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T360の台数を訂正したのでT500の台数も訂正します。生産台数1226台としましたが・・・10226台が正解。T360はS500の生産終了の1964年9月から67年11月までに10226台の生産だが、S500は1363台しか生産されてないので、まさかほとんど見る事の無いT500が1万台も生産されていたとは驚き。ほとんどが輸出されたはず?T500だと普通車となり税金面で不利、今見ると荷台がT360より長いのでバランスが?生産台数を1桁間違えたのは、このT500の1万台という台数に惑わされた。先入観で「S500の十倍も売れるわけが無い」これが間違いだった。
2003年02月28日
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T360の生産台数は9千~10万台といろいろ書かれてる。オールドタイマー誌によるとホンダの正式発表では10万台なので訂正します。 1963年 1339台 1964年 16677台 1965年 37472台 1966年 36570台 (合計すると合わない?) 合計10万8920台が正確な生産台数です。10万台の数字が最初に出たのは「ホンダ・スポーツ」ネコP刊です。1978年の今から25年前の本ですが現在も手に入ります。 新しい本になるにつれて、販売台数が減少してきたのは、エンジンは凄いがホンダの失敗作と言われ、10万台も生産されるわけが無いと考へ古い数字は誤植ではないかと思ったのでは?私もそう考えた。実際は私の考えた数字の6倍ある。1965年の軽トラック総生産台数は39万8197台なので、T360のシェアーは10%ある。この数字を見ると、結構善戦している。
2003年02月27日
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ここ数日お天気が良いのでT360で通勤。だんだん慣れてきて回転を上げすぎる、これがトラブルの素。初心忘れず慎重に・・T360は4気筒360ccなので、1気筒は90ccです。直径47ミリのピストンが上下に約45ミリ往復運動する。直径5センチの物をメジャーで探したが意外と無い。コーヒーの蓋、ジャムのビンなどもデカイ。500円硬貨は26ミリなので、この硬貨が約8枚?高速で上下していると考へると、良くこんな小さな物で大人と荷物を積んで時速100kmも出せるもんだと感心する。
2003年02月26日
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ホンダ・フイットは驚異的な販売を続けてます。特に若い方に売れてますが、ヴィッツやマーチの競合になるとHONDAのブランドイメージが有利。私のホンダ車のイメージはスグ錆びるでした。エンジンのこだわりは認めますが、昔のホンダ車は錆やすいので有名。最初は錆の事は何にも考えていなかった。輸出先からクレームが続出し、設計者の中村良夫もボディーの錆までは考えてなく、海外の評判で錆の問題が判ったと書いてます。荷揚げの段階ですでに錆びていたそうです。実際、ボディーの塗装とメッキは酷かったらしい。こんな時代のホンダ車を現在も維持するのは大変、N360はモノコックボディーなので皆さん苦労してます、実際走り出したら錆でエンジンが落ちた事もあるそうです・・ホンダスポーツの未再生原形車はほとんど無いのでは?
2003年02月25日
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元祖ちびたさんの質問ですが、これが全くわかりません。どの本にもT360はホンダスポーツの様に趣味の車でなく実用車、しかも酷使されるトラックなのできわめて生存率が低いと書いて有ります。当HPを開設したのもT360の情報が欲しかったからです。Web上で確認できるのは博物舘も入れて15台前後ですが、腐りかけた物も含めると約100台??かな。現在も公道を走れるものは推定20~50台ぐらいと思います?。オーナーは比較的年齢が高いのでパソコン普及率は低い。ホンダが四輪車生産50周年記念で大々的に募集すれば、かなり正確な数字が判るとと思いますが・・・・10年後。
2003年02月24日
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T360はスノータイヤから普通タイヤに戻しました。今年も予想どうり暖冬だったのか。寒波は二度有りましたが、過ぎると雨になり雪質が悪いのでクローラの満足な試験は出来なかった。特に粉雪のなかを疾走するクローラの写真(絵になる写真)を撮りたかったが来年に、降り始めの時にテストすると良いのですが、この時は除雪も有るので遊んでいられません。昨晩のTVニュースで稚内の犬ぞリレースの模様を放送してましたが稚内はまだ一面の銀世界。クローラで走ると気持ち良いのではと思うが、実用でクローラを使用すると寿命は5年まで、現在まで生き延びなかったと思う。当地で生き残ったのは実用性がないから。
2003年02月23日
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ホンダスポーツカーS500~S800は文句無く日本の名車で今も多くのファンがいます。歴代日本の名車スポーツカー部門では1位(トヨタ2000GTの方もまれにいる)なので、雑誌などでは誇大表現も多く、例えば「S500は発売と同時に若者の絶大な支持を得て一世を風靡しバックオーダーを大量に抱える」と書いてあると、一般車の約半分45万円の販売価格では売れて当然と考えるが、実際のS500販売台数はたったの1363台。ダイハツミゼット(三輪車)が火を着けた自動車ブームは物凄く、何処のメーカーも月産数千~1万台以上の生産なので・・・・話題にはなったが売れなかったが正解では?(T360の発売された1963年の軽車輌販売台数は約40万台)それでも1963年10月(S500)~1970年5月(S800M)までに2万5853台生産された。半分は輸出(70%説もある)1万台以上国内で売れた事になる。早すぎた稀有なスポーツカーは基本デザインを変えず一貫して驚異のミニチュア・スポーツカーとして約7年間も生産された。
2003年02月22日
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他社の軽四輪が売れまくっていたのに、T360は桁違いに売れなかったと書きましたが、もっと売れなかったのがSのエンジンを積んだライトバンL700とトラックのP800、L700のデラックス版LA、LM800です。販売台数は不明ですが1965年9月に発売して2年で消えました。当時のカタログ(左カタログにあり)を見ると、高速時代とかDOHCの高性能とか書いて有りますが、当時は国道でさえ満足に舗装してないのにツインカムと書くより、壊れません、故障しても即修理可能と書いた車が売れたのでは?L700は当然珍しい車です。有るのは博物舘だけだろうと思っていたら、去年の糸魚川クラシックカーレビューに1台出てきてビックリ。公道を走っているとは・・・オールドタイマー67号に詳しく出ています。ホンダが最初に作った乗用車(セダン)はN360。それまではトラックとスポーツカーだけ作ってF1グランプリに参戦した変な会社。他社は乗用車を作り、それから後部を取ってトラックにしたり屋根を継ぎ足してライトバンにしてるのに、ホンダは最初から変わってる・・・
2003年02月21日
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中沖満著「懐かしの軽自動車」グランプリ出版には限定発売でもおかしくない高度なT360は1万8千台も売れたと書いてあるので、サスガ本田技研、人気が有ったのだと思ってましたが、ライバル各社の軽トラの販売台数は桁違いに多い。T360は4年間で1万8920台の生産に対してマツダB360トラックは1962年には年間8万3千台の生産。スバルサンバーの生産台数は不明ですが1960年にはスバル360の年間生産台数は12万7千台なので、トラックも相当な台数が売れたはず。ダイハツの軽トラも1960年には月産6千台の生産なので、ホンダ以外のメーカーは年間数万台も販売している。1967年ごろには各社累計100万台を突破。しかもスバル360の12年を筆頭に今と違ってモデルチェンジが長い。どこのメーカーもバックオーダーを抱え大変だったのに、T360は月産にすると3~400台と少ない。販売店が無かったのは何処のメーカーも同じでスバル360は商社やデパートでも売った。売れない最大の原因はホンダの知名度だと思う。今でこそトヨタに次いで第2位のメーカーだが当時はバタバタ屋(オートバイ)マン島のレースなど特殊なマニアしか知らないし、ツインカムより壊れないのが1番、日本全国悪路なので、どの軽トラも整備性を優先させていた。特に三菱は整備が簡単で良かったと書いてある。ホンダT360は最悪。藤沢太郎著「ぼくらのメイドインジャパン」小学館刊には「この軽トラは始めからまちがっていた」と書いて有ります。私は気に入ってますが・・
2003年02月20日
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マツダキャロルを試乗しました。もちろん運転するのは始めて。雑誌などには走らない車、クリフカットと呼ばれるリアガラスは先進的だが好みが分かれるとあります。走った感じは評判どうり走りません。発売はT360より1年速くT360と同じ4サイクル水冷4気筒のアルミエンジンです。もちろん軽四輪初で当時としては贅沢な仕様ですが、T360のエンジンと比べると貧相で特にキャブはオモチャのようなキャブ1個のみ。T360の30馬力に対してキャロルは18馬力。乗り比べるとT360の加速は特別としてもスバル360よりも遅かった。(キャロルマニアの方ごめんなさい)キャロルや軽三輪は昔から好きでしたが、あくまでもイベントや雑誌を見るだけで特別な興味はなかったがT360を所有して当時のライバル達はどの程度の運動能力や販売台数(人気)なのか気になりだした。T360とキャロルの販売価格はほぼ同じだが、販売台数はT360は1万8千台、キャロルは27万台なので比較にならない。ダイハツミゼットは年間最高20万台を生産したのにT360は なんでこんなに売れなかったのか不思議だ・・
2003年02月19日
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昨日の日記でスバル360の製造年不明と書きましたが、毎度ヒントを頂くヨシムラさんからグランプリ出版「てんとう虫が走った日」桂木洋二著に載っているとのメールを頂く。早速見ると、非常に詳しく載ってます。完璧。この本、以前にパラパラとは見ましたが、スバル360=てんとう虫がNHKプロジェクトX放送以来、スバル360=百瀬普六になり放送後百瀬の本が出たので、そちらを読みました。「てんとう虫・・」を読んでみると放送の種本は桂木洋二の本みたいです・・スバル360の発売は昭和33年、長島茂男が巨人に入団した年。石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の年ですが、私はどちらも ほとんど記憶なし。力道山はあります。スバルのお問い合わせ電話(0120)の返答はなんだったのか??この手のお問い合わせは手紙が一番ですが、今回時間が無く、車はすでに博物舘に運び込みました。車体番号では昭和43年5月ごろですが、エンブレムなどでは41年式みたいなのでどちらにするのか? もめるだろな~初期型の未再生完璧原形車(出目金型)が良いのですが、当地には100%ない。以前、博物舘の借用と書きましたが、ロープを張らず子供達に自由に見せる為か傷みを考え、購入になりました。おそらく、オーナーの顔ぶれをみると寄贈に近いと思う。
2003年02月18日
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2月13日の日記で県立博物舘を書きましたが、展示用スバル360だけ製造年不明。CG別冊日本車検索図鑑ー4にてだいたい判りますが、正確を期すためにフレームナンバーをWebで問い合わせようと思ったが、スバルHPにはメールのお問い合わせには返事を出しませんと出ている(何処のメーカーも同じ)HPにお問い合わせ電話番号(0120)が出ていたので電話したところ、担当者は古い車体番号では資料が無いので分からないとの事。博物舘に展示されるのは嬉しいが、本当に分からないらしい。以前、他のメーカーにエンジン番号と車体番号が違うみたいなので手紙で問い合わせした所、丁重な返事と正確な資料が同封されてました。まァ~0120の電話ではロクナ質問しかないので返答も適当かも?1960年前後当時ではメーカーもこんなチンケな車が極少数とは言え、マニアの手で21世紀まで走り回るとは思っても見なかったので新築の際古い記録を処分したのかも?電話でCG別冊日本車検索図鑑を話したら、ストップランプの形状で判断するらしい。スバル(富士重工)本社もこの本でお問い合わせに対応してるのか・・・なお・日本車検索図鑑にはT360は出てません。
2003年02月17日
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オールドタイマーなどの専門誌には有って当然としても、一般車雑誌のバックナンバーにT360記事を探すと非常に少ない、あってもチョットだけ文面は皆 当HPのトップページみたいな紹介のみ。T360の発売(1963年)より創刊が少し古いCG(二玄社)は雑誌で唯一バックナンバー索引が有るのでパラパラっと見ても、T360の記事はゼロ。L700が1回(1965・5月)にあるだけ。小林彰太郎さんが軽トラに興味がある訳も無く当然です。次にネコパブリッシングのカーマガジン(スクランブル)も30号ぐらいまで見たが皆無。創刊号は1980年のホンダ特集隔月刊、2号イギリス車特集で6号から月刊になる。20年前の1983年7月号の「すくらん読者のページ」に面白い投稿が「ホンダのツインカム商用車T360、P700、・・・・に狂っている者です。先ほど仲間うちでは伝説的とまで言われている桶川のマニア宅を訪れ、P700、L700、L800・・・を見ることができました。中略 小生AK250を目下ソレックス・ツインキャブ仕様にレストア中です。後略」投稿者は埼玉県の上村さんとなってます。20年前の伝説的マニアさんやソレックスキャブに興味あります・・・バックナンバー編は少しずつUPします。
2003年02月16日
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T360はAK後期ぐらいからボンネットにプラスチックを使用した。プラスチック・ボンネットは着色済みなのでパーツとして注文する場合には色別に注文します。メイブルー、モスグリーンとアイボリーホワイトです。問題は白色ですが、パーツリストに載っているので有るはず、雑誌にアイボリー車体が出ているのでこの色だと思う。(右のカタログに写真あり)それにしてもT360は水色の印象が強力過ぎる。アイボリーホワイトは後継車のTN360にも使用されてます、この色合いは「HONDA 360 STORY」三樹書房1800円の新装版の表紙にカラー写真が出ているので見て下さい。この色だと思う。この本のカラー版表紙にはTN360がクローラ(TNからスノーラと呼ばれている?)を付けて写ってます。T360のクローラに比べるとだいぶん簡略されてますが T360のクローラは凝り過ぎ・・・
2003年02月15日
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当地で一番古いホンダSFに4輪ニュース(2月10日の日記)が有るか聞いた所、昨日、探したが4輪ニュースとかT360のマニアル、資料等は皆無とのことでした。40年前なので当然です。このSFは同じ場所に有りますが2度ほど建替えているので、古い資料は処分したそうです。現在はホンダプリモ。古いパーツリストが無くてもディーラーにはホンダ本社からFAX,Webで必要な情報が入るので問題無し。1963年から4年分の4輪ニュースさえあればT360の変更が良く判ります。その内出てきそうですので気長に・・中村良夫なら「T360(S600)はT360(S600)どれも一緒です」と言うはず。
2003年02月14日
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当地で県立博物舘がまもなく開館します。田舎の博物舘ですから建物は物凄く立派・・展示方法は不明ですが、昭和の生活として1960年代の車4台が常設展示されます。ブルーバード1200、パブリカ、スバル360、K360(ケサブロー)なかなか良い選択です。ミゼットのバーハンドルなども良いのですが、この展示車輌はオーナーから10年借用するのでオーナーの承諾が要り、しかも現在も働いている未再生原形車(スバル360は軽レストア中)なので、この4台だけでも良く集まったもんです。4台の車の中でスバル360だけは運転の記憶が無いので、レストア完了後一度運転してみたい。T360には足元にも及ばないでしょうがプロジェクトXを見てから興味が出てきた。パブリカは1961年の発売で最初は700ccの28馬力、車重800Kgなので、加速はT360が勝つのでは?トヨタスポーツ800の好敵手はホンダS800なので軽トラの出番は無い。展示されるK360は今でも時速80Km出ますが、その内ひっくり返るので博物舘入りは正解。
2003年02月13日
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トップページのカタログ右上にボディー色見本が有ります。T360メイブルー(水色)T500はモスグリーン(薄緑)の2色だけです。したがって当HPのゼロ戦色以外のT360は全て水色です。私も昔からT360は水色1色のみと思ってましたが、車検に出した工場長はT360は「ヤッパ白色」と言ってたので白色(アイボリーホワイト)も有るのかと・・?新車発表時のカタログを見れば判りますが、有りません。他のT360オーナーも白色には首を傾げてましたので 現在不明。もし有っても極初期型のみと考えられる。バンパーはメタリックシルバーとアイボリーホワイトの2色です。ボンネットのHマークはAK初期型は着色して無い、中期からと思われる。日本で唯一の例外色ゼロ戦色?もホンダとは深い繋がりが有ります。(日記のT360とゼロ戦に以前書きましたので・・)将来、全塗装するならアイボリーホワイトに日の丸入れたF1カラーにしようかと。邪道か・
2003年02月12日
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昨日、新潟県のT360&クローラのオーナー「ベンスパ」さんからカタログ3種いただく。このカタログは本雑誌などに出ているが実物を見るのは始めて。貴重なカタログです。当地にもカタログマニアは居ますがNかZまで、流石にT360は持っていない。ヤフーオークションに偶に出ますが、カタログマニア同士の競り合いになると手が出ません。以前、クローラのチラシ(紙1枚に両面印刷)20円スタートが3万円で落札、私は3千円になったとき入札降りました。トップページのカタログは前期の中期だと思います。何種類のカタログが有ったかは不明。カタログから分かるのは(AK中期)(1)一方開き(2)高床式三方開き(3)パネルバン(4)フラットデッキ(5)オプションとして幌付きトラック燃費は17Km、実際は14Kmぐらいなのでま~ま~良く走ります・・ほかにカタログを見て感じた事は、ボンネットのヒンジ(蝶番)はアルミ剥き出し、以前アルミヒンジの事を書きましたがこれが純正とは驚き、今見るとゴージャス?昔は贅沢な部品を使ってました。L700のカタログもあり、このカタログで驚いたのはL700のツインキャブは思ってた以上に複雑、1台は低速もう1台は高速を担当するそうで動作原理が良く分からない。中村良夫入魂の1台なので凝りに凝ってますがサッパリ売れなかった。L700の反省からか次の作品N360は革新的、安い速い簡単のオートバイ風自動車で馬鹿売れ。居酒屋で中村と議論しあった百瀬(プロジェクトX)のスバル360を発売4ヶ月で追い越し軽四輪発売日本一に。
2003年02月11日
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T360前期後期はハッキリ分かれているわけではなく、かなりの部分でクロスオーヴァーしてます。特にキャビン(運転席)は前期の中期からBKに近くなります。AKBKの生産比率は不明ですがAKが格段に多いそうです。ボンネットのプラスチック化もAK中期ぐらいからです?BKとハッキリ判るのは1キャブ、セルダイぐらい。ボンネットのウインカーはBK最終型、シートベルト取り付け穴の無いのはAK中期以前では・・・パーツリストに「4輪ニュース」を見ろと書いて有ります。T360発売開始から変更がある度にSF、販売店に配布されてた物で、重要なニュースなので必ずファイルしたはずです。当然かなりの数が残ってるはずですから、これを見れば一目瞭然。何方か持ってませんか?明日ホンダディラーで聞いてきます、屋根裏にあるかも・・・
2003年02月10日
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T360の後期型をBKと呼ぶのは後期型発売と同時なので歴史もあり、ほぼ正式名称。ヨシムラさんの書き込みにBKの呼称はSF(用語解説は下記)で使用されていたそうです。AK250の後期型を正式名称250改としたが、度重なる設計変更と販売店の不慣れか、違うパーツが来るので、やむなく現場が初期型と区別する目的でBKを使用したのでは?ホンダはK4とかN-Ⅱとか最後の数字で変化を表していたので、このAKBKは不思議な呼び方でした。(A=オートモービル)パーツリストによると流用できる部品でT360を7種類に分類してます。 種類 機種 商品名500 AK250 T360501 AK280 T500504 AK280 S500506 AK285 S600512 AL700 L700548 AK250改 T360562 AK250改 T360となっており、BKは548以降になりますが、548と562の違いは不明。 1キャブ、セルダイは548になってます。SF(サービス・ファクトリー)は4輪車を発売するにあたり、ホンダの販売店はバイク自転車店だったので全国にホンダの大型修理工場を設けた。複雑な故障などはSFで。セルダイ(セルモーター・ダイナモ)セルモーターと発電機を一緒にして1個で済ませた。これは故障が多く問題、メグロのS8までは調子が良いのですが、SGからセルダイになり苦労しました。
2003年02月09日
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T360の型式はAK250ですが、後期1キャブ、セルダイ方式からBKと呼ばれてます。もちろんBKなどなくAK後期型です。何時頃からBKなる造語が出てきたのか不思議。BKなる物を始めて知ったのはオールドタイマー誌からですが、その当時は前期、後期が有るのも知りませんでした。バイクではCB750,CB450,モンキーなどのリファインにK1と命名され、それ以前をK0(ゼロ)と愛好者が呼んでます。昭和43年?ごろから呼ばれましたが正式では有りませ。それにしてもAKBKの呼び方は変わってます、AK250Ⅱならわかりますが・・・推測ですが昭和43年以前から、つまり後期が出た直後から呼ばれたのか?42年にN360が発売(Nゼロ)されNと同じセルダイナモをつけたので、当時のマニアが別物としてBKと勝手に呼んだのでは?三樹書房「日本の軽自動車360cc」にもシッカリ後期はBK型と書いてあります。BKの呼び方は意外と歴史があるのかも・・・・
2003年02月08日
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徳大寺さんの「一台のクルマがあれば人生を変えるに充分だ」平凡社刊が発売された。なかなか良い本、団塊の世代とその上の方には懐かしい話です。徳大寺さんの本では特に、体験から来ている昭和とその時代の車は読むと面白い。出てくる車は31台、さらに100台はいろんな車が出てきます。時代がリンクしてるので各章何処からよんでもよく、ハードカバーで1500円は最近では安のでは・・・この本の本当の狙いは若い人に読んでもらいたいのでは?さて ホンダN360の章が有り、その中で「1963年ホンダが四輪最初の車として世に問うたのは、S500と言うスポーツカーであった」と書いてある。当然T360が一番最初ですがこの本、商業車は出てこないので、もしT360の名前を出すとダイハツ・ミゼットも出さなくてはならず、キリがないからと??
2003年02月07日
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このクローラは前オーナーが30数年前に新品で購入した。購入時に1回だけ雪上で使用しただけなので、まだゴム山に角(ツノ)があった。昨年の夏、クローラ試走時に角が磨り減り約2割だけになった。今期の雪上テストでは2割の角はまだ残っているので、雪上ではほとんど磨り減らないのでは?思ったより丈夫で、心材は木綿みたいに見えるが、おそらく当時ならビニロンでは?中心ではワイヤーかガラス繊維もあるかも?兎に角、雪上で使用している分には長持ちします。スキーについては有ると楽しいでしょうが、アスファルトの上は走れないので、テコの原理でスキーを上げ下げする装置を作れば、現在でも使用できるのでは。何か考えてみます・・・前オーナーは最高速度90Kmのメーター読みで45Km出したそうで。クローラでは半分に減速されるので強力・・・
2003年02月06日
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今年一番の良い天気、どんどん雪が解けますが寒波はまだまだ来ます。以前レストアのステージ(階級)を書きました。未再生原形車と完全レストア車と比べると、ウレタン塗装艶々は風格の点でチョット・・・しかし 未再生原形車のさらに上を行くのが、新車長期未登録車です。バイクではモンキー、モトコンポなどに多く有りますが、車となると場所が要るのでなかなか難しい。ホンダ車ではN,Zなどは何台か日本各地に有り、もちろんT360も有ります。当然、当時の新車のまま何十年も保存してるわけですから、大変。なぜか新車のオーナーは秘密にしたがります。バイクの場合もそうですが、10年過ぎると もう登録しなくなります。原寸大プラモデルとなり観賞用になってしまいます。他人がもったいないと言うのは 大きなお世話。車の場合はど~なるのか??持ってない人のヒガミですが・・・譲ると言われれば、欲しいですが それは絶対ない。話には良く聞きますが、車の実物はまだ見てません。有るのは間違い無いのですが・ 一度拝んでみたい。
2003年02月05日
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T360のナンバープレートは66ですが、初年度登録時には6の一桁でした。再登録だから台数が増えて66かと思ってましたが、違います。また 昔の軽四ナンバーは在庫が有る限リで、無くなると黄色ナンバーになると聞いてましたが、 これも間違い。まず、黄色ナンバーは昭和50年1月1日~現在で360cc以上です。それ以前は軽貨物は昭和36年から6ナンバー、昭和48年からは66ナンバーになります。つまり360cc以下の軽四輪は法律で昔の「小さい白ナンバー」にしないといけないのです。この件はWebのアドレスを下記に。面白いHPでためになります。インターネットでは細分化された情報が出ているので面白い。ホンダ系ではノンキーさんのホンダルームを毎日見ます、情報満載。http://www.bg.wakwak.com/~stepup/ 高知のナンバープレートマニア(研究家)は勉強になります。他にも幾つか専門HPが有るので見てください。(流石にナンバープレートオンリーは少ないですが)http://members.tripod.co.jp/kochi0001/HP/ 当県のナンバープレ-ト事情も何方か調べて下さい・・・
2003年02月04日
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ホンダのF1はRA270からで271、RA272がメキシコGPで初優勝した。RA270は本田宗一郎が「目標270馬力!!」と言ったので270、RはレーシングAはA型かオートモービル。特にRA271とRA302は小説、ノン・フィクションにイッパイ出ているので省略。T360の呼び方は X120→AK360→AK250→T360(商品名)になります。何で270を書いたかと言うと 「ツインリンクもてぎ」のホームページを見ていたらF1エンジンの分解展示してある写真があり、一度見に行きたいが当地からは遠い・・もし 10年後に4輪生産50周年記念行事でもあればT360で見に行きたい。
2003年02月03日
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一昨日S800を書きましたが追加で。トップページの写真を見ると軽トラとS800は別物みたいですがエンジンブロック(エンジンの土台)は同じです。エンジンの外見も同じ。Sシリーズの特徴として後輪チェーンドライブが上げられる、スクーターのベスパみたいな仕組みで4輪車なので複雑、最後期からはデフギアになりますが外見からは同じ。ベスパの古い三輪車アペも同じチェーンドライブです、昔からある方法でした。日本では最初のスポーツカー(例外あり)でありトヨタのヨタ8は翌年発売、時代が追いつかず売れなかったが約7割が輸出された。特にヨーロッパではライトウエート・スポーツカーと呼ばれるジャンルはあったが、何れも値段相応のチープな車。ホンダスポーツは性能、品質、デザインともに素晴らしい車でモナコのグレース王妃の愛車として有名。アメリカでは流石に小さすぎてトイカーと呼ばれますが、スティーブ・マックイーンの愛車。どちらもカッコいいです・・30年ほど前にチョット乗ってました。たしか3万円?で幌無し、床には5cmの穴が2ケ開いていて地面が見えサビサビ。これで廃車と思い雨ざらしでしたが 直ぐ売れた。この時期廃車とレストアーに別れ、現在生き残っているのは後者。200万円前後で専門店に売ってますのでゼヒ買って乗ってください。レストアー費用を考えると、この金額は絶対安い!
2003年02月02日
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以前数回書いたローラーベアリングとメッサーシュミット戦闘機エンジンDB601は三樹書房「エンジンのロマン」鈴木孝著に詳しく出ているとの連絡を受けました。この本は自動車と飛行機のエンジンを解りやすく説明してます。「エンジンのロマン」「動力の歴史」「20世紀のエンジン史」の3部作?で何れも三樹書房刊です。以前パラパラとは見ましたが、飛行機のエンジンまでは見ませんでした、確かにDB601エンジンは詳しく出てます。結論としては「当時の日本ではハードルが高すぎてコピーは無理」欧米に比べてベアリングの精度は10%、燃料噴射ノズルは5%しか精度が出なかった。DB601エンジンの中にホンダエンジンの事も書いてあり、1964年からのF1ではベアリングの故障は無かったと書いてある。T360やSもベアリングの故障は無かったようだ?良く壊れたのは水周りで、ホンダ始めての水冷なのでトヨタ日産をマネすれば良かったのに、一番悪いロータスをマネしたから。戦前、陸軍海軍が総力上げて出来なかったエンジンを町工場の本田技研が完成させた。
2003年02月01日
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