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2016年02月19日

プロスチェヨフ(二月十六日)





 ドイツ語ではプロスニツと呼ばれるこの町は、実は現象学の祖フッサールの生地なのだが、あまり知られていないようである。日本ではプロスチェヨフがプロスニツだと知っている人が少ないし、チェコではフッサール自体の知名度があまり高くない。さすがにプロスチェヨフには、フッサールを記念して広場に名前が付けられているが、チェコ人には夭折した詩人イジー・ボルクルの方が重要なようである。プロスチェヨフの墓地には立派な墓が残されているし、オロモウツにもこの人の名前を取った通りがあって、実はうちから最寄のトラムの停留所だったりするのだ。自分の語学力で詩が理解できるとも思えないので読んだことはないのだが、ボルクルは夭折したという形容から日本の中原中也みたいな詩人なのかなと勝手に想像している。
 旧市街の中心は、93年のビロード革命の跡に改称されたT.G.マサリク広場である。このチェコにしては広い広場には樹木が植えられていて、見通しが悪いのが難点なのだが、塔を擁した市庁舎、今では博物館になっている旧市庁舎など、興味深い建物が立ち並んでいる。特に市庁舎は内装も非常にこっており、立てられた当時のプロスチェヨフが富裕な町であったことを物語っている。

 しかし、この町の建築物で最も特筆すべきは、ボヤーチェク広場にある民族の家であろう。チェコ最大の建築家の一人であるヤン・コチェラの最高傑作とも言われるこの建物は、2000年ごろに訪れたときには、最低限の維持はされていたが、文化財として保護修復を受けているようには見えず、なぜかメキシコ料理のお店が入っているのにびっくりしたのを覚えている。現在では改修も済んで、往時の姿を取り戻しているらしい。レストランも喫茶店も、建設された時代の息吹を感じさせるような、雰囲気を大切にしたものが入っている。数年前に、一度仕事で行ったときに、このレストランで昼食をご馳走になったのだが、メタクサという確かギリシアのお酒を飲んだこと以外は、思い出すことができない。
 民族の家というのは、啓蒙主義の民族覚醒の時代に、ドイツ化の進んでいたチェコ各地の都市にチェコ人たちのグループの活動拠点として、例えば劇場などの施設を伴って建設されたものなので、比べてみるのも面白いかもしれない。オロモウツのものは何の変哲もない普通の建物でプロスチェヨフのものと比べるのは申し訳ないのだけど。

 プロスチェヨフから西に道路を道なりに走ると、丘陵地帯に入ってすぐのところにプルムロフという村がある。ここにはダムがあって、ダム湖は地元の人たちの夏の保養地となっているのだが、ダム湖のかたわらに、奇妙な建物がそびえている。湖の対岸から見ると立派な建物なのだが、横から見ると何だか薄っぺらな建物である。領主であったリヒテンシュタイン家が、昔城砦のあったこの地に、大きな城館を建設しようと計画を立てて、最初の部分を建てかけたところで、建築が中止になってしまい、何とも中途半端な建物が残されたらしい。2000年ごろにはここもほぼ放置されていて、裏から見るとみすぼらしいという印象だったが、最近改修が終わったという話なので、奇妙は奇妙なりに、建築の経緯なども含めて観光名所になっているのだろう。

 さて、チェコでプロスチェヨフと言うと、テニスである。チェコで一番強いテニスクラブがありベルディフや、クビトバー、シャファージョバーなどのモラビア出身の選手の多くが、世界に出る前にこのクラブで育成を受けており、世界ツアーを回るようになってからもクラブとしてはプロスチェヨフに所属している。国内での練習の拠点にもなっていて、子供向けのイベントなどにも積極的に参加しているようである。もしかしたら街中で見かける機会もあるのかもしれない。
 デビスカップや、フェデレーションカップの試合には、国外であってもプロスチェヨフからかなりの数の応援団が駆けつけるし、バレーボールやバスケットのチームも国内の一部リーグで活躍しているが、プロスチェヨフはやはりテニスの町なのである。

 それからこの町が、服飾産業の町であったことも忘れてはならないだろう。東レが進出して工場を建てたのもそれが理由の一つではないかと思う。共産主義時代の国営工場の流れを継ぐOPプロスチェヨフというチェコでも最大の服の工場があったのだが、残念ながらいろいろな問題が重なって倒産し、工場は閉鎖されることになってしまい、オロモウツにいくつかあった直営店も閉鎖されてしまった。
 プロスチェヨフは、どうしてもブルノに行く途中に通る町になってしまって、なかなか立ち寄る機会もないのだが、いずれ時間を作って久しぶりに再訪したい町である。
2月17日13時30分。








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