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前回の続きですチベット死者の書を読む3ー亡くなってから早いうちに悟りを目指すさて、七日目になると、持明者の神群が導きにやってきます。この「持明者」というのがよくわからないんですが、いうのは「明」=「呪」=「真言」ですから、密教を保っている神ということでしょうか?いわゆる仏教に帰依した神々(守護神)とは違うようです。その登場の仕方が恐ろしい(ーー;)「顔には笑みを浮かべ、半月刀と血にあふれた椀を持って舞踏しながら・・・」これは怖いだろう(◎_◎;)一方で怖気づかせないように、畜生道への薄明かりが現れる。「顔には笑みを浮かべ、半月刀と血にあふれた椀を持って舞踏した神」と比べると、畜生道へ引き込まれるのもやむを得ない(ーー;)八日目になると今度は忿怒尊が登場します。三つの顔を持ち、手は六本で四つの足を持ち、目は九つ。人間の頭蓋骨で頭を飾り、身体を黒蛇と生首で飾る。女尊は人血で満たされた椀を捧げ持つ。日本の忿怒尊である、不動明王などとは比べ物にならないおどろおどろしさ(◎_◎;)恐れてはいけない。おびえてはいけない。おののいてはいけない。実は大日如来が姿を変えたものだといわれても恐れるだろう。九日目になると血をすする金剛部の忿怒尊。十日目になると血をすする宝部の忿怒尊。十一日目になると血をすする蓮華部の忿怒尊。十二日目になると血をすする羯磨部の忿怒尊。これは序章です。十三日目になるとガウリー八女神とピシャーチーというのが現れますが、これがまた怖い。あらゆる方角から、このような神々が現れる。右手には死体でできた棍棒を持ち、右手には血を満たした椀。右手には内臓をつかみ左手で食らいながら左手に血を満たした椀を持ち、右手の金剛杵でかき混ぜ飲みながら人間の頭と胴体を引き裂いて右手で心臓を握り左手で食らいながら口の中に死体を咥え左手には内臓食らい血をなめながら大きな死体を肩に背負いしかもピシャーチーというのは獅子・虎・狐・狼など動物の頭を持っていますから余計怖い(ーー;)さらにこの大きさ、小さいもので人間の十八倍といいますから30メートルぐらいですかね?中程度で須弥山ほど、須弥山は8万由旬といいますが1由旬は7キロぐらいですから、56万キロ(◎_◎;)地球から月まで38万キロですから、その1.5倍くらい?体の大きなものは、大空と同じくらいといいますが・・・大空?ひょっとして風輪の厚さ?風輪の厚さは160万由旬といいますから、1120万キロここまでくると大きさが思いつかないですね(*^_^*)これらを恐れてはならない。というものの・・・怖すぎる。これらが自身の意識の働きであることを悟るべきと書いてあるのですが・・・十四日目も同じようなものです。この忿怒尊の一群は悟りを得ないと閻魔(大王)に見えるという閻魔(大王)は手には死者の善業や悪行を記録した杓を持ち「打ちのめせ」「殺してしまえ」という声を発し死者の脳をすすり、頭と胴を引きちぎり、内臓を食らう。死者の善業や悪行を記録した物を持っているのは日本の閻魔様?に近いですが、それ以外は恐ろしい。しかも日本は三十五日に登場しますが、十四日目とは早いですね。チベットでは死にたくないかも(ーー;)続きます。
2019年05月31日
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昨年こんな日記を書きました。徳島で26.7度の超高温(◎_◎;)ー130年間で最も暑い12月の1日12月4日に12月としての最高気温を更新した時の日記ですがそれを上回る事態になっています。昨日は北海道の道東で超高温を記録。佐呂間で39.5度帯広で38.8度以下10位までが、38.0度を記録し、全部北海道!(◎_◎;)佐呂間では昨年までの5月の記録を7.2度更新するのみならず、観測史上最高気温36.8度を2.7度上回った。仮に東京に置き換えると・・・おっ、東京も昨日は5月の最高気温を更新したんですね。昨年までの記録で比較します。32.2度+7.2度で39.4度(五月比)39.5度+2.7度で42.2度(最高気温比)あら、東京より佐呂間の5月の方が暑かった記録があったのにビックリ(◎_◎;)参考までに徳島32.9度+7.2度で40.1度(五月比)38.4度+2.7度で41.1度(最高気温比)これは暑いわ(ーー;)ひょっとして、昨年夏を超えたか?と思わせる暑さでしたがさすがに昨年を超えてない。平成30年8月23日 新潟1位 中条 40.8度 2位 三条 40.4度 3位 大潟 40.0度 4位 村上 39.9度 4位 新潟 39.9度 6位 下関(関川村) 39.6度 7位 松浜 39.5度平成30年7月18日 岐阜1位 多治見 40.7度 2位 美濃、 40.6度 3位 美濃加茂 39.7度 5位 揖斐川 39.6度 5位 岐阜 39.6度 7位 金山(下呂市) 39.4度 9位 郡上 39.1度しかし、昨年の真夏でさえランキングに入りそうな高温を北海道で記録するとは異常すぎる!(◎_◎;)参考までに昨年の日記暑い岐阜を超えた?ー新潟の平成30年8月23日ちなみに5月に限っての最高気温の観測記録は19位の37.2度まで昨日の北海道19位タイに1993年5月13日の秩父が辛うじて残っただけで、たった1日で5月の記録が塗り替えられた!(◎_◎;)さらに36か所で観測史上最高を更新中には1892年から観測を続けている帯広1879年から観測を続けている根室が入っていますので140年間で最も暑い1日を5月に記録!(◎_◎;)気象ウォッチャーの私としては、根室で観測史上最高気温を更新したことに衝撃を受けている。実は根室は温顔化の影響をあまり受けていない地点として注目されているのだ。根室はオホーツク海に張り出した半島にあるため、比較的都市化の影響を受けていないし、古くから観測が行われているために、記録の比較もしやすい。温暖化と言われているものは、実は都市化によるヒートアイランド現象で、実際に温暖化しているかどうかはわからない。また、二酸化炭素と温暖化の関連性も不明で、二酸化炭素削減は環境問題を政治使用しているにすぎないので二酸化炭素削減は意味がない。一方でヒートアイランドと人間の活動による地球への影響は小さくないので、温暖化とは別に考えるべき。私の持論。温暖化と騒がれているが、対して気温は上がっていないという証拠としての観測地点の一つが根室なのだ。根室では1960年に4日真夏日を記録したのが最高と、かなり涼しい場所なのですが、その根室で5月に34.0度!これは異常すぎる!今日も熊谷で36.2度、伊勢崎で36.0度と五月の最高気温の観測記録を更新して関東中心に暑くなったようですが、昨日に比べるとえらく涼しく感じてしまいますね(*^_^*)みなさんいかがでしょう?
2019年05月27日
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新聞に某銀行の米ドル定期 年利10.18%キャンペーン!(◎_◎;)のチラシが入っていました。年10.18(れいわ)%とは太っ腹!さすがに目を引きます。一体どの程度お得なんだろう?しかし、預けたお金が一年後に10.18%の利息が付くわけではない。きちんと「1ヶ月定期」と明記してあるそれどころか、どの程度の利息がつくかも書いてある。10000ドルを預けると一か月後に66.67ドルこれが、税引き後の受取額だろう。しかし、気になることがある。為替スプレッド と結構大きい字で書いてあるのだが普通の人は為替スプレッドを知らんだろう。為替スプレッドというのは、為替の売買を行うときに「売り」と「買い」の差額のことで、その差額が結局のところ手数料になります。そのスプレッドが一ドルあたり「片道最大」50銭とあります。参考までに大手FX会社では米ドルの場合にスプレッドは1銭以下。しかも、往復の料金です。つまり、10000ドルを売り買いして、手数料が1円だと1万円なので1銭だとその100分の1で、手数料が100円以下。ところが、片道50銭って書いてあったら、10000ドルの場合日本円→米ドル 5000円(最大)米ドル→日本円 5000円(最大)ん?手数料10000円!損しないか???米ドル66.67円×為替レート110円では7333.7円おいおい。危ないですよ。スプレッドが最大の場合には一か月しか預けなかったら確実に赤字ですよ(ーー;)ちなみに通常金利は年1.20%とありますのでその後11か月預けると9653.9円ぐらいつきます。先ほどの7333.7円を足すと一年預けて7000円ぐらいの利息ですかね?しかし、一年後に、1円円高が進んでいたら10000円の赤字なんで、微妙(ーー;)なお、普通の銀行では米ドル預金の手数料を1円(片道)ぐらい取るんですよね。これってものすごく儲かる。某銀行は片道50銭(最大)なので良心的な方ですかね?いかがでしょう。
2019年05月24日
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前回の続きです。チベット死者の書を読む2ー仏教の瞑想は若い人より年寄りに必要ださて、本題の死後の世界について書いていきます。まず、亡くなってから三日半は、生でも中有でもない状態が続きます。その時に、自分で解脱するか、師の教えを聞いて解脱出来ない人は以下のように進みます。一日目最初は大日如来が「密厳浄土」から解脱の手助けにやってきます。大日如来といえば、密教ではすべての仏の王様の仏様です。おお~最初から親分登場!(◎_◎;)ここで悟ると「密厳浄土」へ連れて言ってもらえる。日本の密教の「密厳浄土」は、どこかに存在するものでなく現世を「密厳浄土」に変えることが密教の目的にもなっているのですが、チベットでは日本でいう「極楽浄土」と同じようにどこかに大日如来の「密厳浄土」があるんですね!二日目今度は阿閦如来が金剛薩埵の姿で現れます。金剛薩埵は、大日如来の教えを聞く立場の菩薩様。この方が、解脱の手助けに来てくださいます。ここで悟りを得ると「妙喜国」という浄土へ連れて言ってもらえる。日本では東方にある浄土は薬師如来の「浄瑠璃世界」になっていますが、チベットでは「妙喜国」です。ちなみに、阿閦如来と薬師如来は同体とも言います。三日目今度は宝生如来が登場。この方が、解脱の手助けに来てくださいます。ここで悟りを得ると「極妙国」という浄土へ連れて言ってもらえる。と同時に人間界の道が現れます。四日目ついに阿弥陀如来が観自在(観音)菩薩と文殊菩薩を伴って出現。日本では阿弥陀如来の脇は観音・勢至の二菩薩なんですがチベットでは文殊菩薩が来てくれます。浄土信仰の方は4日目まで待ったほうがいいかもしれません。ただ、連れて言ってくださるのは「極楽浄土」と思いきや「安楽国」ですと。チベットでは阿弥陀様が極楽へは連れて行ってくださいません(ーー;)また餓鬼界の道が現れます。五日目今度は不空成就如来が登場。この方が、解脱の手助けに来てくださいます。ここで悟りを得ると「業積浄土」という浄土へ連れて言ってもらえる。個人的な感想ですが、「業積浄土」という言葉は、好きになれない(ーー;)「業」は仏教では悪い行動・悪い言葉・悪い考えに解釈することが多いので「業」が「積(みかさなった)」「浄土」という名前は・・・今まで現れた、大日如来・阿閦如来・宝生如来・不空成就如来は金剛界の五仏と日本でも言われ、曼陀羅の中心にいらっしゃる仏様です。また阿修羅界の道が現れます。もうそろそろ、この辺で悟りを得ないと危ないですよ。六日目今まで現れた、大日如来・阿閦如来・宝生如来・不空成就如来は金剛界の五仏がいっぺんに来てくださいます。と同時に天界・人間界・阿修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界の六道への道も同時に現れます。ここまでで何としても悟りを得たいですね。この先は怖くなりますよ。チベット密教は一般には日本に伝わった中期密教よりも後の時代に成立した後期密教が発展したものと考えられています。チベットでは、密教を所作タントラ・行タントラ・瑜伽タントラ・無上瑜伽タントラの四段階に密教を分けています。日本で言えば初期の雑密が所作タントラ・大日経が行タントラ・金剛頂経が瑜伽タントラにあたります。ただ、上に述べた五つの仏様をはじめ、仏様の五つの色、五つの知恵、方角、などは日本密教と同じですから判りやすい反面、男女交合の歓喜仏などはちょっと理解しがたい部分があります。ちなみに上に書いた、浄土からお導きに来てくださる仏様はすべて男女交合の歓喜仏です。続きます。
2019年05月21日
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先日の日記の続きです。チベット死者の書を読むーまず解脱と輪廻を考えるまず、優れた修行者は、死ぬ瞬間に中有を経験することなく解脱できる。さて、ここでまた判らない言葉が出てきましたね。中有です。日本では中陰といったほうが判りやすいでしょうか?中陰というと四十九日と思う方もいらっしゃるかもしれませんが四十九日は満中陰。つまり中陰が満ちた日で中陰の終わりです。インドの死生観では輪廻転生があるとお話しましたが生まれる瞬間ー生有、生きている間ー本有、死ぬ瞬間ー死有そして、死んでから再び生まれ変わるまでの間がー中有(中陰)解脱はこの生有、本有、死有、中有の輪廻から抜け出すことです。まず達人?は自分で瞑想に入って解脱する。死ぬ瞬間にこれができなかった人には、「バルドゥにおける聴聞による大解脱」が他の人によってお唱えされる。これを行うものは自分が導きを受けていた師僧が最上とされる。また、体外へ吐く息が残っているうちに行うのがよく朝ご飯を食べる程度の時間で行うべきとされている。ん?なんか似ている?日本の枕経に似てないか?今でこそ、病院で亡くなる人が増えて、亡くなってすぐに枕元でお経を唱えることは、ほどんど無くなりましたが、30年ほど前には、亡くなったらすぐにお経を唱える習慣がありました。だから坊主も大変(ーー;)真夜中でも人が亡くなるとすぐに駆けつけないといけない。それができない事情でもあったら、「クソ坊主のせいで成仏できん」と言われかねない(ーー;)さて、ここでも瞑想の能力が問われる。導きを受けて瞑想に入り解脱する。しかし、導きを受けても、生前に修行していないと解脱できないだろう。日本の枕経と違いような気もしますが、事情は同じではないか?最近、法話でこんな話をしました。「仏教の瞑想は若い人より年寄りに必要だ」仏教の瞑想というと、若い人が心の安定を求めて行うようなイメージがあり、年配者には必要のないように思っていました。一方、お経を読むお年寄りは少なくない。お経を読めば心の安定は手にれられるかもしれないでも、自らの死に対しては気休めにしかならないような気がする。死という究極の非日常に向かう対策としては、やはり仏教瞑想という手段は有効ではないかと思う。死という誰もがいずれは迎える、そして、経験者や先達が全くいない出来事に関しては、人に相談したところで、回答を得ることは難しいだろう。しかし、仏教では死後の世界が描かれている。全く見えないことを、科学的に分析したり経験することはできない。しかし、瞑想によって感じることはできるのではないか?「死後の世界」の話になると、「誰も経験していないから判らない」という人がいる。果たしてそうだろうか?「事実」「真実」という言葉は客観的に見えるがそうではない。見ているものはそれを我々が「そういうものとして」頭で認識しているだけで、本当はどういうものか判らない。人間の生きている状態と死んでいる状態の区別は現代科学ではできる。しかし、なぜ生きているのか、なぜ死ぬのかに対する答えは無い。弘法大師の「即身成仏義」には、素粒子のことを書いているとしか思えない記述がある。1200年前にどうやって見たのかと思う。死後の世界を見ることはできない。しかし、感じることはできるのではないか?仏教の瞑想法にはその可能性があるような気がします。いかがでしょう?続きます。
2019年05月19日
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久しぶりの政治ネタです。ちょっと熱くなって書いていますので、ご理解ください。日本維新の会の丸山穂高衆院議員が国後島訪問中の11日夜の発言が問題になっていますね。問題となったやり取りについてはこちら丸山議員「戦争しないとどうしようもなくないか」 元島民との主なやりとり~~~~~以下引用~~~~~丸山氏「団長は、戦争でこの島(国後島)を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」元島民「戦争で?」丸山氏「ロシアが混乱している時に取り返すのはOKですか?」元島民「戦争なんて言葉を使いたくないです」丸山氏「でも、取り返せないですね。戦争しないとどうしようもなくないですか」元島民「戦争なんぞはしたくありません」「先生、やめてください」丸山氏「何をどうしてですか。この島をどうすれば良いですか」元島民「それを私に聞かれても困ります。率直に言えば返してもらえれば良いと思います」丸山氏「戦争なく?」元島民「戦争はすべきでないと思います。早く平和条約を結んで解決してほしいです」丸山氏「逆に関係なく平和条約が欲しいんですか」元島民「それは政府の方々に任せているわけで、あくまで私たちは交渉をやりやすくする下支えのために交流している。我々の署名運動などを今やめて元島民があきらめたと言われたら大変だから継続してやります」丸山氏「取材はするけど何もしない人(マスコミ)に言ってほしい」※11日午後8時前、国後島古釜布の「友好の家」で。訪問団員の音声データに基づく ~~~~~以上引用~~~~~毎日新聞2019年5月14日 16時12分(最終更新 5月14日 21時00分)この丸山穂高という議員は、東大経済学部卒の経済産業省の官僚という経歴を持っていますが、官僚出身の国会議員が、こんな馬鹿な発言をすることにビックリ(◎_◎;)この人は、「戦争」という言葉も知らない。「戦争で領土を回復する」というのは、まるで19世紀までの考え方ではないか。「戦争で領土を取り戻す」などという主張を認める主権国家は世界中に一か国もないだろう。この人の主張したいのは、軍隊を用いての、支配権の確保でまさか、日ロの全面戦争を想定しているわけではあるまい。現在ロシアに不法占拠されている自国領土である北方領土を話し合い以外で支配権の確保するべきだという主張だろうから誤解を受けるような表現をするべきではない。少なくとも政治家であるならば、仮に武力行使で領土回復を目指す場合でも「平和交渉以外で支配権を確保する」ぐらいの表現を使う配慮はしないといけないし、相手を確実に戦闘モードにさせる「戦争」などという馬鹿な言葉は安易に言ってはいけない。さらに言えば、この議員は日本維新の会の党員や個人としての資格でなく、衆院沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員として、衆院の代表者としての資格で、訪問団に参加していました。個人資格での参加ならともかく衆議院代表とは呆れます。国会議員だから、色々な考えがあってもいいのだが、日ロの訪問団には不適任だろう。こんな人間を代表に選んだ衆議院も反省しろしかし、こんな発言はどうなんだろう?ロシア上院委員長、丸山議員発言を批判「日ロ関係の流れの中で最もひどい」ちょっと待ってほしい。少なくとも、千島列島と樺太は、ソ連が日本との不可侵条約を一方的に破って侵攻し、しかも武装解除した日本軍を排除して火事場泥棒的に支配権を確立した歴史を忘れてはいけない。日本人の立場としては、ロシアに対しては千島列島と樺太を返還せよと主張すべきだと私は思っています。そうでなければ、少なくともロシアと平和裏に交渉を行うことなどできない。以前こんな記事を書きました。終わらなかった戦争~~~~~以下引用~~~~~62年前の八月十五日、玉音放送によって、(12年前の記事です) 長く盧溝橋事件から続いた戦争がようやく終結して一息ついた人も多かったことでしょう。ところが現実には戦争は終わっていませんでした。 日本との不可侵を謳った中立条約を破ったソ連は八月九日に総兵力174万によって満州・樺太に侵攻します。 満州での戦闘は八月十五日に終結したといわれていますが、 樺太では日本が停戦交渉の軍使が三度射殺 され八月二十三日まで戦闘が続きました。また、千島列島最西端の占守島では終戦後三日経った八月十八日に砲撃しながらソ連軍が上陸してきました。 引き上げ準備をしていた守備隊でしたが日本人の民間人もいましたので応戦せざるを得ません。 上陸部隊を壊滅寸前に追い込んだところで、 停戦命令が出て自ら矛を収め武装解除に応じます。ソ連はその後も千島列島の占領を九月五日まで続けます。ソ連軍に捕まった捕虜は国際法を実視してシベリアへ送られました。 私の祖父もシベリアに何年も抑留され体がボロボロになって帰ってきました。それでも帰ってこれたのはよかったのかも知れません。 帰ることなく、極寒のシベリアで生涯を終えた人も少なくありません。 戦争をしないと願うだけで、 戦争から逃れられるわけではありません。~~~~~以上引用~~~~~北方領土に関していえばロシアはソ連の後継国家です。領土を不法占拠した責任は当然あるだろう。勝手に不法占拠している輩に対し大家が「話し合いで出て行かないなら叩きだしてやる」と発言したら、問題なのか?私は「戦争で北方領土を取り戻す」のには反対です。しかし、「平和交渉以外で支配権を確保する」可能性を否定してはいけないと思います。ロシアからすれば、日本が平和交渉でしか領土返還要求をしてこないならば、永久に領土を返すことは無いでしょうし平和交渉しかしないと判ったら、仮に領土返還が実現しても再び武力による実効支配を再開する恐れがある。1 日本はソ連と不可侵条約を結んでいたが攻めてきた。2 日本が停戦しようとしてもソ連は侵攻を続けた。という事実から導かれる結論を考えてほしい。戦争はいやだ。話し合いですべての問題を解決したいしかし、戦争をしないという約束をしても反古にされて攻められ、こっちが戦うのを止めても、捕まったら強制労働をさせられ、あげく不法占拠された領土が還ってこないのであれば、日本は戦うという選択肢しかないではないか。いかがでしょう?
2019年05月17日
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先日、近隣寺院の集まりがあり、法話についての話題が出ました。他の僧侶の方が、どんな法話をしているのか興味がある(*^_^*)I僧正「先日、お葬式の後に、何か話してくださいといきなり 言われたけど、頭が真っ白になってしまった」三文「それはダメでしょう。一つ二つ用意しとかないと」T僧正「次(の法事)がありますからと逃げる」それは、あかんやろ(ーー;)本人はうまく逃げたと思っているかもしれませんが、周りから見たら、逃げたのはバレバレ(*^_^*)三文「I僧正は話しうまいのに、適当な法話は無いんですか?」I僧正「最近だと『令和』かな」三文「令和???」I僧正「令和は大化から数えて248番目の元号とか 和は20回目の使用例とか・・・」三文「そんな話、仏教と全く関係ないじゃないですか」I僧正「この後、仏教に関連した話を出すんだよ。 渋柿と甘柿の話知ってる? 芭蕉の句にもあるんだけど」三文「いや~聞いたことないですね」I僧正「えっ、知らんの?」残念ながら、ここでお開きになって最後まで聞けなかった(ーー;)帰ってからさっそく調べたのがこの句「里古りて柿の木持たぬ家もなし」 松尾芭蕉伊賀上野を旅していた時に詠んだ句で「古びた町では柿の木の無い家は無い」という意味ですかね?柿の木はその昔、嫁に行くときに苗木を持っていき、そして嫁が亡くなった時に、火葬の薪に使うと書いてあります。それなりの古さを持った街では、あちこちに大きな柿の木があって歴史と豊かさを感じさせるという解釈ですかね?しかし、これでは甘柿も渋柿も出てこないし、仏教的な解釈もないので、勝手に解説してみた。渋柿の渋ー煩悩柿の甘さー如来蔵(心の中の仏)柿は普通は渋柿で、甘味成分があるのだが、それを上回る渋さがあるために甘く感じられない。しかし、干したり酒につけたりして渋を抜くと本来の甘味が出てくる。それと同じように、人間も心の中に仏様がいるのですが、煩悩があるためにそれが表に出てこない。修行を積むことによって柿の渋さが取れるように煩悩が消え、仏になることができる。大きな柿の木を持っているということはそれは、嫁を取り、子を育て、その子が大きくなって家を継ぎ再び嫁を取って子供を育てる。親が子供を育てるのと同じように子供は親を敬い、自分の子供にも親から受け継いだ家を少しでも大きくして渡していく。そうやって何代も経た証である。どの家も柿の木があるということは、町の人がそれぞれ、自分のことだけを考えるのではなく、子供や親に接するように周りにも仏様の心を持って接した結果であり、町全体が浄土となっていると感じられる。ということですかね?皆さんいかがでしょう?
2019年05月15日
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以前こんな日記を書きました。「巨人・大鵬・玉子焼き」と「江川・ピーマン・北の湖」何故か私の日記の中では人気記事となっており相撲の場所ごとにアクセスがあります。さて、夏場所の新大関貴景勝はどんな活躍をするのでしょう。横綱稀勢の里が1月に引退してガッカリされた方にとっては明るい話題と言えるのではないでしょうか?その昔、「巨人・大鵬・玉子焼き」に対抗して?こんなことを言う政治学の先生がいました。強い、絶対に強いのが「巨人・大鵬・自民党」勝てそうで勝てないのが「阪神・柏戸・社会党」最近は巨人も絶対に強いとは言えないし、阪神は勝てそうで勝てないどころか、全く勝てなさそう(*^_^*)しかし、高度成長期の昭和36年から昭和45年に限ってみれば、優勝回数は巨人8回、阪神2回と絶対に強い巨人と勝てそうで勝てない阪神というのは実感がある。柏戸は高度成長期の真っただ中の昭和40年前後に、大鵬と共に柏鵬時代を築いた名横綱。しかし、大鵬との通算成績が16勝21敗と善戦しているにも関わらず、優勝回数では32回優勝の大鵬に対して、柏戸はわずか5回。選挙でいつも勝つ自民党に対し今は消滅してしまいましたが、社会党はずっと野党第一党として存在感を示していました。巨人が江川問題でダーティなイメージになり、常勝でも無くなった1980年代から、社会党にも陰りが出てきます。時代がバブルへ向かうのに呼応するように、労働者の立場が曖昧になってきます。生活苦でストや労使交渉を行う必要がなくなり、脱サラ成功者が資本家と変身する時代には資本家と対立するというスタイルが社会に受け入れられなくなって支持を得られなくなります。とどめを刺されたのは、皮肉にも社会党の村山首班内閣の成立です。これまで反対の立場を取ってきた、自衛隊も日米安保も認めると根本の政策まで転換したのでは支持者もビックリ(◎_◎;)最近の民主党のように政権奪取が求心力の低下を招くという前例と言えるでしょう。さて、それはさておき、今場所は休場する横綱白鳳ですが何故か不人気ですね。かつて不滅の大記録と言われたのが双葉山の69連勝大鵬の32回優勝北の湖の50場所連続勝ち越ししかし二つは白鳳に塗り替えられました。63連勝、42回優勝、51場所連続勝ち越し(勝ち越しは55場所連続の武蔵丸が1位)幕内通算勝利数は1026(2位は879)通算勝利数は1120(2位は1047)いずれも魁皇年間最多勝は10回(2位は7回)北の湖幕内連続二桁勝利記録は51場所で北の湖の37場所、大鵬の25場所を抑えて1位。横綱は12勝が優勝ラインともいわれます。12勝以上勝ったら横綱としての務めを果たしたと言えるのでしょう。毎場所12勝以上を続けるのが理想の横綱、それをどれくらい続けたかの幕内連続12勝以上の記録では貴乃花13場所(3位)北の湖12場所(4位)大鵬11場所(5位)の三人の大横綱を抑えて白鵬は22場所(1位)17場所(2位)とぶっちぎりの強さ(◎_◎;)記録を見る限り、大鵬・北の湖・貴乃花の三人の全盛期と比べても白鵬は桁外れに安定した強さを発揮した横綱であることがわかる。これだけ圧倒的に強いのになぜ不人気なのだろう?「相撲は神事」とは言われます。だから心技体が必須で「白鵬は心技体が揃っていない」のように言われますが、それは違うように思います。心技体が揃えば勝てるが、逆はそうとも言えない。心技体が揃っているのが理想だが、それ以外は認められないのか?私はこう思います。心技体がそろっていなくても「圧倒的に強い=神」という図式が成り立つのではないか?白鵬は確かに心技体が揃っていないかもしれない。しかし、それでも圧倒的に強い「荒ぶる神」と言えれば、神事である相撲にはふさわしくないか?「横綱に品格が必要」とも言われますが、それもおかしな話白鵬は相撲界のルールに則った上で勝ちを積み重ねているのではないか?ルール違反があったならそこで切るべきだろう。それをしないで「横綱の品格」を言うのでは筋が通らない。戦前の双葉山、戦後の大鵬は大横綱として圧倒的に支持された。「嫌いな人が多い」といわれた北の湖の時代になって、世間も混迷してきたような気がする。それまでは善悪がハッキリ決まっていたのが曖昧になってきた。それでも北の湖の晩年には「実は北の湖が好きなんだ」と言い出す人が増えた。嫌われていた北の湖ですが否定されていたのでは無かったのだ。しかし、白鵬は違うような気がする。白鵬が負けが込んできても、「白鵬が実は好き」などという人は出てこないで「早く引退しろ」と罵倒を浴びせられるような気がする。これは時代が変わったんだろうか?皆さんいかがでしょう?
2019年05月11日
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チベット死者の書が流行ったのはいつの頃でしょうか?30年ぐらい前には、かなり流行って解説書も出されたように記憶していますが、私はその当時は読んでいません。しかし、最近チベット密教に興味を持ったので、読んでみることにしました。ある本に「チベット死者の書は、臓器移植などで生と死の境界があいまいになった現代に、チベット僧によって発見された埋蔵経典である。」と書いてあったが・・・本書の解説によると埋蔵経典だったのは事実ですが、発見されたのは14世紀です。さらに西洋に紹介されたのは、1927年。1960年代にはかなり有名になっていたらしい。さて、チベットの死者の書の解説などがネットで検索すると結構出てきますが、何を書いているのか判らない(*^_^*)もう少し、判りやすく書かんかい。ということで、私が書いてみます。一言でいえば、死の瞬間から四十九日までどうしたらいいかという話なのですが、輪廻転生が一般的でない日本ではここから書き始めないと判らないだろう。日本では亡くなった人は、そのままで子孫を見守って50年経つと神様になると考えられています。そこで、日本では49日以降も回忌法要を行い、故人に功徳を振り向けて立派に修行していただき、えらい神様になって子孫を守って欲しいというのが基本的な考えで、儒教も似たようなものかな?それに対し、インドの宗教観では、人が亡くなると49日目に生まれ変わるという考え方があります。人間界で死ぬと49日を経て天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄のいずれかに生まれ変わり、そこで生涯を終えたら、再び49日を経て何処かへ生まれ変わる。これが六道輪廻で、延々と続く生まれ変わりを如何に断ち切るかということで、解脱という方法を持って解決したのが仏教。チベット死者の書は、死んでから49日までの間に解脱する方法を説いた本と言えなくもないでしょう。ただ、この解脱という言葉が判りずらい(ーー;)仏教徒には解脱という言葉は一般的なのですが、日本においては一般的でない。解脱というと麻原彰晃が「最終解脱者」と言っていたのを思い出してしまいますね。なお。オウム真理教で有名になった「ポア」という言葉も死を意味するように彼の教団は使っていましたが違います。「ポア」というのは転移を意味し、死の瞬間に解脱することを指しています。さて、解脱という言葉ですが、日本でよく使われる「成仏」に近いのですが、日本の成仏は「解脱」「往生」「あの世へ行くこと」「天国に行くこと」などをひっくるめています。天国なんて「キリスト教」「ユダヤ教」「イスラム教」の教えですが、仏教系のお葬式で「天国で安らかに眠ってください」といわれても・・・「往生」が「解脱」に成るかどうかは微妙。「浄土」へ「往生」しても阿弥陀系であれば還相廻向があって、極楽浄土で修業した後に、人間界に戻ってきますし兜率浄土は兜率天ですから、弥勒菩薩とともに戻ってきます。これって輪廻が続いているから解脱では無いのでは?亡くなった人が年経って神格化されることも「成仏」と呼ばれるんでしょうが、厳密には成仏はおかしいわな(*^_^*)結局、解脱ってなんですか?と言われたら六道輪廻(生まれ変わり)の連鎖から抜け出すこと。というしかないんですが、キリスト教も日本の古来の教えも生まれ変わるわけではなく、死んだら終わりなので北斗の拳のケンシロウ風に言うと「お前はもう解脱している」と言えるんだろうか???日本人は輪廻転生と解脱が頭では理解できても、実感として理解出来ていない人が多いので、チベット死者の書を読んでもこんなものかという感じかもしれない。しかし、実は日本仏教に極めて近いところにチベット死者の書はあった。もっと早く読めばよかったと思います。さて、続きます。
2019年05月10日
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延々と真言宗と浄土真宗について書いております。前回を持って終わりにしたつもりでしたが、肝心の結論を書いていないことに気づきました(ーー;)宗派としては違う。つまり真言僧と浄土真宗の僧侶の違いはご理解いただけたのはではないかと考えております。真言宗と浄土真宗はどう違う-4ー実際は大して変わらないかも一般の方が教えとして選択する場合には、好きなほうを選んだら良いと思います。しかし、お葬式とか頼むとしたら結局どう違うのか?わからないですね(*^_^*)では、どちらが良いか?と言われたら・・・私は真言僧ですから、真言宗を勧めるのが普通かもしれませんが私はあえてしない(*^_^*)以前にも書いたかもしれませんが、私の実家は禅宗(臨済宗)ですし親は天台系で得度していますので、仏門に入るとき、真言宗と合わせて三つの選択肢がありました。禅宗の所作(立ち振る舞い)の美しさ、天台(修験系)の山林修行には興味がありました。しかし、選んだのは弘法大師空海の魅力あふれる真言宗。今考えてみると、私の選択は正しかったと思います。ただし、私だったから正しいといえますが、他の方だったら他の選択肢もあったかもしれない。また、禅問答のようですが私が他の選択肢を選んでいたとしても、正しかったというかもしれない。私の話は横へおいておきますが、結論としては、真言宗と浄土真宗は「どう違うか?」よりも好きなほうを選びなさいということになります。日本ではお葬式をする人は、葬儀でお祓いを期待しているように感じますが、その質はあまり問われていません。一方で、僧侶の側もお葬式の質にこだわる人は多くは無い。そもそも、葬儀は何時から何時までと時間が区切られているので時間の差を生じない。時間差があれば判りやすいですが、素人目には違いは判り難いでしょう。また、どちらかというと、見た目には真言宗のほうが、坊主らしい人は多いだろうけど、多分、法話がうまいのは浄土真宗では?なお、真言宗大覚寺派青年教師会編の「現代語訳 真言安心小鏡」(懐円 著)という本があります。江戸時代の阿波の僧侶、懐円師が真言宗による安心(救済)について書かれた本の現代語訳ですが、これによると「在家(僧侶でない一般の信者)は不思議な功力のある真言に巡り合うことをうれしく思い喜んでひたすらに信心し、その信心の功徳によって浄土に往生するのが良い」「往生はただただ真言がありがたいと思うことで決まる」と書いてあります。往生は詳しくは書いてありませんが、極楽を含む浄土に生まれることで、真言というのは光明真言と思われます。つまり、「光明真言をありがたいと思ってお唱えして浄土に往生しなさい」ということです。真言宗も浄土真宗もあまり変わらないですね(*^_^*)みなさんいかが思われますか?
2019年05月05日
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ついに令和が始まりましたね。雨がシトシト降って憂鬱な天気です(ーー;)実際、元号変わっても・・・今朝のニュースで見ましたが、各地でイベントが行われたんですね。カウントダウンが各地で行われていたのもビックリです。お祝いムードなんですね!(◎_◎;)私は相も変わらず、昨日までと同じ日々を過ごしています(*^_^*)昨日、外食しようと思ったのですが、休みのところが多いのかどこもいっぱい(ーー;)ある、お好み焼き屋さんの暖簾をくぐったところ、帰り際にこんなことを言われました。「10連休ですか?」「違います」あるお坊さんのブログで「飛び石連休」ならぬ「敷石連休」と書いておられましたが、なかなか良いネーミングです。10連休の人は公官庁と企業にお勤めの人がほとんどでしょう。個人商店はもちろんサービス業は休みどころか忙しいところも少なくありません。働いている人の中には、本当は休みたい人もいるでしょうね。また、連休が長すぎて困る人も、10日間何処かへ出かける余裕がある人ならともかく、余裕が無かったら大変(ーー;)一日中家族で家で過ごしていたらストレスになったりして。子供は休みなので何処かへ行きたがるだろう。しかし、出かけたところで、国内では人込みでイモ洗い状態(ーー;)さて、今朝の新聞は一面どころか半分くらい「令和一色」になっていました。また、折り込みチラシも「令和大売出し」以前にこんな日記を書きました。元号発表の大異変?令和ショックか?ーアクセス10372の謎個人的にはイマイチどころかあり得ないような元号と書きましたが、他の元号候補を見てみるともっとビックリ(◎_◎;)「英弘」「久化」「広至」「万和」「万保」なんかイマイチですね(ーー;)これと比べると「令和」がマシに見えますが・・・歴史や文学の専門家が時間をかけて選んでこの程度???「誰が選んだんだよ」って突っ込み入れたくなるぐらい酷いですね。もうちょっとマシな人に選ばせたらいいのに。権威にこだわったら碌なものができないという見本ではないでしょうか?古典などにこだわらず、自由に漢字を組み合わせたらもっと良いものができるような気もするんですが・・・それはさておき、新天皇が即位され元号も変わったことですから、お祝いということで消費税を撤廃してはいかがでしょう?ムードだけお祝いでもうれしくもなんともない。消費税撤廃なら、一気に経済も上昇して景気の上向きは間違いない(*^_^*)ひねくれた意見をダラダラと書いてしまいましたがみなさんどう思われますか?【中古】 日本を滅ぼす消費税増税 講談社現代新書/菊池英博【著】 【中古】afb
2019年05月01日
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