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昨年4月に脳梗塞で入院した女優で声優の大山のぶ代(72)。きょう30日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月-金午後1時20分)で約1年ぶりに仕事復帰し、記憶障害と言語障害に陥っていたことを告白した。 夫でタレントの砂川啓介(72)と収録に臨んだ大山はすっかりスリムに。「病院にいた2カ月間の記憶が全然ないんです」と闘病時を振り返った。看護に徹した砂川も「最初は足し算しようと思っても、全部かけ算になっていた」と明かした。 大山は昨年4月24日朝に体調不良を訴え診察を受けた。心筋梗塞を発症し、梗塞を引き起こした血栓が2度、脳の血管を塞いだ。投薬治療で8月に退院、今もリハビリ中だが「9月に講演の仕事も入ってるし、体に負担のかからない程度にやりたい」と仕事に意欲を見せていた。【ZAKZAKから 引用】 大山のぶ代さん、というよりも、私には「ドラえもんの声の人」って言う方がしっくりきます。 脳梗塞で入院されていたとは知りませんでした。ドラえもんの声を引退されて、すっかりその独特の声を聞く機会がなくなっていたわけですが、記憶障害と言語障害に陥るなど大変な闘病生活を送っておられたんですね。まだまだリハビリを続けなければならないようですけど、是非ともがんばってほしいです。 ところで、最近は見ることはなくなりましたが、数年前にドラえもんの声優さんが「総とっかえ」状態で交替されましたことはニュースにもなりました。私の世代では「ドラえもん=大山のぶ代さん」ですから、未だにその印象が強いです。だから、CMで現在放送されているドラえもんの声を聞くと、別の世界のドラえもんのようで、未だにしっくりこないです・・・。意外と私と同じように思われている方は多いかもしれませんね。 まぁ、私が子どものころから放送されているサザエさんなどもそうですけど、それだけ長く続くと「このキャラクターにはこの声」というのが定着しているし、私が歳をとったのを同じだけその声優さんも年齢を重ねられているのは当然であります。サザエさんのお母さんのフネさんや波平さんの声優さんは80歳近いご高齢ですからね。ここまできたら、「ホントいつまでもお元気で続けてください」っていうしかないですね。 大山のぶ代さんもいつまでもお元気でがんばってほしいなぁと思います。
2009年04月30日
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今日は久宝寺緑地(大阪府八尾市)の野球場でダブルヘッダーの練習試合がありました。私にとっては父親の死亡や妻の入院などもあって3月8日以来の参加となりました。〔1試合目〕 相手チームは北海道日本ハムのダルビッシュ投手のような感じの投手で、球も切れていて打ちづらいかったです。守備は外野の守備があまりうまくないようでしたが、ダルビッシュもどきの投手に終盤まで抑えられていました。ガゼルスはH12さんが先発でした。序盤に失点して苦しい展開でしたが、要所を締めて追加点を与えませんでした。 そして3-0で迎えた最終回、それまでほぼ完璧にダルビッシュもどきの投手に抑えられていましたが、先頭バッターの私が四球を選び、続くA55さん(いつもコメントをくださるフルスイングさん)も四球を選び、K14さんが渋くレフト前ヒットを打って無死満塁。そして、押し出しの四球が続いて3-2となって仕上げはY30さんが逆転サヨナラ満塁ホームラン! 6-3で勝ちました。 私の成績は1打席目がショートゴロ、2打席目が四球でした。(全員打ちだし、ダルビッシュもどきの投手に抑えられていてあまり打席が回ってこなかった・・・)〔2試合目〕 相手チームは明らかに平均年齢が20代前半のような若いチーム。投手も長身で手足が長く、外国人投手のような感じでした。その投手にこれまた少々手こずりましたが、それでも初回に先制し、中押し、ダメ押しとチャンスをものにして加点していきました。 ガゼルスはT16さん、O5さん、H12さんのリレーで相手の反撃を抑えて6-5で勝ちました。 私の成績は1打席目が三振、2打席目がショートゴロ、3打席目がセカンドフライとさっぱりでした。 久しぶりの参加となりましたが、相変わらず私はヒットは出ず。みんなは効果的に打っているのに、一人蚊帳の外状態でした。 それでも打てないときのモットー、「打てないなら、きちんと守れ!」でがんばりました。今日は2試合ともサードでしたが、なぜか今日はサードゴロが多くて私は1つを除いて完璧にこなしました。(エラーはショートがとるべき球を追いついてそれをこぼしてしまった・・・) ファーストへの送球もノーバウンドできちんと送球していたし、肩も足も痛くならなかったのでよかったです。 打つ方では全く貢献できませんでしたが、守る方で多少ですが貢献してダブルヘッダーに連勝することがよかったです。【今年の通算成績】9打数1安打0打点1三振2四死球 打率.111(←早くもこんな打率)
2009年04月29日
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ゴールデンウィークということで、お出かけになっている方もおられるかと思います。私は暦どおりの出勤ですし、今年はGW後半に休みがつながっているもののなかなか休みを取り辛く、また高速料金も下がった事から遠出するにも混雑必至ということで、特に予定はありません。子どもたちにとってはせっかくの連休だからどこかへ行きたいと思っているかもしれませんけどね。 さてそんな中で、上の子どもは剣道教室のお友だちの家にお泊りに行きました。前々から計画していたようです。そのお友だちは中学三年生で上の子どもよりも4歳年上なのですが、姉妹のように仲がいいんですよ。 それにしても、上の子どもはお友だちの家に泊まりに行くのは初めてだと思うのですが、結構寝相が悪いしいびきをかくことがあるので大丈夫なのかな? ちょっと心配です。 おそらく、夜遅くまでなんやかんやとしゃべって遊んでいるんでしょうね。 ちなみに、下の子どもも他の剣道教室のお友だちから家に泊まりに来ないかと誘われているようです。誘ってもらえるのはうれしいものですね。ただ、そのお友だちのお父さんは剣道教室の先生の一人でもありますから、ちょっと躊躇しているようですけどね・・・。
2009年04月28日
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今日は以前から行きたいと話していた兵庫県西宮市の阪急西宮ガーデンズに行ってきました。ちょうど、上の子どもの剣道教室のお友だちが近々誕生日ということで、そのプレゼントを買いに行くのとあわせて行ってみることにしました。奈良から西宮というと距離にして片道約50km、時間にして高速を使用して1時間あまりもかかるのですが、私にとっては99年まで住んでいた街ということで「自分の家に帰る」感覚なのです。 昨年オープンした阪急西宮ガーデンズは西日本最大級のショッピングセンター(SC)で国内でも3番目に大きなSCとのことですが、この広大な土地の前に何があったのかというと、プロ野球阪急ブレーブスの本拠地「阪急西宮球場」(以下、西宮球場)があったのです。阪急ブレーブスといっても若い人にはピンと来ないかもしれませんね。現在のオリックスバファローズは近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブが合併したチームであることはご存知かと思いますが、そのオリックスの前のチームが阪急ブレーブスだったのです。阪急は戦前からの名門チームで、国内のプロ野球チームの中では4番目にできたチームでした。1960年代後半から80年代前半にかけてパ・リーグの覇者として君臨して来たので、1988年の球団身売りはとてもびっくりしました。ちなみに、その年に球団身売りをしたのが、やはりパ・リーグの名門チームだった南海ホークスでした。 さて、その阪急ブレーブスと西宮球場のメモリアル施設がこのSCの中に設けられています。前置きが長くなりましたが、その中から西宮球場に関係することについて紹介したいと思います。 これは竣工当時の西宮球場の写真です。西宮球場は阪急神戸線の西宮北口駅に近接しており、「阪急電車を使って野球を見に来てもらおう」という目的もあったのでしょうね。この辺はターミナル駅と一体となった百貨店の経営等斬新な経営手腕を発揮された阪急の初代オーナーの小林一三氏の戦略なのかもしれません。ちなみに、この西宮球場は建設着工から半年足らずで竣工したそうです。当然今のような朝8時半から夕方5時までの工事、なんてやっていたらとても完成しませんので、昼夜問わず工事が進められたんでしょうね。(この話しは阪急が身売りする際の特別番組で建設を請け負っていた大林組の関係者のコメントでした) 1983年ごろの西宮北口駅と西宮球場の状況を示した模型も展示されています。写真の左下の方に電車が停まっていまして、この辺りが西宮北口駅です。私が就職して配属された部署の先輩職員たちが生保の人から西宮球場の入場券(タダ券)を分けてもらっていまして、その誘いを受けて西武ライオンズ戦を中心に見に行っていました。西宮北口駅を降りて西宮球場へ行く途中に酒や肴を買い込んで野球をみるというよりも、酒盛りをしている方が正しいのかもしれないけど、私はプロ野球の試合が見られるということで喜んで行っていました。阪急ファンでも西武ファンでもないけどね。 そういえばある日、仕事の関係で私が遅れて行った時に、今のように携帯電話があるわけないですからどの辺で観戦しているのかわからないことがありました。仕方なく先輩職員のうちの一人を呼び出すことにしました。 『お客様のお呼び出しを申し上げます。大阪府〇〇市からお越しの◆◆◆◆様、お連れ様が△△門でお待ちです』 呼び出されてその先輩職員、恥ずかしいだろうなって思っていたら、とってもうれしそうな顔でやってきました。「いやぁ、有名にしてくれたやんか!」だって・・・。 グラウンドはこんな感じでした。両翼は101mと広いのですが、かつての甲子園球場と同じくラッキーゾーンがありました。それから1978年には外野が人工芝になって、晩年は全面人工芝だったと思います。 ところで、写真の矢印のところはダッグアウトなのですが、そのダッグアウトの屋根の広告板のさらに横にスペースがありまして、ここにその日ベンチ入りしている選手の名前が掲げれていました。だから、あと代打でだれが残っているかとか、リリーフは誰がいいかとか、そういった楽しみもありました。これはホームチームのみならず、ビジターチーム側にもありました。ちょっとマニアックなことかもしれませんけどね。 それから、西宮球場は野球を行なわない時は「西宮競輪場」として競輪も行なわれていまして、競輪用のバンクもきちんと組み立てられていました。多目的に使えるとはいえ、準備や撤収がなかなか大変だっただろうなと思います。 そういえば、私が西宮市に住んでいたときにこの西宮球場で西宮市全体の夏祭りイベントがあって、当時1歳くらいだった上の子どもをベビーカーに乗せて見に行ったことがあります。 このように西宮球場は野球(阪急ブレーブスだけでなく、高校野球で甲子園球場が使えない阪神タイガースも使用したことがあります)、競輪、地域の催しなど多目的に使われていて市民にも親しまれていたわけですが、阪急ブレーブスの身売りや西宮北口駅周辺の再開発のために取り壊されてしまいましたけど、その阪急ブレーブスと西宮球場のメモリアル施設がこのSCの中に設けられています。阪急ブレーブスという球団がなくなって20年以上が経過し西宮球場も取り壊されてしまいましたが、このようなメモリアル施設によって後世に伝えることができるのはうれしいものです。 別の機会に阪急ブレーブスのことについても紹介したいと思います。
2009年04月26日
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先日来、三菱のディーラーに車検のため入場していた私の96式デリカSW。今日無事に終了しました。これで6回目の車検を無事パスすることができました。 私は車検はもちろんのこと、12ヶ月点検もディーラーに持ち込んでおりまして、傍目からみれば「もったいない」って思われるかもしれません。でも、こうしてこまめに時期を決めて点検してもらっているので、大きなトラブルを起こすことなく、ここまで保ってきています。 これはデリカSWに限らないと思いますが、ゴムとかパッキンが経年とともに傷んで来てオイル漏れを起こすことがありまして、デリカSWの場合はその傾向が強いです。だから、デリカSWユーザーにとっては年数がいってくると、オイル漏れとの闘いになってくるわけですが、私のデリカSWの場合は元々しっかりとしている(いわゆる「当たり」)なのか、致命的なものは皆無です。点検のたびに、あるいはオイル交換のたびに下回りの点検もしてもらっているところも大きいと思います。 今回も2ヶ所ほど軽微なオイル漏れがあったのですが、発見が早かったので処置してもらいました。知らずに乗っていたら、その修理代で今回の車検費用の半分くらいいく可能性があったようです。 ところで、海外ではこのような車検制度はなく、ボロボロの車が走っていることがあるそうですね。車はゲタ代わりならそれでもいいし、壊れたら買い換えるまでと思っているならそれでもいいでしょう。また、日本政府も13年経過した車なら補助金を出して更新を促進なんて考えているようですし、都心部では強制的に買い換えなければならない排ガス規制があったりします。きっかけがあれば買い換えざるを得ないわけですが、私にとっては「ディーゼル」「MT」のキーワードは外すことができないですね。 私が今乗っているデリカSWはスピードは出ないし音はうるさいけど、愛着があるからこの車検や点検の時期にしっかりと見てもらって長く乗り続けたいと思います。 代車のランサーから自分の愛車に乗った瞬間、「やっぱり、この空間だわ~」って思いましたよ。クラッチを踏んでミッションを1速に入れて、半クラでアクセルを踏み込んで・・・、という一連の動作は面倒かもしれないけど、また静かに走るランサーと比べてエンジンの音がうるさいわけだけど、やっぱりデリカSWがしっくりします。 次回の車検は2年後です。それまで大切に乗っていきたいです。
2009年04月25日
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私のデリカSWは先日から6回目の車検に入場しています。今年で14年目、まもなく14万kmになろうとしていますが、買い換える余裕もないし、これっていう欲しい車もないので当分はデリカSWに乗り続けます。 さて、車検入場にあたって代車を借りました。代車を借りるのは車検の時の一つの楽しみにしておりまして、どんな車を貸してもらえるのかと思っていましたら、今回はレンタカーのランサーでした。セダンの車を借りるのはデリカSWの最初の車検時に借りたミラージュセダン以来久しぶりでしたが、ランサーはランサーでもエボリューションではない普通のランサーだったのでAT車でした・・・。 早速乗ってみて驚いたのが「音が静か」ということ。デリカSWがディーゼル車だということもあるのですが、ホント静かなんです。それと、ATはCVTなので変速ショックもなく滑らかということです。さすが基本設計が約25年前のデリカSWとは違いますね。 このようなことは最近、他社の同クラスの車に乗ったことがないのでわかりませんが、同じことなのかもしれませんね。それでも、他社の車に比べて地味ながらランサーの出来にちょっと驚きました。 そういえば、私が就職した年(1986年)の夏に職場の同僚と和歌山の勝浦や白浜に行ったことがありまして、当時は車を持っていなかったのでレンタカーを借りました。まず、勝浦ではカローラを借りたのですが、これがとんでもなくボロボロ。天下のトヨタ車ということでボロボロでも走りは違うかなって思ったけど、所詮はカローラでした。エンジンはうるさいのに走らないし、事故車なのか車の直線性もあまりよくなくてがっかりでした。 その後に白浜で借りたレンタカーがランサー(当時は”フィオーレ”というサブネームがついていた)でした。当時から自動車好きを自認していた私にとって三菱車はノーマークだったので期待はしていなかったのですが、なかなかどうしてカローラと比べ物にならないくらいキビキビ走ることにちょっと驚きました。 これがきっかけというわけではないのですが、その3年後にはギャラン(E35)を購入して以来、事故廃車になったデリカSWをはさんで今のデリカSWに至るまで三菱車に乗り続けています。 話しをもどして、家族の反応はいまいち・・・。そりゃそうでしょう、子どもたちにとってはデリカSWしか知らないわけですし、妻も私がデリカSWに乗るようになってから付き合いだしたので、私がセダンに乗っていたことなんて知らないんですからね。 子どもたちにとっては、セダンの車よりもデリカSWやもう一台の愛車のサンバーのような「箱バン」が一番しっくり来るようです・・・。(もっとも上の子どもは、「次はパジェロ借りてきて」だって。それはムリやわ~) さて、デリカSWの出場予定は明日なので、このランサーに乗ってデリカSWを引き取りに行ってきます。
2009年04月24日
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公然わいせつ容疑で逮捕された人気グループSMAPのメンバー、草なぎ剛容疑者(34)が所属するジャニーズ事務所は23日夜、報道機関に向けFAXでコメントを発表、草なぎ容疑者の活動を当面自粛するとした。 草なぎ容疑者と面会した事務所顧問弁護士によると、草なぎ容疑者は昨夜自宅近くの居酒屋で1人で食事をしながらビールや焼酎を飲み、閉店後も「店の方」と飲んだ上で、深夜自宅に帰る途中に公園に寄って全裸になったことを認めたという。草なぎ容疑者は深く反省している模様だ。 草なぎ容疑者は23日午前3時ごろ、港区赤坂9丁目の檜町公園で飲酒し、全裸になった疑い。赤坂署によると、近所の男性から「酔っぱらいが騒いでいる」と110番があり、赤坂署員が駆けつけると、草なぎ容疑者が1人で大声で騒いでいた。職務質問に対し、草なぎ容疑者は「裸だったら何が悪い」と話し、手足をばたつかせて暴れた。同署によると、草なぎ容疑者は逮捕時にかなり酒に酔った状態で、逮捕から約5時間後の呼気検査では1リットル中0・8ミリグラムのアルコールが検出された。【スポーツ報知ネット版から引用】 「酒は呑んでも呑まれるな」 亡き父がそんなことを言っていたのを思い出します。父親も若いときに酒で痛い目にあっているようなので、酒の上でのこととはいえ、それまでの信用とか信頼が崩れてしまうかもしれないんですからね。 さて、このニュースはちょっと驚きました。まぁ、私はこのグループは大嫌いなので何かとんでもないことをしでかしてくれたら面白いんだけどって思っていたけど、本当に起こしてしまうとはね・・・。前にもメンバーが逮捕されたでしょ。どうなっているんですかねぇ、このグループは。「国民的人気グループ」らしいですけど、そんな注目されているグループから2人も逮捕者ですからね。芸能人って夢を売って、人々の憧れの的のはずなのに、何やっているんですかね~ そりゃ私も若いときには酒での失敗もありましたよ。ここまでひどくないし、警察のご厄介ももちろんありませんよ。職場の人たちに迷惑をかけたことはありましたけどね・・・。そういうのを経験して、自分の酒の適量が分かってくれば、何度も同じ失敗はしないものですけどね。(最近は少量で酔えるようになったし。年とったんだろうね・・・) 酒の上での失敗じゃん、っていうコメントはあちこちで見ましたけど、前出のとおり芸能人である以上はそんなことは通用しないと思っています。それだけ注目もされ、影響も大きいんだから。そんなことが嫌ならやめたらいいんですよ。 ちなみに、私がこれと全く同じことをしたら、確実に職場から「クビ」宣告ですよ。いくら酒の上での話しとしても、逮捕されて三面記事でしょ。会社名なんかでた日にゃ、えらいことですよ。 話しをもどして、羊水云々の問題発言を起こした歌手もいつの間にか復帰しているし、芸能界は甘い世界のようですから草なぎ容疑者(きっちりと前科がついたね)もしばらく謹慎して、そのうち何食わぬ顔して復帰するでしょうね。しかも、ジャニーズ事務所って芸能界に非常に強い影響力があるそうですから、復帰は早いかもしれませんね。そうなると、またあのニヤケた面を見ないといけないのか・・・。 ところで、この事件に関して、鳩山総務大臣が何かえらそうな事をのたまっていたそうですね。このオッサンも調子に乗って口の減らんヤツやなぁ。「友だちの友だちがアルカイーダ」っておバカなコメントしていたのを忘れたとは言わせへんで! ワイドショーは当分この話題で引っ張れそうですね。
2009年04月23日
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先日亡くなった私の父親は酒好きでした。酒は日本酒もビールもどちらもOKだったのですが、洋酒も多くは飲みませんでしたが、コレクションのように集めていました。洋酒のビンを本棚にズラリと並べていましたが、特に飲むわけでもなく、もしかしたら子ども(つまり、私たち)が大きくなったら一緒に飲もうと思っていたのかもしれません。 でも、結局は一緒に飲むことはなく(ビールは一緒によく飲んでいましたが)、父親は亡くなってしまいましたが、残されたのがこの洋酒のコレクション。表紙の写真のような洋酒が何本もあります。 ところで、これらの洋酒は30年以上は実家の本棚に飾られていたのですが、そもそも30年以上も経過した洋酒は飲めるのでしょうか? 洋酒は熟成させるとよい、なんていわれますが、それは木の樽の中で熟成させるものでビンに詰められては熟成しないだろうし・・・。このまま捨てるのはもったいないし、どうしようかと思っています。 洋酒に詳しい方、ご教示いただければ幸いです・・・。
2009年04月22日
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私の愛用の携帯電話のW43T。もうすっかり古い機種ですけど、使い勝手がよくて、適度に重くてしっくりきています。ただ、以前にもヒンジの部分が破損したことがあって、そのことはこのブログでもとりあげましたが、何とか無償で修理をしてもらいました。 ところが、今日またヒンジが破損していることがわかりました。困ったものです、またしばらく使えないかもしれません・・・。っていうか、今度は無償って言うわけにはいかないかもしれないし、修理しようかこの際に更新するか迷っています。ポイントはかなりたまっているから、それで新しい機種に変更するというのもありなんですけど、W43Tも捨てがたいし・・・。 また近々ショップへいって相談することになりますが、それまでに壊れないでほしいです・・・。
2009年04月21日
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19日に終了したIOC(国際オリンピック委員会)評価委員会の東京での現地調査。東京五輪招致委員会の記者会見に会長として出席した石原慎太郎・東京都知事は「成功裏に終わった」と語った。約30カ所を回る過密な視察スケジュールを予定通りの9時間でこなしたことに、「達成感」を表明する招致メンバーもいた。 「予定より17秒、早くできた」。河野一郎・招致委事務総長は会見で、17日の現地視察が午前8時半から午後5時半の予定通りに終了できたことをそう表現した。「時間、計ってたんですね」。招致委スタッフは苦笑いする。 今回の現地調査で、招致委が神経をすり減らしたのが視察での移動。01年に招致に失敗した大阪は、評価委の報告書で難点として「交通渋滞」を指摘された。東京も幹線道路の渋滞は日常茶飯事。しかし「世界一コンパクトな五輪」のセールスポイントを傷つけないため、競技会場間の移動に時間がかかるとの評価はなんとしても避けたかった。「当日に道路工事をできるだけしないよう関係先に要請したり、事前のテスト走行も役に立った」と招致関係者は振り返った。【毎日新聞ネット版から引用】 パンダが上野動物園からいなくなったことについて、「パンダのいるところへ行ってみればいいんだ」とのたまった三流作家の知事・・・。その話しをきいて私はオリンピックも同じじゃないんかい!って突っ込ませていただきましたけど、パンダでは文字通り「客寄せ」にしかならないのですが、オリンピックなら都市開発・都市再生を行うという大義名分があるし、その関係でいろんなところから合法的あるいは法すれすれで票やカネがはいるからウハウハだとでも思っているんでしょうか。(票は入らないかな、2016年には知事をやっていないだろうから) もちろん私も日本で開催されるオリンピックは見てみたいのですけど、日本に限らずこういうイベントって必ず贈収賄事件とかドロドロしたことが起きるでしょ。そういうのがもうおなかいっぱいで見たくないんですよ。だったら、いっそのこと、日本で開催しなくてもいいかなってね。 また、冬季オリンピックだった長野の例にもあるように、オリンピックで造られたハコモノの維持管理ってとんでもなく大変なんでしょ。日本の政治屋の悪いところは、ハコモノを造るのは大好きなんだけどその維持管理は全く考えていないところなんですよね。こいつら、学習能力ないんかい!って思えるくらい。 国内世論はどうでもいいって思っているんじゃないですか? 芸能人やスポーツ選手は一生懸命がんばって東京でのオリンピック開催をアピールしていますけど、一般的にはこんな景気の悪いときなのだからオリンピックよりも今後の自分の生活で手いっぱいっていうところじゃないでしょうか。だから、「東京にオリンピックを招致しよう」って言われてもピンとこない。少なくとも私の周りではそんな話しは皆無だし、奈良でも大阪でもそんな話しは聞きませんよ。まぁ、開催国に決まったら応援するだろうけど、決まらなくても別にどうでもいいっていうのが正直な気持ちかもしれません。 IOCは好感触だったとのコメントを出していますが、まさか「世論の盛り上がりが今一ですね」なんてあからさまに言わないからね・・・。 個人的にはアテネあたりでずっと開催される方がいいように思いますけどね。
2009年04月20日
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今日は私は仕事でしたが、上の子どもは奈良県の柳生で剣道の試合があって行ってきました。昨年の12月に地元の試合に出て以来の試合で、仕事がなければ私も見に行って見たかったのですけどね・・・。 仕事が終わって帰ってきてから結果を聞くと、結果がよくなかったのかなかなか話してくれませんでした。5人のグループの中で上の子どもだけが女の子という編成で、相手も男の子だったそうです。そんな状況でしたが、結果的には勝てなかったようでちょっと悔しいようでした。 ところで、試合の状況について聞くと、相討ちの「面」が入ったものの相手の方が有効だったようで1本とられてしまったのですが、その後は攻めて時間切れになったとのこと。一緒に行っていた同じ剣道教室の仲間からは「見ごたえがあった」とのことで、負けはしたけどもそれに関してはうれしかったようでした。 試合には勝てなかったけど、負けて学ぶこともあるわけなので、次の試合や稽古に活かしてくれればいいかなっと思いました。
2009年04月19日
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日産自動車は、新型車『スカイライン・クロスオーバー』を今夏に発売すると発表した。 スカイラインクロスオーバーは、ラグジュアリークーペとラグジュアリーSUVとの融合から生まれた「新ジャンル」のスカイラインで、既存のクロスオーバーSUVとは異なるプロポーションと、スムースでソフトタッチの上質素材に囲まれた優雅でパーソナルなインテリア空間が特長。 VVEL(バルブ作動角リフト量連続可変システム)を採用した3.7リットルVQ37VHRエンジンを搭載、マニュアルモード付7速オートマチックトランスミッションの組み合わせにより、力強く伸びやかな加速と、高い操縦安定性としなやかな乗り心地を両立したとしている。 日産は、新型車の発売に先立ち、16日から顧客向けの特設サイトをオープンし、順次同車の車両情報を提供していく。【レスポンス から引用】 スカイラインといえば、日産直系の名称ではなく旧プリンスの主力車だったわけで、1966年の日産自動車とプリンス自動車工業の合併により日産の車名となったことは自動車ファンの方ならお馴染みの話しです。以来、自動車好きの憧れの車の一つとして、ハコスカ、ケンメリ、ジャパン、ニューマンといった名車が次々に誕生していきました。そのあとの7thスカイラインとよばれたR31はこけてしまいましたが、R32で復活しましたね。その後は再びやや低迷しています。 そんなスカイラインにSUV車が誕生するとのこと。写真を見る限り、「これがスカイライン?」って思うようなスタイルでした。BMWなんかでこんな感じの車があったような気がしますし、かつてR30でハッチバックのスカイラインがありましたが、それのような衝撃を受けました。すなわち、「スカイラインらしくない」ということです。スカイラインと言えば、ボンネットとトランク(例え狭くても)がきちんとある3ボックス車だと思っています。 ちなみに、私は今でこそ三菱党ですけど、子どものころは父親の影響から日産党でした。特に、小学生の頃だった70年代後半はどのメーカーもオイルショック後で厳しい時代だったと思いますが、それでもユーザーが欲しくなるような個性のギラギラした車が多かったと思います。このスカイラインしかり、ブルーバードもセドリックも。それが今はどうですか? エコエコって、エコも大事だけど、ユーザーが憧れるような車ってあるんですかねぇ、欲しくなるような車ってあるんですかねぇ。残念ながら、私の気持ちを揺さぶるような車はないです。今のデリカSWを超える車はありませんね。 話しをもどして、このスカイラインがどれだけ売れるのかわかりませんが、価格設定はおそらく400万円は下らないでしょうね。とても私には手が届きませんわ~
2009年04月16日
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私は上京するときには新幹線を利用していますが、いつも楽しみにしていることがあります。それは、「富士川の鉄橋から富士山を眺めること」なのです。私は就職以来何度も東京へ行っていますが、絵に描いたような見事な富士山を見たのはわずかに2回だけ。意外と山頂に雲がかかっていたり、そもそも富士山どこ?っていうくらいのガスがかかっていることがあってがっかりします。その過去2回の時は本当に見事で、他の乗客も進行方向左側の窓から「やっぱりきれい~」ということで眺めていました。 今年2月に久々の上京する仕事がありました。今回こそはきれいにみえたらいいなぁ、と思いながら静岡を通過するとケータイとデジカメを準備して富士川の鉄橋を待ちました。もう何度も東京へは行っているので、だいたいこのトンネルを過ぎたら見えてくるかなっていうことはわかるようになっていました。 そしてついにそのときはやってきました。もう何年ぶりかでみる絵に描いたような富士山が目の前に広がっていました。早速ケータイとデジカメで撮影しました。他の乗客も同じような感じで写メ送っている方もおられました。当たり前のことですが、新幹線の速度はとても早いので富士川鉄橋なんてあっという間に通過してしまいますが、富士山は引き続き眺めることができるので、工場などの建造物がかぶらないように注意しながら撮影していました。 新富士駅を通過すると、富士山がより近く見えますがそれもつかの間でだんだん離れていきますので、名残惜しそうに眺めていました。 こうして通算3回目の絵に描いたような富士山をみることができたわけですが、ちなみに今から7年くらい前の2月頃にやはり仕事で富士吉田市のある会社に行ったことがありまして、その際には麓から見事な富士山をみたことがあります。仕事が終わってから、当初の予定では富士急行線と中央線を乗り継いで東京へ戻る予定だったのですが、予定を変更して富士吉田から御殿場を経由して三島まで路線バスで帰りました。山中湖などの風景も見ながら移動することが出来たので時間とお金はかなりかかりましたが、とても雄大な富士山をみることができてきれいでした。 東京近辺にお住まいの方なら、別に富士山なんて珍しくはないのでしょうけど、関西人に私にとってはなかなかなじみのないものです。ましてや、新幹線の車窓からでもみることができないんですからね。だから余計に、あこがれというかそういうものがあります。 また東京へ行く機会があればみることができればいいなぁと思いますが、きれいにみることができるのは冬の時期が多いそうなので、これからの季節はむずかしいかもしれないなぁ・・・。 表紙の写真は富士川鉄橋を渡っている新幹線の車内から撮影したので、窓に光が反射していますね・・・。
2009年04月15日
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少し前の話しですが、計量機器を展示しているコーナーへ行った時に懐かしいものを見つけました。私の世代より上の方なら覚えておられると思います。 そうです、タクシーメーターです。今のタクシーメーターのようにコンパクトではなく、またデジタル表示でもなく、思いっきりアナログなものですけど、懐かしいですね。このタクシーメーターは、この時に書かれていた説明によると、今から30年以上前に長野県のタクシー会社で使われていたものだそうです。私が子どもの時に見たタクシーメーターとはデザインが異なるように思いますけどね・・・。 このタクシーメーターは今のタクシーメーターと異なるのは大きさだけではなく、操作方法も全然違います。今ならボタンをピッと押せば「空車」から「賃走」になりますが、このアナログのタクシーメーターでは「空車」と書かれた赤い円板を右側に倒すと「賃走」になります。だから、写真の状況では「賃走」を表しています。 ちなみに、この「空車」の円板を煙突に見立てて、『煙突を倒す』というタクシー業界の用語があると聞いたことがあります。『煙突を倒す』とは、前出の通り「賃走にする=お客さんが乗っていることを示す」という意味だそうです。(だから、煙突を倒さずにお客さんを乗せていたりすると、その分の料金は会社に入らない=運転手のヤミ稼ぎになるということで、いけないことですね) 話しを戻して、このタクシーメーターで思いだしたのは、子どもの頃にタクシーに乗った時に運転手のギアチェンジ(当時はコラムMTばかりだった)のさばき方と、このメーターの「ガチャ!」って上がるのを楽しみに見ていました。心臓によくない音だけど、面白かったなぁ~ そういえば、当時日産党だった私はタクシーに乗るのもセドリックかグロリアのタクシーに乗りたくて、親に無理を言ってお目当てのタクシーが来るのを待ったことがありました。 こういうものって、写真では見ることができても、実物はなかなかお目にかかることは少ないですよね。デジカメがなかったのでケータイのカメラで撮りましたが、雰囲気はお分かりいただけるかと思います。
2009年04月14日
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今月に入って父親の葬儀や仕事の内容が変わったことなどから、ちょっと疲れ気味のようです・・・。私の健康のバロメーターの一つである「口内炎」がまたしてもでてこようとしています・・・。 今日も家に帰って、食事してテレビをみていたら、そのままZZZ・・・。 いかんなぁ~ こういう時って早めに休んだほうがいいですよね。大きな失敗をする前に・・・。 それにしても、ここ数日は初夏のような天気と気温で気持ちいい奈良地方です。明日は雨ということで、その後は気温が下がりそうですよ・・・。 みなさんも体調管理をしっかりされて、私のようにならないように気を付けてくださいね・・・。
2009年04月13日
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先日来、とてもいい天気が続いている奈良地方です。天気がよく、風も適当にあると近畿地方では中国大陸からの黄砂の影響をモロに受けます。遠くの山がボーッと霞んでいるようにみえると、それは黄砂がやってきているということなんです。 黄砂は数年前に太陽の光が遮られて、空全体が霞んでいる様になったことがありまして、このブログでもとりあげたことがあります。今回はそこまでひどくないものの、車の車体には細かい砂の粒がついています。それを放っておくと、次に雨が降ったときに汚らしくなってしまいます。 それをきれいに洗い流しておきましたが、洗い流す過程でこの黄砂を観察すると、本当に砂が車体についているのできちんと水で洗い流しておかないと、ウエスで拭くと「じゃりじゃり」っていう音がします。私の車はいずれも10年以上経過した車で拭きキズもたくさんついているから今さらそこまで気にしませんけど、あまり気持ちのいいものではないです・・・。 デリカSWとサンバークラシックの2台を洗いましたが、いずれも黄砂の被害を受けていました。黄砂が飛来する時期はまだまだしばらく続くのでうんざりです。近畿地方では花粉が飛び交うだけでなく、黄砂も飛び交いますので桜の季節は私は大好きなんですけど、ちょっとうんざりです・・・。 それにしても、中国政府はこういう他国に迷惑をかけていることに対しては全然謝罪の言葉もないんですね。まぁ、そんなことするわけない国なんですけどね・・・。
2009年04月12日
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11日午後0時10分ごろ、大阪府泉南市樽井の泉南市役所1階で、定額給付金担当の女性職員(35)が、カウンター越しに男に殴られた。男は同市新家、無職〇〇〇〇容疑者(70)で、駆け付けた府警泉南署員に公務執行妨害容疑で現行犯逮捕された。職員は軽傷という。 同署によると、職員は給付金支給の書類を点検中、〇〇容疑者が返送してきた封筒に、本人確認に必要な免許証のコピーなどが同封されていないのに気付き、同日午前11時ごろ連絡。電話に出た〇〇容疑者は「何で要るんや。そっちに行く」と怒って市役所に押し掛け、「おれを知らんのか」などと言った後、職員の左顔面を1回殴ったという。同署が詳しい動機を調べている。 【時事通信ネット版から引用】 役所の職員の態度に腹が立ったのかどうかわかりませんけど、手を出すなんて最低です。こんな最低なヤツ、ここでも名前をさらしてやろうかと思ったけど、とりあえず伏せときます。 それにしても、「おれを知らんのか」って凄まれても、「知らん!」としか言いようがないでしょうな。市役所の職員といっても小さな村ならいざ知らず、全ての住民の顔なんて覚えていませんからね。だから、職員の人も本当は「知るか、ボケ!」って言いたかっただろうけど、そこは言わなかったら殴られたっていうところでしょうか。 ところで、前にある会社に行った時に、偉いさんが内線電話で他の部署の別の偉いさんを呼び出そうとしていたことがありました。おそらく、その部署の職員が電話を取って「失礼ですが?」って聞かれたんでしょう。その時にその偉いさん、「ワシの声がわからんのか!」ってどなっておられました。おいおい、そんなの、わかるわけないやん・・・。 話しをもどして、この本文の容疑者、この事件のおかげで有名人になりましたね。おそらく、「役所の窓口で『おれを知らんのか』と凄んで暴力ふるって捕まったオッサン」ということで有名になったと思います。 よかったですな~
2009年04月11日
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今週は天気がよくて気温が高くて、桜もきれいな関西地方です。満開の桜と青空、仕事するのが嫌になるくらいです。こんな天気のいい日は花見に行きたいものですが、なかなかそんなことはできません。 でも、昼休みくらいは桜を見に行きたいなぁということで、お弁当を持って職場の近くにある大川の桜を見に行ってきました。大川(旧淀川)沿いには多くの桜が植えられており、この時期は桜を見物に来る大勢の観光客でにぎわいます。大阪市内では大阪城の西の丸庭園も有名ですが、この大川の桜もなかなかのものです。 このブログでも何度か書いていますが私は桜が好きで、咲きそろった桜をみていると重苦しい季節がパッと晴れて気分的にもなんだかホッとする気がします。 さて、今日も大勢の人がやってきて、ビニルシートを敷いてお弁当を食べたり、桜散策を楽しんでいました。また、夜の花見に備えてか大きなブルーシートを敷いて場所取りをしている会社があったり、ビニル紐で囲ったりとちょっとやりたい放題な会社もありました。 私はベンチに腰かけて、大川を行きかう水上バスや観光船を眺めながら弁当を食べていました。 このような桜並木が大川沿いに続いています。空は快晴、雲ひとつない青空です。 この写真からでも、場所取りをしているブルーシートがみられます。会社によっては若手の仕事なのでしょうか、一人だけポツンと座っているところもありましたよ。 表紙の写真は大川にかかる川崎橋から銀橋方向を撮影してみました。向こうに少しだけ見える鉄橋が桜ノ宮橋、通称銀橋です。大阪ではこのソメイヨシノが散り始めると写真の左側にある大阪造幣局の桜の通り抜けが行なわれます。八重桜を中心にきれいに咲きそろった桜を楽しむ事ができます。 ところで、今年は桜の開花が例年よりも早くて早々と散ってしまうだろうと思っていたのですが、意外と長く持ちましたね。朝の気温が低い日が続いたこともあるのかもしれませんね。そのおかげで今週末も桜を楽しめそうなので、夜桜見物に行けたらいいなぁと思います。
2009年04月10日
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先月24日から入院していた妻がようやく退院となりました。その間に私の父親が亡くなるなど大変だったのですが、本人も手術で大変だったんですからね。お疲れ様。 なぜ入院していたかというと、健康診断で腫瘍がS字結腸にできていることがわかり、切除したもののその状況がよくない、すなわち「癌」だったんですね。それを完全に切除するとともに、他に転移していないことを確認することを目的とした入院でした。 なお、その癌はS字結腸を構成する5つの層のうち、上から2枚目の層にまで達していたそうです。 3月30日に手術を行ない、S字結腸を切除しました。そして、そこにあるリンパの状況を調べたところ、他への転移はみられなかったとのこと。ホント、よかった~ やはり、母親が帰ってくると、子どもたちも生き生きとしますね。これまでの2週間ほどは私とずっといるわけですから、子どもたちもちょっと嫌だったかな。 退院したといってもまだ本調子ではありませんから、しばらくは家で静養です。
2009年04月09日
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先日、実家で亡き父親の年金記録を見る機会がありました。父親は1954年3月に工業高校を卒業して就職し、2002年頃にリタイヤするまで働いていました。もっとも、会社は何度も変わっていることは聞いていましたけど、どんな変遷だったのかはとうとう本人の口から語られることはありませんでした。 そこでその年金記録をみてみると、「厚生」「国民」の文字が13回も繰り返されていました。すなわち、それだけ会社を移り変わっているということですね。1つの会社に長く勤めるのが一般的には多いのでしょうけど、父親の場合はどういう経緯かはわかりませんが、このような状況だったようです。特に父親が20歳代から30歳代前半までは会社勤めして(「厚生」に該当)、そして辞めて厚生年金のない会社に勤めて(「国民」に該当)いたようですね。 母親の話しによると、どうも目先に稼ぎに目を奪われてあっちこっちと移っていたようです。家族が増えて安定を求めたい母親と、もっと稼ぎたい父親の意見が対立していたのによく離婚せずにいてくれました。 だから、母親にしてみたら、私や弟には父親のようなことにならないようにしてほしい、という願いがあったのでしょうね。 年金記録をみながら、どんな会社で、どんな仕事で、なぜ次々に会社を変わって行ったのか、などを聞いてみたかったですね・・・。
2009年04月08日
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私の子どもたちは昨日から新学期でした。この学校では毎年クラス替えがありまして、せっかく1年間仲良く楽しんだ仲間と分かれることになります。ちなみに、私が小学生だった頃(堺市の小学校です)では、2年生と3年生、5年生と6年生はクラス替えはありませんでした。クラス替えがない方が仲のよいメンバーと同じだからいい反面、全くなじめなかった場合にはクラス替えをしてあげるほうがいいこともあるかもしれません。 話しを戻して、上の子どもは6年生で修学旅行があったり、小学生の時に思い出の大きなウエイトを占めている6年生に仲良しのお友だちと一緒になることを期待していたのですが、結果は期待はずれだったようです。保育園時代から仲良しのお友だちとはとうとう6年間一緒になることはできず、しかもそのお友だちとは中学校が別の学校になってしまうのでちょっとがっかりしていました。また、その他のお友だちともことごとく離れてしまったようです・・・。 また、下の子どもは2年生となってはじめてのクラス替えでしたが、やはり保育園当時からの遊び友達とは同じクラスになったのですが、仲のよい女の子とは離れてしまったとのこと。ちょっと残念でした・・・。 ところで、クラス替えって私も学校へ行っているときには、ドキドキしたものでした。大概は自分の思い通りになるわけではなく、最初の方は「誰かとトレードしてくれないかな」って思ったものでした。今ならさしずめ、「FA宣言してどっか取ってくれないかな?」っていうところでしょうか。 それでも、日にちが経つと今まで知らなかった連中と打ち解けて最終的には「面白い連中が多くて楽しかった」となったように思います。特に高校の時がそんな感じだったと思います。高校は堺市内のいろんなところから560人もの連中が1学年で集まっていましたからね。 さて、子どもたちはどんな一年を過ごすのかわかりませんが、変な事件とかいじめのような問題がなく、過ごしてくれたらいいなぁと思います。
2009年04月07日
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今日は父親死亡後に必要な各種手続きに行ってきました。母親だと時間がかかってしまうだろうということで、代理として役所へ行きました。 国民健康保険や介護保険など手続きはいろいろあるし、住民票の変更や世帯主の変更もあるということで、弟と手分けして、母親にも一部手伝ってもらって何とか完了。 昼からも、国民年金・厚生年金の手続きのために、場所を社会保険事務所に移して手続きをしました。いずれも年度初めであること、週明けの月曜日ということもあってよく混んでいました。特に、社会保険事務所では1時間半くらい待ちました。 ところで、年金に関してはいろいろと世間を騒がせていますが、今回の手続きの中でも2点ばかり新しい話しがありました。まず一つ目が、父親の厚生年金のうち、時効消滅していたものが復活したとのこと。ただし、その手続きをしていたかどうかは、わかりませんでした。ただ、調べる手立てはあるようなので、それに期待する事としました。まぁ、なかったとしても、元々ないものと思っていたからいいんだけど。 あと一つが、母親の厚生年金のもらえる額が少しだけアップすることになったこと。母親は1959年頃に3ヶ月だけ働いていた職場があって、そんな短期間であったことから厚生年金はかけていないと思っていたようでした。ところが、その記録がちゃんとあったんですね。この話しは、母親からも聞いていたので社会保険事務所の担当者からその話しが出た時に、間違いない旨を伝えました。すると、その当時の記録に間違いないことが確認できたことから、1000円程度ですがもらえる額が少しだけアップすることになりました。 今から50年前のことですが、今になって判明するとはうれしいような、もっとちゃんとやってほしいというのかなぁ・・・。母親自身もその後は大手百貨店に長らく勤めていたのですけど、よく3ヶ月ほど働いていたことを思い出してくれましたよ・・・。 今日一日、役所回りをしましたが、何とか役所への手続き関係は終了したと思います。
2009年04月06日
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子どもたちにとっては今日が春休み最後の日。今回の春休みでは子どもたちにとってはママの入院やおじいちゃんが亡くなったりと、いろんなことがあった春休みだったと思います。その関係で、親戚の家に泊まりにいったりと楽しかったかもしれません。 そんな激動の春休みの最後の日、自転車で約30分ほどのみむろ山(斑鳩町)へ行きました。みむろ山へは私は昨年も行っていますが、子どもたちは初めてです。ちょうど、3台の自転車がありますし、こんな時期は駐車場もいっぱいだろうし、環境にやさしく花見に行ってみました。 ちなみに、白と黒の自転車は上の子どもの新しい自転車です。26インチの折りたたみ式の自転車で、昨年11月に購入しました。下の子どもが自転車を欲しがっていたために、それまで上の子どもが使っていたのを下の子どもへ譲って、上の子どもは新しいのを購入しました。 タイヤの幅が広くて、サスペンションもついていて乗り心地はいいです。私も十分乗ることができます。 さて、そんな自転車3台で大和川と竜田川に沿ってみむろ山を目指しました。みむろ山は平野の中にこんもりと盛り上がったような山で上の方に桜の木がきれいに咲いていました。 ちょうど山全体が桜の木で覆われているように見えます。自転車を置いて歩いて登ると、たくさんの人たちがお弁当を広げて桜を楽しんでいました。いつもこの時期に行く奈良公園の桜と違って、マイナーかもしれないけど十分に桜を楽しむことができます。ただ、十分な駐車場はないので、やはり自転車が一番いいようです。 ところで、みむろ山の下を流れている竜田川で面白いものを見つけました。なんの変哲もない堰のようですね。 実はこの堰は通称「風船ダム」とよばれるもので、チューブ状の風船を川幅に膨らませて水をせき止めるというものです。田植えの時期に見られるってきいたことがあるのですが、ここでは何の目的かはわかりませんでした。 この写真からは、川岸の向こう側に風船の一部を見ることができます。 いろんなことのあった春休み、子どもたちにとっては特段の宿題はないし、どこかへ連れて行ってあげられたらよかったのですが、今年に関してはそれは無理でした・・・。 明日からは新学期、特に上の子どもは6年生ですからね。しっかりとがんばってほしいと思います。
2009年04月05日
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昨年の7月17日から意識不明で入院していた私の父親が4月1日20時47分に息を引き取り、73歳の生涯を閉じました。意識不明になって8ヶ月以上もの長い間、懸命に生きようとしていたと思いますが、ついに帰らぬ人となってしまいました。 4月1日は人事異動があって担当替えとなって新しい仕事の引継ぎを受けていたのですが、虫の知らせというか何となく父親のことが気になって、無理を言って夕方に父親を見に行きました。血圧が低くなってきていて心配だったのでしばらくみていると、担当医がやってきて話しを聞くとかなり危険な状態とのこと。それを聞いて何だかこうして見守るのも今日が最後かもと思うと、帰るに帰れなくなりました。そうこうしていると、母親と弟もやってきて親子三人で見守りました。 その後、私は子どもたちのお迎えがあるので奈良へもどりましたが、弟からの電話で「心臓が一瞬止まったけど、また動いている。かなり危ないから・・・」とのこと。準備して子どもたちを義母さんにお願いしようとしていたら、再び弟から電話があり「20時47分に亡くなった」とのことでした。残念ながら死に目には会えませんでした・・・。 22時頃病院に着いて父親と対面、全身に黄疸がでていましたが、死に顔は穏やかでした。その後葬儀屋さんに運んで通夜と告別式を、2日通夜、3日告別式とすることを決めて、私は一旦奈良へもどりました。それでも、服の準備や通夜・告別式の職場への連絡等バタバタしていて、寝たのは3時頃でした。 4月2日は通夜の準備ということで6時前に起きて、まずは10時に納棺へ行きました。最近は映画で納棺士を取り上げたものがあるそうですが、私は見たことがありません。なるほど、こうしてするんだなぁっていう感じで見ていました。黄疸で黄色い顔色だった父親の顔もきれいに化粧してもらって、見覚えのある顔になりました。 ところで、遺影の写真についてはなかなか困りました。あまり父親の写真ってないものなんですね。こういう時に備えるというのはどうかと思いますけど、やはり撮っておいた方がいいです。母親は30年以上前の写真を使いたい意向でしたが。私の子どもたちがおじいちゃんかどうかわからないのも考えものなので、10年以内に免許証の書き換えの時に写した写真があったのでそれを使いました。まだこっちの方がマシでした。 その後、通夜のための荷物を奈良へ取りに行って再び葬儀屋さんへ。ちなみに、私の実家は団地なので葬儀屋さんのホールで通夜・告別式を行なうことにしました。 通夜の準備もいろいろあって、通夜後の食事の件など諸々の件が多くて何だかあわただしいものでした。親族も母親の親戚は和歌山から大勢やってきてくれ、父親の親戚(私の甥)もやってきてくれたし、入院している妻の親戚も奈良からやってきてくれました。 なお、私は長男ということで「喪主」となりました。喪主なので、いろいろな相談事がありましたが、どうやっていいのかよくわかりません。最終的には喪主の判断なんですけど、そんなの簡単に判断なんてできませんからね。最終判断は私なのですが、相談して決めていました。 19時から通夜開式、弟の会社が地元にあるということもあって、かなり大勢参列してくれました。もちろん、私の職場からも参列してもらったし、団地の母親のお友だち等全部で160人を超える人々が参列していただきました。通夜の最後には喪主の挨拶ということで、お寺さんの読経を聞きながら考えたことを挨拶しました。 なお、仕事の関係で通夜の時間に間に合わなかった私の職場の同僚も何人も来てくれてうれしかったです。 通夜の夜はろうそくの火や線香を絶やさないようにしなければならず、喪主もそれに立ち会うのが本来かもしれませんが、妻が入院してその場にいないので私は一旦奈良へもどって翌朝、子どもを連れてくることになりました。 4月3日、告別式の日をむかえました。この日は12時から告別式、13時出棺、その後斎場へ移動して精進あげ、斎場からもどってきて初七日というスケジュールでした。 告別式は通夜よりも少ない約60人くらいでしたが、私の職場の部署のトップ3をはじめ同僚も参列していただきました。また、最後には喪主の私が挨拶、涙で詰まってしまいましたが、何とか挨拶することができました。 親族のお別れの時には、生前好きだったたばこをたくさん入れてあげました。このたばこのせいで痰を詰まらせたのがそもそもの原因だったのですけどね・・・。ただ単に眠っているように見える父親の最後の姿を見ていて、たまりませんでした・・・。 13時に出棺、斎場で本当に最後のお別れをしました。 お骨上げの時間が15時だったので、その間に精進あげを同じ斎場の中で行いました。(地域によっては異なるそうですが、堺市ではこのパターンだそうです) お骨上げで骨と灰になってしまった父親、癌家系だと思っていましたので、父親にもあるだろうなって思っていたのですが、不思議とそのような痕跡はありませんでした。ただ、首の手術をした時のものであろうステップルのような金属性のものはたくさん落ちていました。 それから再び葬儀屋さんにもどって初七日を行ない、解散となりました。 今回の通夜・告別式には母親の親戚を中心にたくさんの親族に集まってもらいました。親族も高齢化しているし、その親族の子ども(伯父や伯母)も遠方だし忙しいだろうから参列はかなわないだろうって思っていたのですが、伯父の一人が「(私の父親には)昔から何かあるときにはいろいろ世話になっているんだから、みんな集合すること!」と鶴の一声で仕事をやりくりしてやってきてくれたそうです。父親の人柄がうかがえることで、私もとてもうれしく思いました。 父親が亡くなった今、今後親戚で何かあった場合には、私の家では私自身が父親の後を継いでいかなければならないんですね。 とにかく、1~3日まであっという間の3日間でした。 そんなこともあって、ブログの更新ができませんでした。まだしばらくは不定期の更新になるかもしれませんが、よろしくお願いします。
2009年04月04日
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