のスーパーコンピューターの開発のやり方には大きな問題があると指摘しているね。 当初は、富士通、日立、NECが中心の「複合システム」だったのが、経済悪化を理由に、5月にNECと日立は撤退したという。 「複合システム」に本物の価値があったなら撤退しないはずだという。A氏:企業側は「仕分け」の名人だからね。私:今度は予算が凍結されると富士通の経営危機になりかねないという。 そして、中村氏は、日本の科学者集団はムラ社会的ななれあい体質が強く、立場やしがらみを超えて生産的な討論を尽くす真の「まじめさ」がないと国際競争に勝てないとしている。 すでに中国が追いかけきている。 事業仕分けを機にすなおに課題を見つめ、国内メーカーを育ててつつ、真の実力をゼロから再構築してほしいと中村氏は提言しているね。A氏:話題がとぶが、今朝の新聞では、ユニクロがさらに売り上げを上げているニュースが出ているね。 そして、柳井正会長の談話が載っているね。 ユニクロは60年前に山口県宇部市の商店街にある小さな紳士服店ではじまったという。 そして工夫の連続でここまできたと言っているね。 だから、不況にも強い。私:スーパーコンピューター開発に一番ほしいのは、そういうマネージャーでありリーダーだね。 中村氏はそれを指摘しているように思うよ。
2009.12.03
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私:例の「仕分け」でスーパーコンピュータへの補助金が見直しといわれた後、高名な学者先生が、スーパーコンピュータの重要性を盛んに言い出して、「仕分け」反対論が出てきた。 そして、ノーベル賞受賞者まで、ずらりと並んだ記者会見で「仕分け」の結論は、科学立国の日本の将来を脅かすものだと反対意見を述べた。 評論家の立花隆氏は「仕分けは亡国活動だ」まで言い出す。 A氏:昨日は、オリンピックでメダルを得た選手まで記者会見して、JOC(日本オリンピック協会)補助金削減の「仕分け」結果に反論していたね。 JOCに対する国庫補助金は、ここ数年増加しているという。 その背景に森喜朗元総理が日本体育協会会長でかつJOCの理事であり、麻生太郎前総理はクレー射撃五輪代表だということがあるね。私:こういう反対勢力は、「仕分け」の正確な中身を知らずに、ただ、「削減」ということで大騒ぎしている感じだね。 日本の財政が危機的状況にあるのに、「俺のところにだけは、税金をよこせ」と声を上げている。 それを叫んでいる顔を見ると「大人の駄々っ子」だという感じがしたね。 家計で悩んでいる親が、高価な玩具売り場で、子どもに「この玩具がほしい」と駄々をこねているシーンを連想したね。 マスコミは「子どもがかわいそうだ」と報じているね。 「仕分け」に単純に抵抗する人々は、逆に反対行動を伝えるTV画面で「逆に仕分け」られているという感じだね。A氏:ノーベル賞受賞者の人間としてのレベルが「仕分け」られたね。 分かりやすく言えば 「俺たちは偉いんだ。 俺たちに税金を使わないのは、失礼だ。 何も知らないシロートの国民は黙ってついて来い。 俺たちが君らの税金を正しく使ってやる」だね。 日本型の「つつましい」学者が消えたね。 最近、あまり使われなくなった日本語だが「さもしい」ね。 日本初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士は、戦争中の苦しい国民生活の中で、ペンとノートで研究し、敗戦後、物理学賞を得ているよ。私:五輪メダルの選手も同様だね。 「俺たちは偉いんだ。 その俺たちに税金を使わせないのは失礼だ」という感じがしたね。 しかし、「仕分け」で削減を結論したのは、どうも「天下り」や「中抜き」で、本当に研究者やスポーツ選手の手元に届くのが少ないという疑問からの削減らしいね。 「仕分け」の結論に単純に抵抗している人々は、税金を自分たちのふところに入ることだけを考えている官僚天国の仕組みを知らずに守っている。 それを自覚しているのかね。A氏:今朝の朝日新聞では、フェンシング五輪銀メダルの大田雄貴選手が 「税金でスポーツができていると選手が再認識しないといけない。 しっかり考えるいい機会になった」と話したと報じている。 彼は偉いね。 偉い学者のノーベル受賞者も、「国民の血税を使わせていただく」という謙虚な姿勢があることが「真に尊敬される偉い学者」の姿ではないのかね。 大田雄貴選手のような謙虚なノーベル受賞者はいなかったのかね。私:麻生政権のとき、母子加算カットで百億円ぐらい浮いたはずだが、その金が科学技術やJOCに回っているのだというくらいの国民的な発想をしてもらいたいね。A氏:今年度の税収は37兆円と、予想の42兆円を大きく下回るという。 それなのに、予算は90兆円台だ。 贅沢はできないね。 そういう国家レベルの認識を偉い学者もスポーツ選手も自覚すべきだね。私:42兆年の見込みというのも、インチキだね。 一昨年秋から、企業業績がどん底になり、天下のトヨタさえ大赤字だ。 幼稚な見込み数字を、優秀なはずな財務官僚ははじき出したものだね。 民主党政権は、最悪の世界経済の中で自民党政権の大きな「官僚システム」とそれになれた国民の抵抗勢力の負債をうけついだことになるね。 しかし、抵抗勢力を排除して大転換をはかるつもりで危機を脱却してもらいたいね。 自民党には期待できないから、国民はさしせまって民主党に期待するしか選択肢はないからね。
2009.12.02
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私:民主党政権は財政の「仕分け」作業を具体的にやっていたが、天下りした先で参事とか嘱託待遇だと天下り数にカウントしないのだという。 巧妙なだましだね。A氏:「隠れ天下り」「もぐり天下り」だね。 そして年収約1千4百万円の給与だという。 これは税金だから、悪質な天下りだね。 詐欺に等しいね。私:中には、天下った理事長や理事のほうが、職員数より多いという団体もあったね。 それから、「中抜き」というのは、実際にやる人や団体にお金が渡る途中で、税金が「ピンはね」されるケースだね。 科学技術へのカネが問題になっていたが、このカネも実際に研究者に渡るのは1割だという。A氏:9割は「ピンはね」か。私:こういうのは、発展途上国で問題になっている官僚の汚職と実態は同じだね。 司馬遼太郎氏は、アジアに蔓延している官僚のカネに対する汚さを指摘していたが、それが平成の日本の官僚にも伝染してくるのを予想し、亡くなる前に危機感を持っていたね。 まさに、氏の予想通になっているね。A氏:どうして、日本の官僚は劣化したのかね。私:高度成長の最中は、民間がどんどん伸びて、給与が役人よりよくなったね。 俺たちの時代には、役人はポストが決まっているし、仕事もパターンが決まっていて、面白味がないとしてあまり人気がなかったことがあるね。 これは官僚にとっては面白くない。 学校では優秀で官僚になったのに、給与は、民間に就職した奴に劣る。 高度成長時代に、ある官庁の局長の講演を聴きに行ったことがあるが、民間の成金が2階の住宅を作り、そこにエレベーターを設置したと軽蔑したようなことを言っていたよ。A氏:心の底ではうらやましかったのではないの。私:ところが、その民間の成金を軽蔑していた官僚が、最近になって逆に成金趣味になる。 ジャーナリストの若林亜紀氏が、自分が職員でいたある団体で体験した記事があるね。 それは、理事長として天下りしてきた元次官が、毎月のように視察と称して豪華な海外旅行に出かけ、7年間で延べ73カ国、旅費の総額は3億円だったという。A氏:まさに夢に描いた民間の成金趣味の境地に達したわけだ。私:高度成長時代では税収も多かったから、官僚も派手な天下りもできた。 そして、所得も上がった。 そういうシステムがガッチリできた。 ところが、1970年代のオイルショックで、高度成長が終了した頃から、民間が苦しくなってきた。 そして、冷戦が終わり、グローバル経済がきて、日本は格差社会に急速に突入する。 民間人の所得は下がり出す。A氏:しかし、官僚のシステムは高度成長時代の贅沢なシステムを維持して、税金をふところに入れて、役人天国となったというわけだね。私:このシステムを自民党は見てみぬ振りをしたのか、見抜けなかったのか、許してきた。 政権交代で民主党は、本当に、この強大なシステムに引導を渡すことができるだろうかね。
2009.12.01
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