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2月29日(土) 第五回角川短歌賞(43) 受賞作品「成人通知」(浜田康敬)(3)(昭和36年)わが指を噛みしギヤーに注油する痛む傷口温めながらわれの職場は北に面して商えり客来れば石油ストーブ灯す刷り間違えし忌中はがきの束なども焚火にくべて温みつつおり金借りに行くべくバスを待つ間眠れる如く目を閉じていき何か書くべく広げし紙(かみ)に一点の染(し)みあり死語なる言葉浮かび来(つづく)
2020.02.29
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2月29日(土)万葉秀歌(下巻)(182)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十九 (9)新しき年の始に思ふどちい群れて居れば嬉しくもあるか(巻十九・四二八四) 道 祖 王茂吉:この歌は、平凡の歌だけれども、新年の楽宴の心境が好く出ていて、結句で、「うれしくもあるか」と止めたのも率直で効果的である。「おもふどちい群れてをれば」も、心の合った親友が会合しているという雰囲気を籠めた句だが、簡潔で日本語のいい点をあらわしている。
2020.02.29
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古泉千樫歌集(17)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「屋上の土」(10)明治四十二年 寒夜ぬば玉の夜の厩(うまや)に母がゆけば提灯(ちやうちん)を提(さ)げて吾もゆきにけり提灯に手をかざしつつませの上ゆ首出す牛のまなこを見をり海辺の夕暮宵(よひ)くらき砂丘のかげに一人居り海のひびきのはるけくよしもあかあかと燃ゆる焚火(たきび)に手をかざし安き心にわがなりにけり帰省帰りきて坂に我が見るわが家はまだ灯もささず日は暮れたるに村人ら植付前のいそがしくはたらくらしもわが父母も(つづく)
2020.02.29
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2月29日(土)一遍上人語録(62)岩波文庫:昭和60年5月16日発行巻上(62)偈頌(げじゅ)和歌(わか)(10) 或僧の、「心こそ詮なれ、外相(げそう)はいかでも有(あり)なん」 といひければこゝろよりこゝろをえんと意得(こころえ)て心にまよふこゝろ成(なり)けり又、或時詠じ給ひけるすてやらでこゝろと世をば歎(なげ)きけり野にも山にもすまれける身を捨(すて)てこそ見るべかりけれ世の中をすつるも捨(すて)てぬならひ有(あり)とは(注)外相:外にあらわれたすがた。こゝろ:心が物に感じて動くはたらきをいう。 (つづく)
2020.02.29
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2月29日(土)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治43年より事業以上わたしは小さな存在です。しかし、自分のしている仕事よりは大きな人間だと思っています。わたしのしている仕事は、わたしのほんの一部だと思うからです。わたしのなかには、一生をかけても顕しきれないものがあると思っています。これは、わたしが他の人より優れていると言っているのではありません。すべての人間は神様によって、神様の形に造られている、いわゆる神様の子であると信じるからです。
2020.02.29
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歌集「悲しき玩具」(八十四)下書き 後藤瑞義 (注)歌の順序は歌集の順序によります。 『石川はふびんな奴だ。』 ときにかう自分で言ひて、 かなしみてみる。 『石川はふびんな奴だ。』、確かに我々は石川啄木の二十六年と二か月足らずの一生を思うとき、まさにこの言葉をつぶやかざるを得ません。貧困と病苦のなかで短い生涯を終えた天才歌人石川啄木、「ふびん」という一言では言い尽くせないほど、過酷な一生でした。 ただ、この言葉は、「…自分で言ひて、」ですから、啄木自身が何時の時点か、自分を省みて言った言葉です。多分、この当時、生活の窮乏にあえいでいたのかもしれません、加えて病気にもなっていたかもしれません。友人などから、「石川お前はたいへんだなあ」とか言われたり、そう言われて金を貸してくれたりしたのかもしれません。 問題は、「かなしみてみる。」です。注意したいのは、「かなしんでいる。」のではなく、「かなしんでみる。」ということです。 「かなしんでいる。」は、自分の厳しい生活状態に対して、なす術もなく文字通り「かなしんでいる」のです。それに、「自分で言ひて、」ですから、人が言ってくれないので、自分で言って、「かなしんでいる。」となるでしょう。しかし、実際は「かなしんでいる。」のではなく、「かなしんでみる。」ですので、意味がだいぶ違ってくるでしょう。「かなしんでみる。」は、本当はそれほど自分では思っていないんだけれど、他人があまりにも「大変だね、大変だね」というものだから、自分でも「石川はふびんな奴だ。」といって、かなしんでみたといったことでしょうか。 啄木にとって、あるいは、金がないことや健康でないことは、それほど重要なことではなかったのかもしれません。それより、文学、詩や短歌などのことが重要だったのかもしれません。金があって、健康であっても、無能な人間でいるぐらいなら、金や健康は失ってもなんとも思わない…そんな覚悟というか、誇りというか、プライドが啄木にはあったのかも知れません。 これでわたしの鑑賞は十分と思いますが、なにしろ天才啄木のことです…。凡才の自分が天才啄木の心の裡を推察するのは難しいことです。ただ、『石川はふびんな奴だ。』の二重括弧が気になりました。二重括弧にしなくても…、と気になりました。なにかあまりにもこの言葉を強調しているようで、かえって不自然さを覚えたのです。他人事のように「かなしんでみる。」と、自分はそんなにふびんではないというような、強がりの歌を作ったとも思ったりします。いやいや、正直なところ啄木は自分の境涯に絶望していたのではないでしょうか。自分の思い通りにならない状況のなかで、ほんとうに、啄木は「ふびんな奴」だったのかもしれません。そういう「ぶびんな自分」を訴えたかったのかもしれません。絶望的な自分の生活の苦しさを、このような歌にして慰めるしかなかった啄木だったのかもしれません…。 『石川はふびんな奴だ。』 ときにかう自分で言ひて、 かなしみてみる。
2020.02.28
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2月28日(金) 第五回角川短歌賞(42) 受賞作品「成人通知」(浜田康敬)(2)(昭和36年)文撰に黒く汚れし我の手で我に縁なき愛語を拾う徹夜にて拾う活字の箱重しくどきまで愛語くり返えしにて活字拾う仕事にもすでにわが慣れて「恋」という字の置場所も知る鉛なる活字焚火に溶けながら「愛」も文字なればしょせんは弱し指の傷うずきいて陽はかげりゆく寒き一と日の仕事終えたり(つづく)
2020.02.28
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2月28日(金)万葉秀歌(下巻)(181)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十九 (8)春(はる)の野(ぬ)に霞(かすみ)たなびきうらがなしこの夕(ゆふ)かげにうぐひす鳴(な)くも(巻十九・四二九〇) 大伴家持茂吉:天平勝宝五年二月二十三日、大伴家持が興によって作歌二首の第一首である。もう春の野には霞がたなびいて、何となくうら悲しく感ぜられる。その夕がたの日のほのかな光に鶯が鳴いている、というので、日の入った後の残光と、春野に「おぼほし」というほどにかかっている靄とに観入して、「うら悲し」と詠嘆したのである。
2020.02.28
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2月28(金)古泉千樫歌集(16)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「屋上の土」(9) 明治四十一年 雑詠打日(うちひ)さす都の土を踏みそめてとよみしこころいつか消(け)につつもやもやし大野のみどり色に立ち黄なるが中に日の沈む見ゆひとり身の心そぞろに思ひ立ちこの夜梅煮るさ夜ふけにつつ (つづく)
2020.02.28
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2月28日(金)一遍上人語録(61)岩波文庫:昭和60年5月16日発行巻上(61)偈頌(げじゅ)和歌(わか)(9) 江州守山のほとり閻魔堂(えんまどう)といふ所におはしけるとき、延暦寺東塔桜本の兵部堅者重豪(ひようぶじゆしやしげとし)といふ人、上人の体(てい)を見むとて、まゐりたりけるが、をどりて念仏申さるゝ事けしからずと、申されければはねばはね踊(おど)らばをどれ春駒(はるこま)ののりの道をばしる人ぞしる重豪のかへしに、「こゝろ駒のりしづめたるものならばさのみはかくや踊(おどり)はぬべき」と読(よみ)て奉られければ、御かへしともはねよかくてもをどれ心ごま弥陀の御法(みのり)と聞(きく)ぞうれしき (注)江州守山:滋賀県野洲郡野洲川の左岸にあった中山道ぞいの古駅。閻魔堂:滋賀県守山市勝部町にあり、勝部の閻魔堂と呼ばれ、本尊閻魔大王は小野篁の造像と伝えている。東塔:比叡山三塔(東塔・西塔・横川)の一で、桜本は桜本房の略称。兵部堅者重豪:伝不詳。春駒:春の野にいる馬と。心の勇みはやるのにかける。こゝろ駒:梵網経序に、「心馬、悪道を走り、放逸にして制禁すること難し」とあるによったもの。
2020.02.28
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2月28日(金)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治43年より博愛わたしは、党を組みません。わたしは教会を作りません。わたしはただ神様を愛します。勿論人をも愛します。それは、神様が愛するようにすべての人をわたしは愛したいのです。ですから、キリスト信者を愛します。仏教信者を愛します。無神論者も愛します。すべての善き人を、すべての正しい人をわたしは愛します。それは、そのように博(ひろ)く愛することが、主であるイエスキリストのみ心にかなうと信ずるからです。わたしはイエスの善き僕(しもべ)として、わたしの愛をキリスト信者のみに限ることは出来ないのです。
2020.02.28
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2月27日(木) 第五回角川短歌賞(41) 受賞作品「成人通知」(浜田康敬)(1)(昭和36年)語呂短かきゆえに冷たきひびきもつ残業指令に黙しうなずく明日の朝は厳しく冷えるうわさして残業休憩の十五分終わる残業は日々続きいてポケットに少女の名前の活字秘めつつ疲れ来し兆しに文撰箱重し耳鳴り活字のつぶやきの如く限られし文撰箱の大きさに「愛」という字を幾字か拾う(つづく)
2020.02.27
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2月27日(木)万葉秀歌(下巻)(180)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十九 (7)韓国(からくに)に往(ゆ)き足(た)らはして帰(かへ)り来(こ)む丈夫武男(ますらたけを)に御酒(みき)たてまつる(巻十九・四二二六) 多治比鷹主茂吉:天平勝宝四年三月、多治比(たじひ)真人鷹主(たかぬし)が、遣唐副使大伴胡麿宿禰(こまろのすくね)を馬の餞して作った歌。「行き足らはして」は遣唐の任務を十分に果たしてという意味。「御酒」は、祝杯をあげることで、キは酒の古語で、「黒酒白酒(くろきしろき)の大御酒(おほみき)」などの例がある。この一首は、真面目に誇張して歌っているので、こういう寿ぎの体を得たもの。(つづく)
2020.02.27
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2月27日(木)古泉千樫歌集(15) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「屋上の土」(8) 明治四十一年(8)信濃行蓼科山巌温泉湯の宿のともし見え来し安まりにふりかへり見つ夜山八重山(よやまやへやま)ぬばたまの夜の色ふかくたたなはる群山(むらやま)が上を風とよもすも蓼科(たてしな)の山の夜の湯にあみ居れば遠くひびかふ湯の川の音おのづから満ちあふれをるいで湯のなか岩に枕(まくら)きわが身親しもあさぼらけいでゆをいでて秋ふかき蓼科山の草ふみゆくも(つづく)
2020.02.27
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2月27日(木)一遍上人語録(61)岩波文庫:昭和60年5月16日発行巻上(61)偈頌(げじゅ)和歌(わか)(8) 或時、野原を過(すぎ)たまひけるに、人の骸骨(がいこつ)おほく見えければをしめどもつひに野原に捨(すて)てけりはかなかりける人のはてかな皮にこそをとこをんなのいろもあれ骨にはかはるひとかたもなし(注)をしめども:身を愛しむことはあっても。いろ:形。(つづく)
2020.02.27
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2月27日(木)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治44年より愛と信愛が空気のように、大自然のように、そのままの状態で存在していたら信仰はいらないでしょう。しかしながら現在愛が強制されたり、愛をなすことをなにかすばらしいことをした、愛を本人の功績のように誇られることによって、信仰が必要となるのです。つまり、信仰によって、愛を強制したり、愛を誇ったりすることは神様のお心に反することであると知るのです。愛が信仰のために必要ではなく、信仰が愛を正しく行うために必要なのです。愛を強くしたり、愛を清めたり、愛を高めたりするために信仰が必要なのです。
2020.02.27
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後藤瑞義 入選歌人混みを先へ先へと家路ゆく施設に暮す子は喜びて 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 よみうり文芸 二月二十六日 入選 花山多佳子 選)
2020.02.26
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2月26日(水) 第五回角川短歌賞(40) 受賞作品「麦は生ふれど」(深井芳治)(10)(昭和35年)(注)昭和35年は2名が受賞断れば押売りが素直に帰りゆく誰からも無視されゐるわれか木枯しが肌よりも耳に寒き夕くるるに早きカーテンをさす世間より置きざりにさるる思ひあり通過列車をホームに避けつつ僅かなる軋みなりしが叉路すぎて汽車はまつたく方向を変ふおくるる時計直さねばならぬ日日われの退歩を暗示さるるおもひに(つづく)
2020.02.26
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2月25日(火)一遍上人語録(58)岩波文庫:昭和60年5月16日発行巻上(58)偈頌(げじゅ)和歌(わか)(6) 奥州御化益の時、白川の関にかゝりて、関の明神の宝殿の柱に書付給ひけるゆく人を弥陀のちかひにもらさじと名をこそとむれしら川のせき 同国江刺郡に到りて、祖父通信の墳墓に追薦し給 ふ時にはかなしやしばしかばねの朽ぬほど野はらの土はよそに見えけり世の中をすつる我身も夢なればたれをかすてぬ人と見るべき身をすつるすつる心をすてつればおもひなき世にすみ染の袖 武州石浜にて、時衆四五人やみふしけるを、見たまひてのこりゐてむかしを今とかたるべきこゝろのはてをしる人ぞなき (注) 白川の関:福島県白河市旗宿の南にあった関所で、奥州三関門の一。関の明神:旗宿の南、関山にあって関所の守護神。とむれ:弥陀の誓いにもらさじと名を留める意で、関所にもかかる。江刺郡:奥州は陸奥・陸中・陸前に分かれ、江刺郡は陸中国にある。祖父通信:河野四郎通信で、通信の子通広は一遍の父。追薦:死者の冥福を祈るため善事を追修すること。武州…見たまひて:武州に遊行したのは弘安四年。石浜は東京都台東区浅草寺の北方待乳山附近から橋場に至る隅田川西岸一帯の地の称で、往昔の船着場。奥州へ至る街道すじに当たっていた。(つづく)
2020.02.26
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2月26日(水)万葉秀歌(下巻)(179)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十九 (6)この雪(ゆき)の消(け)のこる時(とき)にいざ行(ゆ)かな山橘(やまたちばな)の実(み)の照(て)るも見(み)む(巻十九・四二二六) 大伴家持茂吉:天平勝宝二年十二月雪の降った日にこの歌は作られた。山橘は、藪柑子(やぶこうじ)で赤い実が成るので赤玉ともいっている。一首は、この大雪が少なくなった残雪の頃にみんなして行こう。そして山橘の実が真赤に成っているのを見よう、というので、雪の中に赤くなっている藪柑子の実に感興を催したものである。
2020.02.26
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2月25日(火) 古泉千樫歌集(13)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「屋上の土」(6)明治四十一年(6)屋根の草あからひく日にむき立てる向日葵(ひまわり)の悲しかりとも立ちてを行かなかりそめの病ひをやみて吾れ思ふつひに都に住みえざるかに医師(くすし)がり行くべきものか夕日さす障子を見つつ一人臥(ひとりこや)るもおぼろかに三月(みつき)は過ぎぬ八十国(やそぐに)のきほひどよめく都べにして思ひ涌(わ)く大き都にせむすべのたどきを知らに昼寝するかも都大路人満(み)ち行けどみち行く人らいささかもわれにかかはりはなし(つづく)
2020.02.26
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2月26日(水)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治44年より救わるるとは何ぞや救われるというのは、救われたと思うことではありません。また、救われたと信じることでもありません。本当に、真実救われることです。具体的には、キリストのようになることです。キリストに至る道を歩み始めることです。たとえ命を失ってもキリストに至る道を目指すことです。この世の全てを失ってもこの道を進むことです。それ以外の救いがあったとしても、それは必ず辱しめを得る結果になるでしょう。
2020.02.26
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2月25日(火) 第五回角川短歌賞(39) 受賞作品「麦は生ふれど」(深井芳治)(9)(昭和35年)(注)昭和35年は2名が受賞ひがみ易きわれと思ひぬ街川の芥を染むる夕映えのなか武蔵野に住む感激もすでに消えて鉄筋アパートの裏窓を開(あ)くすぎゆきの貧しくありしあかしかも箸運ぶわが所作せはしくて雪の日はふるさとの香の思はれて素(す)醤油をまぶし餅(もちひ)やきつぐ竹馬の高さ競ひし少年期のごとき深雪を見ることもなし
2020.02.25
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2月25日(火)万葉秀歌(下巻)(174)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十九 (5)丈夫(ますらを)は名(な)をし立(た)つべし後の代(よ)に聞(き)き継(つ)ぐ人(ひと)も語(かた)り継(つ)ぐがね(巻十九・四一四九) 大伴家持茂吉:山上憶良の歌に追和したと左注のある長歌の反歌。山上憶良の歌は「士(をのこ)やも空(むな)しかるべき万代(よろづよ)に語り継ぐべき名は立てずして」というのであった(病床にあって嘆いた歌)。家持の歌は、父祖の功績をおもい現在自分の身の上を顧みての感慨を吐露したもの。一首の意は、大丈夫たるものは、まさに名を立つべきである。後代その名を聞く人々が、またその名を人々に語り伝えるように、そうありたいものだ、というのである。
2020.02.25
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2月25日(火) 古泉千樫歌集(13)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「屋上の土」(6)明治四十一年(6)屋根の草あからひく日にむき立てる向日葵(ひまわり)の悲しかりとも立ちてを行かなかりそめの病ひをやみて吾れ思ふつひに都に住みえざるかに医師(くすし)がり行くべきものか夕日さす障子を見つつ一人臥(ひとりこや)るもおぼろかに三月(みつき)は過ぎぬ八十国(やそぐに)のきほひどよめく都べにして思ひ涌(わ)く大き都にせむすべのたどきを知らに昼寝するかも都大路人満(み)ち行けどみち行く人らいささかもわれにかかはりはなし (つつく)
2020.02.25
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2月25日(火)一遍上人語録(58)岩波文庫:昭和60年5月16日発行巻上(58)偈頌(げじゅ)和歌(わか)(6) 奥州御化益の時、白川の関にかゝりて、関の明神の宝殿の柱に書付給ひけるゆく人を弥陀のちかひにもらさじと名をこそとむれしら川のせき 同国江刺郡に到りて、祖父通信の墳墓に追薦し給 ふ時にはかなしやしばしかばねの朽ぬほど野はらの土はよそに見えけり世の中をすつる我身も夢なればたれをかすてぬ人と見るべき身をすつるすつる心をすてつればおもひなき世にすみ染の袖 武州石浜にて、時衆四五人やみふしけるを、見たまひてのこりゐてむかしを今とかたるべきこゝろのはてをしる人ぞなき (注) 白川の関:福島県白河市旗宿の南にあった関所で、奥州三関門の一。関の明神:旗宿の南、関山にあって関所の守護神。とむれ:弥陀の誓いにもらさじと名を留める意で、関所にもかかる。江刺郡:奥州は陸奥・陸中・陸前に分かれ、江刺郡は陸中国にある。祖父通信:河野四郎通信で、通信の子通広は一遍の父。追薦:死者の冥福を祈るため善事を追修すること。武州…見たまひて:武州に遊行したのは弘安四年。石浜は東京都台東区浅草寺の北方待乳山附近から橋場に至る隅田川西岸一帯の地の称で、往昔の船着場。奥州へ至る街道すじに当たっていた。(つづく)
2020.02.25
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2月25日(火)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治44年より文明と福音文明は汽船を浮かべ、汽車を走らせ、電信電話で素早く用件を伝えられることが出来るようになりました。文明は肉体に対するあらゆる快楽をもたらそうとします。しかし、文明は心の平和、安心それに天国や永生をもたらすことは出来ませんでした。文明の進歩はたしかに良いことです、しかしながら福音にまさって善いこととは思われません。文明の進歩に目を奪われて福音の真理を軽視しないようにしてください。
2020.02.25
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2月24日(月) 第五回角川短歌賞(38) 受賞作品「麦は生ふれど」(深井芳治)(8)(昭和35年)(注)昭和35年は2名が受賞こもりゐて遂に無言に終へし日よ終止符のごとくドアに錠なす白昼に出できて追はれ逃げまどふ秋の蚊 不意に老後をおそる言ふはわれを言ふに似たればたまさかに逢へる同窓の老けしを言はず矯むる手を放てばふたたび反(そ)る表紙わがすぎゆきのかたくなに似る(つづく)
2020.02.24
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2月24日(月)万葉秀歌(下巻)(173)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十九 (4)あしひきの八峰(やつを)の雉(きぎし)なき響(とよ)む朝けの霞見ればかなしも(巻十九・四一四九) 大伴家持茂吉:暁に鳴く雉を聞く歌、という題詞がある。山が幾重にも畳まっている、その山中の暁に雉がなきひびく、そして暁の霧がまだ一面に立ち籠めている。その雉の鳴く山を一面にこめた暁の白い霧を見ると、うら悲しく身に沁(し)むというのである。
2020.02.24
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2月24日(月) 古泉千樫歌集(12)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「屋上の土」(5)明治四十一年 煙塵 した心君を待ちつつここにしてとどまる電車八十(やそ)をかぞへぬ思ひかね街(まち)の辻(つむじ)に立ちゐるとか行きかく行きたちにけるかも夕街の小路(こうぢ)をひとりいゆきつつまなぶた熱く涙いで来(く)も行き違ひにもしもや家に君来しと心さやぎていそぎ帰りつ (つづく)
2020.02.24
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2月24日(月)一遍上人語録(57)岩波文庫:昭和60年5月16日発行巻上(57)偈頌(げじゅ)和歌(わか)(5) 下野国(しもつけのこく)小野寺といふ所にて、俄(にわか)に雨おびたゞしく降(ふり)りければ、尼法師(あまほうし)みな袈裟(けさ)などぬぐを、見給ひ てふればぬれぬるればかはく袖のうへを雨とていとふ人ぞはかなき 或(ある)とき、時衆(じしゅう)の尼、瞋恚(しんに)をおこしたりけるに雲となるけぶりなたてそあまのはらつきはおのれとかすむものかは(注)瞋恚:貧・瞋・痴三毒の一で、いかりのこと。けぶり:漁師「が浜で塩を焼く煙で、尼のいかり(瞋恚)のけぶりにかけたもの。あまのはら:天の原。海士(あま)と尼にかける。(つづく)
2020.02.24
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2月24日(月)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治43年より自由の尊厳自由は気まま勝手に、何でもやってもいいというようなことではありません。自由は自分で自分の行動をコントロールできる、そういう自由です。自由は自分の全てを神様に委ねることです、しかし強制的に神様に委ねるのではなく、自分が望んで神様に全てを委ねるのです。自由は自分から進んで人に使われても、決して自主の精神を失わないことです。ですから、たとえ神学でも教会でも、政府でも国家でも、もっといえば神様でさえ、自分の尊厳を犯させない、そうした精神の自由なのです。
2020.02.24
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2月23日(日) 第五回角川短歌賞(37) 受賞作品「麦は生ふれど」(深井芳治)(7)(昭和35年)(注)昭和35年は2名が受賞勝ちゐなばリンチの音がきこゆべし兵舎のあとの礎石を歩む隊こぞり送りしここに麦は生ふいづくに生くる特攻隊員きみ北の風遮る兵舎のかげなくて暮れゆく原の底冷え早し兵舎ありしあたりゆるやかに起伏していづこよりともなく暮るる原苦も憎もすぎゆきはなべて美化されて兵営跡に生ふうめもどき(つづく)
2020.02.23
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2月23日(日)万葉秀歌(下巻)(172)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十九 (3)もののふの八十(やそ)をとめ等(ら)が汲(く)み乱(まが)ふ寺井(てらゐ)の上(うへ)の堅香子(かたかご)の花(はな)(巻十九・四一四三) 大伴家持茂吉:「もののふ」は、「八十」の枕詞。堅香子は、「かたくり」で薄紫の花が咲き、根から澱粉を作る。寺に泉の湧くところがあって、そのほとりに堅香子の花が咲いている。これは単独でなく群生している。その泉に多くの娘たちが水を汲みに来て、清くとおる声で話しあう、それが可憐でいかにも楽しそうである。
2020.02.23
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2月23(日)古泉千樫歌集(11)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「屋上の土」(4)明治四十一年 煙塵塵(ちり)けむるちまたに吾れは奔(はし)りきぬ君もかなしく出でてきたらむ古里(ふるさと)を君もたしかに出でたりと思へるものをいまだ逢(あ)はぬに相見ねば安からなくに何しつつ君はあるらむいまだ逢はぬに甕(かめ)ふかく汲(く)みたる水の垢(あか)にごりさびしき恋もわれはするかもうち日さす都に君も出でこしと思ひさだめて今日を待つかも (つづく)
2020.02.23
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2月23日(日)一遍上人語録(56)岩波文庫:昭和60年5月16日発行巻上(56)偈頌(げじゅ)和歌(わか)(4) 予州御化益(けやく)の頃、三輩(さんぱい)九品(くほん)の念仏の道場に、管絃 などして人々の遊びたはぶれ侍るを、見たまひて つの国やなにはも法のことの葉はあしかりけりとおもひしるべし 信州御化益のころ、よみ給ひける跡もなき雲にあらそふこゝろこそなかなか月のさはりとはなれ (注)予州:伊予国で、一遍の生国。三輩:極楽往生をねがう衆生の行業の浅深によて上輩・中輩・下輩の三類に分かつ。管絃:歌舞音曲。これを念仏の道場で修するのは、仏への供養としてつとめたであろうことを意味する。跡もなき雲:晴れると跡かたものこらない雲。妄念を雲、心を月に喩えている。
2020.02.23
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2月23日(日)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治43年より二種の生涯人間には広い生涯、広い世界で生きる生涯、または強い生涯、強い信念を持って生きる生涯があると思います。そして、その広い生涯はかならずしも強い生涯ではないと思います。人は誰でも広い世界で生きることが出来るわけではありません。しかし、努力すれば強い生涯、強い信念を持った生涯を送ることはで来るでしょう。万巻の書を読み、広い世界で活躍出来なくても、今生きている狭い範囲で、また狭い知識で強く生きることは出来るのです。山間の村に生きて、または海辺の里に生きて、深く神様と交わり、深く神様の愛を感じて、強い信念をもち、清い崇高な生涯を送ることは出来るのです。教育を深く受ける機会がなく、多くの人と交際する機会のない人には、神様さまから強い信仰を与えられるでしょう。
2020.02.23
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2月22日(土) 第五回角川短歌賞(36) 受賞作品「麦は生ふれど」(深井芳治)(6)(昭和35年)(注)昭和35年は2名が受賞「その当時事務員でした」と告(の)らす女(ひと)にまつはりて吾を見る子ら三人(みたり)面会に来し姉は母に告げざりき頬こけし吾に愕きしこと拓かれて麦は生ふれど空白の少年期ありわれの歴史に鍛へられし血はわが裡に残りゐむに拓かれてどこまでも続く赤土一夜にて魔法の解けしさまに似て兵舎は入植の民家と化しゐぬ消燈の暗黒のなかに眼あけてゐき階下に友のビンタ受けゐぬ(つづく)
2020.02.22
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2月22日(土)万葉秀歌(下巻)(171)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十九 (2)春(はる)まけて物(もの)がなしきにさ夜更(よふ)けて羽(は)ぶき鳴(な)く鴫(しぎ)誰(た)が田(た)にか住(す)む(巻十八・四一四一) 大伴家持茂吉:「飜び翔る鴫を見て」大伴家持が作った歌。一首の意は、「春になって何となく憂愁をおぼえるのに、この夜更に羽ばたきをしながら鴫が一羽鳴いて行った。あゝあの鴫は誰の田に住んでいる鴫だろうか、」というのである。
2020.02.22
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2月22日(土)古泉千樫歌集(10) 中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「屋上の土」(3) 明治四十一年(3)鉄橋うちとよむ大きみやこの入口に汽船(ふね)はしづかに入りて行くかも汽船(ふね)ちかく大き工場(こうぢやう)見えきたり鉄のにほひのながれたるかもたかだかと鉄橋みえてみやこべの大川の口に船つきにけりとよみくる都の音のおもおもしはしけの舟にうつりたり吾れは船にしてわれゑひけらしまひるまの都の土をふみつつもとな(つづく)
2020.02.22
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2月22日(土)一遍上人語録(56)岩波文庫:昭和60年5月16日発行巻上(56)偈頌(げじゅ)和歌(わか)(3) 六字無生 六文の中(うち)、本(もと)生死なし、一声の間、即ち無生を証(さと)る。 本無一物頌 如来は万徳にまします、衆生は妄念なり、本より一物もなし、今何事をか得む。(つづく)(注)無生:涅槃。さとり。如来…まします:弥陀は要因によって得たすべての功徳を 兼ねそなえている。
2020.02.22
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2月22日(土)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治43年より希望の人生人はこの世の中に生まれると同時に、まったく新しく生まれるのです。その人は、祖先の遺伝を受けてはいてもそれはほんの少しです。悪人の父より善人は生まれます。病弱の母より健康な子供が生まれます。神様は、生れたばかりのすべての子供に、初めて神様の存在を、神様の力を示します。祖先のことはいっさい心配はいりません。人は、誰でもアダムとイブが神様より初めて造られたように、産声をあげるとともに新しく生れ、前途洋々希望に満ち溢れて生まれるのです。さあ、あなたの未来は希望にあふれております、神様が保証しています。過去の腐敗の累積を気に掛け、恐れる必要はありません。
2020.02.22
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2月21日(金) 第五回角川短歌賞(35) 受賞作品「麦は生ふれど」(深井芳治)(5)(昭和35年)(注)昭和35年は2名が受賞銃を擬す歩哨のゐしは幻か営門は選挙のビラに埋れて誰からも自由たり得し唯一の厠なり畑中に原型保つ十八のわが猛ける血を犠として兵営の跡の麦畑青き丈高き兵舎なければ野の果ての筑波の山の位置に驚く弾薬庫の中にも入植の人住めり北に向きたる板戸透きゐて
2020.02.21
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2月21日(金)万葉秀歌(下巻)(170)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十九 (1) 春の苑くれなゐにほふ桃の花した照る道に出で立つ?嬬(をとめ)(巻十八・四一三九) 大伴家持茂吉:「くれなゐにほふ」は赤い色に咲き映えていること」。「した照る道」は美しく咲いている桃花で、桃樹の下かげ迄照りかがやくように見える、その下かげの道をいう。春園に赤い桃花が満開になっていて、そこに一人の乙女が立っている趣の歌で、大陸渡来の桃花に応じて、また何となく支那の詩的感覚があり、美麗にして濃厚な感じのする歌である。
2020.02.21
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2月21日(金)古泉千樫歌集(9)中公文庫:日本の詩6より昭和五十一年四月十日初版歌集「屋上の土」(2) 明治四十一年(2)郷を出づる歌(2)君が目を見まくすべなみ五月野(さつきの)の光のなかに立ちなげくかもはだしにてひとり歩めりこの国の露けき地(つち)をいつかまた踏まむ草鞋(わらぢ)はきてまなこをあげぬ古家の軒の菖蒲(しやうぶ)に露は光れり家々にさつき幟(のぼり)のひるがへりしかしてひとり吾が去りゆくもみちの上に青葉洩(も)る日のあざやかにわが思ひ出は悲しきものを (つづく)
2020.02.21
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2月21日(金) 一遍上人語録(55)岩波文庫:昭和60年5月16日発行巻上(55)偈頌(げじゅ)和歌(わか)(2) 礼書写山(しよしやざん)頌書写は即ちこれ解脱(げだつ)の山、八葉妙法心蓮の故に、性空は即ちこれ涅槃(ねはん)の聖、六字宝号無生(むしよう)の故に。 答公朝(きんとも)書頌一声名の中(うち)に、三尊化用(さんぞんけゆう)を垂れ、十万衆生の前に、九(く)品(ほん)の来迎(らいごう)を顕はす。 (注) 書写:書写山。兵庫県姫路市の西北に存在する法華修行の道場で、ここに円教寺がある。八葉妙法:八巻の妙法蓮華教。公朝:園城寺の一流、智道兼備の人、和歌を善くし、その歌は夫木集等に見える。三尊:阿弥陀・観音・勢至。九品の来迎:九品の浄土に住する阿弥陀仏が来たり迎えること。(つづく)
2020.02.21
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2月21日(金)「内村鑑三書簡集」(岩波文庫より)(注)文語を口語に、わたしの意訳箇所もあります。明治42年より神の確実の愛神様は愛です。神様はすでにわたしの罪を赦してくださいました。ですから、今後神様がわたしの命を取ることがありましても、それはすべて愛のためです。神様はわたしを特に選んで愛しているのではありません、キリストを通して罪ある人をすべて赦して下さったのです。神様は特別な愛の前に全ての人に愛を注ぎます。つまり、選択的な愛に先んじて包括的全体的な愛を施し給うのです。神様はわたくしを愛する前に全人類を愛し給うのです。わたしは、人類の一員として神様に愛されるのです。神様の愛が確実であるということは、このためです。神様の愛は、宇宙の全てを愛し給いても決して尽きることがない無尽蔵な愛なのです。
2020.02.21
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2月20日(木) 第五回角川短歌賞(34) 受賞作品「麦は生ふれど」(深井芳治)(4)(昭和35年)若き君ら「人的資源」と呼ばはれてこの原の上に鍛へられにき拓かれし兵営跡の厚き霜踏めば点呼の声の幻聴純粋に国を護ると捧げたる青春をわらふ若き君らは氷れるを飛び込まされし大水槽干てゐて入れば方形の空十五年の心の転移見せらるるごとし兵営の後の麦畑(つづく)
2020.02.20
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2月20日(木)万葉秀歌(下巻)(169)(注)解説は、簡略化しています。(ブログ製作者)斎藤茂吉 巻第十八 (4)雪(ゆき)の上(うへ)に照(て)れる月夜(つくよ)に梅(うめ)の花折(はなを)りて贈(おく)らむ愛(は)しき児(こ)もがも (巻十八・四一三四) 大伴家持茂吉:家持は、雪国にいたので、「雪の上に照れる月夜に」の句ができた。こういう歌句は人麿の歌には無い。人麿はこういう実際を余り見なかったためと思われる。下の句もまた、越中にあって寂しい生活をしているので、都をおもう情と共にこういう感慨がおのずと出たものと見える。
2020.02.20
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2月20日(木)古泉千樫歌集(8)中公文庫:日本の詩歌6より昭和五十一年四月十日初版歌集「屋上の土」(1)明治四十一年(1)郷を出づる歌(1)皐月空(さつきぞら)あかるき国にありかねて吾(あれ)はも去(い)なめ君のかなしも吹く風に椎(しひ)の若葉の日のひかりうち乱りつつありがてなくに背戸の森椎の若葉にあさ日てりひとり悲しも来(こ)し方(かた)おもへば椎わか葉にほひ光れりかにかくに吾れ故郷(ふるさと)を去るべかりけり巣をいでてひとつ飛びたる熊蜂(くまばち)の翅(はね)きらきらと光りゆくかも (つづく)
2020.02.20
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