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6月も今日で終わり、いよいよ7月ですね。夏が来る! 梅雨明けまではまだもう少し時間がかかるようですが、ひと足先にトップページを夏のイメージに変えました。気分はリゾート!耳を澄ますと、ほら、波の音が聞こえてきませんか。 9月の石垣島ツアーまで、あと2カ月少々。鼻先にんじんのつもりで頑張りましょう。 今日は大事件がありました。 以前、実家のほうにネズミが出て、何匹かネズミ捕りで捕らえたのですが、ある夜、母がトイレに起きたら、ガサゴソ音がするのでそちらのほうを見ると、ネズミが猛スピードで二階へ駆け上がって行った! 二階は渡り廊下で私の仕事場とつながっているのです。以来、ネズミ捕りを仕掛けておいたのですが……。 今朝、起きたらかかっていました。恐ろしいのでよく見なかったのですが、要はゴキブリホイホイの大型のヤツで、べとべとの薬剤にネズミが絡めとられて身動きできなくなって悶絶死するらしい。私が見たときは、太いミミズかと思うような尻尾と、毛のカタマリがネズミ捕りの端っこにぶら下がっていたのでした。 急いで階下の母へ知らせに行き(だって、私は片付けるの嫌だもーん)、戻ってみたら……いない!!! 残ったのは毛のカタマリと糞だけ。ということは? ガサゴソ冷蔵庫と洗濯機の後ろのほうで音がするじゃないか。さあ、それからが大騒ぎ。 ネズミ捕りを2~3個並べ、冷蔵庫の後ろに棒を突っ込んだりしているうちに…… 出てきたぁ! 子猫ほどあろうかという巨大な黒いドブネズミを生け捕りにしました(って母がやってくれたのですが。だって怖いもん)。 2つのネズミ捕りにサンドイッチ状態にしてゴミ袋に詰め込んで一巻の終わり。ナムアミダブツ。 その後、「子猫をもらってくれませんか」という話が舞い込んできたそうな。渡りに船です。まだ出るかもしれない。ネズミよけに「猫もらいます」って張り紙をしようかと話していたところだったのです。 生後一ヶ月の白黒パンダ猫でそうです。わーい、楽しみだなあ。猫だいすき。近々、愛猫写真をアップできるかもしれません♪ 午後は本の街、神田で取材。 神田に住む人、神田で働く人、神田の店や企業をつなぐコミュニケーションの輪をつくるために、老舗の蕎麦屋の若旦那衆が面白いことを思いつきました。 神田のビルの屋上にソバ畑を! 共鳴した屋上緑化の会社がノウハウを提供し、秋葉原のリナックスカフェの社長が自社ビルの屋上を無料で提供。7月半ばに種を蒔き、その生育ぶりをカメラで撮影してネット上で24時間紹介し、9月に実がなったら収穫祭を実施し、採れたそば粉でそばを打ち、神田在住のご長寿の皆さんに宅配するのだとか。 種まきのときのイベントが泣かせます。「いまの子どもたちって、魚が切り身で泳いでいるのかと思うぐらいだから、ソバがどうやってできるかなんて、想像もつかないでしょう。そこで、ソバがどんなふうにできるのか、お絵かきコンテストを開催することにしたんです」 どんな奇想天外なソバが描かれるやら。 収穫祭の日に受賞作品を発表するのだとか。 でも、このヒートアイランドの東京のど真ん中のビルの屋上に本当にソバが育つのでしょうか。「ソバは自家受粉できませんので、蜂などが媒介してやる必要があります」 蜂を捕まえてきて放てばいい……おっと、つい今日のニュースでお年寄りがミツバチに刺されてショック死なんて出来事が報じられましたから、そんなことは危なっかしくてできません。自然に任せるのだそうです。 うまく育っても、育たなくても、それはそれで自然からのメッセージとして真剣に受け止めたいとのこと。 でもやっぱり、せっかく蒔くのだから、ちゃんと育って、真っ白な花を咲かせて、実を実らせてほしいじゃありませんか。 もしもうまくいったら、来年からはソバのプランターを買ってくれるオーナーを募り、それぞれが会社や自宅マンションのベランダで育て、実が生ったら持ち寄って大ソバ打ち大会をしようじゃないかという構想もあるとか。 ゆくゆくは、入谷鬼子母神の朝顔市や、浅草浅草寺のほおずき市のように、神田のそばの花市が東京の新しい風物詩になればいいだなんて、ステキですね。「壮大な夢なんですよ」 若旦那はすっかり童心にかえったのか、純な笑顔ではにかみながら語ってくれたのでした。ああ、いい話だったねえ。 すっかり気分が良くなって、ああ、私も夢を見たいな、好きなことに打ち込みたいなあと思い、ソバと並んで神田名物である本の世界に飛び込むことにしました。 ってなわけで、神田三省堂本店でつい、本を買いすぎちゃったよ。 この先、いつまで私の文章が商品として通用するやらわからないけれども、研鑽を怠ることなく、もっともっといいものが書けるように精進しよう。そのために、ココロに栄養をつけなくちゃね。 まずは人文科学の本のフロアへ行き、心理学と現代思想関係の本を漁ったのでした。『暇つぶしの時代』(橘川幸夫著、平凡社)『素足の心理療法』(霜山徳爾著、みすず書房)『裏切られた民主主義』(E・W・サイード著、みすず書房)『モンテーニュ エセー抄』(みすず書房)『1冊でわかる 心理学』(岩波書店)『1冊でわかる 薬』(岩波書店) まだ足りず、ビジネス書のフロアでも2冊。『がんばる中高年 実践就職塾』(小島貴子著、メディアファクトリー)『キャリア・コンサルティング』(丸山貴宏著、翔泳社) これはもろ商売用ですね。商売敵の本の敵情視察っていうわけです。 私はジャーナリズムのほうからキャリア問題、労働問題にアプローチし、やがてカウンセラーとして取り組むに至り、でも、そのへんのコンサルタントとは違うので、人間性心理学と社会思想、社会学で学んだ成果もふんだんに盛り込みながら、独自の視点から他の誰とも違い、なおかつ、世の中の誰かから必要とされる文章を書くことができればと思うのでした。よし、がんばるぞっと。 で、スポーツクラブへ直行するはずが、たまたま通り道にあったデパートについ、ふらふらと吸い寄せられ、ああ、夏のバーゲンが始まったのよねえ。 そういえばこれからまた講演日程が続くので夏のスーツが必要だわ。旅行のディナー用にも何かほしいし……というわけで、スーツ2点も買っちゃったよ。働けエ、働けエと、自分にムチ打つために買うようなものです……なーんて書くとカッコよすぎだね。
2003年06月30日
夜遊びし過ぎな4日間。とっても幸せでした。これからまた忙しくなる前の、いのちの洗濯。でも、洗ったのは水でじゃなくて、アルコールってか。トホホ。木)日本酒浴び。四谷で焼き鳥を食べながら。金)ワイン浴び。内幸町でイタリアンを堪能しつつ。その後、自由が丘でつぶれるまでビールその他を浴びる。土)日本酒&焼酎浴び。渋谷の魚料理屋で快気祝い。その後、いつものカウンターの店でれろれろになるまで。おみやげに実山椒いただく。日)ビール&泡盛&ワイン浴び。夕方、シモキタの沖縄そば屋で焼きそば&ビール&泡盛。帰りに惣菜いろいろ買い込み、家に帰ってから家族と一緒に二次会で白ワイン。10時間ぐらい寝たかもしれない。 脳みそがまだアルコールの海にぷかぷか浮いているような感じのブルーマンデイ。気持ちも新たにハードな一週間を突っ走ろうぜい!
2003年06月29日

トランスパーソナル心理学の勉強会で、こんなワークを行った。 いま、あなたの頭に思い浮かんだ曲を、心の中でじっくり聴いてみてください。あなたの大好きな曲、いつも聞いている曲、つい口ずさんでいるような曲はありませんか。 その曲をじっくり味わってください。どんな情景が見えてきましたか。それはどこの国ですか。一緒にいるのは誰でしょう。 その人は、あなたにどんなメッセージを投げかけていますか。 その情景は、あなたにとってどんな意味があるのか、考えてみましょう。♪Out the blue you came to me...... 私は、一曲に絞り込むのは難しいなあと思いつつ、ジョン・レノンの「アウト・ザ・ブルー」の物悲しいイントロが聞こえてきた。 思い浮かんだ情景は、子どもの頃に毎日のように友だちと遊びに行った公園だ。そこは旧前田公爵邸でいまは文学館になっている洋館と広大な庭があり、庭の奥には子どもの冒険心をそそる林の中の小道があった。昼なお暗いくねくねした細い道。「ナルニア国」ごっこをよくやったものだった。童話「ナルニア国ものがたり」のこと。ナルニア国へ行く方法にはいくつかあるが、その中の1つの状況設定に近い場所がその公園にはあった。林の中の小道を追いかけられて走って逃げて、門のそばで「アスラン、アスラン、アスラン」と3回叫ぶのだ。ああ、懐かしい。 思い浮かんだのはその小道じゃなくて、広い芝生のほう。よく晴れた日で、芝生の緑がまぶしい。光の当たる明るい場所もあれば陰もある。その両方そろっていることが大事なのね。 突然、向こう側に人が現れた。無から、向こう側の次元からふいに現れる感じで。 微笑むヨーコだった。ということは私がジョン? 何かのミュージック・ビデオで見たシーンと重なった。ジョンの顔が徐々にヨーコになり、ヨーコの顔がジョンになり。 ふたりはそっくりだったんだ。永遠の双生児。プラトンが描いた「永遠の片割れ」。 それは、出会いと融合の象徴かなあと思った。 周りを見渡すと、あちこちで突然、無から人が現れ、パートナーのほうへ両手を広げて駆け寄っていくシーンが見られた。あっちにも、こっちにも、ペアがたくさんできて、繰り返し消え、現われ、出会い、融合し、消え……。 みんなと一緒であることを大事に思う心だと思った。 バンドの練習を続けて2回も休んでしまったことが心に引っかかっているのだと気づいた。私がバンドを続けることの意味は? 自分のパートのことしか考えていなかったかも。もっとみんなと一体化し、サウンドの中に自分を溶かしてしまいたい……。 やがて、ジョンの顔は、大好きな人の顔になり、ヨーコの顔が私の顔になった。ああ、やっぱりまだ大好きなんだなあと思い、胸のあたりがじーんと熱くなった。 勉強会の後、近くの会社に呼ばれていた。企画書の提出とそのプレゼン。終わったのは10時でおなかがグー。 丸の内線の中で突然閃き、長らくご無沙汰していた焼き鳥やへ電話してみた。ラストオーダーの時刻が迫っていたが、明るい声で「いいですよ」と。 ああ、食べたかったのはこの味なんだと心の底から思った。この味を覚えたら、他では満足できなくなっちゃう。 新鮮で味に深みのある砂肝のコリコリ感、レアに仕上げたジューシィなレバのまったり感。ああ、たまらん! いつものように生ビールぷふぁっ!の後は、お任せで日本酒を何杯か。「今日は何杯いけますか?」「2杯にしておこうかな。うーん、後で3杯に訂正するかも」 結局、日本酒は4杯、泡盛1杯でした。あちゃー。「綿屋」「十四代大吟醸」「花」「天遊琳」そして「やまかわ」1992年仕込みの古酒。 極楽、極楽、極楽、極楽……。
2003年06月27日
昨日、某業界誌に書いたエッセイは、「働きすぎで疲弊しきっている日本人のための休養のすすめ」みたいになってしまった。 それは私のことです! どうしても旅に出たくなって、ネットで良さそうなホテルを見つけた。室内写真を見ると、イギリスの田舎にあるマナーハウス(領主館)かフランスの古城ホテルかって感じ。外観の壁は石作りで中世っぽいテイストを出している。 各部屋には樽のような露天風呂と内風呂の足つきバスタブがついている。プラス5,000円で、無農薬栽培の薔薇の花を籠いっぱいにつけてくれるという。薔薇風呂だ。 シャンパングラスを傾けて薔薇風呂の中でうっとりしているところを、写真に撮ったりして。うふふ。 お料理は、幸いなことに英国料理ではなく、でも、フレンチフルコースじゃなくて、舟盛りの刺身なんかがついちゃっている海鮮料理だよーん(爆)。ま、それはご愛嬌で。 ワインの品揃えが不安になったので、メールで問い合わせてみたら、シャンパーニュはドゥラモットのブラン・ド・ブランがあり、海鮮料理には「シャブリはいかがでしょう」とのこと。マア、よいことにしよう。 露天風呂で飲む酒はどうしよう。ブラン・ド・ブラン2本空けちゃいますかね。それとも持ち込む? 誰と行くのって、野暮なことを聞きなさんな。 と、言いつつ、それは母です。足の怪我の療養中、何かと世話になったので、恩返ししておかないとね。 熱烈な宝塚ファンの母は、ゴージャスな王侯貴族の世界が大好きなのね。以前、イギリスのバースにある超豪華ホテル「ロイヤルクレッセント」の中でも恐らく最高ランクの部屋である「グリーンルーム」に泊めてあげたら、大感激してくれたのだった。 夢よもう一度、である。 かくして「イイナイレバ」の賞金は、お姫様チックツアーにほとんど消えてしまうことになりそうだ。 でもって、9月にはバースデー割引で石垣島へ行くもんね。最近、夜遊びのヒマなく働いているから、そのぐらいは何とかなるでしょう。 そろそろ始まる夏のバーゲンで散在しなければ、の話だけどさ。 買い物依存症で自己破産が他人事じゃないぐらいだったって話はまたいずれ。あと1~2カ月で2つの百貨店カードのリボ払いが完済する。支払いが減って余裕ができる分は、老後の備えにしなくちゃね。今度こそ、真人間になるぞっと。
2003年06月26日

近所の小洒落たカフェでビールを頼んだら、「よろしければ、召し上がってください」と、小さな器に入った枝豆をサービスしていただいた。 塩以外にも「何か」がまぶしてあった。 ????? おいしい、おいしい、おいしいぞ! 癖になりそう。何かアジア系の香りがする。深い。 インドでよく使うスパイスかな?カルダモン?違う。コリアンダー?近いような気もするけど、決め手に欠ける。うーむ。 後味がちょっとピリっとする。胡椒?グリーンペッパーかな? でも辛いだけじゃなく、コク味がある。 うーん、辛抱ならん。シェフに伺ってしまいました。「自分は九州の出身なので、○○○○○○を使ってみました。お口に合いましたか?」 分かりますか? そう、ゆずこしょうです。青ゆずと青唐辛子で作るペースト系のグリーンな香辛料。博多水炊きなどの鍋料理のお供としておなじみですが、こんな使い方もあるのね。 サラダにも使えそうだわ。大根の拍子木切りと枝豆、ホタテ水煮缶をマヨネーズで和えたのに入れるとか、イカ刺しと枝豆を酒、塩、ゆずこしょうで和えてもいいおつまみになりそう。 夏にはピリ辛料理が合いますものね。ゆずこしょう、いろいろお試しくださいませ。 今朝も5時に目が覚めてしまった。さっそく原稿書きに取り掛からねばならないところだが、どうも頭がすっきりしない。昨夜書いた請求書をポストに投函しに行くついでに、散歩でもしますか。 近くのコンビニでピロリ菌撃退に効果があるらしいヨーグルトを買った。母のために「クロワッサン」を、そして、父のためには「ビッグコミック」ね。 エッセイの原稿を書き始めてすぐ朝食の時間になり、渡り廊下でつながっている実家の居間へ行った。満腹になると眠くなる。ああ、今日も二度寝しそうと思いつつ、仕事場へ戻る。 電話が鳴っているなあ……。 起きられない。ソファに倒れこんでいる。疲れがたまってきた。思う存分寝たい。温泉につかってのんびりしたい……。 ライターっていうのは因果な商売で、自分をトコトン追い詰めないと書けない人が多い。かくいう私もその部類。骨身を削るような思いで書いているけど、なぜかちっとも痩せません。削られているのは、脳みそだったりして。恐ろしい。 ライターになりたいっていう人に会うことが多いけれど、私が下手にアドバイスしなくても、向いている人はとっくにそっちの方向へ歩き出していることだろう。 夢を実現できる人は、「自分の夢は……」なんて言い出すずっと以前から、そっちの方向へ向かって全速力で走っているのだと誰かが言っていた。その通りだと思う。 私自身も、いつの間にか「ライターの道」を歩いていた。大学時代は、生協の書店にうず高く積まれていたマスコミ受験対策の参考書や問題集には触れもしなかった。うんざりだったのである。 高校時代に、相当マジに受験勉強をしていたので(何せ、一時は近所の大学の医学部を狙っていたのサ)、受験勉強というものにほとほと飽きてしまったのだ。 あらかじめ用意された正解を探り当てるゲームなんて、退屈過ぎる。馬鹿馬鹿しい。 私は嫉妬深い性格なので、正解という宝物を握り締めている出題者に対し、猛烈に嫉妬し、憎んだ。なぜ、お前はこの私をくだらないゲームに引きずり込むのだ!お前にはそんな権利はないぞ。私は相手にしてやらない。 実に生意気。思い上がった奴だったのである。 でもまあ、それは弱さの半面であって、強がりを言っていたに過ぎないのだ。 マジに勉強していれば、大出版社にも入れたかなあと思いつつも、結局、出版社はどこも受けず、年度が変わる直前に規模だけは大きい編集プロダクションにもぐりこんだのであった。そして3年半後に独立してそろそろ20年……。 若いうちにはある程度、「正解探しゲーム」の経験も必要かもしれない。それが「くだらない」と気づくことが、このゲームから得られる最大の収穫だろうね。 大人の社会は、正解のないことだらけである。そもそも、自ら問いを立てねばならない。そして、「解」が得られずに徒労に終わる予感がしたとしても、問いを立て、解を求める作業を止めるわけにはいかないのだ。 仕事に戻らねばならないので、強引に結論をつけるとすると……。 書く作業は、問いを立て、解を求めるプロセスを記録として残すことができる。そのプロセスの中に、思いもよらなかった気づきがあり、迷路のように思えた道にすーっと光が差してくる。それができれば、ゴールまでまっしぐらに突き進むのみ! 途中のハラハラドキドキと、活路が見えてきたときのドライブ感がたまらないのだ。 っちゅーわけで、辛い辛い、疲れた疲れたとぼやきつつも、私は今日もパソコン画面に向かいつつ、言葉たちをひねり出し、織物のように美しくあれと思いつつ、並べていくのであった。 エッセイを昼過ぎに書き上げたら、今度は化粧品のナノテク技術について調べて夕方までに原稿にして、そして夜中は新聞の山と格闘しつつテレビの経済番組用の企画を最低10本上げねばならない。 そこまでできれば、ようやく楽になれるはず。安穏状態をしばし楽しんだら、またマゾな生活が始まるのであった。●紅茶の飲み方 おいしい紅茶の飲み方について、本場イギリスで「正式な見解」が出されたそうな。 面白いので貼り付けておきます。以下、引用。>おいしい紅茶はミルクが先 英王立化学会が結論【ロンドン24日共同】カップに先にミルクを入れてから紅茶を注ぐのがおいしいミルクティーのコツ-。紅茶文化の本場、英国の王立化学会は24日、「完ぺきな紅茶の入れ方」を発表した。 あらかじめ温めた陶製のポットにティーバッグでないアッサム産の葉を入れ、ミネラル分の少ない軟水を沸かしたお湯を注いで3分間待つ。できた紅茶は陶製のカップに入れ、熱すぎると音を立ててすすることになるため、60度から65度の温度になるのを待って飲む。 カップに注ぐのは紅茶が先かミルクが先かは紅茶好きの間で長年の論争となってきたが、熱い紅茶の中にミルクを注ぐとタンパク質が変質して風味を害しやすいことが化学分析で判明し、冷たいミルクをまずカップに入れてからお茶を注ぐのが好ましいと結論づけた。(共同通信)●スピリチュアリティとは WHO憲章に書かれている健康の定義の中に、新たに「スピリチュアリティ」(霊性)を加えて改正しようという議論があったことをご存知の方も多いかもしれません。 人間の自然治癒力に着目する代替医療の分野などでは、盛んに宣伝されてきたテーマです。 WHOによる健康の定義とは、以下の通りです。"Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity." 「健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」(昭和26年官報掲載) これに対し、1998年に出された改正案は次のとおりです。"Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity." 99年の総会で審議された結果、結局、時期尚早ということで改正には至らなかったようです。 詳しくはこちら↓http://www.med.hokudai.ac.jp/~senior-w/Others/WHOHlthDfntnRev.htm 改正されたのかどうかがずっと気になっていて、さっき書いたエッセイの中でスピリチュアリティについて触れておこうかなと思い、調べてみた次第です。 スピリチュアリティについては、またいずれ詳しく。
2003年06月25日

おはようございます。ただいま朝の5時。今日も1日元気にいきましょう。東京の空は今日もグレー。それでも朝の空気は新鮮で気持ちよく、ま、今日もなんとかなるさと多少なりとも希望がわいてくるのでした。 ささ、朝ごはんまでひとがんばり。 寝不足だけれど、今日はソファに倒れこむことなく、日が沈むまでの耐久レース、なんとか完走しなくちゃ。そしてまた夜、お気に入りのあの場所で、「瞑想」の時間を持てればいいな。瞑想が迷走になりませんようにと。 こんなニュースを読んだ。>過労を診断するコンピューターがダウン――。厚生労働省が働き過ぎなどによる過労度を自己診断できるチェックリストを、中央労働災害防止協会などのホームページ(HP)で公表したところ、アクセスが殺到し、24日未明から同協会のHPにアクセスできない状態になっている。中災防のHPはこちら↓多分、今日いっぱいパンク中だろうけどね。http://www.jisha.or.jp みんな自己診断テストが大好きだものね。つい、やってみたくなるのが人情です。 開発を担当した人が、「100万件以上のアクセスがあればダウンするかもしれないが、それ以下なら大丈夫」と厚生労働省に対して説明していたという。 あっという間にアクセス数が100万人を超えてしまったんだろう。見積もりが甘かったね。 やっぱり、みんな疲れきっていて、心のどこかで体のことを心配しているのかもしれない。 さて、その話題のHPですが、5時に起きた私はアクセスに成功しました。 でもね、常識的な設問が多く、あんまり面白くない。さすがに専門家の先生が1年かけて作っただけのことはある(皮肉です)。 まあ、答えていくうちに本人が「ああ、ずいぶん疲れているな。働き過ぎだな」と自覚できることを目的とした教育的なテストなのだから仕方ないかもね。 疲れている人が多いかと思えば、癒しの専門家を志向する人も多いようですね。そこで、こんな記事を見つけました。森林療法の専門家を育成し、国家資格として認定しようというものです。「おお!取ってみたい!」と色めきたつ人も決して少なくないだろうな。でもね、国家資格化は難しいんじゃなかろうか。心理カウンセラーの国家資格化すら実現していないのだから。ただ、職場を病院の外に設ければ、日本最強の圧力団体である日本医師会の反対を避けられてスムーズに運ぶかな?病院の外にも利権が欲しいお医者さんが後押ししてくれるかな? 以下、引用です。林野庁が森林療法士創設へ癒やし効果利用し健康指導将来は国家資格に 林野庁は12日、森林が人間の体に与える癒やしの効果を利用して森の中で、ストレスにより低下した体の機能回復や高齢者、障害者の心身の健康維持・管理の指導に当たる森林療法士(フォレストセラピスト)を創設する方針を決めた。 同庁は厚生労働省など関係機関と調整した上で、早ければ来年度にも創設し、将来的には理学療法士などのように国家資格とする考えだ。 森林療法士は、医療福祉と森林分野の基礎的な知識や技術を習得することで、森を利用した療養、生活習慣病予防を指導。具体的には、森林内に整備するコースを利用した歩行リハビリテーションや、散策しながらのカウンセリングなどを実施する。 林野庁では、治療計画を立てて患者の動作の機能回復や改善を行う理学療法士と、樹木などの名称・生態をアドバイスする森林インストラクターの技術を併せ持つ新しい専門技術者を想定している。現在、理学療法士は厚労相の免許が必要な国家資格で、森林インストラクターは全国森林レクリエーション協会が実技試験などで資格を認定している。 ドイツでは、森の中で自然散策を行ったりする森林療法(クナイプ療法)が普及しており、血液循環関係の疾患や自律神経失調症、ノイローゼなどに効果を上げているという。 一般的に森林は、樹木が発散する消臭や抗菌などの働きをする物質のフィトンチッドや森林空間に漂うマイナスイオンが、精神安定やストレス解消に効果があるとされる。最近の国内の研究でも、血圧の低下やストレスホルモン濃度の減少、免疫力が増加することなどが報告されている。共同通信社 2003.06.12 上記引用の記事のニュースソースは、たぶんこちら↓http://www.rinya.maff.go.jp/puresu/h15-5gatu/0528kourei.htm ただいま午後4時過ぎ。400字×34枚の大特集記事をやっとこさ書き上げた。長かったなあ。 あと400字6枚のレポート記事と、同じぐらいの分量のエッセイが残っていて、明日はまた週刊誌の締め切りと企画書もアップしなければならない。 えーん、休みたいよお。でもその前に、インプットが足りない。知識も、愛も、スピリット(精神性および酒精)も。 まあまあ、気を持ち直して。仕事があるのは嬉しいことです。もう月末ですね。請求書を書かなくちゃ。これが一番楽しい作業。至福の瞬間ですにゃー♪ じゅうまん、にじゅうまん、さんじゅうまん、よんじゅうまん……以下自粛
2003年06月24日

ちょっと息抜きに、夏のさわやかなメニューをご紹介。◆海老の翡翠ゼリー 夏の前菜には、ゼリー寄せがよく似合います。色とりどりの素材を組み合わせれば、キラキラと輝いて宝石箱のよう。 土曜日は、小海老とソラマメを使いました。それぞれ別々にさっと茹で、小海老は大きければひと口サイズにカット、ソラマメは皮をむいておきます。 飾りにオクラも使いましょう。塩で板ずりし、熱湯にくぐして冷水にとってから、星型の断面を生かしてカットします。 次にスープを作ります。鍋に湯を沸かし、チキンコンソメキューブを入れ、梅酒を4分の1ぐらい加えました。最後にすりおろしたショウガを入れて香りをつけ、味を調えます。これを少量の水でふやかしたゼラチンパウダーと混ぜ合わせてゼリー型に入れ、あら熱が取れたら具材の小海老、ソラマメ、オクラをバランスよく加えます。 そうそう、嫌じゃなかったらディルの葉を細かく刻んだものを散らすと、香りがゴージャスになりますよ。 あとは冷蔵庫で冷やすだけ。硬めに仕上げて四角くカットしてもいいし、やわらかめにしてゼリーのところをスプーンでほぐして盛り付けてもいい。お好みでどうぞ。何かグリーンの葉っぱをあしらいましょう。 冷やして食べるので、味は濃い目がいいでしょう。でも、コンソメが多すぎると味が下品になり、全体に濁ってしまうので控えめがよろしいようで。 具材はほかに、ハムとトマトのサイコロカット、枝豆、くずしたブロッコリー、ヤングコーンの小さい輪切りなどを適宜組み合わせるといいでしょうね。とくに、ブロッコリーを細かく崩したものは見た目が綺麗で、シャリシャリの歯ごたえも楽しい。「料理の鉄人」に出演した六本木のヴァンサンの城シェフのお得意料理だったりするの。マネしちゃいましょう。 さてさて、やらねばならないことが多過ぎて大変なことになっています。火事場の馬鹿力を出さないとね。 私の仕事は、毎日が冒険、毎日が挑戦。同じことの繰り返しなんて、ほとんどない。新しいものをたくさんインプットして、それらをミックスし、エッセンスを取り出し、ある種の問題意識に沿って整理し直し、読みやすい文章に表現する。 情報の料理人?あるいは筆力で酔わせるバーテンダー? 問題意識にコミットできるかどうかで、質がずいぶん違ってきてしまいます。 インプットは簡単にできるけれども、問題意識は1日にして成らず。つまりそこに専門性が問われるわけで……。 なーんて日記を書く間も惜しい月曜日。矢の催促で神経がピリピリしています。労組問題に教育問題に、心の問題についてのエッセイと山積み。うーむ。明日までにあと3本!
2003年06月23日
ミニコミ誌の宣伝です。カウンセラー仲間でつくっている「カウンセリング・フォーラム」が隔月で発行しています。昨日制作した最新号の中から、私が書いた記事をご紹介します。「キャリアカウンセリング入門――ジョブクラブの輪を全国へ!」●孤立無援の人を救う就業支援として 若者から中高年に至るまで、就職難に苦しんでいる。中高年については、厚生労働省がキャリア・コンサルタントという制度を創設し、企業における専門家の人材育成およびキャリア・コンサルタントによるコンサルティングの実施費用の助成を始めた。個人が自分の意思で、自分の能力や適性、価値観にマッチしたキャリアを選び取り、成長しようとするのを支援しようといものだ。 だが、企業に所属していないフリーターの若者や長期失業者、再就職志望の主婦などはこの制度の対象外である。ともすると孤立無援になり、進むべき道を見失ってしまいがちな彼らを支援するよい方策はないだろうか。 そこでヒントになるのが、欧米で失業者や移民労働者の支援策として成功している「ジョブクラブ」である。ジョブクラブとは、ピア・カウンセリングの要素も取り入れた就職援助手法であり、求職者がグループで行う自主的な求職活動を、活動場所や活動資源(電話、文房具、新聞など)の提供、専門家によるアドバイス等により支援するものである。1970年代初期にアメリカで開発され、イギリスでは80年代半ば以降公共職業安定所の有力な支援メニューとなっている。●日本版「ジョブクラブ」も動き出した わが国では、中高年齢求職者向けの「キャリア交流プラザ」事業(平成11年度より実施)においてジョブクラブの手法が採用されている。 また、厚生労働省が若年者の就職を支援するために設置を進めている「ヤングジョブスポット」もジョブクラブの日本版といえる。2004年3月待つまでに全国で15カ所設置する計画であるという。職業意識が乏しく、自分の適職が分からない若年層の相談に応じたり、若者同士が互いに励まし合う場所を提供し、自発的にフリーターから抜け出す努力を後押しする。 施設はフリーターらが集中する大都市部の繁華街に近い場所などに設置する。3月中にさいたま、横浜、名古屋、大阪の4市で拠点を確保、4月以降は順次、東京をはじめ10都道府県、11カ所に開く計画だ(以上、日本経済新聞2003年4月5日朝刊より)。 定職に就けずにいる若者は就職活動を途中で断念しがち。同じ立場のひとが集う場があれば、「自分も頑張ろう」という意欲を持ってもらいやすくなると厚労省は判断したという。 こうした国の動きよりも早く、地方で独自にジョブクラブの試みが始まっている。「彩の国 再就職クラブ」は、埼玉県立女性職業能力開発センターの教室を使って2001年から実施されている。職を失った人たちが、立場や年齢の違いを超えて励ましあい、再就職を目指すというもの。仲間の存在で孤独感から解放され、就職意識を持ち続けられるとのこと。たとえば、模擬面接を行ってお互いにアドバイスし合う。「そこまで言うと、いやみになる」、「人柄をもっとアピールしたほうがいい」などと体験者だからこそ言える批判や励ましがある。 3週間で1クール。2001年から8月から12月まで3回実施した結果、初回は13人中5人が再就職を果たしたという。次第に希望者が増え、3回目には20人の枠に73人の応募があった。 センターの職業訓練指導員、小島貴子さんらが米国でキャリアカウンセラーが活躍している話を知り、資格を取って個別相談に力を入れ始めたのがきっかけだ。中高年支援事業を続ける中で、仲間の必要性やカウンセリングの希望が多いことがわかり、欧米で成果を上げているという「クラブ」づくりに踏み切った。 参加した女性(39)は手伝ってきた家業の継承が難しくなり、2年前から求職活動中。「一人で探していると沈み込んでしまうし、わからないことがいっぱいある。ここで仲間から客観的に見てもらえるのは、本当に心強い」と話す。 受講中に就職の内定を受けた男性(54)は、入社時期を1週間延ばしてもらい最後まで参加した。男性の分まで求人票を見てきてくれる仲間たちを得難く感じたからだ。「営業職しか目になかったのが、仲間と話しているうちにもう少し柔軟になってみようと思った」。再就職先では総務の責任者として働いている。 小島さんは「米国のように就職できた人から抜けていく競争型でなく、一緒に畑を耕す農耕民型を目指している。素直に自分を出し合えて、表現する力と自信をつけてほしい」と話している(以上、朝日新聞2002年1月10日東京夕刊より)。●援助し合い自尊感情を取り戻す ジョブクラブを開発したのは、アメリカのカウンセリング心理学者であるアズリンらである。当初の対象者は犯罪歴のある人、生活保護受給者、心身障害者、高校中退者であった。そのクライエントに共通しているのは、さまざまな社会的障害や過去のネガティブな生活体験がもとで、職業選択行動が身に付いていないだけでなく、自尊心も、働く意欲も失った人々であった。 アズリンらは、「失敗は、必要な行動を学習していないか、あるいは非効率的な行動を学習してしまっているのであり、失敗が予期不安をもたらし、そのために非効果的行動や不適応行動を引き起こし、ひいては自尊感情がもてなくなる」という考えに立ち、プログラムを開発した。 そして、プログラムが進む過程での強化づけ(他者からの承認や成功体験)が自信を回復させることが不可欠と考えた。このようなグループプロセスを用いた利点は、プログラムに一緒に取り組むなかで、相互に教えあい援助しあうことができ、その結果自尊心をもてるようになるし、安心してソーシャルスキルも学習できるということであった(以上、『キャリアカウンセリング入門』渡辺三枝子、E.L.ハー著、ナカニシヤ出版より)。 自尊心も、働く意欲も失った人々……とは言い切れないが、ジョブクラブの手法は正社員を志望しながらうまくいかないフリーター、長期失業者、再就職志望の専業主婦にも有効であるように思われる。●再就職志望の専業主婦向けにも 私はいま、松戸市女性センターの依頼で、主婦による主婦のための再就職支援システムを構築するためのお手伝いをしている。手始めに行っているのが、「しごとサポートボランティア」の育成である。参加者は松戸市内に住む主婦で、年齢は30代から60代までと幅広い。自身が再就職を考えている人もいれば、定年退職後に時間をもて余している女性もいる。当初は20人も集まれば上出来とセンター側は考えていたが、蓋を開けてみれば40人以上が集まった。 講義では働く女性が置かれている現状と問題点、その問題点を解決するための視点、キャリアカウンセリングの初歩について話し、また、参加者によるグループワークも毎回必ず取り入れている。ゆくゆくは彼女たちがファシリテーターとなり、松戸版ジョブクラブをつくって再就職志望の主婦たちを支援することになるので、体験学習を通じてグループアプローチの方法を身につけてほしいと考えている。 参加者はとても意欲的で、「ゆくゆくはボランティアではなく、NPO法人を作って収益を上げられるようになろう」などという声も出てきた。頼もしい。 養成講座は来年3月末で終了し、新年度から松戸版ジョブクラブが始動するはずである。この試みがうまくいったら、そのノウハウを全国の女性センターなどに提供し、ジョブクラブの輪を広げていきたい。 ……いかがでしょうか。 カウンセリング・フォーラムでは仲間を募集中です。年会費2,000円で隔月発行のミニコミ誌をお送りします。そのうちメルマガも始めようかな。よろしくね。 カウンセリング・フォーラムは、「お祭り広場」をイメージして命名しました。カウンセリングにはいろいろな療法や学説があります。クライエント(=相談者)の助けになるならば、ありとあらゆる方法を総動員するのがカウンセラーの使命です。そこで、まるでお祭りの屋台のように、いろいろな学説や療法を得意とするカウンセラーが集まり、誰でも気軽に相談を受けられるような「お祭り広場」をつくりたいと考えたのでした。「お祭り広場」をバーチャルな場に設けることもできそうですよね。そのひとつの試みが、キャリアカウンセリングを専門とするこの私のホームページだったりもするわけです。今後ともよろしくお願いします。
2003年06月22日

昨日は寝不足でほとほと疲れた一日でした。やはり、睡眠時間をたっぷり確保しないと、効率が悪いこと、悪いこと。仕事の成果の質を第一に考えるなら、心身ともにベストコンディションで臨めるように、つねに自制したいところです。多少、締め切りに遅れてもね(ごめんなさーい<各方面)。 なーんて「悟り」を開いたのは、いつものように誰もいない夜のスポーツクラブの露天ジャグジーにて。昼間の狂人的な暑さとは打って変わって穏やかな夜風にあたりつつ、湧き上がってくる水をぼんやり眺めていると、映画のラッシュを見るようにさまざまなシーンが頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消え……。 そのうちに、なんともいえない穏やかな気持ちになってきました。 怒りや悲しみや、そういった執着心が、垢がこそぎ落とされるかのように、自然に剥がれていく。 最後に残るのは、ああ、自分はなんと非力なことよ、という思いと、どうにも変えようのない「流れ」に身をゆだねるしかないのだなあという思い。身をゆだねるといっても、それは諦念と希望をシェイクしたような、中庸な待ちの姿勢というか、そんな感じかな。 私が傷つけてしまった人に対し、心から詫びたい気持ちになった。あなたの気持ちを分からなかった私が悪い。自分のことしか考えられなくて、なんと愚かだったのだろう。でも、もう何を言っても取り返しがつかないのかもしれない。流れが向こうのほうへ去ってしまった。いつか再び戻ってくることがあれば……。 木曜日の「生きる意味」についてのレクチャーで、諸富先生は、ニーチェの永劫回帰の思想について触れた。 何千回、何万回も自分の人生を寸分違わず繰り返して生きねばならないとしたら、それでもお前は自分の人生に意味があったと言いきれるか。「イエス」と言える人は少ないだろう。 それでも「イエス」と言える人は、たった一度でもいいから至福の体験を得た人であるとニーチェは書いているそうだ。その一瞬を楽しみにして、他のもろもろの苦しみ、悲しみ、怒り、愚かさに耐え、何千回、何万回もまったく修正することができないまま、同じ人生を繰り返すのである。それほどその至福の体験は、重い。 私には、「あのときのあの幸福感をもう一度味わえるなら、何千回、何万回の苦行に耐えうるかもしれない」と思うことがある。 あるときある場所である人と待ち合わせをした。その人が曲がり角を曲がって道の向こうからやってきて、私も反対側から歩み寄って行った。その人は両手をいっぱいに広げ、ちょっとはにかんだ笑顔で私を迎えてくれた。 あのときの感動は、多分、終生忘れられないだろう。私の中で決して別の色に塗り替えられることのない、最高の至福体験であり続けるような気がする。 だから私は生きられると思い、寝不足でふらふらだったはずのカラダとココロにエネルギーが湧いてくるような気がしてきた。 これからもたくさんの失敗をして、たくさんの苦い思い、苦しい思い、悲しい思い、辛い思いを味わうだろうけれども、 どんなときにも人生には意味がある。あなたのことを必要としている何かがあり、誰かがいる。その何かや誰かは、あなたに発見され、実現されるのを待っている。 私に書かれるべくして待ってくれているたくさんの記事たち、たくさんの本たちよ。私と出会うべくして待ってくれているたくさんの人たちよ。 最高の出会いができるように、私はもっともっと自分自身を磨いて、ステキになりたい。 いつかやってくるその日のために、私は従容として待ち、流れに従っていく。 無理をしたって人間、なーんにもいいことはない。もう、無理をするのはやめよう。背伸びをしなくても、向こうから、「流れ」のほうから手を差し伸べてくれる。そのやさしい手をぎゅっと握り締めることができる日を、心穏やかに待っていることにしよう。 若いとき、「背伸びしなければ背は伸びない」をずっと座右の銘にしてがんばってきた。 もう十分だ。もう無理をしなくていいよと、人生から言われているような気がしてきた。年をとったと悲しむべきか。いや、そうじゃなくて、いくつもの峠を乗り越え、来るところに来たのだなあ。 もうずいぶんと長い旅をした。あともう少しかもしれないけれど、まだ旅は続く。これからは無理をしないで、一歩一歩を大切に、移り変わる景色の一つひとつをいとおしむように進んで行こう。 瞑想のすすめ。忙しい日々だけれども、できれば1日に1回、自分ひとりになって穏やかな気持ちで自分と向き合う時間をとりたいものですね。 うーん、なんかいい音楽をライヴで聴きたくなってきました。こんなのどうかな? どなたか一緒に行かない?http://www.bluenote.co.jp/reco/larrycarton.html
2003年06月21日
昨日は盛りだくさんな1日だった。睡眠をたっぷりとると、気分がいい、仕事のノリもいい、ついでにお肌のノリもいいなど、いいことずくめ。寝る子は育つのです。いくつになってもみずみずしく生まれ変わるのだ! 午前中はエッセイストの顔。週刊誌用の原稿の下調べをサクサクと終わらせた。 12時少し前にはセミナー講師の顔になって、イザ、府中へ出発。3回連続講座の最終日で、面接対策のグループワークが計画どおりにうまくいったみたい。良かった。今回の受講者さんは反応がすこぶるよく、3日とも大喝采に送られて大感激・大満足。 取材に来てくださったY新聞の記者さんと喫茶店でディープな話をする。お仕事をいただくフリーライターの顔に変身。首都圏版求人広告媒体に連載エッセイのお仕事、ありがとうございました。月1回登場の予定です。 おしゃべりは新宿へ向かう京王線の車中でもなごやかに続くのであった。同じジェネレーションは話が早いわね。というわけで、仲良しおねえさんの顔になるのであった。 6時半からは諸富先生のレクチャー「生きる意味とスピリチュアリティの心理学」に参加。勤勉なカウンセラーに変身。自己投資を惜しまないのである。 ちょっと時間があったので、遅めのランチとしてターキー&アボカドのベーグルサンドを食べる。飲み物は、小さいグラスの生ビールちゃん。自称「武闘派の酒飲み」の本性が出てきちゃった。十二指腸潰瘍はどうやら治ったみたい。バンザイ。 冷房を避けて外のテラス席を選んだが、なんとも蒸し暑くぬるぬるべとべとな日でしたねえ。 ふたたび勤勉なカウンセラー。『夜と霧』で知られるフランクルの思想について先生が解説された、次のような言葉が心に響いた。「どんなときにも人生には意味がある。あなたのことを必要としている何かがあり、誰かがいる。その何かや誰かは、あなたに発見され、実現されるのを待っている」 じーん……。 あまり書いていると睡眠時間がなくなるので続きはまた後ほど。12時に書き上げる予定が、2時までかかってしまった。うーん、ギリギリにならないと神様が降りてこないダメ子ちゃん。 今日は早起きして松戸へ行かねばならないのです。「しごとサポートボランティア養成講座」の第4回目。テーマは「就業支援の意義について」。 しごとサポートボランティアとして再就職志望の主婦を援助することの意義を考えるために、では実際に私たちに何ができるか――女性センターの中に設ける「相談室」で行う活動と、支援セミナーのプログラムについて企画書を作るグループワークを行い、私がまとめのレクチャーをするというもの。 レクチャー部分では、この事業のモデルとなる「ジョブクラブ」の考え方、基本理念としてベースに置くべき「キャリア権」について解説した後、カウンセリング、コンサルティング、コーチングの違い、キャリアカウンセリングの6つのステップについて話すつもり。 そろそろ寝なくちゃ。夢の中では恋する乙女になれるかしらん。
2003年06月20日
都会で生活していると、騒音を飼いならす技術が必要になるというかなんと言うか、つねに騒音のシャワーの中に身をさらしているような状態ですね。 いま私がこうしてパソコンに向かって作業をしている間にも、近所の家で雨戸をあける「がたがたがたん」という音や、空調のためにつけている換気扇の「うううーん」という唸り、パソコンの「ぐううううーん」というモーター音、近くのバス通りを行きかう車の音が、バスは「ごわわわわー、ぐるるるーん」、普通の車が「ずるるるるー」、とばすトラックが「ぐわわんわん」ってな具合。 一つひとつに注意を向けていたら、気が狂いそうですね。あれまあ、今度はカラスが鳴いている。今日は燃えるごみの日だっけ。 外出すれば、電車の中はおせっかいな車内放送がとめどなく繰り返されます。駅の案内にとどまらず、やれ、駆け込み乗車をするな、年寄りや体の不自由な人や妊婦に席を譲れ、便利なプリペイドカードはいかがですかウンヌンカンヌン、ウンヌンカンヌン……。 多くの人は馴らされているのか、音の洪水をやり過ごし、新聞や雑誌、文庫本に読みふけったり、メール打ちに熱中していたり、極め付きはヘッドフォンで聞きたい音だけを聞いているという防御策もありますね。 私たち日本人って、そういう意味ではとても従順な「いい人たち」なんでしょうね。音に対して鈍感というよりも……。 かつて、日本人は音に対して非常に繊細な感性を持っていると言われたものです。コオロギ、スズムシといった虫の「声」を「声」として受け止め、虫かごに飼って愛でる習慣がありました。他国のかたがたは、虫の声は声ではなく無意味な音、もっと言えば騒音として受け止めるらしい。 あの繊細な感性はどこへ行ったやら……と書いて筆を置くのが、一昔前のエッセイの常套手段だったりしますね。 そうやって綺麗にまとめていれば波風を立たすことがないけれども、車中の騒音の洪水と徹底抗戦した人もいました。この人の本はエグイぞ。哲学者である中島義道さんの『うるさい日本の私』(新潮文庫)です。宣伝文をちょっと引用しますね。>バス・電車、デパートから駅の構内、物干し竿の宣伝まで、けたたましくスピーカーががなりたてる、この日本―。いたるところ騒音だらけ。我慢できない著者は、その"製造元"に抗議に出かけ徹底的に議論する。が、空しい戦いから浮かび上がったのは、他人への押しつけがましい"優しさ"を期待する日本人の姿だった。日本社会の問題点を意外な角度からえぐる、「戦う大学教授」の怪著。 この著者の戦いが奏功し、車内放送をやめた電鉄会社もあったそうです。ところが、「ないとどこの駅か分からない」「視覚障害者に不親切だ」などの声があって再開せざるを得なかったとのこと。ううむ、難しい問題です。「他人への押し付けがましい優しさ」というテーマを立てることができる一方、「弱者に優しい社会は強者も生きやすいはずだ」という主張もあります。 足の怪我をしてみて思ったのは、すべての階段がエスカレーターに置き換わればなんと楽なことかと思いました。できればエレベーターがいい。でも、先を急ぐ人には階段が好ましいだろうし、非常時のために階段をなくすことはできないでしょうね。 個性や価値観がさまざまに異なる人々が群集をなすということ自体、非常に難しい問題をはらんでいるのではないでしょうか。必要な人が必要な情報やサービスを受けられるのが理想であり、一律的な「押し付け」は迷惑以外の何ものでもないと感ずる人が増えてきたのですね。 というわけで、必要な人にだけ必要な音声情報を提供するための技術について、エッセイを書くべく準備をしているところのなのでした。 そこから発展して、「聞きにくい音を聞きやすくする」先端技術についても触れたいと思います。 使う予定の材料はこちら↓http://www.mee.co.jp/kaisyaan/press/prs030515.htm 三菱電機エンジニアリング>超指向性音響システム「ここだけ」http://www.nec-tokin.com/ NECトーキン>ニュースリリース2003年3月3日>圧電式骨伝導スピーカー 同、WEB SHOPにも情報ありhttp://www.jvc-victor.co.jp/audio_w/product/radio/ra-bf1/index.html 日本ビクター>ゆっくり聞こえるラジオ「きき楽」
2003年06月19日
当たった! ずっと予感がしていたんだ。足を怪我して、その不自由さに対するストレスから十二指腸潰瘍になり、これほど禍(わざわい)が続くのだから、次はきっと福が来る番だぞと。その予感が当たった。 大当たりぃ! いままでの中で一番の大当たりだった。何が?って、昨日の夕刊か今朝の朝刊社会面を見てくださいな。「イイナイレバ」って入れ歯じゃないぞ。「117108」で大当たりです。ヤッタぁ!「これで家族4人で大ご馳走だね♪」と父に言ったら、「せっかくだから、旅行へ行ってのんびりしてきなさい。休養が必要だって自分で言っていただろう?」と。嬉しいな。 これで沖縄ツアーに参加する資金ができたぞっと(^◇^) さて、これからまだまだ運気を上げましょう。このくらいじゃ、怪我と胃の激痛という禍を補いきれない。まだまだ福はやってくるに違いない。うふ、うふ。 昔の人は正しいね。「禍福はあざなえる縄のごとし」。こう言い聞かせることによって、突然、降って湧いてきた理不尽この上ない禍に対するストレスを上手にやり過ごしてきたのだろう。 最近、「ストレス耐性」という言葉が頭に引っかかっている。某精神科医へのインタビューの中でも重要なキーワードになっていたし、これから作成する予定のキャリア・アセスメント(適職診断=天職発見テスト)の中でも柱のひとつにする予定だ。 最近の若い人たちは「ストレス耐性」が低いと言われる。ストレスに弱い。ガマンがきかない、すぐに投げ出す、逃げ出す、「私にはそれはできない」と言って自己規制する等々。 だが、見方を変えれば、「ストレス耐性が低い」ということは、「ストレスに対する感受性が高い」ということでもある。だから、ストレスに押しつぶされる前に逃げることができるとも言える。 一方、「ストレス耐性が高い」人たちは「ストレス感受性が鈍い」という面もある。つまり、自分がストレスを受け、心身に悪影響を受けているにもかかわらず、自覚がない。このタイプは心身症、うつ病、過労死、過労自殺のリスクが高いのだ。 私は多分、「ストレス耐性が高い」ほうだと思う。だいたい、「最近、ストレスがたまっている」だなんて恥ずかしくて言えなかった。ちょっとやそっとのストレスなんかに負けないぞという自負のカタマリだった。だから、怪我するまでに身体が多大なストレスを受けていたことに気づかなかったのだ。 ストレス耐性が高いのと低いのと、どちらがいいか悪いかは一概には言えないと思う。 世の中が過剰適応を要求しているイケイケドンドンの時代(いまもまだその終わりのほうに引っかかっているが)は、ストレス耐性の高い人が勝者となり、低い人は競争からはじき出される。 ストレス耐性の低い「新人類」の登場は、そんな時代に対する揺り戻しと見ることもできる。 ただし、忘れてはならないのは、ストレスには避けられるストレスと、生きている限りは不可避なストレスの2種類があるってこと。 職場に合わない先輩や同僚がいることで受けるストレスは、お互いに腹を割って話し合い、偏見や先入観を取り払うことで解決するかもしれない。「意外といいやつだな」と思えた瞬間、灰色によどんで見えた職場に光が差すかも。 このようにちょっと工夫すれば避けられるストレス、解決できるストレスに対してもすぐに逃げたり、あきらめたりしてしまうと、人生、損じゃないか? ストレス耐性が低いというのは、リスクを背負い込むキャパシティが狭いと同時に、ベネフィットに恵まれるチャンスも少ないというわけなのだ。 一方、生きている限り不可避なストレスとは、天変地異、さまざまな別れといったカタストロフィ的な体験もあれば、結婚、出産、新居への転居、願っていた転職の実現、栄転といった一見、この上ない幸せな出来事もストレスになり得る。 幸せな出来事も不幸な出来事も、私たちの心身を大きく揺さぶる。そして私たちは非日常的な、過剰な感情を体験する。これがストレスだ。 ストレス学説を提唱したセリエは、「ストレスは人生のスパイスである」という発言をしている。 ストレスという刺激がまったくない世界は、退屈極まりないのではないだろうか。変化が何もないのが常態となり、変化を起こそうという気力が湧かない。向上心なんてものも成り立たなくなるだろう。 私たちは、不可避なストレスに直面したときに、自分の生きる意味について何事かを学ぶことが多い。耐え難い受難を前にして人は叫ぶだろう。「私は何のために生まれてきたのだろうか」「私の人生に意味はあるのだろうか」。そして受難から生還したとき、人は生きる意味を手にしている。「禍福はあざなえる縄のごとし」というのも、先祖代々の学びのひとつと言えるだろう。 では、ストレス耐性が強いのと弱いのと、どちらがいいのかって? つまりは耐えるばかりが能じゃない。「嵐はいつか去る。明けない夜はない」と、期待を持ってやり過ごせばいいのさ。やり過ごすのと、耐えるのは違うよ。楽天家と悲観論者ほどに違う。 孤独に負けそうになったとき、これからはひそかにつぶやこう。私の幸福の呪文を。「イイナイレバ」あなたが。そして、そんな日が来るといいな。
2003年06月18日
今日はあと何時間原稿書きに使えるだろうか。夕食後、深夜2時までやって8時に起きれば睡眠時間は6時間確保できる……。朝食後9時からはじめればゴゴイチまでに4時間あるから間に合うな……。 なーんていう具合に、いつも頭の中で有効時間を計算している私。最近は自分に甘いので、いつもギリギリになってしまうんだなあ。 気が付けば、移動時間と食事時間、睡眠時間以外は全部、仕事に振り向けていたなーんてことになっている。自由業だからキリがないのね。 足の肉離れで歩けなくなり、十二指腸潰瘍の痛みに苦しめられてみて、ここらへんで生き方というか自分自身と自分の人生についてのイメージを変えないとマズイなあという気がしてきた。 土、日に働く日もあるし、だからといって「代休」をとる余裕がないのだから、平日の中にもう少し仕事以外の時間を作ってもいいじゃない。なーんていまさらながらに思う。 せっかくケーブルテレビに加入しているのに、見るのは正月ぐらいだ。ああもったいない。 もっと映画を見たり、「ながら」じゃなくて真剣に音楽に聞き入る時間を作ったっていい。時間を作るというより、時間を忘れて没頭するぐらいがいい。 全治3週間と言われた「おつとめ」が、おとといの日曜日で終わった。病院へ行っても丁寧に診てくれるわけじゃないから、自己判断でそろそろエアロビクスを再開してもいいかなと思い、昨夜、初めてスタジオに入った。 サルサやランバダといったステップの基本を踏むだけで、激しい動きのない「ラテンエアロビクス」を初めて試してみた。腰を振るのが慣れなくてぎこちなかったけれど、ラテンの音楽に合わせるのが楽しかった。 ただ、片方の足に体重をかける場面で、怪我した部分がピリッと痛んだ。まだ無茶はできない。 次のレッスンも続けて出ようとしたら、「まだ早いよ」「無理しないでね」と言われること、言われること。振り切って前半だけ出てみた。猛烈に楽しい!やっぱり、コレなしでは生きていけないって感じ。でも、片足ケンケンなど、片足に体重がかかる動きは辛い。休憩が入ったところで途中退場した。まあ、ぼちぼちやろう。 怪我や病気の話をインストラクターにしたら、「デリケートなんですねえ」と言われてしまった。 デリケートだなんて言われた経験はほとんどないので、くすぐったいような、うれしいような。 ほめ言葉で言われるのは「あなたは強い」「タフだ」「体力がある」「元気だ」等々。女性から「強い」と言われるときは、棘というか、ねっとりからみつくような情感を察知して具合が悪くなる。「弱い私をもっといたわって」「女は弱い生き物よ」というメッセージが伝わってくる。 批判的に言われる言葉としては、「攻撃的だ」「挑戦的だ」「きつい」「きびしい」等々。まあ、仕方ない。オトコ社会と闘う闘士のような気分で生きてきたから、それも勲章だと思っていた時期もある。 でも、最近は、辛い。「強くあること」あるいは「強くあろうとすること」が半面持っている「弱さ」の部分に目が向くようになった。 どうしようもなく弱い自分を感ずる。それでも自助して何とか生きていこうと思う。肩の力を抜いて、ときにはすっかり脱力することも大事。 今日はこれから再就職セミナー3回シリーズの第2日目の仕事があり、夜は原稿書きにラストスパートをかけねばならない。 その合間にちょっとだけ、脱力の時間を作りたいなあ……ほらまた計算している。
2003年06月17日

いつも悩むのです。このまま頑張って朝まで仕事しようか、それとも眠いなら寝ちゃって早起きして仕切り直しするか。 低血圧ってほどじゃないけれど、朝は大いに苦手なんです。滅多に起きられないの。あと30分!が1時間に、1時間が2時間になって、結局、早寝してもいつもと同じ時間に起きたりする。ああ。 睡魔の谷を越えれば、覚醒の平原を突っ走ることができるのか。ああ、悩ましい。そして、眠い、眠い、眠い。 ちょっと休んで考えよう。巨人阪神戦を最後まで見なければ良かったのに。うーむ、後の祭りじゃ。 やはり起きられなかった! うーむ。しかし、睡眠時間をたっぷりとって頭をすっきりさせたほうが結果的に効率がいいだろうと、無理やり自分を納得させて……。 薬はまだ手放せないけれども、今週は元気に頑張れそうな気がします。講師の仕事が火・木・金と3回。原稿は書きかけの大特集を2本仕上げ、事例レポートを2本にエッセイが週刊誌1本と月刊誌1本。通算100枚ぐらい書くことになりそうだ。ふぁいとぉ! この山を乗り越えれば、来週からはかなり楽になる……というより新事業のほうに手をつけないと。なんとか秋までにたっぷりと旅行資金を作ろうね。待ってて沖縄!
2003年06月16日
昨日の内田樹さんと信田さよ子さんの対談「過剰な時代の家族」でのキーワードは、「からだのセンサー」だった。 いまの世の中、何でもアタマで判断しようとするけれども、そればかりでは、いのちにとって本当に大事なことを逃してしまうヨという警告のメッセージを含んでいる。 とくに面白かったのは、「食」に絡めての話。食いしん坊な私には、ビビビっときた(って松田聖子かい?)。「個食」といって、最近、家族が各自バラバラに食べる傾向が見られ、「個食」は家族の紐帯(きずな)を壊すと危ぶむ人が多い。 でもこの因果関係は逆だと内田さんは言う。個食が始まって家族が崩壊するのではなく、家族の崩壊が始まって個食が現れるのだと。 人類が始まって以来、共同体における「会食」は重要な意味を持っていた。ひとつは誰でもすぐに思いつくでしょう。共同体の結束力を強めるための「かための儀式」としての会食です。 もうひとつの意味として内田さんが指摘することが、非常にユニーク。 あのね。一緒に食べる相手が誰かによって、ご飯がまずくなったり、美味しくなったりすることってあるでしょう。このとき「からだのセンサー」が働いているわけです。相手が自分にとって好ましい人物であるか否かを、食べ物から感じられる味というサインで知らせてくれているの。 なるほどなあと思いました。 異性とお付き合いを始めるとき、会食はじつに重要なポイントですね。一緒に食べたものが、とくに美味しく感じられたらGO!GO! そうじゃなければ……これは一面の真理を物語っているのでは。 というわけで、話を家族論に戻すと、家族で一緒に食べているときに、ご飯がまずく感じられたら、それは「別れの予感」「巣立ちの予感」をからだの中のセンサーが発しているのだと内田さんは言います。↓詳しくは内田樹さんのHPの6月10日の日記で見てネhttp://www.geocities.co.jp/Berkeley/3949/ もちろん、それだけじゃなくて、体調の不調やご飯の作り手の腕前がなんらかの理由で急速にダウンしたという理由もあるでしょうけれども、からだのセンサーが発する予感は侮れないのです。 それにしても……美味しいご飯の向こうの素敵な笑顔が見たいものだわん。
2003年06月15日

幾分、楽になったものの、まだみぞおちが痛い。ストレスの原因がまたひとつ増えてしまったからだ。 昨夜遅く、両親が喧嘩していたのは知っていたが、巻き込まれたくないので私は早々と寝室へ引き上げた。一夜明け、二人ともまだ引きずっているらしい。 母は未だに「無理やり魚屋をやらされている」という意識を捨てられない。嫌でたまらず、引退して遊んで暮らしたいらしい。母の目線は、恵まれたサラリーマンの主婦にある。彼女たちのようにダンナの退職金と年金で悠々自適の老後を送りたいのだ。 両親は兄弟会社の新卒同期入社組として出会った。片や出版社の営業マン、片や印刷会社の花の受付嬢である。母にしてみれば、前途有望なサラリーマンの奥さんになるはずだった。もう忘れりゃいいのに、忘れられないのだろう。 現実はというと、魚屋という家業に定年もなければ、退職金もない。百貨店・スーパーの寡占が進んで個人商店が追い込まれる中、そんなものを用意する余裕がない。店をたたんで商売替えする魚屋だって多いご時世だ。 それでも、「なぜ、老後に楽できるように準備しておかなかったの!」と、母は父を責める。甘い、勘違いしていると私は思うが、彼女の目線は恵まれている人たちのほうに向かったまま、足元に戻ってこない。 父はいまになって魚屋という商売の楽しさを心底味わっている様子だ。すぐ近くのスーパーや渋谷のデパートに客を奪われ、このあたりはいまにも消えそうな「閑静な商店街」である。お客は少なくなったが、だからこそ、ひとりのお客さんに対して時間をかけ、丁寧に接客できるのが嬉しいと父は言う。根っからの話し好き、世話好きである。 だから夜遅くまで仕事が長引いてもへっちゃらで、昨夜も10時過ぎまでかかって翌日の注文の品をこしらえていた。見かねた母が「なんでそこまでした働かなくちゃならないの!」と噛み付いて大ゲンカが始まったのだ。「夫婦で店を盛り立てようという気持ちがないのが悲しいね」と父は言う。 盛り立てる素質が母にはあるからだ。母は料理がうまい。彼女の作るマグロの角煮やブリカマのあら煮、サクサクのフライは大評判である。ならば、惣菜部門をもっと充実させ、少しでも売り上げを増やそうと私なら考えるところだが、彼女は全くその気がない。彼女にとって、もっともやりがいのある仕事は、家族のために美味しい料理で晩餐のテーブルをいっぱいにすることなのだ。 私と父は「店の売れ残り」で十分だと思っているし、そう言うのだが、下手に言うと、「私の楽しみを奪わないで!」という猛烈な反発が返ってくる。 再就職志望の主婦向けに、プロ意識を持て、自立せよと言っている私だが、なんのことはない、すぐ間近には全く自立できない母がいる。 両親が遊んで暮らせるように、私と弟(保険会社のSE)で支えてあげなければいけないのかもしれないが、そんな余裕はない。いずれ介護が必要になったときのためのお金や、築30年以上になる母屋の改築のためのお金を蓄えるのに精一杯で、元気なうちはなんとか両親にがんばってもらいたいというのがホンネだ。 私が母だったら、店を改装し、刺身などを作る作業場と冷蔵庫、陳列台のスペースをいまの半分にし、父がひとりで動けるのに十分な程度にする。残った半分は、お年寄りのお客さんが座って待てるように、サロン的な場にする。本やパソコンを置いて、魚に関するうんちくや料理のレシピなどに自由にアクセスできるようにしてもいい。 10畳ほどある店のすぐ奥のダイニングキッチンは、カウンターテーブルとオープンキッチンに改装し、ランチタイムに定食を売ったり、料理教室を開くスペースにする。焼きたてのあつあつの焼き魚は、絶対にウケるはずだ。料理教室は、料理自慢の母にはぴったりだと思うのだが。 私もいつまで今の仕事を続けられるかわからないから、「余技」を生かす場があれば心強い。でも、肝心の母が乗り気じゃなければ、実現は難しい。 どこかに居ないかなあ。日本の食卓から魚文化を消してはならないという使命感に燃え、魚を核とする新たなビジネスをライフワークと考えて取り組み、おまけにうちの「家族」になってくれる人が……ナンチャッテ。 さて、十二指腸潰瘍の薬を飲んで、気分を入れ替えて、仕事、仕事。午後からは憧れの内田樹先生のお話を聞きに朝日カルチャーセンターへ行くのでした。 ダイエット日記、再開しました。http://sv.mcity.ne.jp/D/13012/index.shtml 内田樹さんと信田さよ子さんの対談は、期待どおりに楽しいものでした。タツルおじさんは、どちらかというと「サル系」のお顔で、純粋なのかすぐに真っ赤になるのが印象的でしたね。詳しくはまたいずれ。 帰宅後、バリバリ仕事をするつもりが、疲れてダウン。すっかり病人です。まだみぞおちのあたりが変な感じ。全身がだるく、これはどうも薬の副作用のせいらしい。 というわけで、早めに寝てしまいます。おやすみなさい。明日こそ早起きして仕事、仕事。午後からは辻堂のクリニックで取材です。湘南新宿ラインのグリーン車の中でランチを食べようか(^^)/
2003年06月14日

私の恩師・富永厚先生は、「夢をあきらめないで」という言葉が大好きだそうだ。退官記念パーティで一緒に撮ったポラロイド写真に、サインしていただいた。システム手帳に入れていつも持ち歩いている私の宝物のひとつ。 モノづくりの技術は世界一と言われた日本の町工場も、いまやIT化や自動化、競争激化による値引きで苦しい立場に追い込まれている。 100分の何ミリとか、恐るべき精度で部品を作る職人技を持っているが、いかんせん下請けの悲しさで、発注元である大手企業の海外への工場移転や不況による受注減で経営環境は厳しい。 それでも「夢をあきらめない」匠たちがネットワークを組み、オンリーワンの技術の掛け算で新しい技術を生み出そうとしている。部品ではなく、協働により最終製品を完成させ、脱・下請けを図る。 なんだか「プロジェクトX」みたいなノリになっちゃったけど、そんな町工場の新しい動きについてエッセイを書き上げたところ。 このプロジェクトの推進役は東京都大田区にあるNPO。全国の中小企業に呼びかけ、約30社が集い、水上飛行機を開発するそうだ。 遠隔操作できる無人の小型機からはじめ、ゆくゆくは70~100人乗りの中型機も開発し、運行サービスを専門に行うベンチャー企業や、パイロット養成所の立ち上げも夢見ている。 下記のページに小説仕立ての計画書が載っていて、なかなか読ませる。http://www.obk-npo.jp/ 匠のネットワークによる新たなモノづくりはここに始まったわけではなく、全国各地に例があるという。 科学技術ジャーナリスト・赤池 学氏が著書『匠のたくらみが町工場も日本もアジアも救うんです。』(ウェッジ)の中で多くの事例を紹介している。「人間力が形にする共創品開発の時代」「技の進化論―ユニバーサル・リレーションの世紀へ」などというキャッチフレーズにそそられる。http://smallbiz.nikkeibp.co.jp/free/RASHINBAN/20020830/101859/ ME革命およびIT化によって、私たちの仕事はさらに専門分化させられ、全体の見えない、自己完結できない、したがって、生き生きとした手ごたえの感じられない、分業の断片におとしめられている。 ネットワーク化によって全体を取り戻し、生き生きとした手ごたえを取り戻す動きと言ってもいいのではないだろうか。 上も下もなく、「やらされ感」もないネットワーク型の組織へ自発的に参加する自立した個人が新たな可能性をひらき、日本を救う……か。閑話休題さてさてさて 今日はこれから府中市女性センターでのセミナー講師の仕事へ。3回連続で、自己理解と職業理解(適職発見)、履歴書と職務経歴書の書き方、面接での自己PRについてお話しします。 どんな出会いがあることやら。わくわくわく。閑話休題さてさてさて 今日のセミナー第1日目は、2時間立ちっ放しで元気いっぱい話すことができました。 終わった後の拍手大喝采がいつも以上に大きく聞こえ、うれしかった。役目を果たすことができ、役に立つことができたのかしら。 帰りにお医者へ寄った。エコーで胆嚢を調べてもらった。昼食をとってしまったので、胆嚢は消化のために胆汁を出しているところで胆嚢が縮んだ状態だったので、明確にはわからないものの、肥厚していないので、まず、胆石の心配はないとのこと。「胆石だったら、空腹時ではなく、食後にみぞおちが痛むはずです」 ううむ。素人判断はやはり危険であったか。それではこのみぞおちの痛みの正体は何? 十二指腸潰瘍だそうだ。足の怪我のことを話したら、多分、ストレスが原因でしょうと。 ううう。私の消化器は恐ろしく頑丈だと思っていたけれど、ストレスには弱かったのね。でも、うつ病のほうに症状が出なくて良かった。肉体のほうが精神よりもヤワだったわけね。 いずれにしても、しばらくは禁酒、禁グルメです。消化のよいものを、栄養のバランスを考え、腹八分目に食べるとよいそうです。 また、薬局でもらったパンフによると、「十二指腸潰瘍を患う人のピロリ菌感染率は90%以上」とのこと。ううう。さっそく帰りにピロリ菌対策にいいというヨーグルトを買い込んだ。普段、ヨーグルトってあまり食べないのでいいかもしれない。 そして、これを機会にリバウンド気味だった体重を元に戻し、さらにもうちょっと減らそう。目標はあと9㎏減です。 というわけで、明日からまたダイエット日記を復活しようかな。題して「栄養・運動・休息のバランスを考えて健康ダイエット!」
2003年06月13日

午前中は、ヨーロッパの労働組合の現状について調べるため、UNI(ユニオン・ネットワーク・インターナショナル)という国際団体の日本事務局へ取材に行ってきました。この団体は、商業・サービスに関する産業別労働組合の国際組織で、組合員は世界140カ国の1,550万人にのぼります。 日本からはNTT労組、KDDI労組、情報労連、全逓、全郵政、損保労連、生保労連、サービス・流通連合、UIゼンセン同盟、自動車総連、全印刷、日放労が加盟しています。 話の中でとくに私が関心を持ったのは、下記のような点です。レポートの主要テーマにしたいと思います。1)欧州では労使共同で企業の社会的責任のあり方について討議し、行動規範を作成し、社会に公表するということを盛んに行っているが、日本ではそのような動きがほとんど見られない。日本では経営主導でコンプライアンス体制をつくり、自主行動基準などを作成・公表している。2)欧州の組合運動も日本同様、組織率の低下に悩んでいる。連帯感、仲間意識の醸成については、これまでのやり方を繰り返すのみで、新しい手法を生み出していない。3)日本では成果主義の導入によって、社内で机を並べあう仲間がライバルとなり、仲間意識や連帯感が薄れることが危惧されているが、欧州ではそのような危機はないか?あるいは乗り越えられたか?⇒ともに学びあい、職業能力を高めあう環境づくり、教育システムづくりを組合が積極的に進めており、そのような問題は克服されている。4)欧州の組合活動においては、正社員ばかりではなく、パートタイマーや派遣労働者などの非正規労働者も参加している。その背景には「同一労働同一賃金」が実現しているということがある。しかし、日本においては非正規労働者の参加については今後の課題であり、まだ進んでいないが、UIゼンセン同盟など、今後の主要テーマとして掲げ、積極的に取り組む姿勢を打ち出しているところもある。 前の日記にも書きましたが、日本においては正社員とパートの賃金格差が年々拡大し、パートの労働条件は悪化する一方です。この状況を打開するためには、組合による異議申し立てが絶対に欠かせません。 パートタイマーを組合に仲間として招き入れることについては、正社員側の抵抗が少なくないようです。賃金の安いパートからは高い組合費を徴収できないので、安く設定することになる。となると、負担が少ないのに、同じ権利を与えるのはおかしいという議論が出てくる。そんなところでつまづいているそうです。うーむ、さもしいというか、なんと言うか。「働く仲間」という言葉の響きが、頼もしく、好ましいものとして伝わってこないようでは、労働者は幸せからどんどん遠ざかるのではないでしょうか。 取材が正午過ぎまでかかってしまい、昼食ぬきで、次の打ち合わせの場所である西新宿へ。 こちらでは、新しいボランティア組織を立ち上げるためのディスカッションを某医療関連企業の社長、取締役、IR担当部長とともに行いました。 ボランティアの意義、目的、やりがい、難しさなどについて、かなり奥深い討議ができたと思います。 私にとっての最近のテーマである、「自己実現の次に来るもの」に関わる問題でもあり、今後、さらに深く考えていきたいなあ。 人は他の人との交わりや、つながりの中に自分の居場所を見つけ、安らぐことができるのではないでしょうか。 そんなことを考えるにつけ、仕事仕事に追われて友達に会う時間がなく、足の怪我でジム仲間と一緒に汗をかくことができず、胃の不具合で飲み仲間と鯨飲馬食できないのがなんともつらいなあと、電車の中でひたすらおちこみ、みぞおちの差し込むような痛みに耐えるのでした。 なんとか気を取り直して、原稿かくぜー。閑話休題さてさてさて 胃の痛みの正体がだんだん見えてきた。 痛むのはみぞおち周辺で、キリキリと絞り込むように痛い。みぞおちより上の筋肉が引っ張られるのか、胸や肺のあたりまで痛いように響く。それで不安がいっそう広がるのだ。 その痛みをよーく味わってみると、やはり、痛みの中心はみぞおちにあるらしい。 ネットで調べてみると、空腹時にみぞおちが痛む場合、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、胆石が疑われるとのこと。 ストレスが原因だとすると、胃潰瘍か十二指腸潰瘍が疑われる。 でも、以前に薬で散らしてなんとか治した胆石がいちばん怪しい。あのときの差し込むような痛さは半端じゃなく、胃が痙攣するような痛みだった。あの当時に比べればマシだけれど、同じ種類の痛みのような気もする。 昔からうちの父方の女系は胆嚢に問題ありと指摘されてきて、私も子供のころに言われたことがある。食生活が原因なのだろう。 ネットの中に気になる記述があった。「真夜中から明け方にかけて痛む」。まさにドンピシャ。これは胆石の症状だそうだ。 というふうに、冷静に分析してみると、心が落ち着いてくる。 身体の痛みは、人をひどく不安にさせるものだ。肉離れのときもそうだったし、今回の胃の痛みもそうで、昨夜の日記のように不安が嵩じて自暴自棄的になってしまう。 不思議なもので、痛みの原因や痛みを起こす仕組みがわかり、病名がつけば不安の大半はなくなり、それで痛みが小さくなるような気がしてくる。 まさに「病は気から」だ。 というわけで、来週、時間ができたら近所のかかりつけ医のところへ行こう。それとも、土曜日の午前中にしようか。 昨日から腰が痛い。運動不足で座ってする作業が多いせいかとも思ったけれど、腰の痛みも胆石の症状だそうだ。それも、右腰、右肩の痛みなど、右に偏るのが特徴とか。うーむ、あたっている。 胆石かどうか特定するには、血液検査とエコー検査を行うとのこと。特定できても即手術というわけではなく、発熱や黄疸、激痛といった進んだ症状が見られなければ薬で治療するらしい。 それならまあ、仕事に穴をあけずに済むし、なんとか治療と仕事を両立できそうだ。 心の落ち着きどころがわかって、ひと安心。あとは賢く対処するのみ。 おっと、右肩と右腰が痛い。どうやら間違いなさそうだ。 毎年、8月が近づくたびに「今年こそは長期休暇を!」と思って果たせないのだけれど、本当に今年こそは取らないとヤバイぞっと。 おまけ。胆石は日本でも海外でも女性に多い病気だそうで、欧米では胆石にかかりやすい人の特徴を「5つのF」で表すそうです。●Female(女性)●Fair(色白できれいな、金髪の)●Fatty(脂肪質の、太った)●Fourty(40歳代の)●Fecund(多産の) 最後以外は全部当てはまるかもね。えへ。 全文はこちら↓ 胆石についての知りたい情報を漏れなく網羅しています。http://health.biglobe.ne.jp/md/colum03/item09.html
2003年06月12日
今度は胃に来てしまいました。左足を怪我して以来、右足に体重の過度な重みを感ずることが多く、減量せねばと思いつつも、食生活をなかなか改められないことに対する、胃のストライキかもしれませんね。 空腹時に痛むので、胃の粘膜が荒れているのかしら。胃と食道全体、胸のほうまで大きな手で鷲づかみにされたような圧迫痛をときどき感じます。 ちょっと心配になって、こんなサイトを探し当てたりしました。みなさまもお試しあれ。http://www.kenkou-club.or.jp/check.html 8月までには仕事が一段落するので、人間ドックとやらに入ってみようかな。何しろまともな健康診断というものは大学4年のときに一度しただけで、以来、ン十年間していないのでした。あちゃー。いくらぐらいかかるのかな。 ともあれ、週末以外は当面禁酒と心に誓うのでした。守れるかな。それと、以前、成功した小松菜ジュースのダイエットを再開すべく、小松菜、トマト、キウイ、レモン、青じその5点セットをそろえました。玄米食も始めてみようかな。ぼちぼちやります。 ♪閑話休題♪さてさてさて♪ 自分ではそんなに「頑張り屋」なつもりはなく、サボリ魔なぐらいだと思っていたのですが、どうも自己認識が違っていたようで、周囲の人から「無理しないで」「休みなさいと神様が言っているのよ」と、毎日言われてしまいます。 上手に脱力する方法を習得しないと、長生きできないよね。脱力します。 と、言いつつ今日も朝からあくせく仕事中。 いま、ネット上でのキャリア教育システムに関する企画書を1本仕上げたところ。ジョブクラブのネット版を構築するというビッグプロジェクトです。 成功すれば巨万の富……とはいかないだろうけれども、自分の周りの壁を乗り越えられず、目的を見失っている人のために何らかの支援ができればと思います。 今日は午前中に打ち合わせ1件と、夕方、労組の最新事情についての取材が1件。最近の雇用状況をいろいろ調べてみて、企業側のリストラやり放題な弱肉強食状況を食い止めるには、もっと労組に頑張ってもらわねば!と思っているところに、この仕事が入ってきたので、私にとっては実にグッド・タイミング!です。 昨日、仕事の帰りに興味深い本を見つけました。『窒息するオフィス 仕事に強迫されるアメリカ人』(ジル・A・フレイザー著、森岡孝ニ監訳、岩波書店) 少々長いけれど、腰巻の宣伝文を引用します。>本書は2001年に出版されて大きな話題となったアメリカのホワイトカラーの過酷な働き方を描いた衝撃のレポートである。著者は、さまざまな大企業のなかで仕事に押し潰されている多数の男女に4年にわたりインタビューをしてきた。そして、M&Aとレイオフが連動した株価至上主義の猛烈経営が、いかにアメリカのホワイトカラーをスウェットショップ(搾取工場)状態に追いやってきたかをリアルに描きだした。ここに語られているのは、IBM、AT&T、シティバンク、インテルなど、誰もが知っているアメリカの大企業の、日本ではよく知られていない近年の変貌の有様であり、そのオフィスで働く人々の悲痛なうめきと怒りである。 ううむ……重いテーマですね。いま読んでいる「べてる家」のルポが読み終わったらとりかかろうかな。併読しちゃうかも。 ♪閑話休題♪さてさてさて♪ 今日の仕事の成果はユニークというか……。刺激的な発言を聞くことができました。 いわく、「白馬の王子様はやって来ない」。「結婚で人生が変わるから、ライフプランをつくっても意味がないと多くの若い女性はいうけれど、アホちゃうか。結婚はリスクやで。リスクマネジメントなしに、ようけ生きとるなあ。おそろし」 いわく、「過労死するほうが悪い」「死にそうに疲れているなら会社を休めばいい。夫がそこまで疲れているふうだったら、最愛の妻なら、なんとしてでも会社を休ませにゃ、あかん」。 どちらも私の発言ではないですよ。絶対に違いますからね。詳しくはまた明日以降に。 もひとつおまけの独白。 胃の痛みが半端じゃないので、癌かもしれないと、一瞬考えた。バリウム飲んでレントゲン撮るか。ま、そこそこ若いので、急変ありで余命3ヶ月だったりして。それで、思い残すことは無いか? 無いと言い切れるか。 うーん、難しい。死んだら化けて出てやりたい相手の顔はすぐに思い浮かぶのだが。あはは。 癌で入院すると、国保でカバーできる範囲でも最低40万円ぐらいかかるらしい。きびしー。長引いたら、払えんぞ。医療保険にも入っているが、独身の私は、金銭以外の面で親にかなりの負担がかかるだろう。 親よりも先に死ぬことは、絶対に許されないと私は思う。彼らの悲しみを思うとそれだけは絶対にしたくない。 と、思いつつも、可能性もないのに手厚い入院加療も好ましくない。 やっぱ、理想は燃え尽きてある日突然、死ぬことだわ。これは、一本独鈷で生きる人間に許された最後の贅沢であると同時に、覚悟だわさ。 本人が満足しているんだから、おかあちゃん、おとうちゃん、許してってことにしといて。 なーんて言いつつ、多分、私は80歳過ぎまで生きるでー。うちは長寿の家系なんです。祖父母ともに86とか87まで生きました。 おやすみ。明日もきっといい日だ。
2003年06月11日
仕事で、食に関する「資格」をあれこれ調べました。当初は、専門店や百貨店・スーパーの売り場などで、より詳しい商品情報や生活の中に上手に取り入れるためのアドバイスを提供するなど、顧客満足度の高い接客ができるプロを育てるライセンス制度として出発しましたけれども、そのうちに主婦やOLなどの女性受講者が増え、人気が急上昇したというものもあります。 チーズ、ワインなどの外国から来た食文化を日本によりよく伝えるインストラクター的なものと、日本酒、そばなどの日本の伝統的な食文化の再発見を促すアドバイザー的なものとがあります。 また、野菜や果物などの身近な素材についてより深く知り、アドバイスできる「野菜と果物のソムリエ」や、家庭料理のレベルを問う技能検定試験なんていうものまであったりします。「江戸ソバリエ」はその名が示すとおり、プロ向けというよりも遊びゴコロ満点の資格です。日経新聞(5月10日朝刊)に載った紹介文を少々引用しましょうか。>一般消費者が対象で、希望者は10~15軒のそば屋を食べ歩いた後にそば粉、つゆなどの講義を受け、そば打ちも体験する。これらを踏まえたリポートを提出すれば認定される仕組みだ。 では、参照先一覧を一挙掲載。●海外の食文化を伝えるhttp://www.tea-a.gr.jp/ ティーインストラクターhttp://www.cheese-professional.com/ チーズプロフェッショナルhttp://www.sommelier.or.jp/license/index.htmlワインエキスパートhttp://www.beertaster.org/ビアテイスター●日本の食文化を伝えるhttp://www.nihon-cha.or.jp/ 日本茶インストラクターhttp://www.city.chiyoda.tokyo.jp/tokusyu/npo/teian_06.htm 江戸ソバリエhttp://www.sakejapan.com/ きき酒師、焼酎アドバイザー●その他http://www.vege-fru.com/ベジタブル&フルーツマイスターhttp://www.eiyo.ac.jp/fuzoku/shogai/ 家庭料理技能検定 興味のある方はご覧ください。受講料はいずれも高めです。趣味に払うお金としてはちょっと高いかな。でも、他の人に差をつけたい気持ちのある人をくすぐる程度の価格設定とも言えますね。もしかするとプロになるきっかけが得られるかもしれないし。 華道、茶道じゃなくて、「紅茶教室」「日本茶のおいしいいれかた教室」「利き酒道場」「ワインさろん」「チーズとワインのカルチャーサロン」なんていうのが巷に流行るのかしらん。私がやるならさしづめ「はしご酒道場」ですかね。うふふふ。 資格といえば、以前、「ケイコとマナブ」のライバル誌である「マイレッスン」という月刊誌に、資格に関するQ&Aを連載していました。その内容を更新してカウンセラー仲間でつくるミニコミ誌に掲載し、さらに「カウンセリングフォーラム」と題したHP上で公開しているのですが、その煩雑な作業を引き受けてくれている志の高いTくんがこのたび、最新版をアップしてくれたので、URLを記しておきます。よかったら、こちらも見てね!http://www.246.ne.jp/~diver-t/cf-tomojo01.html資格カウンセリング
2003年06月10日
朝5時に目覚ましを鳴らしたが、カラダがだるくて起き上がれず、とりあえずテレビのニュース番組をつけっぱなしにしておいた。 国民生活金融公庫で融資を受けて独立開業した人に対する追跡調査のデータについての話題が出て、「おや?」と思った。ようやく頭脳の回路にスイッチが入ったか。 サラリーマン時代に比べると、労働時間は増え、収入は減ったという人が多かったが、満足度に関しては80%以上の人が満足しているとのこと。 この数字はちょっと高すぎるなあ。インターネットで国民生活金融公庫のデータを探してみた。↓http://www.kokukin.go.jp/pfcj/pdf/jikokoyo_021219.pdf 自己雇用者(≒自営業者)に関する実態調査2002年8月実施 おそらく上記のデータを元にして、統計学的に足してはいけないデータを足したんじゃないかと怪しんでいる。テレビは「消えモノ」だから、データについてはいい加減なことが実に多い。テロップやフリップの誤字なんて日常茶飯事だしね。 それはさておき、このデータの面白いところは、「自己雇用者」という言葉を使っている点だ。 英語に“the self-employed”という表現があるそうだ。その定義は、「本人もしくは本人と家族のみで稼働している個人事業主」。 なぜ、いま、この表現を使うかについて、同調査では次のように書いている。>自ら事業を営むことによって自ら就業の機会をつくり出す性質をもつ。事業を営む点に着目すれば「自営業者」、自分自身を労働力として使用している点に着目すれば「自己雇用者」と呼ぶのがふさわしい。>失業者が高進し、経済の成熟化や雇用慣行の変化から企業の雇用吸収力にこれまでほど期待できなくなっている中、自ら就業の場を確保する存在として、その意義が再評価されてきている。 雇用吸収力に限界が来ていることは、厚生労働省などのデータを見れば一目瞭然で、ここ数年、雇用者の総数は全く伸びていないどころか微減している。同時に、専業主婦の数も減ってきている。 独立開業を積極的・肯定的に捉えて活路を見出していかない限り、フリーターや長期失業者といった消極的・依存的な人たちがこれからもっともっと増えていくだろう。 それにしても、「自己雇用者」っていう表現はあまりカッコよくない。昔からよく言う「社長兼小間使い」的な響きがある。若い人なら、「フリー・エージェント」といわれたほうが気分がいいかもしれない。ただ、ITやクリエイティブ関係ならこの呼び名がしっくりくるが、店や何かの拠点を構えて営むとすれば、「フリー・エージェント」では尻のあたりが落ち着かない感じがするかな。 調査データのほうに話を戻すと、仕事の満足度について、一般企業の雇用者、自己雇用者、企業経営者(従業員数20人以上)の三者を比較したデータは次のようになっている。かなり満足している+やや満足している(%)雇用者…………3.6+26.9=30.5自己雇用者……9.3+43.2=52.5企業経営者……13.7+48.7=62.4 一方、「心の豊かさ」に対する満足度としては、雇用者…………4.7+34.4=39.1自己雇用者……8.7+38.4=47.1企業経営者……9.7+42.8=52.5 雇用者についてのデータは連合総合生活開発研究所のデータから持ってきたとのことだ。 仕事の満足度、心の豊かさともに自己雇用者の満足度は、雇用者と企業経営者の中間というわけである。興味深いのは、仕事の満足度は雇用者と自己雇用者の差が大きいのに対し、心の豊かさの満足度ではその差が縮まっている点。仕事の満足度が大きければ、心の豊かさの満足度も同じぐらい大きいというわけではなく、ちょっと小さくなってしまうという点に興味がそそられる。 一方、雇用者については、仕事の満足度より、心の豊かさの満足度のほうが高い。これはどういうことだろう。やっぱり「サラリーマンは気楽な稼業」なのかしらん。 ともあれ、仕事人間の限界に、みんな気づき始めているんじゃないだろうか。スタミナドリンク飲んで24時間闘っても、ちっとも楽しくないものね。 仕事のやりがいが、バリバリやるってことのやりがいだとしたら、そんなものの魅力はもうずいぶん色褪せちゃったということかもしれない。 ここ数日、日記で繰り返し書いている「自己実現」の限界ということかな。 この調査でもう一歩踏み込んで、では、あなたの心の豊かさの満足度を高めるためには、仕事のやりがい以外に何が必要ですか?とたずねて欲しかった。 なんでしょうね。
2003年06月09日
オーガズムについてもう少々。私が初めてそれを体験したとき、古い私が死に、新しい私に生まれ変わるような感覚を味わいました。 言葉ではうまく説明できないのだけれども、丸ごと死んで丸ごと生まれるみたいな感じ。死ぬといっても、過去を丸ごと否定するわけではなく、現在と未来を絶対的に肯定する、強烈な「YES!」の感情というかな。 何が「YES」で何が「NO」かなんて、選ぶこと自体がバカバカしいような感じ。「そんなのYESに決まってるじゃん!」っていうか。 細胞レベルで見れば、私たちは日々死に、日々生まれているわけで、全く同一のものではなくなっている。髪が抜けて新しいのが生えてきたり(生えない場合もありますが)、カサブタがとれてキレイな新しい皮膚がその下から出てきたり、そういうことが毎日どんどこどんどこ起きているのですよね。 つまり、私たちは死によってその活動が永遠に停止させられるまで、死んでは生まれ、死んでは生まれ、死んでは生まれを繰り返している。ぐるぐる廻り続けているのですね。死んでからもそれが続くというのが「輪廻転生」の考え方ですね。 昨日の私と今日の私は全く同じじゃないという考え方もアリなのだけれども、それでは社会が成り立たないので、「私は私」「あなたはあなた」「約束は約束」「女は女らしく」「男は男らしく」「大人は大人としての義務を果たし」「大人と子どものあいだのケジメをつけて」云々云々ということがどんどん派生してくるのでしょうね。 人間が「自己同一性」(アイデンティティ)というものについて悩みだしたとき、自然や「生」そのものからの乖離、逃避が始まったのではないでしょうか。 日本には昔から「無常観」というものがあって、川の流れや、祇園精舎の鐘の音や、沙羅双樹の花に自らを仮託し、変わり行く自然と変わり行く自分を重ね合わせるということをごく普通にしていたのですね。 無常は無情や非情ではないから、べつに悲しいことや苦しいことではないような気がします。むしろ、無常の中にこそ「情」があるというか。 ものごとはすべて同じではなく、変わることを運命づけられているからこそ、この一瞬一瞬を慈しみたい、そこになんらかの意味があると考え、その意味を探求したい、その積み重ねで「生きる意味」を見つけたい。 いまはなんだかそんなふうに思っています。閑話休題★さてさてさて★ ご心配かけてスミマセン。徐々に快方へ向かっていますから、どうぞご安心ください。 今日、スポーツクラブへ行ったら、みんな私の性格を熟知しているのか、20ぺんぐらい「無理しないでね」といろんな人から言われてしまいました。うれしいような、怖いような。 大丈夫、大丈夫。今度ばかりは身に沁みました。 なーんて言ってるそばから、今日はバイクも漕げたし、水泳も100m背泳で泳げちゃった。バイクの負荷は前の半分がやっとで、水泳のタイムは前より断然遅いけれど、足の痛みを感ずることなく、こなせました。 来週からエアロビクスもイケるかな……はいはい、無理しません。あと1週間はガマンします。するってば。 今日でちょうど怪我してから2週間。全治3週間といわれましたから、あと1週間ですね。 色々考え、学んだ2週間でした。 私はまだ治るからいいけれども、世の中には大怪我して一生歩けなくなってしまった人や、生まれつき歩けない人や、足を失ってしまった人もいるのですよね。 そういう人たちは、思いっきり走る夢を見るのかなあ。切ないなあ。かわいそうだなあ。 どうやって、気持ちに帳尻を合わせているのだろう。 食いしん坊でなかなか痩せられないとか、性格が捻じ曲がっているから男の人に好いてもらえないとか、姿かたちが美しくないとか、そんな悩みはまだまだちっちゃいなあと思うのでした。 そもそも比較の問題じゃなくて、私がいまの私であることにはやはり何か意味があるのだろうなあ。その意味をトコトン突き詰めて考えると、社会とのつながりも見えてくるし、現世を超えた前世や来世とのつながりもあるのかもしれないという気もしてくる。 私は信仰がないので、心理学や哲学の立場からですが、「生かされている自分」についてあれこれ思う今日このごろでした。
2003年06月08日
悪い足をかばって変な歩き方をするせいか、あるいはようやくカラダの悲鳴を感じ取れるココロになったのか、家に帰ってくると疲労困憊で何もできなくなるどころか、カラダと一緒に泣いてしまう……そんな昨日でした。 家でウジウジしていてもしょうがないので、運動はできないものの、スポーツクラブへ行き、6階の露天ジャグジーにつかってココロとカラダを癒したのでした。 夜風がキモチいい。建物が面している山手通りの車の騒音も、水の音やBGMのヒーリングミュージックに集中しているうちに、やがて聞こえなくなってくる。都会の中のオアシス。この時間帯は人がいないから、独占できちゃうのだ。 湧き上がってくるあぶくを見ていると、何だかココロが洗われるような気がする。湧き上がる力に誘われて、色々な感情が思い出され、それを丸ごと洗濯する感じ。 昨日、マズローの六段階目の欲求とトランスパーソナル心理学の話をしたら、やはり唐突だったのか、私の説明がへたくそだったのか、オカルトチックな印象を与えてしまい、受講者から笑われてしまった。とほほ。 大病して信仰に目覚める話をよく聞くけれども、私もそのたぐいと思われてしまったかしらん。 でも私は昔からウィリアム・ジェームズやウィリアム・ブレイクが描いた「知覚の扉」を開けると見えてくる向こう側の世界に興味があったから、結構、筋金入りなんだけれどなあ。べつに、足を怪我したからってワケじゃない。引き出しの奥にしまいこんで忘れていた宝物をいまになって取り出してみたような感じかな。 この私という存在が、私という「容れ物」を超えて、あらゆる生命とつながっているという考え方は、なかなかステキだなあと思う。 子どものころ、死んだらどうなるのかを夜、ふとんの中でえんえん考え、結論は出ないし怖くなるし悲しくなるし……なーんて体験をした。 いまでは死ぬことは少し怖くなくなった。身近な人の死にいくつも触れたせいかもしれない。いつかは死ぬんだからこそ、生きる意味を味わって生きたい――そんな境地かな。 松戸から帰る電車の中で読んだ本の一節が忘れられない。キューブラ・ロスの体外離脱体験を描いた文だった。ちょっと長くなるけれども、実にリアルに感動が伝わってくる美しい文章なので、引用します。>そのときはじめて、自分が肉体からぬけだしてエネルギーになっていることに気づいた。目の前に、この世のものとは思えないほど美しい蓮の花の群落がひろがった。花はスローモーションのようにゆっくりとひらいていた。ひらくにつれて輝度をまし、色彩が豊かに、精妙なものになっていった。無数の蓮の花はじわじわと寄り集まり、ついには巨大な、息をのむほどに美しい、ひとつの花に変わった。その花の背後から光が差してきた。それがどんどんあかるくなり、まぶしく霊妙な光になった。わたしの患者たちがみたという、あの光とまったく同じだった。>その巨大な蓮の花のなかをとおりぬけて光と一体になりたいという衝動にかられた。効しがたい引力に吸い寄せられて、光に近づいていった。その霊妙な光こそが長く苦しいたびの終着点だという確信があった。みじんも急ぐことなく、自分の好奇心に感謝しながら、私はその振動するやすらぎと美と静けさを堪能していた。……壁も、天井も、窓も、窓外の木々も、みるものすべてが振動していた。>視野はどこまでもひろがっていながら、草の葉から木製のドアまで、細部にわたってその分子構造の自然な振動がみてとれた。畏怖を感じながら、万物にいのちが、心性が宿っているさまをながめていた。そのあいだも、わたしは蓮の花のあいだをとおりぬけ、光に向かってゆっくりと移動しつづけていた。そしてついに、光とひとつに溶けあった。あたたかみと愛だけが残った。100万回のオーガズムも、そのときに味わった愛の慈悲深さとこまやかさにはおよばなかった。(『人生は廻る輪のように』より) 100万回のオーガズムかあ。すごいなあ。 ……なーんてことを書きながら、ジャニス・ジョプリンを聴きながら。そろそろお昼ごはん食べないとね。 ……。 机に向かったものの、ひどく疲れていて仕事に取り掛かれない。居眠りをしてしまった。背中が痛い。 カラダが変化し、人生が変化する節目の時期で、「休みなさい」ということなのかもしれないね。 昨夜から妙に人恋しくて、なじみのバーへ行きたいなあと思いつつも、人込みや階段を思い浮かべて億劫になる。 せめて美味しいお酒でも飲みたいなと、今日もインターネットで白ワインを注文した。千円台のものを選りすぐり、6本で消費税+税込み10,080円と、われながら上手な買い物でした。これからの時期は、よく冷やした白ワインがウマイ。「今夜は家にいるの?」と、父。迷っていたけれど、「うん」と答えると、「小柱があるよ。何か作る?」「それなら天麩羅でしょう」と母。 ヤッタネ!今夜はご馳走だ。「ワイン蔵」をチェックしたら、天麩羅によさそうなグラーヴの白が冷えていた。準備万端だ。 ぼちぼち本気で仕事を始めないと。 ……。 変なタイトルつけやがって……日記リンクはずそうなんて思っている楽天の方もいらっしゃるかも。まことに申し訳ありません。お詫びの気持ちで「?」だけつけ加えました。えっ?反省が足りない?スミマセン。 計算してみると、100万回のオーガズムを得るためには、1日3回として、122年かかりますね。そりゃ無理だわ。ぜーぜー。 ええーと、この話題でどこまでも引っ張ることもできますが、あー、賛否両論ありそうなので自主規制しますです。えー、自慢話になりそうなので(*^_^*) やばっ!発言撤回ね。発言撤回。何はともあれ、生きていくうえで、ユーモアの精神を忘れてはいけません。そうです。ユーモアです。 あーしたてんきに、なーあれ!
2003年06月07日
これから松戸の女性センターへ行ってきます。「しごとサポートボランティア」養成講座の第3日目。前回は、「働く女性の現状」をテーマに、各自が持ち寄った新聞記事などを材料にして小グループ別にディスカッションし、最後に講師の私がまとめとフォローを行うという構成でした。 その内容を受け、今回はなぜ、女性がそのような現状におかれてしまったのか、打開策はないのかということについてディスカッションします。 私のほうから用意した「まとめ」のレクチャー用のレジュメの構成は次のとおりです。1.女性の職場進出を妨げているものは何か2.厚生労働省の支援策について3.「女性のチャレンジ支援策」について4.就業意識のあり方を問い直す5.男女共同参画のために必要なこと6.働き方の多様な選択肢について考える7.キャリアアップを成功させるために必要なプロセス資料 天職の見つけ方「女性の職場進出を妨げているものは何か」と考えれば、大きく分けると3つになると思います。1)社会>企業>地域2)女性自身の問題(就業意識、エンプロイアビリティー等)3)家族 もっと大きく2つに括り、女性の外側の問題と、女性の内側の問題と分けてもいいのですが、その中間の家族の問題にも視点を置いたほうがいいかなと。1)や3)については、参加者のディスカッションから多くの問題点が指摘されるかと思いますので、私はとくに2)についてのフォローをしようかと思います。 結局のところ、本人がその気になり、行動の変容を起こさない限り、何も変わらないのですからね。そして、私および「しごとサポートボランティア」の使命は、そのための「気づき」を促し、エンパワーメントすることにあるのです。 とはいえ、いまの企業社会のありようは、多くの女性にとってあまりにも居心地が悪く、もっともっと改善すべき点があります。社会の共同意識というか、共同幻想のようなものに働きかけ、そこに変容を促すことができる……いや、それはかなり難しいが、少なくともそういった共同意識が「ある」として輪郭を切り取って提示して見せることができるとしたら、それはジャーナリストや学者の役割になるのでしょう。 カウンセラーとジャーナリストの「二足のわらじ」を履く私は、個人と社会の双方にアプローチをすることができる。これは大変な使命ですが、同時にやりがいを感じます。がんばらなくちゃね。 私が書いた卒業論文のテーマは、「個人と社会」でした。書き出しは役割論で、それからルソーやその当時の学校教育の状況(校内暴力が吹き荒れた時期でした)を引きながら、管理社会批判へ落とし込むという荒っぽい内容でした。考えてみれば、当時からいまに至るまで、私のテーマは変わっていないのでした。個人と社会の調和……。内的宇宙と外的宇宙の調和と言ってもいいかな。 そんなことを考えるようになったのは、物心ついたころから、「マイペースだ」「協調性がない」「自分中心だ」といった批判にさらされてきたからかもしれない。 そんなふうに批判というか非難されても私はあまり変わらなかったし、変えるつもりがなかった。だって、なぜ「マイペース」や「協調性がない」や「自分中心」が悪いことなのか、全然理解できなかったからね。 何日か前の日記のテーマ「ほんとうの自分なんて存在しない」に戻ると、この主張は、「ほんとうの自分探し」の迷路にはまって疲れている人を救うためのメッセージなんだけれども、私の場合、「ほんとうの自分」というものがあるのかないのかを悩む必要は全然なかった。だって、周囲と摩擦を起こしている異物としての自分が確かに存在するのだから、これは疑いようがない。でも、その「強烈な個性」の実態をいかに捉え、コントロールし、周囲と折り合いをつけていくかが難しかった。だから、「個人と社会の調和(その前には葛藤状態が当然あるわけだけど)」っていうテーマへ導かれたのでした。 ま、自分のことはいいとして、女性の職場進出を妨げている女性自身の問題に話を戻すと、ここでもまたマズローの六段階目の欲求や、フランクルの「生きる意味」を援用して話を展開していこうと考えています。※ご参考までhttp://www.mhlw.go.jp/wp/yosan/yosan/03gaisan/bunsyo1.html #5平成15年度厚生労働省予算概算要求の主要事項http://www.gender.go.jp/ 内閣府>トピックス>「女性のチャレンジ支援策について」http://saido.tripod.co.jp/maslow.html マズローの欲求階層説
2003年06月06日
専業主婦向けの再就職セミナー講師を担当して思うのですが、専業主婦の再就職先として、大手企業の正社員という道は、ほぼ完全に閉ざされています。 中小企業にしても同様で、正社員に登用されるのは難しい。残るのは、パートか派遣社員ぐらい。 職種はというと、多くの女性が望む一般事務は絶望的です。35歳を過ぎるとほとんど求人がない。可能性があるのは、ごく小さな企業や起業したばかりのミニ企業で、そこで望まれるのは、事務処理全般に長けた経験豊富なスーパーウーマンです。 既存の企業の多くは、男性による男性のための企業であり、もう少し希望的に言えば、男性中心の組織にフレキシブルに対応できる女性にも多少の居場所があるといったところ。 丹念に探せば、再就職志望の専業主婦にもマッチする企業が見つからないでもないけれど、「小さなお子さんがいるのに大丈夫ですか?」「ご主人は反対していませんか?」といった質問を面接で繰り返されるのにウンザリきたら、いっそのこと、自分で起業することも考えてみては?と、私は勧めています。 会社を作るだけが起業じゃない。個人事業主という方法もあります。いまハヤリの在宅ワーク、テレワークをゆるりとスタートしてみてもいい。 テレワークについては、↓このページで詳しく知ることができ、無料の「テレワーカー養成講座」で勉強できます。興味のある方はぜひ!http://www.japan-telework.or.jp/ 日本テレワーク協会 ただ、独りでできることには限度があるから、目的を同じくする仲間がいるなら、仲間同士でNPOやワーカーズコレクティブを始めるという選択肢だってある。 注意して欲しいのは、「お金を払えば在宅ワークに必要な技術を指導します。講座修了後は仕事を紹介します」という新手のビジネス。そして連鎖販売……これ自体は法律にのっとって行われるちゃんとしたビジネスですが、特商法や薬事法、消費者契約法の取り決めを守らないダーティな「マルチ商法」が横行していることも事実ですので要注意。 すべてが「悪」とは言えないが、安易に金儲けできそうと思って参入すると、必ず失敗する。いいですか?必ず、100%失敗しますっ! ステキな外車の前でニッコリ微笑んでいる写真のホームページをうっかり開いてしまったら、すぐに閉じること。あと、「借金地獄をこうしてのりきって月収ン百万円を達成!」といったウソみたいな成功談ネ。 私はビジネスライターとして、渋谷に本社のある某社や西新宿の某社をはじめ、主な連鎖販売の企業をほとんど取材して回っているので、何が順法で何が違法かをよく知っているのですが、上記のようなホームページを作ることは、本来、許されていません。本社の審査を受けずに独断専行でしているか、ビジネスの実態がきわめてダーティであるか、2つに1つでしょう。 起業に必要なのは、「金儲けしたい」というむき出しギラギラの欲望あるいは、「もはや私には起業しかない」という藁にもすがる切実な思いでもなく、キレイごとに聞こえるかもしれませんが、「使命感」ではないかと思います。「私がやらなくて、誰がやる?」「私が世の中から必要とされている」「私の力で世の中に貢献したい」という思いです。「やりたい」だけの人は、結局、できない。「できる」人、「必要とされている」人、「貢献できる」人が、起業によってなんらかの成果を生み出し得るのではないでしょうか。 もちろん、「やりたくない」人や、「やる気のない」人にはできません。でも、やる気があるだけでも、できない。 起業と自分の人生と世の中の3つがつながるような説得力のあるストーリーを持っている人とでも言いましょうか。 先日、予告だけしたマズローの階層欲求説ですが、ご存知の通り、人間のもつ欲求の中で最上位に位置づけられているのが「自己実現」の欲求です。でも、晩年のマズローはその上があると考えていたらしい。 それは自己を超えて、他者とのつながりによる協働の実現ともいうべきものに価値を見出そうとする欲求であり、その他者とは単に身近な人間にとどまらず、社会全体、そして時間軸すら超えて来世や前世といったものとのつながりも志向するような欲求です。生きる意味を問おうとする欲求とでも言いましょうか。 心理学者の諸富祥彦さんは、「つながり志向の自己実現」という言葉を使っています。 この点はもう少し説明が必要でしょうから、詳しくはまた続編で。 さて、ある女性起業家の本が出版されました。できたてのホヤホヤの新刊です。昨日、拙宅に郵送で届き、中身は何度も読んだはずが、ついのめりこんでイッキ読みしてしまいました。スラスラ読めるリズム感のある文章!すばらしい。一体、誰が書いたのだろう(謎)。ウフフ。『喪服は私のビジネススーツ』佐藤敦子著、 実業之日本社 新刊案内のサイトの紹介文に曰く、「愛児との死別、離婚を乗り越えた元専業主婦が福祉ビジネスで成功するまでの感動物語」。 愛児との死別なんて、実は言葉には言い尽くせない「地獄」だったと本人は言いました。その地獄を乗り越えるために、彼女には起業が必要だった。起業がすなわち、彼女にとって生きる意味だったのです。 エリートでもなんでもない、どん底に突き落とされた女性が、なぜ、起業できたのか。 それは決して特別なことじゃなくて、自分を信じて前向きに一歩一歩進んだ結果であることが、読めばきっとわかるでしょう。そして、読んだ後に元気になれるんじゃないかなあと思っています。 本屋さんで見かけたら、ぜひ、手にとってみてね。
2003年06月05日
養老孟司著『バカの壁』(新潮社新書)を読了した。面白すぎてこれもイッキ読み。養老さんがラフに語ったことをまとめた「語りおろし」で、文章はきわめて平易、明瞭。あっという間に読めてしまう。 カバー裏の宣伝文を引用すると……>いつの間にか私たちは様々な「壁」に囲まれている。それを知ることで気が楽になる。世界の見方が分かってくる。人生でぶつかる諸問題について、「共同体」「無意識」「身体」「個性」「脳」など、多様な角度から考えるためのヒントを提示する。 ただし、「私は賢い。バカなんかでは決してない」と考えている人には、むしろ難解すぎて理解不可能かもしれないので、おススメしません。ふふふ。 最近、私が読んだ本は皆どこかリンクしている。内田樹~橋本治~諸富祥彦~養老孟司。キーワードは、「私の身体はアタマがいい」「たったひとつの正解など存在しない」「ほんとうの私なんて存在しない」「生きる意味」等々。 さて、これらの概念を自分の中でいかに血肉化するかが、今後の私の課題です。 血肉化といえば、いま、私のカラダはまさにその作業で大忙しのようで、昨日からひどい貧血でクラクラ。足や、悪いところがジリジリ痺れている感じ。弱っているものを強化している作業の途中か、失われたものが再生されているのか。とにかくフル回転しているようすである。というわけで、アタマにまで血が回らないので、仕事も日記書きも遅れ気味ですが、ぼちぼちいきます。 ……。 ようやくアタマに血が回る順番が来たみたい。さて、これから14時までにエッセイを1本!テーマは太陽光発電です。16時からは例の六本木ヒルズの近くで取材があります。ついでに見物して来ようかな。バリアフリー度のチェックとかね。 ボーっとしてネットを色々巡回し、田口ランディさんのエッセイを読んだりしながら、朝日カルチャーセンターでの彼女の講演とその続きの内田樹さんの講演を申し込んだり、彼女がエッセイで触れていた精神障害者の共同作業所「べてる」についての本や、その関連で「ケア」に関する本などを紀伊国屋へ大量注文してしまった。http://journal.msn.co.jp/articles/nartist2.asp?w=245218 「べてる家の謎」田口ランディ これから書くエッセイの原稿料だけじゃちょっと足りないな。営業しなくては。 というわけで、増える「つんどく」一覧です。最近、インプット意欲旺盛すぎて、6月の書籍代はこの調子でいくと5万円を突破しそうな勢い。いや、昔に戻っただけです。最近、酒と服にお金使っていないからね。『シリ-ズケアをひらく 病んだ家族、散乱した室内援助者にとっての不全感と困惑について』(春日武彦 医学書院)『降りていく生き方「べてるの家」が歩む、もうひとつの道』(横川和夫 太郎次郎社)『心を癒す場切り捨て社会からの脱却』(横川和夫 共同通信社)『べてるの家の「非」援助論そのままでいいと思えるための25章』(浦河べてるの家 医学書院)『シリ-ズケアをひらく 感情と看護人とのかかわりを職業とすることの意味』(武井麻子 医学書院)『シリ-ズケアをひらく ケア学越境するケアへ』(広井良典 医学書院) 医学書院といえば、「医学界新聞」に連載していたエッセイは、担当編集者が退職してしまったので、どうやら打ち切りみたい。えーん。どこか、新しいエッセイの掲載先を見つけなくちゃね。だれか、私を買ってぇ。 ところで、田口ランディさんは、私と同い年だったということにいまさらながら気がついた。経歴も嗜好&志向もちょっとだけ似ている。うーむ。親近感を感じつつも、いささかライバル意識というかジェラシーだな。私もがんばろう。 今日の日記の表題からどんどん離れていくけれど、「ほんとうの私」なんて存在しないということは、田口ランディさんも彼女のエッセイの中で繰り返し述べている……と、内田樹さんが書いていた。探してみよう。「自分探しゲーム」っていうのは、彼女の造語だったか、それとも精神科医の香山リカさんか?
2003年06月04日
松葉杖なしでも歩く自信がつきました。念のため「転ばぬ先の杖」ということで、チャップリンのステッキは持っていくけれど。 今日は10時半から横須賀で再就職セミナー講師の仕事です。張り切って出発!最寄り駅は京浜急行の汐入です。 テーマは、「資格の選び方と活かし方」。今日はフランクル心理学の「生きる意味」と取り入れた話を初めてしてみようかと思います。フランクルとは、『夜と霧』でよく知られる、ナチ強制収容所を生き延びたユダヤ人の精神科医です。 なぜ、フランクル心理学かというと、「自分のやりたいことが見つからない」という人ばかりでなく、「自分のやりたいことは色々あるが、ひとつに絞れない」という人も多いことに気づいたからです。また、どちらかというと後者への対応のほうが難しい。対応を誤ると、激しい抵抗に遭ってしまう。 手がかりをキャッチフレーズふうに書くと、肥大化する欲望の時代にいま再び問う、人生の「生きる意味」とは? 自己実現が人間の最高レベルの欲求であると思っている人が多いのですが、この五段階欲求説を提唱したマズローが、実は六段階目の存在を示していることは意外に知られていません。それは…… さて、うまくいくかどうか。フランクルのいう「生きる意味」や講演の手ごたえのほどは後ほどご報告します。
2003年06月03日
晩酌を楽しみながら、父がひょんなことを言った。「藤の実が弾けて家の雨戸をたたき、びっくりするような大きな音がしたんだって。子どものころに教科書で読んだのだけれど、ほんとうだろうか」 誰か科学者が書いたエッセイのように記憶しているというから、それはおそらく寺田寅彦ではないかと見当をつけ、ネットで調べてみた。ビンゴ! 藤の実というのは、モロッコいんげんのように平べったい形をしていて、藤棚からぶら下がっているのを見たことがある。あれが乾燥すると中の実が弾け飛ぶのだそうだ。 父は「雨戸に当たった」と記憶していたが、実は当たったのは障子だった。雨戸となると、時は夜だろうし、私の子どものころの記憶では、雨戸なんて台風でも来ない限り閉めなかったから、かなり用心深い家なのかなあ。何か異物が雨戸に当たって激しい音を立てたとしたら、かなりの恐怖心をあおったであろう。幽霊だと思ったら枯れ尾花だったというオチになるのかしら……と思ったら、原典に描かれていたのはじつにのどかで平穏な暮らしのひとコマだった。>夕方帰宅して、居間の机の前へすわると同時に、ぴしりという音がして何か座右の障子にぶつかったものがある。>子供がいたずらに小石でも投げたかと思ったが、そうではなくて、それは庭の藤棚の藤豆がはねてその実の一つが飛んで来たのであった。(中略)>これほど猛烈な勢いで豆を飛ばせるというのは驚くべきことである。書斎の軒の藤棚から居室の障子までは最短距離にしても五間(けん)はある。(中略)>空気の抵抗を除外しても、少なくも毎秒十メートル以上の初速をもって発射されたとしなければ勘定が合わない。>あの一見枯死しているような豆のさやの中に、それほどの大きな原動力が潜んでいようとはちょっと予想しないことであった。寺田寅彦随筆集第一巻「自然と生物」よりhttp://www2.saganet.ne.jp/tukusi2/sikinohana/fuji.htm 藤はなぜ、そんな激しい力で種子を飛ばそうとするのか。少しでも遠くに飛ばし、子孫繁殖の勢力を広げようということだろう。 とすると、子種をばらまく色男のような奴だなあ、藤っていうのは。 そんなことをボンヤリ考えつつ、いじけた心をリハビリするのであった。 昨日は、バンドの練習を休んでしまった。座って歌うのではサマにならないような気がしたし、ウツな心は音楽を拒否していたのだった。練習スタジオのある自由が丘の駅の階段の上り下りも憂鬱だった。ドラマー卓ちゃんに車で迎えに来てもらう手もあったけれど、なんだか億劫になってしまった。ごめんね。 でも、家に閉じこもっているのは良くない。どんなときでも、女の子は、自分をキレイにすることを怠ったらおしまいよ。なーんて思い立ち、夕方、髪を染めに美容院へ行った。往復タクシー利用だけれど、松葉杖でなく、母が昔、交通事故の後遺症で足が不自由だったときに使っていたステッキを借りた。徐々にだけれど、回復は確実に進んでいる。 母がかつて医師から「障害者手帳をもらうように」と宣告されたとき、「絶対に嫌だ。意地でも歩けるようになってみせる」と言い張り、必死にリハビリに取り組んだころのことを思い出した。 しかし、道のりは決して平坦ではなく、負けそうになることも多かった。そんなときに母を励ますと、「お前なんかに、私の気持ちは分からない」と言われ、激しく傷ついた。 いまになってようやく、あのときの母の気持ちに近づけたような気がした。 思いやってもらえれば嬉しいはずなのに、なぜ、かくも激しく拒絶するのだろうか。そんなことをすれば、愛してくれる人を傷つけ遠ざけてしまうかもしれないというのに。 恐怖心、痛み、罪責感……そういったネガティブな感情が内側にたまりにたまり、それが限界点に達して暴発してしまうということだろうか。「誰も私の気持ちなんて、分からない」「誰も私を救えない」と言いつつも、それは必死の思いのSOSなんだろう。やっぱりかまってほしいのよね。 あのときの私は、母に対してなんと言ったのだっけ。抵抗のエネルギーの強さにたじろぎ、何も言えなかったような気がする。多分、悲しそうに微笑んだのじゃないだろうか。 激しい抵抗を表すのは、実は激しい愛を乞う姿なのかもしれない。こんなにひどいときの、こんなにひどい私でも愛して! それほど激しい、「真実の愛」を私は欲しいのだと主張しているのだろう。 愛は、試そうとすれば逃げていくものなのだけれども、そうせずには居られないのだ。 なんてことを、少し覚めた遠くの視点から考えられるようになったのも、回復の兆しかもしれない。 髪の毛は、赤毛っぽく染めてもらった。かなりいい感じ。るんるん。 松葉杖とは、もうバイバイ。ステッキなら、足元も軽やか。今日は夕方にスポーツクラブへ行ってみようか。6階の露天ジャグジーで夕日を眺めて過ごすのもいいなあ。
2003年06月02日
ちょっと暗い気分に負けそうな日々だったので、気分一新、お料理の話題を。 八百屋さんの店先で、美しい「翡翠色」が目立っていますね。グリーンピース、蚕豆、スナップえんどう、そして絹さや。 ある料理本で見つけた「絹さや炒め」に凝っている今日このごろです。 材料が安い、手早くできる、少量でも増量できる、ありきたりでない、しゃきしゃきした歯ごたえがうれしい等々、いいことずくめ。 絹さやは筋をとり、さっと洗い、ざるにとります。これを「千切り」にします。ユニークな発想でしょう。タテに四等分ぐらい、幅3~4ミリぐらいの細さかな。飛び出してくるお豆もこぼさないようにざるにとります。 鍋に湯を沸かして塩少々をふり、千切りにした絹さやをさっとくぐし、冷水にとって色止めし、ざるにとります。 フライパンにごま油を熱し、好みで種を除いた唐辛子の輪切りや、戻した干しえび(中華用の厚みのあるほう)を加えます。 熱々になったら火をとめ、よく水切りした絹さやを放り込んで油となじませ、塩、胡椒で味付けして出来上がり。宴会のときは、皿に盛った絹さやに、みんなの目の前で油をジュッと言わせてかけても楽しいでしょう。 絹さや炒めというと、切らないでそのまま炒めることが多いと思いますが、そうすると、時間を置くとヨレヨレになったり、中の水分がぐじゅっと出てくる感じが気持ち悪くて嫌だなあとずっと思っていたのですが、この千切りならみごとに問題を解決してくれるのです。 料理本では、湯がかずに生のまま炒めるようになっていましたが、いったん湯がいたほうが火の回りぐあいが均等になってよろしいかと思います。いったん、冷水に放ってあるので、シャキシャキ感もまさるんじゃないかしら。 糸のように細く切ったジャガイモと一緒に炒めてもいいかもね。さらに増量になるので、大人数のときに助かるでしょう。男性や子どもがいるときは、ベーコンの細切りを加えてもいいかもね。 翡翠色のごちそうを召し上がれ。
2003年06月01日
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