前回の婆ちゃん最強説というのは、ポーランドの中でも熱心なカトリック信者の多い老齢の女性を怒らせたら、ポーランドでは生きていけないというもので、婆ちゃん層を怒らせるような政策を唱える政権はすぐにつぶれるし、そもそもそんな政策は主張できないなんて言ってたかな。もっと小さな部分でのお婆ちゃん達の力についても個人的な経験も交えながら、あれこれ話してくれた。婆ちゃん連合とでも言うべき非公式の組織があるんだなんて話はちょっと眉唾だったけど。
もう一つ覚えているのは、学校の先生が給料は安いけど学年末になると金持ちになるという話で、微妙な成績の子供の、お金持ちの親たちが、あれこれ付け届けをするものだから、さすがに家や車はないみたいだけど、家具とか電気製品とかは買う必要がないんだなんてことを言っていた。父兄会みたいなのがあると、先生が最近冷蔵庫の調子が悪くてなんてことを言うらしい。そうすると親たちの話し合いで担当者が決まって、どこの誰からともわからないように先生の家に冷蔵庫が送られてくるのだとか。
じゃあ、お前ら先生になればいいじゃんなんてことを言うと、役得も多いけど、その分厄介ごとも多くて給料も安いから割に合わないんだという答が返ってきた。日本でもそういう話は聞かなくもないけれども、ポーランドの話はちょっと桁が違っていた。チェコだと昔は共産党関係で優遇されることがあったなんて話は聞くけどね。子供の進学のために親が共産党に入ったとか。
師匠は母親ががちがちの共産党嫌いだったから、大学には入れたけど希望していた学科には入れなかったといっていた。自分が共産党に入れば希望する学科で勉強することも可能だったのだろうけど、母親の反対と、親から受け継いだ農地を共産党員に暴力的に没収された母親の悲しみを考えるとそれはできなかったと言っていた。師匠が希望する学科に入れていたら、我々のチェコ語の先生として現れることはなかったわけだから、なんとも言い難い気持ちになった。
とまれ、この年の授業の様子はこんな感じだった。朝、当然授業開始前にほぼ全員そろって、どうせ前の夜も一緒に飲んでいたのだけど、あれこれ雑談をする。時間になって師匠がやってきて授業を始めようとすると、誰かが、
„Prosím t?, mám otázku“
と言って質問をする。大抵は、前日の授業の後に町で気づいたことや、新聞記事で理解できなかったことについてだった。お店の看板にこんなことが書いてあったんだけどどういうこと? とか、レストランでこんなことがあったんだけどなんて質問に、師匠は苦労しながら答えていた。その結果、町中の特に手書きの看板には文法的な間違いやつづりの間違いが多いということがわかった。書かれていることが理解できなくても、こちらの能力不足とは限らないのである。
確か、どこかのお店の窓ガラスに「zleva」と書いてあったのに気づいた人がいて、これって「sleva」の間違いだよねという話があったのを覚えている。そこから、師匠は接頭辞の「z」と「s」の違いを詳しく説明してくれて、それが簡単に終わるわけがなく、気がついたらその日の一つ目の授業は終わっていた。
それから、レストランに関しては、確かカティが、たのんだ覚えのない項目がレシートにあるんだけどこれ何? と聞いたんだったかな。師匠は、最初はチップに当たるようなものかねえと言っていたのだが、質問を重ね、食事の際にカティが取った行動を克明にしゃべらせた挙句、それはドレッシングだと結論付けた。そのとき、カティは付け合せの野菜に付けるために、隅のほうに置かれていたドレッシングのセットを勝手に持ってきて使用したのだった。
今は知らないが、当時は特別な、ドレッシングをかけて食べることになるサラダの場合には、いくつかの種類のドレッシングが載ったお盆がいっしょに持ってこられ、どれを何種類使用しても追加料金は発生しないが、ドレッシングの使用が前提とならない料理の場合には、ドレッシングは別途注文する必要があって当然別料金になっていたのだ。そのことを学生たちは誰も知らず、師匠の説明を聞いて初めて知ったのである。
当然お前らの国はどうなんだという話になってみんなであれこれ話をしたのだが、日本については、こちらは、レストランなんか最近行ってないから知らないと答え、もう一人が説明していたことも残念ながら覚えていない。チェコに来る前、外で食事をするというと、大抵は飲み屋に出かけて、お酒とおつまみだったし、そんなところでドレッシングが必要なものなんて注文しないから、と言うよりは飲む方が優先だったから、よくわからなかったのである。今もわからんけど。
断片的な思い出話は、もう少し続く。
2020年7月23日19時。
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