この人の作品、エロ、グロ、バイオレンスにあふれたハードボイルドということになるのだけど、意外と食事のシーンにインパクトがあったのである。体を鍛えるために何キロも走った後で、シャワーを浴びて、ボンレスハム?を丸かじりしたり、淹れたてのコーヒーにバターを放り込んで飲んだり、何とも言えず心惹かれるものがあった。狩猟で倒したばかりの動物の地の滴る肉を焼いて食べるなんてのもあったなあ。
しかし、惹かれはしても自分でも真似したいと思わなかった。いや、コーヒーにバターを入れるなんて、想像するだけでもおいしくなさそうだったし、ハムはスライスされたものを買うもので、塊で購入するなんて全く想定していなかったし、狩猟というものは自分にできるものだとは思っていなかった。所詮、肉を食べるのは平気でありながら、自らの手で命を奪うことには抵抗のある偽善者なのだった。
とまれ、その女性が書いていたのは、バターを入れたコーヒーはそんなにおいしいものではなかったということで、それでもファンとしては飲むべきだということでしばらくは飲み続けたと書いてあったかな。そんなことをやっていたのが高校時代だとか書いてあったから、大藪春彦の作品を女子高生が読んでいたのかとびっくりした。決して若い女性向けの作品ではないと思うのだけど。
自分では大学に入って手当たり次第に乱読していた時代に、SF作家が大藪春彦についてあれこれ書いているのを読んで、手を出したんじゃなかったか。平井和正の『ウルフガイ』とか、ハードボイルドっぽいSFはあったから、そこから足をちょっと延ばせば、大藪春彦の世界にたどり着く。銃器やバイク、自動車の細かい描写が称揚されることが多かったが、個人に対する復讐であれ、社会に対する復讐であれ、復讐譚に惹かれることが多かった。自分自身が誰かに復讐したいとか、社会に復讐したいとか思っていたわけではないと思うけれども。
考えてみると、いまだに多少なりとも無政府主義者にシンパシーを感じてしまうのは、それが可能だとも、実現することがいいことだとも思わないけれども、大藪春彦を読んだ影響なのかなあと思ってしまう。いや、逆に破滅主義的なものを心中に抱えていたからこそ、大藪作品に惹かれ、読んでいたおかげで破滅主義が表に出てこなかったともいえるのかもしれない。
こんなことを書いているうちに、以前縁があって知り合いになった波乱万丈の人生の先輩として師事している(本人にはこんなことはいえないが)方が、大藪春彦と大学時代に知り合いだったと言っていたのを思い出した。楽しそうな顔であいつ悪い奴なんだよなんて仰るのを見ながら、自分も学生時代の友人のことを思い出していたのだった。酒を飲んでこんなことを書いていると、益体もない思い出が湧き上がってきて収拾がつかなくなるから、そうなる前に、記事を閉じることにしよう。
3月11日16時。
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