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2019年01月31日
チェッコスロヴァキア(正月廿九日)
1990年代まで外務省が使用していたチェコの公式表記が、チェコではなく、「チェッコ」であることを知っている人は少なくないだろう。現在では外務省でも、チェコの日本大使館でもほぼ完全に「チェコ」を使用しているようだが、2000年代の初めまでは、要所要所で「チェッコ」を見かけたような記憶がある。
もちろんこの「チェッコ」という表記は、かつての「チェッコスロヴァキア」の前半部分が単独で使われるようになったものだが、「チェッコスロヴァキア」の表記の起源は、第一次世界大戦後に所謂ベルサイユ体制が確立し、チェコスロバキア第一共和国が独立した時期にさかのぼる。オーストリア・ハンガリーから独立したチェコスロバキアと日本の国交が樹立された1920年に定められた表記が「チェッコスロヴァキア」だったのである。当時は漢字表記あったらしいけど、どんな漢字だったか忘れてしまった。今の中国語の漢字表記とはまったく違うということしか言えない。
今日の話は、以上のチェコスロバキアの国名表記に関する知識を前提に始まる。
さて久しぶりに ジャパンナレッジ のページを見ていたら、「日国友の会」というのの存在に気づいた。「今すぐ用例探しの旅に出よう!」なんてことが書いてあるから、『日本国語大辞典』に収録されている用例についてあれこれ書かれた記事があるのかと思ったら、一般の辞書好き(多分)の人が、『日国』に挙げられているのよりも古い用例を探し出した場合に報告するというページだった。用例がないものについてはできるだけ古いものを報告するのかな。
その報告された用例で最近公開されたものの中に「チェコスロバキア」があったので、つい覗いてしまった。それがこの ページ 。1921年2月18日付けの「法律新聞」の記事に「チェックスロバック公使館」という用例があって、これが形は違うけれどもチェコスロバキアの初出例ではないかというのだが、これは怪しい。絶対にもっと古い例があるはずである。
昔、まだ東京で仕事をしていた頃に、神田の古本市で古いマサリク大統領の伝記を発見したことがある。著者はマサリク大統領が、チェコスロバキア軍団の帰国に際して日本を経由できるように交渉に赴いた際に、警備を担当した警察官だったかな。とにかくマサリク訪日の際に近く接した日本人がその気高さにほだされて、本というよりは小冊子だったけど、伝記を書いてしまったということが序文に書かれていた。
その伝記は、第一次世界大戦が終わってチェコスロバキアが独立したからこそ上梓されたものであろうから、今手元にないので出版年は確認できないのだけど、恐らく独立後すぐの1919年か、日本との国交が樹立された1920年だったのではないかと推測できる。そして当然、伝記中には「チェッコスロバキア」であるにしろ、「チェックスロバック」であるにしろ、何らかのチェコスロバキアという国を示す言葉が使用されているはずである。
ということで、国会図書館の デジタルコレクション でマサリク大統領の古い伝記を探してみた。「マサリク」で検索しても伝記だけでなく、1921年より古いものも出てこなかった。昔はカタカナ表記に際して無駄に「ツ」を入れていたことを思い出して、今度は「マサリック」で検索したら、伝記そのものは出てこなかったが、『 ヴェルサイユ講和会議列国代表の各名士 』という本が引っかかった。
題名からわかるように、ベルサイユ会議(パリ講和会議)で重要な役割を果たした人物についての本なのだが、チェコスロバキア代表として取り上げられているのが、マサリク大統領なのである。153ページから「チエツクスロヴアク・マサリツク博士」と題されたマサリク大統領の略伝が掲載されている。この「チエツクスロヴアク」が独立したチェコスロバキアを指しているのは言うまでもない。この本は橋口西彦氏の編集で、一橋閣から1919年4月25日に刊行されている。
では「チェッコスロバキア」の方はと言うと、同じ1919年の11月に外務省が発行したベルサイユ条約の翻訳と、条約の概要をまとめたものの中に出てきた。「 同盟及聯合国ト独逸国トノ平和条約並議定書 : 附・波蘭国ニ関スル条約 」と「 同盟及聯合国ト独逸国トノ平和条約並議定書概要 」の二つなのだが、前者の82ページに「「チェッコ、スロヴァキア」國」という表記が見える。この本では固有の地名に鍵カッコを付けるというルールを用いているようで、国名も鍵カッコに入っているのである。これが、間に読点が入っているとはいえ、日本の外務省で「チェッコスロヴァキア」、後に「チェッコ」という表記を使っていた起源ということになるだろうか。
もちろん、シベリア出兵の口実となったチェコスロバキア軍団の存在を考えれば、1918年の時点で外務省内で「チェッコスロヴァキア」という表記がなされていた可能性はあるが、その場合国を指すと考えていいのか微妙である。とりあえずの結論としては「チェッコスロヴァキア」という表記は第一次世界大戦の講和会議を経て1919年にチェコスロバキアの国名表記として決定されたということにしておく。
問題は、この用例の報告をするかどうかなのだけど、このためだけに「日国友の会」の会員になるのもなあ。ということで、誰か代わりにやらない? 自分の名前でやっちゃっていいよ。
2019年1月29日23時35分。
2019年01月30日
ハンドボール男子世界選手権2019閉幕2(正月廿八日)
二次グループの結果、準決勝はデンマーク−フランス、ドイツ−ノルウェーの対戦となった。会場は、ケルン(思わずチェコ語風にコリーンとか書きそうになってしまった)からドイツ国内を移動してハンブルクである。金曜日に行われたこの試合、どちらもチェコテレビで放送されることになっていたから、テレビの前にかじりつきたかったのだけど……。久しぶりのお酒の誘惑に負けて、飲みに行ってしまった。
デンマークとフランスの試合は、デンマークが勝つと予想したけど、フランスはしぶといチームだから終盤まで大接戦になるのではないかと期待していた。それだけに見られないのが残念だったのだけど、ふたを開けてみたらデンマークが前半からフランスを圧倒して、圧勝とか完勝という言葉が似合う試合だったようだ。フランスも世代交代期に入ったのかなあ。
ドイツ−ノルウェーの試合は、ノルウェーの勝ち抜けを予想。ドイツは悪いチームではないし、地元の観客の後押し(ちょっとだけ審判も)を受けているけれども、テレビで見る限りチームを支える大黒柱的な選手が欠けているような印象を受けた。手詰まりになったときに、一人で状況を変えてくれるような、昔のチェコ代表のイーハとか、デンマークのハンセンとか、そんな選手がいないので状況が悪化したときに、立て直すのに時間がかかることが多かった。
ノルウェーも、チームとしてはドイツに似ていると言えば、似ているけど、センターのサゴセンが大黒柱になりつつある。今大会はサイドのヨンダールも絶好調だったから、中途半端なドイツが勝てるとは思えなかったのだけど、予想通り負けた。さすがにこのレベルになると、審判も開催国よりの笛は吹けなかっただろうしね。多少のドイツよりの笛では勝てなかっただろう。
土曜日からは会場をデンマークのヘルニンクに移して順位決定戦である。決勝が首都のコペンハーゲンで行われないのは、チェコテレビのアナウンサーによれば、ヘルニンクではデンマーク代表が負けたことがないからだという。一次グループのコペンハーゲン会場をスウェーデンに譲ったのも、ヘルニンクなら負けないという「神話」があるからなのだろう。
チェコテレビでも、ウェブ上でも放送されなかった7位決定戦は、スペインとエジプトの対戦。ここは順当にスペインの勝ち。前半は健闘したエジプトはヨーロッパ以外では最上位ということになる。5位決定戦はスウェーデンとクロアチアの試合。スウェーデンやっぱり強いわ。言っても詮無きことながらノルウェー戦での落ち込みがなかったらと思ってしまう。ノルウェーも十分以上にいいチームで準優勝に値するチームではあったけどさ。
日曜日は2時半という早い時間帯から三位決定戦。スキー、バイアスロン、フィギュアスケートなどなど大会が目白押しで、テレビの放送プログラムに入りきらなかったためウェブ上での中継となった。ドイツとフランスは一次グループでも対戦しており、そのときは予想に反してフランスがぐだぐだで、ドイツにリードを許し最後の最後に同点に追いついて引き分けたのだった。この試合にベテランのカラバチッチが出ていなかった(と思う)から、今大会は欠場しているのだろうと思っていたら、三位決定戦には出場していた。
途中経過はおくとして、試合終盤はフランスが1点、2点リードしてドイツが追いかける展開が続いたのだけど、最後の最後にカラバチッチが大仕事をやってのけた。残り1分でドイツが同点に追いつき、残り15秒ぐらいでフランスの攻撃が失敗に終わってドイツがボールを獲得した。これでゴールが決まればドイツの勝ちだったのだけど、土壇場を任せられる選手のいない悲しさ、まだ時間はあったのに速攻から無理にポストに通そうとしたボールを奪われたのだ、残り5秒。そこからカウンターを食らって、最後はそれまであまりいいところのなかったカラバチッチに9メートルからのシュートを決められてお仕舞。審判が念のためにビデオでゴールの時間を確認したけど、残り1秒だったらしい。
カラバチッチは怪我で状態が上がらず、あまり活躍できなかったらしいが、頼りになる存在なのである。最後の瞬間まで出場させた監督の采配が素晴らしかったと言っていいのかな。ああいうこれですべてが決まるという瞬間に落ち着いてシュートを打てるのは、やはり経験に裏打ちされた実力というものであろうか。
決勝は、デンマークの圧勝ということでいいだろう。一次グループでの対戦よりも大差がついたし、最後はノルウェーボールだったのに、残り5秒ぐらいには、ノルウェーの選手たちが、デンマークの選手たちに祝福の握手を始めていたからなあ。細かい点数などの結果は こちら をご覧頂きたい。
次の大会は、どこで行なわれるか知らないが、サゴセンが経験を積んで大黒柱に育ちそうだから、優勝候補の筆頭はノルウェーかなあ。デンマークのハンセンはまだ現役だろうけど、スウェーデンのアンデルソン、フランスのカラバチッチというそれぞれ一時代を築いた選手たちは引退しているだろうし。ここにイーハの名前が挙げられないのが悲しすぎる。
見ることができた試合の中で一番面白かったのは、二次グループのスウェーデン−デンマークの試合かな。実力のあるチームが正面からぶつかり合って、デンマークが力でねじ伏せたという感じの試合だった。やっぱ、見て面白いのは北欧のハンドボールだわ。フランスも面白いけど。バルカンやアジアのハンドボールは……。その中でも日本は悪くはないのだけど、決定力がなあ。
それはともかく、一月にして今年のハンドボール界の最大のイベントが終わってしまった……。今年の12月の女子の世界選手権や、オリンピックで、朝鮮似非合同チームという愚行が繰り返されないことを改めて願っておく。
2019年1月28日23時18分。
2019年01月29日
ハンドボール男子世界選手権2019閉幕1(正月廿七日)
2019年の世界選手権は、デンマークのヘルニンクで三位決定戦と決勝が行われ、二週間以上にわたった大会の幕を閉じた。優勝したのは意外なことにこれが初優勝となるデンマーク。準決勝では前回優勝チームのフランスを、決勝ではノルウェーを圧倒しての優勝だった。ミケル・ハンセンすごいわ。とまれ、前回希望を込めて書いた予想の答え合わせをしておこう。
二次グループのI組からフランスとドイツが準決勝に進出したのは、予想通り。意外だったのは、二次グループ開始前には勝ち点4で首位にいたクロアチアがグループ2試合目で準決勝進出の望みを絶たれたことである。最大の原因はブラジルとの試合で負けたことだが、この試合のクロアチアはまさに自滅という言葉にふさわしかった。ブラジルが素晴らしいハンドボールを見せたことを否定する気はないが、クロアチアが普通に試合をしていれば、引き分けはあっても負けることはなかっただろう。
2016年のリオ・オリンピックを前に、ハンドボールではルールの改正が行われ、ゴール・キーパーもフィールドプレーヤーと同様に自由に交替できるようになった。現在では、退場者を出したときに、攻撃の人数を減らさないことを目的として、キーパーを引っ込めるチームが多いのだが、クロアチアはブラジルとの試合で、退場者がいないときにもキーパーを引っ込めて、7人で攻撃するという攻撃スタイルをとっていた。そしてそれが最大の敗因になった。
この7人攻撃は、うまく使うことができると、手詰まりになった攻撃を活性化することができる。確か去年のチェコのハンドボールリーグのプレーオフで、カルビナーが劣勢を予想されながら優勝したのは、7人攻撃を有効に活用したからだったはずだ。とにかく、どのタイミングでベンチ側のサイドの選手がキーパーと交代するために戻るかというのをきっちり決めておかないと、リオ・オリンピックのときのように、退場者もいないのに無人のゴールに超ロングシュートが決まるという、応援している側からしてもぐったりするようなシーンが連発することになる。
この試合では、クロアチアの7人攻撃が、ブラジルの堅いディフェンスにほぼ完全に抑え込まれ、無駄な失点を繰り返すことになった。どう見ても決まりごとが徹底されておらず、7人攻撃の悪い面、スペースがなくなってディフェンスに引っかかりやすくなるというのが出ていたのに、かたくなに7人攻撃を続けて、前半のうちに大きなリードを許すことになった。後半に入って何度も追い上げたものの同点に追いつくことはなかった。なんだかんだで退場時のものも含めて10点近く無人のゴールに決められたんじゃなかったかな。7人攻撃失敗で喫した失点を除けば、クロアチアが僅差で勝っていたはずの試合なのである。
勝てば望みのつながるドイツとの試合では、ブラジルとの試合よりはずっとマシな戦いを繰り広げていたけど、後半も終盤の大事な場面で、審判にドイツよりの判定を下されて、そこから立ち直れずにそのまま負けてしまった。あのプレーが、正当に判定されていたら、まだまだ試合の結果はわからんというところだったのだけど、開催国のドイツに準決勝までは行ってほしいというハンドボール連盟の都合が審判に重圧としてのしかかっていたのかな。あの判定以外は極めてまともな判定を下していただけに、残念な判定だった。ただここでどんな判定が出ていても、ドイツが準決勝に進出できないことはなかっただろうとは思う。
準決勝進出を早々に決めていたフランスが、二次グループ最終戦でクロアチアに負けて、連勝を止められたせいで、大健闘のブラジルは勝ち点4でグループ5位に終わった。まとめておくと1位ドイツ、2位フランス、3位クロアチア、4位スペイン、5位ブラジル、6位アイスランドである。
グループ?Uのほうは、デンマークとノルウェーが準決勝に進んだ。こちらも同じ一次グループからの進出である。期待していたスウェーデンにとっては、ノルウェーとの直接対決で負けたのが痛すぎた。解説者の話によると、一次グループで攻撃の組み立て役をやっていたセンターの選手が負傷で出場できなくなったことが、選手たち、とくにセンターの選手たちのプレーに影響を与えていたらしく、自信なさげなプレーに終始していた。超ベテランのキム・アンデルソンがこの大会向けに復帰してたんだけどね。
スウェーデンは、デンマークとの試合では、ノルウェーとの試合での姿が嘘のように、躍動していて、後半に力尽きるまでは互角の勝負を演じていたから、ノルウェーとの試合に負けていなかったら、決勝に進出していただろう。残念なことである。とはいえ、今回のデンマークに勝てたとも思えないから、こちらの希望を込めた予想は、どっちにしても外れだったのだけどね。チェコ系のパリチカも最後は控えキーパーになっていたし。
グループ内の最終順位は、1位デンマーク、2位ノルウェー、3位スウェーデン、4位エジプト、5位ハンガリー、6位チュニジアである。アフリカ頑張ってるなあ。
というところで、長くなったのでもう一回。
2019年1月28日21時30分。
2019年01月28日
全豪オープン雑感(正月廿六日)
全豪オープンが終わった。正確にはまだ日曜日の男子シングルスの決勝が残っているけれども、チェコ的には、今日の女子シングルスの決勝で終了である。大会開始前の時点の予想からすると、チェコの選手たちは、大活躍、大健闘と言えるのだけど、せっかくあそこまで行ったのだから、女子シングルス決勝でチェコ人対決が見たかった。
その決勝で、クビトバーがプリーシュコバーを破って優勝というのが、チェコ的には最高のストーリーだったのだけど、二人とも大坂選手に接戦の末負けてしまった。二人とも全豪ではこれまでで最高の結果を残したことになるのだけど、こんなチャンスは二度とないんじゃないかと思うと、残念でならない。
安定して好成績は残すけれども爆発力に欠けてグランドスラムでは優勝経験のないプリーシュコバーと、好調なときには無敵を思わせるけど安定感に欠けてウィンブルドンでしか勝ったことのないクビトバーがそろって、準決勝に進出するなんて大会前には想像もつかなかったし、今後も難しいだろう。もう全仏決勝経験者のシャファージョバーは、すでに引退を決めているし、プリーシュコバーの後に続くべき若手たちは上位進出にはまだまだ時間がかかりそうだし。
チェコのテニスにとって残念だったこととしては、今年の全豪で引退する予定だったシャファージョバーが怪我の状態が上がらず欠場を余儀なくされたことも挙げられる。このまま引退というのはさびしすぎるから、どこかの大会で引退ということになるのだろうか。シングルスは予選から勝ちあがらなければならないことを考えると、主催者推薦で出場できそうなプラハでの大会ということになるのかなあ。
確かそのシャファージョバーと組んでダブルスに出るはずだったストリーツォバーが、別のチェコ人選手ボンドロウショバーと組んで準決勝まで進出したのはいい意味で驚きだったけど、女子ダブルスの第一シードだったシニアコバーとクレイチーコバーのペアが、準々決勝で負けたのは残念だった。奇しくもシングルスと同じで、この二つのチェコ人ペアは同じペアに負けたらしい。ちなみに、クレイチーコバーはあまり注目されない混合ダブルスでアメリカ人選手と組んで優勝している。
男子シングルスでも、昨年後半は怪我でほとんど大会に出場すらできていなかったベルディフが、ナダルにぶつかるまでは順調に勝ち上がった。もともと下位選手には強いけど上位選手にはなかなか勝てない選手だったから、ナダルに勝てるとは思ってもいなかったけど、これで完全ではなくても復活と言ってよさそうである。男子に関しては問題は未だにベルディフがチェコで一番の選手であり続けているところなんだけど。
問題といえば、日本のメディアで、日本の大坂選手の決勝の対戦相手だったからか、クビトバーに関する記事をかなり見かけた。今更大怪我からの復帰なんてのを記事にするなよと思わなかったとは言わない。事件からほぼ半年で復帰して2017年の全仏に出場した時点で記事にしなかったのだろうか。日本のスポーツマスコミなんて、日本人選手のかかわらないことに関してはほとんど興味も持たないから仕方がないのかなあ。
看過できないのは、クビトバーが2016年末に負った負傷について、不正確な情報を垂れ流すメディアが多いことだ。事件は電気かガスの検針を装ってマンションに押し入った男によって起されたのだが、これを「暴漢」という言葉で表現している記事があった。ナイフ持って金銭目当てに押し入ったのだから、乱暴者ではあるのだろうけど、「暴漢に襲われた」というと、金目当ての強盗ではなくて、政治的な目的か、単なる鬱憤晴らしの暴力行為のような印象を受けてしまう。
それから、怪我に関しても、「左腕を切られた」「左手を刺された」とか、ひどいのになると「左手首を切られた」って自殺じゃないんだから。正しくは、というのも変な話だが、左手に切りつけられて、ナイフを持って襲い掛かられてとっさに左手でかばったのではないかということだったかな、指を切られたのである。辛うじてつながっているという状態の指もあって、復帰は難しいのではないかという憶測も流れた。
犯人は、プロスチェヨフの警察の威信をかけた捜査もあって、見つけるのは難しいのではないかという予想に反して、一年以上経ってから逮捕された。裁判が始まっているのだけど、容疑者は否認していて、事件が起こった時間帯は仕事をしていたと証言する証人もいるらしい。クビトバーも裁判で証言を求められるのかな。裁判がクビトバーの成績に悪い影響を及ぼさないことを祈るのみである。
2019年1月27日23時。
男子シングルスの表彰式にレンドルが登場したらしい。ということはチェコの全豪が土曜日で終わったというのは間違いだったということか。
2019年01月27日
チェコ鉄道事情最終回(正月廿五日)
レギオジェットが、チェコ鉄道の正規運賃の半額ぐらいの安い席から、時期によっては1等と同じぐらいの席までという幅で運賃を設定しているのに対して、レオ・エクスプレスのほうは、全体的に高いというイメージがあった。一番高いプレミアムなんて、プラハ−オロモウツで1000コルナを越えることがあるのである。一度使ったことのあるビジネスでもあのときは400コルナを越えていたから、一番下のエコノミーでも安くて200コルナぐらいだろうと考えていたら、時間帯によっては100コルナほどのものがあった。その便でもプレミアムは600コルナ以上だったからその差は大きい。
料金の差の分、サービスに差があるのかどうかは知らないが、売り切れになっていることがままあるのは、レオ・エクスプレスのプレミアムのサービスに満足して、この値段でも繰り返し利用する客がいるからであろう。席数が少ないから、早い者勝ち状態になっているのかもしれない。
このレギオジェットとレオエクスプレスの参入は、チェコ鉄道との乗客の奪い合いの側面がなかったとは言わないが、少なくともプラハ−オロモウツ間においては、相乗効果で鉄道の利用客自体が増えているために、チェコ鉄道の利用客も増加したのではないかと考えている。その証拠としては、プラハ−オロモウツ間を走るチェコ鉄道の特急、急行の数が、私鉄参入以前と比べて増えていることを挙げておこう。
以前は、夕方以降の便はほとんどなく、プラハに夕方飛行機で到着した場合に、オロモウツまで戻って来られるかどうか心配になることも多かったのだが、午後7時以降でも、寝台の夜行列車を除いて8本走っている。これなら飛行機でプラハの空港に入るのにあまり時間を気にしなくてもよさそうだ。オロモウツ到着が12時過ぎになる便はできれば使いたくないけど、あるのは安心である。日本にいた頃は、終電で帰宅が1時過ぎなんてよくあることだったけど、チェコに来てからは考えられないことである。
とまれ、簡単にまとめておくと、プラハからオロモウツを経てオストラバなどに向かう路線に関しては、チェコ鉄道と私鉄二社との競争がいい方向に向かっている。限られた乗客を奪い合うというよりはそれぞれの特性を生かして、ひたすら安さを求める客層から贅沢を求める客層まで、鉄道の利用客を増やしているという印象である。
オロモウツから、もしくはオロモウツまでの利用であればあまり関係はないのだが、さらに遠くに向かう人たちにとっては、電車始発、終点の設定も重要になる。以前もチェコ鉄道のプラハ発の急行はいくつかの町を終点にしていたが、レギオジェットの参入以来、プラハ発の終点となる駅が増えている。その結果、直通で行ける場所が増えて、利便性が向上した。一度は採算が取れないとして廃止されたものが復活したりもしているようだ。これも利用客が増えて採算性が高まったおかげであろう。
競争といえば、チェコ鉄道が気になる動きを見せている。最初に気づいたのは、プラハとブルノを結ぶ便についてなのだが、レイル・ジェットという名前がつけられた電車が走るようになっていた。それは、「ガラーン」や「グスタフ・マーラー」のような個々の特急につけられた名前ではなく、ペンドリーノのような特急のカテゴリーの名称のようで、時刻表や駅の掲示板に表示される電車番号も「rj」で始まる。最初に見たときにはチェコ鉄道の電車ではなくレギオジェットのものかと思ったのだが、レギオの電車番号は「RJ」と大文字で始まるのである。
もう一つは、地方都市と地方都市を結ぶ急行に新しく導入された車両に書かれた名前である。地方によっていろいろあるのだが、すべて「レギオ」+動物の名前となっている。レギオ・シャーク、レギオ・パンサー、レギオ・エレファントなどなど。「レギオ」が地方という意味の「レギオン」から取られているのは明らかだけれども、レイル・ジェットと合わせて考えると、チェコ鉄道のレギオジェット対策じゃないかという気がしてくる。レギオ・ジェットとチェコ鉄道がつながっているような印象を与えようとしているとかいうのは考えすぎだろうか。そのうち、レギオ・ライオンとか、ライオン・エクスプレスなんて、レオ・エクスプレス対策っぽい名前の電車も走るかもしれない。
このシリーズのきっかけとなった記事に出ていたチェコ鉄道のコメントで値下げ競争の激化を懸念していたのは、私鉄と同居する路線においてではなく、運行に補助金の出る地方の路線の運行権の入札についてではないかという気もする。これは鉄道だけではなく、バスに関しても行なわれていて、簡単に言えば助成金を請求する額が一番低い会社が選ばれるのだが、採算の取れない額で入札する業者があるらしいのだ。先日もどこかの地方で落札して運行を開始しておきながら、バス会社が現在の助成金の額では採算が取れないとか言い出したというニュースが流れた。チェコ鉄道では採算割れするような額での入札はできないだろうし……。
長く書いているうちに、当初の目的がわからなくなってしまって、迷走してしまった感があるけれども、これでお仕舞い。書こうと思っていたことは他にもあるのだけど忘れてしまった。
2019年1月26日23時。
2019年01月26日
チェコ鉄道事情四度続(正月廿四日)
承前
二つめは変動する運賃である。同じ区間の同じ座席でも、季節によって、同じ週でも曜日によって、同じ日の中でも時間帯によって、高くなったり安くなったりする。購入の時期による価格の変動は、あるのかもしれないが、現時点では確認できていない。この価格変動制は、レオ・エクスプレスもより極端な形で追随し、チェコ鉄道でも最近部分的に取り入れられている。全席指定ではないチェコ鉄道が、競合する私鉄の走っていない路線でも便指定の割引を行っているのは、立ち乗りを減らすために乗車率の低い時間帯の便に乗客を誘導する目的もあるのかもしれない。
先週末に所用でプラハに行くのにレギオを使ったのだが、全体的に昨年の同時期より高くなっている印象で、便によっては一番安い席でも199コルナになっていた。これではチェコ鉄道の便を指定した割引乗車券と大差ない。一番安い時期の安い便であれば100コルナぐらいですむこともあるからほぼ倍である。実際に乗ったのはビジネスで、行きは399、帰りは299と、100コルナも差があった。便によっては499というのもあったかな。ペンドリーノは2等で290コルナだったから、コーヒー、紅茶を考えると399なら許容範囲ではあるのだけど、499は微妙である。
三つ目は、座席のグレード間の格差を目に見える形でつけたことである。チェコ鉄道の電車にも1等席と2等席の区別はあって、1等の運賃は2等の二倍ぐらいなのだが、ペンドリーノでも座席の色が赤になるぐらいの違いしか見えない。多少一人分のスペースが広くなっているにしても、見てわかるほどではないし、以前1等に乗った人の話では、取り立ててサービスがいいというわけでもないようだ。だから、チェコ鉄道の電車では2等席が満席でも、1等席を利用する人はあまり見かけない。使うとすれば、混雑が予想される電車で確実に座るためという理由だろうか。
それに対して、レギオジェットでは、現在の一番下のローコストは、通路の両側に2つずつ、一列に4つの座席が並び、一人当たりのスペースはチェコ鉄道の古い客車と大差なく、座席も写真で見るだけでも安っぽさを感じさせるもので背を倒すこともできない。車内サービスは一切なく、水と新聞だけはセルフサービスでもらえるが、車内販売は利用できない。プラハ−オロモウツ間は、一番安い時期の一番安い時間帯で100コルナぐらいだが、一番高いのは200コルナ以上で、チェコ鉄道の運賃を越えることもある。
二番目のスタンダードは、座席の広さは変わらないが、質が格段に上がり、前の座席の背には映画を見たり音楽を聞いたりすることができるモニターがついているという航空機的なつくりになっている。ただし、向かい合わせになっている4人がけの席もあるので、その設備を利用できない場合もある。コンパートメントの場合には6人掛けで、8人掛けだった昔のチェコ鉄道の車両よりは、一人分のスペースは広いはずなのだけど、実際に座ってみるとそんな印象は全くない。コンパートメント自体が狭いのだろうか。
車内サービスは、普通に利用でき、水や雑誌新聞は配布に来るし、リンゴジュースとアメリカンコーヒーかミントティーなんかも出るのかな。コンパートメントの席だと、もらっても置き場に困るのだけどさ。運賃の幅は130コルナぐらいから300コルナ超までで、ペンドリーノより高い場合もある。
たしか、参入当初は、ローコストは存在せず、一番安いのはスタンダードだったのだが、一度、安いというのと、話の種にとで利用したことがある。その後長らく使用しなかったことからも、あまりいい印象は抱かなかったことは確実なのだが、乗客は多く、混んでいたから、安さを求める人たちが多いのも事実なのだろう。客層のせいか、せわしない、落ち着かないという感じで、座席も窮屈だったし、これなら、多少高くてもペンドリーノを使った方がましだと思ったのである。
その上のリラックスは使用したことはないが、ビジネスと同じ車両に置かれているので、様子を見たことはある。座席はペンドリーノと同じで通路を挟んで片側は二人掛け、反対側は一人掛けになっていて、ところどころ向かい合わせになっている席もある。席の作りはスタンダードより上で、ペンドリーノよりも広そうである。
一番上のビジネスとのサービスの違いがどのぐらいあるのかは知らないが、問題は価格差で、料金を比べて、これならビジネスでいいやと考えてしまうことが多い。せいぜい50コルナの差では試す気にはなれない。ひどいときには150コルナの差があることもあるようだけど、そういう高い時期はプラハ行きを避けてしまうのが人情というものである。
2019年1月24日23時55分。
2019年01月25日
チェコ鉄道事情続三度(正月廿三日)
実は、ペンドリーノ導入後、レギオジェットの前に、プラハ−オロモウツ−オストラバ間を結ぶ路線に参入ようと計画した企業が存在する。たしか2006年ぐらいにリベレツのほうでローカル線を運行している会社が、ドイツから中古の機関車と客車を購入して参入することを計画し、12月に改定される時刻表に載るところまで行ったんじゃなかったか。結局機関車を使用するための認可が下りずに計画を撤回することになった。
当時はまだ、ペンドリーノも空席が目立っていたから、時期尚早ということで、チェコ鉄道を守るための手が動いたのかもしれない。時刻表を見たときに朝のオストラバ行きか、夕方の戻りかに、チェコ鉄道の電車よりもいい時間帯の便があったから、期待したのだけどね。今から考えると、仮に参入が実現していたとしても、採算が取れずに2、3年で撤退していた可能性もある。
そんな事情もあったので、後にスチューデント・エージェンシーが子会社のレギオジェットを設立して鉄道事業への参入を発表し、時刻表に載ったときも、実現はしないだろうと悲観的に見てしまったのを覚えている。しかし、12月の時刻表の変更すぐには実現しなかったものの、翌年の秋ぐらいに初めてのレギオジェットの電車が走ったのだった。これは、タイミングがよかったというのが一番大きいだろう。
レギオジェットが参入したのは、7両編成で1便あたりの座席数を増やせず、車両の数の関係で一日の運行回数にも制限のあるペンドリーノの輸送力に限界が見え始めたタイミングだったというと、現実を理想化しすぎかもしれないが、レギオジェットの参入も、それに少し遅れてのレオ・エクスプレスの参入もこれ以上ないぐらいのタイミングだった。チェコ鉄道がペンドリーノとそれに伴う路線の高速化によって、多少高くても速さと快適さを求めるという客層を開拓することに成功し、レギオジェットやレオ・エクスプレスは、その客層をターゲットの一つにして参入したが、同時に二社の参入によって鉄道の利用客がさらに増えたのも事実である。
さて、黄色い高速バスの運行で知られていたが、実は旅行会社として航空券や宿泊の手配、国外ツアー旅行なども手がけているスチューデント・エージェンシーが、チェコの鉄道に持ち込んだのは、単なる価格競争ではなく、航空業界的な手法で、レオ・エクスプレスも当然のようにそれに追随した。
一つは、ペンドリーノと同様の全席指定である。チェコ鉄道の場合には、ペンドリーノであっても普通の乗車券に、座席指定券を購入するという形をとり、座席指定したペンドリーノに乗り遅れた場合には、乗車券を使って、次の座席指定のいらない特急、急行に乗ることができるのに対して、レギオジェットとレオ・エクスプレスの乗車券では、座席指定した電車以外には乗れず、別の便に乗る場合には、改めて乗車券を買い直す必要がある。
事前に乗車券を買う場合には、予定の変更の可能性も考えると、面倒だけど、駅について空席があったら買うという買い方なら、窓口で適当に席を決めてくれるから面倒はそれほどでもない。空席がない場合もあるけれども、窓口の脇に空席情報が表示されていて、あと何席残っているかわかるようになっているので、なければチェコ鉄道の乗車券を買えばいいだけである。チェコ鉄道なら空席がなくても通路に立っていることができるし。
全席予約を活用しているのはレギオジェットで、予約状況を見ながら客車の数を増やすことがままある。切符を買ったときには8両目が一番後だったのに、実際に乗ろうとしたら9両目、10両目が追加されていたなんてこともあった。さすがに予約を受け付け始めてから車両数を減らすことはないだろうが、便によっては最初は車両を少なめにしておいて、予約が埋まりそうになったら車両を追加するということもありそうである。
それに対して、レオ・エクスプレスはペンドリーノ的に電車の編成が決まっているのか、いつも同じ車両数で走っているような印象がある。以前一度乗ったときに使った座席予約画面で、どの便も同じ座席構成だったような記憶もあるし。チェコ鉄道の場合には、特急、急行は全席予約ではないので、レギオジェットほどの融通は利かないが、長年の利用客の傾向データを持っているので、それに基づいて車両を増やしたり減らしたりしている。増やす数には限界があるので、座れない乗客が出ることもあるけど、逆に言えば席はなくても移動だけは確実にできるのである。これはチェコ鉄道の強みと言っていいのかな。
終わらない。
2019年1月23日23時30分。
2019年01月24日
チェコ鉄道事情続続(正月廿二日)
話をペンドリーノに戻そう。ペンドリーノが走り始めた当初、それまでの特急と比べても、所要時間が大きく短縮され、座席も当時の急行や特急に使われていた古いコンパートメント式のものに比べれば、ずっと快適だったが、乗客はそれほど多くなく、最初のころはなかなか増えなかった。原因の一つは、鳴り物入りで導入したせいか、チェコ鉄道が必要以上に特別扱いしてしまったことである。
まず座席指定券がないと乗れなかった。当時から急行(R)、特急(EC/IC)は無料で座席指定することが可能だったが、座席指定などせずに乗る人が多かった。実際には乗車券を買うついでに座席も決められたから特に面倒ではなかったのだが、座席指定券が必要だという注記をみて面倒だと思う人はいたはずだ。
そして、その座席指定券が高かった。オロモウツ−プラハ間は運賃が250コルナぐらいだったと思うが、座席指定券が200コルナもしたので、普通の急行に乗るのの倍近くかかったわけである。当時毎週一回オストラバに通訳の仕事をしに通っていたが、帰りによくペンドリーノの最終便を利用していた。当然運賃よりも座席指定券のほうが高かったわけで、会社で交通費を出してくれていなかったら、ペンドリーノの利用は避けていた可能性も高い。
考えてみれば当時は、特急に乗るのにも特急料金が60コルナ必要だったのだ。カテゴリーが上のペンドリーノの追加料金がそのぐらいしてもおかしくはなかったのだろうが、割高感は否めなかった。始発のオストラバ中央駅で自分が乗った車両に他の乗客は一人もいないなんてこともあったし、満席で乗れないという状況は想像もつかなかった。その後チェコ鉄道は、特急の追加料金を廃止したが、ペンドリーノの追加料金は、廃止したり、再導入したり、値段を上げたり、下げたり、試行錯誤をしていた。適正な額を模索していたのだろう。一時期は、年に二、三回ペンドリーノを利用して、利用するたびに値段が変わっていた。
それから、ペンドリーノの乗車券専用の窓口を設置して、発券システムも独立したものにしたのも、少なくとも最初のうちは逆効果だった。このシステムが不安定で、頻繁に落ちていたのである。駅で切符を買おうとすると、乗車券だけ買わされて、座席は適当にあいてるところに座ってなんて言われることもあった。ペンドリーノ自体に不具合が起こって、真冬に暖房が効かなかったり、トイレのドアが凍り付いて開かなくなったりなんて、冗談だろと言いたくなるようなこともあった。
その後、オストラバに行かなくなってしばらくして、オロモウツの駅でペンドリーノを見て、乗客が多いのにびっくりしたことがある。プラハから乗ろうとして満席で乗れなかったこともあるし、チェコ鉄道の目標は数年がかりで達成されたということになろうか。乗客が増えたのは追加料金が安くなったというのもあるが、速くそして快適になった電車に、利用客が戻ってきたという面のほうが大きい。発券システムも含めて安定して運行されるようになり、ペンドリーノ導入のための路線の改修のおかげで遅延が大幅に減ったというのも、これまで時間のかかりすぎる鉄道を避けていた人たちが鉄道を利用し始めた理由になっているだろう。
また、ペンドリーノの利用客が増えた理由の一つとして、プラハにおける発着駅がホレショビツェから中央駅に変更されたことも考えられる。かつては、ペンドリーノ以外にもモラビアの方に向かう特急の中に、ホレショビツェから出る便があって、駅を間違えると乗れないということもあったのだが、現在ではすべて中央駅に集約されているため、近距離の各駅停車を除けば、とりあえず中央駅に行きさえすれば乗れるようになって、利用しやすくなっている。
かつてチェコ鉄道では乗客獲得のためにさまざまな模索をしていた。現在でも残っているのは、インカルタと呼ばれる会員証みたいなカードで、年会費(確か3年で300コルナ)を払うと、すべての乗車券を25パーセント割引で買うことができ、提携しているお店で割引を受けることもできる。会費の高い50パーセント割引になるものもあるのかな。
迷走していたのは団体割引で、当初は10人以上とか20人以上のグループに適用されたと記憶するのだが、一時期は二人から適用されることになって、二人目以降は、正規の運賃の50パーセントということになっていた。現在では二人からということはないはずである。往復割引も以前はあったけれども、今は往復で買っても、別々に買っても差はないと思う。土日の特別割引のSONE+とかいうのもあったなあ。以前はあちこちで大々的に宣伝していたのに、最近全く聞かなくなったから廃止されたかな。
そんな、鉄道の乗客増加を目指したサービスの中で一番効果があったのが、ペンドリーノの導入による所要時間の短縮と、現在でも引き続いて行われている新しい(一部外国の中古もあるけど)機関車、客車の導入による快適さの向上だったと言っていいだろう。そして、利用客が増えつつある中で、さらなる拡大を目指して導入されたのが、チェコ鉄道と私鉄が同じ路線を走るという政策だった。
終わらないので、もう一回か二回。
2019年1月22日22時35分。
2019年01月23日
チェコ鉄道事情続(正月廿一日)
もう一つ指摘しておかなければいけないことは、現在のレギオジェット、レオエキスプレスの成功の前提として、チェコ国内の鉄道網路線の近代化、高速化があるという点である。かつて、1990年代から2000年代初頭のチェコの鉄道網は、長期にわたって設備投資が滞っていたこともあって、老朽化が進み遅延するのが当然になっていた。線路も電車も高速走行に耐えられる規格ではなかったので、遅延なく走っても、オロモウツ−プラハで、速いものでも3時間以上、下手すれば4時間近くかかるという状態だったのだ。車両も老朽化して、暖房はあっても冷房はなく、清掃なども適当で、快適さとはほど遠い存在だった。その結果利用者離れが起こっていたといってもいい。
オロモウツ−プラハ間は、高速道路が開通していないため、当時は鉄道と自動車の所要時間が同じぐらいだったが、高速道路を使ったスチューデント・エージェンシーの直行バスが走っていたプラハ−ブルノ間は、バスを使ったほうが遥かに早く、快適でサービスもよかったらしい。値段も安かったのかな。そのため、途中の停車駅を利用する人はともかく、プラハからブルノ、その反対はバスを使う人の方が多かった。
仮にこの高速化が行われる前の時点で、レギオジェットやレオエキスプレスが、参入していたとしたら、現在ほどの成功は収めていなかっただろうことは断言できる。所要時間が大幅に短縮された上で、サービスや乗り心地が改善されたからこそ、鉄道に利用客が戻ってきたのである。
チェコの鉄道網の近代化、高速化はなかなか進まなかったのだが、転機を挙げるとすれば、チェコ鉄道が、高速化、時間短縮の切り札として、イタリアのペンドリーノの導入を決定したことだろうか。2000年前後のことで、当時ですらイタリアの十年以上前の最新列車とイタリアから来た日本人に馬鹿にされていたのだが、実際は旧型のペンドリーノであっても、その能力を十全に発揮できていないのだから、最新型を導入してもまったく意味がなかったのである。
一番最初にペンドリーノの試験運転が行われたのはプラハから北に向かう路線で、なんと各駅停車に使われていた。せいぜい数十キロのスピードで走らせながら本格的な運行に向けて問題点の洗い出しを行っていたのである。同時に導入が予定されていたプラハ−パルドゥビツェ−オロモウツ−オストラバ間では重点的な路線の改修工事が行われていた。老朽化し、また高速走行を前提として敷設されていない路線では、ペンドリーノでも時速100キロをいくらか超える程度の速度しか出せなかったのである。
線路そのものだけでなく。山間部では新たにトンネルを開削して、スピードを極端に落とさなければならなかった区間のカーブを緩やかにしたり、高速運行に向けて安全装置の設置も進められたんだったかな。全線を通じて最高時速160キロで運行できる規格で改修が進められた結果、ペンドリーノが実際に運行を始めた2005年ぐらいの時点では、プラハ−オロモウツ間を特急ECが3時間弱で結ぶところを、ペンドリーノは2時間30分ほどで走っていた。例によって遅れることも多かったけど。その後もあれこれ改修が続けられ、現在では最短で2時間2分と、もうすぐ2時間を切るところまで短縮が進んでいるのである。
路線の改修、高速化によって、ペンドリーノ以外の電車も時間の短縮が進み、停車駅が多い急行でもプラハ−オロモウツ間を、3時間以内、特急は2時間半以内で結んでいる。チェコ鉄道の所有するペンドリーノの数に限りがあるため、日によってはSCペンドリーノが走るべき時間に、普通の特急の機関車と客車を使った特急ICが走ることがある。現在ではペンドリーノでなくても、最高時速160キロで運行できるようになっていて、所要時間は途中の停車駅の数によって左右されると言っていい。ただし、レギオジェットの機関車は最高時速140キロらしく、これがチェコ鉄道の特急より時間がかかることがある理由のようだ。
この最高時速160キロというのは、チェコの鉄道網の整備、高速化の一つの基準になっていて、モラビアだと、ペンドリーノが走る区間以外にも、ポーランドからオストラバを経由してウィーン、ブラチスラバに向かう電車が走るプシェロフ−ブジェツラフ間、ブルノからウィーン、ブラチスラバに向かうブルノ−ブジェツラフ間も、特急、急行は最高時速160キロで走行している。車両によっては車内にモニターがあって、速度表示がされているので、速度を確認することができる。さすがに駅の構内を最高速で走るわけにはいけないから常時160キロというわけではないけど。
この話もうしばらく続きそうである。
2019年1月21日23時10分。
チェコのとは見た目が違うなあ。
2019年01月22日
チェコ鉄道事情(正月廿日)
最近発見したのだが、昨年の11月に こんな記事 が出ていたらしい。「東洋経済」という雑誌の記事は、ヤフーの雑誌のところでたまに読むことはあるのだが、これは古い記事だったので雑誌のページにまで行って読んだ。新しいヨーロッパの鉄道における全体的な傾向について書かれた同じ著者の記事に紹介されていたので、珍しく検索をかけてまで読んだ。
日本で「ヨーロッパの」と枕をつけると、たいていドイツ、フランス、イギリスあたりの事例を元に、それがヨーロッパ全体に適用されているかのような、読んで損したと思う記事を書く人が多いのだけど、この著者の記事は、旧共産圏にまで目を配った本当の意味でヨーロッパについての記事だった。過去のレギオジェットについての記事にも期待して読んだのだが、期待を裏切らない内容で、読み応えもあった。
ただ、チェコの鉄道運営会社が価格競争に走っているような印象を受けかねないチェコ鉄道のコメントが紹介されていたので、チェコの鉄道における競争が単なる運賃の値下げ競争ではないことは書いておきたい。私鉄のほうが旧国鉄のチェコ鉄道より安いとは言い切れないのである。
まず、大前提として、チェコの鉄道は、一部の路線を除けば赤字である。国や地方の補助金をもらいながら運行しているのが、チェコの鉄道である。もちろん、国や地方が補助金を出すのは、住民の足を確保するのと同時に、運賃が高くなりすぎるのを抑えるという目的もある。運賃が高くなると利用者が減り、さらに赤字が膨らみ、廃線の恐れも高まる。
現時点で補助金の対象外となっているのは、チェコ鉄道の国際列車(大抵はEC)とチェコ国内の特急(SCとIC)、レギオジェットなどの私鉄の特急だけで、それ以外は、長距離を走る急行(RやEX)には国の、各駅停車には地方の補助金が補助金が出ている。両方からの補助金が出ているものもあるかもしれない。車両に運輸省や地方がお金を出していることが明記されている場合もあって、こんなのわざわざ書かせなくてもいいだろうにと思わされてしまう。
補助金を出しているからか、地方もチェコ鉄道に対して強気に、時刻表の改正や利用車両の改善などあれこれ要望を出たり、補助金の額を上げるようにチェコ鉄道側から要望があったり、それに国が口を出したり、巻き込まれたりで、必ずしも全く問題なく運営されているというわけではないが、国費で(地方の補助金ももともとは国庫から地方に分配された予算の中から出されている)、鉄道事業を支えているというのがチェコの現実なのである。
現時点ではほぼすべての補助金の出る路線をチェコ鉄道が運営しているが、昨年末のニュースで、何年か後からの補助金つきの運行会社の入札が行なわれ、プラハ周辺の中央ボヘミア地方は、ドイツ鉄道の子会社のアリバが、モラビアのブルノとオストラバを結ぶ区間はレギオジェットが落札したと言っていた。
ちなみにチェコ国内で最初に走った私鉄は、チェコ鉄道が補助金をもらっても採算が取れないと投げ出した路線の運行を引き受けたものだった。たしか北ボヘミアの小さな町から国境を越えたところにあるドイツの町を結ぶ路線だったと記憶する。かつてのオーストリア時代に敷設された鉄道の中には、現在の国境線を出たり入ったりしながら走っているものがあって、かつては国境管理の関係上途中の駅に停車しなかったり、停車しても乗降不可だったりして、大変だったろうと思わせる。この路線もそんなものの一つじゃなかったかな。今はEUで何の問題もなくなったけど。
それから、シュンペルクからベルケー・ロシニのほうに向かう路線は、1997年にモラビアを襲った水害で壊滅的な被害を受けチェコ鉄道では復旧をあきらめてしまった。それに対して住民の足の確保のために沿線の町が共同で、路線を復旧し運営会社を設立して10年以上にわたって運行し続けていた。これも、私鉄である。現在では再びチェコ鉄道による運行に戻っているけれども。
つまり、チェコにおける最初の私営の鉄道会社の参入は、チェコ鉄道の競争相手というよりは、小回りの利かないチェコ鉄道では対応しきれない部分を補完する役割が求められていたと言える。同じ路線をチェコ鉄道と私鉄が走るということはなく、ごく一部の路線を私鉄が運行していたにとどまる。国鉄民営化直後の日本のJRと地方のローカル線を運行した私鉄の関係と似ていると言えば言えるか。
長くなったので以下次回。
2019年1月20日24時。