全16件 (16件中 1-16件目)
1
昨日の日記を読んでいただけましたか?もうひとつ重要なことを忘れていました!「あきらめること」昨日お話した「自分が負けを認めないと負けにはならないのだ!」「チャンスは最後まである」と反するように思いますが、そうではありません。人は不平等なもの。無理なものは無理。きっぱりあきらめること。とりあえず今日は生きていればよし。今苦境に陥っている方、とりあえず、寝る場所を確保して夜はゆっくり休みましょう。もし眼が覚めなかったら・・・後は誰かに任せましょう。そう考えたら楽になりませんか?(*^^)v人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月29日
コメント(19)
よく、法事に行くとお話することがあります。「人の悩み苦しみは自分の外にでなく心の中にあります」実際、最近そう思います。同じ状況に陥っても、ある人は悩み苦しむ、しかし、ある人は喜び張り切る。ただ単に自分の考えで、喜んだり悲しんだりしているに過ぎません。それが本当に良いことか悪いことか理解していません。「深刻な状況でも楽観的」というのが周りの私の評価?(*^_^*)「いやいや不利になってからが勝負ですよ」と言い放つので、神経が切れているという評価も(*^_^*)そういう風に、書くと「それは打開する能力があるからだ」と思われがちですが、それは「自信を持って」違います!(*^_^*)もともと、何をしても長続きしない性格(*^_^*)趣味なし、特技なし(*^_^*)そのうえ行動するまでの動きが恐ろしく遅い(*^_^*)さらに、事務・時間・金銭管理能力もなし(*^_^*)人間関係処理能力がなく、軽はずみな言動が多い(*^_^*)一般的に成功するためのノウハウ本などからすれば失敗する典型ですかね?(*^_^*)事実、人生での勝ちは・・・ほとんどないような気が(*^_^*)それでもしぶとく決定的な負けを回避して、引き分け?で生き延びてきたのには理由があります。(*^_^*)私が人に負けないもの「往生際の悪さ」と「短期的な集中力」普段の私は恐ろしく能力がないように見えるはず。実際にない(*^_^*)さらに、苦境に陥りやすい(*^_^*)しかし、危機的状況に陥った時に、一時的に集中力が上がる。多分、組みやすいと思っている相手はそれを知らないので、混乱する。そのすきに、延々と長い勝負に持ち込んで、時間切れ引き分けを狙う?(*^_^*)「自分が負けを認めないと負けにはならないのだ!」「チャンスは最後まである」今苦境に陥っている方、勝負はこれからですよ。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月27日
コメント(6)
以前「ネット世界の住人はひま人かバカ」という評論がありました。確かにご指摘の通りかも、知れません(*^_^*)ネット上で「拡散希望」などと書き込んだ文章を時折見かけます。結構、ちょっと考えれば荒唐無稽なのですが、興味半分で検索すると転載したものしか出てこなくて、ソースが判りません。(*^_^*)ところで、ごく最近「玄海原発の放射能漏れに関して宇和島市で通常の500倍の放射能を観測」という情報を発見!最初の感想は「放射能漏れは玄海原発じゃないだろう」玄海原発から200キロ離れた宇和島でそれほど強力な放射能が観測されるなら、現場付近ではかなり被害が出ているはず。そう考えると、玄海原発より近い30キロしか離れていない伊方原発の放射能漏れ?と思ったんですが・・・転載記事で誰も指摘してない???(*^_^*)それに、数値が出てきませんよ(*^_^*)通常値○○ 観測値○○ と書かないと検証しようがないんですがそれを無視して「通常の500倍の放射能漏れがあったのにマスコミが隠している」みたいな記事ばかりです。ちょっと計算してみました。暮らしの中の放射線によれば日本人の受けている放射線は3,75ミリシーベル/年すなわち0,01ミリシーベルト/日ぐらいです。通常の500倍ということは5ミリシーベルト/日たった一日で一年間に浴びるより大きい放射線を浴びたらどうなる?という疑問がわきますが、実はさほど影響ないのです。実はレントゲン撮影はかなり被爆します。胃のバリウム撮影は4,3ミリシーベルト、胸部CTに至っては6,8ミリシーベルト。今回のケースよりはるかに大きい値です。レントゲン撮影がガンを引き起こす可能性も指摘されていますので、安全とは言えませんが、気にするレベルではありません。一方、放射線量は距離の二乗に反比例します。つまり、玄海原発から宇和島の二倍の距離にある徳島なら、放射線量は約4分の1ので通常の125倍くらいでしょう。しかし、近いところでは加速度的に増えます。原発から約40~50キロの距離にある福岡市や佐賀市では宇和島の16倍~25倍の80ミリシーベルト~125ミリシーベルト赤ちゃんなどちょっと危険かもしかし、原発から10キロ強の唐津市では、宇和島の400倍すなわち、2000ミリシーベルト。放射性の体調不良の人がかなり出そうです。さらに、原発から4キロの玄海町では、宇和島の2500倍すなわち、12500ミリシーベルト。なんと・・・100%死亡!(@_@;)これはあくまでも仮定の話で、また、必ずしも放射線量=人体に与える影響ではありませんが、宇和島で玄海原発関連で500倍の放射線を観測するということはマスコミが隠せるレベルではないということです。ネットではマスコミが報道しない情報も得られますが、一方ではデマも流されているということは理解したいです。ちなみに私は原発反対論者ですが、こういう極端なデマで恐怖を煽ろうとすることはやめてほしいです。ちなみに温暖化で南極の氷が解けるというのもデマ検証してします。南極の氷が解ける?南極の氷が解けるのは15万年後!3たびなんだかな~? な話人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月26日
コメント(14)
昨日の日記は少し感情的に書いてしまいましたが、「坊主が政教分離を訴えるのはけしからん」というニュアンスは伝わったでしょうか?(*^_^*)法律論はさておき、冷静に宗教的観点からこの問題について書いてみたいと思います。靖国神社を擁護?しているので、私は神社神道に対して好意的に取られていると思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、それは違います。実は神社神道こそは仏教の仇敵?なんです。江戸時代までは神道は日本古来の教えを伝えてきた存在です。しかし、明治政府の天皇を国家の中心とすることを前提に全国の神社を組織化します。その過程で、それまでの祭神を破棄して、天皇制に基づく神話上の祭神に変更し、仏教系の神様は無くなってしまいます。こんなものは、宗教ではありません。本来は、日本が敗れた時に、国家神道はやめて、祀られている神様をもとに戻すべきでした。なぜか多くの神社はそれをしないで現在に至っています。神社はもともと、その土地が特別な場所に造られています。それゆえ、その土地自体に価値はあります。お参りする価値がないとは言いませんが、祭神自体は偽物で敬う価値があるとは言い難いというのが私の見解です。だから、神社にお参りするときは、その神社の祭神でなく、もともと祀られていた神様にお参りすべきなのです。いわば日本の神社は看板と中身が違うようなもので野菜を売っている店が肉屋の看板を掛けているようなものではないでしょうか?(*^_^*)しかし、例外があります。その一つが靖国神社です。靖国神社の祭神は戦死した日本の軍人、軍属等の方が主な祭神いわば、近代日本を作る過程で命を落とした方々が祀られているのです。好むと好まざるとに関わらず、日本人はその方々に対して少なくとも敬意を表するのが当然ではないでしょうか。今回のケースでは合祀の基になる霊璽簿などから氏名を削除するよう求めています。一見すると、肉親が削除を請求するのは不思議ではないように思えるかも知れません。しかし、祀られているのは「神様」ですよ。「神様」の削除を他人から請求されてそれに応じる神社があるとは思えません。常識的に考えて判りませんか?むしろ、裁判所が「神様の削除」などの判決を出したとしたらそれこそ宗教に介入する問題でしょう(*^_^*)人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月23日
コメント(13)
靖国合祀訴訟:国は政教分離違反 氏名提供巡り「合祀を助長」--大阪高裁~~~~~以下引用~~~~~第二次世界大戦の戦没者の遺族9人が「遺族の同意なくまつられ、精神的苦痛を受けた」として、靖国神社への合祀(ごうし)取り消しなどを求めた訴訟の控訴審判決が21日、大阪高裁であった。前坂光雄裁判長は、合祀による法的利益の侵害を認めなかった1審・大阪地裁判決(09年2月)を支持し、原告側の控訴を棄却した。一方で国による戦没者氏名などの靖国神社への情報提供は「合祀という宗教行為を援助、助長していた」として、憲法が定める政教分離に違反していると初めて認めた。原告9人の父や兄弟らは、旧日本軍の軍人・軍属として戦死・病死し、いずれも靖国神社に合祀されている。「肉親をしのぶ権利を侵害された」などとして、合祀の基になる霊璽(れいじ)簿などから肉親の氏名を削除するよう求めていた。原告団長で島根県大田市の僧侶、菅原龍憲さん(70)は「遺族の意思を無視し、苦痛を与えている。なぜ靖国神社が祀(まつ)る自由だけまかり通るのか」と憤った。毎日新聞 2010年12月22日~~~~~以上引用~~~~~最初このニュースを見たとき感じたのは「原告に並んでいる坊主は何だ!」 「袈裟つけて、政教分離を訴える???」靖国神社に合祀されて精神的苦痛を受けるなら、自分で祀ったら良いのに何故に訴訟をと思ったら、真宗遺族会なる浄土真宗の政治団体?でした。浄土真宗の教義では、阿弥陀様の本願を信じて「南無阿弥陀仏」と唱えるならば、極楽に往生すると言われています。極楽往生したら、靖国神社に祀られようが祀られまいが本人は極楽へ行っているのですから関係ないでしょう。まして、靖国神社の霊璽(れいじ)簿に書かれてあろうが無かろうが全く関係ありません。ようするに真宗遺族会なる団体に関係している人間は靖国神社に祀られたら極楽へいけないということですかね?(*^_^*)恐るべし靖国神社!(@_@;)阿弥陀様の本願の上を行くとは!冗談はさておき、仏教徒?があんな訳のわからない主張をすると思われては、本物の仏教徒のこっちこそ精神的苦痛を受けています。浄土真宗の教えを否定しているわけではありませんので、御理解下さい。「仏教徒が訴えるなら、政教分離でなく政教一致」「真言宗は教義に基づいた密厳国土を目指す」世界の宗教は政教一致がスタンダード。優れた教えはそれに基づいて政治を行うのが当然です。真言宗は当然政治の上に立つ教えです。仏教は一般的にそうあるべきだと思います。そんな自信も教えも理解していない人間が恥ずかしげもなく袈裟をつけて馬鹿な主張をするのはやめてほしいです。『A級戦犯の分祀問題』『靖国参拝はそんなに問題か?』 『国会で首相の靖国神社公式参拝を可決!』 人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月22日
コメント(6)
クリスマスに黄砂がやってきます。ご注意を!黄砂には放射能をもつものがあると言います。放射能除去装置を取りに行く「ヤマト」が必要ですね!宇宙戦艦ヤマト OP リアルでカッコいいんですが・・・こんな風に飛ぶんだろうか?(*^_^*)これは面白い!クロネコヤマト1テロップも微妙にパロディになってます。黄砂は笑い話ではすみませんが(;一_一)人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月20日
コメント(10)
聖書が捏造されているという圓寂坊様の日記を読んで考えたことがあります。「捏造された聖書」という本によると聖書は、翻訳者や書記の考えや思想でかなり原点とは相当かけ離れたものになっているそうですが、仏教においても同様という話です。これ自体はさほど珍しいものではありません。そもそも、歴史的な書物(古典)には「流布本」に対して「異本」というものがあります。古典は印刷技術が普及する前は「原本」を書き写して伝えます。いわゆる写本ですね。「原本」が見つかることはほとんどありませんので、現実には写本がその「原本」ということにはなりますが、それが結構問題があります。何しろ、長い文章を書き写すのは大変ですし、手書きの文章ですから読み間違い、写し間違い、読み飛ばし、書き飛ばしが発生するのは避けられません。さらに、そういうものが発生するということは、「抜けている文章」「間違っている文章」があるという前提で、悪意なく文章を変えることが行われます。もっといえば、意図的に文章を変更してしまうこともあり得ます。戦乱などでそれが唯一の写本ということになると、原本からかけ離れた文章が「原本」として残ってしまったと考えられます。聖書にしても成立はイエスの死後150~200年頃。書写・翻訳の段階でもとても厳密にされていたはずなので、間違いや改ざんはほとんどないなどと断言する方は史料的には信頼できません。(*^_^*)ただ、宗教的にはそう断言するべきかもしれません(*^_^*)一方仏教では、大乗非佛説という恐ろしい論があります。日本に伝わっている仏教はすべて大乗系(密教を大乗に含めるかどうかについては異論があるかもしれません)の仏教なのですが、それはお釈迦さんが説いたものではないという説です。仏教は八万四千の法門と言われるように、他の宗教のような聖典があるわけではなく膨大な経典が存在します。その教えの中でどれが釈迦の真実の教えかということが問題になり、教えを説いた時期や内容を分類し、その中でどれが最高の教えであるかという、教相判釈が行われました。ようするに「どの教えが正しいか?」と言うことです。しかし、それを覆す人が現れました。江戸時代の富永仲基という学者が膨大な経典を比較検討した結果歴史的に経典を分析すると、新しい経典は、より古い経典の教説に異なった教説を加上しながら発展してきたという戦慄の事実を導き出しました!(@_@;)その本が出定後語!法華経、般若経など、いわゆる大乗仏教の経典はお釈迦の言行ではなく、後世の産物という主張がなされました!簡単に言ってしまえば、日本に伝わっている仏教は仏教ではない!さて、どう反論する仏教界?(*^_^*)人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月16日
コメント(18)
相変わらず、朝はNHKの連ドラを見ています。尾道と大阪を舞台にした、お好み焼きの話です。主人公に関係して僧侶が出てくるんですが、実に坊主らしくない(;一_一)髪が長いのは浄土真宗?と思うのですが、袈裟がどう見ても半袈裟。一般的に半袈裟は僧侶ではあまり用いられず、一般信者用に使われているんですが・・・さらに、その僧侶が手紙を懐にしまいます。懐に手紙???あまり入れるように思えないんですが???凄く気になります。そういえば「坂の上の雲」では子規のお葬式に坊主がやってきました。見るからに禅宗!と思ったら・・・座るや否や、真言宗のお経をいきなり「本文」から唱え始めたのでビックリ!(@_@;)普通はお経の本分の前に「偈文」などを唱えて「お経の名前」「如是我聞(私はこのように聞きました)」それから「本文」です。気になると言えば、西遊記!香取慎吾版では「三蔵法師」の師匠が結婚して子供がいましたよ!日本でも江戸時代までは僧侶は結婚も子供もいないのが普通でした。まして、三蔵法師の唐代ではありえない話です(*^_^*)それに孫悟空が悪人を退治するときに「天国へ行きたいか?地獄へ行きたいか?」というのですが・・・仏教には「地獄」はありますが「天国」はありません(*^_^*)あるのは「天界」です。さらに、夏目雅子版(古い)では三蔵法師が「般若心経」をお唱えしていました。実在の玄奘(三蔵法師)は天竺へ経典を取りに行った時に般若心経を唱えていたと記録にありますから問題はなさそう。しかし・・・現在の「般若心経」は実は玄奘(三蔵法師)訳。玄奘が唱えていたと言われているのは鳩摩羅什訳。訳文がかなり違う!そこまで言うのは酷かもしれませんが、多少は坊主考証もしてほしいですね(*^_^*)人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月16日
コメント(23)
今日は朝から雨です。当院を訪問される方も少ないに違いない。「SPACE BATTLESHIP ヤマト」でも行ってみようかな?(*^^)vお昼を食べてから、北島サンシャインに向かいます!映画開始の15分前に到着!平日の昼間ということもあって、人も少なそうです。(*^^)vしかし、映画館の中で飲み物を買おうと並んでいると・・・「SPACE BATTLESHIP ヤマト」上映のシネマにどんどん人が入っていきます!(@_@;)「そこは入ってはいかん、他のシネマにしなさい」と叫びたいところですが・・・よく考えると全席指定ですから関係ないですね(*^_^*)さて、SPACE BATTLESHIP ヤマトの感想ですが・・・「う~ん、日光の手前(*^_^*)」まあ、アニメを知らないで、そのままSFとして見たら、それなりでしょう。CGを使った迫力もなかなかでハリウッド映画にあと一歩という仕上がりではないですかね?悪くはないのでしょうが・・・アニメでは気にならなかった点が実写版では凄く気になります。「ヤマトはあのスタイルでどうやって大気圏外へ?」どう考えても、時速50キロ程度を想定している、戦艦大和をベースにしたスタイルでは、空気抵抗が大きすぎないか?音速を超えた時点で、自らが起こした衝撃波で艦橋など吹っ飛ぶはず?どうやってマッハ23(秒速8キロ)まで加速する???ちなみに、実写版では、大気圏外へ出るシーンがなかった(*^_^*)「地球を出発した時の乗員数は???」ちなみにアニメ版の114名では少なすぎ!ヤマトの戦闘機の搭乗員員はせいぜい15人ぐらいしかいませんでしたが・・・整備はその三倍は要りますから、60人ぐらいが戦闘機関係。あとの54人でヤマトの航行から、主砲の攻撃、その他もろもろは無理!(*^_^*)それ以前に、いつ攻撃を受けるか判らないので、三交代で勤務したら・・・ワンチーム38名!全長300メートルを超える巨大な船を38名で見るのは可能か???タンカーならともかく、戦闘艦。しかも、準戦闘状態での航行ですよ!(@_@;)また、結構攻撃を受けてダメージを受けているんですが、その修復とかどうしたんでしょう???普通はダメージを受けたらドックに入って修復しますが宇宙を航行するヤマトではそれは無理。実物の戦艦大和は乗員3300人!いくらなんでも地球の命運をかけるのですから、予備も含めて現在の米空母並みの5000人ぐらいはいるでしょう(*^_^*)その人員の食料とか修復のための資材とかも積んでいるんですかね?「ダメージを受けたまま航行するヤマト」ダメージの修復シーンがありませんよ!(@_@;)とりあえず、ゆっくり進んでいるように見えますが、実際は亜光速(光速に近い)速度で進んでいます。いくら空気のない宇宙空間とは言え、船体にダメージを受けたまま進むのは危険では?さらにダメージを受けたままワープするんですが(@_@;)ちなみに、「ワープ」というのは時空のひずみを利用して時空を超えて、別の場所に出現する航法。通常は超えられない光速の壁を越えて進めます。危険すぎる!「恐ろしい宇宙戦」ヤマトから戦闘機を出して空中戦ならぬ、宇宙戦を行うんですが、自分の前の敵を攻撃すると危険です。地球上では、破片は重力で地上に向かいますが、宇宙空間では破片がそのまま超スピードで自分に向って飛んできます。ほとんど、ショットガンで撃たれる状態(*^_^*)実は、戦闘機が破片で傷つくシーンもなるので、全くそういう状況を無視しているのではないようですが・・・揚げ足取りみたいですが、アニメでは気にならなかったことも実写版になるとリアルになってくるので気になりますね(*^_^*)他にも結構気になるシーンがあるんですが、あまり書きすぎるとネタバレになってしまうのでやめます。(*^_^*)全体のストーリーとしては子供向けではありません(*^_^*)むしろ大人向けのストーリーで、アニメ版を知らない人なら結構楽しめるかもしれませんね。はっきり言うとアニメ版とは似ていますが別物です。それゆえ、アニメ版と重ねてみると違和感があるのかもしれません。ちょっと出演者が歳を取りすぎと文句をつけたキャストですが木村拓哉、緒形直人、山崎努も原作とは違う設定に変えられていてなかなかいい演技でした。他のキャスティングもよかったです。あと、原作とは全く変えられている意外な点があります。それを書きたい(*^_^*)書いてしまおうか?(*^_^*)公開が終わるまで待ちましょう。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月13日
コメント(18)
商売柄?見送ったり見送られたりすることが多いのですが、観察していると面白いですね。昔、阪田三吉が「人を見送るときはその人が見えなくなるまで見送ってその後頭を下げる」という話を聞いたことがあります。そこで、私も見送るときには、その人が見えなくなるまで見送っています。結構面白い行動を取られる方がありますね(*^_^*)中には何度もこちらを見ながら挨拶されるので、「早く引っ込んだほうがいいのかな?」とも思いますが、一方で「見送ってくれない」と思われるのも嫌ですね(*^_^*)しかし、一度ある人を見送っていたら「何か?」とか言われたことがありましたね(*^_^*)ある方に注文していたものを届けていただいたのですが、その後、その方を見送っていたときに、届けていただいた封筒の中身を覗いているところをその方に見られて「面白い行動をとられていました」と言われたことがありましたので注意しなければ(;一_一)逆に送っていただく場合でも観察しています。最後まで丁寧に見送っていただける場合もありますが、こちらが車に乗り込んだり、車で発進した途端すぐに引っ込まれたり、極端な方では門を出るまではついてきていただけるのですが、こちらが出た途端帰られる方もありますね(*^_^*)どちらにしても別れ際の印象で、その人のイメージが残るので「見送り」は大切にしたいですね。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月10日
コメント(12)
12月8日と言えば、忘れてほしくない事件?が二つあります。「お釈迦さんの成道」と「真珠湾攻撃」です。4年前にこんな日記を書きました。お釈迦さんの成道と真珠湾攻撃~~~~~以下引用~~~~~昭和16年12月8日、日本海軍は真珠湾の米海軍基地を攻撃して、太平洋戦争の戦端を開きます。そもそも、アメリカは真珠湾攻撃は不可能と考えていました。そのような大艦隊の燃料補給をどうするか?どうやって覚られずに、近づくか?真珠湾は水深が浅く通常の魚雷は使えない。もし仮に真珠湾にたどりついたとしても、迎撃されたら日本海軍は壊滅的な打撃を受けます。それを、幸運にも助けられ日本はクリアーしてしまいます。十二月七日(アメリカ)午前6時、当時波は危険なほど荒れており、船の最大傾斜角(ゆれ)は15度!発艦の限界とされた10度を超えていました。その中で、183機の第1攻撃隊は一機の事故機もなくわずか15分で全機が飛び立ちます。そして約1時間後167機の第二攻撃隊が出撃。日本の6隻の空母から発艦した350機の航空機によって、アメリカが誇る真珠湾の戦艦8隻を含む20隻、航空機350機を破壊!アメリカが誇る真珠湾は一日にして壊滅しました。予想を遥かに超え、世界を震撼させた大勝利でした。~~~~~以上引用~~~~~こういう書き方をすると必ず批判を浴びますね(*^_^*)「戦争を美化している」「先の戦争について反省していない」ではこういう書き方についてどう思われるか?「源頼朝、足利尊氏、徳川家康はたくさんの人の命を 戦争で奪った、だから評価するには値しない。評価することは 戦争を美化していることである」どう考えてもおかしいでしょう(*^_^*)~~~~~以下引用~~~~~一方的に戦争をしたことが悪かった、日本が悪かったと言うことはありません。よかったこと悪かったことを見極めて、後世の糧とすることが必要でいたずらに目をつぶり、評価を止めてしまうことは、何の意味もありません。そもそも何のために真珠湾を攻撃したか?当時、日本はアメリカから経済統制を受けておりその打開が目的でした。ところがそのときすでに、日本は中国と五年あまりに渡って戦争状態にありましたが、 なんと18万を越える戦死者を出していました。『せめて、この中国戦線に決着をつけて、対米戦に 踏み切るべきだったのではないでしょうか?』さらに、戦争はあくまで手段です。初戦の大勝で環太平洋地域を制圧したあとのどこで、戦争を終わらせるか、その計画もありませんでした。現在、莫大な借金を抱えながら、それを精算する政策なしに、問題の解決を先送りし、先の見通しが立たない状態は当時と全く変わっておりません。現在の子供たちに未来の展望はあるのでしょうか?いずれ莫大な借金は子孫に廻されるのです。このままでは、日本国民があの戦争でこうむった損害を上回る可能性さえ出て来ます。このように、日本を取り巻く状況を考える時、再び危機が訪れているのは明らかです。もう一度太平洋戦争について考えるいい機会ではありませんか?~~~~~以上引用~~~~~これを書いたときから考えが変わったところがあります。>『せめて、この中国戦線に決着をつけて、対米戦に 踏み切るべきだったのではないでしょうか?』これは間違いでしたね(*^_^*)実は中国は日本との戦争を望んでいました。共産党の戦略は「国民党と日本を戦わせて漁夫の利を得る」国民党の戦略も「日本と戦って負け続ければ、中国の権益を狙う米ソは必ず対日参戦して来るので日本には勝てる」これでは中国戦線から撤退などそうそうできるものではありません。さらに中国戦線から撤退すれば、日米の対立は無くなり、日米開戦する必要がありません。もうひとつ肝心なことがあります。真珠湾攻撃はだまし討ちだったというデマが広く信じられていますが事実は違います。真珠湾は奇襲ではなかった ~~~~~~以下引用~~~~~もともと、1928年にむすばれたパリ不戦条約においては、国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定しています。それにも関らず、なぜ戦争が起こるか?それは、各国家が持っている自衛権があるからです。国際社会では国家における警察のような司法機関はありません。それゆえ、自国は自分で守らなければいけません。それが自衛権です。日本が米国に宣戦したのも同じ理由です。宣戦布告があろうとなかろうと、自衛戦争ですから、だまし討ちではありません。むしろ、アメリカが「だまし討ち」という宣伝で国威を発揚(アメリカの常とう手段です)したに過ぎません。ちなみに真珠湾攻撃45分以上前に、日本海軍の特殊潜航艇がアメリカ海軍の駆逐艦「ワード」に攻撃、撃沈されています。アメリカは不審船は撃沈するような指令を出していましたので、戦争になっても構わないと考えていたのは明らかです。これなども、一般にはあまり知られていませんが、日本は「アメリカが日本をだまし討ちした」と宣伝すべきだったかも知れません。さらに言えば戦う以前に「欧米列強が日本に石油を売らないならば、日本はそのために あらゆる手段を用いて石油を確保する用意がある」「アメリカが反日政策を続けるならば、日本もそれを 打開するために、さまざまな手段を講ずる用意がある。」と戦争をほのめかして世界に日本の正当性を宣伝し、アメリカの世論にもうったえたら戦争を避けられたと思うのですが・・・また、日本は真珠湾攻撃前にイギリス領マレー半島に上陸して戦闘を開始していますが、イギリスはだまし討ちなどとは言っていません。予想された事態だったことは明らかです。~~~~~以上引用~~~~~さて、ごく最近日本の隣国で紛争が起きました。今こそ反戦を訴えるべきー平和憲法の理念を忘れた日本~~~~~以下引用~~~~~北朝鮮の攻撃に対して韓国は応射しています。 「韓国が北朝鮮の攻撃を受けて民間人を含めて死者が出た」 という韓国側の被害の報道はなされていますが、かなり、一方的で、北朝鮮にも被害が出ているはずです。その意味では「北朝鮮砲撃事件」というのは誤解を生むような表現で、「南北朝鮮相互砲撃事件」とでも呼ぶべきではないでしょうか?それを政府が 「韓国政府の立場を強く支持する。北朝鮮の行為は許し難い。」 などと一方的に宣言したのはいかがなものか? 少なくとも、各国の出方を見ながら「両国に死傷者が出たことには遺憾の意を示す」「東アジアでの軍事衝突は支持しない」 と中立を保つべきでした。予想通り?中国は北朝鮮寄りになってきています。 日本が韓国を支持しなければ、米国も一歩引いたかも知れないのに 中朝vs米韓の一方に自動的に巻き込まれました! ~~~~~以上引用~~~~~実は戦前の話であまり語られていないことがあります。多くの人が思い浮かべるのは「一部の人間だけが、戦争を望み、大多数の国民は それに巻き込まれた被害者」それはないでしょう。圧倒的多数の国民が戦争を望まなかったならば戦争などできません。「やむを得なかった、そういう時代だった」などと逃げてほしくないです。戦前の日本は戦時下といえども制限付きながらも選挙も政権交代も行われています。今の北朝鮮や中国とは異なる一応民主主義国家です。「戦前も戦争を避けられたのではないか」不思議なことに、戦前に戦争を避けられたかどうかについてはあまり検討されず、「戦争をしたのが悪かった」と無批判に反省するのはいかがなものか?さて、この先についても「戦争しないつもり」と思っているだけでは、戦争を避けられないということ理解してほしいです。今回でも、日本が戦争に巻き込まれる寸前だったとほとんどの人は考えていないのではないでしょうか。「戦争を避けるためにはどうしたらいいか」12月8日の開戦日にはもう一度考えなおしてほしいです。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月10日
コメント(13)
12月8日と言えば、忘れてほしくない事件?が二つあります。「お釈迦さんの成道」と「真珠湾攻撃」です。4年前にこんな日記を書きました。お釈迦さんの成道と真珠湾攻撃~~~~~以下引用~~~~~お釈迦さんは29歳で王子の身を捨て出家し、6年間に渡って修行を続けたといわれています。その間に並外れた苦行を行い、21日間が限度と言われる断食をその数倍続けたともいわれています。しかし、その結果として悟りには至りませんでした。そして快楽と苦行の両極端からはなれた中道を歩もうと決意したと言われています。まず、川で沐浴して、埃まみれの体を洗い清めました。川辺で休んでいるとスジャータ(フレッシュの名前になっています)と言う娘がやってきて乳粥(サルピスーカルピスの語源です)をお釈迦さんに差し出しました。それを食べて体力を回復したお釈迦さんは菩提樹の木の下で禅定に入り、十二月八日の明け方ブッダ(目覚めた人)となりました。~~~~~以上引用~~~~~29歳出家で6年間修業して35歳成道、これは現在、東南アジアに伝わっている南伝仏教の話で、19歳出家で12年間修業して30歳成道というのが日本にも伝わっている中国経由の北伝仏教の話だそうです。この成道の故事から一般にはお釈迦さんは苦行を否定したと言われていますが、果たしてそうでしょうか?たとえば浄土真宗の親鸞上人は「阿弥陀如来を信じて極楽浄土に往生することを願えば救われる」と説いています。戒も行も学もいらない。ただひたすら、阿弥陀様の慈悲を信じる。しかし、その境地に至るまでに、親鸞上人は比叡山において20年に渡り厳しい修行を積み、六角堂にて100日の参籠を行います。この修行がなかったら、自力では救われない、阿弥陀様の慈悲を信じる(他力)ことによってしか救われないのだ。と思わなかったように思えてなりません。元へ戻りますが、お釈迦さんも「苦行」一般を否定したわけではないでしょう。自らの肉体を痛めつけるような「苦行」を否定したのであって、「精神的な苦行」を否定しているわけではありません。ところで、世間一般では「苦行」について誤解があるようです。昔、歩いてお遍路さんをしているときに、お接待を受けました。その方から「私は難行苦行に興味があって四国遍路にも・・・」ええ~四国遍路が苦行???(@_@;)~~~~~以下引用~~~~~ところで、行というと寒中の水行・滝行など、自らの肉体を苦しめる行が想像されるようです。歩きの四国遍路なども同じように捉えられる傾向があり、野宿などが評価されるようです。しかし、これらは本来の行の前行に過ぎません。すなわち、日常生活から非日常の行の世界に入るための区切りの役割でしかありません。 実はお釈迦さんの苦行も膨大な前行だったといえるかも知れません。本来の行は静かな禅定の状態なのです。心も体も落ち着いた状態でなければなりません。~~~~~以下引用~~~~~なかなか仏教の修行でも「苦行」と言われるのはあまりありません。焼身供養・捨身供養とかありますが、即身仏(ミイラ)とか、面白そうです!(*^_^*)一度やってみたいですね(一度しかできませんが)五穀断ちをして、徐々に食べるものを減らし、最後は水さえも断って、穴の中に入り読経するそうです。当院で得度された古の先人が眉山の中腹で穴の中で即身仏になられているそうですから、200年ぶりぐらいの即身仏も良いかもしれません(*^^)v~~~~~以下引用~~~~~ところで、密教の教えは自己と他者とを分けません。自己と他者は隔てがなく、つながっています。すなわち、自己が他者であり、他者が自己でもあるのです。この他者は人間に限らず、生物に限らず、無生物をも含む、この世のすべての存在です。~~~~~以上引用~~~~~~4年前の文章のほうが優れていますね(*^_^*)お釈迦さんの成道の日である12月8日。少しは自分のあり方について考えてみませんか。真珠湾攻撃については次回にさせていただきます。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月08日
コメント(14)
もうそろそろ、今年も終わりですね。年末と言えば、年賀状を書かねば・・・昨年の年賀状を捜して・・・捜して・・・捜して・・・年賀状がない???(;一_一)どこへ片づけたんでしょう(;一_一)大変申し訳ございません。毎年、年頭のあいさつをさせていただいている方にもお送りできないかもしれません。ブログをご覧いただいている方にはあらかじめお詫び申し上げます。
2010年12月07日
コメント(15)
先月に引き続き梵習字の講習会がありました。再び梵習字の講習会三回連続で遅刻だけは避けたいところ、今日こそは、早く行って始まるのを待つぞ!(実はそれが普通)二時から小松島市のJ寺で講習です。しかし・・・一時過ぎに出発しようと思ったら・・・準備ができてない(;一_一)あわてて準備して出発したのは、1時半過ぎ。小松島までは40分ぐらいかかるような気が(;一_一)車では間に合わないのでミニバイク登場!原付の車体に125ccのエンジンを積んだ、街乗り快速仕様!市内の渋滞もなんのその、小松島のJ寺に際どく到着。上がっていくと・・・まだ始まってない(*^^)v本日は朴筆(刷毛字)です。朴筆とは刷毛で書く文字のことでこんな感じです。毛筆と違い、字の幅が変わらず、個人差が出にくいというのですが・・・はじめてでは、まともに書けない(;一_一)後ろに座っていた、KさんやMさんは「これは気持ちいい」と言いながら書かれていましたが・・・私の字とは雲泥の差(@_@;)先生に書いてもらうと・・・線の滑らかさ自体が違う(@_@;)これで、梵字の講習は終わりです。梵字自体はこの3カ月ぐらいで見違えるようにうまくなりました。(当院比)実はあまり大きい声では言えませんが、私は字が下手(;一_一)商売柄うまいと思われているのが余計答えます(;一_一)しかし、梵字はそれなりになってきましたよ!(*^^)vそう思っていたんですが、先日ある方の塔婆を拝見しました。梵字の講習会には来られていない方です。しかし・・・私の梵字より上手(;一_一)最後に先生の挨拶がありました。「この講習会の間に、一番梵字を書いたのは私です。 それは自負しております。だから、皆さんとの差が 少し開いたかなと思いました」さらなる精進が必要です(*^_^*)人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月06日
コメント(8)
結婚指輪つぶし最後の共同作業…「離婚式」人気~~~~~以下引用~~~~~厚生労働省によると、昨年の離婚件数は25万3353組で、2分4秒に1組が別れている計算だ。東京では昨今、「離婚式」が人気を集めているという。離婚式を再出発のための区切りにしたいということらしい。8月下旬、東京・浅草。2台の人力車に別々に揺られた男女が到着したのは「離婚屋敷」だった。参列者は20~30代ぐらいの15人。正装の人や「御終儀」と大書された祝儀袋を持つ人も。ここで離婚式が始まるのだ。会場は古い民家のガレージを転用した。冒頭、友人代表の女性(28)が「正直どう言っていいか悩みましたが、離婚しても友達でいてください」とあいさつ。しんみりムードが漂う中、夫婦は目の前に置かれた結婚指輪を見つめ、一緒にハンマーを握った。式を主催する千葉県浦安市の寺井広樹さん(30)が厳かに言う。「二人で行う最後の共同作業ということになります」次の瞬間、夫婦はハンマーを振り下ろした。ぐにゃり。指輪は折れ曲がった。2010年12月4日18時07分 読売新聞~~~~~以上引用~~~~~なんとも言えませんね。(*^_^*)結婚にメリットがあるかどうか?個人的には、あるとも無いとも思います。結婚を選ぶのも、選ばないのも一つの道だと思うのですが・・・しかし、いったん結婚した以上は継続する義務があるのではないか?なんと離婚理由の一位は(男性の6割以上、女性の4割以上)「性格の不一致」奇怪な???そもそも、一卵性双生児でも別の環境で育ったら、性格が一致するとは言えないでしょう。まして、赤の他人なら当たり前。それに、「性格の不一致」というのは結婚生活の上でメリットをもたらすものではないか?性格が違う二人で考え方がかけ離れているほど、物事を違った見方で見えるはずで、その意味では、リスクを回避する観点から見れば、明らかに性格が似ているよりも違っていたほうがプラスです。さらに、子育てにおいても、違った立場から違った教え方をできるはずで、むしろ「性格が一致していない」「全く違った人生を歩んできて接点のない」二人こそが、結婚のメリットを最大限に生かせるはず!どうですかね?(*^^)vさて、問題の離婚式ですが、結婚したにも関わらず、離婚するということは、いわば、人生の失敗ではないでしょうか?また、離婚したとして、現在より良い状況が生まれるかどうか?余談ですが、私は何度も職を変わっています。自分が生かせる場所があるはず、そう思ったのですが・・・それは、実は間違いでした。その場所で、現在の最善を尽くす。そうすれば、自ずから認められ結果はついてくる。結果が出なければ、自分の実力はその程度です。結婚も同じようなものでしょう。現在の相手が最善だと考えたのではないか?結婚することが最善だと考えたのではないか?そう思って結婚したのに、離婚してメリットがあるんでしょうか?とりあえず、子供ができた以上は、その子供が独り立ちするまでは夫婦を続けるべきと私は考えます。私が子供だったら、どんな事情があるにせよ、親が離婚するということは自分が否定されるみたいで嫌なんですが皆さんどう思われますか?それはさておき、さまざまに理由がありますから離婚自体が問題とは言えないかもしれません。ただ、離婚するにしても、あくまでひっそりと、知り合いまで呼んで、式までするのはいかがなものかと思います。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月05日
コメント(12)
栗山もうひとつ見たい映画があります。あしたのジョー若い方は知らないかもしれませんが、昭和40年代を代表する伝説的なボクシングマンガです。ちょうど私は少年マガジン誌上の終盤とアニメをリアルタイムで見ました。主人公の矢吹丈が少年院でボクシングを憶え、貧しい東京山谷のドヤ街のジムをベースにライバル・力石との戦いを通じて成長していきます。必殺技クロスカウンターを武器に、強敵との対戦を乗り越え、世界チャンピオンの座を賭けて最強のボクサーホセ・メンドーサとの闘いに挑みますが、善戦むなしく判定負けを喫し敗れ去るというあらすじです。そのスタイルがちょうど高度成長期で豊かになる時代とリンクしていたのでしょうか?熱狂的な人気を誇っていたようです。何しろ、主人公の矢吹丈のライバルの力石が死んだ時は実際に葬儀が行われたそうです。一方で、「最後に真っ白に燃え尽きて負ける」スタイルが圧倒的な権力の前に敗北する全共闘世代(仙石氏や管氏)にも支持を受けています。さて、その実写版ですが予告を見る限りでは「香川照之」の配役がぴったりですね。主人公を指導するジムのおっちゃんをしているんですが期待できそうです。さて、この「あしたのジョー」ですが、モデルがあります。検索するとコメディアンだった「たこ八郎」と書いてありますが・・・・どう見ても違うでしょう(*^_^*)たこ八郎は日本チャンピオンで防衛は2度、世界にも挑戦していません。それほど強打者でもないでしょう。実は、高山一夫というボクサーでしょう。クロスカウンターを武器にして、決まると相手が死んでしまうかと思われる倒れ方をしたと言います。フェザー級日本王座を8度防衛して、中量級として初めて、世界チャンピオンに挑戦します。まだ、軽量級でしか日本人は戦えないと思われていた時代、その試合はあまりにも無謀だと思われたため「ダンプにぶつかるルノー」と言われました。しかし、前評判を覆した善戦で判定に持ち込みますが判定で敗れます。一方のホセ・メンドーサのモデルは黄金のバンダムと言われたエデルジョフレです。アマ時代150戦148勝2敗、プロデビューしてから、無敗のまま世界バンダム級のチャンピオンに昇ります。8度の防衛をすべてKOで飾り、9度目の相手に選んだのがファイティング原田、かつてフライ級で王座を獲得した原田とは言え勝ち目は全くないと思われましたが、際どいながらも2対1の判定で勝利。翌年の再戦でも原田が勝利します。視聴率は驚異の63.7%(@_@;)原田に完敗したエデルジョフレですが、その後、1階級上げてフェザー級に挑戦。見事チャンピオンになり、なんと40歳まで戦います。しかも、原田戦以降無敗のまま引退(@_@;)80戦近い戦績の中でのたった二つの原田戦の負けは余程悔しかったと見えて(当たり前ですが)エデルジョフレは引退試合の相手に原田を指名しようとします。最初は軽く付き合おうとしていた原田ですが、ジョフレが本気で戦いを望んでいることを知って、丁重にお断りしたそうです。原田は引退して10年近くたっていましたので、さすがに自信がなかったのでしょう。(*^_^*)しかし、ボクシングも面白くなくなりましたね(*^_^*)日本が貧しかった時代は、ボクシングで一旗挙げようと、腕っ節に自信のある人間が集まってきていましたが・・・最近はプロになってまでという人は少ないそうです。ちょうど、昭和40年代は今よりずっと貧しかった。しかし、一生懸命何かをすればそれが報われる。そんな時代だったような気がします。その時代をどう表現されているかも、見どころのように思います。人気ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願いします。 ↓
2010年12月01日
コメント(30)
全16件 (16件中 1-16件目)
1