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私の部屋のソファで寝ています。 お腹のピンク色の肌が白い毛から透けて見えます。こんどはノートパソコンの上で寝ちゃってます。人のそばが好きなのね。拡大写真はこちら目玉が大きくなったときは危険!飛び掛ってくるサインです。障子がボロボロ。紙に爪をかけ、てっぺんまで駆け上がります。 呼び名は「アイちゃん」。本名は「愛子さま」です。捨て猫だったのをご近所の猫好きさんから貰い受けました。 生後3カ月目に入ったぐらいの雌で、黒白キジトラ混合模様。長い尻尾とピンと立った大きな耳、額の白い星マークがチャームポイントかしら。うふん♪ 子猫だからか、相当なやんちゃ坊主です。部屋中を猛スピードで駆け回る。まだ声はよく出せませんが、夢中になっているときは「ウウウウ」と唸りながら駆けるのです。お前は犬か! 柱や壁によじ登るのが得意。大人の目の高さぐらいはヘッチャラだい。お前はサルのアイアイか! でも、寂しがり屋さん。誰もかまってくれないと、ひねくれて隠れたりするの。「アイちゃーん!」って探されるのが好きなんでしょうね。真っ暗な部屋の物陰にちぢこまって、「えへへへ」って感じの顔で見上げる様子が何とも愛らしくて。 猫はもともと夜行性だそうで、家族全員が寝ようというときに、目がギラついて暴れ回る!無視しても寝床に入り込んできてジャレつくんです。 今夜もほら、夜なべ仕事をしている私のところにジャレつきに来た。sdkkkkkkkkkkkkkkkxdぅsj ↑アイちゃんがキーボードの上に乗って入力した文字です。 ううう。これじゃ仕事にならん。困ったやつだ。と、言いながらも可愛くてたまらん。 じっと見つめるとキスしてくれるようになりました。お尻を舐めたその舌で私の顔を舐めるのはやめてくれー。
2003年07月31日

都立雪谷高校、甲子園出場決定オメデトウ!というわけで、ジム仲間で同校OGのR子さんを誘い、住宅街の中にある「隠れ家バー」へ行ったのでした。 運動の後は、なぜかジンリッキーが飲みたくなるねと、前日から言い続け、とうとう思いがかなった夜。それぞれの母校の思い出話が弾み、夜は更けていった……。 2杯目はコロナビールにライムを入れて、3杯目はキンキンに冷えたゴードンジンのストレート。例によってキリがなくなりそうなので、土砂降りの中、散会することにした。 それでもちょっと飲み足りない気分だったので、帰り道のコンビニでサッポロかどこかで出している瓶の白ビールと「酵母が生きてる」といううたい文句の瓶ビールを購入。白ビールの味はイマイチ。ううむ。 調子に乗って、買い置きの安ウマイタリア赤ワインを開けてしまった。「あのナカタが箱買いする」という宣伝文句につられて買ったもので、1,000円未満にしては上等だ。ちょいとコクが足りないが、まあ、こんなものだろう。 真夜中にひとり部屋で飲むワインは、ちょっと渋かったりする。アタシの人生、渋いというか、しぶといというか、ほろ苦いというか……。 なんだか、「青春」はもう終わってしまったような気がして、ちょっと寂しくなった。趣味でやってるロックバンドも、もう似合わないトシになっちゃったかなあ。もっと若い女の子のヴォーカルと替わったほうがステージ映えしてお客さんのウケがいいかも。そろそろ潮時かなあ……なーんて、寂しい考えが頭をよぎった。でもまあ、仲間が受け入れてくれる限り、続けたいなあ。 多分、根っからの楽天家なので、ときどき暗くて淋しくてジメジメしている考えにハマってバランスをとりたくなるのだろう。明るいほうへいつでも戻ってこれることが分かっているからね。うつになっちゃう人は、向こう側へ行ったきり帰って来れないのだろう。 ふふふ。真夜中の赤ワイン、なかなか悪くないじゃない。久しぶりにドアーズのビデオを引っ張り出して見ちゃったよ。古いものばかりだけれど、音楽ビデオは売るほどあるので、週末には少しずつ見ることにしよう。赤ワインのつまみとしてね。 でもやっぱり、これからどんどん暑くなってくると、赤ワインはちょっと辛くなるね。さあ、どうしよう。白じゃあ、なんだか瞑想の境地とはほど遠い感じだ。上物のコンドリューとか、大好きなコルトン・シャルルマーニュとか、濃いやつなら別だけど、高いので滅多には飲めない。 赤ワイン好きの女友達と先日某ワインバーで飲んだとき、彼女は最初の1杯目から赤ワインがいいと言って豪快にグラスを空けていたっけ。もちろん、私は「トリビー」さ。ものには順序があるし、いきなり赤は、ちょっとオシャレじゃないと思うよ。ワインバーなら、せめてグラスシャンパンでしょ。 でもやっぱり赤が好きな彼女のために、次にお招きするホームパーティでは策を弄することにした。 ふふふ、最初は「冷えた赤ワイン」でいきましょうね。「赤ワインは室温で」という教科書的な物言いを鵜呑みにしちゃダメだよ。そもそも「室温」というのは、真夏でも朝夕は冷え込むようなヨーロッパの石造りの家のダイニングの温度だから、日本の室温よりもかなり低く20℃未満と考えたほうが良いんじゃないかな。夏だったら、ちょっと冷たく感ずるぐらいでちょうどいい。 でも、「ちょっと冷たく」よりもさらに冷やしたのを1杯目にお出ししちゃうぞ。 となると、チリのカベルネあたりが手ごろだけれども、それじゃつまらない。うーむ……。 今日、取材の帰りに恵比寿の馴染みの酒屋さんを覗いたら、いいものを発見!1本目は、ブルゴーニュのパストゥーグラン。ピノノワール単独醸造よりも酸味が強く、さわやかなので夏にはピッタリだ。名門フェブレ製だから、ちょっと高めで1,600円少々だったかな。 2本目は、ボージョレー。宣伝文句には、ロビュションだったか、「有名シェフ絶賛のボージョレーの逸品でノンフィルター」なんて書かれていた2,800円はボージョレーにしては高い。モルゴン村だ。これは楽しみ。 ボージョレーって、ヌーボーじゃなくて村名ワインの中にはコストパフォーマンスが非常に良い優れものがあるので、おススメです。ムーラン・ナ・ヴァンなんて、その名のとおり風車の絵をあしらったラベルのものもあってシャレているよ。 デュブッフの花のシリーズは、ボージョレーの単独で地区を表記できる10地区すべてを網羅していて、村ごとに違う花のラベルになっているの。香りの近い花を選んでいるらしい。全部集めたら楽しいね。安い店なら千円台で買えるからお手ごろです。 さてさて、私がゲットした2本は、どちらも軽く冷やすと真夏の1杯目にもちょうど良さそうだ。 次の宴会は8月の下旬。それまでまだ日にちがあるので、多分、自分独りで試すことになるでしょう。 真夜中に独りで飲む赤ワインは、アタシの心のオアシス♪ おまけ(たまにはミーハーな私)「家田荘子が4度目の結婚」というニュースにはビビりましたね。調べてみると、彼女は私より1歳上だ。まだまだあきらめず、私も頑張ろう(^^;)身長180cm超の金持ちそうな男性で「男が女を食わせるのが当たり前」という考えの持ち主なんだと。いいねえ(っていつ宗旨替えしたんじゃ?<自分&家田) ちなみに同学年な有名人女性を調べてみました。綺麗どころと個性派を10人ピックアップすると…… 萬田久子、榊原郁恵、引田天功、片平なぎさ、古手川祐子、森公美子、内田春菊、林寛子、原日出子、田中美佐子。 ううむ。この中で一番私が似ているのは、田中美佐子かな……なーんちゃって(^^;) 彼女の雰囲気は、わりと好きです。
2003年07月30日
自分探し、適職探しに関連した文章の中で、「なりたい自分になるには」というフレーズをよく見かける。それが耳に心地よく響くからであろう……。 老婆心ながらここでひとこと。よく「耳ざわりのいい」という表現が使われますが、これは正しくない。使うと教養のない、アタマの悪い人だと思われるので止めましょう。「さわり」とは「障り」であって、ジャマになるとか、煩わしい、不快であるという意味です。したがって、「耳ざわり」=悪いものであって、「耳ざわり」がいいはずがないのです。 最初にこの表現を使った人は、愚かにも「さわり」=「触り」だと思ってしまったのですね。 私は「耳ざわりがいい」という言葉を聞くと、なんともやりきれない思いがするのです。かといって、間違いを指摘して、その場の雰囲気が気まずくなってもいやだしなあ。だからさりげなく「耳に心地よい」とか言い換えて同意したりね。 それはさておき、本題の続きです。「なりたい自分になる」とか「やりたいことをできることに変える」というのは、とても前向きで素晴らしいことですが、かといってそれが独りよがりになっては、社会にとってはトンでもない迷惑になります。とくに仕事の世界ではそうですね。 どんな仕事にも、相手があります。いわば「お客さん」ですね。自分だけ満足すればよいと思っていて、お客さんを満足させるために何ら努力しない人は、プロの世界から即刻、退場してもらわねばなりません。 実際、プロ意識のないアルバイトやパートが世の中にあふれた結果、世の中にひどい害悪がもたらされているではありませんか。 たとえば、小学生でもアルバイトできちゃって、お金がもらえちゃうと本人たち自身が思っていて、その欲望を巧みに利用しようとする大人がいる。例の小学生4人監禁事件は氷山の一角でしかなく、渋谷では小学生や中学生に迫る「変態ビジネス」が盛んで、「カラオケに付き合う程度でお金がもらえるなら」→「ちょっと触られるぐらいなら」→「高いお金がもらえるなら」と、どんどん恐ろしい闇にハマっていく実態が最新号の「アエラ」に書かれていました。 いつからアルバイトは、「ドシロウトでもやれる半端で無責任な仕事」になっちゃったのかな? 飲食業は、いまやアルバイトやパートなしでは成立しないぐらいに依存しているのが実態ですが、ドシロウトたちのいい加減な働きぶりは、私たちの心を寒くするものがあります。 郊外にある友人の実家の通夜に行った帰り、他に店がなかったので仕方なくチェーン店の居酒屋「○民」に皆で立ち寄ったときの惨憺たる体験を弟が話してくれました。 最初の1杯目はまあ、普通に届いたのだけれども、その後は料理も飲み物も待てど暮らせどできないし、侘びの言葉もなかった。ようやく届いたお代わりのビールが、妙に甘いので変だと思ってよく見ると、どうやら甘いフルーツ系の酎ハイのグラスをよく洗わずに使ったらしい。 挙句の果て、ようやく届いた焼き鳥に髪の毛が混じっていたので店員に文句を言うと、「ああ、入っていましたか」。「入っていましたかじゃないだろう!まず、きちんと謝ってから、代わりのものを持ってくるのが当たり前だろう!」「でも、これから焼くとなるとさらに30分ぐらいお待たせすることになりますが、それでもよろしいでしょうか」 弟は、呆れてモノが言えず、「こんな店、もう出ようや」ということで見限ったそうだが、私なら「責任者を呼べ!」と言うし、それでもナットクいかなかったら、「○民」の本社に電話しちゃうね。 いまの飲食ビジネスって、それほど顧客をナメきっているのだろうか。ナメられたままでいいの?気色悪いぜ。 こんなことを許していたらダメだと思う。 安っぽいニセモノにお金を払ってはいけない。存在を許してはいけない。「まあ、安いんだから、この程度でも仕方ないや」と思う心が、世の中を安物だらけにしてしまうぞ。「安いんだから、国産牛肉だと思うほうがアホだ。国産表示はタテマエに決まっているじゃん」っていうのが、例の牛肉偽装事件の根底にあるユルい心なんだろう。「原材料費を切り詰めるには、法律で認められた材料かどうかなんかにこだわっちゃいられないよ。世の中、タテマエだけじゃやってられないよ」っていうのが、例の続出した違法食品添加物事件の背景にある心理ね。「ホンネとタテマエ」って、日本人の民族性を客観的に表現するために使われた言葉なのに、いつしか大人のいい加減さを取り繕う言い訳の格好の材料に成り果ててしまった。中根千枝さんはさぞや悲しんでいるだろうな。 もう大人は、自信をもって「タテマエ」を語れなくなってしまったのだろうか。「タテマエ」を語ることにウソ寒さを感じる、感受性豊かでやさしい自分に酔っ払うのもいいけれど、ほどほどにしないとイカンよ。 大人が「タテマエ」自信をもってを語ってくれなければ、善悪是非の判断のつかない子供たちは道に迷ってしまうじゃないか。 キャリア問題を専門とする私としては、「仕事をプロの手に取り戻せ!プロにしか仕事をさせちゃいかん!」ということを言い続けたいと思う。そうすることが、世のため人のためになると信ずる。 だから、「やりたいことをできることに変えたい」とか「適職を見つけたい」という人に対しては、自分の内面や適性を見つめることも重要だけれども、自分がしようとしている仕事のお客さんをイメージしなさいと言うようにしている。 お客さんに対して貢献できる能力があるなら、その仕事に向いているし、する意義がある。 いまはまだ貢献できる能力が未熟だけれども、お客さんのために、その能力を開発していきたいと思える気持ちがあるのなら、その仕事に向いているし、する意義がある。 だって、逆の立場を考えてごらんよ。 人体に害のあるかもしれない食品を売りつける会社の製品なんて、誰も買いたくないじゃない。そんな食品を、「美味しいですよ」「安くてお得ですよ」と言葉巧みに売りつける広告会社の人や、無批判にそんなCMを流すTV局の人間や、食品会社の営業マンや、スーパーの販売員を、人間として信じられるだろうか? 仮に自分の大切な両親が寝たきりになったとして、介護を頼むなら、経験豊かで、専門知識も確かで、本人の望むことを過不足なくしてくれて、しかもいい気持ちにさせてくれるヘルパーや訪問看護師に仕事を依頼したいと思う。 スーパーで買い物するなら、計算間違えすることなく、作業が早くて的確で、感じが良くて、またここで買い物したいと思わせてくれるレジ係のいる店がいいと思う。 カウンセリングを受けるなら、お説教ばかり垂れているエラそうな先生よりも、親身になって相談に乗ってくれて、なるべく短い期間に、確実に効果を感じさせてくれるカウンセラーがいいと思う。 仕事っていうのは、社会的なものであって、個人の欲望を満たすためだけに存在しているわけじゃない。 そのキホンさえ分かっていれば、適職も天職も、やがて確実に見つかるし、あなたを必要としている「職」は必ずどこかにあるはずだ。
2003年07月29日
7月のラストウィークが始まりましたね。でもまだ、夏って感じがしない。今週後半から本格的な暑さがやってくるというけれど、ホントかな? 相変わらず子猫に振り回され、寝不足な今日このごろです。でも、あったかくてちっちゃいものと肌触れ合うのはなかなかいい気分です。 ものいいたげなつぶらな瞳を見ていると、つい、時間を忘れてかまいたくなっちゃいますね。 なーんてことしている暇はなくて、午後イチの打ち合わせまでに調査報告書の構成案を仕上げなくては。 後ほど時間ができたら、また、ゆっくり。
2003年07月28日
今宵は、8人で囲むエスニックな食卓。シャンパンで乾杯したら、ワイン各種を楽しみましょうか。最後は泡盛とグラッパかな。1)生春巻き……海老、シソ、黄にら、きゅうり、春雨、ササミを巻き巻き2)枝豆ゆず胡椒風味……ゆでた枝豆に、ゆず胡椒でピリっと風味をつけます3)宍道湖産特大シジミの紹興酒漬け……鷹の爪、にんにく、塩を加えた紹興酒にシジミを投入して火にかけ、口が開きかけたものからすばやく取り出し、すべて取り出したら、煮汁に戻して1日冷蔵庫で漬け込みます。4)ニガウリのサラダ……さっとゆでたニガウリとシシトウを炒った豚ひき肉、ピーナッツ、揚げタマネギ、干し海老と混ぜ、一味トウガラシ、ナンプラー、ライムで味付けします。5)ナスのグリーンカレー……他に鶏もも肉、タケノコ、ピーマンを入れ、バジル、そしてなんとデパ地下でも売ってたコブミカンの葉で風味をつけます。市販のグリーンカレーペーストとココナッツミルク使用。6)鶏レバーのレッドカレー……こちらはレッドカレーペーストとココナッツミルクを使用。鶏レバー、砂肝、赤ピーマン入り。7)冬瓜とスペアリブのスープ……スペアリブと冬瓜を煮込むだけ。味付けはカレー味にしようか?8)イカのピリ辛炒め……イカをワタと一緒に豆板醤と胡麻油で炒めます。野菜はタマネギ、スナックエンドウ、ピーマン。9)パイナップルチャーハン……エスニックな食卓のシンボルはコレ!具は色とりどりピーマン、焼き豚、干し海老、レーズン。10)空心菜炒め……茎がストロー状になった空心菜は、シャキシャキして美味しいよ!シンプルに塩味で炒めます。11)土用丑の日・鰻の蒲焼……実家の魚屋から調達します。12)デザートは岡山直送の見事な桃ちゃん 以上、全部作れたら凄いぞ。ただいま11時過ぎ。掃除に2時間近くかかるので、5時までギリギリです。 そういえば、豚耳のゆでたのを売ってたので買ってきたのだけれど、これはどうしよう?八角で風味付けして醤油でさっと煮ようかな?
2003年07月26日
昨年1年間の自殺者は前年に比べ3・5%増の3万2143人で、5年連続して3万人を超えたことが24日、警察庁のまとめで分かったそうだ。以下、共同通信のニュース速報から引用します。>全体の約60%が50代以上の中高年。「経済・生活問題」による自殺は7940人と1978年に統計をとり始めて以降最多で、リストラや借金など景気低迷による影響を浮き彫りにした。>自殺者総数は1999年の3万3048人が最も多く、その後減り続けていたが再び増加に転じた。>まとめによると、自殺者は男性が前年比4・2%増の2万3080人で、女性は1・9%増の9063人。>年齢別の最多は60代以上の1万1119人で全体の34・6%を占めた。次いで50代の8462人、40代の4813人の順。20代以下は前年より減った。>原因・動機別では最多の「健康問題」が1万4815人で、前年より316人減少。「経済・生活問題」は7940人で、前年より1095人も増えた。 これだけ読むと、中高年の自殺者が増えていて、しかも「経済・生活問題」を理由に死を選ぶ人が増えているのだなと思われるだろう。若い人の自殺の問題は、この報道からは見えてこない。そこで、もうひとつのデータをご紹介したい。厚生労働省による平成14年度の人口動態調査である。この中に日本人の死亡原因を年齢別(5歳刻み)、男女別に示したデータがある↓http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai02/toukei6.html 男女の合計では、20歳から39歳までの層で、死亡原因の第1位が自殺である。ちなみに40歳から49歳では2位、50歳から54歳では3位、55歳から64歳では4位、それ以上の年齢では5位よりも下になって、順位表から消える。 高齢者(60歳~89歳)の死亡原因は、いずれも1位悪性新生物(がん)、2位心疾患、3位脳血管疾患となっている。 自殺する高齢者の数が増えているが、高齢者は自殺で亡くなる人よりも病気で亡くなる人のほうがずっと多いのだ。一方、40歳未満の若年層では、病気によって亡くなる人がそれほど多くはないので、自殺者の多さが目立つ。死の痛ましさ、命の重さに年齢や性別、個人の差はないとはいえ、若い人の自殺のほうが私には一層、痛ましく感じられる。 性別でみると、男性では25歳から44歳までの層で自殺が死亡原因の1位、女性では20歳から29歳までの層で1位となっている。 ううむ。若い人の自殺は、高齢者の自殺とはまた違った意味や重さがあると思う。いや、もっと突き詰めて考えれば、個人個人それぞれに軽々には批判できない、死を選ぶ重い理由や意味があるのだろう。 いや、待て。必ずしも「重い」とは言えないだろう。私たちはどうも死を美化する傾向があるが、自殺には「伝染病」的な側面があることが心理学や医学の専門家の間ではよく知られている。 自殺は、うつるのである。感染するのだ。 自殺者の大半がうつ病であることを考慮すれば、うつ病がうつると言ってもいいのかもしれない。 古くはタレントの岡田有希子、あるいはXJAPANのhideの後追い自殺をするファンが続出したものだった。最近では、ネット自殺の連鎖が未だに後を絶たない。 自殺は伝染病だから、ドシロウトのマスコミが扱えるようなものではなく、下手に扱えば感染を広げるばかりだと指摘する学者も多い。「事実報道」や「市民の知る権利」をタテにして反論する人もいるが、自殺の感染経路は情報である。報道する側の意図に反し、彼らは結果として感染を加速させることになっている。 報道サラリーマンな皆さんは、単にいままでの前例に従って自殺者について報道しているに過ぎないと私は思う。自殺を報道することの意味なんてまるで考えず、思考停止しているだろう、アンタら。 個人で看板背負って書いている私には、とてもそんな恐ろしいことはできない。 アメリカでは、疾病管理予防センターによって自殺伝染防止のための報道ガイドラインが設けられているという。つまり感染防止のための報道規制が行われているわけだ。http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/541001-6.html 私たち現代人は、マスコミやインターネットを通じて、何でも知りたがる。人よりも先に、人よりも有利になる情報を入手するために。 だが、報じる側は、報じるべきことをつねに正しく報じているとは限らないのだ。 何でも報じればいいというものではない。 人間には、語りえないものがある。語りえないものについては、沈黙しなければならない(と言ったのは、ヴィトゲンシュタインだっけ?)。 私が小学校の高学年のころだっただろうか、情報の扱い方に関する教育が始まった。そのような「情報教育」は、受け手としてのハウツウに終わっていないだろうか。 情報の意味、倫理性についての教育が決定的に欠けていると思う。 多くの人は受け手としての立場に依存してしまっている。送られてくる情報を疑ったり、検証するための訓練がなされていない。 一方、送り手のほうは、正確な事実を客観的に伝えることの訓練をつんでいるとはいえ、伝えることの倫理性についてはあまり深く考えていないんじゃないだろうか。どうだろう。※補足として 自殺に関する「報道規制」という言葉を使った私の意図は、「自殺について報道すべきではない」という意味ではなく、自殺の感染性について無知な記者が軽々に扱うべきではなく、配慮が必要だということを言いたいのだ。専門家のコメントを紹介するといった程度では足りず、専門家の監修を受けてそのように明記するなどの方法が考えられる。 厚生労働省の自殺防止対策有識者懇談会による報告書「自殺予防に向けての提言」(平成14年12月発表)の中にも、自殺の感染性とメディアの影響力について述べ、報道の仕方に配慮を求める一文が出てくる。>一人の自殺の結果、それに影響を受けた複数の者の自殺が誘発される場合(群発自殺)があり、これは、報道の仕方によっては、さらに拡大する可能性がある。過去にも、有名人の自殺の方法や場所、後追い自殺の発生等が、詳細かつセンセーショナルに報道され、その後、自殺が急増した例が複数報告されている。特に、児童・思春期の自殺については、こうしたリスクが高いとの指摘があり、関係者には留意していただきたい。>一方、メディアは、国民に対して大きな影響力をもつため、適切な報道によって、自殺予防に大きな力を発揮できると考えられる。自殺のサインへの気づき方、その際の対応の仕方、相談機関等自殺予防のために有用な情報を報道するよう、自殺予防を考慮した自殺報道のあり方に留意していただきたい。http://www.jil.go.jp/kisya/syaengo/20021218_01_sye/20021218_01_sye_2_4.html#5 ちなみに「群発自殺」とは、メディアによく登場する精神科医・高橋祥友氏がわが国に紹介した概念で、次のような意味で使われている。>自殺が単独で生じるばかりでなく、時に複数の人々による自殺が起きることがあり、この現象は群発自殺(clustered suicide)と呼ばれている。群発自殺には、連鎖自殺(狭義の群発自殺)、集団自殺、自殺名所での自殺等が含まれるが、これらが複雑に組み合わさって生じる場合もある。
2003年07月25日

可愛くて可愛くて。でもやっぱり困るほどジャマっけ。 ただいま子猫が仕事場に乱入。キーボードを打つ私の指にジャレつく、机の上のペンをいじる、足をよじのぼってヒザの上に乗る、床の上で遊べとペンを放り投げてもすぐに飽きて、机の上で新しいオモチャを探しにかかる。 彼女にとってはオモチャ箱みたいに見えるかなあ。付箋紙、カセットテープ、CDケース、FD、リーガルパッドの薄い紙、マニキュアの瓶、名刺、丸めたティッシュ、使いかけの綿棒……。お、マウスにも目をつけた。 いま、母が連れ出しに来てくれて一息ついたところ。やれやれ。でも、ちょっとさびしい。 捨て猫なので正確なところはわからないけれど、恐らく生後2カ月ぐらい。まだ乳首も出ていないくらいの赤ちゃん。子猫でいる時間は短いのだから、せいぜい付き合ってあげたいのだけれども、やらねばならない仕事もあるし。つらいところだなあ。 取り急ぎ原稿を一本仕上げてからまた休憩に来ます。資格に関する新聞の投書をネタに書きたいことがあるのでした。「自分ひとりの時間をもてたのが新鮮だった」という声を、再就職志望の主婦の方からよく聞きます。 彼女たちの夫である会社人間の男性も、同じようなものでしょう。会社に居れば上司や部下の間に挟まれ、ひとりになる時間はまず、持てないだろう。狭い家の中では、なおさらそうだろう。書斎なんてものを持てるのは、ごく恵まれた人だけ。 こういう変化の時代に飲み込まれず、なんとか急流の箇所もやり過ごして沈まずにいるには、「孤独力」を養うことが大切だと言った人がいます。孤独になって、自分を見つめよ。自分の魂に従え。運命のささやき声に耳を傾けよ。「孤独力」かぁ……。 ひとりで仕事をしている時間が長く、直接的な協働の機会がほとんどない私は、いまのところ生活時間の大半が孤独です。孤独力満点のタフな女!誰にも責任転嫁できない辛さよ。がまの油みたいに、鏡に映った醜く無能な自分を否が応でも見つめて冷や汗をかく日々。 物理的にも、心理的にも孤独だなあ。 夜の道を歩きながら、ふと思うのでした。孤独っていうのは、ときにヒリヒリするから、薬が必要だ。いまのところ、私にとっての薬は酒かな。依存症ぎみだ。「私は何のために、何に希望を見出して生きているのだろう」 根っからの楽天家だから、落ち込む時間は短いのだけれども、なんともいえない寂しさに心を奪われた瞬間でした。 人間には、「全面的な味方になってくれると信じられる人」が必要ですね。肉親はもちろんそうであって欲しいし、できれば、血のつながらない人にも、そういう人がいてくれたら。 友だちが大勢居るじゃない!っていう声がどこからか聞こえてきました。 そのとおり! ただね、利害がぶつかるときもあるし、お互いに気持ちをかけられないときもある。都合のいいときと、都合の悪いときがある。 だから、たまに都合のいいときと気持ちがピッタリ合うときの、なんと貴重なことよ。 もしかすると、すれ違いや小さな喧嘩とその後の関係の修復を繰り返しておくことも、強固な絆を結ぶためには必要なのかもね。 相手を傷つけまいとして、ずっといい子ちゃんで居ようとしても、それは無理なんだろう。人間は本質的に自由な生き物だから、自分の魂を殺さない限り、それはできない相談だ。 偽りの自分、愛される自分を演じても、それは真実の自分と乖離するばかり。その距離の遠さに気づいたときは、もう遅いのだ。 自然のままで居られれば、ホントとウソの間で魂を引き裂かれることはないだろうに。 もちろん、人は変わることができるけれど、無理やり変えることは難しい。 美しすぎる思い出は、みんな実際には起こらなかった夢のように思えてくる。 現実は、ぼろ雑巾のようにみじめだ。あるいは市販の新品の雑巾のように、存在価値が意味不明。汚れていれば、それが雑巾だと分かるのに、何物ともつかない。 私はゆっくりと破滅に向かっているのかもしれないし、あるいは少しずつ希望に近づいているのかもしれない。いずれにせよ、真っ暗闇の中で先が見えない。ただ、日々老いてゆき「学成り難し」な現実であることよ。とほほと言いつつ、今夜も苦い酒が止められない。おそまつ。 さあ、もう少し猫をからかってから、寝るとしようか。
2003年07月24日
温泉宿についての良質の情報が得られるページを見つけました。最近、疲れを感じている方はどうぞ。http://www.minkatsu.or.jp/onsen/index.html 温泉療養アドバイスセンター「温泉療養の手帳」(1800円)というガイドブックをメル注文で購入し、オンラインで「温泉友の会」の入会手続きをすると、パスワードがもらえます。 このパスワードで温泉宿を検索すると、かなり詳しい情報が得られ、会員のみが対象になる特別なサービスや割引料金を利用できます。割引料金は1~2割ぐらいですので、1回か2回の利用で書籍代のモトがすぐに取れちゃいますね。 なーんて説明の仕方だと、まるで回し物みたいだけど、今日、温泉療養についてのエッセイを書く準備をしていた過程で初めて知ったサイトなんです。良さそうですよ。 私は箱根・強羅あたりを狙っています。ロマンスカーって安いし、結構、好きなんだなあ。「一人泊可」「露天風呂あり」など、目的別で検索できまので、とっても便利です。 もうひとつおまけ。地図や旅行ガイドムック「マップル」でおなじみの昭文社が、この秋に温泉をテーマにした週刊百科を創刊するそうです。「マップル」に比べると、もう少しシニア向けのつくりで、作家による紀行文や温泉の歴史など、読みごたえのある記事を盛り込み、「書斎にいながら温泉気分を味わえる」のと「旅情をそそられる」のがセールスポイントだそうです。 昭文社>ニュースリリース>7月17日で詳細が出てきます。http://www.mapple.co.jp/ニュース速報! わがバンド、ジ・アクシデンツの次回ライヴは9月21日(日)夜になりそうです。会場は、いつもの原宿・ロサンゼルスクラブです。ヨロシク! スケジュール帳に書き込んでおいてね。 今回、私のソロを1曲増やしてもらえるようにリーダーと交渉中デス。
2003年07月23日
ちょうど寝付いた深夜1時ごろ、愛しい子猫ちゃんが布団の中に侵入してきて暴れまわること!また手と腕の噛み傷が増えてしまった。勘弁してくれぃ。おかげで熟睡できず、ひどい寝不足でクラクラ。 こんな日もあるさと、企画書を書き上げてから小説に没頭することに。約500ページ2段組を一気に読んでしまいました。 しばらく「積んどく」状態にしておいた、女探偵ウォーショースキー物の最新作『ビター・メモリー』。アメリカ女っていうのは、テンションが高くて疲れますね。どうしてもっと静かに上品に会話できず、いつも激しく自己主張しちゃう人たちなのでしょうか。呆れるね。 とはいえ、読み応えのあるストーリーでした。ラストでは涙がにじんじゃったよ。 彼女たちのテンションの高さを表現するのに、女言葉の日本語訳はどうも馴染まないんじゃないかと思うのでした。私はあんなふうに「わ」付き言葉を連発しないよなあ。好きな人に甘えるときを除いて……。あはは。 知的でタフな女に「わ」付き言葉は似合わねえ。私が日本語で女探偵の物語を書くとしたら、会話文だけでは性別不能な文体を工夫するけどね。 ああ、読書の夏だこと。というか、浮世離れした能天気な平日であることよ。「夏枯れ」と言うのかもしれません。9月まで、白さの目立つ手帳であった。 ま、インプットをたくさんしないと、アウトプットもできないからね。まだ机の上には30㎝超の「積んどく」の山がふたつと、同じ高さの仕事関係の資料が3つぐらいある。新聞の山はこの連休であらかた片付けたんだけど、切り抜いた分のファイリングが手付かずだ。 さてと……。今夜はどの本を寝床へ持ち込もうかな。子猫ちゃんに邪魔されないように、かわいそうだけれど今夜は寝室の戸を閉めておかないと。
2003年07月22日
コイツはやっぱり、首輪でもつけておかないことには、どうにもならないね。昨夜も気がついたら居酒屋のカウンターにもたれかかって与太話をしていた。「映画の話をしようよ。好きな映画俳優は誰?」 と、トートツに隣の席の男性に尋ねられた。私は初対面だけれど、連れの女ともだちが顔見知りだったので、いつの間にか一緒に話していたのだった。「うーん、大勢いるけど……」と、私。 すぐに突っ込まれた。「好きな男が大勢いるんだってよ」。いぢわるぅ。そうじゃなくて。「いま思い浮かんだのはね。“ライト・スタッフ”のサム・シェパード。あの冒頭のシーンがステキだったね」 砂漠の真ん中にある、西部劇によく出てきそうな酒場でサムが飲んでいると、思わず生唾を飲み込んでしまう美女が怪しい笑みを浮かべて登場。マグダラのマリアをまさに涜神的に演じて話題になったバーバラ・ハーシーである。当然のようにサムが口説く。ちょっと下品なくらいに。 そして、洒落た愛の言葉の応酬。連れ立って外に出て、なんと、馬に乗って走り去っていく。 その後の会話から、じつは二人は夫婦であり、ゲームのようにそのシーンと会話を楽しんでいたことが分かる。 ああいう夫婦になりたいなあと、映画を見たときに私は猛烈に思ったのだった。永遠に恋人な夫婦……。 しかし、未だに夢は叶わない。 もう、「恋愛市場」にちょうどいいような相手が余っていないから半ばあきらめているのだけれども、まあ、夢を見続けることは自由でしょ。 これから結婚するとしたら、お互いに独りの生活が長くて自立しているのだから、べったりの依存的な関係は不愉快だろうなあ。 週末だけ一緒に時間をすごす「週末婚」みたいなのが理想だ。ウィークデーはお互い、仕事や好きなことに没頭する。身の回りの世話は、いままでどおりにちゃんと自分でする。 そして、週末になったら二人だけの濃密(!?)な時間をすごすのだ。 田舎のほうの、何もないシンプルな家がいいなあ。庭に面して長い縁側があるような古い家。モノは必要最小限にとどめて、ただし、美味しい料理とお酒は絶対に欠かさないこと。 二人で一緒に料理をして、お互いに味を褒めあうというのも、昔からの夢だった。 一緒に畑仕事したり、釣りをしたりするのも楽しそう。じいさん、ばあさんな趣味かもね。それならまだ何とかなるかな。 さてと、バーテンダーをすっぱり辞め、陶芸家を目指して備前で修行中の若いボーイフレンドに電話をしなくちゃ。「お中元」の熨斗紙つきで、立派な黄桃を送ってくれたのだった。ごちそうさま♪
2003年07月21日
我ながら驚きました。昨夜、バーで請求されたお金が1万6,000円!どひゃー。 べつに暴利をむさぼる店じゃなく、むしろ良心的な価格のお店なんです。単に私が飲みすぎただけ。 チーズの盛り合わせ1皿のほか、お酒が8杯。ショット2,000円の高級ウィスキーが2杯と、同じ値段の超豪華ベリーニ(桃とシャンパンのカクテル)が含まれていますので、こんな値段になっちゃったワケ。サービス料が1割乗りますし。 バーは独り遊びを愛する人の極楽浄土みたいなものかなあ。すごーく幸せだった。初めてお話しした他の常連客と、ベタつくでもなく、適当な距離を保っていられるのも、ああ、大人の場所だなあという感じ。 それにしてもこれほどの散財は、年に一度ぐらいにしておかなくちゃね。 午前中はジムで汗を流し、午後からはカルチャーセンターでカウンセリングのお勉強。というわけで、心もカラダもピュアな状態だったのだろう。 すべてのお酒が美味しく、バーテンダーのすべての所作が美しく輝いて見え、隣のお客さんとのお喋りが心地よく、口から宝石や花が出てくるみたいに見えた。 あははは。変性意識状態になるまで飲むのは止めましょうね<自分。 あのとき、私の脳から分泌されていたものを抽出すると、「うつ病」の特効薬ができるかもしれませんね。 カウンセリングの勉強会で、ペアになった人から「おおらかな性格なんですね。カウンセリングの勉強をしている人には珍しい」なんて言われちゃいました。 ふうむ。「おおらかな性格」ねえ。そういうことなんだろうなあ。へえ。私っておおらかなんだ。と、今さらながら深く感心するのでした。 でもまあ、この丼勘定+自転車操業状態をいい加減でヤメにしないと、ホント、将来ヤバイぞっと思う半面、なんとかなるだろうってどこかで思っているから、何も変わらないんだろうなあ。 さ、今日はバンドの練習もあるし、生きる喜びを味わう1日にしようね。
2003年07月20日
「想像を絶する」「理解不能」「常識では考えられない」という言葉で形容される凶悪な事件が続発している。 犯人は「異常者」「怪物」「極刑に処して抹殺すべきもの」と言われ、それで人々は自分の心に決着をつけ、心の平安を保とうとする。「犯人は特別な存在だ。自分とは関係がない。世の中の悪者は一人残らず始末してくれ。そうでないと私が困る。悪者を退治することのできないやつらは無能だ。なんとかしろ!」 でも、それは違うぞと私は思う。 怪物は自分たちの中にもいる。犯人は怪物ではなく、人間だからだ。 繰り返そう。「怪物は自分たちの中にいる」という認識に立たなければ、今後、何も変わらないだろう。同じようなことが繰り返されるだけだ。 罪を犯さず、真っ当な社会人として生きていくことのできる人は、自分の中の「怪物」をうまく飼い馴らすことができる。それはとても重要なことだ。 ときには「怪物」の本性が表に出そうになったり、少しだけ出てしまうことがあるけれども、自分でコントロールでき、「怪物」のいる「向こう側の世界」から戻ってくることができる。だから大丈夫だ。自分でコントロールできるということが、とても重要なことだ。 でも、子供はコントロールが効かない。怪物のいる「向こう側の世界」から戻って来れない。 コントロールの方法を教えるのが親であり、学校であり、地域であり、社会である。 長崎の事件を起こした少年を、孤独にしてはいけなかった。彼は、マンションの1階でひとりぽつんと椅子に座っている姿をしばしば目撃され、近所の人たちに「何時ですか?」としつこく尋ねたという。そんな彼に対して、人間としてまともな付き合いができなかった大人にも多少の責任はあるのではないか。 起こってしまったことに対しては何とでも言える。人間の頭脳は、そんなことのために使うものではない。二度と同じようなことを繰り返さないために、使うべきではないだろうか。 少年法を改正せよ!という意見には、私は反対だ。善悪の判断が未成熟で、衝動的に罪を犯してしまう幼い子供たちには、重い刑罰が抑止力になるはずがない。げんにサカキバラ事件以降、適用年齢の引き下げが行われた後も、犯罪の発生件数は減っていないと聞く。 少年の親を市中引き回しにして、打ち首にせよ!と言った大臣や、彼を支持する人々を、私は軽蔑する。少年とその親を憎み、罰するだけでは何も解決しない。 少年とその親を憎み、重い罰を与えようという人は、自分の中の「怪物」と対決するのが怖いのだろう。臆病者め。もしかすると、怪物をコントロールする力が弱いのかもしれない。次に「理解不能」な罪を犯す人間は、むしろこういう人たちの中から出てくるのであろうと私は思う。 だから、「もしかすると、私もあの少年のような子どもに育ててしまうのかもしれない」と震撼した親たちが多いという報道を聞いたとき、ああ、世の中には真っ当な人がまだまだ大勢いるのだ。嫌な世の中だけれども希望はあるサと心底思った。救いを感じた。 私たちは、自分の中の「怪物」とずっと闘っていかねばならない。でも、その闘いは、決して孤独でも無益でもない。みんなで手を携えて一緒に闘えばいいじゃないか。 自分や自分の愛する子どもの中に潜んでいる「怪物」に気づき、おびえを感じる人たちは、決して少数派じゃないと思う。みんなで一緒に「怪物」と闘おう。ひとりで闘おうだなんて、無理しちゃだめ。 駿ちゃんが亡くなった駐車場前に置かれた中学校教師の手紙が話題を呼んでいる。「スタンドプレーだ」「ええかっこしぃ」「いまさら遅い」と批判するムキもあるが、私はこの手紙に希望を見出した。こういう人がいる社会なら、まだまだ生きていく価値があるぞ。仲間がいるぞと思った。「駿くんのことを、生徒と一緒に語り合いました。命を命と思わない心、自分自身の中にもあるかもしれない邪悪な心と対決していく誓いを交わしました(中略)教師である限り、それを続けます」 自分自身の中にあるかもしれない怪物と対決していくのは、何も教師だけの仕事ではなく、同時代に生きる私たち全員の「人間としての仕事だ」と私は思う。 おまけ。久々にスティーブン・キングの小説が読みたくなったぞっと。
2003年07月18日
あるセミナーの一番最後に、受講者からこんな質問が出ました。「ある資格を取ったとして、その求人が求人広告に載っていなかったら、どうすればいいのでしょうか」 どんな資格かにもよるけれど、まずはその資格の認定団体に問い合わせ、どのような業種、職種でその資格のニーズがあるのかを調べてみること。 それがわかったら、そのような業種、職種で人を活用している会社を調べ、自分から「採用はありませんか」と売り込んでみましょう。 どのように会社を調べるかって? 電話帳があるじゃないですか。タウンページです。業種別に分類されていますから、片っ端から電話してみればいい。 そんなふうに応えたら、会場からどよめきが起こりました。「そこまでするのー?!」 ……ということなんでしょうね。 このとき、どよめく側に回るか、「気づき」を得ることができるかで、その後の人生が違ってきますね。 普通の人は、そこまでしない。だから逆にチャンスがあるんじゃないかと気づける人は、いい。「よし、やってみよう」と思えたら、もっといい。 電話しても、最初は断られてばかりでしょう。でも、人間にはせっかく天から授かった頭脳があるのだから、断られ続けるうちに何か知恵が出てくるはずです。それが何かって?まあ、やってみてくださいな。 それはさておき、だいたい、資格を取ってから「求人がない」と大騒ぎするようでは遅いのです。資格を取る前に、その資格についての社会的評価や人材ニーズがどの程度あるのかを自分でちゃんとリサーチしなくちゃ。 就職情報誌や資格事典のようなものを1冊ぐらい読んだぐらいで、その内容を鵜呑みにしちゃダメですぜ。かといって、周囲の風評に左右されてもアホみたい。 複数の情報源をあたり、「検証」してみましょう。あたるべき情報源は、まずは資格の認定団体、資格試験対策の講座を持っているスクール。その質問のし方も伝授しちゃいましょう。「この資格を取得したら、本当に就職に有利になりますか?」 ヨイショな広告ばかり書いているコピーライターには、恐ろしくてとてもできない質問ですね。でも、資格認定団体やスクールの見込み客であるアナタならできる質問ですし、質問しなくちゃならない。当然の権利です。 そうすると、たいてい「アナタの努力しだいです」というような答えが返ってくることでしょう。それでナットクしちゃダメですぜ。「ええ、もちろん努力しますとも。でも、そちらの団体(スクール)は何か就職をバックアップしてくれないのですか。あるいは、過去の就職状況などの調査をしていないのですか」 もっと突っ込みましょう。「私のように、全く実務経験のない者が資格を取った場合でも、就職できるのでしょうか。実際にそういう人で就職した人はいますか。その人はいま、どんな就業形態で働いているのでしょうか。資格を生かせているのでしょうか」 ここまで答えられないようで資格を認定している団体なんて、信じちゃダメですぜ。受験対策講座を持っているスクールにしても同じこと。 日本人ってマジメだから、勉強が好きなんですよね。資格マニアも大勢いる。 でもね、資格は勉強のための勉強に終わらせたら、意味がないじゃないですか。お金も時間もたっぷりかけないと資格は取れないんだから、ちゃんとモトを取らなくちゃ。 だから、まずは資格を選ぶ段階で、そして勉強している間にも、並行してその資格を生かすための方法を自分で色々と調べなくちゃ。 インプットとアウトプットということで考えてみてください。資格はインプットです。資格取得のための勉強を通じて、自分の中に特定の職業分野の専門知識や技能について、たっぷりとインプットすることができます。 でもね、インプットしたものは、外から見えません。自分でアウトプットしなくちゃ、意味がありませんよ。 まずは、「私は……ができます」とアピールし、チャンスを与えてもらうこと。転職、就職、希望する部署への異動、仕事の振り分けなどのチャンスを与えてもらうこと。 次に、チャンスを生かして具体的な成果を出すこと。いままで他の人にできなかった難題の解決、売り上げの増大、新規顧客の獲得等々。「お!できるじゃないか」「さすがその道のプロだね」「しっかり勉強しただけのことはあるね」と思わせる。 そうすると、評価が後からついてきます。期待どおりの報酬やポジション、あるいは期待にはちょっと至らなくても、安定した報酬とポジションを維持できること。 アクションを起こさなきゃ。チャンスをつかもうよ! そして、成果を出すんだよ。 資格さえ取れば何とかなると思っている人が世の中にはゴマンといますが、資格だけとっても何にもならないのです。「資格は色々持っているけれど、何にも生かせていない。結局は自己満足に過ぎなかった」 こんなふうに言う人がよくいます。でもね、そんなことは、もう二度と言っちゃダメですよ。なぜって、そんなことを言えばね、「私はチャンスを生かせない愚か者です。役に立つかどうか分からないものに対して貴重な時間とお金を費やし、ムダにした、全く計画性のない者です」 と、言っているのに等しいのだから。 だからね、「資格なんて取っても役に立たないよ」っていう周囲の風評も気にしちゃダメですよ。 心の中でこんなふうに反論するのが正しいのです。「あなたは資格を生かせない愚か者かもしれないけれど、私には資格を取って自分を成長させようという意欲があり、しかも、自分のよさを生かせる資格を選び分けるだけの分別があり、さらに、資格を取った後に自分でチャンスをつくり、チャンスを生かし、成果を出して、評価を上げるだけの意欲と実力を持っているのだ!」 インプットよりもアウトプット!ただし、もちろん、インプットがなくて中身が空っぽだったら、何もアウトプットはできないのだということもお忘れなく。
2003年07月17日
私の本業のひとつ、適職発見セミナーでいつも話していることを少々ご紹介します。再就職志望の主婦の皆さん向けにお話しする機会が多く、他には中高年、高校生にお話ししたこともあります。 昨日も町田でセミナー講師の仕事がありました。お蔭様で満員の大盛況。机が足りなくて椅子席の人も出てしまいました。窮屈で息苦しかったかもしれません。ごめんなさい。復習用にまとめてみました。 適職を発見するには、第1に自己理解から始めましょう。いわば「自分探し」ですね。同時に職業理解が必要です。 自己理解とは、「自分はどんな仕事に興味があるのか」(興味)、「どんな仕事ならできそうか」(能力・適性)、「どんな仕事にやりがいと感ずるのか」(価値観)といった3つの視点から考えてみるとよいでしょう。 これまでの自分の人生を振り返り、好きだったこと、ほめられた体験、生きがいを感じた瞬間などを思い出してみましょう。それぞれ、3つぐらい書き出してみましょう。 ただし、自分の経験の範囲内だけでは「できそうな職業」として思いつくものが限られてきますので、さまざまな職業情報を集め、職業についての見方もいままでとは違う角度、視点にずらしてみると、新しい発見が得られるでしょう。 職業情報については、図書館や書店で資格ガイド、職業ガイドなどを入手して、必要なページをノートに書き写して整理することをおすすめします。 読んだだけでは、なかなかアタマの中に入ってこないものです。分かったことを項目別に整理することによって、まだ足りない情報や、自分が本当に必要としている情報が何かが分かるはずです。 単に情報を集めるだけでなく、「何を知りたいか」「どのような情報を必要としているのか」というターゲットを絞って一歩ずつ進んでいかないと、何も残らないでしょう。 情報は、本や雑誌、インターネットなどのメディアから得られるばかりでなく、人からも得られます。むしろこのほうが重要です。「あんな仕事ができたらいいなあ」と思える職種に就いている先輩を探し当て、その人から、①仕事に就くまでのプロセス、②仕事の中身(ある1日の動き、1か月の動きなど)、③仕事のやりがい、④仕事の大変さ、⑤後に続く後輩へのメッセージなどをたずねてみましょう。きっと気持ちよく話してくれるはずです。 自分を見つめ、職業情報を探索し、それでもまだ答えが見えてこないとか、「あれかこれか」で揺れ動く人も多いかもしれません。それは、「やりたい」ことが本当に「できる」かどうか確信がもてないからでしょう。 職業情報の調べ方には2種類あります。ひとつは、前に述べたように、職種や資格の中身について調べること。そしてもうひとつが、その職種や資格に対する世の中のニーズ情報です。「とらばーゆ」「Bing」などの求人誌や新聞の求人広告を調べたり、ハローワークの求人票、インターネットの求人情報サイトをチェックすることで、世の中でニーズの高い職種や採用条件について知ることができます。その際、1度や2度見ただけで「自分に合うものはない」とあきらめず、最低でも1か月ぐらい続けてリサーチすることをお勧めします。求人には波があり、変動するからです。 いますぐ転職・再就職するつもりがなくても、前もって求人情報の傾向を長期的にリサーチし、自分に合いそうな情報についてはコピーをとってストックし、給与、必要とされる資格、勤務条件などを比較検討し、「ここまでの条件なら妥協できる」というラインを見極めておくといいでしょう。 求人ニーズを調べれば、自分の持っている資格や職業能力、勤務経験がどの程度評価されるのかという「市場価値」について見当をつけることができます。 自分の市場価値はまだまだ低い、もっと職業能力を高めなければ通用しないと思うようであれば、専門のスクールに通って資格を取るなどの準備をするか、あるいは志望のランクをいったん下げてでもとにかく現場に入り、実務経験を積んでいくかという2つの選択肢が考えられます。 でも、この2つのうちのどちらを選んでいいか分からない、踏み切れないという人もいるかもしれません。 悩むことは決して悪いことではありません。それは、新しいものを生み出す前に必要な試練のようなものでしょう。エネルギーがぐるぐる渦巻いて、放出すべき方向が見つからず、グチャグチャ、ドロドロしている感じかな。成長の前の痛みのようなもので、苦しいかもしれません。 そんなドロドロから抜け出すためには、それまでとは考え方のリズムを変え、ものごとを見るときのフィルターを変えて見るといいでしょう。 いままで説明してきたことは、すべて「原因があって結果がある」というルールに従う考え方でした。でも、世の中には、原因がよく分からないのだけれども起こってしまうことがあります。「原因→結果」というサイクルからいったん離れてみましょう。 世の中には原因は知ることが出来なくても、「自分の人生にとって意味のある出来事」があります。「適職」は、何らかの原因によってもたらされる結果かもしれませんが、私たちはもうひとつ、「天職」という言葉を知っています。「天職」には原因がないけれども、「意味」がある。どんなに念入りに準備したからといって手に入れられるものではなく、やってみて初めて「ああ、これが自分にとっては天職だった」と気づくものですよね。 そう、トコトン悩んだら、運を天に任せることも大切です。「運」という言葉が嫌いなら、「根拠のない自信」と言い換えてもいい。 最先端のキャリア理論として注目されているひとつに、「計画された偶然理論」というものがあります。原語ではPlanned Happenstance Theoryといいます。 アメリカのジョン・クランボルツという人が提唱した理論です。キャリア上で輝かしい成功を収めている人を数百人ニンタビューし、なぜ、成功したのかという秘訣を探っていくと、そこには偶然が支配しているということを言っています。 なんだかテキトーな理論のように聞こえるかもしれませんが、要は、「成功している人は、一見、偶然に見えるチャンスを必然的に活用できるのだ」ということです。 そのような人に共通する資質として挙げられているのは、1)好奇心(curiosity)2)こだわり(persistence)3)柔軟性(flexibility)4)楽観性(optimism)5)リスクを取る(risk taking) という5点です。 日本人の場合、5番目がとくに弱いのではないでしょうか。「自立と自己責任」というテーマがしつこいほど繰り返されているように。 日本におけるトランスパーソナル心理学の第一人者である諸富祥彦さんも、同じようなことを言っていました。前にも書いたことがありますが、彼がある雑誌のインタビュー記事用に私に話してくれた「天職の見つけ方」をここでもう一度紹介しておきましょう。1)好きなことに没頭してみる。単なる趣味だからとバカにせず、好きなことにのめり込んでみる。2)周囲の人の意見に耳を傾ける。「やってごらんよ」と言われたものを試してみると、意外に向いているのかもしれない。ただし、盲目的に他人の意見に従うのはいけない。3)偶然を大切にする。最初はあまり気乗りがしなかったものでも、偶然出会ったことに身を任せてみる。これは自分にとってどのような意味があるのだろうかと考えながらやってみると、意外にハマリ役かもしれないと思えたり、おもしろくなってくる場合もある。4)「自分にはこの仕事しかない」「この仕事をしなければならない」と決め付けるのがいちばんよくない。もしもその仕事で失敗したら、他に道がないからだ。 どうでしょうか。天職が見つかりそうな気がしてきたでしょうか。「気がする」だけでオッケーです。どちらの方向へ進めば天職が見つかりそうか、なんとなくわかって、そちらの方向へ踏み出すことが大切です。 選んだ仕事が天職かどうかは、後になって分かるものだから、最初はあまり囚われなくてもいいのです。 そんないい加減なことでは、就職試験の際に「なぜ、この仕事を志望するのか」という志望動機をアピールすることができないじゃないかって? そのとおり。 自分の中で適職や天職を模索することと、就職試験の自己ピーアールでは、方法がちょっと違います。 自己PRするときには、「貢献力」を具体的に示すことが第一です。その仕事を「やりたい」だけじゃなく、「できるのだ」ということを証明するのです。 その方法については……長くなるので、また改めましょう。
2003年07月16日

命の洗濯というか、非日常体験というか、旅をきっかけに、あわただしい日常とは違うリズムで、レンズで、ものごとを見ることができました。 詳しくはまた後ほど。 疲れたので寝ます。明日は町田で講演です。and more!
2003年07月14日
ちょっと伊豆のほうへ行ってきます。踊り子のグリーン車で大宴会、宿は薔薇風呂、シャンパン、舟盛りの刺身、そして、お台場の温泉。ではまた月曜の夜に。
2003年07月13日

子猫が我が家に来て、早くも3日目。ようやく写真をとる暇ができたので、激写しました。 and more! 猫好きのおうちの前に棄てられていたノラで、そのおうちは既に猫がたくさんいて飼えないとのことで、譲り受けたのでした。「あいちゃん」と名づけました。私は自分の名前が変わっているので、ペットには普通の名前がいいなあと思い、それに、洋風の名前も好きではなくて、結局、父の案で「あいちゃん」になりました。畏れ多いところがいいじゃんか。 子猫って、猛烈に元気なんですね。動く、動く。起きている間は全然、じっとしていません。 とくに鼠のオモチャがお気に入りで、じゃれる、じゃれる。3日目で既に尻尾は取れるわ、毛は抜けるわで、こりゃ、消耗品だ。 釣竿の先にぶら下がっているオモチャです。揺らすと飛びついたり、猫パンチを食らわせたり。捕まえるととどめを刺すつもりか、後ろ足でガリガリ引っかくのがおもしろくて。 見ていて飽きませんね。オモチャで遊ぶ子猫が私のオモチャって感じ。 ご覧のとおりの「キジシロ」で、顔と足の部分に少しキジ模様が入っています。鼻がピンクじゃないのが惜しいけれど、ニクキュウにはピンクの部分が残っていてカワイイ! 棄てられていたときに、風邪を引いてしまったようで、拾い主が獣医さんのところへ連れて行ってくれました。点耳薬、目薬、飲み薬の3種を朝、夕に与えます。嫌がるのでこれがなかなか大変。喉をやられたのか、声帯が未発達なのか、鳴き声はほとんど聞こえません。たまに、ハスキーな声で囁くだけなのがちょっと心配。 運動能力が高そうで、好奇心旺盛なので、そのうち芸でも仕込もうかな。「老夫婦2人でいると、とくに話すことがないのだけれど、猫のおかげだね」と、両親は子猫ちゃんにベタベタです。我が家に天使が来たみたい。
2003年07月11日

今日はこれから上尾で講演です。急いで支度して出かけないと……。 昨日の夜に近くのカフェで食べたトマトの冷製パスタが美味しかったので、ソースの作り方をシェフに教えていただきました。 生のトマトを湯むきして、ミキサーにかけます。このとき加えるのは、塩、刻んだにんにく、オリーヴオイル。少し長めにかけ、クリーミィにとろりとさせます。 トマトの冷製パスタというと、トマトは小さいダイスに刻んだものが一般的かと思いますが、こうしてクリーミィなソースにすると麺にからみやすく、まったりとコクのある味わいになります。生クリームが入っているの?って思わず訊いてしまいました。 盛り付けは、浅めのどんぶりで、焼きナスと甘いフルーツトマトが2切れずつ添えてあって、パスタの上には青紫蘇の千切りがあしらってありました。実に上品。焼きナスのスモーキィな味が嬉しかったなあ。 皆様もお試しあれ。 今日のお昼は、大宮にあるイタリアンに寄ってみようかしらん。上品なマダムが切り盛りしていて、じつに浮世離れした空間なんです。 予定どおり、大宮でパスタランチしてきました。前菜、パスタ、パン、デザート、コーヒーまたは紅茶のコースを選択。前菜とパスタは各4品の中から好きなものを選べます。 前菜は、鴨肉の燻製と焼き茄子のサラダ仕立て、パスタはズワイ蟹とズッキーニのタリアテッレを選択しました。そして、グラスワインの白をオーダー。「麝香の香りがしますよ」とのサジェスチョンでした。 うーん、まさにそんな感じ。ゴージャスで深みがある。嫣然と微笑みかける東洋の美女って感じの味だわ。ライチの香りのリキュール、ディータを思わせるところもあって。 パスタが来る前に飲み干してしまったので、もう1杯お代わり。 ベネト州産で、ソーヴィニオンブラン種だそうです。うーん、こんなゴージャスな香りがソーヴィニオンブランで出るとは。凄い作り手だなあ。CAPPUCCINAとか書いてありました。 鴨の燻製は、これはイタリアのお約束なのか、ざらめか何かで表面に甘みをつけてあります。それがまた、鴨の血の気の多い味とマッチするんだわ。ソースはバルサミコを使ってある感じね。 タリアテッレは、お約束のクリーミィなソース。ズッキーニも麺に合わせて細長くスライスしてあるのがご愛嬌。全体に黄色っぽいのは、何のせい? まったりとやさしくて美味しかった。「ベネチア」という名前の店で、そこかしこにベネシアングラスが並べてある。窓はステンドグラス。BGMはオペラね。向かい側にレクター博士が座っていそうな感じ。うふふ。 日常を忘れさせてくれる、異郷といった感じの空間。あわただしい時間の中のエアポケットみたい。 私もこのひとときだけ、「異人」の境地を楽しもう。そして、グラスワインをもう一杯。今度は赤をお願い。「チーズも一緒に召し上がりますか?」 もちろん! ワインだけだと、硬質でつまらない感じだったけれど、おや不思議。チーズにあわせると、木綿の生地がビロードになったみたいな変わりよう。驚きです。 牛乳が2種と羊乳が2種。フレッシュな味のほうは、複雑みのある苦味がして、瞑想的というか、ダウナー系というか、いい気持ちにさせてくれる味でした。 そして、デザートは、口の中でふんわりと溶けるチーズのスフレに、シャーベットが3種。蜂蜜とカシスとマンゴーだっけ?うっとり……。 グラッパもお願い! と、言いたくなる気持ちをどうにか抑え、店を出たのでした。 来週の今日もまた上尾で講演の仕事があるので、再びゴージャスなランチを楽しんじゃおうかな♪ というわけでゴキゲンです。昨日の夜、神楽坂の某所で聞いた「噂の真相」編集長・岡留さんの対談について書こうかと思ったのですが、ちょいとシビアな話なので、また後ほど。 帰りに寄った本屋では、今日発売の「噂の真相」と、メディアの危機についての特集が目を引いた「世界」、そしてチョムスキーの『メディア・コントロール』を購入。「噂の真相」なきあと、ペンは剣に対して永遠に敗北し続けるのだろうか。権力が腐敗しないための、ジャーナリズムによるチェック機能は、個人情報保護法という名前で官僚がカモフラージュした実質「政治家スキャンダルもみ消し法」によって骨抜きにされてしまうのだろうか。 あ、結局書いてるなあ(^^; 映画好きな方に教えていただきたいことがあるんですけど、権力の腐敗の告発ということで思い出したシーンなんですが、なんの映画だったか思い出せなくて。 権力者のスキャンダルの証拠を握った主人公は、いろいろなところから狙われて、誰も信じられなくて、最後に駆け込んだ先がある雑誌の編集部なんです。 その雑誌とは、「ローリング・ストーン」誌! その看板がかかったビルの中に主人公が入っていくところがラストシーンです。なんでしたっけ?アメリカン・ニューシネマの流れを組む70年代の作品だったような気がするけど。「噂の真相」なきあと、スポンサータブーに左右されず、右翼や政治家の圧力に屈せず書くことのできる雑誌って、あるんだろうか? 対立構造をうまく利用するとして、民主党や共産党の機関紙の編集部に駆け込む手もあるだろうか。でも、フィルターがかかっているメディアは、多くの人には支持されないだろうし。 いま検討されている内部告発者保護法、つまりディープスロート保護法が実現すれば、権力の腐敗に対するチェック機能として働くのだろうか?甘いか? 住民運動、労働組合運動のすべてが低調で、だれもが大人しく管理される社会になってしまったいま、本当の自由はどこにあるのだろう。 みんな、自由のほんとうの味を忘れていないかい? 舌を鍛えなければグルメは1日にしてならず。自由の味もしかり。トコトン、うしなってみて初めてそのありがたみがわかるのだろう。「噂の真相」休刊は、読者への挑戦であると同時に、岡留さんの愛情あふれる最後のメッセージだと思った。 来年4月で終わりにしたら、沖縄へ移住し、その後は世界放浪の旅に出るのだそうだ。いいなあ。私も沖縄へ移住したい。
2003年07月10日
漂泊の旅の詩人といえば、日本人が昔から大好きなパターンかもしれない。私も例外じゃなくて、高校時代は松尾芭蕉にハマリ、句集や評論集を読みまくった。とくに山本健吉著『芭蕉』に心酔したものだった。 そして昨日の日記に書いたように、尾崎放哉~種田山頭火~住宅顕信という詩人たちに「呼ばれてしまった」のだった。 ところで、女性の漂泊の詩人というのは、あまり聞いたことがない。どこかにいないだろうか。存在し得ないのだろうか……。 そんなことを思っていたら、また「呼ばれてしまった」。今度は高群逸枝だった。生涯を女性史研究に捧げたあの偉大な女性。 彼女は若いとき、恋愛問題に悩んだ末に、四国の「お遍路さん」の旅に出たのだそうだ。当時(1918年)、若い女性のお遍路さんは珍しく、ハンセン氏病にかかって故郷から追い出されたとか、よほどの事情を抱えた人に限られたそうな。http://www.geocities.jp/michio_nozawa/episode40.html 「若い女の一人旅―それはこんなにも怪しまれるものなのか」と彼女は巡礼記の中で書いているという。 そうだよなあ。女性ひとり漂泊の旅だなんて、昔だったら危険極まりなく、ネギが鴨背負って歩いているみたいなものだろう(?)。遊女と間違われても仕方がない。 いまだって、強姦する男のことを「元気があっていい」と平然と言ってのける輩が代議士になるぐらいだから、五十歩百歩だ。 それにしても、お遍路さんか……うーん、なんだか呼ばれているような気がしてきた。 そういえば、漂泊の旅を歌う女ロケンローラーもいたっけ。♪あまりに悲しいことばかりで どこか遠くへ 旅に出ようと ポケットに思い出詰め込み ひとり汽車に乗ったの オマケ。「漂白の旅」じゃあ、ガングロが美白に宗旨替えするみたいだねえ。わはは。
2003年07月09日

今年もクラプトンが来るぞっと。日本だけのスペシャル・コンサートね。 大阪→さいたま→横浜→東京と回り、日本武道館での公演日は、11月29日(土)、30日(日)、12月2日(火)、3日(水)、9日(火)、10日(水)の6日間。S席9,000円だそうです。いつ行こうか、何回行こうか(^^) クラプトンの思い出話その他は、また後ほど。今日はこれから浦安で講演です。その後、原稿のタイムリミットが迫っていますが、お昼休みという口実で入谷の朝顔市に寄りたいなあ。どうしよう。 浦安の講演は、参加者の年齢がいつもより若い感じであった。最後まで熱心に聞いてくださって、こちらもノリノリ。 終了後、近くにあった老舗の天麩羅屋でお昼ご飯をご馳走になった。貝柱とあさりの剥き身のかき揚げが秀逸。また食べに来たいぐらいだ。 帰り道に、ちょいと遠回りして入谷鬼子母神の朝顔市へ回った。お参りをしてから、出てすぐの39番の店で行灯作りの4色咲き朝顔2,000円の鉢を買った。「毎年、ここに出しているから、この番号を覚えてね。いい番号でしょう。よく咲くってね」 見たところ、茎も太いし、つぼみもたくさんある。葉が少ないのが気がかりだが、その分、花に栄養が回るということなら納得だけど、結果はここ数日に分かるわけだ。楽しみ。 帰宅後、企画書作りの仕事に取り掛かり、新聞の山を崩しにかかる。なかなかいいネタが見つからないなあ。 企画には結びつきそうにないが、尾崎放哉の俳句がふと目に留まった。「咳をしても一人」 魂が震えたような気がした。そして、彼の終焉の地である小豆島を訪ねた新聞記者の紀行文を読みふけった(以下、朝日新聞2003年7月5日日曜版「be」より)。 尾崎放哉は、東京帝大法学部卒のエリートだったが、人間関係と酒の失敗で会社を解雇され、妻からも見捨てられ、放浪の旅に出た。 肋膜炎を患い、日々の肉体労働についていけなくなったため、1925年、自由律詩の師で大学の先輩である荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)に手紙を書き、住みかとなる庵の紹介を頼んだ。その条件とは……「淋しい処でもよいから番人がしたい」「近所の子供に読書や英語でも教えて、タバコ代ぐらいもらいたい」「小さい庵でよい」「それから、すぐ、そばに海があると、もっとよい」(原文はカタカナと漢字交じり文) そして井泉水から紹介されたのが、小豆島だった。 都会育ちのエリート意識を棄てられず、鼻つまみ者だったらしい。みんなに嫌われながら、41年間の生涯最後の8カ月を過ごした。「咳をしても一人」は、小豆島で作った216句の中のひとつ。 食欲があったころは食べ物に関する句もあったが、病状が進むにつれ、身体の衰えを描いた句も目立ち、やがては死に関する句になっていった。 紀行文の筆者である記者の言葉が胸をうつ。(亡くなるまでの8カ月に)「やったことはただひとつ。みんなに嫌われ、ひとりで句を作り、「孤独」に向かって突っ走ることだけだった」。 孤独に向かって突っ走る……か。ううむ。 放哉の詩は、↓このページでたくさん読めます。 小豆島 尾崎放哉記念館http://www2.netwave.or.jp/~hosai/ 放哉の訃報にふれた種田山頭火は、「放哉居士の作に和して」と前置きし、こんな句を作ったそうだ。「烏啼いてわたしも一人」 山頭火も放哉と同じく、酒で失敗し、家族のもとから遁走した漂泊の詩人だった。「フーテンの寅さん」こと渥美清は、いつか映画で放哉を演じることを願い、自らも自由律詩を好んで作ったという。「いわせれば文句ありそなせんべい布団」「どぶろくやはらかく噛んで眠くなってくる」 なかなかいい味。句会での俳号は「風天」だったという。 作家・吉村昭が放哉の生涯を『海も暮れきる』(講談社文庫)という小説に描いているそうだ。さっそくネット書店で注文。放哉、山頭火の句集も一緒に。 すると、おすすめメッセージがついてきて、住宅顕信という人の句集を知った。「23歳で白血病に倒れ、妻にも去られ、病室で幼子を育てながらわずか25歳で世を去ったひとりの俳人。生と死、孤独と絶望、その中で懸命に生き、そこからこぼれ落ちる魂の叫び。その人の名はスミタク・ケンシン」 1961年生まれで、十代後半から、種田山頭火、尾崎放哉に傾倒し、同人誌に投句を始めた。入院中に自費出版した『試作帳』で世に知られるようになった。 尾崎放哉~種田山頭火~住宅顕信という、孤独の中に生きた漂泊の詩人たちから、なんだか呼ばれてしまったようだ。 鶴首して本が届くのを待つのみ。 ライターとしてもカウンセラーとしても中途半端な私だけれども、何より人間として中途半端だなあと思い、やりきれぬ孤独感に襲われるのだった。 仕事するより他に能がなく、その仕事にしても超一流というわけでもなく、あらかじめ配偶者や子供に恵まれない運命なのだなあと思うとねえ……。でもまあ、そういう生き方だってアリですよねと問いかけたときに、同意してくれる先輩がどこかにいるといいなあと思いつつ。
2003年07月08日
ここ数年、七夕はいつも雨降りだったような記憶がある。一年に一度の逢瀬が雨で流れてしまうなんて、なんとも気の毒なこと。でも、天文学的な時間の中で「生きている」二人にとって、一年なんて、くしゃみをするように短い時間なのかもしれないね。 ラブストーリーなんて、もう自分には関係のない、まったくの他人事のように感じられる今日このごろ。そんなふうに思っていると、いつか大「どんでん返し」があるかな?ま、なくてもいいけど。ばあさん道まっしぐらである。とほほ。 土曜日に新宿朝日カルチャーセンターの「ファシリテーター養成講座」を受講してみた。カウンセリングについて1年以上学んだ人が対象で、グループワークの支援・促進役としてのファシリテーターを養成しようというもの。 初日はグループワークの機能や意義についての理論的背景になるピアカウンセリングおよびカウンセリングの原理についてのおさらいと、グループワークの導入部で行うアイスブレーキングの実習だった。 実習は、30人の受講者が輪になって椅子に座り、さて、「全員が全員と挨拶するには、どんな方法があるでしょう?」。 いいアイディアが浮かんだので、手を挙げて発言してみた。おお、ホントはシャイな私なのに、なかなか積極的です。「1、2、1、2と号令をかけ、1になった人たちが輪の内側にもうひとつの輪をつくり、回転寿司方式に移動しながら、握手して挨拶してはどうでしょうか?」「握手ってどうやってします?」と、講師。「ええと、右手を差し出して、相手の顔を見ながら名前を名乗って……」と、馬鹿正直に答えるワタシ。 講師が言いたかったのは、「日本人は握手が苦手な人もいるよね」ということだ。なるほど、そのとおりです。 そこで彼が提案したのは、「ハイタッチ」。スポーツ選手が得点をゲットしたときに行う例のパフォーマンスです。タッチなら一瞬だから、握手ほどウェットじゃなく、人間関係をつくる最初の入り口にはピッタリかもしれない。 次にそのハイタッチのやり方だが、私が考えた最初から二重丸にする方式よりも、もっと簡単で美しいやり方を教えてもらった。 最初の1人が立ち上がり、隣のイスの人とハイタッチする。ハイタッチされた人は、最初の1人の後ろについて、後に続く。これを繰り返すうちに、輪が内側にくびれていってやがて全員とハイタッチできる仕組みだ。実に効率的!お見事。 参加者は、ざっと見たところ50~60代の女性が中心で、ワタシは若いほうから数えて7、8人目ぐらいかな。ここのカルチャーセンターでは、カウンセリングの入門講座も行っていて、そこの修了者が大半のようだ。すでにお互いが顔見知りの人も多いらしく、挨拶ついでにおしゃべりを始めちゃう人もいた。 もうひとつの挨拶の方法として体験したのが、目をつぶり、両手の平を前に突き出してそろそろと歩き、ぶつかった人と「こんにちは。はじめまして」をする方法。これは、目をつぶって歩くときの不安感と不自由さがあるので、私はあまりいい方法だとは思わない。 次に、グループ分けの方法と小グループ内での全員対話を体験した。「7人および8人のグループを4つ作ります。さあ、どうしたらいいでしょう?」 カンのいい方はすぐにお分かりになると思うが、順に「1、2、3、4、1、2、3……」と号令をかけ、同じ数字になった者同士がグループを組めばいいわけだ。 ワタシは3のグループになった。メンバーは7人で、1人が「お誕生席」にはみ出して座り、他の6人は3対3で2人ずつ対面できるように座る。 対面の2人が与えられたテーマについて各5分ずつ話し合う。「お誕生席」に座った人は全体のオブザーバー(観察者)で、黙って全員の話しぶりを観察する。 制限時間がきたら、時計回りに席を移動し、するとペアが替わる。話すテーマもまた講師から新たに与えられる。これを繰り返すうちに、全員が違う相手と話すことができるわけだ。 テーマは、「私の故郷」「よく見るテレビ番組」「いちばん幸せな瞬間」「私の人生で一番大切な人」「私の名前の由来」「今一番気がかりなこと」「今一番夢中になっていること」……だったかな? 8人グループのところは4組できて、オブザーバー役がいなくなってしまう。そこで、1人だけ座席を固定して動かず、他の人はこの1席を飛ばして回転していく方式をとる。 全員との総当りを体験したら、「振り返り」のディスカッションである。「初対面の人に対して、どこまで深く質問していいのか戸惑った」という意見が印象に残っている。私もそう思った。 とくに気になったのは、話の展開がどうしても家族のことに及びがちであること。「お子さんは?」などと質問されると、別に負い目に思っているわけではないが、一瞬、「うっ」と答えに詰まってしまう。 カウンセリングを勉強しに来ている人たちならば、自己開示にはある程度、慣れているから問題ないのかもしれないけれど、一般の人の間でグループワークを行う場合は、どうなのだろうね。 別のセミナーで、あるカウンセリング心理学の先生から聞いた話を思い出した。「体験学習をすると、日本人が一番攻撃的になるので、恐ろしい」と、ある世界的に有名な学者が言ったそうだ。 欧米人に対して怒りや喜びなどの感情を表出させる体験学習を行わせると、そのときは盛り上がるが、「これでおしまいです」となると、すぐに元に戻れる。 ところが、日本人の体験者の中には、マジになって感情を激しく表出させ、極限まで行ってしまって戻れなくなる人がいるそうだ。 ゲームとして体験学習を楽しむことに慣れていないということだろうか。 体験学習のときは、何もかも正直に自分をさらけ出さなくても、ウソでも誤魔化しでも脚色でも何でもアリで、そのときの自分と相手の偶然の関係を楽しめばいい。ゲームなんだから、プライバシーの侵害なんて無粋なことは言いっこなし。 そんなふうな前置きを最初のお約束として言っておく必要があるんだろうなあと思った。 冒頭に戻って、七夕の話。去年はどうかな?と思って過去の日記を調べたら、結構、ロマンチックな思い出があったのね。すっかり忘れていたわ。恩知らずなヤツだこと。 そういえば、昨夜もバンド練習の帰りに、同じ人に車で家まで送ってもらったのだった。どこへも寄り道しなかったけどね。
2003年07月07日
黒豆を青いうちに収穫する枝豆ということで、実がうっすらと黒ずんでいます。見た目はイマイチかもしれないけれど、味は抜群。甘みとともに独特のえぐみがあり、大地の恵みが存分に感じられます。 根つきのままの束で送られてきたのを、ハサミでひと鞘ずつ切り分けます。新鮮なうちに全部、ゆでたほうがいいかしら。二束目にとりかかるころ、大鍋にたっぷり水を入れて火にかけました。 根っこについた土の香りが、とても気持ちいい。おや、細いミミズのようなものがいるよ。私の息に反応するのか、首先を垂直にもたげている。勢いがいいねえ。もしかしてヒル? こんなものがついているんだから、ごくごく新鮮ってことよね。農薬も使っていないぞっと。 枝豆の鞘をたっぷりの塩でもんでから、大鍋に投入。みるみる鮮やかな緑色に染まっていく。ああ、美味しそう! 大きな竹のざるにあげ、たっぷりあら塩を振り掛けます。そしてクーラーの下で急速に冷やす。 湯気が勢いよく天井まで上がります。茹でたての香りをかいだら、ああ、もう辛抱ならん! ビールだ、ビール! 昼間から酒を飲める幸せを味わわずして、何の休日ぞ。 極楽、極楽ゥ。 枝豆とビールって、なんて相性がいいんでしょう。ああ、ぷっくり太ったお豆ちゃんを、つるんと口にほおり込み、むしゃむしゃむしゃむしゃ……くぴっ、ごくっ、ぷふぁーっ! お腹はもういっぱいだけれど、なんだか料理をしたくなって、誰もいない台所で冷蔵庫をがさごそ……。 おっと、ホッケの焼いたのが残っています。箸で身をほぐし、刻んだみょうが、大葉とあえ、三杯酢を少々ふりかけます。ビールでもいいし、日本酒や焼酎にも合うね。 鯵の刺身もあるよ。よし、これは叩いて「なめろう」にしよう。夏らしく、味噌の代わりに梅干を使いました。後はやはり、大好きなみょうがと大葉。レモン汁少々を振りかけて出来上がり。 マグロの赤身の刺身もほんの少々残っていた。これも叩いちゃおう。白ねぎと一緒にネギトロだ! 山芋の千切りなんかもあったりするぞ。刻んでちっちゃいダイスにして、ネギトロの周りに盛り付けました。美しい。 これで晩酌の準備万端。さて、ひと仕事しますか。
2003年07月05日
友だちから恋人の関係に変わったとたん、呼び名も変える人もいれば、そのまんまという人もいるだろう。最近の傾向としては、どちらが多いのかしら。「ねえ、あなたはどんなふうに呼ばれたい?」「そうだなあ……」 そんな会話が、あたたかい……けれども汗で湿っぽいベッドの中で行われたりして。 呼び方、呼ばれ方が二人のその後の運命を大きく左右することもあるかもしれない。「私はねえ……あなたが最初に私のことを“とも子さん”と呼んでくれたときに、じーんときちゃったのよね。だって、いままでは“山田さんの奥さん”とか、“タカシくんのお母さん”とかって呼び方しかされていなかったから。妻でも母でもない、個人としての私を認めてもらえたようで新鮮な感じがしたの」 そうやって危ない恋にのめりこんでいく人妻もいるかもしれないね。母や妻という窮屈な鋳型をいったん外してしまうと、もう元の形には戻れなくなって……。 あるいは、「呼ばれ方を変えれば、違う自分になれるような気がする」 ってこともあるかもしれない。「彼がジュンちゃんって呼ばれるのを嫌がったのは、結局そういうことなのよね」と、彼女は物憂げに言った。「彼の奥さんや身内の人と同じように私が彼のことを呼ぶのを許せなかったんでしょうね。全く別の存在として切り離したかったんだわ。そうすることで、罪悪感や後ろめたさをなるべく感じないようにしていたのね」 生まれつきの本当の名前と、後から作ったニセの名前と、最後に生き残るのはどちらなんでしょう。自分がこの世から消える瞬間、最後に耳によみがえってくるのは、どちらの名前? なーんて下手くそな恋愛エッセイもどきが本題じゃなくて、実はマジメなお話で。 今日、グループワークをいかに進めるべきかについて、その方法論や原理についてレクチャーしてきたのです。「ほんとうの自分探し」でも「働きたい主婦のための再就職講座」でも何でもいいけれど、何かの体験学習を行う場合、最初の導入の部分がとても重要なわけで。 緊張感をほぐし、リラックスして参加できるように、「アイスブレイク」してあげる必要があるのです。その手法のひとつが、「あなたはどんなふうに呼ばれたいですか?」というワークです。「小さいときに呼ばれていた名前でも、いま思いついた全く新しい呼び名でも何でもいいですから、いま、この場で同じグループの人から呼ばれたいなあと思う呼び名を名札の紙に書いてください。そして、なぜ、そう呼ばれたいのかを、グループのみんなで話し合ってみてくださいね」 今日、私が担当した講座の参加者は約30人で、ほとんど全員が専業主婦。ひとつのテーブルに5~6人ずつ座って5グループできました。初対面ではなかったので、「呼ばれたい名前」についてのおしゃべりは大いにエキサイトし、笑いや甲高い声で教室が賑わいました。 その後、各グループの代表者に、話し合ったことをまとめて発表してもらいました。そのときに出た意見のひとつが、「誰かの妻や母ではなく、自分個人の名前で呼ばれるのは新鮮な感じがした」であったり、「新しい名前で呼ばれると違う自分になれるような気がする」だったのです。 他には、「名前には、その人のいろいろな思いや歴史が詰まっているのだと思いました」、「今までの人生で一番良かった時代に呼ばれていた名前で呼んで欲しいという気持ちになるものだなあと思いました」といった意見が印象深かったなあ。 さてさて、あなたはどんなふうに呼ばれたい?
2003年07月04日
しかし、昨日の「ずんずん」は、われながら凄かったなあと、アルコール漬けの脳味噌でぼんやり考えているところです。 朝、5時過ぎに起き、書きかけの原稿を仕上げて送信。 今日こそはと思って、都立広尾病院へ松葉杖を返しに行った。治ってみると、邪魔臭いやら恥ずかしいやらで、結局、タクシーを使ってしまった。「わざわざありがとうございます。お大事に」と、外来の窓口の女性に言われてしまった。もう、「お大事に」は必要ないんだけれども、「まあ、今後も無理しなさんな」と解釈して、気持ちを有り難くいただく。 帰りはバスで渋谷に出ようと思ったが、途中で気が変わり、恵比寿駅への入り口で降りて、ガーデンプレイスへ向かう。お気に入りのスニーカー「NO NAME」でセールをやっていたらいいなと。 セール中だったけれども、気に入ったのはなくて、そしたらお隣の店には、私に「買ってくれ!」と言わんばかりのヒョウ柄の厚底靴と「目が合ってしまった」!定価22,000円の7割引だそう。買わずにいられるかって。 お買い物の後、気が付けばランチタイム。せっかく恵比寿まで来て、ビールを飲まずにいられるかって。ビヤホールのバルコニー席で、サッポロ特製「デュンケル」の小ジョッキを2杯くぴっ! お友だち数人にメールを送った。「松葉杖を返しに行った帰りに恵比寿でビール飲んでます。完治に乾杯!」 お蔭様で快気祝いです。色々と心配してくれたり、愚痴を聞いてくれた皆々様、ありがとうございます。多謝! 恵比寿から渋谷へ出て、宝くじの当選金を受け取りに銀行へ。結構、手続きが面倒で、窓口では20分近く待たされた。ま、しゃーないね。角で手を切りそうなピン札を10枚受け取る。ほくほくほく。危ないので口座に入金するつもりだったが、せっかくだから、親に見せびらかすことにした。 気が大きくなって、つい、ふらふらとデパートに寄ってしまう。ああ、いかん。またヒョウ柄の服が「私のこと、欲しいでしょう」と色仕掛けで迫ってきた。うーん、仕方ないなあ。私も好きねえとワケのわからないひとりごとを言いつつ、結局、買ってしまった。胸にフリフリのフリルがついたノースリーブのブラウスで、ステージ衣装にもいいかもしれない。るん♪ 帰りのバスの中で、「次回から、バーゲンシーズンには、コイツを檻に閉じ込めておくように……」と、自分に言い聞かせるのであった。 自宅で少々休憩し、すぐまた取材へ出発。今度は自由が丘だ。 街おこし策の第一弾として、保育所を駅前に作るという。商店主などで作る組合が51%出資した会社が事業主体で、東京都から認証保育所の認証を受けるべく準備を進めている。「街で子どもを育てよう」「自由が丘をふるさとに」というヴィジョンに心を動かされた。このことはいずれまた詳しく。 インタビューを終えてビルを出たのが19時。直行すれば、お気に入りのエアロビクスのプログラムに間に合う。が、しかし、ここは自由が丘。うーん、街の灯りが「寄ってけー」とささやきかける。 しょうがないなあと言いつつ、自分の中の不良を放つことにした。いつものアイリッシュパブで、1杯目がヒューガルテン、2杯目がキルケニー。小腹がすいたので、前菜の盛り合わせも注文。モッツァレーラとトマトとバジルのサラダ、ジャガイモとズッキーニ入りにオムレツ、スモークサーモンにイクラとタマネギスライスをあしらったもの……という3点盛り。なかなかイケル。 昼間に引き続きS口N子ちゃんにメールを送ると、いつものバーにいるという。「飲み干したら行くけんね」と返信。 いつものバーには、いつもの楽しい仲間たちの笑顔があった。Nちゃんの隣には、私たちと同じく自由が丘ベースのバンドのヴォーカル。うーん、近くで見るとやっぱりカッコいいなあ。ぽーっとしながら見たりして。 私の隣のゴルゴ13風の男性も、話が面白くてフレンドリー。お蔭様で楽しかったわん。 テキーラのショットをぐいっと飲むときに、レモンじゃなくてライムじゃなくて、オレンジをかじると旨いよ!と教えられ、試してみた。 うーん、癖になりそう。 教わった六本木のベルギー料理にもぜひ行ってみたい。タルタルステーキが絶品だそうだ。早い時間なら空いていてリラックスして楽しめるらしい。誰か、一緒に行かない? いつもの仲間に会える場所があるっていうのはいいなあ。 もっとズブズブに浸っていたかったが、翌日の仕事がてんこ盛りなので大人しく帰ったのであった。 うーむ、長い1日でした。 打って変わって、今日は部屋に篭って原稿や講演のレジュメをがしがし書く日。エッセイ1本、レジュメ3本、企画書1本、週明け締め切りの原稿2本の準備、月曜の取材項目のまとめ。どこまで手をつけられるか、ま、見ものですな。
2003年07月03日
今日は可愛い子猫ちゃんが我が家にやって来る。画像のお披露目は午後になるかな?お楽しみに。 あら、残念。猫ちゃん、もともと猫好きのおうちの前に棄てられていた猫で、病院へ連れて行ったら、風邪っぴきか何かの感染症で、頻繁に目薬をささねばならないそう。「おたくは猫を飼ったことがありますか?」「(実はずいぶん前にあるのだが)ありません」 というわけで、面接試験に父は不合格となり、愛しい猫ちゃんがやってくる日は、1週間後に延ばされたのでした。 でも、これだけ待たれたり、大切にされたりするのは、人間だって有り難い、珍しいことなんだからね。 と、猫トイレやら、猫じゃらしやら、離乳食に猫ミルクに、色々買ってきた母を慰めるのでした。 本当は、孫が欲しいんだろうなあ。じーん。ごめんね。
2003年07月02日
合う服がないからといって、悲しむ必要は全然ないのさ。 たまたま、いまのこの日本が大量生産の仕組みに乗っかってうまくいっているだけで。 洋服屋と広告会社が、お互いに楽ができるからという理由で結託して9号サイズ信仰を世に流布しているだけで。 おまけに、何の科学的根拠もない、怪しいエステビジネスをのさばらせているだけで。 だって、イギリスへ行ってごらんよ。 くまのプーさんの柄のビキニパンティが、ヒップサイズ100㎝超でも売っているんだから。サイズと柄の豊富さに圧倒されます。ああ、やはり人種と思想の違う国なんだなあと。 LLサイズが、おばさん向けの地味なものしかないなんて、日本だけの話よ。イギリスやフランスはもちろん、アメリカへ行けばよりどりみどり。ごくフツーよ。 しかも、蛙の解剖じゃあるまいし、地味な百年前のスクール水着を着せられて、不自然に中途半端な格好で胴回りに腕を広げさせられた、あの、エステサロンの使用前、使用後の写真といったら! あれを見て、ああ、なんと人権思想のない百姓の国だなあと思わないでいられる感性を疑ったほうがいいとアタシは思うよ。 ヨーロッパ旅行から帰って来た翌日の朝刊の広告であれを見て、すぐに自殺したくなったね。なんとくだらない国に生まれてきてしまったんだろうと思ったね。 というわけかどうかは知りませんが、この八百万の神様の国にも恒例のセールのシーズンがやってまいりました。 ピッタリくる商品がなくて当たり前。大量生産のルール、洋服屋と百貨店の出来レースに乗せられるほど、こちとら、お粗末な脳みそじゃないやい!って言ってやりたいね。だから安いわけで。 セール品で満足するためには、洋服屋と百貨店が頭で考えたとおりのサイズもしくはあらかじめ誘導されたセンスにハマっていることが条件じゃないかい? なーんて、ひねくれたくなる今日このごろ。 たとえば、私の大好きなクリスチャン・ラクロワ。あんなちっこいサイズしか作っていないはずがないじゃない。なんで、9号しか売り場に置いてないの?パリから持って来い!と、言いたいが、それではセールにならんもんね。黙れ!貧乏人ってなものよ。 仕方なく、かろうじてLサイズのあったTシャツとニットでガマンするのであった。というか満足。うっとり。 Lサイズだって、全然、恥ずかしくないよ。だって、身長が高いんだもん。と、いっても163㎝弱ですが。いつも10㎝超のヒールというか、ソールのスニーカー履いています。ごめん。 えらそーにのさばっていながら、実はチビっこい(カラダだけじゃなくて、ココロとか、いろんなところのサイズがね!)日本の男どもを見下ろすのがキモチいいんだもーん! まず、私のサイズありきで、規格はたまたまこの現世に生まれてきたからつきまとう煩わしい決まりさ。だからSサイズの人だって、コンプレックスをもつ必要なんて全然ないよ。 だって、頭の周囲のサイズとか、足とかは、ダイエットしても変わらないもん。くだらん。纏足か?頭蓋骨削るか? ああ、合う靴がなくて、いろんな売り場を巡って憧れの「ガラスの靴」を捜し求めた日々よ。ああ。思えば、いまよりもっと貧しい時代だったなあ。 銀の匙をくわえて生まれたなら、すべてオーダーメードだからそんな心配なんて無縁だったろうにね。ま、いい社会勉強になって、脳みそが鍛えられたからいいとは思うが。 幼稚園のときから、あたしゃ帽子が特注で、上履きも確かサイズが19cmだった。以来、いまの標準サイズ信仰が窮屈で窮屈で。 まあ、狭い日本で生きるには、標準サイズのほうが何につけ葛藤を避けられて便利なのかも。でも、誰にとって便利なのかな?それは、管理する側に決まってるじゃない。 ……と、いつになく皮肉っぽいのは、バーゲン漁りで疲れたからです。あはは。
2003年07月01日
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