シュンペルクからコウティ・ナド・デスノウに向かう鉄道の路線は、このデスナー川沿いに敷設されているのだが、1997年にモラビアのほぼ全域を襲った大洪水の際に、イェセニーク山地に降った雨を集めるこのデスナー川も大洪水を起こし、川沿いに敷設された鉄道路線は、壊滅的な被害を受け、当時鉄道路線を管理していたチェコ鉄道では、復旧を諦め廃線にすることを決めるほどであったという。
しかし、田舎のローカル線なのに、いやローカル線だからこそ、沿線の住民にとっては欠かせない足となっていたのだろう。シュンペルクを除く沿線の市町村で鉄道路線の復旧のための組織デスナー渓谷自治体連合を結成し、洪水の翌年1998年には路線の復旧に成功する。ことの経緯からこの路線の運行はチェコ鉄道の管轄からはずれ、チェコでは珍しい路線を所有する市営の鉄道会社となっていた。
以前出かけたときには、オロモウツからベルケー・ロシニまでの切符を買うことはできず、シュンペルクでの乗り換えの際に駅舎でベルケー・ロシニまでの切符を購入する必要があった。料金体系もチェコ鉄道のものとは違って、かなり割高になっていた。沿線の市町村がお金を出し合って復旧し運営していたことを考えれば、日本の鉄道料金よりは安かったし、仕方がないのだろう。
その後、2002年からは、オロモウツ地方を中心にバスの運行をしているコネックス・モラバ社(現アリバ・モラバ社)が運行を担当するようになり、昨年末のダイヤ改正に際してチェコ鉄道による運行に、ほぼ二十年ぶりに戻った。その結果、現在ではオロモウツから、ベルケー・ロシニまで乗り換えなしでいけるようになっているようだ。
注意しなければいけないのは、ベルケー・ロシニは、デスナー川の作り出した渓谷に川沿いに細長く伸びている町で、無人駅を含めて駅が三つあり、目的地によって最寄の駅が異なることである。
シュンペルクから一番近いザーメク駅で降りると、電車によってはとまらないものもあるようだけど、鄙にはまれなといいたくなるほど大きなルネサンス様式の城館がある。この辺りに勢力をもっていたモラビア貴族のジェロティーン一族が、もともとここにあった小さな砦のようなものを、16世紀の前半に改築したものらしい。その後もあれこれ手が加えられており、特に内装においてはルネサンス様式以外にもバロック様式、古典様式などの影響も見られるというのだけど、正直素人にはよくわからなかった。
2000年代初頭に出かけたときのことで、今でも覚えているのは、この城館の展示が電化されていなかったことだ。外の天気がよく太陽が出ているときには、窓から入ってくる光で展示物もよく見える。それが、雲が出て日がかげると、室内は一転薄暗くなり何があるのかわからなくなってしまう。大きなホールでは、見学者を歓迎するために室内楽の弦楽アンサンブルがクラシック音楽を奏でてくれたのだけど、演奏中に夕立がやってきて雷鳴が轟き始めたために、音楽どころの騒ぎではなくなったのだった。
多分、この城館だったと思うのだが、観光した記念のスタンプか何かに典型的な魔女の絵があしらってあって、事情を尋ねたら、このイェセニーク地方は、魔女狩りがチェコで最も盛んに行なわれたところだという答えが返ってきた。魔女狩りのような悲劇を観光のシンボルにしてしまうのもどうかと思うのだけどね。
ザーメク駅からもう一つ先のベルケー・ロシニ駅からは、製紙に関する博物館が近い。この町は昔ながらの手漉きの紙作りで知られており、オロモウツでもベルケー・ロシニで生産された手漉きの紙を使ったレターセットなんかが手に入る。製紙に関する資料の収集にも力を入れているようで、日本で江戸時代に上梓された紙漉きに関する書物も収蔵されていたはずである。崩し字と変体仮名の山に読み解くのが大変だった。以前は結構読めたはずなんだけどなあ。
ベルケー・ロシニは温泉地としても知られていて、駅前の道を道なりに真っ直ぐ進むと温泉公園とも言える場所に出る。チェコの温泉地の例に漏れず、飲むための温泉もあるのだが、以前カルロビ・バリで飲んだ御泉水のまずさに懲りていたので、味見はしなかった。温泉公園内には魔女狩りの犠牲者を悼む記念碑も設置されている。
この二つの駅、頑張れば歩けない距離ではないので、大きな荷物を抱えていなければ歩いてもいいかもしれない。道も知らない初めての町で地図もない中、城館を探して歩くのは結構辛かったけどね。そう、ベルケー・ロシニにお城があるという情報だけで、出かけたものだから、ザーメク駅の存在を知らなかったのだよ。ネット上の情報も今ほど充実していなかったしさ。
7月9日23時。
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