全10件 (10件中 1-10件目)
1

「One for the road」 日本でも今週末から公開<あらすじ> 執筆業の男スティーブが、ロサンジェリスの路上で見かけた浮浪者ナサニエルに興味を示す。ベートーベンの作品番号を全部覚えててブツブツ唱えちゃったりするような不思議な男。調べてみると、その男はジュリアード音楽院でチェロを学んでいたことが判明。彼の記事を新聞に連載することにする。やがて読者から高価なチェロが寄贈される。 スティーブは、プロのチェリストの協力を得て、なんとか音楽を通じてナサニエルを自立させようと試みる。<感想> あまりにも周りの友だちが薦めるので期待しすぎてしまった。好き嫌いがはっきり分かれる映画。 生意気ながらも、「あ、この場面(やセリフ)は余計だな」とか「こうしたほうがいいのに」と感じる箇所があった。 実話から離れて思い切って脚色しまくっちゃったほうがよかったかもしれない。こてこてのハッピーエンディングにしちゃうとか、あるいは登場人物をどんどん死なせて悲劇にしちゃうとか。←おい ワケあり音楽家が再起を図るという点で、ピアノ弾きを描いた映画「シャイン」(1996年豪)に似ているけれど、僕はむしろ「二十日鼠と人間」(1992年米)を思い出した。スタインベック原作。ワケあり男を相手に奮闘するも、そのやるせなさに苦しむ相方の心情。 ところで、ロスアンジェリスって、ほんとにこうゆう街なのだろうか。行ったことないし行く予定もないので全然知らないけれど、良くも悪くも富裕層と貧困層がすぐ隣同士で棲息してて、治安も悪い? 主演の二人は文句なしに名演。レイ・チャールズ役でオスカーを受賞したジェイミー・フォックス(浮浪者役)よりも、むしろロバート・ダウニーJrの渋い演技が光った。こんな名優だったとわ。 ベートーベンの曲、特に交響曲と弦楽四重奏曲がいくつか使われてたのは個人的には嬉しかった。チェロ映画なので、もちろんバッハ無伴奏1番プレリュードも登場。お約束。 敢えて突っ込ませていただくと、エサペッカ・サロネン率いるLAフィルの演奏会の場面。第九(の3楽章)を弾いてるとこが映るのに、舞台上に合唱団がいないのはヘン! あと、主演役者のチェロの弾き真似(弓パク、指パク)は、「おくりびと」のモックンのほうが上手いと思った。Depatures、いよいよ今週末から全米で公開。僕の周りの音楽仲間では既に話題沸騰。 ←アメリカ劇場公開版のポスターはこんな感じだし
May 28, 2009
コメント(3)

もう10回以上来たことがあるはずなのに、毎回新しい発見があって全然飽きない国、カナダ。 国民さんたちも、欧州人のいいとこと米国人のいいとこの双方を併せ持っていらっしゃる。つまり、文化や歴史に理解が深い一方で、いちいち空気を読みすぎることなく、大雑把で前向き。 ここケベック州は、北米在住のフランス人(やスイス、ベルギー人)の駆け込み寺みたいなとこもある。彼らってば、ケベック人のフランス語の訛りが気に入らないだの、食文化にフランスの影響が見え隠れしてるくせにコーヒーはアメリカ並みにまずいだの、あれこれ文句を言ってる割には、やっぱり落ち着くみたい。 モントリオールは、フランス語をしゃべる人口の多さではパリに匹敵するらしい。 冬はあまりに寒くて暗いので絶対に来たくはない土地だけれど、春から秋にかけては、常に何らかの催しが開かれているのもこの地の魅力。モントリオール映画祭とかモントリオールジャズフェスティバルとか、敷居が低いので気軽に鑑賞できる。 クラシックもそれなりに盛ん。モントリオール交響楽団の常任指揮ケント・ナガノ氏は、ボストンで言うところのセイジ・オザワ氏みたいな感覚で市民から愛されてる。 本拠地プラスデザール Place des Arts は、別名「カナダの東急文化村オーチャードホール」と呼ばれているとかいないとか。(建物の内部構造が似てる) むしろ、モントリオールはジャズのほうが盛んかも。確かオスカー・ピーターソンを輩出してるし、そもそもフランス語とジャズって意外に相性がいいように思う。 ばかでかい国だから大国のように錯覚しちゃうけど、カナダの人口は日本の四分の一。 余計なプライドを持たず、自然の厳しさを素直に受け入れながら、でも日が長く気温の上がる季節は、とことん人生を謳歌しまくる。なかなかしたたかな人びとです。<追記> お宝動画を発見、昭和歌謡「カナダからの手紙」。 このお二人、太平洋を挟んでるおつもりなのか、離れて歌ってるのがいい。 カメラの焦点を手前と奥とで交互に合わせる撮影手法もいい。 離れて歌ってた二人が最終コーラスでやっと並ぶのもいい。 そして最後は萌え和音で締める。←えーっと、マイナー調に6thと9thを加えたもの?
May 25, 2009
コメント(2)
「O Canada!」 一週間という題名の映画を観た。主演は、「ボビー(ケネディ)」に出てた役者ジョシュア・ジャクソン。一瞬ルノー・カピュソンかと思った。<あらすじ> ガンを患い、余命わずかと医師から突然言われたトロントの青年。 呆然としつつも、婚約者らの心配をよそにオートバイで西に向かって旅に出る。地元の人びとのぬくもりに触れながら、雄大なロッキーの山々を越え、バンクーバーを目指す。<感想> カナダ人の、カナダ人による、カナダ人のための(自画自賛の)映画。それ以上でもそれ以下でもない。サントラに使われてる曲すらも「オー・カナダ」(笑)。 日本や海外はおろか、アメリカですら劇場公開されないかもしれない。地味すぎ。 そりゃ大自然の映像は息を呑むほどに美しかったけれど、カナダの風景なんて誰が撮っても美しく撮れるはずだし。 あそこまで執拗に愛国心を見せつけられると、イチャモンもつけたくなるというもの。 監督も脚本も役者もカナダの人びと。唯一アメリカ人俳優キャンベル・スコットがおいしい役どころでご出演。 映画は「あなたならどうする? What would you do?」という語りで始まる。 余命一週間と医者から宣告されたとして、果たして自分だったら何をするだろうか。ちょっとだけ考えさせられる。 どれほどの人が、残された時間を有効に使い、あれしてこれして誰に会ってとテキパキ動けるのだろうか。 もしかして、むしろこの映画の主人公のように、周りの人のことなど一瞬忘れ、突発的な行動に出てしまうというほうが現実味があるかも。 このテの「自分探しの旅」を描いた作品は何十本と観たので、さすがに飽きてきたけど、今たまたまカナダに来てるので親しみを持って鑑賞することはできた。
May 24, 2009
コメント(0)

今、カナダのケベック州モントリオールを訪問中 面白いライブを鑑賞した。来週生誕100年を迎えるクラリネット吹き故ベニー・グッドマンの特集、ノリノリのズージャ大会。 ジェームズ・キャンベル(クラ)、ジーン・ディノビ(ピアノ)、ミシェル・ドナート(ダブルベース)ほか。80歳ぐらいの方も含む五人編成のバンドで、Sound of Musicのジャズ版や、Sunny Side of the Street、Don't Be That Wayなどが次々と披露された。 演奏だけでなく彼らの話も興味深かった。(最初はフランス語でしゃべってたのが、途中から英語に変わったのでなんとか聞き取れた。) このおじ(い)さんたち、みんなすんごい経歴をお持ち。グッドマンと共演経験があるばかりか、チャーリー・パーカーやシャルル・アズナブールやジャック・ブレルと一緒に世界を周っただとか、生前のショスタコ、カバレフスキーとの思い出話やウラ話も暴露され、会場は爆笑の渦。 グッドマンはジャズ畑の人という印象があったけど、クラシックにもかなり造詣が深かったそうで、ブラームスのソナタなどの録音と平行してジャズもやってたのだとか。クラリネット吹きにとっては神格化されて崇められてる。 ライブで彼らが使用してる譜面も、グッドマンらが1950年代の録音当時に実際に使ってたものとのこと。Bennyとの直筆署名入りで、値段がつけられないほどのシロモノ。 やっぱりジャズはナマで聴くのがいい。楽しい音楽の時間を満喫できた。 今宵のライブ、前座は「若者」の演奏によるクラシックだったのだけれど、こちらも特筆ものだった。 ウェストサイド物語のピアノ独奏版、プーランクだかクープランだかのソナタ(cl、pf)、そしてバルトークの「コントラスト」(vn、cl、pf)。いずれもグッドマンに関係する作曲家や楽曲。 バルトークでバイオリンを弾いたのは、北米では有名人、レイチェル・バートン・パイン。バロックからロックまであらゆる分野の曲を弾いちゃうお姉さん。 3楽章冒頭ではもう一台の変則調弦バイオリンに持ち替え、ギコギコ弾きまくってた。
May 22, 2009
コメント(4)
「寄せて上げるブラームス」 ピアノ四重奏ごっこをして遊んだのは久しぶり。この編成は一番ラクなような、でもちょっと不安定なような気もするし。 ブラームスの2番を、Vn トーニー、Va 僕、Vc スタイラ、Pf セスというメンツで練習した。 この曲はあらゆるピアノ四重奏曲のなかでも最も長いんじゃないかと思う。通すだけで50分近くかかるはず。楽譜も分厚いし。 四つの楽章それぞれに強烈な個性があって、こってり風味。 好きな楽章をひとつだけ選べと言われても困る。 ジプシー/ハンガリー舞曲的でもありコサックダンス?っぽくもある4楽章が楽しくわかりやすい。でも、やはりこ2楽章ポコ・アダージョは外せない。どこか不気味なのに癒し系。前回この曲を練習したときもこの楽章に魅了された記憶がある。隠れた名曲。 弦の三人のつぶやき/ささやきの合間に、ピアノがアルペジオでさざ波を立てる。徐々に昂揚していき、場面は柔らかい太陽の光に満ちていく。 うまく表現できない自分がもどかしいものの、美しい萌えメロで攻めるというよりかは、音の起伏によりしっとり演出されている音楽。「寄せて上げる」ことによりうまれる豊満感というか。渇きと潤い、安定感と浮遊感をも併せ持っている。 ピアニストは大変そうだけど、弦の三者にとっては決して難しい楽章ではない。シャープ4つは多少ツラいものの、気合を入れれば初見でも弾ける。おいしい。 ブラームスにとってホ長調は緩徐楽章用の「勝負キー」なのかもしれない。 この楽章のほかにすぐに思いつく彼の名バラード in E は、交響曲1番とピアノ四重奏曲3番のアンダンテ。
May 17, 2009
コメント(0)

「家政婦は見たっ!」 フランス映画「夏時間の庭」を鑑賞した。日本でも現在公開中。 それぞれに家庭を持ったり外国に移住してたりして普段はバラバラな三人兄妹が、老母の誕生日を機に子連れで賑々しく大集合する場面で映画は幕を開ける。 やがて母は天寿を全うし、三人には閑静な森の中に建つ広大な邸宅と膨大な数の骨董家具や美術品が遺される。 思い出とともにそれらを大切にとっておきたいのだが、現実的にはそうもいかない。世代や生活環境が違えば価値観も違ってくる。 結局は家は売りに出され、家具や絵画は美術館が買い取ることになる。 三兄妹のなかでは、基本的に長男の微妙な心理がしっとり描かれている。妹も弟も「家」への執着が薄いし、それにみんな自分の生活や家族のことで精一杯。ジュリエット・ビノシュですら、しっぽりと脇に徹し、アメリカかぶれの軽い女をさらりと演じている。しかも金髪だし。 生まれ育った家とか愛着のある品々を手放すのは誰にとっても辛いはずなのに、この映画、むやみに感傷に浸り過ぎていないとこが気に入った。 実際、亡き母の謎めいた秘密が明らかになったり、10代の娘が非行に走ったり、彼らは感傷的になってる暇もない。 特に一家を長年見守ってきた家政士のおばちゃんが好演。もしかしてこの映画の真の主役は彼女なのかもとさえ感じた。 映画の後半、パリのオルセー美術館での場面も見応えがあった。自分が幼少の頃から見慣れていた母の骨董家具を、長男は「展示品」としてじっと見つめることになる。 あと、最後の場面が映画の幕開けの場面とうまく対をなしていたのにも観ててスッキリした。1楽章冒頭のアレグロ・ビバーチェの快活な主題が、終楽章コーダで再現されてるような心地よさ? フランス映画、おそるべし。 これといって劇的な展開に欠ける内容なのに、じっくりと魅せていくのはさすが。こうゆう「間」を活かした映画づくりができるのって、フランスのほかには日本だけなんじゃないかと思う。小津安二郎監督を筆頭に。
May 17, 2009
コメント(0)

久しぶりに大西洋を臨んでみる。そして遠い我が祖国にふと想いを馳せる。この大海原の遥か向こうにはユーラシア大陸があり、そのさらに向こうには黄金の国ジパングがあるんだなぁと、しみじみ。←逆廻りのほうが近いっつーの 今日の渚は、天気は良かったものの風はまだまだ冷たく、人影もまばら。釣りびとと波乗りびとが数人いる程度。 ってゆーか、いつのまにか当地アメリカ東海岸では、水平線から昇る朝日を拝むにはよっぽど早起きしなくちゃいけない季節になっていた。 ま、頑張って早起きするなり徹夜するなりすれば日の出はナマで見られるけれど、海に沈む夕日を見るのはさすがに無理。西海岸まで行くしかない。 いや、実は東海岸でも海に沈む夕日を見られるところがないわけでもない。フロリダ西岸まで南下すれば、メキシコ湾へと沈む夕日が拝める。 アメリカに住み始めて二回めの冬だったか、あまりの真冬の寒さに耐えかね、友だちと車でひたすら南を目指したことがあった。何日もかけてフロリダ半島の先マイアミへ、そこからさらに何キロメートルも続く橋を進んで、最果ての島キーウェスト、アメリカ最南端。常夏の楽園に到達。 あの旅のおかげで、自分はひと回り成長したような気がする。 この巨大な国で自分の居場所を見つけられずにただ悶々と悩んでた時期に、自分の足で(自動車でだけど)大国を制覇したという妙な自信が生まれた。あの時に見た夕日は一生忘れないと思ふ。 それに、あの頃はガソリン代が安かったし……。 ということで、アメリカ縦断は達成したので、いつかアメリカ横断もやってみたいなどと企ててる次第。 海を見てると、気分だけはでかくなる。
May 10, 2009
コメント(0)

往年のスタンダードの名曲をピアノでジャズっぽく弾けたら楽しいだろーなーと思う昨今。せっかくアメリカに住んでるわけだし。 でも、つい何年か前まで、僕はアメリカの音楽なんてほとんど興味がなかった。 今ピアノを教えていただいてる師匠からは、同じ曲をいろんな人の演奏や歌で聴き比べてみなさい、と言われてるので、ネット上で検索したりCDを聴いてみたりしてるのだけれど、名曲と言われるものをほとんど網羅して録音してる人物がいることに気づく。 フランク・シナトラ。 シナトラの歌は今まであまり聴いたことがなかった。僕はどちらかというとナッキンコール派だし、子どもの頃から、周りにやたらと「マイウェイ」を絶唱したがるおじさんたちが何人もいて、軽いトラウマになってたのかもしれない。 それに、マイウェイって、フランス語の原曲(シャンソン)もなおさら好きになれない。クロード・フランソワがせっせと「カムダビテューダ」とか歌っちゃうやつ。妙に可笑しくて吹き出してしまう。←チョー失礼 でも、最近、シナトラの良さが少しずつわかってきた。ちょっとした「こぶし」とか、けっこう計算されてる? 今では絶対に流行らないような、フルオケをバックに従えたこってりブ厚い音作り。懐かしくもあり普遍的、不変的でもあり。 詞の内容といい、曲調といい、若造には到底歌いこなせないであろう難曲が多い。酒と煙草とオンナに溺れるちょいワルおやじであることがシナトラを歌うための必要十分条件? 例えば、「It Was A Very Good Year」とかいう曲は特に渋い。 あんなに毛嫌いしていた「マイウェイ」だって、気合い入れて歌詞を聞き取ってみると、すごく奥深い曲であることがわかる。 苦手だったはずのシナトラの歌を今になってしみじみと聴き込んでるなんて、我ながらすごく意外。それって、単に年をとったということなのか、あるいは自分が着実にアメリカ人化してきてるということなのか。ヤバイ。 そういえば、ニューヨークマンハッタンの対岸にシナトラの生まれ育った地がある。僕もしょっちゅう出没する地域。そこにはシナトラ公園だのシナトラ通りだのがあって、在りし日の氏の面影を強引ながらも身近に感じられる。 <動画>英国の若者が歌う「マイウェイ」@ロイヤルアルバートホール
May 8, 2009
コメント(6)
先月、久しぶりにオーケストラの本番に乗った。 オケ奏者の本番の服装って、黒の上下というとこが多く、先日も基本的には黒だったのだけど、珍しく「男も黒シャツで」というご指定。普通、白いYシャツに黒の上下スーツというドレスコードが多いのに、上着は着ても着なくてもいいから、とにかく黒づくめ、ネクタイはしなくてもいいけど、するんだったら黒いのを!とのこと。 舞台上の全ての人が黒服ってのもなかなか渋くてかっこよかった。ま、異人さんばかりでみんな髪の毛の色がバラバラなので、日本で見慣れてる統一感には及ばなかったのはご愛嬌。 金髪のお嬢さんなんかは、「黒を着ると抜け毛が目立っちゃうのよねぇ~」などとほざいてるし。 思い起こしてみると、本番の衣装に関わる事件って、けっこう多い。 いつだったかの僕みたいに、黒いベルトを忘れたのでベルトなしで弾いた、なんてのはまだかわいいほうで、黒靴を忘れたので靴を履かず黒い靴下のままで舞台で演奏したというのはよく聞くし、黒の蝶ネクタイを忘れたので黒い紙だか布で自作したというツワモノもいたよーな。 一方、黒のタキシードとかロングドレスでビシッと決めてる奏者の陰で、黒のセーターに黒のジーンズっていう人もいる。どーせ遠くから見るとわかんないし。 喪服ってのもアリかと。***** 本番衣装に関しては、オケはまだまだ大人しいほう。白黒の世界にとどまってるし。 僕の勝手な印象で言えば、一般にアマチュア合唱団は派手。女声陣が衣装に凝るとこが多いみたい。 白ブラウスに黒スカートでは飽き足らず、独自性のあるのを特注したり、スカーフなど小物での「演出」が加わったり。 客演の独唱者のほうが地味なドレスを着てたりする。 そう言えば、いつか誰かに尋ねてみたいと思ってたこと。女声独唱者の衣装について素朴な疑問。 宗教曲のことは詳しく存じないけど、レクイエム(鎮魂歌)を歌うときは、やはり地味な衣装を着るのがジョーシキなんだろうか。あんまり注意して観察したことないものの、そう言われりゃ女声軍は「メサイア」や「第九」のときほど派手じゃないような気もするし、いや、派手なドレスを着てレクイエム歌ってる人を見たことがあるような気もする。 そのあたりギョーカイ的にはどう認識されてるのか、あるいは、受難曲やミサ曲の場合だったらどうなのか。 もしかして、プロの歌い手さんって、自分の歌う曲の歌詞を全て把握し、死せる者たちにせっせと気を遣いながら慎ましく衣装選びをするもんなんだろか。
May 5, 2009
コメント(0)

ジャズとかポップスやる人って、楽譜見ないで演奏してる人が多い。すごい。 一方、作曲家の書いたとおり正確に弾くのが先決のクラシックの場合、暗譜で弾くことはどのぐらい大切なんだろか? 素朴な疑問。 奏者としては悩むに違いない。ちょっとでも記憶が甘いと、本番でとんでもないことをしでかしてしまうのが暗譜の怖いとこ。「念のため」チラ見する程度、譜面がそのへんに置かれてるだけで精神的に落ち着く人は多いはず。 楽器を学ぶ者が、年に一度の発表会で10分ぐらいの曲を暗譜で弾く、というのはいい勉強になるし、奨励されるべきと思うけど、プロによる演奏会において、我々観客は独奏者が暗譜で臨むことを当然のこととして望んでしまってもいいものか。 逆に、楽譜にかじりついて協奏曲を弾く奏者は低めの評価されるべきなのだろうか。 昔、チャイコフスキーコンクールだったかで譜面を見ながら弾いた人がいて物議を醸したらしいけど、暗譜はコンクールの受験条件のひとつであるべきか。 リサイタルでは、ソリストが暗譜してることはあっても共演のピアニストが暗譜で弾くことはまずない。それって不公平? 確か四人全員が暗譜で弾くという弦楽四重奏団もあったよーな。 譜面を見ないで振る指揮者もいる。←譜面見ながら振ってる指揮者のほうがオケ団員らは安心して演奏してたりして(笑) 考え出したらキリがない。 暗譜で弾くことこそが、「聴きに来て下さるお客さまへの礼儀」と考える奏者もいるだろうし、暗譜して初めてその曲が自分の音楽になるという考えも一理ある。 我々聴衆としては、舞台上に譜面台が立っていようがいまいが、そこで奏でられる音楽が最上のものであるということを第一に望みたい。譜面を見るかどうかは奏者にお任せでいいと思う。 ぶっちゃけ、「見た目」なんじゃないかと。暗譜で弾くほうが見栄えがいい。 楽器によって違いもある。 オペラで、歌手のために舞台上にこっそり譜面台が立ってるのは興ざめ。 ピアノリサイタルで奏者が譜面を使うのは僕は別にいいと思うけど、ただ専任の譜めくりさんが隣にチョコンと座ってるのは違和感がある。伴奏時ならともかく。 うーん、微妙。***** さて、人前で独りでバイオリンを弾くことが滅多にない自分としては、必要性に駆られないから努めて暗譜しようとすることはない。実際、暗譜は超苦手だし。 昔、ギター弾きの友だちとのデュオで、ビートルズの曲をバイオリンで弾きまくるという企画で東京都内のバーを廻ってたことがあるけど、やっぱり暗譜できなくてかっこ悪かった。お客さんからも指摘されてしまった。 旋律だけならまだしも、ダカーポだのダルセーニョだのがなかなか覚えられないのだ。←言い訳 つい二、三ヶ月前、人前でバイオリンを弾く機会があった。思いきって暗譜で臨んでみた。披露宴というオメデタイ席での伴奏だったし、短い曲だったから。譜面台を立てるとやっぱりかっこ悪い。 ちょっと困ったのは、本番で弾いてる最中、どこを見ながら弾けばいいのかということ。ピアノの場合だと鍵盤見てればいいけど、バイオリンだと目のやり場に困る。 目をつぶって弾くってのは照れくさいし……。
May 1, 2009
コメント(5)
全10件 (10件中 1-10件目)
1


