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私の日記は、自分が思っていることをダラダラと書いているだけでまとまりが無い記事が多いうえ、特殊な話題を扱うのでなかなかコメントいただけません。コメントいただいている方には感謝しています。さて、私の日記ですが、今年はアクセスが増えています。昨年後半は、1日のアクセスが400~600で、記事を書いてもアクセスが増えるわけではありませんでした。記事数が当時も1600ぐらいあったので、新しく書いた記事よりも古い記事の方がアクセスが多いこともありました。ところが、今年になって新しい記事のアクセスが少しづつ増えています。以前は新しい記事を書いても、アクセスが10~20くらいで、10以下のこともありましたが、最近は20~30になっています。また、1日にアクセス数も800~1100ぐらいに増えています。ただ、楽天のシステムがよくわからないのですが、記事のアクセス数を足しても、トータルのアクセス数の数分の1にしかなりません。私のブログはサイドメニューに載せてある記事も多いのでそちらを検索されているようにも思います。ここで、本日の人気記事を紹介させていただきます。「巨人・大鵬・玉子焼き」と「江川・ピーマン・北の湖」トータルアクセス 17521この記事すごいですね。内容は大したことないのですが、相撲の時期になるとアクセスを伸ばします。ブログ全体のアクセスが224万ぐらいなので、100人に一人くらいはこの記事目当てに来ていただいているということですかね?続編もあります「巨人・大鵬・玉子焼き」と「江川・ピーマン・北の湖」2-白鳳はなぜ不人気なのか?さて、次に紹介するのはこちら関東八十八ヶ所というニセモノ札所 トータルアクセス 13467以前こんなコメントをいただきました。センセーショナルなタイトルで注目を集めようとする姑息な手法実際に、東京スポーツ並みの際どいタイトルが多いですがこの記事が代表かも(*^_^*)批判的記事ではなく、こういう内容で批判していた方に反論するという、むしろ擁護する立場の内容なのですが元記事が削除されてしまったので、誤解されているかもしれません。確かに、炎上商法みたいにセンセーショナルなタイトルで、注目を集めようとする姑息な手法かも(ーー;)運転免許に暗証番号、その意味は?トータルアクセス 14133意外にこんな記事に人気があるんですね。運転免許証の暗証番号には抵抗がある人が多いということです。アクセス10000を超えている記事はこの三つだけなんですが次にアクセス10000を超えると予測している記事がこちら本当は恐ろしい出雲大社トータルアクセス 7645「出雲大社」は大国主命を封じているという「逆説のおっさん」こと井沢元彦の説を紹介している記事ですが意外に人気がありますね。弘法大師が眠られているのは奥の院ではない?ー「弘法大師 伝承と史実」の衝撃 3トータルアクセス 6274弘法大師が眠られていると言われ、真言宗のみならず他宗派の方からも信仰を集めている高野山奥の院を否定する説を紹介しています。なお、「弘法大師 伝承と史実」の著者は元高野山大学副学長の武内孝善先生というのは驚き!真言宗と浄土真宗はどう違う?トータルアクセス 2853これは完全な失敗記事。「真言宗と浄土真宗がどう違うか」と問いかけながらまったく答えていません(ーー;)12年経って今年続編を書きました。真言宗と浄土真宗はどう違う?ー2ー食べ物に例えてみた 真言宗と浄土真宗はどう違うー3-懐石料理とカロリーメイトエビ天真言宗と浄土真宗はどう違う-4ー実際は大して変わらないかも真言宗と浄土真宗はどう違う-5ー往生はただただ真言がありがたいと思うことで決まる長いですが、興味のある方はお読みください。さて、弘法大師は何宗の僧侶?トータルアクセス 3591弘法大師は真言宗を開いたというのは、よく知られていますがもともと、何宗の僧侶として、中国へ渡ったかは不明です。また、密教を持って帰ってきて、真言宗を開いたのも当然のように思われていますが、そうでもないという話。追加しました空海の誕生地は畿内?ー「弘法大師 伝承と史実」の衝撃 2トータルアクセス 2303弘法大師は四国で生まれ、育ち、修行したと言われ四国の人々にとっては「弘法大師」を生んだ四国というのが定説ですが、それに対して異議を唱えた説を「弘法大師 伝承と史実」から紹介しています。奥の院に弘法大師が眠られていないという話よりインパクトが小さいのかアクセスは三分の一ですね。再び高野山真言宗?トータルアクセス 3161これが人気記事になっている意味が分からないです(*^_^*)内容的には新聞記事を題材に僧侶の内部事情を説明していますがタイトルも普通ですし人気記事になる要素がありません。赤で人の名前を書くな!トータルアクセス 4798赤で名前を書いてはいけない理由について書いています。赤で人の名前を書く人が多いのでしょうか?理趣経は勉強しないで下さい!トータルアクセス 1140理趣経というのは、真言宗では最重要経典ですが他宗ではほとんど使われないという特殊なお経。真言宗の信者の方は、さぞかし、内容が知りたいでしょうがなぜか真言僧は「勉強してはいけません」と言います。その理由について書いたのですが、この文章はおかしいですね(ーー;)また、いずれ書きなおします。さらに追加しました自利行と利他行についてトータルアクセス 4541自利行というのは自分のための行。利他行というのは他人のための行です。真言密教ではこれが一つになっているのですが、本当に初期の日記で何を書いているのかよくわかりません。こちらも書き直す必要があります。またまた追加しました数珠の使い方!トータルアクセス 1830数珠の使い方というより、持ち方ですね(*^_^*)一劫を計算してみたトータルアクセス 3377「劫」という時間をどれくらいの長さになるのか計算してみました。私らしい日記です。真言宗の法要?ー十夜大法会トータルアクセス 1792徳島では10月から11月にかけて十夜大法会という行事があります。それについて書いたものですが、気に入らないので書き直しています。真言宗の法要としての十夜大法会なお、最新の記事から10記事ぐらい後まではアクセスがありますので、新しく来ていただいた方が、少しバックナンバーを読んでいただいているということでうれしいことだと思っています。一方で、最新記事のアクセスが少ないということは、リピーターが少ないということないので、これは残念です(ーー;)少し読む人を考えて書いたらという意見をいただいたこともありますが、ネットでは自分の思いを書きたいです。それに、文章もうまくないし、知識もたいしたことないので、読み手を考えて書いたところで、人気ブログにはなれないです。これからも、自分の書きたいことを書きますが、よろしくお願いいたします。
2019年09月29日
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26日に眉山山頂で、毎年行われる戦没者英霊過去帳法要に出仕してきました。暑かったですね。暑さのためではないでしょうが、例年の半分くらいのお参りしかなくて、席はガラガラなんですが、締め切ったパゴダ内で行われるために暑い暑い(ーー;)さて、かつて眉山山頂にはモラエス館という建物がありました。モラエス館モラエスについてはこちらヴェンセスラウ・デ・モラエスモラエス館を検索したらこんな記事が出てきました。眉山山頂に新観光施設が誕生するじょ!モラエス館解体、16年秋完成予定。>モラエス館はポルトガルの文人モラエスの遺品や書籍などがあるが、>老朽化が進んでいました。建て替えは眉山から徳島駅までのエリアの>観光振興やにぎわいづくりを目的に13年度にまとめた>「眉山魅力アップ計画」に盛り込まれていました。ここに紹介されているモラエス館の写真はモラエス館でなく平和記念塔パゴダなんですが・・・2016年には眉山山頂は魅力的な新観光施設が出来上がっていたはずですが・・・実際には解体されたモラエス館跡地は、いまだにフェンスで囲われたままで放置されています。そのフェンスに書かれた落書きがこちらモラエス館跡地の新観光施設の計画が白紙になったのは実はこの計画が別の計画の予算に組み込まれていたからです。その計画が徳島市の新町西地区開発事業。かつては徳島市中心部の商店街として栄えた新町ですが通行量が全盛期の100分の1に落ち込むという凋落を見せ最近はシャッター街の中で所々商店が残っているという悲惨な状態になっています。それを打開するべく計画されたのが新町西地区開発事業。原秀樹・前市長時代、約1.8ヘクタールの区域に、大小二つの音楽・芸術ホールや商業施設などを建てる計画が進んでいた。総事業費は約225億円。再開発組合が整備し、市がホールを156億円で買い取る予定でした。なかなか野心的な計画ですが、そもそも人口20数万人の徳島市で225億円という莫大な予算を投じて音楽ホールなど作っても意味があるのか?という意見は以前からありました。とはいえ、反対意見を押し切って計画は進んでいました。しかし、2016年の市長選で、事業の白紙撤回を公約に掲げた遠藤彰良氏が初当選。就任後、ホールを購入しないことを決めこの、音楽ホールの予算にモラエス館跡地の整備計画の予算も組み込まれていたために、計画が止まってしまった(ーー;)もうそろそろ、どうするか計画が動き出したようですが新観光施設の計画はもう無いようです。来年あたりはフェンスが撤去されることを期待しましょう。
2019年09月28日
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先日の日記で、気功についてコメントしました。密教で超能力は付くのか?私が気功と出会ったのは、30年以上前に四国遍路をしていた頃ある番外霊場で一緒になったお遍路さんから少し教わりました。その人の話によると、四国霊場の納経帖からは気が出ていると言います。だから四国遍路の納経帖で病気が治るのだと。改めて、四国遍路の納経帖をめくってみると、確かに気が出ているような気がする。ちなみに、私の書いた塔婆も手をかざしてみると・・・四国遍路の納経帖より弱いですが、気が出ているような気がする。不思議な話です。四国遍路の納経帖は、住職が書いたものもありますが、多くは失礼ながら普通のおっさんが書いたもの。梵字などは結構おかしいのがある。ん?なんて読むんだろう?という字もある。一方、私は真言僧としてはまあまあのはず。しかし、ふつうのおっさんに負けるのか(ーー;)維摩居士に舎利弗・目連・大迦葉(釈迦の十大弟子)や弥勒菩薩などがやられるようなものか?それはさておき、気というのは特別なものではありません。両手を少しこすって、その後、両手を、少し離した状態で離したり、近づけたりを繰り返すと、両手の間に何かあるような気がする。それが気です。植物などに手をかざして、同じように近づけたり離したりを繰り返すと、同じような感覚があるでしょう。誰でも感じることができるし、私が教えた人は例外なく判りました。とはいえ、私は気の専門家ではありませんし、それどころか気功で病気を治す方からは、「才能が無い」と言われています(*^_^*)ただ、もう15年以上前になりますが、気を強くするよう訓練したこともあります。数か月たってかなり強くなったような気がしました。そこで、ある病人の人に気を送ったことがありますがそれが最悪(ーー;)2週間以上原因不明の肩こりに悩まされました(ーー;)同じころ、衝撃的なことがありました。ある人に気の話をしたところ「気なら私もできる」と言われ、その人が手をこすって、気を見せてくれましたが・・・私と大して変わらない(◎_◎;)その人は、行とかするようなタイプではなく努力するような感じの人でもない。本当に普通の人なので、こういう人に負けるようではこれ以上努力しても先がないと思いやめました。さて、以前、日記にも書きましたが、ある方から「気は目に見えない」と言われましたが「いえいえ、気のある場所は判りますよ」と答えました。気の集積地は目に見えます。皆さんもご存知ですよ。神社仏閣に多いのですが、巨木のある場所です。巨木がある場所というのは、通常は寿命を迎えるはずの樹木がその寿命を終える年月を経ても時を超えて大きく育っていく。そこに生えている木が特別なのではなく、気が集まる場所が特別なのではないでしょうか。だからこそ、古の人は、その特別な場所を祀った。だからこういうことをしてはいけない暴挙?英断?神社なのに丸刈り?そして老木は伐られたただ、木が放つ気も一定ではありません。ずいぶん昔の話になりますが、四国霊場68番の元札所琴弾八幡宮の境内にはるかに離れたところからも気が感じられる木がありました。それほど巨木でも古木でもなかったのですが、次に訪れた時にはその巨大な気が消えていました。強烈な気を放つ巨木岐阜と福井の県境の石徹白にある「イトシロの大杉」も最初に見たときは特別な気をまとっていましたが、12年前に訪れたときは輝きを失っていました。イトシロの大杉これらは木本体が気を失ったのか、それとも、その場所に集まる気が少なくなったのかは判りませんが、確かに感じられるものが違っていした。こう書いたとき、一瞬思いました。私の気を感じる力が失われたのか?それも無いとは言えないかもしれません。まとまりのない話を書いてしまいましたがいかがでしょう?神の木 日・韓・台の巨木・老樹信仰 (単行本・ムック) / 李春子/著
2019年09月27日
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今週木曜日の26日に眉山山頂のパゴダで、徳島県仏教会主催の戦没者英霊過去帳慰霊法要が行われます。以下は平和記念塔パゴダの紹介です。パゴダとは、英語で仏塔の意味です。2400年の昔からインド中部のサーンチー村に現存するサーンチー大塔(ストゥーパ)がその源で、日本へも中国大陸を経て法隆寺の五重塔や高野山の大塔の形で伝わっています。平和記念塔パゴダは、昭和33年(1958年)に第二次世界大戦の激戦地であったビルマ(現ミャンマー)戦線からの帰還兵で作られた徳島県ビルマ会によって、戦場で眺め親しんだ平和の象徴である純白のパゴダに思いを馳せ、ビルマのシュエダゴン・パゴダをモデルにして建設されました。高さ25メートル、円錐形ドームのビルマ独特の様式で、国内のパゴダの中では、最大級唯一のものです。第二次世界大戦では、出征した徳島県人2万9749名が、生きて再び徳島の地を踏むことなく、戦地において命を失いましたが、最も多くの戦没者を出したのがビルマで、実に2割強の6216名が悲惨な最期を遂げています。 このパゴダの建設には、若くして戦場に散った数多くの戦没戦友の冥福を祈るためと、恒久平和を願うシンボルとして永く後世に残したいという願いが込められています。 平和記念塔パゴダの中には、当時ビルマのウ・ヌー首相から贈られた仏舎利(お釈迦さまの遺骨)が祀られているとともに、第二次世界大戦の日本の戦没者13万柱余が奉安されています。その内訳は、遺族から申し込みがあった徳島県人戦没者7967柱をはじめ、東京の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑に安置された遺骨の一部を分骨した無名戦士8万6942柱、昭和50年(1975年)~53年(1978年)にかけてビルマ・インド・タイにおいて収集された遺骨3万8667柱、計13万3576柱となっています。 徳島県ビルマ会は、パゴダを心の拠り所として、戦没戦友を偲んで慰霊を行ってきましたが、会員の老齢化が進み維持管理が難しくなったため、平成元年(1989年)にパゴダの建設当初から協力してきた徳島県仏教会に移管され、現在に至っています。 平和記念塔パゴダにおいては、奉安された戦没者の追悼のため、毎年8月15日の終戦記念日には戦没者慰霊法要と奉納阿波踊り、9月26日には徳島県ビルマ会の協力の下、戦没英霊過去帳慰霊法要を行っております。「徳島県仏教会ホームページより」と き 令和元年9月26日(木)午後1時30分~ところ 眉山山頂 平和記念塔 パゴダ平和記念塔パゴダにはウーヌ・ビルマ首相より贈られた仏舎利が納められており、大東亜戦争の戦没者13万柱余が奉安されています。 奉安された戦没者の追悼のため、昭和35年より毎年9月に徳島県遺族会協力のもと、戦没者英霊慰霊過去帳法要を行っています。戦没者遺族の方はどうぞお参りください。
2019年09月25日
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坊主をしていると聞かれる質問があります。「幽霊が見たことあります?」「無いです」別に仏道修行をしたところで、幽霊が見えるようになるわけではありません。たまに、坊主でも幽霊が見えると言う僧侶がいますが、そういう人は大した人ではないような気がする(*^_^*)別に負け惜しみでいうわけでなく、幽霊が見えるという人が僧侶としての能力にたけているわけではないので「見えていたらもうちょっと出来そうなのに・・・」と思います。実際のところ、そういう方では悪霊払いなどは難しいような気がしますね(*^_^*)なお、祈祷を行っている寺院の住職さんを何人か知っていますが物凄く効果がありそうな人はなかなかいません(ーー;)それなりに、しっかりと拝んでいる人でないと、祈祷してもらっても効果はないでしょう。私の師匠は効果がありそうですが、そういう人は少ない。それどころか、本人が欲まみれで拝んでもらったら悪霊に憑りつかれるような気がする人もいます(ーー;)まあ、信じていればプラシーボ効果はあるかもしれませんが私はお願いしたくないですね。さて、オウム真理教でも話題になりましたが、仏道修行すると超能力はつくのでしょうか?仏道修行というわけではありませんが、断食をしばらく行い、しかる後に、少しずつ食べると、体が羽が生えたように軽くなるという経験があります。昔の仙人などは、山を飛ぶように移動すると言いますが、それは本当ではないかと思いますね。ただ、しばらくするとその効果は消えて、体が普通に戻ってしまいました。また、四国遍路で寝袋1枚で野宿をしていたら、方向感覚が研ぎ澄まされてきて、迷わなくなるし、天候もわかる。さらに、人の心?も読めるようになりますね。だから、悪意のある人は判るので騙されなくなる。これは超能力というより、本能に目覚めて「眠っていた野生が蘇る」という感じですかね?余談ですが、山で道に迷ったり、遭難したり、振り込み詐欺でだまされたりというのは、全部ではありませんが、本能が残っていたら避けられる場合も少なくないと思います。最近行をしていると、何かモヤモヤしたものが見えます。自分のオーラではないかと思います。見えても何もないですけど(ーー;)オウム真理教の麻原などは空中浮揚ができたと言いますがそれは嘘だろうと思います。仮に空中浮揚ができたとしたら、かなりエネルギーが要ります。自分の体を空中に浮かせるわけですから・・・しかし、その割にメリットは小さい。使えるとしたら誰かに刺殺されそうになって逃げるときぐらいですがそんな状況で逃げるぐらいなら、そのエネルギーを相手の急所にでも向けたらいい。そちらの方が確実に逃げられるだろう。実際、オウムは空中浮揚が出来るような人間がいたなら、足のつく殺人など行わないで、そのエネルギーを相手の体内に向けてやれば、絶対に犯人は判らなかっただろうと思います。では、仏道修行をしても超能力がつかないかというと、それは判りません。仏教でも神通力というのがありますし、お釈迦さまはマーヤビン(幻術使い)と言われていたそうです。修験道というのは「験力」を修める道ですから、超能力ではありませんが不思議なお陰をいただけるという感じです。なお、修験道といえば、厳しいイメージがありますが、某修験道の方に「修験道ってどうなんですか?」とお尋ねしたら「今は作法だけです」「大体サラリーマンが土日にしてます」と言われてガッカリした(ーー;)私も不思議な体験は結構ありますが、自分の力でどうにかなったという経験はありません。なぜこんな日記を書く気になったのか不明です(ーー;)もう少し、行が進んでから、また書きたいと思います。
2019年09月23日
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生の落花生をいただきました。昨年も別の方から生落花生をいただいて、調理しています。最近のお気に入りレシピー落花生茹でるとおいしいと、今回送っていただいたかたもおっしゃるのですが、茹でるのも結構大変なんですよね(*^_^*)私が食べているレシピをお教えいたします。いただいた落花生は「おおまさり」という大型のもの。まず、水で洗い、殻を取る。殻をむくと、薄皮がついていますが、少し水につけておくとこの薄皮もむけます。薄皮を剥いた後、水を切って電子レンジでチンする。温まったら、少しゆすって、もう一度チンする。さらに塩を振って、少しゆすってもう一度チンする。少しゆすって、もう一度チンする。この辺で食べられますが、カリカリした食感が良い方は さらに何度かチンする。六回チンした状態です。塩が浮いているのがわかりますかね?この状態だと、茹でた落花生と同じくらいの食感です。さらに2~3回チンするとカリカリになって、市販のピーナッツみたいな触感になります。この調理法のメリットは少量でもできることと馬鹿でもできること。殻と薄皮をむくのが面倒ですが、一度お試しください。
2019年09月22日
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さて、先日、近隣寺院で法要があり、その席で、こんな話が出ました。ある僧侶の方がこんなことを言い出しました。「○○さんは金を積んで坊主の資格を取った」金で僧侶の資格を買うとは、けしからん話ではありますが現実にあるのか???○○さんは多少は名が知られた僧侶。一般の方でも知っている人がいないというわけではない。しかし、金を積んで僧侶資格をくれるんだろうか???実はそれなりにメジャーな本山では、僧侶になるための審査試験がある。高野山などは大卒レベル・高卒レベル・中卒レベルのイメージの三段階の審査になっていた。本来、僧侶になるためには、その試験を受けるのだが、本山が指定する僧侶養成施設で修行すると試験が免除になる。つまり、自動車教習所で実技試験が免除になるようなものと考えていただければ良いです。しかし、国家試験ではないので、仮にお金を積んで資格を得ても罰則はない。そうすると、僧侶資格の裏口取得はありそうですが、内情からすると難しいだろう。メジャーな本山は合議制で運営されているので、一人の人にお金を積んでも僧侶資格を取れるわけではない。したがって、複数の人にお金を配るが、これはリスクが大きい一人の人なら、その人が語らなければわからないが、複数に配るとなると、少ない人は文句も出るだろうし、貰えない人も文句が出るだろう。また、お金を積んで僧侶資格を得たということが判ってしまうとお金を送った人も貰った人は当然問題になる。だから、まともな本山ではお金を積んでも資格などくれない。ただ、こういうケースはある本来は修行をしてから、審査試験を受けるのですが実は修行していなくても、修行をしたことにして、試験を受けることはできなくもない。しかし、それでは普通落ちるだろう。そのために、試験対策の予備講座みたいなものがある。その予備講座が結構高いのだ(ーー;)一泊二日で30数万円だったか?その予備講座を受けると、中卒レベルは受かるらしい。ただ、中卒レベルでは住職になれないので、(最低でも5~6年は掛かる)急ぐ人には向いてない。結局、まともに修行するのが早道なのだ。「○○さんは金を積んで坊主の資格を取った」ということには否定的ですが、私も「○○さん」は、ほとんど修行していないと思います。○○さんは、日常生活をおくりながら僧侶の修行をするのが大変だったと語っていますがそれは絶対にウソ以前、僧侶は特別な修行している人という誤解で書いたように、真言僧侶はそれほど大した修行をしていない。しかし、一方で「○○さん」の語るように日常生活をおくりながら、修行するのは無理。20代の修行僧でも、修業期間中はさほど余裕がない。30代の僧侶の多くは疲れ切っていた。○○さんは、女性で当時50代。絶対に無理さて、「○○さんは金を積んで坊主の資格を取った」と語った人は、本山で修行したとはいうものの、内容を聞いても知らないし、修行してから40数年間本山へ行ったことがないと豪語する強者なのだ。普通は修行した後で、何度か勉強とかお参りとかで本山に行くはずなのだ。それが一回もないというのは自慢できる話ではない。「僧侶になるための修行だけしても、そのあと勉強も修行も しなかったらダメなのでは?」と言ってみた(*^_^*)そうしたら、怒る怒る。「だいたいうちのような山寺は、お宅のような、町のお寺と違う。掃除が大変で修行も勉強もする暇なんかない」と偉そうに言われてしまった(*^_^*)しかし、この方のお寺は山寺というほど、山の中にあるのでなく、市街地の山際にあるというだけ。また、この人が掃除しているところを見たことないし、それどころか、電話も出ないし、お寺にもほとんどいない。前にも衣に穴が開いているので、教えたら「線香で穴が開く」と気にしない程度の人で、僧侶としてはかなりルーズな私のはるかに上をいってます。だから、この人が掃除などするんだろうか、と思ってしまう(*^_^*)百歩譲って掃除が本当に大変だとしても、自分が本山から帰ってきてから全く修行も勉強もしていないのに「○○さんは金を積んで坊主の資格を取った」という誤解されるような発言は止めてほしいです。
2019年09月21日
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9月15日に東京オリンピックのマラソン代表を決めるMSG(マラソングランドチャンピオンシップ)が行われ1位、2位の選手が内定しました。注目したいのは女子2位の日本郵政グループの鈴木亜由子選手。2013年のユニバーシアードで10000m 1位 32分54秒175000m 2位 15分51秒472018年のリオ五輪でも5000メートルに出場するなど実績を積んでいる選手ですが、出身大学が旧帝国大学の名古屋大!(◎_◎;)勉強もできるんですね!名古屋大陸上部には、優秀なコーチがいるのかと思って名古屋大陸上部の歴代記録を見ると10000メートル1位 32.49.02 鈴木亜由子2位 36.48.81 小山倫代おお~10000メートルで4分のブッチギリ!(◎_◎;)この小山という人は遅いように感じるんですが5000メートル1位 15.31.45 鈴木亜由子2位 15.57.51 垣津奈美3位 16.40.53 小山倫代3000メートル1位 9.22.36 鈴木亜由子2位 9.32.04 垣津奈美3位 9.41.80 小山倫代1500メートル1位 4.18.75 鈴木亜由子2位 4.35.86 垣津奈美5位 4.41.32 小山倫代800メートル1位 2.15.06 鈴木亜由子7位 2.20.51 小山倫代鈴木亜由子選手が800メートルから10000メートルまで中長距離で圧倒的な速さを見せつけているんですが、この小山という人もかなり早い選手なんですね。また、垣津という選手は1500メートルから5000メートルで圧倒的な速さを持っているのですが、その上を鈴木選手が異次元の速さで走っていることがわかります。以前書いたこの話を思い出してしまいました。~~~~~~~~~~~~~皆さんは、土井宏昭、海老原亘というハンマー投げの選手を ご存知でしょうか? 土井宏昭は74m08の記録を持ち、日本歴代三位アジア陸上で銀二回銅三回 海老原亘は72m47の記録を持ち、日本歴代四位アジア陸上で優勝経験を持っています。 二人とも陸上界のスーパースターなのですが今一つ知名度は高くないようです。 土井宏昭は全日本選手権九年連続二位 海老原亘は全日本選手権六年連続二位この前に立ちはだかったのは、言わずと知れた全日本選手権20連覇!の室伏広治ちなみにハンマー投げの日本歴代二位の記録を持っているのは室伏重信(室伏父)土井宏昭、海老原亘も凄い選手なのですが、 同時代に怪物がいたためにかすんでしまいました。~~~~~~~~垣津奈美、小山倫代という二人の選手も鈴木亜由子という異次元の選手の陰に隠れていますが、名選手だったように思います。いかがでしょう?
2019年09月19日
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消費税が上がるのは仕方ないんだろうか?消費税を上げると個人も法人も収入が減る消費税についてはずいぶん前からの流れなんですが野田政権が暴走している消費税賛成派議員は全部落とすべきである消費税など賛成している人だけが払えば良いと思います。ただ、消費税反対運動が起きないのは何故なんでしょう?香港の「逃亡犯条例改正案」みたいに猛烈な反対運動を展開したらさすがに安部政権は消費税増税を撤回せざるを得ないだろう。しかし、まったくと言っていいほど消費税反対運動は起きていないし反対の論調すらない。これは不思議な話だと私には思えます。消費税が2パーセント上がるだけと思う人もいるかもしれませんが国民の消費の1割を国に納めろなどという法案は滅茶苦茶だ。反対運動が起きないほうがおかしいしかし、先々月に行われた参議院議員選挙でも消費税推進派が過半数を取っています。一体どういうことなんだろうと思います。新聞の投稿欄でも、「将来のために我慢する」みたいな意見を述べている人がいますが、人が良すぎるではないか?消費税の真実はこうだ。消費税を上げると個人も法人も収入が減る以前日記にも書きましたが、スポーツの世界で日本が勝つようになるとルールが変えられます。古くは卓球、バレーボール、F1、スキーノルディック複合スキージャンプ。皆、ルールを変えられて日本は勝てなくなりました。日本人は与えられたルールの中で工夫して努力するのは得意かもしれない。しかし、自分がルールを変える側に回るのは不得意だ。国際社会では自分が勝てるルールで戦うよう努力するのが与えられたルールで工夫して努力するのと同じように重視されています。実は外交も同じ、トランプなどは自国の都合の良いようにルールを変えようとして批判を受けていますが、国際政治から見てあれは正しい。まず、自国の利益を確保するために政治家は努力するべきだと思います。私は日本の商業捕鯨再開は非常に評価しています。もともと IWC(国際捕鯨委員会)に日本が加盟していてもあまりメリットはありません。IWCは捕鯨支持国が36、反捕鯨国が50中間派・その他が4と反捕鯨国が多く、しかもそのほとんどがヨーロッパとアメリカ、豪州、NZの白人国家と南アメリカ。逆にアジアアフリカは捕鯨支持優勢です。クジラから油を取って肉は捨てるという白人国家の乱獲により激減したクジラを昔から「捨てるところがない」と言われて有効活用してきた日本が制限されるのはおかしな話。以前から、IWCは日本が加盟していてもメリットが無いのに付き合いで加盟していただけの話。はっきりとメリットが無いことにはNOを突きつけるという日本の態度を世界に示せて良かったと思います。日本人はもともと協調性が優れています。しかし、それだけで社会を乗り切れるわけではありません。今からでも消費税にNOという声をあげたいと思います。いかがでしょう?
2019年09月18日
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ついに三日目の朝がやってきた。ちょうど法事が二つ入っていますが、その前に葬儀屋さんがやってきた。まいったな、本堂の準備ができていない。ふすまと障子を外さないといけないのですが、これは自分でやったほうが後が楽と思っていたのですが、葬儀屋さんに依頼する。午前中、留守にしている間に、ほとんど祭壇は仕上がっていた。昼から夕方にかけては暇。電話もかかってこない(*^_^*)自分で祭壇の手直しと、通夜会場の設営を行う。夕方に、近隣寺院の老僧が来てくれました。この方は、かなり大きなお葬式の会奉行(葬式を差配する人)を務めたこともあり、経験豊富な方です。祭壇と、通夜会場を見てもらうと「写真の位置変えられない?香炉の位置がおかしいよ」「通夜の導師の机は無しでいいんじゃない?」おお~確かに。自分でもなんとなく違和感があったのですが、指摘されてみると的確。傍目八目とも言いますが、自分ではわからない部分でしょう。本来はこの方に葬儀の仕切りをお願いしたい所なのですが、特殊な事情があってお願いできない。近隣寺院も地域で二つに分かれていて、その地域ごとに葬儀などは取り仕切る習わしなので、本来はこちらの地域の三ケ寺が葬儀を仕切ってくれるはずなのだ。ところが、一番若いJ寺さんは色々と手伝ってはくれているが他の二人の住職が全く姿を見せてくれない(ーー;)私もわざわざお願いしてはいないのだが、事情はあるとはいえ、お葬式の時ぐらいは手伝って欲しいものだ。通夜の席でも結構ギリギリにくる人がいたので、翌日の配役も私が決めた。通夜と言っても密葬に近いので、近隣寺院と近い身内だけで会葬者もなく終了。翌日は葬儀ですが、その前に火葬。葬儀屋さんは八時半に来るという話でしたが、七時半ごろやってきて設営をしています。火葬前に拝む予定でしたが、バタバタしてしまった(ーー;)無事火葬も終わり、葬儀の準備も終了。あとは会葬者を待つだけです。1時過ぎに近隣寺院の方が何人かやってきましたが、その時点で戦慄の事実が発覚した。当日のお葬式の次第を寺院に配る予定ですが、その次第ができてない(ーー;)実は昨夕きて頂いた近隣寺院の老僧にお願いしていたと思っていたのですが・・・「昨日FAXしたよ」「えええ~」確かにFAXは届いていたんですが・・・葬儀まであと45分という時点で、急遽PCに向かい次第を作成する(ーー;)開式30分前の1時半になっても、会葬者があまり来ない(ーー;)故人が15年ほど病院に入っていたということもありあまり連絡はしていないが、付き合いできてくれる人もいるだろうと考えていた。しかし、そういうものでもないらしい。そこから、次々と近隣の檀家さんが来てくれました。その間も気になることがあって動き回ります。こういうところは、経験が無かったら、そのまま立って挨拶しているだけだろうから、そっちのほうが良いかもしれない。困ったのは、塔婆と位牌を書いてくれるようお願いした寺院が来ないことです。これも、私が自分で書いても良かったのですが、葬儀の塔婆や位牌まで私が書くのもねえ~「来なかったら、位牌無しで葬儀します」と葬儀社に伝えましたが、ギリギリで来てくれた。葬儀は滞りなく終了。しかし、その後に引き続き初七日法要を行うことを伝えていなかったので、本来残ってもらう人でも帰る人続出(ーー;)初七日法要が終わり、祭壇の片づけを葬儀社がしてくれてやっとお葬式終了。疲れました(ーー;)
2019年09月17日
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仕事柄、お葬式に関わることが多いのですが、喪主を務める経験はあまりありません。今回で三度目です。最初の喪主は20歳の時、叔父の喪主を務めましたが、その時は完全なお飾り。親戚のおじさんが「喪主が若輩なので」を連呼するのが印象的(ーー;)実際何もしていないですけど。次は先代住職の葬儀ですが、これには参った(ーー;)すでに僧侶としてお寺に入って4年目でしたが、様々な思惑が交錯する中で、お寺の葬儀というものが全く分からない状況で右往左往して何とか終わったという感じ?今回はあれから14年。3年連続で近隣寺院の葬儀の差配して、キャリア十分でしかも、「もしも」を想定した中での葬儀の喪主。ハヤブサ2並みに、完璧に予定通り行えるはずと思っていましたが・・・そうでもない(ーー;)とりあえず、導師をお願いする方に、予定を確認して他の近隣寺院にも電話したところ・・・「葬儀と通夜が決まってから電話して」ええ~!自分で予定組んで、葬儀と通夜のセッティングするの???(ーー;)私が近隣寺院の葬儀を担当した時には、私がしたんですけど・・・14年前、先代住職の葬儀の調整をしてくれた住職はすでに亡くなっています(ーー;)結論から言うと、寺院の葬儀を自分でプランニングすることは可能。しかし、コーディネイトは難しい。普通の葬儀は、葬儀屋さんがプランを持っている。それに基づいて、喪主の意向を聞いて、僧侶がアドバイスしてコーディネイトは葬儀屋さんが行う。ところが、寺院の葬儀の場合は、プランニングを寺院が行い、コーディネイトも葬儀屋さんに指示しながら僧侶が行う。私はプランナーとしてはそこそこキャリアを積んでいると思っています。しかし、いつもコーディネイトで失敗する。実際、コーディネイターとしてはイマイチとも思っているので寺院葬式のコーディネイトのプランも持っていたんですが・・・その前に私の番が回ってきてしまった。いきなりお葬式に直面すると、することはわかっているししなければいけないのもわかっていますが、精神的に余裕が無い(ーー;)ただ、某近隣寺院が葬儀の次第を夜にFAXしてくれたのは嬉しかった(*^_^*)その時点でお葬式をして何もしないまま一日目終了。近所の方が葬儀の手伝いをしていた時代と違い親族が葬儀のノウハウを持っていることも無い今では一般の方は葬儀はかなり大変だろうと思う。家族葬が増えるのも仕方ないかもしれない。翌日、一般の方はかなり時間がかかる葬儀社との打ち合わせはあっけなく終了。途中で以前にも登場した寺院の住職が来てくれる。坊主でも葬儀は大変彼に手伝いの僧侶の依頼をお願いします。そのあと、午前中に再び別の住職が来てくれる。肝心なことは話さないで雑談ばかりしましたが多少は気がまぎれる。「明日は一日空けときますから」と言われたが、「大丈夫ですよ」と答える。お昼にかかりますが、導師をしていただく老僧へあいさつに行き、故人の略歴を渡します。「戒名は自分で作っといてよ」「え、私が?」5月に見送った近隣寺院の先代住職の奥さんの葬儀では現住職が導師に戒名を依頼していた。自分で作ればいいのにと思いましたが、そうでもない。あらかじめ作っておくのなら良いのですが、亡くなってからでは戒名を作る余裕が無いということがわかって苦戦する(ーー;)寺院のお葬式の場合には、お参りに来られた寺院に対してお布施を渡すことも多い。そのお金も用意しないといけない。さらに、当院は駐車場が無いので、その手配も大変だ。すぐ近くに葬祭場ができているので、その葬儀社に依頼すれば駐車場問題は全く心配ないのだが、その葬儀社では、寺院の葬儀のノウハウが無いように思えたので、依頼した場合のリスクが大きい。やはり、それなりのキャリアを持っている葬儀社でないと。すべて指示したことしかやってくれないと困るのだ。やらなければいけないことが多いのだが、なかなか手につかないまま二日目も終わった(ーー;)
2019年09月16日
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今年はずいぶんと知り合いの方が亡くなりました。5月には近隣寺院の奥さんの親を見送り、6月には私の兄弟子が亡くなりました。まだ、60代前半なのですが、ずいぶん前から植物人間のような状態だったそうで、年賀状の返信が来なかったのも当然かもしれない。数年前に、住職を辞められ、かなりの難手術を受けられたので、会いに行こうとしたところ「まだ、元気だから会う機会もあるだろう」と言われましたが、それが最後になってしまいました。7月末には叔父が亡くなりました。私が東京へ出た時に色々とお世話いただきました。まだ、国鉄がストを打っていた時代。千葉県から私鉄と地下鉄を乗り継いで、東京を横断して私の受験会場の多摩動物公園駅まで送っていただきました。一度はお元気なうちにお姿を拝見したいと思っておりましたがその願いもかなわず亡くなられてしまいました。8月には私がこちらへ来る前からの知り合いのT君が亡くなりました。某仏具店に努めていたのですが、その店が倒産して自分で店を開いていました。あまり仕事を出すこともなかったのですが、時折遊びに来てしばらく長居しておりました。野球の話が好きで、ほとんどそればかり。彼は独り身ということもあって、体を壊し、仕事を止めて最近は近くの病院に来るついでに私のところへ寄るのが楽しみだったようです。ちょうど月曜日、彼が境内に車を止めて、電話を掛け「病院に行ってくる。今日は忙しいかな」「申し訳ないけど、今日は出かけるので付き合えない」翌日、県外から帰る途中の私の携帯に電話が掛かってきました「もしもし、Y警察署 刑事課の○○ですが・・・」「はい?何でしょう?」「Tさんが自宅で亡くなられ、最後の発信履歴が こちらだったので、電話させていただきました」「え?」容疑者になってしまった(ーー;)最後だとわかっていたら、少し付き合ってあげていればよかった。それが心残りです。そして、今回、生涯三度目の喪主を務めることになりました。
2019年09月15日
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この話は真言宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗・浄土宗の続編とも言うべき内容です。前回の日記では日本仏教のメジャーな7宗派のうち天台宗と浄土真宗が入っていません。天台宗は真言宗と同じと考えていれていません。問題は浄土真宗です。浄土真宗という宗派は違和感がありすぎる。修業はいらないと言いながら、得度習礼という儀式を経て僧侶になる???亡くなったらすぐに極楽へ往生するはずなのに、一般に人も、「おかみそり」という儀式があって法名をもらう???阿弥陀如来様に守られて極楽で修行するのなら葬儀も法事もする必要ないのでは???数珠は修行の道具なのに、持たないといけない???仏壇に阿弥陀如来様を祀って拝む???親鸞上人が阿弥陀如来様にすがれば極楽往生できると説いたのなら、阿弥陀如来様にすがる以外は一切必要ないのでは?お布施もいらない、お経を読むこともいらない。それなのに、お布施とか戒名(法名)とか仏壇とか読経とか坊主?の話を聞くことは必要で、修行とか戒律とか禅定とか面倒な都合のいいところだけいらないってどうよ。どこかおかしい?なぜ、おかしくなったんでしょう?鎌倉新仏教の捉え方に問題があるような気がします。一般には鎌倉新仏教はそれまでの難解な教義を捨て民衆にもわかりやすい教えを説き、仏教を大衆化した。それが禅・浄土・日蓮の教えであるとする。それは違うような気がします。例えば、親鸞上人は人一倍修業した。その結果として、修行しなくても極楽往生できると悟った。その考え自体はおかしくない。スポーツに例えると真言天台は体力の付け方など基礎理論そのための栄養学などから学んで、競技の特性に応じたトレーニング法、競技の駆け引きまで総合的に学びながら実践を通じて総合的に能力を上げるような感じ?禅宗・浄土宗・日蓮宗は、面倒なことをすっ飛ばしてとりあえずやってみろ。それから必要なことを学べ、みたいな実践中心の手法。色々やってみたけど、ケガもするし、やったほど効果が無い。これは自分の基礎体力を生かしたらうまくいくんでないの?というのが親鸞聖人の悟りではないか?稀に運動能力が高くて、大して練習しなくても、それなりの成績を残せる天才はいます。しかし、普通の人が真似してもうまくいかんでしょう。一般には鎌倉新仏教はそれまでの難解な教義を捨て民衆にもわかりやすい教えを説いたといいますが、わかりやすいかもしれませんが、簡単ではない。むしろ、難易度は上がっているような気がします。比較的簡単な方法で同じ結果を得ようとすると、当然のことながら、本人の資質が大きく結果を左右する。特にハードルが一番高いのが親鸞上人の教えではあるまいか?まったく修行しないで結果を得るというのはかなり困難では?一方、鎌倉新仏教の時代に、それに対抗して伝統仏教に立ち返ろうと努力した流れがあります。華厳宗の明恵上人、真言律宗を開いた興正菩薩叡尊などです。傍から見ると正反対の動きのように思われますが、実は同じ流れ。従来の仏教を是正しようとした活動といえるのではないでしょうか。たまたま鎌倉新仏教は新宗派を起こしたので、教科書にも取り上げられ易いですが、伝統仏教に対する復興運動の影響は小さくありません。その中で、覚鑁上人は真言宗に浄土思想を導入すると同時に、伝統教学にも新しい解釈を施して、真言密教の教学を大成させた功績があります。以前、真言僧としてそれなりの修行を行った後に、浄土真宗の他力の教えを広めていくという布教スタイルもあるかと考えたことがあります。私のような、あまり才能がない人間は行学が必要とされる真言密教は難しすぎる。そんな風に考えていました。ところが今は違う考えを持っています。親鸞聖人のように修行も勉強も必要ない。ただただ、阿弥陀如来を信仰するだけで極楽往生するという教えは逆に難しすぎる。ただの堕落した人間になってしまうような気がします。毎日少しずつでも修行と勉強を積んで、コツコツと進んでいくような真言宗のスタイルの方があっているような気がします。いかがでしょう
2019年09月09日
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この2~3日ずいぶん暑いような気がしていましたが、実際に暑かった(◎_◎;)この三日間、九月としては平成28年以来三年ぶりの熱帯夜を記録しています。さらに連続熱帯夜となると、平成24年以来、さらに三日連続となると、平成23年以来の猛暑(ーー;)暑い、絶対に暑い。このところ、温暖化とは言いながら、九月に熱帯夜を記録したのはこの10年では平成22年~24年と平成28年しかない。しかも、連続熱帯夜となると平成22年、23年と今年しかないのだ。さて、これから先も熱帯夜の予報が出ています(ーー;)さすがに平成22年の9連続熱帯夜の記録には届かないだろうと思いますが、暑い9月になるかもしれません(ーー;)ところで、台風15号が関東に迫っています。小さめの台風ですが、結構強いですよ。こちらは台風に対して耐性がある方ですが、960hpaで上陸する台風はほとんどありません。台風に対する耐性が無い関東ではかなりの被害が出るかもしれません。ご注意ください。
2019年09月08日
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さて、前回の日記の続きです。瑜伽山蓮台寺ー僧侶の矜持を守ったお寺ホームページにはこう書かれています~~~~~以下引用~~~~~約1300年前、行基菩薩により「瑜伽大権現」を霊地「瑜伽山」にお迎えされ、また「本尊十一面観世音菩薩」を光を放つ香木より彫りだし、祀られたと伝えられています。 瑜伽の権現さまは人々の苦しみを除き、幸せを与える誓いを立てられた阿弥陀如来と薬師如来の二尊が(人々にわかりやすい姿として)仮に神人の姿をもって現れたのです。そのお誓いから「厄除けの寺」として栄え、代々の備前藩主「池田侯」の祈願寺としても篤い信仰を受けました。~~~~~以上引用~~~~~蓮台寺ホームページよりこれだけではどんなお寺かよくわからないですね(ーー;)解説すると本尊様が十一面観音その鎮守が瑜伽大権現瑜伽大権現様は阿弥陀如来と薬師如来が姿を変えて現れたもの。という感じですかね?蓮台寺という名前からすると、「蓮の台に座っている仏様を祀るお寺」ですから観音系の本尊を祀っているというのは分かるのですがよくわからないのが瑜伽大権現。名前からして神様なんですが、どういう神様か全く分からない(ーー;)ちなみに、対岸の金毘羅大権現は薬師如来十二神将のトップの宮比羅大将(クンビーラ)が祀られていると分かります。瑜伽大権現は蔵王権現と同じように日本発祥の仏教系の神様なので仏典に根拠がなくわかりにくいのかもしれません。ここが総本殿です。本尊 十一面観音 瑜伽大権現 弘法大師をおまつりしています。本堂の工事中で、左側が工事現場です。12億の本堂とは凄いですね!(◎_◎;)左側の大口寄付者のトップは3千万円です!木々の間にたたずむ多宝塔境内に由加神社がありました。この鳥居は特殊で、継いであるみたいな形です、ボコボコがわかりますかね?そしてここが権現堂。かつて瑜伽大権現が祀られていた場所です。他にも大師堂や観音堂もありましたが、現在は総本殿に祀られているようです。権現堂までは本坊から屋根伝いに行けるように作られています。失礼ながら、昔は良いお寺だったんだろうなという面影がありますが、現在は観光寺院みたいな印象ですね。これだけの伽藍を維持しようと思うと、かなり費用がかかるしそのためには運営努力をしていかないと立ちいかない。明治の廃仏で寺領を失ってからも、この伽藍を維持してきたのは大変だったろうと思います。しかし、そのために失ったものも大きい。そんな印象を受けてしまいました。
2019年09月06日
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先月末に瑜伽山蓮台寺に行ってきました。その昔、四国遍路をしていた時に、伊予の国分尼寺といわれる法華寺にお参りしたことがあります。国分尼寺は奈良時代に各国に国分寺と共に護国のために建てられた尼寺で、しかもこのお寺は、真言律宗という真言宗の中でも戒律を重視するという宗派大覚寺の研修会ー真言律宗とは再び真言律宗 尼寺というのはどんなお寺だろう? 尼寺というからには尼僧さんが出てくるに違いない。ひょっとしたら、入るのを断られるかも・・・期待しながら門を叩いたところ現れたのは女性でした。この人が尼僧さん?と思いながら、 「ちょっとお話をお伺いしたいのですが・・・」 「では住職を呼んできます」おお~ついに尼寺の住職さんが、と思いきや現れたのは男性でした。「名前は尼寺ですが、今は国分尼寺といえども住職はほとんど男性です」 「やはり尼僧さんでは長年のお寺の維持が難しかったようです」 真言律宗についても聞いてみました。 「真言律宗というのは誤解されそうないい方ですね、むしろ自分達は真言宗西大寺派だと思っています。」ちなみに西大寺は真言律宗の本山です。 「真言宗に近いんですか?」 「いえ、真言宗です。法要など本山はともかく地方では変わりません」というような会話をしたと以前の日記には書いてあります。この方が、今から考えるとかなり博学で、私の質問に次々と答えてくれました。しかも親切でした(*^_^*)まだ、元気で住職をされているんだろうか?それはさておき、本題に入ります。愛媛県には金毘羅大権現と合わせて瑜伽大権現が祀ってあるところが結構あるので、尋ねてみたところ丁寧に教えてくれました。香川にある金毘羅大権現と対岸の岡山にある瑜伽大権現を両方お参りするという習わしがあったようです。神仏分離の時に、金毘羅大権現松尾寺は還俗(僧侶をやめる)して神社になり栄えた。瑜伽山蓮台寺は寺院を選んだため金毘羅宮ほど栄えなかったというようなお話でした。「瑜伽山蓮台寺も大きいお寺ですよ」と言われ一度お参りしたいと思っていました。何故、神社の道を選んだ金毘羅宮が栄え、寺院の道を選んだ蓮台寺が廃れたのかよくわからなかったのですが、後で調べたところによると神仏分離の時に修験道の寺院は僧侶を還俗して神社を選んだ場合に寺領安堵。寺院を選んだ場合には寺領取り上げという恐ろしいカラクリがありました。とはいえ、金に釣られて僧侶を捨てるとは情けない。後出しジャンケンかもしれませんが、これは言わせてもらう。全国の修験道寺院のうち、メジャーなところでは、吉野の金峰山寺が寺院を選んだくらいで、熊野三山をはじめ、ほとんどは日和って現在神社になっています。なお、四国の前神寺は石鎚神社となりましたが、後に前神寺は復活しています。そういう気合の入ったお寺の一つである瑜伽山蓮台寺は何としても一度はお参りせねばなるまい。そう思いつつも、なかなかお参りする機会がありませんでした。しかし、ついにその日がやってきました。手前が本坊です。屋根が重なり合うように建物が連なっています。その全容は次回の日記で書きます。
2019年09月05日
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先日、叔父の家は佐倉市にあるのですが、そこにユーカリが丘という街があります。京成電鉄のユーカリが丘駅付近なのですが、ここは奇跡の街と言われているそうです。ユーカリが丘駅前のユーカリプラザです。1970年代、高度成長期の首都圏への人口流入に伴い都市人口が急速に増加したが、都心にはその人達が家族を持ち子供を育てるだけの場所がなかった。その人々はやすらぎの家を求め、首都の周辺地域に次々と新興住宅街が作られた。何もない場所に住宅の区画が作られ、商業施設や学校もできそこから時間を掛けて都心部の会社に通い、子供たちはそこで育った。しかし、家を買った人々は定年を迎え、その子供たちは独立して、別の場所に住居を構え、かつて賑わっていた新興住宅街は高齢者の街となって輝きを失いつつあります。学校の児童は減り、商店は閉め、だんだんと空き家が増えてくる。ところが、そうならなかった街があります。それがユーカリが丘です。開発業者は山万といい、元は繊維卸売り業者から、不動産・デベロッパー事業に進出し、現在は鉄道も運営しています。駅前の商業施設を結ぶ歩行者用のぺデストリアンデッキ写真の左側にある階段にはエスカレーターが設置されています。エスカレーターとぺデストリアンデッキの組み合わせで思い浮かべるのが、くらもとパティオ。開業当初はエスカレータが設置されていましたが、維持することができず、壊れたままになり、ついには外されてしまいました。徳島駅前も似たような感じになっていますが、デベロッパーが開発しているだけあって精錬されている感じがする。徳島駅前のぺデストリアンデッキ朝6時台にも関わらず、会社員が足早に駅へ向かう姿が見られました。ユーカリが丘線のモノレールが到着すると吐き出された人の列が一気に京成ユーカリが丘駅へと向かいます。都会の会社員は、昔のようなアタッシュケースやカバンでなくなぜかディバックのようなものを背負って半袖姿で出勤するのが印象的(*^_^*)さて、山万開発するユーカリが丘ですが、京成ユーカリが丘駅からテニスラケットのような路線をモノレールが走っています。ここの特徴は、開発した土地を一度にまとめて売らず、毎年少しずつ若い世代に売ることによって、街が高齢化することがない。もう一つのメリットは、比較的高収入の世帯が入っている事によって街の住みやすさを維持しています。私は県庁所在地の市街地に住んでいますが、ユーカリが丘の方が便利が良いような気がします。新興住宅街といっても、それなりの年月を経て住みやすい街になってきています。ここで疑問に思いました。デベロッパーはこの山万のように少しづつ売ったほうがメリットがある。しかし何故できないか?それには二つの理由があります。1 デベロッパーは家を建てて売ることによって資金的を得るため、 土地を寝かせることは、資金難に陥ったらできない。2 長く土地を寝かせていたら売れなくなる可能性がある。特に1の理由は大きい。10年ごとに不動産業者のランキングが入れ替わるともいわれますが、多くのデベロッパーは資金を借りて土地を買い、家を建てて販売して利益を得ます。土地の値段が上がっているときは、自転車操業でも乗りきれますが土地が下がり始めると、下手すると家を建てても買ったときの土地代にならないという状況に陥り資金難になって倒産してしまう。ただし、例外はあります。資金の余裕がある財閥系と自分で土地の値段を釣り上げられる(駅を造ったり、路線を敷く)鉄道系は生き残ります。この山万という会社はこの40年間資金難に陥らなかった。それは凄いと思いますね。一方で2の方はこれから問題になるかもしれない。少子高齢化が進むと、やはり住宅は売れなくなる。ユーカリが丘は都心から約一時間。遠いというほどでもないですが、近いわけではない。区画は比較的広いので、家族が子供を育てるのには悪くないです。それゆえ、それなりの需要があった。一方で家族を持たない選択をした場合、もっと近いところにもっと狭い住宅でも十分だろう。20年後も奇跡の街と呼ばれているか?動向を見てみたい気がします。
2019年09月03日
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エンスト新さんに教わって、動画を入れてみました。ありがとうございました。今日は久しぶりに暑くなりましたので、ちょっとアホな日記を書きました(*^_^*)先日、カステラをいただきました。私はカステラ業界には注文があります。カステラは下に紙が敷いてありますが、それを無くして欲しい。それというのも、カステラの一番下の部分には、茶色い層が出来ていますが、その部分に砂糖が溜まっていて一番甘い。ところが、下に敷いてある紙をはがそうとすると、その部分まで一緒に取れてしまう(ーー;)大きいカステラなら、切って取った後に、その甘い部分をしごいて取って食べるのが、切った人の特権だ(*^_^*)といっても人が見ているときにはできない(ーー;)ということで、某洋菓子店にカステラの紙を無くして欲しいと要望を出したのですが・・・無理です紙は焼くときに必要だから無くせないんですと(ーー;)さて、同じようなことがアイスにもあります。実はアイスは蓋の部分についているものがうまい(*^_^*)アイスの蓋の部分には、たぶん、脂肪分が浮き上がっているのだろう。中身よりも濃厚な味がする(*^_^*)知らなかった人は、ぜひ一度お試しください・・・とは言えないですね(ーー;)あまりお勧めはできません。人に見られると品がないと思われるし、子供には絶対教えてはいけない。蓋をなめる習慣がつくだろう(ーー;)しかし、一見捨ててしまうような価値のないと思われる事の中に実は重要な部分が含まれている事があるのではないか?そんな気がします。いかがでしょう?ライオンキングには程遠い?
2019年09月02日
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いつもお付き合いさせていただいているmeron1104さんのところで、超実写版ライオンキングを知って見てきました。レビューを見ると「超ハイクオリティのCGにより、実写もアニメーションも超える“全く新しい映像世界”を創出した」とあります。一見実写のように見えますが、よく見るとCG実際の動物の動きでは撮影できない映像を実現しています。もう一つ、実写と異なる点は、人間の感覚に近い映像を表現していることです。例えば、太陽は実際に撮影すると物凄く小さい。ところが感覚的には大きく感じる事がありますね。星が空を覆っていても、撮影するとそれほど多くはない。雄大な山を眼にしても、撮影するとこんなものかという事がありませんか?人間の感じているものと、実際の風景では違うのですがそれをCGで表現することによって人間の感じる感覚に近い映像が出来上がっています。一言で言って、物凄く絵がきれいです。この作品は物凄くお金が掛かって制作も大変だと思います。現時点では。しかし、このような作品が簡単に作られるようになると俳優はいらなくなりますね。もちろんロケもいらない。天候に左右されたり、俳優のご機嫌を取って良い絵を取る必要はなくなるわけです。これは映像作品だけに限らない。バーチャルリアリティーの技術が進めば、自分がその映画の中へと入り込むことも可能。実際に間近で体験できます。それはさておき、どんどんAI技術が進むと坊主はいるんだろうかと考えてしまった。リアルなアンドロイド坊主がやってきてお経をあげ、法話を行う。アマゾンのお坊さん便が受けているぐらいですから、一般にも受け入れられるだろう。下書き日記の断捨離シリーズ6ー「お坊さん便」の衝撃こんな人たちは確実に淘汰される。法話を頼まれて逃げる住職尼僧と女僧ー髪が長いとだらしない?と思われるのだが、実際にはそうならないかもしれない。実際、私も見た目が良いわけでないし、知識は多少ありますけどAIには確実に負けるだろう。たぶん、しっかりした修行をしている人が生き残るような気がする。いかがでしょうか?
2019年09月01日
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