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2018年02月28日

第三の私鉄(二月廿五日)



 S先生がオロモウツからウへルスキー・ブロトまで直通の電車でいけるようになっていることを教えてくださった。以前はスタレー・ムニェストとウへルスケー・フラディシュテで二回乗換えをしなければならなかったはずだが、いつのまに変わったのだろうと調べて見たら、スロバーツキー・エクスプレスという名のプラハとルハチョビツェを四時間ほどで結ぶ特急をチェコ鉄道が一日に何本か走らせるようになっていた。思い出してみれば昔も一日に一本このルートで走る電車があったような気もする。微妙に時間が悪くて使ったことはないのだが、オロモウツを九時半ごろに出てウヘルスキー・ブロトに11時ごろにつくというから、便利になったものである。
 その接続を調べたときに、AExという見慣れないコードの電車を発見した。レギオジェット、レオエクスプレスに続いて、新たな私鉄がプラハ−オロモウツ間の鉄道事業に進出してきたようだ。レオもレギオもプラハ発着という点は共通しているが、終点はそれぞれに工夫を凝らした町を選んでいる(一箇所ではない)。レギオはチェコ最東端の町、大統領選挙に出たドラホシュ氏の出身地として有名になったヤブルンコフに向かうものが多いし、レオはオストラバのほうだけではなく、プシェロフから南に向かってスタレー・ムニェストに行くものもあったはずだ。

 そしてこの第三の私鉄アリバはスロバキアまで、スロバキアのニトラまで向かう電車を運行しているようだ。プラハからウヘルスキー・ブロトまではスロバーツキー・エクスプレスと同じで、そこから国境の山の中を抜け、スロバキアに入ってトレンチーンを経由してニトラまで6時間半の行程である。ニトラの人がブラチスラバに出ずにオロモウツのほうに向かうには便のいい接続なのだろう。スロバキアの西のほうは、ほとんど全ての鉄道がブラチスラバが起点になっているため、横の接続があまりよくなく、トレンチーンからトルナバに行くのにも、ニトラに行くのにも普通は一度ブラチスラバに戻る必要があるんじゃなかったか。
 時刻表によれば、週に九本、毎日一本に、プラハ発は金土、ニトラ発は土日に一本ずつ増便するようだから、完全にニトラとプラハ間を定期的に移動する、たとえばプラハで勉強、仕事をするスロバキア人が規制するのに使うことが想定されているのだろう。一等だの二等だのの等級はなく、オロモウツ−プラハ間は一律190コルナのようである。
 自分が鉄道マニアだと思ったことはないのだが、鉄道で移動するのは嫌いではない。昔々青春18切符なんてのが発売されたときには、比較的初期に利用したことがあるけれども、あれは手段であって目的ではなかった。何が言いたいのかというと、今回アリバの電車を使ってみたのは、それが目的だったのではなくて、たまたま都合のいい時間に走っていたからに過ぎないということである。いや、同じような時間にレオとチェコ鉄道の便もあったけど、乗ったことのないものを試してみたいと思うのはしかたがないだろう。値段も比較的安めだったし。

 ということで乗ってみたアリバだけれども、おそらくレオのビジネスと同じで二度と使うことはないだろう。小ぢんまりした感じの二両編成の電車で、座席もレギオやレオのビジネスとは比べちゃいけないレベルだけど、チェコ鉄道の普通の車両に比べればましなレベルである。問題の一つは車内のサービスがほとんどないこと。サービスはレギオの一番安いのと変わらず値段は高いということで、オロモウツから乗る人がほとんどいなかった理由がよく理解できた。
 190コルナ出してアリバに乗るくらいなら、ちょっと高くてもレギオのビジネスのほうを選びたくなる。レギオは便によって値段が大きく変わるのが問題だけれども、プラハ−オロモウツは安くて260コルナ、高くて430コルナである。一番高い便はともかく、他のであれば、美味しいコーヒーに紅茶が無料で飲めて、車内販売の食事も比較的安いことを考えると、一番満足度が高いのはレギオのビジネスということになる。
 レオのビジネスは、値段がレギオよりも安ければまた使ってもいいのだけど、二番目の等級であるにもかかわらず、レギオの一番上のビジネスよりも100コルナ以上も高いのだ。サービスも占有できる空間もレギオのほうが上だし、一回試してみただけで十分である。一番上のプレミアムがビジネスと同じぐらいの値段だったら試すのだけど、プラハまで片道で、下手すりゃ1000コルナに近くなるような席は気軽に試すには高すぎる。レオが好きって人もいるんだけどね。

 もう一つのアリバの問題は、揺れがひどすぎることである。最初はPCを取り出して、こんな文章を書こうと思っていたのだが、揺れがひどくてまともなタイピングができず、いらいらするだけだったので、ネット上であれこれ記事を読むのに終始してしまった。WIFIが入っていたのが救いか。それも頭がぐらぐらして読みづらいと感じることがあったし、電車の中で何か仕事めいた生産的なことをするのはまったく不可能だった。オロモウツからブルノに向かうあまり新しいとはいえない電車のほうが揺れが少なかったような気がするほどだった。
 帰りに使ったレギオは揺れが圧倒的に少なく(もちろんまったくゆれないわけではない)、PCはテーブルの上においても、太ももの上においても、使用するのにまったく問題は感じない。問題は心地よい暖かさに眠気を誘われて頭が働かなくなることぐらいである。コーヒーもちょっと効き目が悪くなっているし。
 結局このアリバの特急は、他に直行便が存在しないところに行くときに使うべきもので、オロモウツ−プラハ間のような他にいくつも選択肢があるような区間を移動するのに使うようなものではないのだ。そんなことをするのはよほどの物好きだけだというのが今回試して見ての結論である。ただ尾オロモウツから乗った人は皆無に等しかったのに対して、パルドゥビツェからはかなりの人が乗ってきたから、車内サービスなどどうでもいい近距離であればそれなりに需要はあると言うことだろうか。

 ちなみに、すでに紹介したかもしれないけれども、チェコ国内の鉄道、バス、トラムなどの接続を調べるのはこのページが便利である。
https://jizdnirady.idnes.cz/vlakyautobusymhdvse/spojeni/
2018年2月26日24時。










2018年02月27日

金のレデツカー(二月廿四日)



 日本のマスコミでは、末尾が短くなって「レデツカ」と表記されるようだが、形容詞型の名字であるから、正しくは「レデツカー」である。オリンピックの表彰式で韓国の人が「レデッカ」と促音化させていたのに比べればましだけどさ。ちなみにチェコではチェコ語以外のスラブ系の名字であっても、形容詞型の名字はチェコ風に女性形に変えてしまうので、混乱することがある。ポーランド系デンマーク人のテニス選手ウォズニアッキは、チェコではウォズニャツカーと呼ばれている。

 今朝も起きたら金メダルだった。もちろんアルペンスキーのスーパー大回転で衝撃の金メダルを獲得したレデツカーが、本職のスノーボードでもパラレル大回転で金メダルを取ったのである。これでチェコは今大会七つ目のメダルで、そのうち六つを女子選手が獲得している。金メダルは二つともレデツカーで、銀は二大会連続で金メダルを獲得していたスピードスケートのサーブリーコバーと、唯一の男性メダリスト、バイアスロンのクルチュマシュ、銅メダルはバイアスロンのビートコバー、スピードスケートのエルバノバー、スノーボードのサムコバーが獲得した。
 チェコで話題になっているのは、この6人のメダリストのうち、クルチュマシュ、エルバノバー、サムコバーの三人が、ブルフラビーという、リベレツの近くの山間部のシュコダ自動車の工場があることでも知られる町の同じ小学校の出身で、サムコバーとエルバノバーにいたっては同級生だったという話である。そして、レデツカーはそこから山を一つ越えたところでスキーを始めたなんて話もあって、このリベレツ地方というのがチェコのウィンタースポーツの中心であることを反映している。ウィンタースポーツってのはどこでもここでもできるものでもないしね。

 レデツカーの父親のレデツキーの話では、今大会はスノーボードでメダルを目指し、アルペンスキーは次の大会で優勝争いをするための布石だったのが、これまでのワールドカップの大会よりもいいスキーがメーカーから提供されたこともあって、優勝してしまったのだという。だから、次のオリンピックもレデツカーがアルペンとスノーボードの両方で出場し有力なメダル候補となることは間違いない。アルペンスキーの側では、スケジュールにもよるのだろうけど、出場種目を増やしてくる可能性もある。
 そして、どこまで本気なのかはわからないし、計画がどこまで進んでいるのかもわからないのだが、夏のオリンピックに挑戦する計画もあるらしい。競技は、同じように板を使うウィンドサーフィンだという。今すぐどうこうという話ではないにしても、レデツカーならいつかは実現してしまいそうな気がする。

 夏のオリンピック出場となれば、もう一人のレデツカーと対面というか、オリンピックでの共演も可能になる。それは、女子水泳の自由形の女王ケイティ・レデッキー(日本版ウィキペディアの表記)のことで、このアメリカの水泳選手は実はチェコ系のアメリカ人で、チェコでは女性形のレデツカーという名字で知られている。先祖はプラハに住んでいたユダヤ系のチェコ人で、確か祖父(曽祖父かも)が第二次世界大戦後の共産党のクーデターに際して、アメリカに亡命したのだという。
 レデツキーという名字はチェコでもそれほど多いものではなく、何らかの血縁関係はありそうだとはいうけれども、父親の歌手レデツキーがユダヤ系だという話は聞いたことがないし、せいぜいが遠い親戚ということになるのだろうか。それでも、二人のレデツカーが同じオリンピックに出場するとなると、少なくともチェコでは大きな話題になるのは間違いない。
 チェコとアメリカで、同じレデツカー(男性形はレデツキー)という名字のスポーツ選手が活躍していることを考えると、レデツキー家にスポーツ関係の才能が遺伝するのではないかと考えたくなるけれども、チェコのレデツカーの運動の才能はむしろ母がたの血じゃないかと父親のレデツキーが語っていた。アメリカも事情は同様らしい。

 レデツカーの快挙に感じさせられるのは、本人の才能と、努力に両親を中心とする周囲の人たちの支援が見事にかみ合った幸せな事例だということである。バイアスロンやジャンプなどチェコで伝統に盛んな競技の場合には、代表チームが組織され、選抜された代表選手たちが代表の監督コーチに指導を受けながら、ワールドカップや世界選手権、そしてオリンピックに出場するという形をとる。それに対して、今回のレデツカーは個人で契約しているコーチたちとオリンピックに乗り込んだ。
 スノーボード側にはアメリカ人のコーチを中心にしたチームがあり、アルペンスキーの側ではチェコのバンク兄弟を中心にしたチームがレデツカーの快挙を支えていた。その二つの支援チームの間に立って全体を統括するチーム・エステルのマネージャー役を果たしていたのが母親で、私設応援団長としてゴールで待ち受けるのは父親の役目だった。
 その父親も、キャリアの最初のほうでは資金援助をしていたはずだし、歌手としての知名度が個人スポンサーを獲得するのに役に立ったであろうことも想像に難くない。このレデツカーの存在は、結果もそうだけれども、その選手としての成長の過程、活動そのものも奇跡的な存在なのである。ちなみにユニフォームのデザインをしたのは兄だというから、家族全体でレデツカーの活動を支援しているわけである。これもまた幸せな話である。
2018年2月25日24時。







2018年02月26日

H先生のお話(二月廿三日)



 H先生がドイツ政府から勲章をもらうことになったのは、プシェロフの町の南にあるシュベーツカー・シャンツェという丘の上で、終戦直後にスロバキアからやってきたチェコスロバキア軍の部隊によって引き起こされた残虐なドイツ人虐殺事件について詳細に調査を重ね、オロモウツの墓地に埋められていた遺骨を発見するなどの業績を上げたからである。それをチェコ、チェコ民族に対する裏切りだと取る人もいるようだけれども、チェコに都合が悪い事実を隠すのが、所謂愛国心だなんてことにはならないはずである。証拠のない臆説ならともかく、この件に関しては遺骨などの証拠もしっかり残っているし、犠牲者の数も現実的な数字だし。
 ドイツにはドイツの意図があるのは当然だけれども、それはさておきH先生のような方の業績に日が当たるのは素晴らしいことである。先生の話では、ドイツのコメンスキー研究の有力者の中に、プシェロフ郊外の虐殺で肉親を失った人がいて、先生のおかげでその最後の様子を、それが悲劇としか言いようのないものだったとしても、知ることができたことに感謝して、勲章がもらえるように動いてくれたんじゃないかということだった。あらゆるものは関連していると述懐されていたが、情けは人のためならずなんてことわざが頭に浮かんでしまった。

 先生ができれば知りたくなかったとおっしゃっていたのが、この虐殺に1968年のプラハの春のときに大統領を勤めていたことで知られる当時チェコスロバキア軍の将軍だったスボボダ氏が、スロバキアのカルパチア・ドイツ人を故郷に帰らせることなく、モラビア領内で処分せよという指令を出していたという事実である。さらに理解したくないのが、その指令にベネシュ大統領も関与していたと思われることだという。
 先生は、ベネシュ大統領の業績自体は高く評価し尊敬もしていて、自宅の書斎の壁に肖像のレリーフをマサリク大統領のものと並べて飾っているほどだけど、すでに重い病気に冒されていたことを考えても、許されない決断だったと評価していた。この終戦直後の反ドイツ、反ドイツ人感情というのは現在まで続いている部分があるようで、シュベーツカー・シャンツェでの出来事もナチスドイツのやったことに比べれば、大したことはないと考え、調査する価値もないと断じる人たちもいるようだ。

 それでも、母親に抱かれた一歳にもならない幼子たちを銃殺したことを正当化する論理は存在しない。実行部隊の指揮官は、後に裁判を受けた際に、親を殺して残った赤ん坊達をどうしろというんだと、開き直ったような発言を残したらしい。親が死んで赤ん坊だけでは生き延びることはできないのから、殺したのは慈悲のようなものだと言いたかったのだろうか。
 反日無罪なんて言葉もある中国や韓国の反日感情とは違って、現在のチェコ人の反ドイツ感情は表面にはそれほど現れない。ビロード革命後にドイツから多くの支援を受け、さらにドイツの支配するEUに加盟している現在、あからさまに反ドイツ感情を表明できないのが、H先生への攻撃となって表れた可能性もある。

 こんな殺伐とした話だけだと悲しくなるので、先生に聞いたいい話をしておくと、以前ウクライナの旧チェコスロバキア領だった地域のウシュホロトという町の大学で行われたシンポジウムに参加したときのこと、先生がぽろっと近くのムカジョフかムカチョフという町に行ってみたいなあと漏らされたところ、シンポジウムの主催者たちがあれこれ話し合いを始めて、結局「チェコから来てくれたH先生が行きたいと言っているので今日の学会の午後の部はムカジョフで開催することになりました」ということで、みんなで車に乗って移動したのだとか。市役所の中庭で市長たちに盛大に歓迎されて、シンポジウムは多分大成功に終わったのだと思う。
 別の年は、先生の希望でシンポジウムの一環として、チェコでも有名な盗賊の出身地であるコルチャバに行くことになったらしい。とにかくチェコからやってきた先生のためにあれこれしてくれようとする姿勢が嬉しかったと仰っていた。さらに嬉しかったのは、先生はコルチャバの町で十年以上も前に博物館に再現された昔の学校の教室の展示の作成をしたことがあったのだけど、そのときのことを町の人が覚えていて、先生に気づいただけでなく、名前まで憶えていてくれたことだという。
 そういう人々との触れ合いが、生きるエネルギーになっているなんてことを仰る先生のことを考えると、S先生たちだけでなく、他の日本のコメンスキー研究者も先生を訪ねてくれないものかなんてことを考えてしまう。コメンスキーについても、その研究者についても知識のおぼつかない人間ではあまり先生のお力になれそうもない。

 今年2018年はチェコスロバキアの独立以来百周年ということで、さまざまな式典が準備されようとしている。それに対して先生は、オーストリア=ハンガリーという大きな可能性を秘めた多民族国家が崩壊して、ソ連に西に進むことを、ドイツに東に進むことを可能にしたいくつも小国の独立が本当に祝うべきことなのかどうか検討の余地があると仰る。民族自決という耳ざわりのいい言葉に酔いしれていた過去の自分を思い出すと耳が痛いのだけど、物事を多面的に見ようとするのは、歴史家ならではなのだろうか。一面的なひねくれた味方ならともかく、文学の思い込みの世界で育った人間には難しい。
 次はまた半年後ぐらいにお目にかかれることを願ってこの稿の筆をおく。
2018年2月23日24時。









2018年02月25日

森雅裕『100℃クリスマス』(二月廿二日)



 本書は森雅裕が中央公論社から刊行した四冊目の著作で、最大の問題作『歩くと星がこわれる』と同年の1990年8月に刊行されている。カバー画を担当したのは『あした、カルメン通りで』と同様漫画家のくぼた尚子である。カバーの背表紙側の袖に乗せられている著者近影が、黒い革のつなぎに身をつつんだ著者本人よりも二台の黒いバイクのほうが目立つという構図になっているのは、この頃の著者の作家としての自信の表れかもしれない。写真で目立たなくても作品で目立てばいいという。もしくは編集に著者近影用の写真を求められて、あまり顔の目立たない写真でお茶を濁したか。

 まず問題にになるのは、題名である。以前、周囲の森雅裕読者と本書について話すときには、「100℃」を「ひゃくどシー」と読んでいたのだけど、それでいいのかなあ。奥付の署名にルビが振ってあるかと思って確認したら、なかった。そうなると「ひゃくどシー」と読んでいたのは、単なるごろのよさが理由なのか。確かに「ひゃくどクリスマス」だと収まりがよくないし、わざわざ「せっしひゃくど」と読むのも不自然である。本文中に登場する言葉で、そこにルビがついていたような気もして、今試しにぱらぱらめくってみたけど見つけられなかった。これも時間を見つけて再読する必要があるなあ。そんな本ばっかりである。

 内容は、森雅裕にしては異色の冒険小説。中心となる舞台は北アフリカのアルジェリア。主人公たちがさまざまな事情で密輸団の一員になって時には戦闘にも巻き込まれ、人死にも出るのだけど、「五月香ロケーション」の過剰なまでの殺伐さは存在しない。例によって登場する著者本人がモデルとなっている作家が出版社への恨みつらみを語るのも、『歩くと星が壊れる』と比べると抑えた筆致で、恩讐を乗り越えたのかなと思わなくはなかったのだけど……。
 主人公は複雑な出生の秘密を抱える若き剣術使いの女性で、音楽でフランスに留学するという設定だったかな。本作が本格的に日本刀が登場した最初の森雅裕作品ということになる。ここではまだ刀剣の制作とか鑑定なんてマニアックな方向には話は進んでいなかったと記憶する。でも、主人公の「つみは」という名前の由来が、刀の鍔の古名だというこだわりは出てきたなあ。それに作家が薀蓄語っていたかも。ただそれが気になるほどうるさくはなかったけど。

 主人公たちがパリを出発してマルセイユから地中海を越えアフリカに渡り、砂漠を走りに抜けて大西洋岸に向かうと言うコースは、1980年代の後半から日本でも人気を集め始めていたパリ・ダカールを髣髴とさせるけれども、到着地はダカールではなくて、当時モロッコからの独立運動を繰り広げていた西サハラである。ベルベル人のポリサリオ戦線なんてのが登場してくるのは、心情左翼から穏健派の民族主義者、いや民族自決主義者に転向中だった身には心地よかった。その後、第一次世界大戦後の民族自決主義の象徴であったユーゴスラビアでは血で血を洗う内戦が勃発し、チェコスロバキアは分離してしまうのだから、皮肉と言うか何と言うか。
 このパリダカ、ポリサリオ戦線などが出てくるのは、『歩くと星がこわれる』の上野編でもモデナ編でも終盤に唐突に登場して、妙に強い印象を残した主人公の大学時代の同窓生帆足麻弥という人物を思い出させる。彼女は大学を辞めて北アフリカに人生を探しに出かけたのではなかったか。そして帰国後に出版社の編集者として主人公の前に現れて仕事を依頼する。本書は『歩くと星がこわれる』に続いて刊行され、おそらく連続して読んだこともあって、実在の作家森雅裕にも同じようなことが起こったのではないかと推測し、編集者帆足女史の実体験を取材してそれを基に書き上げられたのが、本書ではなかったかなんてことを考えてしまった。そして『あした、カルメン通りで』のあとがきで他社の編集者ながら感謝をささげられていた中央公論社の編集者がその人なんじゃないかなんて、これはもう妄想をくり広げていたものである。

 以前著者本人が、この作品について評論家と呼ばれる人から酷評されたと書いていたのを覚えている。たしか、臨場感を出すために意図的に視点人物の転換を行ったら、文章を書く基礎も知らないとか何とか書かれたのだとか。本作は三人称小説なので、視点人物がしばしば交代するのは問題ないと思うのだけど、頻繁にやりすぎたのかな。三人称小説であっても主人公の側の視点から描写されるのが普通で、本書でも原則として主人公、もしくはその仲間たちの視点から描写されている。それが突然、敵役の視点に切り替わって、一瞬戸惑った場面があったかもしれない。

 森雅裕のファンというものは、新刊が出ないもんだから同じ本を何度も何度も繰り返す読むことを余儀なくされるものだが、本書は読み返した回数でいえばもっとも少ないものの一つになるだろう。つまらないだとか、嫌いだとかいうことではない。購入以来チェコにやってきた2000年ぐらいまで毎年一回は読み返していたのだから、他の作品の再読頻度が高すぎただけの話である。

 それにしても、主人公が美人女子大生で剣の達人だなんて小説森雅裕の作品じゃなかったら買えなかっただろうと思う。その辺は高千穂遥の「ダーティペア」シリーズもそうなんだけど、好きな作家の本は内容はどうあれ買ってしまうのである。こんな固定読者のいる森雅裕は、現在の出版不況と言われる時代のほうが作家として長生きできたかもしれないということを考えてしまう。せめて後一冊新作が読めんことを。
2018年2月22日24時。



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posted by olomou?an at 07:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 森雅裕

2018年02月24日

H先生と(二月廿一日)



 このブログに恐らく一番登場しているであろうコメンスキー研究者のS先生が、執筆中の著書に関係してチェコ、スロバキア、ポーランドのコメンスキーゆかりの地を回るついでに、オロモウツにも寄ってくださったので、例によってチェコのコメンスキー研究者のH先生に連絡を取った。夏にお会いしたときに、次は、先生の負担にならないように、我々が先生の住む村に出向くと約束していたので、オロモウツとプシェロフの中間にあるブロデク・ウ・プシェロバ(Brodek u P?erova)まで足を伸ばした。
 ブロデクというのは、恐らく川の浅瀬とか渡り場を意味する「ブロト(brod)」の指小形からできたもので、コメンスキーの生地として比定されている土地のひとつが、ウヘルスキー・ブロト(Uherský Brod)であることを考えると、運命のいたずらのようなものを感じてしまう。さっき思いついたところなので、まだH先生には言っていないのだけど、次の機会があったら言ってみようと思う。

 ブロデクの駅に着くと、駅舎から線路の反対側にある巨大な建物が取り壊されているのが目に付いた。オロモウツからこちら側に鉄道で足を伸ばすのが久しぶりだったので、驚いて目を離せないでいると、H先生が、製糖工場だったんだけど、フランスの会社に買収されて、買収されたと思ったら工場の取り壊しが始まったと残念そうに教えてくれた。チェコでサトウキビの栽培ができるわけではないので、原料はテンサイとかサトウダイコンと呼ばれる作物である。
 チェコの製糖業はEU加盟後に生産制限を科されて苦しんでいたのだが、その影響がフランス企業による買収という形で現れたのだろうか。サトウキビから作るラムにちなんで、チェコではテンサイから作るお酒をルム(つづりもチェコ語での発音もラムと同じ)と称していたのだけど、これも原産地がどうこう言う話になって、現在ではトゥゼマークという名前に変わってしまっている。若い人はともかく、年配の人は今でもルムと呼んでいるみたいだけど。この辺りがね、EUの画一的すぎて嫌がられるところなんだよ。

 H先生は駅のホームを離れるところから見える建物を指差して、あの建物にはアメリカの兵士が隠れていたんだとおっしゃる。第二次世界大戦終盤にこの辺りまで飛んできたアメリカの飛行機が撃墜され、そのパイロットをブロデクの人がかくまっていた。ゲシュタポに発見されないように、昼間は下水道の中に隠れ、夜は建物の中の藁の中で寝て、深夜になるとお菓子やさんが自宅に連れて行って食事をさせていた。それが半年ほど続いたらしいのだけど、終戦後お菓子屋さんには、アメリカの大統領から感謝状が送られたのだという。
 そんな話は、当然共産党政権下ではタブーになっていて、誰も話題にしないまま忘れられていくところだったのをH先生が発見して、地元の新聞に発表したところ、当時のことを覚えている人たちが先生のところに来て昔の話を思い出し思い出し話してくれるようになったそうである。人間の記憶というものは時間とともに風化していくけれども、同時に何かきっかけがあれば意外にはっきりと思い出せてしまうものでもある。
 先生のお宅に着くまでの間も、あそこにアメリカのパイロットをかくまっていたお菓子屋があったんだとかあれこれ話を聞いていて、駅からすぐのところだというのに気づいておらず、帰りにこんなに近かったのかとびっくりすることになる。

 先生のお宅の玄関を入ると、階段の上り際に古びたアメリカの国旗とちょっと色遣いのおかしいソ連の国旗、イギリスの国旗が飾ってあった。それは、第二次世界単線終戦直後に、先生の家の隣にあった薬屋さんが、戦争が終わったことを祝って飾ったものだという。以前アメリカの人が先生のところに来たときに、金を出すから売ってくれと言われたけど断ったと仰っていた。
 壁にはコメンスキーに関するレリーフの模造がいくつかかけられ、無造作に床に置かれた箱の中に収められていた化石は、マンモスの物だった。生まれ故郷のブロデクの隣の村ツィートフで準備している展示の手伝いをしていると仰るのだが、その村でマンモスの化石が発見されたということだろうか。モラビアのこの辺りでは、マンモスというとプシェロフが有名だけれども、プシェロフで発見されたということは、周囲の町や村で発見されてもおかしくないということである。

 他にもあれこれ考古学的な遺物だけでなく、民俗学者が喜びそうな古い道具なんかが置かれていて、小さな博物館にでも入り込んだような気分になった。案内されて一緒にワインを飲んだ書斎には本棚が置かれ日本語のコメンスキー関係の本も何冊か並んでいた。一冊『世界図絵』が上下さかさまになっていたので、「チェトニツェー・フモレスキ」のベドジフ・ヤリーよろしく、さかさまになっていますよと言って正しい向きに入れなおしたのだけど、こんなことを書いてもわかってくれる人はいないか。
 H先生は奥さんから整理ができていない家に外国からのお客さんを呼ぶのかと怒られたと言っていたけれども、我々日本人二人の目には十分以上に整頓されているように見えた。そういうとお客さんがたまに来ると、大掃除をする理由になるからいいんだよと笑って仰る。以前M先生と奥様も訪問されたことがあるらしいので、三人目と四人目の日本人だということになる。名誉なことである。

 本当は去年の秋にH先生がドイツ政府から勲章をもらったので、直接お祝いを伝えるのも目的だったのだけど、あれこれ話している間にちゃんといえないまま終わってしまった。S先生はちゃんといえていたのだから、こちらの失敗なのだけど、H先生に、一番の勲章は遺族の方々からもらった感謝の言葉だとか、あのときは日本からもたくさんお祝いをもらって嬉しかったんだなんてことを言われて、タイミングを逃してしまった。叙勲のニュースを知ったときにはすぐにメールでお祝いを送ったし、M先生からのお祝いの言葉の仲介したしよしということにしよう。

 それにしても、H先生が、昨年の夏にお会いしたときよりはずっと元気に見えたのが一番嬉しかった。しばしば老い先短いなんてことを仰る先生の人生が少しでも長く続くことを願ってやまない。
2018年2月22日20時。






ヨハネス・コメニウス 汎知学の光 (講談社選書メチエ)








2018年02月23日

社会民主党臨時党大会(二月廿日)



 昨秋の下院の総選挙で惨敗した社会民主党の臨時党大会が、日曜日にフラデツ・クラーロベーで行われた。会場となったのは党が所有する射撃場という名前の建物で、その建物の現在の様子は、党の現状を反映してがたがたで大々的な改修工事の必要がありそうだった。ホテルなどを借り切って行われることが多い党大会が、党所有の建物で行なわれることになったのは、ビロード革命後に社会民主党が党本部として使っているプラハの建物を獲得するのに貢献した弁護士に対する謝礼を払わずに済ませようとして失敗し、裁判に負けた結果、膨大な額の借金を抱えることになったからだという。
 このフラデツ・クラーロベーの建物は、今から25年前にも党大会が行なわれ、ミロシュゼマン大統領が社会民主党の党首に選出された場所でもあるらしい。そのゼマン大統領が、見事なコウモリっぷりを見せている暫定党首のホバネツ氏の招待で、久しぶりに党大会に出席するというのも、社会民主党の今後を暗示しているように見える。

 党大会では、党首を筆頭に新しい党の指導部を選出するための選挙が行なわれるのだが、党首選では、ホバネツ氏と下院の副議長を務めるハマーチェク氏の二人の争いになるのではないかと予想されていた。二人とも発言が少しずつ変わっていって、最初のうちは刑事事件で検挙される可能性のある人物が首相となる内閣は支持できないと言って、ANOとの交渉には否定的だったはずなのだけど、いつの間にか交渉の余地はあるような談話に変わっていた。
 党大会ではなかなか激しい白熱した議論が行われたらしいが、出席者の中には社会民主党の解党を求める意見を出した人までいたらしい。来賓としては、ゼマン大統領以外にも、スロバキアの社会民主党的な政党であるSMERの党首のフィツォ首相も呼ばれていて、選挙に勝つコツみたいなことを語っていたようである(ニュースで聞いた断片的な発言を基にした推測なので違うかもしれない)。

 ゼマン大統領は、党首選挙の投票を前にした演説で、社会民主党に対してバビシュ首相の内閣を支持することを勧めていた。ゼマン大統領によると、ここで社会民主党が野党の側に回ることは、次の総選挙で5パーセントの壁を越えられずに議席を獲得できないことにつながるのだという。ただ、バビシュ内閣を支持するにしても、議席数が圧倒的に少ないことを考えると、連立与党として閣僚の座を求めるのは笑い話にしかなからないから、大臣ではなくて次官の座を求めようなんて、社会民主党よりもバビシュ氏にとって理想的な形の協力を勧めていた。ゼマン対バビシュの最終戦争は現時点では起こらないと考えてもいいのかな。
 バビシュ氏は、このゼマン大統領の発言に応えるように、社会民主党には与党内の野党として政権を監視する役割を期待しているとか何とかよくわからないコメントをしていた。よくわからないのはこちらのチェコ語の理解力が足りないせいかもしれないけど、大臣を輩出する形の連立よりは閣外与党としての連立を求めているというのは間違いないと思う。

 党首選のほうは、ハマーチェク氏、ホバネツ氏、元南ボヘミア地方知事のジモラ氏など9人の党員が立候補し、二回目の決選投票に進んだのは。一位のジモラ氏と二位のハマーチェク氏の二人だった。本命の一角と目されていたホバネツ氏はあえなく落選し、副党首の選挙には出ないことを表明していた。ホバネツ氏もソボトカ氏のチームの一員として、昨年の下院の総選挙の惨敗に責任があるわけだし、ホバネツ氏が党首になるということは社会民主党は変わらないということになるのが嫌われたのかな。昨年の夏に党首の座を投げ出して首相を続けたソボトカ氏が、党大会に現れず、党に対する責任を果たしていないと批判されていたのもホバネツ氏に支持が集まらなかった理由になろう。
 ハマーチェク氏とジモラ氏の間の決選投票では、ハマーチェク氏が一回目の結果を逆転し党首に選ばれた。ジモラ氏も第一副党首の座に選出されたので、ハマーチェク氏の言葉を借りれば、伝統的な左よりのグループと中道よりのグループからなる指導部が誕生したということになるようだ。ソボトカ首相の党運営は、対立グループを指導部などの重要な役職から排除して淡色の社会民主党を作ろうとしたという理由でも批判されていたから、その反省もあるのかもしれない。

 党首選出直後にニュースのインタビューに答えるハマーチェク氏は、ANOとの交渉に入ることを表明していたし、ANOとしてもオカムラ党の協力で信任を得るというシナリオは避けたいところだろうから、ANOと社会民主党の連立に共産党の協力を得て第二次バビシュ内閣が信任される見込みが高くなってきた。オカムラ党も自主的に協力してわれわれの協力で内閣が信任を得たとか言い出しそうだけどさ。
 問題は、新指導部がANOとの協力を決めた場合に、ソボトカ前首相と下院議員の中に多いそのお仲間がどのような動きに出るかである。2003年の国会で行なわれた大統領選挙で党の方針に逆らってゼマン氏に投票しなかったのがソボトカ氏である。今回も唯々諾々と党の決定に従うとは思えない。バビシュ氏としては社会民主党の議員からどのぐらい造反者が出るかというのも意識しながら交渉する必要があるということである。やっぱ、オカムラ党の協力も必要そうだなあ。

 既成の政党の多くは、ANOに共産党とオカムラ党が協力する形で新内閣が成立するのは避けたいと考えているようである。同時にバビシュ氏抜きの内閣であることも求めているのが、話をややこしくしている。ANOがバビシュ外しを認めることがない以上、上の二つは両立されることはない。今回は社会民主党が貧乏くじを引いて、内閣を成立させることになるのだが、それが次の選挙にどのように反映されるか楽しみである。
2018年2月21日22時。








2018年02月22日

スパルタとスラビア(二月十九日)



 チェコリーグ開設以来最悪のシーズン前半となったスパルタ・プラハは、それでもイタリア人監督のストラマッチョーニを解任しなかった。その代わりに元監督のシュチャストニーをGMに迎えてチーム編成や補強の責任者とした。確かに秋の低迷の原因は、監督がどうこういう以前に、場当たり的に大量の外国人選手を獲得した結果、チームがチームとして機能できていなかったところにもあるから、悪い手ではないのだろう。引退したロシツキーも補佐的なことをするようだし。

 シュチャストニーの最初の仕事は、増えすぎた選手を整理することだった。夏に獲得した大物外国人選手たちの中で放出候補になったのが、オーストリアのコレルという評判の片鱗さえ見せられなかったヤンコと最後の最後に獲得したビアビアーニだった。二人とも放出候補になってからのスパルタの扱いに対して不満を漏らしていたから、いまさらスパルタに残りたいと言う気もないだろう。
 他にもサイドバックでザフステルの控えに回されそうだったロシア人のカラバエフ、昨シーズンのチーム崩壊の原因のひとつとなったコナテー、すでに秋にはレンタルでドゥクラに言っていたホレクなんかがスパルタを出て行くことが決まっている。ゴールキーパーのドゥーブラフカがイングランドに買い取られていったのも忘れてはいけないか。これらの放出でいくらかの収入はあったはずだけど、シーズン前とこの中断期間とで使った金額に比べたら微々たる物である。

 獲得したほうは、ロシツキーの代役候補としてルーマニア代表でベルギーのアンデルレヒトにいたステンツィウ(読み方がわからん)。うわさによると一億コルナほどの移籍金でチェコリーグでは過去最高になるのだとか。うーんこの手の高額で獲得した選手ははずれに終わることが多いような気がするんだけど、スパルタ大丈夫か。キーパーのドゥブラーフカの代役には、これもルーマニア人のミトゥをステアウア・ブカレストから獲得している。最近になって、更に二人中盤の選手を獲得したようだが、一人はアフリカの選手だし実際に試合に出てくるのは、もう少したってからになりそうである。
 現在の問題は、なかなか才能が開花しないV.カドレツと並んで攻撃の柱になるはずだったシュラルが怪我でリーグ再開に間に合いそうにないことである。そうなると、頼りになるエースであると同時に不満分子になりやすいところのあるラファタをどうするか監督としても頭が痛いところだろう。秋の時点では、新しいスパルタを作るために若手選手を優先して、ラファタは保険扱いするというのが監督の方針だったようだけど。

 一方、ライバルのスラビアのほうは、リーグ戦では大差をつけられているとはいえ、二位にはいってスパルタよりははるかにましなのだが、ヨーロッパリーグのグループステージでの敗退を受けて、監督が交代した。GMのネズマルと同様、リベレツからトルピショフスキーを譲ってもらったのだ。ネズマルの仕事も最初は、多すぎる選手たちの整理だった。こちらも鳴り物入りで加入したアルティントップとロタニュの二人が放出候補となり、怪我から復帰し切れなかったかつての貢献者シュベントは引退を決めた。ラシュトゥーフカが放出されバニークに復帰したのはすでに書いた通りである。
 加入のほうは今回は比較的おとなしかった。ラシュトゥーフカの代役としては、またまたリベレツからコラーシュを獲得。以前はスラビアの若手選手が、リベレツに移籍して成長しスパルタに飼い取れれるというパターンも含めて、リベレツはスパルタに選手を提供することが多かったのだけど、中国資金で裕福になったスラビアが取って代わったというところか。スパルタが外国から取る方向に舵を切ったというのもあるのだろうけど。
 リベレツからフランスのモンペリエに移籍して、移籍直後はポジションを獲得して活躍していたものの次第にジリ貧になっていたディフェンスのポコルニーも獲得。試合終盤に出てきて決定的ナゴールを決めることが多かったフォワードのメシャノビッチが怪我をした代役としては、レンタルでヤブロネツに行っていたテツルを引き戻している。

 今シーズンは無敗を続けるプルゼニュの優勝はほぼ決まりだから、この二チームには來シーズンのヨーロッパリーグで活躍することを目標にチーム作りをしてもらいたいところである。スラビアが最低でもヨーロッパリーグの予選出場権を獲得するのはほぼ確実だけど、スパルタの場合はリベレツ、オロモウツあたりとこれから争うことになるのか。面白いと言う意味ではスパルタが下位に低迷して出場権を獲得できないほうがいいのだろうけど、チェコのサッカー界にとっては、スパルタのような大クラブには、常にヨーロッパの舞台で活躍してもらわないと困るのである。
 ちなみに、監督とGMをスラビアに売り渡したリベレツは、昨シーズン暫定監督としてスパルタを一時は立て直すことに成功したホロウベクを招聘している。この人も、オロモウツのイーレクと同じで、毀誉褒貶のある理論派の監督フジェビークの影響を受けているんじゃなかったかな。何はともあれお手並み拝見といこう。

 とまれ、地元チームが快調だと、シーズン再開が待ち遠しいものであるなあ。こんな気持ちで春のリーグ再開を待ち受けるのは本当に久しぶりである。
2018年2月19日23時。








2018年02月21日

銅のエルバノバー(二月十八日)



 日本ではスピードスケートの女子500メートルで小平選手が金メダルを獲得したことで大騒ぎになっているようだが、この種目ではチェコのカロリーナ・エルバノバーが三位に入って銅メダルを獲得した。チェコではまったく盛んではないスピードスケートでは、サーブリーコバーに次いで二人目、短距離では初めてのメダリストである。二位の韓国の選手とは0.01秒差だったから、銀メダルまであと一歩というところだったようだ。ちょっと残念。

 エルバノバーも十年ぐらい前に、一気に世界のトップに上り詰めたサーブリーコバーを追うようにスピードスケートの世界に登場したのだが、専門は短距離で、500メートル、1000メートルを中心に出場してきた。当初はサーブリーコバーと同様にチェコのノバーク監督の指導の下で練習していたのだが、ノバーク監督のチームはどうしてもサーブリーコバーが中心で、長距離が中心になってしまう。それで、本人もつらい決断だったと語っていたが、数年前にサーブリーコバーとは分かれて、オランダに渡ってオランダのコーチの指導の下で活動ることを決めた。
 オランダに移ったのは短距離専門の練習環境を得るためだったようだが、スピードスケートのことをろくに知らない人たちからは、裏切り者扱いされたこともあったという。監督も含めて、スケート協会との関係も悪化していろいろあったらしく、本人は這い蹲るようにしてとか、茨の道だったとか振り返っていた。それもこれもこのメダルで吹き飛んだのだろうけど。

 チェコのコーチの下で活動していたころも、ワールドカップで一桁の順位に入るぐらいまでは成績を上げていたのだが、オランダに移ってからも成長を続け、もう少しで表彰台というところまできていたのが昨シーズンまでのエルバノバーだった。オリンピックシーズンに入ってからは、更に調子を上げて、500メートルでは表彰台に上がれるようになっていた。そして、小平選手と韓国の選手の欠場したオリンピック前のワールドカップの大会では念願の初優勝を遂げたのである。ランキングでも徐々に順位を上げて現時点では三位につけているはずである。
 だから、メダル候補とみなされていたのだけど、メダル候補が順当にメダルを取るようであれば、誰も苦労はしないのである。特に今大会は、レデツカーの驚愕の金メダルはあったというものの、全体的には運に恵まれず、期待されたほどの結果が出ていない種目が多い。バイアスロンのコウカロバーなど出場できなかったし、サーブリーコバーも直前まで出場が危ぶまれていた。だから心配しながら、同走の小平選手よりも、エルバノバーを応援していたのだけど、暫定二位になる見事なタイムを記録した。次の韓国の選手には僅差で負けたものの、ほかの選手はエルバノバーよりもいいタイムを出すことができず、三位に入ったのである。

 常に優勝を争うサーブリーコバーの傍らで、チェコ的には十分な好成績を挙げながらも、そこから上になかなか進めずに苦労している姿を見てきただけに、応援する側の喜びも大きい。まだまだ若いし次のオリンピックでは、金メダルを争えるところまで行くんじゃないかと期待している。この結果は、ズドラーハロバーなどのノバーク監督の下でサーブリーコバーに続こうと頑張っている若い選手たちにとっても朗報である。

 このあと、チェコがメダルを狙えそうな競技というと、カナダとスイスに勝って準々決勝への新酒とを決めたアイスホッケーとスノーボードのレデツカーぐらいかなあ。レデツカーといえば昨日は書き忘れたけど、チェコのアルペンスキーとしては初めての金メダルだったらしい。これまではストラホバーと84年のサラエボオリンピックで活躍した選手が獲得した銅メダルが二つあるだけだったらしい。初めての金メダルを二刀流の選手が取るあたりチェコ的だなと思ってしまう。

 初めての金メダルつながりで言うと、チェコの選手が冬季オリンピックで金メダルを初めて獲得したのは、今からちょうど50年前、1968年のグルノーブルオリンピックでのことだった。イジー・ラシュカというスキーのジャンプの選手が、ノーマルヒルで金メダルを獲得したのだ。ラシュカはそのときラージヒルでも銀メダルを獲得している。ということで、それから50年目の今年は、ジャンプ勢にも期待をかけたかったのだけど、長野から20周年で今のところ順調にきているアイスホッケーとは違って、まったくいいところがない。
 長年にわたってチェコのジャンプ界を牽引してきたヤクプ・ヤンダが、国会議員になったことで引退し、名実ともにチェコの中心選手となったコウデルカの調子が上がらないのである。何年か前は、ワールドカップでひんぱんに一桁順位を獲得していたのに、今シーズンは予選を通過して二回目に進めるかどうかというところに低迷している。風の影響を受けやすく、運不運の差の大きい競技だとはいえ、ここまで成績が出ないということは運不運以前の問題である。

 スキーのジャンプついでに日本のマスコミにまたまたいちゃもんをつけておけば、葛西選手に対してレジェンドなんて形容を 何とかの一つ覚えのように連発するのは如何なものか。葛西選手が生ける伝説と呼ばれるにふさわしい選手であることに異論はないけれども、それを自国である日本のマスコミが連発するのには、内輪受けというか仲間褒めというか、違和感というよりは嫌悪感しか感じない。
 こんなのは、よその国の選手に対して使うべき表現であろう。ジャンプであれば、金メダルを目指して現役復帰したフィンランドのアホネン、金メダルを四つ取ってなお現役を続けるスイスのアマンなんかが、日本のマスコミが伝説扱いするべき選手である。葛西選手を生きた伝説扱いするのはよその国のマスコミに任せておけばいい。心配しなくてもチェコのマスコミでも、すでに四年前のソチオリンピックの時点で伝説の扱いを受けていた。日本ほど無節操に連発することはないけどね。
2018年2月18日23時。









2018年02月20日

オブロフスカー・センザツェ(二月十七日)



 朝食をとりながら、寝ぼけ頭でラジオのニュースを聞いていたら、エステル・レデツカーが金メダルを取ったと言っていた。「スーペル・オブジー・スラローム」と言っていたから、スノーボードの「スーパー大回転」で優勝したのだろうと思っていた。ソチオリンピックではメダルには届かなかったけれども、その後の世界選手権手金メダルを獲得したことがあったはずだし、チェコの数少ないメダル候補の一人になっていることは知っていたから、順当な結果だとまでは思わなかったけど、それほど大きな驚きは感じなかった。それよりも、早朝行なわれたはずのアイスホッケーのチェコ対カナダの試合の結果が気になった。

 昼食の前にテレビをつけたら、バイアスロンの中継が始まる前の時間帯に、アナウンサーがレデツカーが金メダルを取ったと言っているのだけれども、スノーボードではなく、アルペンスキーでとったといっているような気がする。ツォジェ? ということで、うちののほうを見たら、スノーボードが本職の選手が、アルペンスキーで金メダルを取ったと言って世界中で大騒ぎになっていると笑っていた。
 チェコのアルペンスキーの女子は、引退したシャールカ・ストラホバーが長年一人で牽引してきたと言っていい。ストラホバー以外はワールドカップに出場できる選手もいるかいないかという状態が続いていた。それが昨シーズン辺りから、レデツカーがスノーボードの傍ら、アルペンスキーのワールドカップにも出場するようになっていて、しばしばポイントを獲得しているのは知っていた。それでも最高で15位前後だったはずなので、10位以内に入ることはあるとしても、メダル争いをするなんて誰も、本人も含めて予想どころか希望すらしていなかったのではないだろうか。

 うちのが教えてくれたチェコ人がコメントに残していたという冗談はいまいちよくわからなかったけれども、アメリカのテレビ局が、レデツカーが出走する前に、スキーの中継を終えて、そのとき一位だった選手が優勝したことにして、アイスホッケーの中継に切り替えて恥をかいたという話には笑ってしまった。アルペンスキーでは、確か最初の十五人以外から優勝者が出ることは滅多にないんじゃなかったかな。回転ほどではないにしても出走の順番が遅くなるほど雪面が荒れるはずだし。
 スポーツ・ニュースでは、オリンピックに政治を持ち込むことを許したIOCの会長が、二位に終わったオーストリアの選手に優勝のお祝いを言うシーンが流されていた。もちろんこれもレデツカーが出走する前の出来事で、チェコ的にはこの会長に対して嘲笑を投げてやりたいところである。リオ・オリンピックの際に、チャースラフスカーの願いを無視して、サーブリーコバーの出場を認めなかったのは許しがたい。

 26番目の出走で優勝したというだけでも、チェコの選手が優勝したというだけでも、大番狂わせだっただろうけれども、優勝したのがスノーボードが本職の選手、しかも0.01秒差での優勝という劇的さに世界中で大騒ぎになっていたようだ。チェコテレビの中継は、ゴールするまでレデツカーが優勝するとは思っていないような冷静な解説で、ゴールしてタイムを確認した後は、絶叫交じりの大騒ぎになっていたが、よその国、ニュースで流れたイタリアの中継ブースの様子を見ると、アナウンサーが大興奮で叫んでいる横で、解説者が信じられないものを見ていると言うような様子でコメントしているように見えたのが印象的だった。イタリア語はわからんから間違っているかもしれないけど。
 当のレデツカーもゴール直後は、自分が優勝したことが理解できていなかったようで、30秒以上もの間呆然としていた。そしてテレビ映像を撮影していたカメラマンに「優勝だよ」と言われて、「嘘でしょ?」と返していた。その後のインタビューでは、夢を見ているような気分だったとか、何が起こっているのかも正直わかっていないなんてコメントをしていた。ゴーグルをつめたまま記者たちのインタビューに答えていたのは、自分がレース後にインタビューを受けるような成績を残すとは思っていなかったから、顔の準備ができていなかったからだという。ようはメイクアップしていなかったということらしい。

 レデツカーの父親は、実はチェコでは多分誰でも知っているヤネク・レデツキーという歌手なのだが、娘の応援のために会場まで出向いていて、アルペンスキーで活躍するのは次のオリンピックの予定だったのにと語り、レデツカーの指導に当たっているチームに対して感謝していた。コーチを務めているのはチェコのアルペン界では有名なバンク兄弟で、兄のトマーシュがコーチで弟のオンドジェイが選手という形でがんばっていたのだが、弟が度重なる怪我に悩まされた現役生活を終えた後は、二人でレデツカーの指導に当たっているのだという。
 オンドジェイ・バンクといえば、オリンピックだったか、世界選手権だったかは覚えていないけれども、あるスピード系のレースで快調に滑り降りてきて、ゴールまでもう少しというところで顔面から転倒して、そのままゴールまで滑り落ちてくるという衝撃的なシーンを思い出してしまう。そんな経験を生かしてコースを分析し、滑るべきルートを指導しているらしい。

 レデツカーは、水曜日に行なわれる滑降にも出場する予定だったが、翌日に本職のスノーボードの予選が控えているため出場しないことになった。出られるものは全て出たいというのが本人の希望のようだけど、スキーからスノーボードへの履き替えを考えると、しかもスノーボードでは優勝候補であることを考えると、スノーボードに集中した方がいいというのがコーチの判断だという。レデツカーは、世界選手権なんかでは予選と決勝を同日にやるのに、どうして木曜と土曜なんて日程になっているんだよと恨み言を漏らしていた。

 ちなみにレデツカーの母親は、元フィギュアスケートの選手で、祖父はアイスホッケーで世界選手権の優勝経験があるのだとか。こういうのを血は争えないと言うのかな。
2018年2月17日23時。








2018年02月19日

銀のサーブリーコバー(二月十六日)



 スピードスケートのリンクの存在しないチェコで育ちながら、長距離の王者として君臨しているこの選手には、思い入れがあるのか、大きな大会でレースがあるたびに結果を追いかけてしまう。今回はレースが中途半端な時間に行われたので、中継を見ることもテキスト速報で追いかけることもできなかったのだが、日本の奴を後で見たら、ゴールタイムしかかかれていなかったから追いかけてもあまり意味はなかったようだけど。

 サーブリーコバーの話をする前に、昨日のホッケーの話から始めよう。今年は長野の金メダルから二十周年ということで、優勝すること、最低でもメダルを取ることが期待されている。期待は世界選手権も含めて、毎回されているから、いつもより期待のレベルが高いというのが正解か。今大会のアイスホッケーでは、アメリカが延長でスロベニアに負け、ロシアがスロバキアに負けるなど、番狂わせが頻発しているけれども、チェコ代表も危うく大番狂わせの主役になるところだった。
 グループAの初戦の相手は開催地枠で出場できた韓国で、当然のように圧勝することが期待されていた。それなのに、油断したのか、初戦でまだ調子が上がっていないのか、韓国に先制されてしまうのである。第一ピリオドが終わる前に逆転に成功はしたものの、追加点がまったく取れず、試合終了直前まで同点に追いつかれる恐れがあったようだ。勝ったからいいし、最初から全開で途中で息切れするよりは、決勝に向けて調子をあげていくほうがいいのだろうけど、韓国相手にこれでは心配である。

 そして、今日はサーブリーコバーの前にチェコ三つ目のメダルを、スノーボードクロスのサムコバーが獲得した。ソチオリンピックで鼻の下に髭を書いて金メダルを獲得したことで知られるサムコバーは、決勝で出遅れたものの終盤追い上げ、何とか三位でゴールして銅メダルに輝いた。本人は結果が確定するまでは、3位が4位に修正されるのではないかと不安だったと語っていたが、それぐらい僅差のメダルだったのだ。今回も縁起を担いだ髭は健在で、前回よりも色鮮やかに見えた。

 今回のオリンピックのスノーボード(だけじゃないけど)は、吹き荒れる強風に悩まされているようで、特に女子のスロープスタイル?は、予選が中止で直接決勝になり、一人当たりの本数が減らされた上で、予選が中止になったとき以上の風の中決勝が強行されたとして批判が飛び交っていたが、チェコの選手もその被害に遭っていた。上位進出が期待されていたパンチュホバーが、快調に滑ってきて最後の大ジャンプに向かうところで、あまりの風の強さに途中で停止してしまったのだ。
 本人はあのまま飛んでいたら大失敗ジャンプになって大怪我をする恐れが高かったので飛ぶのを止めたと語っていた。これまでも大怪我をして復帰したことがあるので、成功していてもせいぜい五位ぐらいにしか入れないような状態では、選手生命を賭けてまで危険な風の中無理をすることはできなかったのだという。その判断は選手本人にしかできないことだし、尊重しなければならないと語っていたのはコーチだったかな。とにかく無事に終わってよかったというところだろうか。

 そして、本日のメインのサーブリーコバーだが、3000メートルではたまに二位、三位になることがあっても、ここ十年ほど大きな大会では一度も優勝を譲ったことがない(はずの)5000メートルである。一月に練習を再開したばかりで調子は上がりきっていないとは言うものの、出られる以上は優勝候補の筆頭である。だからというわけではないのだろうけど、今回も最終組でのスタートである。サーブリーコバーの前に、オランダの選手が意外なほどの好タイムを出したのも3000メートルと同じだった。
 スポーツニュースの説明によれば、本来最終盤でもラップタイムをほとんど落とさないことで、他の選手を圧倒するサーブリーコバーが、今回は優勝したオランダの選手に最後の部分で差をつけられて二位に終わったのだという。こういうところに今シーズンが順調に進まず練習が不足している影響が出ているのだろう。ちょっと残念である。
 それでも、一時はオリンピック出場も危ぶまれた状態から、短期間でここまで立て直してきたのは賞賛に値する。本人も4位に終わった3000メートルとは違って、悔しさのかけらも見せずに、メダルが取れたことを心の底から喜んでいるようだった。背中の怪我に悩まされた苦しみを乗り越えた分喜びも大きかったのだろう。

 サーブリーコバーは、これで6つめのオリンピックのメダルを獲得したことになる。そのうちの半分3が金で2つが銀、次のオリンピックまで現役を続けるかどうかはまだわからないけれども、現時点では引退は考えていないと語っていたから、7つめ8つめを期待してもいいかもしれない。いや、是非期待したいところである。オリンピックは出場することに意義があるとは言っても、メダルを取るのが目標になるのも確かである。チェコは日本ほどメダル至上主義ではないけどさ。
2018年2月16日24時。







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