それに輪をかけて理解不能なのが、室町初期の南北朝時代である。後醍醐天皇による討幕、南北朝分裂と足利尊氏による幕府設立、義満による南北朝統合。中学の歴史の授業ではさらっと流していたから、覚えているのはこのぐらいのことにすぎない。九州の南朝の活動もちょっとは出てきたかな。高校では日本史を選択しなかったので、観応の擾乱だの、足利直義とその養子の直冬だのについては全く知らなかった(と思う)。その後、大学に入って中世史の本も読むようになって知識も少しずつ増えていったのだが、この複雑怪奇さは中学生に勉強させるようなものではないと感じた(その辺は応仁の乱から信長の登場までも同様)。それにしても、後醍醐天皇の皇子たちの名に使われた「良」の字を、昔は「なが」と読んでいたのが、いつの間にか「よし」と読むようになっていたのには驚いた。
一般に、この時代を知るための名著として知られるのが中央公論社の叢書「日本の歴史」の第9巻として刊行された佐藤進一著『南北朝の動乱』である。すでに何度も通読していて、読むたびに、ああそうだと、理解できた気分になるのだが、しばらくするとまたよくわからなくなる。これはもう本の責任ではなく、時代の責任で、このわからなさこそが時代の特徴なんだと言いたくもなる。
個々の事象については理解が深まっても、全体として把握できないというか、歴史の流れが一つにまとまるのではなくて、すべてが別の方向に向かって進んでいるような印象で、全体像が見えないというか、抑々全体像があるのか不安になってしまう。これが中国史家の宮崎市定氏いうところの分裂の中世ということだろうか。中国の場合には分裂していくつかの国になるのに対して、日本は一応は一つの国、一つの政権にまとまっていながら、実はばらばらというあたりたちが悪い。だから、一度ことが起こると、どうしてそうなる、どこからでてきたと言いたくなるような出来事の連鎖が起こるのだろう。
もちろん、こちらが中世史を専門的に勉強したことがなく、中世、特に室町時代の人々の意識についてよくわかっていないのも、理解できない原因の一つだろうけれども、それをいったら、平安時代だって、江戸時代だって、当時の人たちの意識についてわかっているとは言えないのだ。その辺と比べても室町時代、特に南北朝時代の全体としてのわかりにくさ、イメージのできなさは、隔絶している。
だから『太平記』を読むというわけでもないし、読んだから室町時代への理解が進むというわけでもないのだけど、『太平記』面白い。まだ前半の途中で、歴史的には比較的理解しやすい討幕の過程を描いた部分だからというだけでなく、物語の語り口自体が、『将門記』とは比べ物にならないぐらい進化していて、読みやすい。時に中国の故事が引用されたり、誇張が過ぎる部分や定型的な表現が並ぶ部分があったりするのだけど、それもまた軍記物語を読む楽しみというものである。こうなると『平家』がどうだったかが気になってくるけれども、『太平記』通読までにもまだまだ時間がかかりそうだし、確認できるのはいつになることやらである。
ここまで、第十巻の途中だから4分の1ほど読み進めてきて気になったのは、後醍醐天皇の描き方である。言葉では「聖王」だったか、「聖主」だったか、「十善の君」ってのもあったかな、偉大なる君主として崇めているように見えるが、その行状についてはけっこう批判的に描写している。『太平記』は、全体的に後醍醐天皇に対しては批判的だと言うが、この辺り、討幕までは完全に悪役にはできないということか。いや当代の天皇を指すのに、実態はどうあれ、「聖」の字を使うのは当然だったのかもしれない。
それから、戦前は南北朝時代最大の忠臣の一人で、戦後になってその実在が否定されたらしい児島高徳が出てきたのもうれしかった。非実在説を前提にして読むと、最初に登場した場面で、隠岐に流される天皇を救い出そうとして、行き違いになるのは、活躍させても大筋に影響を与えないうまい描き方だと感心してしまう。独自のキャラクターを作り出して物語の主人公としながら、歴史を改変しないタイプの時代小説の書き方に通じるものがある。半村良の作品だと『慶長太平記』とかさ。失敗すると、『慶長太平記』にもその気はあるのだけど、さあこれからというところで、尻切れトンボのように終わってしまうことになるのだが、『太平記』の場合はどうだろう。
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