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≪ 常設展4 インドネシアの人形 ≫ 11月16日に訪れたみんぱくの常設展をシリーズで紹介しています。私は研究者ではありませんが理解を助けるために、簡単な説明をしておきます。インドネシアの有名な人形にワヤンがあります。これは影絵です。後から光を当て、前方に映った影絵を観客が楽しむものです。正確にはワヤン・クリと言って、人形は牛の皮で作られています。ワヤンは影、そしてクリは牛の意味です。 彩色されてないワヤンは影絵に用いますが、中には彩色されたものもあり、直接観客に見せるもののようです。人形劇はワヤン・ゴレと言います。昨日紹介した仮面をつけ人間が行う劇は、ワヤン・オランと言うようです。それらの全てをワヤンと呼ぶこともあるようです。オランは人間の意味で、因みにオラン・ウータンを直訳すると「森の人」になります。 インドネシアの劇は、古代インドの抒情詩「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」のお話が多いようです。主体はヒンズー教の教えですが、仏教も関係しており、イスラム教の影響もあるようです。因みにインドネシアの主たる宗教はイスラム教で、バリ島周辺だけで仏教が信仰されているようです。全ては海を渡ってインドネシアに伝えられたのでしょう。 これらの劇に共通するストーリーは「勧善懲悪」で、最後に悪は滅び、正義が勝つわけです。劇を行う際は、必ずガムランなど金属製打楽器が主体の音楽が伴います。きっと神様に捧げるためでしょう。では早速各種の人形を観てみましょう。 ワヤン・クリ 影絵の様子 以下は彩色されたワヤン・クリです。 以下はワヤン・ゴレです。 怖い顔の人形は悪を懲らしめるためで、仏教で言えばさしずめ不動明王でしょうか。<不定期に続く> (お知らせ)本日から妻と一緒に旅に出ます。初冬の温泉3連泊です。帰宅は8日の日曜日になります。その間にいただいたコメントへのお返事は8日以降になります。また皆様のところにもお邪魔出来ませんが、どうぞお許しくださいませ。では、行って来ます。
2013.12.05
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≪ 常設展3 インドネシアの仮面ほか ≫ 11月16日に「神戸マラソン」のついでに訪れた国立民族学博物館(大阪府吹田市万博公園内)をシリーズで案内しています。この博物館には大学院が置かれて研究活動が行われ、他の博物館のように学芸員はおりません。世界各地の地域、民族、文化、宗教、言語などが研究の対象で、民話などを対象とする「民俗学」とは異なり、世界の「文化人類学」の殿堂です。 研究者は世界各地へ出向いて自分の専門分野のフィールド調査をしながら標本(展示物)を収集し、映像を撮影して来ます。従って先方との交渉は全て研究者自身が行います。こうして収集された標本が整理され、やがて各種の展示に使用されるのです。私が勤務した16年前の事務系職員は誰もおらず、あの頃若手研究者だったメンバーが、今では教授になっているようです。 私が勤務した頃に比べて、常設展の展示物は倍以上に増えたようですが、雑然とした感じは全くありません。その後の増築は実現せず、現有の空間を最大限に利用して展示物を入れ替えたようで、少し安心した私です。世界各地の映像が観られる「ビデオテーク」のブースは少し減り、企画展示場が2か所に設けられていたのが大きな変化でした。 私は研究者ではありませんが、理解を助けるために簡単な説明を加えます。また常設展示場内での撮影は自由で、一部の展示品に直接手で触れることも出来ます。 これらは神殿だと思われます。 家族と共にここで寝泊まりしている舟です。つまり船上生活をしている民族のものです。 こうして見ると、日本のお祭りで使う面や伎楽面にどこか表情が似てるものがありますね。最近の研究によれば、西日本の古墳などの遺跡から出土するビーズ玉は、インドや東南アジアの古いガラス製品の成分と全く同一だったそうです。また、お祭りの山車や山鉾も、ヒンズー教のものとそっくりなのです。きっと古代から海を通じて、何らかの交流があったのでしょうね。<続く>
2013.12.04
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≪ 常設展2 アフリカの工芸と仮面 ≫ 11月16日、神戸マラソンの前日に訪れた「みんぱく」の常設展を紹介しています。今日はその2回目で、アフリカの工芸と仮面がテーマです。常設展での撮影は自由で、一部の展示品は手で触れることも可能です。 旧マリ王国王女像 <不定期に続く>
2013.12.02
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≪ 常設展1 アフリカの服装と工芸 ≫ 常設展示場は私が勤務していた頃とは様子が違っていました。先ず展示点数が2倍ほどに増えていました。その割にさほど雰囲気は変わらず、相変わらず重厚さが目立ちました。撮影した展示品の数が多いため、適宜地域ごとあるいはテーマごとに紹介しますね。第1回目の今日はアフリカの衣服と工芸です。アフリカには相当数の民族が住み、それぞれ習俗や文化が異なります。 織機 アシャンティ族の王 男性の服装 王の椅子 < 不定期に続きます >
2013.11.30
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≪ 特別展 その2 ≫ 今日も引き続き11月16日に訪れたみんぱく(国立民族学博物館)の特別展示「屋根裏部屋の博物館」をご案内します。これはみんぱくの標本収集の基礎になった渋沢敬三のコレクションです。写真撮影は禁止されたもの以外は自由です。私は博物館の専門家ではありませんが、理解を助けるため簡単な説明を付しましたので参考にしていただければ幸いです。 イナウを捧げるアイヌ族の男性です。アイヌ族には千島アイヌ、樺太アイヌ、北海道アイヌの3つのグループがあり、極めて近い関係にありますが衣服の紋様などは各自少しずつ違います。これは洋服を着ているので、明治期以降の写真ですね。 イナウは柳の木をマキリ(小刀)で細く削って作る、カムイ(神)に捧げる神聖な物で、日本神道の御幣のような存在です。アイヌ族の考えによれば自然界にはたくさんのカムイが存在し、捧げるイナウもカムイによってそれぞれ形が異なります。また神前に熊などの動物を捧げるのは、動物の魂を天に送って、再びこの世に来訪してもらうためです。 アイヌ族の衣服です。アイヌ族は木の皮の繊維を編んで布を織り、衣服を作ります。日本人との交流が進んだ後は、木綿を使うこともあります。厳寒期には動物の毛皮や鮭の皮製の衣服や長靴などを着用します。 ウイルタ族の家屋です。ウイルタ族はロシア極東のアムール川河口付近に住む民族で、人類学的にはアイヌ族に近いとされています。 ウイルタ族の衣服です。 装飾品と彼らが使用した小刀です。 シャーマンの装身具です。 台湾の一部族の男性です。台湾にはアミ族、ヤミ族、パイワン族など6つほどの原住民がおり、中にはかつて人肉を食する部族、いわゆる「首狩り族」も存在したようです。そこへ大陸から漢族が移住して混血が進行し、現在に至っています。 台湾の民族衣装3点です。部族によって衣装にも違いがあるようです。 木靴と草履(ぞうり)です。 装飾品のようですが、用途は不明です。特別展の紹介は以上で終了です。 私が撮影した展示品は、特別展の中のごく一部です。また慌てていたせいか、3つのコーナーを見落としていたようで、残念です。それは帰宅後にパンフレットを見て分かったことです。次回以降は本館の常設展を、世界各地の地域ごとに紹介する予定です。ただし撮影した展示品の数が多いため、シリーズが長くなります。ここに来られた方が飽きないよう、時々他の話題を挿入したいと考えています。どうぞご期待くださいね。ではでは~♪ <不定期に続く>
2013.11.29
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≪ 特別展を観る その1 ≫ 日本庭園を出て私が向かった先は、お隣の「みんぱく」でした。正式な名前は国立民族学博物館。「民俗学」が民話や習俗などを研究するのに対して、「民族学」は世界の民族の言語、宗教、文化、生活などを研究の対象とします。イギリスやアメリカでは「文化人類学」と呼びますが、ドイツやフランスでは民族学と呼び、太陽の塔を作った岡本太郎も、パリ大学で民族学を学んでいます。なお、民族学では美術品ではなく身近な生活品を研究、収集の対象としています。 前置きが長くなりましたが、これが「みんぱく」です。建物の設計者は、女優若尾文子の夫君黒川紀章です。ここへは毎日のように通っていました。何故ならここが私の8番目の勤務先だったからです。17年前、ここでは既に国内では最先端の「マルチメディア展示」を開発していました。今なら当たり前の小型端末で、展示品の解説をしてくれる装置などがそうです。 もちろん私は博物館の専門家でも、マルチメディアの専門家でもありません。異分野から転勤した私が苦しんだのは当然です。ここに勤務したのは2年間でしたが、苦労の末に転勤する頃にはなんとか完成したのです。私が「神戸マラソン」のついでにここを訪れたのは、みんぱくの展示が、その後どうなったかを、自分の目で確かめるためでした。 たまたま特別展「屋根裏部屋の博物館」が開催中だったので、これを最初に観ました。日銀の総裁で戦後間もなく大蔵大臣を務めた渋沢敬三のコレクションです。明治新政府の元勲だった渋沢栄一を祖父に持つ彼は、経済人でありながら民族学に深い関心を持ち、自ら収集して自宅の屋根裏部屋に収容していたのです。これがみんぱくのコレクションの端緒です。今年は彼の没後50年目に当たり、今回の特別展はそれを記念しての事業でした。 このみんぱくでは、展示物の写真も原則として許可されています。特別展でも指定された展示物以外は、撮影出来ました。何せ大忙しで廻ったため、説明はほとんど読んでいません。それに展示品は初めて観るものばかりです。間違いがあるかも知れませんが、簡単な説明を加えましたので参考にしていただけたら幸いです。なお、特別展は2回に分けて紹介しますが、これでも展示品のごく一部です。1)凧(たこ)2)凧(たこ)3)絵馬(えま)4)5)6) 4から6までは、いずれも民間信仰の対象である「おしら様」や「桑神様」の類と思われます。7)江戸時代から明治期に使用された作業着と思われます。恐らくは東北地方での収集品でしょう。8)わら製の手袋。恐らくは東北での収集品だと思われます。9)長靴 10) 11) 10と11は沖縄の藁算(わらざん)です。かつて文字が読めない農民のために、どんな作物をどれくらい税金として納めるかを、わらを使って示した道具です。主に宮古島以西の離島で使用されていたようです。<続く>
2013.11.27
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(お断り)このレポートは崔監督の同名の映画とは全く関係ありません。 十三夜 東京の主婦で40歳の山本優子さんが代表を務める「なでしこアクション」という団体が最近出来たそうだ。これはいわゆる「従軍慰安婦問題」に関して、日本の女性の視点から反駁を試みるもの。今後は米国下院で可決された「従軍慰安婦対日批判決議」の撤廃要求署名活動や、慰安婦像設置市の議会や地元マスコミへの抗議活動を、ネットを通じて行う予定だそうだ。 彼女達は「歴史を捏造して日本を貶める暴挙に対し、絶対にウソは許さない」と、堂々と主張するそうだ。この問題を男に任せると、橋下大阪市長のような誤解を招く恐れがあると言うのがその言い分。「戦争と性」と言う難しいテーマだが、より真実を目指して頑張って欲しい。 ススキ 韓国世宗大学の朴裕河教授が『帝国の慰安婦』を8月中旬に出版した。これは「元慰安婦」の証言を基にした本で、その中には「女性達をだまして売り飛ばし、戦場に引っ張って行って虐待と搾取を日常的に行った主体は、大部分は同胞の朝鮮人の民間会社だった」などと書かれ、我々にも責任があるとの内容とのこと。 ところがこの本が出版されると、朴教授は韓国の世論から袋叩きにあって、表舞台から消されたそうだ。戦時中の「京城新聞」には「従軍慰安婦の募集記事」が載っており、月収は300円だった由。これに対して当時の日本兵士の月給はわずか10円だったそうだ。これを果たして「強制連行」と言うのだろうか。 十五夜 ソウル大学名誉教授の安秉直氏は朝鮮経済近代史が専門だが、約20年前に「韓国挺身隊問題対策協議会」と共同で「慰安婦問題」を調査したそうだ。だが同会の目的が慰安婦問題の本質に迫ることではなく、日本への攻撃にあることが分かり調査団から離れた由。 この8月、安名誉教授はビルマとシンガポールで慰安婦の施設を運営していた朝鮮人男性の日記を発見し、彼が所属する研究所がその解読と研究を続行中とのこと。同氏は「韓国は植民地時代のすべてを否定すべきでない」とし、「研究者としての私の願いは事実をねじ曲げることではなく、事実は事実として問題が解決されること。そう言う意味でこの日記は役に立つはずだ」と述べている由。韓国にもまだ良心的な研究者がいた訳だ。 ハギ だが、この問題の責任が韓国だけにあるわけではない。「慰安婦性奴隷説」を最初に唱えたのが日本人だからだ。吉田清治著『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』三一書房 1983年刊がその本。同著によれば日本軍人らが済州島で未婚の女性や若い母親をトラックで連行し、レイプした体験が語られている。だが済州新聞社の女性記者が現地で取材した結果、そのような事実は確認されなかったそうだ。私が読んだ本にも同じことが書かれていた。 立待月(十七夜) 1992年2月、戸塚悦朗弁護士がNGO国際教育開発の代表として、国連人権委員会で「従軍慰安婦問題」を初めて提起し、日本政府に責任を取るよう求め、国連の対応を要請した。(『戦争と性』第25号2006年5月)。なぜ確たる証拠もないのにこんなことが起きたのか不思議でならない。またこれに関して、日本政府はどんな反論をしたのだろう。 ホオズキ 馬鹿な日本人がいたものだ。これが日本の知識人の実態だろうか。微妙な問題を事実を確認もせずに提起する無神経ぶり。これは「南京虐殺事件」も同様だ。南京市の博物館建設に際して、日本社会党(当時)が資金援助をしたそうだ。建て物が完成したら、展示が極悪非道の日本軍を弾劾する内容に変わっていた由。 まさに日本人が「お人好し」である典型。当時の南京市の人口は35万人もいなかった。それなのに35万人を一体どんな方法で虐殺出来るのだろう。日本で研究活動をしている中国人研究者が2人、中国へ帰国中に拘束されて帰って来ない。彼らは祖国を愛するあまり、真実を述べただけなのだ。韓国も中国も今や「日本憎し」の感情論が横行。こんな時にこそ日本人は冷静になりたいものだ。 歴史の真実はいずれ解明される時が来るが、このまま黙っていたら今まで通り何も変わらない。日本人はもっと事実を確かめ、声を上げるべきだと思う。戦争の悪い面は大いにあるが、なぜ日本人だけが非難されるのだろう。列強の植民地支配、黒人の奴隷化、原爆の投下などがこれまでどれだけ非難されて来たのだろう。私は真実を知りたい。たとえそれが我が国に不利な事態になってもだ。
2013.09.26
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朝の連続ドラマ「あまちゃん」が面白い。あれは作り話だと分かっていても、どんどん引き込まれてしまう。宮藤官九郎のストーリーが巧みなのに加え、出ているメンバーが豪華で、それぞれ強烈な個性が感じられる人ばかり。それに劇中の音楽にも心が浮き立つ。今週は果たしてどんな展開になるのだろうと、ハラハラドキドキしながら毎朝妻と観ている。 さて、先日亡くなった藤圭子さんについてだが、若い頃の彼女の暗いイメージは、所属事務所が売り出すための作戦だったようだ。子供の頃から苦労を重ね、どこか陰のある美少女。そんな風に彼女を仕立て上げたのだ。だが実態はまるきりの苦労知らずで、良く笑うのだと当時の本人が言っていたそうだ。つまり私達が観ていたのは作られた虚像であり、彼女の本当の姿を最後まで知らずにいたのだ。 少し前のこと、私のブログに「○時間テレビのマラソンを観て感動した」とコメントしてくれた方がいた。多分私があの番組の胡散臭さについて書いたのを読んでいたのだと思う。感動する心があるのは素晴らしいことだが、私はどうしてもそんな気にはなれなかった。かつて100kmをさほど疲れた様子もなくゴールし、我が子を抱き上げた芸能人の姿を観てからだ。 初めて100kmを走った人が、あんなに元気な姿でゴールすることはあり得ない。それはウルトラマラソンを50回以上走り、50km以上のマラニックを50回ほど走った私の経験に基づくものだ。普段鍛えてない人が100kmを走れば、ゴール後は痙攣、舌の痺れ、味覚障害、悪寒などが生じて、フラフラになるのが普通だ。 いくら凄腕のトレーナーがついていても、たとえ走るのでなく24時間歩くとしても、まだ疑問は残る。成人が歩く速度は時速4kmだから、100kmを歩けばそれだけでも25時間かかる。それも最後までスピードが落ちないと仮定しての話だ。江戸時代の人でさえ1日10里(40km)歩くのが限度。それに食事、休憩、トイレ、交通信号、陸橋などに時間を取られるので、24時間歩き通しても100kmには到達しないと言うのが私の考えだ。 走りと歩きを交えたら行けると言う考えもある。事実そうしているのだろう。私が62歳で初めて200km超級のレースに出た時は、50分走った後10分歩くのを繰り返した。だが、短期間のトレーニングしかしていない芸能人には20分のランと40分のウォークを交互に入れるのでさえ辛いのではないか。 最近は100kmが無理なので距離を短くしているようだ。私はネットでしか知らないが、今回森三中の大島某は自分の体重に合わせて88kmにしたとか。そんな理由が私にはとても信じらない。子供のころいじめに遭って苦労したことや、あのランで足の裏を傷めたことも番組終了後にネットで知った。彼女が頑張る様子をテレビで観て、きっと感動した人が多かったのだろう。 だが、それでもひねくれ者の私はまだ納得はしない。もし彼女が「仕事」として88kmを走り、歩いたのならどうだろう。あの番組は「原則無償出演」と聞く。ところが数年前にある人が調査した結果、大物クラスの芸能人が数千万円の報酬を得ていたことが分かったそうだ。勿論長距離を走り歩いた芸能人も1千万円は下らないだろう。特にその後反論を聞かないので、それが事実なのだと思う。 自分の脚とヨットだけで地球を1周した寛平ちゃんが、若い頃吉本興業から「もしフルマラソンを完走したら給料を倍にする」と言われて、本当にそれを実行したことは有名な話。そしてそれ以降彼は「アスリート芸人」を売り物にした。つまり彼にとってのランニングは商売道具。それはそれで凄いし、何の違和感も感じない。だが、「チャリティー」を売り物にする番組で高額なギャランティーをもらって走るのは、大衆を欺く行為にならないだろうか。それが私の素朴な疑問だ。 市民ランナーの川内選手が偉いのはたった1人で走り、経費も全て自分で出していることだ。それが企業の陸上部に所属する選手と異なるところ。つまりは自己責任なのだ。それは私達も同様で、レース前には大会本部へ「誓約書」を提出するのが普通。レース中の事故は自己責任が原則なのだ。それが手厚く保護され、しかも高額な報酬をもらう芸人とは全く違う点。それでも感激したいのなら存分に感激すれば良い。 最後に1人の芸人の話をしよう。かつては「横山パンチ」の芸名で漫才をしていた上岡龍太郎さんのことだ。彼は1942年生まれで、私より2歳年上。その彼と初めて出逢ったのが兵庫県の「武庫川ユリカモメ70km」。彼は「サロマ湖100km」の練習のために走っていたようだ。 私が「頑張って下さい」と言ったら、彼は「はい、頑張ります」と律義に返してくれた。私のイントネーションで関西人ではないと分かったはずだが、返事には1点の曇りもなかった。たったそれだけのことだが、私にはとても清々しく感じた。当時の彼は芸能人としては超一流。だがランナーとしては1人のアマチュアに徹していた。もちろん付き人もおらず、エントリーも自分でしたのだと思う。 その彼が、ある時芸能界から忽然と姿を消した。かねがね彼は「還暦になったら隠居する」と宣言していたそうだ。それが58歳で芸能界から完全に引退した。彼の芸能生活がまる40周年を迎えた年だ。彼は「最後までアマチュア精神を貫き通したプロの芸人」。その彼が「○時間テレビ」のマラソンを観たら、一体何と言うだろうか。 断っておくが、私はあの番組に何の恨みもない。難病に苦しむ子供を救おうとするドキュメントなどには共感さえ覚える。だがウルトラマラソンを金集めの道具に使うことには、どうしても我慢できないのだ。そしてこの文章も「自己責任」で書いている。
2013.08.30
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「アイスマン」のことは、彼が発見された当時のニュースで知っていた。それが先日の日曜日に、テレビの特集番組になった。多分その後の研究が進んだに違いない。私は疲労に耐えながら、画面に注目していた。驚くべきことが分かった。何と彼は殺されていたのだ。今回の調査で死因も、殺人の方法も分かった。5300年前に彼は背後から襲われ、そのまま氷漬けとなったのだ。 登山中のドイツ人夫妻によって彼が偶然発見されたのは、1991年の9月。場所はオーストリアとイタリアの国境に近いアルプスの、標高3210mの頂上付近。この時はまさかアイスマンが先史時代の人間とは誰も考えてなかった。それが彼の持ち物などで現代人ではないことが分かった。それにしてもなぜ彼はこんな高い山まで登って来たのだろう。 本格的な謎の解明のため、マイナス6度で保存されて来たアイスマンを、今回は9時間だけ18度に上げた。つまり一時的な解凍だ。そして皮膚や腸など149点のサンプルを採取した。その結果驚くべきことが判明した。身長160cm、体重50kg、年齢は46歳前後、彼が生きていたのは5300年前だった。日本では縄文時代に当たり、世界の4大文明だと初期のメソポタミア文明しかまだ存在していない。 胃の内容物から、彼が満腹状態であったことが分かった。食べていたのはシカやウサギなど動物の肉の他に、パンもあった。加工された小麦が焼かれていたことが分かったからだ。また体の何箇所かに煤(すす)で入れたタトウが残されていた。「三」や「+」の印が付けられた場所は、鍼灸で言う経絡つまり「つぼ」の部分だった。 一方、レントゲン撮影で、彼が「腰椎すべり症」を患っていたことが判明した。何とタトウが付された「つぼ」は、腰痛を抑える個所だったのだ。中国で鍼灸治療が体系化されたのは約2千年前の頃。アイスマンはそれより3300年も前に、高度の治療を受けていた。青銅製の斧は純度99.7%。その頃にそれだけ優れた製錬製鋼の技術があったことに驚く。日本ではまだ石斧の時代なのだ。 靴はクマの皮製だが、保温効果を高めるため中には干し草が詰められていた。またヤギの皮で作ったマントは、色違いの皮を交互に縫い合わせたお洒落なものだった。そして腸から見つかった植物の花粉から、彼が山の中を逃げ回っていたことが分かった。肛門に近い順に、モミ(高地)、アサダ(山麓)、トウヒ(中腹)、モミ(高地)。それが彼の逃走経路だ。 胸部には石製の鏃(やじり)、肩には矢による傷痕が残っていた。背後から矢を射かけられたのだ。だが矢は残っていない。矢にはそれぞれ持ち主が分かるサインが付されている。「犯人」はばれないように矢を抜いたが、鏃までは処理出来なかった。そして頭蓋骨内には大量の赤血球。エジプトなどの「加工されたミイラ」では例がないと言う。 だが自然の状態でミイラになったアイスマンには、血液が残された。それにしてもなぜ彼の頭蓋骨内で大量の出血があったのか。その謎も解けた。耳の周囲に後から石で殴られた痕跡があった。きっと弓矢では死ななかったため、「犯人」はさらに石で殴ったのだろう。その傷が元で大量の脳出血を引き起こし、とうとうアイスマンは死んだ。 アイスマンの死因は分かったが、なぜその頃のヨーロッパに高度の文明があったのか、謎は残されたままだ。さらに研究が進むであろう将来のため、アイスマンの胃の中には食べ物の半分に当たる100gの内容物が戻され、体は再びマイナス6度に保たれた。彼が生きた時代の謎が解き明かされるのは、果たしていつになるか。興味は尽きないが、その前に私の命が尽きる可能性の方が高そうだ。≪ お断り ≫ 今日は午後から高校時代のクラス会。松島のホテルに1泊し、古稀を祝います。そのため明日のブログ更新は、早くても午後からになる予定です。
2013.03.26
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いやはや参った。眠れないのである。今日も深夜の0時過ぎから目覚めたまま。原因はさる書き込み。私のブログへの心ないコメントが、それでなくても良くない体調をすっかり狂わせてしまったようだ。東日本大震災関連のテーマで不愉快な思いをしたのが3回。それが不思議なことに共通点があるのだ。1)関西地区の、2)高学歴の、3)男の人と言う。 多分本人達にとっては何気なく書いたのだと思う。決して悪意がなかったことも分かる。だから彼らは相手が傷ついたり、不愉快になってることに全く気づかなかったのだろう。でも、なぜあんなKY(空気が読めない)なことを平気で書くのか。高学歴な彼らが、なぜあんな無知なことを書くのか理解が出来ないが、ひょっとして文化の違いでもあるのかと考えてみた。 2年間だが大阪勤務だったことがある。そこで感じたことは東西の文化の違い、考え方の違いだった。部下が上司に対し、「今日はあなたをスケープゴート(いけにえの子羊)にしますよ」などと平然と言う。そしてボスの前でそれまで言っていたことと全く違った説明をする。つまり私が悪者になり、ボスに叱られる訳だ。何と言う社会。何と言う文化。それが関西なの~?部屋に帰った後で私は彼に言った。「これからも私をスケープゴートにしても良いよ」と。少なくとも東北にそんな文化はない。 その職場ではボスが絶対的な権限を持ち、秘書の女性も「虎の威」を借りて威張ってた。だから関西が変なのではなくその職場が変だったのかも知れないが、気の良い東北人の転勤族には毎日が唖然とすることばかり。転勤後そこへ招かれた際、私はかつてのボスに言った。「先生が若い頃に書かれた本は名著でしたね。でも記念に頂いた本は同じことが6回も書かれてましたよ」と。 それは最大の皮肉。学問に燃えていた若き頃のボスの著書は論理的で名文。しかし絶対的な権限を持ってからは研究者としての魂を失い、老化で論理的な文が書けなくなり、秘書も恐れるあまりそれを指摘出来なったのだと思う。つまり「裸の王様」だ。結局そのボスは次の選挙で敗れ、その職場を追われた。「どうもおかしい」と感じた私の感覚は間違ってなかったようだ。 今回「東日本大震災は関東周辺との認識」と書き込んだXさん。それは平城京(奈良)や平安京(京都)の都人が古代東北を野蛮人が棲む蝦夷(えみし)と呼んだのとどこか似てないですか。つまり文化の違いや地理に対する認識がまるで欠如しているのです。それなのに「情報にはあなたより千倍接している」と書く神経がとても私には理解出来ません。知識や情報もさることながら、被災地の悲惨な状況に対する悼みの心が全く感じられないのですよ。淋しいことです。 中国を「シナ」と呼び、「生のホヤが食べたい」と書いていたYさん。全くKYな人だ。私は私のブログで「シナ」の言葉を使って欲しくなかっただけで、別にあなたを排斥したわけではありません。「シナはストップワードにした」と書いたけど、実際はそんな措置もしなかったんです。何故なら「南シナ海」や「東シナ海」も使えなくなるからです。良く考えれば分かることなんですが。 私を除外しようとしたあなたの気持ちは他への書き込みで感じました。このままだと迷惑をかけるので、昨日Hさんにはお別れの挨拶をして来ました。さすがは年長者、コメントが立派でした。良くご覧になってください。あれが本当に苦労された方の労わりですよ。Hさん、どうもありがとうございます。心から感謝しています。 あのねYさん。あなたが食べたがっていた三陸のホヤは、前にも書いたように今は全くないんです。ホヤは養殖が大部分。その養殖いかだがほとんど全部海に流され、海の底には大量の瓦礫が山積しているんです。それらを取り除き、いかだを再生するには莫大な借金をするしかないんです。そしてホヤを出荷出来るのは通常でも養殖後3年目。それがあの大災害ですから、産地の私たちですらいつ食べられるか分からないんです。気楽なグルメ話も良いですが、たまには被災地の苦しみを考えてください。 かなり前に津波からの「避難ビル」について書き込んだZさん。私はあなたのコメントに傷つきはしませんでした。でもあなたが本当に現役の研究者なのかを疑いましたよ。だってあなたは毎年のように学会賞を受賞してるんでしょ?それがあの提案とはねえ。 今回津波の被害を受けた海岸は何百kmにもなります。リアス式の海岸もあれば平野部の海岸もあり、人口の密集度合いも違います。だからそれぞれの地理的な条件に相応しい避難策を作る必要があるんです。それに土地の買収、道路の改修、瓦礫の処理など現地では困難な問題が山積。資材も人材も全然不足しています。さらに法の規制が色々あってさっぱり復興が進んでいないんです。どうぞ、そこを考えてください。 私も含め、誰にでも間違いはあります。人は必ずいつかは老化し、記憶力も減退します。でもねえ、18年前に大きな震災を受けた関西地区のあなた方が、そろいもそろってあまりにも無理解なコメントを書くことが私には信じられないんです。今日は変な文化論になりましたが、決して誹謗中傷の意図はありません。寝不足で神経が高ぶり少々刺激的な内容になったことを、どうぞお許し下さいませ。 最後に一言付け足します。こちらではあの日以来余震が2千回以上発生していて、今も恐怖におののいているんですよ。どうぞそれをお忘れなく。そしてこれからのご活躍を、心からお祈りしています。
2013.03.18
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