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2020年06月30日
ミラダ・ホラーコバー(六月廿七日)
毎年、この共産党政権によるでっち上げ裁判で死刑判決を受けて殺された女性については、この時期になるとニュースになるのだが、今年は特に報道される回数が多い。今年は死刑が執行されて70年目ということで、大きく取り上げられているようだ。実はこれまでも何度か取りあえげようと思ったのだが、どう扱ったものか決めかねて後回しにしてしまった。決めかねているという点では今も変わらないのだが、今回を逃すと書かないままになってしまいそうなので、失敗覚悟で書き始める。
さて、ミラダ・ホラーコバー氏の死に関してチェコ語で使われる特別な言葉があることに気づいた。それは「justi?ní vra?da」ということばで、司法を意味する「justice」の形容詞が殺人の前についているから、司法殺人、司法による殺人ということになるだろうか。時の政府、権力者が法律を悪用、もしくは無視して、ありもしない嫌疑をかけて裁判を起こし、あらかじめ決まっていた死刑判決を下して合法的に政敵を葬るというやり口をさしていう言葉のようである。
これで思い浮かべたのは、第二次世界大戦後のソ連で吹き荒れたスターリンによる共産党員の粛清の嵐である。それは当然東側に属してソ連の後追いをしていたチェコスロバキアにも波及し、多くの共産党員がささいなことで人民の敵に指定され、裁判の結果死刑に処されたはずである。全員が処刑されたわけではなく、1968年のプラハの春が鎮圧された後の正常化を主導して、自らもこの手の政治裁判を行ったグスタフ・フサークも民族主義者のレッテルを張られて裁判にかけられていたはずである。
そんな思い込みから、でっち上げの政治裁判で殺されたのは共産党関係者が多いのだろうと思っていたので、ホラーコバー氏も共産党の関係者で党内の粛清の犠牲者の一人だろうと考えていた。そんな人が、司法殺人の最大の犠牲者として、反共産党のシンボルのように扱われるのが不思議だったのだが、よく考えれば対戦中にイギリス軍でパイロットとして活躍して帰国した軍人とか、共産党関係者以外でも政治裁判の犠牲になった人は多いのだった。
ホラーコバー氏も、そんな党員ではない粛清の犠牲者で、もともとは弁護士で女性の権利拡大求める運動の指導者でもあったようだ。その後、ナチスドイツによる占領期には、反ナチスの活動家として刑務所に入れられたこともある。戦後政界に入り、国会議員に選出されている。左よりの民族社会主義を標榜する党の党員で、当初は思想的には、決して反ソ連、反共産党というわけではなかったようだが、秘密警察を悪用する共産党のやり口と、1948年の共産党のクーデターによる政権獲得には反対の立場を取った。
それが当然共産党政権の気に入るわけがなく、1949年に国家に対する反逆の罪で逮捕され、容疑を認める代わりに罪を軽くするような取引をすることもなく、死刑判決を受けて、刑が執行されたのがちょうど70年前の今日だという。追悼の式典だけでなく、二、三年前に制作されたホラーコバー氏の死をテーマにした映画を、反共産主義の団体が共産党本部の壁をスクリーンにして上映するなんていうイベントも行なわれていた。
ホラーコバー氏は、1948年の政変に際して西側に亡命することも可能だったのに、チェコスロバキアに残ることを選び、死の瞬間まで共産党政権に対する抵抗を続けたという印象を残している。それが今でも反共産主義のシンボルとして、右よりの政治家たちからも尊敬を受けている所以なのだろう。チェコ各地にホラーコバー氏の名前にちなんだ通りがあるのも納得である。共産党だけは、この件に関しても、他のこの時期の事件についてと同様、独特の見解を持っているようだが、誰にも相手にされていない。
ホラーコバー氏は、チェコスロバキア国内だけでなく、国外でも知名度の高い人だったようで、裁判で死刑の判決が出た後、アインシュタインやチャーチルなどの西欧の有名人達から死刑を見直すようにという要望が届いたらしい。それがスターリン主義に凝り固まった当時の共産党政権に届くわけがなく、いやその分危険だと判断されたのか、見直されることはなかった。
チェコの歴史には、自らの死によって民族を覚醒させ、抵抗に立ち上がらせようとする人がしばしば登場する。ホラーコバー氏もそのうちの一人として数えていいのかもしれない。チェコの人々が共産主義の悪夢から完全に覚めて自由を取り戻すまでには、40年もの時間が必要だったわけだけれども、それがホラーコバー氏の死の意味を小さくすることはあるまい。
2020年6月28日18時。
2020年06月29日
関係代名詞3「který」前置詞付(六月廿六日)
前回は6格を除いては、連体修飾節に前置詞を使わない例文を苦労して考え出したのだが、今回はさまざまな前置詞を使った場合にどうなるかを見ておこう。これも2格を取るものから順番に進めていく。
・Plavali jsme v rybníku, u kterého stojí vysoký strom.
そばに高い木が立っている池で泳ぎました。
何かが何かのそばにある場合には、前置詞「u」と2格で表す。この場合には名詞は池で男性名詞不活動体の単数なので、関係代名詞は前置詞と合わせて、「u kterého」となる。
・Kamarádky, u kterých jsem se v?era ubytovala, pracují
v japonské firm?.
昨日泊めてくれた友達は日系企業で仕事をしている。
友達は女性ばかり複数なので、関係代名詞は「u kterých」となる。形容詞の格変化と同じで三性共通の形が多いので、格変化させて使うのは実は複数の方が楽である。問題は、日本人の習性として単複を意識するのを忘れて単数で使ってしまいがちなこと。
念のために友達の性と単複を変えたバリエーションも上げておく。
・Kamarád, u kterého jsem se v?era ubytovala, pracuje
v japonské firm?.
・Kamarádi, u kterých jsem se v?era ubytovala, pracují
v japonské firm?.
・Kamarádka, u které jsem se v?era ubytovala, pracuje
v japonské firm?.
上から順番に男性単数、男性複数、女性単数である。
・Dnes se sejdu s otcem, od kterého bych si mohl p?j?it peníze.
今日は、お金を貸してくれるはずの父と会うことになっている。
名詞は父、当然男性活動体で一人しかいないから単数。関係代名詞は「od kterého」。父を母に変えると、女性名詞なので以下のようになる。
・Dnes se sejdu s matkou, od které bych si mohl p?j?it peníze.
この文、無理やり感が強いけど、それは日本語にしやすい例文を作る必要があったからである。チェコ語の関係代名詞を使った文の中には、日本語で連体修飾節を使うと不自然な文、理解しにくい文になるものがかなりある。
・Rodi?e mi poslali japonskou rý?i, bez které nedoká?u ?ít.
なしでは生きていけない日本のお米を両親が送ってくれた。
チェコ語の名詞「rý?e」は女性名詞。一粒一粒数えたりはしないので常に単数で扱う。関係代名詞は女性単数2格で「bez které」。
日本語訳がなんとも窮屈な不自然なものになっている。連体修飾節を「それなしでは生きていけない」としたほうがましかとも思ったけれども、翻訳でなければ使わないという点ではどちらも大差ない。日本語から訳す場合には「日本のお米がないと生きていけないのだが、両親が送ってくれた」とすれば、チェコ語でも問題なく通じる。
・Vynalezl novou látku, z které se vyrábí r?zné léky.
いろいろな薬の原料となる新しい物質を発明した。
女性名詞の単数の「látka」を受けるので、関係代名詞も女性単数二格で、前置詞とあわせて「z které」。
これもまた直訳すると変な日本語になりそうなので、連体修飾節の部分をわかりやすくなるように訳した。これも日本語訳をチェコ語に直訳しても通じると思う。
・V toto ve?írku se seznámil s ?enou, do které se hned zamiloval.
そのパーティーで女性と出会い、すぐに恋に落ちた。
・V toto ve?írku se seznámila s mu?em, do kterého se hned
zamilovala.
そのパーティーで男性と出会い、すぐに恋に落ちた。
相手が女性か、男性かで関係代名詞の形が変わっているのはわかるだろう。主語が男性か女性かで変わる動詞の過去形の語尾にも注意しなければならない。
この文は連体修飾節を使うと不自然な日本語になるものの典型なので、訳しかたを変えた。チェコ語では連体修飾節が名詞の後に来る。ということは主文の動詞の後にくることもあるということなので、その場合、連体修飾節の情報のほうが、主文の情報よりも新しくなっていても、読むときの順番を考えれば問題ない。日本語の場合は、短い文であれば問題ない場合もあるだろうけれども、ややこしい文にしたり、文章中に何度も繰り返したりすると理解できなくなってしまう。
日本語で考えた文をチェコ語に直訳しても、わかってもらえないと言うことは少ないので、チェコ語ではこんな表現も使うんだという知識にとどめておいて、自分では無理に使う必要はない。いちいち日本語にせずに直接チェコ語で文章を書くようになると、自然に使えるようになるのだが、それを日本語にしようとすると違和感が沸き起こってしまう。今回も例文を考え出すのに苦労した所以のひとつである。
2020年6月27日20時。
2020年06月28日
関係代名詞2「který」(六月廿四日)
今日は関係代名詞の使い方の説明というよりは、具体的に「který」を2格以下の格で使う例を紹介して、簡単なコメントをつけていくことにする。形容詞の格変化を覚えていれば、関係代名詞「který」なんて習うより慣れよで、いろいろ考えながら使っているうちに使えるようになるものだ。
・Univerzita zrušila letní školu, které jsem se cht?l zú?astnit.
(大学は、私が参加しようと思っていたサマースクールを中止にした)
連体修飾節が付く名詞はサマースクール、チェコ語では「letní škola」なので、「který」は女性型の格変化をしなければならない。連体修飾節の動詞「zú?astnit se」は、2格をとるので、女性単数の2格「které」になるというわけである。一方主文の動詞「zrušit」は4格を取るので、「letní školu」となる。名詞と関係代名詞の格は一致しなくてもいいのである。
・Potkal jsem na nádra?í ?echy, kterých jsem se zeptal na cestu na nádra?í.
(駅までの道を尋ねたチェコ人達に駅で会った)
名詞は男性活動体複数。連体修飾節の動詞「zeptat se」は2格を取るので、関係代名詞は複数2格で「kterých」となる。本当は「さっき」とか加えたかったのだけど長くなりすぎるので省略。
・Kamarád, kterému jsem p?j?il peníze, jel do Japonska.
(お金を貸してやった友達が日本に行った)
名詞は友達。この場合は男一人なので、関係代名詞は男性活動体単数で変化させる。動詞「p?j?it」は、日本語の「貸す」と同様に、貸す相手を3格で表すので、「kterému」としなければならない。2格と3格は、わかりやすく、日本語と対照しやすい例を探すのが大変だった。
・Prodal jsem v antikvariátu knihy, které jsem si koupil v Japonsku.
(古本屋で、日本で買ってきた本を売った)
この文では、名詞は本で女性名詞だが、複数なので関係代名詞は女性の複数を使う。動詞「koupit」が必要とするのは4格なので、女性複数の4格「které」を使う。
・Chodíme ka?dý m?síc do divadla, které vlastní náš známý.
(私たちは、毎月、知り合いが所有する劇場に通っている)
名詞が中性の劇場で単数。連体修飾節の動詞が必要とするのは4格で「které」となる。
・Cestoval jsem po Japonsku s kamarády, které znám od svého d?tství.
(子供のころから知っている友人たちと日本を旅行しました)
名詞は友人。ただし男性を含む複数。連体修飾節の動詞「znát」のせいで、関係代名詞は4格。つまり複数4格の「které」が使われる。友達が一人の場合は、男女それぞれ以下のようになる。
・Cestoval jsem po Japonsku s kamarádem, kterého znám od svého d?tství.
・Cestoval jsem po Japonsku s kamarádkou, kterou znám od svého d?tství.
次は6格だが、前置詞なしには使えないことを覚えておこう。ここは場所を表す前置詞でちょっと遊んでみる。
・Mluvil o státu, ve kterém pracoval jako u?itel.
(あの人は先生として仕事をした国について話した)
名詞の国は男性不活動体単数。名詞「stát」は場所を表す前置詞としては「v」を取るので、関係代名詞の男性不活動体単数6格の前に「v」を置かなければならない。国名は国によっては男性名詞だったり女性名詞だったり、単数ではなく複数だったりするので、いろいろなバリエーションで使われることになる。
・Mluvil o ?eské republice, ve které pracoval jako u?itel.
・Mluvil o ?esku, ve kterém pracoval jako u?itel.
同じチェコを表す言葉でも正式名称のチェコ共和国を使うと、女性名詞単数になるので、関係代名詞は「ve které」、略語というか俗語のチェスコを使うと中性名詞単数なので、「ve kterém」となる。
・Mluvil o Slovensku, na kterém pracoval jako u?itel.
・Mluvil o Ukrajin?, na které pracoval jako u?itel.
同じ国名でも、中性単数のスロバキアと、女性単数のウクライナの場合には、「v」ではなく「na」を取る。さらにフィリピンは女性名詞の複数なので次のようになる。
・Mluvil o Filipínách, na kterých pracoval jako u?itel.
こんなややこしいのは嫌だという人のために存在するのが、いや本当はそんなことはないのだろうけど、前置詞「v/na」の代わりに場所を問う疑問詞「kde」を使う方法である。これなら、地名の性も単複も、必要とする前置詞も問わずに問題なく使える。これについてはまた、別の機会にまとめて説明、いや例文を紹介しよう。
前置詞を使わずに「který」を7格で使う例文が思いつかなかった。それっぽいのは思いついたのだけど、どれもこれもなんか変というものばかりだったので、割愛せざるを得ない。その分、前置詞+7格の例文をたくさん考えることにする。ということで、今回もちょっと挙げたけど、次回は全治しつきの関係代名詞である。
2020年6月25日10時。
2020年06月27日
オリエンタリズムと欧米コンプレックス(六月廿三日)
すでに旧聞に属するが、日本の政治家の中でも口が軽く失言の山を築くことで知られる何とか大臣が、日本で武漢風邪の感染者、武漢風邪による死者の数が少ないことについて、「民度が高いから」なんて発言をして、あちこちから批判を浴びているというニュースが世上を賑わせた。この発言を知ったときには、欧米のマスコミの根拠のない日本批判と、それを無批判に引用して政府批判につなげる日本のマスコミによほど腹を立てていたのだろうと思った。
何とか大臣の発言も、マスコミの報道のあり方も、一見立場を異にするように見えるが、どちらも欧米コンプレックスの発露にすぎず、その発露のしかたが違うだけで表裏一体の関係にある。だから批判するほうもされるほうも、同じ穴の狢であって、目糞鼻糞のののしり合いのレベルを超えることはない。
そもそも欧米のマスコミの報道は、国内についてのものなら信用してもいいのだろうけど、アジア、特に日本に関する報道については、オリエンタリズムのバイアスがかかっているから信用に値するものはほとんどない。今回の武漢風邪騒ぎに関して言えば、日本の対応への批判は、差別意識、キリスト教文化圏に属さない日本が、先進であるはずの欧米よりも被害が少ないのはありえないという思い込みから出た根拠のないものに過ぎない。検査数が少ないから患者数も少ないというのは、一面の真実ではあっても、それを理由に日本の本当の感染者数は十倍以上いるはずだなんて言うのは、科学的な思考が欠落しているだけではなく、単なる言いがかりである。
それをありがたく引用して大騒ぎする日本のマスコミは、欧米コンプレックスの塊で、欧米が言うことは白いものでも黒いと思うメンタリティを有しているとしか思えない。引用するにしても、その批判が正当なものなのかどうか検討してからにしろよと思うのは、ないものねだりなのだろうか。日本のマスコミも科学的な思考に欠けて、思い込みや妄想でガセの垂れ流しを報道と称して恥じない連中だから、検討しても形だけで終わるか。
その一方で、外国で日本の在り方が賞賛されているなんて記事も見かけるけれども、それがスポーツ記事の穴埋めに使われるようなものであれば罪はないと言ってもいい。ただ欧米のメディアが日本を必要以上に称揚するのも、褒められたことではあるまい。日本の影の部分には目をつぶって、もしくは気づくだけの能力がなく、光の部分だけを大げさに取り上げるのもまたオリエンタリズムの発露の一形態である。それを無批判に紹介して日本は凄いと悦に入るのは欧米コンプレックスとしか言いようがない。
去年のラグビーのワールドカップのときにも思ったけれども、少なくとも日本のマスコミに引用される欧米の日本賞賛記事には、相対化する視点が欠けている。二つの文化、社会を比べた場合に、どちらかがあらゆる面で優れているなんてことはありえない。欧米と日本を比べても、全面的に日本が駄目ということも、日本の方が優れているということもあり得ない。
しばしば、いわゆる報道の自由に関して日本が酷い状態にあって、ヨーロッパとは比べ物にならないというようなことが言われるが、ヨーロッパにだって報道の不自由はある。キリスト教徒の少ないチェコに於いてでさえ、キリスト教関係、特にカトリック関係の報道には、隔靴掻痒なものが多い。今回の武漢風邪のヨーロッパでの流行にしても、教会が大きな役割を果たしたと思われるのに、批判の声はおろか、指摘する声さえ聞こえてこなかった。そもそもバチカンという宗教国家が存在することを誰も疑問視しないのが不思議である。
これは、チェコ語の師匠から聞いた話だけど、師匠が住んでいた村で、聖職者ではなかったけど教会関係者が殺されたときに、ニュースにはなったけど、事件と関係していると思われる、その教会で行われていたことについては報道されなかったと言っていた。子供たちを集めて、指を切ってお互いの血を混ぜ合わせさせたりとか、秘密結社の入社式のようなことをしていたらしいんだけどね。師匠は政治的は判断でキリスト教会に配慮したんだろうなんて言っていた。
もちろん日本には、報道の自由がないのではなくて、実はマスコミ自体が必要としていないという事実については、ヨーロッパの基準で評価する限り見えてくることはないのである。日本のマスコミが必要としているのは、対象となる個人を選択して、虚偽も交えた報道で袋叩きにする権利であって、真実を暴くための報道の自由ではない。首相などの政治家が袋叩きの対象に選ばれることはあっても、マスコミのやっていることは、不倫疑惑で芸人を袋叩きにする場合と大差ない。もう一つ、虚偽報道をしても謝罪したふりをすればなかったことにできる権利も、戦前とメンタリティーの変わらない大手マスコミには必要か。
それはさておき、日本の生活習慣、日本人の民族性などを取り上げて、「民度が高い」などと称賛するのであれば、その民度の高さがもたらす負の側面を指摘して、相対化するのが少なくともジャーナリストを自認する人間の仕事じゃないのか。賞賛だけなら単なる日本ファンにだってできるのだし、感情的に批判するだけならおつむの軽い芸人にだって無能な政治家にだってできる。某大臣を批判するにしても、「民度が高い」おかげでこんなことも起こっていると指摘したほうが、馬鹿の一つ覚えで差別だ差別だと騒ぐよりもずっと効果的であろう。
今回の武漢風邪騒ぎは、たしかに日本のいい面も浮き彫りにしたけれども、自粛を要請したり、強要したりするという日本語を破壊するような事態が起こるなど、自らは自粛しないのに視聴者に自粛を要求するテレビ局などのマスコミを筆頭に、「民度の高い」日本社会の悪い面もこれまで以上に表に出てきた。この両面に目を向けた日本に関する報道ってのは無理なのかね。チェコテレビならやれそうだけど、需要はないだろうなあ。
2020年6月24日15時。
https://onemocneni-aktualne.mzcr.cz/covid-19
https://www.krajpomaha.cz/
2020年06月26日
スラビア優勝(六月廿五日)
職場からもどってきて、記憶媒体の持ち運びに使っている小さな財布を捜すのだが、どこにもない。ズボンのポケットに入っているのはハンカチと鍵だけで、肩掛けカバンにも入っていなかった。久しぶりに職場に忘れてきたようだ。ここ何ヶ月かは自宅監禁生活が続き、職場に出ない日のほうが多かったから、忘れようもなかったのだけど、平常どおりに毎日出勤するという生活に復帰してそれほど立たないのに、やらかしてしまった。
一昨日の分も昨日の分も書き上げてあとは投稿するだけになっていたのだが、仕方がない。慌ててテーマを選んで書き始めた。幸い、最初はリーグが完全に終わってから取り上げるつもりだったけど、昨日の試合の結果で、サッカーリーグの優勝がスラビアに決まったというネタがあるので、ここで取り上げることにする。
昨日の夜行われた追加リーグの第二節で、1位のスラビアと2位のプルゼニュが対戦し、ホームのスラビアが1−0で勝ったことで優勝を決めた。残りは3節で、2チームの勝ち点の差は9になり、スラビアが3連敗、プルゼニュが3連勝すれば勝ち点で並ぶ可能性は残っているが、その場合は30節終了時点の結果で順位を決めることになるので、順位が変動する余地がなくなったのである。秋の時点でプルゼニュに大きな差をつけていたから、順当な結果である。むしろ遅かったといってもいいかもしれない。
スラビアはこれで2年連続の優勝、ここ4年で3度目の優勝と、チェコ最強チームの座をプルゼニュから奪ったと言っても問題はなさそうだ。トロピショフスキー率いるチームはヨーロッパでの舞台でも活躍し評価も高い。唯一の問題は、中華資本の傘下に入っていて、オーナーを務めるのが目立ちたがり屋のトブルディーク氏だというところである。中国側がスラビアを食い物にする前に、うわさどおりにアラブの金持ちに売却してくれんもんかね。アラブの王族もあれこれチェコで問題を起こしているけど中国よりはまだましである。それでもトブルディークは残るんだろうなあ。
2位が確定したプルゼニュは、優勝した2010/11から10シーズンで、優勝が5回で、2位が今回のもので4回となった。残りの一回も3位という安定振りである。新監督のグリャを迎えて、ブルバ時代末期の停滞感がいっそうされたから来シーズンもスラビアと優勝を争うに違いない。中華すらビアよりはプルゼニュに勝ってほしいのだけど、資金的に負けているからなあ。
3位はMOLカップの準決勝でプルゼニュに勝ったのも入れると、8連勝中のスパルタが入るのは間違いなさそうだ。スパルタの問題は守備が不安定なことというよりは、守備陣に毎試合信じられないようなミスが発生することだったのだが、コタルが監督に就任してから致命的なミスが無くなったというわけではない。連勝中もいくつかとんでもないミスがあったし。変わったのはミスしても、めげずに、慌てずにプレーを続ける精神的な部分だろう。この辺はまだ若いイーレク監督には難しく、老練なコタルだからこそ達成できたと言う事か。武漢風邪での中断期間が役に立ったようにも見える。
下位の降格と入れ替え戦がかかったグループでは、我らがオロモウツがテプリツェと引き分けて、残留を確定させた。下の状況を見るとテプリツェとその下のズリーンまではほぼ残留が確定で、カルビナー、オパバ、プシーブラムの3チームで入れ替え戦に回れる2枠を争うことになりそうだ。現時点では14位のカルビナーに3点差で15位のオパバと最下位のプシーブラムが同勝ち点で並んでいる。最下位で降格するのはこの2チームのうちの一つだろう。
残りの2チームは2部の2位と3位のチームと入れ替え戦を行うのだが、今年は、導入二年目にして入れ替え戦が中止される可能性が出てきた。それは2部のトシネツチームが武漢風邪感染の疑いで隔離状態に置かれていて試合が行なえなくなっていることが原因である。現時点ではすでに3試合の延期が決定しているのだが、隔離は7月4日までということになっている。
トシネツは集団感染が起こっているフリーデク・ミーステク地方の町で、選手の家族に感染者が出たことで、再度チーム関係者全員の検査をしたところ、一旦は全員陰性という結果が出た。その翌日だったかな、一人の選手が個人的に受けた検査で陽性だったことが判明し、チーム全体が隔離状態に置かれることになった。隔離期間の終わりに再度検査を行って新たな感染者が出た場合には、トシネツの試合が行なわれないままリーグ戦が終了する可能性が高い。その場合には、優勝チームが1部に昇格するだけで、入れ替え戦は行われないことになっているという。
日本で選手の中から感染者が発覚したら、その選手の所属するチームの試合だけではなく、リーグ全体が中止ということになりかねない。蒙昧なマスコミ関係者がうるさそうだし。感染のリスクをゼロにするってのは不可能だと思うし、感染者がゼロになるまで何もしないなんていっていたら国が疲弊するだけである。その辺はチェコの方がましである。
2020年6月25日24時。
2020年06月25日
関係代名詞1「který」(六月廿二日)
ヨーロッパの言葉においては必要不可欠な物でありながら、日本語では必要としないものの筆頭がこの関係代名詞である。我らが先人たる文明開化期の外国語使用者、翻訳者たちなどもこの関係代名詞には苦労したのは想像に難くなく、古い翻訳調で書かれた文章を読むと、「私が住むところのオロモウツ」と、普通なら「私の住むオロモウツ」と単純な連体修飾節で済ませるところに、形式名詞の「ところ」を入れて無理やり関係代名詞に対応させている例もよく見かける。漢文訓読調を翻訳に取り入れたなんて言えなくもないけど、漢文の連体修飾節がすべて「所」で導かれるわけではないし、他の訓読のしかたができるところもある。
それはともかく、そんな厄介なものを日本人が自然に使えるようになるわけはなく、使うためには文法的な思考が必要になる。英語を勉強していたときには、何も考えずに例に基づいて当てはめていただけだったから、あまり意識しなかったけれども、日本語を基準に考えれば、名詞の前に置かれる連体修飾節を、名詞の後ろに置き、名詞とつなぐために必要なのが関係代名詞である。なんとまあ効率の悪いことである。チェコ語にも連体修飾節を名詞の前に置く方法は存在するが、今ではあまり使われておらず、チェコ人でも完全に使える人はあまり多くないらしい。
とまれ、名詞と連体修飾をつなぐ関係代名詞で注意しなければいけないのは、形容詞型の格変化をして、性も単複も必要に応じて形を変えられる関係代名詞の性と単複は、名詞の性と単複に一致しなければならないということである。ただし、格は、それぞれ別の動詞に対応するので、一致させる必要はない。文の構成によっては一致することもあるけど。
その辺がわかりやすくなるように、まずは、連体修飾節の付く名詞が、連体修飾節の動詞に対しても主文の動詞に対しても主語として機能する、つまりは一格で使われる例を挙げる。「プラハに住んでいる友達がオロモウツに来ました」という文をチェコ語にするときに、まず考えなければならないのは、「友達」の性と数である。
男性一人
・Kamarád, který bydlí v Praze, p?ijel do Olomouce.
女性一人
・Kamarádka, která bydlí v Praze, p?ijela do Olomouce.
男性二人以上か男女合わせて二人以上
・Kamarádi, kte?í bydlí v Praze, p?ijeli do Olomouce.
女性二人以上
・Kamarádky, které bydlí v Praze, p?ijely do Olomouce.
名詞と関係代名詞の性と単複が一致しているのはわかってもらえるだろう。どちらも一格なのでわかりやすいはずである。さらにこの場合は主文の動詞が過去なので、性と単複によって語尾を変えなければならない。連体修飾節を過去にすることも可能で、文を「プラハに住んでいた友達がオロモウツに来る」に変えると以下のようになる。英語で苦労したことだけは覚えている時制の一致というものはないので、楽である。
・Kamarád, který bydlel v Praze, p?ijede do Olomouce.
・Kamarádka, která bydlela v Praze, p?ijede do Olomouce.
・Kamarádi, kte?í bydleli v Praze, p?ijedou do Olomouce.
・Kamarádky, které bydlely v Praze, p?ijedou do Olomouce.
性と単複の順番は最初の例と同じ。関係代名詞を使えない場合には、「z Prahy(プラハから)」で代用するという方法もあるのだが、友達がプラハに住んでいるのか、たまたま今プラハにいるのか、プラハの出身なのかはっきりしなくなる。文脈からわかる場合、お互いにわかっている場合にはこれでも全く問題ないのだが、より具体的に正確な情報を伝えたいときには関係代名詞を使ったほうがいいのである。
ちなみに、「プラハ出身の友達」なら、友達が男一人だとすると「kamarád, který pochází z Prahy」になるし、「今プラハにいる友達」なら、「kamarád, který je momentáln? v Praze」となる。関係代名詞が使えると表現の幅が大きく広がるのである。
上の文は、中性の友達というのは存在しないので、名詞が中性の例としては残念ながら使えない。男性名詞不活動体の例にも使えないか。「プラハに本拠地のあるサッカーチームがオロモウツに来た」にしてみよう。チームを「tým」と訳せば男性名詞不活動体だし、「mu?stvo」と訳せば中性名詞になる。それぞれ上が単数で下が複数の場合である。
・Fotbalový tým, který sídlí v Praze, p?ijel do Olomouce
・Fotbalové týmy, které sídlí v Praze, p?ijely do Olomouce
・Fotbalové mu?stvo, které sídlí v Praze, p?ijelo do Olomouce
・Fotbalová mu?stva, která sídlí v Praze, p?ijela do Olomouce
ここに挙げた例を比較すれば、関係代名詞「který」を使う際に、性と単複の一致が重要で、どこに気をつけなければならないのか理解できるはずである。次回は連体修飾節と主文の動詞に対して、名詞が1格以外の役割を果たす場合の説明をしよう。格の組み合わせとか、前置詞との組合せがあるし、すべてのパターンの例文を考えるのは面倒くさい、じゃなくて難しいので、思いつくものができるだけバリエーションに富んだものになることを願っておく。
2020年6月23日19時。
2020年06月24日
永延二年七月の実資(六月廿一日)
永延二年七月の『小右記』は四日の記事しか残っていない。この記事が『大日本史料』に立項されていないのは、実資の個人的なこと、具体的には子供の話しか書かれていないからだろう。
まず、藤原義理宅に預けられていた小児を小野宮第に戻したことが書かれ、読めない字があってはっきりしないが、恐らくこの小児のために安倍晴明に病気平癒のための祈祷である鬼気祭を行わせている。そうすると、藤原義理宅に預けられていたのも方違えの意味があったのかもしれない。
実資自身は午後、未の刻になって小野宮に向かい、小児の様子を見て沐浴させている。「日ごろ頗る悩の気有り」ということで、済救という僧に、おそらくこれも病気平癒を願って護摩を焚かせている。実資は子供にあまり恵まれず、生まれた子供も早世することが多いのだけど、子供の病気に際しては、貴族の中でも有数の財力にあかせて、陰陽師や僧侶達にさまざまな祈祷を行わせる。
この小児は寛和元年に登場する二人の子供のうちの一人か。一人は寛和元年二月十四日に最初に登場し実資の姉の邸宅のある室町に置かれていたようである。もう一人は四月廿八日に生まれている。その後、小児の病気の記事が増えるので、病弱だったのはこの四月末に生まれた子供のほうだろうか。そうすると、この永延二年七月の小児も、永祚二年七月になくなる小児も寛和元年四月廿八日に生まれた小児だと考えてよさそうである。
『大日本史料』の記事は、廿三日が最初である。この日の仁王会が立項されているのだが、『日本紀略』の廿一日条も引かれて、建礼門で大祓が行われたことが記される。大祓が行われた理由は仁王会を行うためだったという。仁王会は、護国三部経の一つである『仁王経』の書写や講義を中心に、鎮護国家などを祈念して行われた大規模な法会。天皇の即位後に行われる一代一度の仁王会を大仁王会といい、一条天皇の場合は永延元年に行われている。
『日本紀略』の記事で興味を引くのは、呪願文を作成したのが菅原輔正だという点である。この人は道真の子孫で、70歳を超えてから参議に任じられた。確か公卿の人数がすでに定員を越えているのに、道長が参議に任じたのを実資が批判し、それに道長が仕方ないじゃないかとか応えたのが、菅原輔正じゃなかったか。漢詩文の名手として知られていたようだ。
廿八日と廿九日は、相撲の節である。儀式に先立つ廿三日に、内取が行われているが、これは節会を前にした稽古のことである。廿八日には、出御した天皇の御前で召合と呼ばれる取り組みが行われた。翌廿九日には、召合の際に優秀な成績を残したものを選び出して再度相撲をさせる抜出と、衛府の舎人などの中から選ばれたものが相撲を取る追相撲が行われるのが例だが、この年は『日本紀略』の記述には追相撲しかない。
また、『大日本史料』には、院政期の公卿藤原宗忠の日記である『中右記』に、永延二年を内取が行われなかった例として挙げている部分が引用されている。相撲の例を尋ねた際に、「権中将顕実朝臣」の談じるところといい、家の記録に書かれているのかと推測している。
相撲の節会は、『日本書紀』に記された最古の相撲とされる野見宿禰と当麻蹶速の対戦が、七月七日に行われたことから、七夕の節会の際に行われていたが、開催日の変更が行われ、実資の『小野宮年中行事』によれば、「大の月は廿八・九日、小の月は廿七・八日」に行われたという。12世紀初めに成立した『江家次第』にも同様の記述がある。
相撲の節が行われた廿八日には、『日本紀略』によれば、奢僭が禁じられている。あまり聞かない言葉だけれども分不相応な贅沢を意味する言葉である。この手の過差を禁ずる命令というのは、しばしば出されており、重要視する人もいるようだけど、実効性があったのかどうかは疑問である。
うーん、我ながら無理やり引き延ばした感が強いなあ。
2020年6月22日17時。
2020年06月23日
気だるい週末(六月廿日)
今日もまた雨が降っている。大して強い雨でもなく、四六時中降り続いているというわけでもなく、日本の梅雨の時期に比べるのもおこがましいレベルなのだが、雨の少ない、湿気の少ないチェコの紀行に慣れてしまった身には少々つらい。雨の前後は妙に寒さを感じたり、蒸し暑くなったりすることも多い。部屋の中に干した洗濯物の乾きが悪くなるのも、本当に乾いているのかよくわからなくなるのも困り物である。
さらに困ったことに、今年の雨で、長年にわたって我が足元を支えてきてくれた靴が二足おしゃかになった。すでに履けなくなっていたのが発覚したと言った方が正確か。長年の酷使に靴底のゴムが割れてしまって、雨の中歩いていたら靴の中に水があふれてしまった。晴れの日なら履けなくもなくはないのだろうけど、歩いている最中に分解されてしまったらたまったもんじゃない。
一足はチェコに来て初めて買った靴だから、かれこれ20年ほど履き続けたことになる。かかとが磨り減ったのでゴムを貼り足してもらったりもしたのだけど、底のゴムの貼り替えなんてのは、無理だろう。いや、できたとしても、新しいのを買った方がましという事態になるに違いない。もう一足も10年以上履いているから寿命と言われれば納得するしかない。
問題は、どちらもわりとフォーマルな革靴だということである。スニーカータイプの靴が紐で縛り上げれば多少サイズが大きくても、しっかりと足元を固められるのと違って、紐は半分飾りのようなものだ。中敷を入れて調整するのにも限界がある。実際、ちょうどいいサイズがなくて一番小さいのを買った黒の革靴は、あまり歩かない日にはそれほど問題ないのだが、町中を歩き回ることがわかっている日には履きたくない。
履けなくなった二足のサイズは、一足目は子供用を買わされたので38、ちょっときついかなと感じることもあるのだけど緩いのよりは歩きやすい。二足目は39で先端はちょっと余っているけど、中敷なしでも、サイズ的にはこれが一番履き心地がいい。ということは、39の革靴を買えばいいと言うことになるのだけど、話はそう簡単ではない。
今回履けなくなった二足を除くと、現在履いている靴はスニーカータイプも、冬靴もすべてサイズは40である。39が一番いいのはすでに分かっているのに、中敷を場合によっては二枚入れてまで40を履くのは、39のある男物の靴が滅多にないからである。子供物や女物ならいくらでもある。以前履いていた靴の中には、買うときには気づかなかったけど実は女物だったというのが何足かあるし、あんまり女性っぽくない女物を買うしかないのかなあ。スニーカーならともかく、革靴でそんなのあるかなあというのが、問題である。
雨の降る日は、外に出るのが億劫になる。非常事態宣言が解除されて以来、できるだけ毎日職場に出て、行き帰り合わせて一時間ぐらい歩くのを日々の運動にしているのだけど、お昼前後の時間に雨が降っていると、そのまま自宅作業を続けてしまうことも多い。雨の降りそうな日に履くことの多かった二足の革靴が履けなくなったのも、その意味では痛い。
仕事に関して言えば、職場に出ても出なくても大差はないのだけど、武漢風邪騒ぎで職場に出ない日が続いた結果、ひどい運動不足に陥ったことを考えるとできるだけ毎日職場に出たいと思うのである。意志の弱い人間には雨という自宅に留まる言い訳があるのは望ましいことではない。ついつい自分を甘やかしてしまう。週末もできれば散歩に出たいと思うのだけど、天候不順だとどうしても閉じこもることになる。
運動不足が気になるのは、最近太り気味というか、以前と比べると明らかに太っているからである。真冬の重ね着をしている時期以外は、ベルトでしっかり締め上げる必要のあったサイズ48のズボンが、ベルトなしでもずり落ちることがないし、一つ下の46になると下着とワイシャツをズボンの中に入れるときついと感じることもある。
ポロシャツも体格的にはSで十分なのに、昔買ったSサイズのものは生地が硬めなせいか、ちょっときつくてきると動きづらい。お腹がぽこっとしているようにも見える。あんまり見栄えもよくないのでSサイズは部屋着にしてしまうことにした。安服屋で買ったものにしては長持ちしたといってもいいのかな。
とまれ、本来なら痩せ始めるはずのこの時期に、この状態になっているのは、武漢風邪による自宅監禁生活が原因に違いない。靴が駄目になったのも体重が増えて負荷がかかりすぎた結果かなんてことも考えてしまうほどである。今年の夏は布靴でしのいで、新しいのを買うのは秋になってからにしようかなあ。買い物面倒くさいし、眼鏡とか携帯とか買い替えた方がよさそうなものは、まだまだいくつもあるんだよなあ。雨のせいだけでなく買い物でも憂鬱な気分になってしまう。
2020年6月21日9時。
2020年06月22日
悪しきものプラハより(六月十九日)
武漢風邪にかんしては、カルビナーとプラハの二か所がチェコ国内における牙城となっているのだが、オロモウツ周辺でも最近また新規の感染者が増えつつある。一つは以前も紹介したリトベルの老人ホームでここの感染がどこから来たかについては明らかにされていない。しかし、オロモウツ周辺のいくつかの感染例、感染の疑いによる隔離と集団検査に関しては、感染源がプラハであることが明らかにされた。
チェコのポータルサイト「セズナム」の運営するセズナム・スプラービの記事によれば、感染源となったのは、プラハ4区のある工事現場だったという。ちなみに、このニュースを読んで、チェコのメディアもクラスターという言葉を使い始めやがったことに気づいた。畜生。この工事現場で発生した「クラスター」とやらから、チェコ国内の何か所かに飛び火したことが、感染者の数が増えている原因の一つとなっているようだ。
工事現場で働いている人たちの中には、プラハ以外から来ている人たちも多く、中には宿舎に泊まりながら働いている外国人もかなりの数いたようだ。そして、その外国人たちの宿泊施設ではまだ感染者は出ていないが、保健所だけではなく、外国人警察も協力して、外国人労働者の検査を進めているという。
もう一つは、プラハから帰ってきた人の家族で、ここでは4人の感染が確認され、家族の勤務先か通学先の小学校、農場、老人ホームでも検査が行われた。こちらも感染者がゼロなのは不幸中の幸いである。小学校なんて長い閉校期間がやっと終わって、授業が再開されたばかりなのに、これで再度休講なんてことになったら子供たちに与えるショックも大きいだろう。救いはすでに6月も半ばをすぎて、夏休みが始まる7月1日まで残り少なくなっていることだろうか。
このプラハ4区の工事現場から感染が広がったのは、オロモウツ周辺だけではなく、他にもウースティー・ナド・ラベンで1人、ズリーンで2人の感染者が確認されている。オストラバにも飛び火したような地図を見かけた記憶もあるのだけど、ちょっとはっきりしない。
それから、参考にした記事では、もう一つプラハで起こった「クラスター」が紹介されている。それは、6月5日にプラハのレトニャニで行われたアマチュアのアイスホッケーの試合で、試合の出場者を中心に全部で21人の感染者を出したらしい。現在もさらに追跡中というから、感染者の数が増える可能性もあるのかな。
建設工事も、このホッケーのイベントも禁止されたものではないから、参加して感染した人たちに罪はない。長い長い自宅監禁期間を経て、久しぶりに家族や友人たちと会って、大騒ぎしたいというのも当然のことだろう。政府や厚生省では、規制の緩和によってこういう小規模の集団感染が発生することは織り込み済みだったようで、追加で対策をすることは考えていないようだ。
ただ例外が一つあって、それは7月1日から予定されている、マスク着用義務の完全撤廃に関して、感染者の増え続けているプラハとカルビナー、それから昨日感染者が急に増えたフリーデク・ミーステクに関してだけは、現状通り自宅、職場以外の建物に入るときと、公共交通機関を利用するときのマスク着用義務を継続することを考えているという。そうすると、プラハに向かう電車の中でも、プラハに近づいたらマスクが必要になるのだろうか。プラハ発着の便はマスク着用という可能性もあるか。まあプラハには行かないのが吉ということだな。
来週からは、現在500人以下に制限されているイベントも1000人以下に緩和されるし、サッカーのスタジアムなど観客席がいくつかに分かれいて、それぞれの部分を完全に独立させることができる場合には、各セクション単位での制限になるので、現在は2500人まで、来月からは5000人まで観客を入れることができるようになる。チームの財政にとってもありがたい話であろう。規制のなかった時期でも、5000人も客が入らないチームもあったけど。
チェコに住みながらプラハ嫌いの人間としては、今後、プラハ以外での流行がほぼ消えて、プラハでだけ患者が発生し続ける事態が続いた場合に、首都プラハの封鎖が行われるのかどうか注目している。経済的なことを考えたらできないだろうけどさ。
2020年6月19日24時30分。
https://onemocneni-aktualne.mzcr.cz/covid-19
https://www.krajpomaha.cz/
2020年06月21日
プラハ混乱(六月十八日)
この前も書いたが、チェコで武漢風邪の新規感染者が特に増えているのは、カルビナー地方とプラハの二箇所である。カルビナー地方の場合には、炭鉱で集団感染が発生しているわけだが、その炭鉱夫たちの中には、ポーランドから仕事に通っている人もかなりいると言われている。炭鉱以外にもポーランドからチェコまで仕事に通っている人は多いのだが、その人たちの住んでいるのがポーランド内で流行が拡大し続けているスレスケー・ボイボツトビーなのも、カルビナーを含むモラビアシレジア地方で感染者数が増え続けている理由の一つとされている。
このこと自体は、感染の拡大が落ち着いた後、国境を越えて仕事に通う条件が緩和されているのだから、ポーランド人を批判する理由にはならない。国境を挟んで家族や親戚が分かれて生活しているところも多く、国境の開放を求める声は日に日に高まっていたし。ただし、閉鎖された国境を越えてチェコに侵入していたポーランド人もいたらしく、集団でどこかの小さな教会を占拠して立てこもっていたなんて話が今になって聞こえてきた。
ドイツ人といい、ポーランド人といい、チェコの北側の隣人は……。共産主義の時代にうやむやにされてしまったところはあるけど、1938年のミュンヘン協定でチェコスロバキア第一共和国が崩壊した際に、チェコに侵攻して蛮行を働いたのはドイツ人だけではないのである。アウシュビッツなどの存在で第二次世界大戦で最大の被害を受けた国扱いをされているポーランドだが、大戦前は、少なくともチェコスロバキアに対しては、ナチスの最大の協力国だったのである。
ちなみに、集団感染が発生したカルビナーの炭鉱では、1000人を越える全従業員の検査が行われ400人近くの感染者が確認されている。それで、同じ企業OKDに属する他の炭鉱でも全員の検査が進められているが、現時点では全員陰性という結果で、他の炭鉱への飛び火は起こっていないようである。
カルビナーと並ぶ感染地となっているのがプラハで、こちらは炭鉱のような大規模集団感染は起こっていないが、小さな集団感染がいくつも発生しているようだ。その一つがプラハ市議会に飛び火したことで国会を巻き込んで大騒ぎになっている。チェコの地方自治の制度というのは日本人にはわかりにくいややこしいものなのだが、簡単に言うと、議会の議員のうち与党に属する議員が行政上の要職も勤め、さらに国会議員との兼任も可能になっている。
それで、問題になったのはプラハ市長の「ナームニェステク」という役職の人、国の省庁なら事務次官や副大臣相当の役職なので、副市長と考えてもいいのかな、その人物が体調を壊して検査を受けた結果、陽性であることが判明したのである。問題はこの人物が直前まで積極的に市主催のイベントや、市会議員も参加する会議に参加していたことである。
問題のイベントは、プラハ市の消防署で行われたものだが、消防隊員ではなく、地元の消防団の人たちを集めてのイベントだったので、消防署から参加したのは一人二人だけで、出席者を隔離しても、消防署の現場の体制には何の影響も与えないことが明らかになっている。不幸中の幸いというべきか。
もう一つの会議のほうは、市長を含めた出席者全員が隔離の対象となり検査を受けることになった。当然出席していた市会議員もなのだが、問題はそのうちの二人が、下院議員を兼任するという、日本ではありえない状態にあったことだ。出席者数を減らして行われていた下院の本会議もすでに全員出席するようになっているので、この二人が陽性だった場合には、本会議に出席していた国会議員全員も感染している可能性があるということになる。
現在マスクに関しては、自宅、及び職場であれば、屋内であっても着用の義務はないのだが、国会を職場に入れて、マスクを外して会議に参加していた議員たちが、このニュースを聞いて慌ててマスクの着用を再開したのには笑ってしまった。危機感には個人差があって、演台のマイクの前で発言するときだけマスクをするという人もいたけど。
一回目の検査の結果、プラハ市の会議に出ていた人は全員陰性だったようだが、隔離期間が終わるころに再度検査を受けることになるのだと言う。それまでは国会議員たちも議場ではマスクを着用することになりそうだ。我ながら、悪趣味だとは思うけど、今後の展開が楽しみになってきた。日本も国会やマスコミ関係者の間で武漢風邪蔓延なんてことにならないかなあ。マスコミの場合は、一人、二人ならともかく、集団だったら隠蔽する可能性が高いだろうけど。
2020年6月19日9時。
https://onemocneni-aktualne.mzcr.cz/covid-19
https://www.krajpomaha.cz/