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今日は堺市の浜寺公園野球場で草野球チーム・ガゼルスの練習試合がありました。その話題はまた後日紹介するとして、今日は4月5日(金)で運行終了する南海高師浜線の代行バスについてです。 南海高師浜線は南海本線の羽衣から分かれている支線になるのですが、羽衣駅周辺の連続立体工事の関係で高師浜線は2021年5月22日から約3年にわたって代行バスによる運行となっていました。高師浜線はかつて海水浴場があったことからにぎわったと言われていますが、今は海岸が埋め立てられて日本有数の石油コンビナート群が立地していることに加えて、住宅開発が進んでいることもあって、単線の高師浜線が廃止されなかったことに驚いていますが、この度その工事も羽衣駅関係は目途がついたということで、代行バスの運行が終了することになったようです。代行バスが運行されている時期に乗ったことがなかったので、今日行ってみることにしました。 とりあえずのスタートは、現在休止中の高師浜駅から。駅は入られないようにしっかりとバリゲートで保護されています。 高師浜駅前には、代行バスのバス停が記されていました。先にも書きましたが、高師浜駅周辺は住宅が建ち並ぶ地域で、代行バスが入って来られるくらいの道幅はありません。そこで、この駅の近くにある比較的大きなところが代行バスのバス停となっていました。よって、代行バスの高師浜駅は大阪府立臨海スポーツセンター(リンスポ)で、休止中の高師浜駅から徒歩4分くらいとなっていました。(地図内の左側) せっかくなのでスタート地点から、と思ったのですが、この日は草野球でキャッチャーをやって、サードやピッチャーもやったこともあって疲れていたことから(苦笑)、地図内の右側にある伽羅橋南へ移動することにしました。 これで「きゃらばし」と読むのです。なかなか難しいですよね。高師浜線の唯一の中間駅となっていまして、このバス停から北へ進んだところにあります。このバス停のあるのは府道204号線、かつては国道26号線とよばれていたところで、交通量もまずまず多くて広いのでここに代行バスのバス停が設けられていました。 代行バスの運転本数もまずまずあって、おそらく列車の時も同じくらい運転されていたのかも。 このバスに乗って羽衣駅を目指します。 バスの行き先表示器にあるように、停車するのは高師浜線の駅のある「羽衣」「伽羅橋」(←伽羅橋だけは南と北にバス停がある)「高師浜」だけで、乗り込むときにはICカードにタッチする必要はなく、現金利用者も整理券を取らなくてよい仕組みになっていました。 バスは羽衣駅に到着。高架工事の真っ最中の羽衣駅、代行バスのバス停はその高架下に設けられていました。今、停車しているバスが次の高師浜行きの代行バスです。 正面から見るとこんな感じですね。 バスはノンステップバスの大型バス(三菱ふそう MP35ノンステップ)が運行されていて、意外とたくさんの方が利用されていました。 高師浜行きの代行バスが出発していきます。二台のバスが交互に運行されているようでした。 さて、この代行バスに乗る際にはICカードのタッチもなければ整理券をとる必要がない。では、どうやって羽衣駅から南海本線にのるんだろう、っていう疑問が出てきますよね。 その答えはこうなっているんです。 つまり、高師浜から代行バスに乗った人は、青いラインのところにある自動改札機にICカードをタッチする。また、私のように伽羅橋南(または北)から乗った人は黄色のラインのところにある自動改札機にタッチする。現金で利用の人は、自動券売機で切符を購入するという流れになっていました。ICカード利用者なら特に混乱はないと思うのですが、現金で利用する人は毎回ここで切符を買わなければならないとはちょっと不便かも。ちなみに、「伽羅橋~高師浜」のみだけ利用する人はどうしていたんだろう? そんな奇特な人はいないからスルーしているのかも。そんな検証もしてみたかったんですけどね・・・。 4月6日(土)からは、元通り列車が運行されるようになるということで、バス利用でいろいろ不便だったことは解消されるんですね。車両も南海電鉄では古参車の一つである2200系が引き続き使われるんでしょうけど、これも置き換えの話があるので羽衣駅の新しいホームで見られるのもあと少しかもしれませんね・・・。
2024年03月31日
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今日の午後、お出かけしていた時に立ち寄ったあるコンビニでのことです。 買い物していたら、突然店の中が真っ暗に。非常灯はついているのですが、照明は消えてしまいました。冷蔵庫とか冷凍庫は動いていましたが、その他は使えない模様。レジも辛うじて動いていました。 お店のバイトの人も「あれっ? 停電か?」とバックヤードの方へ行ったりしていましたが、一向に復旧する様子なし。をいをいどうするんだよーということで待っていたのですが、レジは辛うじて動くようだったので、お会計してもらいました。 コンビニの外に出てみて、コンビニの敷地内を見渡すと、電力会社から受電している設備(キュービクル)がありました。それを見てみたらこんな感じでした。 ちょっと見づらいかもしれませんが、下側のメーター(電流計)の針が左端、すなわち0Aを指しているということは電流が流れていないようです。ということは、このキュービクルからコンビニ側の電気設備で何らかトラブルがあったということになっているようです。 このような場合はどうするかというと、お店の人も勝手に手を出してはいけないので、このキュービクルを管理している管理者(電気主任技術者といいます)に連絡して、ただちに復旧して原因の取り除きをしてもらわなければなりません。 このケースでありえるのは、ネズミがどこかの電線をかじって感電したとかキュービクル内に蛇が侵入して充電部に触れて感電した、などなどいろいろあるのですが、今回のケースはなんでしょうね。 この後どうなったかはわかりませんが、こういうことに遭遇するとは驚きでした。
2024年03月30日
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今日は金曜日、カレーの日ということで今日遅い夕食で食べたカレーです。今日は年度末最後の仕事ということで、私も妻も残業。上の娘も学校の用事で遅くなったので外食でした。どこへ行くかということになったのですが、結局西名阪香芝インター近くにあるびっくりドンキーで行きました。 そこで私がチョイスしたのが、エッグカレーバーグです。かれーはなかなかスパイシーでびっくり、こんなに辛かったんだってね。でもおいしくいただきました。
2024年03月29日
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大阪メトロ堺筋線は阪急京都線と千里線に乗り入れている関係で、大阪メトロの66系以外に阪急の車両も乗り入れてきます。関西以外の方にとっては「阪急の車両」って特別な印象を持たれているようですが、地下鉄においても阪急の車両に乗ることができます。 それはさておき、鉄道の車両にはヘッドマークとか最近だったらラッピング車両を見ることができます。阪急もその例外ではないのですが、先日乗った車両にはかわいらしいものが描かれていました。車体にもあったと思うのですが、地下鉄線内においては最近はホームドアがある関係で車体側面などを撮影するのはほぼ不可能なので、室内に掲出されているものを撮影しました。 阪急とコラボしている「ちいかわ」です。私はこのキャラクターについては詳しく知らないのですが、いろんな企業とコラボしているようですね。詳しく知らないのですが、なんともかわいらしくていいなぁってね。 阪急の1300系とのコラボかな・・・ こういう車両のイラストを見ると、どの車両をイメージしているのか気になったりします(笑)。 なんだかかわいいイラストが気になって、実は途中の駅で乗り換える予定だったのですが、終点の天下茶屋まで乗って、これらの写真を撮影しました。他にもイラストはあったのですが、この三枚だけ撮影。また機会があれば乗れるかなって思ったのですが、乗ることができず。しかも、このコラボは3月28日までの運用だったそうで・・・って、昨日じゃん! 阪急は確か去年はミッフィーちゃんとのコラボだったかな、それは写真の収めることはできなかったのですが、ちいかわは何とか撮れてよかったです。
2024年03月29日
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自民党の長谷川岳参院議員(53)=北海道選挙区=が28日、パワハラと疑われる行為があったとの報道を巡り、自身のブログに「不徳の致すところ。表現方法が時代にそぐわないものであることを痛感いたしました」と投稿し、今後改める意向を示した。 長谷川氏を巡っては、週刊文春が、地元の札幌市職員がさまざまな要求への対応で残業時間が月100時間を超えていると報じたほか、歌手の吉幾三さんも動画投稿サイトのユーチューブで、航空会社の客室乗務員への言動が高圧的だとの手紙が現役乗務員から寄せられたと明らかにし、苦言を呈していた。 長谷川氏は「以後、時代に即した表現方法に変えて参ります」と釈明した。【共同通信ネット版から引用】 吉幾三さんのyoutubeチャンネルで紹介されていたこの話題、本人の名前が暴露されるとその釈明と言うのか、いや釈明にすらなっていない自分勝手な御託を並べて恥の上塗りをした長谷川岳とかいうボンクラ。そのイニシャルから「HG」と呼ばれているとか。こういう勘違いやろうって意外といますよね。しかも質が悪いことに、本人は気づいていないんですよ、相手に不快な思いをさせているっていうことを。 今回のような事態が起こったら、客室乗務員は、こんなヤツなんかつまみ出せばよかったんですよ。そして、「二度と乗ってもらわなくて結構です」「っていうか、二度とそのツラ見せるな!」ということで塩を撒くことOKかと。いや、こんな勘違いな野郎に遠慮することないって思うけどね。会社側もこんなボンクラにへいこらするのではなくて、自分のところの社員を守ってくれって。 そういえば、政治屋ってこんなヤツばかりなんじゃないかって思うんだけどね。少し前まで経産大臣だった西村とかいうのも、元経産官僚だったこともあるのかもしれないけど、経産省内では取扱説明書なるものがあったとか。また、民主党政権下だったときにも口の減らないヤツ、いたよね。しかも、釈明の会見で「オレはB型人間だから」と言って私をはじめとする全B型の人を敵に回したなぁってね。 それはさておき、このHGとかいうのも吉幾三さんに暴露されたときに事実を認めて謝罪しとけばよかったのに、しょうもない釈明にもならないことを大っぴらにして、恥の上塗りしただけ。こんなので次の選挙の時に選挙区へ戻ってどんなツラをさらすんでしょうね。選挙区の良識ある有権者の皆さん、どうしましょうかねぇ・・・。
2024年03月28日
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先日、4年ぶりに地下鉄御堂筋線心斎橋駅近くにある御堂筋献血ルーム CROSS CAFeで献血してきました。今回も血しょうの成分献血でしたが、献血のベットでは靴を履いたままの献血でした。献血ルームによっては靴を脱ぐことが関西では多いのですが、ここでは珍しく靴を履いたままでした。 献血の結果は、アルブミンと総蛋白の数値が下限値に近い結果になっていました。上限値に近づくのも怖いけど、下限値に近づくのも怖いですよね。アルブミンの値減少は「病気などで栄養が悪くなると減少する」という解説があったので心配です・・・。 さて、献血が終わってから飲み物を飲むのですが、その時のもう一つの楽しみがアイスクリームを食べること。大阪の献血ルームではアイスクリームの自動販売機があるのです。 ところが、そのサービスも今月いっぱいで終了とのこと。 献血を初めていろんなサービスを経験しましたが、このサービス終了はちょっと残念だな~ 最後ということで、どれをチョイスしようか迷いましたが、やはり最後は抹茶のアイスということにしました。 あと、写真のようなカップヌードルとプリングルスもいただきました。これも今月までのキャンペーンだとか・・・。 こういうキャンペーンが時々行われていて、HPでも紹介されているようですが、私はあまりキャンペーンがあるから、というのではなくてタイミングが合えば献血していることので行ってみて初めて知った、なんていうことが多いかな・・・。
2024年03月27日
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先日のニュースで、森永乳業が瓶入りの牛乳の販売を終了するというのがありました。奇しくも先月に橿原市のスーパー銭湯に行って飲んだところなのですが、それから程なくしてこのニュースですから驚きました。 確かに、駅の売店自体がコンビニに置き換わってしまい、またそのコンビニ自体も閉店しているケースがある(大阪メトロの例)がある中で、「瓶入りの牛乳」を販売しているのを見かけること自体が難しくなったように思います。 瓶入りの牛乳といえば、銭湯とかでも販売されていまして昭和レトロの雰囲気を高める貴重なアイテムだと思っているのでいますが、今後はどのようになるのでしょうね。紙パックでは雰囲気でないでしょうし、ペットボトルもないかなぁ・・・。でも、実際にはそのどちらかになる模様ですけどね。 さて、今年1月に東京へ行った際、総武線の秋葉原駅構内に「ミルクスタンド」というお店を見つけました。このお店、いつだったかのニュースで紹介していて行ってみたいと思っていました。ただ、秋葉原駅のどの辺にあるのかわからなかったので、探すのは大変かなと思っていたら、割と簡単に見つかりました(笑)。 ずらりと瓶入りの牛乳が並んでいまして(さすがに正面から撮るのはやめましたが・・・)、いろんな種類の瓶入り牛乳がありました。これだけでも楽しい光景だと思いました。しかも、ここがテーマ-パークとかではなくて、普通にサラリーマンや学生が行き交う秋葉原駅構内なんですからね、いやぁ東京ってすごいわ~ その数ある中から選んだのが写真の「飛騨牛乳」。何の予備知識もなくチョイスしましたが、濃厚でおいしかったですね。飲んだ空き瓶は所定のところに置きましたが、この瓶の回収はどうされているんでしょうね。販売元へ返却されると思うのですが、これだけ種類があるとその整理が大変だろうなぁってね。瓶入りの牛乳は、瓶を回収して洗ってまたそこに牛乳を入れて販売するというサイクルになっているわけですが、回収する手間とか洗浄する手間がかかるということもあってか、今回森永乳業は瓶入り牛乳の販売を終了するのでしょうけど、コスト面には合わないかもしれないが今では回収・洗浄するコストよりも紙パックやペットボトルに詰めて販売し、その容器は廃棄する方が安いという判断なのかな・・・。 それはさておき、秋葉原へ行く機会があれば、テーマ-パークのように並んだ瓶入りの牛乳をみて、そして飲んでみてください。
2024年03月26日
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次期衆院選への不出馬を表明した自民党の二階俊博元幹事長(85)が25日の記者会見で、年齢に関する記者の質問に「ばかやろう」などと不快感を示す場面があった。 二階氏は党本部で開いた記者会見で、二階派(志帥会)の元会計責任者が政治資金パーティー収入の虚偽記載で在宅起訴されたことについて「政治不信を招く要因となったことに、深くおわびを申し上げる」と陳謝。次期衆院選に出馬しない意向を表明した。 その後、記者から「不出馬を決めたのは政治資金パーティーの不記載の責任を取られたのか、それともご自身の年齢の問題なのか」と問われると、ぶぜんとした表情で「(出馬について)年齢には制限があるか」と記者を問いただした。 記者は「制限はない」と答えたが、二階氏は怒りが収まらない様子で「お前もその年(が)来るんだよ」「ばかやろう」と続けた。【毎日新聞ネット版から引用】 問題になっている裏金問題について説明責任を果たさずに逃げるつもりなのか、二階のおいやんよ。でも、記者会見のコメントによれば「なんで辞めなあかんねん」というのが見え隠れするなぁって思いました。確かに、質問した記者の聞き方にカチンときたのかもしれないけど、「お前も・・・」とか挙句の果てに「ばかやろう」って、てめぇも何様なんだって! 言われた記者も「誰に向かって口聞いとんじゃ、ゴルァ!」って切り返せよ・・・。 まぁそれはさておき、「不出馬を決めたのは政治資金パーティーの不記載の責任なのか」という質問には答えてないよな。多分、不出馬の理由はそれなんでしょうな。一応責任を取るということでいったん幕引きにしたい、ということなんでしょう。そして、あとは地元有権者から辞めないでほしい、といわれるのを待っているのではないかと。本当に辞めるつもりなら、後継を指名(例えば息子)するでしょうしね。いつ解散総選挙になってもいいように、後継者が地元へ張り付いて名前と顔を売ることが大事だし。もしかしたら、後継指名するのにロクなやつらがいないとか・・・。あそこまで押し出しの強いおいやんのことだから、その後継ともなれば良くも悪くもそれに匹敵するくらいのインパクトがないといけないんだけど、そんなのがいないのかも。息子って確かロクでもないって聞いたことがあるんだけどね。その辺も地元の支持者は知っているだろうから、おいやん自身もやめないでほしいと言われれば「地元の有権者の後押しがあるので・・・」とかなんとか言って前言撤回しそうだな。 この何日か後になったら、「辞めることをやめる」っていうニュースが出ているかもしれませんよ。そうなったら「辞めんのかい!」ってツッコむけどね。また、辞めたとて息子を後継指名することとなったら、「結局世襲かよ、おいやんの院政かよ」ってツッコむかな。私の予想は前者の方で。
2024年03月25日
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2025大阪・関西万博をめぐり、3月15日から、『いのち、ワクワク。大阪・関西万博グッズを探しに行こう! “ミャクミャクのしずく” プレゼントキャンペーン』が始まった。 期間は3月31日まで。オフィシャルストアとオンラインストアで、公式ライセンス商品を3300円(税込)以上購入した場合、抽選で1店舗あたり、ミャクミャクのしずくの特製クリスタル(50名)、キーホルダー(100名)、ステッカー(400名)が当たるというキャンペーンだ。 だが、このキャンペーンが始まって以降、SNSでは拒否反応が広がっている。 《「ミャクミャクのしずく」完全に動脈と静脈から吹き出る血が気持ち悪い》 《…す、すごいセンスのポスターだなぁ…。箱の中に体液と眼球を入れといたら腐敗し、腐敗ガスで蓋が開いて飛び散ったみたいな図になってる。しかもグッズが「ミャクミャクのしずく」って、その腐敗体液のしずくだろうか。大阪万博って何から何まで何がしたいんだ》 《万博ロゴやミャクミャクに嫌悪感を抱く人は少なくない。特に『ミャクミャクのしずく』は犯罪レベルの気持ち悪さ。一瞥しただけでPTSDを患いそうだ。開幕が近づくにつれ、万博ハラスメントが増長しないか不安だ》【産経新聞ネット版から引用】 まずは、ご注意から。 本文にある「ミャクミャクのしずく」で検索すれば得体の知れないポスターで表示されると思いますが、心臓の悪い方はあまり見ない方がいいかもしれません。 私もニュースに載っていたのを見ましたけど。「なんじゃあこりゃぁ!!」って思いましたから。っていうか、こんなデザインを考えたデザイナー、これに対してゴーサインだした関係者、マジで頭イカレているんじゃないか、って思いましたよ、率直な感想として。 本文にも書かれていましたけど、「犯罪レベルの気持ち悪さ」で二度と見たくないっていうところです。こんなのが大阪市内の至る所に貼られていたら、縁起が悪いどころの話ではありません。何の罰ゲームなんだよ、っていうことです。 こんなのをありがたいということで、キャンペーンに参加する人っているんですかねぇ。まぁ人それぞれの感性がありますからね。こんな気色悪い・得体の知れないものが好きっていう人くらいしか参加しないと思うし、それを見込んでいるのか今月いっぱいのキャンペーンらしいですけど、これも万博関連の費用からねん出されているかと思うと、「身を切る改革」と偉そうに言っていた維新の連中よ、これは行政の仕事だとするととんでもない無駄ではないのか? 万博協会だったとしても大阪府・市は一体となって万博推進しているんだったら、これはどういうことなのだ? こんなしょうもないキャンペーンが機運醸成事業として繰り返されるなら、良識ある一般の人は万博に対してさらに拒否反応を示すでしょうね。個人的には、そうなればいいと思いますけど。
2024年03月24日
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最近、PCでもスマホでもそうなのですが、楽天ブログをみていると時折このような表示が出るようになりました。いつも楽天ブログをご利用いただきありがとうございます!続きは広告視聴後に閲覧できますこの広告は1回見ると一定期間表示されなくなります広告を見てから次のページに進むこちらをクリック まぁただで使わせてもらっているわけだし、文句は言いたくはないですよ。 でも、その広告ってしょうもない内容。マジくだらねぇ! そんなもの、いちいち視聴させてんじゃねぇーわ! それ以外にも、楽天モバイルのiPhone15の広告。これも毎回毎回表示されてうっとうしいし、「この広告に興味がない」という意思表示して消したとしても、しばらくしたら表示される・・・。 そういう商品やサービスは、心から「利用しません!」
2024年03月24日
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俳優で声優としても活躍した寺田農さんが14日未明、肺がんのため亡くなった。81歳。所属事務所「CESエンタテインメント」が23日、公式サイトで公表した。 同社は「弊社所属 寺田農が2024年3月14日未明、肺がんのため81歳で永眠いたしました。最後まで仕事を続けながら、諦めることなく希望を持って、治療に励んでまいりましたが、桜の開花を待たずして帰らぬ人となりました」と報告。 「これまで応援して下さったファンの皆様、多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます」と伝えた。 1942年11月7日生まれ、東京都出身。文学座付属研究所に入団。68年に映画『肉弾』で主演を務め、「毎日映画コンクール」で主演男優賞を受賞。多彩なジャンルのドラマ・映画・舞台で存在感を発揮した。また、『天空の城ラピュタ』ムスカ大佐役をはじめ、声の仕事でも愛された。【オリコンニュースから引用】 ドラマでは渋い役で、善人役も悪人役もこなしていた寺田農さんがお亡くなりになったとのこと。組織の黒幕とか政治家、悪徳弁護士などがピタリとハマっていましたね。つい先日だったか、CSで西村京太郎サスペンスをみていたのですが、そこでも黒幕でした。そんな味のあるしっかりとした役者さんが今ではいなくなったなぁと思ってみていたのですけどね・・・。 本文にもありましたが、声の仕事でも活躍されていたとか。私は気がつかなかったなぁ・・・ ところで、「寺田農」と書いて「てらだみのり」って読むんですね。私は最初何と読むのかわからなかったです・・・。 寺田農さん、お疲れさまでした・・・。
2024年03月23日
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今日は金曜日、カレーの日ということで、例によって今日ではありませんが、先日食べたカレーです。 先日、息子の新しい新居である北九州市への帰り、山陽自動車道龍野西SAで食したカレーです。 この日は、下関から連続して運転していて、お腹もすいたのでカツカレーにしました。 なかなかおいしかったですよ。 そういえば、山陽自動車道には権現湖PAにおいしいカレーショップがあったのですけど、いつの間にかなくなってしまいましたね。本格的なカレーをいただけるので気に入っていたのですが・・・。
2024年03月22日
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日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)は19日、プロ野球阪神タイガースが優勝した昭和60年に大阪市の道頓堀川に投げ込まれたカーネル・サンダース人形を「人形納め」したと発表した。カーネル人形は平成21年に発見され、奇跡の生還を祝して「おかえり!カーネル」と命名された。一般公開された時期もあったが、老朽化のため保管が難しくなったと判断した。 人形納めは3月8日に大阪市の住吉神社で判治孝之社長ら役員が参列する中で執り行われた。神前に玉串をささげる玉串奉奠(たまぐしほうてん)で人形への感謝と別れを告げたといい、お供えとしてオリジナルチキンも奉納した。人形は元々KFC道頓堀店(現在は閉店)にあったが、昭和60年10月、21年ぶりの阪神の優勝に狂喜したファンがランディ・バース選手に見立てて胴上げを始めた。止める声もあったというが、通りは阪神ファンで埋め尽くされており、人形は橋まで運ばれ、道頓堀川に投げ込まれた。 元タレントの上岡龍太郎さんが局長(司会)を務めた「探偵! ナイトスクープ」(朝日放送)の番組でも捜索されたが、人形は見つからなかった。阪神も平成15年にリーグ優勝するまで低迷が続き、「カーネル・サンダースの呪い」ともささやかれた。人形は21年3月に川の工事で発見された。NPO「文化財保存支援機構」が修復し、同年6月に「おかえり!カーネル」と命名された。同社によれば、「長い年月を経ても変わらぬ笑顔で現れたことから〝幸運の象徴〟とも呼ばれるようになった」という。 人形は大阪市のイベントやKFC阪神甲子園店(兵庫県西宮市)などでも展示された。29年2月以降は大阪市のKFC関西オフィスで社屋展示されていたが、プラスチック製の胴体は老朽化が進み、亀裂も入っており、人形納めを余儀なくされたという。【産経新聞ネット版から引用】 私は阪神ファンではありませんが、日本プロ野球史上最強のバッターといえばランディ・バースさんだと思っています。ランナーがいるときにバースに打順が回ると失点を覚悟するという絶望的な状況になったのを覚えています。そして、ほぼ確実にタイムリーを打たれているんですよね・・・。阪神ファンは狂喜乱舞、他球団ファンは頭を抱えるといった状況でしたね。 そんな史上最強バッターの風貌がカーネル・サンダースに似ている(←そうかな?)ということで、暴徒化した阪神ファンによって道頓堀に放り込まれて、それ以来阪神タイガースが日本一になれなくなった(カーネル・サンダースの呪い)なんて言われていましたよね。 ただ、昨年38年ぶりに日本一になったことと、引き上げられたカーネル・サンダース像の劣化が激しくなったことから人形納めになったとのこと。引き上げられたことは奇跡だったし、放り込まれたカーネル・サンダース像も阪神タイガースの日本一を見届けることができたので、タイミング的には今、ということだったんでしょうね。 ところで、お供えはオリジナルチキン、とのことですが、どんな内容だったんでしょうね。パーティーバーレルだったら楽しそう(笑)。 個人的には、引き上げられてから一度は見に行ってみたいと思ったのですが、結局見に行く機会はありませんでした。確か最初は甲子園球場に置かれていたように記憶しているのですが、その時に行けばよかったなぁ・・・。 それにしても、カーネル・サンダース像を道頓堀に放り込んだ連中は、それを阻止しようとする店員に暴行もはたらいているらしく、未だにつかまっていないとか。こんなのが阪神ファンとは名乗るな! って良識ある阪神ファンの方は思っているでしょうね。
2024年03月20日
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先日小倉に行った時に、「資さんうどん」へ行きました。「資さんうどん」と書いて「すけさんうどん」と読みます。福岡では有名なうどん屋さんだそうです。私は初めて行きました。 ここは、九州に上陸した日に朝ご飯として資さんうどんの本店へ行きました。 店構えはこんな感じで、店の中は広かったです。 さて、何を注文しようかと迷いました。結構メニューも豊富でね。で、結局これにしました。 細うどんにゴボウの天ぷらです。ゴボウの天ぷらはこのお店の売りだそうで・・・。 福岡のうどんって、四国のうどんとちがって「腰がない」と言われていますが、細うどんも同じでした・・・。これはこれでいいのだと思いますけどね。 ちなみに、このような丼物もあるんです。これは翌日の晩御飯に別の資さんうどんのお店でいただいたものですが、朝早くから夜遅くまでやっているお店とのことで、九州へ行く楽しみが増えました。
2024年03月19日
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今月2日に阪神甲子園駅前で行われていた「あぁ懐かしの阪神パーク」の話を取り上げましたが、そこには昔の広告やパンフレットなどの数々も展示されていました。 この緑色一色のものは、1950年のパンフレットだそうです。昔のパンフレットなどは、写真を使われていないことが多いのですが、個性的な文字と絵が印象的です。 これも1950年の広告だそうですが、大阪の道頓堀に掲げられていた大広告だそうです。 阪神百貨店のある梅田界隈ではなく、道頓堀に掲げた理由はわかりませんが、現在だったら阪神なんば線も近くにあるから広告効果はあるでしょうけどね。 ほぼ同じ時期に行われていた催しのポスターです。 やはり写真ではなく、絵なんですね。こちらの方がインパクトありますね。 この広告は、先の3枚よりもさらに古い1930年から1940年頃のものだそうです。現在の甲子園駅から南にはかつて浜甲子園海水浴場があったのですが、それをPRするポスター。阪神間にも近場でいい海水浴場があったんですね。 これは、その当時の絵葉書だそうです。たくさんの動物たちがいたんですね。 ところで、阪神パークでは菊人形展もあったようです。関西で菊人形展といえば、ひらぱーが有名でしたが阪神パークでも行われていたというのを今回改めて知りました。 あと、阪神パークでは冬の時期には、スケートリンクもありましたね。 私はウインタースポーツは苦手だったので、スケートには一度も行ったことはありませんが・・・。 阪神パークで行われていた催しのチケットです。 こういうのは、広告とともに真っ先に廃棄処分になってしまいそうですが、よく残っていたなぁって思いました。 にぎやかだったころの阪神パークのパンフレットです。 今のららぽーと甲子園の敷地の中に、数々の遊具などが建ち並んでいて夢のような空間だったんでしょうね。その当時の日本は決して豊かではなかったかもしれないけど、一生懸命働いてたまの休みに家族連れで少しだけ足を延ばして遊園地へ出かける、そんな楽しみが普通にあったのでしょうね。 最後に、私が住んでいた時の甲子園阪神パーク住宅遊園のパンフレットです。 かつての賑わいではなかったのですが、前にも書きましたがそれでも小さな子供を連れての散歩には最適の場所でした。甲子園という超有名な場所に広大な土地は何とももったいないことだったのですが、それが逆に贅沢に思っていました。今ではそのような面影は残っていませんけどね。 それにしても、私にとっては阪神パークの長い歴史の中では最晩年の時期だけしか利用していないのですが、妻との生活を始めた場所でもあるのでいまだに思い出深いところとなっています。
2024年03月18日
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先日、息子の引っ越しの手伝いに行った帰りに立ち寄った下関での話の続きです。 せっかく下関に来たのだからどこへ行こうかと考えました。一つは鉄道ファンの端くれなので、行きたかったところに行ってから、下関駅からバスで唐戸市場へ。昼ごはんにはまだ早いし、奈良にも早く帰らないとまだまだ距離は長いし・・・。いろいろ考えたいたときに目に入った看板がこれ。 そうだ、ここには巌流島があるんだった。ちょうど行ったことがないし、行ってみようということで切符を買って船に乗り込みました。 この船です。平日ということもあって乗り込んだのは私を含めて4人でした。 船は出航して関門海峡を西へ向かいます。10分くらいで巌流島に到着。 巌流島は無人島、こんな感じの岸壁が整備されています。 巌流島に上陸、無人島ということでなんだかワクワクしました。 巌流島は、面積が103,000平方メートルで海抜も高いところで10m程度とのこと。元々はもっと小さくて17,000平方メートルだったそうですけど、明治から大正にかけて埋め立てられて広がったそうです。 この写真をみていただくと、島の緑色でないところは立入禁止区域となっています。私有地だそうです・・・。 その私有地の持ち主は、この対岸にある企業だそうです。 対岸の企業には、たくさんのクレーンが並んでいて大きな船が建造中でした。 その企業名は、三菱重工下関造船所です。今回北九州への旅で利用した阪九フェリーの「やまと」もここでつくられたそうです。 上陸して見つけた案内看板には、あの坂本龍馬もこの巌流島に立ち寄っていたのではないかとのこと。坂本龍馬は日本で初めて新婚旅行に出かけた、なんて言われていますから「決闘の地」としても有名なこの島に上陸していたかも、ってね。 この巌流島の正式名称は「舟島」。島の形が船の形をしているからそう呼ばれているそうで、「巌流島」の名前の由来は、宮本武蔵との決闘で敗れた佐々木小次郎の流派「巌流」からよばれているとのことです。 巌流島は、前述のとおり私有地がある関係でぐるりと一周することはできませんが、遊歩道がきちんと整備されています。真正面に関門橋を望めるポイントですが、天気が回復しているのですが雲が多いですね・・・。 それがもっと晴れていたら、こんな感じで見られるんでしょうね。 巌流島といえば、先にも出ましたが宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘ですよね。私は歴史は詳しくないのですが、子の決闘は宮本武蔵の方から申し込んだとの話が往路に乗った船の放送で紹介されていました、私はてっきり佐々木小次郎側が持ち掛けて、時間通り現れない宮本武蔵にしびれを切らした佐々木小次郎って勝手に解釈していました。 宮本武蔵と佐々木小次郎の像の近くの砂浜に、宮本武蔵が乗ってきた小舟をイメージした船が置かれていました。すっかり朽ちてしまっていますが、実際に使われていた船を移設したそうで・・・。 ところで、巌流島といえば「決闘の舞台」。先述の宮本武蔵と佐々木小次郎はもちろんそうなのですが、プロレス好きの方ならピンとくるでしょうね。そうです、1987年10月4日に行われたアントニオ猪木さんとマサ斎藤さんの対戦ですよね。実は私はリアルタイムで見ていなかったのですが、youtubeで探して冒頭部分を紹介していたのをみました。多分、この広場のあたりで行われていたのではないかと思いますが、当時は観客を入れない無観客で行っていたんですね。 それにしても、往路の船の中での放送でも紹介していたのですが、『巌流島の決闘といえば、アントニオ猪木とマサ斎藤・・・』というアナウンスが流れたときには、真っ先に思い出したのがプロレス大好きなタレントの有田哲平さん(くりぃむしちゅー)を思い出して、思わず笑いそうになりました。 さて、ひたすら整備されている遊歩道を歩いて行きます。対岸は九州です。 終点までやってきました。屋根がある休憩所がありました。 終点部分からみた三菱重工下関造船所です。 なぜ島の半分近くが私有地になっているのかよくわかりませんが、この巌流島にも大きなクレーンが設置されていました。 復路の船では、船の上に上がって外を眺めていました。目の前に関門橋を望みながら元の港へ戻ります。 関門海峡は、多くの船が通過していきます。 その種類も様々で、大きなクレーンを載せた船ともすれ違いましたし、大きなコンテナ船も通っていきました。 唐戸市場の近くまで戻ってきました。 観覧車のところには、水族館の「海響館」がありましてそこにも行きたかったけどな・・・。 巌流島へ行く船は40分ごとに出ていますので、その間にゆっくり見て回ることができました。
2024年03月17日
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ふらっと立ち寄った駅を紹介するこのシリーズ、第41回目は山陽本線の下関駅です。 先日の息子の引っ越しの手伝いの際に、予定にはなかったのですが急遽宿泊することになってそこで利用したホテルが下関駅のすぐ目の前でしたので、行ってみました。 かつての下関駅は、木造の特徴的のある駅舎だったのですが、火災で焼失してしまって一般的な普通の駅舎になっています。私は、焼失前の下関駅に降りたことがあります。 駅前には、シーモールと呼ばれるショッピングセンターがあって、ここには大丸下関店があります。かつては、「下関大丸」だったのですが大丸松坂屋百貨店に吸収されて現在の形になったそうです。 そういえば、シーモールには献血ルームがあって、焼失前の下関駅で降りてここで献血したことがあったのですが、今はなくなっているようです。 下関駅といえば、この長いホームが特徴です。 かつて運行されていたブルートレインがここで機関車の付け替え作業を行うために停車していました。そのブルートレインの車両が最大14両編成、長さにして約300mもありますからどうしてもホームは長くなりますよね。 宿泊したホテルからもその長いホームを見ることができましたが、写真には収まりきれないですね。 そんな長いホームにやってくる列車は、4両編成の車両が多いです。 この黄色い車両は、JR西日本の115系3000番台。主に広島地区で使われていたものが、今では下関地区で使われています。一般的は3扉車とは異なる2扉車の115系で、ちょっとデラックス感を味わえる車両です。 こちらは、JR九州の415系1500番台。なぜJR九州の車両が下関にやってきているのか。これは、下関の次の駅の門司駅構内の手前から交流区間に入るため、交直両用の415系が使われています。だから、電源の切り替えの際には車内の照明が一時的に切れて暗くなるという光景が見られる唯一の区間ということになります。 本州最西端の下関駅。私はこれまで献血で降りた以外にはウロウロしたことがなかったのですが、今回は駅前からバスに乗って移動しました。その辺はまた後日紹介したいと思います。
2024年03月16日
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明日3月16日からJR各線はダイヤ改正となりますね。そして、先日来このブログでも紹介しております201系の運用が激減する見通しです。そんなこともあって、ダイヤ改正前日に201系に乗ってみようと少し早く家を出ました。 ところが、先日まで201系で運行されていたのに、ダイヤ改正を待たずに221系に置き換わっていました。つい2日ほど前に王寺駅で留置されていたクモハ221-4の編成でした。ちなみに、これはよくあることなのですけどね・・・。 ということで残念だったのですが、今日の帰りに普通列車で運行されているのがあって、それには乗ることができました。 ところで、葬式鉄の姿は見ませんでしたが、三郷駅にはたくさんの連中がホームで陣取っていました。どの時間に201系が運用されるのか把握しているのでしょうけど、そんなことしなくてももっと早い時期に来ていたら取り放題だったんだけどね・・・。 写真は、昨年12月のある日に撮影したもの。誰にも邪魔されずに撮影できたのでよかったですよ。
2024年03月15日
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今日は金曜日、カレーの日ということで、例によって今日ではありませんが、先日九州へ行くときにフェリーの中で食べたカレーです。 阪九フェリーの中のレストランでいただいた「焼きカレー」です。焼きカレーは、門司港の名物ということで、フェリー内でも提供されていました。少しスパイシーでおいしかったです。
2024年03月15日
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今度、息子が暮らしを始める北九州市の小倉。私は仕事で戸畑とプライベートで門司へは行ったことがありますが、小倉は初めてでした。今回泊まったホテルは小倉駅から比較的近い西鉄イン小倉で、そこから息子のマンションまで歩いて30分以上かかりますが、初めての街なので歩いて向かいました。 小倉は商人の町といわれるそうですね。ここは魚町の銀天街です。 1951年に日本で初めて公道の上にアーケードが設置されたそうです。 当時から人のたくさん集まる街だったんですね。 そこから歩いて行くと見えてくるのが、小倉城です。 小倉城は、1959年に天守閣が再建されたそうですが、元々は1569年に中国地方の毛利右治が築城したとのこと。 この日は天気が良くて、青空に白い天守閣が良く映えますね。 すぐ近くには、八幡神社もあってお参りしてきました。 ゆっくり歩いたのでホテルから40分近くかかりましたが、このほかにも公園があったりといいところだなぁと思いました。
2024年03月14日
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昨日のブログの続きです。 新門司港に上陸してから、小倉駅近くの不動産屋さんでマンションの鍵をもらって早速マンションへ。私は初めて行きましたが、環境が良いところなのでホッとしました。荷物を運びこんでからさらに買い物へ行きまして、夕方にガス開栓の立ち合いへ。LPガスなので法律で定められた開栓時の確認が必要なので、私が立ち会いました。その後は夕食に行ったりして、一日目は終了。 翌日の11日は家電の搬入が終わってから新宮町にあるIKEA新宮へ。前々日にフェリーに乗る前にIKEA神戸である程度欲しいものを目星をつけていたので、割と早めに購入することができました。小倉からIKEA新宮のある筑前新宮までは車で高速を飛ばして片道1時間、まぁまぁの距離でした。 再びマンションに戻ってきてから、一番大変なベッドの組み立てを息子と一緒にしました。ただ、IKEAの組立図は絵で書かれているものの、意外とわかりやすそうでわかりにくく、組み立てながら向きが違ったりして何度か修正を行いました。ただ、私の帰りに乗る予定のフェリーの出発時間18時40分が迫る中でしたが、なかなか組み立て作業の終わりが見えない状況。マンションから新門司港まで約40分かかるし、17時30分には出発したかったけど、とてもこのまま帰るわけにはいかないと判断し、泣く泣くフェリーをあきらめることにしてキャンセルしました。キャンセル料、全額ではないにせよ高かったけど仕方ないです・・・。 結局、大まかな作業終了したのが19時ごろ。息子も「ファザー(息子は私のことをこう呼んでいます)がいなかったら一人ではできんかったし、彼女と一緒に作業したら喧嘩していたかも・・・」とのことで、ちょっとは父親のありがたみがわかってくれたかなってね。ちなみに、いつもの私ならイラっとするかもしれないところを息子のやりたいようにさせたのがよかったかなってね。 フェリーをキャンセルしたし、自走して帰るにはすっかり遅い時間だし、ゆっくり寝たいしと思ってネットでホテルを探しました。それでも少しでも先に進もうとして、下関に泊まることにしました。12日も念のため休みを取っていたこともあり、ゆっくりとホテルで休むことにしました。
2024年03月14日
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今日、出勤前に最寄りの王寺駅構内で、奈良区に転属してきた221系の編成が停まっているのを発見しました。先日の編成に次いで2編成目となるので、現在運行されている201系は確実に2編成が減ることになります。 これまで写真だけ撮って紹介していなかったものがいくつかあるので、ここで紹介したいと思います。 去年12月に撮影したものです。こんなスマホで撮った何気ない写真ですけどね。 これは、2月の終わりに撮影したもので、王寺駅の西側にある踏切から撮影したものです。 ここは、入れ替えの車両が一時停車することが多くてねらい目だったりします。 王寺駅から天王寺方面へ移動すると大和川を渡る鉄橋があります。 ここも撮影のポイントで、タイミングが良ければ201系同士がここですれ違ったりします。 JR大和路線の201系の中には、大阪環状線で運行されていたものが一部塗装を変えてJR大和路線で運用された編成もありまして、写真の編成はまさにそうでした。この編成も含めて大阪環状線からやってきたものは一足先に引退しましたが・・・。 ダイヤ改正まであと二日。完全に姿を消すわけではないのですが、それも時間の問題かもしれませんね・・・
2024年03月13日
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3月9日から3月12日まで息子の引っ越しの作業のためにブログの更新を休止しておりました。4月から北九州市の職場に就職する息子、同棲中の彼女と一緒に函館からの移住となりますが、その手伝いをしました。 まず、3月9日に函館から伊丹まで空路で移動、その後六甲アイランドまで移動して今度は海路で新門司へ移動するという、「空路+海路」という日本縦断の移動です。そんな大移動することなんてあまりないですからね。 六甲アイランドからは阪九フェリーを利用、20時発のフェリーに乗船しました。 今回の船は「やまと」。2020年に就航した船で、同社では2代目にあたるそうです。総トン数16,292トンと瀬戸内海航路の船としてはかなり大きな船です。阪九フェリーは新日本海フェリーと同じSHKラインのグループなので船も大きいのかな。新日本海フェリーと違って船は速くはないですけどね。 ところで、船に乗り込むときは、新日本海フェリーは同乗者は徒歩にての乗船となるのですが、ここは車で一緒に乗りこめました。 土曜日の便ですが、夏休みとかではないので車の数はやや少なめでした。 私が今回利用した部屋は、「スタンダードシングル」という部屋でした。この写真の手前にもドアがあってそれを入ると、このように扉がたくさん並んだ部屋がありました。このドアを開けると狭めの部屋にベットとテレビがあるだけの部屋になっていました。一日だけですからね、雑魚寝(正確には雑魚寝ではないのですが)に比べると十分です。ちなみに、息子と彼女は少し値が張りますが、デラックス洋室にしました。 六甲アイランドの港に来たのは私も初めてでした。私たちが載った阪九フェリーの後ろ側に商船三井さんふらわあの大分行きが先に出港していきました。 こんな感じで神戸の夜景も楽しめました。船は20時に出航、甲板に出たりしましたが、船が進むとさすがにこの時期の夜は寒かったですね。 ところで、息子は小学生低学年の時に北海道へ行っているから感動はない(むしろ船酔いの心配をしていた)のですが、彼女の方は初めてのフェリーのようで喜んでいました。 さて、船の方は快適に進みまして、ほとんど揺れることがありませんでした。まぁ瀬戸内海だからね、当たり前なのですが、難所の一つである来島海峡付近は若干揺れましたけど、荒れたときの日本海を経験した私にとっては全然大丈夫、船酔いを心配していた息子も爆睡だったようです。 夜が明けて外へ出てみると、ちょうと日が昇って行くところでした。この日は天気がよかったのですが、日の出もきれいでした。 そして、定刻の830に新門司港へ到着。写真の船は、大阪南港から新門司港を結んでいる名門太陽フェリーで、阪九フェリーと航路では競合しています。阪九フェリーは六甲アイランドと泉大津からも航路があります。ずっとこの船の後ろを追いかけるように進んでいましたが、到着する岸壁は同じ新門司港でもべつのところになっていました。 さて、私にとっては中学の時の修学旅行以来42年ぶりの瀬戸内海航路での九州行きでしたが、快適に過ごせました。息子も彼女の方も快適な船旅に満足しているようでした。寝ているうちに九州(もしくは大阪・神戸)に行くことができるし、最寄りの駅までは無料の送迎バスも運行されているとのこと。新幹線の値段と比べるとどうかわかりませんが、選択肢の一つとしてはいいのじゃないかなってね。 ところで、タイトルが「北九州と下関へ・・・」となぜ下関が入っているのか。その理由は後日紹介させていただこうと思います。
2024年03月13日
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このところ雨が多い奈良地方です。久しぶりに畑へ行ってみました。先日来、ハタネズミの被害に遭っておりましたが、先週顆粒状の薬を撒いたところ、今のところ被害拡大はしていないです。でも、じゃがいもを植えたところなので、そちらの方の被害にならないように対策を行いました。 ネットで見つけた「ビリビリ スティック」です。カプサイシンの成分が入っていて、こういう系統が苦手なハタネズミは寄ってこないということで。1mくらいの間隔で土の中に差すだけ。効果は2か月くらいということですが、どの程度効果があるのか・・・。 玉ねぎです、いまのところ雑草に覆われていて先日撤去したんだけどな・・・。 草丈は大きくなりつつあるけどね・・・。 あと、うすいえんどうもようやく蔓が伸びてきました。 このところ気温が低いのですが、温かくなってくるともっと一気に伸びてくると思います。
2024年03月09日
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漫画『ドラゴンボール』作者で知られる漫画家・鳥山明さんが1日に、死去した。68歳。『ドラゴンボール』の公式サイトで8日に発表された。これを受け、漫画を連載していた集英社『週刊少年ジャンプ』編集部、アニメ『ドラゴンボール』を制作している東映アニメーションなど各企業が追悼した。 鳥山さんは1978年に『ワンダーアイランド』でデビュー。その後、『週刊少年ジャンプ』で『Dr.スランプ』、『ドラゴンボール』などの人気作品を世に送り出してきた。特に1984年に連載をスタートさせた『ドラゴンボール』は世界的な人気となり、アニメ化、実写化などされ、今もなお愛され続けている。【オリコンニュースから引用】 今日の昼休みに見ていたNHKのニュースで、「ただいま入ってきたニュースです」というのがこれでした。「Drスランプアラレちゃん」や「ドラゴンボール」の作者の鳥山先生が亡くなったとのこと。まだ68歳ですよ、いくらなんでも若いですよね。 私はテレビの方で見たくらいでしたが、キャラクターがユニークで面白かったです。中でも「Drスランプアラレちゃん」に出てきたニコちゃん大王、好きだったなあ。宇宙人という設定なのになぜか名古屋弁を操るというよくわからない設定がお気に入りでした。ドラゴンボールでもフリーザが好きだったな。敵役ですけど、キャラクターの風貌と声(中尾隆聖さん)がピタリと印象通りでね。なんだか見た目がもうお亡くなりになったけど藤木孝さんに似ていて、ちょっとキザな感じがいいなぁってね。 日本国内のみならず海外でも絶大の人気を誇った多くの作品は、これからも色あせることはないと思います。ネットのコメントでは、「ドラゴンボールを7つ集めて、神龍を呼び出してよみがえらせてもらおう」というのもありましたが、本当にそうなってくれたらって思いました。 最後に、鳥山先生、お疲れさまでした・・・
2024年03月08日
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先月になりますが、今年初めての献血に行ってきました。場所は久しぶりのミント神戸15献血ルームでした。神戸三宮の街を見下ろせる場所にあるのです。今回も血しょうの成分献血でした。ただ、針が刺さるのがうまくいかなかったようで、最初はちょっと痛かったです・・・。回数を重ねているから、だんだん厳しくなってきているのかもなぁ・・・。 献血の結果は、特に大きな問題はありませんでした。血圧も落ち着いていました。 ところで、今回の献血でこんな景品をもらいました。 そうです、カップラーメンの蓋を抑える重しです。それがけんけつちゃんになっているものでした。 カップヌードルはふたが開かないように工夫されたものになっているのですが、一般的には開きやすいので、蓋の上にノートなどを置いたりしていましたが、これなら適当な重しになるからいいなぁってね。 この景品は、大阪の献血ルームでは見かけなかったので兵庫だけなのかな・・・。
2024年03月07日
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来る3月16日にダイヤ改正が行われる予定のJR各線ですが、私が利用するJR大和路線では、かつての「やまとじライナー」の後継のような通勤特急「らくラクやまと」や普通車の座席指定席を設けた快速「うれシート」の運用拡大が予定されています。それ以外にも国鉄時代から活躍している201系の置き換えが進みそうです。 この写真は、先日撮影したものですが、この写真の奥の方に221系が2編成並んでいます。この写真からは全くわかりませんが、向かって左側の編成は網干区からやってきたB5編成と呼ばれるクモハ221-6の編成でした。後日になって同じところを歩いていると、奈良区特有の「6」のステッカーが車体正面窓下に貼られていましたので、そのうち運用に入るのではないかと思います。ということは、確実に1編成の201系が運用終了ということになるわけです。 ちなみに、201系の残りの編成は8編成あるようですが、今回の改正で5編成の221系が転属してくるとのこと。改正後も残るのは3編成ということになります。201系が運用されているのはこのJR大和路線のみなので、それを目当てにやってくるファンもちらほらおられます。今だったらいろんな構図で邪魔されずに撮ることができるのですが、運用終了の日が発表されると葬式鉄という連中がやってくるのはうっとうしいです。 ところで、私は最近毎日ではないのですが少し早く家を出まして、201系が運用されている普通列車で天王寺まで乗車しています。音を楽しんで乗車を楽しんでいるわけですが、そんな人はいないんでしょうね・・・。平日だしなあ。まぁ運用されている沿線に住んでいる強みと言うことで。 話を戻して、いつくらいに全て置き換えになるのか知らないし、できればサヨナラ運転とかせずに静かに置き換えとなればいいなぁと思います。
2024年03月06日
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このところ怒りのブログになっていまして申し訳ないです。ホント、しょうもないことばかり起こるから、突っ込まないといけない性分なんですみません・・・。 さて、これは先日私の娘がつくった晩御飯、ラザニアです。ちょっとチャレンジしてみた、っていうことだったのですが、なかなかよくできていました。 実は、その日の朝にラザニアを作る、って聞いていたから、帰りにワインを買って帰るかな、って思っていたのですが、すっかり忘れて家に帰ってきてしまいました・・・。まぁ娘はアルコール類が飲めないのでいいのですが、ワインがあったらもっとおいしく食べられたかも。 ちなみに、一人でこれ全部食べたわけではありませんので、念のため。
2024年03月05日
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今日のブログで、維新の相当おめでたい代表の話を載せましたが、私が住む奈良県の知事も維新。ホント、維新ってこんなヤツばかりなんですか? 奈良県の山下真知事が表明した五條市の県有地での大規模太陽光発送電施設(メガソーラー)の整備計画が議論を呼んでいる。計画浮上までの経緯に不透明な部分があるほか、突然の計画表明に地元が激しく反発し、知事との対立が深まっている。開会中の県議会でも大きな争点になる可能性がある。(中略) 元は滑走路を備えた防災拠点を整備する計画だったが、知事が就任後に見直し。今年1月、ヘリポートなどと約25ヘクタールのメガソーラーを整備すると表明した。これに地元が反発し、市や県議会にメガソーラー案の撤回を求める要望書を提出。知事自ら説明会で、メリットや安全性、防災目的での整備を説明したが、折り合いがつかなかった。【読売新聞オンラインから引用】 太陽光発電を巡っては、東日本大震災以降注目を受けて急速に広がっており、各地でトラブルも起こしています。今回の奈良県五條市の場所も元々は防災拠点として整備を計画していたのに、知事が変わって計画変更。知事が変わって計画変更と言うのか、前の知事がやっていたことを否定して違うことをすることはあることですけど、その計画変更をなぜ行うのか、しっかりと説明しているのであればいいのですけど、維新ってそういうところをすっ飛ばしてうやむやにしている印象しかありません。 メガソーラーを巡っては災害リスクや環境への影響を指摘する見方が広がっており、住民らもそれらを問題視する。平群町では、災害リスクなどを懸念した住民と事業者の間で訴訟に発展。開発許可の取り消しを求め、県も提訴された。県はこうした事態を防ごうと、昨年10月に太陽光発電施設の規制条例を施行。5000平方メートル超の施設、急傾斜地など災害リスクのある場所への建設は、知事の許可を必要とした。条例は「住民の理解を得るように努めなければいけない」とも定めている。知事は脱炭素の加速や非常用電源の確保を整備理由に挙げ「(用地の)ほとんどが平地。平群町のような懸念はない」とする。【読売新聞オンラインから引用】 同じ奈良県の平群町でも大規模なメガソーラーの計画が上がっており、でたらめな計画ということで問題になっているようです。そのようなことを踏まえてメガソーラーを規制する条例までできたとのこと。太陽光発電でできた電気の買取価格は年々下がってきているときに、メガソーラーってセンスないよね。災害に備える、って表向きは言うんだろうけど、だったら平群とか五條のようなところではなくて、県庁の近くに分散してつくったらどう? 余程その方が災害に備えることになると思うけど。 メガソーラーの整備が浮上した経緯も不透明だ。2月21日の県議会特別委員会では、関係資料が示されるなど説明が行われた。環境部局は昨年8月、予定地を脱炭素に向けたメガソーラーの候補地に加えるよう指示があったと説明。一方、防災部局の資料によると、昨年12月の知事との会議で、担当者が「(予定地で)中核的広域防災拠点の整備を進めたい」と提案。知事からは「既存施設の活用を含めて引き続き検討」と指示されていた。この時点で防災目的での整備案は示されておらず、会議後に決まったという。知事がどう検討し、決めたのかは分からずじまいだ。【読売新聞オンラインから引用】 環境部局も天の声(=知事)からの指示で計画変更したんだろうね。その知事は五條市の県有地での元の計画を変更してまでメガソーラーをつくる意図はなんなのか?支援企業を儲けさせるためなのか? それじゃないというなら、地元住民や県民が納得できる説明をきちんとしてもらおうじゃないの。どうせ維新の知事だから、話をすり替えて「魂を込めてソーラーをつくる」「ソーラーができてみたら感動する」とか言い出すんだろうね、バッカじゃないの。せいぜい20年くらいしか使えず、恒久的な設備でもないものに、しかも買取価格も下がってきているのに今更メガソーラーを作るって、あまりのセンスの悪さに頭が痛くなります・・・ それはさておき、きちんと経緯については説明してもらわないといけないよね。まさかそんなこともできない、なんていうことはないよな。
2024年03月05日
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「日本維新の会」「教育無償化を実現する会」の国会議員43人が4日、大阪市の人工島・夢洲(ゆめしま)に建設中の2025年大阪・関西万博会場予定地を視察した。維新からは馬場伸幸代表(59)、藤田文武幹事長(43)、音喜多駿政調会長(40)らが参加。視察後は日本国際博覧会協会(万博協会)の石毛博行事務総長(74)らと意見交換した。 万博の目玉のひとつの大屋根(リング)の屋上に登った馬場氏は視察後、府庁で記者団の取材に応じ「リングの工事は着々と進んでいるということは現場を見せていただいて、よく理解ができました。建物も着工すれば、割と短期間に竣工していくのではないかなという風に思います。着工できるめどが立つかどうかということが非常に大事」として、工事が順調に進んでいる認識を示した。【よろず~ニュースから引用】 ホント、雁首そろえて大阪・関西万博の工事現場を見に行ったそうだけど、「割と短期間に竣工していくのではないか」ってどこまでおめでたいんだろうね。まだ着工していないところの方が多いんだけど、そこは理解しているの? しかも来月からいろいろと規制が厳しくなるんだけど、それも頭に入っている? それを踏まえて「割と短期間に竣工していく」ってコメントしているなら、相当おめでたいヤツだわな。 海外パビリオンを自前で建てる複数の国が、建設完了目標の2024年10月に間に合わないとする一部報道に、馬場氏は「10月までにできなければだめだという情報も流れましたが、その点も改めて確認をさせていただきました。それはおおよその目標。10月になって建っていなければ、もう参加できないということではないと。改めて確認させていただきました」と、問題がないとした。「建物が建ってから内装や係の皆さんのトレーニングもあるわけですから、協会としては準備期間を十分に考えながらタイムスケジュールを組んでいるということでありますので、若干の前後の遅れは許容される範囲」と強調した。【よろず~ニュースから引用】 「10月になって建ってなければ参加できないということではない」、まぁそうだろうけど、竣工が万博開業日の来年4月13日というところもあるし、まだ建築すら始まっていないところはもっと遅れるだろう。 ちなみに、「建物建てて終了」っていうことではないことは理解しているの? 張りぼての建物を作って中には入られない、というものであれば百歩譲ってあり得るかもしれないけどさ。当然様々な法定検査をクリアしないとその建物は使えないわけですよ。建物であれば消防設備の検査もあるだろうし、建物以外でも会場全体が特別高圧や高圧で受電するなら電気設備の使用前検査がある。上下水道についてもあるだろうし、そういったところは考えているのかな。それ以外にも、そこで働く人に対する研修も必要ですよね。来場者の誘導とか身障者の対応、VIPの対応などに加えて、火災や地震があった場合の避難誘導とか建物ができてからでないとできないことがたくさんあるっていうことも理解している? 多分、こんなおめでたいヤツはそんなところは見てないんだろうね。だからこんな脳天気なバカ発言ができるわけで。 万博の入場券販売について、馬場氏は「それぞれの議員がいろんな企業とお付き合いをしていると思いますし、個人レベルでもそうだと思いますので、前売り券をどんどん販売していくということに陰ながら協力をしていく」と、議員団のバックアップを訴えた。【よろず~ニュースから引用】 あれれ? おかしいぞ? 確か維新って「しがらみのない政治」が売りじゃなかったんかな? 「いろんな企業とお付き合い」「前売り券をどんどん販売していくということに陰ながら協力」って、維新が掲げた「しがらみのない政治」と反しませんかねえ。 自身は「まだ私も前売り券買ってませんので」と未購入であることを明かしたが「秋になったらパビリオンの予約と合わせてできるということですから、秋口ぐらいには前売り券を家族分購入して、前売り券の販売に協力ができるのではないかなと思います」と約束した。【よろず~ニュースから引用】 今の時点で買ってないんかい! インタビューしたヤツもそこを突っ込めよ!! 「なんで買ってない? 赤字確実なんていわれているんだから、現時点で1000万円分くらいポーンと買うなど協力はしないのか?」くらいは聞けよ。「赤字は補填しない」って維新の知事がコメントしていて、作業に従事している人や企業も「金払ってくれるんだろうか」って不安なんだからさ、それくらいのことをしろって。そもそもこんなずれたコメントしているのは誰やねん、ってもう一度本文を確認したら維新の会の会長って・・・。いやはや相当おめでたいヤツだわ。維新ってこんなヤツばかりなん?
2024年03月05日
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私のPCのメアドあてにEX予約のメールがありました。 内容を確認すると、次のように書かれていました。自由席を予約しました。領収額は、合計 81,720円です。■予約内容お預かり番号:2003乗車日 2024年3月20日東京→新大阪おとな6名EX予約自由席発売額 81,720円 一瞬、「あれ? 何か予約していたかな?」って思ったんだけど、乗車日と区間を見て「あっ、迷惑メールか」って気が付きました。だいたい大人6人で自由席って、もう少しもっともらしい内容じゃなかったら騙せんわな。 ただ、メールの内容はぱっと見は「ん?」って思うくらい巧妙にできています。みなさんもご注意ください。
2024年03月04日
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大阪・関西万博の前売り券の売上枚数が、販売開始3カ月で4.6%にとどまることが、3月1日、万博協会から公表された。協会は来場者数を2800万人と見込み、2025年4月13日の開幕までに1400万枚を販売する目標を掲げている。だが、2月28日時点で、売上枚数は計64万6517枚にすぎない。【FLASHから引用】 ホント、話題沸騰中の大阪・関西万博。その話題も「いろいろ問題あり」の話題沸騰で、ネタに欠かない状況となっています。今度は前売り券の売り上げが当初の予定の約1400万枚のうち64万枚あまりとなっているとのこと。割合的には4.6%ということで、ネット上でのコメントでもわずかしか売れてないことに対して突っ込みが入っていました。 私はわずかしか売れていないこと以上に「そんなに売れているの?」って思いました。おそらく支援企業が「仕方なし」に購入しているのではないかと思うのですが、この64万枚のうち一般の人がどの程度購入しているのか、また開幕後1ヶ月の間に入場できる格安の入場券の購入者数はどの程度なのか、知りたいところです。 ここまで売れてないのは、昨今の建築遅れとかリングや2億円トイレなどの無駄な支出問題、そもそも開催できるのかといった不安要素があろうかと思います。それは差し置いても、パビリオンの予約はまだまだ先ということで現時点ではどのようなパビリオンがどのようなことをするのか今ひとつ情報がない中で前売り券なんて買えない、ということかと思います。 それから、前売り券を買ったとしても混雑緩和のために「いつ入場するか」というのは別途手続きをしないといけないし、パビリオンも別の予約でしたよね。混雑緩和のためにはこの方法を取るのは、私は悪くない方法だと思っています。というのも、入場しても人気パビリオンは2時間待ちとかになるとどこにも見に行くことができないという無駄な時間が発生するところを、予めの時間が分かっているわけだから次々に回っていくことができるからね。もっというと、人気パビリオン3つくらいをパッケージにしたセットメニューをたくさんつくっておいて、それを入場日時の予約の時にチョイスできるような仕組みにしておけばなおよいんじゃないかと。そして、入場当日にそれらのパビリオンを回って、空いた時間に予約不要のパビリオンを回ればかなりゆったりできるのではないかと思うんですけどね。 でも、そもそもこの入場券の発売方法が誤っているんです。というのも、「どんなパビリオンがあって、何をみられるのか」というところが明らかになって「入場の日時」を考えると思います。そのパビリオンの予約も別のシステムだから、希望するパビリオンの日時が確定しないままに入場の日時なんて考えられないだろうから。だから、逆なんですよね、やろうとしていることが。こういったところも前売り券の販売が伸びないところかと。 このままの数字の伸びで推移するとは思いませんが、盛り上がりに欠けたままの状況で進むだろうなと思います。
2024年03月04日
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先日、母親から「油(サラダ油のこと)がたくさんあって、大量にあるけどそれを処分してほしい」との連絡がありました。そして今日、行ってみると「そんなこと言ったかな?」って・・。最近、昨日話したことも忘れているような状況なので怪しいのですが、娘が「これじゃない?」と見つけたものを大量に発見! しかも、いずれも1年以上前に期限が切れている者ばかりのものが15本もありました。何を考えてこんなに買い込んでいたのかわかりませんが、なんとももったいない! こんなにたくさんありました。 油は排水溝に直接流すことはできませんから、何かしらの対策が必要です。油を処理するには「固めるテンプル」がありますが、あれは温かい場合しか有効ではない。常温の場合には同じシリーズで「吸わせるテンプル」というのがあるそうですが、100mlで1枚使用とのこと。1000ml/本ですから、1000mlで10枚も必要ということで、なんとももったいない。 ということで、他の方法を考えてみました。その時、自治体などが廃油を集めているのを思い出して、ネットで検索してみると、たまたま実家近くのショッピングセンターで引き取りをしていることを発見! そこで、そこへ持って行きました。ペットボトルとか缶・ビンの回収ボックスの横にありまして、そこへ上の写真のボトル全てを入れました。よって、1円もかからず、廃棄することができました。 それにしても、少しずつ終活ではないけどしてもらえるのはいいんだけど、あまりにもいろんなものが多すぎて大変です・・・。
2024年03月03日
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今日は、娘と一緒に堺市に住む母親の様子を見に行ってきました。その帰りに思いがけないことが。 泉北高速鉄道の深井駅近くの交差点の信号待ちの際に、右折レーンにやってきた車にびっくりしました。 そうです、私と同じデリカSWがやってきました。 私の車よりも程度がよさそうな状況で、ナンバーをみると2400ccのガソリン車でした。しかも、堺ナンバーで割と最近に登録されたものではないかと。ちなみに、デリカSWのディーゼル車の場合は例の排ガス規制のために堺ナンバーでは登録できません。 ちょっと拡大してみました。 助手席には子どもさんが載っていまして、運転手は若い奥さんでした。子どもさんは自分の載っている車と同じ車が横にあることに喜んでいるように見えました。 信号が青になって、車が横に並んだときに手を振ってあげると喜んでいました。そりゃそうでしょう、めったに見かけることがなくなったデリカSWを思いがけなくみることができたわけですから。もちろん、それは私も同じですけどね(笑)。 こういうこともあるんだなぁって思いましたし、いつまでも大切に乗ってほしいなぁって思いました。
2024年03月03日
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私が96年から99年まで住んでいた兵庫県西宮市の甲子園。言わずと知れた阪神タイガースの本拠地、そして高校野球の聖地でもある甲子園球場がありますが、私が住んでいた団地はその甲子園球場から南に1kmほど行ったところにありました。そして、その甲子園球場のすぐ近くには「阪神パーク」がありました。今のららぽーと甲子園の場所になるのですが、2003年3月20日限りで閉園になりました。そんな阪神パークですが、阪神グループが「なんとかなりそうな夢大募集」ということで募集したところ、「阪神パークを復活させてほしい」というのが多かったようで、一日限りですが阪神パークが甲子園駅前に復活しました。もちろん、動物を持ってくるわけにはいきませんので、懐かしい写真やパネルなどですが・・・。 阪神甲子園駅前に降り立ち、甲子園球場の方へ歩いて行きます。このルートは、私が住んでいた時と同じルート、そこが会場になっていました。 動物はおりませんが、動物の形をしたふわふわがありました。 これは、かつての阪神パークの入り口だそうです。今回の入り口のロゴと同じですね。 阪神パークの歴史を示した年表がありました。 元々は、現在の浜甲子園に阪神パークの前身があったそうです。 その名残は、今でも甲子園浜の海でみられるとか・・・ 1929年に開業した阪神パーク、当時にもたくさんの動物がいたんですね。 ペンギンもいたんですね。 ペンギンに至っては、1941年にペンギン王国になったとか。それくらいたくさんのペンギンがいたんですね。ペンギン好きの私にとってはこの当時に近くに住んでいたら、一日中見ている自信があります(笑)。 しかし、太平洋戦争のために暗い時代が阪神パークにもやってきます。 その後戦争が終わって、1950年に営業再開、再び動物もたくさんやってきました。 阪神パークといえば、象さんなんです。私が住んでいた時も二頭の象がいました。「アキ子」「キク子」の二頭は人気者で、まだ赤ちゃんだった娘も象さんをみて喜んでいました。 ちなみに、この象さんは動物園から外に出かけることもあったとか・・・。もちろん二頭だけで出かけているわけではないのですが、おおらかな時代ですよね。 1950年にはジェーン台風が襲来、阪神電車も大きな被害を受けたそうで、阪神パーク内も被害があったそうですが、この二頭の象さんも復旧作業に携わったとか・・・。 1959年には阪神パークきっての人気者となった「レオポン」が誕生。レオポンは、ライオンとひょうの間に生まれたもので、四頭も生まれたんです。私は残念ながら実物は見たことはないんですけど、「阪神パークといえばレオポン」というのは聞いたことがありました。 ところで、1960年に新しい住処へ引っ越す際に母親のライオンが脱走、大捕り物が繰り広げられたそうですが、最終的には消防車がライオンのお尻へ放水して新しい住処へ誘導したそうです。なるほど、よく考えたなぁってね。 阪神パークといえば、もう一つ名物があって夏場には「デラックスプール」がありました。1964年に登場したそうですが、このプールは、それまで親しまれていた甲子園海水浴場の代わりになったんでしょう。夏場になるとCMでもPRされていましたね。 その他にもアイススケート場やボウリング場もありまして、当時のレジャーの最先端が集まっていたところともいえるかもしれませんね。 阪神パークでは、いろんなイベントが行われていて、科学博覧会や大菊人形展もあったとか。関西で菊人形といえば、ひらかたパーク(ひらパー)ですが阪神パークでも行われていたんですね。 さて、1985年には最後に残っていたレオポンが天国へと旅立ったそうです・・・。 1990年代に入ると、他の遊園地との差別化を図るために、子供向けに特化した遊具を設置するようになり、それは閉園まで続いていたように思います。私の娘が遊ぶまで残っていてくれていたらなおよかったんですけどね・・・。 私が浜甲子園近くにあった団地で妻と生活をはじめたのが1996年7月、阪神パークはその翌年の3月に住宅展示場を併設した「甲子園阪神パーク住宅遊園」として、入場料は無料となりました。園内には遊具とともにモデルハウスが建てられていて、当時は一軒家に縁のなかった私にとっては子どもの散歩コースとして利用させてもらいました。 そして、2003年3月についに閉園、73年の歴史を閉じたのでした。この閉園を知って、当時5歳だった娘とまだ元気だった母親を連れて閉園の一週間ほど前に行きました。大勢の人が来ていて、象さんのおりのところもひとだかりでした。その象さん二頭は千葉県へと引っ越していきましたが、数年後には天国へと旅立って行ったそうです・・・。 私にとっては、阪神パークの最晩年しか見ていなかったのですが、それでも思い出深いところでした。まだベビーカーに乗っていた娘を連れて遊びに行ったこと、阪神甲子園球場にほど近く、また甲子園駅からも近い一等地にありながらのんびりとした光景だった阪神パーク、引っ越してきてこんなにいい環境なんだ、って思いましたからね。(私はタイガースファンではありませんが) 写真の昔のテレビを模したモニターには、レオポンの映像や96年当時の園内の様子が映し出されていました。なかなか貴重な映像でしたので、また何かしらの時にみることができたらいいなぁって思いました。 なお、当時のポスターなども展示されていましたので、それはまた後日紹介したいと思います。
2024年03月02日
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開催まで1年弱と迫った大阪万博だが、工期の大幅な遅れ、海外パビリオンの出店も進まずで、ついには参加辞退国も現れた。会場の大半を囲むように建設されている万博のシンボル「大屋根リング」設置などの計画変更もあり、建築費用は当初の約2倍となる2350億円に増額。更には2億円の「デザイナーズトイレ」の建設問題も取り沙汰されるなど、次々と難問が飛び出している。(中略) とくに公式キャラクターである「ミャクミャク」を巡っては、厳しい意見がとびかっている。大阪・梅田近くの別の商店街幹部はこう本音を漏らした。 「ミャクミャクがプリントされた販促物や掲示物は使用許可が厳しくて、ほとんど街中で見かけません。権利関係とか色々あるんでしょうけど、『何のための公式キャラクターだよ』と思ってしまいます……」【FRYDAYから引用】 先日も取り上げた大阪・関西万博ですが、グダグダ感はあれこれでてきていまして、もうここまできたら逆におもしろくなってきましたけどね。今度はあの気持ち悪いキャラクターについてです。 公式キャラクターといえば、いろんなところで様々なグッズが販売され、あるいは街中でも広告で使用されていると思っているのですが、たしかにあの気持ち悪いキャラクターはそこまで見かけないんです。もっとも駅のディスプレイとか鉄道車両のラッピングで見かけますけど、個人的には目にすることが少ないのでいいんですけどね。本文にもありましたが、「地域で盛り上げたい」という希望があっても権利関係がややこしいのか使えないんですね。何をお高く留まっているのかわかりませんが、東京五輪・パラリンピックもそうだったのかな? 関西では東京五輪のキャラクターって見かけることはなかったように思うけどなぁ。まぁ東京五輪・パラリンピックは無観客だったからグッズの売り上げも何もなかっただろうけど。 ただでさえ盛り上がっていない大阪・関西万博。せめて公式キャラクターだけでも自由に使えるようにしたらいいのに、って思うけど、あんなデザインでは使いたくないよな。最近、海外からの観光客をたくさんみかけますが、その外国人もあのグッズを持っている人を見たことがありません。海外の人の感性って日本人とはまた違うから持っている人がいるかなって思ったけど、外国人にも不人気のようで。 ところで、私が通勤で利用する地下鉄谷町線の30000系にあの気持ち悪いキャラクターがデザインされた車両が2編成あるんです。また、大阪環状線の323系にも1編成みかけました。京阪にもあったかな。ちなみに、私はこれらの車両を見ると「縁起悪っ!」って思ってしまいます。あの気持ち悪いキャラクターを朝出勤時には見たくないからね、一日の始まりにみるとその一日が良くない気がしてさ。 話を戻して、ここまでグダグダな万博、維新の連中はカジノだけできたらいいんだからこんなこと、どうでもいいんでしょうね。
2024年03月01日
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