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10月31日(土) 歌集「空を指す枝」(昭和29年)(1)(抜粋)三国玲子 仄仄と青みさしくる雪の面に瀬の音(と)は響く橇ひきゆけば ひとりゐて魚焼きをれば魚の眼の爆ぜてこぼれぬしづかなる日よ すがすがと木屑が匂ふ部屋中に早く目覚めて鑿(のみ)とぐ父よ 働きて更に学ばむ鋭心にて吾は帰り来つ東京に来つ ミシンライト灯して励む幾日か夕べ夕べの空の恋ほしく (つづく)
2020.10.31
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10月31日(土) 角川短歌賞(292)第三十回 受賞作品(1984年) 「野の異類」(9)阪森郁代 かくしもつ冬の鏡を野におかば逆さの空ぞかくも深きに 冬鳥の雪より発ちて銀の嘴(はし)かがやふほどの春にしあらむ 雪よ雪白き炎の降りやまぬ野草(のぐさ)を分けてたれに会はむと 野にひかれ野をうたひしもいちまいの空を透(とほ)してわれは見るのみ 漂泊の地図は捨つべし野ざらしの白き鴉と人はまがへど (つづく)
2020.10.31
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10月31日(土) 古典鑑賞講座「万葉集」(161) 監修:宋 左近 万葉の心と息吹(50) 男の恋と女の恋(5) 男の恋の強さと弱さ(1) 愛(うつく)しと 吾(わ)が念(も)ふ妹(いも)は 早(はや)も死(し)ねやも 生(い)けりとも 吾(わ)れに依(よ)るべしと 人(ひと)の言(い)はなくに (巻十一・一三五五)柿本人麻呂歌集 ―私がかわいいと思うあの女は早く死んでしまえばいい。生きていたところで、この私になびきそうだとはだれも言ってくれないのだから。― これは、男の恋に強い歌と言ってよいでしょう。(つづく)
2020.10.31
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10月31日(土) 中村憲吉歌集(115) 中公文庫:日本の詩歌6より 昭和五十一年四月十日初版 歌集「軽雷集以後」(19) 昭和七年(1) しばし五日市に住みて ふるさとのしのこしごとの気がかりを未(いま)だも持ちて旅に居(ゐ)馴(な)れず 旅にして今宵(こよひ)住みつく家のうら枯(かれ)蓮田(はすだ)に時雨(しぐれ)降りいづ 炬燵(こたつ)して寒きをいとへ窓の下の蓮田(はすだ)の枯葉けふもしぐるる 夜半すぎてふたたび窓の明るむは月蝕(げっしょく)のやみて照りそむるらむ (つづく)
2020.10.31
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10月31日(土) 新古今集(813) 佐佐木信綱校訂 新古今集巻第十七(27) 雑歌中(27) 少将井の尼、大原より出でたりと聞きて遣はしける 和泉式部 千六百三十八 世をそむく方はいづくもありぬべし大原山はすみよかりきや 返し 少将井尼 千六百三十九 思ふことおほ原山の炭竈はいとそなげきの数をこそ積め (つづく)
2020.10.31
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10月31日(土) 昭和萬葉集(巻十)(358)(昭和二十七年~二十九年の作品) 講談社行(昭和55年) Ⅴ(65) 愛と死(47) 茂吉の死(2) 土屋文明 死後のことなど語り合ひたる記憶なく漠々(ばくばく)として相(あひ)さかりゆく 慰めむ味噌汁を吾が煮たりしも口がかわくと歎きつづけき ただまねび従ひて来し四十年一つほのほを目守(まも)るごとくに 此の山の温泉(いでゆ)よろこぶ君がへに左千夫歌集も編みにしものを 鳥がねも霧たちこめて雨の降るこの青山に涙のごはむ (つづく)
2020.10.31
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10月31日(土) 一遍上人「播州法語集」(102) 岩波文庫:昭和60年5月16日発行 七三 又云、阿弥陀仏の四字は本願(ほんがん)にあらず、南無が本願 なり。南無は始覚(しかく)の機(き)、阿弥陀仏は本覚の法なり。然(しかれ)ば 始本(しほん)不二の南無阿弥陀仏也。称すれば頓(とみ)に迷悟(めいご)をはなる ゝなり。 (つづく) (注) 始覚の機:後天的に教えを受けてはじめてさとる衆生。 本覚の法:先天的にはじめからさとっているところの 教え。 始本不二:始覚と本覚とが一体不離であることをいう。 (つづく)
2020.10.31
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10月31日(土) 内村鑑三「一日一生」より 発行:昭和35年教文館 キリストの信仰 イエス・キリストはわたしの正しく生きる道です、またわたしが聖(きよ)く生きるための道です、またわたしの罪を赦されるための道です。また、わたしの守るべき道であり、またわたしの信ずる道であり、わたしの救われる道です。ですから、わたしが神様にしなければならないことは、キリストを信じることで十分なされたことになるのです。いかにわたしが、いたらない汚れた人間であってもキリストを信じることによって、神様の前に立つことが出来るのです。完全な救いは神様によってなされます。わたしはキリストを信仰することによって神様から救いを得られるのだと思います。一心にキリストを信じることは、ユダヤ人に言わせるとつまずきのもとと言われるでしょう。まがギリシャ人に言わせると愚かなことだと言われるでしょう。しかし、キリストに召されたと信じるわたしにとっては、最大の真理であり、最大の哲学なのだと思っています。
2020.10.31
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10月30日(金) 歌集「乳房喪失」(昭和29年)(6)(抜粋)中城ふみ子 失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ 肉うすき軟骨の耳冷ゆる日よいづこにわれの血縁あらむ 訪ひ来しひとのカフスボタンに触れて見つ我の何かが過剰なるとき 死に近きわれに不変の愛誓ふ鎮魂歌ははやくもひびけり (この項終り)
2020.10.30
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10月30日(金) 角川短歌賞(291)第三十回 受賞作品(1984年) 「野の異類」(8)阪森郁代 荒野にも大き日向(ひなた)はありにけり梢に冬越すさなぎ一匹 野に落ちてもはや飛ばざる鳥のごと黒き鞄を落してみたり 音絶えし森の奥処(おくが)にはたはたと海鳥放つ異端ののちに 水時計止まり果てたる重さかな山羊も疲れて寝(い)ねにけるらし ひとふりの剣(つるぎ)まぶしく光りつつやがて濡れゆくひとりの朝明(あさけ) (つづく)
2020.10.30
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10月30日(金) 古典鑑賞講座「万葉集」(160) 監修:宋 左近 万葉の心と息吹(49) 男の恋と女の恋(4) 男は自然を見るが、女は男の心を見る 家(いへ)にして 我(わ)れは恋(こ)ひむな 印南野(いなみの)の 浅茅(あさぢ)が上(うへ)に 照(て)りし月夜(つくよ)を (巻七・一一七九)作者不詳 ―家に帰ってからわたしは恋しく思い出すことだろうな。印南野の浅茅の上に照っていた月の光を。― 石走(いはばし)る 垂水(たるみ)の上(うへ)の さわらびの 萌(も)え出(い)づる春(はる)に なりにけるかも (巻八・一四一八)志貴皇子 この歌のように、自然をしっかりと見ていて、そこから湧き出る生命のようなものを受けとめている。女の人の歌には無いといえるでしょう。(つづく)
2020.10.30
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10月30日(金) 中村憲吉歌集(114) 中公文庫:日本の詩歌6より 昭和五十一年四月十日初版 歌集「軽雷集以後」(18) 昭和六年(5) 秋の山田 小山田を刈るひと見れば時じくの栗(くり)をぞひろふ稲のなかより みちに踏む草かげの毛毬(いが)やひといろの黄葉(もみぢ)ばやしに栗まじるらし 山のいへはまはりの林伐(き)りひらきこと足(た)る畑にふゆ菜青みぬ 小家(こや)かけて山田づくりに来て住めり村商売(むらあきなひ)の立たぬ夫婦が 真(ま)むかひの山家(やまが)のなかは西日射しあからさまなる仏壇のみゆ (つづく)
2020.10.30
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10月30日(金) 新古今集(813) 岩波文庫:佐佐木信綱校訂 新古今和歌集巻第十七(26) 雑歌中(26) 春日社歌合に、松風といへることを 藤原有家朝臣 千六百三十六 われながらおもふか物をとばかりに袖にしぐるる庭の松風 山寺に侍りける頃 道命法師 千六百三十七 世をそむく所とか聞く奥山はものおもふにぞ入るべかりける (つづく)
2020.10.30
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10月30日(金) 昭和萬葉集(巻十)(352)昭和二十七年~二十九年作品 ) 講談社発行(昭和55年) Ⅴ(64) 愛と死(46) 茂吉の死(1) 釈 超空 雪しろの はるかに来たる川上を 見つつおもへり。斎藤茂吉 佐藤佐太郎 みいのちは今日過ぎたまひ現身(うつしみ)の口いづるこゑを聞くこともなし 健(すこや)やかにいあましたまひて火のごとく言葉かがよひし頃をぞ思ふ かなしみをうちに湛へし一生(ひとよ)にて過ぎしをぞ思ふおほけなけれど 山口茂吉 強羅(がうら)のやま君とのぼりて秋の夜の虹のさやけき見しを忘れず (つづく)
2020.10.30
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10月30日(金) 一遍上人「播州法語集」(101) 岩波文庫:昭和60年5月16日発行 七二 又云、少分(しょうぶん)の水をかはらけに入(いれ)たらば、即かわくべ し、恒河(ごうが)に入たらば、一味和合してひる事有(ある)べからず。 然(しか)の如(ごと)く命濁中夭(みようじよくちゆうよう)の無常の命を、不生不滅の無量寿の 命に帰しぬれば、生死ある事なし。人師の釈にいはく、 「花を五浄に寄(よす)れば、風日にもしぼまず。水を霊河(れいが)に 附(ふす)れば、世旱(せかん)にも乾(かわ)か不(ず)と」云云。 (つづく) (注) 花を五浄…不乾:花と水を無常の命に、五浄と霊河を菩提 にたとえたもの。五浄は五浄居天、霊河は竜の住んでいる という霊妙の河の意。
2020.10.30
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10月30日(金) 内村鑑三「一日一生」より 発行:昭和35年教文館 神様の要求 神様は人々が信仰を持つことを求めます。それは、神様が人々が疑心暗鬼になり、神様を疑うのを恐れるためではありません。至誠を貴ぶ神様は、人々も至誠をもって近づくことを望みます。そうでなければ、神様はその人に恵みを与えることが出来ないからです。神様と人間との関係は、父と子の関係です。そして、父と子の関係は、世の中の科学的とか研究とかの関係ではなく、お互に信頼する関係です。それは、子にとっては父を信仰することです。研究や疑うような他人行儀の子に対しては、父なる神様は教えようにも教えることは出来ないでしょう。恵もうとしようにも恵むことは出来ないでしょう。
2020.10.30
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10月29日(木) 歌集「乳房喪失」(昭和29年)(5)(抜粋)中城ふみ子 音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪われてゐる 川鮭の紅き腹子をほぐしつつひそかなりき母の羞恥は 父の家にかくれて遊びに行きし子を待ちて出づれば黒き冬の川 冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか メスのもとひらかれてゆく過去がありわが胎児らは闇に蹴り合ふ (つづく)
2020.10.29
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10月29日(木) 角川短歌賞(290)第三十回 受賞作品(1984年) 「野の異類」(7)阪森郁代 冬ごもる野の甲虫に問ひて見むジュラ紀の夏の野ぐさの匂ひ 崖(きりぎし)にほそき膝折る冬鹿のなべてをゆるす容貌(かたち)を見たり しづかなる冬鹿のかほに陽あたりてその鳴きごゑにひかる崖 巻(まき)螺旋(ねじ)玩具の鳥のごとくに羽ばたきて蝙蝠(かうもり)ひくくわれを出入す 死にゆきしものを思はば木枯しのほそき笛にも白き息たつ
2020.10.29
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10月29日(木) 古典鑑賞講座「万葉集」(159) 監修:宋 左近 万葉の心と息吹(48) 男の恋と女の恋(3) 恋人の死に男は「動く」、女は「動かない」 秋山(あきやま)の 黄葉(もみぢ)を茂(しげ)み 迷(まど)はせる 妹(いも)を求(もと)めむ 山道(やまぢ)知(し)らずも (巻二・二○八)柿本人麻呂 ―秋山の黄葉が茂っているので、道に迷って帰って来ない妻を探そうにもどの山道を行ったらよいかわからないことだ。― これに対して、柿本人麻呂が亡くなった時、妻の依羅娘女(よさみのおとめ)が作った歌: 今日今日(けふけふ)と 吾(わ)が待(ま)つ君(きみ)は 石川(いしかは)の 峡(かひ)に交(まじ)りて ありといはずやも (巻二・二二四)依羅娘女 ―今日は帰られるか、今日は帰られるかとわたしが待っている君は、石川の山峡に紛れこんでしまっているというではありませんか。― 直に逢はば 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ (巻二・二二五)依羅娘女 ―直接もう会うことはできないだろうと、だから石川に雲よ立ち渡れと、 わたしはそれを見て夫を偲ぼう。― 二首とも女は動かない。 (つづく)
2020.10.29
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10月29日(木) 中村憲吉歌集(118) 中公文庫:日本の詩歌6より 昭和五十一年四月十日初版 歌集「軽雷以後」(17) 昭和六年(4) 秋となりて 稲原(いなはら)の早稲穂(わせほ)にしろく照る月は夜ごとに明(あか)し山の峡(かひ)にも 病む部屋にもの思(も)ふ夜(よる)はいたく更(ふ)けし西の障子に月の照らしぬ 裏山は風ぞそよげる夜くだちて月ちかづくや木(こ)の葉(は)照らし来(く) (つづく)
2020.10.29
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10月29日(木) 新古今集(813) :佐佐木信綱校訂 新古今和歌集巻第十七(25) 雑歌中(25) 百首歌奉りし時 二條院讃岐 千六百三十四ながらへて猶君が代を松山の待つとせしまに年ぞ経にける 山家松といふことを 皇太后宮大夫俊成 千六百三十五 今はとてつま木こるべき宿の松千世をば君となほ祈るかな (つづく)
2020.10.29
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10月29日(木) 昭和萬葉集(巻十)(357)(二十七年~二十九年の作品) 講談社発行(昭和55年) Ⅴ(63) 愛と死(45) 華族たち(3) 河野匡子 弟の伴ひし人の白き服眠らむとする時に思ひ出づ 浜野ひさ子 排菌する故離れてをれと誰か言ひき臨終の弟を吾が抱くとき 田原文作 ふるひにてふるひ残りし白片をわが弟の骨とし拾ふ 佐藤 博 煙草ひと箱くれてやりしが何時までも燈が点(とも)りゐる弟の部屋 出浦やす子 花びらの如き手袋忘れゆきしばらくは来ぬわが幼な孫 (つづく)
2020.10.29
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10月29日(木) 一遍播州法語集(100) 岩波文庫:昭和60年5月16日発行 七一 又云、法照禅師(ほつしょうぜんじ)の云、「名号とは、無名字故、号阿弥 陀仏《名字無き故に、阿弥陀仏と号す》」と云云。竜(りゅう) 樹(じゆ)は、「為衆説法無名字(いしゆせつほうむみようじ)《衆の為に法を説いて名字な し》」といへり。「無名字」といふは是名号なり、名号 は寿(じゆ)の名なり、故に阿弥陀の三字を無量寿(むりょうじゅ)と云他。此 等は涅槃常住(ねはんじょうじゅう)の寿(じゆ)不生不滅なり。即(すなわち)一切衆生の寿命な り。故に弥陀を法界身(ほうかいしん)と云なり。天台(てんだい)は三観(がん)を阿弥陀 の三字にあて、「煩悩(ぼんのう)即菩提(ぼだい)」と釈す。所謂(いわゆる)他力の不思 議をあらはす。菩提といふは弥陀なり。 (つづく) (注) 法界身:無量寿をそなえている弥陀は、全宇宙法界 に遍満する真理体であるが故に名づけたもの。
2020.10.29
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10月29日(木) 内村鑑三「一日一生」より 発行:昭和35年教文館 救済 確かに、救済の第一段階は自分自身を救うことでしょう。そして、第二段階として世の中へ目を向けることになるでしょう。自分を救わないで、他人を救おうとすることは無益な努力と言わざるを得ないでしょう。しかし、いつまでも自分のことばかり考えていて、他人を救うことを考えなければ、自分を救うことも出来なくなるでしょう。救済は永久の事業です、すべての人が救われないかぎり終ることのない事業です。自分が救われたと安心して、他の人の救済に心を向けなければ、それは中途半端な救済になります。結局自分の安心も危うくなってしまうでしょう。わたし(内村鑑三)は、そう信じます。神様はわたし自身を救うだけのためには力を与えないでしょう。神様が、わたしを救ってくださるのは、世の人々をわたしが救うためなのです。
2020.10.29
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10月28日(水) 歌集「乳房喪失」(昭和29年)(4)(抜粋)中城ふみ子 子を抱きて涙ぐむとも何物かが母を常凡に生かせてくれぬ 硝子屑の上に来て青き夕あかりたれか酷薄のことばきかせよ 幻のなかに住みゐし幾日かひそかに殖えをり春の蜘蛛の子 背のびして唇づけ返す春の夜のこころはあはれみづみづとして かがまりて君の靴紐結びやる卑近なかたちよ倖せといふは (つづく)
2020.10.28
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10月28日(水) 角川短歌賞(289)第三十回 受賞作品(1984年) 「野の異類」(6)阪森郁代 いづへよりくるしく空の垂れ来しや麒麟ひつそり立ちあがりたり 分きがたき闇にかなしみかへすとき石を抱けばわれも星なり 白牛(はくぎう)もこゑあげ渡る夜の荒野みづの音して時に鎮まる 野の駅の改札口に漂へるかなしみ抜けて人は野に入る ここに来て憩へるものらおのおのに研ぎ来し耳を響(な)らし初めけり (つづく)
2020.10.28
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10月28日(水) 古典鑑賞講座「万葉集」(158) 監修:宋 左近 万葉の心と息吹(47) 男の恋と女の恋(2) 恋は「孤悲」 磐姫皇后(仁徳天皇の奥さん)の歌二首: 秋(あき)の田(た)の 穂(ほ)の上(へ)に霧(き)らふ 朝霞(あさがすみ) いづへの方(かた)に 我(わ)が恋(こひ)やまむ (巻二・八八)磐姫皇后 かくばかり 恋(こ)ひつつあらずは 高山(たかやま)の 岩根(いはね)しまきて 死(し)なましものを (巻二・八六)磐姫皇后 恋は孤と悲の音を合わせただけではなく、情念を意味的にも合わせて表現している。(つづく)
2020.10.28
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10月28日(水) 中村憲吉歌集(117) 中公文庫:日本の詩6より 昭和五十一年四月十日初版 歌集「軽雷集以後」(16) 昭和六年(3) 旧盆の月 山峡の稲田に照るは時すぎてすでに静けき旧盆の月 秋にしてやうやく逢(あ)へる月夜かも病み経し日数忘るるに似つ (つづく)
2020.10.28
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10月28日(水) 岩波文庫:佐佐木信綱校 新古今集(812) 新古今和歌集巻第十七(24) 雑歌中(24) 山家年送るといへるこころをよみ侍りける 寂蓮法師 千六百三十二 立ち出でてつま木をりこし片岡のふかき山路となりにけるかな 住吉歌合に、山を 太上天皇 千六百三十三 奥山のおどろが下も踏みわけて道ある世ぞと人に知らせむ (つづく)
2020.10.28
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10月28日(水) 昭和萬葉集(巻十)(352)(昭和二十七年~二十九年の作品) 講談社発行(昭和55年) Ⅴ(62) 愛と死(39) 家族たち(2) 清水次雄 妹は処女(をとめ)さぎつつふくよかにわき毛を見せてセーターを着る 北村良夫 妹の家出の相手が此奴(こやつ)かと思へど言葉やはらげ云へり 逸見喜久雄 再婚せぬ姉は羽根脱けし鶏の一羽をひどくあはれがり言ふ 有沢富代 職なくて行商する姉の時に来て吾の鏡台で化粧してゆく 松尾富雄 生きてゐる喜びをかたみに喜びて髭白くなりし兄と眠りぬ (つづく)
2020.10.28
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10月28日(水) 一遍播州法語集(89) 岩波文庫:昭和60年5月16日発行 七十 しかるに、娑婆(しやば)世界(せかい)にいきて居て念仏をば多く申さん、 死にはしなまじと思ふ故に、多年の念仏者(ねんぶつしや)も臨終仕損(りんじゆうしそん) ずるなり。仏法には、身命を捨(すて)ずしては、証利(しようり)を得る 事なし。仏法にはあたひなし、身命を捨る、これあた ひなり。是を帰命(きみよう)といふなり。 (つづく) (注) 娑婆世界:人間のすんでいるこの世。 多年:語録は、「多念」につくる。数多くとなえる念仏 の意が正しい。 証利:さとりの利益。
2020.10.28
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10月28日(水) 内村鑑三「一日一生」より 発行:昭和35年教文館 聖書 わたし(内村鑑三)は、聖書は神様の言葉であると信じます。聖書とくらべられる書物は、宇宙広しといえど一書もありません。わたしは、聖書によらなければ、人類はとても神様のみ心を悟ることはできないと信じます。わたしは、人を救うためには聖書を深く研究し、聖書と離れないように常に心がけています。 もし、人がわたしに、全世界の書物の中から一冊を選びなさいといわれたら、迷いなく聖書を選びます。聖書は本当に神様の書です。もし人類の持ち物のなかでもっとも貴いものは書物というのであれば。聖書はその書物のなかでもっとも貴いものです。
2020.10.28
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10月27日(火) 歌集「乳房喪失」(昭和29年)(3)(抜粋)中城ふみ子 父の匂ひ忘れし子らが窓にかけて青き林檎に立つる歯の音 汚れたる花粉の如く運ばるるわれか終電車を濡らしゆく雨 秋風に拡げし双手の虚しくて或ひは縛られたき我かもしれず 春の雪ふる街辻に青年はわかれんとして何か吃(ども)るも (つづく)
2020.10.27
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10月27日(火) 角川短歌賞(288)第三十回 受賞作品(1984年) 「野の異類」(5)阪森郁代 野の涯をくさびのかたちに翔ぶ鳥よくさびの文字でうたひゆくかな 底ごもる野のかなしみの盲ひゆけとゆふべ沼より白き靄たつ ことごとく春のひかりのまぶしかりひとつらの鳥きりぎし渡る 冬日さし大きく揺れぬ野に佇てるわれを呼びけむ人さへもなし 雷(いかづち)のゆゆしまひるま寒卵小暗き中に産み捨てられつ (つづく)
2020.10.27
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10月27日(火) 古典鑑賞講座「万葉集」(157) 監修:宋 左近 万葉の心と息吹(46) 男の恋と女の恋(1) 求婚の「賀」から始まり、新年の「賀」で終る 万葉集は、第一巻: 「籠もよ み籠持ち …」という、雄略天皇の求婚の歌に始まり…、 大伴家持の次の歌で終ります: 新(あたら)しき 年(とし)の初(はじ)めの 初春(はつはる)の 今日(けふ)降(ふ)る雪(ゆき)の いやしけ吉事(よごと) (巻二十・四五一六)大伴家持 (つづく)
2020.10.27
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10月27日(火) 中村憲吉歌集(111) 中公文庫:日本の詩歌6より 昭和五十一年四月十日初版 歌集「軽雷集以後」(15) 昭和六年(2) 病間遺愁(2) 病中は常習の麹?(酒のこと)を用ゐざれば夜々の 眠難かりなむと思へるにさはあらで熱の故にや疲れ ながら怪異の夢の数々を結ぶ 蚊幮(かや)のうちにうつうつねむり見る夢はおなじつづきを見てゐるらしき 誰(たれ)か吾(わ)を此処(ここ)にはこびし寝ながらに見はらす丘の岩のうへの寝床(ねどこ) わが来しはむかし隠者(いんじゃ)の庵(いほ)ならし山がはながれ奥ぶかき里 ひとの来て書きのこしたるもろもろの文画帖(ふみぐわてふ)あれど主人(あるじ)なき庵 庵にある漢文巻(かんぶんまき)も難(かた)きさへ不思議にらくによめるわれかも 山かげの河原づたひにうそぶきて吾が行ける己が姿を夢にみき (つづく)
2020.10.27
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10月27日(火) 新古今集(810) 岩波文庫:佐佐木信綱訂 新古今和歌集第十七(23) 雑歌中(23) 題しらず 西行法師 千六百三十 山深くさこそ心は通ふとも住まであはれを知らむものかは 千六百三十一 山かげに住まぬ心はいかなれや惜しまれて入る月もある世に (つづく)
2020.10.27
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10月27日(火) 昭和萬葉集(巻十)(340)(昭和二十七年~二十九年の作品) 講談社発20行(昭和55年) Ⅴ(61) 愛と死(43) 家族たち(1) 中西 進 弱き身を今宵も臥する妹に医師来て去りし後の夜の雪 川田つや子 活け残りし春菊一輪妹の赤きセータの胸につけやる 島 磯子 工場に帰るわがため燈を下げていつまでもズボンを縫ふ妹よ 渡辺嘉市 結婚後も工場に糸繰りに通ふ日々妹は当然のこととしてゐぬ 三国玲子 疑ひを知らざるままに受洗日を待つ汝が為にブラウスを縫ふ (つづく)
2020.10.27
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10月27日(火) 一遍播州法語集(98) 岩波文庫:昭和60年5月16日発行 七○ 南無阿弥陀仏こそ、すなはち生死を離れたるを、是を唱へながら 往生せうせうと思ひ居たるは、飯(はん)を食(くい)食(くい)ひだるさやむる藥やあると おもへるがごとしと。常の仰なり。凡(およそ)一念無上の名号にあひぬる上(うえ) は、明日(あす)までもいきて要事(ようじ)なし。即(すなわち)死なん事こそ本意(ほんい)なれ。 (つづく) (注) ひだるさやむる:すき腹のとまること。
2020.10.27
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10月27日(火) 内村鑑三「一日一生」より10月27日 発行:昭和35年教文館 真理とイエス・キリスト 真理というのは、物事ではなくて、むしろ人であるといえるでしょう。真理は人生や世の中の道理というより、宗教です。宗教といいましても、その教義ではなく、人格です。つまり、絶対的な真理はイエス・キリストということになります。ですから、彼のいう言葉をよく聴き、彼にならい、彼を信じて、はじめてわたしたちは真理と永遠の生命を得ることが出来るのです。みなさんは、このことを考えないならば、たとえ宇宙中に真理を探そうとしても見つからないでしょう。(ヨハネ伝十四・六)
2020.10.27
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10月26日(月) 歌集「乳房喪失」(昭和29年)(2)(抜粋)中城ふみ子 絵本に示す駱駝の瘤を子が問へば母はかなしむその瘤のこと 焼けつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ 聖使徒に似かよふ面を一つ残し夕光の黄よいたはりふかき とりすがり哭(な)くべき骸(むくろ)もち給ふ妻てふ位置がただに羨(とも)しき 亡き人はこの世の掟の外ならむ心許してわが甘えよる (つづく)
2020.10.26
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10月26日(月) 角川短歌賞(287)第三十回 受賞作品(1984年) 「野の異類」(4)阪森郁代 盲ひたる山羊(やぎ)の眠りもそのままにゆふべの地震(なゐ)のやさしく過ぎぬ 冬銀河ふかぶかと映す禽獣のその網膜を欲りてゐたるに 咽喉(のみど)にはやはらかき夢ふふむゆゑつぐみもひよもわれに親しき 実を砕くしぐさをなして星砕く木ねずみ痩せて華やぎゆかむ 枯れ枯れの野はさびしけれ地の底のみづ掬ふときかすかに匂ふ (つづく)
2020.10.26
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10月26日(月) 古典鑑賞講座「万葉集」(156) 監修:宋 左近 万葉の心と息吹(45) ますらをの歌にみる男の美学(13) 大伴家持におけるますらをぶり(2) 矢形尾(やかたを)の 真白(ましろ)の鷹(たか)を 屋戸(やど)に据(す)ゑ かき撫(な)で見(み)つつ 飼(か)はくし好(よ)しも (巻十九・四一五五)大伴家持 ―矢形尾の真っ白な鷹を家に置いて、撫でたり眺めたりしながら飼うのは楽しいものだ― (つづく)
2020.10.26
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10月26日(水) 中村憲吉歌集(110) 中公文庫:日本の詩歌6より 昭和五十一年四月十日初版 歌集「軽雷集以後」(14) 昭和六年(1) 病間遺愁 かりそめに病みつつ思(も)へば現身(うつしみ)はさかりを過ぎぬ気には負へれど おそき梅雨(つゆ)降りてはれねど裏山は季節に入りし日ぐらしのこゑ (つづく)
2020.10.26
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10月26日(月) 新古今集(808) 佐佐木信綱校訂 新古今集巻第十七(22) 雑歌中(22) 深き山に住み侍りける聖のもとに尋ね罷り たりけるに、庵の戸を閉ぢて人も侍らざりけ れば、帰るとて書きつけける 恵慶師 千六百二十八 苔の庵さして来つれど君まさでかへるみ山の道ぞつゆけき 聖、後に見て返し 千六百二十九 荒れ果てて風も障らぬ苔の庵にわれはなくとも露はもりけむ (つづく)
2020.10.26
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10月26日(月) 昭和萬葉集(巻十)(353)(昭和二十七年~二十九年の作品) 講談社行(昭和55年) Ⅴ(60) 愛と死(42) 父母を偲ぶ(3) 長崎津矢子 釘にかかる汚れしズボン逝きし夜のその夕まで働きし父よ 高原 泉 亡き父が設計しましし戦艦陸奥(むつ)長門(ながと)も土佐も皆滅びたり 高木一夫 病みつきて一年の余になる母の踵の垢は拭ふことなく 岩田成之助 起き臥しに父の縋(すが)りし床柱手跡のうすくいまだ残れり 友松 勇 六年前逝きたる父の袷(あはせ)にてわが用ふれば塵紙の出づ 鈴岡俊夫 父の忌の今日をつどへば去年(こぞ)の如くふふむ蓮(はちす)にしぶき降る雨 秋田雨雀 人さしをわが手のひらにおしあてて文字を教えし父のなつかし (つづく)
2020.10.26
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10月26日(月) 一遍上人「播州法語集」(102) 岩波文庫:昭和60年5月16日発行 七十 又云、迷(まよい)も一念なり、悟(さとり)も一念なり。法性(ほうしよう)の都(みやこ)を迷 ひ出しも一念の妄心による、迷ひをひるがへすも一念な り。然(しかれ)ば一念に往生せずは、無量念(むりょうねん)にも往生すべからず。 故に、「一声称念罪皆除(いちしようしようねんざいかいじよ)《一声称念すれば、罪皆除く》」 ともいひ、「一念称得弥陀号(いちねんしょうとく)、至彼還同法性身(しひげんどうほつしようじん)《一たび念じ て弥陀の号を称へ得ば、彼(かしこ)に至りて還って法性身に同ぜ む》」といへり。 (つづく) (注) 法性の都:平等の真如界で、浄土を指す。
2020.10.26
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10月26日(月) 内村鑑三「一日一生」より10月26日 発行:昭和35年教文館 明確なる目標 わたしたちキリスト教信者は、しっかりした明白な希望を持たなければ、この世の苦難に勝ち抜くことは出来ないでしょう。漠然とした理想では、わたし達の眠っている目を醒まさせ、沈んだ心を奮い立たすことは出来ません。わたしたちは、前方のしっかりした目的物にたいして正確に信仰の矢を放つのです。形もなく実質もないような希望は、真の希望ではありません。わたしたちの信仰が冷えるようになるのは、今書きましたようなはっきりした形のない、実質のない、とりとめのないような希望をいだく時です。物質を恐れるあまりに、希望を漠然と理想化しすぎる時も信仰は冷えてゆきます。キリスト教が世の中でその力を発揮するためには、未来に対する明瞭で確実な目標を持つ事です。
2020.10.26
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10月25日(日) 歌集「乳房喪失」(昭和29年)(1)(抜粋)中城ふみ子 アドルムの箱買ひ貯めて日々眠る夫の荒惨に近より難し 出奔せし夫が住むといふ四国目とづれば不思議に美しき島よ 背かれてなほ夜はさびし夫を隔つ二つの海が交々(こもごも)に鳴る 悲しみの結実のごとき子を抱きてその重たさは限りもあらぬ 剪羊(せんもう)されし羊らわれの淋しさの深みに一匹づつ降りてくる (つづく)
2020.10.25
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10月25日(日) 角川短歌賞(286)第三十回 受賞作品(1984年) 「野の異類」(3)阪森郁代 白馬(しろうま)の毛をくはへ来て巣をつくる北の鴉に親しめる日よ 下北の寒立馬(かんだちめ)こそすがしけれきさらぎ星を眼(まなこ)に据ゑて 眠れざる闇の笹原うちなびくたてがみ白し夜半のたてがみ ことばさへ遠ざけにつつ暮れゆけり冬草揺るる山ひだの道 野ざらしの立枯杉の異形こそ荒野にふさふ燭と思へり (つづく)
2020.10.25
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