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私もいよいよ古老の域に達したか……とほほ。「十年も二十年も前のことは分からないんです」と、若い編集者に言われてしまった。 それはそれで善きこと哉(って武者小路実篤かい?)。 テーマは資格についての話である。縁あって私がリクルートの下請けの会社に就職し、フリーとして独立後も就職のジャンルを専門に書いてきて20年。4月1日から21年目に入る。 均等法前夜、均等法施行~バブル期、バブル崩壊~改正均等法、そして現在までと、働く女性にとっての4つの大きな節目を経験してきたのだった。 そこで、5月号の某女性誌に人気資格の栄枯盛衰について執筆することになった。人気資格の歴史を追いつつ、資格の正体、人々が資格に抱く期待と実効性とのギャップなどが明らかになればという趣旨である。 その打ち合わせを兼ね、用意していただいた応接室で2時間少々、おしゃべりを楽しんだ。 随分と色々なことを話したが、中でも頭に引っかかって離れないのは、今後、さまざまに出てくるかもしれない在宅勤務向けの資格である。 某電話会社の関連会社(某NC社)がつくったインターネットの専門知識を問う資格試験がある。新聞広告などを通じて派手にPRしたので、ご存知の方も多いだろう。ネットを通じて受験することもできるらしい。 合格後、在宅勤務の道が開けるというのが、この資格の最大の特徴ではないだろうか。第1回目の試験に先立って取材したことがあるが、当時は画期的なことのように思われた。 合格者のうち、在宅勤務を希望する人は、自費で養成研修を受ける。その成績が優秀であれば、某NC社と契約した下請けの会社を通じて、個人事業者として仕事を請け負うことができる。 仕事の内容は、インターネット接続のセットアップの方法を電話でサポートするというもので、NC社のプロバイダー事業部門のコールセンターにかかってきた電話を自宅の電話に転送してもらう。 転送に必要なTAは無料で貸与してもらい、ネット接続料金や電話料金の負担はかからないが、自宅に自前のパソコン、それもWindowsの最新バージョンがなければ話にならない。ノルマは月間150件が目安だという。1ヶ月に20日間働くとして、1日7~8件こなさねばならない計算だ。 相手はパソコンもインターネットもまったく初めてという顧客……おそらくは高齢者と専業主婦のおばさまが多いのではないだろうか。セットアップにかかる時間はどのくらいだろう。スムーズに行けば10分程度かもしれないが、人によっては30分以上かかるケースもあるのでは? 30分平均と大目に見積もって1日4時間勤務なら悪くないかな。しかし、自宅で仕事と生活の線引きをするのは、かなり大変ではないだろうか。 会社側からすれば、自前で大規模なコールセンターを抱えるのに比べれば、事務所、パソコンや電話などの設備、人件費すべてを節約できる。 一方、在宅で何か仕事をしたいと望む人たちにとっては、資格試験を受け、研修を受けるだけで、仕事を受注するシステムに乗れるのだから、楽といえば楽だ。 需要側と供給側のどちらにも損はないか? 果たしてそうだろうか。 何かの事業を起こすときに、会社は人を集め、人を育て、人材を人財に変えることで高品質の商品やサービスを提供し、利潤を上げてきた。 企業は、株主その他のあらゆるステークホルダーのために存在を継続させる社会的責任を帯びている。近頃は社の存続を優先させるために、採用と育成を犠牲にするという理屈がまかり通っているが、これでいいのだろうか。 正社員は最小限に抑え、法定福利厚生費を含めた人件費の安い派遣社員、パートタイマーあるいは、アウトソーシング会社へ丸投げにするという風潮が定着してきている。 だが、職業倫理、企業の社会的責任の見地から見て、アウトソーシングにも限度があるのではないだろうか。 企業は少人数の経営幹部のみで、実際の仕事は全て個人事業者へアウトソーシングするという形も理屈の上では成り立ち得る。何百という個人事業者を管理するのは大変なので、間に下請けの会社が1社ぐらい入るだろうが。 個人事業者というのは、相当にキツイ。健康保険や年金の手当ては自分でしなければならないし、病気などで休業せざるを得なくなったときの保障も自分で備えなければならない。私のように向く人もいれば、向かない人も多い。 近頃何かと「自立と自己責任」ということが叫ばれるが、全ての人が究極の自立型である個人事業者(フリーエージェント)を志向するような社会は、果たして幸せなのだろうか。 反管理思想を貫いてきた個人主義者の私だけれども、日本的な牧歌的な集団主義も悪くないのではないかと感ずるようになってきた。 選択肢は多いほうがいいけれども、振り子がどちらか一方に振れすぎるのは良くない。 まあ、別に悪いとばかり非難しているわけじゃないから、実名を出してもいいかな。 その意味で、ドットコムマスターという資格は、民間版のフリーエージェント資格第一号として評価に値するものなのかもしれない。複雑な心境だが。 戦後、農業や商業の個人事業者は急速に減り、サラリーマンが急増したが、IT革命はその先のシナリオとして、IT依存型の個人事業者を多数生み出そうとしているのだろうか。※31日夜まではドットコムマスターの公式ページに、この上記の在宅勤務システム「CAVA事業」の詳細がFAQに載っていたが、なぜかいまは削除されていた。CAVA事業を100%出資の子会社へ移管したからか? 別ページを発見したのでご紹介しておきます。http://biz.ocn.ne.jp/master/cava.html う、よく読むとocnへの加入勧誘業務も含まれている。ううむ。大手プロバイダー業者もマルチ的商法に手を染めたか。
2003年03月31日
鍋パーティの箸休めに作った料理が結構、上手にできたのでレシピをご紹介。どれも私の思いつき創作料理です。●舞茸のきんぴら 舞茸は手でちぎって小さくほぐし、にんじんは千切りにしてさっと湯通し、出汁に使って柔らかくなった昆布を千切りに。 タレは醤油に紹興酒少々加え、砂糖をといておきます。 胡麻油でにんじんと昆布を炒め、最後に舞茸を加え、ふたをして蒸らします。舞茸がしんなりしたら、加減しながらタレを加えて味を調整します。 仕上げにコーレーグースを回しかけます。ない場合は、鷹の爪1本を最初から一緒に炒めるといいでしょう。 味が濃いので舞茸の香りは紛れてしまいますが、シコシコの歯ごたえと味わいが嬉しい。●えのきだけの梅和え 梅干を包丁でたたき、みりんでのばします。 えのきだけは、熱湯でさっと湯がき、ざるにあげて水気をよく切り、温かいうちに梅肉と混ぜ合わせます。 冷めてから青紫蘇の千切りと混ぜ、塩が足りなければ少々加えます。●菜の花とアサリの煮びたし 菜の花は、葉っぱをちぎり(そうなんです。私は包丁を使う必然性のあるときは徹底して使う。そうでない場合はなるべくカナケを生の繊細な素材には入れないという方針です。エラそうでゴメン)、穂先と固い茎の部分の3つに分け、固い順に鍋の熱湯の中に入れて、柔らかくなりすぎないように注意して茹でます。葉っぱはほんの数十秒でOK。茹ったら冷水にさらしてザルに上げ、水気をきっておきます。 次はアサリの酒蒸しを作ります。鍋に酒カップを入れて煮立ったらアサリを投入し、ふたをして蒸らします。 アサリの口が開いた順にすばやくボウルにとり、火が通り過ぎないようにします。取り出したアサリは剥き身にします。このとき出てくる汁も捨てないように。 鍋に残った汁と剥き身のときに出てきた汁を合わせ、鷹の爪1本入れて再び沸騰させてから菜の花を投入して味をなじませ、最後に剥き身にしたアサリを加えます。 アサリから出てくる塩分だけで、いい味になります。お好みで白醤油少々を加えてもいいでしょう。 ……………。 というわけで、昨日買った豆もやしは使い切れなかったので、今夜、さっと油で炒めます。とても立派なもやしなので、余分な味をつけずにシンプルに炒めたほうがおいしそう。さっき、ひげ根を全部取り去りました。根気のいる仕事ですね。 新ごぼうも使わなかったので、ささがきにして水につけてあります。うなぎの蒲焼と一緒に卵とじにするといいかもね。 余った新キャベツは、にんじん、セロリ、玉ねぎ、生姜、桜の花の塩漬けと一緒に浅漬けにしました。桜がいい香りです。 さて、これから思いっきり運動して、後のビールが楽しみだなあ。うふふ。
2003年03月30日
花曇というのかしら、なんだか冴えない空模様。午後から晴れるという予報が当たるといいな。 夕方から近くの公園で花見の予定。多分、寒いだろうから、花見といってもぶらぶら歩きで眺める程度にして、宴会は部屋に帰ってきてから鍋料理をする。 さあ、これから仕込みです。鶏ガラ6本を寸胴鍋でひたすら強火で煮る。入れるのは他に出汁昆布だけ。白濁するまで3時間ぐらいかかり、それからもう少し、合計4時間程度。うっとりするくらい、いい出汁が出るの。 トンコツと違ってこってりし過ぎない。あくまで上品。奥深くから滋味が湧き上がってくる感じ。うふふ。楽しみ。 箸休めには6品を予定。菜の花は、芥子マヨネーズあえにしようか、あさりと一緒にさっと煮びたしにするか。 えのきだけは、さっと茹で、たたいた南高梅に刻んだ青紫蘇とみりん少々を入れたので和える。 店の売れ残りの鯖の塩焼きは、さっと茹で、身をほぐし、みょうが、青紫蘇と混ぜ合わせ、酢少々を加える。これが美味しくて、お酒がススム、ススム。 豆もやしはどうしよう。生姜をすりおろしてたっぷり加えた中華風ドレッシング(醤油、酢、胡麻油)であえるのが一番いいかな。ハムの千切りでも加えて。 釜あげ桜海老も、何もしないで生姜醤油でシンプルに行こうか。 水炊き用に買ったまいたけだけれども、スープの色が黒くなってしまうので、これは別に調理しようか。何かいいレシピはないかな……さっそくネットで調べてみよう。
2003年03月29日
3日連続で仕事先からスポーツクラブへ直行することになりそう。もっと前からウエアをロッカーに溜め込んでおくべきでした。 バッグが膨れて膨れて。テレコにエアロビ・ウエアに、書類の束に、車中読書用の本……。 今日の会議も長引きそう。高田馬場の医薬関係でユニークな事業を行っている会社へ出向き、会社案内作成のための社長インタビューおよび企画会議。先端ビジネスであるがゆえに、その事業内容や今後の戦略を表現するには、たくさんの新しい言葉を創り出していかねばならないようです。 新薬開発の国際競争力向上、臨床試験・治験のあり方、薬漬け医療、破綻寸前の国民医療保険制度、セルフメディケーション等々、勉強しなければならない課題が山積みです。ますは薬と倫理をテーマにした文献を漁りたいところだけれど、何かいいものはないかな……。 今朝は5時半に起きて、会社案内の修正案の企画書を仕上げ、週刊誌の「タラソテラピー」をテーマにしたエッセイも書き上げ、さて、これから出陣です。えいえいおー! ……………。 会議は予想外にさくさくっと終わり、食事中には十分にできなかった社長インタビューをその後。ホンモノの使命感をもつ人物と見た。この方となら、熱く仕事ができそうです。 オフィスを出て渋谷に向かい、明日の宴会の買い物を。本格派水炊きを作ります。今シーズン最後の鍋物記念。鶏ガラ6本を4時間煮込んで白濁スープ作るけん、来ませんか?<Nちゃんご夫妻。でも、また突然言うなって言われそうだ。ごめん。 生鮮品を買い込んだので、いったん帰宅し、スポーツクラブへ。エアロビクス2本連続でやったら、さすがにボロ雑巾になった気分。へとへと。 帰宅したら、実家の食卓は感動的なお皿のオンパレード。ナマコの三杯酢、生蛸の刺身、生蛸の吸盤、若竹煮、焼いた甘塩鮭のほぐし身、大根と葉っぱの浅漬け。わおう!日本酒を飲まずにいられない! とにかく喉が渇いていたので、最初の1杯は、発泡酒のハーフ&ハーブとかいう好奇心にかられて買ったまずい酒をともかくも流し込み、2杯目は先日の蔵元見学でおみやげにいただいた「吟雪」のワンカップ。3杯目はようやく届いた芋全量宝山。芋くせー!でもうめー!たまらん。 生蛸はとくに父が綺麗に処理してくれた吸盤が超絶美味でした。わさび漬けとあえ、レア&レアもの「たこわさび」のうまいこと!ひとりでひと皿食うてしもうた。 刺身って、最高ですね。調理していないようで、実はものすごく手がかかっている。材料の鮮度管理、細心の下処理、そして包丁技、盛り付け、食べるタイミングのサジェスチョン! たとえばナマコの三杯酢。これって、お酢に漬けっぱなしでは、せっかくのナマコの甘みや旨みが消えてしまう。食べる直前にさっとかけるのがよいのです。 なんと繊細な生の味よ。ああ、日本人に生まれてきて良かった……と、言っただけじゃダメだね。日本料理の伝統文化を(無意識的にだけれども)大切にする家の子どもでよかった。
2003年03月28日
今日、注文した本は『戦争倫理学』(加藤尚武著、ちくま新書)、『地球をめぐる女たちの反戦の声 テロも戦争もない21世紀を』(松井やより著、明石書店)の2冊。 戦争は正しいのか、誤りなのか。戦争の中に正しい戦争と間違った戦争があるのか。これまでの戦争観をひととおりきちんと学んでおこうと思ったのです。 昨年12月にがんで亡くなった元新聞記者の松井やよりさんは、世界中の女性にインタビューし、その肉声を紹介する本を数多く書いています。注文した本には、アフガンをはじめ、私の知りたいイスラムの女性たちの現状が描かれているようなので読んでみたくなったのです。「積んどく」が増えるばかりで、なかなか進まない……。 ……………。 ついに東京都のサクラ開花宣言が出ましたね。わが家の周りに並べたプランターにも花が咲き始めました。八重咲きのパンジーがあまりにも見事なので、今日の写真日記に登場させちゃいました。 八重咲きの豪華さもさることながら、一重のブルーの花が日光に照り映え、妖艶な魅力を放っていました。ピーカン照りだったので、コントラストがくっきり現れたせいでしょう。 映画「ブルー・ベルベット」のシーンを思い出しました。デビット・リンチの作品だからという先入観か、オープニングの何気ない画像からして恐ろしい感じがしたものです。 スタンダードナンバーの♪She wore blue velvet....が流れる中、抜けるような青空、白いフェンス、そして赤いチューリップ。それを舐めるような、下から見上げるようなカメラ。チューリップは風にそよいで、ゆらゆら揺れている。ありふれた風景のようでいて、一種の狂気をはらんでいるように感じたものです。背筋に冷たいものが走りました。 花は時として妖怪のような表情を表すことがある……とは思いませんか? ……………。 今日はとても暖かい一日でした。ジャケットにブラウスでもう大丈夫。 昨日がハードだったので、今日の午前中はぼーーーーっとしていました。午後少しタラソテラピー施設について調べた後、4時の約束で表参道のデザイン事務所へ。 臙脂、パープル、赤紫などがサイケデリックに混ざった色調のジャケットに黒いサテンふうのブラウス、同じ感じの素材のタイトスカートに黒のハイヒール。スカートの前側には深いスリットが入っていて、歩くと横から太ももがのぞく。通り過ぎる男性の視線が気になるのでした。わははは。 ジャケット+ブラウス+タイトなミニスカート+ハイヒールは、仕事着の定番ですね。明日の打ち合わせには何を着ていこうかな。 最近、朝の目覚めがわりあいスッキリしているので、今日も早く寝て、早朝から仕事をすることにします。ではまた明日。
2003年03月27日
本日おススメの必殺一冊!『これがビートルズだ』(中山康樹著、講談社現代新書)。アルバム発表順に全公式曲213曲の1曲1ページで、ビートルズが残した「謎」についてのエッセイが続く。 ビートルマニアが読めばきっと、うはうは、くふふふの連続。電車の中で読むと周囲から怪しまれるので要注意。のめり込めることウケアイです。 カバー裏の紹介文を少々引用すると……。「ビートルズの音楽と物語は発見と謎の連続であり、それは未知の驚きとスリルにみちている」「聴き手に謎解きをさせるために意図的に仕掛けられたのかとさえ思われるほどだ」「それはビートルズが細部にいたるまでいっさい手を抜いていなかったことを物語る」 筆者のビートルマニアぶりがすごい。ほめ過ぎ、賛美しすぎだよなあと思いつつ、「もっと冷静に、客観的に」などとセーブしなかった編集者も筆者もとことんエライ。 朝から夜までハードな1日だったにもかかわらず、移動の車中でむさぼるように読み、おかげで楽しく過ごせた。あっという間。 では、“A Hard Day’s Night”についてどのように書いているか、少々引用しちゃおう。「ここでふたたび極論だ。ジョンの最高傑作はこのアルバムであり、以後のジョンはこれを超えることができなかった。そしていちばんおいしい「ウェナンホー」をポールに歌わせたことは、ジョンがこの時期、ビートルズのために曲を作っていた事実を物語る。ジョンの最後の輝きが、このアルバムだ」 これだけ切り取ると、異論反論を抱く人も多いと思うけれども、まあ、ご一読を。愛すべきはこの極論ぶりなのです。 ……………。 朝いち取材は、田園都市線・宮前平駅から恐ろしい急勾配をえんえん上って、上ったにもかかわらず少し下って(ああ、もったない)、ショッピングパークの中にある高齢者向けのユニークなデイケアセンターにて。感動的な話のてんこ盛り。詳しくはいずれ、また(いつもこればっかりでゴメン)。 お昼ご飯を食べるヒマもなく都心へ戻り、某雑誌のリニューアル会議に参加する。時間が延びて1時から4時まで。フリーにとって、企画会議は自分を売り込む営業の場でもある。 終わってから部長に呼ばれ、喫茶店で雑談。これがきっかけで、新しい仕事、うまくすると大化けに化けるかもしれないビッグプロジェクトの裾野の一部を受注した。 同じ会社で制作する別の週刊誌担当の編集者としばし雑談。最近、心を入れ替えた私は、原稿を送るときに「どうぞよろしくご批判ください」と書き添えることにした。我ながら信じられないほど謙虚になったのですね。 そう書くと、本気で痛い批判も返ってくるが、それが自分を磨くチャンスになると分かった。悪くない、悪くない。 物書き稼業二十一年目にして、第二の創業を迎えたような、身の引き締まる思いがしている……と言ったらカッコつけ過ぎ。 ……………。 会社を出たら5時を回っていた。昼抜きでクラクラする。駅前のケンタで何か食べようかと思い、店の前まで行ったが、いかにもカロリーの高そうなメニューばかりで足がすくんだ。こんな中途半端な時間に食べるよりはガマンだと思い、スポーツクラブへ直行することにした。途中、マツモトキヨシで「カロリーメイト・チーズ味」を購入し、夜陰に紛れて歩きながら食べたけど。 私が行っているこのスポーツクラブ、いまや揺れに揺れている。4月から、エアロビクスの人気インストラクターのレッスンばかりが廃止・変更になるのだ。というわけで、今日は全プログラム中でもっとも難しいレッスンの最後の日。何が何でも出ねばならぬというわけで。 廃止・変更は、ひとことで言えば業界ガリバーになったコナミの暴力的な愚策である。レッスンを楽しみにしていた会員の視点からすれば「私の楽しみを奪うな」「私の要望をないがしろにするな」「どっちを向いて経営しているのだ」「古い会員に嫌がらせをしてやめさせ、新規会員の新た収入増で儲けようとしているのか」ということになる。 経験、人気、オリジナリティのあるインストラクターは、経営側にとっては管理しにくく、人件費コストが高い。これを排除し、人件費の安いインストラクターに置き換えるために、標準化・脱個性のシステムを導入したのだった。 インストラクターに対して自費負担のライセンス試験受験を義務付け、全過程に合格しなければ現状の待遇を保障できないと迫ったのだった。その試験の内容や審査基準が、ベテランインストラクターのプライドを傷つけ、やる気を削いだようだった。 一本のモノサシで、プログラムを管理しようだなんて!ゲームマシンの会社の考えそうなことだ。くだらねえ。「オリジナリティを大切にしないスポーツクラブでは働きたくない」と、あるインストラクターが言ったそうだ。 反管理思想のカタマリである私は、最初、エアロビクスなんて大嫌いだった。インストラクターの号令に従い、全員が同じ動作をするなんて馬鹿げている。ミニ・マスゲームだ。ミニ北朝鮮、ミニ統一教会やんけ。 でもね、それは皮相的な見方に過ぎないとやがて体感した。エアロビの振り付けは、じつに創造性豊か、オリジナリティ溢れる作品だと知った。だいたい1カ月に1度ぐらいのペースで更新されるのだが、人気のあるインストラクターほどいつも工夫がある。私たちにはそれが新しい刺激になり、向上心をそそられる。すばらしい。誰かに見せるためではなく、自分自身のシェイプアップと技能向上のためにやるのだ。 BGMの刻むエイトビートと呼吸がピタリと一致し、たとえそれがアンシンメトリーな複雑な動きであっても、脳の指令どおりにカラダが動き、カラダをドライブできる爽快感といったら!自分の運動神経、反射神経の感度に比して挑戦的であればあるほど、楽しい。人間は、何歳になっても成長に対して貪欲な生き物なのだ。 しかし、ガリバー・コナミが力を入れているのは、世界中で同じ曲を使い、同じ振り付けで行うエクササイズである「ボディパンプ」だ。バーベルとステップ台を使って、筋肉のターゲットを決めて曲にあわせて反復運動するものだ。「世界のどのスポーツクラブへ行っても、ボディパンプなら同じことができるんです」と、あるインストラクターは誇らしげに言ったそうだが、その言葉を引用した関西出身の某氏は「アホじゃないか」と言った。私たちはロボットじゃない。同じことの繰り返しには飽きるのだ。それが人間だ。 このスポーツクラブには「支配人への手紙」という投書システムがあるが、「皆、黙っていないで、嫌なことは嫌だと意思表示しよう!」と一致団結のムーブメントが広がっているのだった。おお、すばらしいアンガージュマン!(ええと、サルトルが提唱した概念で、「参加」ということなんですけれども) ……………。 アンガージュマンといえば、反戦について私の気分は最近揺れている。大学時代に傾倒したフランス人哲学者であるアンドレ・グリュックスマンが日経に戦争を肯定する文を寄せているのを読んでグラついてしまった。 とくに堪えたのは、反戦論者、平和主義者を評した次のひとこと。「彼らはつねに遅すぎるか早すぎる」。 イラクがあのまま国連査察団をのらりくらりとかわし、奇襲的にクウェートやイスラエルに対して核兵器や生物化学兵器を使ったとしたら、そのときですら何の制裁も許さず、反戦を唱えるというのか。いや、制裁を許したとしても、何万人もの命が犠牲になった後では遅過ぎる。 藪野郎(ブッシュ)が言い放った「予防戦争」の概念は世界中に戦争の拡大を招く危険極まりないものだが、しかし、「事後戦争」は何千、何万人かの犠牲がなければ始められない戦争ともいえる。 フセインが生物化学兵器でクルド人を大量虐殺したことは見過ごせない事実だ。 人類の歴史の中で、抑圧者から自由を取り戻すことを、抑圧者一派を殺さずに実現できた例はほとんどないのではないだろうか。女性解放運動を除いて。 藪野郎が今回の戦争を自由のための戦いと位置づけるのも、いままでの経緯からすれば、それほど突拍子もないこととは言えない。賛成はしないけれどね。 プライベートなHPだから書いてしまうけれど、私はイスラム教が好きではない。女性を抑圧するからだ。イランや、イスラム原理主義の国で見かける黒いベールと衣服で顔や全身を覆った女性の姿には胸が悪くなる。げー。 少し前まで……いや、いまでもあるかもしれない……イスラムには女性にとって恐ろしすぎる習慣があった。 女性が性の快楽を味わうのは罪であるとして、それを禁じるためにクリトリスを切除する習慣があったのだ。 論外! だからと言ってイスラム教をこの世から殲滅しようとか、そういうふうに思っているわけではないし、それはできないと分かっている。でも、好きになれない。イラクの女性や子どもたちが殺されるのを止めるために、何かアクションを起こしたいとは思うが、女性を抑圧するイスラムの男たちのために何かをしたいとは思わない。勝手に死んでくれ。 だから、悩ましいのだなあ。 そう、大人っていうのは、賛成か反対か、態度をキッパリ決められないで眉間にシワを寄せつつ、あれこれ悩むから大人なのであって、「反戦派でなければ血の通った人間でない。人殺しの一味め!」とか「戦争を肯定する論理など成り立つはずがない」などと言い切るのは、とても大人とは言えないと私は思うのだった。
2003年03月26日
トマトを乾燥させると甘みが凝縮し、レーズンみたいな香りも出てきます。ドライトマトは保存がきき、オイル&ハーブ(オレガノなど)漬けにしておけば、酒のおつまみにも重宝します。おススメ! 朝イチの仕事をさくさくーっと済ませ、ランチに作りましたよ、ドライトマトのパスタ。 お湯を沸かし、パスタが茹る間に材料を刻みます。湯戻ししたドライトマト、グリーンオリーヴ、パンチェッタ(燻製していないベーコン、つまり豚三枚肉の塩漬け)、にんにく。 フライパンにオイルをひいてにんにくを炒め、香りが立ったらパンチェッタを加えて脂を溶かし、パスタの茹で汁を少々加え、残りの材料を投入し、鷹の爪も入れて胡椒で味付けてソースの出来上がり。パンチェッタが塩辛いので、塩は全然使いませんでした。 彩りがちょっとさびしいので、残っていたパセリの葉をちょんちょんとつまんで入れてみました。固めに茹でたパスタをフライパンに入れてソースを絡めて味をなじませ、あつあつのお皿へ。辛いのが好きなら、沖縄産島とうがらしを泡盛に漬けた「コーレーグース」を振り掛けましょう。香りがゴージャスになります。 パンチェッタよりもアンチョビを使ったほうが、味に複雑みが出てよかったかなあ。ドライトマトはオイル漬けにしておこう。炒って軽く焦げ目をつけた松の実を加えても美味しそう! そんなふうに、料理っていったん作ると次から次へと新しいアイディアが浮かんで来るから楽しい。想像力&創造力の遊びですね。 ……………。 鍋とお皿を洗いながら、さらに反省&ひらめきっ! ドライトマトをオイルになじませ、オレガノと胡椒ガリゴリ。これをミキサーにかけ、ペースト状にします。こうして保存しておけば、使うときに簡単&スピーディ&パスタによくなじむ……よいことづくめですね。オリーヴの実も同様にペースト状にしちゃおうかな。ま、わっかの二重丸がキュートだから、その場で刻むも良し、だね。
2003年03月25日
昨夜、TVで放映された映画「ハンニバル」のラストは、何だか意味不明だったでしょう。多分、お茶の間にはそぐわないという理由で、例の凄惨な晩餐シーンがカットされていたからね。 フランス料理には子羊などの脳味噌の料理があります。セルヴェル(cervelle)と呼ばれるもので、白子のように美味らしいが、私は未体験。これがカットされていたシーンのヒントです。詳細は、ビデオもしくは原作でどうぞ。なぜ、レイ・リオッタが野球帽をかぶって着席していたのでしょうね。うふふふ。 それはともかく、私は内臓料理が大好き!土曜日に行った九州料理屋でうはうは言いながら食べた宮崎地鶏のレバ刺しと砂ずり(砂肝)刺しの写真をトップページに載せました。 レバ刺しは、牛でもいいけれど、胡麻油と塩で食べるのが最高ですね。上品な血のジュースというと、ヴァンパイアみたいですが。鶏のほうが味がやさしくて、獣臭が少ないような気がします。 砂ずり刺しは、味は淡白で単に歯ごたえを楽しむものと言い切ってもいいでしょう。あのコリコリがたまらない。こちらは塩とおろししょうがまたはおろしにんにくでいただきます。 焼き鳥の中でも一番好きなのが、この砂肝で、塩焼きにすると血の香りが出てきて上品。灰分というのかな、枯れたような淡白な味わいも魅力のうち。焼いた場合は、ゆず胡椒が合いそうですね。次がレバー、なんこつ、皮、手羽先の順かな。普通の肉は物足りなくて、あまり注文しません。つくねは、砕いた軟骨が入っていないとニセモノって感じ。 四谷に焼き鳥のおいしい店があって、ここのつくねは絶品!タレ味で、生卵の黄身につけていただきます。ああ、久しく食べていないなあ。懐かしい。 焼肉でもやっぱり内臓系が好きで、ミノが大好物。あとはやっぱりレバー。カルビやロースには、さほど魅力を感じないという変わり者です。タン塩も好きだな。 内臓食って血が騒いでも、発散する相手がいないので困るから、この話題はこのへんで……。 ……………。 今日は朝5時に起きて、ある医薬品関係の会社の会社案内パンフレットの構成案を組み立てた。新薬を開発するには、臨床試験(治験)という言わば「人体実験」のプロセスを絶対に省略できないのだが、日本は臨床試験と新薬承認に時間と費用がかかりすぎ、国際競争力が年々低下しているという由々しき現状がある。 とくに抗がん剤の世界では、日本では使える薬が他の欧米先進国に比べて少な過ぎるため、医師と相談の上で個人輸入によって欧米から抗がん剤を買い、投与を受けるということが行われている。国民健康保険は使えず、「自由診療」扱いになる。セコムが「自由診療」をカバーする医療保険を売り出したことは記憶に新しい。お金持ちでなければ、世界の最先端の新薬(その多くは日本以外では標準治療になっているのだが)を使えないという現状があるのだ。 私がこれから会社案内を作ろうとしている会社の業態は、製薬会社、臨床試験を行う病院、治験のボランティア(患者および健常者)の三者をリンクし、治験の運営・管理を進めるSMO(サイト・マネジメント・オーガナイゼーション)というあまり知られていないユニークな存在。 これからの日本の新薬開発のスピードを速くし、国際競争力を向上させ、そのメリットを国民医療に還元するには、このSMOの活躍が不可欠で、厚労省は支援策を打ち出している。 しかし、日本ではまだ治験には抵抗が強く、ボランティアが不足しているという。まったく危険がないとは言い切れないのだから、無理もないが、新薬開発のためにこの献身的行為がぜひとも必要だ。 美化するわけにもいかないから、非常に表現の難しい分野だ。どうしたものかなあ。難しい仕事へのチャレンジは大好きなのだけれど……。 構成案を仕上げてデザイナーの会社へ向かい、打ち合わせを1時間。その後、和光市の某研究機関へ。日本における医療経済学の最高権威にインタビューする約束だったが、企画の甘さをつかれ、編集者ともども叱られてしまった。 なぜ叱られたかというと、これも根の深い問題なので、簡単には書けません。明日も同じテーマで、今度は社会福祉の専門家のご意見を仰ぐ予定。 そのテーマとは「ケアマネジャーの自立」で、ケアマネに限らず、日本における職業問題の核心に触れる部分があるように思う。詳しくはまたいずれ。 さて、これからは産業コラムニストのお仕事。経済・産業(とくに金融)のジャンルでホットなテーマを見つけ、週刊誌のコラムおよびテレビのスポット番組の構成台本にまとめるもので、今日は新聞の山を読み倒しつつ、切り抜きつつ、ネタを発掘する作業が待っているのだった。いつ眠れるだろうか。うーむ。
2003年03月24日
「ベーコンの焼き方が最大のポイントだ」と、教えてくれたのは江守徹さん。あるPR誌の取材で彼のマンションを訪ね、得意の料理の腕前を披露してもらったことがあった。 狭いキッチンで二人きりになり、気が付くと、彼の大きな顔が私のすぐ目の前に迫ってきた!危機一髪。 あとで聞いた話だが、酔うとキス魔になるらしい。彼はすでに大量のワインを飲んでいて、撮影用にボンゴレを作った後、「おいしいだろう。じゃあ、もうひとつ作ろう。キミ、手伝いなさい」と、ご指名がかかってキッチンに連れ込まれた(!)のだった。 この話を友人にしたら、「せっかくだから、してもらえばよかったのに」だってサ。うーん。 ベーコンは必ずカタマリで買うこと。1センチ角ぐらいのサイコロに切り、フライパンでじっくり焼いて旨みを引き出す。「いいかい、ステーキを焼くようにていねいに焼くんだよ」と、あの美声がすぐ耳元で。 声には酔えたけれど、酔っ払いの緩んだ顔はねえ……。 あとは……普通と同じだったような気がする。ボウルに卵をとき、生クリーム少々とおろしたパルミジャーノを大量に。 私は卵のぬるい感じが嫌で、パスタとベーコンと卵ソースを熱いフライパンで混ぜて、卵を半熟ぐらいにするほうが好き。 よし、今夜のご飯はこれに決定! 昨日の話を少々。夕方、映画「レッド・ドラゴン」を見た。レクター博士もの三部作の中では、いちばんの凡作だけれども、怖いことは怖い。見どころは、捜査官役のエドワード・ノートンと犯人役のレイフ・ファインズの二人の美男俳優の競演ですね。 とくに私は、レイフ・ファインズの美男ぶりに惚れ込んでしまった。役柄に合わせて鍛えぬいた体が美しい。うーん。彼の映画をもっと見たい。舐めるように(^^;) トモちゃんのお気に入り殿堂入りって感じかな。いちばん最初に好きになったのは、アル・パチーノで、次がハリソン・フォード、渋いところでジェフ・ブリッジスも好き。忘れちゃいけない、ミッキー・ロークも随分追っかけた。なんか全然一貫性がありません。そうそう、「レッド・ドラゴン」にも出ていたハーヴェイ・カイテルも好き(*^^*)。もひとつおまけに、「羊たちの沈黙」にも出ていたスコット・グレン。 うーん映画の話になると止まらなくなる。江守徹さんのインタビューが終わった後、「面白いビデオがあるから、一緒に見ないか」と上映会が始まったのがジョン・カーペンターの「遊星からの物体X」。きゃははは。最高ですね。私と趣味が合うんだから。既に見ていたので、他のスタッフを残して私は辞去したのでした。その後、友達と宴会の約束が入っていたので。あれは土曜のお昼の取材だった。 ジョン・カーペンターといえば、あのイカレポンチで猛烈に面白い映画「ゴースト・ハンターズ」で主演したカート・ラッセルも好きなのよん。 基本的には「狂人」を超一流に演じられる俳優が好きなのですが、上記の中ではハリソン・フォードの「狂人」がいちばん下手糞でしたね。「モスキート・コースト」は散々だった。そうそう、ケヴィン・コスナーも「ファンダンゴ」のころから好きですが、彼も「狂人」をうまく演じられない。 大統領役のできる「ミスター・ナイスガイ」には「狂人」は似合わないということだろうか。 出だしに戻って、レイフ・ファインズの今回の狂人ぶりは素敵でした。「この人、本当はいい人なんだろうなあ」と思わせるところ、彼の内面での善と悪の闘いぶり、あの憂いを帯びた表情がタマラナイ。それにしてもあのカラダ!あああ。 原作ではどんなふうに描かれているのだろう。「羊」と「ハンニバル」は原作を読んでから見たのだけれども、今回は未読。なんとしても読みたくなってしまった。 映画が終わった後の食事は、フレンチで「リドボー」!にしようかと思ったのだけれども(映画「レッド・ドラゴン」を見た人はニンマリするだろうね)、念願の九州料理をお友達と合計4人で堪能した。 宮崎名物もも焼き、砂ずり刺し、レバ刺し、牛すじ大根、日南直送かつおのたたき、日南の名人おばあちゃんの手作り鯵の開き、にがごり炒め(宮崎ふうゴーヤチャンプルー)、メヒカリのから揚げ、豚肉の塩釜焼き……。よく食べたなあ。 焼酎は、川越のお湯割りから始めて、芋、芋、芋!の三連発。芋麹で作った芋焼酎の「芋」という銘柄です。これがイモイモしていて旨いのなんのって。お湯割り2杯ののち、ストレートでいただきました。 その後、もう一軒でワインを飲んで、べろべろーに酔っ払って帰ったのでした。 一緒に飲んだ友達が、一昨日の芝公園と、昨日の渋谷と、二日連続でワンちゃん連れで反戦デモに参加したのだった。「若い人が少なかったですよ。テレビで外国の反戦デモを見ると若い人ばかりなのにね」 ふうむ。そんなものかなあ。
2003年03月23日
6歳の6月6日に習い事を始めると成就するという言い伝えがあるらしい。 叶わなかった夢を託すように、母は私に英語とピアノを習わせた。私が外国人と結婚し、母は娘夫婦と孫の顔を見るために、年に一度は必ずその異国を訪れる……そんな未来を思い描いていたらしい。「だったら私、黒人と結婚したいな」と言って、母と祖母が困った顔をするのを見て面白がったものだった。嫌な子どもだねえ。 なぜか、今朝、目覚めたときにそんなことを思い出した。 黒い肌にやさしく包まれ、私は口ずさむ。 ♪I was made for loving you,baby. You were made for loving me. そして私はこの昔話を彼に語って聞かせるのだ。「母親は首に巻きつく蛇」というタイトルの本をどこかで見たような気がする。恐ろしすぎて読む気にはなれなかった。多分、正し過ぎることが書かれているという予感がしたから。 母の夢をかなえられる可能性は、まだほんの少し、残っているかもしれない。 昨夜、母と一緒に近くの定食屋さんで食事をした。ときどき、ご機嫌をとるために二人で外食するのだった。以前は恵比寿のタイユバン・ロビュションで大盤振る舞いしたこともあるけれど、いまは私が貧乏なので……。 生ビールはキリンの一番絞り。注文したのは、「豪快サラダ」「牛のほほ肉のやわらか煮」「太刀魚のから揚げおろしソース」「たたききゅうり」「イカ団子」。どれも気取らず、家庭料理のような盛り付けで出てくる。サラダには、マヨネーズのてんこ盛り。この気安さがいい。 明るすぎる蛍光灯の照明で、隣のテーブルとの間隔が狭くて。「ふだん」の香りのする空気。いいなあ。嘘っぽくない、ホンモノの生活がある。 もう一軒、バーにも寄りたかったが本日はお休み。仕方ないので家に帰り、白ワインを開けた。酔っ払って気が大きくなり、古酒を開けてしまった。でも、安いの。3000円弱だったかな。 安物買いの銭失いだったかも。薄い。水っぽい。ルモワスネの樽香ぷんぷんの古酒を思い描きながら口に含んだら、ひどくがっかりした。でもまあ、こういう枯れ方もあるのだろう。リュリーだから、もともと長期熟成に堪える力強さはないのだろう。 ……と、ここまでは昨夜の話でした。今日はこれから少し仕事をして、夕方、映画を見に行く予定。 ちょっと小腹が空いたので、ありあわせの材料で篭城料理を作ってみた。 大鍋でスパゲティを茹でている間に、にんにくを刻み、パセリとケイパーを一緒に細かく刻む。フライパンに少量のオイルをひき、鍋を傾けてオイルだまりを作ってここににんにくを投入。焦がさないように油で煮る感じ。色づいてきたら、アンチョビ3切れを加えて煮溶かす。 火が強過ぎたらフライパンを持ち上げて遠火にして。溶けたらパセリとケイパー、白ワイン、鷹の爪1本を加え、塩、胡椒で味を調え、ソースの出来上がり。 ここにアルデンテのスパゲティを投入してざっと絡ませる。おっと、鍋からスパゲティを引き上げるとき、お皿に乗せたざるに鍋の熱湯ごとジャーっとあける。こうすれば、お皿が温まるので便利よ。所要時間は10分少々。簡単で美味しい篭城パスタでした。
2003年03月22日
「やりたいことが見つからない」と言う若い人は多い。そう言われると、「やってみなければ、向いているかどうかわからないじゃないか。ともかく、試してみることが大切だよ」と、お説教をしたくもなるが……。「馬車馬のように働いて何かいいことがあるの?そんなことをしているうちに、自分の本当にやりたいことが見えなくなってしまう。そうならないために、本当にやりたいことが見えてくるまでは、自由な立場に身を置きたいんだ」 ある男子学生がこう言ったと、カウンセリング心理学者である諸富先生が教えてくれた。「彼らは単に働きたくないから就職を拒否しているのではなく、彼らなりに深く考えた結果、そうしているのですよ」と。 本当の自分が望んでいる、本当にやりたいことってなんだろう。それを探すために一生懸命な人ほど、自分をだますことができずにフリーターを選んでしまうということもあるかもしれない。 そんな彼らに、お説教しても何の意味もないかもしれない。それどころか、彼らの中に眠っているすばらしい可能性の芽を摘むことになりはしないだろうか。 新聞でこんな記事を見つけた。ある県で、フリーターの若者向けの就職ガイダンスが開催され、地元の鉄工所の専務が「フリーターにならないために」というタイトルで講演を行った。だいたい、すでにフリーターをしている人向けの講演にこのタイトルをつけること自体、間が抜けていると思うが、話の趣旨はこんなふうだったそうだ。以下、引用。>「働くうちに、それが適職だったということがよくある。私もそうだった。あまり職種を絞ると自分の可能性を狭めてしまう」と体験談を披露。「長くフリーターをしていると、責任感が希薄になる傾向があるため、企業は採用を避ける」と話し、早期に定職に就くことを勧めた。 ううむ。「可能性を狭めてしまう」と言うが、いま、若者の目の前に見えている「可能性」とやらは、ひどく色褪せ、ダーティなものになってしまっているのではないだろうか。 食肉偽装、ODAのリベート疑惑、談合、恐喝まがいの議員の言いなりで賄賂を贈る企業家、過労死、過労自殺、社内いじめ、非人間的なリストラ……。 消費者をだまし、法を犯し、人道にもとり、そこまでして私利私欲を追求して何が嬉しいか。 若者の純な心は、働く大人たちのウソっぽさ、空虚さを鋭敏に見抜いているのかもしれない。「単に私利私欲の追求ではなく、働くことが世のため人のためになるとか、地球環境を守ることにつながるとか、そういう話を聞かされると、いまの若者たちは感動する。カウンセラーや福祉職など、じかに人の役にたっているという手ごたえの感じられる仕事を希望する人が増えているのも、そんな理由からでしょう」と、諸富先生は話してくれた。 私利私欲、営利追求以外に働く目的、企業の目的を語れない、ビジョンのない、夢を語れない大人たちが、若者から見限られているということだろう。 世の中は猛烈なスピードで変化し続けている。大人たち変化に適応するのが精一杯で青息吐息だ。だが、変化を作り出すのは誰だろう?誰かが作っている。変化に適応する側ではなく、変化を作る側に立てば、適応の奴隷にならず、自由に自分らしく生きられるのではないだろうか。 適応vs不適応モデルで世の中を切り分けて考える時代は終わったと私は思う。 変化を作ろう。夢を見続けよう。イマジン!♪You may say I’m a dreamer,but I’m not the only one.I hope some day you’ll join us, and the world will be as one. ……………。 いつも長くてゴメン。饒舌な私に付いてきてくれる人には感謝感激、涙の雨あられ。ここからがとっておきの愛蔵保存版です(^^) 諸富祥彦先生がインタビューで話してくれた「天職の見つけ方」。紙数が足りなくて原稿の中に盛り込めなかったけれど、この場で公開してしまいましょう。これは最先端のキャリア理論です。ワクワクワク。以下、諸富先生の談話と、某HR専門誌元編集長の話、そして私の考えを混ぜこぜにして私の文責で書いてみます。ちょっと荒削りでゴメンね。●幸せってなんだろう 自分だけが幸せになっても、本当の意味では幸せになれない。周囲の人すべてが幸せになれなければ意味がない。そんなことを今の若い人たちはうすうす感じ取っているのではないだろうか。「自己実現」の意味合いが変わってきた。古典的な「自己実現」は個人主義のレベルにとどまっていた。つまり、自分が仕事などを通じて自分の夢を実現すれば、それが自己実現であった。しかし、いまでは自分を超えた「トランスパーソナル」な自己実現が志向されている。自己実現が世のため人のため、地球環境のためになり、自分が幸せになることが、同時に周囲の人も幸せにするような「つながり志向の自己実現」である。●キャリアの8割は運で決まる では、どうすればそのような自己実現ができるのだろうか。どのような方向へ進めばいいのだろうか。キャリアの問題でいえば、どうすれば自己実現につながるよいキャリアを選べるのだろうか。 スタンフォード大学のジョン・クランボルツ教授は、「キャリアの8割は運で決まる」と言った。90年に学会誌に発表した「Planned Happenstance Theory」(計画された偶然理論)という理論で、数百名の社会人をインタビューしてこの結論に行き着いたそうだ。 では仕事で成功している人はただ運がよかったのか、というとそうではない。キャリアの8割は偶然で決まるが、個人はその偶然に働きかけることができる、というのがこの理論の核心である。「計画された偶然」というが、では、計画したのは誰か。昔の人が神様と呼んだものかもしれない。正体は何でもいい。言葉で表現するのは難しいが、ただ、「偶然」としかいえないような運命のいたずら、「私はこう進むべきだ」という直観、「こっちへ言ったほうがいい」というひそやかな囁き声。そんなものに身を委ねたほうがうまくいくときがある。●チラチラ囁く声に耳を傾けよ 旧ソヴィエトの心理学者チクセント・ミハイは同じようなことを「フロー」(自生の流れ)と表現した。 スポーツを例にとると分かりやすい。サッカーでもアメフトでもいいが、よく見ていると、流れが変わる瞬間がある。勝てるチームとは、流れをつかむのがうまい。 そのような「流れ」を理論的に説明するのは難しい。言語化される以前の「何か」である。偶然にしか起こりえない。チラチラと囁きかけてきて、何か意味があるような気がして仕方がない、そんな感じのものだ。 そんな囁き声に耳を傾けると、自分の進むべき方向が見えてくることがある。 昔の人はそれを「天命」と言った。職業とは「天命」に基づくものであるという考え方は、洋の東西を問わず共通している。 ドイツ語で職業を表す「ベルーフ」には「呼ばれたもの」という意味がある。英語の“CALLING”は神の呼び声という意味で、それが職業、天職を表す。 日本語の「天職」は「天命」と「職業」を足して二で割ってものだ。実にいい言葉ではないだろうか。気が付けば、トランスパーソナルの考え方を先取りしている。●天職を見つける3つのポイント 天職を見つけるポイントを挙げてみよう。次の3点ぐらいに整理されるのではないだろうか。1)好きなことに没頭してみる。単なる趣味だからとバカにせず、好きなことにのめりこんでみる。2)周囲の人の意見に耳を傾ける。「やってごらんよ」といわれたものを試してみると、意外に向いているかもしれない。ただし、盲目的に他人の意見に従うのはいけない。3)偶然を大事にする。最初はあまり気乗りがしなかったものでも、偶然出会ったことに身を任せてみる。これには自分にとってどのような意味があるのだろうかと考えながらやってみると、意外にハマリ役かもしれないと思えたり、面白くなってくる場合もある。 逆の場合を考えてみると、「自分にはこの仕事しかない」「この仕事をしなければならない」と決め付けるのがいちばんよくない。もしもその仕事で失敗したら、他に道がないからだ。絶望しかない。オール・オア・ナッシング。 自分にとっての意味、自分にとっての価値は、すでにあるものではなく、日々、創造していくクリエイティブなものである。 だから、イヤな仕事でもガマンして続けていれば慣れてくるよと言っているのではなく、最初はその意味も価値も漠然としていて分からないけれど、なんだか気になる。やってみたほうがいいような気がする。そういうものに飛び込んでみよう。ここまでは流れに任せる。 だが、その後は、自分で流れをつくっていく。意味と価値を創造しながら、進んで行く。 自然の流れと自分で起こした流れの相乗効果で前へ前へと進んで行ける。泳いでいるときにフォームが決まって浮力と推進力が最大限に引き出され、ずんずん進んでいける、あの感覚に近いのではないか。
2003年03月21日
今日の運勢。「長い間あなたが求めていた待人や仕事が、急に目の前に姿をあらわしそうな一日です」。ホントかねえ。当たったらすごいぞ。 いずれにしても、今日は快晴で抜けるような青空。隣家の真っ赤なぼけの花が鮮やかに照り映えている。赤い色は花こそ似合う。人々の暮らす場が炎に包まれて戦場と化す姿など見たくない。ましてやおびただしい流血と死体の山などは。 ……………。♪ All we are saying is Give Peace a Chance....♪ 待っていたのは戦争なんかじゃないので、朝に書いた「待ち人来る」というタイトル変えました。なんともバツが悪い。遂に戦争が始まってしまった。反戦デモには行けないけれど、何かプロテストのメッセージを送りたい方は、こちらのWEB-DEMOはいかが?私も居ます。http://www.art-and-river-bank.net/anti-war/ 明日の21日に再び反戦デモが行われます。おっと、いまチェックしたら、急きょ今夜、米大使館前で抗議活動を行うとのことです。http://www.worldpeacenow.jp/ 武力による解決以外に道はないとは思えない。 いちおう、小泉首相の見解を載せておきます。読んでますます腹が立ったという方は、ぜひ、ひとことメールを首相官邸へ! ……………。 テレビが気になって、今日の原稿書きは遅れに遅れ、ようやく8時少し前にアップ。いまからジムへ行っても、エアロビのプログラムでよさそうなのはない。だが、ひどく目が疲れ、肩がだるいのでプールを目当てに行くことにした。 いつも行かない時間にひょっこり現れたものだから、ロッカールームで顔見知りの人に「何しに来たのぉ?」と、言われてしまった。 しかし、女性って(おっと差別発言はイカンが)、物を考えずに口に出す人が多いよなあ。自分の言葉が相手に与える印象を考えず、言いたいことだけを言ってしまう。 プールから帰って来た時、またも問題発言に遭遇。「すごくすいていたので、コースを独占して泳げたわ。気持ち良かった!」と私が言ったら、「どうして空いているんでしょうね。みんな、戦争を見ているのかな?」と、ある女性に言われてしまった。ううむ。二の句が接げないぞ。「戦争を見ている」か。ううん、ちょっとなあ。良識ある大人なんだから、親しき仲にしても言葉を選んで欲しいと思った。人の振り見て我が振り直せですが。 反戦デモにも行きたいのだが、女ひとり、生きていくのが精一杯で、目の前の仕事の山を無視するわけにはいかない。辛いところだなあ。 露天ジャクージにつかり、冷たい風を頬に受けながらしみじみ考えた。小泉メルマガの言い分は、あまりにもアメリカの論理の受け売りではないか。国連のイラク査察団など、平和的解決のために努力した人々に対し、みじんの言及もなかった。ああ。これでも平和憲法をかかげる国の首相かよ。ま、日米安全保障条約というエサで生きながらえている犬でもあるわけだが。 国際公務員として活躍している日本人の数は、先進国の中では非常に少ないと聞く。いやしくも平和憲法を掲げる国の国民として、これは非常に憂うべきことではないか。地理的な問題、英語力のギャップは大きいが、今後、世界平和に貢献する人材を多数輩出してほしいものだ。核兵器を保有することよりも、そのことのほうがよほど意味がある。 悲しいことに今回は外交が武力に敗北したが、土壇場まで外交努力を訴えるフランスのドビルパン外相の胸を打つ演説などに触れ、外交の大切さを痛感した人は多かったのではないだろうか。 それに比べ、わが国の外務省や元酒屋重役の女性外務大臣のていたらくと言ったら、ああ嘆かわしい。ただ居るだけで、貢献らしい貢献をしたと言えるだろうか。 文部科学省は年間1万人規模の高校生が海外留学することなどを目指す政策を打ち出した。結構なことじゃないか。国際語である英語を習得するのもいいが、英米以外の国にもどんどん留学してほしいものだ。そして、日本の論理や、アメリカの論理に偏ることなく、地球市民の視野でものごとをとらえ、考える力をもつ人に育ってほしいものだ。国際機関で世界全体のために貢献できる国際公務員の日本人が多数育てほしい。 今回の件では、国連査察団のメンバーとして、「小泉首相、それは違います!」と直言できる日本人がひとりでも居たらなあと夢想するのであった。 日本は不況にあえぎ、何をしでかすかわからないお隣の国の脅威にストレスをためているが、英語にプラスしてなんらかの技術、特に理工系、看護・医学系の技術があれば、世界中どこでも働ける。これからの若い人たちにはぜひ、「世界中どこでも通用する能力」を身につけてほしいと切に思う。 軍事費に金をかけるより、国際的に通用する人材……自国のエゴイズムにとらわれず、コスモポリタンとして平和の実現に貢献できる人材を多数、世界に送り出すことのほうがよほど意味があるのではないだろうか。 外交……話し合いで解決できないのは、相手が悪者だからではなく、お互いに兄弟のように相手を大切に思い、相手が傷つけば自分も傷つき、相手が痛みを感ずれば自分も痛い、悲しければ悲しい……そんなふうに心を通わすことのできない世の中の未熟なシステムにこそ問題がある。 テレビのコメンテイターを見ていても、尊敬の念は浮かばず、ため息が出るばかりだ。情報通であることや、頭の良さをひけらかすことに何の意味がある?ましてや声が大きいだけでは、何の価値もない。 これ以上殺させないために、1人でも命を救うために、何かいいアイディアを出してほしい。範を示してほしい。それができなきゃ、黙れ!と言いたい。
2003年03月20日
そのお店は月刊「pen」という雑誌に載っていた。記事は2分の1ページほどのスペースだったが、なぜかピンときて、さっそく電話で予約を入れてみた。 入り口は、どこかのお屋敷ふう。引き戸をガラガラっと開ける感じが気持ちいい。玄関を上って細長い土間を進むと両側が団体向けの個室になっている。少人数の客は靴を脱いで上る板の間の席へ通される。 カウンターは「掘りごたつ」式に足を下げて座れるから楽チンだ。テーブル席は板の間に座布団なので、いまどきの長足な若者にはツライでしょう。私は胡坐が好き(まあ、お下品)なので結構、大丈夫。 田舎の親戚の家へ遊びに来たみたいな雰囲気を狙っているのかな。丸いちゃぶ台があったりして、とても家庭的ななごみが感じられる。 九州料理といっても、ここは宮崎と鹿児島の料理。焼酎の品揃えも両県の芋焼酎がメインだ。お習字の教室みたいに、壁一面に焼酎の銘柄を毛筆で書いた半紙が貼ってある。赤丸でアクセントをつけているのがご愛嬌。 何を飲んだっけ?「千亀女(せんかめじょ)」「川越」「芋」「不二才(ぶにせ)」なんて名前が記憶に残っている。 焼酎のやり方?最初はお湯割りで1~2杯。でも、やがてストレートが欲しくなる。芋焼酎は、香りを楽しまなくちゃ。ロックじゃ、せっかくの香りが立たない。 料理は、宮崎地鶏と地元の市場から直送されてくる新鮮な魚介類がおススメ。宮崎のモモ焼きって、独特だね。骨付きのモモ1本丸焼きが出てくるかと思いきや、小さく切ったコリコリのお肉で噛むのにひと苦労。その噛み応えが比類なき味わいになっている。 新鮮だからできる砂肝の刺身、レバーの刺身も大好き。おろしにんにくとおろししょうがでいただく。うすーくスライスしたたまねぎの付け合せがうれしい。 ここのゴーヤチャンプルーは沖縄ものとは見た目からして違う。豆腐と卵がぐちゃぐちゃーっとスクランブルエッグ状態になっている。のん兵衛にはこのほうが嬉しい。酔うほどに歯を使わない「なめなめ系」が欲しくなってくるから。 魚介類で印象深かったのは、「アサヒガニ」。かなり変わった風体のカニちゃんである。味はタラバほど濃くなくて、繊細系。なかなか乙です。 特大サイズでホッケかと思うくらいの鯵の開きも濃厚な味で堪能できた。ああ、口の中いっぱいに広がるジューシーなうまみがよみがえってくるようだ。 野菜は、キャベツを切って醤油をかけただけみたいなシンプルなつまみもあったような気がする。その素朴な感じがまた、いいの。 おっと忘れちゃいけない。ご飯ものは、宮崎名物の「冷や汁」がある。冷たい味噌汁の中にご飯が入っていて、きゅうりの輪切りが浮いている。焼き魚のほぐし身なども入れるらしい。 人によって愛憎半ばする郷土料理のようだ。仕事で宮崎に行ったときに「冷や汁っていうのがあるんですってね。どんな料理なんですか?」とたずねたら、女性には嫌な顔をされた。貧しい時代の忘れたい思い出のようだった。でも、男性はたいてい嬉しそうに説明してくれた。うーん、難しい。 今年になってから、まだ一度も行っていないや。誰か付き合ってネ!
2003年03月19日
占いっていうのは、「便所の神様・相田みつを」じゃないけれど、その日の標語みたいなものだね。今日のおとめ座は仕事運がよくてサクサク進むらしい。よぉし!やったろうじゃん!という気になります。結構、単純な私です。 つまり、占いは当たるか外れるかが問題ではなく、信じるか信じないかが重要なのですね。自己暗示の世界に他ならないでしょう。上手に利用して自己を律し、励ましていくのは悪くない。でも、盲信し依存しちゃうのはどうかな。 占い師は一種の催眠療法でしょう。私には必要ないけれど、催眠かけるほうにはちょっと興味アリ。いや、厳密に言えば催眠を解くほう。マインド・コントロールの呪縛はずしネ。 本日の予定はエッセイ1本、インタビュー1ページ、事例紹介4ページの途中まで。ふー。しかも夜にはエアロビ2本。突っ走るぞ! ……………。 昨夜の晩御飯の写真、ちょっと解説しておきます。菜の花・新たまねぎ・鶏肉のサラダ(芥子マヨネーズ)、わかめと大根・にんじんの千切りの酢味噌和え、椎茸・アスパラガスと鶏肉のミルク煮、トビウオの刺身。写真からはみ出しているのは、自家用ビアサーバー(業務用のもの)から注いだ生ビールです。このほか、栃木の郷土料理「しもつかれ」も。以上、母の手料理を親子3人でいただきました(なぜか弟はいつも別行動)。 大好きな菜の花がもうじき終わってしまうのはさびしい限り。思い残すことがないように、食いだめしております。 ……………。 ご幼少のみぎりに福岡県で過ごされたロビンさんと、掲示板で盛り上がりましたが、「だいやめ」とは、鹿児島県の方言で「一日の疲れを癒す晩酌」のことだそうです。なんだかいい響きでしょう。「だれ(い)」は「疲れ」、「やめ」は「止め」を表します。ちなみにお隣の宮崎では「だれやみ」「だりやめ」、熊本では「だりやみ」とか言うそうです。 一方、「たもいやんせ」は鹿児島弁で「召し上がれ」の意味です。フランス語の「ぼなぺち」ね。でもって、こういう名前の九州料理店が渋谷のはずれにあるのでした。 毎晩「だいやめ」が必要な私だなあ。今日もなんだかへとへとに疲れてしまった。ジムから帰ってきたら、昼に送った原稿に赤字修正をたくさん入れられたものがファクシミリで届いていた。厳しい。気を抜いたわけじゃないが、構成の甘いところを指摘されてしまった。とほほ。ライターはつらいよ。 ま、今日は今日で終わったこと。明日は明日の風が吹くさ。早起きしてがんばろうね。明日は北千住で取材もあるしね。
2003年03月18日
「二人で映画を一緒に見に行きたいのだけれど」と彼は言った。「暴力シーンの出てくる映画は痛そうだからイヤ。ホラー映画は怖くて夢でうなされそうだからダメ。恋愛映画は……他人のを見るより自分たちでするほうがいいよね」「見るより自分たちでするほうがいい」っていうのは名言だなあ。うなってしまう。 ストーンズのライヴはそれなりに楽しかったけれど、できることなら、もっと小さいハコで間近に見たかった。手作りのナマな感じをココロとカラダで丸ごと体験したかった。 今日のお昼ごはんのBGMは、私たちのバンドの前回ライヴの実況録音盤。うー、へたっぴぃ!と、反省することしきり。聞かされるほうの身になってみろ、と思った。ああ、お客さまは、神様です!次回はお客さんと一体になって、ココロとカラダを丸ごとハッピーにするステージを演じたい。 音楽は聴く一方よりも自分たちで作って演じたほうが百倍も千倍も楽しい。作るのが楽しくなればなるほど、他人の曲を聴くのも楽しくなってくる。 文章を書くこともそう。モノづくりは、みんなそうじゃないかな。料理だってそう。追体験よりも、体験だ。もっと言えば、追体験と体験の距離を限りなく縮めてくれるライヴ感のある作品こそがホンモノだろう。 レトルト、インスタント食品、コンビニ弁当、テイクアウト惣菜……そんなものばかり食べていたら、人生の楽しみの大半をドブに捨てるようなものだ。 好きな食べ物は何かとたずねたとき、「カレー、ハンバーグ、ラーメン」みたいな答えが返ってきたら、たぶん、その人とはうまく付き合えないだろう。薄っぺらで教養のないお子様な人生を送ってきたのね、というのが正直な感想だ。 そう言うと反発を感ずる男性も多いかも。カレーやハンバーグが「おふくろの味」であるとして、神聖視している男たちって結構、多い。男にとって母親は最高の存在だ。少しでも母親の名誉を汚すような敵には、容赦なく反撃するだろう。 でもね、女性が同じ質問をされたとき、「カレー、ハンバーグ、ラーメン」の類を答えたら、多くの男性の失笑や軽蔑を買うだろう。「まともな料理のできない女なんて」というわけだ。 そういう差別はいけません。やめようね。 男は、まあ、女もだけれど、大人になって自立した後に何を食べてきたかで、人間としての真価が問われるのだと強弁してしまおう。 ま、インスタントやレトルト、添加物コテコテの調理済み食品のたぐいばかり食べていたら、寿命はそう長いことないだろうから、自業自得ってものだけれどね。 なーんて言いつつ、今日の私のお昼ご飯は、レトルトのカレーうどんの素とチルドのうどんを買ってきて、春キャベツだけうどんと一緒に湯がいて足したものだった。うーん、野菜が足りないぞー! 汁物が欲しかったのでつい、手が伸びてしまったのだけれども、買うのはキャベツだけにして、ストックのアンチョビとニンニクでパスタにすればよかった。スープは新たまねぎとコンソメの素で別に作ればよし。 時間と手間を惜しみ、幸せを失ってしまった。 さあ、料理をつくろう。料理は愛。大好きな人と食卓を囲める日のために、せいぜい腕を磨いておかなくちゃね。 ……………。 電話が鳴った。彼からだった。「二人の思い出を大切にしてくれるのはありがたいけれど」「えっ?」「よく、あんなどうでもいい言葉を覚えていたね。ネットで公開されると、照れるな」「うふふ」「でもさ」「ん?」「過去はもういいから、新しい思い出を作らないかい?」「ありがとう。その言葉を待っていたわ」 ※これはフィクションで実在の人物には関係ありませんのであしからず。
2003年03月17日
「昨日、ストーンズのライヴに行ったんだよ」と言ったら、「蓮池さんも行ったんだってね」と、同じリアクションを二度も三度も別の人からされて、テレビの影響力の大きさに感じ入ったのでした。 それはさておき、中身の濃い休日でした。土曜日のストーンズのライヴは、スタンド席だったので、彼らが小指の先ぐらいの大きさにしか見えなくて、せっかくの臨場感もイマイチ。ステージ頭上の巨大スクリーンに大写しにされるのですが、これほど距離が離れていると、音と画像の微妙なズレがあって、ミックの拍手のテンポが合わない。 まあ、それでも彼らと同じ空気を吸えたことを喜びたい。59歳だって。若いねえ。私たちもまだまだロケンロールしなくちゃね! いちばん印象に残った曲は、アリーナ中央部に設けられたせり出しステージで演奏した「リトル・レッド・ルースター」。ストーンズのブルースはやっぱりいい。ロックのルーツがブルースであることを思い出させてくれる。 そしてもう1曲、女性コーラスのリサがはじけまくった「ギミー・シェルター」。どうしたらあんな声が出るのだろう。高音だけれども、重量感と太さのある声。魂をぐいっと手づかみされたような感動があった。 ライヴが終わった後、相棒のマキちゃんの地元、東中野の隠れ家へ向かった。カウンター席だけで10人入るか入らないかといったこぢんまりしたお店だ。大皿に盛られたその日の料理の中から好きなものを指さして頼む。 腹ペコだったので、まずは前菜を立て続けに4皿オーダー。菜の花とわけぎのぬた(酢味噌にピリリと効かせた芥子が鮮烈!トッピングのシラスはグッド・アイディアだね)、めかぶと茄子(さっと塩でもんで千切りにした茄子がフルーティ。これはマネしなくちゃ。細かく刻んだ沢庵も入っていた)、海老と新たまねぎのサラダ(マヨネーズあえで胡椒が効いている。新たまねぎの歯ごたえと香りがうれしい)、海老しんじょ揚げ(衣に細かく刻んだ春雨をまぶしてあって見た目も美しい)。 そして「ここに来たら、やっぱりコレを頼まなくちゃ」ということで、毛蟹!タラバもいいけど、毛蟹特有の細くてしなやかな肉質がたまらないね。こってりした味噌も最高!「何か仕上げに食べない?」と言われ、普段は酒を飲んだ後にご飯ものを食べる習慣はないけれど、「お茶漬け」という言葉の悪魔的な魅力に吸い寄せられ、昆布茶漬けを選びました。松茸と煮た昆布が「これでもか、これでもか」と入っていて、あっという間にサラサラ、満腹、満足、口福。 ……と、ここまでは土曜日のお話でした。日曜日はいつものようにスポーツクラブへ行き、「やりだめ」(あら、お下品な)の連続4本!途中で腹筋がピリピリ痛むぐらい、やりすぎでした。ストーンズのライヴでずっと踊っていたせいか、下腹の腹筋がかなり鍛えられた感じ。 最後のプログラムでは、頭の中にひたすら黄金色のビールを思い浮かべ、残った力を搾り出すようにしたのでした。 うまかったなあ!最初の1杯。お目当てのアイリッシュパブは、東京中のアイルランド人を集めたかのような大騒ぎで店から人があふれていたので断念。 今日はセント・パトリックス・デイを記念するパレードが表参道で行われた。セント・パトリックス・デイは、アイルランド人にとって、最大のビッグイベント。その雰囲気を少し味わいたい「お祭り大好き女」の私は、緑色の服でキメてきたのだけれど……。 仕方ないので近くのキリン・シティーに入って、ブラウマイスターとハートランド、ハーフ&ハーフを合計4杯ぐびぐびぐび。ここの注ぎ方だと、炭酸の刺激がないので、4杯ぐらい軽く飲めちゃいますね。 つまみの価格が500円前後とお手ごろなので、4種類のチーズのピザ、たらの芽の天麩羅、菜の花の生ハム巻き、まぐろのカルパッチョ、白身魚とポテトのフライ盛り合わせ、グリーンサラダのカマンベールドレッシングなど、食べまくりました。母と二人でね。 その後、私は自由が丘へ。バンドの練習の時間までまだ余裕があったので、近くのアイリッシュパブでギネスを1パイント。アイルランド民謡のバンド演奏があって、とってもいい気分。写真に撮ったフィドルとなぞの打楽器のほか、アコーディオン、笛、ウクレレみたいな小さなギターという構成でした。ネイティブはギターだけ。異国の民謡をあんなに弾きこなすなんて、すごいなあ、日本人。 バンドの練習は、先日のライヴの「おさらい」の後、リーダーが素案を持ってきた新曲をみんなで作っていった。酔っ払った勢いでテキトーにシャウトしたのですが、なんだか気持ちよかったなあ。ブルースっぽい曲を歌いたいとずっと思っていたので。 終わった後、コーラスの相棒のメグちゃんを誘い、アイリッシュパブへ戻ってまたもギネス。終電でおとなしく帰るつもりだったけれど、駅に来たら気持ちが変わって、駅前のビルの中へ吸い込まれていった私。 結局、タクシーで帰ったのでした。 出来事を並べただけの日記になってしまった。ま、たまにはこんな脱力系も許して。 オマケ。セント・パトリックス・デイの解説です。以下、引用。>5世紀頃、アイルランドにキリスト教をもたらした宣教者、それが聖パトリックです。彼はそれまでの自然信仰や慣習とキリスト教を共存させながらキリスト教を平和的に広めていきました。アイルランドに蛇がいないのは、彼が布教の間、邪教の化身といえる蛇を退治したからだと言われています。彼の熱心な布教活動のおかげでアイルランドは敬虔なカトリックの国となり、アイルランドの守護聖人として1500年経った現在も親しまれているのです。その聖パトリックの命日が3月17日、この日をセント・パトリック・デーとし、アイルランドでは最大の祝祭日として国を挙げて祝います。また、世界中に住んでいるアイルランド人がこのお祭りを祝い、特にアメリカのニューヨークでは、数百万人もの参加者を数える一大パレードが行われます。http://www.inj.or.jp/ 3月17日はうちの祖父の命日だったりします。これも何かの縁かしらん。ちなみに祖父は巳年でした。
2003年03月16日
夜のストーンズのライヴに備え、昼からビールを飲んでご機嫌なのでした。 たまった仕事を片付けようという気持ちもほんの少しあったけれども、なんだか脱力の土曜日であることよ。 11時半からのステップ・エクササイズに出て、汗をたっぷりとかいて、のんびりお風呂に入った後、ジムの1階にあるティー・ルームでベーグル野菜サンドと缶ビール1本。昼間のビールは沁みるねえ。すっかりいい気分。
2003年03月15日
KISSのライヴから帰って来たよ。最高のショウだったね。席が良かった!一人ひとりの顔が、はっきり見えるの。ジーン・シモンズが、あんなふうに腰を激しく動かしていたなんて、知らなかった。見ているだけで妊娠しそうだ。あは。相変わらず長身で引き締まっていてカッコいいねえ。若い! 血吐きのパフォーマンスもやってくれて、宙吊りになって天井近くの演台で歌うワ、ベロだしまくり、火吹きもオッケーで、すべてのお約束がいつもどおりに実現されたのがうれしかったですね。 ステージの演出も、花火バンバン、炎吹き出し、スモークがんがん、ラストでは赤と黄色の紙吹雪がアリーナ全体に高く高く吹き上げられ、業火じゃなかった豪華絢爛。 で、アリーナの真ん中に、なぜか四角く囲ったスペースがあり、そのすぐ前の席だったのですが、途中、ポール・スタンレーが宙吊りになって、このスペースまで降りて来たのですよ。よよよよ。着地地点は、私の席より5つぐらい右がまん前でしたが、それにしても、すぐ目の前!思わず、黄色い声が出ちゃいました。きゃあああああ!かぶりつき。 彼らは確か、50代なんですよねー。動きは以前に比べればまったりしているかもしれませんが、腹出ていないし、筋肉引き締まっていてすばらしい。 いまだにポールに向けてパンティとブラジャーが飛ぶわ飛ぶわ。じつは私ももっとブラとりやすい服で行けばよかったと後悔したりして。あははは。 楽しかったなあ。“BLACK DIAMOND”の前に、ポールがふざけて、アンジー→ワイルド・ホーセズ→天国への階段……を弾いたのが実に面白かった。ロック・コメディアンですか?まあ、それに近いかも。 オーディエンスの皆さんも、10人に1人ぐらいの割合で、KISSのTシャツ着ているしぃ。70人に1人ぐらいの割合で同じメイクしてるし。参るなあ。私も夏だったら着るけど、さすがにこの寒さじゃ、おばさんは躊躇してしまいましたよ。「今回でKISSの日本公演が最後だなんていわれているけれど、ウソっぱちだぜい!」って言っていたから、次回はぜひ、夏に来てほしいものです。 ラストはお約束のROCK AND ROLL ALL NIGHT! 開演10分前に着いたので、売店でKISSの新作Tシャツを買う余裕がなかったのが心残り。帰りも大行列だったので、諦めました。うーん悔しい。 さ、土曜日はストーンズだぜい。早めに行ってじっくりTシャツを選ぼう。うふふ。 ……………。 午前中は、神保町の出版社で打ち合わせ。またも大量受注です。パチパチパチ!ケアマネジャーの今後のあり方と、老人介護用オムツについてのお仕事。「就転職のお助けウーマン」のもうひとつの顔は、「厚生労働ジャーナリスト」なのでした。3つ目の顔は産業コラムニストだったりして。 介護用オムツは身体拘束につながるからと、最近は否定的な見方が主流になりつつあるのだそうです。そうは言っても、「緊急避難」的なニーズはあるわけで、実はものすごく伸びている尿失禁用パッドと同様、超高齢化が進む中、売れ行きが鈍ることはないかもね。 さて、お天気がいいし、気分がいいので、帰りに本屋さんへ寄ってつい買い過ぎてしまいました。『霧のむこうに住みたい』(須賀敦子著、河出書房新社)『もうエロチックになれないわたしへ』(スザンナ・ケイセン著、吉田利子訳、草思社)『たった一人の挑戦 早期退職者55人行動ファイル』(加藤仁著、読売新聞社)『時代がやっと追いついた 新常識をつくったビジネスの「異端者」たち』(船木春仁著、新潮社)『〈癒す知〉の系譜 科学と宗教のはざま』(島薗進著、吉川弘文館)『職業の倫理学』(田中朋弘著、丸善)『純米酒を極める』(上原浩著、光文社新書)『女より男の給料が高いわけ』(キングズレー・ブラウン著、竹内久美子訳、新潮社) 今週号の「週刊文春」の書評欄を読んだ人は、ニンマリするだろうな。そうです。影響されてます。あとは、仕事関係で役立ちそうだから選んでみたり、純米酒については蔵元さんに行ったりしていまはマイブームなのです。『もうエロティック…』は、タイトルに惹かれ、少し立ち読みしたら面白そうだったので。そして、大好きな須賀敦子さんのエッセイにまた会えてうれしい。でも、彼女の新刊本はこれでおしまいかと思うと、さびしい。合掌。
2003年03月14日
天命、天職、人はなぜ、何のために働くのかというテーマについて、一昨日お会いした諸富先生から大きなヒントをいただいた。続きはまたあとで。 前回のライヴで演奏した「流れ星」を聴けます。良かったら、チェックしてみてください。女声2枚ヴォーカルで、最初に歌っている低い声のほうが私です。わかるかな? そして、いよいよ今夜がKISS来日公演@武道館。 ♪I was made for loving you,baby. You were made for loving me. 誰か、私を見つめて歌ってちょうだい(^^;) スキットルには何を入れて行こうか。1978年のマッカランにしようか、それともタリスカー10y.o.?
2003年03月13日
最近、仕事が楽しくて……と、無理しているワケじゃないけれど、そう言っているうちに、ほんとうに楽しくなってくるから不思議です。 ♪私は仕事に生きるんだ! 適職発見とか、キャリアプランの先生をしているからには、まずは私自身が「好きな仕事で輝いている」状態じゃないと、看板に偽りアリになっちゃいますよね。 ちなみに『女は好きな仕事で輝きたい』という本を学陽書房の女性文庫から出していますので、よろしければごらんください。 フリーになって、今年で16年ぐらいかな。でもって、あと16年で還暦。それからさらに16年ぐらいは介護のお世話にならずに生きたいものです。そのあとは余生。というわけで、16年周期の節目みたいなものかな。 貯金はこの不景気の持ち出しでほとんどなくなっちゃったし、あらゆる意味でストックが枯渇しかけているのでしょう。さあ、がんがんインプットして、新しいアウトプットをしていこうっと。 ……………。 本日の出来事いろいろ。 携帯電話が突然、壊れてしまったので、ドコモショップへ走りました。実は静電気のイタズラだったのですが、かなりボロになってきているので思い切って機種変更しました。パネルを着せ替えできるSO212iで、いまは赤い色を着せています。豹柄やゼブラ柄を出してくれるとうれしいんだけどなあ。 番号やアドレスはそのままですので、お友達の皆様、いままでどおりにヨロシク!Nちゃん、ようやくダサくないのにしたゼ、今度見てちょ。日曜日はセント・パトリック’sデイ前夜だね。バンドの練習前に例の店でギネス飲むぞーっと。 3月16日は表参道でギネスをゲット! 仕事は青山の某デザイン事務所様から某医療関係の会社の入社案内の仕事をいただきました。祝・大量受注!パチパチパチ♪ これから、週刊誌のネタ探しで新聞読みまくり大会です。BGMはKISSがいいかな。いよいよ明日!アリーナど真ん中ブロックの最前列だぜい。うしし。 紀ノ国屋で買ってきたレモンバームの鉢を窓辺に飾ろう。第一園芸の店先にいっぱいハーブが並んでいた。5鉢で1000円だって。明日か明後日、買いに行こうかな。イタリアンパセリの大鉢800円も魅力だ。 明るい労働者、ルンルンな生活者。とりあえず、いまの標語はコレ。 ではまた。夜にでも恋愛小説家ごっこをしようかな。 ……………。「今日、ラジオから“Wonderful World"が流れてきたとき、思わず泣きそうになったんだ」と、彼女は言った。「ああ、あの曲。サッチモですね」と、私。「悲しみのどん底にあって初めてじーんとくる曲のような気がするね。引き上げてくれるとか、そんな単純な癒し効果のことを言っているのではなくて。傷口にしみるけれど、気持ちいいというか。傷口があって、しみなければ分からない“味”があるというか」「うーん。わかるような、わからないような。映画“グッド・モーニング・ベトナム”で使われていたのも、そんなニュアンスだったかもしれないですね」「そうそう。そのとおり! そんなことを思ったわけは……そうね、私なりに人生の意味が分かったようか気がしたってことかな。そう言えば、意味の味もアジっていう字を書くね。味わい深いなあ」 彼女は、悲しい恋をして、悲しい恋の結末を迎えたところだった……と、聞いている。「ううん、悲しくなんかないよ」 そう言う彼女の目には涙がにじんでいた。いまにもあふれそうだ。「私ねえ、人間の女として生まれてきて、記念になるような恋をしたと思っている。生まれてきてよかったと、ね」「そんなあ、人生、もう終わったみたいな言い方をしないでくださいよ」「あはは。決して諦めたわけじゃないよ。でも、なんというか、もう、思い残すことがないというか。ごめん、ますます、いまにも死んじゃうみたいだな」「やめてくださいよ」「……生きたなあ。ちゃんと、人間したなあ、私なりに一生懸命生きたっていう手ごたえを感じているよ」「手ごたえ、ですか」「だから、幸せなの」 そういいつつも、涙はどんどんあふれてくる。止まらない。「悲しいんじゃないよ。ただ、ただ、感動しているだけ」「……。その思い、彼に伝えたんですか?」「ううん。無視されたり、そっけなくあしらわれたりするのが怖いから、しない」「そんなことないですよ、きっと。彼も感動すると思うけれど」「だったら、なおのこと、伝えない。感動なんか、させてやるものか。あはは。冗談よ。ちょっと意地悪な気分になっただけ」「そうですよね。少しは意地悪しなくちゃ、悔しいですよね」「意地悪、憎しみ、寂しさ、自己嫌悪。ありとあらゆるネガティブな感情の人体実験みたいだった。でも、いまはなんとうか、透明な感じ。なりきれないけれど、透明になろうとしている」「透明、ですか」 ♪What a wonderful world
2003年03月12日
「やりたいことがわからない」という若いひとが多い。今朝もそんなメールが届いていたので、さっき自分なりに返事を送ったけれども、書き足りないような、書き過ぎたような。 実は、カウンセリングっていうのは、乱暴な言い方をすると、答えを教えちゃダメなんである。本人が自分で答えを見つけるまで、寄り添ってあげるだけ。「答えは自分で見つけたのだ」「自分で決定したのだ」という納得感が得られなければ、何も解決しないのである。 メールのカウンセリングは、リアルタイムで双方向コミュニケーションがとれないので、その点、「似非カウンセリング」にならざるを得ない。つい、教えちゃうのだ。ただ、キャリアにかかわる相談なら、ある程度の「教え」も必要で、そこにギリギリ、メールのカウンセリングの可能性を見出したい気持ちで無料奉仕しているわけです。どうぞお試しください。 それはともかく、なぜ、「やりたいことがわからない」のだろう。その心模様を私なりに探ってみると……。1.いままでやりたくないことはやらないで済んだので、本当にやりたいことが何なのか、よくわからない(恵まれているねと大人は言う)2.やりたいことをやらなくても、なんとなく生きられてしまうので、あせって選ばなくてもいい(ハングリーじゃないと大人は言う)3.いままで体験した範囲内ではやりたいことが見つからなかった(体験不足、知識不足だと大人は言う)4.やりたいことっていうのは、簡単に見つからないものだと思うのでじっくり考えたい(モラトリアムだと大人は言う)5.やってみたいことはあるが、やれる自信がないので、やれる自信ができてから、やってみたい。でも、どうしたら自信をつけられるのか、わからない(自信なんて、あとからついてくるさと大人は言う)6.すぐにもやれそうなことはあるけれど、それは自分に向かない気がする。だからといって、ほかにやりたいことが見つからない(辛抱が足りないと大人は言う) ほかにもあるかな?とにかく、こうやって書いてみるとわかるのだが、やりたいことがわからないというのは、決して空っぽな状態ではなく、ああでもない、こうでもないと、大人の批判を気にしながらも、ごちゃごちゃごちゃーっと悩んでいる状態であることは確かじゃないだろうか。「べつにぃ、なにもやらなくてもいいのよぉ」と、ひたすら脱力している状態よりは遥かにマシである。 やりたいことっていうのは、立ち止まって時間をかけて考えても、多分、永久にわからないだろうなあというのが、私の考えだ。 やりたいことは、やってみなければわからないと思う。立ち止まって考えるより、スローペースでもいいから、歩きながら考えたほうがいい。遠回りしたり、落とし穴にはまることもあるが、そうすれば、二度目からは近道する知恵や、悪路を避けるカンのようなものが働くようになるはず。 でも、最初の一歩を踏み出すのが難しいのだろうな。どうしたら、背中を押してあげられるだろう。 やりたいことがわからない人のことがわからなくてわかろうとして悩む私であった。とほほ。
2003年03月11日
今日から写真日記を始めます。トップページがビジュアル的に毎日変わると楽しいでしょう。そこで、本日の1枚を貼り付け、翌日にはフォトアルバムに保存します。楽天は写真100枚しか保存できないので、しょうがないわけ。 日記を「フォトエッセイ」にできたらなあと思います。今日のシーンは、ベランダに干したストーンズのランニングと、お隣のお庭の木蓮のつぼみ。 ローリング・ストーンズがついに来日しましたね。前回のワールドツアー記念のランニングを押入れから引っ張り出し、昨日のエアロビクスで着用しました。懐かしい! 最近、体にぴったりフィットする露出度の高いウェアばかり着ていたので、なんだか新鮮だし、安心(^^;) 彼らが帰るまで、ずっとこの格好で運動しようかな。でも、気持ちと一緒にカラダのラインが緩むのが心配だなあ。 今日はとてもいいお天気で、午前9時ごろに干した洗濯物が、昼過ぎにはもう乾いていました。びっくり!風が強かったのも幸いしました。ただ、デジカメのピント合わせには苦労したけれど。 お隣の木蓮のつぼみがかなり膨らんできました。そのうちの1つは、あと3日もすれば弾けそう。この写真には写っていませんが、ぼけのつぼみも膨らんでいます。木の花が次々に開花しますね。夕方から沈丁花の香りが強くなり、暗い夜道を歩いていると匂いでそのありかがわかります。
2003年03月10日
昨夜に引き続き、いただきもののゴーダチーズを使った料理。ごくテキトーです。 フライパンを熱してバターを溶かし、一口大に切った鶏もも肉に焦げ目がつくぐらい焼き、スライスしたたまねぎを投入。しんなりしてきたら、牛乳を入れて固形スープの素を入れ、少し煮詰める。 さっと湯がいて冷水に放って絞った菜の花を投入して混ぜ、塩、胡椒、タイムで味を調える。 ジャガイモを薄くスライスし、耐熱容器に他の具とともに並べ、シュレッドしたゴーダチーズ、グリュイエールチーズを上に散らし、200℃のオーブンで25分焼く。 生クリームを使うつもりだったのですが、なかったので牛乳で代用しましたが、全然、問題なーし。ヘルシーでいいかもしれませんね。 とろーり溶けたチーズのお料理って、やさしく癒される感じ。はふはふ言いながら食べ、口の中に広がる甘み。とくに今回はグリュイエールも混ぜたので、独特のアミノ酸味がして、食べ応え満点でした。 仕事があるので今夜は控えめにと思いつつも、白ワインを開けちゃいました。ヴァン・ド・ペイで1100円。まあまあ。 ほろ苦く、かすかな辛味もある菜の花が、とてもいい感じ。ないときはほうれん草でも代用できますが、やはり旬の味はカラダ全体を喜ばせてくれますね。 ほかに食卓に並んだのは、まぐろのカマの塩焼き。外の料理屋で頼むと3000円ぐらいするとか。大きな骨の間の肉をこそぎ出すと、気絶しそうなぐらいの超絶美味。やわらかく、つるんとしていて、場所によっては血合いの濃厚な味も楽しめる。骨と骨の間で蒸され、パサパサしないのでちょうどいいの。 ……………。「鶏肉の代わりに」「ん?」「かじきまぐろやタラとか、白身のお魚を使ってもいいよね」「それも美味しそうだ。でも僕は鶏肉が好き」「男の人って」「なんだい?」「僕と俺と私と、いろいろ使い分けできて楽しそうね」「あははは。多重人格かな」「いろいろな人格を楽しめるのは悪くないね」「あまりにも違いすぎて自己嫌悪に陥ることもあるがね」「自分のことを嫌いになるのも、大人には必要なことだわ。ナルシストな僕ちゃんは、結局は他人を愛することはできないもの」「しかし、自分で自分が嫌になるのはつらいことだよ」「そんな自分でも愛してくれる人がいると思っても、嫌な気分は治らない?」「ものごとすべてをポジティブに見られなくなるときがある」「そういうときは、悲しいけれど、何もしてあげられないわ。物分りのよすぎる年寄りにはなりたくないけれど、相手のあることは、自分の思い通りにならなくてもしょうがないなと思えるようになってきたわ。このごろ」「だけど少なくともいまこのときは」「え?」「キミの思い通りにしていいよ。何もかも」
2003年03月09日
ロンドンの会社で働いている幼馴染のカナちゃんが、ゴーダチーズの1/4ブロックを送ってくれました。ありがとう!買った店はベルギーの高級食材店らしい。世界を股にかけて活躍中の彼女、いまはベルギーの会社相手にがんばっているのかな。それとも、フランス系の伊達男と甘い休暇を楽しんだのかしらん。いいなあ。 絶対、おいしくたべなくちゃ!と思ってネットを検索したら、ありました、ありました。渋い大人向けのレシピを発見。 ラザニアです。ラザニアというと、ベシャメルソースとトマトソースにチーズを重ねるという、恐ろしく高カロリーでお子様にも分かりやす過ぎるレシピが思い浮かびますが、私はそれを作りたくなかった。当たり前すぎるじゃん。 うっとりするぐらい、「大人の味」です。いいねえ。酸いも甘いも噛み分けた私にぴったりの。うっふん。 もったいつけるのはこれぐらいにして、さて、レシピです。 材料は、カリフラワー、アンチョビ、ニンニク、オリーヴオイル、ブイヨン、ラザニア、ゴーダ、パルミジャーノ。おお、カタカナのオンパレードだ。ごめん。 ……………。 いま、BGMを選んできたところ。ルー・リードの「ライヴ・イン・イタリー」です。 カリフラワー(1株)は後で煮崩すので細かく切って、8分ぐらいゆでてざるに上げます。 にんにくをみじん切りにし、オリーヴオイルで香りたつまで炒め、アンチョビ8切れぐらい(フィレの1缶)をオイルごと入れちゃって、煮溶かす感じ。 ここに先ほどのカリフラワーを投入し、カップ1のスープを入れて半分ぐらに煮詰めます。スープは水と固形ブイヨンでOKさ。塩は加えなくても大丈夫。胡椒と、好みでタイムを加えるといいでしょう。鷹の爪1本入れて引き締めるもよし。 ゴーダは細かくシュレッドして、パルミジャーノはおろします。 ラザニアは……おっと、茹でなくていいのを買ってしまった。パリパリだけど、このままでホントにやわらかくなるのかなあ。半信半疑で使用することに。 耐熱皿にソース→ラザニア→ゴーダチーズの順に層にして、一番上にはチーズが来るようにします。さらにその上にパルミジャーノをまんべんなく散らす。これを200℃のオーヴンで20分焼いて、出来上がり。 ソースの水分が少ないので、ラザニアの皮の端は戻りませんでした。でも、薄焼きピザみたいなパリパリ感がまあ、悪くない。次回からはさっと湯にくぐして使ったほうがいいかもね。丸皿で焼いたし、ソース少な目だったので。 でもまあ、端っこをカットして真ん中へんを食べている間に、残った端っこを皿に余ったソースに浸しておくとやわらかくなるので、問題なーし!うふふふ。 キンキンに冷やした白ワインと絶妙に合います。ぜひ、お試しください。カナちゃん、ありがとう!おいしかったよ。 サイドディッシュにはこの時期、菜の花のおひたしがおススメ。ゆでて水にさらして絞るだけで、味をつけずに皿に盛り、ラザニアのソースに絡めて食べると、口の中がさっぱりします。ほら、菜の花とアンチョビのペペロンチーノのノリですよ。 イタリア料理って、南のトマト味か、北のクリーム味か、だいたい二通りのパターンに分かれて、どちらも馴染み過ぎて、つまらないと言えばつまらない。 忘れちゃいけません。ペペロンチーノの味に代表される、にんにくとオリーヴオイルに鷹の爪をちょいと効かせたシンプルな味も、イタリア料理の真骨頂。 日本でいえば、塩つけて食べる天麩羅とか、お茶漬け&おしんことか(ちょっとちがう?)、まあ、シンプル・イズ・ビューティフルというかわびさび系の世界に近い。 大人だなあ……。 今日は昨日の日記で書いたとおり、ライフ・キャリアプランの講演をしてきました。「キャリアプランは人生の節目ごとに行いましょう。節目の時期とは、何かが終わり、何かが始まる時期です。終わりには必ず始まりが伴い、始まりには必ず終わりが伴います」 自分で話しながらじーんときちゃいますね。私にとっても何かが終わり、何かが始まり、いよいよ「天命を知る」齢に向けて歩み始めたなあと。長い長い青春が終わったような、そんな今日このごろ。あああ。 いやいや、老け込んでいる場合じゃないぞ。まだまだ、ロケンロール!ストーンズやキッスのおやじたちに負けられないものね。音楽ではフォエバー・ヤングです。
2003年03月08日
肩が凝っている。昨日は1日中、原稿書きでジムに行けなかったからだろう。その分、今夜は暴れてやるぞ。今日の仕事は、短いエッセイが2本と明日の講演のレジュメ書きなど。テーマは、1本目が中高年向けの旅行ビジネスで、2本目の署名記事は未定……先日、高校生相手に話したことや、そのときの反響について書いてみようか。 いいアウトプットをするには、インプットしなくちゃね。いま一番気になっている書き手である労働経済学者の玄田有史さんの名前を朝刊の広告で見つけ、彼が編者として参加している『成長と人材』(勁草書房)を注文。ついでに共著の『リストラと転職のメカニズム 労働移動の経済学』(東洋経済新報社)も。もひとつおまけに佐川光晴さんの小説『ジャムの空壜』(新潮社)。 しばらくは本を抱きしめて生きていこうっと。いろんな温度差があってキモチいいのよ。 ……………。 レジュメ作りは昼過ぎまでかかってしまった。明日、話す内容は、キャリアプランの作り方と仕事の探し方、面接のハウツウ。 キャリアプランの前段では、ライフサイクル論をいくつか紹介する。孔子の「論語」、エリクソンのライフサイクル論、ハヴィガーストの発達課題。少々古臭い概念も出てきていまの時代にミスマッチな部分もあるが、ともあれ、人生全体を概観するにはいい材料になる。 これらの理論に触れるうちに、人生の「節目」や「転機」というものの存在に気づいてもらえるのではないだろうか。 キャリアとは、神戸大教授・金井壽宏先生の『働くひとのためのキャリア・デザイン』(PHP新書)に書かれている内容を私なりに噛み砕いてまとめると、「馬車を御して進む私と馬車の後ろに続く轍」。キャリアは途切れずに、ずーっとつながっている。仕事以外のボランティア、学業、専業主婦歴も広義のキャリアと捉えていい。 キャリアをデザインするときに大切なのは、岐路(cross road)にさしかかったとき、どちらを選ぶかということだ。いつもいつも行く先を気にしていたら、前に進めない。岐路を用心深く選んで悪路、たとえばがけっぷちぎりぎりの道(colse to the edge)をやり過ごしたら、あとは「ドリフトする(流される)」状態に任せればいい。つまり、人生の大きな節目のときの決断が重要だということ。 節目は人によって違う。入学、卒業、就職、資格取得、転職、転勤、異動、リストラ、独立開業、結婚、離婚、恋愛、破綻、子供の誕生、住宅購入、引越し、子供の小学校入学、子供の独立、親の死、退職、年金支給開始、配偶者の死……。 三十、四十、五十、六十などと十年ごとを節目と考える人もいるかもしれない。 岐路にさしかかる前に、将来、遭遇するであろう岐路を想定してプランを立て、デザインするのが望ましい。いわば、地図を描くようなものだ。そのとき、要所要所で(水先)案内人の助けが必要だ。 つまり、頼りになる先輩や友人・知人のネットワークを幅広く持ちたい。いつも身近にいる人とは、いつも同じような話しかしないので気づきが少ない。たまにしか会わない人のほうが、かえっていいヒントをくれることが多い。 たまにしか会わないような関係のことを、玄田有史さんは「ウィーク・タイズ」と言っている。このウィーク・タイズをいろいろな方向へ張り巡らしておくと、岐路に差し掛かり、選択を迷うようなときにサポートしてもらえる。 しかし、最後の決断は自分自身でする。自分のキャリアは自分で決めて自分で責任を持つということが一番大切だ。 というわけで、またまた明日の講座の予行演習をさせていただいちゃいました。 ……………。 熟年向け旅行商品については、JTBの「おとなの旅時間」のサイトがなかなか興味深かった。http://www.jtb.co.jp/otonatabi/ 旅のフォトエッセイを読むことができ、ほんのさわりの部分をバーチャルに体験できる感じ。予告編がありすぎるとあとの楽しみがなくなってしまうけれども、フランス・ロワール地方の古城めぐりツアーでは、参考になるエッセイ本のリンク(といってもアマゾンのお買い物サイト)もついていて、旅を夢見る時間を演出してくれる感じ。 旅って、計画を立てているときが、一番楽しかったりしませんか? でも、「一番」だと思っていたのが、思わぬハプニングとトラブル(これが旅の語源)に出会える。それこそが、旅の醍醐味ですね。ヒヤリ、ドッキリも含めてね。 ……………。 カウンセリングでよく使う「適応」という言葉が大嫌いな在野精神反逆児というかおばさんですが、適応しちゃったなあと夜空の美しい星のまたたきを眺めながら穏やかに思ったのでした。 ジムから帰る井の頭線沿いの道が、照明が少なく、空が開けているもので、東京にしては星がたくさん見えるのでした。ああ、綺麗だなあと、なぜかしみじみ感動してしまう今日このごろ。もう命が長くないのか。そんなことないな。見るからに健康優良おばさんだ。 いまのままでいい。つらい、寂しい、貧しいといったネガティヴな思いは全部、不思議な還元装置というか浄化装置の中に吸い込まれて透明になっていくような気がする。星が吸い込んでくれるみたい。 I have become comfortably numb. 適応能力に優れているなんて、不良としては認めたくないところだけれど、適応しちゃうんだよなあ。困ったものだ。さあ、早く寝て、明日の講演に備えてなくては。
2003年03月07日
丸井が社員の95%にあたる約6500人の正社員を、販売や物流などの子会社数社に転籍させる方針を決めたという。本社に残れるのは管理職300人のみ。 丸井は昔からドラスティックなことをする会社だったが、ここまでやるとは。 そのねらいは「従業員の専門性が高まり、顧客サービスの向上につながる」というのが、表向きのものだが、総人件費抑制という本当のねらいが透けて見える。 転籍先の各分野別子会社には、成果主義を徹底した実績連動型の賃金体系が導入され、中には減給になる人もいる。 いよいよ来たか。今後、この「丸井型」の企業がもっと増えてくるだろう。本社は、グループ全体の統括会社的位置付けになり、そこで働けるのは選ばれた経営のプロ人材。「コア社員」と呼ばれる人たちだ。 その他は各分野別の専門職社員と、誰がやってもあまり代わり映えしない補助的な仕事は、いつでも雇用調整が可能な派遣社員やパートタイマーという構造である。 経営側から見れば効率的であるが、働く者の視点から見ると、ストレスがいっぱいだろう。 派遣社員やパートタイマーは、本人の能力や仕事の成果というよりも、会社の都合でいつまで契約を更新してもらえるか、全く予測がつかない。「あなた任せ」の「あなた」が信用できない。 成果主義賃金で働かされる専門職層は、一定の成果を上げないと、前年の収入よりダウンということもあり得る。ダウンの下限を最悪20%とか30%までなどと一定の歯止めをかけるのが普通だが、それにしても「右肩上がり」が常識だと思っていた人々にはショックだろう。 成果主義には大きな問題が2つある。ひとつは、成果をどこまで公正に評価し、どのように賃金に反映させるか。評価を下す人間に対し、「考課者訓練」という専門教育が行われるが、そんなに簡単な問題ではない。5段階評価だとすると、3と4に偏ってしまって1と5がほとんどないなどという現象が起きがちだ。「がんばればがんばっただけ賃金が上がるのが成果主義だ」とも言われるが、働く側から見れば、「がんばれるかどうか」が大いに問題である。 合わない仕事、向かない仕事ではがんばっても成果は思うように上がらないし、そのうち「がんばろう」という意欲も失われてくる。 要は適材適所の配置とその後の教育が重要なポイントになる。能力開発のチャンスを十分に与えられ、自分の力を生かせると思える場を与えられてこそ、もてる以上の実力を発揮し、成果もどんどん伸びてくる。それに伴い、まっとうな考課者が評価すれば、賃金も伸びるであろう。 これから就職しようとする若い人たちや、カムバックを考えている専業主婦の皆さんに言いたい。これからは、自分で自分の得意分野を見極め、そのジャンルで自分の能力を花開かせるべく、「自分で自分を育てる力」を持ったほうがいい。 まだ得意分野を見極められない若者も多いだろう。20代は、いろいろ試して大きな失敗や小さな成功の中からヒントを見つけていけばいい。ただ、30歳までには答えを見つけないと遅すぎる。 専業主婦の場合は、もっと可能性が限られている。35歳を過ぎたら、一般事務などのアシスタント的な仕事に就ける可能性はゼロだと思ったほうがいい。プロの専門職を目指すか、会社に頼らない独立開業の道を志すか。そのほかの仕事は、スーパーのレジ、オフィスの清掃、百貨店のマネキンなどの販売職に限られるだろう。 ……………。 花粉症治療薬の副作用と、低気圧の影響で、今日の体調は最悪。原稿書きのピッチが上がらず、苦しんでいます。鼻先にニンジンがないからなあ。ああん。 ……………。 どうにか400字40枚の仕事を終え、実家の売れ残りの刺身で晩酌して一息つく売れ残り女であった。ぷふぁーっ!「年下の男」だったかな、内舘さん脚本のドラマに母が凝っているもので、付き合って見ているけれど、最近の若い女性って、あんなに浅はかなんだろうか。それとも、多少、浅はかに作ったほうが、視聴者のウケがいいのかしらん。うーん、不可解だ。心理学を多少かじった私の目から見ると、依存症と境界例のオンパレードって感じ。カウンセリングに来なさい! それに比べたら、克典はカッコいいねえ。8つ年上の50代主婦という設定の風吹ジュンとの不倫が家族に発覚した愁嘆場というか土壇場というかでの発言。「オレが彼女を引き受けます」。 いいねえ。もしも、この設定の男女が逆だったら、どうなるんだろう。キャリアウーマンで年収1000万円超の独身女が8つ年上のダサイ妻子持ちの男性相手に不倫して、発覚して、家族の前で彼女が見得を切る。「私が彼を引き受けます。みなさんの生活費も私が責任を持ちますので、不自由させません」 まあ、あり得ないだろう。だから小説の題材にはなるかもしれない。ならないか。圧倒的多数の反発を買うだけだな。 愛は与え、愛は奪うというが、まあ、圧倒的多数の小市民は、与えすぎず、奪いすぎず、自己犠牲をわが身に強いるのもほどほどでというところで、コチョコチョとやっているんじゃないだろうか。それが平和を保つ秘訣であろう。 しかしねえ。芸能ニュースやらを見ていると、略奪愛のほうが不倫よりも「格」が上みたいに扱っているけれども、どうなんだろうか。 家族に犠牲を強いるような情愛を選ぶ徳性の低い男性を愛してしまう自分に対する自己嫌悪やら自責というものがないのだろうか。あるいは、家族を不幸にしない程度のコントロールされた情愛がホンモノかニセモノかを疑う心は働かないのだろうか。ニセモノの愛しか与えられない自分に対する惨めさや絶望、諦めはないのだろうか。 あるだろうなあ。まあ、でも、生きていくためには、ソレも仕方のないことだろう。 ……………。 寝る前にちょっとニュースをチェックしたら、なんじゃこりゃ!(松田優作ふうに)。ったくハラタツノリ。以下、引用。主要企業、7割超の大幅増益に=02年度、リストラで「超V字回復」に-大和総研 大和総研は6日、金融を除く主要企業300社合計の2002年度(連結ベース)の経常利益が、前年度比74.5%増える見通しだと発表した。01年度は巨額のリストラ費用計上で前年度比46.5%減ったが、02年度はその効果で「超V字回復がほぼ確実になった」(投資調査本部)とみている。(時事通信)
2003年03月06日
お台場の温泉が3月1日にオープンしたようですね。江戸情緒を取り入れた、中高年向けの温泉テーマパークだそう。http://www.ooedoonsen.jp/index.html 女性の場合は女性専用7種、男女共用4種のデザインの中から好きな浴衣を選べるっていうのが、なかなか面白そう。風呂の設備はまあ、そんなに代わり映えしないでしょうけれど、清潔でリッチな印象を与えてくれるものならいいなあ。 食事処も重要なポイント。家の近くの瀬田温泉「山河の湯」を愛用しているのですが、ここは食事がイマイチ。メニューがいつも同じで、揚げたての天麩羅はまあまあですが、他は「ありゃいいだろう」っていう程度の食事で悲しい。 名物になるような旨いものを食べさせてくれるならいいなあ。江戸前の天麩羅、打ちたての蕎麦、元祖和風ファーストフードの寿司……。 加ト吉がスポンサーだそうです。ってことは、江戸なのにうどん屋も並ぶのだろうか。まさか、冷凍食品やレトルトのオンパレードじゃないだろうな。経営陣についてもっと知りたくて、ホームページの会社概要をさらに詳しく見たら、あの「すかいらーく」まで入っている。嫌な予感。 筆頭?株主の中村功ってナニモノ?かと思ってネットを検索したら、こんなページに行き当たりました。http://www.isaribi.net/ 東日本ハウスの創業者ですね。銀河高原ビールは傾いちゃったんじゃなかったかな? このページに載っていたエッセイがなかなか面白かったので、ちょっと引用します。「東京都では天然温泉は条例がありまして沢山汲むことが出来ません。風呂は15~16あるのですが、湯量から天然温泉としては2つしか使えない。 それでは看板に偽りありですから「大江戸温泉物語」の名が泣くことになります。そこで、1ヶ月に一つずつ全国の有名温泉地からタンクローリーで運びます。例えば今月は草津の湯、来月は箱根の湯、次は鶯宿でもよいし皆生温泉でも。 これは県から頼まれていまして、無料で運ぶから1ヶ月間皆生温泉の宣伝をさせてほしい、物産展も開く、このようなことがヒントになっていたのです。 これを全国有名温泉を内風呂一つと露天風呂一つに東京江戸湾の温泉をいれて六つが天然温泉、10個はその他沸かし湯として営業できます。そうすればお客様は各地から来ていますから、自分の故郷の温泉に入れる、若しくはいろんな温泉を楽しむことができる日替わりならぬ月替わりメニュー温泉をやってみたいと思っています。」 これが実現できたら面白そうですね。 中高年向けっていうことは、ジジババが中心なのかな。ババも若いOLも共存できるようにしないと、経営的には難しいんじゃないだろうか。なんか陰気臭いヘルスセンターになっちゃうかもよ。 その点、「山河の湯」の賢いところは、お湯に入るには3階まで階段を上がらなければ行けないようにしてあること。そのせいかジジババは少なくて、年配の人は多分、トシよりも見かけのほうが5歳以上若いような元気な人ばかり。平日の夜に行くと、まあ、当り前ですが、会社帰りのOLらしい若い女性がほとんどです。 水着で入る男女混浴の露天風呂は、あやしい様子のカップルばかり。何やってんだか。 お台場って、大人のリゾートのイメージで売り出そうとした日航ホテルもメリディアンも、いまや修学旅行の中高生向けに室料ダンピングが著しいのだそうで。ここで大人の呼び水をもうイッパツ!というところでしょうね。あとはカジノができれば……。 ……………。 花粉症の薬には、「口の渇き」という副作用もあるようです。さっきから渇いて渇いてしょうがない。鼻はスッキリ爽やかなんですが。困ったなあ。 今日も一日、原稿書きなので、日記は自己チャットルームのノリになりそうです。おしゃべりしたいよー。 実は昨日の夜、近所を歩いていたら、なじみの定食屋さんの前でお友だちにばったり出会い、「まあまあ一杯」ということで店の中へ強制連行されてしまいました。 でも、楽しかった(^^;) ちょいと一杯のつもりで飲んでぇ♪ はしご酒はしなかったけれど、ネ。 ……………。 今日は上昇運の日かも。新しい執筆の仕事が2件入ってきて、内定していた講演の仕事2件が日程調整の段階へ前進。おまけに、単行本の企画を思いついてメールを送信。 その単行本というのは、これから働き始めようとか、いままでパートだったのをもっとキャリアアップしようと考えている主婦向けの企画です。 ハウツウものや体験談をまとめた本は既にたくさんあるけれども、ハウツウや他人の事例だけでは、本気で「やろう」という気持ちになれるだろうか。また、自分なりのプランが立てられるだろうか。 個別の悩み、不安、迷いに応えつつ、エンパワーメントとゴール到達までのサポートをしていくことが求められているのではないだろうか。 そこで、数々の再就職セミナーで参加者の悩みや不安の声を直に聞いて、それに応えてきた著者のキャラクターを前面に出したエッセイと読んですぐ役立つハウツウのエッセンスを1冊にまとめてみてはどうだろうか。「なぜ、小さい子どものいる専業主婦は再就職が不利なのか」とか、「小さなお子さんがいらっしゃるんですねえ……。お母さんかお姑さんが近くにお住まいとか?そうじゃない?ああ、それではお子さんが熱を出されたときとか、大変でしょうねえ」なーんてジリジリと畳み掛けるようなイヤミな質問には面接でどう応じるかといったことについて書かれている本は、ないんじゃないの? いかがでしょう?そんな本は、読みたくないですか? ……………。 さっき母がラジオで聞いたと言って、あるダイエット法を教えてくれた。すりおろしたショウガを紅茶に入れ、朝、昼、晩と大量に飲む!朝2杯、昼3杯、夜2杯って言ってたかな? 太る体質の人は冷え性なので、ショウガで体を温めるとよいという理屈だ。うーん、私は冷え性じゃないけど、試しに飲んでみたら、なかなかイケル。ショウガは大好きなのだ。飲みにくければ黒砂糖やハチミツを加えてもいいとか。 ビル・ブラッフォードの“Feels good to me”を聴きながら書いています。やっぱり、彼のドラムは最高だなあ。じんじんきちゃう。 さ、仕事のピッチを上げねば! 今日の運勢を見たら、うお座の人と相性抜群だって。ふふん♪ ……………。 ああ、疲れた。今夜は徹夜になるかも。しかし、口が渇いてくるしい。水分をとれば済むという問題ではなく、口の粘膜がざらざらしてひたすらキモチ悪いのである。 ずいぶん肩も凝ってきた。食事の前にちょいと運動&入浴してきます。 ……………。 うー、やっぱり少し寝てから仕事再開します。 夜道をぶらぶら歩きながら、大好きな「ローズ」の歌詞が急に思い出されました。「あなたは、愛は幸運な人たちと強い人たちのためのものだと思っているでしょう。 ひとつだけ忘れないで。冬の間、ずっと遠くまで広がるこの冷たい雪の下でも種は生きていて、春になればバラの花を咲かせることを」(拙訳) どんなに冬が長くても、春は必ずやって来る。もうじきやって来る。すぐそばまで来ている。ほら、そこに。
2003年03月05日
どうにも花粉症がひどく、日中はデスクを離れる時間がもったいないのですが、諦めて下北沢にある耳鼻科へ行ってきます。去年のように一度の受診で治るといいなあ。 名医との評判が高く、恐ろしいほどの数の患者が殺到するため、待ち時間は最低でも1時間、ひどいときは2時間。というわけで、いま、家を出ても、帰ってこれるのは2時近くかもしれません。とほほ。 ……………。 意外に空いていて、12時には帰宅できました。風が強かったので、外出をためらった人が多かったのかも。 処方された薬は、朝食後と夕食後に一錠ずつ飲む「ニポラジン錠」と、吸入剤の「ベコナーゼ」。「ニポラジン錠」は、「人により眠気を催すことがあります」と書かれていました。うーん、やっぱり眠くなるのかあ。 帰り道に、輸入食材店やパン屋で買い物する余裕もありました。ドンクの「明太子フランパン」が美味しかった!真ん中に一直線の切り込みが入っていて、そこに明太子バターが塗ってあるの。パリパリの皮がうれしい。ドンクって、生地じだいが美味しいですね。ただ、口の粘膜の弱い私は、ヒリヒリしているのでした。 順番待ちのあいだにせっかく昼日中、読書する時間に恵まれたと思ったら、ちょっと残念。『落ち込んだときは料理を作ろう』(ルース・ライクル著、はまの出版)が、なかなか終わらない。 実は二日酔いでダルかった昨日、1冊べつの本を読破していたのでした。新潮新人賞を受賞した佐川光晴さんの『生活の設計』。腰巻の宣伝文を引用すると、「ぼくが屠畜場で毎日ナイフを持って働いている理由?よし、説明してみよう!キツイ仕事ゆえ、午前中で終業だから、共働きの妻にも幼い息子にも都合がいい。ぼくの体質にも最適なんだ。しかし……」 あとがきに「作者であるわたし自身と、わたしの周囲の人々の実際の生活をもとにしてつくられています」とことわり書きしているとおり、作者の実体験を忠実になぞりつつ、適度にフィクションを交えたもののようです。 作者は、北海道大学の法学部を卒業後に就職した出版社を1年で退職し、埼玉県の屠畜場で働き始め、6年が経過した時点がこの小説の舞台になっています。この後、小説を2冊上梓し、現在は小説家に専念しているとか。「屠畜場」で働く人々が差別されてきたということ自体、知らない人も多いかもしれませんね。 新人賞の選評で李恢成氏が言っているとおり、「ユーモラスに社会の蔑視感をでんぐり返してしまっていること」がこの本の魅力だなあと思いました。 あらゆる差別、偏見、固定観念への囚われを嫌い、反「ねばならぬ」主義を提唱するワタクシとしては、ぜひ、おススメしたいですね。 途中ちょっと理屈っぽい部分も出てきますが、おおむねさらっとしていて、とても爽快で健全な市民小説です。◆佐川光晴・著作一覧『生活の設計』(新潮社)2001年2月出版『ジャムの空壜』(新潮社)2001年9月出版『縮んだ愛』(講談社)2002年7月出版 ……………。 眠いのは、この季節特有のものなのか、はたまた花粉症の薬の副作用かは分かりませんが、とにかく睡魔と闘いつつ、原稿の構想を立てているところです。 今回のテーマは「コンプライアンス経営の実践」。専門家や企業の実務者の話をもとに、コンプライアンス経営を導入する方法について、各プロセスごとに解説するもの。「調べ魔」な私は、原稿に直接関係のない情報まで、無料ページや新聞の有料記事検索を行ったり来たりしつつ、ふむふむ、うーん、れれれれ、奥が深い!などと独り言を言いつつ、孤独な作業場でなんとか頑張っております。 でね、仕事の合い間の気分転換に、自分のページを見て、どんな方がアクセスしてくださったかをチェックするわけ。ゲストさんの場合、@以下のプロバイダー名や社名、学校名、組織名の一部が見られるので、それぞれのホームページまで追跡して、「おお、京都から来てくださったのか」「コロンビア大学?レレレ」などと確認して楽しんでおります。 でも、何かひとこと掲示板に残してくれると嬉しいのになあ。いつも来てくださるocnさんodnさんinfowebさんso-netさんdionさんbbtecさんhomeさんmeshさんは、一体誰なのだろうかと、多少の心当たりはあるけれども、ドキドキ、ワクワクしています。 ときどき、数字の羅列のアドレスの一部が表示される場合もありますが、これも記録を取ってあるので、一部の方は見当がついていたりして。 なんとも探偵趣味なワタシでごめんね。だって、気になるのだもの。 思わぬ収穫もありました。さっき、来訪歴から某社のホームページにたどりつき、ついでにニュースリリース一覧を見ていたら、企業倫理の自主行動基準の社員教育用テキストに1コママンガを使っているというユニークな事例を発見!今回の原稿の中で紹介しても面白いかな。 これだから、ネットサーフィンは止められませんね。ワタシの場合、もっぱら仕事関係とお買い物関係ばっかりなんですけど。
2003年03月04日
このところ、私はどうやら眠っている最中にも、自分が置かれている状況を打開しようとして、あれこれ悩み考えているらしい。 朝起きると、あるいは夜中に目が覚めると、「閃き」のようなものが訪れることがある。昨日の夜中もそうだった。 こんな自分でも生かされていることに感謝しよう。なるべく執着心を捨てよう。 いまの状況は、なかなかに悲惨である。金がない。恋人がいない。仕事は先細り。信者遺体……じゃなかった死んじゃいたいぐらいだ。 でも、あなたには友だちがたくさんいるじゃないの! マリア様じゃなかったけれども、そう囁く声を聞いたような気がする。 Whisper words of wisdom..... 昨日の酒蔵見学は、一体、何人だったんだろう。7人がけのテーブルが全部で6つ置かれた倉庫2階の部屋が満杯だった。私のテーブルの正面には、神泉にある某飲み屋のおやじさん、隣はこの酒蔵の経営者の姪っ子であるジム仲間R子さん、その幼馴染の友だちのN子さん。ちょっと離れたところに同じくジム仲間のY氏の顔も。 2000円の会費で用意してもらった海苔巻きの寿司やお新香、乾き物、蕎麦味噌、天麩羅(さつま揚げ)のほか、各自持ち込みの珍味でテーブルは埋め尽くされた。私は蕗味噌とソラマメのしょう油煮を配り、おやじさんは自慢の腕を振るって作ってきたうまき、牛筋の煮込み、玉こんにゃくの煮物実山椒風味、鯵のみぞれ和え、菜の花の辛し和えの折を出してくれた。やっぱりプロは違うなあ。 料理についてアレコレ話し、プロのワザを教えてもらいつつ、ふるまい酒の「吟雪」に舌鼓を打つ。つい呑み過ぎてしまった。 おやじさんの言葉の中でいまも頭から離れないのは、「人生、色んなときがある。ダメなときは、何をやってもダメだ。でも、そういう時ばかりじゃない。いいときだって来るさ」 悪い呪文を解かれたような気がした。 その後、隣の席に来てくれた蔵元さんとの雑談も楽しかった。 蒸した米に麹菌をつける行程を行う部屋「麹室」(こうじしつ、と言われたが、こうじむろ、と読ませる本もある)は、蔵人の中でも限られた人しか入れないと、見学のときに教えられた。美味しい酒をつくるために吟味した麹菌以外の雑菌がついて悪影響を及ぼさないようにするためだ。 行きの電車の中で読んだ本には、「この作業のあいだ、蔵人は納豆を食べない」と書かれていたので、本当かどうか尋ねると、全くそのとおりであるという。「酒造りの間は、絶対に食べないですね」 納豆好きの人には辛い仕事だ。 宴がおひらきになってから、近くのモノレールの駅まで皆でどうやって行ったのか覚えていない。ううむ。立川駅から家の最寄り駅までは、いつも行く定食屋さんの料理人であるA君とおしゃべりを楽しんだ。何を話したかはまるで記憶にないのだけれど、とにかく楽しかった。きゃーっ、年下の男性とお話ししちゃったわん♪ 長旅の疲れと酔いが回り過ぎたのとで、家に着くと、バタンキュー。バンドの練習へは行けなかった。ゴメン。 友人と話していると、自分の中の囚われ、あらゆる妄執から解放されるような気がする。救われる。 ありきたりな言い方だが、いちばんの財産は、友だちだなあと思った。あるいは、親きょうだいや家族を含めた、親密な関係を保てる人たちすべて。 とくに自由業は、会社員と違って、いつも顔をあわせる人というのがほとんど居ないから、そういう関係や環境を意識的につくったほうがいいのかもしれない。飲み屋の常連になるとかね。 おやじさんが言ってたあの男性、まだ独身かなあ。今度紹介してもらおうか。ま、下心抜きにしても、どんな人だか気になる。親の財産と銀行を辞めた退職金があるので、いまは全く仕事をしていなくて、競馬三昧の生活をしているとか。賞金だけで年200万円ぐらいになるらしい。1週間に必ず1日はおやじさんの店へ律儀に「出勤」してくる。そして、毎年、仲間と連れ立ってケンタッキーへ競馬を見に行き、地元の友人知人と連夜バーボンで宴会。 そういう人生もあるんだなあ。うらやましい。 ま、自分には自分の生き方しかできない。なるべく執着を捨て、平らかな心で生きていこうねっと。
2003年03月03日
都内某所にある蔵元へ見学に行きます。見学後、場所を借りて持ち込みのつまみで総勢30人の大宴会。もちろん、蔵元の日本酒をいただきます。では、後ほどご報告を。 お酒のもとになる「酒母」。とってもフルーティな香りがします。 ほかの写真はこちら
2003年03月02日
莢つきを買ってきて実を取り出すのも楽しみのうち。ふかふかの綿のベッドで寝ているお豆ちゃんを、そっとやさしく取り出すの。 ゆでたてのあつあつに塩をふり、そのまま皮ごと食べちゃう。茹で加減は、歯ごたえを感じる硬さもいいけれど、ねっとりクリーミーになった実もオツだ。口の中で溶ける感じがいい。●そら豆のしょう油煮 明日は大勢で持ち寄り料理の宴会の予定。安かったそら豆を2袋買い、皮ごと食べてもらうためにしょう油煮にしてみた。 煮る前の下ごしらえで、そら豆に包丁を1㎝ぐらい入れる。黒くなったところ(お歯黒って言うんだって)がちょうどいいかも。今日買ったそら豆は安物だったせいか、あとでえぐみが少々残ったので、皮まで食べるには用心のため、さっと塩でもんでおき、水洗いして使うといいかも。 だし汁、しょう油、酒をソラマメがひたひたになるより若干多い程度(浮いて泳ぐ感じ)に鍋に入れる。白出汁を使うと、あまり茶色っぽくなく仕上がる。煮汁が沸騰したら、ソラマメを入れ、再度沸騰したら中くらいの強さの火にして15分間、コトコト煮る。途中、アクが浮いてきたら丹念にすくう。 煮詰まるので、あまりちょっぱくないほうがいい。ちょっと淡いかなと思う程度に。煮あがったら、すぐにバットなどにあけて冷ますと、色よく仕上がる。●そら豆のオレガノ煮 イタリア風の煮方もご紹介。こちらは冷えたワインによく合う。さやから出したそら豆をさっきと同様に下ごしらえし、鍋に入れて水をひたひたになるぐらい注ぎ、オリーヴオイル(豆200gに対して大さじ1~2杯)、塩少々とドライオレガノ少々を手でもんで加え、豆が柔らかくなるまで煮る。 いままでの「そら豆観」が変わるような斬新な味わい。ハーブが苦手な人じゃなければ、喜んでもらえるはず。 汁気をよく切ってしまえば、お弁当にも向く。皮ごと食べられるのでゴミが出なくてちょうどいい。 おまけにもう少々。●焼きそら豆 そら豆はゆでるのが定番だけれども、莢ごと網焼きにするとスモーキーな香りがついて、ウィスキーや焼酎によく合う。莢が真っ黒になるまで焼く。金串で刺してみれば、中の豆の柔らかさがわかる。 食べるときはもちろん、莢から実を取り出して、実だけを食べてね。中で蒸し焼きにされているというわけ。あつあつをいただきたいところだけれど、莢が熱くなっているので、やけどしないようにご用心。●海老の翡翠炒め おかずになる一品もついでにご紹介。 そら豆はさっと硬めに茹でて皮から取り出す。小エビはむき身にして、背ワタをとる。塩、胡椒、酒少々をふってしばらくおき、片栗粉をまぶして熱湯にくぐらせてから使うと、ふっくら仕上がる。 フライパンに油をひき、刻んだネギ、ショウガを香りがたつまで炒め、下ごしらえした小エビを投入、続いてそら豆、鶏ガラスープ少々を加え、水溶き片栗粉を注いでとろみをつけ、塩、胡椒で味を調えて出来上がり。 そら豆の翡翠色が冴え、食卓に春の輝きをもたらす一品です。 ……………。「でもさあ」。食べながら彼に言った。「なんで、そら豆が嫌いなワケ?こんなに美味しいのに」「青臭いっていうか、独特のニオイが鼻につくじゃない」「そうぉ?あの香りがいいのに。男の人って、ニオイのする野菜が嫌いみたいね。セロリ、ピーマン、シイタケ、グリーンアスパラ……。どうしてあの良さが分からないかなあ」「余計なお世話だよ。だいたい、キミが変わってるんだよ。酸っぱいものが異様に好きだし」「あはは。酸っぱいカクテルだいすき」「レモン入れすぎだよ。あのね、酸っぱい味は腐敗の危険を感じ取らせるものだ。青臭さや苦さはアルカロイド系の植物の毒につながるだろう。つまりは、人間は本能的に避けるようになっているわけよ」「進化していないのね」「言うねえ」「私の先祖はおそらく、命の危険を顧みずに初めてナマコや、偶然にできたカビチーズや、納豆なんかを食べた部類だろうね。あくなき食のフロンティアへの挑戦」「食い意地が張っているだけじゃん」「ま、そうとも言えるね。でも、人類に対して多大な貢献をしていると思うよ」「そぉかぁ???」「男性の嗜好に関しても」「ん?」「アブノーマルだったりして」「それはどうだか……試してみる?」 よい子は早く寝ましょう。
2003年03月01日
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