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2020年07月31日
ツィムルマンの夏2(七月廿八日)
せっかく思いついたネタなので、忘れないように続ける。全部まとめてになるか、一部は後日回しになるかは、それぞれの演目にどれだけ書けるねたがあるか次第である。
4. Lijavec
これ以前の三作は、以前から存在を知っていて、部分的に見たこともあったのだが、この作品は存在すら知らなかった。題名も聞いたことのない言葉だけど、「liják」と関係がありそうなので、土砂降りの雨ということだろうか。念のために最近出た『チェコ語日本語辞典』(成文社)で確認したら当りだった。
この作品がほかの作品と違うのは、チェコテレビのHP上でオンライン視聴が可能になっていることである。以前はユーチューブに、ツィムルマン劇場のページがあって、演劇を視聴することができたらしいのだが、関係者が権利関係でもめて、全部消されたという話も聞いたことがあるので、他の作品と違って、この作品はもめる対象にならなかったから、オンラインで見られるのかななんてことを想像している。
内容は、戯曲を書けども書けども誰からも評価されないツィムルマンが、自分の名前で発表するのをやめて匿名で民俗芸能の作家になるということが書かれているけれども、これが劇中で演じられる劇とどう関連するのかはわからない。「アネクドタ」と呼ばれるチェコの冗談、もしくは小話が重要な役を果たすらしい。チェコの冗談自体が外国人には理解できないものが多いから、この「戯曲」が理解できなくてもしかたないのだろう。
5. Posel z Liptákova
題名は「リプターコフからの使節」なのだが、リプターコフはツィムルマンが生前最後に姿を見られたとされる村の名前で、リベレツの近くのイゼラ山地の山中にあるらしい。ただし、映画「ツィムルマン、横たわりて眠りし者」の撮影の舞台になったのはフラデツ・クラーロベー地方のベセツ・ウ・ソボトキという村なのだとか。
セズナムの地図で「Liptákov」を検索すると、この村にあるらしい「filmový Liptákov」という記念物が出てくる。村にある建物が、ツィムルマンが教鞭をとった小学校やツィムルマン記念博物館として使われたようだ。また村全体が景観保護地区に指定されていて、さまざまな映画やテレビ番組の撮影に利用されているという。因みに、「トルハーク」の舞台になる村も、ついついリプターコフだと思ってしまうのだが、実際にはリポベツだった。同名の村はチェコ各地に何箇所かあるようなので、そのうちのどこで撮影されたのか、いや、そもそもリポベツで撮影されたのかどうかはわからないけど。
劇中で演じられるツィムルマン作の演劇の題名は「光の使節」と「予言者」となっているのだが、ツィムルマン研究者たちがリプターコフに調査に出かけて発見した資料の中にあったものだという。つまりは没後の初演ということでいいのかな。これも部分的には見たんだけどねえ。
6. N?mý Bobeš
題名の「n?mý」は、ドイツ人「N?mec」の語源になった(と思われる)形容詞で、言葉がわからない人、口がきけない人を指す言葉である。だから直訳すると「口のきけないボベシュ」とでもなろうか。これまで一度もまともに見たことがないので内容についてはよくわからない。
チェコテレビの解説のページに拠れば、失われた、もしくは部分的にしかテキストの残っていないツィムルマン作の戯曲の再現を試みたものだというのだけど、ツィムルマンなので、オリジナルの戯曲もとんでもないものだろうし。再現するのがスモリャクとスビェラークなのでそちらもまたとんでもないものであるに違いない。
最後はちょっと短くなったけれども、次のを入れると長すぎるので、とりあえず今日はここまで。
2020年7月29日9時。
タグ: ツィムルマン
2020年07月30日
ツィムルマンの夏1(七月廿七日)
このチェコの誇る偉人については、こんなことを書いたことがある。「ヤーラ・ツィムルマンは、チェコの偉大な発明家であり、思想家であり、作家であり、画家であり、一言で言えばあらゆることに才能を持った万能の人であった」(「 最も偉大なチェコ人 」)。その偉大さについて語られたのが、チェコ映画史上最高の傑作のひとつ(だと思う)「 ヤーラ・ツィムルマン、横たわりて眠りし者 」である。
そして、この映画でツィムルマンを演じる、日本でも「コリャ」の主役で知られる俳優ズデニェク・スビェラークは、盟友のラディスラフ・スモリャク(残念ながら亡くなってしまったが)などとともに、「ヤーラ・ツィムルマン劇場」で活動を続けている。この劇場はツィムルマンの劇作家としての側面に光を当てており、すべての演目はツィムルマン本人と発見された戯曲についての研究発表とその戯曲の上演という形で行われている。さらにこの劇場の活動を題材にした映画「 不安定な季節 」が制作されている。
このツィムルマン劇場については、これまでも何度か書こうと考えたことがあるのだが、踏み切れずにいた。映画以上に我がチェコ語では歯が立たないのである。たまにテレビで放送される演劇を見ていると観客達は頻繁に大声で笑っているのだけど、自分もいっしょに笑える部分は少ないし、頭で考えて何がおかしいか理解できる(ような気がする)ものまで含めても、半分にも届かない。そもそもストーリーがよくわからないというものもある。
ただ、七月に入ってチェコテレビが、武漢風邪騒ぎで劇場なんかにいけなくなってしまった演劇好きのチェコ人のために、これまで放送してきたツィムルマン劇場の演目をまとめて放映してくれている。集中して見てはいないけど、録画はしているし、せっかくの機会なのでどんな作品が存在するのかだけでも簡単に紹介しよう。
1. Vyšet?ování ztráty t?ídní knihy
直訳すると「失われた学習記録の捜索」とでもなろうか。「t?ídní knihy」というのは、学校で使われる(もしくは使われた)もので、クラスの出席簿とそれぞれの科目の授業の進捗状況を記すことになっている日誌のようなものらしい。正確には覚えていないけれども、とある学級のその日誌が何年も前に失われて云々という話だったと思う。
チェコテレビの番組紹介ページに拠れば、この演劇はツィムルマンを、チェコの誇る教育者であるコメンスキーの後継者に位置づけたというのだけどね。この夏最初の作品だし頑張って最後まで見ようと思っていたのだが、すでに前半の研究発表の部分で挫折した。以後は部分部分見ただけである。思わず笑ってしまったところや、にやっとさせられたところはあったのだけど、全体としてはやっぱりよくわからなかった。冗談言う前から笑っている観客がいるのは、常連で何を言うかもう覚えてしまっているのだろうなあ。
2. Záskok
題名は「代理」とか「代役」とか訳せるだろうか。ツィムルマンの戯曲「Vlasta」の初演の失敗についてというのだけど、後半の上演の部分では、その失敗した初演の様子を再現していたのかな。これも想像の入った解釈だけど、誰かの代役として呼んだ高名な俳優が、実は全く使えない奴で舞台に混乱を引き起こす様子が描かれているのだと思う。ツィムルマンのことなので、その混乱自体が戯曲に描かれていたとも解釈できそうだけど、実際のところはよくわからない。
研究発表の部分では、ツィムルマンが主宰していた劇団のあまりに馬鹿らしい終焉の迎え方だけは理解できた。冬休みの前に解散する時に、次に集まる日時も場所も発表されなかったので、そのまま二度と集まることがなかったのだとか。文字で読むとあれだけど、演劇の中では語り方のうまさもあって、外国人でも思わず噴出してしまう場面になっている。
翻訳されて英語でも上演されているというのだけど、チェコ語の冗談が英語でどこまで伝わるのか疑問である。そもそも、誰が翻訳してどこの劇団が公演しているのだろう。奇特な人もいたものである。
3. Blaník
簡単に言えばツィムルマンの伝説、歴史を題材にした戯曲の話である。ブラニークの騎士たちの伝説と、モラフスケー・ポレやビーラー・ホラなどの実際に起こり、チェコの軍隊が手痛い敗戦を喫した三つの戦いを結びつけて極めてツィムルマン的に解釈されている。
研究発表の部分では、ツィムルマンの考えによるブラニーク山の構造というのがあって、山の中には騎士たちのいる空洞が開いていることになっていた。それは三つの階層に分かれていて、一番上には、騎士たちを率いる聖バーツラフの部屋、二番目には指揮官たちの部屋、三番目は三つの部屋に分かれていてそれそれの戦いで敗れた騎士たちが待機している。騎士たちの中にはろくでなしもいたので二番目の階層には営倉も準備されているのだとか。
演劇のほうは、入り口を発見して中に入ってきた歴史の先生だか、歴史学者だかが登場したのは覚えているが、後はブラニークの騎士たちの、チェコを守るという意志のなさそうな投げやりな様子が印象に残っているだけである。だから、今までチェコ民族が苦難に陥ってもブラニークの騎士たちが救いに現れなかったんだなんていわれたら納得してしまいそうだった。
最初の三つで、予定の分量を越えたので、残りは次回回しにしよう。部分的にでも見てから書いたほうがいいかな?
2020年7月28日10時。
タグ: ツィムルマン
2020年07月29日
感染者の数が減った(七月廿六日)
最近新規感染者の数が順調に増加する一方、治療済みの人の数がなかなか減らず、感染中の人の数が右肩上がりに増えていたのだが、突如、厚生省がこれまで発表してきたデータの修正を行った。その結果、治療済みの人の数が大幅に増え、現在感染している人が2000人近く減って、3500人ほどになった。このデータの修正について厚生省では、カルビナーの超大規模集団感染の発生以後、データの収集と整理が間に合わなくなったところがあって、とにかく一番重要な新規感染者を優先して処理した結果、快癒した人のデータの処理が遅れたのだと説明していた(と思う。ちゃんとニュースを聞いていなかったのが悪い)。
確かに、軽症の人や無症状の人が治療済みにいたる期間が、平均で二週間と言われている割には、治療済みの人の数が増えないのは不思議だった。期間に多少の長短があることを考えても、連日百人以上が追加されてもおかしくないはずなのに、データ上は50人以下ということが多く、日によっては十数人とか、一桁の日もあったかもしれない。その辺のたまっていたデータの処理が終わったのが今日だという事なのだろう。今後も、治療済みの数については修正が入る可能性は高そうだ。
とはいえ、チェコの感染状況が、以前の全国的に広がっている状況にもどりつつあるのは、確かで、厚生省ではやらないと言っていた、全国的な対策の強化を再度導入することを余儀なくされた。ただし、それほど厳しいものではなく、屋内で行われる100人以上のイベントに参加する場合にはマスクを着用しなければならないというのと、屋内のイベントが500人、屋外が1000人という人数制限が加わったぐらいである。
もちろん、モラビアシレジア地方や、リベレツ地方など地方全体で特別な規制を導入しているところもあるし、イフラバやブルチノフなどより小さな規模で規制を強化しているところもある。ここ二ヶ月ほど、チェコの武漢風邪の中心であり続けているカルビナー地区では、一度減った新規の感染者数がまた少し増え始めている。これは、OKDの炭鉱関係者の集団検査の二回目が行われたことによるという。前回陰性だった人と、休暇中で検査できなかった人を対象にした検査では、前回よりははるかに小さな割合ではあるが、感染者が確認されているようだ。
大きな問題になっているのが、イフラバにあるアルツハイマー病の患者を収容する施設で、患者たちだけではなく職員の間にも感染が広がっていて、施設の運営にも大きな問題を引き起こしている。緊急で看護師などの募集をしていて、宿泊用に施設の前の駐車場にキャンピングカーを準備したと言っていたけど、この状況で人が集まるかどうかは疑問である。おそらく、最終的には以前同様の問題を起こした老人ホームと同様に軍隊が派遣されることになるだろう。
今回厚生省が、全国的な規制の再導入を決定した理由がこれで、ここ以外にも、病院の入院病棟、老人ホームなどでの集団感染が、一つ一つの規模は小さいとはいえ、各地で発生していることが大きな問題とされている。また、外国からつれてこられた季節労働者が住んでいる宿泊施設でも各地で中断感染が発生しているが、今のところ外国からの労働者を禁止するという方向には向かっていないようだ。
あらゆることでチェコの中心であるプラハでも、カルビナーを除けば最大の集団感染が発生した。夜中に若者達が集まって馬鹿騒ぎをするクラブでのイベントで、100人を越える感染者が確認されたのだ。話によると、狭い空間に大量の人間が詰め込まれて、飲み物を飲むのにストローが共用されたりなんてこともあったようだ。ここで起こった集団感染が、屋内での100人以上のイベントでのマスク着用の義務が導入された原因のひとつになっている。
理解できないのは、このクラブが、専門業者による殺菌処理を終えて、多少の制限は受けたもののすでに営業の再開をしていることで、日本だったら営業停止処分になるんじゃないかと考えてしまった。集団感染が発生したイベント自体は当時の規制には違反していなかったとはいえ、客の問題行動を制止しなかった責任はあると思うのだけど。さすがチェコと言うべきところか。
今後流行がさらに拡大したとしても、春の最初のときのような、がちがちの規制の導入はできまい。あれをやると流行が終わる前に経済だけでなく社会が崩壊しかねない。外出禁止の期間に家庭内暴力が大きく増えたという話もあるし、通報されても対処できないケースも多かったなんて話も聞く。子供たちにとっては外出が制限されるというのは苦痛でしかなかっただろうし、繰り返されたら心を病む子供も出かねない。
2020年7月27日18時。
タグ: コロナウイルス
2020年07月28日
コスマス年代記(七月廿五日)
日本の古代の歴史についての基本史料というと、当然『古事記』、『日本書紀』の名前が挙がるのだが、チェコでこの二つに相当するものが、本日のテーマの『コスマス年代記』である。これは12世紀にプラハのキリスト教関係者のコスマスという人物が、当時の教会の公用語だったラテン語で記したもので、イラーセクなどの後の歴史文学の書き手も、チェコの伝説や初期の歴史については、多くをこの本に拠っている。当然、与太チェコ史に書き散らすチェコの君主についても文章のネタもととなった子供向けの絵入りの本や雑誌の記事も本をただせば、この年代記に行き着くわけである。
読んでみたいと思ったことがないと言うと嘘になるが、ラテン語で書かれているというのはチェコ語以外の外国語がまったくできない人間にはハードルが高すぎた。チェコ語訳も出ているのだろうけれども、教会の人間が書いたとなるとキリスト教に都合のいい記述や、聖書からの引用などもあるに違いない。それなら、イラーセクというフィルターを通したものの方が読みやすくて、精神衛生上もよかろうということで、すんなり諦めた。イラーセクの『チェコの伝説と歴史』なんて、日本語訳でも読めるようになっているわけだしさ。
以上が、『コスマス年代記』に対するスタンスであり、誤りもありそうな認識だったのだが、木曜日に何日かぶりにメールをチェックすると、『チェコの伝説と歴史』の訳者の浦井康男氏の名前でメールが届いていた。何だろうと思って開けてみると、以前エルベンの『花束』の日本語訳を入手した「 cesko – STORE 」からのメールだった。無料でもダウンロードの再にメールアドレスの入力を求められるから、運営者の浦井氏の名前でメールが届いたのだろう。
一読して驚いた。『コスマス年代記』の翻訳を進めていて、そのうちの第一部が完成したからPDF化して、無料で提供するとのこと。イラーセクの歴史小説『暗黒』の次が、コスマスとはさすがというかなんと言うか。イラーセクの別の歴史小説が出ないかなと期待していただけど、これはこれでものすごくありがたい。浦井訳って注釈が詳しいので、純粋な文学作品だと注釈はうるさく感じることもあるのだけど、この手の歴史的な文章を読む際にはありがたい。
早速、「cesko – STORE」に行ってダウンロード。前回もそうだったかもしれないけど、電話番号の入力でチェコのものが入れられず、国際番号を着けたら桁が多すぎで、省いたら桁が少なすぎるらしく、結局実家の番号でごまかすことになってしまった。それにしても、このお店、教科書だけは有料でそれ以外は無料になっている。読本は中身を確認してからじゃないとなんとも言えないけど、コスマスとエルベンの翻訳なら、有料でも買うと思うんだけどなあ。外国のクレジットカードが使えればだけど。
それはともかく、まだ冒頭の「はじめに」の部分しか読んでいないのだけど、ここに書くことがなくなった。『コスマス年代記』に興味があるなら、「cesko – STORE」に行ってダウンロードしてこの「はじめに」を読めば、知りたいことはほぼ知れるはずである。そこにこちらが生半可な知識であれこれ書いても、屋上屋をかけるどころか、恥をさらして終わるに違いない。
とはいえ、これで終わっては我が文章ではないので、ちょっとばかり与太を飛ばしておこう。「はじめに」によれば、『コスマス年代記』は三部に分かれているという。ということは、日本史における『古事記』に対応すると考えてよさそうだ。コスマス以前にチェコの歴史が登場する国外で成立した年代記が、多少とはいえ存在するというのも、日本の歴史が中国の歴史書によって始まるのと似ていると言えば言える。こんなことを考えると、ちょっとチェコの歴史が身近に感じられるような気がしなくもないかな。
ということで、チェコの神話的な伝説の時代からの歴史を知りたい場合には、まずイラーセクの『チェコの伝説と歴史』を読んで、『コスマス年代記』に手を伸ばそう。『チェコの伝説と歴史』も今なら、まだ手に入るようだしさ。
2020年7月26日11時。
2020年07月27日
サマースクールの思い出(十二)——三年目3(七月廿四日)
チェコ語には、いくらチェコ語ができるようになって、チェコ語で思考するようになったからといっても、日本人としての意識が残っている以上使えねえという表現がいくつか(も、かも)ある。そのうちの一つが、恋人同士が呼びかけるときに使う。「zlato(黄金)」「beruško(てんとう虫)」「sluní?ko(太陽)」なんて言葉がある。ようは自分にとっては、それだけの意味があるということなのだろうけど、てんとう虫は幸運のシンボルらしいし、こっぱずかしくて口にはできない。「milá?ku(いとしい人よ)」なんて直接的なのもあるけどこれも同様。
この、恋人への呼びかけの言葉が、授業中に議論の対象になった。同じスラブ系でも全く同じではなく微妙に違うものもあったと思うのだが、そんなことはどうでもいい。日本ではこんなとき何というのかと問われて、正直に日本人にはこんなこっぱずかし意言葉は使えねえと言ったのに信じてもらえなかった。
漫画や小説の登場人物なら英語のその手の言葉を借りてきて使うのだろうけど(そんな作品ほとんど読んだことはないけどゼロではないし)、現実に使っている人はいるのだろうか。個人的には古典にかえって「わぎもこ」なんていった方がマシである。ただこれも呼びかけとして使っていたのかなあ。和歌の中で比喩的表現として使うのならあれだけど、直接呼びかけに使うってのには抵抗がある。
それはともかく、信じてもらえないので日本人のメンタリティーを説明するのに、例の漱石のお月様の伝説まで引っ張り出す破目に陥ってしまった。漱石の月の話も最近あちこちで目にするようになって、食傷気味なんだけど、どうしてみんな、「月がきれいだ」にしてしまうんだろう。あれって「月がとってもあおいなあ」じゃなかったっけ?
確か大学時代だったと思うけれども、先輩が日本の文学では、自分の気持ちを直接的にあからさまに表現しないのが古来からの伝統だといって、漱石の逸話を教えてくれた。そのときに「きれい」ではなくて、「あおい」と言うところが漱石らしいよなあと評していた。「きれいだ」と言ってしまうとあからさま過ぎるというのである。
貫之が業平を評した「意あまりて言葉足らず」は、ほめ言葉じゃないかもしれないけれども、定家の歌論にしても、芭蕉の俳論にしても、確かに同じようなことをいっていたような気もする。ただ定家の文章も、芭蕉の文章も、読めばわからなくはないし、その理論も理解できなくはないのだけど、それを実作に応用するとなるとお手上げというところがある。まあレビ・ストロースとか、チョムスキーとかの理論も、本人とシンパ以外には、わかるようでわからんというか、わかった振りをしている人のほうが多そうだから、文系の理論なんてそんなもんと言ってしまえばその通りなのだけど。
話を戻そう。それ以前にも、チェコ語の「sluní?ko」は日本語でなんと言うんだなんて質問をされたことは何度もあって、そのときには、ややこしい話をしても理解してもらえなさそうだと考えて、大抵は酔っ払った席での話だったし、チェコ語の言葉を日本語に訳してお茶を濁していた。一応日本語では使わないけどねというコメントはしたけれども、どこまで意識されていたかはこころもとない。
このときのサマースクールでは、集まった学生たちの質が高かったこともあって、言葉の勉強、もしくは使う訓練のために参加しているのだから適当にごまかすのはもったいないと考えて、敢えてややこしい説明に踏み込んだ。授業中は即興だったからたどたどしい説明になって、わかってもらえなかったかもしれないが、自主的な宿題として文章にして師匠に提出したのだった。
授業では、これ以外にも、その場で考え考え、自分の使える言葉を使ってあれこれ説明しなければならない機会は多かった。言いたいことの中にチェコ語で何というか知らない言葉があっても、別な言葉を使って説明してある程度理解させる、いい訓練になった。それが現在の何についてでもある程度は語れるチェコ語力につながっていると思う。こちらの説明を聞いてチェコ語の正しい言葉を教えてくれるやつも多かったし、覚えにくい概念語を覚えることもできたんじゃなかったかな。誤解しているもののあると思うけど。
なんてことを書いて、日本の昔の和歌には「物に寄せて思ひを陳ぶ」なんてのがあったのを思い出した。チェコ語の「sluní?ko」なんてのも、それに似ているかもと一瞬思ったのだけど、相手に直接呼びかけるからなあ。やはり日本人には直接あからさまに言うのは向いていないのである。
あちこち迷走した挙句に、わけがわからなくなってきたのでこの辺でお仕舞い。
2020年7月25日22時。
2020年07月26日
サッカーリーグ結局中断(七月廿三日)
予定通りであれば、今日からサッカーの一部リーグ追加編残留争いの部が、「再び」再開されるはずだったのだが、直前になって無期限延期が決まった。この段階で延期ということは、事実上開催の断念ということで、これで今シーズンのリーグ戦は、2節6試合を残したまま終了である。その結果、最終順位が確定しないという変なことになってしまった。何でもリーグの規則に、1試合でも開催できない試合があった場合には、リーグ戦が完全に成立したとはみなされず、順位も確定しないと書かれているらしいのである。
ただし、優勝やヨーロッパのカップ戦の出場権などは、「確定していない」最終順位を元に獲得したものが有効になるという。だから、優勝はスラビア、チャンピオンズリーグの予選に出るのはスラビアと暫定2位のプルゼニュ。ヨーロッパリーグはMOLカップ優勝のスパルタ、暫定4位のヤブロネツ、5位でムラダー・ボレスラフとの出場権決定戦に勝利したリベレツの3チームということになる。
一方で、最後まで試合が行なわれなかったことで今シーズンは1部から2部への降格チームはなしということになり、救われたのは、暫定14位のカルビナーと、15位のオパバ、最下位のプシーブラムである。2部からは優勝のパルドルビツェと2位のブルノが昇格し、来シーズンは18チームで一部が行われる。残念ながら3位のドゥクラは昇格の権利を失った。もともと2部で3位のチームが無条件で昇格するというのには、疑問の声も、特に現場から上がっていたから、最終的には一番穏当な形に落ち着いたと言ってもいいだろう。
個人的には、7位から10位のチームは、ヨーロッパリーグの出場権をかけて、追加のリーグ戦ではなく、プレーオフ形式で試合をして、本来のリーグ戦の順位が、勝ち点の関係ない形でがたがたになるのだから、最後まで試合が終わった部分は順位を確定させてもいいと思うんだけどね。1位から10位までは順位確定で、11位以下は暫定の順位表じゃ駄目なのだろうか。
さて、今回の再再度のリーグ戦中断の原因もまた武漢風邪である。前回はカルビナーのチームで感染者が出たのだが、今回はオパバの選手が一人陽性だと判定されてしまった。その結果が判明したのが試合の当日で、地方の保健所による発表が試合開始の直前だったという。それで、オパバの試合だけでなく、予定されていた3試合がすべて延期、実質的には中止になってしまった。
オパバチームの関係者の話では、陽性の判定が出たのはチーム全体の検査の結果ではなく、練習後に帰宅して体調不良を訴えた選手に、念のために検査を受けに行かせたら、陽性だったという。それで、オパバはチーム全体が二週間の隔離状態、もしくは自宅監禁状態におかれることになり、8月2日までの試合の開催が完全に不可能になってしまったのである。幸いなことに陽性の判定を受けた選手は症状はあるものの入院するほどではないようだ。
この状況に最後までリーグ戦を完結することにこだわっていたリーグ協会もさすがにあきらめて、上に書いたような決定をしたわけである。気になるのは、チェコだけではないけれども、サッカーのプロリーグをかなり無理をして最後まで終わらせようとする理由として、ニュースなどではスポンサーの存在、正確にはスポンサーとの契約内容が挙げられることが多いことだ。
リーグが最後まで行われなかったり、開催試合数が減ったりした場合にペナルティが科されるか、スポンサー料が減額されるなんて契約になっているのだろうか。ただ、この武漢風邪の蔓延に世界が苦しんでいる中で、それが理由で試合ができないことを理由にスポンサー料を減額するなんてのは、スポンサーになることが広告の意味を持っていることを考えると、逆効果のような気もする。ここでリーグ戦が完結しなくても所定の金額を払うと発表するとイメージは凄くよくなるんじゃないかな。
チェコの場合には、1部と2部のリーグのメインスポンサーが、賭けの会社で試合数が減ることは、そのまま儲けが減ることにつながるから、試合数は減らしたくないと考えるのもわからなくはない。昨シーズンから通常のリーグ戦に加えて、追加の部分を設けたのも、試合数を増やすことも目的の一つだったはずだし。まあ、サッカー協会もリーグ協会もスポンサーの問題でリーグ戦を最後まで実施する必要があるとは発言はしていないから憶測でしかないのだけど。
2020年7月24日15時。
2020年07月25日
サマースクールの思い出(十)——三年目2(七月廿二日)
あのときのポーランドから来た学生たちの話がどこまで本当なのかはわからないけれども、今でもポーランドに対するイメージとして残っている。熱狂的にカトリックを信仰する国だから、このぐらいのことはあっても、不思議はないと考えてしまった。
前回の婆ちゃん最強説というのは、ポーランドの中でも熱心なカトリック信者の多い老齢の女性を怒らせたら、ポーランドでは生きていけないというもので、婆ちゃん層を怒らせるような政策を唱える政権はすぐにつぶれるし、そもそもそんな政策は主張できないなんて言ってたかな。もっと小さな部分でのお婆ちゃん達の力についても個人的な経験も交えながら、あれこれ話してくれた。婆ちゃん連合とでも言うべき非公式の組織があるんだなんて話はちょっと眉唾だったけど。
もう一つ覚えているのは、学校の先生が給料は安いけど学年末になると金持ちになるという話で、微妙な成績の子供の、お金持ちの親たちが、あれこれ付け届けをするものだから、さすがに家や車はないみたいだけど、家具とか電気製品とかは買う必要がないんだなんてことを言っていた。父兄会みたいなのがあると、先生が最近冷蔵庫の調子が悪くてなんてことを言うらしい。そうすると親たちの話し合いで担当者が決まって、どこの誰からともわからないように先生の家に冷蔵庫が送られてくるのだとか。
じゃあ、お前ら先生になればいいじゃんなんてことを言うと、役得も多いけど、その分厄介ごとも多くて給料も安いから割に合わないんだという答が返ってきた。日本でもそういう話は聞かなくもないけれども、ポーランドの話はちょっと桁が違っていた。チェコだと昔は共産党関係で優遇されることがあったなんて話は聞くけどね。子供の進学のために親が共産党に入ったとか。
師匠は母親ががちがちの共産党嫌いだったから、大学には入れたけど希望していた学科には入れなかったといっていた。自分が共産党に入れば希望する学科で勉強することも可能だったのだろうけど、母親の反対と、親から受け継いだ農地を共産党員に暴力的に没収された母親の悲しみを考えるとそれはできなかったと言っていた。師匠が希望する学科に入れていたら、我々のチェコ語の先生として現れることはなかったわけだから、なんとも言い難い気持ちになった。
とまれ、この年の授業の様子はこんな感じだった。朝、当然授業開始前にほぼ全員そろって、どうせ前の夜も一緒に飲んでいたのだけど、あれこれ雑談をする。時間になって師匠がやってきて授業を始めようとすると、誰かが、
„Prosím t?, mám otázku“
と言って質問をする。大抵は、前日の授業の後に町で気づいたことや、新聞記事で理解できなかったことについてだった。お店の看板にこんなことが書いてあったんだけどどういうこと? とか、レストランでこんなことがあったんだけどなんて質問に、師匠は苦労しながら答えていた。その結果、町中の特に手書きの看板には文法的な間違いやつづりの間違いが多いということがわかった。書かれていることが理解できなくても、こちらの能力不足とは限らないのである。
確か、どこかのお店の窓ガラスに「zleva」と書いてあったのに気づいた人がいて、これって「sleva」の間違いだよねという話があったのを覚えている。そこから、師匠は接頭辞の「z」と「s」の違いを詳しく説明してくれて、それが簡単に終わるわけがなく、気がついたらその日の一つ目の授業は終わっていた。
それから、レストランに関しては、確かカティが、たのんだ覚えのない項目がレシートにあるんだけどこれ何? と聞いたんだったかな。師匠は、最初はチップに当たるようなものかねえと言っていたのだが、質問を重ね、食事の際にカティが取った行動を克明にしゃべらせた挙句、それはドレッシングだと結論付けた。そのとき、カティは付け合せの野菜に付けるために、隅のほうに置かれていたドレッシングのセットを勝手に持ってきて使用したのだった。
今は知らないが、当時は特別な、ドレッシングをかけて食べることになるサラダの場合には、いくつかの種類のドレッシングが載ったお盆がいっしょに持ってこられ、どれを何種類使用しても追加料金は発生しないが、ドレッシングの使用が前提とならない料理の場合には、ドレッシングは別途注文する必要があって当然別料金になっていたのだ。そのことを学生たちは誰も知らず、師匠の説明を聞いて初めて知ったのである。
当然お前らの国はどうなんだという話になってみんなであれこれ話をしたのだが、日本については、こちらは、レストランなんか最近行ってないから知らないと答え、もう一人が説明していたことも残念ながら覚えていない。チェコに来る前、外で食事をするというと、大抵は飲み屋に出かけて、お酒とおつまみだったし、そんなところでドレッシングが必要なものなんて注文しないから、と言うよりは飲む方が優先だったから、よくわからなかったのである。今もわからんけど。
断片的な思い出話は、もう少し続く。
2020年7月23日19時。
2020年07月24日
サマースクールの思い出(十)——三年目(七月廿一日)
昨日のニュースで、今年もパラツキー大学でチェコ語のサマースクールが始まったというニュースが流れた。武漢風邪の流行で開催されるのか心配していたのだが、無事に始まったようで安心した。実は今年も参加することを検討していたのだが、参加人数が少なくなりそうで、その場合こちらが求めるC1、もしくはC2レベルのクラスが開設される可能性が低くなりそうだと考えてやめることにした。制限のなかった二年前でさえC1のはずのレベルがB2にされてしまったのである。
それはともかく、ニュースを見ていたらポーランドから来たという上級クラスの学生がインタビューを受けていた。二年前は下のクラスにいた奴じゃないか。今回は一番上にいそうである。もう一人インタビューを受けていたのも一年半しか勉強していないと言うウクライナ人で、スラブ系の人たちのチェコ語学習の早さにうらやましさを感じてしまう。
なんてことを考えていたら、三年目のサマースクールのことを思い出し、同時にブログ一年目に、過去のサマースクールのことについて書きながら、二年目で止まっていることも思い出してしまった。ということで、久しぶりに過去のサマースクール、三回目のサマースクールについて書いておこう。とはいえ、このときを越えるサマースクールは存在しようがないだろうというものだっただけに、全体的な印象は強く残っていても個々の出来事についてはあまり覚えていないのであるが。
師匠の元で一年チェコ語を勉強して、自分もある程度チェコ語ができるようになったという多少は根拠のある自信とともに、ある意味満を持して参加した三年目のサマースクールは、一番上のクラス、師匠のクラスとなった。一年目は初日の最初の授業で逃げ出したくなったが、今回はそんなこともあるまいと思っていた。逃げ出したいとは思わなかったが、いい意味でとんでもなかったこのときの授業は、驚きに満ちていて終わってほしくないという気持ちもまた大きかった。
我々のクラスに集まったのは、人数は十人と他のクラスよりも少なかったが、その質は、翌年の一番上のクラスと比べても、一昨年の一番上のクラスと比べても高かった。まず、ポーランド人が4人。みんな同じ大学の4年が終わったところで、当時は制度が変わる前だったので学士を卒業はしていなかったが、実質修士課程の学生だった。ただでさえ、チェコ語を身につけるスピードの速いポーランド人が4年も勉強していたのだからその実力は推して知るべしである。
スラブ系ではブルガリア人の大学生も2人来ていたが、個性豊か過ぎるほかの学生たちに埋もれて、あまり印象に残っていない。それよりは、ハンガリーの大学でチェコ語科の5年制の修士課程を卒業したばかりだったか、9月に卒業する予定だったかのカティの印象の方が強く残っている。本当の意味で学校で勉強したチェコ語と言う意味では、日本人の見本になるようなチェコ語だった。スラブ系の連中は勉強していなくても何となくわかるというから嫌になる。
それから、一人年配のドイツ人もいた。ただし、この人、子供のころはオパバの近くに住んでいて、普通にチェコ語を使っていたと言うから、一から勉強したというよりは、学びなおしたタイプの人で、ドイツではギムナジウムで先生をしていて、希望者を集めてチェコ語の授業もしているなんてことをいっていたと思う。発音はドイツ語の影響を受けて外国人には聞き取りづらいこともあったけれども、語彙や文法の面ではあまり苦労していなかった。発音も4週間もいっしょにいれば慣れるしね。
そんなつわものどもの中に、日本人が二人。もう一人は以前スイスで仕事をしていたときにチェコ語の勉強を始めたという人で、その年の冬から師匠の元でチェコ語を勉強していたけど、まだ半年だったし、二人とも授業についていくのが大変だった。授業自体が普通の授業ではなかったので、外大あたりの上級生でも大変だったかもしれないけど、予習はしても意味がなく、宿題と復習、それに毎晩の酒に大忙しだった。いや、昼から飲んでることも多かったしなあ。
教科書は参加費の中に含まれているから、あったはずである。多分、初日はちょっと使ったと思う。初日の最初の授業は、自己紹介から始まるさまざまな会話で終わり、二コマ目の授業で教科書を使って、師匠が何か質問はないかと言った時点から、教科書が省みられることはなくなった。我先に、とはいっても大抵口火を切るのは、ハンガリー人のカティか、ドイツ人のディートルか、我々日本人のどちらかだったけど、質問をし、師匠が丁寧に質問してくれたのだが、次々にじゃあこういう場合はどうなんだと関連する質問が続出して、気がついたら授業終了の時間になっていた。
ポーランドの連中が話を広げることが多かったし、みんな自国のことを細かくチェコ語で話せるだけの実力があったから、うちの国ではこうだぞとか、なんでチェコはこうなんだとか言う話でも盛り上がった。一番覚えているのは、ポーランドのルカーシュが言い出した「ポーランドの婆ちゃん最強説」で、その具体例を挙げた説明に大笑いになったのだった。
こんなところで、長くなったので以下次回ということにしよう。
2020年7月22日14時。
2020年07月23日
スロバキア政府危機(七月廿日)
三月初めに国会の総選挙が行われ、武漢風邪流行の真っ最中に新内閣が成立したスロバキアだが、久しぶりのSMER党以外の政権として期待を集めていたマトビチ政権に過去のスキャンダルが発覚して最初の窮地を迎えている。イタリアマフィアなどとのつながりも噂され政治腐敗の象徴となっていたフィツォ氏以外、極右(以前間違えて極左と書いたこともあるけど極がつくと右でも左でも思想的に違いがなくなるのが不思議である)のコトレバ氏以外であれば誰でもいいという雰囲気の中で、有権者の好感を掴んで選出された首相が本当にスロバキアを変えることができるのかどうかはこれからの対応にかかっている。
マトビチ政権が最初に批判にさらされたのは、武漢風邪対策が厳しすぎることに対してだった。新政権が正式に誕生するまでの間は、暫定的に退任するベレグリーニ政権が対策をとっていたのだが、マトビチ氏はその対策が緩すぎると言って強く批判していた。スロバキアで感染者数が少ないのも検査数が少ないからだと、政権発足後検査数を大幅に増やしたものの患者数は微増に留まった。感染の可能性のある人に対する隔離では、自宅ではなく指定された施設に放り込んで食費を取りながら、その額に値しない食事が出てくると批判をあびた。この辺は、日本の野党と同じ、政権批判をしておけばいい、前政権と違うことをすればいいという野党体質が表ざたになった印象だった。
流行が収束に向かい始め、チェコやオーストリアなどが、規制の緩和に向けて動き出してからも、マトビチ政権の動きは非常に鈍く、チェコの政治家の言葉からももう少し何とかしてくれという本音が見え隠れしていた。当然、国内の産業界からは規制解除を求めて突き上げを食っていたようだ。それで結局はチェコ、オーストリアなどに引っ張られる形でハンガリーも含めて、ミニシェンゲンとして相互に国境の出入りを自由化する協定を結ぶことになった。
そんな武漢風邪騒動の最中に明らかになったのが、国会議長のボリス・コラール氏の卒業論文盗作疑惑だった。このポピュリスト政党だとされる「SME RODINA」党の党首はスカリツァというチェコとの国境の小さな町にある中央ヨーロッパ大学という2005年に設立された私立大学で修士号をとったというのだが、この大学が何か怪しい。学歴がほしい政治家がお金を出して通ったことにする大学のようにも見える。その修士論文が人の論文を写したものだったと言われてもあまり違和感はない。
この疑惑に対して、連立与党のうちキスカ元大統領が率いる「ZA ?UDI」党と「SAS」党が議長の自認を要求したようだが、マトビチ氏はそれに組みしなかった。結局国会で解任動議が出され秘密選挙で裁決が行なわれた結果、コラール氏の留任が決まった。以前同じ国会議長が学位論文の盗作疑惑で批判されたときには、マトビチ氏も強硬に辞任を求めていたはずなのだけど、変節したのかな。
その後、「SAS」党の文部大臣のブラニスラフ・グリュフリンク氏にも同様の盗作疑惑が発覚したというのだが、詳細はよくわからない。政治家に学歴なんか求めても仕方がないと思うし、卒論の出来よりも政治家としての能力、あればの話だけど、のほうが重要だと思うのだが、学位の管轄省庁である文部大臣だけは、論文の盗作者を就任させてはいけないだろう。こちらもまだ辞任はしていないようだ。
そして、最後かどうかはわからないが、マトビチ氏にも同様の疑惑が登場した。本人は22年前のことであまり覚えていないけれども、引用ですまない範囲で他者の論文を自分の論文に使って学位をとったのだとしたら、私は泥棒だなどと疑惑を認めたような、開き直ったような発言をしている。かなり無責任な印象を受けたのだが、これも与党に厳しく自党に甘い野党体質といっていいのかなあ。ここからどう立て直していくか、このままつぶれるのか見物である。
ちなみに、こちらは学位をとったのがブラチスラバのコメンスキー大学だというから、本人以上に指導教官の責任も大きいと思うのだけど。チェコでもそうだけどまともな大学でまともな先生の指導の下で論文を書いていれば、引用の仕方とか、引用と盗作の違いとか指導されるはずで、盗作のレベルにある物は書き直しが命じられるの普通だから、政治家の盗作論文を合格させた大学教員が批判されないのが不思議である。中央ヨーロッパ大学? 何も期待してはいけない。
ともかく、現時点ではマトビチ氏には辞任する考えはなく、世論調査などでもマトビチ党は支持はそれほど減らしていないようだ。チェコのANOと同じで固定支持者がいてあまり増減しないタイプなのかもしれないけど。フィツォ外しで選ばれた首相が政治への信頼を取り戻せなかった場合、スロバキアはどうなるのだろうか。下手をすればコトレバ首相なんて事態が起こるかもしれない。外国の政治なんて基本的に他人事なんだけど、スロバキアに関してだけはちょっとだけ心配しながら見守っている。
2020年7月21日9時。
2020年07月22日
武漢風邪現状(七月十九日)
ここらで一つ、チェコの武漢風邪流行の現状をまとめておこう。数字は20日朝のもの、つまり19日の検査結果までが集計されたものである。厚生省がデータをまとめて発表している ページ によれば国全体にかかわる数字としては以下のとおりになる。
累計検査数 624780
累計感染者数 13945
現在感染者数 4826
完治者数 8760
死亡者数 359
入院者数 134
検査数は、確認のための再検査なども含めた数なので、これだけの数の人が検査を受けたというわけではない。特に最近は集団感染が発生した企業などの関係者を中心に検査が行われているため、それ以外の検査数は減少する傾向にある。そのため一度開設した検査専用の施設を閉鎖する病院も増えている。集団感染が発生して慌てて再度開設したなんて話もあるけど。
現在感染している人の数は、5月末には1800人程度まで減っていたのだが、6月に入って再度増加をはじめ、これまで最高だった4月11日の数字を越えて5000人に迫りつつある。オロモウツ地方では、 地方の提供するページ によれば、7月に入ってからはすでに再度減少を始めており、一時は150人に迫っていたのが、60人程度まで減っている。
ただし、現在の感染者数は、情報源によって数字に差があるため注意が必要で、例えば セズナムの提供するページ では、オロモウツ地方全体ではなく、かつてのオロモウツオクレスだけで115人という数が出ていて。地方全体を合計すると145人となる。これについては、セズナム自体が、情報が錯綜していて正確な数字がつかめないという記事を載せいてた。現状を把握するのに大切なのは累計ではなく現在の感染者の数だから何とかしてほしいものである。
死亡者数に関しては、他の病気が主因で亡くなった人でもコロナウイルスが確認された場合にはこの中に入れられているのは他の国と同様。武漢風邪が主因で亡くなった人の数はほんの一部だと言われている。問題はオロモウツ地方の発表するデータは、この死亡者の数抜きになっていることで、現在の感染者数は累計から感知した人の数を引いたものである。死亡者も出ているはずなのだけど。
厚生省の発表するデータの中に、最近七日間の新規感染者数を人口十万人当たりに換算して、オクレスごとに示した地図がある。数が多ければ多いほど赤が濃くなっていくのだが、二週間ほど前までは真っ赤に染まったカルビナー以外は、ほんのり赤い場所があるぐらいで、厚生省のカルビナー以外は問題ないという説明に説得力を与えていた。それが一時は300を越えていたカルビナーの数字がどんどん減って50程度と落ち着いてきたのとは反対に、全体的に赤みがかってきたというか、色のついたところが増えてきた印象である。
特にカルビナーのあるモラビアシレジア地方は、40に近づきつつあるフリーデク・ミーステクだけでなく、ノビー・イチーンも10を越え、オパバとオストラバも10に近いという状況で、数字だけを見ると地方の保健所が規制強化を実行したのも仕方がないかなとは思える。ただ人口も少なく新規の感染者も少ないブルンタールは巻き込まれた感が強いけど。
スロバーツコのウヘルスケー・フラディシュテでも新規の感染者が増えているが、一つは町の病院で患者と医療関係者が十数人感染したというもので、もう一つは近くの村ブルチノフで8人の集団感染が確認されている。ブルチノフはイーズダ・クラールー(王の騎行)というユネスコの無形文化遺産にも指定されている伝統行事で知られる村だが、ニュースで何かの行事を中止するかどうか検討すると村長が語っていたので、イーズダ・クラールーのことかと思っていたら違って、ホディと呼ばれる収穫祭のようなイベントだった。
村の提供する 行事のページ によれば、今年のイーズダ・クラールーは5月末に予定されていたが、規制の厳しい時期で実施できず、すでに来年への延期が決まっているようだ。ページの一番上に「Jízda král? Vl?nov 2020 aneb ani Covid nás nezastaví」というビデオがあるから、一瞬無理やり開催したのかと思ったけど、下のほうに中止を知らせるニュースもあった。
話を戻そう。地方別の累計の患者数を見ると、流行の最初から常に他の地方よりも多かったプラハをモラビアシレジア地方が抜いて、4000人超となっている。セズナムの情報ではカルビナーだけで累計2000人を越えている。プラハが常に一番というのは気に入らないのだけど、この場合はプラハが一番でも何の文句もないんだけどねえ。
最後の入院者数を見ると、以前と比べると、入院しなければならないほど病状が悪化する人の割合が減っていることがわかる。集団感染に関するニュースでも、大半は無症状か軽症だということが多いし。これが季節による環境の変化が原因なのか、病気の性質が代わったことが原因なのかはわからないが、感染して免疫をつけるなら今が一番かもしれない。
何だか話があちこちそれたけれども、これが簡単にまとめたチェコの現状である。
2020年7月19日24時30分。
https://onemocneni-aktualne.mzcr.cz/covid-19
https://www.krajpomaha.cz/
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