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2020年12月31日
リーダー四号機投入(十二月廿八日)
ソニーが、鳴り物入りで電子書籍専用の端末「リーダー」を日本市場に投入したのは2010年ごろのことだっただろうか。リーダーストアとかいう名称の電子書籍販売サイトでソフトの販売は継続しているかもしれないが、ハードウェアの生産販売からは手を引いてい久しい。製品としての完成度はともかく、電子書籍専用の端末、つまりは本の代用品であることを考えると、音楽が聴けたり辞書が引けたりという無駄な機能の付いた不満の残るものだったので、このままでは本物の読書家からは見放されるだろうと思ってい。さらに後継機では通信機能を付けるという悪い方向への進化を遂げており、生産停止も遠くないと考え、あわてて確保に走り、合計四台所有するに至ったのである。
もし自分が今も日本にいて、古本屋などで自由に本が買える環境にいたとしたら、買ったとしても一台だけだっただろう。四台も買ったのは、国外に住んでいて紙の本を買うのに多大なる労力と送料と言う無駄金がかかる環境にいるからなのである。それを考えると、国外に住んで日本語の本に飢えている人たち向けの特別販売でもやればある程度売り上げを上乗せできただろうと思うのだけどねえ。日本の知り合いに手を回して何台も確保しようとする人間なんて、そんなにたくさんいるとは思えないけど、外国で普通に買うことができたら買っていたという人は多いに違いない。
とまれ、なんとか確保した四台のうち、最も酷使された一号機は、早々に調子がおかしくなり、まともに電源が入らなくなって、何年か前にお蔵入りさせたのだった。二号機も一時ちょっと作動が怪しくなって長持ちしないかなと不安だったのだが、その後持ち直して、普通に読むだけなら問題なく使えている。問題は一度の充電で読める量が、一号機導入時と比べるとかなり少ないことだが、充電にかかかる時間もなぜか短いので仕方がないとあきらめている。
一号機が不調を訴えるようになってから導入した三号機は、二号機以上に使用する機会が多かったのか、充電池の劣化が激しい。稼働時間が短くなっただけなら頻繁に充電すればいいというのであきらめも付くのだが、充電にかかる時間は変わらないというのが困りものである。その結果、下手をすれば三号機で読んでいる時間よりも、充電のためにUSBケーブルに綱いている時間のほうが長いという困ったことになっていた。
ということで、三号機の負担を減らすためにも、四号機の導入を決めた。購入以来、十年近くたっているし、使用していなくても劣化が始まる可能性がないとは言えない。二号機、三号機が使えなくなった後に、使おうとしたら使えなかったなんて事態は避けたいし、仮に多少劣化していたとしても、今ならまったく使えないところまではいっていないだろう。
パッケージを開けてマニュアルを、もう四回目だから読む必要はないとそのまま捨ててしまったのだが、PCにUSBケーブルでつないでもなかなか充電中にならずちょっと不安になる。思い返してみると、最初の充電だけは始まるまでに長い時間がかかったような気もする。電源ボタンを押すとか、リセットボタンを押すとかした記憶もあるけれども、放置していたら、充電が始まってほっと一安心である。
外付けのハードディスクから、再読に値する小説をリーダーにコピーしていく。この辺りはマニュアルを完全に無視しているのだけれども、経験からどのフォルダにコピーすればいいかはわかっている。わかっていたはずなのだが、充電が終わって起動させてPDFファイルを開けてみたら、変なことになっていた。二号機、三号機では普通に画面全体に表示されるのだが、縮小されて右側と下側に余白ができている。以前もこんなことがあったような気もするけれども、どのように解消できたか思い出せない。
表示サイズを切り替えるボタンを押して、ページモードから、余白カット、ページ全表示に変えてみるけれども、表示は変わらない。オプションから画面の回転を選んで表示の向きを変えて元に戻すとあら不思議、なぜか画面全体に表示されるようになっていた。一冊目を読み終わって二冊目を表示させたときに気づいたのだが、画面を回転させて元に戻すだけでは何も変わらず、その前にページ全表示に変えておく必要があるのだった。面倒ではあるけれども、大切なのは読めることなので、このまま読み続けることにした。
四号機を使い始めて感動したのは、充電池の持ちのよさである。いや、二号機も三号機も最初は同じぐらい連続して使えていたはずなのだが、最近の持ちの悪さに慣れてしまっていて、2000ページ近く読んでも電池の残量表示がまったく減らなかったときには、一回の充電で一万ページ近く読めたのだと、リーダーを初めて使ったときの感動を思い出してしまった。ソニーの計算では一万ページ以上読めるようなことが書かれていたけれども、あれはカタログスペックという奴で、実際に一度の充電で読めるの8000から10000ページぐらいだった。
その後、四号機の電池が切れたあと、二号機を使ってみたら、300ページちょっとで、残量表示のめもりが一つ減った。これだと一回の充電で読めるのは1500から2000ページぐらいということになりそうである。十年近くの使用の果てに、ここまで充電池が劣化したということか。こういうのを見ると、現在地球温暖化の救世主のようにみなされている電気自動車も充電池の劣化ですぐに実用に値しなくなるんじゃないかと考えてしまう。劣化した充電池の処理も、環境汚染につながらないようにするのは大変だろうしさ。
とまれ、今後は四号機をメインに、二号機、三号機を補助的に使っていくことになろう。これからさらに十年というのは難しいかもしれないけど、数年は実用に耐える範囲で充電池が持ってほしいものである。そして、その頃までには、また電子書籍の夜明けがやってきて、リーダー以上に読書に特化した端末が発売、できれば日本のメーカーから発売されないかなあなんてことを考えてしまう。大きさも重さも文庫サイズで、見開きで読めるようになっていたら、多少高くても買うぞ。一台じゃなくて、最低四台は買うぞ。
2020年12月29日23時。
2020年12月30日
冬休み終了のはずなんだけど(十二月廿七日)
最後に書いた文章で冬休み中も毎日あれこれ書くに違いないなんてことを書いたわけだけど、その予想は完全に外れた。うちのの実家で過ごしたこの冬休み、かなりの時間を寝て過ごし、文章を書くどころか、持ち込んでいた仕事にも、最近サボっていた『小右記』の訓読の整理にも手をつけなかった。リーダーで小説を読むだけの冬休みになってしまった。「読んじゃ寝」のある意味理想的な生活ではあったのだけど、再読のものばかりだったので、時間を無駄にしたという気分も拭えない。
こんな醜態をさらした最大の原因は、この期間はコーヒーを飲まずに、カフェイン抜きをしようと考えたことにある。初日は、朝飲んでから出かけ、昼食後にも飲んだので、この休み中唯一の建設的な行動であるリーダー四号機の実践投入に成功した。我ながら大げさだけれども、こういいたくなるぐらい二日目以降はひどかったのだ。
二日目は朝食後にコーヒーを飲まずに、読書を始めたら、いつの間にか沈没。気がついたら昼食の時間になっていた。午後も同様にうつらうつらしている間に外は暗くなっていた。次の日からは午前中はコーヒーを飲まずに寝て過ごし、午後は飲んで起きている時間を確保したのだけど、普段でさえ鋭いとはいえない頭の働きは鈍りまくっていて、せっかく持ち込んだノートPCもリーダの充電にしか使わなかった。
オロモウツに戻ってくる前日は、このままではまずいと考えて、午前中も飲んで態勢を立て直そうと考えたのだが、あまり効果はなかった。午前中は何とか起きていられたものの、午後はちょっと気分が悪くなって、読書もせずに毛布に包まって横になっていた。外出もせずにほとんど寝て暮らしていたのだから体調不良になる原因なんてないと思うのだけど、運動不足かなあ。
オロモウツに戻ってきた日は、特に昼寝をすることもなく、気分が悪くなることもなく過ごせたから、冬休み中ということで気が緩んでいたのが、一番の原因かもしれない。とはいえ、猫蹴るのを避けられたというだけの話で、文章を書いたり仕事を進めたりすることができたというわけではないので、完全復活には程遠い。いやそんなことを言っていると、復活するのが来年になりかねないから、明日からは毎日、駄文を書きなぐる生活に戻るぞ。
問題は、ここで言う明日がいつのことなのか自分でも判然としないことなんだけど、とにかくすべては明日からだ。一年の計は、元旦ならぬ明日にありである。明日が元日ってことにはならないと思う。
2020年12月28日17時30分
2020年12月29日
2020年12月28日
2020年12月27日
2020年12月26日
冬眠中(十二月廿三日)
2020年12月25日
冬期休暇中(十二月廿二日)
2020年12月24日
冬休み宣言(十二月廿一日)
オロモウツを離れて更新が難しくなるクリスマスの時期だが、これまでは毎年、出版業界の悪癖である年末進行を真似して、直前に慌てて書き溜めた文章を予約投稿することで、何とか毎日更新を維持していた。書くほうは一定量ではないとは言え、ちまちまと書いてはいたけれども、メリハリのつかなさからか、筆が進まなかったことは否定できない。
今年は、あらゆることがオンライン化して仕事の効率が大きく低下した弊害で、クリスマス進行に向けて書きためをする時間が取れないだけでなく、書きためをしようという気力もわかない。一年目のように名目上の日付と投稿日に五日、六日の差があれば、すでに書いたものを予約投稿するだけで済むのだけど、今は二日しか差がないから、不在期間をすべてカバーすることはできない。
考えてみれば、一年三百六十五日毎日書いて毎日更新するという偉業は、質は伴わないけれども、去年2019年に達成しているのである。年頭に今年は休みを入れながらなんてことも書いたような記憶もある。それが今も毎日投稿を継続しているのは、一度サボるとずるずるとサボり続けてしまうという自分に対する信頼のなさに起因する。本来は毎日何かしら文章を書く習慣をつけるための手段としてブログを始めたのに、手段が目的化してしまっているのが現状である。
何だかんだありつつ習慣化してしまっているので、休みといいつつあれこれ書くことにはなるのだろうけど、書く時間を減らして睡眠時間を増やそう。最近、一年分の疲れが押し寄せてきたのか、週末は、二日とも九時間も寝た上に昼寝までしてしまった。ということで今日から冬休み。だからいつもよりも短いのである。
2020年12月22日15時30分。
タグ: 言い訳
2020年12月23日
ファントマス(十二月廿日)
先日ネズバルの翻訳を刊行してくれたありがたい出版社である風濤社の出版物を検索したら『ファントマ』というフランスの怪盗を主人公にした作品の翻訳が出てきて驚いた。フランスの怪盗というと、日本ではアルセーヌ・ルパンの名前が最初に出てくるが、チェコでは誰がなんと言おうとファントマスなのである。フランス語での読み方は知らないが、チェコではチェコ語の発音の原則に基づいてファントマスと呼ばれる。
チェコでファントマスが有名なのは、残念ながら小説のおかげではなく、1960年代に制作された映画のおかげである。東西冷戦の時代というと、西側のブルジョワ映画は東側には入っていなかったと思ってしまうが、実はそんなことはなく、かなりの数のフランス映画が、世界最高とも言われる吹き替え技術を駆使して紹介され人気を博していた。映画のタイトルロールが今時の画面にチェコ語の字幕をつけたという形のものではなく、新たにチェコ語版(女性の名字にオバーがつき、吹き替え担当の役者名が併記される)を作っているところからも、力の入れようが見て取れる。
旧共産圏の吹き替えというのは、90年代に入っても、手抜きというか、技術不足というかで、不十分なものが多く、チェコスロバキアの片割れであるスロバキアのテレビの吹き替えは、台詞が入るときには、BGMなどの背景音が消えるというものだったし、ポーランドのは、一人の役者が出演者全員分の吹き替えをモノトーンな語りで担当するという代物だった。それに対して、チェコスロバキアの吹き替えは出演している俳優本人からも絶賛されるようなものだったらしい。
そんなチェコでフランスの映画俳優というと、ジャン=ポール・ベルモンドとルイ・ド・フィネスが双璧で、前者は亡命するまではヤン・トシースカ、後者はフランティシェク・フィリポフスキーという専属の吹き替え担当者が存在した。この二人の主演するさまざまな作品は今でも繰り返し、テレビで放映されているのだが、ルイ・ド・フィネスの出演作品の一つが、全部で三作あるけど「ファントマス」なのである。
つい、久しぶりに見たくなって昼食時に一作目の「ファントマス(Fantomas)」のDVDを引っ張り出した。見るたびに思うのだが、この映画、見ているうちに何が本当で、何がファントマスの仕組んだことなのかわけがわからなくなってしまう。すべてが仕掛けといえばそのとおりなのだろうけど、ルイ・ド・フィネス演じる捜査官と、ジャン・マレー演じる新聞記者もそれぞれファントマスを引っ掛けるためにあれこれ仕掛けるから、混乱が混乱を呼ぶ。謎は謎のまま、そのどたばた感を楽しむべき映画なのだろう。
日本でも知られているのかとウィキペディアで調べてみたら、日本でも公開されたらしく、日本語題は一作目から「ファントマ危機脱出」「ファントマ電光石火」「ファントマ ミサイル作戦」となっていて、一瞬目を疑った。ファントマスがファントマになっていることもあって、これじゃあ題名だけ見ても気づけなさそうだ。フランス語の原題は知らんけど、チェコ語だと二作目が「怒りのファントマス(Fantomas se zlobí)」、三作目が「ファントマス対スコットランドヤード(Fantomas kontra Scotland Yard)」。個人的にはこっちのほうが好みだなあ。外国映画の日本語題には、チェコ映画もそうだけど、見る気が失せるものが多い。
チェコにおけるファントマスの人気を象徴するのが、アイスホッケーの世界選手権の応援に、毎回駆けつけていたファントマスである。もちろん本物ではなくファントマスの被り物を被っているのだけど、名物ファンとして必ずニュースで取り上げられていた。最近は見かけなくなったから、本業が忙しくなって、引退したのかもしれない。
ところで、実はチェコでは、フランス映画以外にも、イタリアのいわゆるマカロニ・ウェスタンもかなりの知名度を誇っていて、今でも繰り返しテレビで放送されている。西側は西側でも共産党の強い国の映画は受け入れやすかったのだろうか。それとも内容を吟味した上で選んでいたのだろうか。ファントマスなら、ブルジョワ階級に鉄槌を下す、そんな設定はないけど労働者階級出身の怪盗を描いた作品という名目でチェコスロバキアでも公開されたなんて話があってもおかしくはなさそうだ。
2020年12月21日22時。
2020年12月22日
検査を巡る混乱(十二月十九日)
十二月に入って、学校の先生たちが優先的に受けられるようになっていたアンチゲンと呼ばれる簡易型の感染検査だが、本来の昨日の金曜日からの予定を前倒しして、水曜日から一般の人にも解放された。政府の説明では、教育関係者以外の希望が多く、予約システムがいっぱいになっているからだということになっているが、教室に生徒のいない学校の先生たちの多くが、学校を抜け出してまで検査を受ける必要性を認めず、検査数が増えなかったこともその原因ではないかと見ている。もちろん学校全体で検査を受けたなんてところもあるようだけどさ。
その一般に開放された検査は、事前に受付を開始した予約システムからして混乱していた。厚生省の発表では、全国統一の予約システムを構築して、居住地、検査を受ける場所に関らず、同じサイトから予約できるようにするということだったのだが、その発表がでた時点で、いくつかの検査機関では、独自の予約システムが稼動しており、予約の受付を開始していた。恐らくは先生たちを検査するに当たって導入したシステムを継続して使用したのだろうと思うが、この辺にも政府、厚生省側の準備不足が如実に現れていた。
そして、実際に検査が始まった水曜日以降、それ以前の先生たちを対象にした検査のときには、人数が少なかったおかげか、予約システムが見事に機能して行列などできてなかったのだが、検査会場の前には長蛇の列ができることになった。原因としては、予約した時間に来ない人が多いことがあげられていたが、行列の長さを見るとそれだけとは思えない。一回の検査に想定以上に時間がかかっているのか、予定を変えて予約なしの人の検査も受け入れているのか。
検査が終わった人たちは、こんなに時間がかかるとは思わなかったと口を揃えていたが、暖冬とはいえ、寒空の下行列を作って検査を待つのが健康にいいとは思えない。それに外出といえば職場と自宅を往復するだけで、他人とはほぼ会わない生活をしている人間からすると、感染を恐れるわけではないけれども、検査を受けにいって行列するほうが感染の恐れが高そうだ。受ける人たちは安心してクリスマスに家族と会うためなんて言っているけれども、今日の陰性が来週の陰性を担保するものではないのだけどねえ。
逆に陽性の結果が、必ずしも本当に陽性ではないことを示したのが、サッカーのスラビア・プラハを巡る混乱だった。スラビアは、水曜日のズリーンでの試合前に行われた定例の検査で、一度に九人もの選手が陽性だと判定されたことで、プラハの保健所から活動停止を命じられ、ズリーンとの試合は延期されることになった。
ヨーロッパリーグの試合もあって、毎週最低二回は検査を行ってきたスラビアで一度にこれだけの感染者が出るのは納得行かないとオーナーのトブルディーク氏は主張していたが、活動停止自体は受け入れた。その後、陽性と判定された選手のうちの二人が、家族全員で別の検査機関で検査を受けたところ選手本人も含めて全員陰性だという判定が出た。
それで、スラビアでは改めてAチームの選手、スタッフ全員の再検査を行うことを決め、先に陽性だと判定した検査機関とは別の検査機関で、しかも念には念を入れて二つの機関で検査を受けたらしい。その結果は、どちらの機関でも、陽性の判定を受けていた選手も含めて全員が陰性の判定で、プラハの保健所も活動停止の命令を撤回した。明日の日曜日のボヘミアンズとのプラハ小ダービーは予定通り開催されることになった。
それにしても、最初の陽性判定は何だったのだろう。単なる誤判定だったのか、機械が狂っていたのか。とまれ、検査でこれだけの混乱を巻き起こしている現状を考えると、早ければ来年早々にも始まるとされるワクチンの接種も大変なことになりそうだなあ。政府、厚生省の準備不足が医療現場に負担を強いることになるのは間違いない。外国人が受けられるのかどうかは知らんけど、現場に負担をかけるのも申し訳ないから、受けられるとしても遠慮しておこう。
2020年12月20日24時30分。