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エルトン・ジョンの名作「YOUR SONG」は今まで黒人音楽一辺倒で来た委員長の感性に新しい刺激をもたらせてくれました。* YOUR SONGIt’s a little bit funny, this feeling insideI’m not the one of those, who can easily hideI don’t have much money but boy if I didI’d buy a big house where we both could liveIf I was a sculptor but then again noOr man who makes portion in a traveling showI know it’s not much but it’s the best I can doMy gift is my song and this one’s for youAnd you can tell everybody this is your songIt maybe quite simple but now that it’s doneI hope you don’t mind, I hope your don’t mindThat I put down in the wordsHow wonderful life is while you’re in the worldI sat on the roof and kicked off the mossWell a few of verses, they’ve got me quite crossBut the sun’s been quite kind while I wrote this songIt’s for people like you that keep it turn onSo excuse me forgetting, but these things I doYou see I’ve forgotten if they’re green or they’re blueAnyway the thing is what I really meanYours are sweetest eyes I’ve ever seen(ざっくり和訳付けちゃいましょう)ちょっと変さこんな気持ちはでもボクは気持ちを簡単に隠したりするような奴じゃないお金は沢山ないけどもし持てたら二人が暮らせる大きな家を買いたいもしボクが彫刻家とか旅芸人だったらとか思うけどボクに出来ることといえば歌を作ることぐらいなのでこの詩を貴方に贈りますこれは貴方の歌だと皆に言っても良いよとてもシンプルだけど仕上がった今となっては貴方が気にしないことを願っていますだって、この世の中に貴方がいると人生がなんて素晴らしいのだろうと歌詞に書き込んでしまったからボクは屋根の上に腰掛けてコケを蹴飛ばしながらいくつかの歌詞がボクを戸惑わせたけどこの歌を書いている間、太陽はやさしく輝いてくれました太陽は貴方のような人のために照り続けているのですだからボクが忘れてしまったことを許してください貴方の瞳が緑だったか青だったか忘れてしまったのですでもボクが本当に言いたいことは貴方の瞳が今まで見たうちで一番美しいということなのです(ちなみにこの歌はエルトン・ジョンが、実際にボーイフレンドの為に書いた曲だそうです)アル・ジャロウにもビリー・ポールにも感動しましたが、より一層シンプルなオリジナルを聴いた時、委員長は久しぶりに素直な自分に出会えたといっても決して大げさではありませんでした。(他にロッド・スチュアートも取り上げています)そうなんです。歌を歌う、詩を詠うという行為は愛する人のためにあってこそ尊いし美しいという、ごく当たり前のことを思い出したのです。思えばその昔、ベンチャーズに始まってグループサウンズ、ビートルズ、モンキーズ、ハードロック、ソウルと続いてきた自分の音楽史は、いつのまにか音楽そのものから受ける感性を離れ、音楽と関わっている自分、DJをしている自分に酔っているだけのものに成り下がってしまっていたのです。ディスコに通い始めて踊りに夢中になり、一日中踊っていたいがためにディスコで働くようになり、そこでさらに黒人音楽に傾倒していったあの頃の音楽に対する純真さは、自分でも気が付かぬまますでに失っており、とどのつまりはただ業界人として音楽と係わっている自分に酔っているだけの軽薄者でしかありませんでした。音楽が好きで始めた道楽もいつの間にかその「音が苦」になり、今の自分に拘れば拘るほど本質的な感性からは遠ざかっていくという矛盾に目覚めたのでした。一体自分は何のために音楽をやるのか、一番根本的な心の部分にようやくを目を向けることができたのです。好きなことをやっていると思い込んでいたDJでさえも、いつの頃からか音楽やDJが好きでやっているのではなく、DJをやっている自分が好きなだけで、実は世の中のご機嫌を伺いながら生きている自分自身の心の声を聞いたような気がしました。DJバンドをやったらウケるとか、ダンサーズを付けたら面白いとか、ディスコサウンドを創るとか、言ってみればみんな二次的なことばかりで、じゃあ一体自分たちは何を演るのか、何が演りたいのか、という一番肝心なことには結局のところ誰も何も触れていません。過去、DJを始めたとき、ダンサーを始めたとき、バンドを始めたとき、たとえバカらしいことでもその全てにモチベーションというものがあったはずで、少なくともやりたいことがわかっていたからこそやれたことでした。そう考えると今の自分は心の奥底から渇望してくる欲求のない、形ばかりに拘った幻のようなものに振り回されているにすぎません。そしてそれは普段自分が一番軽蔑し、馬鹿にしている軽薄なカッコマンそのものでした。ソウルが好きでアフロまでしてのめり込んだディスコ業界で、まさかエルトン・ジョンの歌で目覚めるとは思いもよりませんでしたが、行き詰っていた自分の心の声にようやく耳を傾ける自分を見つけたようなものでした。良い歳をしてとか、今までの経歴とか、そんなつまらないプライドこそが自分自身を真の道楽者からカッコマンに貶めていたことにようやく気が付いたのでした。元々バカだからこそこうしてやってこれた道を、今更大人ぶって小利口に恰好つける必要なんてないんです。俗に言う、当たり前なことを否定してきた自分が、つい弱気になって当たり前の囲いの中に入ってしまったといったところでしょうか。自分らしい生き方は自分の心のままに生きること。これまでやってきたことのツケに追われて見失っていた「どーらく」の光が少しだけ見えてきました。「どーらく道を貫くぞ!」冥府魔道を行く子連れ狼の拝一刀の向こうを張って、落ちぶれて人生の吹き溜まりに引っかかった委員長の新たなどーらくの道がここから始まったのでした。(やれやれ)そしてディスコで関わってきたことへの全ての清算、今までのハッタリとの訣別です。早速委員長はこの曲「YOUR SONG」をギターコピーし、稚拙な録音ですがカセットテープに録って元彼女の○江に郵送しました。今更恥も外聞もありません。この歌詞の内容どおり、彼女を励ましたいがための音楽を演るということは、すなわち自分の心に素直になるということでもあります。自分の心に余裕が無いときこそ人のために何かをするということが、どれだけ自分の心の救いになるかということをこの時身を持って体験した委員長でした。そしてこれが、彼女が過去委員長にくれた思いやりへの返礼だと信じたのでした。(思い込みが激しい性格だからね)
2005年11月30日
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究極のDJバンド結成。船頭ばかりの船に乗り込んだ人生の吹き溜まりに集う馬鹿者達は、それぞれが思い思いの夢を描きながらも、そのくせ自分では何一つコトを起こそうとせず、集まってきたヤツの誰かにもたれかかるというような典型的な他力本願道楽者根性丸出しの集まりでした。飽きもせず毎晩語られるスーパー・バンドの夢物語はこの上ない非生産活動であり、皆のイマジネーションは異次元の世界へと飛翔し、それは単なる現実逃避にも近い行為でもありました。そんなバカっ話をしてる暇があるのなら何ぞ楽器の練習でもしろと言いたいところです。道楽者とはいえ、夜な夜な集まってコツコツと練習でもしていればまだ見所もあるのですが、なんせ全員が揃いも揃って自分以外は皆脇役だと思っていますから、地道な努力はしたくないが早くビッグになって大金持ちにはなりたいなんぞとムシの良い夢ばかりを見ているやつらでしかありませんでした。(こんなですから、もうすでに結果は見えてますね)究極のDJバンド結成で盛り上がった割には、メンバーそれぞれは休みになるとサーフィンに出かけたり、店でナンパしたおねーちゃんとデートしたり、リーダーの委員長でさえ朝まで麻雀で家賃を稼いだりと、言ってることとやってることはてんでバラバラ、誰一人として何一つ実現に向けてコトを起こそうとはしません。つまりバンドをやるってことだけで気分はもうバンドマンみたいなことで満足しているのが実情で、お互い顔を合わせれば自分の都合の良い夢物語を語るだけの、確かに究極のバンドごっこでした。(夢のおかずってとこですか)しかし想像しただけでも妙なバンドですよね。おサルのドラマーに長髪ヘビメタ系ギタリストとヴォーカル、50‘s風ロッカーのベースマンとフォークギターを抱えたサーファー、これにちょっと歳喰ったお水系パーカションのリーダー、更に極めつけはソウルダンサーズ付き、ってどうにもまとめようがありません。これでどんな音楽を演奏しようと言うのでしょうか。それでも話だけ聞いていれば、CHICのようなタイトなディスコものにドゥビー系のアメリカンロックを混ぜて、ミーハーうけのためのレイジーを入れ、時には50‘sのロックンロール・クラシックなども塗して、ミュージカルスタイルの踊り付オールマイティ・バンドで一気にインターナショナルを目指す!ってここまでくればお笑いバンドにもなりません。挙句の果ては、一山当てたらプロデューサーになって新人を育てるなんぞとノタマウ始末です。(頭痛くなっちゃうでしょ)一度も演奏を始めもせずに、次から次へとバンド・ストーリーがどんどん出来上がっていくのですからまったく手が付けられません。バンド名を考えようと誰かが言い出せば、夜が明けるまで話しに花開きます。「オレ昔から考えてたことがあってさ、次郎長バンドなんてどうだろ」「次郎長? ってあの清水の次郎長のこと?」「ああ、リーダーが次郎長で、メンバーに皆一家の名前を付けてさ、大政、小政に森の石松とかさ、面白くない?」「う~ん、ってことはオレが次郎長で、シンジが大政、ユウジが小政、モンチが石松か?」「ロニー、それならヤスオも入れてやろうよ」「ヤスオかぁ、あいつは喧嘩っ早いからさしずめ桶屋の鬼吉だな」ぎゃはははー。誰も見たくないですねそんなバンドは。三度笠でも被ってステージに登場するのでしょうか。「昔さぁ、ジミヘンがさ、ウッドストックでアメリカ国家弾きましたよね、ソロで。だからボクは君が代をやったら面白いと思うんですよね」「バカ、そんなことしたら右翼に殺されちまうぞ」「ダメですかぁ」「いや、オレのダチに右翼の街宣車運転してるヤツがいるから聞いてみるよ。なんなら右翼の親衛隊でも付けちゃおか」「お前ね、そんなことしたら一般市民が怖がって見に来なくなっちゃうだろ」「じゃあ、荒城の月とかはどうですか」「おまえ暗い奴っちゃなあ。」とまあ、そんな呑気な道楽者ドリームで毎晩盛り上がっている頃、現実はしっかりと馬鹿者達の周りをしっかりと包囲し始めていたのですが、嫌なことは出来るだけ「見ざる、聞かざる、言わざる」で先送りしてしまうお調子者たちですから、今が楽しければ良いと残り少ない欲望の時を過ごしていたのでした。そしてこの頃の港荘軍団がよく溜まり場にしていたのが原宿にあった「Oh!God」というお店でした。当時は未だプールバーなんてものが出始める前でしたから、時代の先駆け、ちょっとした流行の先端を行っているお店でした。隣は「ZEST」というちょっと落ち着いた店で、ここにもポケット台が置いてあり、遊び人の隠れ家みたいな感じの2店でした。もちろん遊びはエイトボールです。後のプールバー・ブームの火付け役であるナインボールが流行ったのは映画「ハスラー2」の影響ですね。普通、不良の遊びはポケットならエイトボールが定番でした。ハスラーの世界もかなり奥行きのある世界で、3クッション三つ球なんてのは頭と技術をフルに使う高等な博打だと思います。地味なところでは四つ球ですが、派手に玉を落とすポケットの快感を一度味わったらやっぱり病み付きになりますね。ポケットはストレートボールさえ打てれば誰にでも簡単に遊べますから、その後のブームは当たり前だったような気がします。さらにホールでは映画上映もあって、昔の洋画を見終わる頃には夜が明けてちょうど良い時間でした。やっぱり生産性のない「遊び」ほど本当に楽しいものはありません。時間と金さえあったら毎晩でもこうして夜の街をぶらぶらと遊んでいたいという誘惑に駆られる道楽者軍団でした。さて、いくらそんなバカ騒ぎをしてはみたところで、重く圧し掛かってくる将来への不安が解消されるわけもなく、束の間のお遊びの後はきまって虚しさが襲ってくるというパターンを繰り返す委員長でした。まあ、他愛も無いそんなバンドごっこで現実と向き合うことをなんとかごまかしていたわけです。ところがそんなバンドごっこの最中に委員長はある一枚のレコードと出会いました。それはユウジのレコードコレクションの中にあったエルトン・ジョンのベストアルバムの中の一曲でした。ある晩仕事を終えて部屋に戻るとその日は珍しくユウジとナオの二人しかおらず、彼らは大人しくレコードを聴いていました。シンプルなピアノに軽いタッチの歌が委員長の感性を刺激しました。「あー、さわやかな恋がしたいなぁ」ユウジの溜息交じりの独り言です。「何がさわやかだよ、漫画みたいな顔して」そう言って委員長が部屋に入ると驚いたユウジは悪びれた様子もなく口を尖らせました。「何言ってんですかロニーさん、男はこういう純情さを忘れたらいけないんですよ」「ところでこの曲は何?」「知らないんすか、エルトン・ジョンですよ。あれっ、ひょっとしてロニーさんもさわやかな恋に目ざめちゃったかな」「ふざけんじゃねぇよ。でもちょっとこの感じ良いよな。それこの曲どっかで聴いたことあるなぁ」それはエルトン・ジョンの名曲「YOUR SONG」でした。レコードジャケットのタイトルを見て謎が解けた委員長。「おっ、この曲だったのかぁ、アル・ジャロウが唄ってたのは」「えっ、アル・ジャロウですか」「ああ、ビリー・ポールも演ってるぜ」「でもこれがオリジナルですよ」そりゃそうです。ソウル馬鹿一筋で来た委員長ですから、さすがにエルトン・ジョンまでは知るはずがありませんでした。そしてこの一曲が委員長の人生へのケジメのきっかけとなったのでした。
2005年11月29日
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アマチュアバンドが先ず最初に陥る錯覚が「やりたいこと」と「できること」の混同です。バンドをやりたいなどと言い出すヤツは元々自己顕示欲の塊みたいなものですから、隙あらば目立つことばかりに気を取られて、肝心の楽器演奏とか歌唱とかの音楽技術は二の次というか、まず腕が無いのがほとんどで自分の技術は棚に上げておいて、見てくれとか他のメンバーが悪いとか思い込んでいるヤツらですから中々始末に悪いものです。赤坂港荘に集ってイメージだけで好き勝手に夢を膨らませた究極のDJバンドはどうかというと、自分たちが働いているディスコとは相当に程遠い実力しか持ち合わせていないにも関わらず、やりたいことだらけでお腹一杯、胸一杯といったような状態でした。まずメンバーのバック・グラウンドがこれほど違うのも珍しいくらいで、現職のDJってことだけで繋がっている関係ですから、実際に本人たちが志向する音楽傾向はまったく違うわけで、何を以ってしてDJバンドなのか当の本人たちにもそこら辺のことは判るはずもありませんでした。いつもの通り道楽者の勢いに乗って、何だかわからないけどとにかくやろうぜみたいな、皆でやれば何とかなるだろうくらいの非常にチープなドリームでありました。究極のDJバンド・・・ごっこ。ドラムス:モンチ田中プロ・バンド「めんたんぴん」のボーヤをやっていたという、そのたったひとつの事実だけで業界人扱いされたサウスポーのドラマー。左利きのクセに右利き用のセットを使うので、左スティックでハイハット、右スティックでスネアを打つ姿はまるで玩具の「おサルの太鼓叩き」のようでした。身長160cmの彼はステージでその姿が見えず、無人ドラマーとして話題になったことがあるそうです。ギター:ナオジミー・ペイジに憧れバンドを結成。高校生でアマバンド・コンテストに入賞して注目を集め町内の人気者となるが、思春期の栄光に浸りすぎシンナー遊びで身を持ち崩してしまい高校中退。アンパン小僧の異名を持つ。その後ディスコ業界にDJとして紛れ込んだが、ディスコではハードロックがまるで相手にされていないことに落ち込み、愛用のギター、グレコのレスポールのヘッドに「れすぽーる」とイジケた掘り込みをしてしまったちょっと暗めの未成年ギタリスト。腕は中の上。ギター&ヴォーカル:ユウジ大分県出身のフォークシンガー。浜田省吾を聞いてフォークロックに目覚めた少年は高校を卒業と同時に上京。その童顔を生かし一度はジャニーズ事務所なども目指したが、持ち前の気の弱さから結局はマイナー路線でディスコ業界へ突入。マイケル・ジャクソンのプロモを見て心酔し、フォーク路線からソウル路線へと方向転換したものの、時代はすでにユーロ系へと変わりつつあった。地元の青年団ではカラオケ自慢で通るも、東京では何処にでもいるアイドルもどき。腕は下の上。ベース&ヴォーカル:シンジ清水港からやって来たロックバンド「ばびぶべぼうず」のメンバー。プロバンドの道を目指すもバンドメンバーの相次ぐ脱退で解散。後に立川でディスコデビューし、SOUL&FUNKの洗礼をモロに受けチョッパーベースもマスターする。演歌からロック、Pファンクまで無節操ながらこよなく音楽を愛する温厚派。腕は中の中。ヴォーカル&パーカッション時々ギターや鍵盤楽器など自称マルチ・ミュージシャン。楽器を沢山持っていることがマルチだと思っている大勘違い野郎。FUNKロックのようなバンドをやりたがっているが、自分の実力を棚に上げて自分以外のメンバーでは実現不可能だと思っている。ハッタリだけで世渡りをしてきた似非ミュージシャンと言える。腕は中の下。こんな末期的症状の馬鹿野郎達が集まっては夜な夜な夢を語り明かす赤坂港荘でしたが、このバンド結成のニュースを聞きつけて更なる馬鹿野郎が集結してきたのでした。まずは赤坂シンデレラでウェイターをしていた五郎という青年が「ボクもまぜて下さい」とやって来ました。彼は赤坂シンデレラでダンサーを務めるヒロシと共に大阪からやって来た歌手志望の青年でした。ナオ同様に未成年で19歳。身長178cm、ルックスは野口五郎と沢田研二を足して二で割ったような中々の男前でしたが楽器は全くダメ。自信があるのは歌だけという彼が目指しているのは所謂ハードロック系で、映画「ローズ」を見て感動し、この道を目指すようになったということでした。赤坂港荘に押しかけてきた五郎君はロニー軍団の前で淡々と語り始めたのでした。「ボクはエタなんです」「ふ~ん。で、エタって何?」軍団の長である物知りロニーですら何を言っているのかわかりません。「えっ!? エタ知らないんですか?」「病気かなんかの一種?」「違いますよ。エタ非人ですよ。ほんまに知らないんですか?」「エタ非人?知らねぇなあ。非人って人に非ずってこと?」「ウチは代々肉屋やってたエタなんです」ここでシンジが大笑いしました。シンジは突然ワケの解らないことを言い出す五郎が気に入ったようでした。無教養な道楽者にとっては話が飛びすぎていてジョークとしか取れないようです。「エッタ・ジェームスなら知ってるけど」ということで仲間にまたバカが一人増えただけのことでしたが、五郎君言うところのエタとは穢土の民という昔の部落民のことでした。地方ではこうした差別が未だに根強いようで、そんな自身の差別体験を話すつもりだった五郎君でしたが、相手をみてからモノを言え、というような感じでトンチンカンな道楽者軍団には彼の告白もまったく意味を為しませんでした。普段は酒浸りのアル中で、歌を歌う以外に能のない天才シンガー、ジャニス・ジョブリンの自伝的映画「ローズ」を何十回も見たという五郎君は、スクリーンの中のベッド・ミドラー演じるローズに相当憧れていたようでした。雰囲気的にはナオと気が合いそうでしたね。(ハードロック二人組みって感じですか)さあ、そしてまたまた変なヤツ登場です。あのダンサーのニックが舎弟のキクゾーを連れて押しかけて来ました。「ロニーさん、俺等も入れて下さいよ。このままじゃジャパニーズに負けたままで悔しいっすよ」「そんなこと言われてもなぁ、どんなバンドになるか未だわからないし、ダンサーなんて考えてもいなかったからなぁ」「いや、オレもこの漫画見て勉強しましたから、何でも良いから混ぜて下さいよ」そう言ってニックが委員長に差し出したコミックスは「ラグタイムブルースバンド」という漫画本でした。彼の思考回路がどのように作動しているのかまったく理解できない委員長でしたが、その漫画を読み始めたユウジは何故か妙に感動したりしていました。「オレ、永ちゃんのコンサートも見てきましたから」更に食い下がるニックは永ちゃんの物真似を始めました。ニックの物真似に異常な反応を示す道楽者軍団は調子付いて「黒く塗りつぶせ」の大合唱です。道楽者が集う赤坂二丁目港荘の夜は黒く塗りつぶされていったのでした。
2005年11月28日
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赤坂シンデレラにもようやく夏がやってきて、落ちこぼれ軍団も少しは元気を取り戻し始めました。赤坂の暮らしにも慣れ始め、近所に住む店長の二郎さんや今○支配人たちとも夜な夜な遊びに出たりするようにもなり、落ち目のロニー軍団にも多少は気晴らしとなるような夏でした。新宿シンデレラの五郎さん達と合同でマイクロバスを借り切って湘南へ海水浴に行ったり、横須賀に米軍の軍艦を見に行ったりと、それなりに赤坂ライフをエンジョイしたりしていました。そんなころ、サム岡田の居る新宿シンデレラに新しいDJが入りました。なんと金沢バナナビーチで出会った「サル」ことモンチ田中君でした。早速、サムがモンチを連れて委員長のところに挨拶に来ましたが、モンチ君はエスメラルダがこんなことになっていることも、先輩と仰いでいたロニーがこんなに落ちぶれていたことも知らず、自分の思っていた環境と随分違うことに多少戸惑っていた様子でした。そしてこのあたりから、末期的症状の道楽者軍団ではありましたが、最後っ屁のような道楽者ドリームが再び始まろうとしていたのです。(やっぱね、そうこなくちゃ面白くないね)委員長とユウジが借りた赤坂二丁目のアパートは「港荘」というハイカラな名前の割には、首都高速やらNTTの新築ビルやらに囲まれてぽつんと浮き上がった木造モルタルの暗い建物でした。まさに委員長達の現在の生活を物語っているような、その部屋の傾きかげんが妙に馴染んだ感じさえしていました。結局中途半端なゴミ仲間は、なんだかんだと言いながらも委員長を中心にこのアパートに屯するようになり、昔ほどの勢いや派手さは無くなったものの相変わらずのロニー軍団は健在といったところでした。この頃ではすっかりロニーの舎弟のような存在になっていたシンジ、ルームメイトのユウジ、彼を慕ってやってきたナオ、そして半端者ナンバーワンのヤスオ、加えてあのニックが舎弟キクゾーを連れて転がりこみ、更にモンチ、足を洗ったリト、建設現場で更正をはかるコジャなどが赤坂港荘に出入りをするようになりました。ディスコ業界もこの頃は完全に六本木主体になっており、新宿のあの混沌とした流れは次第に減速し始め、旧来の仲間も一人二人と散っていきました。赤坂シンデレラも六本木の勢いにはやや圧され気味で、客足も週末以外は相当に落ち込みだしていました。そんな状況でしたから、皆それなりの不安を抱えて誰ともなく頼りたい心境であり、まさにゴミ同士が寄り添って何とか凌ごうというような悲惨な流れでもあったのです。そして赤坂港荘にゴミ連中が集まってきた最大の理由は、なんとこの6畳間にはエアコンが付いていたのです。(ってホントに当時はスゲーことでした)たぶん前住人が置いていったものでしょうが、当時のアパートでエアコンがあるなんてのは水商売の人間にとっては百人力でした。なんせクソ暑い真昼間に寝なきゃならないのですから、夏は体力との戦いのような生活であったわけで、安眠を保証してくれるエアコンの存在は何にも増して大きかったといえます。そんなわけで安眠を求めて皆が赤坂港荘に集結してきたというようなことでありました。しかし6畳にユウジのベッドが1台、あとは皆でそこらへんにゴロゴロ転がって寝るんですから、排出される冷気はあまりの人口密度の高さにグォングォンと今にも壊れそうな音を立てておりました。更にできるだけ効率よく部屋を冷やすため、ブリキの雨戸をビシーッと閉め切って暗い部屋に野郎ばかりが数人転がって寝る風景はまるでタコ部屋以上です。それでもエアコンの快適さを一度でも味わったゴミ野郎は毎晩のようにやってきては安眠を貪ります。モンキーハウスのようなアパートでしたが、さすがに軍団は委員長に気を使ってくれて、三畳の間のフスマを閉めきって牢名主部屋のような独居房のようなプライベート・ルームを委員長のために用意してくれたのでした。でもこの三畳間はフスマを閉めきると一日中陽の当たらない密室と化してしまい、かろうじてフスマの上の鴨居から流れ込むエアコンの冷気が唯一の空気穴のようでした。そこに布団を敷いて、その回りにレコーディング・ミキサーやら楽器やらを並べてみると、そこは今で言うオタクの世界、まさに寝ている以外は音楽漬けとでもいうような異常な世界でもありました。さあそんな楽しい合宿生活のような暮らしを始めていくうちに、誰とも無く言い出した夢物語にゴミ野郎たちは次第に引き込まれていくようになっていったのでした。究極のDJバンド結成。(出た~!まったく懲りない奴等です)「ロニーさん、一緒にやりましょうよ。ロニーさんがやれば皆ついてくるし、絶対上手くいきますよ」無責任に乗せるユウジやシンジの話を聞いていた委員長も、最初のうちは今更お前等みたいな若造と一緒に遊べるか、などと見下しておりましたが、どのみちこのままディスコDJをやっていたところで近い将来行き詰ってしまうのは目に見えています。かといって、マジにバンドをやるにしても唯一の相棒であったシゲルも既に壊れてしまっていたし、一人でいくら奮闘してもこれ以上人生の展開は見込めません。それならいっそのこと自分の思い通りになるメンバーと、もう一発人生賭けてみるかなどという道楽者根性が頭をもたげてきたのでした。そしてそのきっかけを作ったのが「サル」ことモンチだったのです。そのころ新宿シンデレラに見習いとして出入りしていたナオが、金沢からやって来たモンチと意気投合して赤坂港荘に連れて来たことから道楽者ドリームは始まりました。ナオは当時19歳、毎度お馴染み高校中退のバカタレです。ところがこのナオは高校生の分際でアマバンドのコンテストなんぞに入賞し、中野区野方界隈でちょいと名の通ったギタリストでありました。ありきたりのサクセスストーリーで天狗になったこのギター小僧は、調子くれてシンナー遊びなどにうつつを抜かしてしまい、結局学校はクビ、フラフラしているうちにユウジと知り合いDJ見習いとしてエスメラルダに入ってきたというような典型的なアホタレでした。そんなナオがモンチと出会うなり一気に盛り上がってしまったのでした。なんとこのモンチは、その昔和製ロックでその名を轟かせた「メンタンピン」というバンドののドラマーのボーヤをやっていたのです。バンドの要は何と言ってもドラムです。ドラムさえしっかりしていれば、あとのメンバーはグレードに合わせていくらでもパーツの取替え可能です。当時はそれだけドラマーが不足していたわけですね。ですから結局はどのバンドもドラム探しが最大の課題と言っても過言ではありませんでした。そんなところに突如として現れた「サル」ことモンチは、港荘でグダグダしていたゴミ野郎達を俄に色めき立たせたのでした。「ロニー、これで全員DJでバンドのメンツが揃ったよ」そう言うシンジの顔は夢の彼方を彷徨う南十字星のようでありました。「おおっ、遂に究極のDJバンドが誕生だぁ~!」その夜、赤坂港荘に集結したディスコ業界最強のアホタレ軍団は、旬の過ぎたロートルDJロニーを先頭に究極の道楽へと突入していったのでした。
2005年11月27日
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FUNKYな道楽者人生。委員長が本当の意味でFUNKYというものを感じた一曲があります。KOOL & The GANGのGOOD TIMESというアルバムに収録されているFATHER, FATHERという曲がそれです。とても美しいスローナンバーで、イントロダクションにブラザーの語りが入っています。これは「天なる父」への問いかけから始まる、ちょっとシリアスな詩でもあります。この詩のどこがFUNKYかはうまく説明できませんが、ブラザーの語りがあまりにもシリアスな分だけ人間の作り出した世界への問いかけがここにあり、それこそがFUNKYとしか言いようのないものであるからです。哀しく可笑しい、そう言葉で表現してしまうとあまりにも陳腐ですが、心の中に沸き起こってくる感情がまさにFUNKYとしか表現できないものでした。以下にコピーを付けましたので興味のある方は是非読んでみて下さい。和訳は付けません。なぜなら、この詩の解釈は「宗教」と同じで本人の心次第で見えるものが違うからです。文章は簡潔ですし、さほど難しい単語も含まれていませんから、是非ご自身でチャレンジしてみて下さい。詩の中に隠されたFUNKYさを感じて頂ければ委員長は本望です。(音源が手に入れば尚更素晴らしいですね)*FATHER, FATHERFather, where’s the love I thought there would be?Where’s the happiness in me?Is life just an endless walk to nowhere?With streets that just lead to dead ends?Where parents water their flowers with hateAnd children do the sameBut who’s to blame?Spring?No, it’s just a gentle thingBut man flies around the moon and sings a song that stars with JuneAnd eats his lunch at every moonIn harmony he does thisBut with love, is out of tuneFather, father, father, you were surely rightIf the world should end tomorrowIt would be by man’s own mightLord have mercy on usSeems to be a favorite lineWherever we’re down or in troubleOr blocks to eternal divineFather, there’s war and worryLord, there’s hurt and sorrowAnd won’t you live to see tomorrowFather, father, father, what can we do what’s rightLord, please smile upon usGive us your guiding lightFather, where’s the love I thought there would be?Where’s the happiness in me?Lord, you know, I know you know, fatherその昔、一緒にバンドごっこをして遊んだシゲルが、赤坂に引っ越して来たばかりの委員長のアパートにやってきました。この頃のシゲルも彼なりの道楽のツケに追われ行き詰っていたようでした。夜中にひょっこりとやって来たシゲルは何を思ったか、突然委員長に散歩に出ようと誘ってきたのです。夜の東京歩きはまんざらでもない委員長は、早速身支度を始めると、その横でシゲルは小さなジョイントを取り出して煙を漂わせていました。枯れ草が燃えるような独自の香りが部屋に充満して、煙が委員長の鼻の中にもすーっと入り込んできて気分はもうすっかり出来上がっていました。「おっとゲルシー(シゲル君のあだ名です)、今日は気合い入ってるね」煙を飲み込んで息を止めたままのシゲルはジョイントを委員長に差し出しました。アパートを出た二人はそれぞれのウォークマンにお気に入りのテープを詰め込んで、霞ヶ関方面へと歩き出しました。人通りも少ない真夜中の霞ヶ関近辺は道楽者のお散歩コースには最適です。特にこの初夏の風の香りは、翔んでる二人のイマジネーション・ゲームを一層心地良いものにしてくれます。(しかし傍から見たらまるでモーホーだよね)東京タワーをバックに霞ヶ関のビル郡のベンチに腰掛けて更に一服かます二人。唐突にシゲルが委員長に言いました。「ロニー、黒人音楽って何色だと思う?」難しい質問でした。何かを暗喩していることはわかりますが、適当な答えが見当たりません。「う~ん、そりゃやっぱり黒じゃないの?」それじゃ当たり前だろって。シゲルは夜空を見上げていました。「オレはね、あきらめの色だと思うんだよね」が~んって感じでした。頭を後ろから殴られた感じでした。言葉に詰まってしまって次の語が出てきません。シゲルもそれ以上は言いませんでした。恵比寿駅前に住むシゲルは在日中国人の母親と日本人の父親の間に生まれた所謂ハーフでした。幼い頃から見てきたものはお互いに違っていても、心の底に流れている深い哀しみは同じだったような気がします。「目黒の麻薬犯罪捜査事務所に行ってみない?」またも唐突にシゲルが言い出しました。彼が何を思いついたのか知りませんが、翔んでるボクラがそんなところに行くのも中々オツなもんだと思い、二人は大通りからタクシーに乗って目黒へ向かいました。見るからに冷え冷えとする感じの建物は高い金網フェンスに囲まれていて、暗闇に不気味な存在感を漂わせていました。「ポールがパクられたのはここだよね」「ああ、確か去年だったよな」「何日くらいここに収監されたのかな」「さあ、2~3日じゃないの。ミソスープが不味かったって言ってたよね」「押収された大麻はどこに保管されてんのかな」「えっ?まさか盗み出そうとか言うんじゃないだろうな」「ここの職員、絶対吸ってるよね」「そりゃ、どうせ皆燃やして処分するんだから、テキトーにちょろまかしてもわかんねぇだろうな」「オレの友達がパクられた時ね、ここの奴等ウォークマンして仕事してたって言ってたよ」他愛もないこんなやり取りをしながらフェンスの周りをぐるりと回った委員長とシゲルは、再びウォークマンを聞きながら恵比寿のシゲルのウチまで歩いて帰りました。途中アメリカ橋の上で突然シゲルが立ち止まって委員長に言いました。「オレさぁ、ベース売っちゃった」委員長は何も言わずシゲルの肩を叩きました。思えばコイツとも妙な関係でしたが、無口な分だけ彼の言葉や行動は世の中の核心を突くようなストレートなものだったような気がします。ちなみにシゲル君、この日の4年後、麻取(麻薬取締官)の手により御用となり、委員長30歳の年貢の納め時、一世一代の結婚披露宴をドタキャンしたのでした。何もこんなときにパクられなくたって良いものを、まさに道楽者の腐れ縁とでも申しましょうか最後までファンキーなヤツでした。
2005年11月26日
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過去の因縁を持つ人たちとの再会でケジメをつけていく委員長の元に、戦友の中の戦友、ブラザー・ジョーが現れたのは赤坂に引っ越してしばらくした頃でした。相変わらず派手な衣装でFUNKYなノリのジョーは、興奮しながら赤坂シンデレラにやってきて委員長の顔を見るなり一枚のLP盤を差し出したのです。MYX(ミクスと読むのでしょうか?)ジャケット写真はジョーを中央にして日本人のメンバーが取り囲んでいました。遂にジョーは日本でメージャー・デビューを果たしたのです。大したものだと関心のあまり、レコードの話もそこそこにお互いの近況を語り合った二人でした。ジョーの話では、LAまで行ってデモ録りしたバンドは結局空中分解してしまい、自分はジュンジ・ヤマギシというスポンサーを見つけて何とかここまで漕ぎ着けたというようなことでした。山岸ジュンジさんといえばその昔、ウェストロードブルースバンドで注目を集めたR&Bギタリストです。さすがにジョーもプロのミュージシャンですから、委員長のバンドごっことは一味違って、やっぱり玄人っぽい流れに乗っていったんですね。ディスコでどれほどアピールできるかわかりませんが、戦友のジョーのためにできるだけ数多く回すことを約束して別れました。アイズレー・ブラザースをこよなく愛するジョージア出身のミュージシャン、ジョー・サンダース。残念ながら、彼とも結局これが最後になりました。(未だ日本にいるのかなあ)ジョーが置いていったアルバムの方は、タイトル・チューンに「MYX FUNK‘N ROLL」というのがダンスナンバーで入っていましたが、やはり和製ROCKというか、現実のディスコシーンに即した音作りにはなっていませんでしたね。委員長が唯一感動したのはスローバラード「I WANNA BE YOUR SUPER STRA」という曲で、その昔マリリン・マックーとビリー・ディヴィスJr.が唄った「星空の二人」YOU DON’T HAVE TO BE A STARという曲の返答ソングのような趣のある歌でした。星空の二人では、「貴方はスーパースターになる必要なんかないの、私はそのままの貴方を愛したのだから」みたいな泣かせる詩でしたが、ジョーの方は「ボクは君の為にどうしてもスーパースターになりたいんだ」というような男の思いを歌った感動作でした。この曲で委員長がなぜ泣けたかというと、実はこの頃ジョーの奥さん(二度目の日本人妻です)が脳腫瘍を患ってしまい、彼の献身的な看病を目の当たりにしていたからなんです。何とか手術は成功したのですが、やはり爆弾を抱えているような生活にジョーもかなり精神的に追い詰められていたようで、精神世界の本、仏陀とかヨーガとかを読んでみたり、盆栽に心を通わせたりしていました。もちろん委員長も東京女子医大にお見舞いに行きましたが、頭に包帯を捲いた奥様の姿は余りにも痛々しくて胸が詰まりました。そしてジョーはこの時、このことは誰にも言わないよう委員長に口止めをしたのです。同情をされたくないという気持ちからかもしれませんが、ショービズで働く自分が暗い影を持ってステージに立つことはプライドが許さない、といった芯の強さからだったようです。そんな彼の私生活の一面を知っていただけに、彼の歌にはホンモノのSOULが満ち溢れていました。今もご夫妻で元気に暮らしていることを祈るばかりです。しかし、思えばトゥモローUSAというディスコを中心にして、それぞれが人生の一時を過ごしたということがどれだけ素晴らしかったことか、この時初めて気が付いたといっても過言ではありません。特に大衆芸能のような仕事をしていた自分が、1対多数の関係で結ばれていたことを考えると、多少なりとも自分が多数の人に与えた影響力というものは自身が考えるほど軽いものではないと思いました。もちろん自分がその昔新宿のプレイハウスというディスコに出ていたバンドマン・ロニーに憧れてこの業界に引き込まれたように、委員長の姿に影響を受けて業界に紛れ込んでいった人間もいるわけで、そう考えるとエンターティナーの世界はある面で本人の知らぬ間に偶像が出来上がってしまうものなのですね。そんな考えをするようになったのも、やはりこの頃続いていた一連の過去の清算が委員長に教えてくれたのかもしれません。もちろん年齢というものも大きな原因でした。というのも、時代の流れと共に自分も、その時点のディスコで遊んでいる子達の憧れるような対象からはすでに外れたということを実感したからでした。それなりに今風のファッションをしてみても、それなりの流行を取り入れても、過去常に持ち続けた絶対に一番になろうというようながむしゃらなPASSIONすらすでに無くなっていたことにも気が付いたのでした。その逆に感じていたのは、過去に自分が影響を与えた人達の夢や思い出を壊したくないといったカッコマンとしての最後の意地のようなものでした。「老兵は消え去るのみ」有名な言葉にもあるように、生きながらえて老体をさらすよりは輝いていた頃の自分のままで姿を消すべき、そんな考えが芽生え始めたのもこの頃のことでした。もちろんこの先業界に生き残ったとしても、今の自分以上になれるわけがないし、なろうとも思っていませんでしたから、落ちぶれていく姿を晒して生き延びるよりすっぱりと縁を切って別の世界へ飛び出す方が潔く思えたのでした。そう頭では割り切れても、実際に行くあてのない迷路に迷い込んだような自分の現実との葛藤が不安を煽るばかりの日々でした。全ては自分が選んで歩いてきた道だし、今更引き返すこともできないということに後悔もしていませんでしたが、ひとつだけ心の中にど~んと座っていたプライドがありました。それこそが委員長が未だに持ち続けているFUNK SPRITです。そんな大そうなものでもカッコ良いものでもありませんが、FUNKYな生き方ができなくなったら自分の人生も終わりだと考えていたのです。自分らしい生き方、ロニーらしい生き方、FUNKYな生き方、これさえ実践できれば、自分の人生はそれで全てが納得できる、そう考えていたのです。不良の意地とでも言うのでしょうか、SOUL MANの魂とでもいうのでしょうか、これだけが自分の人生で唯一大事にしてきたこだわりでした。「ロニーらしいな」そう言われる生き方をしたい。それだけが自分の中にある唯一の誇りだと信じていたのです。でもそれは口で言うほど簡単な事ではありません。ただ、「やっぱりなぁ」という目で見られるような生き方だけは絶対にしたくない、それだけが支えでした。例えば、当時の委員長の立場で言うと、それまで培ってきた人との繋がりを使えばどうにでも生き延びていくことは可能だったんですね。所詮は水商売ですから、黒服あたりなら何処の店でも入りこむほどのハッタリもあったし、地方に行くなら厚遇で迎えてくれるところもあったし、現状のまま生活を続けるとすれば手っ取り早い方法が実際にいくらでもあったわけです。でもそれじゃまるで陳腐な三文小説のストーリーそのままじゃないですか。誰が見ても「やっぱりね」って「当然だろうね」って言われるのがオチです。ここら辺が反骨精神と言うのか、へそまがりというのか、皆の期待通りには進まないぞって感覚があったのです。これこそが委員長自身のファンキーの定義だったわけです。辛くて哀しい人生を面白おかしく生きる根性がFUNKYなんです。だって人間の作った世界なんて矛盾だらけで滑稽ですよね。それに甘んじて生きてるというか生かされているのが殆どの人たちです。でもちょっと角度を変えて見方を変えると、自分の周りの世界がとても可笑しなことになっていることに気が付くはずです。それを体現するのがFUNKYなんです。ただFUNKYを実践する道楽者には根性が今ひとつ足りませんから、結局はぐうたらしながら世の中を斜に見るみたいな、やはり中途半端な生き方は仕方のないことだとも思います。だからこそ道楽者なんで、これがバリバリに根性見せて何かやってしまったら、それは道楽者ではなくヒーローになってしまいますからね。I DON’T WANNA BE A HERO なんて歌がありましたが、委員長も同様にヒーローなんかには間違ってもなりたくないし、世の中の裏通りでグズグズ言っている方がお似合いです。ということで、またまた屁理屈が続きましたが、委員長のFUNKY人生はいよいよこれからクライマックスに突入して行きます。
2005年11月25日
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しかしこの時の委員長は、よくもまあこれだけ次から次へと災難が降りかかってくるもんだと我ながら感心するほどでしたが、すべての原因は自分にあり、自分がしてきたことのツケが回ってきたとあきらめて地道に精算していくしかありませんでした。ヤスオの借金を払ったおかげで生活費が苦しくなった委員長は、またまた年老いた母親の元を訪れ、当分の間ここでメシを食わせてもらうことにしました。いい歳して本当にみっともないことでしたが、なんせ金が無いのでどうにもなりません。仕事が終わると赤坂のアパートに帰り朝方の通勤ラッシュが終わるのを待って、世田谷の母親の所に行き昼御飯、夕御飯を頂いて仕事に行く、というような変則的な生活パターンでした。(夜食は店で食べられたからね)そんな母親のアパートでまたも思いがけない人からの電話がありました。なんとダンサー時代に付き合っていた彼女、ソウル・シスター・ドリーでした。「私さぁ、今、福生に住んでるの。自律神経失調症になっちゃってさ、どうそっちは?」「オレか?落ち込んでるよ。今赤坂シンデレラにいるんだけど最悪だよ」「へえ~、シンデレラにいるんだ。どう?会わない?」「ああ、いいよ。じゃあオレの方から電話しようか?」「ううん、私からまたかけ直すわ」声は元気そうでしたが、会話の節々に精神的ダメージを受けているように感じられました。十分ほどの短い会話でしたが、どうも不安定な精神状態にあったようで話の内容に落ち着きがありません。委員長にしても、今更会ったところで何がどうなるものでもないという思いでしたが、これもまたひとつ過去のケジメとして何かのツケが回ってきたのだろうと思わずにはいられませんでした。思春期の一番多感で美しい時代をシェアした二人だったし、その別れも結局は時代の変わり目と周囲の目に自分たちが乗り切れなかった中途半端な恋の結末でした。そして似たようなことは続くもので、これもひとつの時代が変わろうとしていた境目のようなものだったのかもしれませんね。ドリーに続いて電話があったのは恐怖のミキ嬢でした。電話は赤坂シンデレラの事務所にかかってきました。「○○ちゃん、やっと見つけた。随分探したんだぜ」「そんなこと言ったって、あの時、お前来なかったじゃないか」「行ったわよ、ちゃんと。シェーキーズで1時間は待ってたんだから。ひどいじゃん」「えっ?シェーキーズ?オレはピザハットに居たんだぜ」「何よそれ。赤坂見附のシェーキーズじゃなかったの?」「縁が無かったんだな」「そんなこと言わないでよ。ねぇ、今店の前に居るんだけど出てこれない?」「えっ?店って、ここかよ」「うん、入り口の近くの公衆電話の前」「でも、今仕事中だしなぁ」(って言うか、もうこれ以上厄介ごとは増やしたくないよ~)「いいじゃん、ちょっとだけだから。5分でいいから、顔見たいだけだから」(なんかこんなセリフどっかで聞いたことあるなぁ)「いや、オレまだ仕事始めたばかりだから、仕事中は抜けられないんだ、悪ぃな」妙な直感力が働いたのか、委員長自身の体全体から拒否反応が出ていました。たぶん、これでまた因縁を作ったらきっと更なる災いが起こる、みたいな直感でした。(陰陽師かお前は)「お願い」「ダメ」のやりとりの末、昔のミキを髣髴とさせる「もういい、わかった!」ガチャってなパターンで幕引きでした。スケベ野郎の道楽者はようやくこのあたりから物事を理性で判断できるような大人になっていったのでした。(今までは「据え膳喰わぬは」とか豪語してた大馬鹿野郎でしたからね)時代の波に押し流されて、まるで吹き溜まりに引っかかっているような委員長でしたが、過去のツケはまだまだ巡ってきます。ちなみに元彼女のドリーからはそれっきり、とうとう電話はありませんでした。あの電話が本当の意味での二人の精算だったのかもしれません。さあ、次は誰が来るのでしょうか。ということで、次に現れたのは狂気のソウルマン・ベルでした。確かその日は金曜日でお客もそこそこに入って賑わっていた日だと記憶しています。ダンスフロアも結構窮屈で押し合いへし合いのお客たちが踊っていました。そんな中、DJブースに角刈りの小柄なおっさんが突然入ってきたのです。「ゲッ!ヤクザだ」そんな雰囲気の相棒のユウジはかなりビビっていましたが、よくよく顔をみればなんとそれはあのベルではありませんか。「よぉ、久しぶり。オレのこと覚えてる?」相変わらず前歯の欠けたベルは、昔のままのひょうきんな笑顔を振りまくように委員長に話しかけてきました。「ベル!どうしたの、今何してるの?」ベルは包丁裁きの仕草をして「こっちゃの方で何とか上手くいっとってな」「いや~、何年ぶりだろう」「そやな、かれこれ3年は経つんとちゃうか」ということで、ベルはすでにこの業界から離れて板前さんとして落ち着いていたようでした。それでも時々はディスコが懐かしくて踊りにも行っているようなことを言っていましたが、委員長の眼から見たベルはもう完全に時代の終焉を迎えた単なるおっさんでしかありませんでした。「ところでロニー、マリコが働いている店知らへんか」「マリコって、どこのマリコ?」「あんたと一緒に踊ってた娘や。あの娘がこの辺のクラブにいるらしい云うのん聞いたもんやさかい、ひょっとしてロニーなら知ってるか思てな」「さあ、マリコなんてもう随分と会ってないからね。最後に会ったのは3年くらいまえじゃなかったかなぁ」「いや、あの娘、優しい娘やったろ。せやからいっぺん会いたい思てな、尋ねてみよう思とるんや」なんのこっちゃない、お目当てはマリコで、ベルの話し振りからするとどうも彼女を追いかけているような感じでした。その昔一緒になってダンサーズなんぞをやっていた頃、マリコの姉さんはブームの渦に巻き込まれた勢いでベースの黒人と結婚してしまいましたから、ひょっとするとマリコも一緒になって渡米しているかもしれません。まあ、彼女が赤坂あたりで働いていたとしてもちっとも不思議ではありませんが、どのみち今のベルを見る限りでは口説き落とすのは無理な気がしました。ただ、ベルの風貌からはしょぼくれたおっさん臭さは滲み出ていましたが、ヤク中の匂いは消え失せていましたので、なんとか無難な道を歩いていることだけは直感で解りました。委員長よりは更に4~5歳上のベルですから、これから生涯の伴侶を見つけるとなると中々難しいものがあるのでしょう。そんな時、昔馴染みの女を思い出してその面影を追うみたいな感じですか。そのベルの姿には落ちぶれた道楽者の哀愁みたいなものが漂っており、とても他人事とは思えませんでした。ひょっとすると自分もこんな感じで、いつかは落ちぶれて昔の女のケツでも追いかけてフラフラするのかなぁ、と思うとベルの姿が余計に悲愁に見えて落ち込んでしまった委員長でした。現に最近会った○江のことが頭に浮かんで、結局自分もベルと大して変わらない落ちぶれ男かと思うと無性に情けなくなりました。結局この日は二人でこんな昔話をして別れたのですが、ベルは翌日もやってきてマリコの行方について色々と相談を持ちかけてきました。委員長がマリコと最後に会った場所であるとか、姉さんの仕事先のこととか、ちょっと異常な感じさえしました。ひょっとすると委員長の知らないところでマリコとベルの間に何かあったのかも知れませんが、実際にマリコとは数年前に偶然新宿の映画館で出会ったのが最後でした。その時は姉さんとその旦那も一緒で、妙に大人っぽくなった彼女が水商売に入っているのは明らかでしたが、昔馴染みというだけでとっくに縁は切れていましたからその場で特別な会話もありませんでした。中々諦めきれないのか、ベルは委員長が隠し立てしているかのように勘ぐってもいる様子で、さすがの委員長も少々疲れてきてそれ以上の会話を断ち切りました。更にその翌日、またもやってきたベル、今度は入り口で委員長を呼び出してきました。もういい加減疲れた委員長は彼には大変申し訳ありませんでしたが、居留守を使って今○支配人に面会を断ってもらいました。思えばベルとの付き合いも妙な縁で始まり、意外と長く続きましたが、結局はこれで終了したことになるのでしょう。歯切れの悪い別れでしたが、当時の委員長には彼に何かをしてあげられるほどの余裕もなく、まさに同じ時代に輝いて、同じ時代に落ちぶれて云った悲愁の戦友との別れでもありました。こうして今振り返ってみると、まるで作り話のようですが、これは全て事実ですし、面白いほど因縁の起承転結が見えてきますね。委員長のひとつの節目となり、過去の精算の時期にあたったこの赤坂シンデレラでの生活は委員長のディスコ人生を総括するために与えられた職場だったのかもしれません。過去のツケはまだまだ終わりません。そしてこれからが委員長の人生の、本当の意味での正念場を迎えることになっていくのでした。
2005年11月24日
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1981年6月、赤坂にアパートを借りて住む、という小さいながらもひとつの目標を立てた委員長は、お馴染み赤いカードの丸井で引越し資金を借りました。委員長はこの頃の数年間でやたらと楽器を買い漁ったおかげで、日本信販にはすっかり優良客としてリストアップされていましたので20万円の融資は一発で通りました。(当時のキャッシングはことのほか厳しかったですからね)アパートは赤坂シンデレラの今○支配人の紹介で近くの不動産屋さんを紹介してもらい、ユウジの名義で賃貸契約を結ぶことにしました。候補地を幾つか見せてもらいましたが、家賃5~6万の条件では多少厳しい条件は仕方ありません。(一日中陽の当たらない2DKとかね)そんな中から不動産屋さんお薦めという物件がひとつありました。それは、赤坂から六本木通りに抜ける裏道の、首都高速に近い2階建て木造モルタル・アパートでした。部屋数は上下4つで建物の角1階は薬屋さんで、溜池付近でこの値段ならば贅沢は言えません。(ほんとは秀和レジデンスあたりに住みたかったんですけどネ)ということで早速大家さんを交え契約を結びました。大家さんは上品な年配のオバサマで、ユウジの顔を見るなり「坊やちゃんが借りるの?」と少々心配そうな顔をしましたが、委員長が二人で住むことを告げると今度は委員長の顔を見てふうんというような表情でハンコをぺたりと付きました。部屋はかなり老朽化しており、六畳と三畳がフスマで仕切られただけの時代掛かった造りでしたが、床の間があったり、台所の床が木廊下だったりして、戦後建てられたハイカラなアパートの残骸のような趣でした。「おーっ、こりゃちょっとファンキーじゃねぇか」などと言って委員長は調子付いていましたが、本心は一体この先どうなることか不安で一杯でした。まさかこのまま何年もDJを続けていけるはずはないだろうし、かといって他に就職するにしても、学歴も経験もないこんな遊び人をそう簡単に雇ってくれるところがあろうはずもありません。更に過去のツケがどんどん回ってきている今の委員長では、今更業界にどかんと返り咲くわけもないので、いよいよ追い詰められた感は否めませんでした。そしてここでまた新たなツケが回ってきました。引越し先が決まれば今までシンジの部屋に預けておいた楽器や、母親の所に預けた衣類などをせっせとまた運び込まなければなりません。引越し費用の借金で、きるだけ節約を強いられた委員長は何度かに別けて電車で荷物を赤坂まで運びました。そんな往復を繰り返しているころ、母親のところに委員長宛に一通の通知が届いていたのです。差出人は日本信販顧客サービスセンターです。早速封を切ってみると8万円ほどの月賦未払い通知と請求書でした。心当たりのない委員長は文面によおく目を通すと、なんとそれはヤスオが月賦で買ったステレオの請求書でした。ヤスオは幼くして両親を亡くし、施設で育ったという悲惨と貧乏を不幸でかき混ぜたようなヤツで、成人してからは水商売を転々としながら、立川でシンジと出会いエスメラルダに入ってDJになったというホンモノのアウトローでした。DJになってからも行儀の悪さが目に付いて、結局は満足な仕事もなく地方に回されるだけのようなヤツでした。そんな彼がある日シンジを伴って委員長の所にやってきて、お願いされたのが月賦の保証人でした。ガキの頃から母親に「保証人にだけはなるな」と口を酸っぱくして言われ続けていた委員長は、なんとか色々とごまかしながら断ったのですが、やっぱりな、という表情のヤスオが「もういいです。あきらめます」と引き下がったところで同情してしまい、ハンコをついてしまったのでした。その時のヤスオの話では、近頃彼女ができて立川で一緒に暮らすことになったが金はすべて彼女が負担したので負い目がある。せめて部屋に置くステレオだけでも自分が買ってやりたいというようなことでした。たぶんDJとして音楽だけは彼女にもプライドを見せたい一心だったのでしょう。委員長もヒモのような生活をしていた頃でしたから、ヤスオの気持ちはよくわかりました。もし委員長が断ったらコイツの頼るところはもうどこにもないのか、そう思ったら不憫に思えて渋々ながらも引き受けてしまったのでした。日本信販の請求書を見ると、10回払いの最初の2回までしか支払われておらず、住所不明で転出先不明となっておりました。悪いときに悪いことはしっかりやってきます。勢いのある頃なら軽く乗り切れるようなことでも、弱り目に祟り目、落ち込んでいる時には普段の倍の精神的重圧となります。すぐにシンジに電話をしてヤスオの行方を尋ねましたが、ここしばらく顔を見てないということでした。それでも店の常連から住所を聞きだしてくれたので、委員長はその住所を頼りに立川まで出かけて行きました。立川駅から30分ほどバスに乗って着いたところは、田園風景の残る国道沿いのアパートでした。それでも鉄筋コンクリートの3階建てで、これから委員長が住もうとしている赤坂のアパートに比べれば贅沢な造りで、少々腹立たしく思った委員長でした。なんだか、こんなシーンが昔にもあったなあ、などと思いつつ呼び鈴を鳴らした委員長。(そうです、ジョイの時もこんな感じでした)「だあれ?」とドスの利いた声はヤスオに間違いありません。「ヤスオ、オレだよ、ロニー」ガチャと開いたドアの向こうにぽかんとした顔のヤスオが立っていました。ヤスオは何も言わずクビをすくめるように委員長を部屋に招き入れました。万年床のような布団が一組ぽつんと敷かれたワンルーム、部屋の隅に見かけぬ男が一人腕組みをして座っていました。「友達か?」年齢は委員長と同じ年くらいですが、パンチ頭にゴルフウェア、どうみてもカタギには思えないこの男は委員長の顔を見てヤスオに尋ねたのです。「いや、先輩です」「何かあったのか?」黙っているヤスオ。その男が委員長に話しかけてきました。「オレはコイツの先輩なんだけど、コイツがあんたに何か迷惑かけたの?」そう唐突に言われても困りましたが、この際ですから率直に言いました。「はあ、実は保証人になったんですけど、未払い分の請求が来たもので、ちょっとどうなっているのか聞きに来たんです」委員長が言い終わると同時にその先輩はヤスオの頭をゲンコツで殴り、その場に正座させました。「あといくら借金があんだか言ってみろ!」「これが最後です」「ホントか?」「はい」そこでその先輩は再び委員長に顔を向けて「いくらですか?」と聞いてきました。委員長は請求書を取り出して「8万ちょっとです」と答えると、その先輩は大きく溜息をついて「もうオレには無理だな」と言いました。委員長もこの部屋の状態を見れば大体の察しは付きます。それにこの様子じゃどうやったって8万円もの大金が出てくるとは思えませんから、せめて現物でもあればそれを持ちかえって何とかする以外に手はなさそうでした。「ステレオはどこにあんだよ?」委員長はヤスオに尋ねましたが、正座したままうつむいているヤスオは答えません。見りゃ分かるだろ、と言わんばかりの沈黙です。「まあ、こうなっちまったもんはしょうがないけど、幾らかずつでも返してくれよ」何のこたぁない、思った通りの結末です。ここで先輩が再びヤスオにゲンコツを繰り出して「おまえ良い先輩持って良かったな。ちゃんと礼ぐらい言わねぇか、この野郎!」と叱り付けました。「悪いねぇ、こいつも今どうにもなんないんで助けてやってよ」そう申し訳なさそうに言う先輩は、委員長同様ヤスオの面倒を見ている良い人だったようです。「ロニーさん、すみません。自分必ず働いて返しますから」「ああ、分かったよ、とにかく連絡だけはつけてくれよな」そう言ってあきらめた委員長は退散しました。帰り際、先輩が大きな声で委員長に声をかけてきました。「ありがとね。俺等施設育ちなもんで、頼れるヤツが少ないからさ、またヤスオのこと面倒みてやってよ」そう言いながらまたヤスオの頭をゲンコツで小突きました。とぼとぼと立川駅に戻ってきた委員長。来月の生活費からこの金を工面しなければならない羽目になってしまいましたが、いくらヤスオに腹を立てたところで保証人のハンコを付いた自分が悪いのですからあきらめるしかありません。馬鹿の親分には、それに見合うだけのツケがきちんと回ってくるのです。
2005年11月23日
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赤坂のツインビルのベンチに腰をおろして見上げた空はどんよりとしていて、湿り気のある風が肌にまとわりつくようで気分的にはあまり心地よいものではありませんでした。それでも夏の気配を感じさせるこの匂いは、またしても懲りずに道楽者へ甘い誘惑を運び込んできます。ぼちぼち長袖から半袖に衣替えが始まり、肌を露出する人達に出会うたび夏の訪れに胸がときめき、憂鬱な心の中にも少しだけ生暖かい風が吹き抜けていきます。1981年夏の初め、相変わらずのボヘミアン生活が続く委員長は思いがけない女性から電話を貰い戸惑いましたが、これも関わった以上はどこかで終わらせなければならない精算業務とあきらめ、赤坂シンデレラの正面にあったピザハットで会う約束をしました。その相手とは、例のリト君を苦しめている「嫌がらせ事件」、今で云うストーカーの容疑者でもある女性でした。原宿で張り込みまでした委員長の努力の甲斐もなく、結局は犯人も判らぬまま日が経っていましたが、相変わらず週に一度から二度の割合で無言電話は続いており、この頃ではリト君も慣れてしまったのか、さほど恐れなくなっていました。もちろん限りなくクロに近い彼女とはもう会っていないようでしたし、無言電話以上の行為にエスカレートする様子もなく、次第に影の薄くなっていった嫌がらせでもありました。なんで彼女が委員長と会うことを望んだのか知る由もありませんが、どうせなら彼女の壊れた心をいくらかでも矯正して、こんなつまらないことを一刻も早くやめさせることができればと想い、会うことにした委員長でした。時間通りやってきた彼女は委員長に会うなり、明るい表情でハワイのお土産と称するTシャツをプレゼントしてくれました。昨日まで友達とハワイ旅行に行っていたとのことで、以前会った時に比べ割りとハッピーな顔つきでした。「どう?相変わらずリトのところ、嫌がらせ続いているの?」「ああ、無言電話らしいんだけど週に1~2度はあるみたい」「私の方はあれっきり止まったようだけど、それにしても困ったわね」一体何のために委員長に会いに来たのかよく分かりませんでしたが、とにかくこの娘も寂しいことだけは確かなようでした。何だかオカルトじみていますが、この頃の委員長は相当に精神的に落ち込んではいましたが、直感だけは以前にも増して冴えていて、時には回りの人間が驚くほど心の動きを掴めたりすることがありました。彼女の場合も同様で、彼女が委員長に聞かせてくれたハワイの楽しい話もどこか感情移入のない虚ろな話でしかなく、ハワイではしゃぐ友達に混じってお土産を買う相手もいない彼女の寂しい姿が委員長の心の中に浮かんできて、この娘の人生の疎外感が何となく伝わってきました。「ところであなたは何の仕事してるの?」委員長の問いかけに何故か勢い良く反応した彼女は、堰を切ったように職場の話をとり止めもなく話し出したのでした。彼女は大型病院の看護婦で拘束時間も長くキツイ仕事であることや、病院内の複雑な人間関係、時には医師と看護婦の不倫の話や患者さんとの過ちの話など、それはそれはこと細かに説明してくれました。ここで委員長は彼女がこのストーカー行為の犯人であることを確信したのでした。まず、無言電話の掛かってくる時間が時には早朝であったり、深夜であったり、昼間であったり、極めて不規則であったことがひとつの疑問でしたが、彼女の勤務状況ならば手が空きさえすればいつでもできることです。そして以前に聞きかじった知識で、医者、看護婦、教師などは初心の理想が高いが為に、現実との葛藤の中で精神的な圧迫に弱いと云われていたことを思い出しました。人の生命を預かる職業に就こうと云うくらいの人間ですから、たぶん元々は心の優しい向学心の高い娘なのでしょう。そんな純な気持ちが現実との軋轢の中で生まれた矛盾を消化できずに、それすらも自身で背負い込んでしまった結果がこんなつまらない嫌がらせ行為に走った理由かも知れません。しかし、よりによってディスコDJ、しかもフィリピン人と付き合うなんてまるでストレスを増幅させるような行為です。いや、現実逃避が強かったからこそ非現実的なものを求めたのかも知れません。(ってあんたは精神分析医か)もちろん実際のところは彼女自身しか分かるはずもありませんが、委員長の頭に閃いた直感はこんな感じでした。とり止めもなく話す彼女の話を辛抱強く聞き役に回って受け止めてあげた委員長は、ひととおり彼女の話が終わったところで言ってあげました。「あなたはこんなところでつまらない人生を送る娘じゃないよ。だから今までのことはもうすっぱり忘れて普通の女の子としてやり直した方が良いよ」一瞬ですが彼女の顔がぱぁっと明るくなった気がしました。そして声も出さずに小さく頷いて席を立ちました。「Tシャツのお礼にお店に招待しようかなと思ってたんだけど、止めとくよ。こんなとこに出入りしないでもっと健康的なことをした方が良いと思うよ、じゃあ」委員長の言葉の意味を理解してくれたかどうかは分かりませんが、ピザハットを出たところで彼女とは別れました。その夜、委員長はリトのアパートに行ってことの顛末を報告しました。リトは、彼女が何故委員長に会いにきたのか、更にTシャツまで買ってきたのか訝しげでしたが、そんなことは委員長ですら本当のところは分かりません。ただ、これでこの嫌がらせは終わるであろうことを断言した委員長でした。ところがそこでまた電話が鳴り、リトが恐る恐る出るとなんと相手は男性で、過去にリトとつきあって遊ばれた女の代理だと言って怨みつらみをぶつけているようでした。いつもの委員長ならここですかさず怒鳴りあげて、反対にやり込めてしまうところですが、どうも彼女が作った別の因縁に思えてしまい、リトから受話器を取ると落ち着いた口調で諭すように話しかけました。「男と女の付き合いは他人が口を挟むことじゃないよ。それに姿も見せずに一方的に嫌がらせをするのは卑怯なんじゃないの。もしその女の子がリトに腹を立てているのなら、こんな形で代理人なんか立てないで本人が会ってきちんと納得のいくように話をすれば良いんじゃないの」こちらが穏やかに話したせいか相手も拍子抜けしたようで、ゴチャゴチャと屁理屈を並べていましたが、「なんならボクが間に立って話を聞くから会って話そうか?」という委員長の問いかけに「じゃあ後で電話する」と言って電話を切りました。この男がどういうつもりで電話をしてきたのか、その代理を頼んだ彼女とどういう関係なのかは全くわかりませんが、少なくともこのリトという人物に関わった出来事だけが、その彼女のまわりの対人関係で唯一の繋がりのように思えました。被害者になりきることで周囲との関係を保っていたというところでしょうか。漠然とした委員長の直感でしたが、そんな解釈をしてリトに説明しました。この日を境にイタズラ電話も収まり、ようやくこの事件も解決をみることになりました。(メデタシ、メデタシ)人生を面白可笑しく生きてきた委員長たち道楽者はみな、それなりの道楽のツケが回ってきているわけで、自分がしてきたことの精算はやはり自分自身でつけていかなくてはいけません。あらためてそんな風に思えた委員長は、赤坂にアパートを借りて住むことを決意しました。とは言っても先立つものもないし、以前ほど使えるお金の余裕もありません。そこで後輩のユウジを巻き込んで安いアパートを二人で借りることにしました。それは赤坂での夏の始まり、26歳の誕生日を迎えたころでした。
2005年11月22日
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リト君が巻き込まれた「嫌がらせ事件」の犯人が現れるはずだった原宿の張り込み探偵ゴッコの帰り、委員長はリト君のアパートで彼女ナンバー2にお茶漬けをご馳走になった後、もうひとつの仕事が待つ新宿駅東口へと向かったのでした。実はこの原宿の張り込み計画が立てられる数日前に、委員長は赤坂シンデレラで少々縁のあった元彼女○江がドリンクカウンターの前で泣いている姿を目撃してしまったのでした。以前、自分だって彼女をさんざん泣かせたクセに、こうして目の前で涙をこぼしている彼女を見てしまった委員長は声をかけずには居られなかったのでした。「どうしたの?」うん、実はコレコレシカジカよ、なんて話すわけはありませんよね。黙って涙をこぼしている彼女を見て益々胸の痛んだ委員長は更にワケのわからない言葉をかけてしまいました。「オレには言えるだろ?どうしたんだよ、言ってみろよ」(あなたは一体何様ですか)正直言って道楽者のスケベ野郎の委員長は散々女遊びこそしましたが、実際のところ女の気持ちなどを理解できるような気の利いた奴ではありませんから、慰めてやりたくても何をどうすれば良いかもわかるはずがありません。ましてこの頃はC子に捨てられてしまった(笑)ばかりで自身も精神的に相当落ち込んでいましたから、同情の気持ちだけが人一倍先走ってしまい、本当の思いやりにはまったく手が届いていませんでした。(傷に塩塗るようなもんだったりしてね)この夜のことがどうしても心に引っかかっていた委員長は、従業員にそれとなく聞いて回りついにその原因を突き止めたのでした。そしてそれは、○江が赤坂シンデレラのダンサー・ヒロシに遊ばれたという、業界では毎度お馴染みのよ~くある出来事だったのでした。あーあって感じでしたね。自惚れかも知れませんが、このとき委員長は彼女をこんなにしちゃったのは自分のせいだと思ったのでした。彼女は新宿南口にある某大手衣料品店に勤めるフツーのOLでした。そんな彼女を最初に道楽者の世界に巻き込んでしまったのは委員長です。女に限らず男ですら、一度こんな遊び人のような世界に入りこんでしまったら、フツーの日常生活では刺激が少なくて物足らなくなってしまいます。ましてその関係が男と女であれば尚更で、所謂まともな人、ごく一般的な普通人とのお付き合いでは満足できないようになってしまうのは当然のことです。赤坂シンデレラの従業員たちに○江の事実を知らされた委員長は、居ても立ってもいられなくなりとうとう○江に電話をしてしまいました。「聞いたよ。バカだなぁ、オレとつきあって懲りなかったのかよ。こんなトコで働いてるヤツにろくな者はいないんだよ」(そーゆーお前が一番悪いんだろ)受話器の向こうで○江が泣いているのがわかりました。慰めるために電話してんのに泣かしてどうすんだって感じですね。「オレがそんなこと言える立場じゃないよな。ごめん、泣かすつもりで電話したんじゃないんだけど、どうしても気になってさ」「ロニーは結婚しないの?」「出来るわけないだろ、こんなことしてて」「ずっとDJやっていくの?」「辞めてどっかで働きたいけど、今更なぁ・・・」「今も梅が丘に住んでるの?」「いや、今は住所不定、フーテンだよ。赤坂にアパート借りようかと思ってんだけど、金かかるしなぁ、どっか昼間のバイトで雇ってくれるとこないかなぁ」「ウチの会社でもパート募集はあるけど年齢制限でひっかかるかも」○江のクスッという笑い声を聞いてようやくほっとした委員長でした。「一度会いたいけど、もうお前、ここには来ないだろ?」「最近、お兄ちゃんがうるさいから、夜はあまり出歩けないんだ」「ただ顔見たいだけだから別にどこでも良いんだけど。駅だって良いし、帰りの電車でも良いし」「明日は遅番だから10時過ぎになるけど」「じゃ、迎えに行くよ。それで家まで送って行く、それで良いだろ」それがリトの原宿張り込み作戦の日だったのです。リトのアパートを出た委員長は待ち合わせの場所、新宿東口地下通路から南口に抜ける階段出口で彼女を待ちました。小雨の散らつく雑踏の中、帰途に付く人々に混じって○江が現れました。付き合っていた頃よりは大人になったように見えましたが、その表情は幾分疲れているようでした。○江は探偵ゴッコのままの委員長の姿を見て一瞬戸惑った顔をしましたが、どうも雰囲気的には人生に醒めた感じがしていました。ほとんど会話もないまま二人は小田急線乗り場まで足早に駅の構内を抜けました。○江の家は喜多見駅ですから急行で成城学園まで行き、そこで各駅停車に乗り換えます。さすがに夜遅くなると急行の利用客は増えますから、ホームも電車待ちの人の列で一杯です。こんなところで何を話して良いのかもわからず、相変わらず自分の回りにいる人たちからは少々浮き上がっている委員長はただ黙って○江と並んで電車を待っていました。委員長はただ彼女を慰めたいという気持ちだけで思いつくまま行動をしてしまったのですが、果たして彼女をどういう風に想いやってあげれば良いのかもわからずホームの列に二人並んで立っているしかできない単なるお祭り野郎でした。電車が来て一気に列が吸い込まれていきました。結構な混み具合で、ぎゅうぎゅうになりながらも彼女を庇うように立っているだけの委員長は相変わらず何も喋れません。こんな満員電車に毎日揺られてまっとうな仕事をしている彼女が、妙に偉い人のように思えてきました。こうしてごく普通にお金を稼ぐために毎日こんな生活を送っている彼女がことのほか大人に思えて、いままで実感のなかった現実がここでも自分の前にひしひしと押し寄せてきた気がして殊更に言葉を失った委員長でした。こんな毎日の生活で彼女が夢見た、たぶん自由気ままに生きている委員長のような道楽者に憧れたそんな気持ちが痛いほどよく分かりました。そしてそんな彼女の小さな心を適当に弄んだ自分が、とてつもなく情けない男に思えて、今更彼女を慰めようなどと思い上がった自分が余計に恥ずかしくなりました。結局、喜多見駅に付くまで殆ど喋ることもなく、いよいよここでお別れです。改札を出ると、今度はタクシー待ちの行列に並ばなくてはなりません。○江は委員長の方を見ましたが何も言いません。「タクシーが来るまで居るよ・・」今までの委員長からは想像もできない情けないセリフでした。○江がちょっと悲しげな目で委員長を見ました。昔のままの暗い目でした。去年の夏、この駅で待ち合わせをして湘南鎌倉の由比ガ浜へ遊びに行ったときも彼女はこんな目をしていました。でもきっと、今の彼女の眼に映っている委員長の姿は旬の過ぎた、しかも落ちぶれた遊び人でしかなかったでしょう。そしてなぜ委員長が会いたいと言ってきたのかすら考える余裕のないほど疲れていたように思います。順番が来てタクシーのドアが開き○江が乗り込もうとしたとき、委員長は持っていたウォークマンからカセットテープを取り出し彼女に手渡しました。「これでも聞けよ」「うん、ありがとう」小雨の振る駅前から彼女を乗せたタクシーは飛沫を上げて走り去りました。人影もまばらなホームに戻った委員長は、二人で鎌倉の由比ガ浜へ遊びに行った日のことを思い出しました。帰りの電車で彼女は途中下車せず新宿まで委員長を送ってきて、再び下り電車で引き返して行きました。自然の成り行きとはいえ、自分がされたとおりのことをこうして返していくのかなあ、と漠然な想いが胸に浮かび、そういえば彼女が手紙にして送ってくれたテープのことなども思い出して何だか不思議な気分になりました。付き合いだした頃、彼女が山下達郎や柳ジョージのテープを作ってはよく郵便で送ってくれました。何気ない会話の中で委員長が「この曲好きだ」と言ったのを覚えていてくれて、それを録音して送ってくれたりしたのです。その時は別段何とも思わずそこらへんに転がして置いたりしたのですが、今にして思えばそういう彼女の小さな心をないがしろにして遊んでいた自分の思い上がりや、毎日のごく普通な暮らしの中でロニーという偶像に振り回された彼女のことを考えると、またしても心が痛くなりました。これで彼女とのことも終わらせることができるのだろう、そう思いながら上り電車に乗り込んだ委員長でした。ちなみに彼女にあげたテープには、豊島たつみさんの「寝た子を起す子守唄」とか葛城ユキさんの「ソーリー」とか結構暗い歌ばかり入っていたので、こんなことならもう少し明るい曲を入れてくるんだったなと後悔した委員長でした。ところがここで委員長は閃いたのです。そうです、彼女がしてくれたように今度は委員長がテープを作って送ってあげれば良いのです。そして今度こそ彼女の慰めとなるような曲を集めてあげれば良いのです。どん底を這うような生活を続ける委員長にひとつだけ張り合いが生まれました。
2005年11月21日
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リトのアパートは代々木駅と千駄ヶ谷駅の中間にある大通りに面した二階建てモルタルアパートの二階角部屋でした。道路に面している分だけ部屋の灯はかなり遠方からも確認できるので、不在かどうかの確認は容易に行えます。更に部屋に嫌がらせの手紙などを置いていこうと思えば、回りの人通りを見通すことのできる二階の通路はうってつけで、仮に誰かがアパートに近づいてくれば他人の振りをして行き過ぎればよいだけのことです。ただし、仮にリトと縁のあった女性とかならば面が割れていますから、実行犯は本人ではなく友人とかになるでしょう。リトが出張から戻ると、委員長は例の置手紙を彼に見せて、委員長が体験した無言電話のことなども交え、探偵さながら犯人割り出しの推理を得々と説明したのでした。「こりゃ間違いなく女の恨みだね」(誰でもそう思うんじゃねぇの)「ジツハ、マエカラモチョクチョクコンナコトガアッタンダ」「心当たりはないの?」「ウン、ソウカンガエルト、ミンナシンヨウデキナクナッチャウンダヨ」「み、みんなって、そんなに心当たりが沢山あんの?」いやいや、腰の入ったスケベ者です。この時すでにリト君のお付き合いしていた彼女は三人おりました。一人はこの部屋の元借主。リト君が来日時にお世話になった女性です。今は一旦別れた状態になっていますが、お互いの交遊はあるようでした。ただ、彼女もすでに立派な大人(どーゆう意味やねん)になっていましたし、ダイショウ商事で企画部長をしていましたから、仕事が忙しくて嫌がらせをするほどのそんな暇はありません。っていうか、リトも彼女だけは疑っていませんでした。もうひとりは週に1度くらいのペースでシンデレラにも遊びに来ていた娘で、委員長ももちろん面識がありました。彼女の場合も結構なキャリアウーマン系でしたし、性格がかなり男勝りだったからこんな陰険な嫌がらせはしないでしょうってことでシロ。最後の一人はまだ若い娘でしたが、典型的お嬢様タイプでどう考えても犯人とは思えません。(結局リト君はこの娘と結婚しました)(注)えー、この事件は委員長が探偵役となり、リト君の女遊びも含めて全員がこの事実を知っておりますので、今更の暴露話ではありません。当時は皆が心配してくれました。女癖の悪さには呆れ返っておりましたが・・・・(笑)ということで、現役の彼女の中に犯人はいないという結論が導き出されたのです。(誰が考えてもフツーそうだろ)ってことは、過去騙した女とか手篭めにした女に犯人は居る、と素晴らしい推理力で容疑者の割り出しが進められたのです。(はいはい)リト君から過去の嫌がらせの状況を聞くと、どうも一人の女性の影がチラホラと浮かんできます。無言電話の後に必ず彼女から電話がくるとか、その彼女のうちにも同様のイタズラ電話があるとかいう話でした。どうも話を聞いていくうちに、たぶん委員長が怒鳴り上げたときの相手が彼女だったのではないかと直感しました。では、彼女との関係はというと、どうもこのあたりがあやふやで、別にリト君は好きでも嫌いでもないらしく、彼女は以前何度か泊まりに来たことがあったが、リト君の女癖の悪さに激怒して自分から別れて行ったというような話でありました。彼女のウチにも嫌がらせの無言電話などがあるらしいということで、時々リトに電話をかけて来ることがあるようでした。(なんだかなあ?)何で彼女が被害の対象になるのか心当たりはなく、時々は相談と称してリト君のお部屋にもやってきて一夜を過ごしたこともあるとか。「だって彼女とは別れたんじゃないの?」委員長の詰問に恥ずかしそうに答えるリト君。「イヤ、ソウナンダケドサ、サソワレルト、オレモスケベナンダカラサ。オレモタダノオトコダケナンダヨ」照れると変な日本語になるリト君は本当に困ったヤツです。そんな推理をしているところにタイミングよくその彼女からの電話がありました。リト君の話によると、彼女のウチに犯人らしき女性から電話があって、リトと彼女の3人で会いたいと言ってきたとのことでした。やったぜ!ついにホシは動き出したか、って、すっかり探偵ゴッコに夢中になってしまっている委員長は綿密な張り込み作戦を立てました。まずリト君に待ち合わせにはできるだけ彼女の知らない場所を指定するように言いました。「ジャ、ロニーガキメテヨ、オレヨクワカラナイカラ」ということで委員長は原宿の表参道裏にある「ZEST」という店を選びました。この店は地階にあり正面玄関の前に駐車場があるので、出入りする人を容易に確認できることと、店内も出入り口が狭い割にはホールが広く、隅のテーブルからでも全体を見通せる造りになってるので先乗りして見張るにはうってつけでした。待ち合わせの時間は夜の8時ジャスト。委員長は麦藁ハットを深く被り麻のツナギに草履履きという変装で7時前に入店し、ホールの隅っこの目立たない2人掛けのテーブルに座って張り込みを開始したのでした。この時の委員長の変装は、もし相手がシンデレラとかに来たことのあるヤツだったら、面が割れて張り込みがバレてしまうので、できるだけ普段とは違うイメージの恰好をしてカムフラージュするためのものでした。(うーん本気で遊んでますね)もちろんウォークマンにはショーグンのロンリーマン(松田優作さん主演のTVドラマ探偵物語のテーマソングですね)とBAD CITY、手にはウォークマンとギター・マガジンといった小道具もしっかり用意しました。さて、シーフード・スパゲティなどを食べながら待つこと約1時間、待ち合わせの8時まであと10~15分と云う頃、サーファー系のぽっちゃりとしたおねーちゃんが店内を見渡すようにしてぐるりと回って出て行きました。おっ、こいつはちょいと怪しいぜ。と思いましたが、それっきり何事もなく時計は8時を指しました。と、そこへ今度は痩せ型でちょい小柄なサーファー系おねーちゃんが入ってきて中央のテーブルに一人で座りました。おっ、こいつか、もしかしたら限りなくクロに近い彼女は、と思いつつもそれとなく観察する委員長、彼女はこちらにはまったく気付く様子もなく妙に落ち着いた感じで人待ちをしているようでした。そこにドカドカと数人の怪しい男たちが入ってきました。藤村俊二さんと稲川淳二さんを足して二で割って身長を少し削ったような男、なんとそれは赤坂シンデレラの今○支配人でした。その後ろにはリトと並んでウェイターのT君がいました。リトはサーファー系痩せ型娘の隣に座り、今○支配人、T君も同じテーブルに付きました。リトと今○支配人はあたりをキョロキョロと覗っていますが、委員長の存在にはまったく気付いておりません。おお、さすが委員長の変装は完璧やったね、とここで探偵ゴッコは完了しました。委員長は席を立ってリトの肩を叩くと、リトは驚いて委員長の姿を上から下まで舐める様に見て言いました。「ゼンゼンッ、ワカラナカッタヨ」「へぇ、ロニーも結構手の込んだことしたね」と半ば呆れ顔の今○委員長。リトはもしも危険な目にあった場合のことも考えて二人に同伴してもらったようでした。「残念ながら誰も現れなかったよ」そう言って、リトの顔と彼女の顔を見比べましたが、そんな状況を驚きもせずに嬉しそうな顔をしている彼女の顔を見たとき、委員長は直感的に全てを理解しました。嫌がらせの動機はともかくとして、彼女はリトとの関係を断ち切れず葛藤しているのだということを肌で感じたのです。そんな心の葛藤を解消するためにこんな遊びを思いついたのでしょう。そして間違いなくこの娘も心が壊れかかっているようでした。彼女は何故自分がこんな目にあうのかということを皆に話しましたが、その話し振りには信憑性が薄くまるで物語を楽しむようですらありました。結局、一同はここで別れ、委員長はリトと二人で再び代々木のアパートに戻りました。リトのアパートに戻ると、そこにはパジャマ姿の彼女ナンバー2が寝転んでテレビを見ていました。「おかえり。で、どうだったの?誰か来たの?」「イヤ、ダレモコナカッタヨ」「じゃあ結局犯人は判らず終いね」ナンバー2も結構他人事のような口調でしたが、「その娘も可哀想ね」と一言洩らしました。うん、確かに可哀想だと委員長も思いました。「みんなあんたが悪いんだよ~」ナンバー2はリトを詰るように言いました。そうです、全ては委員長達のようなバカな男に関わったことが悪いのです。そしてこんなことでしか自分を示せない彼女がとても可哀想に思えました。そして、ふとミキを思い出してしまい、壊れた心が変な世界を創り出さないで欲しいと思った委員長でした。「リト、何か食べるものある?オレ腹減っちゃったよ」「さつま揚げならあるけど、お茶漬けでも食べる」そう言ってナンバー2が用意してくれたお茶漬けを啜りながら、委員長は今夜あるもうひとつの仕事に思いを馳せていました。
2005年11月20日
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田無で起こったエスメラルダ身内揉め事件からしばらくぶりにヒロシと顔を会わせたのは、赤坂のコージーコーナーでした。ヒロシが委員長にくれた名刺には「近○エージェンシー・代表取締役社長・近○ヒロシ」と書かれてありました。「近○エージェンシーねぇ?」「いや、実はボク今広告代理店で営業やってるんですよ」「広告代理店?」「ええ、彼女の紹介なんですけど、今までの事情やボクの学歴のことなんかも知った上で雇ってくれたんです」「じゃこの近○エージェンシーってのは何だよ」「それがね、未だにボクんトコにアチコチのディスコから仕事の話が来るんですよ。それでこっちはアルバイト的に手がけていこうかなと思いまして」「せっかく就職したんならこの業界とは手を切った方が良いんじゃねぇのか」「いや、最初はそのつもりだったんですよ。とにかく目一杯金稼いでジュリーを見返してやろうと思ってるんですけど、そのためには出来ることは何でもやって行こうかなと思って」「おまえ未だ拘ってんのか?」「当たり前ですよ、絶対にこのままじゃ許せませんからね。とにかくメチャクチャでかい金掴んでやりますよ。とにかく世の中は金脈と人脈ですから」「おまえ、変わったな」「何言ってんですか、ボクらみたいな無学歴な者が伸し上っていくには多少ヤバイ世界とも繋がっていかなきゃいけないって教えてくれたのはロニーじゃない」アウトローごっこを気取っていた頃の自分がやたら恥ずかしい委員長でした。ハメルンの笛吹きの話がまた頭の中に蘇ります。「なあヒロシ、悪いことは言わないからその広告代理店の仕事に専念して、もうディスコの仕事は忘れろよ。それにディスコだっていつまで続く商売かわかんないんだし」今更こんな説得をしたところで、委員長の言葉に耳を傾けるヒロシではありません。それに、話を聞いているとどうやら成田の話で繋がった高橋さんがヒロシをうまく使おうとしているようでした。まあ、歳の若い分だけ行動力があるヒロシですし、委員長が心配したところでどうにかできるものでもありません。所詮はヒロシ自身の人生です。まして自分の人生すら何一つ満足にコントロールできない委員長に、いくら先輩だからと云って説教すること自体大きなお世話です。人の心配より自分の心配をしろってことですね。赤坂シンデレラはリトに代わってユウジが入り、当面は終電に間に合うように12時で上がらせ、その後の閉店時間までは委員長が一人で残るというシフトで相変わらずのボヘミアン生活を続けていました。輸入工業機械の検査代行会社に就職したリトは、仕事が終わると背広姿のままで毎晩のようにシンデレラにやってきては委員長の仕事が終わるのを待って、タクシーでアパートまで一緒に帰ります。彼の仕事は出張が多いため出勤時間もさほど朝早くないせいか、アパートに戻ってからも音楽の話をしたりテープを聞いたりと、DJ時代とさほど代わらない生活でした。就職したばかりで不安なのかなとも思いましたが、しかしなんて良いヤツなんだろうと、フーテン野郎に成り下がっていった委員長はリトの友情に感謝するばかりでした。ところが、彼のこんな親切には実はとんでもないウラ事情があったのでした。リトが千葉の君津へ3日間の出張に出かけることになり、3日間部屋を空けておくのも心配だしということで委員長が使わせてもらうことになりました。いくら東京の夜が好きだからといっても、さすがにひと月もボヘミアンが続くと少しは体に堪えてきますから、このリトの申し出は委員長にとってしばらくぶりにゆっくりと寛げる時間を与えてくれることになり、あらためてリトの友情に感謝しました。深夜大手を振って帰れるウチがあるということがどれだけシヤワセなことか、そして今までC子に頼りっぱなしで甘えているだけの暮らしをしていた自分がどれほどの果報者だったかということを身に沁みて感じた委員長でした。さて宿泊第一日目の朝方、電話の呼び鈴で起こされました。寝ぼけた頭で出ようか出まいか思案していましたが、ひょっとするとリトからの電話だったらと思い、出ることにしました。ところが受話器を取って一瞬空白があり、すぐにガチャリと切られてしまいました。なんだ間違いかよ、と寝起きの悪い委員長はムカつきましたが、こちらから一言も発していないのに切るとは何だか妙な感じでした。そのまま倒れこんで眠りに入ろうとするとまたも呼び鈴が鳴ります。今度はすぐに取って「もしもし」と返事をしましたが、こちらの声を聞く前にプツッと切れます。なんだイタズラ電話かよ、勘弁してくれよって感じでしたが、それから間を空けずにガンガンかかってきます。しかたなく受話器を布団に包んで寝ましたが、どうも中途半端なことになってしまい今度は寝付けなくなってしまいました。そんなイライラした状態で布団の上をゴロゴロしていた委員長でしたが、さんざん鳴りっぱなしだった電話もしばらくするとあきらめたのか止みました。こうなっては部屋に居てもボーっとしてるだけでもったいないので、少し早めではありましたがそのまま仕度をして仕事に向かいました。さてその日は少々寝不足で仕事を終え、今日こそは思いっきり寝てやるぞってなもんで勢い込んでアパートに帰ってドアを開けると、委員長の足元に一枚の便箋が落ちていました。所謂コクヨの縦書き便箋が二つ折りになってそこに置いてあったのです。拾い上げて便箋を開くとそこには毛筆で「女をばかにするな」の一言が。一気に血の気が引いて背筋がぞっとしました。その字体がなんとも言えず怨念のようなものを発散しているようで、もの凄く気味が悪くなりました。リーン!タイミングよく鳴り出した電話のベルにドキっとしましたが、まさかこんな夜中にリトから電話があるわけありませんから、これはきっと昼間のイタズラ電話だと思い、受話器をガバッと取って「誰だテメェ!ふざけんなよこの野郎!」と怒鳴りつけてやりました。受話器の向こう側、電話は切れずに繋がっています。数秒の沈黙のあと女性の声が耳に飛び込んできました。「あ、あのぉ、リトさん居ますか?」「えっ?あ、あの、ちょっと、イタズラ電話かと思ったもんで、すいませんでした」思いがけない事態にムチャクチャ緊張してしまった委員長。「あの、リトは今日は出張で、あの、あさってにならないと帰ってこないんですけど」「あ、そうなんですか。じゃまた電話します」名前を聞く間もなく一方的にガチャっと切られてしまいました。そりゃそうだよな、いきなりこの野郎とか言われたらびっくりするよな。ってそんな感じでした。しかし、リト君もさすがに根性の入った道楽者のスケベ野郎です。一体何人の彼女がいるのでしょうか。そしてこの置手紙もきっと彼の女遊びのツケが回ってきているのでしょう。その時ようやくリトが委員長を部屋に泊まらせたがる理由がわかったのです。きっとこんな嫌がらせは一度や二度ではなく頻繁に起こっていて、そこはそれでやはり外国人ですから多少なりとも身の危険をも感じていたのでしょう。正直言って「しょうがねぇなぁ~」って感じでしたね。ただ委員長はこれで少々安心したと云うか、この時代がかった毛筆文書がオカルト系の出来事でないことがわかっただけでもほっとしました。まさか呪いの手紙でもあるまいし、これが単なる痴情のもつれから来る嫌がらせだとわかれば、あとはどのみち修羅場がやってくるだろうから、その時リトの味方について解決してやれば良いことだと思いました。そして、委員長がピンときたのは、やはり今の電話の女性でした。あまりにもタイミングが良すぎたことと、いきなり委員長にあんな脅し文句を怒鳴られて電話を切らずに居たところをみると容疑者としてはかなり有力です。当時はもちろん携帯電話なんてありませんから、これはきっと複数の人間の犯行だと直感しました。さあ、探偵ゴッコの始まりです。(ヤッターッ、久々の道楽だぁ)案の定、翌日も翌々日も何事も起きず、そして被害者のリト君が出張から戻ってきました。
2005年11月19日
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その日委員長は久しぶりの公休で世田谷の母親のアパートで安眠を貪っておりました。なにせ毎日がボヘミアンのような生活を送っていた委員長ですから、自分ひとりでくつろぐ時間などと言うものはほとんどなく、まして一日中寝ていられる日などはたまの公休日しかありませんでした。そんな委員長の安らぎの公休日が、思いがけない人物からの1本の電話によって台無しにされることとなってしまいました。「ロニー、久しぶりです」ヒロシから突然の電話があったのは一番深い眠りに入りこんでいた昼過ぎでした。「なんだヒロシかよ。まだ寝てんだから後にしてくれよ」「ロニー、お願いがあるんだけどさ、今日お休みでしょ」「なんでお前がそんなコト知ってんだよ」「へへ~、実はさ、成田のディスコで急にトラが必要なのよ」「成田のディスコって?おまえ何やってんだよ」「ボクもこのままじゃ男として引き下がれませんからね。いつかジュリーを見返してやりますよぉ」「おまえ、まだそんなこと言ってんのか。もう足洗ってまともな仕事でもしろよ」「とにかく力貸して下さいよ。ハコ取りするからさ、ロニー一緒にやらない?」「もうオレは昔とは違うんだから、今更同じことができるかよ」「知ってますよ、C子ちゃんと別れちゃったんだってねぇ、残念だよね」「もういいから、用を言えよ」ということで、突然電話をしてきたヒロシの話によると、エスメラルダの営業で繋がった地方のディスコを自分でハコ取りしていこうという魂胆らしく、そのしょっぱなに成田のディスコでトラを探しているという依頼があり、あちこちのDJに片っ端から電話したということでした。といっても、連絡を取ったのはシンジやユウジとかのエスメラルダ足抜け組だったらしく、そこから委員長が休みということを探り当てて電話してきたようでした。「助けると思って今日だけ引き受けてよ」ヒロシにも多少負い目のある委員長は、渋々ながらこの仕事を引き受けることにしたのでした。あまりにも突然の話でしたが、旅慣れている委員長にとってはどんなハコだろうとそれなりにこなす自信はありましたから、仕方ないとは言いながらもヒロシへの義理を返すつもりで出張ることにしました。夕方4時に錦糸町の駅で高橋さんて人に会って説明を聞いてくれ、という乱暴な話でした。「なんだ、お前もその店知らないのか?」「ええ、電話で頼まれただけなもんで内容はよく知らないんですけど、とにかくその高橋さんて人が切羽詰ってるモンで、助けてやって下さいよ。まあ上手くハコ取りできたら御礼はしますから」「しょうがねぇなぁ。御礼は良いけどよ、こんな無茶な話はこれっきりにしてくれよ」4時に錦糸町だったら遅くとも2時半にはここを出なければ間に合いません。世田谷からだと小一時間はかかりますからね。寝ぼけ眼を擦りながら支度をして家を出たのは3時近くでした。錦糸町の改札を抜けてそれらしい人を探すと、こざっぱりした背広姿の中年の紳士が向こうから声をかけてきました。「あの、ロニーさんですか?」さすがにこの頃の委員長は、一般の人にロニーと言われるのは多少気が引けましたが、初対面の人との待ち合わせにはこっちの方が判りやすかったようでした。「じゃ行こう、車、そこに停めてあるから」そう云って駅前に路上駐車してある黒塗りのセダンに案内されました。車には「高橋音楽事務所」と名前が入っており、へぇ、プロダクションかあ、などと少々興味の湧いた委員長でした。委員長もこの業界で長くメシを食っていましたが、当時はディスコDJの派遣まで手がけていた音楽プロダクションは稀で、元々業界が違うと思っていましたからちょっと気になりました。京葉道路をぶっ飛ばして到着したのは成田のとあるホテルの地下にある「アストロハウス」というディスコでした。店に入るや否や、この高橋さん、妙に低姿勢で店長にご機嫌を取っています。店長はちょいと頭の禿げ掛かったおっちゃんで、高橋さんに対して「ふん」というような横柄な態度でした。DJブースに入れられた委員長は、まるでビビって逃げるような高橋さんの「じゃ頼んだよ」の一言に、これはひょっとしてとんでもないハコに入れられてしまったんじゃないだろうかと空恐ろしくなりました。ブースから見たダンスフロアーは8畳くらいの中型ディスコといった感じですが、さすがホテルの中にあるお店のせいかインテリアは見るからに高級そうでした。コンソールは通常のTEAC縦型ミキサーにテクニクスのターンテーブルという比較的オーソドックススなタイプで、ブースはやたらと狭く、座ったままで調光ができるように、左手側にフェーダータイプの調光卓ユニットが設置されていました。後ろにはレコードラックがあり、ざっと目を通すと並みの品揃えといった感じで、今夜一晩ならこれでなんとかいけそうという感じでした。しかしいきなりブースにぶち込まれたものの、機材や店のポリシーなど一切説明もなく、これはこの店と高橋さんの間があまり上手くいっていないということを暗黙のうちに悟った委員長でした。どっちにしろ一晩のトラなんだから、あとがどうなろうと知ったこっちゃないし、取りあえず無難に勤めりゃ良いだろってなもんでした。機材を適当にいじくってまずは使い方を学習しますが、モニターの取り方さえわかればあとは勘でなんとかなります。(勘の良い子に生んでくれた両親に感謝です)ブースは正面がガラス張りだったので、外の音をモニターするのがちょっと厄介でしたが1時間も回していればそこらへんの勘もつかめてきます。確かこの時クインシー・ジョーンズが来日していて、やたらと「愛のコリーダ」のリクエストが来たのを覚えています。MCで「They playing in Japan now!」ってのを連発しましたが、お客にシンガポール人の若い娘が来ていて、たまたまコンサートに行ったのかどうか知りませんがやたらウケてしまい、超ロングバージョンでつなぎまくってやりました。はっきりとした記憶はないのですが、確かブラザース・ジョンソンのストンプのチョッパー部分を途中にかぶせてまた愛のコリーダに戻す、みたいなことを何発かかましたような気がします。なんか妙にウケたって覚えがありますね。こんな感じで前半は軽くぶっ飛ばしたのですが、なぜか従業員は誰もブースには近づいてきてくれず、水一杯、コーラ一杯出るわけでもなく、タバコも吸えず、ほぼ監禁状態でした。それでも11時を過ぎる頃には客も減り、たぶん泊り客であろう日本人の若者が数名グダグダしているような状態となっていました。そしてここで本日二度目のスローダウンってことで暗転すると、ようやくここで店長がブースに現れました。「ご苦労さん」くらい云われるのかなと思っていたら、調光卓の前に腰掛けて店内照明をしばらく調整して出て行ってしまいました。愛想のないヤッチャなあ、てな感じでした。ということで結局閉店までブースに監禁されたまま仕事を終えた委員長でした。店内照明が上がってブースから出るとスタッフ全員が整列して終礼です。(何処も同じですね)委員長はこのあとどうすれば良いのか戸惑っていると、店長が声をかけてきました。「おつかれさん。高橋が迎えに来るの?」やっと労いの言葉をかけてもらいましたが、この後どうすれば良いのかはまったくわかりませんし聞かされてもいませんでした。「は、はあ」と答える以外にない委員長。「まあ、来るまで待つにしろ飯でも食おうか。腹減ったろ?」なんだ意外と優しいじゃんこの禿げ店長は、って感じでホテルの中のレストランでピラフなんぞを頂いた委員長でした。「今、どこで仕事してんの?」店長が尋ねてきました。「はい、赤坂シンデレラです」「へえ、赤坂に居んの?オレは元々ホワイトホースにいたんだよ」「あーそうですか。(って良く知らないけど)」「いくら位貰ってんの?」「えっ?」「いや、よかったらウチに来ないかなと思ってね。いや、高橋の手前言い難いと思うけど、あんたならウチで雇っても良いよ」「ありがとうございます。でもボク今の仕事まだ始めたばかりなんですぐに辞めるわけにもいきませんので」「高橋のこと気にしてんだったら、オレから話すから心配しなくて良いよ」ちょっと話が見え難かったのですが、委員長を高橋さんの事務所の社員だと思っていたようでした。そんな話をしているところに高橋さんが異常に腰を低くしてやってきました。「いやー、休憩も取らずぶっ通しで頑張ってくれたからさ、メシでも食わせてやらなきゃ悪いと思ってさ」店長がそう言うと、やたら嬉しそうな高橋さんの腰はさらに低くなります。「いやーそうですかそうですか。喜んでもらえてよかったあ」「じゃ、また明日も頼むよ」そう言って店長はさっと伝票を持って立ち上がりました。すかさず高橋さんが店長の手から伝票をひったくります。「これは私が」店長は更に高橋さんの手から伝票を奪い取って「いや、これはオレから彼への驕りだから」そういってレジに早足で向かって行きました。ここから高橋さんの態度が豹変しました。「ロニーさん、だったっけ?今どちらで仕事されてるの?」店長との会話の繰り返しのような質疑応答が終わり、委員長は高橋さんの車で東京まで送ってもらう事になりました。途中渋谷で女の子を一人拾いました。どうやら高橋音楽事務所の本業はエレクトーンとかピアノの演奏者派遣のようでした。山手通りを過ぎた頃、委員長は代々木公園あたりで下ろしてくれるように頼みました。またこんな夜中に年老いた母親の元へ帰るわけには行きません。なんとなく事情を察したのか、高橋さんは一万円札を委員長に握らせてくれて「タクシー代、タクシー代、また頼むからね」と言って一緒に名刺をくれました。お小遣いにしては大金です。どうやらとっても気に入っていただけたようです。委員長はこりゃ助かったってなもんで、貰った一万円を握り締めて新宿へと向かったのでした。
2005年11月18日
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委員長が赤坂シンデレラの仕事にも慣れ、ようやく落ち着きを取り戻し始めた頃、リトからあらたまって相談を受けました。リトの通っていた上智大学の卒業が決まり、いよいよ就職の準備に入るということでした。すでに内諾を受けている会社があり、五月から正社員として働き始めるので四月一杯でDJは辞めるということでした。こうしてリトも手堅くきちんと自分の人生を歩み出していました。回りの人間が着実に自分の人生、生活を築いていっているというのに、自分は相変わらずのボヘミアン生活を続けていて、目標すら持てずにいる苛立ちや焦りがつのるばかりの委員長でした。それでもまた夜が来て、ターンテーブルにレコードを乗せればいつもの一日が始まってしまい、いつものように流されていってしまうだけのことでした。赤坂シンデレラには専属のダンサーというのがいて、毎週土曜日にショータイムがありました。専属といっても、リーダーのヒロシ(またヒロシかよ)という大柄の男の子がダンサーとして働いているだけで、後のメンバーは常連とか身内とかが道楽で集まってきてやっているようなダンサーズでした。これも縁を辿ると、その昔委員長がトゥモローUSAで踊りを教えたカズヤという子が始めたショーだったようで、そのメンバーの中にはロニーという偶像を崇めるような子らもいて、失意の真っ只中にいる委員中にとっては追い討ちをかけられるような気分でした。ダンサーズのショーはそれなりのFUNKYモノでありましたが、もうその時代はサーファー・ファッション全盛でしたのでちょっとかわいそうな感じはしました。店長の二郎さんが元々ブラック好きでしたから、店のカラーはFUNK主流で委員長にとってはやり易かったのですが、やはり時代はエレガントなファンク(なんじゃそりゃ)に向かっていました。KOOL & The Gangもレディースナイト以降はおしゃれになってしまいましたし、クインシー・ファミリーの台頭もあって、従来のFUNKとは一味違った音楽となりつつありました。そしてサーファーといえばやはりソーラー・レーベルでしょうね。ウィスパーズの AND BEAT GOES ONなんてのは異常に人気が高かったですね。「そしてビートは流れいく」みたいな感じですか。玉置ヒロシの司会(知らねぇだろうな)みたいなタイトルですが、シャラマーとかダイナスティーとかちょっとポップな軽めのファンキーって感じが受けたんでしょうね。あとはレイ・パーカーですね。この人はデビュー当時からユニークだったんですけど、やはり時流に乗った音創りで白人迎合路線でした。カーティス・ブロウなんてのもいましたね。「おしゃべりカーティス」ってもの凄いセンスの邦題ですね。ラップはおしゃべりなんでしょうか。Crap your hands everybody~ って出だしがウケました。Break down, break down, break down! って煽っていくヤツですね。ラップで言えばやっぱりシュガーヒルギャングが相当に知名度がありました。委員長の頃だと「8th Wonder」かな。エイス・ワンダーって発音が洗剤の名前みたいで変だった覚えがあります。それにしてもこの時代はクインシー・ファミリーが席巻したといっても過言ではありませんね。マイケル・ジャクソン、ブラザース・ジョンソン、ジェームス・イングラム、パティ・オースティン、チャカ&ルーファスもそうだし、まさにQの時代でした。ちなみにクインシーはルーファスのドラマー、ジョン・ロビンソンがお気に入りでしたね。「愛のコリーダ」はもう完全に客寄せの餌になりきっていたし、KGの「セレブレーション」、SOSバンドのテイクユアタイムとかチェンジのパラダイスなんてのも使えました。とは言うものの、サファー系とでも言うのでしょうか、ROCKも結構使っていました。代表選手はドゥビーのWhat a fool believes でしょうね。これ聞くと、なんかサーファーって感じがします。よく意味は判りませんが、マイケル・マクドナルドのファルセットとあの軽いリズムが海っぽいんですかね。(よくわかんねーぞ)ちょっと異色といえばポリスの「The voices of inside my head」とかトーキングヘッズなんてのも興味深くて面白かったですね。イーグルスもかけたし、TOTO、ボズスキャッグス、クリストファー・クロスなんかも良かったですね。Say you’ll be mineなんてかなりPOPで、サーファーの女の子が踊ったりすると可愛い感じでした。ファッション的にはパブロクルーズとかウィルソン・ブラザースなんてのが合ってたんですけど、音的にはちょっとうるさかったかな。スローで言うとカラパナなんかが南国っぽくて良かったですね。委員長は個人的にBOZのバックをしていた頃のTOTOなんかが好きでした。ポーカロ兄弟とスティーブ・ルカサーは当時の音楽シーンでは色々なジャンルのミュージシャンに影響を与えたのではないかと思います。委員長は1980年10月武道館で行われたBOZの日本公演を見に行ったんですが、あまりにもROCK‘N ROLL過ぎて期待はずれだったという記憶があります。やはりLOW DOWNとかHARD TIMESとかタイトな音を期待して見にいったのに、いきなりBreakdown Dead Aheadでぶっちぎって、リドシャッフルとかでしたからちょっとがっかりでした。ファッションも赤のウィンドブレーカーに白のコットンパンツでしたからね。シルクディグリーズやミドルマンのジャケットみたいな印象があったので、あれっ、て感じでした。それでも名曲ハーバーライトには泣かされまました。「東京ローズを母に持ち~」って出だしで目頭が熱くなりました。(母子家庭育ちにはぐっとくるものがありましたね)どっちにしても、委員長がお相手していたお客様はすでに5歳以上の年齢の開きがありましたから、もうこの頃はムキになってFUNK論を振りかざしたりはしませんでした。この歳になってようやくDJという本来の仕事に納得したといったところでしょかね。自分が踊らなくなったっていうのもあるのでしょうが、踊らせることや、音楽の傾向を引っ張っていくっていうことに専念できた時代でもあります。委員長にしてみれば、愛のコリーダとカメオが同じサークルで囲まれたりすることに抵抗はありましたが、今更爺の屁理屈をこねたところで感性が違うのですから、それはそれで良いのかな等と思えるようになったそんな自分自身に驚いた反面、つまり熱意が無くなったってことを悟るに至ったわけでもありました。(道楽というものはムキになれなくなったらお終いですね)店に居る間は音楽に浸かっているからそれはそれで楽しいのですが、閉店とともに虚しさと不安はやってきます。またウォークマンを聞きながらヘトヘトになって疲れるまで歩き回って寝る。起きたら仕事。そんな日々を繰り返していましたが、リトが辞めて後釜に後輩のユウジを入れたことで、赤坂に再びバカが集まり出してしまいました。馬鹿野郎軍団始末記最終章の始まりです。そしてそれは委員長の突っ走ってきた過去のツケの清算の始まりでもあり、それは一気にやってきた道楽者の最後のあがきでもあったのです。
2005年11月17日
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ジョン・レノンの悲報から数ヵ月後、遺作となったアルバム「ダブル・ファンタジー」は空前のセールスを記録しました。タイトルTUNEになる「スターティング・オーバー」は、皮肉にもジョンとヨーコが新たな人生の局面を迎えた記念すべき曲でした。そしてこの曲は委員長の胸にもずしりと響くメッセージでもありました。Starting Over!一体何から始めたら良いものか、どこから手を付けたら良いものなのか。そして自分はどこに行けば良いのか。失ったものの大きさを嘆くよりも、先の見えない辛さの方が精神的には堪えます。たとえ身の回りの全てを失ったとしても、眼の先に光るものさえ見えていれば、またそれに向かってスタートを切れますが、行き先がないというのは本当に辛いものです。赤坂シンデレラの仕事は可もなく不可もなく、過去の委員長の派手な経歴に比べればどちらかというと地味な生活でした。ただ、いきなり帰る家をなくしてしまったのですから、住所不定者としか云いようがありません。この時はリトが親身になって面倒を見てくれたおかげで、週のうちの大半は彼の代々木のアパートに転がり込ませてもらいました。いや~持つべきものは友ってよく言いましたよね。でも実はこれにもリトの複雑な理由があってのことだったのですが、この話はまた後でしますね。あとはシンジやユウジのアパートに押しかけては寝泊りするという、まるでボヘミアンのような生活でした。どうにも行くあてがなくなった場合は、年老いた母親の住むアパートにも時々は厄介になったりしましたが、まさか深夜とか明け方に帰るわけにもいかず、どうしても行き場のない時はギターを抱えて近くの公園で時間を潰したりしました。いい年コイてしょうもない放蕩息子がまた帰ってきたみたいな感じですか。たぶんご近所ではそんな風に思われていたのではないでしょうか。とにかくこの時の委員長は本当に失意のどん底にいましたから、「こんな暮らしが今のオレにはお似合いさ」みたいな半ばふて腐れた精神状態で、恥も外聞もなくとことん落ち込んでやろうとも思ったりしていました。深夜2時に仕事が終わってからウォークマンを聞きながら、テクテクと歩いて深夜の東京を徘徊したり、地下鉄のホームに入りこんでギターを弾いたりと、一歩間違えるとホームレスのような暮らしでした。I LOVE TOKYOそれにしても東京の夜はやっぱり委員長にとっての癒しでした。夜の青山通りは特に綺麗でしたね。夜桜がぱぁーと満開で、緋色の花びらで埋め尽くされた外苑通り一面に舞い散る桜吹雪の中を歩いたときは本当にぶっ飛びました。もちろん深夜ですから人なんて誰もいませんし、街頭の光がまるでスポットライトのように桜の花びらに当たって、まるで自分のために用意された舞台セットの中を歩いているようでした。確かBGMは笠井紀美子のTOKYOスペシャルだったですね。新宿の高層ビル群の中も良かったです。ビルとビルの間を、春の香りを乗せて吹き抜けていく風に煽られながら聞いたクルセイダースも最高でした。ジョー・サンプルのピアノはやはり都会にフィットしてましたね。代々木公園で見たSUN RISEも美しかった。映画ロッキーに出てくるあの名場面、フィラデルフィアの夜明けのような感じでした。原宿表参道から千代田線代々木上原にかけて歩きながら、約1時間ほどナベサダとディブ・グルーシンのライブ・アルバムに聞き入ってしまった記憶があります。音楽と景色が見事にマッチして、ドラッグ以上に素晴らしい体験をしました。そして地元世田谷の自分が育った街を歩いたとき、そこには素のままの自分がいました。ようやく帰ってきた故郷のようでした。ここには自分の歴史、ルーツがあります。なぜこんな自分になってしまったのかわかりませんが、ごくありふれた街でありふれた悲しみを抱いて育ち、背伸びばかりしていた悪ガキはありふれた毎日に嫌気がさして家を飛び出し、ありふれた夢を追いかけ、時にはありふれた過ちを犯し、時にはありふれた栄光も手にし、そして今、ごくありふれた人生につまづいていたのでした。ダウンタウンならず者懺悔(宇崎竜童事務所無届無許可掲載)オレがこの街に住み着いたのはあれはほんのガキの頃だったぜ縁日、ベーゴマ、自転車泥棒、まったく手のつけられないガキだったぜ人に後ろ指を指されちゃならネェと親父の言葉を背中に聞いて学校飛び出しゴロ捲いてたっけあんときゃ若さの意味すら知らなかったぜ可愛い女が好みのタイプだときいたセリフで騙しちゃ捨てた裏切り、やさしさ、ただそん時だけ一度はどこかで詫びたいヤツばかりオレが信じ続けた誇りとやらは束にしたって二束三文さいきがってばかりで満たされないのは馬鹿な悲しみ重ね過ぎたせいかまさにここからが委員長にとっての懺悔の日々の始まりでした。今まで傲慢に、奔放に、好き勝手に生きてきた見返りは、きちんとそのままの形で自分の目の前に現れ、逃げることもできず、ただ受け止めるだけの毎日が始まって行ったのです。今まで自分が見過しにしてきた人のやさしさや、ないがしろにしてきた人の思いやりといったものを、身を持って学ぶ時期だったのでしょう。
2005年11月16日
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1981年春、ジュリーこと昇ちゃんとチーちゃんの結婚式が中野サンプラザで行われました。新宿Q&Bで二人が知り合ってからこの日まで、足掛け6年の歳月が流れていました。媒酌人はRCAレコードのK課長。司会はなんと小林克也さんです。招待客は日本フォノグラムの渡部氏はじめ業界の人間が殆どでした。エスメラルダのメンバーに混じってジョイ吉野やオーティス中村の顔も見えます。そして委員長の顔を見つけて近寄ってきた女性がいました。ムラちゃんの彼女です。「久しぶりね」「ホント、久しぶり。ムラちゃんは来ないの?」「今日は出張でどうしても休めなかったの」「結婚したの?」「私たち?まだよ」「そう。ムラちゃんは元気でやってるの?」「うん、PA関係の仕事だけど順調よ。ロニーもジュリーもうまくいってるようじゃない」「見た目ほど上手くはいってないんだけどね・・・」そう言いかけて言葉を呑み込んだ委員長でした。ムラちゃんという生贄を乗り越えてここまでやってきた委員長とジュリーですから、ここで泣き言を言ってしまってはムラちゃんに申し訳なく思えたからです。「とにかくムラちゃんによろしく伝えてよ」思えば皆半端な出来損ないが、お互いを傷つけあって転がるように生きてきたひとつの節目が、このジュリーの結婚式だったように思います。そうそうたる出席者の顔ぶれの割には穏やかでこじんまりとした結婚式でした。ただ、司会の克也さんが会場を沸かせたジョークが、この二人の将来を暗示しているように思えた委員長でした。「何故か私が仲人をした夫婦は皆別れてます。いや~今日は司会で良かった」そしてテーブルにひとつ空席がありました。ヒロシの席です。何はともあれ無事結婚式は終わり、ジュリーも委員長もこれでひとつの時代が終わったという儀式でもありました。しかし、この式が始まる前、ジュリーが過去関わった女が乱入してきて暴れるとか、乱入女同士がまたそこで揉めて式がパニックになるとか、皆のヨタ話は留まるところを知らず、実際にそうなったときのことまで心配したりする始末でした。委員長はお祝いにペアのパジャマをC子と連名で贈ったのですが、その後ジュリーからマジな電話があり、この女は誰だ?とかなり神経質に聞いてきたのには笑いましたね。ジュリーもC子の本名、苗字までは知りませんから、誰かが委員長の名前を使ってあてつけに贈ってきたモノかとも思ったのでしょう。ジュリーが無事過去を清算したかどうかは定かではありませんでしたが、なにはともあれ無事に式が済んでよかったといったところでした。さて、この結婚式への出席を以って、委員長とジュリーの関係に終止符が打たれ、この後はお互いに自分達の道を行くことになりました。長いような短いような付き合いでしたが、若さ一番、同じ時代を生きた相棒との別れでした。認め合ってもウマが合わない、そんな感じのおかしな仲でしたが、城を追い出された時の屈辱感と反骨魂は生涯二人が共有できる思い出だと今も思っています。タイプこそ違うもののその心の底に流れていた血はきっと同じだったのでしょう。委員長がエスメラルダを辞めると同時に、なし崩しに足抜け者(笑)が続出しました。シンジ、ヤスオ、ユウジ、コジャ、ナオと中央線沿線で委員長につるんでいた奴らが、次々とエスメラルダを抜けていきました。もちろん委員長がそんなことをそそのかす訳もなく、ヒロシの突然の退社や委員長の脱退に何かあったとは感じてはいたようでしたが、やはりみな疲れ始めていたのかもしれません。高円寺亀屋マンションに集結したロニー軍団は、何故か委員長に異常な期待を寄せていました。「ロニーさん、これから何か一発やるんでしょ」「俺たちついていきますから教えて下さいよ」一人歩きしているロニーという偶像は更に彼らの頭の中で勝手に膨らんでいきます。「ロニーが何か始めればエスメラルダの奴らもみんなついてくると思うよ」「いや、サムは来ないんじゃないか」「俺もあいつとは一緒に仕事したくないな」「ねえ、ロニーさん、何か考えてるんでしょ?教えて下さいよ」皆で好き勝手な想像を膨らませて遊んでいます。委員長はまるでハメルンの笛吹きですね。笛を吹くと子供たちが踊りながらついて行く。ハメルンの笛吹きはついてきた子供たちを池の中へと誘い込んで沈めてしまいます。確かに委員長がホラを吹けば馬鹿者達はついてくるでしょう。でも委員長には彼らを誘い込んで連れて行く場所がないのです。持って生まれた才能を生かすことのできる目的地が委員長にはないのです。思えば18歳からディスコ業界に入り込んでからというもの、次々と思いのままワクワクすることだけを追い続けてきた委員長は、ついにここで夢の行き止まりにぶち当たったのでした。もうこの世界には委員長が成りたいモノがなくなってしまっていたのでした。委員長が夢中になれる遊びがもうないのです。ダンサーごっこ、DJごっこ、バンドごっこ、そして会社ごっこにアウトローごっこ、結局どれひとつとしてホンモノにはなれませんでしたが、どれも皆心の底からワクワクして楽しんだ遊びばかりでした。今まで通りその気にさえなれば何だってできるはずの道楽者なのですが、夢見るモノ、目指すモノがないのです。遊びを失った道楽者ほど悲しいものはありません。「お前らも自分で覚悟を決めてエスメラルダを辞めたんだから、これから先は回りに流されずにしっかりと先のことも考えろよ。じゃないとオレみたいな中途半端なことになるぞ」委員長から後輩へ贈る言葉のつもりでした。皆いつもと違う委員長の態度に戸惑っていたようでしたが、いずれはそれぞれがぶち当たるであろう行き止まりが来ると言うことを伝えたかっただけのことでした。そしてこの頃のC子はといえば、ほとんど毎日朝帰りで酔って帰ってきてはそのまま寝るという乱れた生活が続いていました。さすがの委員長も心配になりましたが、彼女は彼女でやはり壁にぶつかっているのでしょう。それでも委員長は、そんな彼女を思いやる余裕もない自分がふがいなく、その情けなさにまた落ち込むというような暗黒の世界を彷徨うだけの日々でした。そんな隙間を埋めようとすればするほどお互いの気持ちは、見事なまでに滑稽な空回りを始めていきます。好き合って暮らし始めた男と女が肌を触れ合わせなくなった時、それは出会う前のただの男と女に戻るエピローグとなります。一度は生涯を共にすると思った相手だからこそ、さり気ない終わりを演じたかった委員長は、殺風景な部屋に転がっている楽器の山をひとつずつシンジの部屋に運び、その他の数少ない荷物は年老いた母親の元に運び込みました。きちんとしたケジメをつけずに自然に別れていきたい。それがせめてもの思いやりだと思ったからです。「あんたと別れたらきっと後悔すると思うんだよね。でもやってみたいんだよ」C子の最後の言葉でした。これも彼女の委員長への最後の思いやりだったと思います。「別れていくヤツに向かって手を振ることもないだろう」静かな別れでした。言い争うわけでもなく、憎みあうわけでもなく、お互いに時代の終わりを悟った自然な成り行きの終わり方でした。さよならを言える分だけ彼女の方が強かったということです。言い出せずにいる委員長は、雲が風に流されるように彼女に流されます。「これだけでも持っていけよ。結局最後まで何もしてやれなかったから」大型のラジカセと彼女の好きだったロドニー・フランクリンのレコードを置いて部屋を出た委員長でした。1階の郵便受けに部屋のカギを落として二人の絆が切れました。
2005年11月15日
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委員長が赤坂シンデレラの仕事を始めてそろそろひと月が過ぎようとしていた頃、ヒロシが再び相談にやって来ました。彼は相変わらずエスメラルダの使途不明金というか、ヒロシのノートに記載された金額の行方を追っていました。「ロニー、ボクはこのままじゃどうしても納得がいかないんですよ」どうもヒロシは昇ちゃんを疑っているようでした。ただ悪いことに、ヒロシはこの悩みを一人で抱えていることが出来ず、サム岡田をはじめナガイや他のスタッフにも話して回ってしまったのです。そんなことをすれば当然昇ちゃんの耳にも入るわけで、そうなれば身内の争いになることは必至です。そして委員長はこの話を聞いた時から、あるひとつの仮説を立てていました。「ジュリーの親父さんの葬式にいくらか用立てたんじゃないのか。それにもうすぐ結婚式も控えているし」「それならそれでボクらに言ってくれるべきでしょう。それに葬式なら我慢もできますけど、結婚式の費用に使われたりするんじゃ納得いかないですよ」「まあ、そうは言ってもなぁ」「たぶん、本当はみんなも気が付いているはずなんですよ。でもやっぱりジュリーが怖くて言い出せないでいると思うんですよね」「そうかもしれないけど、岡田やナガイにしてみればそんなことは直接の関係がないことだと思ってるだろうな」「そうかもしれません。どうせ彼らはこの仕事がダメでも戻るところがありますからね。所詮は他人事ですよ。でもボクはこれしかないんですよ。帰る所もないし、だからDJの夢もあきらめて、ジュリーやロニーの言うとおりマネージャーとしてやってきたんですよ。そしてその一生懸命稼いできた金が無くなったんです。これは大事なことじゃないんですか?」またしてもヒロシに詰め寄られた委員長でした。「でもなヒロシ、お前の気持ちは良くわかるけどな、ここまでやってこれたのはジュリーの力があってこその話だろ。だったら多少のことは目を瞑っても良いんじゃないか」「それも分かりますけど、そんな簡単に割り切れるような半端な金額じゃないんですよ。ボクはどうしても納得いきません」「そうか、そこまで言うならしょうがないな。好きなように、お前の納得のいくようにしたら良いじゃないか」「そのつもりです。でもその時はロニー、ボクに味方して下さいよ」「味方って、それはお前の言っていることが正しかったらの話だよ」「じゃあ、ボクがそれを証明したら一緒に戦ってくれますね」「戦うってお前、喧嘩にでも持ち込むのか」「そうじゃありませんよ。仮にジュリーが暴力でボクをねじ伏せようとしたらってことですよ」「う~ん、そりゃないと思うけどな。万が一喧嘩にでもなった時は必ずオレが止めてやるよ」そんな会話をして別れたのですがせっかちなヒロシは間髪を入れずにその夜、田無のジュリーの自宅へ乗り込んだのでした。「ロニー、悪いけど大至急ウチに来てくんないか。ここにヒロシが来てるんだけどよぉ、こいつはよぉ、人を泥棒扱いしやがるんだよ。それで岡田やナガイにも来てもらうことになってんだけど、急いでこっち来てくれよ」既に夜の12時を過ぎていましたが、突然のジュリーからの電話で呼び出された委員長は、相棒のリトに事情を説明して田無のジュリー宅へと急行しました。やれやれ、とうとうおっぱじめちゃったかって感じでしたが、こりゃ今夜は修羅場になるな、とそんな憂鬱な気持ちでタクシーに乗った委員長、結局はこんな終わりにしかならないのかと自戒しながらも出来れば逃げ出したい気分で一杯でした。一般社会から落ちこぼれた半端者たちが群れを成して世の中に自分たちを認めさせようとした時、稚拙ながらも心はひとつに繋がり、同じ夢を見ることで同じ時代を歩き始めました。そしてその群れこそが唯一自分達の心の拠り所となる場所であったはずなのに、結局は自分たちがいつも斜に構えて馬鹿にすることでしか関わることができなかった世の中のシキタリに従っていくことになってしまったのです。所詮は単なる落ちこぼれの集まりが寄って集って馬鹿騒ぎをしてきただけのことでした。田無のジュリーのアパートのドアを開けるとナガイが出迎えてくれ、部屋にはジュリーが腕組みをして胡坐をかく前でヒロシがうなだれた様子で正座していました。その隣には岡田が緊張した顔つきで委員長の方を見ています。「おう、ロニー、悪いな、こんな夜遅くに。この馬鹿がよぉ、オレを泥棒呼ばわりするもんだからよ」そう言ってジュリーは顎でヒロシを指しました。ヒロシは委員長の顔を見ません。ジュリー、ヒロシ、岡田、ナガイ、委員長の五人が車座になって座りました。「まずはお前からロニーに説明しろよ」ジュリーが突き放すようにヒロシに促しました。黙りこくったままのヒロシ。「いや、昇ちゃん、実は大体のところはもう聞いているんだ」やっぱりな、という表情のジュリーはヒロシに向かってなじるように語り始めました。「テメェはよぉ、オレにこんな気分で結婚式を迎えさせて楽しいか?」相変わらず押し黙っているヒロシ。「今、チ○子が帳簿持ってきてきちんと見せてやるからよぉ」エスメラルダの経理は昇ちゃんのフィアンセ、チーちゃんの親父さんが面倒見てくれていました。そしてヒロシが拘り続ける帳簿が今ここに届けられるのです。「お前はオレの人生の一番大事な時をムチャクチャにしてんだぞ」「いや、ジュリーさん、そうじゃないんですよ。ボクは自分の気持ちがはっきりしないままじゃ、ジュリーさんの結婚式にも出られないんですよ」ようやくヒロシが口を開きました。「ふざけんなよテメェ、もしお前の間違いだったら、お前はオレとチ○子の人生に一生の傷を残すことになるんだぞ」そこで、部屋のドアがバーンと音を立てて開き、ザンバラ髪のチーちゃんがドカドカと上がりこんできました。まるで修羅のような形相のチーちゃんは無言のまま、帳簿や領収書のファイルをヒロシの前に叩きつけるように放り出しました。「これで全部だからよおく見なさいよ!」仁王立ちのチーちゃん。投げ出された帳簿をゆっくりと手にとってページをめくり始めるヒロシ。「ふざんけんじゃないよ、あんた」そう叫ぶと同時にヒロシめがけてケリを入れるチーちゃん。ヒロシがかわす間もなく半べそかいたチーちゃんからパンチが繰り出されました。揉み合いになったところでジュリーが乱入して鉄拳が繰り出されます。さすがに横にいたナガイがチーちゃんを抑え、委員長もすかさずジュリーを後ろから抱き上げて引き離しました。「もう辞めてくれよ!もういいよ!」委員長はジュリーを抱き上げたまま叫んでいました。本当にもう沢山でした。もうこれ以上バカの揉め事は沢山です。所詮オレ達はこんな馬鹿野郎でしかなかったのです。ディスコだDJだと華やいだ世界でカッコばかりつけてきた奴らの集まりがこれです。結局はそこらの不良のあんちゃんたちと何も変わらないことを、何年もかけて続けてきただけのことです。委員長の叫びで取り敢えずは押さえ込まれて座り直した一同。「ヒロシ、もういいだろ、はっきりさせたところでもう取り返しの付かないとこまで来ちゃったんだから、もうこれで終わりにしようぜ」そう委員長が諭すと、うな垂れたように首を立てに振るヒロシ。「これでエスメラルダも解散だな」ジュリーが吐き捨てるように言いました。「いや、ジュリーさん、もうボクは辞めますけど、他のスタッフもいることだし会社は続けて下さい」ヒロシが最後にメンツを立てました。「テメェの顔なんぞもう見たくないから出てけよ」ヒロシは一同に頭を下げて部屋から出て行きました。しばらくの沈黙の後、ジュリーが委員長に尋ねました。「ロニーはどう思ってる?」「昇ちゃん、実はヒロシからこの話を聞いた時さ、たぶん親父さんの葬式に使ったんじゃないかと思ったんだよな。俺も昔ばーちゃんの時に経験してるから葬式の大変さは知ってるからさ。ヒロシにも同じこと言ったんだけど、それはそれで良いじゃないかってね。元はジュリーあってのエスメラルダだったんだし、頭に立つ人間として口に出して言えないこともあるだろうって、メンツもあるからね。それを汲み取ってやるのが俺ら仲間ってもんじゃないかって。そう思ったんだよ。でも問題はそこじゃなくて、オレもヒロシ同様にジュリーを疑ったってことが問題なんだよな。少なくとも社長のジュリーを疑ったってことは、もうオレには一緒に仕事する資格はないよな」何故か涙が溢れてきました。男泣きというのか感極まったというのか、何故泣けてくるのか自分でもよく解りませんでしたが、この数年の結末がこの涙だったのでしょう。「ロニー、ありがとう。でもオレはまだ一緒にやっていきたいと思ってるよ」ここでナガイが突然声を上げて泣き出しました。「ロニーさんすみません。オレはヒロシくんからこの話が出たとき、何も言えなかったんです。実はボク、ジュリーさんから内緒で出産費用出してもらっていたんです」涙をボロボロ流して告白するナガイの姿がとても不憫に思えましたが、ことの良し悪しはともかく、こういう繋がりこそが本来のオレ達半端者の繋がりじゃなかったのかと思いました。「もう良いじゃないか、その気持ちでこれからジュリーと一緒に頑張って行けよ」最後まで悪役を演じさせてしまったヒロシには大変気の毒なことをしてしまいましたが、委員長の決意は変わっていませんでした。これでまずはひとつ、精算が終わりました。
2005年11月14日
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スクラッチ=引っ掻く。それはターンテーブルに乗せたレコード盤に針を落として、盤を手で逆回転させたときに出たノイズ、まさに引っ掻き音を楽器の代わりとして使う技術のことです。時代の感性が生み出していく「遊び」は常に既存の常識を覆すことから始まります。委員長がここでいう感性とは、まさにこういった新しい遊びを創造する力のことなんです。たぶん委員長の年代の人たちなら、ターンテーブルとレコードをこういった使い方で遊ぶということ自体思いつかなかったと思いますし、まさかそれを実践してレコードにまでしてしまうという発想はあり得なかったのではないかと思います。レコード針が盤を引っ掻いたときに出た音。これを雑音(ノイズ)と捉えるか楽器が奏でる音(パーカッション)と捉えるか、これこそがまさに時代の感性だったわけです。そしてそれをカッコイイと感じる感性があったからこそ流行になりスタンダードになっていったんですね。たぶん職人肌のエンジニアのおっさんたちは未だに認めてないでしょうけど。(笑)これが時代の感性というものなのです。どんなに今の時代のファッションをまとって着飾っても、どんなに時代の情報を取り込んだとしも、五感で感じる力、体の中で消化する力、更にそれを遊び(ART)として体現していく力は、その時代の真っ只中を走っている世代の感性にはどうしても敵わないものです。もちろんいくつになっても素晴らしい感性を持ち続けている方もいますが、それでさえもクリエイトというよりは世代の感性を触発する役割を担っているというのが実際のところではないでしょうか。例えば、委員長の時代では、テレビドラマとかは必ずその時間にテレビの前で見なければならなかったし、見逃したらまず間違いなく二度と見られませんでしたから未だにこの感覚は残っていて、仮に見たい番組があるとするとまずは無意識にその日の自分のスケジュールに思いが飛びます。この日は特に用事はなかったかなぁ、とかね。でも委員長の子供たちとかは、まずビデオの録画予約のスケジュール調整から入っていきます。誰の録画予約を優先させるかとかいう話になるわけです。これこそがまさに感性のズレですね。そりゃそうですよね。今の子供たちにとっては生まれた時からすでにビデオがあるんですから、物事の発想の原点には録画するって行為が働いているわけです。これはどんなに感覚を研ぎ澄まそうと、理智を高めようと、覆すことのできない時代の感性なんです。それじゃ爺婆は時代の流れと共に埋もれていくのかっていうと、それはまた別の感性を持っているわけで、古い感性で時代を切り取ればまた面白いものも生まれてくるわけです。そこはそれでそう簡単には切り取って説明はできませんが、ただ、古いものが土台になっている以上は、今の時代の先端を切り開くことはまず凡人の才能では無理でしょうね。ですから一歩引いて、時代の先端を走る若者の感性を触発させるという、ちょっと渋い感性が残されているわけです。当時の委員長のディスコ感覚で言えば、当時原宿代々木公園広場で踊っているタケノコ族ってのがいましたが、委員長はあのファッションは嫌いじゃなかったし、公衆の面前で踊るという行為も嫌いではありませんでした。選曲にはちょっと付いていけませんでしたけどね。(笑)広場で踊るとか、公衆の面前で踊るという行為は、昔からあったし、誰もができることです。盆踊りとか、阿波踊りとか、フォークダンスとか日本に限らずどこにでもありますよね。でもそれは伝統文化として代々引き継がれてきた感性ですから、盆踊りを見て笑う人はいないだろうし、カッコイイとは思わずともそれはごく自然のことであるわけです。その行為を、自分達の装いを用いて日常的な空間に持ち込んだのがタケノコです。要は盆踊りという装置の使い方をちょっと変えて遊んでみたってことですよね。ターンテーブルの使い方をちょっと変えてみたら、これが面白かったってこととなんら変わらないですね。やぐらの上の太鼓を大型のラジカセに変えて、浴衣の代わりに昇り龍のガウンをまとってみた。(笑)そしてそれを見たギャラリーがその行為をカッコイイと認識したからこそ、ひとつの流行として伝播していったのです。年代の差はあっても、委員長のようにそれを面白い、あるいはカッコイイと感じた人もいることでしょう。じゃあ、そこに飛び込んで行って自分もやるかっていうと、それはまずできませんね。それはその時代の寵児達がやるからこそ面白いしカッコイイので、よしんば年配者がやったとしても、認めてはくれるかも知れませんが、それはそれで別物、単なる笑いものになるのがオチです。現に委員長は未だにラップは理解できないし、日本語のラップなどは気持ちが悪くて聴けないのですが、ラップにしても、音楽に言葉を乗せる手法というのは昔からあったし、語り口調でメッセージを音楽にするという行為自体が特別新しいものではありません。古くはJBのマンズマンズワールドなんてのもそうだし、ボズ・スキャッグズのロウダウンなんてのはまさにラップの典型ですね。しかも内容は告白(RAP)に近い詩です。でもこの手法はあくまでもSONGというベースを生かすための調味料のようなもので、この調味料を使って遊んだのがラップです。最近では人間ミュージック・ボックスなんていう遊びも出てきて本当に驚きですが、とにかくこれらの感性の奥底にある「遊び」の創造性こそが時代の感性であるわけです。そしてこういった遊びをクリエイトする時代の寵児は、いつの時代だって、どんな時代だって現れてくるだろうし、また更にそんな寵児を乗り越える凄いヤツが出てくるだろうし、それこそがその時代を生きる若者全員に与えられた感性という才能だと思うのです。それはもう、ただ若いってだけで全ての若者に無条件で与えられた才能であるわけです。どこに住んでいようが、何をしていようが、どんな人間であろうが、これこそが人間に平等に与えられた唯一の才能だと思えるんですね。その才能がどんな開花の仕方をするかはわかりませんが、その才能が花開いたところがその本人にとっての唯一の現実となり、そして歳を取っていくのです。それがディスコであるかもしれないし、学校であるかもしれないし、チーマーだったりコンビニに集うグループの中であるかもしれない。(笑)あるいはミクロ的に言えば自分がたった一人で描いたノートの片隅のひとつの絵の中に才能を開花させたかもしれないし、マクロ的に言えばそれこそ武道館に何万人だかを集めて共感させることで才能を開花させたかもしれない。でも開花した才能を現実として体感できるのはその本人でしかないのです。そしてそれこそが唯一、人生におけるリアリティであり、それ以外はその当人にとっての現実にはなり得ないのです。そしてその現実との関わりの中にしか才能は開花されないのです。だからこそ委員長が言うところの「若さは才能」たる所以なのです。目の前にある現実と自分がぶつかった時に生まれる感性こそがその人の才能なんです。年齢を重ねるということは現実に対する認識を重ねていくということですから、必然的に時代の感性は鈍っていってしまうのです。それはそれで知識と経験を重ねることで、英知という副産物を生み出しはしますが、それは感性というよりは知性というべきものです。それは感覚から生まれてくるものではなく、知識と経験が感性を触発して生まれたものなのです。だから人は常に感性を触発し持続させるため、新しい現実を求めて彷徨って行くのです。それがドラッグであったり、音楽であったり、あるいは旅行であったり、はたまた宗教であったり、未だ自身の中に蓄積されていない現実との出会いを求めて未知の世界とのぶつかりを求めるのです。大変回りくどい屁理屈をこねてしまいましたが、どんなに抵抗しようが逆らおうが万人に与えられた若さという才能はひとつの例外も無く、それぞれの時代と共に歩き、それぞれの人間性へと昇華していくものなのです。そして残念ながら、それには必ず賞味期限が付いているのです。
2005年11月13日
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冷え切った亀屋マンションの一室で一日中ゴロゴロしていた委員長にヒロシから呼び出しの電話があったのは、無職になってからすでに一週間が過ぎようしていた頃でした。「赤坂シンデレラで良いですか?」相変わらず地声が受話器越しに耳を刺激するヒロシの声に、一瞬、先日の赤坂の苦い一夜を思い出した委員長でした。「ロニーに合いそうなハコってここくらいしかないんですよ。今更ゼノンとかじゃ嫌でしょ?」委員長の古巣である新宿の東宝会館もこのころは随分と様変わりしていました。旧ビッグトゥゲザーを帝急エージェンシーという会社が買い取って新装オープンしたのがゼノンで、ジュリーこと昇ちゃんがナガイを引き連れてここに陣取っていました。「ああ、元はといえばオレのせいで皆に迷惑かけちゃったんだから、今更選り好みはできないし、取りあえず今の仕事があればそれだけで良いよ」確かに今更新宿で昇ちゃんと一緒に働くわけにもいかないし、赤坂なら地理的にも中途半端な分だけ気が楽かなと思った委員長でした。「いや、今回のことはボクにも責任がありますから、ロニーの仕事先だけはきちんとしますから任せて下さい」そう自信気に言うヒロシでしたが、最後にポツリと洩らした「実は相談があるんですけど」の一言に嫌な予感がした委員長でもありました。長年の不良の勘というやつでしょうか、その言葉の雰囲気から直感的にどうやらやっかいな話になりそうな感じがしました。しかし、まさか自分がついこのあいだ遊びに行った赤坂シンデレラで働くことになるとは、どうも赤坂には妙な因縁があるようでした。ようやく現場に復帰した委員長は数年ぶりにリトとのタッグを組むことになり、更に店長の二郎さんは委員長の大先輩でもあり、六本木メビウス、赤坂スーパーコップス等、東京の名門ディスコを仕切ってきたツワモノでしたので、久しぶりにFUNK魂が蘇りました。ただ、営業時間が平日は深夜2時までだったので、帰りはどうしてもタクシーか始発待ちを余儀なくされ、当面はタクシーで代々木のリトのアパートに行き、始発を待って高円寺に帰るという生活になりました。そんなこんなで感性の限界も感じつつ赤坂シンデレラで再スタートを切りましたが、この時委員長はこの店を最後にしようと心の中で硬く決意をしていたのでした。年齢もすでに26歳を迎えるこの年、4月にはジュリーこと昇ちゃんの結婚式も控え、自分もこのまま流されているだけではいけないと、多少なりともまともなことを考えるようになっていたのでした。そしてヒロシが委員長に人生の命運を賭けた悩みを打ち明けたのが、赤坂シンデレラの就職が決まって間もなくの頃でした。「金が足りないんですよ」出し抜けにヒロシの口から飛び出した言葉でした。「ボクらが汗水たらしてプールした金が無くなっているんです」「おまえなぁ、なんか勘違いか計算間違いじゃねぇのか」「間違えるわけないですよ。昔からボクは金だけはきちんとしていたんですから」そう言ってヒロシが見せてくれた彼のノートには、濃い鉛筆で大きく書かれた幼い字の現金出納帳のような走り書きでした。ひらがなの多いそのメモでしたが、数字の部分だけはきちんと桁が揃えてあり、確かに小学生が見ても一目瞭然出入金の残がきちんと記録してありました。「そんならジュリーに帳簿を見せてもらえば良いじゃねぇか」「もちろん言いましたよ。見せて下さいって」「見せてくれないのか?」「お前はオレを疑っているのか、って言われましたよ。帳簿は誰にでも見せるって訳にはいかない、とも言われました」正直言ってエスメラルダの事務所が原宿に移ってからは、その一切合財をヒロシ任せにしていた委員長は今更何も言える立場ではありません。「ロニーは悔しくないんですか? オレ達の稼いだ金が誰かに使われているんですよ」「無くなったって証拠でもあるのか」「証拠はこのボクのノートですよ。これはボクがエスメラルダのマネージャーを引き継いでからの遣り繰りが全部メモしてあるんですから」確かに言われてみれば、このところ昇ちゃんはやたら金に執着しているところが目に付いていたし、委員長はそんな彼の必要以上に金にこだわるところに嫌気がさしていたのも事実でした。「どうしてもはっきりさせたいっていうんなら、正面切っていくしかねぇだろうな。ただし、やる以上は揉めるぞ。覚悟はできてんのか」「だからロニーに相談してるんじゃないですか。このまま黙って続けるか、白黒はっきり付けるか。どうしたら良いですかねえ」そう言ってヒロシは詰め寄ってきましたが、今の自分にはそんなことまで考える心の余裕もありません。会社と云ったところできちんと登記した法人でもないし、利益といっても明確な生産によって得た利潤でもありません。そんな金を巡って身内で争うということがどういうことになるか、考えるのも嫌になるのは当然のことで、委員長はとにかく今はおとなしく地味にこのままの生活を続けて、身の回りのことをひとつづつゆっくりと考えていきたいと思っているところでした。実際、すでに委員長の周りでも同年代の仲間や後輩の中からも、きちんと就職していったり、学生に戻っていったりするヤツも少なくなく、みなそれなりの人生を歩き始めていました。ジュリーこと昇ちゃんや委員長にしても、業界での経歴の長さとか売名行為に成功しただけのことでここまで生きながらえてきたわけですが、実際の現場ではすでに感性のズレは明らかに現れ始めていました。自分の頭の中ではいつまでも時代の先端を歩いていると思い込んでいるだけのことで、実際にディスコという現場で遊んでいる子たちとは、ファッションにしても音楽にしても、流行を捉える感性が自分達の持つ感性とはもうすでに別のものになっていました。そんな彼らの新しい感性に応えられるだけの流行のセンスを与えることが、果たして自分たちにできるのだろうかと考えると、もう自分達の感覚は終わってしまっていることを認めざるを得ないというのが実情でした。現に六本木ではサーファー系などというファッションが主流になっていましたし、後輩DJにはボードまで買い込んで湘南に通っていた奴らもいました。そんな奴らと同等に、自分もボードを担いで海に行くほどのパワーはもうありません。時代の先端を走っている遊びを知らずして、その遊びに関わるセンスをクリエイトしていくことはどだい無理な話です。(一緒になってやってりゃ良いってもんでもありませんが)少なくとも同じ体験を出来ない者が、その肌で感じる感性を体現できるわけはありません。かろうじて委員長の場合は「踊り」という普遍の遊びを引きずっていましたから、この部分だけは時代の感性になんとか追いついていましたが、その他のことで言えば、やはりもうオッサンの部類に入ってしまうのは仕方の無いことでした。更に音楽的に言っても、ミュージシャン自体が若くなっていますから従来のジャンルやカテゴリーをぶち壊し始めていました。当然ですね。ROCKというのは常に若さをエネルギーにして新しい世界を切り開いていくものですから、古い形を破壊し、再生させながら新しい感性を注入していくものです。80年代に入ってからは、まず委員長が後生大事にしていた「黒」へのこだわりが崩れ落ちていった時代でもありました。マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズ、アース・ウィンド&ファイヤー等、黒人が正攻法で白人社会への斬り込みに成功を収めていました。更に委員長の時代では考えられなかった、白人ROCKを黒人がカバーするというような現象も起こってきていました。ブラザース・ジョンソンやマイケル・ジャクソンをはじめとした若手アーティストがビートルズ・ナンバーのカバーを演ってみたり、後にランDMCがエアロスミスを取り上げたりと、ショービスの面でも新しい感性が台頭していった時代でもありました。中でも委員長の頭をいきなりぶっ飛ばしてくれたのがシュガーヒル・レーベルでした。ディスコでDJがミックスしてプレイするそのままを一枚のレコードにしてしまった衝撃は未だ委員長の頭の中に強く残っています。しかも楽曲のフレーズを何度もリピートさせたり、手でターンテーブルを逆回転させたりしたものをレコードとしてリリースしてしまったのですから、その衝撃は驚きというよりまるで悪質なジョークのようでした。これは御法度というか、委員長たちの世代では考えも付かない発想でした。というより、マナー違反というか、掟破りという感覚が強かったですね。委員長が育った時代では、レコードというもの自体が高価な贅沢品でしたし、ましてターンテーブルやレコード針などというのは大変大事な扱いをされていました。DJの手ほどきを受ける時も、まずは機材の扱い方から始まり、レコード盤の溝の手入れや針の管理には口うるさく注意されて育ってきました。そんな古い概念をたった一枚のレコードがぶち壊したのです。レコードを手で逆回転させてフレーズをリピートさせるなんて行為は、コンソールの設計者や職人が見たらきっと青筋立てて怒りまくるでしょうね。まさかそれが後にスクラッチなどというDJの技術にまでに進化して行くことを、当時の誰もが予想さえできませんでした。時代の感性にズレが出始めた典型的な例です。
2005年11月12日
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赤坂の夜は更けて、ということでTBS前のシンデレラに入ったのは10時を過ぎた頃だったでしょうか。店に入った途端にダンスフロアー正面のDJブースにいるリトが委員長に気が付いて手を振ってくれました。リトと会うのも久しぶりだったので、委員長の今までの空虚な気持ちは多少なりとも慰められました。そして案内されたテーブルに着いた委員長は、またまた驚愕の事態に遭遇したのでした。そのテーブルの隣に座っていたのは○江という娘で、彼女とは79年のひと夏だけのお付き合いをした委員長には少々心の痛む思い出を持つ彼女だったのです。(テキトー野郎の女遊びのツケが回ってきただけだろ)彼女とはトゥモローUSAの崩壊直前に知り合い、その後ワンプラスワン、新宿クレージーホースと委員長の後を追って来てくれて、自然にお付き合いが始まったというような感じでした。委員長はちょうどその頃C子から亀屋マンションへの出入り差し止めを食っていた時期でもあったので、彼女とは湘南へ泳ぎに行ったり、映画を見たり、ゲームをしたりとそれなりのお付き合いで楽しんだ仲でした。同時にこの頃クレージーホースでカミさんとも出会っていたのですが、精神的にも不安定だった委員長はこんな浮かれた気分が救いにもなっていたのだと思います。(単なるスケベ野郎ってだけだろ)ちなみに千葉県銚子市出身のカミさんはこの当時19歳の上京娘短大生でした。(って関係ないか)ただ、委員長はこの時カミさんとは特別な関係にはならなかったんですけどね。年が5つも違っていたし、やっぱり子供に見えたんですね。(誰も聞いちゃいないよそんなこたぁ)確かに女遊びは水商売にはつきものですから、今更懺悔するつもりも無いのですが、この○江との付き合いだけは単なる遊びと片付けられないところがありました。それはちょっとした因縁めいたもので、彼女が幼い頃住んでいた所が委員長の育った世田谷は梅が丘の貧乏長屋と目と鼻の先だったこと、そこで彼女は父親を亡くし一家で同じ世田谷の小田急線沿線の喜多見に移り住んだこと、彼女の兄が委員長の高校の後輩にあたること等など、すべて委員長の故郷である東京世田谷と小田急線に纏わる縁で結ばれていたのでした。ちょっと暗めの娘でしたが、彼女との想い出は言葉にすると陳腐な話になるのでしませんが、結局は彼女を選ばなかったということだけが事実として残り、それは傍から見ればやはりDJのロニーが遊んだ女ということになるのかもしれません。というような経緯がある彼女と、まさかこんなところで出会うとは思ってもいませんでした。しかもその場には○江よりも更に古い因縁のミキがいるのです。まるで今まで委員長のしてきたことがそのまま返ってきたような状況でした。○江は相変わらず暗い眼差しを向けて委員長に近況を尋ねてきましたが、彼女と別れてから今に至るまでのことを一口では説明できません。そんな彼女の目を意識して見栄を張る委員長は、おどけて見せたりしてあくまでもカッコマンを貫こうとします。自分の勝手で振ったくせにまだ彼女の視線を気にしています。まだオレに関心があるのかなぁなんて思ったりして、男って本当に馬鹿ですよね。(おまえが馬鹿なだけだろ)そんな○江と委員長のやり取りを見ていてミキが隣で異常な情念の炎を燃え上がらせます。同席している大学生の坊やもここまで来るとさすがに萎縮してしまって、さっさとダンスフロアに踊りに出て行ってしまいました。昔の女に挟まれた委員長、しかも両者とも因縁の深い過去があります。そんな緊張に包まれた委員長のテーブルにリトがやってきて救いの手を差し伸べてくれました。不思議なもので、このリトも二人の女性とはちゃんと縁があるんですね。ミキはもちろん新宿ビバヤング時代、○江はトゥモローUSA時代、時代のズレこそありますが二人とも妙な繋がりで委員長ともしっかり繋がっています。奇妙な再会を果たした4人でした。リトは委員長に○江が赤坂シンデレラに来るようになったのは、委員長との別れが原因だったことを簡単に説明してくれて、何故か後手で彼の部屋のキーを委員長に手渡そうとしました。「ヒサシブリニアッタンダカラ、○江ちゃんトイッショニカエレバイインジャナイ」「えっ?」「オレワサァ、キョウハカノジョノウチへイクカラ、ヘヤツカッテモイイヨ」何でこうなるんだろうって感じでした。それでなくてもミキとの再会を後悔していた委員長はとてもそんな気になるはずも無く、更にリトまでもが○江との関係をそんな風に思っていたのかと思うと、今更ながらに自分が情けなくなりました。もちろんリトは六本木マジックでの経緯や、エスメラルダとの関わりなども知っていて、委員中を慰めるつもりで言ってくれていることはよくわかっていました。「エスメラルダヲヤメルンジャナクテ、ロニーガエスメラルダヲクビニシチャウンダヨ」さすがに古い付き合いのリトは委員長の心情をもしっかりと理解してくれていました。リト自身も赤坂シンデレラ入店を契機にエスメラルダを辞め、いずれは昼間のきちんとした仕事に就くことを宣言していたので、お互いの時代が終わったことを暗に比喩したジョークでもあったのです。(でも笑えなかったですね)ここでスタンリー・クラークのA FOOL AGAINがかかり、○江は席を立ってフロアに踊りに出て行きました。リトいわく赤坂シンデレラの常連用定番ロングヒットだそうです。(う~ん、委員長にとってはまさしくフール・アゲインです)そんなリトと委員長の怪しいやり取りを感じ取ったミキは、委員長に擦り寄ってきて耳元で囁きました。「実はさ、あたしさぁ、子宮取っちゃったんだよね・・・・」な、なんだよ~、藪から棒にって感じでした。よりによって何もこんなところで告白するこたぁないだろうって。どういう意味なんだよそりゃって感じでした。委員長の頭の上にはどんよりとした暗雲が立ち込めている感じでした。「オレさ、今日は疲れちゃったからそろそろ帰るわ」今日起こったこと全てがこんなはずじゃなかったって感じでした。精神的な救いと云うか、安らぎみたいなものを求めて遊びに来たのですが、回りはどうもそんな委員長を許してくれそうもありませんでした。(っていうか全部自分で捲いた種だろ)「このままここでサヨナラ?」ミキが肩にしな垂れてきます。さすがに何も感じませんでしたが、黙ったままの委員長の耳元でミキが勝手に囁きます。「じゃあさ、先に出てどこかで待っててよ。お願い」「で、どうすんだよ?」(ほらまた墓穴掘ってるぞ)「アイツとは今日でお終いにしたいから、もうちょっと付き合ってよ」「じゃ、そこでピザでも食ってるよ」結局は寂しい男の情けなさで、このまま帰ったところで暗くて虚しい亀屋マンションが待っているだけかと思うと、またもや懲りずに自分で悪因を作ってしまう委員長でした。そして神様は明快な答えを委員長に示してくれたのです。赤坂シンデレラを出て道路の向かい側、ケンタッキーフライドチキンの地下にあった「ピザハット」に入った委員長はピザを注文し、さほど食欲のない胃袋に侘しくピザのスライスを詰め込んでいました。とそこへ現れたのはなんと、ミキのボーイフレンドの学生坊やでした。慌てふためいた様子の彼は委員長を見つけるとツカツカと近づいて来ました。「ミキ、来ませんでした?」「さあ、来てないけど」彼は委員長を疑うようにあたりを見回します。「彼女が先に帰るって言うんで別れたんですけど、お店のロッカーのキーを持ってっちゃったんですよ」「ここには来てないよ」相変わらずのミキの愚行には呆れかえりましたが、委員長にはどうでも良いことだったし、この坊やと委員長は何の関係もありませんから、それ以上の会話は成り立ちませんでした。さてミキ嬢は一体何処へ行ったのでしょう?赤坂見附駅近くにはシェーキーズ・ピザがあったのです。
2005年11月11日
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ロニー六本木で大暴れ。案の定、噂は瞬く間にエスメラルダ内部に広まり、尾ひれの付いた武勇伝となって若手DJの間でもてはやされていました。結局は普段から憎まれていたヒロシが原因を作ったことになってしまい、ロニーが犠牲になって暴れるハメになってしまったというようなストーリーがまことしやかに語られていました。委員長としても今更そんな噂話に出張っていって、本当はこうだったとか、ヒロシがどうの委員長がどうのとか話す気にもならず、どうせ噂なんていい加減なものだからそのうちに飽きてくるだろうと思っていました。正直なところ手は出さなくて良かったと思っていました。もしあそこで本当に乱闘になっていたとしたら、菊○店長や、エスメラルダのメンバー達にも余計な面倒をかけさせていただろうし、やはり暴力沙汰は評判の良いものではありません。昇ちゃんには正直に全てをあるがままに話しましたが、彼も顔に似合わず短気なところがありましたから、「こうなったら金○グループが東京で仕事できないようにしてやる」などと委員長の気持ちを察してくれたようでした。「俺達が今までやってきたことの裏返しだから、金ちゃんだけが悪いわけじゃないよ」素直に思ったとおりのことを昇ちゃんに伝えた委員長ですが、その金ちゃんにしてもいずれは渋○みたいな陰険なヤツの罠にはまっていくであろうことは目に見えていました。それにしたところで店が永久に続いていっての話ですから、いつかは皆世間に放り出される運命に変わりはなく、うまく世渡りしているつもりでいても所詮は時代の職業でしかありません。そんな風に考えるようになった自分にも驚きましたが、ディスコというものへの執着がこれほど薄れてしまっている自分にも気が付きました。これから先何をすれば良いのか、どこに行けば良いのか、先の見えない委員長はこの時、ただ生活のために目先にあるディスコのDJを続けているだけの自分をようやく冷静に知ることになったのでした。マジックを辞めてしばらくは何も手に付かずただぼんやりとした数日を過ごしました。そして革ジャンのポケットから出てきた一枚の紙切れ、そこに書かれた電話番号が委員長を更なる空虚な世界へと誘ったのでした。受話器の向こうは懐かしい隠微な声がはしゃいでいました。「ずっと待ってたんだぜ。でも嬉しい」「会おうか?」「今さぁ、私、渋谷で遊んでんだよね」昔のままのミキを演じるミキ。落ちこんだ日々が続く委員長の心は情けないほどに誰かの慰めを期待していました。とことんドロップアウトして修羅場を見てきた彼女なら、ひょっとして今の自分のこの気持ちを解ってくれるのではないかという、自分勝手な思い込みから彼女に電話した委員長でした。渋谷のセンター街にある喫茶店マイアミで待ち合わせた委員長は、ご丁寧にも昔の思い出の曲、ダウンタウンブギウギバンドをウォークマンで聞きながら彼女を待ちました。そしてそこに現れたミキは年齢とかけ離れたティーンエージャーのファッションに身を包み、まるで少女のような素振りで委員長に語りかけてきたのです。まるで年齢を逆行していくかのように振舞う彼女は、委員長が偶然六本木で再会した時に抱いた印象と同じく、過去の暗い思い出と共にどんよりとしたムードが漂っていました。「○○ちゃん、久しぶりね」何年かぶりで間近に見る彼女の笑顔は、その人生と年齢を如実に映し出していました。たぶん彼女の目に映った委員長もそれなりの顔をしているのだろうなと思い、やはり時代を遡ることもやり直すこともできない虚しさがつのりました。更に今自分の目の前にいるこの女は昔のままの少女を懸命に演じてはいますが、その姿には哀れみさえ感じてしまいました。そしてこの匂いは昔どこかで確かに触れたことのある感触でした。そんな空虚な気持ちで半ば無気力な委員長は、ミキに誘われるまま渋谷のキャンディ・キャンディというディスコに行きました。そこには六本木で彼女と一緒だった大学生の彼氏が来ていて、ここであらためてミキは委員長を彼に紹介したのです。何年も前の彼女との出来事が鮮明に蘇り、この時初めてこのミキという女が少し理解できたような気がしました。たぶん彼女は、こんな男と女の駆け引きの世界にしか自分の「生」を感じることができないのでしょう。たとえ他人がどう思おうと、誰が傷つこうと、そのゲームの中にしか自分を見出すことができないのではないかと思えたのでした。たぶん彼女にとっての現実とはこのゲームの中でしかなく、それ以外の全ては陽炎のようなもので、昨日も無ければ明日もなく、今ここで繰り広げられようとしている男と女のマインド・ゲーム以外のところに存在する彼女自身も単なる抜け殻なのでしょう。皮肉なもので、今ようやく彼女のことを理解できた委員長は既にゲームオーバーしたギャラリーにしか過ぎず、今更リセットしてプレーヤーを演じる情熱も感性も失っていました。そしてこの時、委員長が感じていた彼女の発散する独特の匂いが、委員長の遠い記憶からひとつの感触を蘇らせました。それは委員長がその昔、新宿のQ&Bというディスコで出会ったアリスという年増のヨーパンと関わった時の手触りと同質のものであったことに気が付いたのでした。自分の存在、自分の生をまっとうできる唯一の瞬間がそこにしかなく、心が生きていることを実感できるたったひとつの場所をこの男と女の情念の世界に見出したとも言える彼女たちは、その充実した時間を自分の思いのまま費やすということにおいては、ただ凡庸と毎日の生活に流されている委員長たちよりはよっぽど幸せなのかもしれません。どうやら学生風の彼氏は年上のミキのゲームの中にズッポリと沈み込んでいる様子で、その姿は数年前にミキの作り出した舞台で踊らされていた委員長そのものでした。二人の男の間に挟まれて嬉しそうに少女を演じるミキの大きな瞳は、その昔委員長が彼女と揉めるたびに味わった、まるで人の心の奥底を覗きこむような醒めた冷たい視線を送り込んできます。「酒、飲まないんですか?」精一杯背伸びをして委員長に対抗してくる青年はグラスのウィスキーを呷ります。「ボクは酒飲みなんですが、人間、先に酔っ払った方が勝ちだと思ってますから」ミキがじろりと委員長の顔を覗き込みます。「どお?こんな感じなんだけど、可愛いでしょ?」彼女が委員長に何を言わせたいのか、そして彼女は何を演じたいのか、そんな考えが浮かぶ委員長の返答は無言でしかありません。そんなところへこの店のDJの○場君が委員長に挨拶にやってきました。そう、ここもエスメラルダのハコ、そして彼もエスメラルダの社員です。彼はこのつい最近までヒロシとギャラのことで揉めていたので、気になった委員長は彼に率直な客観的アドバイスを二言三言しました。この頃のエスメラルダのソロバンは完全にヒロシが仕切っており、金を稼ぐことに異常なまでに執着していたヤツらしい強引なやり方がしばしばDJ達との衝突を起こしていました。ただ、それも云ってみれば社長の昇ちゃんや委員長のスケープゴートになっていたわけで、悪役を一手に引き受けたヒロシはエスメラルダの番頭とも言えるべき存在でもありました。それでも委員長は自分の経験も含め、この先この業界でメシを食っていくのなら自分というものをしっかり持って、小さなことでも有耶無耶にせずはっきりとモノを言っていかねばならないなどというようなことを説教したりしました。そんな偉そうなことを云える立場ではなかった委員長ですが、自分がだらしなかった分だけ反対に、後輩にはしっかりと進んで欲しかったという気持ちからでした。そんな委員長の自己満足的なお世話なノーガキがひと通り終わったところで、ミキが委員長をチークダンスに誘ってきました。彼女の小さな肩を抱いた時、自分にはもうこのゲームに参加する意思がまったく無いことをはっきり悟った委員長でした。「ねぇ、今夜これからどうするの」もう昔のようにはお互い遊べないんだよ。言葉にはできませんが彼女と会ったことを悔やむ委員長でした。「さっきの○○ちゃん、カッコ良かったよ」そう言われても心はどんどん醒めていくばかりの委員長。と、ここで「I LOVE TOKYO」がかかりました。出来すぎだろ、いくらなんでもそれはって思われるかもしれませんが、正真正銘の実話です。(神様からの危険信号その1だったのかなぁ)「I LOVE TOKYO~」思わず口ずさんでしまった委員長。ミキが体をグッと押し付けてきました。「歌ってよ、もっと」(完全に入ってますね)「お願い、歌ってよ」ごめん、もうオレはプレーヤーじゃないんだ。まったくの期待はずれの再会でしたが、自分から会おうと誘った手前このまま一人で帰るわけにも行かず、仕方なく委員長はもう一軒だけ付き合うことにしてミキと彼氏を赤坂のシンデレラに連れて行くことにしました。赤坂シンデレラには同じ釜の飯を食った仲のリトがいます。リトもすでにエスメラルダからは外れて独自の人生を歩き出していました。そんな旧友に会えばまた慰めにもなるだろうという気軽な気持ちから、委員長は二人を伴って赤坂TBS前のシンデレラへ入って行ったのです。
2005年11月10日
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1981年2月、六本木「マジック」で遂に衝突してしまった委員長とK副店長は、まるで決められていたシナリオ通りのハプニング・ショーを演じているようでした。委員長自身もこうなることを期待していたようなところがあったのかもしれません。もちろんK氏にしても理由なんて何でも良かったわけで、お互い爆発させるきっかけを待っていたという感じでした。(待ってましたってとこですか)K氏とDJブースの中で口論となった委員長は、K氏が促すまま後についてフロント横の非常口から外に出ました。非常口裏のやや広めのスペースはまだ工事終了後の清掃が完了しておらず、ブロックやら鉄パイプやらが散乱していました。「こんなとこに連れ込んでどうしようってんだ?えっ?」だてに不良をやってきた委員長ではありませんから、喧嘩になっても勝てそうなヤツとしか揉めないという鉄則は守っています。(勝てそうも無い相手だったらハナから口答えなんかしてませんね)はっきり言ってこのK氏ってのは、まさに「お水かぶれ」って感じの若造で、年も委員長と対して変わらなかったし、正月は紋付袴で出勤して来て悦に入っているようなお祭り野郎でしたから、仮に力ずくになっても絶対に勝つ自信があったので余裕の委員長でした。「誰の許可を得て入ってきてるんだ?」(おいおい今更くだらねーこと言うなよ)ヒロシが委員長の後ろでオロオロしてます。「そんなこと言うためにこんなところに連れて来たのかよ」喧嘩っていうのは勢いのあるうちに始めてしまえば、喧嘩を売った方が幾らか有利に働くのですが、こういうふうに間を空けてしまうと売られた側に臨戦体制を調える猶予を与えてしまいますから、どうしても相手を呑み込んだ方に勝機が傾いてしまいます。「いくら菊○店長が許可したからってお前らの好き勝手にはさせんぞ」「ごちゃごちゃ言ってネェで早く始めようぜ、そのつもりでこんなとこまで引っ張り込んだんだろ」そう言って委員長がにじり寄ると、向こう意気だけでここまで来てしまったもののまさか委員長が本気で向かってくるとは思っていませんでしたから、意外な展開に顔面蒼白で目が怖気づいています。もうこなったらこっちのペースで、さあてどう料理してやろうかなってなもんです。チョーパン入れたら一発で決まるだろうけど、鼻でも折ったら後々面倒だし、鼻血で返り血なんてのも汚いしなぁ、それとも先に蹴りでもぶち込んでから二、三発ぶん殴ったろかい、などと余裕の計算をする委員長。こういうときはアドレナリンが体内に充満していますから、意識は意外なほど冷静で驚くほど瞬時に計算が働きます。「なんだっ!手ぇ出すんなら出してみろっ!」(ってお前はここでお喋りでもするつもりだったんかい)もう面倒臭いからやっぱりチョーパン一発で決めちゃおうと思って間を詰めたところで、菊○店長、H副店長がダーッと飛び込んできてレフリーストップです。(どっちにしろ間に合って良かったね)「一体これはどういうことなんだ?」菊○店長が委員長とK氏の双方に向かって声を張り上げました。(今更間の抜けたこと聞くなよおっさんって感じですね)「店長、すみません、どうもこいつとは上手くやって行けそうもないので辞めさせてもらいます」(短い間でしたがお世話になりました)委員長は菊○店長に軽く頭を下げてヒロシに出るよう促しました。更にK氏に向けてカッコ良く捨て台詞を決めて店を出る委員長でした。「しばらくは一人で出歩かない方が良いぜ。さらわれちゃうかもしんねぇからな」「おう、いつでも来い」(もちょっとマシなことが言えないのかねこの人は)こういう啖呵は先に切った方が勝ちで、売り言葉、買い言葉でも後から言えば負け惜しみにしか聞こえません。ヒロシは興奮冷めやらず非常に憤慨しておりました。「このままじゃ収まんないすよね。何なんですか、あの野郎は」「オレやお前が今までやってきたことそのまんま、やり返されただけのことさ」正直言ってこの時の委員長は驚くほど冷静で醒めていました。結局は自分たちがやってきたことのツケが回ってきただけのこと。そう素直に思えたのも、この一年というもの自堕落な生活をしつつも、常に自問自答を繰り返して来た答えだったからかも知れません。「そこでお茶でも飲んでいくか」ヒロシを誘ってマジックの目と鼻の先にある喫茶店に入りました。そこはマジックの従業員たちが頻繁に利用する店でもあったのですが、敢えて委員長はここでお茶を飲むことにしたのでした。何故かと云うと、もし仮にK氏がメンツを気にするようなヤツであれば、従業員が取り囲む中、委員長にあんな捨て台詞をかまされてその場に甘んじているわけは無いはずで、すぐに追いかけてきて決着をつけたがるだろうし、周りの従業員の手前そのまま店に残るようなことはせず、「あの野郎生かしちゃおかねぇ」くらいの恰好だけでもつけてくるだろうと思ったからでした。もし自分だったらそのくらいのハッタリをかますだろうし、そんなハッタリもかませない野郎では所詮水商売で生き残っていくのは難しいでしょう。ということで、もしヤツが追っかけてきた場合、こんなとこで余裕かまして茶を飲んでいる委員長を見たら更に動揺してビビるだろうことも計算ずくのことでした。まあ、よしんば本気でやりあうことになったとしても、言ったようにこいつには絶対負けない自信がありましたからその時はその時で出たトコ勝負ってなもんでした。(素人の喧嘩はこういうハッタリと駆け引きで八割方勝負が付いてしまうんですね)できるだけ表通りからガラス越しに目立つテーブルに着いた委員長は落ち着いてコーヒーなどを飲んでいましたが、ヒロシは相変わらずひどく動揺していて「こんなとこでお茶なんか飲んでて良いんですか」と落ち着きません。「まあ、心配すんな。どうせチンケな野郎だからそのうちきっちりケジメ取ってやるから」とさらにハッタリの演技でコーヒーをずずずっと啜る委員長。「ボク、ちょっとジュリーさんに報告してきますよ」「ああ、やっちゃったもんはしょうがないから、よく謝っといてくれよ」小一時間ほどここでヒロシとお茶を飲んでいましたが、結局委員長の思ったとおり何事も無くこの事件は終了しました。真冬の六本木、自分が犯した今までの罪の償いを受けるかのごとく顔を刺し貫く凍った風を、委員長は真正面から受け止めるようにして歩いていました。その日はまっすぐ高円寺亀屋マンションに戻り、ゆっくりと湯に浸かってこの1年間を振り返りました。トゥモローUSAが人手に渡ってからというもの、心の整理もきちんとできぬまま成り行きで流され続けてきた自分、この先何をすれば良いのか、何がしたいのか、明日の見えないつらい日々は一体いつまで続くのだろうと、相変わらず他人事のように他力本願な委員長でしかありません。未だに漠然とした「夢」のような何かに期待しているだけで、自分の意思で何かを起こそうと云った気力もなく、ある日突然目の前に素晴らしい世界が現れてくることだけを夢見て、またしても時代に流されていく委員長でありました。
2005年11月09日
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1980年大晦日、委員長は六本木「マジック」で憂鬱な年明けを迎えることになりました。当時のディスコでも格別目新しい装置ではありませんでしたが、マジックのDJブースにはドライアイス噴射機が備え付けられていました。二階から配管を下ってダンスフロアに吐き出される白い煙が、フロアの四方から照射される照明の光に当たって足元が七色に染まるというような趣向でした。オープン当初は装置の調子が悪かったり、ドライアイスの手配が遅れたりと、練習以外に中々日の目を見なかったたこの企画でしたが、大晦日の年越しに初めての大イベントとして決行されることとなりました。DJはドライアイスの重たい包みを肩に担いでハシゴを昇り、更に軍手をはめてカナヅチとノミでガッチンコガッチンコと砕いて細かくします。(裏方さんの地味~ぃな仕事ですね)噴射機装置のスイッチを入れてから、石炭ストーブのようなハッチを開き、砕いたドライアイスを一気に放り込んでハッチを閉めます。ドライアイスが解け始める数秒を置いてバルブを全開にすると、階下のフロア、床の四方からサーッと白い煙が流れ出ます。踊り客は一斉におおーっと声を上げて喜びますが、あまりにも勢い良く噴出するドライアイスの煙に息が詰まってしまい、一人二人とフロアから散り始め、終いには誰もいないダンスフロアを白煙と七色の照明だけが主役の座を務めています。(煙幕だよそれじゃ)DJブースの内線フォンが鳴り、受話器の向こう側でヒステリックなK氏の声がします。「もう止めて、止めて、客が踊れなくなっちゃったじゃないか!」止めろっと言われても、こればっかりは噴出し終わるまでは誰にも止めることはできません。一応バルブは閉めてみたものの、排出管の中に充満する白煙は吐き出す以外にこれを止める手立てはありません。K氏が血相を変えてブースに上がってきますが、そこに立ち尽くす委員長、金ちゃん、平井の小僧の三人はなす術も無く、装置の前で黙っているだけでした。「もう少し量を加減してやってよ」現場を見て納得したK氏は金ちゃんにそう言いましたが、さすがに金ちゃんもこれには不服そうで、「テストの時と同じ量だし、すべて言われたとおりにやったまでですよ」と抗議すると、K氏は渋々引き下がって「もう一度業者呼んで文句言わなきゃならんな」とブースを去って行ったのでした。しかし、このマジックという店は日拓の社長の趣味というかアイディアで、色々な趣向が散りばめてありました。当時ではまだ出始めだったビデオデッキとプロジェクターがあり、ドリンクカウンターの横でスティーヴィー・ワンダーのVIDEOを流したりしていました。当時は音楽ソフトもあまりありませんでしたから、委員長たちはほぼ毎日スティーヴィーばかり見させられていました。あとはペリー・コモのクリスマスとかね(笑)そして料理は同ビルの売り物でもあった「オウホウ」という中華レストランからのメニューが使われていました。台湾料理ですが、北京ダックとかを出していましたから、ちょっと変わった趣向ではありました。この後、寿司バーとかベトナム料理とかもディスコに合流してくるのですが、当時としては結構画期的だったのではないでしょうか。さて、年は明けて1981年、この年の出来事をざっと振り返って見ましょう。年明けの1月、アメリカ合衆国第四十代大統領にレーガン氏が就任しました。歌謡曲では寺尾聡の「ルビーの指輪」が大ヒット。そしてあのビッグアイドル・ピンクレディーが遂に解散しました。書籍では黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」がベストセラー、そしてあの田中康夫ちゃんの「なんクリ」、なんとなくクリスタルがブレイクした年です。テレビアニメ「DR.スランプ・アラレちゃん」放映開始。映画ではあの問題作「エレファントマン」が公開されました。暗い映画の割には相当な話題になりましたね。「なめ猫」ブームもこの年です。パリでは日本人留学生がオランダ人女子学生を殺害してその肉を食べると云うショッキングな事件が起こりました。(サガワ君ですね)そして、何と言っても1981年のビッグニュースはイギリスのロイヤルウェディング、チャールズ王子とダイアナ妃の結婚でしょう。その結婚式が行われた7月にはなんと日本最大のシンジケート山口組の田岡組長が死去され、警察は厳戒態勢をとりました。翌8月には台湾で航空機が墜落、作家の向田邦子さんがお亡くなりになりました。驚きの犯罪としては、三和銀行女子行員がオンラインを利用して一億三千万円詐取、デジタル犯罪の先駆けでした。しかしこんだけ貢がれた男も意外とフツーの男でしたから、世の中はフツーの奴らが犯す犯罪ほど危ないものはないという戒めだったような気がします。(そうかなぁ?)このあと偽造カードによる詐取も頻発しました。デジタル犯罪はこの頃からすでに始まっていたのですね。日本電気と新日本電気が国産初の10万円台のパソコンPC-6000を発表。今でこそPCと言えばパソコンの略ですが、当時はPCというとNECコンピューターの代名詞のような感じでした。「ハチの一刺し」榎本美恵子女史の証言「ハチは一度刺したら死ぬ」の名セリフが流行りました。そして写真週刊誌「フォーカス」創刊、この後過激なスクープ合戦へと転じて行きます。「ロス疑惑」は11月18日、三浦和義氏の妻一美さんがロサンゼルスで銃撃強盗に遭ったところから始まりました。いやいや、こうしてみると81年はアナログからデジタルへ移り変わっていく過度期だったような気がします。委員長のようなアナログ人間が壊れ始めていった時代ではなかったのではないでしょうか。そんな時代の節目に、エスメラルダの六本木進出という重い任務を背負い単身「マジック」に乗り込んだ委員長にもいよいよクライマックスが近づいていました。ニューオープンと年末年始の熱狂も収まり、水商売では「二八(ニッパチ)」と呼ばれ客の入りが落ち込む二月と八月、ディスコ・マジックにその初めての二月が訪れ、客足の伸び悩みに管理職は次第に苛立ち始めていました。いくら新装開店といってもその勢いだけでは乗り切れるはずがありません。所詮カッコばっかりつけていたところで、キャリアがないから何をどうして良いか分からなくなっちゃうんですよね。それで皆でチラシ持ってアマンドの前で配ったりして、結局はそんなトコが落ちですね。菊○店長をさんざっぱらバカにしていたK氏も、客足が著しく落ちてくれば企画部長からも小言を言われるようになり、結局はDJにも八つ当たりのお鉢が回ってきます。もちろんその矢面に立たされるのは委員長です。(なんつっても代理戦争ですからね)しかも、年明けと同時に菊○店長の元へヒロシが頻繁に顔を出すようになり、金ちゃん達はエスメラルダの脅威を感じつつ、更にK氏を挑発することにもなっていったのでした。そんなある日のこと、ちょうど委員長がサラを回している最中にヒロシがやってきてDJブースに上がってきたのです。その時のDJパートナーは金ちゃんでした。ヒロシがブースに入ってから、ものの5分もしないうちにK氏から内線が入ります。「今回しているのは誰だ?」金ちゃんが応答します。「ロニーさんです」委員長はすぐにピンと来ました。未だ不慣れなコンソールでのつなぎに粗が目立っていたのです。ここのDJのつなぎは全員一致でニックに追随するかぶせ専門でしたから、ブッチギリを得意とする委員長には少々肌が合いませんでした。かといって他の奴らのテクが委員長よりずば抜けて優れているというわけでもなかったのですが、何分代理戦争の真っ只中ですから委員長が標的となるのは当然でした。しかも今日はその急先鋒であるヒロシが来ています。まさに火に油を注ぐような一触即発の状態でした。金ちゃんの表情が緊張しています。それを察した委員長は何とか取り繕います。「ゴメン、ちょっとマズっちゃった」そう言いつつも、K氏に対しては「おめぇみたいな百姓にガタガタ言われたかねぇんだよ」と思いつつも大人しく忍の一字で耐える委員長。再び内線が鳴ります。金ちゃんが出て、受話器を置くと委員長に「代わろう」と言いました。ここはヒロシもいることだし、金ちゃんのヘルプに頼ることにしました。と、そこへK氏が乱入してきたのでした。もうすでに喧嘩腰です。「誰だ、今回していたのは」「私です」「こんな調子じゃ困るんだよ」「はあ、これから気をつけます」K氏はヒロシに向かって恫喝します。「誰に断ってここに入ってるんだ」「一応菊○店長には断りましたけど」ヒロシも結構突っ張ります。「ここは部外者の出入りは禁止しているはずだろ」今度は委員長に対して恫喝するK氏。もう限界です。「回りくどいこと言ってねぇで、はっきり言えよ」(切れちゃったぁ~)「なんだ、その口の聞き方は?」「遠まわしにグダグダ言ってねぇで、文句があんならはっきり言えっつってんだよ」「よし、下で話そう」ヒロシが動揺してオロオロしましたが、もうここまで来てしまったら行くとこまでいくしかありません。それにしても喧嘩だっつーのに、ハシゴを蔦ってホールに下りる二人は滑稽ですね。ハシゴを降りながら自分のその姿がやたら間抜けに見えました。煙突の上で喧嘩になって、ようし下に行ってケリつけようじゃねぇか、って喧嘩する二人がよっこらしょとハシゴを降りていくみたいな感じですか。この状況理解して頂けますか?笑えますよね。とにかくK氏は異常に興奮してましたが、委員長はこんな感じでいつに無く冷静でした。いずれはこんな日が来ることを知っていたのかもしれませんね。(実は期待していたりしてね)
2005年11月08日
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1980年12月8日、全世界に衝撃的なニュースが流れました。ジョン・レノンがニューヨークの自宅ダコダハウスの前で、熱狂的なファンによって射殺されるというショッキングな事件が起こったのでした。享年40歳、不良少年から成り上がった正真正銘ホンモノのアーティストの死でした。確かこの日は霙がちの寒い日だったと記憶しています。このニュースを委員長は新宿歌舞伎町で知りました。その日は久しぶりにジュリーに会うため、新宿歌舞伎町の古巣である東宝会館を訪れていた委員長は偶然にも、ここでブラザー・ジョーと再会したのです。久しぶりに会ったジョーは寒さに震えていたせいか、少し元気がなかったように見えました。「We lost the great musician today」と話しかけるとジョーは「No, the great artist」と返してきました。今日、世界は偉大なアーティストを失った、そう言い直したジョーは悲しそうな目で空を見上げました。更に、「アメリカジン、バカ、ワルイ、ホントニ」カタコトの日本語を交え、米国の銃社会の危険性を繰り返し委員長に説明しました。そんな話をしているところにジュリーが現れ、久しぶりにジョーを交え旧同僚三人でお茶を飲むことになりました。そこで、ジョーが自分のバンドのデモをジュリーに届けに来たことを知りました。トゥモローUSA崩壊後、ジョーは日本人ミュージシャン数名を引き連れてLAへ渡りオリジナルバンドのデモ録りをしてきたそうで、ジョーはジュリーと委員長に身振り手振りも加えた相変わらずのオーバーアクションで一生懸命自分達のバンドの売り込みを始めたのでした。しかし、一方的に散々喋った後はコーヒーを啜ってさっさと立ち去るジョーは、やっぱり典型的なアメリカ人でしたね。「どんなバンドなの?」ひょっとしたら自分も入っていたかもしれないジョーのバンドに委員長は大変興味がありました。「さあ、オレもよく知らないんだ」意外と素っ気無いジュリー。「ところでロニー、六本木はどうなの」彼の関心は六本木マジックの方が強いようでした。「それがさ、ちょっとやり難いんだよね。例の金ちゃんがさ、やっぱエスメラルダのこと根に持ってるみたいだし」「金ちゃんて、金○のこと?」「ああ、ここ(東宝会館4階ですね)のハコ取られてるだろ」「じゃあこれ以上DJは増やせないかな」「金ちゃんにはKっていう副店長が付いてて、これが菊○店長とコトあるごとにヤリ合っちゃってさあ、ひょっとすると一戦交えることになるかも知れないよ」「ふーん、結構捩れてんだな」この時こんな会話が二人の間で交わされたのですが、さすがに不良育ちの委員長の勘の良さは見事先行きを見越していたようでした。委員長が予感したトラブルの前兆は、実はマジックのオープン前からあったのです。最終工事、仕上げの段階で数回のミーティングが現場で行われたことがあったのですが、この時委員長の靴が誰かに盗まれたり、同席していた菊○店長の上着にペンキが塗られたりと非常に陰険な悪さを幾度か味わいました。水戸から帰ってきたばかりの委員長は気分的な余裕もあったので、これも今までエスメラルダがやってきたツケが委員長のところに回って来たのだろうと戒めるようにして、誰に文句を言うでもなく自分の中で推し留めていました。不良の勘というヤツは往々にして的を得ていることが多く、委員長の読みでは渋○というおっさんが金○君を利用して絵図を描いていると睨んでいました。この話の取っ掛かりは金○君がK氏との筋で繋がったものですから、ハコに取り入るにはまず金○君にくっつかなければなりません。さらに自分を売り込むには六本木で顔のあるところを見せる必要があり、ここでニックを引っ張ったというようなところでしょう。いずれは自分がハコ取りして金○君も追い出す、といったところが彼の描いた絵図ではないかと閃いた委員長でした。同じようなことをしてきた人間だからこそ、別段この渋○のおっさんの浅知恵にさほど腹は立ちませんでしたが、ただ陰険なやり口がどうも委員長の性格には堪えました。根がストレートですから、ゴチャゴチャやってネェで直球で勝負しろよ、みたいなね。まあ、それでも一応委員長はエスメラルダの幹部ですから、耐えるトコは耐え忍び、六本木進出作戦の斬り込み隊長としての責任は果たそうと頑張ったわけです。ただ、だてに業界で長生きしていたわけじゃありませんから、ロニー六本木に動くのニュースが新宿の遊び人連中に知れ渡ると同時に、皆が大挙しておしかけてきたものですから菊○店長やK氏もこれには多少驚いたようでした。不良の兄貴の委員長ですから、昔からの取り巻きや後輩、新宿時代にご縁のあったおねーちゃんたちが次々やって来てはフロントで委員長を呼び出します。これは正直言って結構嬉しかったですね。時には人知れずやってきて、レミーの置かれたボックステーブルに呼び出してくれたりする方々もいて、菊○店長の手前多少は恰好が付きました。(この方々にも後々結局は義理を返さなきゃならないことになるんですけどね)しかし、この中にとんでもない珍客が現れたのには腰を抜かすほど驚きました。いつものように店に入るために階段を降りていくと、フロントに妙に派手な恰好をしたカップルがおりました。男の方は学生っぽい感じのサーファー、小柄な女は白のフリルドレスなんぞを着込んだ妙な取り合わせのアベックでした。どうも彼氏の財布にお金が入ってないのか、彼女が財布を出して言い合っているようでした。なんだ、しょうがねぇなぁ、あんな小娘の尻に敷かれやがってこのあんちゃんは、ってな感じでほいほいっと横をすり抜けようとした委員長、はてさてこの小娘はどんな顔してるんだかいっぺん拝んでやろうと振り向いた途端、一気に血の気が引きました。なんとそこに立っている少女もどきは、あの恐怖のミキ嬢ではありませんか。目と目が合った委員長、まさに絶句です。もちろんミキだってびっくりして立ち尽くしています。「あら、○○ちゃん」ミキは委員長の名前を呼びました。「知り合いですか?」フロントのスタッフが委員長に尋ねました。「うん、まあ、知り合いっつーか。取りあえず入れてやってくれる」そう言って店内に案内した委員長でしたが、頭は真っ白、ヤバイって気持ちと懐かしいって気持ちが複雑に入り混じって緊張感で言葉が出てきません。「○○ちゃん、こんなところで会えるなんて驚いちゃった」「そうだな」連れの彼氏もこの成り行きに戸惑っている様子でした。「こんなところで働いていたんだぁ」「ああ、まだオープンしたばかりだけどね」突然ミキが擦り寄って耳元でさ囁きました。「ねぇ、後で会えない。こっち(彼氏のことですね)は捲いちゃうからさぁ」(おいおい、お前昔となんも変わっとらんやないけ)「えっ?」「だって久しぶりに会えたんだもん、○○ちゃんがどう変わったかも知りたいし」おー、デンジャラス。危ない危ない。「まだ仕事始めたばっかりだから何時に終わるかわかんねぇから・・」そう委員長が答えると、ミキは小さなメモに電話番号を書いて委員長の手に握らせました。「じゃ、明日電話して。お願い。約束だよ」「あ、ああ」数年ぶりに再会したミキ嬢ですが、何の感情も湧いてきませんでした。逆に、なんでこんな時期に自分の目の前に現れたのか、その方が不思議と言うか疑問に思った委員長でした。
2005年11月07日
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1980年の暮れにディスコ「マジック」はオープンしました。「マジック」は当時の六本木を代表するスクエアビルの近くで、ステーキ瀬里奈の裏手にあたる日拓ビルの地下2階にありました。普通、地下というと天井が低くせせこましい感じがするのですが、この店は通常の2階分のスペースが充当されており、天井が非常に高くとってあって全体に奥行きのある造りでした。ダンスフロアーはさほど広くはありませんでしたが、天井が高く感じられる分だけ吹き抜けのようなイメージがあり、天井からは大きな筒状の照明が4本ぶら下がるような格好でフロアーが彩られておりました。特別凝った照明というほどではなく、ヤマギワ電器お薦めの最新モデル使用というような感じでした。当時のディスコシーンというと必ずこの手の専門家達が設計を任され、キャバレーだかナイトクラブだかのデザインと混同しつつ、音響には必ずJBLが配置され、職人肌の電器屋さんが勝手に設計したコンソールというのがつきものでした。今で言うオタクに近いエンジニアが最先端の機材を使いつつも、それを使う側であるDJの職人意識はほとんど無視されて設計されるのが常でした。だからいつまでたってもディスコDJという職業は陽の目をみず、サウンドミキサーの見習い程度の地位しか得られなかったのではないでしょうか。さて、「マジック」のDJブースはと云うと、ダンスフロアーと客席を仕切る壁際にかけられた梯子を昇ったところ、中二階に位置する屋根裏部屋のような中々凝った装いでした。中央にミキサーを置いて左右にターンテーブル、正面は大きな窓になっていて、そこから下のダンスフロアーを見下ろすような感じで踊り客を見ながら選曲をしてミキシングをしていくわけです。ブースのコンソールには照明用の調光卓があり、一人がミキシングをしている時はもう一人が照明をコントロールするといった感じのパートナーシップでした。ここに集められた通称サラ(皿)と呼ばれる12インチレコードやLP盤のほとんどは、目と鼻の先にある六本木ウィナーズからの調達モノで比較的新しめの皿で取り揃えられておりました。適当に買い漁った感じで、中にはまだ聴いていない未封盤もかなり含まれていました。そして問題のパートナーはというと、スクエアビルのファーマーズとかいう店から流れてきたという店名そのまんま、百姓っつう感じの渋○というおっさんと、多少なりとも因縁のある新宿ビッグトゥゲザーから来た通称金ちゃんこと金○君、更にもう一人オヤジ顔したちびガキがひとりおりました。三人とも以前リチャード三世のオーディションで一度顔を合わせた面々でしたが、若造の彼については未だに名前も思い出せないくらいどこにでもいそうな学生くずれの半端者といった感じで、無精ひげに寝不足な顔、確か平井に住んでいるとか言ってましたが、その平井がどこにあるのかも知らなかったし、とにかく毒にも薬にもならないようなにーちゃんでした。対照的に渋○のおっさんはやたら目がぎらぎらしていて、みるからにポン中というような痩せ型中背、格好は若いがどう見ても30は越えていそうなモーホーぽいヤツで、おネェ言葉っぽい喋り方には多少九州訛りのアクセントがあり、薄気味悪いと言うか陰険そうな面立ち通り、やたらと陰険なヤツでした。金ちゃんは小太りにおかっぱ頭のサーファーで、委員長には「金太郎の金ちゃん」というイメージが未だに抜けていません。マサカリ担がせたらピッタシって感じでしたね。性格も顔立ちそのまま屈託のない明るいヤツで、このメンバーの中では唯一委員長がまともに話のできる相手でした。お店の方はおおかたの予想通り高田馬場リチャード三世の菊○店長がそのまま店長として入店し、サポート役に副店長(マネージャー)が二人付きました。その一人が菊○店長と対立していたK氏で、もう一人はやはり高田馬場のパブから配属されてきたH氏でした。K氏とH氏は元々同期入社だったのですが、水商売かぶれしている分だけK氏の方が上司受けが良く、企画面では菊○店長の頭を越えて部長と結託しておりました。要は菊○店長は田舎者扱いされていましたから、音楽的な面や営業面での主張は全てK氏が優先されるというような状況でもありました。だからってこのK氏がまともかっつーとそんなことはなく、委員長にしてみれば単なる水商売かぶれのカッコマンといった田舎者にしか見えませんでした。本来ならば、菊○店長からエスメラルダが任されてハコ取りするはずだったのですが、このK氏がこの話に割り込んで金○君たちを引っ張ってきたのでした。この金ちゃんこと金○君はK氏と吉祥寺時代の知り合いだったということからマジックに引っ張られたのですが、実はこのしばらく前に金ちゃんがいた新宿ビッグトゥゲザーのハコをエスメラルダに横取りされたという経緯があり、始まりからしてすでに菊○店長対K氏の代理戦争の様相を呈しておりました。そして委員長達がオープンDJとして働き出してからまもなく、鳴り物入りでやってきたニックという兄ちゃんがおりました。(またニックかよって感じですね)こいつは平井のちびガキや渋谷のおっちゃんが「凄い」とか「デキる」とか、入る前から前評判の高かったヤツで、六本木の伝説に残るディスコ、ソウル・イン・アフロレイキ出身、ソニー・ロリンズに憧れサックスを持ってアメリカに渡り、英語もぺらぺら、など随分とハッタリの効いた野郎で、会う前からすでに皆が一目を置くような存在でありました。委員長にしてみれば、この業界でオレの事を知らないヤツのほうがモグリだぜ、というようにほとんどのヤツをなめまくっていましたので、実際にどんなヤツが現れるのか非常に興味がありました。確かにここは新宿じゃないし、六本木の裏街道もそれほどよくは知らない委員長でしたが、少なくとも同じ業界にいてそんなにすげえヤツならオレの名前ぐらいは知ってて当然だろ、ぐらいにしか思っていませんでした。そしてそんな前評判に乗ってついにヤツが委員長の目の前に姿を現したのです。その日は遅番だったので9時ごろ店に入り、よっこらしょっと梯子を上ってDJブースの中に入ると、ミキサーの前にひしゃげたアフロヘアに薄色のサングラス、カーキ色の分厚いジャケットに古びたジーンズという小汚い格好の男が座っておりました。どうみても昔の学生運動華やかりし頃のフーテンって感じの男でした。隣で調光卓をいじって照明を見ていた平井のちびガキが委員長に気づき、その男に促すようにして委員長を紹介しました。椅子からぼそっと立ち上がったフーテン男が「ニックです」と言って、俺の方を照れくさそうに見た瞬間、お互いに「やばっ!」という冷や汗のようなものが走りました。「あれっ、確か東京デザイナー学院・・・・にいたよね」俺が指差しながら聞くと、彼はくねくねと身体を捩るように「ついに俺の過去がばれてしまったか」とぼそっと呟きました。椅子から立ち上がったままの平井のちびガキは、ぽかんとした顔で俺とニックの顔を交互に覗き込んでいました。「名前・・・・忘れちゃったな・・・」と委員長が言うと、彼は相変わらずニヤニヤしながら身体をくねらせながら、手に持ったレコードをターンテーブルに乗せました。思い出した!そうです、コイツはシゲです。そう、あの東京デザイナー学院で同じアフロバカウィルスに感染した仲間です。なにがニックだよ、ふざけんなよ、などと心の中で委員長がつぶやいていると、そこに渋○のおっさんが入ってきました。なんとなく不自然でぎこちない雰囲気を感じ取った渋谷のおっさんは、無難な平井のちびガキに今日の客の入りとか選曲について話しかけたりしていました。「シゲ、確かシゲだったよな。そういえばアフロレイキにいたんだっけ?」おもむろに委員長が話しかけたのですが、ニックことシゲはニヤニヤしながら相変わらず身悶えるようにクネクネして頷くだけでした。(相変わらず軟弱野郎そのまんまだなぁ)「俺はずっと新宿だったからさ、こっちのことはまだよくわかんないんだよね」委員長の言葉に答えもせずに相変わらずニタニタしているだけのシゲ。そこへ渋○のおっさんが話に割り込んできます。「知り合いだったの?」やっぱりこのおっさんは訛ってます。おっさんの問いかけに委員長もシゲも返事はしませんでした。というか、どう答えて良いものやら言葉に詰まったといった方が正しいでしょう。(知り合いっちゃあ、知り合いだけど、特別な関係でもないし)しかし、そんな態度とは裏腹に、委員長は喋りたい衝動をぐっと抑えて心の中で叫んでおりました。こいつはね、東京デザイナー学院なんぞという専門学校の服飾科で俺と同級生だったんだよ。昔はスリーピースのバギースーツかなんか着てて、赤坂のビブロスなんかで遊んでた軟派野郎なんだよ。俺は中途で辞めちゃったから、こいつが卒業したかどうかしんないけどファッション・デザイナーになってないことだけは確かで、結局こいつも俺と同じドロップアウトした単なる落ちこぼれのアホたれなんだよ。ブースはDJの交代ですから、ここでシゲはゆっくりと立ち上がってケース入りのアルトサックスを小脇に抱えながら渋○に向かって言いました。「じゃ、あとはよろしく。俺は帰ります。」そう言い残してさっさと梯子を降り始めたシゲでした。後を引き継いで皿を回している平井のちびガキがぼそっと言いました。「ニックさん、これからサックスのレッスンなんですって。ソニー・ロリンズを尊敬しているらしいですよ」委員長はまたまた叫びたい衝動に駆られたのでした。そんならミュージシャンにでもなりゃいいじゃねェか。これ見よがしにサックスなんぞ持ってきやがって、笑わせんなよ。「彼は英語もできるらしいよ。音楽の勉強にニューヨークにも行ってたらしいし」まるで自分の自慢でもするように話す渋○のおっさんの訛りの強い言葉が、更に委員長の叫びたくなるような衝動をかきたてます。おいおい、ニューヨークに勉強に行ってて、なんで六本木の有名DJなんだよ。少なくともこの業界じゃ、1年も空けば忘れられちまうぜ。どうせホームステイなんたらとかのツアーで1~2ヶ月行っただけだろ。そんなにスゲーヤツなら、なんでこんなところでDJなんかやってんだよ。まあそんなこんなでこのディスコ「マジック」の幕開けは初めから波乱含みだったことは間違いありませんでした。
2005年11月06日
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茨城県水戸市は水戸黄門でお馴染み水戸光圀将軍所縁の地で、日本三大庭園のひとつである偕楽園があり歴史的にも由緒ある土地です。ちなみに金沢兼六園に続いてこの偕楽園も見ることができた委員長は、偶然とは言え史跡を巡るのも何かの因縁かと思ったりもしました。さて、そんな水戸のディスコ「ピント」に急遽トラとして派遣された委員長のビータ(旅)は、到着したその日から滞在中のパートナーとなるカット君の熱烈な歓迎を受けて、いきなりピースパイプでお友達となり愛と世界平和、更には救世主到来について朝まで語り明かすという、そんな思いがけない出会いから始まったのでした。何でもカット君のおじいちゃんは「ピース」を吸っていたそうで、世界平和実現の救世主は鳩に乗ってやってくるというような超異次元の世界を垣間見た二人でした。そして委員長はこの時初めて、茨城県人が類まれなるユニークな民族であるという知られざる事実を思い知ったのでした。(寺内タケシも筑波山だったし。えっ?)ということで委員長が寝泊りする社員寮社宅は千波湖という大きな湖の近くの風光明媚なところにありました。到着日翌日はさすがに昨夜の大討論会で体力は消耗しておりましたが、意識は未だギンギンに冴えたまま朝日は昇り、部屋のベランダから見える朝の湖のすがすがしさに誘われた委員長はウォークマンを手に湖を散歩することにしたのでした。ところが一歩寮から出た途端に凍てつくような空気が委員長の肌を貫き、手足は数分も立たぬうちに悴み、とてもウォークマンを聞きながら散歩などするというような悠長なことを言っている状況ではなくなっておりました。「こりゃモモヒキでも買わなきゃ凍死するぞ」早速カット君に教えられたとおりトロリーバスに乗って商店街まで出て、近くのスーパーで長袖長ズボンの下着を買い込みその場で着込んだ委員長でした。モモヒキなんて履くのは小学校以来だなぁと思いながらも、こんな便利なものがあったことすら忘れている都会人の見せ掛けだけの感性について思いをめぐらせたりしました。(完全に二日翔びですね。Hangover)実はこの時委員長は金沢での暗い体験を彷彿とさせるこの土地には先入観があって、どうも内心引き気味だったのですが、この水戸ピントで出会った人たち、店長以下従業員は皆心暖かい人たちばかりで、当時精神的に殺伐としていた委員長にとってある意味癒しとなりました。会社が在日系だったこともあるのでしょうが、寮の賄いのオバちゃんやパチンコ店従業員など皆非常に心の優しい方ばかりでした。この会社の方針でしょうか、「メシだけは食わせる」って感じで、社員は誰でも食堂で御飯を食べることができ、ごはん、味噌汁、キムチは食べ放題で、社員は家族、「一家」といったような昔気質の会社でした。寂しい育ちをした委員長にとっては、この大部屋の感覚がとても暖かくて御飯の時間が楽しみでもありました。おまけにカット君も四六時中委員長の傍を離れず色々と世話を焼いてくれて、これがまた委員長には大変ありがたく思えました。自分で言うのもなんですが、彼にしてみれば東京からちょっとしたオオモノが来たみたいな感じで物珍しさもあったのでしょう。滞在中はほぼ四六時中一緒でした。DJの方も委員長が英語のベシャリを入れるたびにフレーズをメモしたり、ブースの中は英語で会話して下さいとか言われたりして逆にタジタジする始末でした。なんせ克也さんモドキの受け売りテキトー英語ですからね、あんまりマジになられると恥ずかしくなったりしました。ただ、ミキサーは以前にも書きましたが横型フェーダーでしたから、つなぎは彼もそれなりにこなしていましたね。でも所詮は水戸ですから、自己満足の域を出ないといったところでした。もちろんお客だってツナギがどうしたと言うほどディスコ好きするヤツがいたわけじゃありませんから、東京ではこんな感じでやってます、みたいな程度でしたね。この時よくかけていたのが Delegation のHeartache No.9 とかボズ・スキャッグスのシモンとかで、更に時々歌謡曲なんかもかけてましたね。委員長にしてみれば高田馬場の続編のようなものでした。仕事が終わるとカット君は委員長の部屋にやってきて、ギターをいじくったり、エスメラルダの話を聞いたり、結構目を輝かせて興奮してました。(ほぼ毎日翔んでたんですケド)自分は詩を書いていることや、一度は東京に出て何かやってみたいこと、自分と同年代のヤツらは帰郷してくるのに自分は反対にこれから上京してみたいことなどを熱く語ってくれる彼もまた自分と同類であることを感じた委員長でした。どうも委員長の周りにはややこしい経歴の奴らが集まってくる因縁でもあるのでしょうか、彼もまた悲惨な境遇の体験者でした。高校を卒業して同級生のほとんどが東京に出て行った時、自分は母親を亡くした為地元に残って妹の面倒を見なければならず、その流れについていけなかったことが心残りであったようでした。大方の上京組連中が大学や専門学校を終えて帰郷してくる現在、自分はようやく自由となり上京することを考えているが、年齢を考えると躊躇してしまうことなどを彼はぽつりぽつりと話してくれました。そんな彼の熱い告白に答えるべく委員長も、その気があるのならいつでも尋ねておいでよ、みたいな感じのいつもの調子で無責任なことをぬかしておりました。さすがにエスメラルダに入ることは勧めませんでしたが、委員長の周りにはみな似たような境遇の奴らが沢山いるので、来れば何とかなるだろうみたいな話で盛り上がったりしたのです。ちなみにこのカット君、後年本当に東京にやって来ることになるのですが、残念ながらそのときにはすでに委員長はモロ落ち目の真っ只中にいて、あまり面倒を見てあげることはできませんでした。しかし、この水戸で出会った人々は皆ユニークでした。カット君はじめGrassフリークはみな自分のPOTを持っていて自家栽培している話を聞いたときには正直言ってたまげましたね。こりゃニッポンのカリフォルニアだぜ、みたいな感じでした。しかも東京から刈り取りに来るヤツもいるとかで、その手のマニアの間では茨城県はちょっとしたPOTゾーンだったことをこの時初めて知りました。この時以来委員長は茨城県出身の方々を非常に尊敬しております。(笑)もうひとつ面白かった出会いにモルモン教がありました。昼間ウォークマンを手にあちこちブラブラと徘徊していた委員長は、商店街で白人男性二人にいきなり声をかけられ自宅に招待されたのです。流暢な日本語を話す彼は、「私の名前はトンカチです」などと笑わせてくれて、あのタワーオブパワーが出たベイエリア出身のミュージシャンであることと、モルモン教の布教に水戸に在住していることを語ってくれました。このハンマー氏が別れ際、恥ずかしそうにモルモン教の聖書を委員長に買ってくれるように懇願した表情、そのすがすがしさにまたも共鳴を受けてしまいました。更に彼は布教活動として無料の英会話塾をやっていて、生徒は200人近くいるということを知り、益々この水戸という土地の不思議さを知りました。彼はネクタイを解いてYシャツの胸ボタンを外し、下着として着用していたTシャツを委員長に指差しました。そこには「I LOVE MITO」とプリントが施したありました。I LOVE MITOカット君との出会い、モルモン教との出会い、人と土地、故郷、形にはならないものではありましたが、委員長の心の中で何かが目覚めたようでした。そして委員長もこの地が本当に好きになりました。そしてその夜、委員長がエスメラルダのプロモーションとして持ってきていた、つのだひろ&JAPSGAPSのジャイアントシングルLAY BACKのB面、I LOVE TOKYOをプレイして委員長の故郷TOKYOを偲んだのでした。It’s a sad life, but not a bad life and I knowWhen I look at the girls so young in ShibuyaRediscover you down in Shinjuku and in the strange are bright confusion thereI lose my cares.I love Tokyo, Tokyo in my heartI love Tokyo, got me up and startedI love Tokyo, Tokyo in my heartI love Tokyo, never will be parted againThen I left you thought you were deaf to all my painHad enough of the rush the crush in the subwayBut I missed the summer in Aoyama and in the sleek and fast Roppongi nightI feel all rightI love Tokyo, Tokyo in my heartI love Tokyo, got me up and startedI love Tokyo, Tokyo in my heartI love Tokyo, never will be parted again(せっかくですから和訳入れときますネ)そりゃあつらい生活さだけどそいつも悪くはない渋谷には若い娘が溢れているし新宿に行けば新たな君(東京とかけてありますネ)を発見できる奇妙な街の雑踏と混乱にボクの心配事もかき消されていくI LOVE TOKYO ボクの心の東京I LOVE TOKYO ボクの人生の始まりI LOVE TOKYO ボクの心の東京I LOVE TOKYO ボクはもう決して離れたりしない心の痛みを携えてボクは去った君(東京とかけてあります)がわかってくれなかったから地下鉄のラッシュや人のざわめきはもう沢山だったでも狂おしく恋しい青山の夏やスリルに満ちた六本木ナイトそれは最高さ(個人的フィーリングが結構入ってます)東京に戻る前夜、このレコードを委員長は水戸との思い出としてカット君にプレゼントしました。
2005年11月05日
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日拓グループの六本木進出が確定すると同時に、エスメラルダは委員長を筆頭にハコ取りに乗り出しました。菊○店長との約束では、もし自分が昇格人事で六本木への異動が決まれば、DJと企画は全てエスメラルダに任せるということでした。こうなったら菊○店長にかけるしかないということになり、取り急ぎエスメラルダのマネージャー役ヒロシが高田馬場に張り付きました。もちろん日拓グループの中でも、この六本木進出に向けての人事異動では水面下の動きも色々とありました。菊○店長の対抗馬であるK氏が自分の知り合いのDJを連れてきて、自分はディスコに関して知識も経験もあることをアピールするなど社内でも暗闘が起きていたのです。もちろん菊○店長は委員長を名指しで推してくれていましたので、最悪の場合でも委員長の入店は決まっていましたが、何と言ってもハコ取りしなければエスメラルダの六本木進出は成功したとは言えません。そして六本木への異動を目前に控えた委員長はここで何故か、茨城県水戸市「ピント」へ飛ぶことになったのでした。日立ピントの姉妹店、といってもオーナー同士は全く関係ないのですが、店のシステムがフランチャイズ方式の水戸ピントは、当時単独でハコ取りを張っていたジン氏のハコでした。彼が適当に見習いを作って送り込んでいたのですが、店側からの不満と人材不足から彼がギブアップしたところに、上手くヒロシが喰らいついてエスメラルダが引き継ぐことになりました。どうせ六本木に行く身の委員長ですから、後任が決まるまでの1~2週間務めて下さい、というようなヒロシの指示で冬の茨城県へ旅立ったのでした。委員中はまさか再びこの地を訪れるとは思ってもいませんでした。自堕落な生活で精神的にも暗くなっていたこのころの委員長は、出発前に軍団のシンジやユウジを集めて「この2週間の間に最低5曲は作ってくるから、戻ったらバンドをやるぞぉ」などと、矢沢の永吉っつぁん風に旅立つ「兄貴」をしっかりと演じておりました。私生活でもC子とギクシャクし始めていた頃でしたから、しばらく一人で冷静になってみようなどと多少は殊勝な気持ちもあり、愛用のグレコのテレキャスターを手に冬の茨城へと旅立ったのでした。当時の上野駅はやっぱり暗かったですね。冬の常磐線に乗り込んだ委員長は、冷たく暗い景色の中をガタンゴトンと揺られて北上して行きました。水戸駅に着いたのは夕方の6時を過ぎており、あたりはもうすでに暗く、店に電話をするとバスに乗って大工町で下りるよう言われましたが、その肝心のバス乗り場がどこかもわからないし、土地勘のないこの寒空でバスを待つのも嫌だったので歩いて行くことにしました。道はわかり易い一本道で、大通りをどんどん進むと随分昔に日立から訪れた時の見覚えのある商店街が目に入り心持ち落ち着きました。大通りの角ビルに看板が見え、階段を降りるとそこは見覚えのあるディスコ・ピントです。店内は結構な客の入りで、外の暗い街並みを忘れさせてくれるような熱気が溢れていました。店の中央にあるDJブースに入ると、長髪の青年がサラを回しており、その横で照明を操作しているアフロ頭のにーちゃんが委員長に挨拶をしました。「エスメラルダから来た人ですか?」「ええ、明日から入りますのでよろしくお願いします」アフロにーちゃんは委員長の肩に下がったギターケースを見て「ふ~ん」というような顔をしましたが、性格はおっとりタイプなのか威嚇されたような感じはしませんでした。「エスメラルダだったらさぁ、ロニーとか知ってる?」えっ!って感じでしたね。何っ?って感じ。一瞬、委員長の他にロニーって名乗ってるヤツがいるのかとも思いました。しかもこのおにーちゃんはそのロニーと、さも親しげな口ぶりです。「あのぉ、ロニーですけど」委員長がそう言った途端にイスからズレ落ちそうになったアフロにーちゃんでした。「なんだぁ、ロニーなんだ、そうかぁ、へぇー、ロニーが来たんだぁ」(言ってる意味わかんねぇーぞ)ひどく動揺しているその態度が妙に可笑しくて、中々憎めないにーちゃんでした。バツが悪くなったせいかここでアフロにーちゃんはDJを変わり、今度は長髪のにーちゃんが挨拶をしてくれました。「どうも、カットです」「ロニーです」「ギター持ってきたんですか?」「ああ、一人じゃ退屈するかなと思って」「見せてもらっても良いですか?」「ああ良いよ、テレキャスターだよ。グレコだけどね」どうやらギターに興味があるようでした。二人とも初対面にしてはスムーズな入り方で、アフロにーちゃんにしろ、この長髪にーちゃんにしろ性格は良さそうでした。その日の営業も終わり、終礼で店長からDJの交代が告げられ、委員長が従業員に挨拶を済ませると全員でアフロにーちゃんの送別会となりました。この会社も地元ではかなり手広く商売をしているようで、マイクロバスに乗せられて連れて行かれた処は湖畔のレストランでした。もちろん夜ですから湖が近くにあるのかどうかはわかりませんでしたが、「レイクサイド」という店名と、カット君の説明から近くに千波湖という有名な湖があること、ピントの姉妹店であること、この他にもボーリング場やパチンコ屋などを所有するレジャー産業では大手であることなどを知った委員長でした。送別会と言っても店長以下従業員10人ほどが飲んで喰って話すだけの宴会でした。そしてこの時初めてアフロにーちゃんがニックという名前であることと、この仕事には奥さんも連れて来ていて共働きしていたことなどを知ったのでした。(しかしこの当時、ニックって名乗るヤツ多かったよね)「これでようやく東京に帰れるよ」そうニックが言いながら奥さんを紹介してくれました。同会社のパチンコ店で働いていたという小柄ながらテキパキとした感じの人でした。「どのくらいいたの?」「一応3ヶ月の約束だったんだけどさ、後釜が見つからなくて結局5ヶ月いたんだよね。」「へぇー、それで東京に戻ったら何処に行くの?」「いや、もうこれでDJは辞めようかと思ってんだ」別に彼の人生に興味も無かったので深くは聞きませんでしたが、東京で仕事があるんだったら何もこんなトコでドサ喰ってるわけないし、まあそんなもんだろうってな感じでした。(どんもんなんだよ)宴会も恙無く終了し、委員長は他の寮住みの従業員と共にマイクロバスで寮まで送ってもらうことになっておりました。店を出て駐車場へ向かう委員長に長髪のカット君が声をかけてきました。「ちょっと話があるんで付き合ってもらえますか?」そう言ってカット君は委員長を駐車場奥にある非常口に連れ出しました。ガチャっと非常口のドアが閉まると同時にカット君はタバコを取り出し火を付けました。もわっとした煙が委員長の顔面に充満して、枯れ草の焦げる臭いが立ち込めます。あまりにも唐突な事の成り行きに面食らった委員長ですが、カット君の差し出す太めのジョイントを手に取って一気に吸い込みました。「後で部屋に遊びに行っていいですか?」ちょっと茨城訛りの口調で尋ねられた委員長は、今目の前で展開されているこの状況を理解することもできぬまま頷いておりました。「しかし大胆だよね。こんなとこで大っぴらに吸って大丈夫なの?」「みんなやってますから大丈夫ですよ」「み、みんなって」と言いつつ、欲張りな委員長は更に深く煙を吸い込んでいたのでした。とても良い気持ちになった委員長は会社のマイクロバスに揺られて、近くの寮に案内されました。寮と言っても随分と立派な建物で、鉄筋コンクリートのちょっとした団地と言うような感じでした。寮にはパチンコ屋、レストランなどで働く従業員、独身やら家族やらが住んでいて、過去金沢で経験したような精神的圧迫感はまったく感じられませんでした。案内された6畳一間には布団が一組敷かれているだけの殺風景な部屋でしたが、金沢の時の布団とは違ってまるで委員長を優しい眠りに誘っているようでありました。先ずは荷物を放り出してごろんと布団に寝転んだ委員長、部屋は空調システムが付いているのでさほど寒さは厳しく感じませんでした。(っていうか翔んでるからだろ)ここにどのくらいいるのかなぁ、とぼんやり考えていると誰かがドアをノックしました。どうぞ、と言ってドアを開けると、伏せ目がちの長髪のカット君が立っておりました。二人で部屋に入ってどかっと腰をおろすと、カット君はショルダーバッグからキセルを取り出し、ビニール袋に入った刻みをぎゅうぎゅうに詰め込んで火をつけました。(おい、おいマジかよって感じでしたね)「ま、一服どうぞ」カット君はそう言ってキセルを委員長に手渡しました。「もしかしてジャンキー?」委員長が尋ねるように彼の顔を見てキセルを吸い込むと、カット君はにやりと笑って「どうですかこれ、効きます?」と満足気な表情を浮かべました。「効くも何も、こんなにいっぺんに吸っちゃって良いのかなぁ」結構効いてきた委員長の意識はゆっくりとオブラートに包まれていきました。「これは今年一番デキの良いヤツですから結構効きますよ」キセルに更にタマを詰め込むカット君。今度は自分は吸わずに委員長にそのままキセルを差し出しました。「オレはもう十分入ってますから」ちょっと訛りが気になりますが、次の一服を吸い込んだ委員長は頭の上からもう一枚オブラートに包まれる感じがして目が乾きました。もう十分ってな感じでキセルを彼に戻すと、彼は軽く吸い込んで煙を一気に吐き出しました。「おうっ、ケツが宙に浮きそうになった」茨城訛りが妙に人懐っこくて最高にハッピーな気分の委員長は、そのままカット君と夜を徹して愛による世界制覇と人類の平和について語り明かしたのでした。ピース!
2005年11月04日
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1980年、高田馬場リチャード三世を拠点にしてロニー軍団が馬鹿騒ぎに血道を上げていた頃、株式会社エスメラルダはマネージャー役のヒロシの強引な営業で更に勢力の拡大が続いていました。ジュリーこと昇ちゃんもいよいよ年明けには結婚式が決まり、着実な生活設計を全うしているようでした。ヒロシが営業に専念するようになってからはサム岡田や花見も多忙になり、昇ちゃんのアシスタントはナガイという新人がするようになっていました。そしてこの頃、あまりの組織拡大とヒロシの強引さから数名のDJが辞めて行きました。エスメラルダ設立当時から関わったホリや、アクタロー、マモルなどが次々に去って行きました。マモルは大変性格の良いヤツだったので、チェングのところで引っ張って貰うような話にして上手く辞めさせてやることができましたが、他のヤツらはどうも金銭トラブルですったもんだしたせいで、結局は縁切りとなっていってしまいました。DJ派遣とか斡旋とかいったところで所詮はピンハネですから、ハコを適当に回しているうちは良かったのですが、そのうちハコの専属のような形になっていくと店の方でも直接雇用した方が使い易いと考えるのが当たり前のことです。まあ、芸人というかプロダクションの持つ命題のようなもので、いつかは必ずぶつかる問題といえます。「ここまで育てて仕事まで取ってやったのに」と言えば、「その分は十分返したはず、後は自分たちで直接やらせてくれ」と言い返され、結局はハコのオーナーの意向に従わざるを得ないことになりますから、こうして数人のDJが各店に専属となって切り離されていきました。もともといい加減な成り立ちで始まった派遣業ですから、ハコとの契約をプロテクトするきちんとしたシステムなどありません。店側にしてみれば、自社の専属で雇った方が効率が良いのは当たり前だし、DJだってピンハネされずに働ければそれにこしたことはありません。特にDJ成り立てのような若者には、店には寿命があるということを経験知として持っていませんから、一本立ちしてメインDJになることで一人前になったと勘違いするヤツもいたわけです。(店が潰れたらおしまいってことなんですけどね)特に時代も第二次ディスコブーム真っ只中ですから、1年にも満たないヤツらがこぞって足抜け(笑)していきました。ハコを多く抱えているということは失業してもすぐに別のハコに入れてくれるという保険のようなもので、だからこそ皆ピンハネに甘んじているわけで、でなければ誰だって自分の稼ぎを横取りされて我慢するわけがありませんね。エスメラルダはジュリーこと昇ちゃんの顔が業界でかなりの力を持っていたことと、後に続いた後輩の資質に恵まれたことが勢力拡大に成功した理由でしょう。さらに起業志向が高かったので、当初からシステマティックに動いたことが人材の育成もスムーズに行えた理由と言えます。同時代の同業者は、数人の見習いや弟子のような者を従えてハコを仕切るという個人営業がほとんどでしたから、新人DJが食い込むチャンスが少なかったこともエスメラルダに人が集まって来た理由だったと思います。そんな流れの中で委員長の高円寺亀屋マンション・グループはさすがに委員長に従順でしたから、足抜けこそしませんでしたが皆ヒロシとは対立して不満を持っていたことも確かでした。このヒロシもゴミ仲間としては中々根性のあるヤツでした。中卒の彼は仙台のカラオケスナックで司会を始め、そこでオーナーに見込まれてディスコDJになり、たまたまプロモーションで訪れたジュリーに声をかけられたのを契機として上京、ワンプラスワンに就職したものの本体が傾き、エスメラルダ設立と同時に営業に回されたという波乱万丈なヤツでした。それでもコイツは成り上がりには異常な執着心があり、しばらくはDJにも未練があったようでしたが、事務所を原宿に移した後はそれはもう大変な活躍でハコ取りと売上向上に執念を燃やしていました。無学歴な自分がのし上がる道はこれしかないと思ったのでしょう。ヤツもヤツなりの夢を見ていたんですね。ハングリー精神という面ではエスメラルダでは一番だったと思います。それに比べ、このころの委員長は夢も希望もなく、毎日毎日バカなことをすることで憂さを晴らすような自堕落な生活を続けていました。(壊れちゃったねぇ~)夜遊びに出ない日は高田馬場の雀荘で徹マン、日曜日は後楽園へ競馬、あとはシンジのアパートやユウジのアパートへ行ってバンド結成の夢物語を聞かせては悦に入るというようなどーしょうもない大馬鹿野郎生活の繰り返しでした。この頃の委員長は道楽者ではなく、まさしく単なる極つぶしに成り下がっていました。仕事こそしてはいましたが、あいかわらず生活の面倒はすべて彼女のC子任せで、稼いだ金は博打と軍団を引き連れてお山の大将大盤振る舞い、まったく手の付けられない乱行振りでした。目的もなくただ遊んでいるのですから楽しいに決まっているわけで、一人になって不安が募るとさらに遊んでごまかすみたいな暮らしでした。さすがにこの年の夏が終わる頃にはC子もいい加減愛想がつき始めたのか、家を開ける日も出てくるようになり、無言電話が増えたりしました。(男が出来たのかぁ?)当時C子の親友にクラブ歌手10年というツワモノがいて、その彼女の生き方に共鳴を受けたのかC子もまた破天荒な生活にはまり込んで行ったのです。音楽大学の1年の休学もそのままズルズルとけじめの無いまま退学してしまい、早い時間の仕事もコンパニオンからクラブホステスに移り、深夜の「同期」の仕事もそのまま続けると云った具合に水商売に完璧に浸かりきっていました。お互いに部屋に戻るのは夜明け近くで、そのまま夕方まで寝ていて起きれば仕事、というような生活でしたから、顔は会わすものの会話も次第に少なくなり、自然二人の関係も殺伐となっていったのでした。結局この年の夏はこんな調子でバカ騒ぎを繰り返えすばかりの毎日を過ごし、何の進展も進歩も得ぬまま秋を迎えました。そうこうしているうちにいよいよ日拓グループの六本木進出が具体的に動き出し、高田馬場も慌しくなっていきました。六本木の新店舗に合わせて新しい従業員の募集が行われ、オープンまでの間は高田馬場リチャード三世で研修を行うということになり急に従業員が倍になりました。入社してきたのは元々六本木で働いていたヤツばかりで、学生街の高田馬場とは肌が合うはずも無く、仕事が終われば新宿だ六本木だ、と結局委員長も水を得た魚のようになってしまいバカ騒ぎに一段と拍車がかかりました。エスメラルダの連中も六本木のハコ取りは初めてですから若手DJ達も狙ってきます。益々調子に乗る委員長でしたが、ここで日拓グループの内紛が起こりました。以前、高田馬場リチャード三世の階上にあったチェーン店パブに勤めていた一団が、吉祥寺にオープンしたディスコにハコで動いたことがありました。残念ながらこの店はパッとせぬままオーナーに売却されてしまい、結局この一団はまた高田馬場に戻ってくることになったのでした。もちろん六本木進出に合わせて出戻りしてきたわけですが、この経緯を知る当時のリチャードの店長は彼らの六本木行きを阻止しようとグループ内の人脈に働きかけたのでした。リチャードの菊○店長は日拓グループで苦節5年目にして、ようやく手にした六本木デビューですから何としても自分の城を築きたかったわけです。それにはまず、この水商売全とした一団を何とかして排除しなくては将来の自分の立場も危うくなってしまいます。ところがこの一団のリーダー格のK氏が同社の企画部長と仲が良かったため、人事の決定はかなり長引きました。菊○店長は宮城県出身の真面目だけが取り得のような人でしたから、イメージ的には六本木のディスコはイマイチでした。片やK氏は水商売バリバリのタイプでしたから、企画部長も彼を押すのは無理からぬことと云えます。ただ、吉祥寺ハコ取りの一件があるので店長の候補からは外れていました。エスメラルダは菊○店長との長い付き合いもあるし、自分が店長の座を取るとなれば手足となって動くスタッフはできるだけ身内から連れて行くのは当たり前ですから、DJについてもエスメラルダとの契約は間違いないものでありました。また、菊○店長と委員長の関係も良好だったので、最悪の場合でも委員長は必ず推薦して入店させるということが約束されていました。そんな人事を巡る社内の駆け引きが粛々と行われているある日、K氏が数名のDJを連れてリチャードにやって来ました。オーディションということで三人のDJがサラを回しにやって来たのです。サーファーファッションの小太りおかっぱ頭、目だけがやたらギョロギョロした老け顔のおっさん、予備校生のようなボク、といった三人でした。委員長とは皆初対面でした。早速、菊○店長に尋ねると、どうやらK氏が企画部長に進言して連れてきたようでした。高田馬場と六本木は違うからDJもそれなりの人材を連れてこなければダメだというようなことでした。少なくとも18歳からこの年までこの道でメシを食ってきた委員長は、この田舎者の水商売かぶれしたK氏の態度にかなりムカつきましたが、まだ店もオープンする前からトラブルを起こしてはそれこそ皆に迷惑が掛かると思い、湧き上がる怒りをぐっと呑み込みました。そしてこの因縁は菊○店長対K氏の代理戦争として六本木へと持ち込まれていくことになります。
2005年11月03日
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さて、株式会社エスメラルダは更にDJ見習いを増やしていきましたが、ここで日拓グループが六本木に新しい店を出すという噂が入り、いよいよ六本木進出の足掛かりが出来そうだということで、早めの根回しのため委員長は高田馬場のリチャード三世に入ることになりました。エスメラルダでは未だ六本木のハコが無かったので、なんとかこの機会に六本木進出を図るため、ここは一番委員長が出張ってオープンDJに入り込むという作戦が立てられました。学生街の一角にあるこじんまりとしたお店は、何故か夕方6時から翌朝の5時までオールナイト営業といういささか強引な店でした。もちろん委員長のパートは午後12時終電までで、深夜はテープをエンドレスで回すといった、始発待ち学生のための喫茶店代わりディスコのようなものでした。そしてアシスタントに立川エモンからユウジがやって来ました。ユウジの後釜は出戻りのヤスオがシンジのアシスタントとして入り、更に沖縄からやってきたコジャがその下に付きました。そしてもう一人恐怖の張り付き男ニックが高田馬場に入り浸るようになりました。ニックはこのリチャード三世のオープン時代からの常連で、後にジャパニーズとしてデビューしたインフォーメーションズを結成した頃のメンバーも皆この店の常連でした。そんな縁もあってか、新しい相棒を見つけてきたニックは四六時中ここに入り浸るようになりました。(やれやれ、また馬鹿野郎が群れてきます)そんないい加減な日々を送っていたころ、ジュリーの父親の突然の訃報に全員が驚きました。下町の公団の一角で営まれた慎ましい葬儀、少々やつれた顔のジュリーを見たときには弔意もさることながら、こいつもオレと似たような育ちをしてきたんだなぁ、という戦友独特の実感が湧き上がってきました。たぶんこれでジュリーもこの土地とはこれで縁切りになるのだろうなあ、という漠然とした思いで葬儀の列に並んでいた委員長でした。ということで、高田馬場が拠点となった委員長の生活はこのあたりから元来の道楽者根性が頭をもたげ始めてきて、エスメラルダとは少々縁の薄くなるような流れとなっていったのでした。正直言ってこの頃の委員長は、もうすでにディスコとかDJへの興味や執着が薄れ始めてきていて、何か新しいことをしたいという漠然とした願望だけを抱えて毎日だらだらと暮らしておりました。歌舞伎町を離れたこともひとつの原因でありました。隣町とはいってもやはり高田馬場じゃ都落ちですからね。そうなると本業より遊びの方に傾いていくのも無理ない話で、毎週水曜日にはヨンタナやシゲル、シンジやユウジも加わって、亀屋マンションのミニスタジオでお茶の間セッションをしたり、ニックの仲間を集めてきてダンサーズの振り付けをしてみたりと試行錯誤しながら新しい道楽の道を模索していました。とは言っても根っからの道楽者ですから人が集まれば遊びの話ばかりで、その日その日を面白おかしくただただ自堕落に遊んでいるだけのことでした。エスメラルダは多少強引ともいえるヒロシの商才もあって順調に大きくなり、抱えたハコやDJの数もさることながらプールした利益もそこそこの額を示し、このまま行けばきちんと会社登記をして起業しなければならないほどになっていました。エスメラルダが大きくなればなるほど、逆に委員長は醒めていき、自分がやりたいことが見つからない苛立ちや、無意味に過ぎていく毎日の虚しさをバカ騒ぎで紛らわせるような生活を送るようになっていきました。今にして思えば、この時もうすでに委員長の時代は終焉していたのでしょうね。ただ時代の余韻に流されているというか、もう一度あの栄光を味わってみたいというような後ろ向きな感性しか無かったといえます。(賞味期限は完全に切れていましたね)ジュリーの父親の死やその後に続くジュリーの結婚話など、歳と共に迫り来る現実を目の前に突きつけられ、委員長はプレッシャーを感じるばかりでした。同じ時代を同じように歩いてきた相棒は、きちんきちんと生活を築きながら確実に大人になっていくというのに、自分は相変わらず何の根拠もない「夢」のようなものに振り回されているだけで、この先自分が一体どうなっていくのかすら考えようともしない自分自身に腹立たしさも覚え、それがまた自堕落な生活に拍車をかけるといったような悪循環が続きました。この頃はとにかくヤケクソでバカなことばかりをしていたような気がします。亀屋マンションには始終誰かが屯していて、そんな連中を引き連れてはあちこち繰り出しては騒いで、明日の不安を紛らわしていたのだと思います。後輩が六本木のDJ連中にバカにされたと聞けば、すぐに軍団を召集して六本木のディスコになだれ込んだり、夜通し遊んだ後スケートボードを持って湘南海岸へ出張ったりと、頼もしい兄貴を演じてはいましたが、バカ騒ぎの後は決まって虚しさがこみあげてくるような閉塞感に苛まれていました。それでもこの頃のバカさ加減とブラックジョークは冴えていましたね。特に六本木DJと新宿DJの確執のようなものは歴史的(笑)な因縁もあったせいか、随分と手の込んだ悪ふざけもしました。仕事が終わる深夜零時頃、軍団を亀屋マンションに集合させ、委員長のステージ衣装から全員タキシードに着替えさせます。更にそこら辺にある菓子の箱とかを風呂敷に包んで持たせます。委員長を筆頭に、シンジ、ユウジ、ヤスオ、コジャ、ニック他数名を引き連れタクシーをぶっ飛ばして六本木スクエアビルへなだれ込みます。ビルの前のキャッチにわざとつかまり割引券などを貰い、シンジの清水訛りで入り口で金を払います。当時の六本木は男ばかりのグループは断れることもありましたが、どうみてもおのぼりさんにしか見えないタキシード軍団ですからすんなり入店します。店内に入れば風呂敷包みをぶら下げてあたりをキョロキョロしながら、わざわざダンスフロアーを突っ切って客席に向かいます。もうこの時点で結構な笑いものになっているのですが、更にDJブースに行ってマイケルジャクソンの「今夜はドントストップ」なぞをおねだりします。しかも丁寧な清水訛りです。DJ氏は「ったくしょーがねぇな、田舎もんが入ってきちゃったよ」などと思いつつも、タイミングを見てバーンとかけます。マイケルの奇声が聞こえるや否や全員でフロアーに飛び出します。それまで楽しく踊っていた常連の方々は、ダッセーっよ!とか吐き捨てながらフロアから散っていきます。そしてここでユウジがリカちゃんマイクを取り出し、マイケルの物真似で登場です。このユウジってのがマイケル似で、オフザウォールのジャケットと同じタキシード姿でフロアに立つと、回りはジャクソンズ風に一列に並んで首振りダンスを踊ります。回りの観客は一体何が起こったのか理解できぬまま、この軍団のショータイムに引き込まれていきます。最初は笑いながら「馬鹿じゃねーの」とか言って見ていたやつらも、結構マジな踊りに圧倒されていきます。更にここでシンジがDJブースに向かい、「バスティンルーズ」や「ZAPP」をリクエストします。DJ氏も今目の前に展開されている出来事を理解できぬまま言いなりの選曲が続きます。(誰だよこいつら、みたいな)さあこうなってくるともう軍団の独壇場、ショータイムです。トドメはニックのバック転などかまして大爆発。さすがに収拾がつかなくなったDJ氏はスローダウンして幕引きです。途端に軍団は風呂敷包みを手に再びフロアを横切って一気に撤収です。とにかくこんなバカをすることがとてつもなく楽しかったですね。でも裏を返せば、そんなことでもしていなきゃ毎日の閉塞感を紛らわすことができなかったのも事実でした。また、夜通しディスコで遊んだ後、イケイケのヤスオにバンを借りてこさせ、深夜の246をぶっ飛ばして一路湘南海岸へと出張ります。全員にスケートボードを持たせた委員長は、砂浜にサーフボードを刺して身支度をしているサーファー達の隣でスケボーを砂浜に刺してそこに全員で寝転がります。サーファーのにーちゃん達は委員長たち軍団を胡散臭い目で見ます。「このあたり良いウェイブが来るって聞いたんだけど本当?」ヤスオが声をかけます。「ウェイブですか?」何言ってんだこいつらって感じです。「良い波来る?」ユウジが聞きます。「サーフィンやるんですか?」「いや、寝に来ただけ。がははは~」全員大笑い。あまりに異常なズレ方の委員長達に恐れをなして移動するサーファーにーちゃん達。「なんだよう、見学させてくれよ、波乗り~」サーファーの後を追うようにスケボーを持って移動する軍団。いい歳コイて兄貴風吹かせてこんなバカなことばかりしていたわけです。もうすでにこの頃の委員長は壊れ始めていましたから、彼女のC子もそんな委員長を情けないと思ったのか、本人もこのままじゃダメだと思ったのか、夜の世界にどんどん突っ込みはじめて行きました。クラブ勤めも新宿じゃダメだから銀座に出る、みたいな話にもなってきて、JAZZヴォーカルの方も中々芽が出ずに委員長共々精神的には相当追い詰められていました。次第にお互い家を開ける日も増え始め、顔を会わせる時間も減ってくれば殊更焦燥感はイライラへと転じていきます。そんな空虚な気持ちで意味の無いバカ騒ぎを繰りかえしているうちに数ヶ月が瞬く間に過ぎて行きました。
2005年11月02日
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エスメラルダの名前が売れ始めていくと、同業者との無用な摩擦や余計なトラブルなども起こり始め、ヒロシや花見ではコトを収めきれずに委員長の処に話が回ってくるようになりました。くだらないイザコザでは高飛車なヒロシが黒服と揉めて脅されたり、ハコ取りに絡んでエスメラルダの若手DJが苛めにあったりとか、勢いに乗る集団(組織)の強さに嫉妬したり妬むやつらもそれだけ多かったってことです。ある時などは東宝会館の真ん前でヒロシと某ディスコの黒服とが口論となり、カッと来た黒服がつい手を出してしまったことから警察沙汰になってしまい、歌舞伎町交番に二人して引っ張られるという事態になったことがありました。ところが、ヒロシをぶん殴った相手の黒服に前科があったので、ヒロシが訴えを起こせば非常にヤバイことになるわけです。ところが、どうしてもヒロシにだけは詫びを入れたくないといって意固地になってしまったんですね。警察だってこんなくだらないことでコトを大きくしてつまらない仕事を増やしたくはないし、なんとか和解するよう間に入ってヒロシを宥めたりしたのですが、ヒロシもこうなると意地でも訴えると言って引き下がりません。そこでヒロシの上司ということで委員長が呼び出され、「二人ともとにかく今日はこれで収めてくれよ。こうして俺まで呼び出されてわざわざ来ているんだから、これ以上コトを大きくすることもないだろう」と諭すと、トラブルの渦中にいる者にとってはメンツの問題だけですから、「ロニーさんがそう言うのなら」ってことでお互いが折れるわけです。後に双方個別に会って「後々面倒を起こさないように手打ちしておいた方が良いぞ」とアドバイスすれば、前科者も素直にヒロシの元を訪れ詫びを入れます。受けてヒロシも水に流すってことになり、簡単に収まるわけです。そうなると、双方がお互いに「ロニーさんが裏で動いてくれたんだな」と勝手に解釈しますから、益々話がオーバーになり偶像化されていってしまいます。(いわゆる年の功ってだけのことなんですけどね)そんなことが重なって、知らぬ間に「ロニー」という偶像が委員長自身を飛び越えてしまい、後輩たちには妙な期待をされるような存在となっていってしまったんですね。俗に言うツッパリ系にこのパターンが多いですよね。番長とかね(笑)。回りがどんどん大物にしてっちゃって、本人もがんじがらめになってワルをやらざるを得なくなってくるってパターンですね。無矢理したくもないケンカさせられたりね。まあ委員長の場合は極道張ったわけじゃありませんから、そんな過激なことになりはしなかったんですけど、それでも妙に頼られることが多くなってそれがまた派閥を作ったりしてしまったんですね。ほんと、人間てのはどうしてこうすぐに群れたがるのでしょうかね。兄貴とか、親分とか言われて乗せられた方も素直にギブアップしちゃえば良いんですけど、一度お山の大将になっちゃうと中々引けなくなって更にドツボにはまっていくみたいな感じですかね。気が付いたら刑務所に居たなんてね、洒落にならないですね。でもって、出所してきたら回りはみんなそれなりの社会人とかになって落ち着いちゃってたりして、逆に今度は尋ねられては迷惑だみたいな態度されて、また心がねじれちゃう。あとはプロの世界に行くしかありませんよね。乗せられた方もアホですけど、無責任に乗せた奴らはもっと悪いですね。いつも安全圏に居て、乗せたバカの影に隠れて不良のカッコして遊んでるだけ。でもってリスクは全部バカに任せて時期が来たらしっかり一般人になりきっている。それで、「昔はオレも悪かった」とかノーガキこいたりするんですから、これではリスクを一身に背負って人生捨ててくれたバカ(馬鹿者達の救世主ですね。Oh,ジーザス!)に申し訳ありませんね。委員長が歩いてきたこの業界も同じようなところがありまして、本当に突っ走って時代を生きてきた奴らがまだ現役で残っているとすれば、まともな人生を送っているわけが無いんで、間違いなくどこか壊れてるはずなんです。壊れているからこそ本物なんで、それがまっとうな暮らしして現役で生きてたりしたらその方がよっぽど怪しいですよね。時代に本気で関わってとことん逝っちゃったヤツが無傷でいるわけはないんです。またまた話が逸脱しますけど、当時のディスコ業界といったところで所詮は水商売ですから適当に生き残ろうと思えばいくらでも残れた世界なんですね。まあ芸能界ってことで云っても同じですが、要は水モノですよね。時代との関わり方ってのもあるんですけど、仮にDJとかバンドとか言って騒いでいたとしてもいずれは時代の感性とズレが生じてきますから、現役のままでずっと走り続けることなんてできるわけはないんです。そんな時代の境目に立たされた時に横飛びしてどこぞの店の店長になったり、黒服に転向して異業種にもぐりこんで身を立てたりしたようなヤツらは、委員長の友人的分類ファイルのカテゴリーの中の「昔馴染み」ではあっても、一緒に時代と格闘した「戦友」にはなっていません。つまり、金が稼ぎたくてこの世界に入ったのではないし、出世したいがためにディスコで働いていたわけではなく、それは働いているうちに欲が出たまでのことで、根本的には音楽というものに囲まれて好きなことをしていたかっただけのことでした。もちろん動機としては、おねーちゃんにもてたいとか人気者になりたいってことが先ずあったわけですが、それも道楽に身を投じていくうちに二次的なものとなり、生活の全てが音楽を中心に回りだす頃にはもう引き返すこともできないところまで来ていたというのが実際の話です。そしていつのまにかブームにも翳りが出始め、勢いだけで働ける年齢も過ぎ、少しは将来を考えなければならなくなった時に、それでもDJってものにしがみついたヤツ、バンドとしてしがみついたヤツ、ダンサーとしてしがみついたヤツ、どんな形にせよ自分が本気で時代と関わったことにとことんしがみついたヤツ、そんなヤツらこそが委員長にとっては唯一ホンモノであると思えるのです。そしてそういう道楽者達と同じ時代を共に生きたということを誇りに思い、戦友として生涯忘れずにいたいと思っています。だから戦友が今どんな暮らしをしていようが、何をやってメシを喰っていようが、はたまた犯罪者になっていようが(笑)、そんなことはどーでも良いことで、あの当時、後先考えずに、小利口にも立ち回れず、とにかく不器用に突っ走って行って時代の渦に飲み込まれたヤツラこそが、私自身にとって唯一リアリティのあるホンモノの戦友なのです。委員長の場合は自分でケジメがつけられなかったために、時代の方からケジメをつけられてしまい、国外逃亡というか島流しの刑にあってしまったんですが、これが逆に幸いして、どうにか今はそれなりの暮らしをなんとか得ることができました。しかし、時代と共に玉砕戦没した戦友や、未だ道楽と現実の間をさまよっている戦闘流浪者(Missing in action)なども数多くいるわけで、せめてこういった戦友達の戦闘勇姿を語ることが生き残った道楽者の務めではないかとも思っているわけです。もうひとつ言わせて貰えば、ディスコと言えども所詮は水商売ですから、同業種で食い繋いで行こうと思えばいくらでもできた世界だったんです。いわゆる黒服に転向するとか、スナックやクラブへ流れていくという、そのまんまの世界ですね。当たり前の流れですよね。それはそれで苦労もあるだろうし、立派な生き方でもあると思います。それこそ委員長がとやかく言うべきことではありませんし、それをどうこう言うのはおこがましいことでもあります。ただ、同じ時代を生きた道楽者としては当たり前すぎる展開であまり面白みが無いってのが本音です。まあ、なんだかんだ云ったところで極めて個人的見解というか、極々個人的解釈に基づいた理屈でしかないんですけど、当時の委員長たち道楽者が追い求めたフィーリングってのはFUNKYだったわけですから、その後の人生にもFUNKYっぽさが出てこなければそれまでの生き方がウソのように思えてくるのです。ちょうど今から20年前になりますが、委員長が日本を脱出した頃、風の噂でオーティス中村がカラオケ屋の司会をしながらDJを続けてるって聞かされて異常に嬉しくなったことがありました。それが事実かどうかは別として本当に嬉しかった。彼らしいな、って、まさしくFUNKYな生き方だなって。だって現役当時の彼は、それこそ飛ぶ鳥落とす勢いのカンタベリーチェーンの花形DJ(笑)だったんですから、それこそが彼の「DJ」へのこだわりだったのだと思えて共感が沸いたんですね。それがもし「○○店の店長やってるらしい」っていうような噂だったら、たぶん「あーそう」って何も感じなかったと思います。それってごく当然の流れでしかないし当たり前な生き方でしょ。土建屋さんで職人してたヤツが、土建屋が潰れて今度は建築資材売る商売始めたところで、それは自然な成り行きでしかありませんよね。職人はあきらめたけど商売がうまくいってよかったねって。それだけです。ところが、元土建業の職人さんが手工芸で技術を生かしながら未だ職人を続けている、なんて話を聞いたら仕事にこだわる「職人魂」を感じざるを得ませんし、更に飛躍して今は八百屋さんをやってますなんて聞いたらもっとFUNKYですよね。実際にオーティス中村がカラオケ屋で働いていたかどうか知る由もありませんが、未だ現役DJを張っているというその生き様こそが彼の人生を如実に表していると思います。そして、委員長は戦友の一人としてそんな彼を誇りに思っているわけです。もうひとつ面白いエピソードとして、委員長の後輩で妙に生活感のあるヤツがいて、やはりディスコブームに翳りが出始めた頃、こいつは委員長たちゴミ仲間からすっぱりと抜けてさっさと就職していってしまったんですね。「ロニーさん、やっぱ、安定した生活は公務員しかありませんよ」ヤツはそう言って区の清掃局員になっていきました。ゴミ仲間からゴミの掃除屋が出たわけです。でも委員長の場合、別に安定した生活を求めてDJになったわけじゃないし、むしろ安定した生活というか、フツーの生活が嫌で飛び込んだ世界でしたから生活に対する不安とかリスクは付いて回るのが当たり前だと思っていました。まあこれも謂わば結果論で、そいつは元々DJに向いてなかったってことなんですけど、そういうヤツはそれで自分の人生を全うすれば良いわけです。いくら先輩だからって、委員長がそのことについてとやかく言う筋合いもないし、権利もありません。当然ですね。本人が納得する世界で立派に暮らせばそれで良いわけで、今更昔の話を持ち出してきて他人がとやかく言うべき問題でもありません。今も現役で道楽を続けている方はたぶん相当なリスクを背負って生きておられると思うし、委員長のように現役は遠の昔に引退しましたが、人生を博打にしてしまった見返りは程度の差こそあれ、未だ同様のリスクを背負って生きていることには変わりはありません。人は息吸って吐いているだけで勝手に歳は取っていくし、歳を取れば最低限の社会秩序も守らなきゃならないし、協調しなけりゃならないことも増えてくるわけです。それでも「オレはお前らとは違うんだ」っていう反骨精神を持って生きることが道楽者の魂だと信じているし、その表現方法はどうあれ「オレは騙されネェーぞ」って云う社会へのメッセージこそがFUNKYそのものだとも信じています。だから、「オレは昔凄かった」って言うヤツに限って、とっくに道楽者魂は捨てちゃっているんですね。昔なんかどうでも良いんです。それはあくまでも生きてきた軌跡でしかないんで、今どうやってFUNKYを体現しているかってコトだけが委員長の人生の秤なんです。今日はちょっと理屈っぽくなってしまいましたね。
2005年11月01日
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